16/09/04 15:41:02.91 1fsWwdqs0.net
17.「北朝」は滅亡していた!! 南北朝秘史-其の壹- (1997.11.15)
URLリンク(teikoku-denmo.jp)
通史では、南朝系の後亀山天皇(第99代)の後を、北朝系の後小松天皇(第100代)が継いだ事になっています。
これ自体は間違ってはいないのです。では、なぜ、「北朝」は滅亡していたと言えるのか? それは、南北朝統一後の
初代天皇となった後小松天皇の出生の秘密にあるのです。
後小松天皇。第100代(在位 北朝第6代:1382-1392・統一後:1392-1412)。名は幹仁。後円融天皇の第1皇子。
後小松天皇の出生にどんな秘密があったのでしょうか? これを語るには、新たな人物に登場願わなければなりません。
その人物とは、室町幕府第3代将軍・足利義満です。
足利義満。室町幕府第3代将軍(在職 1368-1394)。将軍勇退後、明の皇帝・洪武帝に朝貢し、1395年、「日本国王」の
称号を獲得。死後、朝廷より「太上天皇」の尊号を贈られるも、子息で第4代将軍・義持がこれを辞退した。
当時の東アジア世界の「盟主」・明(中国)の皇帝から正式に「日本国王」と認められ、更に、その死に際して、時の朝廷から、
「太上天皇」の尊号を贈られたほどの大人物。この足利義満と後小松天皇との間に、どんな関係があるというのでしょうか?
ズバリ言いましょう。
後小松天皇は、後円融天皇の第1皇子等ではなく、足利義満の子であったと。