16/09/04 00:57:34.59 ajE4pZEO0.net
北田 政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今
、天皇が憲法の規定する国事行為=注<2>=を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、
象徴天皇制の完成を見た思いがします。
原 今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀(さいし)と行幸こそが
「象徴」の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。
「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」というのは宮中祭祀を、「同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、
その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」というのは行幸を指していると思います。
宮中祭祀と行幸はいずれも明治になってから新たに作られたり、大々的に復活したりしたもので、
戦後も昭和天皇によって受け継がれました。
平成になると、宮中祭祀に天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか、行幸も皇后が同伴する行幸啓となり、
ますます比重が大きくなりました。
北田 憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。
相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。
止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。
多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。