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☆★☆ 歴女な奥様 ★☆★ - 暇つぶし2ch277:自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@\(^o^)/
15/08/06 20:51:55.60 ugFlxyElO.net
《Wikiより引用》
☆また日本書紀などの史書によれば、歴代の天皇や貴族が吉野を訪れており、この当時の吉野は、遊興の地となっていた。
以下に吉野を訪れた天皇・貴族を列記する。
応神天皇 - 吉野の宮へ行幸。この時、国巣の人々が酒を天皇に贈り、歌舞を見せた。また応神天皇の行幸は日本書紀における「吉野の宮」の初見になる。(『日本書紀』巻第十〇 )
雄略天皇 - 吉野の宮へ行幸し狩りを楽しんだ。(『日本書紀』巻第十四 雄略天皇二年冬十月)
斉明天皇 - 斉明天皇2年(656年)に離宮として吉野の宮を作った。
古人大兄皇子 - 大化の改新後に吉野へ隠棲するが、吉備笠垂の密告により殺害された。
大海人皇子(後の天武天皇)   吉野の宮へ隠棲する。天智天皇が崩御ののちに、この地から挙兵する(壬申の乱)。(『日本書紀』巻第廿八)
  また天武天皇となったあとの天武天皇8年(679年)にも吉野へ行幸し、皇后との間にもうけた草壁皇子が次期天皇であると宣言し後継者で争わないことを誓わせた(吉野の盟約)。(『日本書紀』巻第廿九)
持統天皇 - 頻繁に吉野の宮へ行幸している。その数は禅位後の1回を含めて32回に及ぶ。(『日本書紀』巻第卅〇)
文武天皇 - 吉野へ行幸した時の歌を詠んでいる。  「み吉野の 山の嵐の 寒けくに はたや今夜も 我が独り寝む」(『万葉集』1-74)
元正天皇と聖武天皇が芳野(吉野の雅称)へ行幸した時の歌を笠金村が作り万葉集に収められている。(元正天皇の行幸は、万葉集6-907から6-909、聖武天皇の行幸は万葉集6-920から6-922)。
他にも万葉集には吉野を題材とした歌が数多く詠まれている。また現存する最古の日本漢詩集『懐風藻』にも吉野を題材としたものが登場する。以下に吉野を詠んだ主な歌人を列記する。
柿本人麻呂 - 万葉集1-36から1-39
山部赤人 - 万葉集6-923から927
大伴旅人 - 万葉集3-315から316
大伴家持 - 万葉集18-4098から4100
このように吉野は、離宮が置かれ、遊興の地ということもあってか、8世紀には当時の吉野地方に芳野監という特別な行政機関が置かれている。この機関は霊亀2年(716年)頃に置かれ、天平10年(738年)頃まで機能していたようである。


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