21/02/15 15:17:53.16 SPZ/j9wY.net
一方で、子どもながらに葛藤もありました。
「先生は嫌いではないし、先生の言う通りにやったほうがいいのかなとも思いました。でも、自分にうそをついてはダメだという気持ちもありました。なぜオレンジ色に塗りたかったのか当時はわかりませんでしたが、先生の言う通りに色を塗り替えるのは違うんじゃないかなと思っていました」
「先生はおそらく、きちんと観察して正しく色を塗ることを指導するように言われていたと思いますが、子どもに先生の都合は全く分かりません。先生は絶対直せというわけではありませんでしたが、世の中にはそう考える人がいると学びました。色に関しては、考えれば考えるほど様々な視点や考え方があるんじゃないかと思い、マンガで表現しました」
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「相手は相手、自分は自分の考え方」
「色の付け方は、間違いではない時代が必ず来る」。筑濱さんは当時の自分にそう伝えたいと言います。「今は先生に指摘されても、その時代のこととして受け止めて。自分の考え方を合わせてしまうのはおもしろくない」。そう考える背景には、1970年の大阪万博があります。
近くに住んでいた筑濱さんは、開会式から閉会式まで11回訪れ、太陽の塔やパビリオンを間近で見ました。全てが新鮮で、印象的な体験です。大人たちの反応からも感じたことがありました。
「大人が、太陽の塔を見て『何を表現しているかわからない』というわけです。パビリオンを見た大人が驚いている様子を見て、『大人にもわからないんだな』と心の中で思いました」
芸術に正解はありません。子どもながらに「相手は相手の感じ方だし、自分は自分の考え方でいい」と悟ったそうです。
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マンガの最後で「ぞうはねずみ色よ」と言った女性は、「現実的な人」として描きました。先生と同じように、正面から常識を示す存在です。「これも一つの現実だと思いますし、先生の言うように修正して描くやり方もあるというメッセージも込めました。芸術家や漫画家など、現実への疑問を呈する方もいます。僕もそんな作品を描きたかった。人間って、反抗することによって成長していくのだと思います」