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斂葬の儀関係の資料 2000年6月16日、香淳皇太后崩御
皇太后が亡くなって40日間、皇族や宮内庁関係者が交代で24時間
香淳皇后のご遺体の側に詰める
これは殯宮祗候(ひんきゅうしこう)といい、通夜に当たる
雅子妃も一日一回、40分ほどを香淳皇太后の側に寄り添われた
しかし7月21日、この殯宮祗候を休まれ、22、23日と続けて休まれた
文藝春秋 『雅子妃「沈黙」の悲しみ』 2000.9 宮原安春
23日の夜は御所にうかがっての食事会だったが、途中具合が悪くなり
皇太子と一緒に退席
微熱があり、月のものが遅れていたため万が一をとって欠席した ←★
皇室関係者談
週刊新潮 『雅子さま「休養」で伝えられた「真相」 2000.8.10
1999年12月30日の流産の手術後、体はともかく精神的な回復が
遅れていて、部屋に引きこもり、食事もできない日があった
複数誌
「斂葬の儀は午前五時ごろに始まり、夜九時、十時までかかる
体調に不安のある状態では非常にハードな儀式」
宮内庁詰記者談
文藝春秋 『雅子妃「沈黙」の悲しみ』 2000.9 宮原安春
★これは同様の証言が今のところ見当たらないので正確性は謎