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日々、思うこと・・・ 2016/04/11 4:29:21
4月8日に、富士通時代に一番仲が良かった人から電話があった。息子が病に倒れたと。
掛ける言葉もない。
士業者として出来得る限りの助言をし、彼を励ます他しか術がない。
出来ることなら、息子と代わってやりたいと言われたときは、その気持ちが分かるので、当職も思わず涙した。それでも、士業者は、決して泣いては、ならない。
クライアントのために、最高の結果を出すことに尽力することが士業者である。それでも、クライアントではなく、友人である。
電話だったので、涙も堪えながら、取り敢えず普通に受け答えはしたが、彼の気持ちを考えるとやり切れなかったのである。
三つ子の魂、百までではないが、当職が富士通グループを退職したのは、平成5年12月であり、もう今から23年ほど前である。
それでも富士通グループの皆さんとは交流があり、富士通サプライ㈱元社長からも年賀状を頂くのである。この彼も富士通㈱で支店長まで、なった人である。
8日も色々と話していたら、
「やっぱり、すげーな!」と言うので、「私が出来ることなら、何でもしてあげる!」と言った次第である。
病院の転院は、二人で話し合って止めたが、リハビリ施設については、今夜も孝三さんと何処が良いか話し合った次第である。
当職は、今回つくづく思い知ったのである。
金銭やその他で手当てできることは、本当の不幸ではない。
それでも、当職事務所に何箇月か手伝い来てもらっている間に、
「俺も、息子に半身不随になっても、言語障害になっても治った人がいると聞いているから、息子にもそう言っている。としの事務所に手伝いに行っていて、本当に良かった。」
どこのリハビリに入れるかも、今夜孝三さんとも話し合った次第である。
当職は、本当に無常の念を感じるのである。
玉木弁護士にいたっては、35歳で脳の血管が切れるなど、加重労働があったかも知れないと言われたのである。確かに、先天性奇形があったとしても、それが直ちに発症するとは限らない。
余りに仲の良い近しい人なので、そこまでは言えなかったというか、驚愕して慰めるのが必死で思いが及んでいなかったのである。