15/10/12 05:23:34.82 d2zMReCH.net
自分がなぜここまで考えられるか。簡単に試験後「あー。駄目だ」って
思考から戻ったかと言うと姫野寛之先生や水澤大輔先生とは
大学入試までに対する態度が違ったからだと思う。
中学入試で進学校に行ってしまったから。ビリに限りなく近かった。
初めは800人中790番とかその位。高校までの一貫校だったが、
その成績だと大学に進学できない。おまけに進学校をうだっているので
求人票がない。だから、無職になる危険があった。
大変やばかった。毎日勉強した。しかし、まずアルファベットが
覚えられなかった。毎日100回以上練習したが覚えられなかった。
1ヶ月位でだいたい少しは書けるようになった。
当時の英語の教師は「一生懸命授業を聞いてやっている生徒でも
なかなか上手くいかない人はいるのは当たり前」位に思われてた気がする。
途中ははしょるけど、京都大学を志望していたけど別の大学に入った。
後期入った。後期入試は3科目で数学国語が入るとはいえ、
あとで知ったが、大学が空港から近くなので外国人留学生が多く
受験生も留学志望や語学が得意な人が多かった。
しかし、合格した。英語は要約問題もあったけど、
全科目満点か1点マイナスだと確信しました。
姫野寛之先生は同じ時に同じ位ガチでやってないと思う。
身の丈にあったという形で京都産業大学。
それが駄目だった。あとを引いているということ。
自分が講師ならば、自分の講義を一生懸命聴いてくれて
頭も良さそうで気が利くし熱心だ。でも、そういう受講生が
15問正解は普通にあるからそんなに思わない。茫然自失はしません。
だから、司法書士まで一生懸命やらなかったのが出ていると思う。
大学名が悪いのではない、京産大学だろうが京大だろうが
一生懸命やったかが一番大事で大卒かはどうでも良い。過程がわかる。
大変よくわかる。