24/11/12 14:04:43.20 vh6AoS+Mb
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第二節「引用喩釈」11
(11)入楞伽経
「楞伽経(りょうがきょう)」の巻第二に言う。
―法身仏(ほっしんぶつ)の説法とは、迷いの心に相応する本質から、かけ離れたものであって、まさに仏の内心であり、悟りの聖なる境界であり、これを法身仏の説法と言うのである。
「楞伽経」の巻第八に言う。
―応化仏(おうけぶつ)が衆生を教化するための説法は、真実を説法するのとは異なっている。仏陀の悟りの内容そのものの境地を、そのまま説いたものではない。
空海が喩釈して申しますと、いま、この経によれば、法身・報身・応化身の三身(さんじん)に、それぞれ説法があり、「応化仏は、悟りの内容そのものは説かない」ことが、明らかにされています。
そして、「法身仏だけが、そうした悟りそのものを、お説きになる」と言うのです。
139:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:11:11.17 vh6AoS+Mb
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第二節「引用喩釈」12(1/2)
(12)五秘密経(1/2)
「金剛頂五秘密経(こんごうちょうごひみつきょう)」に、次のように説かれています。
―もし顕教(けんぎょう)について修行する人は、三大無数劫(さんだいむしゅこう)という長い時間を経てのちに、悟りを証することになるのだが、
―その間にあっても、あるいは進み、あるいは退き、なかなか進めるものではない。
―もし毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ。大日如来)・自受用身(じじゅゆうしん。自ら悟りを享受する仏)所説(しょせつ。説くところ)の内証(ないしょう。内面的な悟り)、
―自覚聖智(しょうち)の法、及び大普賢(だいふげん)金剛薩た(こんごうさった。普賢菩薩)・他受用身(たじゅゆうしん。悟りを他の者に享受させる仏)の智によらば、
―すなわち現生(げんしょう)において曼荼羅阿闍梨(まんだらあじゃり。灌頂《かんじょう》という、真言密教の儀式を受けた僧)に遇逢(あ)い、
―曼荼羅に入ることを得て羯磨(こんま。受戒の儀式)を具足することを為し、普賢三摩地(ふげんさんまじ。普賢菩薩の心)をもって金剛薩たを引入(いんにゅう)して、その身中に入る。
訳者注
―空海以前で、密教と対比して顕教の語を用いているのは、この経典の、この部分だけである。
―空海にとっては、「法身に智のはたらきがある」という考え方は、まことに好ましいのであり、「法身説法への大切な論証」と受け取っているのである。
140:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:11:45.20 vh6AoS+Mb
17弘法大師
141:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:12:07.00 vh6AoS+Mb
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第二節「引用喩釈」12(2/2)
(12)五秘密経(2/2)
空海が喩釈して申します。
顕教で言うところの「ほとけの悟りの境地というものは、言葉では表せないし、人の心では押しはかれない」という境界こそ、真言密教で言う、大日如来のお心そのものなのです。
「五秘密経」の述べている密教の内容は、「理(り)」法身(ほっしん)と「智(ち)」法身(ほっしん)とを合わせ持った、いわば理智法身の境界と言うことができましょう。
訳者注
―この経文以下のいくつかの証文は、古くから真言宗では、「不読段(ふどくだん)」と称して、余計な注釈を加えないことになっている。筆者も、これに、ならうことにしたい。
―なぜ不読段にしたかと言うと、これらの文は、真言密教を志す行者が、灌頂(かんじょう。真言密教の儀式)道場に引入されて、阿闍梨(師僧)から、まのあたりに法を受ける内容である。
―たとえ、これを解釈してみても、なにもわからず、なにもつかめないうえに、余計な先入観ができてしまって、ためにならないからである。
142:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:29:12.98 vh6AoS+Mb
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第二節「引用喩釈」13
(13)金剛頂瑜祇経(こんごうちょうゆぎきょう)
「金剛頂瑜祇経」にいわく、
―金剛界遍照(へんじょう)如来、五智所成(ごちしょじょう)の四種法身(ししゅほっしん)をもって、本有(ほんぬ)金剛界金剛心殿(こんごうしんでん)の中において、
―自性所成(じしょうしょじょう)の眷属ないし、微細(みさい)法身の、秘密心地(しんじ)の十地(じゅっち)を超過せる、身(しん)・語(ご)・心(しん)の金剛と、ともなり。
訳者注
―大乗仏教で、仏身を三種に分ける考え方のうち、自性・受用・変化の三身説があり、密教では、これに等流(とうる)身を加えて四身とする。
―「さまざまな動物等に身を変えて出現する姿」を等流身とする。
―「これら、すべては法身である」とする考え方によって、四種法身という見方が出来上がった。
―密教で忘れてならないのは、大日を中心とした五智五仏のマンダラを自らの心に置くことである。
―こうすることによって、私たち普通の人間も、法身・大日如来と密接な関係にあることを実感できるのである。
―こうした心の実感は、密教の観法に属するものであって、ここに真言密教の真骨頂がある、というのが空海の考え方である。
143:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:34:52.94 vh6AoS+Mb
98悲しい気に入らないそれでいい
144:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:38:00.76 vh6AoS+Mb
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第二節「引用喩釈」14
(14)分別聖位経(ふんべつしょういぎょう)
また「分別聖位経」に、こう言います。
―自受用仏(じじゅゆうぶつ)は、心(しん)より無量の菩薩を流出(るしゅつ)す。
―みな同一性(どういつしょう)なり。いわく金剛の性(しょう)なり。
―かくのごとくの諸仏・菩薩は、自受法楽(じじゅほうらく)のゆえに、おのおの自証(じしょう)の三密門(さんみつもん)を説きたもう。
→自受用仏が、自らの悟りを楽しむために、内心の境地を、そのまま説かれた教えが密教だ。
訳者注
―不読段と定めた先徳の思いを察するに、「自受用仏は、心より無量の菩薩を流出す」この文を普通に理解してしまうと、「外教に見られる創造神話と、混同されてしまう恐れがある」からであろう。
―仏教においては、釈尊の叡智によって無我論や中道が説かれ、「神話の神を信じなくともよいし、それを否定する必要もない」という確固たる立場に立っている。
―大日如来という仏陀も、あくまで人間釈尊から出発し、釈尊の、八十年のご生涯を、宇宙大に拡大した人格である。
―多くの人々は、これを取り違えて、あるいは宇宙の霊力とか宇宙の大生命とか表現したり、「他教の太陽神と同一だ」とか、誤った説を述べている。
―もし、こうした誤解を許せば、「大乗諸宗も真言宗も、仏教ではなくなってしまう」のである。
法身が、ご自身の法楽(ほうらく。仏教を信じ、善行を積み重ねる楽しみ)のために、悟りの内容そのものを説かれているのです。
145:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:39:14.02 vh6AoS+Mb
76お気持ち
146:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/12 14:41:40.06 vh6AoS+Mb
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第二節「引用喩釈」15
(15)分別聖位経(ふんべつしょういぎょう)
「金剛頂(こんごうちょう)分別聖位経」に、こうあります。
―真言陀羅尼宗(だらにしゅう)と言うは、一切如来秘奥(ひおう)の教え、自覚聖智修証(じかくしょうちしゅうしょう)の法門なり。
―この因縁を具すれば、頓(すみや)かに、功徳(くどく)広大の智慧を集め、無上菩提(むじょうぼだい)において、みな退転せず。
―もろもろの天魔、一切の煩悩および、もろもろの罪障を離れ、念々に消融(しょうゆう)して、仏の四種身を証す。いわく自性身・受用身・変化身・等流(とうる)身なり。
―如来の変化身は、閻浮提(えんぶだい)・摩竭陀(まかだ)国の菩提(ぼだい)道場において、等正覚(とうしょうがく)を成(じょう)し、地前(じぜん)の菩薩・声聞・縁覚・凡夫のために、三乗の教法を説きたもう。
―報身(ほうじん)の毘盧遮那(びるしゃな)、色界頂(しきかいちょう)第四禅、阿迦尼だ天宮(あかにだてんぐう)において、雲集(うんじゅう)せる尽虚空遍法界(じんこくうへんほっかい)の一切の諸仏、
―十地(じゅっち)満足の諸大菩薩を証明(しょうみょう)として、身心を驚覚(きょうがく)して、頓(すみや)かに無常菩提を証するには、同じからず。
―自受用仏(じじゅゆうぶつ)は、心より無量の菩薩を流出(るしゅつ)す。
―みな同一性(どういつしょう)なり。いわく金剛の性(しょう)なり。遍照如来に対して灌頂(かんじょう)の職位(しきい)を受く。
訳者注
―この一段は、「分別聖位経」の序文に相当するところで、「経の訳者の、不空が書き加えた」とも考えられる。
―ここに、「真言陀羅尼宗」という語が見られるが、これは真言宗を意味するのかどうか、はっきりしていない。他の密教経典には、どこにも見られない。
空海が喩釈して申します。
この経には、仏の三身に、それぞれ説法があり、それらに「浅い深い」の違いや、「成仏の遅い速い」など、「どれがすぐれ、どれが劣っているか」などが、はっきりと示されているのです。
顕教の学者がたは、「法身は説法せず」と言いますが、これは正しくないことがわかります。
147:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:18:20.10 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第三節「引用註解」1(1/2)
(1)金剛頂一切瑜祇経(1/2)
「金剛頂一切瑜祇経(ゆぎきょう)」に、こうあります。[{ }内は空海の注]
―一時、世尊、金剛界遍照如来、五智所成(ごちしょじょう)の四種法身(ししゅほっしん)をもって、
―本有金剛界(ほんぬこんごうかい。真実なるものの本性を明確にする、法界体性智《ほっかいたいしょうち》)、
―自在大三摩耶(じざいだいさんまや。すべての事象の差別相を正しく観察する、妙観察智《みょうかんざっち》)、
―自覚本初(じかくほんしょ。「すべての事象が平等である」と観ずる、平等性智《びょうどうしょうち》)、
―大菩提心普賢満月(鏡のように、すべての現象を顕現する、大円鏡智《だいえんきょうち》)、
―不壌金剛光明心殿(ふえこんごうこうみょうしんでん)の中において
―{いわく不壌金剛とは惣じて諸尊の常住(じょうじゅう)の身(しん)を歎(たん)ず。光明心とは心(しん)の覚徳(かくとく)を嘆ず。
―殿(でん)とは心身(しんじん)の互いに能住(のうじゅう)・所住(しょじゅう。執着の対象)となることを明かす。
―中とは語密、また離辺(りへん)の義なり。これはこれ三密なり。
―かの五辺百非(ごへんひゃっぴ)を離れて、独(ひと)り非中(ひちゅう)の中に住(じゅう)す。いわゆる法身自証の境界(きょうがい)なり。
―またこれ(「自己および他人のためになすべきこと」を成就する)成所作智(じょうそさっち)なり。三密の業用(ごうゆう)みな、これより生ず}、
―自性所成(じしょうしょじょう)の眷属(けんぞく)、金剛手等の十六大菩薩および四摂行(ししょうぎょう)天女使(てんにょし)、金剛内外(ないげ)の八供養(はっくよう)天女使と、ともなり。
148:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:19:30.76 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第三節「引用註解」1(2/2)
(1)金剛頂一切瑜祇経(2/2)
―常に三世(さんぜ。過去・現在・未来)において、不壌(ふえ)の化身(けしん)にして、有情(うじょう)を利楽(りらく)して、時として暫く(しばらく)も息む(やすむ)ことなし
―{いわく三世とは三密なり。不壊(ふえ)とは金剛を表わす。化(け)とは業用(ごうゆう)なり。
―いわく、常に金剛の三密の業用(ごうゆう)をもって、三世(さんぜ)にわたって、自他の有情(うじょう)をして、妙法の楽を受けしむ}。
―この仏刹(ぶっせつ。仏土)は、ことごとく、金剛自性(こんごうじしょう)清浄をもって成(じょう)ずるところの、密厳(みつごん)・華厳(けごん。華にたとえられる修行で仏の位を飾る)なり
―{いわく恒沙(ごうじゃ)の仏徳、塵数(じんじゅ)の三密をもって身土(しんど。身体と国土)を荘厳(しょうごん)する。
―これを曼荼羅(まんだら)と名づく。また、金剛は智を表わし、清浄は理を表わし、自性は二に通ず}。
―五智の光照、常に三世(さんぜ)に住するをもって、暫く(しばらく)も息む(やむ)ことあることなき平等の智身なり
―{かくの如きの文句の一一(いちいち)の文(もん)、一一の句、みなこれ如来の密号(みつごう)なり。
―二乗凡夫(にじょうぼんぷ)は、ただ句義をのみ解(げ)して、字の密号を知ることを得ず。
―これを覧(み)ん智人(ちにん)、顕句義(けんくぎ)をもって密意(みつち)を傷つくることなかれ}。
訳者注
―大日如来以下、三十七尊の出現、五智五仏が無限に広がって法界に遍じている。
―そのひろがりが私たち人間、一人一人にまで及んでいる、と受けとめるには、師にしたがい、曼荼羅海会(まんだらかいえ)に引入(いんにゅう)され、受法して体得するほかはない。
149:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:20:01.01 yq1lxY/SW
76お気持ち
150:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:23:32.45 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第三節「引用註解」2(1/2)
(2)大日経(1/2)
「大日経」にいわく。[{ }内は空海の注]
―一時、世尊、如来加持広大金剛法界宮(ほっかいぐう)に住したもう。一切の持金剛者(じこんごうしゃ)みな悉く(ことごとく)集会(しゅうえ)せり。
―および普賢(ふげん)菩薩、妙吉祥(みょうきっしょう)菩薩ないし諸大菩薩、前後に囲繞(いにょう)して、しかも法を演説したもう。
―いわゆる三時(過去・現在・未来、あるいは、正法の千年・像法の千年・末法の1万年)を越えたる如来の日、加持のゆえに、身・語・意、平等句の法門なり{これは自性身の説法を明かす}。
―時に彼の菩薩には普賢を上首(じょうしゅ)とし、諸執金剛(しょしゅうこんごう)には秘密主を上首とす。
―毘盧遮那(びるしゃな)如来加持のゆえに、身無尽荘厳蔵を奮迅示現(ふんじんじげん)し、
―かくの如く語・意平等の無尽荘厳蔵を奮迅示現したもう{これは受用身(じゅゆうしん)の説法を明かす}。
―毘盧遮那(びるしゃな)の身あるいは語、あるいは意より生ずるにあらず。一切処(いっさいしょ)に起滅辺際不可得(きめつへんざいふかとく)なり。
―しかも毘盧遮那の一切の身業、一切の語業、一切の意業、一切処(いっさいしょ)、一切時(いっさいじ)に、
―有情界(うじょうかい)において、真言道句の法を宣説(せんぜつ)したもう{これは変化身(へんげしん)の説法を明かす}。
―また執金剛(しゅうこんごう)、普賢・蓮華手(ふげんれんげしゅ)菩薩等の像貌(ぞうぼう)を現じて、
―普く(あまねく)十方において、真言道の清浄句の法を宣説したもう
―{これは等流身(とうるしん)の説法を明かす。この経の四種法身に、また竪横(しゅおう)の二義を具す}。
151:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:23:58.10 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第三節「引用註解」2(2/2)
(2)大日経(2/2)
訳者注
―重要なことは、空海がこの文を四つに分け、順に、自性(じしょう)・受用(じゅゆう)・変化(へんげ)・等流(とうる)の四身に配当し、「おのおの四身が説法している」ことを示している点である。
―四種身を用いているのは、「金剛頂経」系統の、特に不空訳のものであり、これら四種身すべてが法身であるとする、「四種法身」の語も、不空訳の「金剛頂経」にある。
―空海は、これら四種身ないし四種法身を「大日経」にも配当し、「『大日経』と『金剛頂経』という両部大経ともに同一の仏身説である」ことをも示しているのが、この一段である。
―次に、空海の注の中に、「横(おう)と竪(しゅ)の四種法身あり」というのは、横とは四種身すべてが法身であり、「大日如来と諸尊すべてが同体である」とする見方であり、
―竪というのは「四種身のうち、自性法身がマンダラ中央の大日如来」であり、「他の三身は周辺の尊であり、顕教の教主である」という見方である。
152:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:25:23.31 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第三節「引用註解」3
(3)守護国界主陀羅尼経(しゅごこっかいしゅだらにきょう)
「大日経」にいわく。[{ }内は空海の注]
―仏の、のたまわく、秘密主よ、わが語輪(ごりん)の境界を観ずるに、広長にして遍く(あまねく)無量の世界に至る清浄門なり。一切衆生をして、皆、歓喜することを得せしむ。
―いま釈迦牟尼世尊の、無尽の虚空界(こくうかい。天智の間に広がる大空)に流遍(るへん)して、もろもろの刹土(せつど。国土)において、仏事を勤作(ごんさ)するがごとし
―{大日尊の三身、もろもろの世界に遍じて仏事をなすこと、また釈迦の三身の如くなることを明かす}。
訳者注
―この段を空海が引用した理由は、法身・大日如来は、理念的な仏身ではなく、脈々と現に生存している生命体なのであって、
―「かつて釈尊が広く活動され人々を救済された」と同様に、「大日如来も限り無く高い人格を所有され、人びとを広く救済しているのである」ことを示すためである。
「守護国界主陀羅尼経(しゅごこっかいしゅだらにきょう)」巻第九に、こうあります。
―仏が秘密主に告げて言われた。この陀羅尼は、毘盧遮那世尊が色究竟天(しきくきょうてん。色界《食欲と性欲との、二欲を離れた者の住処》の最高処)において、
―帝釈天(たいしゃくてん。雷霆神《らいていしん》インドラ。仏法の守護神)および多くの諸天のために、すでに広くお説きになった教えである。
訳者注
―この経は元来、大日を中心とした集会と、釈迦仏を中心とした集会を対比して説くのだが、大日が真言密教の陀羅尼門を説かれ、いま、また釈迦如来も同様に陀羅尼門を説かれる、と言う。
―釈迦が説かれた経の中に、しばしば「秘密蔵」等、真言密教の用語が見られ、空海は秘密にも「多種多様の秘密のある」ことを喩釈している。
153:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:26:02.85 yq1lxY/SW
13になった
154:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:26:51.94 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第三節「引用註解」4
(4)龍樹「大智度論」
「大智度論」巻第九に、次のように説かれています。
―仏には、二種の身がある。一に法性身(ほっしょうしん)、二に父母生身(ぶもしょうじん)である。法性身は永遠なる仏陀、父母生身は父母から生まれた仏陀・釈尊である。
―法性身は、常に種々の身、種々の名号(みょうごう。仏菩薩の名)をもって出現され、種々の場所、種々の手段をもって衆生を救済され、その活動は一瞬も休むことがない。
―しかし一般の人々は、種々の罪を犯しているので、「その姿を見たり声を聴いたりすることができない」のである。
訳者注
―空海は「大智度論」で、「法身が脈々と生きづく仏身で、しかも説法をしている」という表現に強い共感を覚え、「この仏身こそ真言密教の大日如来を意味するのだ」と理解した。
―しかし「大智度論」には、密教や大日如来などの名称は、どこにも書かれていない。
―そこで空海は、「大智度論」を「密教を説く証拠」として挙げてはいるが、密教に言及していないことについて
―「惜しいかな古賢(こけん)、醍醐(だいご。仏の悟りにたとえられる、ヨーグルトのような美味の乳製品)を嘗(な)めざることを」と嘆じているのである。
―唯識学から発達してきた法・報・応の三身説では、「法身は『理念的な仏身』であり真理そのもの」という意味が固定化しており、そうした仏身観は、空海は一切、取り上げていない。
「密迹金剛経(みつしゃくこんごうきょう)」に、次のように説かれています。
―仏の活動に三種あり。これを三密と言う。すなわち身密(身体の作用)、語密(言葉の作用)、意密(心の作用)である。
訳者注
―この経に「仏に三密あり」というのは、「法身・大日に活動あり」「法身は限り無く高い人格を備えている」という意味に受け取れば、この経文は、法身説法の証拠になる。
155:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:28:02.05 yq1lxY/SW
空海「弁顕密二経論」(角川ソフィア文庫)抜粋:第二章「本論」第四節「顕密文斉」
顕とか密とかの用語は、相対的に用いられるのだから多種多様で、浅いものから深いものを見れば、深いものは秘密で、浅いものは顕教ということになります。
たとえば、仏が小乗教を説かれた場合も、仏教以外の教えから見れば、深い秘密の教えとなりましょうし、大乗仏教も小乗仏教に比べれば密ともなり顕ともなるのです。
陀羅尼は「一字の中に千の理(り。意味)を含む」ということから、多くの易しい語を用いて説明する、顕教の多名句(たみょうく)に比べて秘密経だと言います。
秘密にも二種の意味があります。一は衆生秘密、二は如来秘密です。
衆生は、自分の無知や誤った考え方のために、皆が本来、持っている、仏心を、自分の手でつつみ込み、しまい込んでしまっているのです。
これを衆生秘密と言います。
仏の側から言いますと、応身(おうじん。悟りを他の者に享受させる仏)や化身(けしん。衆生に応じた姿であらわれる仏)は、相手の要望に応じて薬を与えるような教えです。
本当の普遍的な真実の内証(ないしょう。悟った真理)は説けません。
別の三身で申せば、他受用身(たじゅうゆうしん。悟りを他の者に享受させる仏)は、法身・大日如来の悟りそのものは説けません。
これは大日如来のほうで、相手に不足と見て、重要なところを説かないのです。これを如来秘密と言います。
このように、秘密と言ってもいろいろですが、いま秘密と言っているのは、最も深い、最終の帰着点を指しているのです。
ひとくちに秘密と言っても、いろいろの場合があって、時に応じ場合に応じて、顕密と言うべきなのです。
156:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:35:05.54 yq1lxY/SW
(cf)高野山または高野山東京別院での結縁灌頂(けちえんかんじょう)と、高野山参与会URLリンク(odaishi.fun)
157:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/19 02:36:44.96 yq1lxY/SW
>>148に、容量オーバーで入らなかった
158:名無しさん@京都板じゃないよ
24/11/24 20:31:30.80 7b8B5Bl9k
※要約を作成するにあたって、「十住心論」内の語注は、その旨を明記せずに、内容を記載した。