暇つぶし2chat KYOTO
- 暇つぶし2ch400:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:08:53.24 rbaD2NV4p.net
>>348
おぢさん、オイラここにいるよ(*^_^*)
法然が或時云う。
「わしは大唐の善導和尚の教えに従い本朝の一心の先徳のすすめに任せ、称名念仏の務め長日六万遍である。死期漸く近づくによって又一万遍を加えて、長日七万遍の行者である」といわれた。
 法然が、仏七万遍になってから後は昼夜念仏の外に余事を交ゆるということなく、何か人が来て法門の話でもする時にはそれを聞く為か、念仏の声が少し低くなるだけのことで一向に念仏を差置くということはなかった。

401:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:10:29.28 rbaD2NV4p.net
オイラが来ないとおぢさん荒れるね。
寂しいんだね。
また来るから、泣かないでね(*^_^*)
バイバイ(^-^)/

402:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:40:16.25 94fn7Q6u0.net
>>390でオイラ氏も書いているように極楽板の住人はまだ見捨ててはいない上に
それどころか過去も現在も常に善導すべく尽力を尽くしてきている。
しかしこのスレでは極楽板住人も射程対象と>>1に明記してしまっているあたりが非常に香ばしい

403:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:27:30.12 uVpXgj2pp.net
>>355
そりゃ、いろんな人いるからね。
中には困った奴と思ってる人はいるのかもしれない。
他人の心のなかまで覗けないからね。
けど、子供たちはオイラを見つけると喜んでかじりついてく


404:るなあ。 オイラも子供大好き(*^_^*) 法然が或時語って云う。 「われ浄土宗を立つる心は凡夫の報土に生るることを示さんが為である。他の宗旨によってはその事が許されないから、善導の釈義によって浄土宗を立てたのである。全く勝他の為ではない」  法然が又或時播磨の信寂房というのに向って、 「ここに宣旨が二つ下ったとして、それを役人が取り違えて鎮西へ遣わさるべき宣旨を坂東へ下し、坂東へ遣わさるべき宣旨を鎮西へ下すことになった時は、受けた人がそれに従い用うることが出来ますか」  と尋ねた処、信寂房が暫く思案して、 「それは畏れ多い宣旨とは申せ、取り替えられたものはどうも従い用い奉ることは出来ますまい」  といわれた。そこで法然が、 「如何にも御房は道理を知れるお人である。帝王の宣旨を釈迦の遺教とし、宣旨が二つあるとすれば、釈迦の教えにも正像末の格別があるようなものである。 聖道門の修業は正像の時の教えであるが故に上根上智のものでなければ称することは出来ない。これを仮りに西国への宣旨とする。 浄土門の修業は末法濁乱の時の教えであるから、下根下智の輩を器とする。これを奥州への宣旨とする。それを取り違えてはならない。 大原談義の時聖道浄土の議論があったが、法門に就ては互角の議論であったが、気根比べにはわしが勝ったのじゃ。聖道門は深いというけれども時が過ぎれば今の機にはかなわない。 浄土門は浅いようではあるけれども当根に叶い易いと云った時、末法万年余経悉滅弥陀一教利物偏増の道理に折れて人々が皆心服したのだ」と。



405:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:38:29.06 uVpXgj2pp.net
>>356
うん。無い袖は振れないからね。
オイラのお給料では、税金や社会保険料を納めて家賃払うと、正直あんまり残らない。
自分の自由になるお金は、オイラより生活保護の人のほうがずうっと多いと思う。
だから、高額なお布施は出来ないよ。
でもって、代わりに何をしてるかについては前に書いたから繰り返さない。
支那でも浄土の法門を述べる人師は多いけれども、法然は唐宋二代の高僧伝の中から曇鸞、道綽、善導、懐感、少康の五師を抜き出でて一宗の相承をたてた。
その後俊乗坊重源が、入唐の時法然が云うのに、
「唐土に右の五祖の影像があるに相違ない。必ずこれを持っておいでなさい」
 そこで重源が彼の地へ渡った後あまねく探し求めると、果して法然の云うた通り右の五僧一幅に描いた画像を見つけることが出来て重源は法然の鑑識の透徹していることに感心したそうである。
この重源将来の画像はその後二尊院の経蔵に安置せられていた。

406:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:43:23.33 bGOPx5Irp.net
>>357
擬似科学だなあ。
いい加減に血液型信仰は止めようよ。
法然が黒谷で華厳経の講義をしていた時に青い小さい蛇が机の上にいた。
それを居合せた法蓮房信空に向って、
「この蛇を取ってお捨てなさい」と法然が云えば法蓮房は生来非常の蛇嫌いの人であったけれども師命背き難く、こわごわその蛇を捕え、明り障子を開き塵取りに入れて投げ捨て障子をたててさて帰って見ると蛇が尚元の処にいた。
それを見るとからだ中から汗が出てわなわな顫え上った。法然がそれを見て、
「なぜ取り捨てないのか」と叱る。法蓮房は今あった儘を然々と答えると、法然は黙って何も云わなかった。
その夜法蓮房の夢に、「大竜が形を現わして、われは華厳経を守護する処の竜神である。恐るるな」と云うと思って夢が醒めたということである。

407:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:58:56.77 HL8MFepYp.net
>>366
まあ、オイラ的には、ヤクザ者かカタギの者か�


408:ニ言う以前に、 別に本命がいるのに、身内でもない異性と、そこまで親密になれるもんなのか、極めて疑問だなあ。 実は、聖ちゃんは看護師さんで、いま入院してる患者さんの背中に絵が描いてあってビックリしてます、とかいうオチだったりして(*^_^*) この類の奇瑞がまだ沢山ある。 上西門院は深く法然に帰依していたが、或時法然を請じて七カ日の間説戒があったが、円戒の奥旨を述べていると一つの蛇がカラガキの上に七日の間じっとして聴聞の様子に見えた。 見る人があやしがっているうちに結願の日になるとその蛇が死んで了ったが、蛇の頭の中から一つの蝶が出て空に昇ると見た人もあり、天人の形で昇ると見た人もある。



409:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:08:33.63 mk+fNlm9p.net
>>380
>ご住職はどうやってお金稼いでるんですかね?
うわ、いくら2chとはいえ下衆なこと書くなあ。しかも二度も。
又法然が叡山の黒谷で法華三昧を行っていた時普賢菩薩が白象に乗って眼のあたり道場に現われたこともあれば、山王の影が形を現わしたこともあったという。
或時は蓮華が現われ、或時は羯磨が現われ、或時は宝珠が現われるといったような奇瑞。
善導大師に就ては殊に傾倒が深かったと見え、紫雲棚引く曠野世界の中に、善導大師と対面なしたという夢を見たが、醒めて後、乗台という画工に夢に見た処を描かせた。
それが世間に流布して「夢の善導」という図になっているが、その面像は後に支那から渡った処のものに違わなかったということである。
生年六十六歳、建久九年正月七日別時念仏の間には特に様々の異相奇瑞が現われたということが、自筆の「三昧発得記」というものに見えているということである。

410:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:10:30.92 kiGdxLPGp.net
オイラ気分悪いの(ーー;)

411:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:13:32.13 tn/iRUN5K.net
>>396
高額なお布施をすべきなんて言ってないから、ちゃんと読んでね
お寺でご飯ご馳走になったなら、三百円くらいお賽銭入れたら?と言うことだよ一円じゃなくて(ご飯の中身によっては百円か二百円で充分かも)
オイラ氏の書き込みには他人への親切心とか施しとかが感じられないんだよ
好風氏の板にグロ嬢が戻ったから、極楽氏の板に帰るようにアドバイスしてやったら?
極楽板に戻るのが、グロ嬢本人にも好風氏にも、良いことだと思うよ
もしヤクザの男との縁を切らないなら、ヤクザが集まる板に行くのが相応しいよね

412:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:22:52.32 vsDu2yA9p.net
>>381
そういう貴方は何でオイラを男と断定する?
証拠出してね(*^_^*)
法然が三昧発得の後は暗夜にともし火がなくても眼から光を放って聖教を開いて読んだり室の内外を見たりした。
法蓮房も眼のあたりそれを見、隆寛律師などもそのことを信仰していた。
或時ともし火の時分に法然が、長閑にお経を見ているようであったから、正信房がまだ燈も差上げなかったのに、とそっと座敷を窺うと左右の眼の隈から光を放って文の表を照して見て居られたが、その光の明かなること、燈火にも過ぎていた。
余りの尊さに斯様な内証は秘密にして置いた方がよいと抜き足して出て来たそうである。

413:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:31:15.59 Pk+98uGpp.net
>>382
おぢさんは思い込みが得意だからね。
おぢさんの想像が、おぢさんにとっての事実らしい。
又或時夜更けに法然が念仏をするその声が勇猛であったから、御老体を痛わしく尊く思って正信房が若しも御用もやと、やり戸を引き開けて見ると、法然の身体から赫奕と光が現われ、坐っている畳二畳に一杯になっている。
その明かなることは夕暮の山を望んで夕陽を見るようで、身の毛もよだつばかりに立ちすくんで了った。
法然が、
「誰れじゃ」と問われたから、
「湛空」と答えると、
「皆の者をも斯様にしてやりたいものだ」といわれたそうである。

414:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:45:49.46 QJsDQbs2p.net
>>383
匙投げてないって。極楽おじさんはちゃんと、何をしたら良いか聖ちゃんに教えてるじゃん。
或時法然が念仏していると勢至菩薩が現われたことがある。
その丈一丈余り、画工に云いつけてその相を写し留められたことがある。
又或時草庵を立ち出でて帰って来ると絵像でもなく、木像でもない弥陀の三尊が垣を離れ、板敷にも天井にもつかずして居られたが、その後はこう云う姿を拝むのが常のことであったという。

415:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:48:14.74 QJsDQbs2p.net
>>384
おぢさんが他のスレに行くと、そこの人に迷惑だから誘導は止めてよ。
元久二年正月一日から霊山寺で三七日の別時念仏を始めた時も、燈火が無くて光りがあった。
第五夜になって行道すると勢至菩薩が同じ列に立ち入って行道した。
は法蓮房は夢の如くにそれを見たが、法然にその事を云うと、
「そういうこともあろう」と答えられた。余の人には見えなかったという。

416:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:49:31.19 tn/iRUN5K.net
>>402
貴男と変換が出たからそのまま打った
貴女が女性でも全然構いませんよ、オイラ嬢

417:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:52:18.45 QJsDQbs2p.net
>>387
うん。
このスレがあるとおぢさんが悪さするから、埋めてるんだよ。
同じ年の四月五日に法然が月輪殿に参って数刻法談をして帰る時、兼実が崩れるように庭の上に降りて法然を礼拝し、額を地につけてやや久しくあったが、やがて起き直り、涙にむせびながら云われるには、
「上人が只今土を離れて虚空に蓮華を踏んでお歩きになり、うしろに頭光が現われておいでになったのを見なかったか」と。
 右京権大夫入道と中納言阿闍梨尋玄の二人が御前に居たけれども、それを見なかったということである。
池の橋を渡る時に、頭光が現われたので、その橋を頭光の橋と称ぶことになったそうである。

418:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:53:58.01 tn/iRUN5K.net
>>405
>おぢさんが他のスレに行くと、そこの人に迷惑だから誘導は止めてよ

そうだよね、このスレにはダキニ天の信者さん達もいるし、明王信者さんもいるから、聖天スレだけじゃ収まらないよね

419:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:54:47.42 QJsDQbs2p.net
>>389
うん。
オイラ、最初から言ってるけど仏教は素人だよ。
おぢさんは詳しいみたいだね。
どのお経のどこに書かれてあることか教えてよ。
又或人が法然から念珠を貰って夜昼名号を唱えていたが、或時フト竹釘に懸けて置くとその一家が照り赫やいていた。
その光をただして見ると法然から貰った念珠から出た光で、その珠毎に歴々と光を放ち暗夜に星を見る如くであったという。

420:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:59:19.48 J0dsuDTgK.net
「オイラ」よ、聖染の本性がわかっただろ?
意固地にならずに、こんな愚かな荒らしはもうやめなさい。
聖染や好風と共に地獄に落ちたいのか。

421:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:00:52.22 tn/iRUN5K.net
>>409
詳しくはないけど、ジャータカには沢山書かれてたと記憶してる

422:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:07:59.87 nYkvM+7ep.net
>>394
うん。見捨ててない。
さすが極楽板と呼ばれるだけあって、阿弥陀様のような住人さんだ。
法然の弟子の勝法房というのは、画を描くことが上手であったが、或時法然の真影を描いてその銘を所望した処が、法然がそれを見て、鏡を二面左右の手にもち、水鏡を前に置いて頂の前後を見比べていたが、ここが違うといって胡粉を塗って直し、
「これで似たぞよ」といって勝法房に与えられた。
銘のことは何とも云われなかったが、勝法房が後日また参って所望を申出でた時法然は自分の前にあった紙に、
我本因地  以二念仏心一  入二無生忍一
今於二此界一  摂二念仏人一  帰二於浄土一
    十二月十一日
源空
   勝法御房
と書いて授けられたから、これを前の真影に押して敬い掲げた。
これは首楞厳経の勢至の円通の文である。

423:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:11:25.17 nYkvM+7ep.net
>>401
そうやって御飯の対価を支払うなら、お布施じゃないよ。
購入だよ。
又或人が法然の真影を写して銘を頼んだ時もこの文を書いてやったことがある。
又讃州生福寺に止まって居られた時は勢至菩薩の像を自作して、法然本地身。大勢至菩薩。為レ度二衆生一故。顕二置此道場一。と記されたそうである。

424:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:13:09.13 fNTTQD5H0.net
>>413
購入?
お前、日本人?
語彙力やばいな…

425:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:13:38.68 nYkvM+7ep.net
>>406
そか。でも「オイラ嬢」は気持ち悪いな。
法然が勢至菩薩の応現であるということはその幼名によっても思い合される処であって、自分もまた何か感応する処があったものと見える。

426:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:16:33.28 nYkvM+7ep.net
>>408
違うよ。
誘導先が他板のコテハン叩きするスレじゃないからだよ。
かく法然自身に様々の奇瑞が現われたという伝説があると同時に、法然を信ずる者の側にも様々の感得夢想が現われたということも甚だ多い。
或人は法然が蓮華の中で念仏をしていると見た。
或人は天童が法然を囲って管絃遊戯していると見た。
或者は又洛中はみんな戦争の巷であるのに法然の住所だけがひとり無為安全であるのを見た。
或者は又嵯峨の釈迦如来が法然の道を信ぜよとお告げがあったのを見た。
この類の奇瑞、信仰数うるに絶えざるものあるも無理がない。

427:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:18:14.87 nYkvM+7ep.net
>>410
少なくとも、おぢさんと一緒に地獄には行きたくないなあ。
かくして法然は、上は王公から、下は庶民に至るまで、その徳風が流溢して来た。
文治四年八月十四日のこと、後白河法皇が河東押小路の御所で御修経のことがあった。
その時の先達として法然上人が選ばれた。

428:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:19:59.61 fNTTQD5H0.net
ネチネチ一言文句入れながらチマチマと小出しに埋めやがって
スケールの小さい小者荒らしだな、この社会不適合者は。

429:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:21:06.03 tn/iRUN5K.net
>>417
じゃあオイラ嬢は、グロ嬢と好風青年となら一緒に地獄に落ちてもいいんだね

430:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:21:42.35 nYkvM+7ep.net
>>411
ありがと。
後で読んでみる。
まずその日集る処の御経衆には法皇をはじめとして、妙音院入道相国(師長公)、叡山からは良宴法印、行智律師、仙雲律師、覚兼阿闍梨、重円大徳という顔触れ、
三井の園城寺からは道顕僧都、真賢阿闍梨、玄修阿闍梨、円隆阿闍梨、円玄阿闍梨という顔触れ、それに法然上人とその門弟行賢大徳が参加するのだが、
山門寺門の歴々は慣例上是非ないことであるが、法然が特に召されてこの席に列なるということは非常なる特例である。

431:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:25:26.21 nYkvM+7ep.net
>>414
対価を支払ってその物を得るんだから、購入でしょ。
お布施というのは、見返りを求めない施しのことだよ。
ただその席に列ることでさえが非常なる特例であるが、この一座の上に立って先達を勤むるということは特に破天荒というべきである。
この時代のやかましい宗教界、名刹の上下でさえも焼き打ちが始まる宗教的確執、我慢の時に於て、何等の僧位僧官も無い平民僧の法然が、彼等の上に立って先達を勤むることが是認せられるということは殆んど想像以上の一大奇蹟と云わねばならぬ。

432:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:27:45.48 nYkvM+7ep.net
>>418
うん。
オイラは只の人。
けど、おぢさんも小さいなあ。
その以前今日の御催しの時に東寺へも御沙汰があって、東寺からも僧を召されるというような噂を伝え聞いて、天台側から抗議が出た。

433:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:29:51.43 nYkvM+7ep.net
>>419
だいじょぶ。
おぢさんと違って、落ちないから。
「こんどの御経衆に東寺の僧を召し出される風聞がございますが、そもそもこの御経衆は慈覚大師が初めてとり行われた法則でございます。
他門の僧を召さるることはよろしくござるまいと存じます」

434:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:31:15.26 nYkvM+7ep.net
やっと全部レスできた。
じゃあね、おぢさん、また遊ぼうね(*^_^*)

435:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:33:16.33 fNTTQD5H0.net
>>422
お前は只の人じゃねーよ
社会不適合が普通の人ぶるな
失礼だぞ

436:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 23:06:09.43 rJhbrFRlp.net
>>425
オイラはおぢさんと違って、普通に社会人生活を送っているんだけどなあ。
ところで、おぢさん、好風くんとこでIP晒されてたね。
ドコモじゃないほうがおぢさんだよね。検索かけちゃった(*^_^*)
仕事で行くこともある県なので、その折にはおぢさんに会ってみようかなあと一瞬だけ思ったけど、やっぱり止めにしとく(*^_^*)
東寺は弘法大師の真言宗である。
山門寺門の天台側からこの抗議があって見ると、仮令法皇の思召でもそれを押し切る訳には行かなかった。
処が法然が召されるという噂があったに就ても山門寺門では故障異議を申出でることがないのみか、「あの上人ならば仔細を申すことはない」との事であった。
そこで法然が召されて単に御経衆に列るだけではない、一座の先達を勤むることに誰一人異議がなかったのである。

437:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 23:20:42.86 J0dsuDTgK.net
相手が複数なのはわかっているくせに、住人の誰に向かっても「おぢさん」と呼ぶのは何故だ?

438:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 23:31:47.96 J0dsuDTgK.net
>>426
それこそが好風が狂っている証左じゃないか。
ちょっとでも聖染批判が書き込まれるといきなりヒステリックに発狂して
批判レスを即座に削除して批判者を敵視して規制し
あげくの果てにはIPまで晒すなんて
そこまでイカれたキチガイ管理人は普通はいないわな。
管理人が自分の意に沿う書き込みしか認めない独善的な体制は以前と何も変わってない。
だから魔窟と呼ばれて非難が絶えないんだよ。

439:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 20:48:22.61 tqBHsRTLp.net
それよりなによりヲイラは聖染とやーさん彼氏の恋愛成就を仏尊に祈願した方が
ここでチマチマ穴埋めやるより効果的だと思うがなぁ。
多分聖染は恋愛至上主義なのでネットそっちのけで彼氏にへばる分パソ覗く事すら無くなるだろうし、そうなるとここの役目も終わるしな。

440:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 21:36:57.53 UgfnuPaip.net
>>427
コテトリつけてくれれば、その名前で呼ぶけど?
固より法然は天台門から出た人ではあるが、今は自ら浄土の法門を開いた別宗の人の形になっている。
それが特に召されて第一座を占め、先達を勤むることになって不足の云いようがないということは前にも後にも例のない程の圧倒的な人格の力といわねばならぬ。
法然はこれを固く辞退したけれども勅定が頻りに降って辞するに由なくその勤めを行うことになった。

441:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 21:50:33.65 QNjzOAVxp.net
>>428
好風くんの対応が賢明だったとはオイラ言わないよ。
でも、昨夜みたいな煽られかたをされたら、平然としてられるほうが異常じゃないかなあ。
ところで、IP晒されると、なんか困ることあるの?
その時の席順は正面の東西に席を設けて東の第一座が法然上人、西の第一座が後白河法皇、法然の次が入道相国(太政大臣師長)それから叡山の良宴法印以下が各々その位によって列座したのである。
昔奈良朝の時、行基菩薩はあれ程の大徳であったけれども、世俗の法によって婆羅門僧正の下に着座をした。
この例によると叡山を代表して良宴法印が法然上人の上座に着くべきであるが、法皇の別勅によって法然上人が第一座に着かせられ、山門の代表者も甘んじてそれに席を譲ることになった。
太政大臣は固よりその次席である。
そこで法然は礼盤にのぼりて啓白、その式を行われたのである。

442:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 23:22:08.54 P3HsjzIL0.net
>>431
>ところで、IP晒されると、なんか困ることあるの?
私、投票所のID制導入スレで確認したけど
晒したIPアドレスと同じアドレスはなかった
投票にも参加してない人を「よその掲示板」と決めつけた
あの管理人にはもう関わらない

443:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 23:32:09.93 P3HsjzIL0.net
私は、もうこの件からは降りますので
好きにやってください

444:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 06:57:50.97 5VCnGCcDK.net
現在密接交際者であり、近い将来ヤクザ夫人となるであろうグロを、流石の好風も教祖様として板にお迎えする気にはならないようだ
何か事があれば好風も警察の監視対象になるしね
第一、教祖様がヤクザじゃシャレにならん罠

445:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 16:09:28.55 kiFeHO+v0.net
>>434
>流石の好風も教祖様として板にお迎えする気にはならないようだ
いやいや、たった1行のささやかなグロ聖染への皮肉レスに対してすら過剰反応して発狂して
即座にレス削除して書き込んだ人のIP晒して書き込み禁止規制した上で
さらに飽き足らずにプロバイダー�


446:ノ通報するという狂気の振る舞いを示してますけど。 極楽板を飛び出したグロを魔窟にひきとめるために形振り構わずの異常行動ですよ。



447:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 16:29:42.83 5VCnGCcDK.net
>>435
さすがに好風でもこのニュースを知ったと思うのだが
【社会】山口組のごみから猛毒フッ酸 ガス吸い作業員14人軽症 [転載禁止]c2ch.net
これでまた大勢捕まるだろうなあ。。。

448:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 19:57:16.45 WCkWFM8+0.net
なーーーんで、兵庫にいるのかなぁーーーーー

449:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:22:49.34 kiFeHO+v0.net
>>436
好風の狂気を甘くみちゃいけません。
ヤツは被害妄想に凝り固まった本物のガイキチですよ。

450:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:35:20.01 JMvPa/WQp.net
>>429
だけど、聖ちゃんが惚れてるのは件のイケメン御曹司なんだよね?
九月四日に観性法橋から進呈せられた御料紙をむかえらるる式がある。
これも法然が申し行われる。
同じき八日写経の水を迎えられること、同十三日御経奉納の式がある。
これ皆国家の大事と同じ様な行幸があり、儀式がある。
そのはなばなしい一代の盛儀に特に隠遁の法然を召し出して先達とせられたこと、帝王帰依の致す処とは云え、個人の徳望の威力古今無比といわねばならぬ。

451:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:51:41.59 +teocNnSp.net
>>432
あの板は元々、寺社板の避難所だから、「よその掲示板」が2chを指しているとは、ちょっと考えにくいなあ。
晒されたIPをググってみたら、高槻ちゃんねるっていう掲示板が見つかったから、そっちじゃないの?
のみならず高倉院御在位の時、承安五年春のこと、勅請があって、主上に一乗円戒を法然上人が授け奉った、という特例がある。
これは清和天皇が貞観年中に慈覚大師を紫宸殿に請じて天皇、皇后共に円戒を受けられたという前例がある。
法然上人は法統から云えば慈覚大師より九代の法孫に当る。
法然一平僧の身を以てこの重大事の勅命を受け、慈覚以来の古を起したということは無上の破格であった。

452:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:55:56.50 +teocNnSp.net
>>433
うん。色々とお世話になりました。有難う。
自治スレで皆さんと仲良くやって下さい。
さようなら。
又後白河法皇の勅請によって、法然は法住寺の御所に参り、一乗円戒を法皇に授け奉った。
その時には山門寺門の学者達を召されて、番々に「往生要集」を講じ、各々の所存を述べさせられたが、法然も仰せに従って披講をした。
その時「往生極楽の教行は濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰れか帰せざらんもの」と読み上げただけで初めて聞かれたように貴い響があって胆に銘じ法皇の感涙が止まらなかったとのことである。
その時御信仰の余り右京権大夫隆信朝臣に仰せつけられて法然の真影を図して蓮華王院の宝蔵におさめられたそうである。
先きの世にも例の無いことだと云われる。

453:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:56:51.01 5VCnGCcDK.net
>>438
被害妄想とは?

454:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:59:39.91 +teocNnSp.net
>>434
そか。
「よその掲示板」て、極楽おじさんとこか。
あれは、聖ちゃんにさよなら言ってたのか。
好風くん辛かろなあ。
斯様に後白河法皇は法然に帰依し、百万遍の苦行を二百余箇度まで功を積まれたということである。
建久三年正月五日から法皇が御悩みあって、日毎に重らせられる。
そこで御善知識の為めに法然に仰せが降った。
二月二十六日に法然は法皇の御所に参じて、御戒を奉られ御往生の儀式を定め、重ねて念仏のことを申上げられ、それから三月の十三日に御臨終正念にして称名を相続しながら御端坐のままで往生を遂げさせられた。
御年六十六。

455:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:02:56.46 +teocNnSp.net
>>435
苛めっ子は大したことないと思っても、苛められるほうは辛いんだよ。
法皇が崩御遊ばされた後御菩提の為めに建久三年秋の頃、大和の前司親盛入道が、八坂の引導寺、心阿弥陀仏調声を行い、住蓮、安楽、見仏等の人達が助音して六時礼讃を修し、七日念仏した。
結願の時種々の捧げ物を取り出でたのを法然は不受の色を表わして、
「念仏というものは自らの為の勤めである。法皇の御菩提に回向をしたとは云え、もともと自らの為の念仏に他より布施を受くるとはもっての外のことである」と誡められた。
これが六時礼讃の苦行のはじめである。

456:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:07:31.41 +teocNnSp.net
>>436
フッ酸って、山口組は何か工場でも持ってるの?
後白河法皇の十三年の御遠忌に当って土御門院が御仏事を修せられた。
それは元久元年三月のことで、その時法然は蓮華王院で浄土の三部経を書写せられ、能声を選んで六時礼讃を勤行して、ねんごろに御菩提をとぶらい申された。
見仏の請によって浄土三部経を法華の如法経になぞらえて書写すべき法則を定められたのもこの時である。

457:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:09:12.48 +teocNnSp.net
>>437
誰が?
後鳥羽院にも度々勅請あって、円戒を御伝授、上西門院、修明門院、同じく御授戒があった。
三公、公卿、朝の内外仰いで伝戒の師としないものはない。

458:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:14:45.24 +teocNnSp.net
>>438
そりゃ、ずうっとヲチされて皮肉や暴言書き込まれてたら、疑心暗鬼にもなるよ。
好風くんを追い詰めたのはおぢさん、貴方だ。
公家のうちでは九条関白兼実が(後の法住寺殿、又は月輪殿)法然に対する信仰は殊に比類のないものであった。

459:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:17:37.96 GIQlscN9p.net
>>442
妄想じゃないよ。被害だよ。
二月十九日に法住寺殿の御忌日に御仏事があって、僧俗座を分けて立ち並ぶうちに法然も招請されたが、この時の席次に於ても慈鎮和尚(僧正)・菩提山の僧正(信円)何れも一隠遁の平民僧である法然に向って正座を譲られた。

460:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:21:33.24 bEXXYm3Ap.net
オイラ今日は風邪気味だから早く寝るよ。
おやすみなさい。
兼実が月輪殿を造った時も、その御殿の中に一種異様な別棟を一つ建てられた。
そこで奉行の三位範季卿という人が、
「今まで殿下の御所を多く拝見しました処こう云うお邸はまだ存じませぬ」という。

461:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 22:35:58.42 kQsy/3xGp.net
>>439
昔の書き込みに祈祷に金が欲しいから
金持ちを狙ってるとあったので
今の相手に金があれば職業関係なく結婚に踏み切るだろうなぁ。
30過ぎてるから焦りもあるし背に腹は変えられないしな。

462:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 22:51:05.80 xoIHcxftK.net
>>447
公開掲示板なのに管理人がしゃしゃり出てきて独善的に強権をふりかざし、
己の気に入らない書き込みをした人は片っ端から規制して閉め出し、
己の気に入らない内容のレスはことごとく全て削除してしまうという、
そんなキチガイ全開の独裁的管理をやらかしたんだから、
閉め出された人たちから批判されたり皮肉を書かれたりするのは当たり前。



463:ては好風の幼稚さと独善性と狂気とが生み出した結果だ。



464:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 00:57:55.92 W00oDTa9p.net
>>451
そか。
おぢさんが理不尽を感じた、その胸中は分からなくもないよ。
だけど、おぢさん同じことをもう何ヶ月やってる?
あまりに大人げないし、執着しすぎ。
実はね、ROMってる人で、おぢさんの書き込みにおびえて、本気で怖がってる人いるんだよ。
「2chみたいな下らないサイトを見るからいけない」って本人には言ったけど
やっぱり気になるらしくて、見ちゃうらしいんだ。
(本人が見るとこれまたショックかなと思ったから、今まで伏せてきたけど
おぢさん、そういう可能性に全く思い至らないようなので
思い切って書いた。ごめんよ)
何人もいない、オイラのお参り仲間にすら、そういう人いるんだよ。
まして全世界に開かれている掲示板のこと
他にも同じように感じている人がいても不思議じゃない。
おぢさん、自分の痛みばかり訴えて、見ず知らずの他人に痛みを与えていることに無頓著でも良いの?
オイラ、それは間違ってると思う。
あと、好風くんも、したらば掲示板に拘って神経磨り減らすのは、もう止めたほうが良いと思う。
閲覧にパスワード必要なところとか、管理人が承認しないと掲載されないとことかのほうが良いよ。
そういうスタイルだと、掲示板よりもブログのほうが見つけやすいかな。
あるいは、最近流行らないけど、メーリングリストという方法もある。
ご検討よろしく(*^_^*)

465:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 03:28:48.71 mivzszVrK.net
>>452
このスレの住人は最低でも十数人ぐらいいて、そのほとんどが好風の態度を批難しているんだが、
ここの住人があたかも一人であるかのように誰に対しても「おぢさん」と呼ぶのはなぜだ?
好風&グロを批判をしているのは一人ではない。
それぐらいはお前にもわかるだろ?

466:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 04:34:26.20 6Lqr223E0.net
寝れないなぁ
正直この程度の荒らしは放置で良いでしょ
むしろスレが活発になってるくらいで。

467:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 08:04:04.77 BN8qK7G+K.net
やっとヲイラも好風に少しアドバイスするようになったね
もしグロが男で、かつ男を自称してたら、僧籍詐称疑惑や、豊川お籠もり騒動等が出た時にさすがに好風も規制&削除なんて狂気の沙汰にはならなかったんだろうなあ
好風にホモっ気があれば同じことだったろうけど
結局は好風の下心が問題

468:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 15:39:24.95 jB8e3JCq0.net
>>455
実はここでアドバイスしても意味ないんだけどね。
好風にアドバイスするなら魔窟に書き込まなきゃね。
好風のあの意固地な性格なら意地になって絶対このスレは見てないはず。
(極楽板でこのスレの書き込みが話題に出ていたので聖染とキリクは間違いなく見てるけど。)
>>452
その好風へのアドバイスをここじゃなく魔窟に書き込んでみろよ。
そうすればおそらく即座にアク禁規制されアドバイスレスは削除されてしまい
ついでにIPを晒されてプロバイダにも通報されるかもな。
そこではじめて好風がキチガイだという事実を思い知ることになるだろう。

469:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 18:54:21.35 xjRcw5kz0.net
464 :極楽金剛 ◆KkQ/CwIKN2 :2015/08/23(日) 10:08:25.09 ID:KTAHkBI40
スレリンク(kyoto板:346番)
>自分をアウトロー(ハチキュウサンの密接交際者)と自称するからには、正にアウトロー(法の外)です
つまり、「越法」と言うことか。
こりゃ私も偉そうに言えんな。
( ´,_ゝ`)プッ

こんなレスがあるんだから極楽さんも見てる。

470:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:29:37.14 hx3X5V/qp.net
>>450
祈祷にお金が掛かるから、金持ちを狙っている?
そのために更にお金かけて祈祷?
それじゃいくらお金があっても足りないよお。
欲張ると却って失うものが多い。
んでは法然行伝つづき。
「そうでもあろうが、思う処があるのだから兎も角急いでくれ」
 といって建てさせられたが、これは法然の休み処のためであった。
老体の法然をまずここに招いて休ませ、それから後に対面をするというためであった。
或時の如きは、法然が月輪殿に出向いて行くと兼実は跣足で降りてそのお迎えをした。
処で居合せた聖覚法印、三井の大納言僧都というような顔触れも同じように跣足で降りて迎えなければならなくなったということである。

471:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:35:35.57 D585QkP7p.net
>>453
うん。>>430読んでね。
建久八年(六十五歳)の時法然が少しく病気に罹った。
兼実は深くこれを歎いたが、それでも病気は間もなく治った。
その翌年正月の一日から法然は草庵にとじ籠って何れから招かるるも出て行かなかった。
その時、兼実は藤右衛門尉重経を使として法然に、
「浄土の法門年頃お教えを承りましたが、不敏にしてまだまだ心腑に収め難いものが多くございます。冀くはその要領を文にして記し賜りたい。その望みが叶えば御面談の代りにもなり、且は後世への記念にも備えることが出来まする」
 と申越された。
そこで法然が、この兼実の請を容れて弟子の安楽房に筆を執らせて著作をしたのが有名な「撰択集」である。

472:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:39:31.72 +lgUb1gVp.net
>>454
うん。放置してくれたほうが、オイラは楽なんだ。
この時の執筆者安楽房というのは外記入道師秀という者の子であるがこの時その撰択集の第三章を筆写せしめられた時、つぶやいて云うには、
「わたしが生じい字を書く人間でさえなければこう云う役廻りは仰せつけられなかっただろうに」
 といったのを法然が聞いて、「これは増長している。※(「りっしんべん+喬」、第3水準1-84-61)慢な心が深いから悪道に落ちる奴だ」といって安楽房を退けてその後は真観房感西に書かせることにした。
而してこの安楽房は、後年後宮女房のことから自分は斬罪に会い、師の法然を遠流にするような事態を惹き起こした人物である。

473:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:58:30.42 hSH/LRI2p.net
>>455
祈祷にお金が掛かるから逆玉を望む男、か。
なんだかなあ。
兼実は上述の如く法然が来る毎に降り迎えをされる。
摂政関白が既にこの通りだから、その以下の公家殿上人の降り騒がれることは容易のものではない。
法然はそれを煩いことに思って九条殿下へ(月輪兼実)参らないように、草庵にとじ籠りということを名にして、九条殿をはじめ、何処へも出て歩くことをしなかった。
それを兼実は頻りに歎いて、「それでは仮令房籠りの折と雖もわしの身に異例でもあるような時には見舞いに来て下さるだろうな」

474:pw126236086155.12.panda-world.ne.jp
15/08/26 23:03:03.64 hSH/LRI2p.net
>>456
オイラ、好風くんとこには書き込めるし、IP晒されても困らない。
もう何度も自分で晒してる。
けど、おぢさんの指図は受けたくない。
上人も左様な時には仔細に及ばないと申されたのを言質として、いつも病気とか、異例とかいって法然の処へ招請の使を寄せられる。
法然も辞退し難くて月輪殿を訪ねる。
それを門弟の正行房という者が心の中で思うよう、
「お上人も房籠りというて他所へはおいでにならないで、九条殿へだけおいでになるということは、人によっては上人程のお方でも貴顕へは諂っておいでになると謗る者がないとは限りません。
おいでになるならば貴賤上下隔てなくおいでになるがよろしい。おいでにならぬならば絶対にお籠りがよろしい。
どうも九条殿だけへおいでになるのはよろしからぬように思われる」

475:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 23:08:23.95 hSH/LRI2p.net
>>457
オイラの町内には、背中にお絵描きしてるお兄ちゃんが大勢いて、銭湯に行くとなかなか壮観だよ。
オイラも密接交際者になるのかな?
というようなことを考えて寝たところが、その夜の夢に法然が枕許に現われて、
「正行房、お前はわしが九条殿へまいることをよく思うていないようだな」といわれる。
 正行房が遽てて、
「いいえどうして、そんなことを思いましょう」
 法然それを打ち消して、
「いや、お前はたしかにそう思っている。お前のそう思うのも一応道理はあるが、九条殿とわしとは先きの世からの因縁である。他の人とは比較にならない。この宿習あることを知らないで、謗る心などを起さば罪になるぞ」といわれると見て夢が醒めた。

476:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 23:13:57.41 hSH/LRI2p.net
んでは、おやすみなさい。

477:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 20:11:08.95 atsS7o9QK.net
今夜はヲイラ現れないの?
もし好風がここ見てないなら、好風の掲示板にアドバイス書いてやるのが親切心だと思うけどなあ

478:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 21:35:09.37 N3wqJHz/p.net
>>465
今夜はすぐ接続が切れて、何回書き込もうとしても失敗ばかり。
また来るよ。

479:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:11:50.04 0KYaeCzhp.net
繋がるようになったから来たよ。
法然行伝つづき。
醒めて後このことを法然に語ると、法然は、
「その通り、月輪殿とわしとは先きの世から因縁のあることじゃ」と云われたそうである。
 こうして兼実は終に建仁二年(法然七十歳)正月二十八日月輪殿で出家を遂げ、法名を円証とつけ法然を和尚として円戒を受けることになった。

480:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:14:14.16 0KYaeCzhp.net
大炊御門左大臣(経宗)という人は月輪兼実とは違い、日頃から余り信仰のない人であったが、ある人の方便で上人を請じ屏風を距てて念仏談を聞き信仰心を起して法然に帰敬し、文治五年の二月十三日に生年七十一で出家を遂げたがその月八日臨終正念の往生をとげたという。
 花山院左大臣(兼雅)は最初から深く法然に帰依し、鎮西の庄園の土貢を割いて毎年法然に寄附して来たが、云うよう、
「わしは院の御所より外には車を立てたことはない身だが、法然上人の庵に車を立てることは苦しくない」
 といって常に訪問して円頓戒をうけ、念仏の法門を談ぜられたが、生年五十四歳、正治二年の七月十四日に出家をとげ、同じ十六日に往生を遂げた。
 右京権大夫隆信も深く上人に帰依し、念仏の一行を勤めたが、遂に建仁元年法然に従って出家を遂げ、法名を戒心とつけた。
六十四の時往生したが、臨終の時は奇瑞があったということが、日本往生伝に記されている。

481:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:15:57.25 0KYaeCzhp.net
二品卿の弟、民部卿範光という人は、後鳥羽院の寵臣であったが、つとに法然に帰依し、承元元年三月十五日五十四の時出家を遂げて静心と号した。
病気危急の時に後鳥羽院が忍んで御幸があったそうであるが、その時静心は夢に法然上人を見て往生の疑なきことを申上げたということである。
大宮内府(実宗)も法然を主として出家入道し、臨終正念に往生を遂げた一人である。
野宮左大臣(公継)は法然と師弟の契り浅からず、興福寺の衆徒が法然の念仏興行をそねんで、法然及びその弟子と共にこの人をも流罪に行われたいということを奏上に及んだけれども、信仰の心少しも動かず、専修の勤めを怠りなく一生を終った人である。

482:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:18:02.46 0KYaeCzhp.net
聖護院無品親王(静恵)が御違例の時、医療の術を尽されたが、しるしが無い。
大般若の転読、祈祷皆そのしるしなく既に危くおわしました時、上人を招請されたことがある。
お使が二度までは堅く辞退してまいらなかったが、第三度の使に宰相律師実昌という人が来て、たっての願いで引きたてる様にして頼むから、やがて律師の車に乗ってまいると親王が御対面あって、
「どうしたらこの度生死を離れられるか。後生を助け給え」
 と頼まれて法然は臨終の行儀を談じ、それから弥陀本願の趣きを述べる。
親王感涙頻りに下り法然に向って合掌したそうである。
法然はやがて帰ってしまったが、その翌日宮は御往生がある。
最期さいごの時に念仏一万五千を申されて、念仏と共に御息が止まったということで、なみいるおつきの人々皆感動し、実昌律師は後にこの御往生の趣きを法然に話したら、法然も喜んだということである。

483:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:20:21.57 0KYaeCzhp.net
延暦寺東�


484:モフ竹林房静厳法印という者が、吉水の庵に来て、 「如何にいたしたらこの度生死を離れることが出来ましょうや」  と尋ねると、法然は、 「それは源空こそお尋ね申したいところでございます」  と答えた。 竹林房が押し返して尋ねるので法然が、 「源空は弥陀の本願に乗じて極楽の往生を期する外は全く知ることがありません」  法印が申さるるには、 「私の所存もまたその通りでございますが、よきお言葉を承ってその考えを堅くしようが為にお尋ね申すのでございます。それはそうでありましても、口に念仏を称えましても妄念がむやみに起って来て心が乱れるのをどうしたらよろしゅうございましょう」  法然が答えて、 「これは煩悩のなすところであるから、凡夫の力では何ともいたし方がありません。矢張りそれはそのままでただ本願をたよって名号を称えれば仏の願力に乗じて往生が出来るということを知るばかりであります」



485:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:24:54.55 0KYaeCzhp.net
法印の信心がそこで定まって疑念が忽ちに溶けて罷り帰った。
 法然が清水寺で説教の時、寺家の大勧進沙弥印蔵という者が、念仏の信仰に入り、滝山寺を道場として、不断常行念仏をはじめて今に至るまで怠らぬ。
これは文治四年のことである。
 南都興福寺の古年童という者、矢張り清水寺で法然上人の説教を聴いてから念仏に帰して、霊瑞がある。
 建仁二年の三月十六日、法然が語って云う。
「慈眼房はわしにとっては受戒の師範である上に衣食住のことごとくこの聖に扶持をして貰った。
だが法門をこの人に学んだ教えられたというわけではない。
法門の義に就ては水火の如く論じ合ったこともある。
この聖とわしとは南北に房を列べて住居をしていたが、或時慈眼房の前をわしが通ると、わしを呼び止めて、
『大乗の実智を起さないで浄土に往生することが出来るか』と問われたから、わしは
『それは往生が出来ますとも』と答えたら、『何にそう見えているか』と仰言るから、『往生要集の中に見えてございます』と申すと、聖が「わしも往生要集の中は見たぞ」と仰言る。
そこでわしは「誰れでも中を見ないものはございますまい」と云い返したので慈眼房が腹をたてて枕をもって投げつけられたから、わしはやわらかに自分の房の方へ逃げて来ると、それを追っていらしって箒の柄で肩をたたかれたこともございます。

486:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:32:17.35 0KYaeCzhp.net
又、或時は書物を持って来られてこれは何という言葉じゃと云われるから、これはこうと返答をすれば騒ぎだろうと思って、さあどういう意味でございましょうかと申すと、また腹立ちで、『お前の様な人間を置くのはこう云うことの相談にしたいからだ』と云われるような訳で、
いつも争論にはなったけれども、最後には覚悟房という僧にわが名の二字を書かせて、却って弟子になって寺のお経や譲り文をも、もとは譲り渡しと書かれたのを取り返して進上と書き直して法然に贈って生々世々互に師弟となる印であると申された。
真言の師範であった相模阿闍梨重宴も最後には受戒の弟子となった、丹後の迎摂房も却って弟子となって浄土の往生をとげた。
その時の院主僧都円長も最初のわしの師範であった美作の観覚得業も弟子になり皆自分の師範であった人が源空を戒師として弟子となった中にも、
その時代の学者という学者は大抵慈眼房が戒を授けた弟子であるのに、その慈眼房が却ってこの法然の弟子となられたのは不思議のことである」と云って様々に語り聞かせたことがある。

487:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:34:31.33 0KYaeCzhp.net
建仁元年のこと左衛門志藤原宗貞という者がその妻の惟宗の子女と共に一寺を建立し、阿弥陀を本尊にし、脇士には観音と地蔵とを安置し、事の序をもって法然に供養を頼んだところ法然が、堂の中に入って見て、
「これは源空が供養すべき堂ではない」と云うて出て了った。
願主が非常に狼狽して人に尋ねて、法然上人は勢至菩薩の垂跡であるとの専らの噂のあるのに、この堂にその菩薩が無いから上人の御心に添わないのだろう。
そこで急いで勢至菩薩を拵え地蔵を脇へ移して、その後又序を以て法然に供養して貰い、これも不断念仏の堂となり、引摂寺というて今に残り、勢至菩薩のうしろに地蔵様が隠れているということである。

488:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:45:55.43 R56DaVPSp.net
大原談義は天台の座主顕真僧正が法然上人に向って念仏の要義を問われたことから始まっている。
顕真と法然とは叡山の坂本で対面した。
顕真僧正は例によって尋ねた。
「如何にしたらば生死を離れることが出来ようか」
 法然「それはあなたのお計らい通りになさるに越したことはございますまい」
 僧正「貴僧はその道の先達でござる故、定めて思いたつものがあるでござろう。それをお示し下されたい」
 法然「左様、それは自分の為には少しは思い定めたこともあります。ただ早く極楽の往生をとげることでございます」
 僧正「その往生というのがなかなかとげ難いことだから、そこでお尋ねをして見たのだ。どうしたら容易く往生が出来るものかいな」

489:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:48:10.04 R56DaVPSp.net
法然それに答えて、
「成仏ということはなかなかむずかしいが、往生は得易いことだと思います。道綽や善導の言葉に依れば、仏の願力を強縁として乱想の凡夫も浄土に往生することが出来るのでございます」
 と、その日はそれだけで別条もなく、法然は帰って了ったが、その後で顕真座主がいうのに、法然房は智恵は深遠だけれども、どうも人間に聊か偏固な欠点がある。
 法然は顕真座主のこの言葉を聞いて、
「人間というものは自分の知らないことには必ず疑心を起すものだ」
 この言葉を又顕真座主に告げる者があった。そこで顕真が、「なる程そう云われて見ればそうだ。わしは今迄顕密の学問に稽古を努めたけれどもこれはまあ名利の為といってもよろしい。
至心に浄土を志したということもないから道綽や善導の釈義も窺っているとはいえないのだ。法然房でなければこう云うことを云うてくれる者はない」と。
それから百日の間大原に籠って浄土の書物を研究して後、さて自分は浄土の法門にも一通り通じたのである。もう一度お話をお聴きしたい。就ては自分一人で折角のお談義を聞くのも勿体ないから人を集めて見よう。

490:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:14:00.65 ICguYb7lp.net
そこで大原の立禅寺に法然上人を屈請した。元の天台の座主顕真僧正は、この法門はわれ一人のみ聴聞すべきにあらずと云うて、諸方に触れをして南都北嶺の高僧達を招き集めることにした。
文治二年秋の頃、顕真の請によって法然は大原へ出かけて行った。
東大寺の大勧進俊乗坊重源が弟子三十余人をつれてそれに従った。
顕真法師の方には門徒以下の碩学、ならびに大原の聖達が坐しつらねている。
その他山門の衆徒をはじめ、見聞の人も少ない数ではなかった。論談往復すること一日一夜である。
法然は、法相、三論、華厳、法華、真言、仏心等の諸宗にわたって、凡夫の初心より仏果の極位に至るまで、
修行の方法や、得度のすがた等をつぶさにのべ、これ等の方は皆義理も深く利益もすぐれているから、機法さえ相応すれば得脱は疑う処ではないが、といって凡夫はこれにつき難い事を述べ、浄土の教門の事の理をきわめ言葉をつくして説き語り、
ただこれ涯分の自証を述ぶるばかりなり。またく上機の解行を妨げんとにはあらず。
 という謙譲なる註釈を以てその席は終った。
座主をはじめ満座の衆


491:皆心服して、 かたちを見れば源空上人。まことは弥陀如来の応現かとぞ感嘆しあえりける。 法印香炉をとり高声念仏をはじめ行道したもうに。 大衆みな同音に。念仏を修すること三日三夜。こえ山谷にみち。ひびき林野をうごかす。信をおこし縁を結ぶ人おおかりき。



492:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:16:12.13 ICguYb7lp.net
と「御伝」の本文にある。
 以来顕真法印は専修念仏の行者となり、念仏勧進の書を作り、又自身もその一人となって十二人の衆を置き、
文治三年正月十五日より不断念仏を勝林院に行い、地内に五房を建て、その門下又夫々それぞれ各所に念仏を宣伝し、俊乗房重源は上の醍醐に無常臨時の念仏をすすめ七カ所に不断念仏を興立し念仏の事業愈々いよいよ隆盛の勢を示したのは大原問答の後のことである。

493:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:18:39.65 /Jr7Pbjkp.net
慈鎮和尚(吉永僧正慈円)は法性寺忠通の子息であって山門の統領であり、名望一代に勝れた大徳であったが、この人も法然に就て念仏の行に帰し、法然を崇敬措かなかった。
 妙香院の僧正良快は月輪殿の子息で慈鎮和尚のお弟子として顕密の学者であったがこれも法然の感化により浄土念仏に帰して初心の行者の為に念仏の肝要を記したものがある。
 慈鎮和尚といい妙香院の僧正といい何れも名門の出であり、一代の有徳であり、その一代の行業は伝うべきもの甚だ多いが是等の大徳が帰敬し崇敬した法然の器量が思いやられる。

494:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:22:38.42 97cwR6KKp.net
 高野山の明遍僧都は少納言通憲の子であって三論の奥旨を極め、才名世に許されていたけれども、名利を厭い、勅命を避けて高野に隠遁していたが、或時法然の撰択集を読んで、
「この書物は少し偏っている処があるわい」と思って眠りについた。
その晩の夢に、天王寺の西門に数知れざる病人が寐ていたのを一人の聖が鉢に粥を入れて匙を持って病人の口毎に粥を入れてやっているのを見て、あれは誰人かしらんと尋ねると傍にいる人が答えて、
「法然上人でございます」というのを見て夢が醒めた。
僧都が思うのに、これはわしが撰択集を少し偏っているわいと思ったのを誡められる夢であろう。この上人は機を知り、時を知りたる聖である。
抑も病人というものは初めには柑子とか、橘、梨子、柿などの類を食べるけれども、後には僅にお粥をもって命をつなぐようになる。
末世の世には仏法の利益が次第に減じて堅いものは食われず、念仏三昧の重湯で生死を離れるのであると云うことを悟って、それからたちまち顕密の諸行を差置いて専修念仏の門に入りその名を空阿弥陀仏と名づけた。
とりわけ聖徳太子にゆかりのある仏法最初の伽藍天王寺によってこの夢を見たことを不思議の縁としている。

495:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 20:26:59.71 3wS2J96up.net
法然行伝つづき。
法然が天王寺に詣でた時、明遍僧都がここへ訪ねて案内があった。
法然は客殿に待っていて「さあこれへ」といわれる。
明遍僧都はさし入ってまだ居直らない先きに尋ねかけて云う。
 僧都「さてこの度如何いたして生死を離れたものでござりましょう」
 法然「南無阿弥陀仏と唱えて往生を遂ぐるに越したことはありますまい」
 僧都「たれも左様にお聞き申しては居りますが、ただその折角の念仏の時に心が散乱し、妄念の起るのを如何いたしたものでござりましょう」
 法然「欲界の散地に生を受くる者、心の散乱しないということがござりましょうや。煩悩具足の凡夫の身がどうして妄念を止めることが出来ましょう。
そのことに就ては私とても力の及ぶことではござりませぬ。ただ心は散り乱れ妄念は競い起るとも、口に名号を唱えなば弥陀の願力に乗じて必ず往生が
致されるということだけを知って居ります」
 と返事した。
 僧都「それを承りたいがためにまいったのでござります」
 といって明遍僧都はそのまま罷り帰ってしまった。

496:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 20:33:19.59 3wS2J96up.net
あたりの人がそれを見て、この両名僧初対面であるに拘らず、一言も世間の礼儀の挨拶もなくて別れられたのは如何にも尊いことだと感心した。
僧都が帰ってから法然はうちへ入って側近の人に向って云うよう。
「心を静め妄念を起さないで念仏をしようと思うのは生れつきの眼鼻をとり払って念仏をしようと思うようなものじゃ」といわれた。
 その後明遍僧都は深く法然に帰依して専修の行怠りなかった。
 法然が亡くなった後にはその遺骨を一期の問頭にかけて後には鎌倉右大臣の子息である高野の大将法印定暁に相伝えられた。
 貞応三年六月十六日八十三歳の高齢をもって念仏相続して禅定に入るが如く往生せられた。

497:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 20:37:24.64 3wS2J96up.net
安居院の法印聖覚は入道少納言通憲の孫に当り、澄憲大僧都の真の弟であるが、これも法然の化道に帰して浄土往生の口決を受けたが、法然からは特に許されていたと見え大和前司親盛入道が法然に向って、
「あなたが御往生の後はどなたに疑を質したらよろしゅうございますか」と尋ねたところ法然が、「聖覚法印我が心を知れり」といわれたとのことである。
 この法印が書を著わして広く念仏をすすめられた。それは「唯信鈔」である。
 元久二年八月法然が瘧病を患うたことがあった。月輪殿が驚いて医者を呼ばれて様々療治を尽されたけれども治らない。そこで御祈祷の為に、詑摩の法眼澄賀に仰せて善導和尚の姿を描かせ、後京極殿が銘を書き、
安居院の聖覚法印を導師とした、聖覚も同じ病に冒されていたが師の為に進んで祈乞をこらすと善導の絵姿の前に異香が薫じ、法然も聖覚も共に瘧病が落ちたとのことである。

498:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 00:02:33.14 lnF1pxrX0.net
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499:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:06:18.40 apCu1XAHp.net
法然の三回忌の時には追善の為に(建保二年正月)この法印は、真如堂で七日間説教をしたがその終りに、
「もしわしがこうして物を云うたことがわが大師法然上人の云われなかったとならば当寺の本尊御照罰あらせ給え」と再三の誓言をして後、
「もし尚不審があろうという人は鎮西の聖光房に尋ね問われるがよい」
 といわれた時、聴衆の中に一人の隠遁の僧があったが、己の草庵には帰らないで直ぐ筑後の国に下って聖光房につき門弟となり、九州弘通の法将となったものがある。敬蓮社というものがそれである。
 この法印は文応二年三月五日六十九歳にして念仏往生を遂げた。
 上野国の国府に明円という僧があったが遊行の聖が念仏を申し通ったのを留めて置いて、自分の処へ道場を構え念仏を興行していたが、或夜の夢に、われはわが朝の大導師聖覚という者である。
法然上人の教えによって極楽に往生したというようなことを夢見て、それからそれと尋ねて聖覚法印の墓に詣で、夢の中の感化を喜び感喜の涙を流し二心なき専修の行者になったという奇談がある。

500:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:08:02.60 apCu1XAHp.net
法然上人の「念仏本願撰択集」は月輪殿の請によって選んだものであるが、その要領を少々記して見ると、
 まず第一段に道綽禅師が聖道浄土の二門を樹てて、聖道門に帰するの文、一切衆生に皆仏性があるというのに今に至る迄生死に輪廻して救われないのは、二種の勝法があるのに、それによって生死を払わないせいである。
その二種の勝法とは何ぞ。聖道門と浄土門であるが、この二つの門のうち聖道門はなかなか修行がむずかしく、末世の凡夫はこの聖道の修行によって救われることは出来ない。それが浄土の門に行くと極めて安らかな修行によって救われる方便がある。
そこで今時の人は聖道門を捨てて浄土門に帰するがよいという。
 阿弥陀如来は他の行を以て往生の本願とせず、ただ念仏をもって本願とする。

501:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:10:09.23 apCu1XAHp.net
無量寿経上巻の本願の文を引いて云う。
念仏は最も優れ余行は劣る。それは名号の中には万徳が備わっているからである。
例えば家といえば、その建物全部を称えるけれども、棟とか梁とか柱とか云ったのでは一部分しか含まれていない。
そこで家といえば全体を云うように、弥陀の名号を称えれば全体の功徳に呼びかけることが出来る。仏像を作ったり、塔を建てたりすることが本願ならば貧乏人は往生出来ないことになる。
智恵があり才学の高いのをもって本願とすれば愚鈍不智のものは往生の望みがなくなる。自戒自律を以て本願とすれば破戒無戒の人は永久に救われないということになる。

502:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:13:42.44 RYPZQx+kp.net
そこで阿弥陀如来が法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて普く一切を救わんが為に唱名念仏の本願を建てられたのである。
 右の趣旨を多くの経文を引いてつぶさに述べられたのが即ち撰択本願念仏宗である。

503:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:16:29.34 +Hv2HZG6p.net
月輪殿北政所も同じように法然を信じて念仏往生のことを尋ねられたが、法然がそれに答えた返事の手紙というのが残っている。
 阿波介という陰陽師が法然に給仕して念仏をしていたが、或時法然がこの男を指して、
「あの阿波介が申す念仏とこの源空が申す念仏と何れが勝っているか」と聖光房に尋ねられたところが、聖光房は心中に何か考うる処はあったけれども、
「それはどういたしまして、御上人の念仏と阿波介が念仏と一緒になりましょう」と答えたのでその時法然が由々しく気色が変って、
「お前は日頃浄土の法門といって何を聴いているのだ。あの阿波介も、仏たすけ給えと思って南無阿弥陀仏と申している。この源空も仏助け給えと思って南無阿弥陀仏と申している。更に差別はないのである」
 といわれたから、聖光房も固より、それとは思っていたけれども、法然からそういわれて宗義の肝腎今更の様に胸に通ったということである。

504:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:18:57.01 7tAW+1HEp.net
 二念珠ということをやりだしたのはこの阿波介である。
阿波介は百八の念珠を二連持って念仏をしたから人がその故を尋ねると阿波介が答えて、
「暇なく上下すればその緒が疲れ易い。一連では念仏を申し、一連では数をとって積る処の数を弟子にとれば緒が休まって疲れません」
 と答えたので法然がそれを聞いて、
「何事も自分の心に染みていると才覚が出て来るものである。阿波介は性質は極めて愚鈍の人間だが往生の一大事が心にしみているからこそ斯様な工夫も考えだすのだ」とほめたということである。

505:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:22:41.24 LR1Etm+ap.net
とほめたということである。
 或修行者が浄土教の教義は分っていたが、まだ信心が起らないので嘆いていた。或時東大寺に参詣すると、丁度棟木を挙げる日で、おびただしい材木をどうして引き揚げるのかと心配して見ていると轆轤を使って大木をひき上げ、思う処へどしどしと落し据えた。
それを見て成程良工の謀はうまいものだ。まして況んや、弥陀如来の善行方便をやと思って疑いが晴れて信心が決まった。この時はかねて法然から三宝に祈請すべしということを教えられて東大寺に参詣しての思わぬ獲物であった。
 聖如房という尼も法然の教えに帰していたが、病気に罹っていよいよ臨終という時にもう一度上人にお目にかかり度いということを申越して来たが、法然は丁度別行の時であったから、手紙で細々と書いてやった。
その手紙が残っている。その中に「我等が往生はゆめゆめ我身のよきあしきにより候まじ。ひとえに仏の御力ばかりにて候べきなり」というようなことがある。その手紙の心のおもむきを深く心に留めてめでたき往生をとげたということである。

506:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:40:34.03 Jk+/NCDypNIKU.net
法然行伝つづき。
仁和寺に住んでいた一人の尼が法然の処に来て申すよう、
「私は千部の法華経を読むように願をたてまして、七百部だけは読んでしまいましたが、もうこの年になっては残りを読みきれそうもござりません。
なさけないことでござります」
 と歎いたのを法然が慰めて、
「お年をとっているのによくそれでも七百まで読みましたね。ではその残りを一向念仏になさいまし」
 といって念仏の効能を説き聞かせその通りにさせて安楽の往生をとげさせたことがある。
法然のお弟子がその往生振りを夢に見たという奇談もあった。

507:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:43:45.48 hYSegzb3pNIKU.net
河内の国に天野四郎と云うて強盗の張本があった。
老年になってから法然のお弟子となって、教阿弥陀仏と名乗って常に法然の膝元で教えを受けていたが、或晩夜中に法然が起きていて、ひそかに念仏をしているような様子であったから、この男が咳をして見た処、法然はやがて寝込んでしまわれた様子で、その夜も明けた。
四郎はどうも解せないことだと思いながらも、尋ねて見るのも億劫でその日は帰り、その後また訪ねた時に法然は持仏堂にいて四郎は大床に伺候して云うことに、
「どうもやつがれのような無縁の者は都には居られないようですから、相模の国河村という処に知っている侍がありますから、それを頼んで下って見ようと思います。
何分こう年をとりましてはまたと再びお目にかかる事も覚束ないと存じます。固よりこの通り無智のものでござりますから、深い法門を承ったとて、甲斐のないことと存じますから、
ただこれならば往生が出来るという御一言だけを生涯の御かたみに戴いてまいり度うございます」

508:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:46:03.54 w1UBRfLDpNIKU.net
法然がそれを聴いて答えていうに、
「まず念仏には深いということは無い。念仏を申すものは必ず往生が出来るということを知るばかりだ。
深い義理があるなんぞと思ってはならぬ。それでも念仏というものは極くたやすい行いだから、申す人は多いけれども、
往生が出来る者の少いのは古実を知らないからだ。そうだ先月のこと、ここには誰れも居らないで、



509:ィ前とわしとただ二人きりいたことがある。その夜中わしはそっと起きていて念仏をしていたのをお前は聴かれたか」  といわれたから、四郎は、 「いかにもそれは承りました。寐耳によく覚えて今日まで不思議に思って居りました」



510:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:52:18.26 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然「それこそやがて本当の往生の念仏だ。総て虚仮といって飾る心で称える念仏では往生は出来ない。
飾る心がなくして、真の心で申さねばならぬ。子供だとか動物だとか云うものの前では飾って見せる心はないけれども、世間並の人に向えばどうしても飾る心が起るものだ。
誰れとて人間として人間の中に住んで居ればその心のない者はない。
そこで夜更けてから見る人もなく、聴く人も無い時、そっと起きていて百遍でも千遍でも心任せに申した念仏は飾る心がないから仏の意にも相応して本当の往生が出来るというものだ。
それでその心持さえ出来れば、何も夜と限ったものではない。いつでもその飾らぬ心で念仏を申すがよい。
なお例えて云うて見ると、盗人が人の宝に思いをかけて盗もうと思う心は底に深いけれども表面はさり気なき色にして決して人にはあやしげなる色を見せまいとするようなものじゃ。
その盗み心は人は誰れも知らないから少しも飾らない心になる。本当の往生もまあそんなようなものだ。
人に見せないで仏より外には知る人もない念仏、そこで疑いのない往生が出来るわけだ」

511:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:53:45.22 JBQ5GgM1pNIKU.net
それを聴いて四郎が、
「よくお言葉がわかりました。それを承って私もどうやら往生が出来そうでございます。ではこれから人の前で珠数を繰ったり、口を動かしたりして念仏をすることは止めましょうかしら」
 というと法然がまた、
「それはまた僻みというものだ。念仏というものの本意は常念でなければならぬ。強いて性質をためて本来臆病の者が剛の者の真似をするにも及ばない。
剛の者がまた変に臆病がるにも及ばない。本性にうけて真の心で如何なる処、如何なる人の前で申すとも少しも飾る心がなければそれが真実心の念仏で、きっと往生が出来る」
 といって三心の事を説いて聞かせると、四郎が、
「それではその夜中に念仏をいたします時には必ず起きていてしなければなりますまいか。また珠数や袈裟などを用意して申さねばなりますまいか」

512:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:55:13.54 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然答えて、
「念仏の行は行住座臥を嫌わないのだから、伏して申そうとも、居て申そうとも心に任せ時によるのだ。
珠数を取ったり、袈裟をかけたりすることも、又折により体に従ってどちらでもよろしい。
詰り威儀というものはどうでも今云うた真の心で念仏を申すことが大切だ」
 と教えられた。天野四郎の教阿弥陀仏は、歓喜踊躍し、法然の前に合掌礼拝して罷りかえったが、その翌日法蓮房信空の処へ行って暇乞をした時、昨日上人から教えられたことを述べて、お蔭様でこんどの往生は少しも疑いがないといって、東国へ向って行った。

513:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:56:56.24 JBQ5GgM1pNIKU.net
その後法蓮房が、法然の前で、
「左様のことがありましたか」と尋ねると法然が答えて、
「そうそう、それは昔盗人だと聞いていたから対機説法ということをして見たのだ。一寸は分ったように見えたわい」
 といわれた。
 教阿の天野四郎は、こうして相模の国河村へ下って行ったが、やがて病気で死のうとする時分に、同行に向って、
「わしは法然上人の教えをよく受けているから立派な往生が出来る。往生のしぶりを見て置いてよく法然上人にお伝え申して呉れよ」
 と遺言して正念たがわず、合掌乱るることなく念仏を高声に数十遍称えて美事に往生をした。
同行が都へ上った時に、この遺言の次第を委しく法然に申上げた処、法然が成る程よく心得たとは見たが、その通りであったわい、あわれなことじゃなといわれた。

514:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:59:06.92 JBQ5GgM1pNIKU.net
沙弥随蓮は後に法然が四国へ流された時もお伴をしていた程のお弟子であるが、法然が亡くなって後、建保二年の頃或人が来て云うのに、
「如何いかに念仏をしたからとて、学問をして三心を知らない者は往生することは出来ないそうですね」といいかけたものがあるので、随蓮が、それを説明して、
「故上人は念仏は様なきを様とす。唯ひたすら仏の言葉を信じて念仏をすれば往生をするのだ。
と仰言って全く三心のことなどを云われたことはありません」その人が重ねて云うには、
「それは心の足りない者の為に、方便の為に上人が仰言られたのだ。上人の本当のお志はもっと高尚な処にあるのだ」と論じ、
経釈の文などを引き合いに出して論じかけて来たものだから、随蓮も少し考えがグラついて来ていた処、或夜の夢に法勝寺の池の中にいろいろの蓮華の咲き乱れているのを見たが、
そこへ法然上人が現われて、
「お前、誰れかひが言を云う者があって、あの池の蓮華をあれは蓮華ではない、梅だ桜だと云うた者があってもお前はそれを信ずるか」と尋ねられたから、随蓮が、
「現に蓮華であるものを如何に誰れが桜と申しましょうとも梅と申しましょうともそれが信ぜられましょうや」

515:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:01:31.96 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然が曰く、「念仏の義もまたその通りじゃ。わしがお前に念仏をして往生することはきまりきって疑いがないと教えたのをお前が信じたのは蓮華を蓮華と思うのと同じことだ。
他から梅といわれようとも、桜といわれようともそれを信じてはならぬ」といわれるのを夢に見て、近頃の疑念が残りなく晴れ、往生の素懐をとげたということである。
 法然は人によって三心のことを説かれたけれども、三心に捉われて却って信心を乱ることをおそれたのである。遠江の国久野の作仏房という山伏は、役の行者の跡を訪い、大峯を経て熊野へ参詣すること四十八度ということであるが、
熊野権現の前で祈っている時、法然房に出離の道を尋ぬべしというお示しを受けたというので都へ上って法然の教化を受けて念仏の行者となった。
それから本国に下って市に出て染物などのようなものを売買して家計をたてつつ独り身で自由に生活していたが、往生際がとても美事で、念仏の声が止まったかと思うと本尊に向って端座合掌したその顔は笑めるが如く、
そのままで往生していたので、諸人が雲の如く集ってその奇特に驚きあったとのことである。

516:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:07:21.17 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然が常によく云いつけていた言葉のうちから幾つかを抄録して見る。
「念仏申すにはまたく別の様なし。ただ申せば極楽へむまると知って。心をいたして申せばまいるなり」
 又云う。「南無阿弥陀仏というは。別したる事には思うべからず。阿弥陀ほとけ我をたすけ給えという言葉と心得て。心には阿弥陀ほとけ。たすけ給えとおもいて。
口には南無阿弥陀仏と唱えるを。三心具足の名号と申すなり」
 又云う。「罪は十悪五逆の者。なおむまると信じて。小罪をもおかさじと思うべし。罪人なおむまる。いかにいわんや善人をや。
行は一念十念むなしからずと信じて。無間に修すべし。一念なおむまる。いかにいわんや多念をや」
 又云う。「我はこれ烏帽子もきざる男なり。十悪の法然房愚癡の法然房が。念仏して往生せんと云うなり」
 又云う。「学生骨になりて。念仏やうしなわんずらん」
 又云う。「往生は一定と思えば一定なり。不定と思えば不定也」
 又云う。「一丈の堀を越えんと思わん人は。一丈五尺をこえんとはげむべし。往生を期せん人は決定の信をとりてあいはげむべきなり」
「又人々後世の事申しけるついでに。往生は魚食せぬものこそすれという人あり。或は魚食するものこそすれという人あり。
とかく論じけるを。上人きき給いて。魚くうもの往生をせんには。鵜ぞせんずる。魚くわぬものせんには。猿ぞせんずる。
くうにもよらず。くわぬにもよらず。ただ念仏申すもの往生はするとぞ。源空はしりたるとぞ仰せられける」

517:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:11:01.23 JBQ5GgM1pNIKU.net
或人より安心起行を問われし手紙の返事の中に、「浄土に往生せんと思わん人は。安心起行と申して。心と行と相応ずべきなり。その心というは観無量寿経にときて。
もし衆生あって。わが国にむまれんとおもわんものは。三種の心をおこしてすなわち往生す。
なにをか三とする。一には至誠心。二には深心。三には廻向発願心なり。
三心を具せるものは。かならずかの国に生るといえり」
 又或人が往生の用心に就て覚束ないことを百四十五条迄書き記して法然に尋ねたが、法然は一々それに返事をした。
そのうち少々抜き書きして見ると、
(問)念仏には毎日数を決めないで読んでもよろしゅうございますか。
(答)数を決めないというと怠り勝ちになり易いから数を決めて称えるのがよろしい。
(問)一日に幾度位唱えたらよいでしょうか。
(答)念仏の数は一万遍をはじめて二万三万五万六万乃至十万迄申します。そのうちをお心任せの程おやりなさい。
(問)歌を詠むということは罪でございますか。
(答)強がちに何とも云えない。罪ともなれば功徳ともなる。
(問)酒を飲むのは罪でございますか。
(答)本当は飲まないがよいけれども、この世のならい。
(問)魚鳥を食い、いかけ(身を清むること)して経を読んでもようございますか。
(答)いかけして読むのが本体である。しないで読むのは功徳と罪と両方になる、但しいかけしないでも、読まないよりは読む方がよろしい。
(問)六斎ににらやひるを食べるのはどうですか。
(答)食べない方がようございます。
(問)破戒の僧、愚癡の僧を供養するのも功徳でございますか。
(答)破戒の僧、愚癡の僧も末の世には仏の如く尊むことになっている。

518:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:17:21.59 /YkaYgzupNIKU.net
或人がまた往生の用心に就て、条々の不審を尋ねた時に、上人の返事のうちに、
「足なえ腰いたるものの。とおき道をあゆまんと。おもわんに。かなわねば船車にのりてやすく行くこと。
これわがちからにあらず。乗物のちからなれば他力なり。あさましき悪世の凡夫の。諂曲の心にて。
かまえつくりたるのり物にだにも。かかる他力あり。まして五劫のあいだ。思食しさだめたる。
本願他力の船いかだにのりなば。生死の海をわたらん事。うたがい思食すべからず」
「魚鳥に七箇日の忌の候なる事。さもや候らん。えみ及ばず候。地体はいきとしいけるものは。
過去の父母にて候なれば。くうべき事にては候わず。又臨終には。酒魚鳥葱薤蒜などは。いまれたることにて候えば。
やまいなどかぎりになりては。くうべきものにては候わねども。当時きとしぬばかりは候わぬ病の。月日つもり。
苦痛もしのびがたく候わんには。ゆるされ候なんと覚おぼえ候。御身おだしくて。念仏申さんと思食して。御療治候べし。
命おしむは往生のさわりにて候。病ばかりをば。療治はゆるされ候なんと覚え候」
 鎮西から上って来た或る一人の修行者が法然の庵室へまいって、まだ上人に見参しない先きに、お弟子に向って、
「称名の時に仏様の御相好に心をかけることはどうでございましょうか」
 と尋ねた処が、お弟子が、
「それは芽出度いことであろう」
 と独断で答えたのを法然が道場にあって聞いていたが、明り障子を引きあけて、
「源空はそうは思わない。ただ若我成仏。十方衆生。称我名号。下至十声。若不生者。
不取正覚。彼仏今現。在世成仏。当知本誓。重願不虚。衆生称念必得往生と思うばかりだ。
われ等が分で如何に観じたとても本当の姿が拝めるか。ただ深く本願を頼んで口に名号を称えるだけじゃ。
それがいつわりのない行であるぞ」といわれた。

519:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:24:04.16 /YkaYgzupNIKU.net
法然の曰く、「阿弥陀経はただ念仏往生のみを説くと心得てはならぬ。文に隠顕はあるけれど凡およそ[#ルビの「およそ」は底本では「おそよ」]の処は四十八願を悉く説かれてある訳である」
 法然が云う、「諸宗の祖師はみんな極楽に生れている」
 或時聖光房、法力房、安楽房等の弟子達と往生の話をしていた。その時、
「往生は念仏を信ずると信ぜざるとによるので、罪悪のあるとないとによらない。既に凡夫の往生を許す上は何ぞ妄念の有無を嫌うべきや」
 そこで安楽房が問うて云うのに、
「虚仮の者は往生しないというのはどのように心得たらよろしゅうございますか」
 法然が答える。
「虚仮というのは事更に飾る手合いをいうのである。自然に虚仮であるぶんには往生の障りにはならない」
 是等の問答のうちお弟子はみんな落涙をして感心したそうである。

520:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:26:45.08 /YkaYgzupNIKU.net
元久二年正月二十一日世間並の尼女房達が沢山上人の処へ集って来て戒を受け、教えを聴こうとした。
法然はその願い通りに聖道の難行なること、浄土の修し易きことを語り聴かせて彼等を随喜させて帰した。
 法性寺左京大夫信実朝臣の伯母であった女房が、道を尋ねて来たので、法然はそれに返事を書いている。その中に、
「三心と申し候も。ふさねて申す時は。ただ一の願心にて候なり。そのねがう心の。いつわらず。かざらぬ方をば。
至誠心と申候。この心の実にて。念仏すれば臨終に来迎すという事を。
一心もうたがわぬ方を。深心とは申し候。このうえわが身もかの土へむまれんとおもい。
行業をも往生のためとむくるを。廻向心とは申し候なり。この故にねがう心いつわらずして。
げに往生せんと思い候えば。おのずから。三心は具足する事にて候なり」
 伊豆国走湯山に、妙真という尼があった。
法華の持者真言の行人であったが、事のたよりに上洛の時法然の教えを受けてそれから専修念仏に転じたが誰れにも語らず、
同行の尼一人に示していた。或時明日の申の刻に往生するからといっていたが、間違いなくその時刻に端座合掌し高声念仏して往生をとげた。
様々の奇瑞があって人の耳目を驚かしたそうである。

521:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 10:37:10.13 8lXclS2hp.net
これまで京洛を中心として法然の教化が上下に普かったが、それから鎌倉の二位尼(頼朝の妻政子)の帰依が深く、蓮上房尊覚という者を使として念仏往生のことを尋ね越されたから、法然はそれにも返事を書いている。その中に、
「強ちに信ぜざらん人を。御すすめ候べからず。仏もかない給わざる事なり」
「念仏の行は。もとより行住座臥時処諸縁をきらわず。身口の不浄をきらわぬ行にて易行往生と申し候なり。ただし心をきよくして申すを。第一の行と申し候なり。人をも左様に御すすめ候べし。ゆめゆめこの御心は。いよいよつよくならせ給え候べし」
 上野国の御家人、大胡小四郎隆義は在京の時吉水の禅室に参じて法然の教えをうけて念仏の信者となったが、国へ下ってから不審のことは法然給仕のお弟子、渋谷七郎入道道遍を通じて法然の教えを受けていたが、法然は細かに返事の消息を遣わされている。
隆義の子太郎実秀も父の後を継いで法然に不審の事を小屋原蓮性という者を使者として尋ねて来た時も、法然は真観房に筆を執らせて返事を与えている。

522:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 10:44:20.13 8lXclS2hp.net
「念仏はこれ弥陀の本願の行なるがゆえなり。本願と云うは。阿弥陀仏のいまだ仏にならせ給わざりし昔。法蔵菩薩と申ししいにしえ。仏の国土をきよめ。衆生を成就せんがために。世自在王如来と申す仏の御前にして。
四十八願をおこし給いしその中に。一切衆生のために。


523:一の願をおこし給えり。これを念仏往生の本願と申す也」  この消息は細々と経説を挙げてかなり長いものになっているが、実秀は法然からこの消息を恭敬頂戴して一向に念仏し、寛元四年往生の時矢張り奇瑞があったという。 実秀の妻室も深くこの消息の教えを信受してよき往生の素懐を遂げたという。  武蔵国那珂郡の住人弥次郎入道(実名不詳)という人も上人の教化を蒙こうむって一向念仏の行人となったが矢張り上人から手紙を貰って秘蔵していた。 或時病気でなやんでいたが、夢に墨染の衣を着た坊さんが来て、青白二茎の蓮華をもって来て往生の時と極楽の下品から上品に進むというようなことを教えて行ったという奇瑞がある。



524:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 10:46:15.37 8lXclS2hp.net
武蔵国の御家人猪俣党に甘糟太郎忠綱という侍は深く法然に帰依した念仏の行者であった。
山門の輩が蜂起して日吉八王子の社壇を城廓として乱を起した時、忠綱は勅命によってそれを征伐に向った。
時は建久三年十一月十五日であったが、甘糟忠綱は出陣の命を受くると共に法然の許に走せ参じ、
「拙者は武勇の家に生れて戦をしなければなりません。戦をすれば悪心が盛んになり願念が衰えます。
願念を主とすれば却って敵の為に捕虜になって永く臆病者の名を残し家の名を汚すでしょう。
何れを何れとしていいか分りません。弓矢の家業も捨てず、往生の願いもとぐる道があらば願わくは一言を承りたいものでございます」

525:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 10:48:52.03 8lXclS2hp.net
法然答うるよう、
「弥陀の本願というものは、機の善悪を云うのではない。行いの多少を論ずるのではない。
身の浄不浄を選ぶのでもない。時と処と縁とによらず、罪人は罪人ながら名号を称えて往生するというところが本願の不思議というものだ。
弓箭の家に生れたものが仮令軍陣に戦い、命を失うとも念仏さえすれば本願に乗じ、来迎にあずからんことは疑いないことじゃ」
 と細かに説いて聞かせられて忠綱は大いに喜び、
「それで悟りがひらけました。忠綱が往生は今日定まりました」
 と喜んで法然から袈裟を貰い、鎧の下にかけて、それより八王子の城に向い、命を捨てる覚悟で戦ったが、太刀が打ち折れて自分は重傷を負うたものだから、もうこれまでと刀を捨てて合掌し、高声に念仏をして敵の手に身を任せてしまった。
その時紫の雲が夥しくあたりに棚引いたそうである。
その時法然は叡山の方に紫の雲が棚引いたという報せを聞いて、
「ああそれでは甘糟が往生したな」
 といわれた。甘糟が国に残して置いた妻室が夢に忠綱が極楽往生をとげたという告げを聞いて驚いて国から飛脚をたてたが、京都からの使者と途中で行き会うて忠綱が戦場最期の有様を物語ったということである。

526:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 10:57:26.82 lrU/8fewp.net
宇都宮弥三郎頼綱が家の子郎党を従えて、済々として武蔵国を通ると、熊谷の入道直実に行き会うた。直実がそれを見て、
「すばらしい威勢だなあ。しかし、いくら家来を大勢連れたからとて、無常の鬼という奴が来れば防ぐことは出来ないで、
お前いつ迄もそうして強者顔をして威張っていたからとて念仏の行者にはかなわないぞ。弥陀如来の本願で念仏するものは悪道に落されず迎えとられるのだ。
念仏をすることは一騎当千の強者になるよりも豪いことだぞ。お前も軍人なんぞは早く止めて念仏をしろ念仏をしろ」
 といわれたのが頼綱の胆にそみていた。直実の奴うまく侍を卒業しやがったな。おれも負けるものかという気になって、大番勤仕の為に京都へ上った序に、承元二年十一月八日のことであったが、法然を勝尾の草庵に訪ねて念仏の教えを受け一向専修の行者になってしまった。

527:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 10:59:41.59 hoBTOuf0p.net
法然が亡くなった後は善恵房を頼んでいたが、結縁の為めに四帖の疏の文字読みばかりを受け、遂に出家して実信房蓮生と号しその後夢に善光寺の本尊を感得したりなどして承元元年十一月十二日芽出度い往生をとげた。

528:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:02:42.26 hoBTOuf0p.net
上野国の御家人薗田太郎成家は秀郷将軍九代の孫、薗田次郎成基が嫡男であるが、武勇の道に携わり、射※(「けものへん+臈のつくり」、第3水準1-87-81)を事として罪悪をほしいままにしていたが、
正治二年の秋これも大番勤仕の為に京都へ上って来た時、法然の念仏が一代に盛んなことを聞いて何気なく自分も行って見ようという気になって教えを受けた処が、
たちまち信心胸に満ち、その年の十月十一日に生年二十八歳で出家してしまって法名を智明とつけ、法然の手許に六年も給仕をしていたが、元久二年に本国に下って、家の子郎党二十余人を教導して同じく出家させて同行とし、
酒長の御厨小倉の村に庵室を建てて念仏伝道をしていた。
世の人が尊んで小倉上人と称んでいた。
なお庵室の西一丁余り隔てて一間四面のお堂を建てて、お堂の妻戸に庵室の戸を開け合せるようにし、仏前の燈明を摂取の光明と思って常に光明遍照の文を唱え、真心を現して発露啼泣していた。
そこでここ�


529:Kれる人々皆感化されて念仏をしない者はなかった。



530:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:04:19.42 hoBTOuf0p.net
或年元日の祝言にこう云うことをはじめた。
それは一人の下僧に言い含めて、高らかに曰わせるよう。
「この御庵室にもの申す。西方浄土からお詣りが遅いから、急いでおいでがあるように阿弥陀仏からのお使いでございます」
 そこで成家が喜んでその僧を客殿へ招き入れ、丁寧にもてなし様々の引出物を与えることにした。
これがその後ずっと元日の吉例になっていたということである。

531:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:05:13.79 hoBTOuf0p.net
その辺の山里には鹿が多くいて、作物を荒すので百姓達は田畑に垣を作って防いでいるのを見て成家はわざわざ上田を三丁程作らせて鹿田と名付け、鹿の食物にさせた。

532:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:08:28.04 hoBTOuf0p.net
なお田植唄には念仏を唱えさせることにした。
宝治二年の九月に少しからだが悪かった。その時弟の淡路守後基を招きよせて、
「わしはもう老病で遠くはあるまい。対面も今日が限りだろう。お前も罪悪深重の人であるから必ず念仏をして、わしと同じ様に浄土へまいるようになさい。
仮令鹿鳥を食べる時にも念仏を噛みまぜて申すがよい。たとい敵に向って矢を引くとも念仏を捨ててはならない」
 と教訓した。弟を帰してから後で同族を集めて念仏をし、その翌日十六日に端座合掌して光明遍照の文を誦し、高声念仏一時間ばかり唱えて禅定に入るが如くにして息絶えた。
生年七十五。最期の時に紫雲が棚引く等の様々の奇瑞が伝えられている。

533:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:14:42.77 hoBTOuf0p.net
法句經
荻原雲來訳註


     序
 法句の語は大別して二種の義に解釋せらる、一は法は教の義にして法句とは釋尊の教の文句なり、又他の一は法は本體を詮し、
一切萬象の終極の體即ち涅槃の義、而して句の原語は元來足跡の義にして、轉じて道或は句の義となりしものなれば、その原の意味にて道の義と解すれば法句は涅槃への道とも譯せらる、
涅槃への道は換言せば覺らす教の意味なり、今は何れにても可なれども、古來漢譯されて人口に膾炙せるまゝ法句と稱へたり。

534:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:15:47.37 hoBTOuf0p.net
内容一般

535:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:17:08.97 hoBTOuf0p.net
法句の内容は各章の題號にても察せらるゝが如く、佛教の立脚地より日常道徳の規準を教へたるもの、社會は生活苦、病苦、老苦、相愛別離の苦、仇敵會合の苦、乃至は死苦に惱まされ、
さいなまる、如何にして是等の苦惱を永久に脱し得べきか、如何にして絶待安穩なる涅槃に達し得べきか、換言せば、世人は事物の眞相に通ぜず、妄念、謬見、貪愛、※(「りっしんべん+喬」、第3水準1-84-61)慢等の心の病の爲に苦しめられ、
不明にして執著し、違背し、日夜擾惱を増す、智慧の眼を開いて妄念に打克てば身心ともに安靜なることを得、終に涅槃の状態に達す、此の意味を教ゆるが佛教の目的なり、法句經の所詮なり、修養の龜鑑とし、道業の警策として、
座右に備へ朝夕披讀し、拳々服膺せば、精神の向上發展、動作の方正勤勉、處世の要術、何れの方面にも良藥たらざる無し。

536:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:49:29.25 OfHVzx6Ap.net
製作者

537:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:49:54.49 OfHVzx6Ap.net


538:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 11:50:05.02 OfHVzx6Ap.net
年代

539:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 12:22:44.08 nCmOO2oXp.net
法句經は全部頌文より成る、古代佛教の聖典たる律や經の中に散在せる金玉の名句を集めたるもの所謂る教訓句集(didactic stanzas)とか、華句集(anthology)とかと稱すべきものにて、作者は勿論釋尊とす、
其書の性質上、時代を經るに隨つて本文に増減を來すを免れず、西紀二二四に竺律※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)と呉支謙とが共譯せる法句は五百偈本に更に足して七百五十三偈ありとす、
而して支謙(?)の記する所に由れば當時已に五百偈、七百偈、九百偈の三本ありとす、今譯出する所の波梨本は二十六章四百二十三頌あり、重複せる一頌を除けば四百二十二頌なり、
この頌數の少き點より見て波梨所傳の方が一層故きを知るべし。

540:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 12:23:44.00 nCmOO2oXp.net
集録者は不明なれども、北方所傳の法句經即ち波梨所傳に増加したる集録は法救(Dharmat※(マクロン付きA小文字)ta)撰と傳へらる、
而して法救の年代は詳ならざれども佛滅後約四百年、西紀前一世紀頃ならんと推定せらる、然らば波梨所傳の法句は前述の理に因り是より以前ならざる可らず、
又集録せし時はたとひ佛滅後若干百年を經しとするも、集められたる頌文の大部分は佛陀の自説たるや疑なし、
又後年佛弟子の追加※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入の頌文を含むにしても。

541:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 12:24:13.78 nCmOO2oXp.net
佛教中に於ける位置

542:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:26:34.95 ysmERIpup.net
佛の説法は質問者ありて、此に對して酬答する時と、問者無きに佛が進んで教訓する時とあり、前者は對告衆あひての性質、情想等を顧慮して隨宜の説を爲し、
所謂る應病與なれば、目的を達する爲には時と處とに應じて適宜の處致を採らるゝは勿論なり、然るに後者の場合は何時も是の如くならず、直に佛の眞意を發露し教訓せらるゝこと寧ろ多に居るべし、
法句は或は※(「烏+おおざと」、第3水準1-92-75)陀南(Ud※(マクロン付きA小文字)nam)とも云はる、無問自説と翻ぜらる、心の琴線に觸れて詠出せる詩なり、
此の點より見ても、法句經は單刀直入的に釋迦教の本意を探るに最もふさはしきものなり。
單に文句が原始的成立なるに由るのみに非ず。
 本書波梨語の原本は今より八十一年前安政二年に丁抹の學者ファスボェル此を公刊し、
且つ羅甸語の譯を添へたり、爾來英・獨・佛・伊等各國の語に翻譯せられ、歐人間荐に珍讀せらる、
我邦にては明治三十九年に常盤大定君は英漢譯に和譯を加へ出版せられたるも、
君の文は英譯に基づきしものにて未だ原本ありのまゝを紹介したるに非ず、
僕不肖を顧みず出來得るかぎり原意を傳へんとし、兼て學生の波梨原本を讀むものに便ぜんがため文を潤飾せず、
句調を整へず、拙譯を試み、新譯法句經と題し、雜誌宗教界に載せたり、
爾來二十有三年後の今日岩波書店主の慫慂に因り、前稿を修正し、注解を益し、一書として再び公表しぬ。

543:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:27:03.00 ysmERIpup.net
昭和十年四月

544:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:27:19.22 ysmERIpup.net
荻原雲來

545:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:33:37.58 ysmERIpup.net
第一 雙敍の部

546:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:34:16.72 ysmERIpup.net
二首づつ對比して述べてあるを以て雙敍と名づく。

547:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:55:26.08 ysmERIpup.net
一 諸事意を以て先とし、意を主とし、意より成る、人若し穢れたる意を以て語り、又は働く時は其がために苦の彼に隨ふこと猶ほ車輪の此を牽くものに隨ふが如し。
 二 諸事意を以て先とし、意を主とし、意より成る、人若し淨き意を以て語り、又は働く時は其がために樂の彼に隨ふこと影の(形を)離れざるが如し。

548:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:56:20.17 ysmERIpup.net
三 彼れ我を罵り、我を打ち、我を破り、我を掠めたりと堅く執する人の怒は息むことなし。
 四 彼れ我を罵り、我を打ち、我を破り、我を掠めたりと堅く執せざる人の怒は止息に歸す。

549:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 13:57:51.29 ysmERIpup.net
五 世の中に怨は怨にて息むべきやう無し。無怨にて息む、此の法易はることなし。
 六 然るに他の人々は、「我々は世の中に於て自制を要す」と悟らず、人若し斯く悟れば其がために爭は息む。

550:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:36:12.15 XaPhDvq8H.net
六 然るに他の人々は、「我々は世の中に於て自制を要す」と悟らず、人若し斯く悟れば其がために爭は息む。
 七 生活に安逸を求め、感官を護らず、飮食度なく、懈怠怯弱なれば、魔は彼を伏す、猶ほ風の弱き樹に於けるが如し。
感官を護らず―視、聽、嗅、味、觸の五欲を恣にすること。

551:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:37:25.82 XaPhDvq8H.net
八 生活に安逸を求めず、感官を護り、飮食度あり、信心あり、勇猛なれば、魔は彼を伏せず、猶ほ風の巍然たる山に於けるが如し。

552:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:39:07.54 XaPhDvq8H.net
九 自ら濁穢ぢよくゑを離れずして濁穢の衣を著んとするも、自制と眞實とを缺くときは彼は濁穢の衣に應ぜず。
濁穢の衣―袈裟の翻名なり、又は不正色とも言ふ。

553:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:39:37.88 XaPhDvq8H.net
一〇 自ら濁穢を吐き、專ら善く諸の戒を念じ、自制と眞實とを具ふるときは彼は濁穢の衣に應ず。

554:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:40:51.19 XaPhDvq8H.net
一一 不實を實と謂おもひ又實を不實と見る人は、實を了解せずして邪思惟に住す。

555:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:41:17.81 XaPhDvq8H.net
一二 實を實と知り不實を不實と知る人は、實を了解して正思惟に住す。

556:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:55:32.48 LPRgptX8p.net
一三 屋を葺くに粗なれば雨漏るが如く、心に修養なくんば、貪欲之を穿つ。

557:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:56:06.67 LPRgptX8p.net
一四 屋を葺くに密なれば雨漏らざるが如く、心善く修養すれば、貪欲之を穿たず。

558:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:57:16.64 LPRgptX8p.net
一五 現世に憂へ、死して後憂へ、罪を造れる人は兩處に憂ふ、彼れ憂へ、彼れ痛む、己の雜染の業を見て。

559:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:57:47.34 LPRgptX8p.net
一六 現世に喜こび、死して後喜こび、福を造れる人は兩處に喜ぶ、彼れ歡こび、彼れ喜こぶ、己の清淨の業を見て。

560:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:58:13.33 LPRgptX8p.net
一七 現世に惱み、死して後惱み、罪を造れる人は兩處に惱む、「我れ惡を造れり」と惟うて惱み、惡趣に墮ちて更に惱む。

561:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:58:33.18 LPRgptX8p.net
一八 現世に慶こび、死して後慶こび、福を造れる人は兩處に慶こぶ、「我れ福を造れり」と惟うて慶こび、善趣に生じて更に慶こぶ。

562:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 14:59:29.95 LPRgptX8p.net
一九 經文を誦むこと多しと雖も、此を行はざる放逸の人は、他人の牛を數ふる牧者の如く、宗教家の列に入らず。

563:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:00:11.37 LPRgptX8p.net
二〇 經文を誦むこと少なしと雖も、法を遵行し、貪瞋癡を棄て、知識正當に、心全く解脱し、此世他世ともに執著することなき、彼は宗教家の列に入る。

564:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:14:48.44 YSVVAtMsK.net
魔窟でキチガイ好風の狂気の独裁に対してレジスタンスを試みている人がいる。
正義感のある立派な人だと思う。私は彼を支持する。


565: 本当なら魔窟で加勢したいが私自身は規制で魔窟に書けないからここに書いておく。



566:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:19:41.40 lX8ZInEZp.net
第二 不放逸の部

567:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:20:16.63 lX8ZInEZp.net
二一 不放逸は不死に到り、放逸は死に到る、不放逸の者は死せず、放逸の者は死せるに同じ。

568:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:20:50.60 lX8ZInEZp.net
二二 明かに此の理を知りて善く不放逸なる人々は不放逸を歡こび、聖者の境界を樂しむ。

569:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:21:24.52 lX8ZInEZp.net
二三 彼等は靜慮し、堅忍し、常に勇猛に、聰慧にして無上安穩の涅槃を得。

570:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:22:14.05 lX8ZInEZp.net
二四 奮勵し、熟慮し、淨き作業を勉め、自ら制し、如法に生活し、不放逸なれば、其人の稱譽は増長す。

571:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:25:53.93 BcCwNjjMK.net
>>547に同意します
ヲイラは一体何をしてるんだ、あっちのスレまで荒らして
ヲイラはこんなことしてたら仏罰が下ると思う
グロと好風に注意やアドバイスしてやる優しさも持ち合わせなくて、自分が正しいと思い込んでるのか?

572:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:52:57.72 H+zx8oTjp.net
>>553
おぢさん、スレ乱立させといて今更なに寝言言ってるの?
オイラ、仏罰どころかお励ましを頂いたよ。
昨日、オイラの生活費3か月分に相当する臨時収入があった。
羨ましいと思うなら他所の掲示板のコテハン叩いて日常の憂さを晴らすことなんか、さっさと止めたほうが良いよ。

573:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 15:58:22.22 H+zx8oTjp.net
ちなみに、臨時収入と言っても、オイラが自分で働いて稼いだお金なので、出処の怪しいお金ではない。

574:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 16:43:45.67 BcCwNjjMK.net
>>554
臨時収入が何でお励ましだと思うんだよ?
過去の何かの功徳がお金になったんだろ

575:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:22:53.09 H+zx8oTjp.net
>>556
オイラはそう思うよ。
有難いなと。

576:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:27:11.76 H+zx8oTjp.net
>>556
曽我量深先生あたりになると、
「人生に於ける苦は如来様からのお励ましである」
と言い切っちゃう。
だけど、オイラにはそこまでの信心は無いなあ。

577:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:34:24.26 DqmbygRsp.net
まあ、あんまり苦しいこと、ないけどね。

578:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:36:34.16 DqmbygRsp.net
必ず面倒みて下さる筈だから、多少のことがあっても不安はない。

579:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:40:49.51 BcCwNjjMK.net
>>558
私にもそこまでの信心は無いし、苦が励ましかどうか分からないが
グロがやーさんと結婚するのはある意味で良いことかもしれないね
ヤクザなんか子供を残すべきじゃないから不妊のグロとの結婚はピッタリだし
やーさんにDVやモラハラされて、グロは罪障消滅できるし(僧籍取得までは金を出させるために離婚しなそう)
やーさんの金できちんと修行して僧籍取得し、やーさんと別れて、やーさんがストーカーして来たら呪サツする
一石二鳥じゃあるまいか

580:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:43:19.82 BcCwNjjMK.net
>>560
必ず面倒見て下さるから何をしても良いって?
確かにヲイラみたいな考え方の人には、苦もお励ましだね

581:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:53:19.56 DqmbygRsp.net
>>561
本当にヤクザと交際してるのかなってオイラは思う。
ちなみにオイラのお隣さんも、背中にお絵描きしてる人。
顔を合わせればいつも丁重に挨拶してくれる。

582:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:55:30.40 DqmbygRsp.net
>>562
何をしても良い、じゃなくて、どんな境遇に落ちても無駄に悩まないってこと。

583:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 17:58:54.86 DqmbygRsp.net
そういや、オイラの会社の取引先にも、人体装飾趣味の人、けっこういる。
ヤクザ人口ってどのくらいいるんだろ。

584:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 18:03:26.95 DqmbygRsp.net
もしかしたら、警察よりヤクザのほうが多いかもしれない。

585:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 18:04:15.50 DqmbygRsp.net
いや、警察にもヤクザいるかもしれない。

586:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 18:06:45.80 DqmbygRsp.net
分からんなあ。

587:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 18:16:03.33 BcCwNjjMK.net
>>563
ヤクザとの交際は嘘かもしれないね、極楽氏やここの住人を脅すための
嘘でも、ヤクザと交際なんて愚か極まりない
社会的信用ゼロだし
ヤクザはもう口座は凍結されて金も無くなるから今のうちに下ろして使わないとw
そう考えるとグロはその男を利用する気なんだろう、利口ですなww

588:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 18:48:31.23 Igc3QM2bp.net
>>569
極楽おじさんにその種の脅しが効くとは思えないんだけどなあ。
それは聖ちゃんだって十分に弁えてる筈。
そういや、オイラ、今年のお正月休みに、公園で時々会う知的障害のお姉さんと喋っていたんだけど
その時、立派なスーツの紳士が通りかかって、オイラとお姉さんに缶コーヒーをくれた。
後で聞いたら、スーツの紳士はこの地区一帯のヤクザの大親分だった。
オイラ、その筋から利益供与を受けていた(^_^;) 密接交際者だ(^_^;)
その大親分がなんでいきなり缶コーヒーをくれたかと言うと、
お姉さん、障害年金では足りないのと、人恋しさもあって
それで公園に来て売春してたのだって。
んで、どうやら親分としては、自分の縄張りで勝手にそういう仕事をされては困るので
オイラと缶コーヒー飲みながら世間話してて欲しい、という意図だったみたい。
でも、最近は公園でお姉さん見かけないなあ。
どうしてるのかなあ。

589:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:45:51.55 yTVCQ33Vp.net
んでは続き。
二五 奮勵により、不放逸により、制御により、又訓練により智者は暴流に漂蕩せられざる洲を作るべし。
洲―避難處又は歸依處の義。

590:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:46:18.11 yTVCQ33Vp.net
二六 愚なる凡夫は放逸に耽る、智者は不放逸を護ること猶ほ珍財を護るが如くす。

591:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:46:42.41 yTVCQ33Vp.net
二七 放逸に耽る勿れ、欲樂を習ふ勿れ、靜慮不放逸なる人は大なる樂を得。

592:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:47:15.02 yTVCQ33Vp.net
二八 不放逸により放逸を却けたる識者は智慧の閣に昇り、憂なく、憂ある人を觀る、山上に居る人が平地の人を(觀るが)如く、泰然として愚者を觀る。

593:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:47:38.77 yTVCQ33Vp.net
二九 逸放の中に在りて不放逸に、眠れる中に處して能く寤めたる賢人は駿馬の如く駑馬を後にして進む。

594:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:47:47.76 BcCwNjjMK.net
>>570
ちょっと顔が良くて僧籍取得させてくれる金のある男なら、グロは誰でも良いんじゃあるまいか
ヤクザでも上の方は紳士的だよ、少なくとも表面的にはね
上の方は刺青なんか入れてないし
刺青入れてるのは下っぱだって
片肩だけ入れてるのは、下っぱでもまだ上の方だとか、つまりそんなに馬鹿でもないらしい

595:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:48:19.09 yTVCQ33Vp.net
三〇 摩掲梵は不放逸によりて諸神の主となるを得たり、人咸な不放逸を稱贊す、放逸は常に非難せらる。
摩掲梵―寛仁の義にして因陀羅の一名。

596:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:48:42.18 yTVCQ33Vp.net
三一 不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は行きつゝ粗細の結を燒く、猶ほ火の如し。
行きつゝ―世に生活しつゝの義。
結―煩惱の異名。

597:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 19:49:06.72 yTVCQ33Vp.net
三二 不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は退轉するの理なし、彼は既に涅槃に近づけり。

598:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:11:38.58 c/qoq55wp.net
第三 心の部

599:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:12:04.32 c/qoq55wp.net
三三 心は輕躁動轉し護り難く御し難し、智者は之を正しくす、猶ほ弓匠の箭に於けるが如し。

600:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:12:43.64 c/qoq55wp.net
三四 水の住處より取り出され、陸に投ぜられたる魚の如く、魔の支配を逃れんとして我等の心は戰慄す。

601:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:13:50.38 c/qoq55wp.net
三五 輕く止め難き、恣まゝなる心の調伏善い哉、調伏されたる心は樂を引く。

602:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:14:23.31 c/qoq55wp.net
三六 甚だ見難き、甚だ微細なる、恣まゝなる心を智者は護るべし、護られたる心は樂を引く。

603:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:15:11.87 c/qoq55wp.net
三七 遠く去り、獨り行き、身なき、密處に隱るゝ心を能く制御する人は魔の縛を脱のがる。
密處―心臟のこと。

604:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/30 20:15:46.46 c/qoq55wp.net
三八 心安住せず、正法を知らず、信心浮動すれば智圓滿せず。

605:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/31 01:03:48.38 UaOnd8ud0.net
やれやれ、、、じゃなくて、( ´,_ゝ`)プッ
いやいや、なんか、もうこのスレ終わってたのかと思ったら、
とんでもないアホにストーキングされるはめになってたんですね。
ところで、向うでは極楽氏が唐突に摩利支天さまに言及しだしたようなのですが、
これって実は、ハチキュウサンの密接交際者となった聖染と親密な関係にあるハチキュウサンのリアルにビビリが入っちゃったってことなんですかねw
埋め立て荒らしで見ずらいので、ageにしておきますね。

606:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/31 01:06:21.05 UaOnd8ud0.net
444 :極楽金剛 ◆KkQ/CwIKN2:2015/08/29(土) 07:21:57 ID:mkFh2NSc
ところで法味供養として読み上げたりするお経としての摩利支天経って、
どのお経使うんですかね?修験聖典に入ってるヤツですかね?
URLリンク(jbbs.s)


607:hitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11232/1430637178/444 446 :極楽金剛 ◆KkQ/CwIKN2:2015/08/29(土) 13:58:53 ID:mkFh2NSc そうですねえ、、、理論上摩利支天経唱えても法味供養としては薄い感じだし、 簡単に試せないのなら般若系で通しておくかな。。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11232/1430637178/446



608:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/31 01:07:39.32 UaOnd8ud0.net
447 :極楽金剛 ◆KkQ/CwIKN2:2015/08/29(土) 14:32:25 ID:mkFh2NSc
摩利支天様の法味供養に、
摩利支天経を唱える。 節九二 そう思ったからそうなのか・・・。
般若系だけで通す。 漸九三 やっぱりあかんみたい。orz
修験聖典の摩利支天経 履九二
末利支提婆華鬘經 井九五
仏説摩利支天菩薩陀羅尼經 困初六
仏説摩利支天経 比六三
仏説摩利支天陀羅尼呪經 乾九五
仏説大摩里支菩薩經(7卷) 乾上九
一部 睽九二
摩利支菩薩略念誦法 需九五
摩利支天一印法 観初六
なんだこれは?はっきり吉凶が分かれたが、ちょっと内容をきっちり精査比較したら面白そうだな。
URLリンク(jbbs.shitaraba.net)

609:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/31 01:10:51.95 UaOnd8ud0.net
449 :極楽金剛 ◆KkQ/CwIKN2:2015/08/29(土) 19:10:17 ID:mkFh2NSc
卦的に一番良さげな「仏説摩利支天陀羅尼呪経」で様子を見ようかと思います。
弁才天功徳経とか毘沙門天功徳経とかが大八木から出てますが、
そういう感じで摩利支天経とかもてっきりあるもんだと思ってましたが、無いんですねえ。
探し方が悪いのかな?摩利支天様の在家信者さんて、信仰はどうしたはるんだろう?
大蔵経から引っ張ってきて、ルビ打ってて、めんどくせえなあ・・・。
URLリンク(jbbs.shitaraba.net)

610:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/31 17:27:06.46 6BcHPPAgK.net
「オイラ」の行為を運営に荒らし報告する件を主導していた大爆笑氏が自治スレに現れなくなって
すると一時期びびって荒らしが減っていた「オイラ」が再び勢いづいて以前にも増してひどい埋め荒らしをするようになった。
大爆笑さんカムバ~ック!


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