暇つぶし2chat KYOTO
- 暇つぶし2ch350:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/20 22:38:05.49 xkUe571xK.net
一円のお賽銭でご馳走になってて何のお礼もしないことに関しては、まず言わないな
普通の人なら、それなりの金額をお賽銭箱に入れたりするものだよ、それが常識だ
障害者は施しを受けて当たり前なのか?
健常者として稼ぎながら、受け取る時は障害者か?
お寺から布施されて有り難いって書いてたが、その分功徳を減らしてるのが理解できないのか?
極楽往生できるから、功徳の残りが無くなっても構わないってか?
他人のためになる事しなくても極楽往生できるなら、他人のために何かするのは馬鹿馬鹿しいという考えか

351:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/21 00:20:20.96 UG6XWkwUp.net
悪人に対するそれはご利益でなく地獄への片道切符。慢心絶頂になった時に突き落とす為の餌だったりする場合がある。
と、美輪さんがテレビで言ってたがなぁ。
そういや受けたり貰うばかりでは福田をすり減らすだけだから人に善行を返して功徳をキープする話は極楽さんのスレで読んだ記憶がある。

352:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/21 10:29:47.56 MjeJmnwMK.net
善行を返すという気持ちが「オイラ」には全然ないようだ
このスレを潰すのも自分の「義憤」とやらだけで、「じゃあ好風に規制を解くように掛け合ってやるか」という親切心すら持ってない
「使用人じゃないから」とか「嫌なものは嫌だ」とかの一点張りで、解決に向けて動こうとする責善の気持ちも無い
他人から貰えるものは貰うけど、他人に施す気は無いわけか
死後はどうなるやら

353:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/21 22:40:56.40 q1lJ34lt0.net
「オイラ」よ、見てるか?
極楽板も見てるか?
多くのこのスレの住人が危険視し、論難していた聖染。
それらのことを単に「悪口」と呼び、確信犯的なこだわりで聖ちゃんなどど擁護していた
その顛末がこれだ。
反社会勢力に加担しようとしていたのだ。
お前の一方的なこだわりは、こういう奴を擁護してたのだ。
「オイラ」よ、恥を知れ。
あの極楽氏ですら聖染を切り捨てたぞ。
お前はどうするんだ?

354:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/21 23:50:27.60 mTrTD3wLK.net
ああ本当だな。極楽板を見てきたよ。
聖染がヤ◯ザと密接交際していて
極楽さんから注意されても交際をやめようとせず
占いも破滅の罫が出て極楽さんから「聖天もダキニ天も封印してひたすらお詫びしろ」と言われても無視して
とうとう極楽板からの追放を言い渡されてやがる。
「オイラ」はこんなとんでもない密接交際者の反社会的な僧籍詐称オバサンを擁護するために荒らしに身を落として死に物狂いにコピペ貼ってたわけか。
さすがにこれは「オイラ」も恥ずかしくて出てこれなくなったようだな。
極楽板から追放された聖染は魔窟に逃げ込む可能性が高い。
やはり魔窟の監視はまだまだ続けていかねばなるまい。

355:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 01:30:06.13 Myg2NDcB0.net
「オイラ」はぶざまに遁走かよ?

356:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 04:53:15.13 RftdZQuXp.net
>>294
おはよ。
まあ、オイラの趣味は2chだけじゃないから(*^_^*)
じゃあ法然行伝つづき。
或時天台智者大師の本意を探り、円頓一実の戒体に就て、師の慈眼房と話をした。
慈眼房は、
「心が戒体じゃ」という議論をたてる。
法然は、
「性無作の仮色が戒体でございます」という議論を立て、両々相譲らず、永い間議論をしていたが、慈眼房が腹を立てて、あり合せた木の枕を以て法然に打ちつけたから、法然は師の前を立ち出でて了ったことがある。

357:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 04:56:16.66 RftdZQuXp.net
>>295
そか。オイラのことかと思った。
それは悪かった。ごめんね。
それから慈眼房は独り考えること数尅の後法然の部屋に来て申訳をする旨には、
「お前が云った処がやっぱり天台大師の本意であるわい。一実円戒の至極であるわい」といわれたことがある。
 保元元年、法然二十四の年、叡空上人に暇を乞うて嵯峨の清涼寺に七日参籠のことがあった。
法を求むるの一事を祈る為であった。
この寺の本尊、釈迦善逝は三国伝来の霊像である。

358:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 04:58:44.81 RftdZQuXp.net
>>296
うん。
荒らしは徹底放置して下さい。
放置しといてくれたら、あとはオイラが埋めるだけだ。
法然は如何なる大巻の文と雖も三遍それを見ると明かになる。
諸教の義理をあきらめ、八宗の大意を窺い得てそれぞれの宗派宗派の先達に会って自分の解釈を述べて見ると何れもそれを印可して、賞美しないものはなかった。

359:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 05:01:39.40 RftdZQuXp.net
>>297
荒らしは徹底放置しよう。
荒らしに構う貴方も荒らし。
清涼寺の七日の参籠を済せて、それから南都へ下り、法相宗の碩学蔵俊僧都の処に至って普通の修業者の通りに御対面を申出で、大床にいた処を蔵俊僧都が何と思ったか明り障子をあけて内へ招き入れて対面し、法談に時を移した。
宗義に就て不審を挙げられると僧都にも返答の出来ないようなことがあった。
それを法然が試みに自分独学の推義を述べてみると僧都が舌を巻いて、
「お前さんはただ人ではない。恐らくは大権化の現われでござろう。昔の論主に会ったからとてもこれ程のことはあるまいと覚える。智恵深遠なること言葉にも云い尽せない」といって一生の間毎年法然に供養をしたということである。

360:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 05:05:23.56 RftdZQuXp.net
>>298
オイラが発達障害者であることを知ってる人は、今の土地にはいないよ。
なのにどうして障害を口実にできるかな。
醍醐に三論宗の先達で権律師寛雅という人があった。
そこへ法然が訪ねて行って、自分の所存を述べて見ると、律師は総て物を云わないで聴いていたが、やがて内に立ち入って、文櫃十余合を取り出して法然の前に置き、
「ああ、わしが法門にはこれをつけてやるに足る人がない。それだのに君は既にこの法門に達している。これは自分の秘蔵の書物だが尽く君に奉る」といった。
称美讃歎の程が思いやられる。
進士入道阿性房等の人々が一緒に行ったが、このことを見聞して驚いて了った。

361:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 05:06:13.44 RftdZQuXp.net
んではそろそろ出かけるね。
おぢさん、また遊ぼうね(*^_^*)

362:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 07:42:32.62 qEsaemCLK.net
>>353
>オイラが発達障害者であることを知ってる人は、今の土地にはいないよ

自分でそう思ってるだけだろ
今の土地でも辟易してる人達が少なくないだろう
道理の通じない困った奴だと思ってるはずだよ
グロについてはどう考えてるんだ?今の土地では発達障害と思われてないと言うなら、ちゃんと答えろよ

363:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 07:49:22.24 qEsaemCLK.net
あと、お寺で反対に「お布施」されてることについても答えてね
何でずっと答えないで逃げてるんだ?
健常者として働けてるなら普通に収入があるんだから、「お布施」されてるだけじゃ駄目なはずだが?
それとも阿弥陀仏の教えは、「他人から貰うだけで良い、他人に与える必要はない」ということ?

364:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 08:32:46.48 hQr4jAFx0.net
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365:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 16:38:32.25 Eqh8D+7Up.net
ただいま。
久しぶりの青空。
お布団干して出かければ良かったなあ。
>>299
「この程度」ってことはない。酷いよ。
他所ではもっと酷いことをしてるから構わないなんて、言い訳にもならない。
んでは続き。
又仁和寺に華厳宗の名宗で大納言法橋慶雅という僧があった。
仁和寺の岡という処に住んでいたから、岡の法橋ともいわれていた。
醍醐にも通っていたのか醍醐の法橋ともいわれていた。
この人は法然の弟子阿性房が知っていた処から法然は華厳宗の不審を尋ね問わんとして阿性房を引き連れて訪問した処が、法橋がまず無雑作に云いだすことには、
「弘法大師の十住心は華厳宗によって作ったものである。このことを御室に申した処それは面白い議論�


366:ナある。 早くもう少し研究して見るがよいと仰せられたから今考えている処だが」といわれた。  初対面のことではあったけれども、どうも腑に落ちない。学問の習いで黙し難く法然はいった。



367:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 16:51:25.66 +ceFESXSp.net
>>300
うん。
おかげさまでオイラは至って元気だけど、友達の親父さんが病気になっちゃってね。
ご祈祷をお願いしたいけど、手許にあるお金が三百円しかないから、交通費片道ぶんしか無いって嘆いてた。
だから、お家から拝めば仏様には聞こえるよって言った。
今朝お寺でオイラからもお願いした。
どうしてあれは華厳宗によって作ったものでございましょう。
大日経の住心品の心を以て作られたものと思います。
第六の他縁大乗心は法相宗の意でございます。
第七の覚心不生心は三論宗でございます。
第八の一道無為心は天台宗でございます。
第九の極無自性心は華厳宗でございます。
第十の秘密荘厳心は真言宗でございます」
と云って弘法大師の十住心論のはじめ異生羝羊心から終りの秘密荘厳心まで一々その偈を誦して道理を述べ、弘法大師の主意と自分の解釈のしようを細かに申し述べると、
法橋がそれを聴いて、縁にいた阿性房を呼んで、
「どうだ、お前これを聞いたか。この様に心得ていて往生が出来ないということがあるものか。俺はこの華厳宗を相承しているけれどもこれ程分明に判ってはいなかった。
他宗の者から聴かされた智恵が、自宗で習い伝えた義理に立ち越えている」といって随喜感歎甚だしく、法談数刻の後、法然は特に乞うて華厳宗の血脉並に華厳宗の書籍などを渡された。

368:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 17:13:22.19 s08RZzTMp.net
>>301
御住職様はそういう物を一切受けようとなさらない。
「ご本尊様にお礼申し上げなさい」と言われるから、どうやって御礼したものかお尋ねしたら
「簡単なことです。本堂にお参りして、ご本尊様に御礼申し上げれば良いのです」と。
本当にそれだけで良いのかと重ねてきいたら
「あなたねえ、ご自分の身の丈を考えてものを言いなさい」
と、笑われてしまったよ。
だから、お金では買えない、オイラだけのものをお供えしている。
それが何かはここには書かない。オイラの大事。
御住職様が金品を受け取りたがらないのは、オイラからだけではなくて、信徒だれに対しても変わらない。
毎年、お寺が本山に納める課金を、御住職様がご自分のポケットマネーから払っていらっしゃるので、
役員さんが気の毒がって、信徒から寄付を集めたことがあった。
でも、御住職様はそのことを知って激怒なさったよ。
結局、集めたお金は各人に返された。
この法橋は最後には、法然上人を招請して戒を受け二字を奉り、戒の布施には円宗分類という二十余巻の文を取り出して、
「慶雅はこの外には持っているものはない。上人に外の物を差しあげても仕方がないと思うから」
 といって黒谷へ送り届けた。

369:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 17:15:42.83 cCAF8V5Bp.net
>>301
御住職様にお礼しようとしても、一切受けようとなさらない。
「ご本尊様にお礼なさい」と言われるから、どうやって御礼したものかお尋ねしたら
「簡単なことです。本堂にお参りして、ご本尊様に御礼申し上げれば良いのです」と。
本当にそれだけで良いのかと重ねてきいたら
「あなたねえ、ご自分の身の丈を考えてものを言いなさい」
と、笑われてしまったよ。
だから、お金では買えない、オイラだけのものをお供えしている。
それが何かはここには書かない。オイラの大事。
御住職様が金品を受け取りたがらないのは、オイラからだけではなくて、信徒だれに対しても変わらない。
毎年、お寺が本山に納める課金を、御住職様がご自分のポケットマネーから払っていらっしゃるので、
役員さんが気の毒がって、信徒から寄付を集めたことがあった。
でも、御住職様はそのことを知って激怒なさったよ。
結局、集めたお金は各人に返された。
この法橋は最後には、法然上人を招請して戒を受け二字を奉り、戒の布施には円宗分類という二十余巻の文を取り出して、
「慶雅はこの外には持っているものはない。上人に外の物を差しあげても仕方がないと思うから」
 といって黒谷へ送り届けた。

370:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 17:21:14.11 dPgZas/kp.net
>>302
浄土教批判は、も少しお勉強してからにしてね。
中里介山おすすめよ。
法然がその時云うよう、
「学問の妙理というものはこの通り帰すべきことには帰するものである。この法橋は華厳宗にとってはよき名匠であって、弁暁法印もこの慶雅法橋のお弟子であるのに」と云われた。

371:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 17:24:47.05 dPgZas/kp.net
>>303
逃げてなんかいないよ。
オイラの世界には、2ちゃんねるだけじゃなくて、他にもっと色んなことあるの。
法然上人が諸宗に通達しているということが、人口に普ねくなった上右の慶雅法橋が御室(鳥羽院第五の皇子覚性法親王)の御前で、
「拙僧も自門他門多くの学生達に会いましたけれども、この法然房のように物を申す僧には会ったことがござりませぬ」と称美したのを聞かれて御室から法然を招かれ、
「天台宗に就て学びたいことがある」と仰せられたが、法然はそれを辞退して、
「天台宗は昔は型の如く伝受いたしましたけれども、今はただ念仏になって天台宗は廃学いたしました。山門には澄憲、三井には道顕などの名匠が居りますから、あの人達をお召しになってお聴き遊ばすが如何かと存じまする」と申し上げると、
「それ等はみんな最早聴いている処であるから辞退の申訳にはならぬ」と重ねて頻しきりに仰せがあったけれども、法然は尚堅く辞退する。

372:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 17:27:11.96 dPgZas/kp.net
>>304
発達障害者のことも、も少し勉強してから批判してね。
「左様ならば念仏のことを学問したい。その序に少々談義をしたいこともある」と仰せられたけれども、自然に延び延びになって月日を送られていたが、後白河法皇御最期の時、法然が御善知識に召されて参った時に御室も御参会があって、その時に又右の話が出て、
「こうして在京の間に望みを叶えて貰えまいか」と云われた。
 法然は、
「斯様な折は物事忙わしくもあり、又お召の時も御座りましょうから、中間でまとまりのないことを申上げるも不本意でござりまする故そのうち静かに参上仕りましょう」とてそのついでも空しく止んで了った。
その後幾ばくもなくて御室もお亡くなりになり、終にその望みは遂げられずに了ったが、斯くばかり懇切に志を尽されたのも法然が諸宗に達していたという為であった。

373:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 17:27:59.08 dPgZas/kp.net
んでは、またね。

374:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:05:17.14 gUjRilmwK.net
おいこら、発達障害者!
お前が擁護してる聖染が暴力団と密接交際していて極楽さんからも見離された件についてはどうなんだよ?

375:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:24:54.47 MlYWi6X5p.net
ただいま。
トマトを糠漬けにすると意外に美味しいねえ。
>>305
他所のスレにおぢさんが雪崩れ込んだら、元からいる住人さんたちが可哀想だ。
さて、また法然行伝つづき。
法然の言葉に、
「学問というものは創見ということが極めて大事である。師匠の説を伝習するのは容易いことである。
そこでわしは諸宗を学ぶのに諸宗自らの章疏を見て心得た」ということを云っている。
詰まり法然のはその道のその時代の学者に就て習い覚えた学問ではなくて、その学者を超越してもっと溯った源頭から自から読み得た処の学問であった。

376:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:28:13.31 zeYHy2P2p.net
>>310
うん。
オイラが削除申請したんだが、この板は運営に見放されたから、削除してもらえないと、大爆笑というコテハンさんに言われたよ。
そこでその宗、その道の権威者に会うても更に恐るる処がなく、名目だけは彼等から聴き伝えても、その義理会解はこちらが遙に優れた処にいる。
戒律の中川少将上人、法相宗の蔵俊、師の慈眼房皆一代のその道の権威者であったけれども、後進の法然に舌を巻いたのはその故であった。
俗に云えば法然程よく諸宗を見破っている者はなく、法然程公平に諸宗を判釈し得る者はなかったのである。

377:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:30:55.66 q8GR04XUp.net
>>311
dat落ちでも良いや。
このスレが往生してくれればおk
法然が弘法大師の十住心論を難じていた時のこと、それは源平の乱より先き嵯峨に住んでいた時分のことであった。
或夜こんな夢を見たことがある。

378:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:35:03.67 5+sdZXRZp.net
>>312
ほら、おぢさんが怒ってるよ(*^_^*)
法然が用事あって、他行しているそのあとへ弘法大師から使があったという。
そこで法然が心に思うには、これはわしが内々十住心論に就て難じていたことが聞えたのであるよな、と思って、そうしてやがて大師の処へ出かけて行くと、五間ばかりなる家の板敷もなく距てもなく、ただうちには西方を塗り廻らした壁の入口も何もない処がある。
大師はこの中においでなさるのだなと思ってまず外でコワヅクロイをして見るとその壁の中から「こなたへ」という声がする。
その声について入って壁の内を見ると更にその戸というものがなくて壁の崩れたところのみがある。
その崩れからくぐり入ると壁の際に居られた大師と胸を合せて抱きあわれて了った。
大師の顔が法然の左の肩に置かれて、そうして前々に難破することを一々会釈して居られる。
なお重ねて何か云おうとするうちに夢が醒めた。

379:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:39:25.77 GvdYtHELp.net
>>313
そだよ。
人様の悪口は止めて、それぞれの信仰に帰ろうよ。
それを後に考えて見ると自分の非難をしたことが皆大師のお心に叶ったものと覚える。
ひしと抱き合ったということが大師のお心に叶ったと見えるのである。
よくもお前は非難してくれたと、大師が思召されたから夢にもあの通り会釈されたのだ。
すべて学問というものは後学恐るべしといって、学生という者は学問にかけては必ずしも先達であるからということはないのである。
釈迦如来の滅後五百年に五百の羅漢が集って婆沙論を作ったのに、九百年に世親が出でて倶舎論を作って先きのそれを破って了った。
義の是非を論ずる場合にはあながち上古にも恐るまじきものであるぞといわれた。

380:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:43:27.33 GvdYtHELp.net
>>321
なんでオイラごときに寺社板住人がおびえなきゃならないんだよ(*^_^*)
法然は元天台の真言を習っていた。
これは叡山に修学の当然であるが、中川の阿闍梨実範が深く法然の法器に感じて許可灌頂を授け一宗の大事を残りなく伝えられた。
 この実範という聖は東寺の流れで当時の正統を継ぐ真言の師範である。

381:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:45:55.10 GvdYtHELp.net
>>325
もう蛍の季節は終わったよ。
そろそろヒグラシだね。
このようにして法然は智恵第一の誉が一代に聞えた。
実際当時日本に渡っていた聖教伝記の類を目に当てないものは一つもなかったといってよろしかろう。
天台は固よりのこと他宗の総てに亙って一代の宗となる程の学力を有していた。
禅の宗旨を論じた自筆の書物も存していたということである。

382:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:48:38.83 GvdYtHELp.net
>>326
全然あまやかされてないよ。
おぢさんに罵倒されてばかりだ(*^_^*)
まあ、それでもいっこうに構わないけど。
法然が或時月輪殿ので叡山の一僧と参り合せたことがあった。
その僧が、
「あなたが浄土宗をお立てになったのは何れの文に依ったのでございますか」と尋ねた時法然は、
「善導大師の疏の附属の文によりました」と答えた。
山の僧が重ねて、
「苟しくも一宗義を立つる程のことに、ただそれだけの一文に依るべきものですか」と詰問した。
法然は微笑して何とも云わなかった。

383:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 22:57:51.89 GvdYtHELp.net
>>327
オイラが障害者の特権を振りかざしてお寺で御飯頂いてると思った?
おあいにく様。違うよ。お参りした人、みんな御飯頂けるよ。
前に御住職の奥様にきいたけど、奥様がお嫁にいらした時には既にそういう習慣だったそうだよ。
羨ましがってないで、おぢさんもお参りにおいでよ。
その僧が叡山に帰ってから山の宝地房法印証真にこの事を話して、
「法然房も返答をしなかった」というと、宝地房が云うのに、
「法然房の物を云われなかったのは、云うに足らずと思ったからである。彼の人は天台宗の達者である上に剰え諸宗に亙ってあまねく修学して智恵の深遠なること常の人に越えている。返答が出来ないで物を云わないのだと思うようなことではならぬ」といわれた。

384:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 23:01:22.09 GvdYtHELp.net
>>328
うん。
ネットで語られる発達障害者のイメージって、実際とはかけ離れてる。
この法印は叡山に於て非常な学者で、一切経を繙き読むこと五返であったけれども恵心僧都が矢張り五返読んでいるという前例を憚かって三返だといった程で、
時の地蔵菩薩の化身と称していたこの法印が上人を智恵深遠と崇めていたのはよく法然を知る者と云うべく、他の人の賞美よりも意味が深いのである。

385:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 23:05:58.75 GvdYtHELp.net
>>329
うん。
日本の犯罪者の大半は日本人だし、新興宗教の信者じゃないし、新平民じゃないし、発達障害者でもない。
だけどそんなことは通常、語られない。
法然が老後に竹林房静厳法印の弟子が天台の法門を尋ねた。
法然は、
「わしは近頃は老耄の上に念仏一方で、久しく聖教を見ないが」といってそれでも後進の為に委しく天台の深奥を説き聴かせたが、その文理の明なること、当時の学者よりも秀れていた。
どうしてもただ人ではないと感じ入ったことがある。
その頃山門に学者林の如く幾多の明匠もあったのを差置いて隠遁の法然に宗の大事を尋ねに来たことによってもその達している程が推し計られる。

386:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 23:11:11.24 GvdYtHELp.net
>>330
うん。
2ちゃんねるばかりがオイラの趣味じゃないから、というのも理由なんだけど、
ぬこブラウザがしばらく調子悪かったから、専ブラ介さないで書いてて、ちょっと手間だった。
ぬこ復帰したから、これでまたペース上げられると良いな(*^_^*)
法然が語って云うよう、
「わしは聖教を見ない日とてはない。木曾の冠者が都へ乱入した時だけ只一日聖教を見なかった」
それ程の法然も後には念仏の暇を惜んで称名の外には何事もしなかったということである。

387:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/22 23:11:57.71 GvdYtHELp.net
んでは今日はここまで。
おぢさん、お休みなさい。

388:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 00:08:59.28 tn/iRUN5K.net
>>375
あなたの書き込みを見てるとそう感じられるのでね
ご住職はどうやってお金稼いでるんですかね?たまたまお金に困ってないだけでしょ
あなたの発達障害の頭と心でも、よく考えて下さい
ご住職はどうやってお金稼いでいるんですか?
貧乏寺ならどうなんですか?
あなたがたまたまお布施しないで済むこととは 重ならないんだよ

389:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 00:13:38.45 tn/iRUN5K.net
>>377
>うん日本の犯罪者の大半は日本人だし、新興宗教の信者じゃないし、新平民じゃないし、発達障害者でもない。
だけどそんなことは通常、語られない。 ↑
何で貴男がそんなこと断定するんだ?
断定する理由を言って下さい
日本人?貴男は調べる?そこまで断定するなら証拠出してね

390:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 00:31:24.51 M1GHYsMl0.net
思い込みでレスしていただけかよ。

391:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 00:42:21.16 J0dsuDTgK.net
極楽氏ですら善導はもう無理だと言って匙を投げた暴力団密接交際者(聖染)を擁護するために
住人が多数いるスレを埋め潰す荒らし行為はどれだけ罪障をつくっているか自覚してる?

392:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 11:02:13.47 Xd6EiLFt0.net
誘導します
天部信仰スレの本スレ
スレリンク(kyoto板)
神社仏閣板 自治スレッド より
スレリンク(kyoto板:17番)

393:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 12:20:46.11 rbaD2NV4p.net
今日も太陽ピカピカだね(*^_^*)
>>343
言わないからって、やってないと決めつけないほうが良いよ、おぢさん。
さて。法然行伝つづきね。
法然はこれ程の学者であり天才であったけれども、学問と才気が到底自分の心身を救うことは出来なかった。
名聞利養が如何ばかり向上するとても解脱、出離の道を示してはくれない。
学問が深くなり、名誉が高くなるにつれて、彼の心の煩悶は増して来た。

394:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 12:48:06.15 rbaD2NV4p.net
>>344
オイラは美輪信者ではないから、美輪教の教義についてはノーコメントね。
それから、極楽おじさんの功徳を減らさないため、とかいうの、仏教よりも道教や神仙道寄りのお話だよね。
まあ、日本仏教自体に、中国思想が大量混入されてるから、それをどうこう言う積もりは、オイラには無いんだけど、メリットデメリットの計算づくで動くのって、オイラあんまり好きじゃないから(*^_^*)
一切経を開いてその道を求めんと繰返し読むこと五返、釈迦の一代教迹の中に己の心の落ちつき場と、踏み行くべき足跡を見つけようとしたが、つらつら思い見れば見る程、彼も難くこれも難い。
そのうちに恵心僧都の「往生要集」は専ら善導大師の釈義を以て指南としている。
そこで善導の釈義を辿たどって遂に、
一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節 久近念念不捨者 是名正定之業順彼仏願故
という文につき当って末世の凡夫は弥陀の名号を称することによって、阿弥陀仏の願いに乗じて確かに往生を得るのだという確信に至り着いた。
そこで立処に余行を捨てて一向念仏に帰したのである。
これぞ承安五年の春、法然四十三歳の時。
いよいよだなあ。楽しみ楽しみ(*^_^*)

395:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 12:50:42.00 tn/iRUN5K.net
>>385
オイラ氏には他者への親切心が見られないのでね、だからやってないと思うよ
さて好風氏の板にグロ嬢が戻ったようだが、ということは極楽氏の命令を聞くつもりはないという意志表示なんだろうね
オイラ氏は、グロ嬢ならびに好風氏、そしてこのスレ住人たちのために何か親切なことするつもりはないの?

396:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 12:54:14.65 rbaD2NV4p.net
>>345
死後は如来様にお任せする。
それ以上でもそれ以下でもない。
或時法然が、「往生の業には称名に過ぎた行いはありませぬ」といわれたのを師の慈眼房が、
「いやいや称名よりは観仏が勝れている」といわれた。法然は押し返して、
「称名は弥陀の本願の行でございますからそれが勝れて居ります」という。
師の慈眼房はなお承知しない。
「わしが師匠良忍上人も観仏が勝れているということをいわれたのだ」といった処が、
「良忍上人も先きにお生れになったからです」と法然が云ったので、師の慈眼房はその不遜に腹を立てた、法然は押し返して、
「されば善導和尚も、上来雖説定散両門之益望仏本願意在衆生一向専称弥陀仏名と釈をなさいました。称名が勝れているということは明かでございまする。聖教をばよくよく御覧になりませんで」といった。

397:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:00:52.20 tn/iRUN5K.net
>>386
>功徳を減らさないため、とかいうの、仏教よりも道教や神仙道寄りのお話だよね

は?仏教の教義知らないんだね
それでよく偉そうに書くよ

398:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:03:37.16 rbaD2NV4p.net
>>346
極楽おじさんは聖ちゃんを捨ててないよ。
ちゃんと、ヤクザ者とは手を切り、明王様におすがりしなさいと指導してるじゃないか。
ほんとに見捨てるつもりなら、何もレスせずにアク禁すれば済むことだからね。
法然は一向専修の身となったので、叡山を立ち出でて西山の広谷という処に居を移したが、やがて間もなく東山吉水の辺に静かな地所があったものだから、広谷の庵をそこへ移して住み、訪ねて来るものがあれば、布教をし、念仏を進められた。
そこで日々に信者が集って念仏に帰する者が雲霞の如く群って来る。これが浄土法門念仏の発祥地であった。
その後加茂の川原や、小松殿、勝尾寺、大谷など、その住所は改まるとも勧化怠りなく遂に末法相応浄土念仏が四海のうちに溢るるに至った。

399:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:06:34.61 rbaD2NV4p.net
>>347
なんか、遁走とか、笑っちゃうんだけど(*^_^*)
東山大谷は法然上人往生の地である。その跡というのは東西三丈余、南北十丈ばかり、その中に立てられた坊舎であるから、その構えの程も大抵想像がつく。如何に質素倹約のものであったか思いやられて尊い。
今の御影堂の跡がそれである。

400:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:08:53.24 rbaD2NV4p.net
>>348
おぢさん、オイラここにいるよ(*^_^*)
法然が或時云う。
「わしは大唐の善導和尚の教えに従い本朝の一心の先徳のすすめに任せ、称名念仏の務め長日六万遍である。死期漸く近づくによって又一万遍を加えて、長日七万遍の行者である」といわれた。
 法然が、仏七万遍になってから後は昼夜念仏の外に余事を交ゆるということなく、何か人が来て法門の話でもする時にはそれを聞く為か、念仏の声が少し低くなるだけのことで一向に念仏を差置くということはなかった。

401:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:10:29.28 rbaD2NV4p.net
オイラが来ないとおぢさん荒れるね。
寂しいんだね。
また来るから、泣かないでね(*^_^*)
バイバイ(^-^)/

402:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 13:40:16.25 94fn7Q6u0.net
>>390でオイラ氏も書いているように極楽板の住人はまだ見捨ててはいない上に
それどころか過去も現在も常に善導すべく尽力を尽くしてきている。
しかしこのスレでは極楽板住人も射程対象と>>1に明記してしまっているあたりが非常に香ばしい

403:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:27:30.12 uVpXgj2pp.net
>>355
そりゃ、いろんな人いるからね。
中には困った奴と思ってる人はいるのかもしれない。
他人の心のなかまで覗けないからね。
けど、子供たちはオイラを見つけると喜んでかじりついてく


404:るなあ。 オイラも子供大好き(*^_^*) 法然が或時語って云う。 「われ浄土宗を立つる心は凡夫の報土に生るることを示さんが為である。他の宗旨によってはその事が許されないから、善導の釈義によって浄土宗を立てたのである。全く勝他の為ではない」  法然が又或時播磨の信寂房というのに向って、 「ここに宣旨が二つ下ったとして、それを役人が取り違えて鎮西へ遣わさるべき宣旨を坂東へ下し、坂東へ遣わさるべき宣旨を鎮西へ下すことになった時は、受けた人がそれに従い用うることが出来ますか」  と尋ねた処、信寂房が暫く思案して、 「それは畏れ多い宣旨とは申せ、取り替えられたものはどうも従い用い奉ることは出来ますまい」  といわれた。そこで法然が、 「如何にも御房は道理を知れるお人である。帝王の宣旨を釈迦の遺教とし、宣旨が二つあるとすれば、釈迦の教えにも正像末の格別があるようなものである。 聖道門の修業は正像の時の教えであるが故に上根上智のものでなければ称することは出来ない。これを仮りに西国への宣旨とする。 浄土門の修業は末法濁乱の時の教えであるから、下根下智の輩を器とする。これを奥州への宣旨とする。それを取り違えてはならない。 大原談義の時聖道浄土の議論があったが、法門に就ては互角の議論であったが、気根比べにはわしが勝ったのじゃ。聖道門は深いというけれども時が過ぎれば今の機にはかなわない。 浄土門は浅いようではあるけれども当根に叶い易いと云った時、末法万年余経悉滅弥陀一教利物偏増の道理に折れて人々が皆心服したのだ」と。



405:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:38:29.06 uVpXgj2pp.net
>>356
うん。無い袖は振れないからね。
オイラのお給料では、税金や社会保険料を納めて家賃払うと、正直あんまり残らない。
自分の自由になるお金は、オイラより生活保護の人のほうがずうっと多いと思う。
だから、高額なお布施は出来ないよ。
でもって、代わりに何をしてるかについては前に書いたから繰り返さない。
支那でも浄土の法門を述べる人師は多いけれども、法然は唐宋二代の高僧伝の中から曇鸞、道綽、善導、懐感、少康の五師を抜き出でて一宗の相承をたてた。
その後俊乗坊重源が、入唐の時法然が云うのに、
「唐土に右の五祖の影像があるに相違ない。必ずこれを持っておいでなさい」
 そこで重源が彼の地へ渡った後あまねく探し求めると、果して法然の云うた通り右の五僧一幅に描いた画像を見つけることが出来て重源は法然の鑑識の透徹していることに感心したそうである。
この重源将来の画像はその後二尊院の経蔵に安置せられていた。

406:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:43:23.33 bGOPx5Irp.net
>>357
擬似科学だなあ。
いい加減に血液型信仰は止めようよ。
法然が黒谷で華厳経の講義をしていた時に青い小さい蛇が机の上にいた。
それを居合せた法蓮房信空に向って、
「この蛇を取ってお捨てなさい」と法然が云えば法蓮房は生来非常の蛇嫌いの人であったけれども師命背き難く、こわごわその蛇を捕え、明り障子を開き塵取りに入れて投げ捨て障子をたててさて帰って見ると蛇が尚元の処にいた。
それを見るとからだ中から汗が出てわなわな顫え上った。法然がそれを見て、
「なぜ取り捨てないのか」と叱る。法蓮房は今あった儘を然々と答えると、法然は黙って何も云わなかった。
その夜法蓮房の夢に、「大竜が形を現わして、われは華厳経を守護する処の竜神である。恐るるな」と云うと思って夢が醒めたということである。

407:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 19:58:56.77 HL8MFepYp.net
>>366
まあ、オイラ的には、ヤクザ者かカタギの者か�


408:ニ言う以前に、 別に本命がいるのに、身内でもない異性と、そこまで親密になれるもんなのか、極めて疑問だなあ。 実は、聖ちゃんは看護師さんで、いま入院してる患者さんの背中に絵が描いてあってビックリしてます、とかいうオチだったりして(*^_^*) この類の奇瑞がまだ沢山ある。 上西門院は深く法然に帰依していたが、或時法然を請じて七カ日の間説戒があったが、円戒の奥旨を述べていると一つの蛇がカラガキの上に七日の間じっとして聴聞の様子に見えた。 見る人があやしがっているうちに結願の日になるとその蛇が死んで了ったが、蛇の頭の中から一つの蝶が出て空に昇ると見た人もあり、天人の形で昇ると見た人もある。



409:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:08:33.63 mk+fNlm9p.net
>>380
>ご住職はどうやってお金稼いでるんですかね?
うわ、いくら2chとはいえ下衆なこと書くなあ。しかも二度も。
又法然が叡山の黒谷で法華三昧を行っていた時普賢菩薩が白象に乗って眼のあたり道場に現われたこともあれば、山王の影が形を現わしたこともあったという。
或時は蓮華が現われ、或時は羯磨が現われ、或時は宝珠が現われるといったような奇瑞。
善導大師に就ては殊に傾倒が深かったと見え、紫雲棚引く曠野世界の中に、善導大師と対面なしたという夢を見たが、醒めて後、乗台という画工に夢に見た処を描かせた。
それが世間に流布して「夢の善導」という図になっているが、その面像は後に支那から渡った処のものに違わなかったということである。
生年六十六歳、建久九年正月七日別時念仏の間には特に様々の異相奇瑞が現われたということが、自筆の「三昧発得記」というものに見えているということである。

410:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:10:30.92 kiGdxLPGp.net
オイラ気分悪いの(ーー;)

411:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:13:32.13 tn/iRUN5K.net
>>396
高額なお布施をすべきなんて言ってないから、ちゃんと読んでね
お寺でご飯ご馳走になったなら、三百円くらいお賽銭入れたら?と言うことだよ一円じゃなくて(ご飯の中身によっては百円か二百円で充分かも)
オイラ氏の書き込みには他人への親切心とか施しとかが感じられないんだよ
好風氏の板にグロ嬢が戻ったから、極楽氏の板に帰るようにアドバイスしてやったら?
極楽板に戻るのが、グロ嬢本人にも好風氏にも、良いことだと思うよ
もしヤクザの男との縁を切らないなら、ヤクザが集まる板に行くのが相応しいよね

412:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:22:52.32 vsDu2yA9p.net
>>381
そういう貴方は何でオイラを男と断定する?
証拠出してね(*^_^*)
法然が三昧発得の後は暗夜にともし火がなくても眼から光を放って聖教を開いて読んだり室の内外を見たりした。
法蓮房も眼のあたりそれを見、隆寛律師などもそのことを信仰していた。
或時ともし火の時分に法然が、長閑にお経を見ているようであったから、正信房がまだ燈も差上げなかったのに、とそっと座敷を窺うと左右の眼の隈から光を放って文の表を照して見て居られたが、その光の明かなること、燈火にも過ぎていた。
余りの尊さに斯様な内証は秘密にして置いた方がよいと抜き足して出て来たそうである。

413:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:31:15.59 Pk+98uGpp.net
>>382
おぢさんは思い込みが得意だからね。
おぢさんの想像が、おぢさんにとっての事実らしい。
又或時夜更けに法然が念仏をするその声が勇猛であったから、御老体を痛わしく尊く思って正信房が若しも御用もやと、やり戸を引き開けて見ると、法然の身体から赫奕と光が現われ、坐っている畳二畳に一杯になっている。
その明かなることは夕暮の山を望んで夕陽を見るようで、身の毛もよだつばかりに立ちすくんで了った。
法然が、
「誰れじゃ」と問われたから、
「湛空」と答えると、
「皆の者をも斯様にしてやりたいものだ」といわれたそうである。

414:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:45:49.46 QJsDQbs2p.net
>>383
匙投げてないって。極楽おじさんはちゃんと、何をしたら良いか聖ちゃんに教えてるじゃん。
或時法然が念仏していると勢至菩薩が現われたことがある。
その丈一丈余り、画工に云いつけてその相を写し留められたことがある。
又或時草庵を立ち出でて帰って来ると絵像でもなく、木像でもない弥陀の三尊が垣を離れ、板敷にも天井にもつかずして居られたが、その後はこう云う姿を拝むのが常のことであったという。

415:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:48:14.74 QJsDQbs2p.net
>>384
おぢさんが他のスレに行くと、そこの人に迷惑だから誘導は止めてよ。
元久二年正月一日から霊山寺で三七日の別時念仏を始めた時も、燈火が無くて光りがあった。
第五夜になって行道すると勢至菩薩が同じ列に立ち入って行道した。
は法蓮房は夢の如くにそれを見たが、法然にその事を云うと、
「そういうこともあろう」と答えられた。余の人には見えなかったという。

416:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:49:31.19 tn/iRUN5K.net
>>402
貴男と変換が出たからそのまま打った
貴女が女性でも全然構いませんよ、オイラ嬢

417:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:52:18.45 QJsDQbs2p.net
>>387
うん。
このスレがあるとおぢさんが悪さするから、埋めてるんだよ。
同じ年の四月五日に法然が月輪殿に参って数刻法談をして帰る時、兼実が崩れるように庭の上に降りて法然を礼拝し、額を地につけてやや久しくあったが、やがて起き直り、涙にむせびながら云われるには、
「上人が只今土を離れて虚空に蓮華を踏んでお歩きになり、うしろに頭光が現われておいでになったのを見なかったか」と。
 右京権大夫入道と中納言阿闍梨尋玄の二人が御前に居たけれども、それを見なかったということである。
池の橋を渡る時に、頭光が現われたので、その橋を頭光の橋と称ぶことになったそうである。

418:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:53:58.01 tn/iRUN5K.net
>>405
>おぢさんが他のスレに行くと、そこの人に迷惑だから誘導は止めてよ

そうだよね、このスレにはダキニ天の信者さん達もいるし、明王信者さんもいるから、聖天スレだけじゃ収まらないよね

419:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:54:47.42 QJsDQbs2p.net
>>389
うん。
オイラ、最初から言ってるけど仏教は素人だよ。
おぢさんは詳しいみたいだね。
どのお経のどこに書かれてあることか教えてよ。
又或人が法然から念珠を貰って夜昼名号を唱えていたが、或時フト竹釘に懸けて置くとその一家が照り赫やいていた。
その光をただして見ると法然から貰った念珠から出た光で、その珠毎に歴々と光を放ち暗夜に星を見る如くであったという。

420:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 20:59:19.48 J0dsuDTgK.net
「オイラ」よ、聖染の本性がわかっただろ?
意固地にならずに、こんな愚かな荒らしはもうやめなさい。
聖染や好風と共に地獄に落ちたいのか。

421:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:00:52.22 tn/iRUN5K.net
>>409
詳しくはないけど、ジャータカには沢山書かれてたと記憶してる

422:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:07:59.87 nYkvM+7ep.net
>>394
うん。見捨ててない。
さすが極楽板と呼ばれるだけあって、阿弥陀様のような住人さんだ。
法然の弟子の勝法房というのは、画を描くことが上手であったが、或時法然の真影を描いてその銘を所望した処が、法然がそれを見て、鏡を二面左右の手にもち、水鏡を前に置いて頂の前後を見比べていたが、ここが違うといって胡粉を塗って直し、
「これで似たぞよ」といって勝法房に与えられた。
銘のことは何とも云われなかったが、勝法房が後日また参って所望を申出でた時法然は自分の前にあった紙に、
我本因地  以二念仏心一  入二無生忍一
今於二此界一  摂二念仏人一  帰二於浄土一
    十二月十一日
源空
   勝法御房
と書いて授けられたから、これを前の真影に押して敬い掲げた。
これは首楞厳経の勢至の円通の文である。

423:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:11:25.17 nYkvM+7ep.net
>>401
そうやって御飯の対価を支払うなら、お布施じゃないよ。
購入だよ。
又或人が法然の真影を写して銘を頼んだ時もこの文を書いてやったことがある。
又讃州生福寺に止まって居られた時は勢至菩薩の像を自作して、法然本地身。大勢至菩薩。為レ度二衆生一故。顕二置此道場一。と記されたそうである。

424:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:13:09.13 fNTTQD5H0.net
>>413
購入?
お前、日本人?
語彙力やばいな…

425:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:13:38.68 nYkvM+7ep.net
>>406
そか。でも「オイラ嬢」は気持ち悪いな。
法然が勢至菩薩の応現であるということはその幼名によっても思い合される処であって、自分もまた何か感応する処があったものと見える。

426:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:16:33.28 nYkvM+7ep.net
>>408
違うよ。
誘導先が他板のコテハン叩きするスレじゃないからだよ。
かく法然自身に様々の奇瑞が現われたという伝説があると同時に、法然を信ずる者の側にも様々の感得夢想が現われたということも甚だ多い。
或人は法然が蓮華の中で念仏をしていると見た。
或人は天童が法然を囲って管絃遊戯していると見た。
或者は又洛中はみんな戦争の巷であるのに法然の住所だけがひとり無為安全であるのを見た。
或者は又嵯峨の釈迦如来が法然の道を信ぜよとお告げがあったのを見た。
この類の奇瑞、信仰数うるに絶えざるものあるも無理がない。

427:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:18:14.87 nYkvM+7ep.net
>>410
少なくとも、おぢさんと一緒に地獄には行きたくないなあ。
かくして法然は、上は王公から、下は庶民に至るまで、その徳風が流溢して来た。
文治四年八月十四日のこと、後白河法皇が河東押小路の御所で御修経のことがあった。
その時の先達として法然上人が選ばれた。

428:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:19:59.61 fNTTQD5H0.net
ネチネチ一言文句入れながらチマチマと小出しに埋めやがって
スケールの小さい小者荒らしだな、この社会不適合者は。

429:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:21:06.03 tn/iRUN5K.net
>>417
じゃあオイラ嬢は、グロ嬢と好風青年となら一緒に地獄に落ちてもいいんだね

430:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:21:42.35 nYkvM+7ep.net
>>411
ありがと。
後で読んでみる。
まずその日集る処の御経衆には法皇をはじめとして、妙音院入道相国(師長公)、叡山からは良宴法印、行智律師、仙雲律師、覚兼阿闍梨、重円大徳という顔触れ、
三井の園城寺からは道顕僧都、真賢阿闍梨、玄修阿闍梨、円隆阿闍梨、円玄阿闍梨という顔触れ、それに法然上人とその門弟行賢大徳が参加するのだが、
山門寺門の歴々は慣例上是非ないことであるが、法然が特に召されてこの席に列なるということは非常なる特例である。

431:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:25:26.21 nYkvM+7ep.net
>>414
対価を支払ってその物を得るんだから、購入でしょ。
お布施というのは、見返りを求めない施しのことだよ。
ただその席に列ることでさえが非常なる特例であるが、この一座の上に立って先達を勤むるということは特に破天荒というべきである。
この時代のやかましい宗教界、名刹の上下でさえも焼き打ちが始まる宗教的確執、我慢の時に於て、何等の僧位僧官も無い平民僧の法然が、彼等の上に立って先達を勤むることが是認せられるということは殆んど想像以上の一大奇蹟と云わねばならぬ。

432:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:27:45.48 nYkvM+7ep.net
>>418
うん。
オイラは只の人。
けど、おぢさんも小さいなあ。
その以前今日の御催しの時に東寺へも御沙汰があって、東寺からも僧を召されるというような噂を伝え聞いて、天台側から抗議が出た。

433:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:29:51.43 nYkvM+7ep.net
>>419
だいじょぶ。
おぢさんと違って、落ちないから。
「こんどの御経衆に東寺の僧を召し出される風聞がございますが、そもそもこの御経衆は慈覚大師が初めてとり行われた法則でございます。
他門の僧を召さるることはよろしくござるまいと存じます」

434:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:31:15.26 nYkvM+7ep.net
やっと全部レスできた。
じゃあね、おぢさん、また遊ぼうね(*^_^*)

435:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 21:33:16.33 fNTTQD5H0.net
>>422
お前は只の人じゃねーよ
社会不適合が普通の人ぶるな
失礼だぞ

436:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 23:06:09.43 rJhbrFRlp.net
>>425
オイラはおぢさんと違って、普通に社会人生活を送っているんだけどなあ。
ところで、おぢさん、好風くんとこでIP晒されてたね。
ドコモじゃないほうがおぢさんだよね。検索かけちゃった(*^_^*)
仕事で行くこともある県なので、その折にはおぢさんに会ってみようかなあと一瞬だけ思ったけど、やっぱり止めにしとく(*^_^*)
東寺は弘法大師の真言宗である。
山門寺門の天台側からこの抗議があって見ると、仮令法皇の思召でもそれを押し切る訳には行かなかった。
処が法然が召されるという噂があったに就ても山門寺門では故障異議を申出でることがないのみか、「あの上人ならば仔細を申すことはない」との事であった。
そこで法然が召されて単に御経衆に列るだけではない、一座の先達を勤むることに誰一人異議がなかったのである。

437:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 23:20:42.86 J0dsuDTgK.net
相手が複数なのはわかっているくせに、住人の誰に向かっても「おぢさん」と呼ぶのは何故だ?

438:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/23 23:31:47.96 J0dsuDTgK.net
>>426
それこそが好風が狂っている証左じゃないか。
ちょっとでも聖染批判が書き込まれるといきなりヒステリックに発狂して
批判レスを即座に削除して批判者を敵視して規制し
あげくの果てにはIPまで晒すなんて
そこまでイカれたキチガイ管理人は普通はいないわな。
管理人が自分の意に沿う書き込みしか認めない独善的な体制は以前と何も変わってない。
だから魔窟と呼ばれて非難が絶えないんだよ。

439:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 20:48:22.61 tqBHsRTLp.net
それよりなによりヲイラは聖染とやーさん彼氏の恋愛成就を仏尊に祈願した方が
ここでチマチマ穴埋めやるより効果的だと思うがなぁ。
多分聖染は恋愛至上主義なのでネットそっちのけで彼氏にへばる分パソ覗く事すら無くなるだろうし、そうなるとここの役目も終わるしな。

440:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 21:36:57.53 UgfnuPaip.net
>>427
コテトリつけてくれれば、その名前で呼ぶけど?
固より法然は天台門から出た人ではあるが、今は自ら浄土の法門を開いた別宗の人の形になっている。
それが特に召されて第一座を占め、先達を勤むることになって不足の云いようがないということは前にも後にも例のない程の圧倒的な人格の力といわねばならぬ。
法然はこれを固く辞退したけれども勅定が頻りに降って辞するに由なくその勤めを行うことになった。

441:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 21:50:33.65 QNjzOAVxp.net
>>428
好風くんの対応が賢明だったとはオイラ言わないよ。
でも、昨夜みたいな煽られかたをされたら、平然としてられるほうが異常じゃないかなあ。
ところで、IP晒されると、なんか困ることあるの?
その時の席順は正面の東西に席を設けて東の第一座が法然上人、西の第一座が後白河法皇、法然の次が入道相国(太政大臣師長)それから叡山の良宴法印以下が各々その位によって列座したのである。
昔奈良朝の時、行基菩薩はあれ程の大徳であったけれども、世俗の法によって婆羅門僧正の下に着座をした。
この例によると叡山を代表して良宴法印が法然上人の上座に着くべきであるが、法皇の別勅によって法然上人が第一座に着かせられ、山門の代表者も甘んじてそれに席を譲ることになった。
太政大臣は固よりその次席である。
そこで法然は礼盤にのぼりて啓白、その式を行われたのである。

442:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 23:22:08.54 P3HsjzIL0.net
>>431
>ところで、IP晒されると、なんか困ることあるの?
私、投票所のID制導入スレで確認したけど
晒したIPアドレスと同じアドレスはなかった
投票にも参加してない人を「よその掲示板」と決めつけた
あの管理人にはもう関わらない

443:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/24 23:32:09.93 P3HsjzIL0.net
私は、もうこの件からは降りますので
好きにやってください

444:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 06:57:50.97 5VCnGCcDK.net
現在密接交際者であり、近い将来ヤクザ夫人となるであろうグロを、流石の好風も教祖様として板にお迎えする気にはならないようだ
何か事があれば好風も警察の監視対象になるしね
第一、教祖様がヤクザじゃシャレにならん罠

445:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 16:09:28.55 kiFeHO+v0.net
>>434
>流石の好風も教祖様として板にお迎えする気にはならないようだ
いやいや、たった1行のささやかなグロ聖染への皮肉レスに対してすら過剰反応して発狂して
即座にレス削除して書き込んだ人のIP晒して書き込み禁止規制した上で
さらに飽き足らずにプロバイダー�


446:ノ通報するという狂気の振る舞いを示してますけど。 極楽板を飛び出したグロを魔窟にひきとめるために形振り構わずの異常行動ですよ。



447:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 16:29:42.83 5VCnGCcDK.net
>>435
さすがに好風でもこのニュースを知ったと思うのだが
【社会】山口組のごみから猛毒フッ酸 ガス吸い作業員14人軽症 [転載禁止]c2ch.net
これでまた大勢捕まるだろうなあ。。。

448:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 19:57:16.45 WCkWFM8+0.net
なーーーんで、兵庫にいるのかなぁーーーーー

449:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:22:49.34 kiFeHO+v0.net
>>436
好風の狂気を甘くみちゃいけません。
ヤツは被害妄想に凝り固まった本物のガイキチですよ。

450:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:35:20.01 JMvPa/WQp.net
>>429
だけど、聖ちゃんが惚れてるのは件のイケメン御曹司なんだよね?
九月四日に観性法橋から進呈せられた御料紙をむかえらるる式がある。
これも法然が申し行われる。
同じき八日写経の水を迎えられること、同十三日御経奉納の式がある。
これ皆国家の大事と同じ様な行幸があり、儀式がある。
そのはなばなしい一代の盛儀に特に隠遁の法然を召し出して先達とせられたこと、帝王帰依の致す処とは云え、個人の徳望の威力古今無比といわねばならぬ。

451:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:51:41.59 +teocNnSp.net
>>432
あの板は元々、寺社板の避難所だから、「よその掲示板」が2chを指しているとは、ちょっと考えにくいなあ。
晒されたIPをググってみたら、高槻ちゃんねるっていう掲示板が見つかったから、そっちじゃないの?
のみならず高倉院御在位の時、承安五年春のこと、勅請があって、主上に一乗円戒を法然上人が授け奉った、という特例がある。
これは清和天皇が貞観年中に慈覚大師を紫宸殿に請じて天皇、皇后共に円戒を受けられたという前例がある。
法然上人は法統から云えば慈覚大師より九代の法孫に当る。
法然一平僧の身を以てこの重大事の勅命を受け、慈覚以来の古を起したということは無上の破格であった。

452:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:55:56.50 +teocNnSp.net
>>433
うん。色々とお世話になりました。有難う。
自治スレで皆さんと仲良くやって下さい。
さようなら。
又後白河法皇の勅請によって、法然は法住寺の御所に参り、一乗円戒を法皇に授け奉った。
その時には山門寺門の学者達を召されて、番々に「往生要集」を講じ、各々の所存を述べさせられたが、法然も仰せに従って披講をした。
その時「往生極楽の教行は濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰れか帰せざらんもの」と読み上げただけで初めて聞かれたように貴い響があって胆に銘じ法皇の感涙が止まらなかったとのことである。
その時御信仰の余り右京権大夫隆信朝臣に仰せつけられて法然の真影を図して蓮華王院の宝蔵におさめられたそうである。
先きの世にも例の無いことだと云われる。

453:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:56:51.01 5VCnGCcDK.net
>>438
被害妄想とは?

454:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 20:59:39.91 +teocNnSp.net
>>434
そか。
「よその掲示板」て、極楽おじさんとこか。
あれは、聖ちゃんにさよなら言ってたのか。
好風くん辛かろなあ。
斯様に後白河法皇は法然に帰依し、百万遍の苦行を二百余箇度まで功を積まれたということである。
建久三年正月五日から法皇が御悩みあって、日毎に重らせられる。
そこで御善知識の為めに法然に仰せが降った。
二月二十六日に法然は法皇の御所に参じて、御戒を奉られ御往生の儀式を定め、重ねて念仏のことを申上げられ、それから三月の十三日に御臨終正念にして称名を相続しながら御端坐のままで往生を遂げさせられた。
御年六十六。

455:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:02:56.46 +teocNnSp.net
>>435
苛めっ子は大したことないと思っても、苛められるほうは辛いんだよ。
法皇が崩御遊ばされた後御菩提の為めに建久三年秋の頃、大和の前司親盛入道が、八坂の引導寺、心阿弥陀仏調声を行い、住蓮、安楽、見仏等の人達が助音して六時礼讃を修し、七日念仏した。
結願の時種々の捧げ物を取り出でたのを法然は不受の色を表わして、
「念仏というものは自らの為の勤めである。法皇の御菩提に回向をしたとは云え、もともと自らの為の念仏に他より布施を受くるとはもっての外のことである」と誡められた。
これが六時礼讃の苦行のはじめである。

456:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:07:31.41 +teocNnSp.net
>>436
フッ酸って、山口組は何か工場でも持ってるの?
後白河法皇の十三年の御遠忌に当って土御門院が御仏事を修せられた。
それは元久元年三月のことで、その時法然は蓮華王院で浄土の三部経を書写せられ、能声を選んで六時礼讃を勤行して、ねんごろに御菩提をとぶらい申された。
見仏の請によって浄土三部経を法華の如法経になぞらえて書写すべき法則を定められたのもこの時である。

457:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:09:12.48 +teocNnSp.net
>>437
誰が?
後鳥羽院にも度々勅請あって、円戒を御伝授、上西門院、修明門院、同じく御授戒があった。
三公、公卿、朝の内外仰いで伝戒の師としないものはない。

458:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:14:45.24 +teocNnSp.net
>>438
そりゃ、ずうっとヲチされて皮肉や暴言書き込まれてたら、疑心暗鬼にもなるよ。
好風くんを追い詰めたのはおぢさん、貴方だ。
公家のうちでは九条関白兼実が(後の法住寺殿、又は月輪殿)法然に対する信仰は殊に比類のないものであった。

459:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:17:37.96 GIQlscN9p.net
>>442
妄想じゃないよ。被害だよ。
二月十九日に法住寺殿の御忌日に御仏事があって、僧俗座を分けて立ち並ぶうちに法然も招請されたが、この時の席次に於ても慈鎮和尚(僧正)・菩提山の僧正(信円)何れも一隠遁の平民僧である法然に向って正座を譲られた。

460:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 21:21:33.24 bEXXYm3Ap.net
オイラ今日は風邪気味だから早く寝るよ。
おやすみなさい。
兼実が月輪殿を造った時も、その御殿の中に一種異様な別棟を一つ建てられた。
そこで奉行の三位範季卿という人が、
「今まで殿下の御所を多く拝見しました処こう云うお邸はまだ存じませぬ」という。

461:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 22:35:58.42 kQsy/3xGp.net
>>439
昔の書き込みに祈祷に金が欲しいから
金持ちを狙ってるとあったので
今の相手に金があれば職業関係なく結婚に踏み切るだろうなぁ。
30過ぎてるから焦りもあるし背に腹は変えられないしな。

462:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/25 22:51:05.80 xoIHcxftK.net
>>447
公開掲示板なのに管理人がしゃしゃり出てきて独善的に強権をふりかざし、
己の気に入らない書き込みをした人は片っ端から規制して閉め出し、
己の気に入らない内容のレスはことごとく全て削除してしまうという、
そんなキチガイ全開の独裁的管理をやらかしたんだから、
閉め出された人たちから批判されたり皮肉を書かれたりするのは当たり前。



463:ては好風の幼稚さと独善性と狂気とが生み出した結果だ。



464:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 00:57:55.92 W00oDTa9p.net
>>451
そか。
おぢさんが理不尽を感じた、その胸中は分からなくもないよ。
だけど、おぢさん同じことをもう何ヶ月やってる?
あまりに大人げないし、執着しすぎ。
実はね、ROMってる人で、おぢさんの書き込みにおびえて、本気で怖がってる人いるんだよ。
「2chみたいな下らないサイトを見るからいけない」って本人には言ったけど
やっぱり気になるらしくて、見ちゃうらしいんだ。
(本人が見るとこれまたショックかなと思ったから、今まで伏せてきたけど
おぢさん、そういう可能性に全く思い至らないようなので
思い切って書いた。ごめんよ)
何人もいない、オイラのお参り仲間にすら、そういう人いるんだよ。
まして全世界に開かれている掲示板のこと
他にも同じように感じている人がいても不思議じゃない。
おぢさん、自分の痛みばかり訴えて、見ず知らずの他人に痛みを与えていることに無頓著でも良いの?
オイラ、それは間違ってると思う。
あと、好風くんも、したらば掲示板に拘って神経磨り減らすのは、もう止めたほうが良いと思う。
閲覧にパスワード必要なところとか、管理人が承認しないと掲載されないとことかのほうが良いよ。
そういうスタイルだと、掲示板よりもブログのほうが見つけやすいかな。
あるいは、最近流行らないけど、メーリングリストという方法もある。
ご検討よろしく(*^_^*)

465:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 03:28:48.71 mivzszVrK.net
>>452
このスレの住人は最低でも十数人ぐらいいて、そのほとんどが好風の態度を批難しているんだが、
ここの住人があたかも一人であるかのように誰に対しても「おぢさん」と呼ぶのはなぜだ?
好風&グロを批判をしているのは一人ではない。
それぐらいはお前にもわかるだろ?

466:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 04:34:26.20 6Lqr223E0.net
寝れないなぁ
正直この程度の荒らしは放置で良いでしょ
むしろスレが活発になってるくらいで。

467:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 08:04:04.77 BN8qK7G+K.net
やっとヲイラも好風に少しアドバイスするようになったね
もしグロが男で、かつ男を自称してたら、僧籍詐称疑惑や、豊川お籠もり騒動等が出た時にさすがに好風も規制&削除なんて狂気の沙汰にはならなかったんだろうなあ
好風にホモっ気があれば同じことだったろうけど
結局は好風の下心が問題

468:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 15:39:24.95 jB8e3JCq0.net
>>455
実はここでアドバイスしても意味ないんだけどね。
好風にアドバイスするなら魔窟に書き込まなきゃね。
好風のあの意固地な性格なら意地になって絶対このスレは見てないはず。
(極楽板でこのスレの書き込みが話題に出ていたので聖染とキリクは間違いなく見てるけど。)
>>452
その好風へのアドバイスをここじゃなく魔窟に書き込んでみろよ。
そうすればおそらく即座にアク禁規制されアドバイスレスは削除されてしまい
ついでにIPを晒されてプロバイダにも通報されるかもな。
そこではじめて好風がキチガイだという事実を思い知ることになるだろう。

469:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 18:54:21.35 xjRcw5kz0.net
464 :極楽金剛 ◆KkQ/CwIKN2 :2015/08/23(日) 10:08:25.09 ID:KTAHkBI40
スレリンク(kyoto板:346番)
>自分をアウトロー(ハチキュウサンの密接交際者)と自称するからには、正にアウトロー(法の外)です
つまり、「越法」と言うことか。
こりゃ私も偉そうに言えんな。
( ´,_ゝ`)プッ

こんなレスがあるんだから極楽さんも見てる。

470:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:29:37.14 hx3X5V/qp.net
>>450
祈祷にお金が掛かるから、金持ちを狙っている?
そのために更にお金かけて祈祷?
それじゃいくらお金があっても足りないよお。
欲張ると却って失うものが多い。
んでは法然行伝つづき。
「そうでもあろうが、思う処があるのだから兎も角急いでくれ」
 といって建てさせられたが、これは法然の休み処のためであった。
老体の法然をまずここに招いて休ませ、それから後に対面をするというためであった。
或時の如きは、法然が月輪殿に出向いて行くと兼実は跣足で降りてそのお迎えをした。
処で居合せた聖覚法印、三井の大納言僧都というような顔触れも同じように跣足で降りて迎えなければならなくなったということである。

471:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:35:35.57 D585QkP7p.net
>>453
うん。>>430読んでね。
建久八年(六十五歳)の時法然が少しく病気に罹った。
兼実は深くこれを歎いたが、それでも病気は間もなく治った。
その翌年正月の一日から法然は草庵にとじ籠って何れから招かるるも出て行かなかった。
その時、兼実は藤右衛門尉重経を使として法然に、
「浄土の法門年頃お教えを承りましたが、不敏にしてまだまだ心腑に収め難いものが多くございます。冀くはその要領を文にして記し賜りたい。その望みが叶えば御面談の代りにもなり、且は後世への記念にも備えることが出来まする」
 と申越された。
そこで法然が、この兼実の請を容れて弟子の安楽房に筆を執らせて著作をしたのが有名な「撰択集」である。

472:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:39:31.72 +lgUb1gVp.net
>>454
うん。放置してくれたほうが、オイラは楽なんだ。
この時の執筆者安楽房というのは外記入道師秀という者の子であるがこの時その撰択集の第三章を筆写せしめられた時、つぶやいて云うには、
「わたしが生じい字を書く人間でさえなければこう云う役廻りは仰せつけられなかっただろうに」
 といったのを法然が聞いて、「これは増長している。※(「りっしんべん+喬」、第3水準1-84-61)慢な心が深いから悪道に落ちる奴だ」といって安楽房を退けてその後は真観房感西に書かせることにした。
而してこの安楽房は、後年後宮女房のことから自分は斬罪に会い、師の法然を遠流にするような事態を惹き起こした人物である。

473:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 22:58:30.42 hSH/LRI2p.net
>>455
祈祷にお金が掛かるから逆玉を望む男、か。
なんだかなあ。
兼実は上述の如く法然が来る毎に降り迎えをされる。
摂政関白が既にこの通りだから、その以下の公家殿上人の降り騒がれることは容易のものではない。
法然はそれを煩いことに思って九条殿下へ(月輪兼実)参らないように、草庵にとじ籠りということを名にして、九条殿をはじめ、何処へも出て歩くことをしなかった。
それを兼実は頻りに歎いて、「それでは仮令房籠りの折と雖もわしの身に異例でもあるような時には見舞いに来て下さるだろうな」

474:pw126236086155.12.panda-world.ne.jp
15/08/26 23:03:03.64 hSH/LRI2p.net
>>456
オイラ、好風くんとこには書き込めるし、IP晒されても困らない。
もう何度も自分で晒してる。
けど、おぢさんの指図は受けたくない。
上人も左様な時には仔細に及ばないと申されたのを言質として、いつも病気とか、異例とかいって法然の処へ招請の使を寄せられる。
法然も辞退し難くて月輪殿を訪ねる。
それを門弟の正行房という者が心の中で思うよう、
「お上人も房籠りというて他所へはおいでにならないで、九条殿へだけおいでになるということは、人によっては上人程のお方でも貴顕へは諂っておいでになると謗る者がないとは限りません。
おいでになるならば貴賤上下隔てなくおいでになるがよろしい。おいでにならぬならば絶対にお籠りがよろしい。
どうも九条殿だけへおいでになるのはよろしからぬように思われる」

475:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 23:08:23.95 hSH/LRI2p.net
>>457
オイラの町内には、背中にお絵描きしてるお兄ちゃんが大勢いて、銭湯に行くとなかなか壮観だよ。
オイラも密接交際者になるのかな?
というようなことを考えて寝たところが、その夜の夢に法然が枕許に現われて、
「正行房、お前はわしが九条殿へまいることをよく思うていないようだな」といわれる。
 正行房が遽てて、
「いいえどうして、そんなことを思いましょう」
 法然それを打ち消して、
「いや、お前はたしかにそう思っている。お前のそう思うのも一応道理はあるが、九条殿とわしとは先きの世からの因縁である。他の人とは比較にならない。この宿習あることを知らないで、謗る心などを起さば罪になるぞ」といわれると見て夢が醒めた。

476:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/26 23:13:57.41 hSH/LRI2p.net
んでは、おやすみなさい。

477:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 20:11:08.95 atsS7o9QK.net
今夜はヲイラ現れないの?
もし好風がここ見てないなら、好風の掲示板にアドバイス書いてやるのが親切心だと思うけどなあ

478:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 21:35:09.37 N3wqJHz/p.net
>>465
今夜はすぐ接続が切れて、何回書き込もうとしても失敗ばかり。
また来るよ。

479:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:11:50.04 0KYaeCzhp.net
繋がるようになったから来たよ。
法然行伝つづき。
醒めて後このことを法然に語ると、法然は、
「その通り、月輪殿とわしとは先きの世から因縁のあることじゃ」と云われたそうである。
 こうして兼実は終に建仁二年(法然七十歳)正月二十八日月輪殿で出家を遂げ、法名を円証とつけ法然を和尚として円戒を受けることになった。

480:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:14:14.16 0KYaeCzhp.net
大炊御門左大臣(経宗)という人は月輪兼実とは違い、日頃から余り信仰のない人であったが、ある人の方便で上人を請じ屏風を距てて念仏談を聞き信仰心を起して法然に帰敬し、文治五年の二月十三日に生年七十一で出家を遂げたがその月八日臨終正念の往生をとげたという。
 花山院左大臣(兼雅)は最初から深く法然に帰依し、鎮西の庄園の土貢を割いて毎年法然に寄附して来たが、云うよう、
「わしは院の御所より外には車を立てたことはない身だが、法然上人の庵に車を立てることは苦しくない」
 といって常に訪問して円頓戒をうけ、念仏の法門を談ぜられたが、生年五十四歳、正治二年の七月十四日に出家をとげ、同じ十六日に往生を遂げた。
 右京権大夫隆信も深く上人に帰依し、念仏の一行を勤めたが、遂に建仁元年法然に従って出家を遂げ、法名を戒心とつけた。
六十四の時往生したが、臨終の時は奇瑞があったということが、日本往生伝に記されている。

481:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:15:57.25 0KYaeCzhp.net
二品卿の弟、民部卿範光という人は、後鳥羽院の寵臣であったが、つとに法然に帰依し、承元元年三月十五日五十四の時出家を遂げて静心と号した。
病気危急の時に後鳥羽院が忍んで御幸があったそうであるが、その時静心は夢に法然上人を見て往生の疑なきことを申上げたということである。
大宮内府(実宗)も法然を主として出家入道し、臨終正念に往生を遂げた一人である。
野宮左大臣(公継)は法然と師弟の契り浅からず、興福寺の衆徒が法然の念仏興行をそねんで、法然及びその弟子と共にこの人をも流罪に行われたいということを奏上に及んだけれども、信仰の心少しも動かず、専修の勤めを怠りなく一生を終った人である。

482:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:18:02.46 0KYaeCzhp.net
聖護院無品親王(静恵)が御違例の時、医療の術を尽されたが、しるしが無い。
大般若の転読、祈祷皆そのしるしなく既に危くおわしました時、上人を招請されたことがある。
お使が二度までは堅く辞退してまいらなかったが、第三度の使に宰相律師実昌という人が来て、たっての願いで引きたてる様にして頼むから、やがて律師の車に乗ってまいると親王が御対面あって、
「どうしたらこの度生死を離れられるか。後生を助け給え」
 と頼まれて法然は臨終の行儀を談じ、それから弥陀本願の趣きを述べる。
親王感涙頻りに下り法然に向って合掌したそうである。
法然はやがて帰ってしまったが、その翌日宮は御往生がある。
最期さいごの時に念仏一万五千を申されて、念仏と共に御息が止まったということで、なみいるおつきの人々皆感動し、実昌律師は後にこの御往生の趣きを法然に話したら、法然も喜んだということである。

483:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:20:21.57 0KYaeCzhp.net
延暦寺東�


484:モフ竹林房静厳法印という者が、吉水の庵に来て、 「如何にいたしたらこの度生死を離れることが出来ましょうや」  と尋ねると、法然は、 「それは源空こそお尋ね申したいところでございます」  と答えた。 竹林房が押し返して尋ねるので法然が、 「源空は弥陀の本願に乗じて極楽の往生を期する外は全く知ることがありません」  法印が申さるるには、 「私の所存もまたその通りでございますが、よきお言葉を承ってその考えを堅くしようが為にお尋ね申すのでございます。それはそうでありましても、口に念仏を称えましても妄念がむやみに起って来て心が乱れるのをどうしたらよろしゅうございましょう」  法然が答えて、 「これは煩悩のなすところであるから、凡夫の力では何ともいたし方がありません。矢張りそれはそのままでただ本願をたよって名号を称えれば仏の願力に乗じて往生が出来るということを知るばかりであります」



485:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 22:24:54.55 0KYaeCzhp.net
法印の信心がそこで定まって疑念が忽ちに溶けて罷り帰った。
 法然が清水寺で説教の時、寺家の大勧進沙弥印蔵という者が、念仏の信仰に入り、滝山寺を道場として、不断常行念仏をはじめて今に至るまで怠らぬ。
これは文治四年のことである。
 南都興福寺の古年童という者、矢張り清水寺で法然上人の説教を聴いてから念仏に帰して、霊瑞がある。
 建仁二年の三月十六日、法然が語って云う。
「慈眼房はわしにとっては受戒の師範である上に衣食住のことごとくこの聖に扶持をして貰った。
だが法門をこの人に学んだ教えられたというわけではない。
法門の義に就ては水火の如く論じ合ったこともある。
この聖とわしとは南北に房を列べて住居をしていたが、或時慈眼房の前をわしが通ると、わしを呼び止めて、
『大乗の実智を起さないで浄土に往生することが出来るか』と問われたから、わしは
『それは往生が出来ますとも』と答えたら、『何にそう見えているか』と仰言るから、『往生要集の中に見えてございます』と申すと、聖が「わしも往生要集の中は見たぞ」と仰言る。
そこでわしは「誰れでも中を見ないものはございますまい」と云い返したので慈眼房が腹をたてて枕をもって投げつけられたから、わしはやわらかに自分の房の方へ逃げて来ると、それを追っていらしって箒の柄で肩をたたかれたこともございます。

486:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:32:17.35 0KYaeCzhp.net
又、或時は書物を持って来られてこれは何という言葉じゃと云われるから、これはこうと返答をすれば騒ぎだろうと思って、さあどういう意味でございましょうかと申すと、また腹立ちで、『お前の様な人間を置くのはこう云うことの相談にしたいからだ』と云われるような訳で、
いつも争論にはなったけれども、最後には覚悟房という僧にわが名の二字を書かせて、却って弟子になって寺のお経や譲り文をも、もとは譲り渡しと書かれたのを取り返して進上と書き直して法然に贈って生々世々互に師弟となる印であると申された。
真言の師範であった相模阿闍梨重宴も最後には受戒の弟子となった、丹後の迎摂房も却って弟子となって浄土の往生をとげた。
その時の院主僧都円長も最初のわしの師範であった美作の観覚得業も弟子になり皆自分の師範であった人が源空を戒師として弟子となった中にも、
その時代の学者という学者は大抵慈眼房が戒を授けた弟子であるのに、その慈眼房が却ってこの法然の弟子となられたのは不思議のことである」と云って様々に語り聞かせたことがある。

487:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:34:31.33 0KYaeCzhp.net
建仁元年のこと左衛門志藤原宗貞という者がその妻の惟宗の子女と共に一寺を建立し、阿弥陀を本尊にし、脇士には観音と地蔵とを安置し、事の序をもって法然に供養を頼んだところ法然が、堂の中に入って見て、
「これは源空が供養すべき堂ではない」と云うて出て了った。
願主が非常に狼狽して人に尋ねて、法然上人は勢至菩薩の垂跡であるとの専らの噂のあるのに、この堂にその菩薩が無いから上人の御心に添わないのだろう。
そこで急いで勢至菩薩を拵え地蔵を脇へ移して、その後又序を以て法然に供養して貰い、これも不断念仏の堂となり、引摂寺というて今に残り、勢至菩薩のうしろに地蔵様が隠れているということである。

488:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:45:55.43 R56DaVPSp.net
大原談義は天台の座主顕真僧正が法然上人に向って念仏の要義を問われたことから始まっている。
顕真と法然とは叡山の坂本で対面した。
顕真僧正は例によって尋ねた。
「如何にしたらば生死を離れることが出来ようか」
 法然「それはあなたのお計らい通りになさるに越したことはございますまい」
 僧正「貴僧はその道の先達でござる故、定めて思いたつものがあるでござろう。それをお示し下されたい」
 法然「左様、それは自分の為には少しは思い定めたこともあります。ただ早く極楽の往生をとげることでございます」
 僧正「その往生というのがなかなかとげ難いことだから、そこでお尋ねをして見たのだ。どうしたら容易く往生が出来るものかいな」

489:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/27 23:48:10.04 R56DaVPSp.net
法然それに答えて、
「成仏ということはなかなかむずかしいが、往生は得易いことだと思います。道綽や善導の言葉に依れば、仏の願力を強縁として乱想の凡夫も浄土に往生することが出来るのでございます」
 と、その日はそれだけで別条もなく、法然は帰って了ったが、その後で顕真座主がいうのに、法然房は智恵は深遠だけれども、どうも人間に聊か偏固な欠点がある。
 法然は顕真座主のこの言葉を聞いて、
「人間というものは自分の知らないことには必ず疑心を起すものだ」
 この言葉を又顕真座主に告げる者があった。そこで顕真が、「なる程そう云われて見ればそうだ。わしは今迄顕密の学問に稽古を努めたけれどもこれはまあ名利の為といってもよろしい。
至心に浄土を志したということもないから道綽や善導の釈義も窺っているとはいえないのだ。法然房でなければこう云うことを云うてくれる者はない」と。
それから百日の間大原に籠って浄土の書物を研究して後、さて自分は浄土の法門にも一通り通じたのである。もう一度お話をお聴きしたい。就ては自分一人で折角のお談義を聞くのも勿体ないから人を集めて見よう。

490:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:14:00.65 ICguYb7lp.net
そこで大原の立禅寺に法然上人を屈請した。元の天台の座主顕真僧正は、この法門はわれ一人のみ聴聞すべきにあらずと云うて、諸方に触れをして南都北嶺の高僧達を招き集めることにした。
文治二年秋の頃、顕真の請によって法然は大原へ出かけて行った。
東大寺の大勧進俊乗坊重源が弟子三十余人をつれてそれに従った。
顕真法師の方には門徒以下の碩学、ならびに大原の聖達が坐しつらねている。
その他山門の衆徒をはじめ、見聞の人も少ない数ではなかった。論談往復すること一日一夜である。
法然は、法相、三論、華厳、法華、真言、仏心等の諸宗にわたって、凡夫の初心より仏果の極位に至るまで、
修行の方法や、得度のすがた等をつぶさにのべ、これ等の方は皆義理も深く利益もすぐれているから、機法さえ相応すれば得脱は疑う処ではないが、といって凡夫はこれにつき難い事を述べ、浄土の教門の事の理をきわめ言葉をつくして説き語り、
ただこれ涯分の自証を述ぶるばかりなり。またく上機の解行を妨げんとにはあらず。
 という謙譲なる註釈を以てその席は終った。
座主をはじめ満座の衆


491:皆心服して、 かたちを見れば源空上人。まことは弥陀如来の応現かとぞ感嘆しあえりける。 法印香炉をとり高声念仏をはじめ行道したもうに。 大衆みな同音に。念仏を修すること三日三夜。こえ山谷にみち。ひびき林野をうごかす。信をおこし縁を結ぶ人おおかりき。



492:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:16:12.13 ICguYb7lp.net
と「御伝」の本文にある。
 以来顕真法印は専修念仏の行者となり、念仏勧進の書を作り、又自身もその一人となって十二人の衆を置き、
文治三年正月十五日より不断念仏を勝林院に行い、地内に五房を建て、その門下又夫々それぞれ各所に念仏を宣伝し、俊乗房重源は上の醍醐に無常臨時の念仏をすすめ七カ所に不断念仏を興立し念仏の事業愈々いよいよ隆盛の勢を示したのは大原問答の後のことである。

493:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:18:39.65 /Jr7Pbjkp.net
慈鎮和尚(吉永僧正慈円)は法性寺忠通の子息であって山門の統領であり、名望一代に勝れた大徳であったが、この人も法然に就て念仏の行に帰し、法然を崇敬措かなかった。
 妙香院の僧正良快は月輪殿の子息で慈鎮和尚のお弟子として顕密の学者であったがこれも法然の感化により浄土念仏に帰して初心の行者の為に念仏の肝要を記したものがある。
 慈鎮和尚といい妙香院の僧正といい何れも名門の出であり、一代の有徳であり、その一代の行業は伝うべきもの甚だ多いが是等の大徳が帰敬し崇敬した法然の器量が思いやられる。

494:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 00:22:38.42 97cwR6KKp.net
 高野山の明遍僧都は少納言通憲の子であって三論の奥旨を極め、才名世に許されていたけれども、名利を厭い、勅命を避けて高野に隠遁していたが、或時法然の撰択集を読んで、
「この書物は少し偏っている処があるわい」と思って眠りについた。
その晩の夢に、天王寺の西門に数知れざる病人が寐ていたのを一人の聖が鉢に粥を入れて匙を持って病人の口毎に粥を入れてやっているのを見て、あれは誰人かしらんと尋ねると傍にいる人が答えて、
「法然上人でございます」というのを見て夢が醒めた。
僧都が思うのに、これはわしが撰択集を少し偏っているわいと思ったのを誡められる夢であろう。この上人は機を知り、時を知りたる聖である。
抑も病人というものは初めには柑子とか、橘、梨子、柿などの類を食べるけれども、後には僅にお粥をもって命をつなぐようになる。
末世の世には仏法の利益が次第に減じて堅いものは食われず、念仏三昧の重湯で生死を離れるのであると云うことを悟って、それからたちまち顕密の諸行を差置いて専修念仏の門に入りその名を空阿弥陀仏と名づけた。
とりわけ聖徳太子にゆかりのある仏法最初の伽藍天王寺によってこの夢を見たことを不思議の縁としている。

495:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 20:26:59.71 3wS2J96up.net
法然行伝つづき。
法然が天王寺に詣でた時、明遍僧都がここへ訪ねて案内があった。
法然は客殿に待っていて「さあこれへ」といわれる。
明遍僧都はさし入ってまだ居直らない先きに尋ねかけて云う。
 僧都「さてこの度如何いたして生死を離れたものでござりましょう」
 法然「南無阿弥陀仏と唱えて往生を遂ぐるに越したことはありますまい」
 僧都「たれも左様にお聞き申しては居りますが、ただその折角の念仏の時に心が散乱し、妄念の起るのを如何いたしたものでござりましょう」
 法然「欲界の散地に生を受くる者、心の散乱しないということがござりましょうや。煩悩具足の凡夫の身がどうして妄念を止めることが出来ましょう。
そのことに就ては私とても力の及ぶことではござりませぬ。ただ心は散り乱れ妄念は競い起るとも、口に名号を唱えなば弥陀の願力に乗じて必ず往生が
致されるということだけを知って居ります」
 と返事した。
 僧都「それを承りたいがためにまいったのでござります」
 といって明遍僧都はそのまま罷り帰ってしまった。

496:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 20:33:19.59 3wS2J96up.net
あたりの人がそれを見て、この両名僧初対面であるに拘らず、一言も世間の礼儀の挨拶もなくて別れられたのは如何にも尊いことだと感心した。
僧都が帰ってから法然はうちへ入って側近の人に向って云うよう。
「心を静め妄念を起さないで念仏をしようと思うのは生れつきの眼鼻をとり払って念仏をしようと思うようなものじゃ」といわれた。
 その後明遍僧都は深く法然に帰依して専修の行怠りなかった。
 法然が亡くなった後にはその遺骨を一期の問頭にかけて後には鎌倉右大臣の子息である高野の大将法印定暁に相伝えられた。
 貞応三年六月十六日八十三歳の高齢をもって念仏相続して禅定に入るが如く往生せられた。

497:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/28 20:37:24.64 3wS2J96up.net
安居院の法印聖覚は入道少納言通憲の孫に当り、澄憲大僧都の真の弟であるが、これも法然の化道に帰して浄土往生の口決を受けたが、法然からは特に許されていたと見え大和前司親盛入道が法然に向って、
「あなたが御往生の後はどなたに疑を質したらよろしゅうございますか」と尋ねたところ法然が、「聖覚法印我が心を知れり」といわれたとのことである。
 この法印が書を著わして広く念仏をすすめられた。それは「唯信鈔」である。
 元久二年八月法然が瘧病を患うたことがあった。月輪殿が驚いて医者を呼ばれて様々療治を尽されたけれども治らない。そこで御祈祷の為に、詑摩の法眼澄賀に仰せて善導和尚の姿を描かせ、後京極殿が銘を書き、
安居院の聖覚法印を導師とした、聖覚も同じ病に冒されていたが師の為に進んで祈乞をこらすと善導の絵姿の前に異香が薫じ、法然も聖覚も共に瘧病が落ちたとのことである。

498:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 00:02:33.14 lnF1pxrX0.net
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499:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:06:18.40 apCu1XAHp.net
法然の三回忌の時には追善の為に(建保二年正月)この法印は、真如堂で七日間説教をしたがその終りに、
「もしわしがこうして物を云うたことがわが大師法然上人の云われなかったとならば当寺の本尊御照罰あらせ給え」と再三の誓言をして後、
「もし尚不審があろうという人は鎮西の聖光房に尋ね問われるがよい」
 といわれた時、聴衆の中に一人の隠遁の僧があったが、己の草庵には帰らないで直ぐ筑後の国に下って聖光房につき門弟となり、九州弘通の法将となったものがある。敬蓮社というものがそれである。
 この法印は文応二年三月五日六十九歳にして念仏往生を遂げた。
 上野国の国府に明円という僧があったが遊行の聖が念仏を申し通ったのを留めて置いて、自分の処へ道場を構え念仏を興行していたが、或夜の夢に、われはわが朝の大導師聖覚という者である。
法然上人の教えによって極楽に往生したというようなことを夢見て、それからそれと尋ねて聖覚法印の墓に詣で、夢の中の感化を喜び感喜の涙を流し二心なき専修の行者になったという奇談がある。

500:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:08:02.60 apCu1XAHp.net
法然上人の「念仏本願撰択集」は月輪殿の請によって選んだものであるが、その要領を少々記して見ると、
 まず第一段に道綽禅師が聖道浄土の二門を樹てて、聖道門に帰するの文、一切衆生に皆仏性があるというのに今に至る迄生死に輪廻して救われないのは、二種の勝法があるのに、それによって生死を払わないせいである。
その二種の勝法とは何ぞ。聖道門と浄土門であるが、この二つの門のうち聖道門はなかなか修行がむずかしく、末世の凡夫はこの聖道の修行によって救われることは出来ない。それが浄土の門に行くと極めて安らかな修行によって救われる方便がある。
そこで今時の人は聖道門を捨てて浄土門に帰するがよいという。
 阿弥陀如来は他の行を以て往生の本願とせず、ただ念仏をもって本願とする。

501:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:10:09.23 apCu1XAHp.net
無量寿経上巻の本願の文を引いて云う。
念仏は最も優れ余行は劣る。それは名号の中には万徳が備わっているからである。
例えば家といえば、その建物全部を称えるけれども、棟とか梁とか柱とか云ったのでは一部分しか含まれていない。
そこで家といえば全体を云うように、弥陀の名号を称えれば全体の功徳に呼びかけることが出来る。仏像を作ったり、塔を建てたりすることが本願ならば貧乏人は往生出来ないことになる。
智恵があり才学の高いのをもって本願とすれば愚鈍不智のものは往生の望みがなくなる。自戒自律を以て本願とすれば破戒無戒の人は永久に救われないということになる。

502:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:13:42.44 RYPZQx+kp.net
そこで阿弥陀如来が法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて普く一切を救わんが為に唱名念仏の本願を建てられたのである。
 右の趣旨を多くの経文を引いてつぶさに述べられたのが即ち撰択本願念仏宗である。

503:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:16:29.34 +Hv2HZG6p.net
月輪殿北政所も同じように法然を信じて念仏往生のことを尋ねられたが、法然がそれに答えた返事の手紙というのが残っている。
 阿波介という陰陽師が法然に給仕して念仏をしていたが、或時法然がこの男を指して、
「あの阿波介が申す念仏とこの源空が申す念仏と何れが勝っているか」と聖光房に尋ねられたところが、聖光房は心中に何か考うる処はあったけれども、
「それはどういたしまして、御上人の念仏と阿波介が念仏と一緒になりましょう」と答えたのでその時法然が由々しく気色が変って、
「お前は日頃浄土の法門といって何を聴いているのだ。あの阿波介も、仏たすけ給えと思って南無阿弥陀仏と申している。この源空も仏助け給えと思って南無阿弥陀仏と申している。更に差別はないのである」
 といわれたから、聖光房も固より、それとは思っていたけれども、法然からそういわれて宗義の肝腎今更の様に胸に通ったということである。

504:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:18:57.01 7tAW+1HEp.net
 二念珠ということをやりだしたのはこの阿波介である。
阿波介は百八の念珠を二連持って念仏をしたから人がその故を尋ねると阿波介が答えて、
「暇なく上下すればその緒が疲れ易い。一連では念仏を申し、一連では数をとって積る処の数を弟子にとれば緒が休まって疲れません」
 と答えたので法然がそれを聞いて、
「何事も自分の心に染みていると才覚が出て来るものである。阿波介は性質は極めて愚鈍の人間だが往生の一大事が心にしみているからこそ斯様な工夫も考えだすのだ」とほめたということである。

505:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 01:22:41.24 LR1Etm+ap.net
とほめたということである。
 或修行者が浄土教の教義は分っていたが、まだ信心が起らないので嘆いていた。或時東大寺に参詣すると、丁度棟木を挙げる日で、おびただしい材木をどうして引き揚げるのかと心配して見ていると轆轤を使って大木をひき上げ、思う処へどしどしと落し据えた。
それを見て成程良工の謀はうまいものだ。まして況んや、弥陀如来の善行方便をやと思って疑いが晴れて信心が決まった。この時はかねて法然から三宝に祈請すべしということを教えられて東大寺に参詣しての思わぬ獲物であった。
 聖如房という尼も法然の教えに帰していたが、病気に罹っていよいよ臨終という時にもう一度上人にお目にかかり度いということを申越して来たが、法然は丁度別行の時であったから、手紙で細々と書いてやった。
その手紙が残っている。その中に「我等が往生はゆめゆめ我身のよきあしきにより候まじ。ひとえに仏の御力ばかりにて候べきなり」というようなことがある。その手紙の心のおもむきを深く心に留めてめでたき往生をとげたということである。

506:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:40:34.03 Jk+/NCDypNIKU.net
法然行伝つづき。
仁和寺に住んでいた一人の尼が法然の処に来て申すよう、
「私は千部の法華経を読むように願をたてまして、七百部だけは読んでしまいましたが、もうこの年になっては残りを読みきれそうもござりません。
なさけないことでござります」
 と歎いたのを法然が慰めて、
「お年をとっているのによくそれでも七百まで読みましたね。ではその残りを一向念仏になさいまし」
 といって念仏の効能を説き聞かせその通りにさせて安楽の往生をとげさせたことがある。
法然のお弟子がその往生振りを夢に見たという奇談もあった。

507:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:43:45.48 hYSegzb3pNIKU.net
河内の国に天野四郎と云うて強盗の張本があった。
老年になってから法然のお弟子となって、教阿弥陀仏と名乗って常に法然の膝元で教えを受けていたが、或晩夜中に法然が起きていて、ひそかに念仏をしているような様子であったから、この男が咳をして見た処、法然はやがて寝込んでしまわれた様子で、その夜も明けた。
四郎はどうも解せないことだと思いながらも、尋ねて見るのも億劫でその日は帰り、その後また訪ねた時に法然は持仏堂にいて四郎は大床に伺候して云うことに、
「どうもやつがれのような無縁の者は都には居られないようですから、相模の国河村という処に知っている侍がありますから、それを頼んで下って見ようと思います。
何分こう年をとりましてはまたと再びお目にかかる事も覚束ないと存じます。固よりこの通り無智のものでござりますから、深い法門を承ったとて、甲斐のないことと存じますから、
ただこれならば往生が出来るという御一言だけを生涯の御かたみに戴いてまいり度うございます」

508:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:46:03.54 w1UBRfLDpNIKU.net
法然がそれを聴いて答えていうに、
「まず念仏には深いということは無い。念仏を申すものは必ず往生が出来るということを知るばかりだ。
深い義理があるなんぞと思ってはならぬ。それでも念仏というものは極くたやすい行いだから、申す人は多いけれども、
往生が出来る者の少いのは古実を知らないからだ。そうだ先月のこと、ここには誰れも居らないで、



509:ィ前とわしとただ二人きりいたことがある。その夜中わしはそっと起きていて念仏をしていたのをお前は聴かれたか」  といわれたから、四郎は、 「いかにもそれは承りました。寐耳によく覚えて今日まで不思議に思って居りました」



510:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:52:18.26 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然「それこそやがて本当の往生の念仏だ。総て虚仮といって飾る心で称える念仏では往生は出来ない。
飾る心がなくして、真の心で申さねばならぬ。子供だとか動物だとか云うものの前では飾って見せる心はないけれども、世間並の人に向えばどうしても飾る心が起るものだ。
誰れとて人間として人間の中に住んで居ればその心のない者はない。
そこで夜更けてから見る人もなく、聴く人も無い時、そっと起きていて百遍でも千遍でも心任せに申した念仏は飾る心がないから仏の意にも相応して本当の往生が出来るというものだ。
それでその心持さえ出来れば、何も夜と限ったものではない。いつでもその飾らぬ心で念仏を申すがよい。
なお例えて云うて見ると、盗人が人の宝に思いをかけて盗もうと思う心は底に深いけれども表面はさり気なき色にして決して人にはあやしげなる色を見せまいとするようなものじゃ。
その盗み心は人は誰れも知らないから少しも飾らない心になる。本当の往生もまあそんなようなものだ。
人に見せないで仏より外には知る人もない念仏、そこで疑いのない往生が出来るわけだ」

511:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:53:45.22 JBQ5GgM1pNIKU.net
それを聴いて四郎が、
「よくお言葉がわかりました。それを承って私もどうやら往生が出来そうでございます。ではこれから人の前で珠数を繰ったり、口を動かしたりして念仏をすることは止めましょうかしら」
 というと法然がまた、
「それはまた僻みというものだ。念仏というものの本意は常念でなければならぬ。強いて性質をためて本来臆病の者が剛の者の真似をするにも及ばない。
剛の者がまた変に臆病がるにも及ばない。本性にうけて真の心で如何なる処、如何なる人の前で申すとも少しも飾る心がなければそれが真実心の念仏で、きっと往生が出来る」
 といって三心の事を説いて聞かせると、四郎が、
「それではその夜中に念仏をいたします時には必ず起きていてしなければなりますまいか。また珠数や袈裟などを用意して申さねばなりますまいか」

512:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:55:13.54 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然答えて、
「念仏の行は行住座臥を嫌わないのだから、伏して申そうとも、居て申そうとも心に任せ時によるのだ。
珠数を取ったり、袈裟をかけたりすることも、又折により体に従ってどちらでもよろしい。
詰り威儀というものはどうでも今云うた真の心で念仏を申すことが大切だ」
 と教えられた。天野四郎の教阿弥陀仏は、歓喜踊躍し、法然の前に合掌礼拝して罷りかえったが、その翌日法蓮房信空の処へ行って暇乞をした時、昨日上人から教えられたことを述べて、お蔭様でこんどの往生は少しも疑いがないといって、東国へ向って行った。

513:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:56:56.24 JBQ5GgM1pNIKU.net
その後法蓮房が、法然の前で、
「左様のことがありましたか」と尋ねると法然が答えて、
「そうそう、それは昔盗人だと聞いていたから対機説法ということをして見たのだ。一寸は分ったように見えたわい」
 といわれた。
 教阿の天野四郎は、こうして相模の国河村へ下って行ったが、やがて病気で死のうとする時分に、同行に向って、
「わしは法然上人の教えをよく受けているから立派な往生が出来る。往生のしぶりを見て置いてよく法然上人にお伝え申して呉れよ」
 と遺言して正念たがわず、合掌乱るることなく念仏を高声に数十遍称えて美事に往生をした。
同行が都へ上った時に、この遺言の次第を委しく法然に申上げた処、法然が成る程よく心得たとは見たが、その通りであったわい、あわれなことじゃなといわれた。

514:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 19:59:06.92 JBQ5GgM1pNIKU.net
沙弥随蓮は後に法然が四国へ流された時もお伴をしていた程のお弟子であるが、法然が亡くなって後、建保二年の頃或人が来て云うのに、
「如何いかに念仏をしたからとて、学問をして三心を知らない者は往生することは出来ないそうですね」といいかけたものがあるので、随蓮が、それを説明して、
「故上人は念仏は様なきを様とす。唯ひたすら仏の言葉を信じて念仏をすれば往生をするのだ。
と仰言って全く三心のことなどを云われたことはありません」その人が重ねて云うには、
「それは心の足りない者の為に、方便の為に上人が仰言られたのだ。上人の本当のお志はもっと高尚な処にあるのだ」と論じ、
経釈の文などを引き合いに出して論じかけて来たものだから、随蓮も少し考えがグラついて来ていた処、或夜の夢に法勝寺の池の中にいろいろの蓮華の咲き乱れているのを見たが、
そこへ法然上人が現われて、
「お前、誰れかひが言を云う者があって、あの池の蓮華をあれは蓮華ではない、梅だ桜だと云うた者があってもお前はそれを信ずるか」と尋ねられたから、随蓮が、
「現に蓮華であるものを如何に誰れが桜と申しましょうとも梅と申しましょうともそれが信ぜられましょうや」

515:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:01:31.96 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然が曰く、「念仏の義もまたその通りじゃ。わしがお前に念仏をして往生することはきまりきって疑いがないと教えたのをお前が信じたのは蓮華を蓮華と思うのと同じことだ。
他から梅といわれようとも、桜といわれようともそれを信じてはならぬ」といわれるのを夢に見て、近頃の疑念が残りなく晴れ、往生の素懐をとげたということである。
 法然は人によって三心のことを説かれたけれども、三心に捉われて却って信心を乱ることをおそれたのである。遠江の国久野の作仏房という山伏は、役の行者の跡を訪い、大峯を経て熊野へ参詣すること四十八度ということであるが、
熊野権現の前で祈っている時、法然房に出離の道を尋ぬべしというお示しを受けたというので都へ上って法然の教化を受けて念仏の行者となった。
それから本国に下って市に出て染物などのようなものを売買して家計をたてつつ独り身で自由に生活していたが、往生際がとても美事で、念仏の声が止まったかと思うと本尊に向って端座合掌したその顔は笑めるが如く、
そのままで往生していたので、諸人が雲の如く集ってその奇特に驚きあったとのことである。

516:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:07:21.17 JBQ5GgM1pNIKU.net
法然が常によく云いつけていた言葉のうちから幾つかを抄録して見る。
「念仏申すにはまたく別の様なし。ただ申せば極楽へむまると知って。心をいたして申せばまいるなり」
 又云う。「南無阿弥陀仏というは。別したる事には思うべからず。阿弥陀ほとけ我をたすけ給えという言葉と心得て。心には阿弥陀ほとけ。たすけ給えとおもいて。
口には南無阿弥陀仏と唱えるを。三心具足の名号と申すなり」
 又云う。「罪は十悪五逆の者。なおむまると信じて。小罪をもおかさじと思うべし。罪人なおむまる。いかにいわんや善人をや。
行は一念十念むなしからずと信じて。無間に修すべし。一念なおむまる。いかにいわんや多念をや」
 又云う。「我はこれ烏帽子もきざる男なり。十悪の法然房愚癡の法然房が。念仏して往生せんと云うなり」
 又云う。「学生骨になりて。念仏やうしなわんずらん」
 又云う。「往生は一定と思えば一定なり。不定と思えば不定也」
 又云う。「一丈の堀を越えんと思わん人は。一丈五尺をこえんとはげむべし。往生を期せん人は決定の信をとりてあいはげむべきなり」
「又人々後世の事申しけるついでに。往生は魚食せぬものこそすれという人あり。或は魚食するものこそすれという人あり。
とかく論じけるを。上人きき給いて。魚くうもの往生をせんには。鵜ぞせんずる。魚くわぬものせんには。猿ぞせんずる。
くうにもよらず。くわぬにもよらず。ただ念仏申すもの往生はするとぞ。源空はしりたるとぞ仰せられける」

517:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:11:01.23 JBQ5GgM1pNIKU.net
或人より安心起行を問われし手紙の返事の中に、「浄土に往生せんと思わん人は。安心起行と申して。心と行と相応ずべきなり。その心というは観無量寿経にときて。
もし衆生あって。わが国にむまれんとおもわんものは。三種の心をおこしてすなわち往生す。
なにをか三とする。一には至誠心。二には深心。三には廻向発願心なり。
三心を具せるものは。かならずかの国に生るといえり」
 又或人が往生の用心に就て覚束ないことを百四十五条迄書き記して法然に尋ねたが、法然は一々それに返事をした。
そのうち少々抜き書きして見ると、
(問)念仏には毎日数を決めないで読んでもよろしゅうございますか。
(答)数を決めないというと怠り勝ちになり易いから数を決めて称えるのがよろしい。
(問)一日に幾度位唱えたらよいでしょうか。
(答)念仏の数は一万遍をはじめて二万三万五万六万乃至十万迄申します。そのうちをお心任せの程おやりなさい。
(問)歌を詠むということは罪でございますか。
(答)強がちに何とも云えない。罪ともなれば功徳ともなる。
(問)酒を飲むのは罪でございますか。
(答)本当は飲まないがよいけれども、この世のならい。
(問)魚鳥を食い、いかけ(身を清むること)して経を読んでもようございますか。
(答)いかけして読むのが本体である。しないで読むのは功徳と罪と両方になる、但しいかけしないでも、読まないよりは読む方がよろしい。
(問)六斎ににらやひるを食べるのはどうですか。
(答)食べない方がようございます。
(問)破戒の僧、愚癡の僧を供養するのも功徳でございますか。
(答)破戒の僧、愚癡の僧も末の世には仏の如く尊むことになっている。

518:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:17:21.59 /YkaYgzupNIKU.net
或人がまた往生の用心に就て、条々の不審を尋ねた時に、上人の返事のうちに、
「足なえ腰いたるものの。とおき道をあゆまんと。おもわんに。かなわねば船車にのりてやすく行くこと。
これわがちからにあらず。乗物のちからなれば他力なり。あさましき悪世の凡夫の。諂曲の心にて。
かまえつくりたるのり物にだにも。かかる他力あり。まして五劫のあいだ。思食しさだめたる。
本願他力の船いかだにのりなば。生死の海をわたらん事。うたがい思食すべからず」
「魚鳥に七箇日の忌の候なる事。さもや候らん。えみ及ばず候。地体はいきとしいけるものは。
過去の父母にて候なれば。くうべき事にては候わず。又臨終には。酒魚鳥葱薤蒜などは。いまれたることにて候えば。
やまいなどかぎりになりては。くうべきものにては候わねども。当時きとしぬばかりは候わぬ病の。月日つもり。
苦痛もしのびがたく候わんには。ゆるされ候なんと覚おぼえ候。御身おだしくて。念仏申さんと思食して。御療治候べし。
命おしむは往生のさわりにて候。病ばかりをば。療治はゆるされ候なんと覚え候」
 鎮西から上って来た或る一人の修行者が法然の庵室へまいって、まだ上人に見参しない先きに、お弟子に向って、
「称名の時に仏様の御相好に心をかけることはどうでございましょうか」
 と尋ねた処が、お弟子が、
「それは芽出度いことであろう」
 と独断で答えたのを法然が道場にあって聞いていたが、明り障子を引きあけて、
「源空はそうは思わない。ただ若我成仏。十方衆生。称我名号。下至十声。若不生者。
不取正覚。彼仏今現。在世成仏。当知本誓。重願不虚。衆生称念必得往生と思うばかりだ。
われ等が分で如何に観じたとても本当の姿が拝めるか。ただ深く本願を頼んで口に名号を称えるだけじゃ。
それがいつわりのない行であるぞ」といわれた。

519:名無しさん@京都板じゃないよ
15/08/29 20:24:04.16 /YkaYgzupNIKU.net
法然の曰く、「阿弥陀経はただ念仏往生のみを説くと心得てはならぬ。文に隠顕はあるけれど凡およそ[#ルビの「およそ」は底本では「おそよ」]の処は四十八願を悉く説かれてある訳である」
 法然が云う、「諸宗の祖師はみんな極楽に生れている」
 或時聖光房、法力房、安楽房等の弟子達と往生の話をしていた。その時、
「往生は念仏を信ずると信ぜざるとによるので、罪悪のあるとないとによらない。既に凡夫の往生を許す上は何ぞ妄念の有無を嫌うべきや」
 そこで安楽房が問うて云うのに、
「虚仮の者は往生しないというのはどのように心得たらよろしゅうございますか」
 法然が答える。
「虚仮というのは事更に飾る手合いをいうのである。自然に虚仮であるぶんには往生の障りにはならない」
 是等の問答のうちお弟子はみんな落涙をして感心したそうである。


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