16/08/08 21:59:39.84 5RxIp/DcK0808.net
本尊と一体となる一番重要な供養法の部分を丸々スッ飛ばしてて結果が出たら、それこそ奇跡だ。
バーナーで火を燃やして焚き火をして験が出るのなら、何もしなくても験は出るだろう。
護摩壇の周りに信者を座らせて炎で炙ってガマン大会させて何かが変わるなら、密教はいらない。
名前や願意書いた木片を炎の中にブチ込んで燃やすだけのことに何か意味があるなんて、空海は一言も言っていない。
ドンドコ太鼓や幣振って「お祓い」などは、空海が見たら破門モノだろう。(いわんや、寺男がカバンなどを煙の中にグルグルさせて「加持」とか…茶番にも程がある。智山派でも「結界」については「一応は」習うんだろう?)
これらは空海の教えでも密教でも何でもない。
プラセボ狙いで「その気にさせる」だけの、TDLよりチープなただのアトラクションに過ぎない。
密教行者はチープなアトラクションに堕落して信者を騙すのではなく、せめて本当の修法をすべきだ。
…そうして初めてスタートラインに立てる。…結果を出せるも出せないもスタートラインに着かなければお話にもならない。
今、多くの真言僧侶が行っていることは、スタートラインからの逆走に過ぎず、空海や密教に対する公然たる愚弄と背信行為に過ぎないのだから。