14/12/22 18:28:56.83 .net
神社の多くが秦氏の創建であることは、はっきりと記録が残っている客観的事実だから、
いくら強弁しようとも、歴史認識の歪曲は出来ない。
無理に変えようとすれば、偏向工作になる。
仏像はギリシャ彫刻がルーツといった情報も、徹底排除するつもりの不勉強者がいるらしいが、
ギリシャから日本まで伝わった文化がある以上、
より距離的に近い、中東から日本への文化の輸入もあったと考えるべきだろう。
たとえば、菊の御紋章だが、古い時代の中東の王家の紋章と同一のものであり、
エルサレム宮殿のヘロデ王の門にもしっかりと刻まれて残っている。
皇室のシンボルだけ西から伝わったと考えるのも不自然の極みで、
当然のように、シルクロードを介した宗教文化の伝来もあったと見るべきだろう。
その一つが、上でも明姫様によって解説されている、有翼日輪と呼ばれる象徴だ。
渡来氏族の秦氏が創建した稲荷神社の創建神話に登場するだけでなく、
今日ではお正月飾りとして一般家庭の玄関に飾られる形で広く普及して残っている。
したがって、現在の神社と類似性の高い中東の古い神殿形式と、日本の神社の建築様式に、
共通の要素が多く見い出されるとしても、なんら不思議ではない。
イスラエルを含むメソポタミア地域とはすぐ隣のインドからも、
仏教とともにさまざまなものが輸入されて残っている。
日本人は今でも西洋の文化を好む傾向がみられるが、
このような舶来嗜好は、仏教の輸入にも大きく関わっていたと考えられる。
仏教が伝来する以前に存在した神道の中にも
シルクロードの西から採り入れた要素があったと考える方が自然だろう。
渡来氏族の最大派閥を形成していた秦氏には、
シルクロードの交易で財を成した有力者が含まれており、
それを注ぎ込んで日本の津々浦々まで、神社を建てていったことが分かっている。