14/04/30 22:44:46.61 G2aQMunF.net
ゼミの同級生が物産の面接に行って、リクルーターから「うちは商社の中でもエリートだからお前みたいな馬鹿には着て欲しくない」といわれて人事面接にも
呼ばれなかった、そのリクルーターも政経政治、優の数が22個で気に入らなかったらしい。
当時はね、製造業には面接にも行かない、伊藤忠、野村證券、第一勧銀クラスなら「内定貰っても来ません」と言っても内定が出たんだよ、リクルート、IBM,大日本印刷とか。
真剣勝負は、興銀、商事、物産、野村総研あたりだった。
でもな、野村は東大(応援団)の連中は役員が黒塗りのハイヤーで料亭連れてってどんちゃん騒ぎ、で2名入社した。あとはみんな逃げたけど。
当時は就職活動が8月ごろ急に呼び出しが始まって、人事に会えたら峠越え、役員面接は最後の挨拶なんだが、大学ごと別日程だった。当然だが東大と競うことも
明治と一緒になることもなく、淡々と学部に割り当てられた採用枠を、同じ学部の同期同士で埋めていくイメージ。
第一勧銀は、都銀で唯一早稲田に理解があって(富士は東大閥 三菱は東大慶應一橋 住友三和は関西系)早稲田全学部(政法商)で30名採用予定があったらしいけど
蹴られまくって、行けば誰でも内定状態だった。「来ません」と言っても内定出したのは「どうせ第一希望落ちて来るんだろ、保険掛けとけ」という意味だと思う。
意外と「学歴不問」を唄ってた野村證券は、かなり学歴に神経質だった。200名の採用で早稲田21慶應22東大13一橋9・・内定断ってもコーヒーかけられなかった。
政治学科のメインはマスコミと地方公務員。