07/04/07 01:39:45 0rTqUeRK.net
TRのラック式Kitson-Meyerですが、チリ区間向けの3両、
アルゼンチン区間向けの6両が存在しました。
6気筒に十分な蒸気を送るにはボイラーの蒸発能力が不足しており、
前部(粘着)台車のラック機構は1911年に取り外されました。
アルゼンチン向け最後の2両は最初からラック機構は後部台車のみの4気筒で製造されました。
エスリンゲンの0-6-8-0は前部台車がラックのみ、後部が粘着のみですが、
Kitson-Meyerと異なり後部は固定台枠の半関節型で、前部低圧、後部高圧の複式でした。
文献によってマレーとされたり、単にSemi-Articulatedとされたりではっきりしません。
半関節のせいもあるのか、Kitson-Meyerに比べて曲線通過性能が低く、2両の導入で終わりました。
エスリンゲンでもイタリアのSaronno工場で作られたのがチリの海港Aricaと、
ボリビアの首都La Pazを結ぶArica-La Paz鉄道(メーターゲージ)の0-4-10-0です。
これも前部ラック、後部粘着の半関節機ですが、シリンダサイズは前後同じで単式だったものと思われます。
ラック式単式マレーと呼んでよいのでしょうか。
ラック式マレーでは他にウィーン機関車工場製、ボスニアのナローゲージ(760mm)向け0-4-6-0(複式)が2両ありました。
ラック台車と粘着台車を分けるアイデアは、特にスペースの制約が大きい狭軌において、
気筒の配置やロッド類のデザインに有利だったのかもしれませんが、
必然的に大型化し、特に粘着運転時は大きな死重を抱えることになるので、
あまり普及しなかったのだろうと思われます。
これらの写真は手元の文献にはあるのですが、
著作権切れになっていないのでアップは出来ません。
Webではいろいろ探しましたが見つかりませんね。