20/07/24 11:48:24.08 0Vk7wYv60.net
私の書き込みにそんな懇切な読みをくわえてくださるのはとてもありがたいです、が
そんなに深くかんがえて明確な意図のもとに書いたわけではありません
なのであなたの書き込みに導かれたものとして返答します
でも詩ポエムは半眠半覚でゆるされるところがいいです
そのほうが後から読む気づきもあったりして
さて答え合わせですが、私もあなたのいうような生き方がしたかったなぁという感じです
先の書き込みはその好意的な解釈とはちがって、少しみっともないものだと思います
もしも明確な、振り返ってまぶしい青春の意志であったんなら、
おそらくくずれさるなどという言葉をつかわなかったと思う
ここからは勝手な私の解釈
新緑に必要なのはやはり雨滴であって、きれいだとしても雪なんて身にふさわしくなかった
それがまちがいだったとは言わないまでも、それで水は汚いから十分吸わないというのでは成長が止まってしまいます
理想と現実というのはそれぞれ息をする階層がちがって
私はいやしい欲望からすぐれた人間とみなされたいために高い空気ばかりを欲して
土台を築くこともせずにきれいな蝶でありたがった
バカと煙のように、水は低地に流れてそこにいっそう多く草が生い茂ることを知らずに
そして成ったのは羽の小さな虫けらだった、
それを今も引きずっているというわけです
あなたのいう受動性は私から見るとのぞましいものに思われるのですが
溢れ落ちるもののなかで拾った分だけが自分の幾何学になるんでしょうね
たえず回転して繰り返す蛹期の必要なプロセスじゃないでしょうか
現実を可能性にひかれる羊にするんじゃなくて、むしろ現実から出発して可能性の総合を展開すべきだと今は思う
現状これもきれいごとです
雨滴は緑葉にふさわしかったのに、ふさわしかったなら、
今こそ雨滴を見つめ直し、またそこから開始すべきなのか
要約。抽象の世界を脱して、実証の人間たちの世界に移行しようとしている意識の変化(最初の二行)
ただし完全にではない(最後の二行)
クソまじめな長文返答すみません