19/09/03 10:19:03.83 e1vjrn170.net
美女木は、中世は足立郡の笹目郷に属しており、正応6年(1293年)以降、笹目郷は鶴岡八幡宮に寄進された土地で、
条里制や鶴岡八幡宮の造営・修復にかかわる地名が小字などに多く残っており、美女木は、流鏑馬による「飛射騎(びしゃき)」の呼称が年とともに変化した呼称であるとする説がある。
また、江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』の美女木村の項には、「もと上笹目と云いしが、古へ京師より故ありて美麗の官女数人、当所に来り居りしことあり、
其頃近村のもの当村をさして美女来とのみ呼しにより、いつとなく村名の如くなりゆきて」と記されており、
旧名が上笹目であり、昔、京都から訳あって、美しい官女数人がこの地に来たことがあり、
近くの村の人が当村を「美女来」と呼んだことが村名の由来とする説を「いとおぼつかなき説なれども」と記し、疑問を呈しながらも紹介している。
また、「ビジョ」は、泥濘(ぬかるみ)を意味し、低湿地を指していることが地名の由来とする説もある。