18/05/25 22:57:12.41 D2YxqQN00.net
デッキ付き客車の初めは「きがらや」の31系であった様に思う。
絞られた車体デッキ部は板パーツの集合だ。
デッキ部を箱に組んでから車体に付ける方法と、車体に仕切板をつけて扉を立てる方法の二通りのやり方があった。
いずれにせよ扉は四角四面に組むために最低限必要な部材に含まれ、開いた状態など不可能だった。
二重屋根を付ける段になればコテ先が内側から届かないという問題もあった。
雨樋で妻板と二重屋根の間の隙間を埋めて行く面倒な仕事を、コテを外側から当てて済ませねばならない。
リベットがついた妻板に平帯を曲げながら添わせてゆくのだし、当時は二段雨どいにしたければ上に貼り重ねていた。
扉の上の雨樋は屋根にかろうじて引っ掛かっているだけで水平垂直が要求され、更に角に雨樋が付くのである。
編成にした人を尊敬する。私は何度も過熱しバラしたので車端部が黒銀色になってしまった。
はんだ付けの腕は相当鍛えられたと思うが、しかし二両目でギブアップし、まだ憂鬱なキットがある。
中古を見るとまず妻板と屋根の間に目が向いてしまう。組みの巧拙が判る。
ムサシノ完成品を見るとため息が出る。ブラスモデルは合いが完璧になるまで試作を繰り返すそうだが、キットでも徹底してほしい。
天賞堂31系完成品はコストパフォーマンスに優れた名作だ。これをある程度揃えたのでキットは無用になった。