17/03/25 21:30:32.82 5xnFGGFI.net
あ、失敗したwww
3:名無しさん@線路いっぱい
17/06/05 22:19:27.88 NpwuHzUz.net
サラシage
4:名無しさん@線路いっぱい
17/08/19 13:49:36.02 e0yWMgnN.net
____
/ \ /\ 貴方のような人は一般社会において、最も忌み嫌われる厄介者であり
. / (ー) (ー)\ まともな社会生活を送れているとは思えませんね キリッ
/ ⌒(__人__)⌒ \
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
ノ \
/´ ヽ
↑蒸機好き ◆sUsWyf6ekg
___
/ \
/ノ \ u. \ !?
/ (●) (●) \
| (__人__) u. | オマユウ クスクス>
\ u.` ⌒´ /
ノ \
/´ ヽ
____
<クスクス / \!??
/ u ノ \
/ u (●) \
| (__人__)|
\ u .` ⌒/
ノ \
/´ ヽ
5:名無しさん@線路いっぱい
17/09/22 18:31:49.92 RG+V9I7w.net
>>4
出禁対象者を煽ってんじゃねーよハゲ
6:名無しさん@線路いっぱい
17/10/07 08:30:00.13 ZRMyhEZy.net
蒸気が本スレ荒らしまくってるので避難用age
7:名無しさん@線路いっぱい
17/10/07 13:35:33.35 cfBbh17B.net
>>6
リソースの有効活用という点でそれも良いのかもしれない。
8:名無しさん@線路いっぱい
17/10/08 05:05:10.44 cCV2qITq.net
しかし誰も乗ってこなかった
9:名無しさん@線路いっぱい
17/10/10 09:16:19.45 n8ok3nGT.net
ここには株ニートは来ないのか?
10:名無しさん@線路いっぱい
17/10/10 10:43:45.88 8+ObfCt6.net
シャブニートは八ヶ崎代表
11:名無しさん@線路いっぱい
17/11/05 10:34:19.80 lgeL6H/C.net
^^
12:名無しさん@線路いっぱい
17/12/06 23:10:54.22 fKd/pfAI.net
age
13:名無しさん@線路いっぱい
18/01/02 21:41:21.74 PMpSo+Kk.net
ここには株ニートは来ないのか?
14:名無しさん@線路いっぱい
18/12/21 00:52:55.13 vYf3ZHnb.net
芋の食い過ぎ 屁の出過ぎ
15:名無しさん@線路いっぱい。
19/03/04 20:57:42.82 GQL3yUKP.net
Q:ここには株ニートは来ないのか?
A:お呼びですか?
単なるニートですが・・・
16:名無しさん@線路いっぱい
20/02/19 02:19:31.59 DE6JVwbB.net
鈴木老いぼれg3(72歳)は認知症なので
信用しないようにしましょう。
17:名無しさん@線路いっぱい
20/12/02 15:07:11.74 smlyz/D3.net
ここは廃墟かな占領占有してもいいかな?
18:名無しさん@線路いっぱい
20/12/02 15:54:42.61 T2Q0TE6t.net
>>17
どうぞよろしくお願い致します。
19:名無しさん@線路いっぱい
20/12/03 09:02:51.26 mwDnf+bA.net
今度はここでやんのか
20:sage
20/12/03 16:52:26.77 bAziVZ9N.net
問題は私に動機がないって事かなw
最近ここに来ることも減ってさ。ネタも貯めてないし。
21:名無しさん@線路いっぱい
20/12/03 18:40:50.75 bAziVZ9N.net
こうか?
すぐ見失うなこのスレw
22:名無しさん@線路いっぱい
20/12/04 18:00:07.67 auz5pZtO.net
鉱山鉄道っていいよね。
そう主張し続けて幾年月。
23:名無しさん@線路いっぱい
20/12/06 02:05:26.45 r+IoA1Sf.net
鉱山鉄道っていいよね!
仕事が明確で、しかも鉄道向きである点がいい。体積のある重量物輸送。
しかも方向により荷姿が大きく違い、いかにも仕事をした感じが漂う。
実物では液体輸送も重量物輸送だけれども、姿形に変化は感じないので寂しい。
鉄道模型では、積荷は積みっぱなしだ。
セキでもホキでもセムでも積車同士が、あるいは空車同士が複線ですれ違うのはおかしい。
積車と空車がすれ違って欲しい。模型で、鉱物資源の片道輸送を再現したい。
では積空二種類の編成を用意すれば・・・って実際にやればわかると思うけど大変で無駄で嫌になるよ。
これが積年の難問。
24:名無しさん@線路いっぱい
20/12/13 09:38:57.31 AulJlxDK.net
Youtubeの前面動画に旧ユーゴスラビアの路線が大量にアップされている。
面白い。戦争で保線どころではなかったのだろう。
結果的に、少し前の時代の線路を高画質で記録したような雰囲気がでている。
25:名無しさん@線路いっぱい
20/12/26 13:49:06.20 SDVjVnTD.net
少し前の話だが大井川鉄道で7200形を見て、格好良さに打ちのめされてしまった。
今までステンレス車を、東急車を嫌って避けていた。
各地のローカル私鉄への導入例を苦々しく感じ、どうせ次は廃線の報せだろうと見限っていた。
積極的に訪れるはずも無い。
のだが!
大井川いいじゃないの。
ステンレスという素材も古びてくると味が出てくるものなのか。
ロケーションの素晴らしさが全てを許し蕩かすのか。
ああ、買ったよ天賞堂。帯無し冷房仕様。年末年始のお楽しみだ。
しばらくこのまま走らせて、やがてウチの会社にもステンレス車が来る時代になったか仕様に改める。
改めるって言っても路線カラー色帯一本プシューするだけですけどね。
こんな醜態を晒すようになるまで営業を続けている設定ではなかった筈なのだが。
26:名無しさん@線路いっぱい
20/12/28 21:38:54.33 UqdNaqPY.net
吉田類の酒場放浪記、西日暮里編にモデルワムが出てきて驚いた。再々再放送ぐらいだろうけど。
ブラスモデル見て金額一桁違うと驚くとか、まぁ、それが一般人の反応だよねー。
27:名無しさん@線路いっぱい
20/12/30 22:05:04.81 LQtcLd8P.net
80の電車は大きい。あと時間軸を現代まで伸ばすと世界観崩壊寸前。
どう考えても地方私鉄への譲渡は90年代だろう。
手持ち車両に並べると世界がブワッと広がる。
ついでに80軽便の存在価値も再認識した。87は小さ過ぎる。
28:名無しさん@線路いっぱい
21/01/02 12:04:07.49 Kr8yE1us.net
三山線の車両史を伸ばして東急7200、くっつかないかな。
三岐鉄道のような会社を興すしかないか。
西武ではなくて東急車が入る三岐。
29:名無しさん@線路いっぱい
21/01/03 15:44:13.46 Ufz0vS24.net
東芝HDB800が格好良過ぎ。
これは製品化が期待されるが、HOでは確実に出るだろう。
日本型世界に持ち込むには好都合。ここで87派は拘りの代償として孤立する。そういう一面を絶対に認めようとしないからますます孤立する。
30:名無しさん@線路いっぱい
21/01/08 23:12:13.28 W86JT8ss.net
メルクリンのスタートセットの中に、LEGOが入っているやつがある。
足回りメルクリンで車体をLEGOで造れというもの。
そう来るか、というか、そういう発想がうらやましい。巨人同士の幸せな結託。
31:名無しさん@線路いっぱい
21/01/08 23:29:58.77 9bq6mv3j.net
>>23
積み込みホッパーの反対側がトンネルで積み下ろしホッパーになっているレイアウトプランがあった。
貨物ヤードも編成が二つありますけど。
32:名無しさん@線路いっぱい
21/01/08 23:37:39.17 9bq6mv3j.net
>>31
積車は積み下ろしがわで突っ込んだら積み込み側で引っ張り出す、空車はその逆。
33:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 00:07:47.50 aIM9vo2B.net
>東芝HDB800が格好良過ぎ。
>これは製品化が期待されるが、HOでは確実に出るだろう。
HOじゃ出ないんじゃね・・・HOn3-1/2 じゃね、それかガニ股で十六番
34:千円亭主
21/01/09 01:10:35.99 yASPaZ2r.net
>>23
米型オアカーをヤフオクなどで大量購入し艶消し黒に塗り変え、まさにそれを愉しもうと企んだ
私がここにおります。尤も日本型化(?)改装に丁度良い小柄なラウンドハウス(MDC)の
製品は20両しか手に入らず、少々大柄なIHC製品とモデルパワー製品が合わせて46両。
大柄ゆえに最後尾が背の高いヨ8000でないとバランス悪い…まっ(笑)安ければいいや。
35:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 11:03:06.49 IRCtuynF.net
>>33
〉それかガニ股で十六番
あぁ、H Oで出るかもしれないんだ。
36:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 11:03:07.28 IRCtuynF.net
>>33
〉それかガニ股で十六番
あぁ、H Oで出るかもしれないんだ。
37:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 12:28:16.10 aIM9vo2B.net
>>35 確信犯な二回書き 2021/01/09(土) 11:03:06.49 ID:IRCtuynF
>>36 確信犯な二回書 2021/01/09(土) 11:03:07.28 ID:IRCtuynF
>>それかガニ股で十六番
>あぁ、H Oで出るかもしれないんだ。
確信犯な二回書きのオツムに中、ガニ股十六番がHOだとよ、解釈は人それぞれだからな(笑)
でもさ、スノープラウ無いと「ガニ股バッチリで、前から見らんね~だろ」ど~よ
見ないフリかい、好みは人それぞれだからな(笑)
立派な下半身でもな(大笑い)
38:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 12:30:30.44 IRCtuynF.net
>>37
人それぞれのHOで出るんだね。
39:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 12:42:37.38 VkExdfmq.net
HDB800の正体ぐらい把握してからにしろよ。
ドイツに納品する標準軌の機関車だぞ。
40:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 14:02:40.46 CNki1yvv.net
>>39
そいつらエアジェージャーだから(どこぞのチェアカー君を見ながらw
41:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 14:06:28.13 CNki1yvv.net
>>39
成程、こういうことですかい。
URLリンク(www.electrive.com)
42:名無しさん@線路いっぱい
21/01/09 19:12:47.59 glUS3Ee8.net
前もって調べる能があれば、わざわざ恥をかきに来ないでしょ
あ、かわいそうだから必死チェッカーで調べてよそで何て書き込んでたか見ちゃだめだぞw
43:名無しさん@線路いっぱい
21/01/10 14:16:22.73 7MpVJ4gB.net
あからさな釣り。仕掛けは見せびらかしている。
火事場にダイナマイトを投げ込むようなものだが期待した爆発は起きて、良い見世物にはなったな。
イデオロギー的闘争が先に立つ争いからは距離を置き、本スレは基本sageで占拠された。以上。
44:名無しさん@線路いっぱい
21/01/10 17:57:07.47 WeKzSXYi.net
なにこれ気持ち悪い
45:名無しさん@線路いっぱい
21/01/10 19:07:29.14 7MpVJ4gB.net
スーツさんが近鉄「楽」を借りて名古屋から京都までの企画列車を走らせた、という動画を見た。
近鉄名古屋線っていいなあ。標準軌の幹線が三重県北部のような状況を走る路線って珍しいよね。
いま色々調べている。
46:名無しさん@線路いっぱい
21/01/17 09:49:32.09 wgWg9Op4.net
東武ED611は格好良い。
日本の電気機関車部門で三枝に入る可愛さ。
このサイズ感と丸みがいい。
栗原時代の派手な色がよく似合う。
私鉄っていいなぁ。
47:名無しさん@線路いっぱい
21/01/17 21:21:40.40 mpvJe9Rd.net
東武時代の並びを再現したい。
でもED 4001のハードルは高いぞ。
珊瑚製品は難しいというし碓氷時代だし、重要なラック関係部品を敢えて付けないというのは勇気がいる。
伊豆箱根仕様を作ったのだから日光仕様も出すと期待していたのだが。
中古は高騰してる。論外だなぁ。
48:名無しさん@線路いっぱい
21/01/19 13:02:08.03 Rtg70Y7G.net
ED4001ってなんだ。
602ね。
ロッド駆動電気機関車であればいいけどな。
49:名無しさん@線路いっぱい
21/01/24 17:20:46.24 Z0pg72/G.net
蒸気機関車で一番良いのはC56。次がC11、その次が9600。
以下はズーーっと距離を置いてドングリの背比べ。
異論は認めるが、同意はしない。
50:名無しさん@線路いっぱい
21/01/25 22:28:23.84 zwq30I92.net
PIKOのHOレールがロコもどきで面白い。
軟質ゴムの特は保護期間が終わったのかもしれない。
本家ROCO製が硬質整形で特許を回避したが客も減らしたように思う。
新参PIKOはさて、どこまでシェアを奪えるか。
ポイントの所でポイントの数だけ道床にハサミを入れねばならない可能性もある訳ですが。
51:名無しさん@線路いっぱい
21/01/30 19:54:12.77 eGts8cAx.net
岡山模型店って、いつになったら袋詰め終わるんだろうか・・・w
室内を考えるとゾッとしてしまう。
52:名無しさん@線路いっぱい
21/02/07 13:57:43.99 XGS556d7.net
椿井文書を知って、少し興奮している。
江戸時代に同一人物により作られた偽書の一群なのだが、その手口が私の理想だ。
架空が多い鉄道ネタ話の作り方を、証拠書類の偽造という分野だが二百年以上先行して実施して逃げ切った奴がいる。
九の真実に一つ嘘を混ぜる。別の角度から引用して信憑性を高める。
咄嗟には指摘しにくい穴を突く。
上手い。やられた、と思う。
53:名無しさん@線路いっぱい
21/02/21 17:20:21.22 fWD4Jo1n.net
戦中戦後の名鉄の西尾蒲郡線が実にカオス。
谷汲線生え抜きの大型単車70型がパンタグラフ乗せて末端部の主役になり、そこでは海軍の基地建設のため国鉄6250型が無蓋車二両を牽引し蒲郡線まで往復している。
蒲郡線は末端非電化で、蒸気動車までいる。国鉄から廻って来ただけで動車としては稼働していないみたいだけど。
数年前まで睨み合っていた吉良駅構内は前述の6250型を通すために急カーブで結ばれて、ここを小なりとはいえ明治時代の東海道線の主力機が通ったのか。
ああ、見たかったなぁ。
54:名無しさん@線路いっぱい
21/02/26 11:07:49.87 VoLFXzh+.net
久しぶりに気になった乗工社の羽鶴を見ようと蓋を開けたらスポンジ崩壊していた。押すと無抵抗で爪先が沈んでゆく。
確か昨年も開封し健全であった筈なので、時期が着たら急激に劣化するという経験談は納得できる。
崩壊はいずれ来るだろうと予め和紙で包んであったので模型へのダメージは見つからない。
乗江社廃業から何年経つのか。金箱銀箱の黒いスポンジはもう駄目だ。
全て開封してベト付かないうちに棄てなくてはならない。
崩壊時期は排気ガスの量に比例するとか言うけど、本当かな。
55:名無しさん@線路いっぱい
21/02/27 16:44:26.38 fn3P72o5.net
戦前、国鉄から私鉄や専用線に向けての小型蒸気機関車の処分に興味ある。
ある形式の処分が始まると、長くても10年ほど譲渡が続く。
ネタがなくなると終わる。その頃には次の形式の処分が始まる。
つまり、私鉄側の希望よりも車両更新という国鉄内部の強い事情が優先されるのだろう。
私鉄が希望した車両は、国鉄が必要とする限り、例外的措置を除いて譲渡は実現しない。
その中で例外的に、私鉄向きだが国鉄には小型過ぎる20トン前後のCタンクは改番の手間さえ惜しいと言わんばかりに常に処分が急がれた。
国鉄経由では数が足りないので新車の製造も盛んになる。少し上の1C1クラスからは、譲渡車が幅を利かせるようになる。
B6級は数は多いのだが国鉄が必要として、なかなか処分しない。
最後のグループはDD13型の目処が立つまで引っ張り続けた。DD13型で代役が果たせたかどうか、疑問だが。
重すぎて私鉄が欲しがらなかったのか、要求を断らねばならないほど国鉄が手放さないのかは不明。
56:名無しさん@線路いっぱい
21/02/27 16:45:07.53 fn3P72o5.net
私がいま足跡を追っているのは、1070形に代表される改造タンク機関車。
1930年代半ばから整理対象となり開戦まで盛んに譲渡が続く。
戦時体制入りしてからは譲渡例は減り、戦後にまた小さなピークを迎えて50年代には国鉄線上より姿を消す。
改造されなかった6250型も似たような経緯をたどっており、結局ボイラーなどの各部の状態が処分時期を左右したのかなと思う。
中堅私鉄に意外とよく出没してはいるのだが、なぜか活動は短期間で終わる事が多い。
大きな動輪径のB型というのは、代役は務まっても長く主役は保てないのか。
同類を日本で最もよく使役したのは、実は東武鉄道だったりして。テンダー機だけど。
その期間の長さは官鉄や日本鉄道を引き離し、それらから余剰車を集めて戦後にATSまで載せて走り続けた。
東海道線や東北線のようなスケールは無く花道も無いが、地味ではないと思う。
けむりプロで東武蒸気本が出ないかと、少し期待している。
タンク改造機に戻る。
使い道を間違えなければ、模型としては好ましいのではないか。
大き過ぎず小さ過ぎず、実に好ましい大きさ感になる。
私に向けてちょうどイイアッピールだけれども。
乗工社製品を見て改めて惚れ込んでしまい、手持ち車両の中からどんな車両と共存するだろうかとあれこれ考えていた次第。
サイドタンクから大きく外に出たエアタンクが可愛い。
57:名無しさん@線路いっぱい
21/03/04 09:14:29.57 hz37yDRc.net
国立公文書館の公開文書すげえな。
膨大な情報量がある。
まだ未公開分があるのが堪らん。
58:名無しさん@線路いっぱい
21/03/13 12:41:52.77 iDmCXzUD.net
忙しい。ネタ培養中だが現地に行きたくなってきた。
県境を超える移動はお控えください・・・
59:名無しさん@線路いっぱい
21/03/13 19:42:12.42 iDmCXzUD.net
吾妻線はなぜ東急による開発を拒んだのだろうか。
まだ世間は混乱期を脱しきれていない時期であるが、東急を断ることと国鉄建設線昇格は連動した動きに思えてならない。
東急は巨額投資リスクを避けて国鉄による建設の段取りをつけたのか。
そんな力技が振えるほどの化け物には見えない。
60:名無しさん@線路いっぱい
21/03/14 18:15:32.72 vQF6wQs+.net
草軽が後に吾妻線となる専用線を土木工事レベルで買収したことは、確からしい。
この辺の事情を整合性ある説明をした記事が見当たらない。
草軽はせっかく買収した予定線を、直ちに国に譲り渡したのか。
国鉄線は概ね専用線線路敷を活用しているらしい。
台風被災はたまたまの偶然なのか。開発を諦めたことと関係あるのか。
悩ましい。
61:名無しさん@線路いっぱい
21/03/15 16:41:33.39 QKE8b3lQ.net
賑わう草津温泉が、鉄道がない理由が判らん。草軽電鉄が速すぎて依存しすぎたか。
草軽電鉄が昭和36年に廃線となったことは、やや唐突だった。このタイミングからの新たな私鉄建設は難しかろう。
同年度中に碓氷峠からアプト式の廃品を貰えるように段取りをつけようとしたが上手く行かず、以後は鉄道に恵まれない観光地となる。
太子鉄山への専用線の橋梁が放置されているのも、何か事情があるのだろうか。通常は速やかに撤去して鉄道建設前に復旧せねばならない筈だ。
残すということは使うあてがあるということで、昭和45年の廃止時点で何かの動きがあったのではないか。
例えば、太子駅から草津温泉に向けての新線構想に必要とか。
先のアプト式草津鉄道構想が、太子駅経由だとしたらどうなったか。
昭和40年前後に草津温泉と太子駅間にアプト式草津電気鉄道を開業させていたら、国鉄太子線も存続していただろう。
しかし草津電気鉄道、収支合いそうもないなあ。太子駅と草津温泉の間にロープウェイを設けてはどうか。索道ならば経営成り立つような気もしますが。
譲渡を受けたED42型が働く草津電鉄。バブル期に新型機も出たりする。
国鉄も観光特急に本腰を入れ、JR化後のいまも高崎駅で新幹線に接続する、吾妻線専用観光特化形特急がある。他所からの改造車だけど線内を何度も往復する。
たとえば五両編成で、これが太子駅に着くとアプト式機関車が尻に連結され、草津温泉へと向かう。
どうかな。651系短縮編成にED42形をつけても、これで文句を言わせない。
62:名無しさん@線路いっぱい
21/03/15 19:05:57.34 QKE8b3lQ.net
草軽電鉄は、昭和35年から十年間ほど営業休止できなかったんだろうか。
軽井沢駅の跡地利用がしたかった、わけではない。驚く無かれ今も駐車場である。
そこから別荘地を抜けるまでは線路敷は処分され、別荘側も喜んで買っただろう。
別荘地から先は、線路敷地はほぼ、原野に戻っているのではないか。
草津温泉側は、橋も流されたことでもあるし残念ながら切り捨てるしかない。
軽井沢駅前から北軽井沢までの区間であれば、極端に運行本数を減らして10年以上の延命はできたのではないか。
具体的に言うと、冬期運休してしまえということ。その状態のまま時間が経てば、夏季には人気を集めるようになるだろう。通年運行も可能となるかもしれない。
先に南半分が廃止となったのは、北軽井沢駅と上州三原駅の間の成績が最低であったことと、軽井沢駅付近で敷地を売れるだけ売って資金回収しようという目論見ではないか。
私の案では真逆である。吾妻川から北を廃止にして、北軽井沢駅から北は勝算なしとして切り捨てる。
冬季は軽井沢駅周辺だけ、せいぜい鶴溜駅までの往復にとどめ、夏季に北軽井沢まで足を延ばす。
その縮小体制で10年間耐え切ればバブル期に設備更新され、現在まで存続することは期待できる。
昔は草津温泉まで走っていたんだけれども台風で流されてね、という解説付きで軽井沢駅にL電が何本も並ぶ。外観は古いが中身は別物の強力機である。
太く整備された軌条の上を、続行運転で次々と発車してゆく。空席も旧軽井沢駅で全て埋まった。全席指定なのです。
どうかな。
63:名無しさん@線路いっぱい
21/03/18 15:49:40.68 gReNNkY3.net
草軽の応用は意外と効く。
似たような架空鉄道を近隣で展開してみる。
64:名無しさん@線路いっぱい
21/03/20 16:42:17.52 Iki5E/7a.net
なぜ国土開発は草軽を買収しなかったのだろうか?
65:名無しさん@線路いっぱい
21/03/20 17:37:48.22 9T2UrJpE.net
なぜキチガイは過疎スレを占拠するのだろうか?
66:名無しさん@線路いっぱい
21/03/21 08:39:06.63 Em4AHE2p.net
草軽鉄道は開業時点においてすでに軽井沢の別荘の客筋を読み違えていたのではないだろうか。
会社の主体となったのは草津温泉の有力者たちと聞く。
当初は吾妻川沿いに降るつもりが、架橋地点に困り、一箇所だけで済む軽井沢を目指した方が安上がりとして信越線へ結んだ。
だから軽井沢別荘文化とは少し、いやかなり筋が違うのだ。
草津温泉は万病に効くというが特に皮膚病に霊験ありとされ、長期湯治の傾向が強かった。
それは草軽の開通で交通の便よくなり滞在短期間に変わって行くのだが、おおよそ別荘の住人とは異なる。
それが、軽井沢の開発を目指した西武コクドの理想からは遠かったのではないだろうか。
67:名無しさん@線路いっぱい
21/03/23 16:44:10.98 5+uliYbm.net
草軽と黒部渓谷鉄道の最初の電気機関車が兄弟であるという説は興味深い。
電気機関車黎明期はこの程度の工事用でも引っ張りだこなのか。
68:名無しさん@線路いっぱい
21/03/24 17:50:09.44 6ea8gewv.net
硫黄つながりで妄想が蔵王に飛んだ。
蔵王高速鉄道を調べると戦前にも計画があったという。温泉側とトラブルが起り頓挫したとか。
この話で辻褄合わない細部は、温泉側は硫黄採掘を問題視したという点だ。
その年代には蔵王で硫黄採掘は既に始まっている。採掘の悪影響を懸念というけど、既に操業している。操業規模拡大を懸念したものか。
戦前蔵王鉄道は、ケチ臭い温泉と組まずに硫黄臭い鉱山と組めばよかった。
鉱山では麓まで索道を敷いたが、それは昭和13年のこと。
大正時代には山奥からの製品搬出で困っていたはずだ。別に温泉所有の土地を跨がねば鉱山まで上れないということでもなかろう。
起点も山形市内に求める必要は無い。奥羽本線の蔵王駅(当時金井駅)に接続すれば良い。
蔵王鉱山までの急勾配をジグザグに登る勾配から、電化の必要はある。
まず手堅く金井駅と蔵王鉱山までを結んで経営を軌道に乗せてから、鉱山から蔵王温泉街までを造ろうと思うけど温泉街はどう考えるかね?と迫ればよかった。
鉱山と温泉は直線距離で2キロ以上離れている。それがどうした。温泉まで延ばしてほしければ土地を寄付しろという事になる。
山形市内など、そこまで出来てから考えればいい。どうせ花巻電鉄のような、路肩を走る軌道線になるだろう。
戦後、硫黄鉱山の閉山までは維持できるかもしれない。鉱山と運命を共にするだろう。
花巻の馬面とジェフリー製機関車が同居するような仮想鉄道の出来上がり。
硫黄を運ぶ貨車が未舗装の県道をゴトゴトと行く、沼尻を電化したような光景になる。
沼尻貨車と草軽L電を連結しても良いわけだ。
蔵王高速鉄道は、一流品を求めた点が間違いだと思う。航空写真を見ても山形、上山双方の市街地は手付かずに見える。
成功例である弘前電気鉄道の弘前市街地へのアプローチの苦しさは、奇跡的なものだ。
国鉄駅を避けた事も賢明だが、いまある線路は建設時点までは洪水氾濫原として放置されていた土地ではなかったか。
普通、土手に線路は敷かせない。良くぞ国が認可したものだ。
国鉄駅正面側にもぐり込む事の難しさは長野駅や浜松駅など実例が無数にある。
蔵王高速鉄道の山形駅はどこに設けるつもりだったのか。戦前の計画ではどうか。
興味は尽きない。
69:名無しさん@線路いっぱい
21/03/25 12:22:46.12 NWVAkam7.net
もっとストレートに沼尻を電化すれば良い。
70:名無しさん@線路いっぱい
21/03/26 10:46:51.89 8yIkBBNZ.net
近江鉄道220型、HOでキットが欲しい。
20m級は俺には長過ぎる。
71:名無しさん@線路いっぱい
21/04/08 20:13:51.66 5LAXFIjD.net
不出来な子ほど可愛いというのなら、JR東海は優秀過ぎて憎たらしくて愛せそうにない。
72:名無しさん@線路いっぱい
21/04/10 17:47:28.84 UdYFDeQP.net
矢口高雄先生のおらが村という漫画を読んでいる。
今時一冊300円という安さでこれが読めるというのは、法外な事だ。
既に故人となられた方だが、その故郷が雄勝線が走った場所であると知り読まずに居れなくなった。
厳密には電車線沿いではなくバス路線沿いの集落の事だが、廃線沿線の当時の世相を知るには最高の環境だろう。
73:名無しさん@線路いっぱい
21/04/12 19:38:00.29 iCsQSTqa.net
世界の車窓から、がアマゾンプライムに出てきた。
かなりの本数がある。細切れでないのが有難い。
74:名無しさん@線路いっぱい
21/04/15 22:08:19.63 bvXORNk6.net
ちょっとあげときますね。
75:名無しさん@線路いっぱい
21/04/20 13:46:06.72 +iE/xDIy.net
宗谷本線が面白い。
Youtubeで旭川駅から普通列車で北上すると、どんどん線路が酷くなってゆく。
最初は立派な旭川駅。架線さえある高架複線なのに、主要駅を経るにつれ両脇の植物が迫力を増す。
ここを、最後のC55客レなどと騒いでいたのかなぁ。
先人たちが撮った画像を漁ると半分が荷物車の4両編成であったようで、列車本数が多かったのだろうが当時でも客車2両なのかと思う。客車だけで6両はあると思ってた。
改めて調べると特急列車設定時期が遅い。サンロクトオは無理にせよヨンサントオには特急ネットワークが通じたと思い込んでいた。道内のエル特急は旭川が北限だったか。
先人たちはSLブームの折、冬季によくぞ遠征してくれたものと思う。今見ても遭難しそうだよ。
日曹天塩炭鉱専用線もいっそう遠く感じられる。時間的にも、距離的にも。
76:名無しさん@線路いっぱい
21/04/22 11:38:29.25 6hE3oJqZ.net
騙されたと思って、LGB 20782 と入力して画像検索してください。
2021年発売。いまならドイツの模型店のどこでも手に入る現行機種です。
色は別として、どこをどう見てもニッポンの地方私鉄でしょ、これ。
フランス製造の機関車ですが特に強い自己主張はなく、日本の車両メーカーが競うようにコピーした可能性が非常に高い。似過ぎでしょう。
実物はメーターゲージで動態保存されています。
つまり、製品のままで、強いて手間を指摘すると連結器をケィディに換装するだけで、ニッポンの1067mm地方鉄道の機関車が手に入ります。
ヘッドライトが気になるかもしれませんね。それはまあ楽しみの一つでしょう。
700ドル前後に運賃プラスで、10万を切ります。
ワールド工芸12mmC型蒸気が完成品12万(既に完売)ですので、どうですか。
いや、なんで薦めてるのか判りませんけど、犬の糞のような車両を真剣に愛でられますか?夢見るレイアウトの可能性はどれぐらい?
12mmよりも家族の理解、得られ易いんじゃないでしょうか。大きさに呆れられますが、大衆の賛同は得易いと思うのです。
77:名無しさん@線路いっぱい
21/04/23 09:10:50.58 qMXimNMu.net
ヨーロッパにもワールド工芸のような会社があるね。
プラダイカストではあり得ない、中華製からも手に余るようなマイナー形式が出てる。
日本からどうやって求めたら良いのか見当もつかないので悔しい。
78:名無しさん@線路いっぱい
21/04/23 10:13:04.75 qMXimNMu.net
衝動的に入札した模型が落札されてしまった。深く反省している。
以前から欲しかった車種なので一目ぼれしたのだが、初めて見るにも拘らず正体を調べることを怠り適当に少し上回る金額で応札した。どうせ落とせないだろ。
その行為そのものを忘れてしまい、昨日メールをチェックしていたところ落札を知らせる件が見つかった。何を買ったのか思い出せない。
正体を探っていたら、結構な規模の電鉄だった。現在も超低床車などを入れて平行する鉄道線と競合しつつ盛業中です。
ウィーンのバーデン地方鉄道。所要一時間借弱、毎時四本のくせにほぼ全区間複線専用軌道。ところどころで併用軌道。なんとまあ豪華な福武線であることよ。
解せないのは最新型電気機関車などを多数保有しているところ。積極経営という奴で、機関車リース業に進出しているのだろうか?
URLリンク(www.railfaneurope.net)
URLリンク(www.railfaneurope.net)
どうだいこれ。前面妻板が左右非対称の馬面電車というところに痺れてしまった。
車体更新を受けているらしいが原形では幅の狭いほうは貫通扉だった可能性もある。根拠はヘッドライトの位置で、中央についてない。
扉は中央とした名鉄モ600型よりも、賢いのではないだろうか。
ニコちゃん大王のようなデコの灯具は何だろう。方向指示器だろうか。なにこれ。
有りがちなナローではなく標準軌なのでガニマタ感が凄い。
見たことない奇妙な連結器をしているし。これどうやってロックするのだろう。
短めの古典的な電車が欲しかった。
プロトタイプに拘らず夢の世界で遊ぼうと思う。岳南デキ1型などと相性は良いはずだ。
79:名無しさん@線路いっぱい
21/04/30 15:18:46.31 TTmomykI.net
アインハイツロコ寸前のドイツの機関車が最高ですね。
蒸気機関車も電気機関車も。
内燃機関には少し早すぎるのも良し。
80:名無しさん@線路いっぱい
21/04/30 16:47:11.97 TTmomykI.net
篠原正瑛教授は今年で没後二十年にもなるのか。
その鉄ヲタ愛満ち溢れた書物の内容が今染み渡るように判るような気がする。
ある程度のレベル以上の本は、本当に関心が向かうまで上っ面の文字の列を眺めているだけで終わる。
しかしウィキペデアの猛追はすごい。日本語版記事も増殖している。
ドイツ語版記事を訳しても、技術的に筋が通らなかったり文脈が通じないことは今も多発しているので、現時点ではまだ教授の著作物がリードしている。
今回はウイキで予習してるから理解度が深いのかもしれない。
81:名無しさん@線路いっぱい
21/05/01 13:47:27.80 HMHHi+zA.net
ポールセルーの旅行記に続編があるとは知らなかった。
古きパタゴニアの急行列車、という。
先ほど古書店で見つけて買い求めた。
先行する鉄道大バザールはよほど売れたらしい。
私も新刊で読んだ。家族旅行で上野より北へ向かうブルートレインに乗るときに多分上野駅で親にねだったのだろう。
車中では字が細かいのと、それどころではないので早々に投げ捨てた。しかし宿についてから四六時中読み耽って親に注意された記憶がある。
その続編を知らないのは、まああり得る。大長編の前作に見劣りしないよう、続編では活字が大きいのが苦心を伺わせる。
82:名無しさん@線路いっぱい
21/05/02 22:47:20.45 oE+xZNRi.net
最近、鉄道模型の模型化プロセスに伴う、「二線式」は本当に必要かつ意義あるものか?という思いに囚われている。
左右いずれかの車輪を絶縁としなくてはならないし、その絶縁車輪へ集電ブラシを当てねばならぬ。
これが結構な弱点だという事は、比べるものを体験していないと全く理解できないだろう。
鉄道模型の、ただ走ることの大切さを考えると三線式は実に楽で、スタートラインにチートが効いている状態だ。
この簡単さを多くの人に知ってほしいと思う。
83:名無しさん@線路いっぱい
21/05/20 18:08:10.20 8tL0HtPf.net
草軽電気鉄道を現在まで延命してみる。
軽井沢は西武鉄道だとか怪しい話が流布しているけど、実は東武鉄道のほうが可能性はあったんじゃないか。
東武日光線は伊勢崎線に匹敵するような延長距離があるではないか。1920年代にこれを完成せしめた東武はすごい実力の持ち主だ。
そして日光線の距離を当てはめると、伊勢崎駅から草津温泉まで届きそうだ。こっちでフルスイングすればどうなったか。
史実では間に挟まる東京電燈前橋線や吾妻軌道があまりにも設備貧弱、酷かったものだから、ゼロから建設するも同然であったこともあり着手に至らなかった。
仮に、たとえば吾妻軌道が親会社のバックアップを受けて秩父鉄道並みの地方私鉄の体裁を備えていたら?東京電燈前橋線が上毛電鉄並みの線路設備であったら?
1920年代半ばの東京電燈編成時に、東電は鉄道経営に積極的ではなかったらしい。
そうなると東電の経営者を兼ねた人物が経営する東武が圧倒的に有利である。
戦前1930年代に東武伊勢崎延長線が中之条町に到達しても、おかしくはないのだ。
開業したばかりの省線上越線に対抗して伊香保と草津の両温泉を、東武の観光地としてアッピールする。熾烈な競争は優秀な車両を残す。
デハ5型やデハ10型は草津方向のためにも製造数が何割も増えることになる。
84:名無しさん@線路いっぱい
21/05/20 18:08:56.78 8tL0HtPf.net
東武鉄道吾妻線は戦時に至り鉄鉱石輸送をその任に加える。何しろ大東武なので戦時買収の可能性はない。
草津温泉にむけて未成区間の半分ほど、長野原までは非電化専用線で出来てしまう。
実際の輸送量は微々たる物に終わったらしいので、明治生まれの古典蒸気機関車が吾妻川に沿って上り下りする。
長野原から先、嬬恋方向へも専用鉄道の路盤は伸び、終戦目前には線路まで敷かれていた。
それを譲り受け営業に耐えうるように、電化など追加設備投資、昭和20年代半ばには嬬恋まで東武嬬恋線として開業を果たす。
前後して独立資本であった草軽電気鉄道が翼下に加わる。嬬恋駅より北を「草津温泉線」、東武嬬恋駅より南を「軽井沢線」と呼称した。
東武5300系電車を主とする急行電車は浅草駅を出て、はるばる4時間をかけて嬬恋駅に到着し、ここで草軽電鉄線に乗換えとなる。
それでも国鉄線碓井峠経由より2時間以上早く東京から草津温泉へと入れるようになり、利用者は増加に転じた。
日光線同様に夏季シーズンは夜行列車も設定された。草軽電鉄は設備増強に追われ、東武との合併に向かう。
85:名無しさん@線路いっぱい
21/05/20 18:10:02.56 8tL0HtPf.net
もちろん台風被害はあるが、すでに草軽線は東武にとって重要な路線である。
初回被災からの復旧時に線路は100mほど上流側に、同時に十メートル近く嵩上げし、市街地を迂回することで東三原のスイッチバックも解消された。
この新吾妻川橋梁は将来の1067mm化も想定した、軽便には不似合いなものだった。
軽井沢方向は国鉄信越線の複線電化など増強に遭い時間的に逆転され苦戦するが、昭和40年代になると高原列車の風情が人気を呼び始める。
L電の続行運転が始まり、やがて黒部渓谷鉄道のような大型凸電が導入され始め・・・・・。
一方で草津温泉方向は抜本的な増強策として1067mmへの改軌が図られる。
途中の急曲線は大胆にショートカットされ、幾本かのトンネルや橋梁に置き換わる。結果的に新線同然となり軽便時代の路盤はほとんどが放棄された。
旧来の草軽電鉄草津温泉駅も立地が悪いと利用されず、大きく東から廻り込んで湯畑に近い場所に東武草津温泉駅が開業する。
以後、日光方面と草津温泉方面は東武を支える二枚看板として、競うようにロマンスカーの投入が続くのであった。
ただし、日光方面が二時間を大きく切るようになったのに対し草津方面は四時間近く、私鉄界でも屈指の乗車時間を誇るようになってしまった。
結果的にロマンスカーも長距離利用に特化したタイプとなっている。
軽井沢における東武の存在感もまた、大きい。北陸新幹線開業後も草津温泉まで含めた回遊ルートを構成し続けている。
国鉄吾妻線など無かったことにするのが大切。
草軽はL電のままでは生き残れないが、黒部渓谷のような長蛇のトロッコ列車となって中山道を横切り観光客に親しまれ続ける。運行本数も黒部並みが必要だろう。
少数のL電は復元されたサマーカーとともに、北軽井沢駅付近で観光列車を牽く。
86:名無しさん@線路いっぱい
21/05/20 18:20:56.61 8tL0HtPf.net
軽井沢駅前の草軽デキ13ですけど、鋳物製側台枠にマイナスネジ頭が幾つも顔を覗かせていますよね。しかも実物を良く見ると、テーパーのついた皿頭になっている。
これはなぜでしょう?当時すでに六角頭ボルトが多用されていたはずです。考えてみました。
皿ネジはテーパーのある下孔加工が面倒臭い。それに六角頭であれば大きなレンチで無理やり外すこともできるし、最悪頭を焼き切ることは、どの鉄工場でもすぐにできる。
それに対しマイナスネジは溝を痛めれば終わりで、そうなったら皿頭のボルトより少し小さな径のドリルでボルトを内側から薄く削って外すという、恐ろしく面倒臭い仕事をしないとリカバリーできない。再組み立て時に必要な皿頭ボルトは特注せねば手に入らないでしょう。
損得を考えた仮説。
「側台枠と連結器ブロックの固定で精密な位置決めがしたかったが、この様な大物鋳造部品同士を溶接で組み上げる事ができなかった」からではないか。
メーカーとしては、このネジが外される事態は全く想定していない。
三本のネジが直線に並んでいないところも、寸法誤差を最小限に抑えようという意図を感じます。
わが国のカトーやサカイでは、同じ側台枠部分の鋳物を凹ませ、薄くなった部分に六角ナットを多数並べています。
連結器ブロックの側にボルトを多数植え込んでいるのでしょう。
連結器ブロック側は貫通孔ではない筈です。側台枠と連結器ブロックの双方が貫通孔の場合、孔とボルト径の隙間だけ二重に動いてボルトが斜めになります。
鉄道車両の場合は致命的で、衝撃でナットもすぐに弛むでしょう。機械設計の禁じ手です。
どの機関車もこの部分だけはナットが表に出ているのは、弛みを覚悟しているためです。
ナットを内側に隠してしまうと、外れていても判りません。
表に出ているナットの喪失は日常点検で判ります。
これは外して台枠をバラバラにすることも必要という設計上の配慮か、それとも皿頭孔加工が面倒臭いのか。
ナット頭露出から見ても、構造上の弱点と認識していたことは確かでしょう。
たまにこの部分のボルトがやけに本数が多い実物がありますが、それは連結器ブロック側も貫通孔で普通のボルトナットで絞めているのではないでしょうか。
正に弱点です。数さえあればナットが何個も欠損して動軸の平行さえ保てなくなるまで時間は稼げます。
皿頭はテーパーの角度が決まっており、それは一般的なドリル先端部とは異なります。
ネジ孔加工の仕上げはテーパー角度にあわせた仕上げ専用の刃先工具が必要となります。
角度が一致しない場合はテーパーのごく一部しか支えにならず、皿頭を用いる意味がなくなります。
絞めるだけで位置が一点に決まるのが皿頭最大の長所であり、単に突出させないだけなら円筒形に深く大きな穴を掘って六角頭ボルトを沈めればよいのです。
カトーやサカイのように。
草軽デキ13のように互い違いに配置した皿頭ボルトはちぐはぐな方向に引っ張り合って釣り合うことで、連結器ブロックと側台枠の位置関係はボルト数本を絞めるだけで全く不変となる筈です。
車両の牽引力の大半は側台枠と連結器ブロックの間の摩擦で伝達されます。皿頭ボルトは両者をきつく締め付けて強い摩擦力を維持するためのものです。
この締め付け力はテーパー部分を通じて伝達されますので、ネジ孔加工は極めて大切な意味を持つわけです。
ボルトの弛みは摩擦力をゼロに等しくしてしまい、牽引力のすべてがボルトを経由することで弛みも加速度的に悪化します。
専用工具を使い精度は出るが台枠の分解はできないジェフリーと、そこは諦めて監視し易くし、台枠までバラバラにできるカトーやサカイ。
いずれが正解なのか。
一体鋳造ができればそれに越したことはないし、溶接技術の進歩で板台枠へと移ってゆくわけです。
87:名無しさん@線路いっぱい
21/05/22 12:25:01.27 RxyAGKUd.net
草軽の電気機関車は、機械としては汎用量産品なのであちこちの軽便へ譲渡話が創作可能だ。
零細な電化軽便自体が物件が少ないわけですけど。
88:名無しさん@線路いっぱい
21/05/23 10:23:24.43 YyJNnS8J.net
水力発電所って津々浦々にあるのね。
小規模発電所が設備更新期に不経済として廃止が相次いだ時期もあるけど、今は小規模水力発電所として再興の機運があるらしい。
89:名無しさん@線路いっぱい
21/05/29 10:24:53.87 IKzVMrxE.net
イギリスの保存鉄道の映像を見ていると、この国に生まれた不幸に浸ってしまう。
90:名無しさん@線路いっぱい
21/06/17 15:22:10.05 9Qblbrm+.net
宇宙イチ格好イイ鉄の塊だと信仰しているC11254が会津田島駅前にある。
同類ジャンル中で頭一つ抜きでて優れた性能の、よい設計。
現場で愛され、しかも兄弟機の中で一番カッコいい。
何も言うことは無い。
何十年も昔にチラ見した。
こんな愛しい物品が近所にあったら生活できない。
ほかのタンク機を見て動悸を抑えてる。
いきなりC11254号機見たら多分死んでしまう。
91:名無しさん@線路いっぱい
21/06/19 15:24:59.72 oBI5uhDK.net
>>89
>イギリスの保存鉄道の映像を見ていると、この国に生まれた不幸に浸ってしまう。
イギリスは日本にはない移民や医療関連の問題を抱えているよ。
特に医療関連の問題は深刻で富裕層出ない限りは緊急を要する盲腸の手術でさえ待たされたり手軽にレントゲン検査も受けられないらしい。
食生活の問題もあり、富裕層を除く一般庶民の平均寿命は日本より短い。
古いものを大切にする習慣があるのは良い事だけどそれに関する社会的な負担も大きい。
92:名無しさん@線路いっぱい
21/06/19 17:39:42.50 SX9wF2G/.net
保存鉄道のために不幸になるのなら、構わないさ。
私の物差しが壊れてるんだよ、最初から最後まで。
93:名無しさん@線路いっぱい
21/06/20 18:23:09.87 DC2eSd8Q.net
一つだけ言っとくと
「不幸になったやつ」は保存鉄道に関わる余裕はないよ
94:名無しさん@線路いっぱい
21/06/20 18:34:23.62 vtA35rge.net
では数々の保存鉄道がある事で、杞憂だと実証されてるんですね!
捨て台詞も少しは考えて言えよと思いました。
95:名無しさん@線路いっぱい
21/06/21 18:39:33.44 wABMLBJd.net
英国には余裕のあるやつとそうでないやつが居るってだけの話だが?
あたまつかお?
96:名無しさん@線路いっぱい
21/06/21 20:07:12.01 XQwOdgPF.net
そもそも俺はイギリスの全肯定などしていないのだよ?
あたま、使おうな、本当に、心配するよ
97:名無しさん@線路いっぱい
21/06/21 21:36:33.65 XQwOdgPF.net
別にイギリスを全肯定してるわけじゃないのよ。
ユートピアなど無い。そんなの当たり前の大前提じゃない。
なんでそんな大前提を受け付けポストに捻じ込んでくる奴が出るわけ?理解不能。
書く必要もないことをわざわざ教えてくれようとする意味は何?
常識を押し売りしておいて、その対応に使う俺の脳細胞などないわw
お前が頭使えよ、ほんとうに。
98:名無しさん@線路いっぱい
21/06/22 18:32:58.77 RLisWpJD.net
自分が不幸な状態なのに保存鉄道の支援とかできるわけねーだろって話に対して
>>94みたいな返しをするのは、必要なことなのかな?
普段どんな扱いされてんのか知らんが、ろくに討論したわけでもない相手の言葉を
捨て台詞扱いするのも頭おかしいし(挨拶代わりに罵られてる日常なのか?)
とにかく>>93のどこがぶっ刺さったのか知らんが、突然錯乱するのは勘弁な
壊れてるのがものさしだけじゃないのは判ったがw
99:名無しさん@線路いっぱい
21/06/25 20:58:09.98 XeVQMDxi.net
そして 1/80・16.5mmの HOゲージプラ完成品は益々増殖し続ける♪
100:名無しさん@線路いっぱい
21/06/25 22:49:02.33 uiCQAOCL.net
グーグルアースでサウスジョージア・サウンスサンドイッチ諸島を探してほしい。
なんじゃそらというのは当然。フォークランド諸島の東の彼方1000キロにある英国領の孤島。
例の戦争で、よせばいいのにアルゼンチン軍が占領したものだから、誰も知らない奪回作戦が行われていた。
フォークランドが果てしなく遠いのに、そこからさらに1000キロですよ。
南極が目と鼻の先にあるため天候に恵まれず、両軍とも敵は空模様という始末。
まあそれはさておき、主な集落らしいクリトピゲンを検索して特定し、ストリートビューで降り立ってほしい。
まずは目標として博物館が良かろう。その庭に。
ナベトロが、おる。
屋内に収まらぬ捕鯨砲などの道具の向こうに、きれいに塗られたナベトロが短い線路の上におる。
こんな極地にナベトロがおるとは・・・
まてよと周囲を探検すると、桟橋のひとつから土に埋もれた細い線路があり、錆びたナベトロがもう一台。
しかもこの線路、桟橋方向を拡大するとペンギンがいる。トロッコとペンギン。
付近にはナベと台枠が分離した奴も何台か見出され、合計で10台前後はいたらしい。
周囲は一面の廃墟で、荒涼としており、錆色と雪の取り合わせがなんともいえぬ。
このナベトロたちは、何を運んでいたのだろう。
鯨油生産が唯一の産業であったらしい。周辺の廃墟は捕鯨産業衰退の結果だろうか。
そうなると、船上で解体した鯨肉でも運搬していたんでしょうかねえ。人力で。
101:名無しさん@線路いっぱい
21/06/29 17:04:32.61 TpF/J+qM.net
Wikiは便利だなあ。
パニアタンクについて一通り勉強できてしまった。日本語版だって英語版で触れていなけりゃタンク式機関車の項目でもスルーだろう。
今ほど知名度を上げるには、機関車トーマスの力なしに考えられない。
ほかにも様々な珍しい様式が、子供のために調べるママさんの懸命の努力で世界的な規模の無駄知識になりつつある。
機関車トーマスを見ていて一番格好いいのがダックですな。異論は構わないが認めん。
そこからパニアタンクの深みにはまる。
この機関車(もちろん実物)を知らなかった訳ではなく、それどころか英国型の泥沼へと誘う恐ろしい存在として警戒対象であった。
トーマスに出てくれば追いかけてしまうのも当然だ。
ただ、以前はパニアタンクという知識を仕入れることは簡単ではなかったように思う。
初めて見たのは大昔の「とれいん」誌上ではあったが、そこにパニエタンクという解説はあっただろうか?
だから、トーマスがwikiを詳しくしたんじゃないかって勝手に思ってる。そのほうが楽しい。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
サイドタンクに対するパニアタンクのメリットが思い浮かばない。
バルブギアのメンテがし易いって、お前らほとんどインサイドシリンダーだろうが。
ランボードの位置が低めで半月型の動輪ケースがあるので、メンテナンスは長所にはならんぞ。
重心は高くなるだろ。だからといってボイラーに重力で給水できるはずも無くインゼクタはついてる。
ハンドレールは高くなるので、低いランボード位置とあわせ外周を歩きやすい。メリットかな。グリースの補充とか地際からでも出来そうな気がする。
パニアアンクとランボードの間に目障りな給油装置とか収めてもあまり気にならない。これはメリット。
結局、ボスになったエンジニアの偏った美意識の産物だろ?
GWRでは雑多な入換機の統一と性能向上を図る際にペルペア式火室を導入することにした。
ペルペア式はボイラー上に平らな場所が出来るので、それまで大半を占めていたサドルタンク機の水槽をすべて交換しなくてはならなくなった。
効率が数パーセント違うというけど、そうまでしてやることか。
普通のサイドタンクでも良いんだろうけど、なぜかパニアタンクという特異な様式に。
最初からパニアタンクの新規製造車がどんどん増えて英国でも有名な一大勢力に。
国有化で旧GWR地域から離れた場所にも生息域を広げて、GWRだけでなく英国蒸気のアイコンの一つになる。
俺この形が好きだから、で採用したということにしてほしい。
特に長所など無くて良い。美しいセンスが形になった、すばらしい機械だと思う。
102:名無しさん@線路いっぱい
21/06/29 17:36:19.94 TpF/J+qM.net
上の文章を書いた後、パニアタンクとぺルペア火室の深いかかわりが判ってきた。
バニアタンクの謎も解けた。
元は大量の、そして出所も多様なサドルタンク機の群れであったらしい。
当時のGWRは超広軌の乱痴気騒ぎの後遺症もあって、機関車を部品単位で見て適時組み合わせて出場させることに違和感を感じないという面があった。
検査に一番時間がかかるボイラーなど、ストック品から載せられるものを載せて出してしまう。工場敷地が狭かったんだろうな。
そういう中に、効率を改善した新型ボイラーとしてペルペア式火室を設計し、検査交換サイクルに入れてしまった。
だから、「パニアタンク付新型ボイラー」は、「サドルタンク付旧型ボイラー」と完全な寸法互換性があった。
入換機が入場したときに、先に検査終了した足回りに載せられるボイラーが新型か旧型かは、わからない。
以前はバニアタンク付新型が載っていた番号が入場して出場するとサドルタンク付旧型であったりする。
だから、サイドタンクでは無理なわけだ。サドルタンク機時代のランボードが板大枠についているから。
ランボードとペルペア式火室を避けたタンク体の形が、パニアタンクということ。
そのうちにこの標準ボイラー規格を使う足回りだけ新たに製造して新ナンバーを収得したりする。
その新ナンバーも検査サイクルに入ると、古いサドルタンクを背負って出場することがある。
こうして、写真と番号を見比べてファンを楽しませることになる。
こんな検査体制を敷いているのはGWRぐらいなもの。他社はランボードから作り変えればよいので真似をしない。
美意識の産物ではないが、パニエタンクの曲線に美意識を見出したい。
103:名無しさん@線路いっぱい
21/07/04 09:29:05.24 uG7l0MC2.net
GWRって深いな。趣味探求の限界、底が見えない。
まず英米ファンが100年かけて掘った深い穴の存在を感じる。
104:名無しさん@線路いっぱい
21/07/07 09:50:16.20 gXi2PGTl.net
ルクセンブルグ5519号機
間違いなくドイツの042型だけれども、一度もドイツ国籍であったことがない戦後生まれ。
しかも現時点ではルクセンブルグ国鉄の信号システムに対応できておらず、活動の本拠地をドイツ国内においている。
でもドイツ籍ではないので、ドイツの保存蒸気のリストからは漏れていることが結構ある。
042型で稼動状態にあるのは、現時点でこの一両だけ。
オーストリアのウィーンにあって、いまは操業を止めた車両工場の製品。
戦時中にこの工場ではまず52型の量産に参加していたけど、生産計画の変更で途中から42型の主力生産拠点に指定されたか、敗戦前には完成車を送り出し始めていた。
ドイツ本国内メーカーは戦車生産に動員され機関車製造からは手を引いていたようだ。占領地のメーカーを動員した52型の大量産はまず上手く運んでいたということだろう。
42型は52型の重量増加、出力強化型のはずだが材料が思うように集まらず予定の性能を出すことに苦労はしたようだ。
(42型という形式は、軽量52型の量産構造と高出力43型の折衷という意味があるのではないか)
戦後の復興についても42型なら売れると見込んだのか、確約がないまま大量の見込み生産を始めたのです。これが過ちの始まり。
東西ドイツからはキャンセルされ、頼みのオーストリア国鉄からは、水力発電で電力余ってるから幹線電化を急ぐと断られた。
大量の完成車が行く先もなく側線を埋めていたところを、深刻な車両不足に悩むルクセンブルグが見つけた。
まだソ連占領時代の1949年のことで、20両まとめてバーゲン価格で引き取った。
ちなみにこの会社からは1952年にもブルガリアに、33両も42型が売れている。
その後に他の車両製造会社に吸収されて今は存在しないが、大量の見込み生産品が業績悪化を招いたのではないか。
当時、ルクセンブルグは大戦末期のバルジの戦いで国土は荒廃の極みにあり、独立維持が危ぶまれるほどの状況にあった。
戦前から欲を持つベルギーが併合を提案さえしたけど、戦争前の旧状復帰を求めた米英仏の介入で阻止された。
ベルギー自体が破綻寸前だったし、大戦中にベルギー王室がドイツ寄りであったことを、特にアメリカは忘れていない。それにフランスもベネルクスが強くなることを望まない。
この地域は米英独仏のパワーバランスの影響下にあり、集団安保や金融業の成功でルクセンブルグが発展し始めるのは後の話。
当時はまぁ、観光地も無くて退屈極まるカリオストロ公国みたいなものだろう。
廃墟の中で発足したルクセンブルグ国鉄は、連合国からの救援物資としてイギリス製のコンソリ「リべレーションクラス」を20両手に入れて、ようやく一息ついていた。
復興に役立つ材料としては、戦後すぐから隣のフランスでは深刻な石炭不足が起きており、ルクセンブルグ国内の炭鉱から輸出すれば安直に外貨が稼げる情勢にあった。
そのための重牽引貨物用機関車を探していて、オーストリア製42型のバーゲンセールに出会ったわけだ。
1950年代に入ると、フランスは輸送量が急増した石炭輸送ルートを電化することにした。ルクセンブルグやベルギーの国境近くである。
しかも商用周波数交流電化。戦前から仏国内で研究は進んでいたという下地があったのはもちろんだが、旧ドイツ占領地から接収した交流電化設備の影響も大きい。
この電化で、初期交流電気機関車の名作であるBB12000型を生んだ。
この石炭輸送ルートにルクセンブルグが片足を深く突っ込んでいたお陰で、ルクセンブルグ国鉄も全く同型のBB3600型を20両、導入することになる。
1958年ごろのことで、このころに発足したEC体制下でルクセンブルグは金融首都として発展し始める。
交流電化が蒸気機関車引退を早めたのは間違いない。直接的にはディーゼル機関車に交代した。
しばらく公園機関車として余生を過ごしていた5519号機だが、復活を遂げる。
このタイミングが良かった。最初はルクセンブルグ国鉄工場で修繕をしていたのだが、東西ドイツ統一が起きてしまう。
これで旧東ドイツ内の企業に自由にアクセスできるようになった。そして旧東ドイツには、蒸気機関車のボイラー製造能力を保持し続けていた企業が残っていたのだ。
5519号機は旧東ドイツ内で残りの修繕を済ませ、動態保存機として再デビューを飾る。
更に2001年には同所で製造された溶接ボイラーに交換したとの事。「全力で走ることができる、042型」という地位を手に入れた。
生粋のドイツ人から見れば、間違いなく純正042型でもドイツの鉄道の籍を一度も得ていないことが、気に障るらしい。
製造時点では042型としての仮番(戦時生産下での計画だが)で扱われていたが、結局その番号では構内試運転程度しかしていない筈だ。
105:名無しさん@線路いっぱい
21/07/11 18:51:30.86 XMi5F6Zf.net
ダージリン鉄道の新しい動画が色々出ている。
撮り方の上手な人が、一度に見るのに適切な尺で多数上げている。
すごく楽しい。
106:名無しさん@線路いっぱい
21/07/15 18:20:51.31 2kqPaHdr.net
戦時中に急造されていた上信鉱業専用線が草軽に買収されることで、草軽の延命が図れなかったのは残念なことだ。
専用線は路盤まで完成していたとされるが、買収失敗については原因が判らないままだ。
用地買収には成功していたという記述もあれば、東急が乗り出してもできなかったという記述もある。
その理由は・・敗戦直後の資材難の価値観をもって評価しても、当時の草軽電鉄があり無いほど酷かったせいではないだろうか?
いまさらあんなものに走られても困るというのが、住民の正直な気持ちなのかもしれない。
D51型が入線可能という国鉄長野原線がすでに来ており旅客営業も間近だというのに、昭和20年代になって草軽レベルの軽便鉄道が通じても困る。
長野原駅から嬬恋方向にも国鉄規格の線路を作ってくれ。
と、いう要望が地元からあったのではないかと思うのだが、どこにも気配が無い。
そういう動きでもないと空白が埋められないのだが、肝心のピースがみつからない。
そもそも、なぜ長野原線改め吾妻線の、長野原駅から西に向けて、大前駅までの間が建設されたのだろう?
東急がここでも「やらかした」のではないか。
着工は昭和38年です。この時期に東急は大糸線沿線の白馬にスキー場をつくり、「タイミングよく」、地元自治体が県を通じて請願した南小谷電化工事が行われています。
村の中心市街地でも無い南小谷駅が電化工事の終点に選ばれた理由は駅前にバス転回場を設ける事が出来たからで、癒着というのも恥ずかしくなるほどに官民がガッチリ手を携えた観光開発でした。
東急にとっては、大糸線白馬電化よりも長野原線延伸案件のほうが関わりが古い。長野原線の成功体験を大糸線電化推進に応用したのではないか。
草軽が東急と関係を持ったのは敗戦前のことで、いくらなんでも速すぎる。これも事情がありそうだが、草軽のほうから東急翼下に入ることを選んだとある。
東急対西武の対決に最初に火を放ったのは、実は草軽鉄道かもしれない。
草軽は草津温泉関係者により設立され、湯治客を運びつつ北軽井沢の別荘地開発で知られる。これが軽井沢を創業の地とするコクドの気に触ったのではないだろうか。
コクドは、戦前の異様に早い時期に浅間山麓に自動車専用道路を開業させる。
高所得層しかいない別荘の住人の自家用車保有率は問題なかったろうし、軽井沢を他の方向に出ても道は未舗装で、ドライブという気分になり難い。
だから高所得層向け有料自動車道路という発想は正しいのだが、問題はこの道路がほぼ、草軽電鉄に並行する点です。ああ縦割行政。
今まで西武と東急の争いを論じた記事は多いが、戦前のコクド対草軽という図式を論じた人はいるだろうか?
草軽が東急翼下に入ったのは、西武の圧力に耐えきれなくなっていたのではないか。
戦前すでに圧倒されっぱなしで、戦中の産業統制が終われば西武に押し潰されるのは目に見えていた。
107:名無しさん@線路いっぱい
21/07/15 18:21:33.54 2kqPaHdr.net
それにしても鮮やかな対比です。
有料道路を行く、ほとんど輸入車であろうマイカーを運転する別荘の主が、コクドの客。
凝った観光用の客車をもつとはいえ極限の最底辺の設備で温泉湯治客を運ぶ草軽電鉄。
有料道路にバスが走り始めたら、草軽側は圧倒されたのでしょう。そこに天災です。
草軽電鉄は社業の発展を、上信鉱業線を合わせる事に賭けた。コクドに押し潰されそうなので東急との資本関係を望んだ。
天災を受けるまでも無く、東急はコクド相手では草軽電鉄線を推しても勝てないと見た。地元も軽便鉄道の延伸には気乗りしていない。
そこで東急は、草軽が望む専用線買収案件を適当に流した。草軽電鉄サイドの記述に乱れがあるのはこのためだ。
その代わり、長野原線の嬬恋延伸を企てた。東急資本を動員することはない、国に作らせれば良いのだ。
天災を逃さず草軽には廃線を指導し、バス会社として手足のように使う。
地元長野原町はこの後、コクドと対立する。
file:///C:/Users/design-kondo/Downloads/atomi_kankomi3_07%20.pdf
この論文は長野原町視点で記述されたものだ。
民間資本を活用するにあたり、まず草軽東急ありきであることに少し戸惑いを覚える。
そしてコクドが妨害に出て、自治体とコクドの間で裁判になる。
なぜ草軽東急と長野原町が「ズブズブの関係」にあるのかは、この論文では触れられていない。
コクドの立場に立てば、小資本草軽が相手であった筈のものを東急が出てきて、しかも自治体を味方につけて逆にコクドを圧迫し始めたことが腹に据えかねたのではないか。
伊豆戦争や箱根戦争と比べて、軽井沢は西武の圧勝もしくは無風状態と捉えられてきた。
実は異なり、しかも爆薬の点火スイッチが押されたのは、浅間山麓ではないだろうか?
108:名無しさん@線路いっぱい
21/07/15 21:40:14.44 2kqPaHdr.net
迷宮食堂、キューバ、ハーシー編
インターアーバンの工場にヒロシがグイグイ入ってゆく。
あそこ、モーターコイル手巻きで修繕してるんだね。
普通に撮ってると出てこない映像だよ。
109:名無しさん@線路いっぱい
21/07/18 10:01:32.38 XVfHS7ps.net
コロナが終息したら、また軽井沢に行きたい。
行き先は廃線跡なので道路が少々混む事を除けば空いてるし。
前回よりも、もう少し奥に入りたい。
110:名無しさん@線路いっぱい
21/07/19 19:19:47.39 EToEpBge.net
草軽のホハ30型だけれども、形式図の説明に室内端部を仕切ることができるとある。
これは、病客車ホヘ19号の代わりではないだろうか。
ホハ30型と入れ替わるように病客車ホヘ19号が引退している。
ホヘ19号の運用実態は酷いものであったというが、果たしてどれだけ利用されたのか。
以下私の想像です。
ホヘ19号による病人輸送用夜行列車は細々と運行が続いた。
それは会社と群馬県の合意事項なので履行せざるを得ないことなのだが、しかし会社はこの列車の面倒くささに音を上げてしまった。
そこで昭和7年のホハ23型、続いて翌昭和8年から量産が始まるホハ30型に工夫を凝らした。
どうせ病人の利用者はいないのだし、客車の端部に仕切り壁をもうけて、いざ本当に来たときは仮設の寝床を設けてカーテン等で仕切ればいいではないか。
寝床を置く可能性があるので、そちら側の妻板の扉は引き戸になっている。
群馬県より病院へは送迎用に自動車が貸し与えられており、その自動車が上越線渋川駅などから病院までを結んでいた。
その結果、草軽鉄道も(やる気の無い)病人輸送をしていることは、患者界隈ではすっかり忘れられていたのではないだろうか。
草軽は病人用夜行列車の存在を極力伏せたはずだし、行政や病院の側はトラブル回避のために自動車の活用を病人に勧めたはずだ。
そこで利用実態のない病人専用列車を廃止するため、群馬県には今後は昼間の列車の客車内に仕切りを設けて対処しますと報告した。
差別がますます高まる時勢だけに、何ら問題とはされなかったのだろう。
表向きは昼間の定期列車に病人も便乗可能となったわけだが、自動車への隔離追放が成功したからこその便乗容認ではないだろうか。
患者隔離設備はホハ30型にしかなさそうだが、運用は限定されていたのだろうか?
どうもそんな事はなさそうな気がする。
新軽井沢駅で切符を買おうとする病人はゼロに等しく、仮にいても先ず病院に電話をするように薦められ、病院でも即応するようになったのではないか。
迎えに参上すれば、病人が温泉街へ宿を取る可能性もない。
草軽は有料だが送迎自動車は無料の筈だ。
ホハ30型によりタテマエでは病人輸送の責を担いながらも、病人輸送からは解放されたわけだ。
111:名無しさん@線路いっぱい
21/07/20 19:08:48.99 WKEz5761.net
>患者隔離設備
このスレのことか
112:名無しさん@線路いっぱい
21/07/22 09:58:34.33 MDw948W7.net
田口線の起点、飯田線本長篠駅構内、よくこれで認可されたな。
急勾配を下って入ってくる田口線側に安全側線の類がない。
制御不能の電気機関車が勾配を下り降りてくる事故は実際に起きたらしい。
経営陣が実質同じであったとしても、実質的に支線であるとしても、配慮無さすぎ。
しかも飯田線は国有化してるわけです。
今の第三セクターの縁切りとは大違いで興味深い。
113:名無しさん@線路いっぱい
21/07/22 16:17:00.67 eejax+Y3.net
標準軌の地方私鉄、やりたくなってきたなぁ。前スレの続きで。
114:名無しさん@線路いっぱい
21/07/26 23:28:02.53 glHlL+iA.net
小川功氏の軽井沢、吾妻に関する論文が面白くて仕方がない。
ネットで読めるのは有難いが、まとまった本で読みたい。
115:名無しさん@線路いっぱい
21/07/29 12:22:56.45 aRYfqbVB.net
海外情報が簡単に手に入るようになると、いままでのような適当な振る舞いが難しくなってくるな。
ヘレンタール線に興味を抱いて調べはじめたは良いが、次から次へと出てくる情報量に圧倒される。
おかしい、こんな筈ではなかった。
日本の鉄道模型を侵し滅ぼす悪癖だと私が思う、フル編成、特定番号嗜好。
こんなもの想像力を減衰させる悪趣味の類でしかない。走らせて見分けがつかない細部に金を費やすべきではない。それよりも楽しい鉄道模型に時間を費やそうぜ。
そこを、外国型鉄道模型は都合が良かった。元情報が言語の壁の向こう側にあるので、見えない。
何十両と並ぶヨーロッパの蒸気機関車の棚を見て一言。うわー、全部同じだー、と思えてしまうんですよ。
あくまでも外国型の場合はね。これは情報量不足が成せる悪戯。
日本型蒸気機関車の場合は同じ形式が何両と並んでいても仕様の違いとその背景がすぐに連想されて、見飽きるということがない。
全てのバージョン違いを理解して各々に物欲が沸く。
しかし外国型は、例えばドイツ蒸気に限定しても、44型と43型の差が判らないし、テンダーの形態違いから連想する事象に乏しい。
軸配置が同じなら01と03の両方持つ必要無いんじゃね?これ日本で言えばC62とC59以上の差が開くのだろうけど・・・。
無知とは恐ろしいが、それでも今までは無知で生活できていた。万人に開かれた優れた情報源が無いから。
今は違う。WIKIのドイツ母国語記事が莫大な量に達し、機械翻訳も精度が上がり鉄道用語の法則を理解すれば内容は読めてしまう。
情報のダムが決壊し、無知の平野を大洪水が襲う。
先のルクセンブルグの保存蒸気機関車だって、ほんの少し前まで存在を掴むことさえ難しかったはずだ。
いまは模型店の棚から特定番号の製品を見つける能力が、ついてしまった。
編成の特定も簡単だろう。それが皆が共有する時代が来る。ああ困った困った。
116:名無しさん@線路いっぱい
21/07/29 19:22:30.52 RgC1d57c.net
>いままでのような適当な振る舞いが難しくなってくるな。
過疎スレ占拠してるような奴がなに気にしてんだ
キチガイの思考はマジわからん
117:名無しさん@線路いっぱい
21/07/29 20:07:42.03 aRYfqbVB.net
過疎スレは使って消費するのが正しい。志半ばに倒れた1への供養にもなろう。
お前も何か面白いことを書き込みたまえ。ここでも、他の過疎スレでもいい。
118:名無しさん@線路いっぱい
21/07/29 20:22:15.82 PCE9UBtu.net
ヘレンタール線の前面展望映像も簡単に視聴できる。もう誰もテレビ番組に戻らないだろう。
そこで、何という急勾配と急曲線の連続であることか。55‰の登坂が、右に左に折れながら延々と続く。
これを標準軌で敷いて、しかも粘着式にして、さらに商用周波数交流電化の試験線にする。
粘着運転の切り札として投じられた85型は三気筒機で、44型から足回りの設計を流用している。
それでも55‰勾配で僅か165トンしか牽引出来なかった。平坦区間のおおよそ1割でしかない。
ドイツ人の狂気を感じる。
119:名無しさん@線路いっぱい
21/07/29 21:30:47.94 PCE9UBtu.net
ちょっと魔がさして仙山線の前面展望も見てみた。もちろん仙台から勾配を登る方向で。
共通するのは亜幹線でさえない所と、急勾配の交流電化試験線と言う所か。
そこ以外は全然違う。当たり前か。
右に左に頑張って登ってくれるけど、33‰だからなぁ。
120:名無しさん@線路いっぱい
21/07/30 18:20:40.37 PCS86YMW.net
>狂気を感じる。
121:名無しさん@線路いっぱい
21/07/30 18:21:02.73 PCS86YMW.net
あ、遊んでやってるわけじゃないから勘違いすんなよ?
122:名無しさん@線路いっぱい
21/08/03 22:51:26.67 74gxqU32z
ここの住人キ○チガイ
123:名無しさん@線路いっぱい
21/08/07 13:43:38.22 Np924Daa.net
良い感じの里に来ると、架空の鉄道を敷いてやりたくなる。
特に何の産業もなさそうだと途方に暮れてしまう。
124:名無しさん@線路いっぱい
21/08/07 19:05:06.58 1qicvC6t.net
もう立ち直って日記帳かよ
さすキチ
125:名無しさん@線路いっぱい
21/08/07 21:51:37.85 F/BfLoMg.net
55‰の勾配って碓氷峠の手前ぐらいはある。
五動軸もあるBR85型が二軸客車三両と荷物車一両しか牽引していない戦前の記録映画もある。
これ、連結器が破断したら大事故でしょう。動力車を勾配の下に置くという登山鉄道の方法を用いない。
あくまでも普通の鉄道として、僅かな乗客に大型機を充てがう。
信越本線と異なり、迂回する術がないというのとも違う。大きな輸送量を持つ幹線はやや離れて並行して存在する。
なんのために作ったんだろう、この路線。
126:名無しさん@線路いっぱい
21/08/16 20:31:33.10 POIzwj2F.net
やっぱり蒸気機関車の動輪は一つでも多い方が良いな!
127:名無しさん@線路いっぱい
21/08/19 14:08:16.55 SMDdZA7T.net
メルクリンの4656と言う貨車をご存知だろうか。
何十年も昔に出た製品だが、独特の形が災いしたか日本では滅多に見かけない。
動く弁当箱という体裁でまことに見た目が悪い。
URLリンク(marnan.eu)
私はこれを、自由形フリーランスだと長く決め付けていた。グランピー鉱車のようなものだと考えていた。
だって実物写真に全く見かけない形だもの。こんなに容積が大きくて二軸貨車というのもおかしい。
ところが、ネットとは面白いもので、改めて正体を探ったら実物が出て来た。
URLリンク(www.cooltrain.be)
えええええ・・・。
これ、メルクリンにしてはかなり再現度の高い模型だったの?
模型化したのは登場まもない時期であり、運用開始後すぐにページ下のほうのワッフル模様の補強がついた、らしい。
輸送中に積荷が凍結して、払い落すためにガンガン叩かれたんだね。
叩くといえば中京地区にいる赤ホキの車体下部にある丸い模様は、冬場に凍結したらこの円を狙って叩けという意味だってね。
最近登場した後継形式には丸はついてないので、省力化のために作業方法が変わったのだろう。積荷カバーと関係あるかもしれない。
ドイツで現役のFalnsシリーズの側扉には打撃痕もないし、そもそも厚みがあるように見える。
二重にして断熱層を設け積荷の凍結を防ぎ、機械的に強引に開けるのか。
日本のセキでは石炭が壁内側にガッチリと張り付いて、扉の開放を妨げるほどだったと聞く。
開放は手動でハンドルが廻るようになるまで、真冬の吹き曝しの石炭埠頭高架桟橋の上で大勢の人夫がガンガンガンガン叩き続けていたらしい。
当時でも問題になるほど低効率で超ブラックな職場であったそうで、やがて蒸気で貨車ごと蒸して氷を解かし、さらに貨車ごとひっくり返す設備が整えられるに至る。
扉を開けないのに専用のバスタブゴンドラを開発しなかった怠慢は永遠の謎だ。
そう言う事情を踏まえると、非常に近い構造のベルギーワッフル貨車が気になります。
メルクリン4656も冬場の荷降ろしの際にはガンガン叩かれて、工業地帯に物悲しい音を響かせていたのかもしれません。
それを割り引いても実物の貨物列車に見かけない理由は、ベルギー国内の炭鉱とオランダ国境付近にある工場のあいだを往復するだけの、限定運用だったから。
この二軸貨車、最高速度は何キロまで許容されたのだろう。
日本で喩えるとエンドウブリキ貨車のミ10型みたいなもの、かな。
模型では知ってるけど実物は見たことがないという奴。
128:名無しさん@線路いっぱい
21/08/20 00:52:26.77 pJAgpqMZ2
URLリンク(youtu.be)
129:名無しさん@線路いっぱい
21/08/20 20:34:52.37 ucULNc1Q.net
タクナーアリカ間鉄道
ペルー国の南部にあるタクナ市内に素敵な廃線を見つけ追跡していたら、この線路は現役だった。
タクナはペルー、アリカはチリに属し、植民地からの独立後に、新興国家間の戦争により領土が複雑に入れ替わっている。
元は内陸部のタクナ市とアリカ港という関係で、ペルーの鉄道では最古に近いものらしい。
戦争で両市の間に国境が引かれてしまったが、戦勝国チリは戦勝時点でタクナ市まで占領、領有したものを、アメリカの仲介でペルーに占領地の北側を返還した。
こういうケースでは怨恨が長く残りそうなものだが、領有権などで対立が起きてなさそうなのが不思議だ。
多分、戦争前はボリビアの領土であったらしいことが、両国間を共犯意識で連帯を可能にしてるんじゃないのかなー?
内陸国ボリビアが太平洋岸の領有権を主張し、チリとの関係があまりよろしくないのは有名です。
考えすぎか。
よく判らないがチリ領内の鉄道施設もペルーが所有し管理し続けているらしい。
その管理も鉄道というカテゴリーではなく、ペルーの交通文化財という事らしいので驚く。
稼働車両は一両だけで、2010年代に製造された可能性もあるが、なんと、片方向にしか進めないタンタン式?気動車である。
世界でも最新の実例ではないだろうか。
130:名無しさん@線路いっぱい
21/08/21 22:11:46.05 PhKUlkVO.net
ブラジルでオリジナルのHOゲージの鉄道模型製品がかなり豊富に出回っている。
中国製かもしれない。
中国で中国型が色々出ていることは知っていたが、まさかブラジルでも自国車両の製品化の動きがあったとは。
地域柄、アメリカの車両の偽物の様な形が多くて面白い。特に貨車は、塗替え品かもしれない。
これ、日本でも買えないかな。アメリカの模型店では扱いはない様だ。
131:名無しさん@線路いっぱい
21/08/25 20:54:33.90 aEKj1s1f.net
ブラジルの鉄道模型メーカーですけど、EMDのG12A1Aというやつが出てるじゃないですか。
これは悩ましい問題が起きた・・・・。判ってますでしょうか?
アメリカの汎用輸出型機関車でも台車内に遊軸を与えて、軸重軽量化に努めてるタイプです。
台湾に1067mm版が入ってきておりましてね。
ええ・・・台湾のHOは1/80スケールを採用する16.5mmゲージで御座います。
ブラジル製はHOで、1/87スケール16.5mmゲージです。
な、並べてやりたい・・・・・・。
日本でも様々なノックダウン試作機をムサシノモデルが1/80で作ってますし、輸入機であるDD12型など1/87製品と並べてやることは可能なので今更ですけど。
言わずもがなですけどブラジルは標準軌よりも広軌の勢力が強く、アルゼンチンやチリと並んで南米に広軌鉄道網を広げています。
三か国相互の連携が今も恐ろしく悪いのが理解できませんが。
そのブラジルのHOが、1/87はともかく、シレっと16.5mmゲージでありますのは当然ですが面白い。
「HOとはまず16.5mmゲージのことだ」説を補強するものであります。
日本以外の世界中の常識HO・・・・などという主張があやふやなものになります。
汎世界で常識のHOとは、日本と南米も例外としないHOゲージのほうでしょう。
132:名無しさん@線路いっぱい
21/08/25 20:55:37.53 aEKj1s1f.net
さて機関車に戻るとして、EMDのG12型は日本も避けて通れない。
IFの話ですが、日米貿易摩擦で貿易障壁なるものが崩されたわけです。
もし仮に貿易障壁がもっと早く崩されて存在しないとしたら、G12型はまとまった数が輸入されていた可能性が出て来ます。
日立製DF91型とEMDの関係は、語られた資料を見たことはありません。
EMD製の低軸重型輸出機とDF91型は外観がよく似ているほか、台湾では一連のシリーズ扱いも同然の様に見えます。
DF91型のエンジンがドイツ製という事もあり、登場の背景については私は判りません。
日立のライバルである日本車両が、GEと提携して釧路のDE601型を作ってます。
国鉄は海外企業と日本企業が個別にパテント契約を結んで製品を供給する体制を、嫌っていた節があります。
オールジャパン体制で国鉄指定の複数企業が競争入札をする。
裏で談合まみれであろうとタテマエは日本企業だけで競争入札があるという美学?が大切だった。
いくら世界市場で売れていようが、海外企業のパテントで縛られて独占契約となる技術は発注できないのです。
三菱製DD54型も、故障頻発ならDD51型だって同じですしDD20型のように国産機も死屍累々ではないですか。
三菱がパテントを持つから欲しくても買えないし、早期引退の理由を故障に求めざるを得なかった、というのが真実ではないでしょうか?
DD54型のドイツ本家形式ってまだ本国で現役機がいるらしいですね。何が欠陥機だ。
DD51型の最大の長所とは、日本企業であればだれでも競争入札に参加できる点でしょう。
それが貿易障壁なのです。
日立=EMD、日本車両=GE、加えて三菱=ドイツ企業連合?の三グループはいずれも海外企業の進んだ技術力を背景に国鉄市場に食い込もうと働きかけますが、凡庸なDD51型にバッサリと切られて排除されたのです。
話を元に戻します。
貿易障壁が外国の圧力で早々と崩されていたら、どうなっていたか。
国鉄色の、日立によるノックダウン生産のEMD=G12型、軸配置A1A仕様が、かなりまとまった数で日本の線路上を走りまくっていたことでしょう。台湾の鉄道と似た状況です。
それがHO模型が市販されており、1/87スケールの16.5mmゲージである点で非常に面白いと思うわけです。
国鉄色に塗り替えて、10系寝台車などを含む夜行急行でも牽引させてやりたい。
133:名無しさん@線路いっぱい
21/08/28 09:08:02.43 EUgalZeD.net
ブラジルの鉄道の動画、探し慣れてくると紐付けされるのか、急にヒット数が増える。
今まで未知の地域だけに新鮮。
意外とメーターゲージが多いように思えるが、どの路線のいつの動画なのかまでは探れない。
三線軌道の走行動画もありました。
134:名無しさん@線路いっぱい
21/08/28 17:19:33.75 EUgalZeD.net
DD51型は少し偏見で見過ぎたかもしれない。
とりあえず格好は良いよね。
これで折れたらクロコダイルだったのに(毒
135:名無しさん@線路いっぱい
21/09/04 17:30:04.49 2Ttk3KyY.net
定山渓鉄道の本、発売時はスルーしていたけど立ち読みしていたら買っていた。
地元新聞社が全力投球したカラービジュアルガイド。ここまで調べて厚くしてこの値段は安い。
もっと早く買えばよかった。全国に図書館に置くべき。
136:名無しさん@線路いっぱい
21/09/04 17:52:12.59 mfLQVN0c.net
お前が買って配れ
137:千円亭主
21/09/14 23:57:01.66 cyj8Nchw.net
>>135
もっと思う存分書き込んで下さいよ…
このスレ、楽しみにしてるので(笑)。
138:名無しさん@線路いっぱい
21/09/16 19:37:46.04 xjRQ39on.net
仕事が忙し過ぎて見るのが精一杯というのが昨今の個人事情。
でも暇あれば色々考えているんです。
昔からの課題に新しい切り口が見つかることもあれば、形にならず消えてゆく思いつきもあります。
139:名無しさん@線路いっぱい
21/09/18 16:02:40.43 JYFtKm8J.net
何年ぶりかでプラモデル売り場にゆく。マスクは年齢も挙動不審もバレにくいので便利だ。
完全なる浦島太郎状態を味わう。工具類の充実ぶりは今の若い世代が羨ましい。
裏返せば、とても金のかかる趣味でもあり、子供のいない売り場だった。
客数の減少を値上げで補っているのだろうか、田宮MMシリーズもすごく高価に感じる。
88ミリ砲が有れば衝動買いもしたのだがと言い訳してみる。当時と同じ金型か知らないがカタログ落ちは無いようだ。
この88ミリ砲は今までに二回組んだ。幼い頃に縁日夜店の籤で大当たりしたのが最初だった。
当時はコレをプラモデルにする意味から理解できず、素直に形にはしたがすぐに捨てたと思う。
はるか後の書物で、88ミリ砲の製品化が、それまでタイガーだのパンサーだの花形戦車しかなかった分野に泥臭い、汗臭いジオラマを拓くきっかけであったのだと知る。
ベージュ色一色の兵隊さんが数多く入っていた事は確かに覚えている。右手と左手をつけ間違えるなど散々な出来だった。
140:名無しさん@線路いっぱい
21/09/18 22:18:11.80 DS2yX3yP.net
だんだん思い出してきたけど、ベージュの人形は田宮ではない別の何かだな。
当時は色を塗る人が少ないので、ミリタリー色、オリーブドラブ色のような濃い色でランナーは整形されていた。
色番を指示するなど塗装を勧めるようになってから成形色は明るくなったように記憶している。
何で覚えているかというと、その濃い顔を肌色に塗ろうとしてドボドボにしていた事を思い出したから。
二回塗らないと、尖った西洋人の鼻先や頬骨が黒いままだったんだよね。
MMで鍛えたので、GMの板キットに全く抵抗感はなかった。むしろ簡単過ぎて面白くなかった。
東武DRCの頭とか田宮が作ればイイものになるだろうな、とか考えてましたね。
141:名無しさん@線路いっぱい
21/09/20 16:00:58.53 k2BZ8bLM.net
別の大きなプラモ屋さんで88ミリ買ってしまった。
言い訳は沢山ある。
142:名無しさん@線路いっぱい
21/09/25 19:53:07.49 in/VVPA9.net
言い訳
88ミリ、バイクを組むだけで視力の衰えを嫌になる程に思い知らされる。
ああ、こんな筈ではなかxtyた。
サクッと素組をするつもりだったけど、ガッタガタ。
143:名無しさん@線路いっぱい
21/09/25 20:11:59.44 rJQn8srV.net
>>135
「定山渓鉄道」で思いだしましたが、長野電鉄のED5101が好きでした。
そのせいか、カツミのフリー『ED58』が自分なりに気に入ってて、
貨物の最後尾にアルモデルのワフをつないだり、
ワム90000に赤円板つけたりして楽しんでます。
144:名無しさん@線路いっぱい
21/09/25 21:36:55.30 in/VVPA9.net
ED58 は好き嫌いが別れますよね。車体も二種類以上ある様に思えます。
OゲージED58は実物EFに近いのに、HOゲージになると実物よりもスマート。
その方が格好いいからなんでしょうか。
模型として手を加えようとすると難しいというのが定説ですよね。
そのままか、塗り替えるのがいい。
145:名無しさん@線路いっぱい
21/09/26 00:20:45.68 5tlGvoks.net
時計見たら日付変わっていた。
88ミリはおおよそ7割ぐらいの進行。
素組が精一杯で、古いキットゆえに金型の合いも悪く丁寧に組むには大変な労力が想像できる。
完成後も砲身が後退したり車輪の着脱ができたりとあちこちが動くところがMMとしては異色で、初期作品ならではだろう。
作りながらも楽しい。
プラ成形の厚みやプラゆえの弱さも目立つ。本当に88ミリが欲しければ全てブラスで作れたら、素晴らしいと思う。
自分が知らないだけで、そういう製品は過去にあるのだろう。ヨーロッパのモデラーにも偏執的な奴が大勢いる事は知っている。
日本で海洋堂が所有しているそうだが、実物が見たい。でも見てしまうとまたキットに手を出して今度こそ泥沼だ。
146:名無しさん@線路いっぱい
21/09/29 20:09:55.52 8vk339/A.net
銚子電鉄のことを調べていて、ヤマサ醤油第一工場のことが気になった。
有名なオットー君(以下敬愛を込めてオットー君で統一する)は国鉄銚子駅構内や新生貨物駅に入る許可は得ていたのだろうか。
第二工場の側線入換までヤマサ醤油は自社機で行ったかどうかということなんだけれども。
憶測だが、第二工場の側線は国鉄蒸気機関車に委ねていたのではないか。新生貨物駅の写真は多いけど、常に分不相応な国鉄大型蒸気ばかりでヤマサ社有機を見かけない。
第一工場の話。
北側側線は昭和4年敷設で銚子電鉄が入換を担当する電化線。
南側側線は昭和32年敷設でオットー君が引退まで活躍し、その後も国鉄貨物廃止まで社有内燃機が入換を担当した非電化線。
この南北の側線の使い分けはどうなっていたのか。ヤマサ醤油工場内の施設配置図があれば分かり易いのだが。
憶測だが第一工場の西側は原材料受入をする倉庫群。中央から東側にかけて醸造を行う工場があるのではないか。
その仮説が正しい場合、北側側線は倉庫群と工場の双方に面している。建設以来長く全ての貨物を扱っていたのだろう。
第一工場の生産量増加に伴い、北側側線で原材料の搬入まで行うことを止めて南側側線を原材料倉庫の中に引き込んだのではあるまいか。
我らが?銚子デキ3型が活躍する北側側線のほうが先に活動を止めた節がある。
輸送中の温度管理が問題となる醤油製品出荷のほうが先にトラック化されたと考えれば納得は行く。
一方で原材料をワム等で搬入することに不都合はなかろうから、国鉄貨物廃止まで南側側線は細々と現役であり続ける。
あるいは、仲ノ町駅を跨いで両工場間にパイプラインが渡っていることをご存じか??
第一工場で製造した製品を第二工場へ送りボトリング、新生貨物駅もしくはトラックにより出荷していたのではあるまいか。
このパイプラインが何年の写真まで遡って確認できるのか判らないが、設置時期がデキ3型失業の時かもしれない。
147:名無しさん@線路いっぱい
21/09/29 20:10:35.50 8vk339/A.net
判らないのは、第一工場の側線に配置された機関車がなぜ二種類もあったのかという点。
第一工場でも北側と南側で側線の扱いが違うので、北では電気機関車、南では内燃機関車を配置するという不経済な真似も許されたのか。
南側側線を設ける時に、多少余計な出費をしても電化して銚子電鉄に入換業務委託するという事を考えずにオットー君を探したのはなぜなんだろう?
オットー君で済む仕事量なのだから、デキ3型一両でも充分にこなせた筈と思う。
昭和32年といえば小型内燃機関車製造も量産体制ができており、酒井でも加藤でも、贅沢に日本車両でも新車購入ができたはずだ。
なぜヤマサ醤油は昭和32年にオットー君を活用しようと考えたのか?戦中を挟んだ状況から見て昭和32年時点で廃車同然であってもおかしくはない。
以下仮説
当初計画では新設する南側側線も電化し銚子電鉄に業務委託する方針であった。
ところが契約交渉をしてみると、経営難の銚子電鉄が出した見積もりが想像を超えて高かった。
怒ったヤマサ醤油は電化を中止し、近隣から中古機関車を急ぎ探して自前で入換を行った。
さらに第一工場から第二工場に向けてパイプラインを敷設し、製品出荷までも銚子電鉄に依存せずに済む体制に仕立て上げてしまう。
強気のヤマサ醤油を前に銚子電鉄は平身低頭したのだが時すでに遅し。北側側線は低調なまま、やがて他よりも先に活動を止めてしまう。
デキ3型の保存にヤマサ醤油が前向きに絡んでこないのに対し、オットー君に特別の愛着を感じるヤマサ社員がいるような気がする。デキ3型は他人でオット-君は身内。
ところでオットー君、デキ3型とどちらが強いんだろう??最弱を競うようにしか見えないんだが。
「探し回ってオットー君」というあたり、ヤマサ醤油はデキ3型を南側側線のために使う機関車の目安にしていたという、傍証ではあるまいか。
あるいは風向きによっては反省した?銚子電鉄と業務委託契約し南側側線も電化。オットー君は極めて短期間の活動で終わるという可能性も、昭和32年時点ではありえたのではないか。
デキ3型に期待した仕事がこなせれば、ボロボロの機関車でも何でもよかった。
ただ銚子電鉄と契約しないことが確定したので、ボロボロのオットー君は現役数年で二代目社有機へと交代した。
天下のヤマサ醤油とあろうものが、最初から非電化で考えた専用線に充てた機関車がよりによってオットー君だったというアンバランスな出来事に、納得がいかないんです。
繰り返しますが昭和32年は、普通に内燃機関車が買える年です。そしてヤマサ醤油はその時点ですでに大企業の筈です。
148:名無しさん@線路いっぱい
21/09/30 23:04:52.94 N4nDd6gK.net
>>147
オットー君はヤマサに来る前はどこに居たのですか?
デキ3が10t、オットー君が7t、いずれにしても1067mm軌間では超小型ですよね。
ところでデキ3は客車牽いて外川まで走ったりなんてしたのかな?
149:名無しさん@線路いっぱい
21/10/02 07:48:37.05 2KXu8JAS.net
銚子電鉄で今一番詳しい資料はRMライブラリーの銚子電鉄上下巻です。
私の妄想のほとんどを再読を繰り返す事で打ち砕いてくれてます。
それによるとオットー君の本籍地は本千葉駅で、三松工業の専用線とのこと。
三松の三には表記揺れがあり資料によっては漢字が参になります。
読みはミマツなんでしょうけど。
150:名無しさん@線路いっぱい
21/10/02 07:53:54.96 2KXu8JAS.net
両機とも本質は貨車移動機で、エアーブレーキ持ってないことでは共通します。
両機とも手回しのハンドブレーキだけ。
ですから本線での列車運用など運用する身になると考えたくもない・・・筈。
銚子デキ3のほうは電車故障時の代走だそうですが客車一両を牽引している様が記録に残り、やってないことはない模様。
あと、SLブーム後の時期にファンの訴えに応じ本線に出ては見たものの、単機回送で戻ってくる様なイベントを鉄道ファン誌上で読んだ覚えがあります。
車体全体が傾いてムリって事になったんでしょう。
151:名無しさん@線路いっぱい
21/10/02 08:08:49.23 2KXu8JAS.net
三連投すいません。
ヤマサ専用線ですけど、機関車が三両も記録されてます。
ほぼ知名度のない二代目も、相当のポンコツエリートです。
おそらく、初代オットー君が導入数年にして致命的な故障を起こしたのではなかろうか?
それで、同じ担当者がまた同じ真似を繰り返して、二代目としてとんでもない中古車を探してきた?
なぜなら経理部や総務部には、機関車の相場ってこんなものという認識しかないから。(ヤマサ内部署名は超テキトーです)
それも故障が頻発し営繕費用が高止まり。都度国鉄機の応援を借りていた。流石におかしい買い物だと誰もが気がつき始める。
三代目でようやく社内の担当者も一新され、普通に普通の新車を買い今度こそ鉄道ファンから無視される。
隣の敷地が銚子電鉄なのに、誰がカメラを向けるか、というぐらいに平凡な三代目。
152:名無しさん@線路いっぱい
21/10/03 16:03:36.85 WLZxnPnn.net
>>149
レスどうもです。確かにあの大きさなら実質的には「貨車移動機」ですよね。
他の私鉄を見ても、こんな小型機何に使うんだろう?みたいな例がありますね。
板橋区の城北公園にあるコッペル8t機、東武の所有でしたが元は有田鉄道の1号機。
戦時中に気動車と交換で東武に来たとのことですが、東武はこの小型機を何に使うつもりだったのだろうか。
153:名無しさん@線路いっぱい
21/10/04 18:31:21.89 D6Oy4xei.net
お題頂きましたぁ。
あの東武が何で貰ったのか判らない、という機関車ですね。
情報の少ない時代ですけど、事前に重量とか牽引力ぐらいは得ていることでしょう。基本的なスペックを見ただけでも察せられそうなものです。
物々交換のアンバランスさから東武が騙された説が昔からありますけど、以上の点からは考え難い。
原因は、有田鉄道に先立つものは何もなく、機関車という名の屑鉄しか差し出すものがなかったからではないでしょうか。
東武の置かれた立場を想像してみましょう。
緊急に欲しいのは63型で、その割り当ての加減は国が握っております。そこで得点を稼ぐために目立つように中小企業支援をした・・・のではないか。
東武は電車も、大手他社に比べるとなかなかの上玉を中堅私鉄へ放出しています。
とにかく定員の大きな63型に化けてくれればいいという想いが透けて見えるような気がします。
よく判らんのは、豆粒機関車を受け取った東武は長期保管した末に、廃車にするために車籍を与えている点ですね。
そりゃ車籍のないものを廃車手続きも出来ないだろうけど、そんなに書類上の辻褄合わせが大切なことだったのか。
書類の説明を受ける運輸省担当者が困ってしまいそうです。車籍を与えた時点で稼働可能とも思えない。
税制上はどういう扱いだったのか。放置中は国から見れば行方不明も同然ですから当然非課税でしょう。
車籍を得て即座に廃車手続きをして、資産価値は日割り計算して納税したんでしょうか。
154:名無しさん@線路いっぱい
21/10/04 19:09:39.18 D6Oy4xei.net
東上線を回送するときに車軸が焼け付いたというけど、本当かなあ?
普通、運ぶときは長物車に載せるでしょう。煙突とキャブ上半分を切り取ってでも長物車に載せたい筈。
キャブの水平方向に鋼板継手が見える小型機関車は散見されますし、後の国鉄貨車移動機の背の低さは長物車で運ぶためのもの。
走り装置を廻して東海道線を延々と回送なんて考え難い。
メインロッドは外せてもサイドロッドはバランス上外すことは出来ないし、終戦直後とはいえ東海道線を牽かれて走ることなどできそうにない。
だから国鉄は長物車に載せて川越駅まで運んだのだけど、そこで東武の線路上に下ろしてから、受け取った東武担当者が注油を怠って東上線で白煙を吹いた・・・のではないかな。
多分、有田鉄道でも稼働状態にない代物で元々油切れに近かったんでしょう。
焼け付いたことが使わない理由にはならないと思うけどね。最初から使う気がなかったんで受け取りも疎かになったんでしょう。
155:名無しさん@線路いっぱい
21/10/05 07:45:36.30 kxEwEnF1.net
この取引を調べていて、有田鉄道に行った元東武の気動車が最終的に尾花沢線に入っていたので同線を調べていたところ、戦後まもなく燃料難の時代に同線も電化を計画していたという。
顛末はRMライブラリ参照。尾花沢線よ、お前もか。
こういう歴史のほころびを見つけると嬉しくなってしまう。
近隣の秋田中央交通はようやく電化に漕ぎつけ、尾花沢線は内燃化を選んだ。その差はおそらく紙一重であるだろう。しかし史書には結果しか記述されない。
電化された尾花沢線を考えてみよう。
尾花沢線はディーゼル機関車牽引だが1067mmとしては国内最小クラスの筈。協三工業製で貨車移動機といっても通用しそうな機関車です。
順調に当初計画通り電化されていたとしたらどんな電気機関車が入っていたのか。メーカーに設計を依頼していたというから、新製機です。
結論を先に言いましょう。
尾花沢線の電化計画に際しメーカーに依頼されていた電気機関車の注文流れは、越後交通→秋田中央交通のEB111型ではないだろうか?
タイミング的には符合するし、越後交通には小さ過ぎる。
越後交通の電化工事は驚異的な短期間で済んだそうじゃないか。車両の手当てをしている時間はないのにEB111型だけ新車で入ってきている。
後に沿線に工場進出相次ぐと秋田中央交通へと渡っていった。この越後交通の体質改善の話も出世物語のようで、すごく面白い。
156:名無しさん@線路いっぱい
21/10/05 19:00:58.89 Wrff2J7q.net
>>153-154
レスサンクスです。
当方もネットで調べてみたら、このコッペルは有田から持ってきた当初は、ひとまず
新高徳に回送されたとの資料もありますね。
だからといって、(元国鉄5500が主力の)矢板線で使うとも考えにくいし。
やはり東武はハナから使うつもりなど無かったのでしょうね。
余談ですがこのコッペル、廃車手続き後の一時期どういうわけか「東上鉄道1号機」として
池袋の東上業務局前に約1年間ほど展示してあったとか。
現代から見れば笑えるようなデタラメを堂々とやってのけるほど長閑な時代だったのですね。
157:名無しさん@線路いっぱい
21/10/05 19:32:44.12 Wrff2J7q.net
>>155
> この取引を調べていて、有田鉄道に行った元東武の気動車が最終的に尾花沢線に入っていたので
尾花沢線では廃線まで在籍していたとの事ですね。エンジンは東武時代に既に抜かれていたとか。
結局は有田でも(気動車としては)使い物にならなかった、という事でしょうか。
もっとも有田には件のコッペル以外にも雨宮の12t機(Bタンク)とか居たみたいだし。
東武から来たキハは、客車として少しは役に立ったのかな?
> 越後交通の電化工事は驚異的な短期間で済んだそうじゃないか。車両の手当てをしている時間はないのにEB111型だけ新車で入ってきている。
> 後に沿線に工場進出相次ぐと秋田中央交通へと渡っていった。この越後交通の体質改善の話も出世物語のようで、すごく面白い。
長岡線の電化は、田中角榮が旧長岡鉄道の社長在任中の事業ですね。
158:名無しさん@線路いっぱい
21/10/08 18:46:54.81 jMPJYnBp.net
越後交通は私にとって鬼門ですね。
私は最終目標を模型のための架空鉄道づくりにおいてます。
かりそめの匿名に甘えて過去にいくつも駄作を公表してます。
史実は様々なエピソードの中から、どこまで逸脱すると真実味を失うか判断力を養うために調べるようなものです。
過去に苦手だと感じた史実は、たとえば名古屋市電800型。
アレを空想ででっち上げた文章にリアリティを与えるなど私はできそうにない。だけど実在はするようだ・・・(半信半疑
田中角栄も、その類なんですよ。この人は自伝を綴っても多分、嘘くさくなる。
堤康次郎は架空のお話のテコとして大いに利用価値があるけど、角栄は器が違う化け物だ。
頭が良過ぎる。サイコロで、相手だけ全ての目が6のようなものだ。
角栄の名を出せば新幹線でも何でも敷けてしまうのでリアリティも何も、問題外なんですよ。
チートしているようで実に扱いづらい。チートを疑われ、逆にリアリティが遠のくように感じます。
越後交通は、特に車両調達が非常に上手いんですよ。越後線も栃尾線も凄くうまいと思います。
昔からこの点が不思議で仕方がないんですね。
それに廃止など重大な決断も異常に素早く、しかも貨物列車だけ残したりする。すべてが上手い。
もし仮に判断が田中角栄近辺から出ているとしたら、金権政治という派手なレッテルに隠されて見えなくなっている怪物の天才の証ではないか。
こんな超人的なチート、創作で真似して綴っても嘘くささが増すばかりで上手くまとまらないんですよ。
159:名無しさん@線路いっぱい
21/10/11 12:22:37.82 s73hXaiX.net
津島軽便堂に東武矢板線の写真が追加。
くうううううう・・・・
160:名無しさん@線路いっぱい
21/10/13 12:51:34.67 1bo+Qb+F.net
矢板線問題
米軍撮影の戦後間もなくの航空写真で新高徳駅付近を見ると驚くよ。
三角線の路盤がほぼ出来上がっている。出来立てなので白く目立つ。
たぶん、東北本線鬼怒川橋梁が爆撃されることを懸念したのでしょう。未成に終わったためかほとんど取り上げられないので、知名度が低い。
現在の土地区画からも痕跡に乏しく、おそらく敗戦後速やかに復元されたのだろう。
矢板線は、最後の区間をなぜ建設したのだろうか。
東武日光線建設の件は公示などで当然知っていただろうし、下今市駅付近で東武線と平面交差するという交渉さえ始まっていたかもしれない。
時間的に微妙に前後して、もう矢板線全線開業も近いというときになって東武鉄道から平面交差を申し込まれたのかもしれない。遅いよ。
温泉街となった鬼怒川からは想像し難いが、下野電気鉄道の建設目的は鉱山にある。
結果論的に言えば足尾のように鉱脈にたどり着けなかったらしいが、付近は成功した鉱山も多い。
矢板までの建設に踏み切った理由は、今市から高徳までの間に面倒くさい川が三つもあったから以外にないだろう。河原を見ればいずれも相当な暴れ川であることが判る。
下野電気鉄道は、根拠はないが沿線鉱山の成功を信じて疑わなかったのではないか?すべて上手くいかなかった結果を知る私たちが断罪することは不可能だ。
少量の貨物輸送なら日光線に接続した軽便鉄道で充分であったはずだ。しかし実際に営業して軽便鉄道の限界を知ったことだろう。
1067mm鉄道への輸送力強化を目論見、しかし、三つの川に架けた橋梁が障害となった。
軽便鉄道の橋梁が耐えられるはずがない。しかし架け替え費用は高額なものになった。
そこで、橋を架ける必要がない矢板までの建設を検討したら、そのほうが安上がりだった。
(橋梁の工事費用はとてつもなく高価なものだそうです。)
161:名無しさん@線路いっぱい
21/10/13 12:52:37.20 1bo+Qb+F.net
矢板線を作っていたら、東武日光線ができるという噂を聞く。
でも下野電気には関係ないし建設は続行される。貧弱な橋梁を強化する資金は、矢板線の建設でいよいよ当てが無くなっていたからだ。
東武線のため下今市駅まで路線が短縮される件も大きく揉めないだろう。矢板駅で東北本線に接続できれば、東武線との接続などどうでもいい。
この時期の下野電気鉄道は、今市と高徳の間の廃線さえ考えていてもおかしくない。まず鉱山鉄道であり、東北本線と1067mmの線路で結ばれればよかった。
そして日光線が開業。東武の怒涛の攻勢が始まる。
資金不足に陥った下野電気鉄道の経営に食い込み、問題の三橋梁に東武の資金が潤沢に注がれ改築強化され鬼怒川線となる。
下野電気鉄道の本線となる筈だった矢板線は、全線開通後わずか数年で無用となった・・・・・。
河川争奪という現象があるそうで、この説明がまさに矢板線の運命。
URLリンク(upload.wikimedia.org)
下野電気鉄道経営悪化の原因が矢板線建設強行にあるとしたら、何が悪いのか全く判らないよ。
東武とて日光線開通にまだリスクがある状態で鬼怒川線を推進することなど出来ないだろうし、その時点での下野電気鉄道は交渉相手として難しい筈だ。
下野電鉄株主は鉱山の将来に期待して、まだガッポリ儲けるつもりでいるので東武との交渉に応じない可能性もある。
なにしろ矢板線を作らせるほどの強気の株主がいたのだから。
162:名無しさん@線路いっぱい
21/10/13 12:57:20.02 1bo+Qb+F.net
東武進出後数年間の変化は下野株主たちを呆然とさせたのだろう。
それでもなお、買収が昭和18年まで遅れた辺りに、鉱山の成績に期待する下野株主たちの抵抗が見て取れる。
しかし戦時体制下に強化対象とならない銅山に、何の価値があろう。
国は価値を認めず東武に併合され、株価は二束三文のまま。
不思議なのは、戦時体制下に矢板線が不要不急線に指定されなかったことだ。
不要不急線の指定自体が条件が曖昧で根拠不明なのだが、国も鉱山が大化けするかもなど考えて両天秤をかけたのだろうか。
それとも三角線つまり東北本線の迂回ルートとして価値ありと認めたのか。
東武にとっては誠にありがた迷惑であった筈で、要らない矢板線は残されるのに日光線は単線にされるという始末。
既に関係が断たれた旧経営陣は東北本線迂回ルートという思いもよらぬ活用策に、何を考えたのだろう。
163:名無しさん@線路いっぱい
21/10/14 23:16:15.13 9HbddN1a.net
>>160
鬼怒川線の前身、下野軌道の敷設目的のひとつに、鬼怒川発電所のダム建設の資材運搬があったとも言われていますが。
…でもまさか小田急とは関係無いですよね?w
(Wikipediaで「鬼怒川水力電気」をクリックすると小田急電鉄のページに飛ばされてしまいますw)
164:名無しさん@線路いっぱい
21/10/15 13:27:30.01 /5fIDFpo.net
電力業界と鉄道業界の結びつきは面白過ぎますよね。
時期にもよりますが資金調達能力は電力業界の圧勝であることが多い。
戦前の電力会社が弱肉強食で競っていた時期にも、陸上交通の王者であるはずの鉄道会社を圧倒します。
電力=ライフラインと輸送業界では収入構造が全く違うのでしょう。
電力業界は副業で電鉄経営しますし、発電所を作るために線路を敷きます。
この、発電所建設のための線路ですが、電力業界からみれば使い捨て出来てしまいます。
実際に使い捨てた実例が複数見つかっています。典型が、草軽のL型電機が輸入時に使われた軌道。
草軽が大変に有名ですので遡って調査されておりますが、地図に載る暇もなく廃線になっています。
鉄道業界から見ると、電力業界の需要は最大瞬間風速です。短期間に膨大な貨物を輸送して途絶えてしまう。
地方私鉄が巻き込まれた典型が松本電鉄上高地線でしょうか。儲かったとも言われますが松電の設備投資額も大きい。
使い捨て出来るほどの資金力を振るって、工事完成後に不要となった路線。
この鉄道をなんとかして永続的に維持したい地元などの関係者の振る舞いが、非常に面白い。
そもそも地元には地方私鉄を作る資金力などないのです。
特に山間部では軌道の存在は奇跡に等しいのですから、払い下げを受けたりして自主運営したケースが見いだされる。
揖斐川上流部はイビデンがダムを含む発電所を、かなり早い段階から建設しています。
この資材輸送に軌道がつかわれ、建設終了後に地元に移管され運営されているのです。
そんな場所に鉄道など、かつて報告されたことはないと思います。もちろん地図でも見当たりません。
法的に鉄道でもなく、森林鉄道などで管理もされていないので公的な資料がない。
起点と終点さえわかりません。現地には当時の古レールが使われた柵があるらしいのですけど。
下野電気鉄道もそうした電力会社の残した路線の、典型の一つでしょう。
莫大な資金力で暴れ川に架橋して、あとは欲しければ差し上げるから頑張ってね、という展開ではないか。
路線維持は大変だったかと思われます。
東武が来る前に水害一つあれば、鬼怒川線は随分と様相を変えていたことでしょう。
165:千円亭主
21/10/17 23:43:30.72 cxBlQ5xl.net
>>164
電力会社と鉄道会社の関係で少し特殊な存在だった北恵那鉄道を調べているうちに、
北恵那の車両関連で、なぜか名鉄瀬戸線が気になってきました。
少年時分の一時期を沿線の小幡で過ごした私としては、瀬戸電の車両については
かなり種々と調べましたが、未だに写真が見られない車両があります。
それが1号蒸機。これまで得られた情報としては、
・1920(大正9)年5月雨宮製
・運転整備重量8トン
・1922(大正11)年、開業当初の淡路鉄道(→淡路交通)に数ヵ月間貸し出し
(淡路の発注した蒸機の納車が遅れて開業に間に合わなかったので)
・1937(昭和12)年7月、会社が蒸気動力廃止を届出
(肝心の1号機自体がどうなったのかは不明)
で、既出の元・有田鉄道のコッペルと同様、3呎6吋軌間で8トンとは超小型であり
軸配置はおそらく0-4-0と思われますが。。。
しかし乍ら、そもそも電車と電動貨車(どちらも路面電車然としたもの)で
営業していた瀬戸電が、何に使うつもりで蒸機を買ったのか。
瀬戸電は開業当初“瀬戸自動鉄道”で、皆さんご存知の通りフランスから輸入した
“セルポレー式蒸気動車”3両で開業。このセルポレーが故障多発で取扱いに難渋し
わずか2年で電車に切り替えられた。
しかし、皮肉にもセルポレーの扱いにも次第に慣れてきたのか、故障も少なくなり
電化後も補助的に使われ続けた、とのこと。
このセルポレーの廃車時期だが、1911(明治44)年と云う説と、1922(大正11)年と
云う説があります。私は後者が正しいと考えておりますが。
166:名無しさん@線路いっぱい
21/10/19 22:05:18.06 HznpUy7k.net
瀬戸線はかなり特殊な路線だと思います。
普通、セルボレー式に手を出して素早く電化に切り替える資金の出所がない。そう思いませんか?
蒸気機関車の存在も霞んでしまいそうです。
開業時から複線というのも、沿線を考えるとすごい。終点瀬戸以外はほぼ水田ですよ。
167:千円亭主
21/10/19 22:45:46.90 vQBeamj9.net
確かにすごく特殊な路線ですよね。戦前はどちらかと云えば貨物本位の路線だったようで。
あの凸型電機(名鉄機号デキ201・202)にしても、あの当時ポール集電だった割には
ハイスペック(75.5kW×4)なものを入れているし。
ところで、セルポレーですが、電化後は貨車の入換にでも使っていたのではないか?
尾張瀬戸、堀川の両終端か、国鉄線と接続する大曽根のいずれかの駅で。
旅客用としての稼働記録が1911年で途絶えているとは云うが、導入後6~7年で廃車とは
いかに厄介者といえども早すぎないか、とも思えるので。
雨宮の8トン蒸機は、3両のセルポレーの何れかの代替機ではないかと。
その蒸機と相前後して導入されたのがテワ(実質デト?)1・2で、これが電車に代って
デキ入線まで貨物を牽いていたのでしょう。
それにしても、1号機の写真がどこからも出てこないのは何でだろう。
当然乍ら名鉄には引継いでいないので、どこへ行ったかも判らないし。
168:名無しさん@線路いっぱい
21/10/19 22:54:57.16 HznpUy7k.net
瀬戸は心くすぐられますね。鉄道史を無視しても興味があります。
狭い地域で長期間、活発な経済活動が営まれたことでは日本でも指折りかと思います。
土地利用の変化の激しさが面白い。いまだに瀬戸を掴み損ねている思いが強いのです。
たとえば写真家臼井薫さんの写真集を見ると、裸の子供に衝撃を受けます。陶土採掘現場の男たちも半裸でトロッコを押しています。
亡くなられたころに瀬戸市美術館で展覧会がありましたが、撮影年代は昭和30年代とのこと。
瀬戸線の踏切ですら撮影場所が判らない。狭い谷間から出ていない筈で、その狭い地域にどれほどの人が住み何本の煙突が建っていたのか。
その燃料を搬入し製品を搬出する手段が、瀬戸線です。
古い地図を見ると瀬戸の谷間に入る寸前まで、ぽつぽつと集落のある水田地帯です。瀬戸だけが真っ黒な市街地として表されます。
その昔、瀬戸線に乗れば、行く手の狭い谷間に何本もの煙突が重なる異様な景色が見られたかと思います。矢田川の水も白く濁っていたと聞きます。
小さな電気機関車が十数両もの貨車を牽いて日に何度も往復したことでしょう。尾張瀬戸駅は本来は旅客スペースの何倍もの面積の貨物扱い施設を持つ駅です。
電車は昭和24年の体質改善まで、単車を含む路面電車タイプの高頻度運転。戦時中は美濃町線モ510型が応援に来たとされる。
戦後までホームは低いままであったことは驚くよりほかにない。
(瀬戸線車両の転出で「近代化」される岐阜市内線ってどうかという件もあるがw)