21/01/16 10:41:45.99 znl+xZ5t.net
悲惨か悲惨でないか、というのも彼我と時間軸の設定に過ぎない。
因果軸は区切ったところが結果になるから「あきらめなければ失敗はない」
彼我の幸不幸も「人生万事塞翁が馬」というように幸不幸は彼我を移動する
そこを俯瞰すれば絶対的な不幸はない。
悲惨なのは目先の具体的事象に囚われて、それしかない、と思い込むこと。
だから「悲惨」は心の中にある。
一度抽象化すれば今の具体性から離れる知恵が見つかる。
その抽象化のための方法論が哲学や宗教、先人の警句などの中にある。
ただそれらは抽象化のための方便であって、その優劣を論じるためのモノではない。
そこから今とは違う別の具体性を引き出すための道具に過ぎない。
手段に囚われ目的忘れるやつ多すぎ。