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《仏陀》は、劫数を随念するのに、限界なるものは無し。
諸々の仏陀の智見は、千光を荘厳する秋の日輪のように現起し、大車道を行くかのように宿住随念する。
諸々の仏陀は、五蘊を次第に辿ることもなく、死と結生とによりて跳入することもなし。
諸々の仏陀は、数千万劫中の、後の時代も、また、前の時代も、憶念しようと欲するその場所は、すべてみな明瞭となるからである。
その故に、数千万劫をも省略文のように省略し、憶念しようと欲するすべての所に跳入し、跳入によりて、(堂々とそこに)行き、憶念し給う。
そのように憶念したまう諸々の仏陀の智は、譬えば、髪を射貫くのに熟練した(サラバンガ〔菩薩〕のような)射手の、放ちたる矢が、
途中の樹や蔓などに、邪魔されることなくして、必ず標的に当たり、妨げられず、違はないように、途中の諸々の生に妨げられず、
目的に違はず、妨げられず、違はずして、憶念しようと欲するそれぞれの場所のみを捕らえる。
仏陀が随念する場合、他人である仏陀の識によりても識り、はっきりと見分けられる。
諸々の仏陀の随念は、諸々の仏陀にのみ得られる。
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NINJA
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