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吉野家二代目社長・松田瑞穂氏は、1960年代の築地店(8時間営業・15席・持ち帰りなし)で
1日1000杯を売り上げたそうだ。15席の店で、1時間に125杯の牛丼を売るという驚異的な
スピードを維持するために、牛丼の具をどんどん簡略化していった。牛肉は当然として、
それ以外に最初は入れていた長ネギや豆腐、糸こんにゃくを外していき、最後に残った
のが玉ねぎだった。甘味を出すためには不可欠だったからだそうだ。
驚異的なスピードを追求する中でも外されなかった玉ねぎ。それを外すという今回の
なか卯の決断は、牛丼の歴史に新たな1ページを刻むのかも知れない・・・。