19/12/19 12:56:51.85 70m1Bn930.net
涿郡劉氏というと魏の中書監劉放がいるけど劉備とは別系統っぽいね
涿郡涿県出身の劉氏は劉備以外歴史の表舞台には出てこれなかった
生き残りがいたとしても魏の代に変わってからは出仕できなかっただろう�
894:ヒ
895:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/21 00:27:43.35 BCzIxkg40.net
関羽って祝融よりも弱そう
896:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/21 17:42:40.33 BCzIxkg40.net
・呂布の半分以下の武術
・呂布の100分の1以下の籠城能力
・三国鼎立を一瞬でパァにしたアホっぷり
関羽が英雄なら、呉越春秋の呉王夫差だって間違いなく英雄だぞ
897:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/21 19:17:07.83 TrwAjhdX0.net
病んでるなあ
898:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/21 22:49:03.68 B4fwilP30.net
項籍や韓信みたいなのがいなかったから
899:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/22 00:36:49 2gbMybOT0.net
陳寿「関羽・張飛は一万の兵に匹敵」って記述
あれ本当は一万人を指揮するのが限界って意味だったんだろ
あんだけ右腕格の将軍や参謀たちと仲悪いんじゃな
納得だわ
900:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/22 01:30:08.68 RtjYrn7u0.net
関羽の話ばっかする人は別のとこでやれば?
関羽アンチスレでも作ってさw
901:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/22 09:11:15 vCkYcmNw0.net
URLリンク(youtu.be)
902:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/22 23:31:28.14 GqHDpCf00.net
>>775 ああ、項羽はもっと凄いよ
903:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/23 19:53:41.51 Kt3SArcg0.net
>>875
軍人出身じゃないから指揮なんてできないよ
904:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/24 11:17:50.15 s2M6YLIa0.net
>>875
万人敵っていうのは項羽の故事から転じて用兵家の意味なんだけどね
後世で同様の呼び名で称されたのは韓世忠で勇猛さと共に兵の統率に優れた将に与えられた感じやな
905:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/24 17:43:16 n5xm17NZ0.net
知識も学習意欲も無い愚か者が自己完結しているのが笑える>>875
アタマハッピーセットかよ
906:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/27 07:01:37.85 cON5aNSS0.net
程度の低いアンチな荒らしがよくやる手口だねw
アイドル関係の板でよく見る手合。
907:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/27 22:59:32.39 9zcgOXwh0.net
>>881 バ関羽信者たちはオツムが単純で羨ましいよww
一生コーエーに貢いでなさい
908:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/30 13:44:10 cqyaipZb0.net
コーエーって、そんなに関羽のこと優遇してたっけ?
常に名前負けしない程度くらいの扱いでしかなかったと思うけども。
今なら、女神転生D2とかの方がよっぽど厚遇されてるよ。
909:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/30 20:28:36 EAbpPxE80.net
信者ガーしか言えない惨めな負け犬くんかわいそうです^^
910:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/31 03:48:13.58 cZkE507Y0.net
>>883
君はちゃんと勉強したら?
せめてwiki程度でも良いからさw
911:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/31 17:18:16 x7CIEPwg0.net
当時の魏単独で関羽を撃破できなかったんだから実力は推して知るべしでは
戦略もまちがっていない
912:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/31 17:37:03 /8gQxEoEO.net
呉と宜しくやっていれば許昌攻略は成功したのかな。
913:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/31 18:45:31.23 x7CIEPwg0.net
>>888
無理だろ
呉の荊州襲撃は予定調和でしょ
914:名無しさん@お腹いっぱい。
19/12/31 19:09:01.79 /8gQxEoEO.net
>>888
予定調和って
じゃ関羽の樊城攻め自体が間違いという事になるよ。
915:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/01 06:11:42.81 Frdwd0O80.net
呉は荊州を攻撃するか徐州を攻撃するかで意見が分かれてたから
関羽進撃時では呉の荊州襲撃は予定調和では無いだろう
916:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/01 15:18:05.51 JF7+2peW0.net
関帝廟があるなら張飛を神格化させて張帝廟も建てろよww
917:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/01 15:
918:20:27.46 ID:JF7+2peW0.net
919:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/01 22:51:50.91 XT9ffEfy0.net
関羽北伐の最大の誤算は曹仁の粘りでしょ
まぁ魏も曹操本軍に加えて豫州兗州揚州の軍勢を動員した上で呉に荊州譲って背後を襲わせざるを得なかったけど
920:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/02 00:48:07 3S7khvkR0.net
関羽の樊城攻めで江陵が手薄になるのは分かっていながらそこに2万でも守備兵を送れなかった蜀の国力のなさではどうにもならんかったと思う
黄権に何人かの中堅武将付けて送り込んでたらそれで呉からの襲撃すら起きなかっただろうと
921:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/02 07:13:49 EEeOd9cc0.net
関羽が聞く耳を持てれば良かった。
ホウ統が生きていれば。
922:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/02 08:10:19 r77VhERZ0.net
曹操患者にはあきれた
923:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/02 18:39:07.36 YVBO3KPg0.net
>>895
黄権は護軍として漢中争奪戦を差配し、戦後は治中従事に転任して事務方に回ってる
漢中争奪戦は蜀にとっては総力戦で余剰戦力は無い
しいて挙げるなら孟達の援軍として上庸に派遣された劉封なんだけどあっちは孟達と主導権争いをしてる間に呉が周辺諸郡を占領したせいで上庸を守るのだけで精いっぱい
924:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/03 06:22:23.45 Zo70ICrf0.net
前も書いたけど桓温の北伐でも漢中と涼州の別働隊と連携してそれでも洛陽を一時的に占領するのがやっとだったのに、荊州軍のみの関さんがどれくらいの戦果をあげられたかは疑問や
925:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/03 17:20:34.76 J0zQHJQM0.net
劉備も諸葛亮も関羽はサブであり
関羽が荊州で暴れてる間に劉備が長安を奪うってのが戦略だったんだろうけど
関羽が思わぬ大勝したのと魏の領内で反乱が勃発したからこのまま行っちゃえー!になったんだろうな
于禁が洪水対策をしっかりやってたら三国志はだいぶ違ったものになってた気がする
926:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/03 18:58:57.93 mvm/wHta0.net
あの兵力そのまま降伏はかえって関羽にダメージ与えた気がする
兵糧問題が出来たり後方との溝余計に広げる事になったし
結果論としては水攻めせずに程々に戦ってこれじゃ落とせないなと関さんが諦めて帰った方が蜀としては良かった
927:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/03 19:43:59.03 4iAEXIyYO.net
劉備達は関羽が呉との関係を断交状態にまで拗らせていたのを知らなかったのだろうか?
928:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/03 23:32:25 Ewf2Tr2u0.net
この時点での関羽は董督荊州事、あくまで荊州の軍事部門の担当であり外交に口を挟む権限は無い
とはいえ長沙が呉に帰属するようになった後、関羽は長沙で起こった反乱を支援したり呉を挑発しているし蜀呉の関係悪化に至らせた責任はあるだろうな
まぁでもそんな関羽に荊州を任せた任命責任は劉備にあるし、何より入蜀以降劉備が呉に対して友好関係を維持しようと努めた形跡がない
最終的な責任を負うべきなのは劉備だろう
929:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 02:11:55.38 RNZafaH60.net
呉のサイドから見て劉備と関羽という組み合わせは諸葛亮の1/100も信用出来ない梟雄ではあっただろう
対呉だけではなくこれまでの行いがそれを裏付けてるし蜀取りでもはや信用の欠片すら失われた
どちらがというよりはこの二人では当然の結末
930:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 03:03:32 AEaQfbYM0.net
蜀書を読むかぎり呉の友好関係維持については諸葛亮に任せっきりって感じだな
劉備も息子の劉禅ほどじゃないがめんどうな事は諸葛亮に丸投げな事が多い
931:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 10:45:57.66 LM7S0jgj0.net
>>904
呉が劉備みたいに単独で蜀を取れば良かったんじゃね?
自分達が蜀取りたくて協力要請して断られただけやん
932:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 13:29:28 RNZafaH60.net
>>906
いや、むしろ何処に劉備を信用する要素があるのかと
劉禅ならまだ分かるが劉備は呂布より信用出来ないだろ
蜀攻めは呉が魏に攻められて大慌てで救援要請したタイミングで騙しうちでの蜀攻めだからな
劉備に関しては裏切られても因果応報
933:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 14:21:17 dhXlB9OK0.net
荊州争奪戦の件は、歴史上ならごく普通にあり得る戦争の姿なのに
感情をこめてここまで語れること自体が既にロマンの域にあるよな。
英雄論とは完全に無関係なことなのに、それに無理やり結び付けようとするには疑問しかないな。
人間なら誰しも欠点は持ってるというのに。
934:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 14:21:49 ClmId2cQ0.net
はじめ公孫瓚の傘下に入り、公孫瓚が劣勢と見たら陶謙と結び、陶謙没後は呂布を受け入れ、呂布に徐州を乗っ取られたら曹操と結び、曹操が袁紹と対決し始めたら曹操を裏切り袁紹と結び、
袁紹劣勢とみたら劉表に乗り換え、劉表没後独力で対抗できないとみたら孫権と結び、孫権を出し抜いて単独で蜀に入り、劉備を信頼している劉璋を騙し討ちにして蜀を乗っ取り…
劉備も生き延びるために必死だったといえばそうだけれど、こんな経歴の人間が信用されるわけがない
常に自分が生き延びるために他人を踏み台にするモンスターだもの
935:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 15:51:42 LM7S0jgj0.net
>>907
劉備を信用するとか関係なく呉が自力で蜀攻め取ってれば良かったよね
と言ってるだけやん
必死に劉備の信用問題にすり替えてて草
936:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 16:15:48 LM7S0jgj0.net
>>909
一度も呂布の様に積極的に主君を裏切ったケースがないのに言いがかりばかりで草
騙し討ちなのは劉璋ぐらいだけど劉璋は劉備の君主でも無く親の代での成り上がりで部下に見限られて劉備を招き入れてる
937:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 18:42:24 AEaQfbYM0.net
>>909
公孫瓚と陶謙は同盟関係だし袁紹と劉表も同盟関係だから
そこから陣営を変えるのは裏切りとは言えない気がする
陶謙を助けたのは公孫瓚による要請の可能性もあるし、徐州の領主になるのも公孫瓚からすると利益になる事だからな
劉備が明確に公孫瓚を裏切った事をしたのは徐州の領主になった後、公孫瓚と敵対関係にあった袁紹の傘下に入った時だと思う
938:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 18:44:19 AEaQfbYM0.net
曹操を裏切ったのは皇帝の勅命を受けての事だから
当時の事情ではそこまで非道な行いとは思われてなさそう
特にその事を批判する記述とか無いし
939:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 18:51:43 ClmId2cQ0.net
>>912
>>913
その辺は端折ったしある程度恣意的に書いたつもりだから補足してもらって助かる
940:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 18:58:05 AEaQfbYM0.net
劉備は信用できない奴とは史書でもちょくちょく書かれてるが
その割にはずっと名声はある奴なので
意図してか知らずかは分からないが名声が傷つかないように動いてるなって思う
劉璋を騙して国を乗っ取った時も当時の批判の声が少ないのは
割と曹操や袁紹、劉表も大なり小なり似たような事やってるからそれぐらい当たり前と思われてた可能性ありそう
後、劉璋の統治が失敗してたのも大きい
941:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 19:10:46 RNZafaH60.net
>>910
自力で攻める気だったじゃん
当時三本の指に入る様な名将が死んで代わりになる様なのがいないから遠征出来ないのは無理も無い話
そうこうしてる内に魏とやりあってそんな余裕無くなるしな
周瑜以外で出来る事とは思えないが
942:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 19:19:04.95 RNZafaH60.net
>>912
陶謙の頃から明確に袁術を見切る様な動きがあるから裏切りの責任は劉備と半々ぐらいだとは思う
劉備が義理を感じたのって世話になった人の息子を攻撃出来ないとか言った劉表ぐらいじゃないか?
943:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 19:24:21.90 burfmbbEO.net
そりゃ地理的にも遠い益州を攻略するより
荊州に火事泥的に居座ってる連中を何とかするのが当然の理。
944:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 20:39:49.55 I2oNBeQf0.net
>>916
> 周瑜以外で出来る事とは思えないが
陸遜が張魯を攻めようとしたことなかったっけ?
張魯が城から出てこないから戦闘にはならなかったが。
945:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 21:39:45 0Bluz2Vu0.net
>>916
周瑜死後に孫瑜が蜀取りで荊州まで兵進めているが
劉備に阻まれて撤退
まあそのまま行っても周瑜よりも成功する可能性低かっただろうな
>>919
それ呂岱
まあ兵2千で張魯下せる可能性ほぼ0だが
946:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 22:03:57 I2oNBeQf0.net
呂岱は史実ではかなり活躍しているのに
演義ではエキストラみたいな扱いで気の毒だ。
947:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/04 23:34:27.29 rcdnzG1h0.net
>>918 益州は、それ自体が天然の城だからな、しかもかんぺきな自給自足が出来るから、兵糧攻めも通じない
攻城軍が籠城軍を破るには、最低4倍の兵力+全方向からの一斉攻撃が必要だから、
蜀の3倍の国力差しか無く、周囲を包囲してたわけでも無い魏が攻めあぐねたのも当然と言えば当然だろう
948:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/05 11:48:24.44 3YGTqpJL0.net
戦国末期の秦みたいに謀略で自ら優れた臣を抹殺出来れば良かったのにな。
949:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/05 13:49:34 Dg+yRm3O0.net
おい、自ら有能な部下をどんどん抹殺していった袁家の悪口はやめろ
950:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/05 21:57:25.93 Uzf/Vu8T0.net
中国の戦国時代は離間の計が効きすぎ
あの時代は敵国のスパイへの対策とかがまだ考えられて無かったんだろうな
951:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/05 23:33:36.15 cukINB7A0.net
中国は古代から貴族は国を跨いで私的交際が普通にあるから、
情報の機密保持にも限界がある
姻戚関係もそうだし、一族が分派して国を超えて存在したりもするし
952:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/06 00:15:26.79 dzZNw4bj0.net
蜀と魏の幹部の孔明と仲達が戦場以外では仲良くて黄権の話をしてるのが確定してるぐらいだから他はお察し
953:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/06 05:45:32 2f7CB3m90.net
魏の諸葛さんと呉の諸葛さんが戦場で対峙したことなかったっけ?
954:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/06 15:44:59 59tZKpjA0.net
>>927
三国に分かれても名士層は結構繋がりあるんやろ
後の混乱に比べたら三国はトムとジェリーの様に仲良く喧嘩して様なもんや
955:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/06 15:47:29 59tZKpjA0.net
>>924
孫権「こっちは派閥両方の有能な人材を処罰して無能を残す采配するで!」
956:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/06 18:56:14 ranV5xyu0.net
>>927
司馬懿と諸葛亮は知り合いレベル
957: 黄権とは仲がいい
958:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/07 02:41:47 mXewO4NN0.net
>>904
諸葛亮は若くて体格もいいとしても呉との往復はさすがに1度で嫌になったんだろう
959:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/07 20:14:21.23 r6A5q30e0.net
わたしとあなたは友達じゃないけど
わたしの友達とあなたは友達
だいたいそんな感じ
960:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/07 21:41:15.68 XZkqzmHu0.net
>>915
批判が少ないなんてないだろ
劉備は信用出来ないって荊州落とされてんだから
961:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/07 23:46:34.84 beq81sct0.net
>>934
劉備が益州を奪ったのを批判する意見は呉側ぐらいだし(しかもそれほど多いと言えないぐらい)
それに劉璋を騙して奪った事に対する批判では無くて孫権を騙した事に対する批判だしな
962:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/08 20:34:55 2Fa6/m1D0.net
>>935
劉璋の名前が出なければ益州簒奪の批判では無いっていうのは無理がある
劉備や関羽は弱れば喰いつくハイエナ野郎って批判は正にそれだろ
963:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/08 23:18:56 oy7IrN6q0.net
呉書の自己弁護は今の韓国並に酷いからなあ…。
魯粛が存命だったころまでは良かったけど
関羽を裏切った時はもう弁護不能なレベル。
陳寿ですら曹操=曹公 劉備=先主 孫権=呼び捨て にしたのも頷けるよ。
曹操や劉備が批判を受けつつ
それでも時代の中心的存在であり続けるのは
汚い部分を隠さない史書の記録の潔さにもあるんだろう。
孫権は自国の利益のために、同盟国を裏切ったのにそれでも
その行為を強引に正当化させてしまおうとした臭みが強烈に匂って
そこからは偽善詭弁の呉になってしまった。
964:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/08 23:27:11.73 j4+mlWGW0.net
いや魏も普通に汚い部分隠してるよ
その証拠に魏書には書かれないけど後漢書だと書かれてる魏の卑劣な行いとか割とあるしな
蜀は単純に綺麗も汚いも資料が少ない
965:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/09 00:53:45.67 zZcxXKu10.net
本当に資料が少なかったのかな?陳寿は自分に都合の悪いことは敢えて書かないスタイルだからな
例えば陳寿は蜀は史官を置かなかったと言ってるけど、華陽国志では陳寿は蜀の東観(史料編纂室みたいなもん)秘書郎だったと書かれてる
同時代の史書と比べて比較的信憑性が高いから陳志が正史に認定されたものの、絶対視できるほど陳寿は信頼できる語り手ではないだろう
966:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/11 21:21:43.82 QA+tgvlq0.net
陳寿は関張辺りは因果応報とかボロくそに欠いてる割に劉備には先主と呼んでみたり敗戦も二人みたいに悪くは書かずにかなり配慮している様子が見られるから完全に中立とは言い難いからな
結果だけで言うなら劉備も関羽もそれぞれの大惨敗の責任は似た様なもので劉備だけ庇う理由は無いはずなんだがな
むしろ、関羽の方が呉のせい守りを任した二人のせい(裏切る原因を作ったのは関羽だが)とか責任転嫁しやすいまである
967:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/11 23:48:47 IE1ENmAW0.net
陳寿「自分の故国の創始者を悪く言えるわけねえだろ…」
そう考えると劉邦の悪いとこ書きまくってる司馬遷って凄いわw
968:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/12 01:07:24.87 IJ5VDZCP0.net
そりゃまあ陳寿は劉禅にちんこ切られたりしてないし
969:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/12 01:17:51.10 yXmZQhCM0.net
王允は歴史書を遺したいと命乞いをする蔡邕に、司馬遷の史記のような誹謗の書を書かせてなるものかと言って処刑したそうだけど、史記って後漢末ではそういう認識の書物だったんだろうか
970:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/12 07:54:17.41 pTqoTTx20.net
>>943
今の国を正当化する為に前の国を誹謗中傷し政権交代は必然だったとする為のモノぐらいの認識ではないかと
始皇帝がそれによって必要以上に悪く書かれているって話はよくあるし
本当かどうかはもう分からないけど
971:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/12 08:18:24 jYWUO7Qr0.net
>>944
始皇帝はまだマシやろ
何しろ項羽と劉邦に男子のあるべき姿として語らせてる訳やし
972:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/12 13:37:37 SCIRFrAJ0.net
>>944
史記だと法律の過酷な秦と緩やかな漢みたいに書かれてるけど、出土した資料によると秦と漢の法律はあまり変わらないんだっけ
973:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/12 23:57:08 MscEtDQc0.net
漢は功臣を殺しまくったしなあ
974:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/13 01:03:34 Qw6TQFyQ0.net
>>946
項羽の大量生き埋めを目の当たりにした人々にとっては人治オンリーの社会から法による支配がある程度決まり無差別殺戮がなくなっただけで安堵したのかもね
劉邦自身の考えというよりは項羽以外に敵を作れない切羽詰まった状況で生まれた寛容さが結局劉邦の追い風になった面は大きいと思う
975:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 10:06:03.04 c1CD13iR0.net
荊楚の地は疫病があるので難しいね
976:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 14:27:04.95 Z7dIELNp0.net
劉邦は蕭何がいたことにより略奪せずにすんだからな
これだけでも民心をえていた
主に関中で
地元の豊じゃ嫌われてたのに
977:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 14:29:59.71 Z7dIELNp0.net
それにしても三国14の蕭何の値低すぎ
ペンペン草も生えないくらい収奪したのに反乱も起きないくらいの政治カあったのに
978:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 16:15:35 XEAO82fO0.net
>>951
蕭何は結構過小評価されてるよね
韓信と語り大将軍に推薦するほど戦略にも精通してるし
その韓信もアッサリ粛清するくらい冷酷な謀略も厭わない
知力も90代無いとおかしい感じだわな
979:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 16:44:21 XEAO82fO0.net
まあ一番過小評価されてるのは配下に能力吸い取られてる劉邦やろな
この辺は三国志時代の子孫と同じだけどより酷くなってて知力なんて目も当てられない
980:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 19:12:11.54 +pDygen40.net
肥は三国時代以外の人物のことは無知すぎてろくに知らないんだろうな
981:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 19:15:06.48 +pDygen40.net
>>953
韓信彭越いないし劉邦も病で来そうにないから反乱は成功するって英布に言われてるくらい指揮能力高いのにな
982:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 20:24:17.44 bFjo5US40.net
>>954
まるでKOEIが三国志に詳しいみたいに言うなよ
983:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/27 05:35:34.50 NLo5nml10.net
URLリンク(i.imgur.com)
984:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/30 20:01:33.29 YdlljhGf0.net
>>951
「項劉記」パソコン移植版を発売してほしいものだ。
985:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/30 20:12:11.25 mjFkpB9M0.net
魏は
二十万の遠征軍も出せないから蜀や呉をなかなか滅せなかった
986:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/30 22:46:58 8f4nQiIG0.net
>>953
確かに
劉曄は親友魯粛よりも知力低い
987:のがデフォになってるのが痛い
988:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 18:20:40 8mQftg6k0.net
>>960
言っている事は重ね重ね間違ってないんだけど、これはっていう派手な功績無いのが他の魏の謀臣に比べて痛いな
989:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 18:47:11 IEcyUIZ10.net
三国14の劉邦
統 武 知 政 魅
71 62 57 60 100
参考
劉備
統 武 知 政 魅
76 76 74 78 99
数年で天下統一してるし負けたのは項籍と異民族のあれくらいなのに一軍閥で終えた自称子孫の劉備より数値低い酷すぎ
990:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 18:52:01 SoVeQTCi0.net
>>962
統率は劉備より上で
武力は劉備より下ぐらいか
どの道2人とも統率低すぎや
あと知力も劉邦の方が高いやろな
せめて80代にしてやれよ
991:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 19:51:22 uT0LDzU90.net
13の劉邦は統率87やったのに何があった
992:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 20:34:58 SoVeQTCi0.net
>>964
魅力無かったから統率と平均化したんやろ
993:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 20:38:16 oxKIcsX00.net
劉邦って戦下手って思われてるけどそれは項羽、冒頓単于と中国史上屈指の名将と戦ってるからで彼らと戦って命があるだけでも相当の戦巧者だったといえるよね
現に英布あたりなんかは難なく退けてるしさ
994:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 20:45:32 SoVeQTCi0.net
>>966
劉邦「お、おう(英布戦で矢傷を受けながら)」
995:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 20:52:52 daNr5tqO0.net
劉邦は前線にいくことはないから相当英布に追い込まれたのは分かる
996:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 21:14:03.38 JKJF/MdU0.net
関心や訪越は死んだけど劉邦以外に英夫と戦える将はいなかった
997:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 21:28:40.38 Dffs8GP10.net
>>968
劉邦はずっと最前線じゃね
垓下の戦いがむしろ例外では
998:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 21:43:12.01 SoVeQTCi0.net
>>970
前線で兵の指揮はするけど最前線で斬り合いはしとらんやろな
だから普通に流れ矢ぐらいは当たる危険性がある
999:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 21:53:42.08 bUbIIa3Q0.net
劉備は曹操が自分に次ぐ英雄だと認めた人間なんだし
ちょこちょこ負けてはいるものの戦績自体は立派なんだから
もうちょい能力高くていいと思うわ
1000:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 22:00:53.96 SoVeQTCi0.net
>>972
孫パパも強化されとるのに劉備だけ結構不遇だわな
1001:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 22:06:41.55 SoVeQTCi0.net
殆ど自分で兵を指揮しない袁紹の統率が80代やからなあ
袁紹は統治上手かったから政治90前後にして戦争関係の能力下げてええやろ
1002:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 22:09:37.97 SoVeQTCi0.net
負ける度に復活してきた袁術も政治低過ぎだよなあ
1003:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/31 23:07:15.00 zQ2o274z0.net
>>972
ゲームの劉備は演義基準なんだろうな
1004:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 00:10:21 UoTFQb2j0.net
>>969
灌嬰「普通に英布と戦えるけど指揮権は高祖が離さないので」
1005:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 03:41:53 wr9zY/I00.net
演義基準で徳しかないみたいな感じなのも捻りがないよねえ
三国時代では一番自分の才覚でのし上がった人だろうに
1006:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 11:53:24.44 yppto9oqO.net
こういう話、歴ゲ板で突き詰めたとこまでできれば
いいんだろうけどな
肝心のスレがあれじゃな
1007:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 14:21:11.56 fpY1uvhd0.net
武漢のあたりって今の夏口くtらいかね
かつて曹操が大軍を率いてきた時代といい現代といい疫病に悩まされてるな
1008:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 16:54:05 7AGWiJx60.net
演義基準やと孔明は劉基で劉備が洪武帝
1009:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 17:29:40 C9VKkr24O.net
劉備に明太祖程の能力があったら曹操でも太刀打ち出来なかっただろうよ。
1010:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 20:38:59.18 /+kBO+OI0.net
URLリンク(www.rekishinoshinzui.com)
きのブログによると明の朱元璋を称えるために作られた「三国志演義」だそうだ
1011:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/01 22:43:52.05 C9VKkr24O.net
太祖を三國演義の誰に準えたんだ?
司馬炎?
1012:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/02 03:21:43.40 ywvqxrnr0.net
三国志演義は劉備と諸葛亮と蜀漢の物語なんだから言うまでもないでしょ
北伐を是とするイデオロギーを持つ南方政権は
多くが三国志演義成立前から蜀漢を正統としていたのだし
明だって江南からではあるけど北伐を遂げて中華統一をしたのだから
1013:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/02 18:26:19 +8MIijH40.net
蜀の総兵力は十万、呉は二十三万、魏は四十四万
二国以上でも圧倒的な差まではない
1014:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/02 19:48:23.37 W78mYHy00.net
魏と同じくらいの領土だった前秦は100万の軍勢を率いていたというがどこまでもっていたのやら
1015:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/02 19:59:27.92 GftGEn6M0.net
前秦の推定人口は2000万あったらしいからな
旧前燕領だけで1000万弱
これに関中、河南、山西、旧拓跋領、旧前涼領、四川、襄陽含めたら
確かに2000万近くいく可能性はある
1016:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/02 22:31:28 i26TTtdP0.net
>>985
確か演義の赤壁も明の戦いが元ネタだったっけ
1017:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/02 22:47:57 mqwnxcDi0.net
鄱陽湖の戦い
1018:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/03 12:36:11.01 nctdJfMy0.net
>>989
そのとおり、おかげで伝染病等で曹操の軍勢がボロボロだったという事情が抜け落ち、長らく超人的な力と火計のおかげだと思われてた
元ネタでは火砲使った結末を三国に無理矢理落とし込んだことが原因
でも三国志ものの創作としてはよく作り込まれてるのよ演義は
そりゃあ明の国家事業で作られたと疑われるわ
1019:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/03 21:38:02 L815cRDE0.net
洪武帝という畜生を英雄に見せるための国家事業やぞ
1020:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/03 22:40:11 O9I6lj1U0.net
赤壁一つとっても魏と蜀が明記してる劉備の戦いっぷりが呉には不自然にカットされあろうことか演義の赤壁、さらには荊州の領有問題まで呉のツッコミ所満載な主張を全面的に採用
やっぱ演義の作者って劉備嫌いだろ
1021:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/03 23:42:06 duTjitU/0.net
>>993
演義は二宮を始め孫一族のクソエピソードはカットしまくりだから意外と呉に優しいんだよな
1022:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/04 01:45:43.91 i2Opd4mk0.net
>>993
ガイエも「羅貫中ってホントは劉備や蜀嫌いやろ?褒め殺しとしか思えん描写結構あるし」とかコラムで書いてたな
1023:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/04 06:55:07.98 QtO5NaLg0.net
次スレたのんます
1024:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/04 15:41:57.25 y5sAVbwg0.net
やだ
1025:スレ中盤のまとめ
20/02/05 21:03:25 VS2gdBzi0.net
西原哲也(馬糞)の魏晋革命
曹爽が司馬懿と仲が険悪になりながら司馬懿派の賈充や司馬師をそのまま用いる
その他の司馬懿与党は左遷させられているのは無視
↓
母が死んでも司馬師は曹義とダブルで中領軍に在籍し、それが中国の喪として普通だと強弁する
1026:また曹爽の取り巻きの何晏に評価され清談する間柄なのに司馬師は真っ向から曹爽と対立して媚びなかった ↓ クーデターで司馬師は何故か自分の職を罷免し王観に中領軍を任せる 皇帝の詔を握りつぶせる録尚書事であるはずの曹爽が、太后経由の詔を真に受けて降伏する ↓ 粛清と属官の罷免があり司馬懿派なのに賈充が罷免され、何晏派なのに職を続ける鍾会という謎裁定が下される ↓ 詔を握りつぶせる録尚書事の司馬師が何故か詔を恐れ李豊と夏侯玄を殺す 権威がなくなっていたはずの魏皇帝の廃位に司馬師与党のカン丘倹が怒って反乱する ↓ カン丘倹の乱後に録尚書事でなかった司馬昭が皇帝の詔を握りつぶす ↓ 権威がないはずの皇帝を伴い諸葛誕を滅ぼす なお何晏、夏侯玄、司馬師が清談で声望を集めていたにも関わらず、それより下の扱いの諸葛誕は曹爽一派 ↓ 権威のないはずの皇帝に連座するのを恐れて地方に出鎮する司馬望 その皇帝にビビって逃げ出す司馬チュウ 賈充が殺したのは当然としながらも司馬氏親族二人の行動は無視 ↓ 権威のない皇帝相手に禅譲を迫るためわざわざ蜀を攻める司馬昭 主力は曹爽派の鍾会 ↓ 成都陥落後にカクヨクが降伏し、何故か安定しているはずの南中の蛮族の平定を行う なお羅憲は根っからの魏の将だったから蜀滅亡前も救援をしていないとのこと 泳がせてやって主張を呑んでやったらこんなトンデモ歴史が出来上がった 本気でこいつ何考えてるか分からんな
1027:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/05 23:03:17 fSlYIBxZ0.net
曹操のせいで下克上が当たり前になった
1028:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/05 23:03:30 y7rjr9Yt0.net
1000なら
1029:1001
Over 1000 Thread .net
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 213日 0時間 48分 1秒
1030:過去ログ ★
[過去ログ]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています