19/07/30 18:20:08.42 RY1lR1bK0.net
>>244
荊州を茨州は
たまたま間違えるのが不可能だから
間違えた経緯を聞いてみたい
251:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/30 18:23:33.47 0DgSr+zY0.net
夏休みだなぁ…
252:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/30 18:28:58.60 ul84n5hf0.net
鄒岐と鄭岐が同じか、王凌ハメた黄華と涼州の太守黄華は同じか、よりも不毛な議論
253:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/30 18:36:29.94 RY1lR1bK0.net
今まで有毛な議論なんて有ったのか?
254:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/30 19:29:22.57 dRfcXs/Y0.net
まあ、最初の常套手段って言った奴は逃げたんか
引き抜き工作なんて不思議設定は説明出来へんみたいやし
255:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/30 20:41:13.51 IF3RNHfa0.net
>>250
おまいら「髪の毛のない人だっているんですよ!」
256:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/30 22:39:45.47 k9P0aUJz0.net
三国志題材に記事にしてみた
↓↓
URLリンク(shohaku.hatenablog.jp)
257:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 00:06:35.56 ZML583uVO.net
禿髪樹機能「ああん?何が言いたい>>252」
禿髪烏孤「俺も言いたい>>252」
258:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 06:46:24.84 poD9Ph7/0.net
>>254
源賀「俺植毛されたみたいな扱いじゃねぇか・・・」
259:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 11:50:57.73 aKt5wCrm0.net
九品官人法の論文とか見てると、すんごいマイナー書籍に重要なの乗ってるようで驚いた
結論からすると官位と推挙の整理だけじゃなく戸籍調査も含めた制度で、異民族や奴隷と庶人を分ける役目もしてたようだ
(中正官が推挙しない庶人の鑑定結果を報告しており、その機能がなければ鑑定もしないし文章も残らないだろうとのこと)
ただし州大追加後はそういう記述がなくなったのを見るに、その頃には運用法を熟知した人間は消えたと予想されている
やっぱりソウヒやチングン長生きしたら魏の国号で統一できたかもしれないな
九品の改悪を防いでプチ土断としても運用を続け、名士の力を削ぎ続けられただろう
(正始年間の司馬懿はトウガイらの灌漑によって領地の生産力を上げており、食邑2万戸以上の地力を得て反乱の地盤とした)
260:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 12:57:36.78 T/2wfuOC0.net
曹丕が二度の敗戦に懲りずに三度も四度も呉を攻め続けるという絵姿がまったく想像できないわ
諸葛亮健在の蜀を滅ぼせるとも思えんし
曹丕に成功した戦役が何か一つでもあれば期待できるんだろうけど…
261:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 13:00:42.89 T/2wfuOC0.net
結局のところ曹丕曹叡が長生きしてできることというのは対蜀対呉を圧倒できるだけの国力の増強という長期的な政策の実行に限定されると思う
262:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 13:02:28.48 Q1eATaE20.net
異民族の力も弱まってたし
喫緊に統一する必要性もなかったんだろうな
263:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 13:21:12.84 dOMv0FIV0.net
>>258
それと同時に魏の延命の条件
2人が長生きして司馬懿が先に死んだら歴史が結構変わってた可能性がある
264:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 13:42:24.45 poD9Ph7/0.net
司馬懿死んだら後なら司馬師が反乱起こしても宇宙大将軍ポジにしかならん、って考察を思い出した
265:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 13:42:30.33 O68rKsZu0.net
曹叡なら軍事的な成功も期待できるがその前に建築事業で金を使い果たして反乱起こりそう
266:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 19:19:43.54 pdQD8jVX0.net
蕭何の大業だから不必要ではなかったがあのタイミングでもない
267:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 23:16:02.07 ewVmZZtf0.net
曹叡ってコメントは立派だけど大規模な遠征を自ら企画して実行まで移した事例ってないよね
ぶっちゃけ曹丕より下なんじゃねーのか
268:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/31 23:31:29.57 Q1eATaE20.net
符堅「遠征して涙目になる人だっているんですよっ」
269:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 01:39:49.58 5iuIe8kQO.net
>>265
劉邦「んだ。」
楊広「んだ。」
天可汗「んだ。」
趙匡義「んだ。」
朱祁鎮「んだ。」
270:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 05:13:49.95 p+87EKKb0.net
>>266
漢太祖以外相手の戦闘力うんこの時代ばかりじゃねーか!
寒冷化でロシアや中央アジアから次々と異民族なだれ込んでくる時代を前にしてる魏と比較しちゃいかんわ
271:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 10:08:50.09 h/h8QNcT0.net
>>264
曹休:勇み足して大損害出して病死(ただし出来物での病死は刑死の暗喩とされている)
曹真:天運に恵まれず撤退したあと病死
これで懲りた後、守勢なら何とかなると分かってしまって外征諦めたと思う
曹叡は浪費ばかり記録されてるが、貨幣経済を再開させられるくらい国力を上げてるから実際はそこまで無能ではないだろう
周囲の意見を聞かずに土木業をやったせいで、名士が水面下で国家転覆図るようになってしまったのが一番の問題
272:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 10:27:24.30 sITo8lDt0.net
>>268
二代目の時点で滅亡の萌芽が姿を現してるのは草
273:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 11:59:44.99 TtVEZlfM0.net
>>269
ぶっちゃけ初代が曹操といっても差し支えないから、曹叡は継承失敗した三代目みたいなもん
274:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 12:03:31.45 TtVEZlfM0.net
>>270途中送信のため追記
同じ理由で司馬炎は司馬懿→司馬師→司馬昭と続いて実質的に四代目のような状況
そのせいで政治が破綻して、次代から外戚や皇族が殺し合うことになった
275:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 12:38:12.45 Nj4/GfZk0.net
>>247
「荊」の字を「けい」で変換できなかったら
「いばら」からたどるのは何もおかしくはないよ。
276:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 13:59:05.98 TtVEZlfM0.net
>>272
頭高句麗かよ
277:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 14:04:44.76 qMkg10Fg0.net
じゃあ僕新羅ちゃん
278:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 14:05:56.64 qMkg10Fg0.net
>>270
三代目の継承くらい大目に見ろよ
279:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 14:11:04.28 krm9gNEB0.net
>>272
荊を「けい」で変換できない様な日本語環境って逆に気になるんだが?
280:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 15:11:59.55 RebUcDOY0.net
趙月を娘扱いとかもそうだし頭高句麗が多いな
281:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 15:20:35.07 xYJW8EEr0.net
そういえば趙昴の曹操を裏切り発言は笑ったか
確かに関羽は劉備は裏切って曹操に付いて
その後に曹操も裏切ったもんな
人質は息子と劉備の妻子の違いだけでそっくりだ
282:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 17:56:46.75 mmb8IQ+l0.net
>>278
関羽は疫病神だからな
荊州陥落の原因となったせいで義兄弟の劉備張飛が死をもってケジメつける羽目になってる
劉備に至っては日和って孟達劉封に責任押し付けようという醜態を晒すとか糞そのもの
283:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/01 22:23:05.86 ElQ69EgP0.net
関羽はもっと前に死んでたほうが蜀には良かったんだろうな
284:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 01:19:58.38 Aht3F4pM0.net
>>276
どうなんだろうね
グーグル日本語入力なら出るけど
古い携帯の変換ソフトなら微妙なとこだと思うよ
wnnとか「生姜」も出せずひどかったし
少なくとも切れるような話じゃねえよ
285:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 06:18:35.94 b8nP/RT20.net
変換できないならホウ統みたいにカタカナ表記でいいのでは
アホみたいな当て字当てるから知性まで疑われる
286:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 06:46:59.37 lDmDsrm90.net
>>280
というか古代中華王朝にとってしてみれば塩賊時代に死んでたほうが幸せだった
劉備があらゆる地方を引っ掻き回すための戦力が不足し、おそらく徐州刺使とかで人生を全うして
曹操が漢復興するか袁紹が新しい王朝立ててた
いたずらに戦乱を伸ばした罪は大きい
287:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 08:45:04.71 XKjw1prl0.net
>>283
歴史的に見れば劉備が必要無いのは同意するけど
呉は南朝の基礎を作ったから無くなると後の異民族に対抗出来なくなるよ
288:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 09:59:54.83 6PBG+Xvg0.net
その場合は武昌か江陵、寿春あたりが漢民族王朝の抵抗拠点になるだけなんじゃねーの?
289:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 12:18:59.12 Ctf/F+y+0.net
>>285
そこいらは後漢末まで五渓蛮や九江蛮がしばしば反乱を起こしてたしな
漢民族の住み易い環境ではなかったと思う
290:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 13:05:18.51 Aht3F4pM0.net
>>282
そういや晋を普と書く変な人いたなw
そういう人なんだろうね。
291:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 14:21:23.15 6PBG+Xvg0.net
蒼天航路で初登場の程普が程晋と記載されていたことを思い�
292:oした 今の版でもあのままなのか?
293:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 14:50:15.57 iD+jIK8s0.net
>>285
曹操が漢復興と仮定すると騎馬民族が席巻するのはないと思う
あれは漢民族内でグダグダになった結果、騎馬民族に漢民族由来の知恵が付いたことによる悲劇
漢民族社会に置かれていた劉淵はともかく、それ以降の群雄は出る隙はないだろう
石勒なんてバタフライエフェクトの産物だからそもそも存在すらしなくなる可能性が高い
294:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 15:24:26.85 qiiXA/rVO.net
劉備や関羽が居なかったら、後に三国演義も生まれずに関帝信仰も生まれなかった…。
ってことは今頃中国はロシアの一部となって100年ほどで、その前はモンゴル大帝国で漢民族なんてもんは1000前くらいに滅びていて漢字も日本文化と呼ばれていたわけか。
中国革命の原動力である「義心」を喪失した中国人は歴史の敗者、弱者として既に消失した古代民族となり現代に伝わっていただろうな。
295:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 16:54:35.58 ZxNpn5wd0.net
長いから要すると
関羽なんか信仰してるから中国は戦争に弱いと
296:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 17:14:49.10 Xlwt9NrW0.net
関羽信仰してるのは日本だが。
297:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 17:25:31.78 Ctf/F+y+0.net
>>289
つうか、人口減を補うために最初に異民族を中国内地に徙民させたのは他ならぬその曹操さんじゃありませんかね
魏の代では上手く分割統治して異民族の台頭を防ぐことはできたものの、そのうち爆発する地雷みたいなもんだよ
移民を連れてきて楽をしようとするとそのうち移民に国を乗っ取られるっていうのは、繰り返される歴史の必然なのかね…
298:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 17:35:41.86 6PBG+Xvg0.net
>>293
後漢通じて異民族は帝国本土に入ってきてる
彼らを北辺防衛の軍事力として利用する体制が崩壊したのが後漢末で、再建できなかった結果が西晋の樹機能や斉万年の乱
体制再建の話なので曹操個人の影響力はそこまで大きくない
299:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 17:39:22.87 HeVdg0Gp0.net
八王が争わなければ予算がかかっても討伐はできただろう。中央がしっかりしてれば問題ない
300:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 17:44:48.16 FzNOB9Vx0.net
>>287
荊を茨としちゃうのは粗忽だし、隆を陸、晋を普と打つのは完全に間違えて覚えてる証拠だから
現実社会でも迂闊なミスを頻発していそう
301:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 17:58:00.54 75va9vI30.net
>>292
あんな弱いの誰が信仰してるの?
302:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 18:37:33.72 PrnF3VOB0.net
文大統領がいった「盗人猛猛しい」って訳された言葉
もとの言葉調べたら「賊喊捉賊」って曹操と袁紹の花嫁泥棒話からきた四字熟語なのな
曹操の後半の失速は虫歯が激しく痛かった もしくはそれで判断力低下してたとか
NHKの番組見て思ったけどさすがにないわなw
303:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 18:58:59.12 PcSftwuR0.net
>>291
世界最強のアメリカに勝ったベトナムにも関帝廟があるぞ。
関帝様の霊威はアメリカすらも退けるみたいだな。
まあ、そのアメリカのニューヨークにも関帝廟はあるんだけどな。
304:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 19:12:15.06 ZxNpn5wd0.net
>>299
それは中華街以外にあるの?
305:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 19:55:16.56 tHy4x9OE0.net
>>290
人生の負け犬は妄想の世界に生きるしかないw
淮南で発狂して皇帝称した袁術のようになw
負け犬も蜂蜜飲みたい言いながら飢え死にするかねw
306:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 20:42:50.94 Ctf/F+y+0.net
>>294
江充の徙戎論を読み返したんだが、確かに後漢初頭に馬援が隴西太守となった時に討伐した羌族を関中に強制移住させたのが徙民のはじまりとしているな
その一方で、魏代になって積極的に異民族を内地に強制移住させたこと、そのために西晋期には中小規模の反乱が相次ぎ異民族が獅子身中の虫になっている現状が指摘されている
八王の乱が導火線になったのはその通りだが、爆弾が存在している以上遅かれ早かれ爆発は避けられなかったともいえるのではないだろうか
307:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 20:57:16.19 qiiXA/rVO.net
>>300
激しくスレチだが、ベトナムの神仏への信仰形態は中国に似ている。関羽も神通広大な神仏として人気で一般家庭の中にも関羽像は奉られている。
ただ、同時にイエスも信仰していて儒、仏、道にキリストも混ざった独特の形になっている。
308:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/02 22:51:37.41 75va9vI30.net
>>303
それって100%華僑が絡んで無いって言いきれるの?
309:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 04:52:59.13 sQetGQGu0.net
ベトナムって途中まで中国だったし100年ちょい前までは漢字が使えるのが知識人階級として
幅効かせてて相当中国の影響大きかったろ。独立運動家も伝�
310:搏I中国文化を尊重する連中と 仏ローマ字表記の簡易さとか国力に目を付けたフランス派とか入り乱れて色々やって今に至るし 近代までは中華文化圏だったよ
311:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 07:13:36.33 lVy2eQZp0.net
>>304
極論主義者w
何でも極論でしか考えない。
312:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 07:18:32.96 7xuZtFnr0.net
激しくスレチなら関帝廟なるお稲荷様以下のマイノリティのカルトの話してるんじゃねーよ
カルトの布教活動キモい
313:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 07:27:09.61 lVy2eQZp0.net
>>307
おまえ逃げてるだろw
314:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 07:43:55.93 jYqqbbzF0.net
カルトでしっくりした
関羽儲と草加がやってることが同じだ
315:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 07:48:38.60 QMnABE710.net
>>306
極論も糞も日本が沖縄で実際好き放題されてるからな
>>309
映画の話を誇ってたりしたが、マジで領域がオウ●とか幸福●科学レベルだからな
シナチクは最低なことにそれを国家が奨励してるというカルトっぷり
316:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 09:57:27.59 h6zs6SOXO.net
中国の歴史の話で中国アンチとな?
ニュー速民でも流入してきたんかな。
317:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 11:47:34.46 lVy2eQZp0.net
馬鹿だから仕方がないんだよ。
ネットでしか何も出来ないんだからw
318:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 18:23:22.57 VBLYuwxK0.net
勝手にアンチ認定に代表されるひねくれた中国の性格は、悲しいことに晋のせいで生まれたのよな
中原奪われても俺こそが正統で偉いんですぅ、曹操なんてクズで漢こそ永久の王朝なんですぅって毒電波を流し続けて悦に入り引きこもった
悪い意味で節を曲げる技術が研鑽されたのが晋時代
魏や呉みたいに攻撃的な対外政策を取れる国が統一してたら、もっとまともだっただろうに
319:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 21:28:33.72 56CW67yM0.net
>>294
>>302
異民族の流入なんて楚漢戦争の頃からデフォやで。
楼煩って部族を傭兵で雇ってた記述が史記に書いてる
320:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 21:45:28.21 BtIY5INC0.net
>>314
問題はそれを御せるかどうかだからな
劉淵が怒ったのは高い教養があり名士とも仲が悪くなかったのに、匈度が中央で評価されなかったせい
そしてそれを抑えられなかった西晋のクソザコ加減が引き金になってる
冒頓のように評価されたり反乱を起こせない位の軍事力を保持していれば起こり得ない
そこから先の燕や代の南下は避けられないだろうが、国体がキッチリしていれば相手は結局異民族の領域を出られないから負けないだろう
321:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 21:46:14.40 HdTQ4Wxe0.net
>>314
彼らが前漢代通じて北辺の守りに従事していたという連続性を君が証明できれば確かにその通りなんだろうが
楚漢の一回こっきりだと一般的な理論としてまったく成立してないからな
322:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 23:07:18.88 zLmyG0aB0.net
司馬懿が州大中正を置いたことと八王達が悪い
323:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/03 23:59:19.70 VBLYuwxK0.net
>>317
簒奪まで考えてなかった司馬懿の名士優遇案に、簒奪を狙っていた息子以降が苦しめられるって構図もなかなか皮肉
家柄さえ良ければ贅沢自慢しか能がないような輩がのし上がれるようになったのも州大のせい
324:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/04 00:34:30.80 UY3DPZN80.net
州、大中正な
325:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/04 01:28:30.54 KLuUluOJ0.net
州大中正の影響は王衍が石勒に命乞いする話がわかりやすいな
326:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/04 11:17:08.47 EIMW5rkO0.net
晋がいかに糞国家なのかが分かるな
とはいえ魏の国体も平和な時代に対応できない制度だったから、仮に統一できても北伐ばっかして国力使いそうな気もするが
327:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/04 11:21:20.77 jTZGDMMO0.net
九品中正制度をあらわす言葉として、上品に寒門なく下品に勢族なし、なんてよく言われるけど琅邪の孫秀や隴西の李含のように寒門出身だけど諸侯王や有力者に取り入って出世してる人間もいるんだよな
寒門出身が正規の昇進ルートから外されてる時点であかんというか、佞臣タイプの人間じゃないとむしろ出世できないのが非常にまずい
328:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/04 23:30:07.71 MilUukKH0.net
>>322
司馬懿「清談なんかで能臣が取れるか!(選定基準から浮華を除外)」
↓
司馬師「オヤジの遺臣でどうにかならぁ…って何やってくれてんの毋丘倹の糞野郎」
↓
司馬昭「アカン従順な子飼いおらん・・・せや!七賢みたいな奴起用しよ(浮華復興)」
↓
司馬炎「ウルサイやついらんから人望ある清談名人と名族優遇するでー」
↓
王 衍 爆 誕
でもそんな王衍たんでも王弥破ったり匈奴漢へ抵抗したりできる人望はあったのは事実
しかし結局は口先とカリスマしかなかったせいで囚われたら見事なゴミになった
329:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/04 23:41:07.04 wU82z3Cg0.net
>>268
貨幣経済ガーってそんなもん時間経過が解決した規定路線であって曹叡がなんかしたおかげって訳でもねーだろ
330:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/05 00:17:22.54 f3Dm3bUl0.net
>>324
時間経過では解決せんよ
桓帝時代は穀物一斛が数銭程度だったのに、それが十数万銭にまで跳ね上がってるんだからな
そうなると旧貨幣をなかったものとするため新貨幣にする(劉巴)や信頼の置ける国家が貨幣を管理する(魏)とかしなきゃ解決しない
無論私鋳を技術的、法律的に禁じるなどの措置も必要だ
呉なんて銅資源が魏より豊富なのに幾度も貨幣経済に戻そうとして失敗してるからな
曹叡時代に回復したのは「貨幣を使う士族、兵戸、商人らが信頼されるよう国内を安定させた」のに起因している
名族を特別扱いせず独裁を推し進めたため評価は低くなりがちだが、この功績は矮小だと捨て置くことは決してできない
331:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/06 16:29:45.81 wciJWxBi0.net
>>325
俺経済しろうとだから間違ったツッコミかもしれんけど穀物が十数万銭ってのは飢饉による一時的なインフレなんじゃねーの?
貨幣の供給が止まって市場に出回る量が減ったら普通はデフレになるもんじゃないの?
なんにせよ国家が安定して通貨を流通できる体制を作らない限り問題は解決しないのだけれど戦乱が長く続いて軍備優先にせざるを得ず抜本的な経済改革を打ち出せなかったというのが魏の現状だったんじゃないかと
332:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/06 18:01:37.50 20zEDc750.net
>>326
飢饉による穀物不足もあるだろうけど何より通貨の信用低下がデカイやろ
確か呉だったか塩で褒賞与えてた例があったはず
333:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/06 19:04:22.90 t2k2lJSw0.net
>>326
えっとだな、「金貨銀貨でもなきゃ信用のない貨幣本体にはたいして価値がない」のよ
それに鋳潰さない限り貨幣は減らないし、その逆を董卓がやったりしてる(洛陽の銅製品を巻き上げて貨幣にした)から悪貨は市場に溢れてばかり
流通より正等に管理する(極端な方法でいえば、物品を専売状態にして価格を統一する)ことが安定につながるわけ
逆を言えば農民は年貢さえなけりゃ貨幣なんて関係ないのよ
作物を物々交換して生計立てるのが主だから、作物自体が暴落しない限り見合った対価を得られる
334:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/07 20:32:36.37 SWhlwBLL0.net
一石数万銭じゃなかったっけ董卓んときは
335:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/10 12:39:02.86 EKeL+4El0.net
>>310
幸福の怪文書信じちゃう中卒バカウヨですかw
幸福や日本会議のクズどもが中国が今年になって60日連続で尖閣クルーズしているのにだんまりなのはスルーかねw
米軍同様強い相手には媚びへつらう家畜バカウヨは粋がるなよw
336:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/10 23:19:42.84 GVQgFTDp0.net
良質な貨幣を造れてた蜀が三国の経済を支配してた説
あると思います
337:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/11 05:58:51.35 9PwU1y740.net
三国志展での出土品見てると孫呉が経済的には一番裕福そう。
ガラス器まであったし
338:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/11 08:02:53.40 GIasZrkF0.net
>>332
海上交易まであったからな
晋が統一した時に一時的に富が溢れたのも呉の贅沢品や交易路を接収できたから
ただし呉は豪族集合体の体制だったから交易も豚に真珠そのものだった
利益を国家に直結させるためのプロセスがないもの
339:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 03:14:34.15 Wi6uNjiY0.net
貨幣問題はずーっと解決しないんだよなあ。ゴミ貨幣ばっかでたまに増産して
商業が発展して好景気になるけど貨幣量が追い付かずに含有量減らして信用消滅、
経済混乱で物々交換をずーっとやってる。貨幣は減らない?けど皆ちょいちょい削って
鵝眼銭になる。国がある程度安定して気合入れて増産した時以外ゴミ貨幣ばっかだから経済が回らん
340:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 06:14:55.05 i4sMkB9z0.net
貨幣経済は魏晋南北朝時代のテーマでもあるから
341:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 08:17:06.19 B7OC1kXr0.net
>>334
中華の貨幣経済はもっと後世の明とかでもまだ銅不足だからどうでもいいわ
そのくせ銅銭銅鏡を周辺蛮国へ惜しみも無く輸出提供で病気の類
紙幣発行してた元やスマホ決済が普通になった中共がまともに見えて笑えてくる
342:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 08:28:27.10 5u0C+MFo0.net
絹が意外と優秀な納税手段だったのが中国の悲劇だと思う
343:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 09:19:49.00 0XYmXefO0.net
商人は三国間でも自由に行き来してたんだろ?
344:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 10:09:32.40 Mu/8kNyQ0.net
互市みたいなのが三国の隣接地帯にあったんじゃないかと想像してる
345:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 14:04:20.87 dHAKZcu60.net
>>338
劉備は馬商人の護衛がスタートやな
346:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 14:22:03.41 5chW+hSo0.net
劉備の兄貴分、公孫瓚は商人や占い師と義兄弟になって姻戚関係を結んでいたそうだが
劉関張も似たような関係だったんだろうか
347:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 16:58:11.50 wckZKYxF0.net
>>341
関羽も伝承で塩の密売絡んでるし
同族や豪族の絡みが少ないのは劉備の出自の面白さでもあるわな
348:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 17:16:38.15 Wi6uNjiY0.net
国境地帯って略奪されそうだけど献金とかして見逃して貰ったんかな
349:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 18:37:19.94 I1chN9Z/0.net
>>331
なんでやねん
諸葛亮が死んで引きこもったんやで蜀は
350:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 19:24:50.80 byL8hej+0.net
>>344いや全然引きこもってないよ
姜維がトップになってから兵出しまくりだし
姜維がトップになる前からもちょくちょく兵出してる
351:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 20:20:50.30 5u0C+MFo0.net
姜維が涼州まで進出してるのは本当に凄えわ
東晋の時期は武都陰平に仇池国があったから東晋の北伐軍はあのルート使えなかったんだよな
352:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 20:31:34.54 I1chN9Z/0.net
>>345
姜維がトップになるまで何年あると思ってんねん
353:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 20:43:22.74 byL8hej+0.net
>>347
まず234年に諸葛亮が死んで後を継いだ蒋エンが国力回復のために出兵する事を控えるが
238年には小規模だがもう出兵を再開している
蜀漢が引きこもっていたと言える期間はたった4年間しかない
354:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/12 23:05:46.70 WkZjgYlI0.net
>>348
ショウエンが北伐できなかったおかげで蜀が長生きしたという皮肉
北伐は州の半分クラスを落とさなければリターンがないにも関わらず敗戦が国家存亡に関わる重症になるハイリスクっぷり
曹爽が許に逃げて魏が二分された場合に司馬か曹についたり、王凌の反乱が露見せず郭淮が乗っかった時に呼応して
上庸→襄陽進出とかやったりしなきゃ結局ダメだった
355:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/13 07:01:45.92 nsdZFJIM0.net
>>349
最低でも涼州荒らして漢中回避して益州侵入する準備を邪魔しなきゃいけない
後に姜維が漢中を放棄したのはそれをやられちゃったから
356:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/13 07:25:07.43 fkEGlHto0.net
>>349
呉が最大の好機に指揮官がカスだったのが悪かったな
357:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/14 12:17:57.67 tqhyWmdy0.net
>>350
魏は逆パターンでキョウイに煮え湯を呑まされてからじゃなきゃそれを思い浮かんでなかった節があるんだよなぁ
祁山が最前線でそれ以南以西は捨て置けって姿勢だった
そんな僻地に大軍勢を遠征させられるだけの地盤を作ったトウガイさんがド変態
あんなの司馬政権じゃなきゃ出来なかっただろうな
358:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/17 07:49:07.76 dMeJt1bP0.net
その節とはお前の妄想ではないかな
359:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/17 08:30:07.39 gBXdu1ks0.net
>>353
曹真の遠征と興勢役がどちらも力任せの漢中攻めでなかった件について反論どうぞ
360:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/17 09:15:59.70 gBXdu1ks0.net
力任せの漢中攻めでしかなかった、に訂正
涼州から攻めようとするならまず邪魔な羗を駆逐してる
361:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/18 17:28:02.52 +qPNXnZc0.net
興勢役は漢中がたまたま兵が少なくなっていたのか
その機会を察知した魏が利用して出兵したのか気になるな
362:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/19 08:52:26.23 gA6VpnV/0.net
興勢役は空き巣狙いにしか見えないほど戦術が糞
狭い山道に一ヶ所集中で軍を派遣なんてあまりに馬鹿すぎて話にならないし
その状況で補給すら滞るって馬鹿やらかしてる
石や木で退路絶たれてたら間違いなく殲滅されてるわ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/19 12:37:48.17 H1/Z4avl0.net
なんで司馬懿は失敗すると思ったんだ?
自分の生きてるうちは蜀を攻めきれないと確信していた理由が謎
364:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/19 13:04:13.67 nLNCjBmc0.net
曹爽が大した軍歴なくて蜀は費偉以下結構まとまってたからじゃない
365:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/19 16:02:56.18 nLX8hePL0.net
>>359
たいしたどころか曹爽も夏侯玄もそれまでの軍歴がほぼ皆無の素人
実質的な指揮官のカクワイは司馬懿の下にいた経歴あるし、わざと敗北させるよう助言するなと裏で指示しててもおかしくはない
んで負けさせはするけど痛手負って逆襲される前にさっさと撤退させたと
王凌連座でもカクワイの家族は例外的に許されたり、晋の時代には一族が外戚になってる辺り抜け目ないわ
366:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/19 20:44:11.33 Vxv03Y470.net
カクワイはじめ司馬懿は対蜀線での武将に慕われてたなドラマ三国志では
367:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/19 21:31:36.12 2hJJxd0E0.net
ていうか対呉戦線を含め前線の将軍たちはみんな司馬懿の息がかかった人間だと思う
反乱を起こした毌丘倹でさえアンチ司馬師ではあっても反司馬氏ではなかったからな
368:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/20 00:42:09.16 PXm7AxXb0.net
興勢の敗戦のせいで魏は?族・羌族の支持を失い
結果的に蜀は?族・羌族を味方につけて姜維の北伐で魏は苦戦する事となるわけで
損害が大きい事を考えるととても郭淮がワザと負けるような事するとは思えないな
369:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/20 06:59:20.95 8H0Qxy4y0.net
キョウはガシャサイとかが全く統率のない暴動起こしただけなのがなぁ
こいつらに後年の姚弋仲みたいな統率力と気骨のある奴がいなかったのが偲ばれる
370:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 09:16:08.99 YA38qsbf0.net
正史は配慮してた形跡があり晋書は持ち上げてる
司馬懿の悪い話は結構省かれてるんじゃない?
371:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 11:05:50.84 EQYblYGb0.net
司馬懿の悪評というと牛金殺しと襄平で京観を築いたことくらいだろうか
前者は眉唾もののゴシップだし、後者も蜀や呉に対する見せしめ的な意味合いが強かったのだろう(劉禅や孫皓が大した抵抗もせずに降伏したのは公孫淵の二の舞になることを恐れたからというのがあったと思う)
372:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 11:13:43.60 acRlmz/+0.net
孟達討伐とか誇張されてそうだな
373:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 13:00:40.36 vMnJBMSh0.net
邪馬台国の位置がおかしいのは功績の誇張のためという説もあったね
374:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 14:44:16.00 MN617MF10.net
>>367
地理的な要因からすると孟達は誇張どころではないと思う
なんせ情報漏らしたのがもっと蜀よりの魏興太守の申儀っていうのが不可解
申儀も内応させないと蜀は荊州への侵攻or孟達救援ルート確保できないのに孟達だけやるか?と
諸葛亮の離間策に司馬懿が引っ掛かったの�
375:�魔化してる感が満載 >>368 曹真がクシャーナ朝を冊封させたのに対抗するため誇大に成果を出させたのは有力 しかも正規王朝の証である一文字表記(倭)でやるほどの気合いの入りっぷり 本来は軍人であり比較対象が曹真や張コウであったのは忘れられがちだが
376:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 22:18:39.12 FHVlU7f50.net
司馬懿の一番の失敗は
九品官人法を改悪した事じゃねえかなと思う
まあ司馬家が晋王朝を作る事に繋がるからある意味成功だけど
377:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/21 23:12:57.41 OAlmxLO90.net
改悪しないと名士から支持されないもの
簒奪の対価は重い
378:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/22 04:21:21.59 LH3mbT7z0.net
正始政変も老齢の司馬懿がクーデター起こす利点が無いって状況を見るに、自利や愛国心ではなく息子たちに権力を引き継がせる、士大夫の支持を得るために起こした可能性が高いからな
簒奪まで考えた息子連中と違って州大中正なんて置いても一族に仇なさないと考えたんだろう
曹叡が宗族に力を与えようと腐心し、それに運よく乗っかれた曹爽に多くの人間が群がった結果
宗族連中は権力の継承が上手くいくのと対照的に、士大夫は一代限りで弱肉強食の世界に放り込まれるという魏のシステムへの不満が爆発したのは皮肉だ
司馬師は元々曹爽にも取り入っていて事情に詳しかったところから、やはりこいつが持ちかけて司馬懿が協力してやったという感じか
379:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/22 07:29:14.79 DDWFeigv0.net
曹丕曹叡でその次は名士と阿った結果が八王の乱から永嘉の乱の原因だから面白いよな
どんな未来を思い描いていたのだろう
380:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/22 09:35:33.09 GmdWeR7B0.net
>>372
息子たちに権力を引き継がせるってほぼ自利では。いや自分自身て意味じゃないのは分かるけども
381:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/22 18:45:15.71 ToIj4AKk0.net
自利だよな
382:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 09:07:37.92 8M2vnzB+0.net
統一できた時代と違ってたいした人物がいなかっただけやろ
383:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 12:50:06.85 JXDusUff0.net
>>363
司馬昭が従軍したことには誰も触れんなw
軍師連盟ですら描写していたのにw
384:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 14:48:41.68 spXHyCWl0.net
>>377
司馬師存命中の司馬昭はただの置物だぞ
結果的に天下人一歩手前になっただけで、殆んど実績のない血のスペアのようなポジション
わざと負けるような殊勝さも奮闘する気概もない
夏侯玄を殺すための李豊でっち上げ事件で夏侯玄の命乞いをするくらい脳みそお花畑
司馬師が死んでからハジけやがった
385:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 16:46:39.33 SOCfcsXi0.net
たまたま嫡男が生まれないまま司馬師が死んだから後継になっただけで、司馬昭は自分が家を継ぐことになるとは考えてなかったんだろうな
同じことは孫権にも言えるけど
映画ゴッドファーザーの主人公、マイケルコルレオーネにイメージが重なる
386:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 17:27:10.81 c6cN/JjA0.net
>>379
孫権も孫策の気風があるという孫翊を殺した疑惑あるしな
司馬昭が実験握ってから満寵の子孫を失脚、処刑してたりする過剰な保身とのシンパシーを感じる
387:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 17:33:06.36 SkrKsYvK0.net
>>380
司馬昭というか司馬炎がちゃんと司馬師を皇帝として諡してる
それ�
388:セけで孫策を王にしかしない孫権とはかなり違うよ
389:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 18:31:51.74 JXDusUff0.net
>>378
毌丘倹の反乱時に中領軍、宮中の押さえ任されているのに置物とか無知すぎるわw
390:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 18:34:40.53 JXDusUff0.net
>>380
粛清云々なら孫輔語ればいい。造反者許さんだけの話だろ。
391:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 21:30:46.60 MTBiKjt70.net
>>382
前任者の推移見たら中護なんて置物だってわかるぞ
だから司馬師は反乱を起こした
中護の地位が暴騰したのカジュウのせい
皇帝を守る名目上の高位職から皇帝を殺せる職へランクアップした
392:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 21:40:04.29 rU4Hc4x30.net
>>381
昭さんの場合「今の天下は子元大兄(司馬師)の天下。オレにはなんの手柄もない。だから大兄に司馬家をお返ししたいのだ」ってアピールしておかないと士大夫層に「不人情だ」だの「不孝者だ」だの謗られる危険性があったから……
393:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 22:26:35.65 WwwgOxkM0.net
司馬炎は司馬師の養子の司馬攸を殺したようなもんだし?
394:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 07:08:00.13 dQtbugfW0.net
曹操がチビだったせい
395:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 07:10:49.01 5ze5Nc6R0.net
>>368
> 邪馬台国の位置がおかしい
当時は実際よりも日本列島は南西(呉寄り)と思われていた形跡が。だから呉も倭に出兵した。
「倭は海南島に雰囲気近いようだ」という記述もそれだろう。
396:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 08:25:01.42 ytfW3gsY0.net
司馬懿が仕官を嫌がった逸話は創作だろうな
杖を投げて喜んだ魏略のもな
397:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 10:21:48.47 bXHIV2ve0.net
そもそもしばちゅうさんの兄ちゃん(司馬朗)は曹操の側近なのに断る理由ないもんな。
創作だと働いたら負けかなと思ってる的なキャラ付けされるけどむしろ仕事人間タイプやし
398:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 11:59:33.79 C1f5mfLA0.net
>>390
仕事人間だからこそソウヒの代に功績らしい功績の記述がなくても出世してるからな
ソウエイの時代になると東奔西走八面六臂の活躍だしほんと朝廷に従順
399:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 13:29:44.22 AoAyjgCe0.net
司馬懿自身はやっぱ魏に忠義を誓ってて
息子達が簒奪を図ったって感じがするよな
ただ司馬懿ほどの男なら息子達が簒奪に進む事を読んでそうな気もするが
400:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 14:06:37.74 KXn361fU0.net
>>390
陸遜の弟の陸瑁だって孫権が帝位に上がるまで何度も仕官を断り続けたらしいしな
そこは人それぞれなんじゃねーの?
家の事情があったり、いい条件がくるまで自分を安売りしないとか、なんとなくだとか
司馬懿が仕官を嫌がったエピソードは全部嘘だったとしたら、仮病使ってたことが女中にバレて張春華が口封じで殺した話とか話に尾ひれはひれがつきすぎているように思う
401:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 14:23:07.03 Fp7fBkji0.net
司馬氏にも後漢の功臣外戚だった南陽鄧氏や扶風竇氏のような未来ってのがあったかもしれないと思うんだけど
簒奪ルート以外も考察してみては
402:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 17:46:01.26 Dgy4tRgo0.net
海南島はベトナムフィリピンよりじゃないか
倭と思ってたものは沖縄だったりしないか?
403:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 20:20:42.58 GXO7xqQS0.net
>>395
たしかに「邪馬台国 沖縄説」というのもあることはある。
404:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 20:23:55.20 GXO7xqQS0.net
「倭の地は気候温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。みな裸足である」
「魚や蛤を獲るのに水に潜る」
「産物は海南島っぽい感じ」
と倭人伝にあるわけで、これだけを見ると沖縄っぽい。
ただし本土でないとも言えない。
405:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 22:18:48.45 aVPBdCXC0.net
>>394
その芽を司馬師が摘んでた
夏侯徽は曹真の妹の子でもあるから準皇族になり得たのに毒殺
実情は不明だがその後に曹家との縁談がなかったことからすると関係はそこで冷え込んだのは分かる
その結果ただの武功臣下にしかなれなかった
おそらく司馬懿はそういうポジションの中でも最期まで無事だった秦の王センや越のハンレイを目指してた(遼東攻めの詩でその意識が顕著)んだが
野心ある息子がやらかして族誅されるのが目に見えてたからこそクーデターに乗らざるを得なかったと見える
司馬懿が動かずに死んだとすると、司馬師はどこかでクーデターを起こしていただろう
でも名士の支持が得られずに梁冀のように討伐され、別の誰かが台頭したりを幾度かして疲弊した結果、南北朝時代として百年くらい戦乱が続きそう
クーデター回数が少なかった場合はそのまま魏の国力を引き継いだ国が統一しそうだが
406:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/24 23:29:35.05 G9GX235d0.net
>>393
司馬懿が仕官を嫌がった頃の張春華は12歳くらいだが
407:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/25 02:11:16.38 ObOFSQvw0.net
>>398
夏侯徽234年死亡、享年22、司馬師との間に5女あり
夏侯徽の後釜は呉質の娘
曹叡の娘婿(232年冥婚)の跡継ぎの前妻は司馬師の娘で後妻は司馬昭の娘
冷え込んだか?
408:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/25 05:18:37.15 QMFhJrn80.net
ぶっちゃけ義兄の夏侯玄を司馬師が殺したから後づけで「どうせ最初の嫁も司馬師が殺したんやろ?悪いやっちゃで」とか晋書編纂者が妄想したんやろ
409:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/25 08:33:14.22 xCNDyCWP0.net
>>400
冷え冷えやん
一番最後のなんか実態は郭大后を押さえるための手段でしかない
曹操が献帝にやったことを覚えてたらそれを関係強化とは言わないのは明らかだろうに
>>399
そも春華のエピってドッコカラの登場や鮮卑化の進行で
ひのえうまみたいな女が増えた唐の時代のテンプレ烈女像なのよ
そのまんまなら羊キユみたいに当たり障りない評価のみ書く程度しかないのに
実質創業皇帝の司馬懿の皇后だから…って無理に盛ってる
410:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/25 12:42:20.31 xCNDyCWP0.net
孫晧以外が君主だと滅ぼせないぞとまで言わしめた呉の鬼耐久っぷりよ
やっぱりこの存在があったからこそ戦乱が長引いた
411:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/25 19:48:03.64 sDjf8iXf0.net
司馬のおかげで簒奪からの長期政権って例が出来たからこそ五胡十六国~隋唐に繋がると思う
それまでの簒奪は王莽のせいで上手くいかないって印象が根付いてたからこそ漢は長命になったわけだし
魏がなければ禅譲、晋がなければ簒奪がバンバンされることは無かっただろう
412:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/26 08:46:12.08 tgXPYas+0.net
>>403
ネズミの糞や学問ニートの時代なんてその気になればやれただろうに勝手に過大評価してただけだな
413:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/26 12:07:45.65 5N0fQJhx0.net
>>405
諸葛誕の時にいいだけ苦労したから呉攻めは躊躇ったのかね
あれは文キンが魏の役に立ったと唯一言えた泥試合だし
414:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/27 15:00:54.64 zAiLhZU00.net
諸葛誕は司馬家と姻族=勝ち組だったはずなのに何故裏切ったんだろうか
415:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/27 21:10:12.36 ZTm5fA4m0.net
司馬家の代替わりに都督揚州諸軍事が反乱を起こすのは恒例行事だからね、しょうがないね
賈充が焚きつけたせいで灰色を無理やり黒にしてしまった面もあるけど
416:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/27 22:29:54.24 riLjzYYw0.net
>>384
中領軍だぞw
文字も読めないかニワカオタクよw
司馬師の遠征中のクーデタ防止のために皇帝押さえる役目が軽いとか頭曹爽かよw
417:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/27 23:33:09.55 z5YodGlj0.net
あれ合流して合肥に立てこもってれば良かったんじゃねえの呉も合肥領有出来たろ
418:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/27 23:36:28.69 z5YodGlj0.net
合肥じゃねえや寿春だったw
419:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/28 09:50:15.38 XBzzHQh00.net
>>409
変わったばっかの幼帝のお守りなんて軽いわな
お前頭曹豹だろ
司馬師が警戒されなかったのも元が何晏の取り巻き筆頭だからだぞ
つまり曹爽一派に降ってたようなもん
それをひっくり返して専横体制を作る賭けに出たのが誉める点よ
420:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/28 23:00:39.76 KjRpTRTC0.net
>>411
ああいう時こその蜀であり公孫淵である
それが出来ない時に限って千載一遇のチャンスがやってきたのがほんと皮肉だわ
逆に言えば他の驚異がないからこそ賈充の野郎が諸葛誕をハメたと解釈するべきだろうか
421:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/28 23:08:54.18 GUmHGYT30.net
諸葛誕が賈充の発言に激怒したってエピソードは「魏末伝」のエピソードで「魏末伝」自体は何晏が実妹を妻にしたとか怪しげなエピソードが多いのであんまり信用できんぞ
422:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/28 23:19:50.50 KjRpTRTC0.net
>>414
何晏自体が正始政変の時に結構年いってるのに
いつの話だ?って美貌エピソード多いのも不思議に思う
423:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 03:56:12.47 iLyxA2X70.net
美貌っつーか変な化粧してたって話に見える
424:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 05:45:12.75 J2cH5STK0.net
形貌絶美は若い頃じゃろ
425:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 07:52:14.36 t9kDwHnNO.net
何進もイケメンだったのかな?
426:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 09:11:50.40 rfYw/DpS0.net
>>418
妹は皇后になるくらい美人だから遺伝子的に秀いたものはありそう
十常侍の顛末見るに部下にも好かれていたようだし、三国志媒体でよく描かれる醜い性格や容貌はしてないと思う
427:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 09:25:48.71 mY7+gMcy0.net
奇しくも(旧暦だけど)8月29日は何進の命日だ
428:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 09:41:32.89 wwZ8Los20.net
25日じゃなかった?ってWikipedia見たら29日になってんな
うろ覚えだからどっちが正しいかわからん
429:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 18:42:18.86 b8oHaJnh0.net
>>412
斉王廃立したことも無視して宮中軽くみるとかさすが頭曹爽だなw
光栄のデータしか見ていない無知なオタクは司馬師が死んだ後曹髦が動き出したのを鍾会が阻止したのも知らんとはw
430:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 18:44:16.67 b8oHaJnh0.net
>>412
正始の音だっただけで何晏の取り巻きとか無知にもほどがあるわw鍾会も何晏の取り巻きか?
光栄データブックしか見ていないオタクが恥を晒すなw
431:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 18:47:18.27 b8oHaJnh0.net
>>419
異母妹だから遺伝的な類似性はかなり低いがな。
432:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 18:52:28.52 b8oHaJnh0.net
>>412
曹髦が動いたことも知らない無知な光栄坊やに一つ教えてやろう。坊やが置物だと言った中領軍に司馬師も就任しているぞw
司馬師が司馬昭をなぜ宮中に置いたかの意味もわからないオタクが司馬師賞賛しても失笑モノw
433:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 19:06:20.67 mKLcTW0W0.net
>>424
何進=赤木剛憲
何皇后=赤木晴子
434:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 21:21:31.18 wwZ8Los20.net
>>425
司馬師は中護軍のほうじゃね?征西将軍に昇進した夏侯玄の後任だったはず
この時期の中領軍は曹爽の弟の曹義だったはず
435:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 21:45:27.32 gChR262H0.net
>>427
結果論でしか語れないアホは無視して構わんぞ
正始の音が鍾会とか言う時点で時系列全く分かってないし当時の文学がどういうのも知ってない
ただただ逸話遊びをしてるだけ
曹叡の浮華論の擬人化
436:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/29 23:41:48.16 7bv1jZ+E0.net
ID:riLjzYYw0がID:b8oHaJnh0と同一だとすると中護軍や中堅軍の存在すら知らないってオチが見えるんだが、まさかそこまで無知な馬鹿が書いてるとは思えん…
コーエーテクモをわざわざ光栄と書く癖といい草の多用、行間の特徴が歴ゲ板の西原哲也にそっくりなのは偶然の一致だと信じたい
437:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 08:45:14.70 AZVlwMvS0.net
>>427
景初~正始年間の中領は曹義であってる
だから政変で大将軍と中領軍を上奏して罷免させて高柔らにその軍を率いさせたという文がある
後の時代の曹髦を押さえたカジュウの兵数と変わらないとすると、洛中で取り上げた禁兵の数は2000程度と試算できる
それに大尉ショウサイに率いさせた軍と司馬師の私兵を含めたら10000はいくだろう
クーデター期間内に洛中を抑えるには十分過ぎる勢力だ
438:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 11:56:29.10 Ouu501q10.net
赤壁できっちり勝ってれば
439:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 12:30:10.05 QMUy/e/q0.net
赤壁は別に勝つ必要は無いだろ
江陵の維持が問題だ
440:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 14:20:35.72 Ouu501q10.net
あそこで勝ってれば劉備も孫権も詰んでたろ
441:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 15:10:25.44 QMUy/e/q0.net
江陵さえ落ちなければ最悪赤壁で負けても劉備と孫権は詰んでる
442:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 15:16:33.45 Ouu501q10.net
負けてれば孫権は石頭城まで攻められ劉備は江夏でジエンド
それ以前に赤壁時江陵はすでに曹操の領域
443:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 15:52:44.09 QMUy/e/q0.net
日本語出来ない人なのかな?
444:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 15:58:05.65 Ouu501q10.net
自己紹介かな
445:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/30 18:56:10.48 alb/2DDe0.net
江陵って後漢末そこまでの都城だったのか?
446:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 11:26:02.31 oLX4jogJ0.net
赤壁は曹操が自分の代で戦乱終わらせようと急いだ結果からな…
劉ソウをしっかり重用してるとこを見せて江北を安定させれば、劉ショウも降ってただろうし合肥周辺の反乱も起こらなかった
既に50過ぎの高齢にさしかかっていてそれを待てなかったがゆえの行動よ
それだけ自分の息子たちに戦乱を託したくなかったということかもしれんが
447:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 13:31:39.74 8OyPiiIj0.net
>>428
正始の音に鍾会がいないとか無知なアホですなあw
光栄データブックしか読まないオタクはw
司馬師が何晏の手下だとほざいた無知なオタクは曹髦を何もできない幼帝呼ばわりした無知を恥じろよw
448:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 13:32:54.59 8OyPiiIj0.net
>>429
中領軍を故意に無視する光栄データブックしか見ていないオタクは懲りずに無知をごまかすねえw
449:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 13:38:47.52 8OyPiiIj0.net
>>439
疫病発生、張昭ら投降派、の存在考えれば速戦即決の強硬手段に訴えるのも無理はない。
加えて黄蓋の偽投降がいいように官渡の許攸と同じパターンが来たと錯覚するのもおかしくはない。
450:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 15:40:04.52 g+rerV2C0.net
>>429
そういや歴ゲ板の殺人犯コピペの馬糞も「光栄の勝利」とかほざいてたけど、やっぱり同一人物かね?
451:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 16:33:32.86 /HjNFlUI0.net
>>443
光栄坊やは高貴郷公の記事読み直せよw
下らん言い訳は誰も聞いていないぞw
452:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 16:34:50.53 /HjNFlUI0.net
>>443
自分で自分のレスに返す、見苦しいねえw
中領軍を置きものだととか無知を自慢するのを恥じなさいよ、光栄坊やw
453:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 16:40:22.81 E0C3lNk70.net
>>443
おそらく張文吉もあいつの仕業だな
わざわざID変えて粘着した証拠がタイムリーに出たし>>442の支離滅裂っぷりを見るに文章が理解できていない
無双新作出なくてスレが硬直したからと新しい荒らし用のスレ探しはじめて
英雄板でも割と流れが早い三国スレであるここに寄生したんだろうな
早速罵詈雑言しか書けないくらい追い込まれてて笑うが
454:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 18:28:15.95 uSvs9dDi0.net
>>439
呉に投降派ばかり(というか周瑜と魯粛以外の大半)だからあのまま圧力かけてたら折れてた
老害になるまで孫権が実権握ってたのも、軍人皇帝としての需要とカリスマ性が根源
それが黄祖討伐程度しかない=当時の孫権の地盤は脆い
にも関わらず無茶に出征しては敗北して敵のカリスマ性を増大させてしまったのは
狂犬孫策の幻影を孫権に重ねたからだろうか
455:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 19:14:15.40 T+U2OQyG0.net
孫権が晩年に強い関心を持っていた新興宗教またはその教祖の名前を忘れた。
知っている人いたら教えて。
どことなく日本の神道に近い雰囲気の宗教だが。
456:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 19:37:43.28 uSvs9dDi0.net
>>448
道教の介象のことか?あれは呉王になってからで時期が早すぎるか
太平道や五斗米道といい、あの時代の新興宗教(邪教)の大半は道教か土着神関係だからな
于吉もやってることからすると神仙道だから道教の分類になる
道教仏教以外の宗教が中国に伝来するのは南北朝~隋唐まで時代は降る
457:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 19:48:27.29 T+U2OQyG0.net
介象ではなく、孫権が神様のために宮殿まで建てたが、結局、神様が来てくれなかったという宗教。
ヤシロがあって巫女が仕えているという、どことなく日本神道っぽい宗教。
458:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 20:09:59.65 KV/Whzr/0.net
王表?神道って感じはしないけど
459:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 20:30:39.10 T+U2OQyG0.net
>>451
王表です。ありがとう。
460:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 21:30:11.38 WvVon45R0.net
>>452
紡績って語源どこなんだろう
王表と唯一話せる巫女の名前なんだが、中国原産なら潘皇后のことを皮肉っているエピソードにも感じる
(孫権は罪人として紡績に携わっていた潘皇后を見初
461:めて夫人にし、罪人仲間から神女として尊敬されたが、最期は権臣もしくは宮女に殺された)
462:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 22:20:56.78 uSvs9dDi0.net
王表か完全に抜けてた
>>453
調べてみた
「績」という文字自体が糸紡ぎを語源で、優れた糸は貴重品=優れた成果という意味に繋がったとのこと
責そのものは甲骨文字で古代からあり力づくで成果を得るという原義らしい
日本で織物という意味で紡績を(日本の)南北朝時代の書籍で使っているが、それ以前にあってもおかしくない
二宮の変で孫亮が皇太子となり、潘皇后の一人勝ちとなった状況を鑑みると当てつけの話かもしれん
463:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 23:00:42.45 /HjNFlUI0.net
>>446
発狂光栄坊やははよ、曹髦を何もできない幼帝呼ばわりした恥を認めろw
464:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 23:31:50.17 uSvs9dDi0.net
>>455
馬鹿のくせにスレ荒らすな
>>384は曹髦のことに触れた上で賈充が価値を高めたと書いているのに知らないと罵るのは愚の骨頂
皇太后上申制度が崩れてないところを見るに元服もしていない=高く見積もっても毋丘倹時代はまだ十代前半という小僧の年齢だ
諸葛誕の乱での親征は禅譲を仄めかされ洛陽に置くのを警戒したからとされてるが、裏を返せば中領中護の禁兵は役立たずと言ってるようなものだ
明らかにお前より筋の通った主張だし、このように鑑みるほどに真贋が明らかになるだけだ
465:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/31 23:42:08.98 uSvs9dDi0.net
>>440
これにも触れておくか
鍾会は若いころから天才とされてるが、正始年間は夏侯玄に交友を断られ王弼に主張を一蹴される程度
そして政変後に一派と見なされず免官しない程度の立ち位置だ
因みに政変後の一斉免官は苛烈であり賈充や盧欽、王沈といった後に名を馳せる臣下も全て対象になった
そして免官になった者は例外なくその旨が正史にあるにも関わらず鍾会にないという意味は書くまでもないだろう
たいして司馬師は夏侯玄に次ぐ君臣と何晏に評され、母の死後も喪に服しはしたが職は辞していない
これは司馬師は李勝らと同じく慣例を度外視できる立場である事を意味している
もはや比較対象として持ち出すことが言語道断
466:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 05:53:16.69 wrlfWPLl0.net
>>456
馬謖のくせにスレ荒らすな
に空目したw
467:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 06:32:48.04 QIY9aGk+0.net
>>458
お目汚し失礼した
あまりにも論外なことでスレ荒らすもんだから逃げ道ないくらい書いてやらないといけないとやり過ぎてしまったかもしれない
馬謖はよく馬鹿にはされるが南蛮遠征で一定の成果は出したとされるからまだ救いはあると思う
468:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 07:18:47.04 MOJhv9SGO.net
南蛮討伐って実の所は何をやったかよく判ってないんだよな。
演義では派手な兵器やら策略が出てくるけど、
それを北伐で使えば 蜀の圧勝だと思う。
469:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 07:56:03.29 QIY9aGk+0.net
>>460
実態は山越狩りをした呉と殆ど変らず異民族の拉致と同化が目的だったとされている
とにもかくにも人口が圧倒的に足りず夷陵での損失の穴埋めが急務だった
ただ手法については疑問が残るし、成都が攻められた時も逃亡先として使えないような状況だった以上
演義�
470:フように異民族を完全に屈伏させたという訳ではないだろう
471:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 08:10:30.40 SIG3HqOn0.net
三国志展での出土品や華陽国志などの記述からして所謂「南夷」って言われてる連中って大半は漢族か漢族化して胡人っぽい
472:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 09:05:59.93 cFW32U+80.net
>>460
南蛮討伐に従軍した将で確認されているのは、諸葛亮、馬謖、李恢、馬忠、張嶷ぐらい?
諸葛亮はこれが初陣であることを考えると、実際はもう少し連れて行ったのかもしれないけど。
473:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 09:10:27.85 MOJhv9SGO.net
例の七縦七擒も、諸葛亮は猛獲を七度捕らえたが、猛獲も諸葛亮を三度捕らえて結果猛獲は諸葛亮に帰順した、
という伝承が越南にあると聞いた事がある。
諸葛亮も征服者というよりむしろ賛美されているらしい。
474:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 10:53:38.74 D3IhSxh90.net
>>456
無知な光栄坊やは幼帝呼ばわりしたこと無視するなw
真贋wwww
諸葛誕の反乱鎮圧のために旗として持ち出しただけのことを理解できない低能w
曹髦の行動知らなかったことごまかすなよw
475:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 10:58:25.99 D3IhSxh90.net
>>457
夏侯玄とのエピソードは逮捕された時のものだろうがw
交際を断られたとかまた無知をさらすかw
司馬師が何晏の手下呼ばわりしていたのに何を言うかw
意味しているwwwwww
また独自解釈かw光栄坊やはw
賈充たちが曹爽一派だという証拠を出せよw
頭曹爽の光栄坊やは無知をさらして恥をさらすなw
476:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 11:00:02.92 D3IhSxh90.net
>>459
曹爽は失敗ばかりで救いがいないなw
汚物さらすだけの光栄坊やは馬謖の発言を功績と言っちゃうとかまた珍発言ですなw
477:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 11:04:54.22 D3IhSxh90.net
>>461
?周は呉への逃亡同様、挽回不能だから反対しただけで統治ができていないからではないぞ。
霍弋が南中統括していたことも無視かw独自解釈で突っ込み満載の光栄坊やは
本当にスレ汚し気にしろよw
478:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 11:09:26.49 D3IhSxh90.net
>>461
光栄坊やは毎度のごとくスレ汚し発言をsageることもないw
ジジイのくせにレスの仕方もわからんかw
479:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 11:14:36.62 D3IhSxh90.net
頭曹爽の光栄坊やは412の
「変わったばっかの幼帝のお守りなんて軽いわな」
の間違いを認めろよwその幼帝が奪権しようとしたこと知らなかったのだからなw
ここから馬脚を露したのだからなw
480:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 11:18:22.17 QIY9aGk+0.net
>>462
山越も遺伝子的に痕跡が見当たらないほどの種族だからな
人種としては近くても語圏や文化が違うために異民族扱いされてたって線も十分ある
今ですら北京語と広東語に大分されるほど南北で言語が違うしな
>>464
そこらへんは漢正統論が南朝時代から根付いたおかげ
千年以上も醸成した風土がベトナムにまで順調に伝わってる
当時のベトナム系である士燮一族が呉に族滅されたのに対し、苛烈じゃない諸葛亮は尊敬しやすいのだろう
481:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 13:08:09.04 V/myHkA60.net
>>466
高平陵~李豊の変まではカコウゲンは粛清を恐れるばかりで何の動きもない
そのあいだにショウカイが入り込む意味や意義は?
それとカアンの言葉は晋書にあるもので独自解釈も糞もない
喪の重要性は陳寿罷免や儒教では有名なことだぞ
>>470
なんにも間違ってない
禁兵は皇帝を守るための部隊であり奪権のためのものでもなく奪権防ぐもんでもない
それを破ったからこそ皇帝の権威は地に落ちた
こいつはほんとに何を言ってるんだ?
482:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 15:21:20.51 D3IhSxh90.net
>>472
礼の話なんてしていないぞ、光栄坊やw
賈充たちが曹爽の一派だという証拠を出せよw
また独自解釈で無知をさらしたなw
夏候玄と鍾会のエピソードを曲解したことを言い訳するなw
>禁兵は皇帝を守るための部隊であり奪権のためのものでもなく奪権防ぐもんでもない
そこに腹心据える意味が分からない光栄坊やは間抜けだなw
皇帝の権威は司馬師による曹芳の廃立で落ちている。
曹髦が司馬昭を討つと言ったとき禁兵は何をしていた?
相談された王業と王沈は即司馬昭に皇帝の決起を通報しているぞ。
粗雑な知識を振りかざす光栄坊やは恥をさらすだけだぞw
483:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 15:22:13.12 D3IhSxh90.net
>>472
無知な光栄坊やは己のレスを読み返して歴史的事実と己の独自解釈を
照合する作業を怠るなよw
484:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 15:37:26.28 l170zfLO0.net
>>473
皇帝権威落ちてたらそもそも腹心据える必要ない
カジュウを推挙したのは曹爽一派のカアンであり政変後免職されてる
何でレス内で主張矛盾してるの?馬鹿なの?死ぬの?
485:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 16:14:19.39 QIY9aGk+0.net
泳がせていたらトンデモ説が完成しそうで逆に面白くなってきた
>>474をはじめとした主張をいいだけ垂れ流しさせたらまとめてみるか
486:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:22:43.40 nyyGaK1G0.net
>>461
>成都が攻められた時も逃亡先として使えないような状況だった以上
呉の上層部は滅亡直前に
ベトナムなり台湾なり日本なりに逃げることを考えなかったのだろうか?
487:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:36:04.33 D3IhSxh90.net
>>475
傀儡の皇帝に触れさせないためだろw
そんなこともわからん光栄坊やは矛盾の意味を知れw
中領軍は置物と言ったのを忘れたか光栄坊やはw
>>476
曹髦をなにもできない幼帝呼ばわりしたことをしらばっくれる光栄坊やはごまかすこともできんかw
賈充の曹髦殺害が皇帝権威の失墜とか珍説丸出しだなw
禁兵が皇帝の言うこと聞かないから曹髦は身の回りの使用人に武器持たせたという状態は
皇帝の権威の失墜とは思わない光栄坊やは常識を知れよw
頭曹爽の無知な光栄坊やは鍾会と夏候玄のエピソードを曲解したりなど己の珍説をまとめていろよw
488:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:37:57.49 D3IhSxh90.net
>>477
呉の四姓などはそんな逃亡には付き合わないだろ。
489:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:39:12.25 D3IhSxh90.net
>>477
またsage忘れてるぞ、恥をさらしたい光栄坊やw
ジジイの光栄坊やはは記憶力があいまいで知識ねつ造する癖直せよw
490:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:41:38.81 D3IhSxh90.net
霍弋のことには触れないのか無知な光栄坊やよw
南中が統治できでないとかまた珍説披露したなw
491:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:41:43.89 QIY9aGk+0.net
>>477
孫リンの命乞いの逸話にもあるように交州は流刑地扱いで、晋建国後も小競り合いが幾度もあって不安定な土地として蔑まされていた
そして呉滅亡時には郭馬が蜂起して呉の支配が及ばなくなり逃亡先には選べない状況だった
台湾日本は>>13や>>19が分かりやすいが船団で向かって失敗してるから、逃げられたとしても生存者はごく少数だっただろう
孫晧は呉の領地を捨てるつもりはなかったと感じるし、孤島に逃げるより降伏して臣下を救うという方法で面子を保ったと感じる
492:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:58:46.13 QIY9aGk+0.net
>>481
霍弋のこと知らずに何言ってるんだこいつ
493:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 19:58:52.05 K53kuUcc0.net
>>478
触れさせない�
494:チて曖昧な言葉で自分の主張を誤魔化すな 禁兵は奪権のためのものでないから皇帝の乱心に付き合わないから当然 本当に奸臣を排除するなら詔を発するのが正統なやり方 >>479 四姓は陸凱のように皇帝に従わない それが諸侯にまで及んだのが呉末期 >>481 カクヨクが南蛮平定したのは蜀へ降伏後 それまでは建寧までしか勢力圏がないから 雲南や永昌といった南中の領域まで支配は安定していない 付け焼き刃は脆いな
495:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 20:04:01.45 K53kuUcc0.net
蜀へ降伏→晋へ降伏に修正
496:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 20:20:18.05 QIY9aGk+0.net
>>484
張家を除く他の顧家、陸家、朱家がそうなった元凶が二宮の変というのが皮肉だな
そりゃ日本どころか中国の史家も批判するわけだ
497:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 20:32:41.12 nyyGaK1G0.net
孫権は認知症かアルツハイマーのどちらかと考えてよろしいか?
498:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 22:24:33.06 D3IhSxh90.net
>>483
光栄坊やは霍弋知らないから南中は危険だとかショウ周の反対論無視したのだろw
>>484
曹髦が決起したのに逆に殺されたのは詔勅を出さなかったからかw
光栄坊やはぼろを出すばかりだなw
光栄坊やは尚書八座抑えている司馬師、司馬昭相手に詔勅なんて意味ないことわからないかなw
光栄データブックですらそれぐらい書いてあるぞw
>カクヨクが南蛮平定したのは蜀へ降伏後
ショウ周劉禅に南中に退避しろと進言したのを「南蛮」に逃走しろと勘違いしているのかw光栄坊やはw
読み込みが足りんなあw霍弋が南中6郡を上げて司馬昭に降伏した記事も無視とかw
光栄坊やは半端知識しか知らんなあw
安定していないとかwまた独自解釈かw南中6郡を上げて司馬昭に降伏したという漢晋春秋の記事が嘘だという証拠を出しなよw
付け焼刃どころかなまくら知識の光栄坊やw
499:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 22:31:38.21 D3IhSxh90.net
>>486
光栄坊や悲しいなw
自部のレスに自分で返すとかw
光栄坊やは陸遜の孫たちが呉の滅亡時に戦死したことも無視かw
500:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 22:32:57.17 D3IhSxh90.net
光栄坊やはこちらに指摘されて直したのがsage入れるだけとか恥ずかしくないのかなw
501:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 22:54:30.69 qKq8JPXk0.net
詔勅は尚書を抑えてるから無意味(キリッ)
これは伝説的な馬鹿だ
502:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/01 23:09:34.63 NEUQcY1q0.net
このヤバい人は何者なの
503:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 00:06:49.53 tfeWa+Uk0.net
>>492
西原哲也
スレリンク(tubo板)
504:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 01:31:10.34 vwY8khac0.net
>>492
もしくは馬糞。
505:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 05:51:59.79 VmetU1Pr0.net
曹髦と鍾会は高知能であったにもかかわらず不本意な死に方をした。
どうすれば天寿をまっとうできたのか?
506:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 07:03:08.43 kLwPmr/C0.net
>>495
曹髦は教育環境で勘違いしてしまった
師である王祥の儒教教育と皇帝の価値観が加わり、実権を奪われた状況を憂い
皇帝は唯一不可侵の存在であり玉体に害は為せないという儒教的観念を持って蜂起した
賈充という悪辣な玄学者が中護軍でなければ生きていたかもしれない
鍾会は出自と才能を鼻にかけすぎた
だから年上でも格下に容赦はなく何をしても許されるものだと思い、権力を得るたびに軽はずみな行動をした
才があれば性格は良いものとされるという持論がそれを端的に表している
だから高く昇りすぎて蝋の羽が溶かされるまで全く省
507:みなかった 二人とも頭が良すぎたからこそ不本意な死を遂げた 鍾会はまだしも曹髦は世の時流がもっと儒教寄りか玄学寄りかハッキリしていれば生きていたと思われる
508:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 16:30:34.72 6hbpUNHM0.net
ところで程昱の没年は220でほんとにいいの?
違うんじゃないかっていう意見を見たことがある
509:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 20:46:03.70 N2ydiOqi0.net
>>491
録尚書事知らない光栄坊や詔勅の出される過程知らないとw
さすがにわか知識しかないオタクよw
>>492
複垢で自分を持ち上げる悲しい爺オタクよw
>>493
光栄坊やは被害妄想のとりこかw
複垢で工作する能無しらしいなw
510:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 20:50:11.26 N2ydiOqi0.net
>>494
深夜にこそこそレスするとか袁尚が裏道から?を救おうとして曹操に笑われたのと同じだなw
曹爽といい、袁尚と言い身の程をわきまえずに身を亡ぼす連中と同じだな光栄坊やはw
511:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 21:20:19.70 N2ydiOqi0.net
>>496
玄学とうより何晏達ののめりこんだ老荘思想は儒教をベースにしたもの。
論語集解がいいようにな。易に詳しい鍾会もまた儒家思想をベースにしている。
はっきり荘子的な個人主義である道家が儒家と一線を引いたのは西晋に入ってからだよ。
512:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 21:53:20.84 lKZVUu7s0.net
西原哲也 迫真の恥の上塗り
今度は儒教を勘違いする
513:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:06:20.23 N2ydiOqi0.net
>>501
光栄坊やはこそこそレスするだけw
録尚書事知らないことをごまかすなよw
南蛮と南中を勘違いしていた光栄坊やはスレ閲覧者の失笑買うだけだぞw
514:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:09:49.91 lKZVUu7s0.net
>>502
あーあまだ恥の上塗りしてる
魏の録尚書事の権限をもう一度調べてこい
515:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:10:02.70 N2ydiOqi0.net
陸遜の孫たちが戦死したことも知らんふりの光栄坊やは恥を知らんなあw
光栄坊やは失態を恐れて2行しか書けないとかまさにこそこそしていた袁尚そのものだなw
袁尚のように敗戦のショックで降伏でもするかw
516:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:11:48.39 N2ydiOqi0.net
>>503
調べたこともない無知な光栄坊やは録尚書事の役割知らんのだろうw
南中と南蛮混同していたことには知らんふりかw
陸遜の孫たちが戦死したことも知らんふりかw
霍弋が南中6郡で降伏した事実も知らんふりかw
517:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:14:09.70 N2ydiOqi0.net
>>503
知ったかで珍説披露して恥をさらす光栄坊やはまた2行しか書けていないなw
無駄に妄想を垂れ流して墓穴掘るのを恐れるとこのざまよw
腰抜けなんだからもう珍説披露するのをやめろよw
またsageるのを忘れている光栄坊よw
物覚えが悪いから南中と南蛮を混同しているのだぞw
518:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:16:01.04 lKZVUu7s0.net
>>506
その駄文が僅か二行にすら及ばないんだぞ
もっと楽しませてくれ
519:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:20:08.54 N2ydiOqi0.net
>>507
どうしたどうした珍説披露の光栄坊や、2行書くのに7分もかかっているぞw
珍説披露できなくて何も書けないかw
南蛮と南中を混同していた言い訳をはよw
陸遜の孫たちが戦死したことも知らんふりしていた言い訳はよw
詔勅で司馬昭殺せると珍説披露した言い訳はよw
光栄坊やは珍説披露して楽しませるのはもうできないかw
520:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:22:25.10 N2ydiOqi0.net
光栄坊やはsageるのもできない記憶力乏しいボンクラだから仕方ないかw
西なんとかさんにコテンパンにやられた憤懣を他人にぶつける根性なしよw
頭曹爽の腰抜け袁尚の光栄坊やは横山三国志でも読んだ方がいいぞw
521:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:22:52.75 lKZVUu7s0.net
>>508
根拠のない罵詈雑言はただただ滑稽
檄文の優劣と一緒
というか掲示板をチャットと勘違いしてるのか?
こんな過疎界隈の掲示板は人様がずっと見てるもんでもないんだが
522:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:46:59.26 N2ydiOqi0.net
>>510
今書き込み続けているよなw
西なんとかさんに逆恨みする光栄坊やは自治厨かw
反論不能でそれではみっともないぞw
sage忘れる物覚えの悪い光栄坊やよw
南蛮と南中を勘違いしていたこと
陸遜の孫たちが戦死したこと知らなかったこと
曹髦が司馬師死後に権力回復しようとしたことも知らずに何もできない幼帝呼ばわりしたこと
王業と王沈が曹髦の決起司馬昭に通報しているのに賈充による殺害が皇帝の権威失墜させたと言ったこと
これらの無知をさらしたことに知らばっくれる光栄坊やはスレ汚し以外の何物でもない。
檄文の優劣?また突拍子もないことを言い出すなw
光栄坊やは掲示板をメモ書きだと勘違いしているのかw
523:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:50:11.46 N2ydiOqi0.net
>>510
光栄坊やは人に言われて4行にするのが精一杯かw
珍説や妄想披露するのをやめて自分の能力の程度を知ったかねw
光栄坊やは今までチャッ気分でトで珍説披露して自分を大きく見せてきたことを反省するといいw
sageるのを忘れる自治厨の光栄坊やは西なんとかさんにへこまされたことも己の
至らなさが招いたものだと自覚しなよw
524:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:53:03.92 N2ydiOqi0.net
光栄坊やはスレ前半の
105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2019/07/22(月) 07:48:41.73 ID:HgzlgWEf0 [1/2]
>>104
司馬懿50代(宛時代)、石勒30代(独立前の趙王)を想定
諸将に迎撃指示するもボコボコにされて敗北して仕方なく降伏
↓
敗北理由について雄弁に語る知識を披露し生き残り、参軍および将軍として仕える
↓
漢民族の知識と豊富な軍知識で疎まれながらも重用される(おそらく拠点を持つよう進言する)
↓
戦では遼東並の殺戮をしてドンビキされつつも忠節を評価される
↓
石勒とほぼ同時期に死亡する、石勒が先に死んでも簒奪はできないだろう
後世の評価想定
・漢民族の名家でありながら蛮夷に屈して同胞を殺したと酷評
・軍学は高いとされながら文人要素(詩歌や交友)は糞という逸話が多くなる
・心の底では異民族を見下してるとされる(息子が異民族と通婚→奥さん毒殺の逸話誕生)
・やっぱり首180度以上回りそう
・司馬師は石弘につくが石虎に野心を利用され離間→酷刑十族皆殺しにされる
総合的に見て(張賓+崔浩)/2の知の功臣、人間性は苟稀+石閔の残虐野郎という立ち位置になる
106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/07/22(月) 08:18:48.55 ID:FDgGGskR0
何この妄想長文
このころから白眼視されていたことに気づかない恥さらしよw
525:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 22:54:31.83 N2ydiOqi0.net
光栄坊やは見ているのだろw
西なんとかさん同様違うスレでへこまされた腹いせに悪口並べるだけの無様さらすなよw
526:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 23:20:27.12 lKZVUu7s0.net
南中範囲に南蛮は含まれる
南蛮の代表格の孟獲は建寧出身で反乱を呼びかけた南中地方は現在の雲南省からミャンマー北部であり南中範囲>>>南蛮
霍弋が南中6郡で降伏した時に全域が掌握できていたら南蛮征伐をする必要はない
仮に魏を嫌った蜂起を鎮圧したというなら蜀漢正統論に基づいて南蛮蜂起は神格化されている
陸家は呉郡呉県が権力の源泉であり皇帝のために敗死してるわけじゃない
家を守るために戦い名士としての格を示しただけ
おめおめと生き延びて晋に媚びた陸機陸雲、呉との関係を切るために姓を戻してる朱積からして
呉派の諸侯は呉を捨ててる
曹髦が権力回復しようとしたのは諸葛誕の乱以降
それまでは
527:ただの幼帝でしかない 王沈は元々曹爽一派で玄学を知ってるからこそ儒教を否定し皇帝は死ぬと判断して密告した 賈充による殺害が皇帝の権威失墜にあたるのは軍勢持ちの司馬伷が曹髦の一喝で逃げ出したのを見るに明らか もう少し遊んでやりたかったがとりあえず書いておくか 他人と勘違いして自慰してる暇あったらもっと俺を楽しませろ
528:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/02 23:53:48.36 3HGR40V40.net
赤壁前魯粛が孫権と二人きりになった時に「曹操に降伏した後でも奴等は臣下として使われるが孫権はいずれ嫌疑をかけられ殺されるだろうから降伏するな」という言葉で踏ん切りをつかせたのを思い出した
身の安全が保障される道があるならそれを選ぶのはいつの時代も一緒だし劉表残党の厚遇見てたら降伏に靡いても仕方ないなと感じる
529:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/03 01:11:39.73 txO0VQKO0.net
>>515
南蛮は南中の異民族だって言ってやればいいのに
武陵蛮が武陵の異民族なのと同じ
あんまり弄んでやんな
530:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/03 06:09:36.78 /AZoZrcN0.net
霍弋は史実ではそれなりに頑張ったのに、三国志演義では活躍がイマイチなので気の毒だ。
531:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/03 06:45:39.62 IfXigpAB0.net
>>518
滅亡後に魏のため仕えて交州奪ったりするとこを知って
明時代は尻軽野郎と蔑んだんだろうな
東晋でも異民族平定を霍弋を参考に行われていたりするのに皮肉だ
532:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/03 08:20:25.08 jZfsL2ss0.net
羅憲なんてだしてもらえないもんなぁ
むしろハイエナモードに入った呉軍を食い止める美味しい役どころなのに
533:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/03 08:42:48.80 M/gXkfOu0.net
>>520
出したら陸抗の清廉イメージが汚れるからね仕方ないね
羅憲と甥の羅尚はことごとく世論や理想の本流から外れてるがために
普通に考えて大きな事してるのに無名なのが辛い
同じ理由で田予とか張既とかも無名だし
534:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/03 09:38:16.46 jZfsL2ss0.net
羅尚なんて絵に描いたようなヒールやし