劉備が天下統一できなかった最大の原因その5at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その5 - 暇つぶし2ch837:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 22:37:26 sC/TujoL0.net
人生の負け犬もネットでは饒舌で勇ましいだなw

838:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 23:58:19.06 ar/JXKoN0.net
桓温は業績見る限り簒奪する気があったとは思えない
慕容垂に負けたのが痛かった

839:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 00:27:50 hQ+yoAlj0.net
でも現に息子の桓玄は簒奪を行っているじゃないか
桓温が曹操のなり損ないならば桓玄は曹丕のなり損ないだったってことだよな
曹操はともかく、曹丕ってわりと過小評価されがちだけどこういう同類と比較するとわりとマシな部類だよは

840:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 08:43:35 1YVdqO8m0.net
>>828
曹丕は継承が危ぶまれたのを年齢とリアリスト思考で勝ち残り実力をつけた
比較対象としては永楽帝や揚広や李世民が近い

それに対して桓玄は物心つく前に一族が権力の絶頂を手にしていて年上もみな自分のために動くもんだから勘違いしてしまった
比較対象としては司馬炎が適切

841:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 09:19:33 vXpOc8py0.net
三国演義に三国時代の史観を奪われた時点で正史の方が負け犬なんだけどな。

骨子となる武廟評価、関羽と張飛の逸群の武勇、講談師の英雄譚。
朱子学での正統逆転を得て、更には張飛と諸葛亮の超人化
そして神格化した関羽を取り込んだ史観は民衆、インテリ、権力者と全ての人間に
受け入れられた。

その史観をファンタジーに満ちたフィクションであり異端と
勉強不足の未熟者が叩いたところで史記の五帝本紀を見ろ、と博学な識者に
突っ込まれてお終い。
本来の本紀に描かれている真の王者は神話上の英雄のようなもの。
陳寿はそれを勝手に改変して人間レベルにまで「本紀」に書かれている英雄のレベルを落とした。

842:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 09:26:40 P2XmpLcZ0.net
桓玄は司馬道子倒した後すぐ簒奪せず劉裕みたく弱体化した鮮卑叩いて親父並の実績あげれば足元すくわれることもなかったのに
まあ親父がどれだけ名族に足を引っ張られたか知らなかったのだろう

843:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 10:55:57 o2SuvIro0.net
まーた後付け宗教で歴史上書きできる論のアホ沸いてるな
それ認めたらオウムすらも正義になるっつーのに…

844:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 11:26:45.52 IokBLVqM0.net
後付けありなら実は劉備が統一してたけど後の権力者により今のように書きかえられてた説もありになるのにそれすら気付かない真性ガイジ

845:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 11:47:14.89 QkF35Cue0.net
>>830
まず字統とか字通を開いて「歴史」の勉強しなさい。

846:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:00:39 vXpOc8py0.net
>>832
>まーた後付け宗教で歴史上書きできる

それが中国の三国時代の歴史観だからね
民衆の支持を得たい権力者が民衆本意の小説を持ち上げ、権力者に媚びるインテリも
それに従った
ただし、若干の抵抗はして儒教の要素も取り込ませた
だから、明の時代の三国演義の関羽は半神半人のような存在なのに、清の時代の改訂版では忠義の模範となる人間になった
権力によって作られた正史が、より大きな権力を持った存在に呑み込まれてしまった、という歴史があるんだよ

証明のしようのない歴史の真実などインテリは勉強しない
社会に通用しない無駄を学ばない賢さがあるからいい立場に就けるのよ
他人を煽って自分の意見が通用するのなら誰も「勉強」なんてしない

847:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:26:04 PaehQGJQ0.net
勉強の意味が中国ではそもそも違うこと知ってなさそう
そして自分の信じたいものだけが正史扱い
真実人様の戯れ言ここに極まれり

848:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:32:10 vXpOc8py0.net
正史扱いじゃなくて、史観が正史基準ではなくなる歴史観がある。と言ってるんだが?
正史は正史のままよ
ただ、史観の正統ではなくなる
民衆レベル、すなわち社会の常識としては、そういう無駄は学ぶ意味もなくなり
社会に出ても役に立たない存在に落ちぶれてしまう
臨機応変な社会構造に適応できてないからね

正史は正史として存在している、ただ知りたい人だけが雑学として
自分の趣味にしている程度

849:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:36:40 PaehQGJQ0.net
だから、明の時代の三国演義の関羽は半神半人のような存在なのに、清の時代の改訂版では忠義の模範となる人間になった
権力によって作られた正史が

と発言した矢先にこれである
3歩歩けば忘れる目出度い脳味噌なのだろうか

850:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 18:41:01 vXpOc8py0.net
何が言いたいのか、よく分からないんだけど…。
どういうツッコミなのか説明してくれない?

851:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 18:54:29 lSrNm/eV0.net
アリに人の言葉は理解できないという話だよ

852:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 19:17:32 hQ+yoAlj0.net
相手してやるからつけ上がるんだよ

853:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 20:52:14 op9jAxuYO.net
ほぉ
乾隆帝が関羽に帝号を追贈したのは
神→人への降格の意図だったのか。

854:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/26 01:45:06 8SyQN/290.net
三国志-研究家の知られざる狂熱-
URLリンク(ddnavi.com)

855:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/26 12:57:28.55 V7d/jSi40.net
三国志に劉備にオカンはつきもんやとおもとったわボケ

856:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 12:26:54 ruo+R+ru0.net
>>836
>勉強の意味が中国ではそもそも違う
内容的には歴史学というより民俗学に近くない?

857:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 13:22:48 vFktCVgq0.net
民俗学が史観の中心になってるのが中国における三国時代だしね。
有名史跡のほとんどが三国演義やそれ以前の民間伝承によるものだろうし。
三国時代の「常識」を三国演義によることは間違いでもなんでもない。

858:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 20:26:56 idqxkoRc0.net
なにいってだこいつ

859:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 22:34:46 HzQxdIET0.net
その有名史跡とやらは80年代以降の国家による
「観光地」政策の一貫で整備されたのばっかりで
民間伝承もへったくれもねえのに…
琢郡の三義堂も改装以前は既に学校施設に転用されてから
更に年数が経って廃墟手前になってたし
あの武侯祠ですら80年代以降の大改装後の姿でしかない。
中には元は小さな廟で位牌しか置いてなかった所が
いまや巨大化門扉塀付き、どう見ても最近作の写実的人物像がデカデカと鎮座する徐庶祠とか噴飯モンだぞ。
ンなもん真に受けちゃあ、さぞかし当時観光整備政策を推進した中共の役人がホルホル喜んだろうよ。
文革の徹底的な更地と以降の中共の徹底的な大改装舐めたらアカンw

860:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/28 06:22:17 yZWyj9ks0.net
杜康潤センセイも描いてたけど曹操の地元なんてディズニーランドみたいなアミューズメントパーク化されてたからな(笑)

発掘調査(竹簡など)とかはともかく民間伝承()なんぞ
あてにはならんわ

861:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/28 09:40:23 wpg6S5QZ0.net
つまり、中共に潰されるほど本来の歴史は脆いんだろ。
本来の歴史記述に信用性もおけずにリスペクトもされないから、歴史に聖域もなく
大衆支持もないためやりたい放題にされる。

中国国内のツアーでもパチモン兵馬俑の旅なんて多いからな。
有名なあの兵馬俑に?って思ってたら、近所のお手製人形が数体並んでるだけの
チープなモドキ兵馬俑に連れていかれた、とかね。


民主的に支持の高い「史跡」はよりグレードアップしていく。
これは皇帝制の時代の中国と何も変わらんだろう。

噴飯モンなのは実際にそれを見ても
「本来の歴史書の記述こそ真実」と疑わない、ウブな心と
中国の史観は既存政権が塗り替えていくという本当の事実に気が付かない
その鈍感さだよ。

正史は権力者を持ち上げるために史書官が意図的に事実を捻じ曲げたという
性質も皆知っているから、それを逆手にとって現代の史跡も都合のいいように
変えられていくんだよ。

歴史学者程度が中共逆らって生きていける国なのか?っても疑問だし
権力者の決定には逆らえないその姿があるから、本来の歴史は社会から信用されないんだよ。結局は史書を書く人間なんてのは常に権力の犬だってことを現実で証明したんだからな。

862:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/28 22:23:14 TkFphKPa0.net
おちんちんきもちいいお(´;ω;`)
まで読んだ

863:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 08:54:09 5Ecg2zM60.net
竹簡なんて原人の落書きを社会が鵜呑みにしてたら
三国演義の周倉や水滸伝の魯智深の墓なんて作られないわな。

864:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 09:22:56 VgjNXBF50.net
東アジアの古代史研究とか理解する気ないのは草 
さすがは低学歴DQNが多い三国志ヲタだけあるは

865:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 09:46:53 5Ecg2zM60.net
自分の世界を認めない社会を見下して、自分の世界を自分の中で高尚なものに引き上げる。
そりゃ、社会はそんな視野の狭い甘ったれを認めることもないわな。

866:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 09:50:12 VgjNXBF50.net
見下されてる自覚あるの草
流石経歴に3流大学とか高卒とかがデフォの三国志ヲタも社会的にはDQN扱いの自覚はあるのか(笑)

867:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 12:33:41 5Ecg2zM60.net
「東アジアの古代史研究」の社会認知が低く立場も弱い

ってことなんだが?
学歴で通用するほど社会は甘くないだろ。
現に「東アジアの古代史研究」こんなもん学んだところで
就職先もなくただ無駄になったんじゃないか?

868:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 16:40:14 ngONoDQd0.net
馬鹿すぎて草。
学歴いじりがそんなに堪えたか(笑)
余程のFラン&成績最悪とかじゃない限りそこそこの大学卒業してれば研究がマイナーだろうが余裕で就職できるわ(笑)

869:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 18:40:23.68 5Ecg2zM60.net
その就職が先細りしなきゃいいけどな。
コロナの影響で1次産業の重要性が増した今において
これからの世の中学歴なんて通用しないぞ。
その無駄なプライドが足引っ張らなければいいけどな。

870:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 18:46:38 K56V4ST60.net
そもそも延々とスレ違いの事話してるのが見苦しい
学歴の話も中国史の信憑性の話も別のとこでやれや

871:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 19:00:33 aQahAJmC0.net
真人さま効きすぎて笑うわ

872:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 19:16:15 PU/ysOZn0.net
いやー、玉子だけ欲しいのにスーパーのチラシの玉子0円に引っ掛かって
要りもしない物1000円分買わされて平気な人にツッコむのが如何に無益か思い知らされたわ
こんな人相手なら五毛さん騙すのらくらくホンやで。中共の観光チラシを丸鵜呑みなんだもの

873:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 20:02:28.37 H1bYi7GF0.net
喩えが下手過ぎる

874:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 21:57:16 EIZ1recr0.net
家系詐称で偽善者の劉備が統一できるほど世間は甘くはない

875:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 22:04:16 EkmiGVXb0.net
地域差あんのかな?
ちな千代田区住みやけど生まれてこのかた卵は一個200円前後くらいが普通やったで
今は高校のときに告白されて付き合った彼女が奥さんで料理家事は任せっきりやけど、それでも4個もあれば100円越えると思うで

876:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 23:38:23.08 E8kS6Bnd0.net
隙あらば自分語り

877:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/30 01:43:09 QC9EwvHb0.net
>>852
その原人の落書きが無ければ周倉も魯智深も居ないわけだから
どちらが上かという話でなく、どちらもあればこそなんじゃないの

ただ、市井の伝承なりは事物の肥大歪曲が著しいから、
より実像を捉えるためには史料を優先して研究すべきと思う

民俗学的見地から歴史を探るのも、どのように世間に伝播したかを知るには面白いけどね

878:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/30 09:17:06 ndaop5060.net
>>863
金日成「そうでもない。」

879:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/30 10:10:36 Lb6bMjWv0.net
>>867
アンタはソ連の後ろ楯つーデカいタニマチ無けりゃ目もなかったし、人民軍居なけりゃアンタの子孫は残ってすりゃいねぇじゃねぇか。
流石に天下は無理だったが、腕一本で地方政権立ち上げた劉備とは格下も格下。

880:名無しさん@お腹いっぱい。
20/05/14 03:19:02.62 JnXTc2/k+
>>863
少なくとも皇族なのは事実でしょ
曹氏とか舜の末裔とか周朝の末裔とかその時々で詐称してるし

881:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/05 23:11:08 kueKW+Mk0.net
劉備も曹操も遅い
スピードがなさ過ぎ

882:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/06 09:33:09 hXo0K5NC0.net
そう?
曹操は30-40代で中原制覇や長安制圧まで終えて劉備は50代から荊州半分と巴蜀獲得と実働年からしたら猛烈なスピードで領土拡張してるけど

883:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/13 14:36:48.26 0LGZttVw0.net
あの領土を考えたら早い方だよな

884:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/13 16:07:04.28 aat8B5/r0.net
まあ歴代の中華統一した王朝が
本格的に統一事業に乗り出してから統一までの期間って案外短いことが多いからな

885:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/13 17:06:54 AuV9HDfEO.net
勢いでやらないと駄目なんだな。
膠着すると敵も内政を固めてしまう。

886:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/18 19:55:44.00 VthIAiGY0.net
赤壁でミスらなかったら曹操が天下平らげていただろうから
むしろ赤壁がイレギュラー

887:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/18 20:05:59.69 TFjaa06s0.net
>>875
劉備が降伏してりゃ孫権が介入する事も出来ずに荊州全部が曹操のものやからな
徐州での反乱に始まり汝南での嫌がらせがあり赤壁後の入蜀から漢中攻略による割拠に至る
劉備が曹操に反抗してなきゃ普通に一代で天下統一しとるわな
そんな二人だけど(だからこそかもしれんが)お互いリスペクトしてる感じなのが面白い

888:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/19 01:11:31 1dndYCCY0.net
まあリアリストな二人が相手を過小評価することはないわな

889:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/19 10:30:12 2MfgQyRp0.net
劉備降伏したとしても他の統一した連中より戦略が劣ってる曹操じゃ孫権程度の軍閥相手でも長江攻略は無理

890:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/19 10:38:58 UFXvKZfm0.net
>>878
地図も読めんのか…
荊州全土手に入れるって事は長江攻略したのと同義やぞ
呉がなんで必死に荊州を手に入れようとしたのか全く理解してないのは草も生えん

891:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/19 13:37:59.74 mJCS5mHD0.net
劉備降伏したとしても重要拠点の江陵夏口手に入れてないやん

892:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/19 14:24:23 OxQRIHNc0.net
>>880
マジで何言ってるんや?
別に劉備降伏しなくても長板の戦いで江陵確保してるし劉備が降伏すれば劉備が非難した劉?の拠点である夏口も手に入るやん
とりあえず無駄にレスする前に赤壁時の状況ぐらい調べてくれよ

893:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/22 21:24:08 L7vVtV200.net
劉備降服してたら孫権も曹操と戦うという判断を下してなかったかも

894:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/22 23:41:10 2h8t/bjc0.net
曹操は呉孫権は降伏か臣従するやろ、みたいのがあったんやないかな

895:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 00:35:23 WaR+0FKW0.net
体裁だけでも臣従をして武力衝突さえ発生する事態にならなかったらわざわざ征伐しに行く必要があるようなところじゃないしな
呉越で蛮王やるのは勝手、だが俺に逆らうなが通るならそれで良し
漢中という厄介なところに豊かな自治区をやっていた張魯なんかも降伏しその時の食料の取り扱いが抜群だったので結局中央で高官に任じられ候に封じられ子供たちも厚遇されたし

896:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 02:16:46.78 vP1Lz4vl0.net
劉備は天下三分に預かれただけ、ラッキー

897:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 03:53:08 cVWWX7DV0.net
劉備が孫権煽らなければ劉?降伏からなし崩しで統一できてたやろな
劉璋も帰服の使者を曹操に送ってたぐらいだったし

898:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 10:12:54.89 KhRf8oMY0.net
益州攻略からするのが筋やったのにいきなり荊州攻めして自滅
曹操の戦略眼ないのに救われたかんじやね

899:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 11:04:06.11 MvC9hPZL0.net
>>887
そもそも攻める前に劉琮が降伏してる
それに劉備が反発したから長板で叩いたけど夏口に依って劉琦を擁しなおも抵抗の意思を見せたから討伐に動いたってのが赤壁の状況

900:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 11:38:09 KhRf8oMY0.net
江南攻略は上流からの水軍も使った複数方向からの攻撃がセオリー
それか一方向からなら元軍みたく用意周到に作戦練り物量集めて何年も時間かけ敵を疲弊させてから攻め落とすくらいしか無理
曹操は短期決戦で失敗した
赤壁負けた後も益州が帰順申し出してきたのに荊州攻略の重要拠点なのを全く理解せず劉備に掠め取られた

901:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 13:32:31 MvC9hPZL0.net
>>889
その時期は益州以前に涼州と漢中が大変だからそもそも益州になんて兵を送れん
あと漢中の張魯対策を優先してるから敵対してる劉璋陣営に良い顔出来ないって側面もある

902:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 16:07:10 hMAhQ0L80.net
張松の伝見てもやっぱり曹操は益州軽んじてたとしか思えんな

903:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 16:33:32 ePpcBWD2O.net
辺境の地で、主が凡庸だから脅威ではないだろう

904:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 16:45:18.21 cyD1s2Tp0.net
涼州が鶏肋なんだから、益州はもっとコスパ悪いだろ。

905:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 16:51:42.66 MvC9hPZL0.net
>>891
>>892
劉備が入蜀せずに漢中確保してたなら大した脅威じゃないやろね

906:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 16:54:01.97 MvC9hPZL0.net
>>893
鶏肋は涼州じゃなく漢中ね
鄧艾が涼州に拠点作るまで漢中は陸の孤島状態だから劉備相手に魏が確保し続けるのはコスパ悪いんやろね

907:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/23 19:32:40 ePpcBWD2O.net
>>894
当時の劉備はオワコン扱いだから、蜀が獲れるとは思ってないのだろう
現代なら誰が近いだろうな

908:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/24 06:42:47.55 iG8MCdxu0.net
まさに火事場泥棒

909:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/24 19:51:32.43 KwiRyya40.net
益州と漢中は曹操にとっては直接支配する旨味はなく侵攻にかかるコストと失敗のリスクを考えたら不要
一方荊州の一角のみ領有の劉備にとっては曹操に対抗するには資源が足りず何としても手に入れたい地域
孫権にとっては劉備に一時預ける形になっている荊州南部を返還してもらうには劉備に益州を取ってもらいたいという状況
内部の閨閥と中央官人からの転出人材が主流の劉焉、劉璋勢力の中で地方役人あがりで出世の道がない人にとっては劉備による政権奪取は自身の人生を切り拓く活路
特に悪政の実績はなく比較的治安の良い益州で一波乱起こすには劉備の引き込みしかないと命がけで手引き
劉備は条件的には益州を得やすい状況だったけどその先の戦略が難しいな

910:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/24 20:09:28.11 aLqR3tEXO.net
法正、永年、張松、孟達と、劉備に協力したのはひとくせあるのばかりだしな
関羽張飛に徐州閥。荊州閥もいるから難しいな
劉焉もかつては、北から来た人だったわけだけど

911:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/24 20:28:52 yWdsKbkf0.net
言うて呉の様に地元豪族の権力がどんどん大きくなるのも微妙やけどな

912:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/24 20:41:29 aLqR3tEXO.net
孫皓は武田勝頼みたいに、中央集権にしようとして失敗したのかな

913:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/24 22:50:05 ykhhsfrO0.net
その点東晋は亡命貴族と地元豪族のバランスをうまくとってたよな
司馬道子出るまでは

914:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/27 06:32:44 DmFGUkal0.net
国力の劣る蜀が勝つには漢の後継ってのを餌に魏国内で大規模な反乱がおこるのを待つしかない
諸葛亮の戦略は間違ってはいない

915:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/30 18:26:07 Oh1ANALn0.net
うん

916:名無しさん@お腹いっぱい。
20/06/30 19:29:25 1EBhAR1E0.net
ううん

917:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/01 06:43:13.11 KsJ2p2tq0.net
>>901
というより江南貴族合議制の末期症状に苦しめられて壊れた
バカ孫休のせいで皇帝の権威を守れる臣下がいなくなり陸凱みたいなのが跋扈していて統率を取ることが不能
西晋が攻めた時に連鎖反応で諸将が降伏したのもそのせい
対して東晋は皇帝権力が最初からゴミ(王敦にRKOされて皇帝が命乞いするほど)だから貴族が切り取り放題で肥えたから
国が傾いたり貴族の権益を邪魔しない限り皇帝や将軍を害さなくなったのが大きい

918:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/01 08:17:46 q1YAChfV0.net
皇族が江南豪族のところに避難してきたってだけやからな
そりゃ権力持てる訳がない

919:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/02 08:36:34 KfBFGYKX0.net
でも土着豪族排除して北来貴族が侯景の乱まで牛耳ってたやん

920:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/02 14:27:11.74 kDlJ9o8j0.net
>>908
西晋時代から桓氏みたいにそれなりの家系のやつも流れてきてた上に
大物中の大物である琅邪王氏の王敦が江南全部丸め込んだからな

921:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/03 19:25:48 ibtuTapU0.net
琅邪王氏が大物中の大物になれたのは王敦が荊州を占拠したおかげ
それがなければ東晋が成立しなかったくらいの大成果
なんでお飾りみたいなのに兵権取り上げられそうになったらそらぶちキレて建康に押し寄せますわ

922:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 00:12:34 2+wKaNBg0.net
玄徳も孫権の妹と69とかしたのかな

923:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 04:18:51.98 hXfHXaUq0.net
アナルセックスだぞby北方謙三

924:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 08:59:34 fhKE5meP0.net
司馬懿みたいに曹操の下で勢力伸ばしてクーデターが成功率高そうだけど
名家でもない地方の傍流劉姓が中央で勢力拡大するってのも無理ゲーだと気付く

925:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 10:22:38 fu6IkH2N0.net
>>913
皇室とは無関係の
単なる劉さんだし

926:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 11:08:47 0nYTeju60.net
皇叔やぞ
一般人じゃないんだぜ

927:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 11:41:02.81 u7+z6zOk0.net
親戚が学費出してくれて先生が廬植で兄弟子が公孫瓉。
一般人よりは恵まれている。
とはいえ、三国時代の諸侯の中ではダントツで恵まれていない。

928:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 12:38:34.24 5f9GP34Q0.net
>>916
諸侯の基準にはよるが董卓や張燕孫堅辺りよりはい気がする
最初から中央とのパイプがある程度持ってるのは大きなメリット

929:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 13:23:07 fhKE5meP0.net
>>917
傍流の劉姓に中央とのパイプがある訳ないやん
肝心の盧植が黄巾後と董卓政権時と二回失脚してるぐらい中央で不安定やし

930:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 17:43:02.47 hXfHXaUq0.net
所詮、劉氏といえども地方の没落貴族でしか無いんだよな

931:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 18:00:18.71 Gm/YuV6mO.net
吉川版や北方版三国志もだけど、劉備が何やりたかったかよくわからない
曹操は天下狙う
詩や孫子を解釈したり、才能が溢れちゃってる
孫家は父はともかく、兄の早逝で子ではなく弟に継がれた上に、豪族の連合体と複雑で、毛利元就的守勢な感じになるのはわかる気がする
劉備は劉虞みたいになりたくないなーと、その場に合わせて、生き残ろうとしたらこうなった感

932:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 18:07:50.11 hXfHXaUq0.net
>>920
北方版劉備の目的ってかなり分かりやすくない?
とにかく劉氏を皇帝とする世界を永続させる事
北方謙三曰く日本の天皇制みたいな志向を持っている

933:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 18:15:40.67 Gm/YuV6mO.net
>>921
そういった多角的に解釈する物語を通して、実際の劉備という人物が何やりたかったのかなという印象

934:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 18:32:15.68 QC5jgLAw0.net
先祖の中山靖王劉勝って子が120人いたっていうけど、つくりすぎだろ

935:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 18:36:47.13 PsVk+vRR0.net
劉備が天下志したの結構晩年だろうからなあ
それまでは初めの頃はとにかく出世、中頃からは反曹操ってだけに見える

936:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 19:10:56.22 dR9fZOUw0.net
>>923
実際は栄養関係や医療技術で殆ど幼年で死んでたろうし、女子も多い。
でも間違いなく実在してた考古学的証拠が現存してる人物ってのが恐ろしい。

937:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 19:35:00.29 ooWzzQWd0.net
正史の解釈で良くないか?
若いときから輿にのる身分になりたいとは思っていた。
その意味で政治の世界に入るための人脈作りをしていた。
実際諸侯の端くれぐらいになってみると、みんな大したことないことに気づいた。
曹操はまずまずの人物だったが、劉備を部下として活かせるまでの器量ではなかった。
他の諸侯の下にもついてみたが、劉備を部下として活かせる者には巡り会えなかった。
最終的に、人の下につくのではない形が自分には必要であると理解した。

938:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 20:15:11 kskZp3230.net
劉宋や西晋時代の司馬氏と比べれば同族でバトロワしてないだけ120人つくってもまだまし

939:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 20:16:21 kskZp3230.net
南斉も酷かったな

940:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 21:35:36.44 EsgYslu4O.net
なにいってんだこいつ

941:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 22:54:17 fhKE5meP0.net
>>920
そもそも曹操自体がどう見ても最初から天下を狙った感じがない
二人とも最初は明らかに漢王朝の下での立身と大業を目的にしてる
ぶっちゃけ曹操や劉備よりも先に漢王朝を見捨てたのは袁術の影響を受けた孫策であり孫権やろなあ

942:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 22:58:22 r2c4Q+rv0.net
曹操が天下を狙わなければ劉備は曹操の下に居続けたのかな

943:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/08 23:40:37.09 i9ZJVAgJ0.net
献帝周辺や漢朝維持したい勢力に担がれるだろうから
曹操の下で安穏とってのはむずかしそう

944:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 03:26:10 MFMIsJyW0.net
というか曹操暗殺計画に巻き込まれなければ曹操の元で安泰だったんじゃないの

945:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 07:08:39 Y3WQlRlT0.net
>>931
劉備は面従腹背
相当な野心家だから人の風下に立てない

946:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 08:01:29.65 vYWApOdk0.net
>>932
曹操は曹操で力を付けるほどに家臣から押し�


947:繧ーられるからな この2人一緒に反董卓の挙兵したり劉備から弔問の使者送ったりと個人的には結構気が合ってる感じがするけど立場が絶対に並び立たせない状態やね



948:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 14:25:37.68 9HXjCPPD0.net
慕容垂も野心家だよな
劉備と違い戦争はめちゃくちゃ強かったから華北統一行けそうやったのに寿命のせいで

949:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 22:05:33.95 KKIbjjUp0.net
>>932
> 曹操は曹操で力を付けるほどに家臣から押し上げられるからな
> この2人一緒に反董卓の挙兵したり劉備から弔問の使者送ったりと個人的には結構気が合ってる感じがするけど立場が絶対に並び立たせない状態やね
並び立たないことはないけどな
別に漢王朝丞相に劉家傍流を自称する劉備がそれを助けるために仕えるってのはおかしくない
曹操の子の代になってからそのまま後継の曹丕に仕えても
司馬懿だって他の漢王朝の高位高官家出身者でもみな曹家の家臣として献帝の禅譲を見届けたわけで
問題は劉備がそれを受け入れるかどうかなだけで受け入れず曹家と反目して漢王朝を外で見ていて禅譲後に自分が皇帝即位だからそもそもそういう野心があったというだけだ

950:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 22:38:41.54 yDKUB874O.net
曹操暗殺計画がターニングポイントだったのだろうが、劉備は袁譚とも仲良かったらしいし、当時の袁家の盛況さからすると、袁家を選ぶのは当然ではあるんだろうな

951:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/09 23:56:36 WXL+z9Gt0.net
劉備は曹操の軍師達に殺せと提言されたりめっちゃ警戒されてたから
暗殺計画が無くてもそのうち曹操の下を離れてただろうな

952:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 03:39:12 3K0s0wxc0.net
どっちに転んでも大丈夫なようにあらゆる所にコネクションを作っておいてた感じだよな
さすが寝業師

953:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 05:14:53.22 RBnEghZx0.net
劉さんのおちんちん舐めたい

954:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 06:45:35.11 MDA8YPSB0.net
>>937
劉曄なんかの近親の皇族違って自前の軍閥持って出世してるからそれ自体が難しいんやで
部下の突き上げも有ればその軍事力を利用しようとする連中も後を絶たない

955:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 08:50:58 52EjcGcm0.net
>>938
もし汝南に行かずに袁紹軍に残っていたら、その後の劉備はどう行動したろう?
客将の身分だから官渡の戦いの結果は多分変わらないとして、袁紹が死んだ辺りで河北を離れた?
袁譚派に付いて運命を共にした?

956:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 09:25:06.25 wILLZeCq0.net
>>943
それを恐れたから袁尚に後を継がせたい袁紹に追い出されたとも言えるし
それに巻き込まれたくないから理由を見つけて早期に離脱したとも言える
残ってても展望無さそうな過程だからあまり意味がない

957:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 10:45:04.64 /VvB5++7O.net
曹操の勝利と袁家の崩壊は、現代だと何が近いかな
国力人材など、端から見たら袁家が勝つなのは明白だけど、いざ戦ったら脆かった
巨人の重量打線くらいしか思い浮かばないや
企業は競争と言っても互いでどうにかするわけじゃなく、需要にあわないとか経営破綻など自滅が多いからピンとこない

958:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 12:20:42.99 E/rcRHd70.net
劉邦の子孫って東晋の頃にはほぼれいらくしたよな

959:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 15:31:20 0GvppP/50.net
>>945
袁家も自滅
大塚家具みたいに内部での抗争ばかりで顧客(名士様)を顧みなかったから見捨てられた

960:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 19:55:58 zMcQ+QCd0.net
>>935
劉備が反董卓の兵を挙げたって正史で記述あったっけ?
あの頃劉備は公孫?配下の客将って印象で、公孫?も特に董卓に兵を向けられるような状況じゃなかったし

961:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 20:27:30.29 wju6Gths0.net
華北に領土を持っている間は袁家に留まっただろうけどさすがに遼東まだでは付き合わんやろ

962:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 21:47:08.35 NCvsHLbt0.net
>>948
曹操と反董卓の挙兵を行ったというのは
同時代の人物である王粲が残した英雄記に書かれた記載でかなり信憑性のあるもの
劉備が明確に公孫瓚の下に居たと分かるのは反董卓連合が解体して各群雄が割拠する状況になってからで正史上の劉備における空白期間になってる

963:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 21:50:38.13 fm8ksVJV0.net
この時代って次の五胡時代を知れば知るほど小物しかいないという印象

964:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 23:12:13 zMcQ+QCd0.net
>>950
サンクス 英雄記か
正史本編には記述ないみたいだけど陳寿は引用しなかったのは故意かな

965:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/10 23:57:23 95XxKkI4O.net
裴注では引用されてる?

966:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 00:09:00 eG+l15oF0.net
>>952
仮に本当だとしたら曹操にとっても劉備にとっても黒歴史にしかならないだろうしね
陳寿の執筆姿勢は曹髦の一件でもわかるように、物議を醸しそうなことは敢えて書かないってスタイルだし故意に無視したのかもしれないよね

967:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 01:24:45 ciDVAztJ0.net
>>947
名士さまの分裂だぞ...

968:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 01:27:50 ciDVAztJ0.net
べつに劉備の離脱は袁紹がヤバいからとかじゃなくね
遊撃してたら袁紹が破れちゃっただけで

969:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 01:28:55 ciDVAztJ0.net
>>953
裴註です

970:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 01:33:07 ciDVAztJ0.net
>>954
いうほど黒歴史か?

971:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 01:33:11 ciDVAztJ0.net
>>954
いうほど黒歴史か?

972:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 01:45:01 ciDVAztJ0.net
>>926
これにほぼ同意
なまじ曹操と劉備が同等の器だったから長引いた
どちらかがどちらかを従えてたら統一なったなしだと思う

973:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 02:19:18.49 iUhT3BZZ0.net
>>958
蜀の正史としては劉備が曹操と一緒に行動したのは黒歴史なんじゃね?って事なんかもしれないけど
普通に対呂布戦線の時は共同してるもんなぁ

974:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 06:11:43.04 WjetUv5D0.net
呂布の時は後漢王朝の家臣として一緒に戦った形だけど反董卓の時はそういう形じゃなかったから(おそらくほぼ曹操の私兵配下)って事は考えられる

975:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 09:18:08 ciDVAztJ0.net
>>962
私兵ってことはないんじゃないかな
官歴をみるにおそらく劉備は下密丞だし、募兵はともにしたけど挙兵は別々っぽく書かれてる
それに曹操と同道してる記述はないし

976:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 10:06:05.08 jJzKZixG0.net
>>960
陳寿に
「好機を得るための機知や、行動の根幹をなす戦略では、
魏武(曹操)に及ばなかったため、勢力の基盤となる領土も、
その才能の差に準じて狭かった。」
と言われているので曹操と劉備が同等の器なわけない

977:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 10:29:33.69 GSm/+Dmq0.net
>>963
当時はおそらく高唐県令だろうけど中央集権色の強い漢じゃ県令程度にまともな軍権ないから挙兵するとしたら私兵だよ
(配下の尉は警察署長程度で太守クラスになってやっと配下に司馬とかついてまとまった軍が動かせる)

978:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 10:38:09.91 ciDVAztJ0.net
>>965
酸棗に行った感じはないし、募兵はしたけど麾下ではなさそう 
青州に属する高唐尉ってことは、刺史焦和との行動じゃないかね

979:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 10:40:24.86 ciDVAztJ0.net
>>964
能力では及ばないかもしれんな
ただその劣る劉備を配下として屈服させられず敵として殺すこともできなかった曹操と王者としての器量の面では似たようなものだろ

980:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 11:05:42 Az7S44h40.net
>>966
その可能性もあるけど刺史が兵を起こす時に県令や県の尉を動かすってのは微妙やね

この頃の劉備はすぐに仕事辞めてるから時系列を整理するとこんな感じかも

下密丞を辞職

都で曹操に会う

沛で反董卓の挙兵

焦和と帰って高唐県尉になる

高唐県令に昇進したものの黄巾残党なんかで青州が崩壊して脱出

公孫瓚に雇われる

981:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 11:07:32 kCr/uhh90.net
ぶっちゃけ曹操の金で兵を集めて挙兵したのかもしれん

982:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 13:20:08 ciDVAztJ0.net
>>968
下邳賊を討ったのは何進の募兵の最中だし、そのまま下密丞に任じられたてはいないと思うな
下密丞は董卓政権の叙任で間違いないはず
洛陽に帰還してから下密丞に任じられ、その時に曹操とともに洛陽を出たんだと思う
あと英雄記を読むと、ともに募兵はしてるけど、挙兵は別々な書き方。劉備の沛挙兵は賛同できない

983:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 13:22:09 ciDVAztJ0.net
曹操の挙兵は曹操のカネじゃなじゃなくて曹洪家のカネだと思うんだよな。曹操の生家とその財産は洛陽にあるし
汴水で大敗した時も曹洪のツテで復活してるし

984:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 13:41:33 G4x+mWQL0.net
>>970
下密の丞は理由も書かれず辞職してる
そしてわざわざ「後に」と時間経過が明記されかつ功績不明で高唐の尉に任じられてる

正史先主伝で不自然に雑な記述になってるこの時期に反董卓の活動してたと考えると自然な流れにはなる

後は既に故郷を離れ時間も経過し糜竺とも出会ってないこの頃の劉備に兵を集めるだけの資金力があるのかって問題が残る

985:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:04:45.84 ciDVAztJ0.net
>>972
下密丞を辞した後に曹操と募兵し、連合側の高唐尉になったってのは同意
挙兵は焦和(もしくはそれに連なる官吏)のバックアップだと思う
逃亡したくせに何進の募兵に抜擢されたり、曹操の募兵に協力したりしてる
名声も実力も知れてたと思うし、高唐のある平原は劉備が最初に名を挙げた地域

986:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:06:16.03 ciDVAztJ0.net
備甞在京師,後與曹公俱還沛國,募召合衆。會靈帝崩,天下大亂,備亦起軍從討董卓。
曹操と挙兵したとは読めないと思う

987:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:11:56.04 FCOCJjDQ0.net
あと下密の丞の任じられたのが董卓政権下ってのも微妙かな
何進の命で募兵に向かった毌丘毅に従った際の功績というなら霊帝の晩年(曹操が就いた西園八校尉が設置された頃)の事で良いと思う
正史の記述からこの頃の劉備は頻繁に都に出入りしてた可能性が高く曹操と意気投合していたとしてもおかしくはない(それ以前に黄巾の乱で鄒靖配下だった劉備の事を知っていた可能性もある)

988:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:16:03 ciDVAztJ0.net
>>975
劉備が参加した何進の募兵って鮑信王匡張楊張遼と同じヤツだと思うのね
だから揚州まで行って下邳で戦って、ってなるとどうしても何進が死ぬ
だからどう考えても董卓政権

989:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:20:34 ciDVAztJ0.net
あと英雄記を読むと、別に劉備と曹操が共に洛陽を脱出したとする必要もないと思うのね
「かつて劉備は洛陽にいた。後に曹操と劉備は沛に帰還して募兵して云々」
二人が共に沛に移動して募兵したってことを言うだけ

990:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:36:00 4/QZhUFw0.net
>>974
「後に曹操と共に沛に帰って兵を募り合流した」事と「劉備もまた兵を起こして反董卓連合に従った」事の時間的な繋がりがいまいち良く分からんな
最後が「劉備も反董卓連合に加わってたんだよ」って事実を強調するだけの文なら合流してる時点で一緒に挙兵してる様なもんなんだけどね

991:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:45:22 ciDVAztJ0.net
曹操の募兵に劉備が協力したのは確定だけど、挙兵びまでは同行してない書き方
たしかにその後の劉備の決起の資本はなんだろうなぁ

劉備の経歴名声と人集めの才能があれば無一文でもイケるか...?

992:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:48:14 2bUiOUkY0.net
>>976
それはなんとも言えないよ
後漢末は反乱祭りの影響で中央の兵が絶えず不足してて都度募兵してるからね(劉備自身が私兵で募兵に参加して官職得てるし)

993:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:49:15 2bUiOUkY0.net
あと下邳は揚州じゃない

994:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:52:48 ciDVAztJ0.net
>>980
一番確からしいと時期だとは俺は思うな
何進が各地に幕僚を派遣して募兵を行ったのはこの時期以外に見えないから
たしかに確定はできないけど、有力だと自負はある

995:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:54:09 ciDVAztJ0.net
>>981
揚州(丹陽)へ募兵しに向かう道中の話だね
言葉足らずですまん

996:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:54:53 oFBVVkzO0.net
>>979
後半は前半の具体的な行動の意味を説明した文って感じだけどね

997:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:56:55 ciDVAztJ0.net
>>984
霊帝死後に群雄が挙兵したけど、劉備も挙兵したよ、とだけだね
曹操とともに、とは無いからうーん

998:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 14:59:49 u1sVfl/00.net
>>982
まあ董卓政権の状況を見てすぐに職を辞したのかもしれないから辻褄は合うのかな

999:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 15:03:55 xKrA567y0.net
>>985
それだけだと前半の文はなんなんだって話になるからね
後半の文全体が前半の文を倒置的に修飾してるとすれば全体の時間的な意味もすんなり通る様になる

1000:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 15:04:08 iGaUJIkEO.net
>>979
ムシロ売りといっても工場というし、塩売りやってた関羽や張飛の伝手でそこそこの金はあったんじゃないのかな

司馬遼太郎の「燃えよ剣」で言うと、道場の急場しのぎに佐藤家から援助してもらったけど、天下に出るにはもっと大きな支援が必要みたいな

どちらにしても、いつも親族の影が薄いのが気になるけど

1001:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 15:09:43 6xnOKM1W0.net
>>988
そもそも涿郡にいた劉備の一族の話は挙兵以降不自然なほど全然出てこない
ぶっちゃけ張純の乱辺りに巻き込まれて滅んでる可能性もあると思う

1002:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 15:27:28 ciDVAztJ0.net
>>987
曹操と挙兵したにしても麾下というより共同経営者の立ち位置だろうね
のちに劉備は曹操を離れて焦和が管轄する青州についてるし

1003:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 15:28:35 ciDVAztJ0.net
>>988
初平以前だと関羽張飛はまだいないと思う

1004:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 15:41:12 CXzF1qnc0.net
>>990
やっぱり問題は金の出所やな
正史に書かれてない理由って事なら曹操から(曹洪の)金を借りたって考えると合点がいく
当時の劉備にまとまった兵を雇える様な金があるとは思えないし

1005:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 16:39:30 ciDVAztJ0.net
>>992
借りたというか、曹操が曹洪の財産を食い潰して劉備とともに兵を募った...?
劉備と曹操はこの時点では共同体だろうしね
曹操が傾けた家財は多分曹洪の家財だし、だからこそ「えっ、あいつ俺と同じくらい金持ちなん?」って驚く
この辺は完全に妄言だけど

1006:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 18:33:24 pvm6Kqfr0.net
劉備は借金踏み倒しの常習犯だろ

1007:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/11 19:18:56.65 ciDVAztJ0.net
根拠は?

1008:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/12 10:08:32 Cd59bvKE0.net
>>995
多分はじめての三国志チャンネルの動画でも見たんやろ
あそこ人を釣る為にやたら劉備アンチの記事や動画アップして演義アレルギー患者量産しとるからな
例えば上の劉備の反董卓参加についても正史基準とか言って裴松之注完全無視して不参加断言したりして煽ったり色々と酷い

1009:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/12 12:47:18 nPtYFGe/0.net
はじさんにそんな影響力あるの?
嫌な世の中になったもんだね

1010:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/12 13:09:01 AFxaL5Jw0.net
>>996
不参加断言って、はじさんの動画で?
いやーひどい

1011:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/12 13:33:49 V0UiRgyo0.net
はじめての三国志には正史三国志を根拠として劉備の何度も繰り返される借金問題を記事にしている
糞貧乏だし、そんなもんよ

1012:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/12 15:22:36.15 nPtYFGe/0.net
前に炎上してたよねはじさん
問題解決したの?

1013:名無しさん@お腹いっぱい。
20/07/12 17:51:47 UMpr+0+b0.net
1000なら

1014:1001
Over 1000 Thread .net
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