劉備が天下統一できなかった最大の原因その5at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その5 - 暇つぶし2ch560:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 20:11:33 3QW2Us1O0.net
劉表についてから早い段階で曹操を倒す
ことがダメなら
袁紹と一緒に関羽張飛趙雲で官渡の戦いで曹操を倒して、倒した後で隙をついて袁紹を倒し
天下統一というのはどうだ?
どちらのパターンも孔明が北伐で成功するよりは可能性高いと思うが。

561:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 20:36:38.78 W4oKQd+n0.net
>>553
どさくさに紛れて献帝を始末して曹操にそれをなすりつけられたら良かった
そうしたら劉表は年長皇族と称して袁紹と組んで済し崩しに皇帝になれる可能性が高い
劉虞の息子が懸念材料だが曹操倒した後の交渉次第だな

562:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 20:43:47.47 csQN0F130.net
>>553
袁紹に勝つには劉備が最低でも徐州位は持ってることが大前提(持ってても無理だろうが)
ということは徐州で曹操の攻撃を防ぎきったってことになるぞ

563:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 23:29:31 3QW2Us1O0.net
袁紹の軍門に下るんだよ
顔良と文醜を倒した関羽とかなら袁紹から信頼はあつくなる
袁紹の信頼を得て袁家を乗っ取るんだ
さらに食糧庫は3兄弟に任せて守り切ればぐっと信頼は厚くなる
司馬懿だって最初から大名じゃなかった臣下で最終的に曹家をのっとった

564:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 01:20:14 X5mA5UQW0.net
>>545
本来なら劉禅を暗殺する予定であり
費イは妥協故の暗殺って事を忘れてるぞ

565:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 01:45:38 zlD3mtSl0.net
>>556
司馬家の乗っ取り成功は曹氏ぽっと出の上に宦官と外戚禁止の縛りかけてたから成功しただけやぞ

和帝の頃から三公出してるガチセレブの袁家では乗っ取りは難しいわ

566:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 06:25:58.71 oZ3ESktT0.net
>>556
>顔良と文醜を倒した関羽
演義の話か?

567:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 08:12:30.32 GT1SI4oP0.net
袁紹の傀儡皇帝として祭り上げてもらって袁紹が天下統一すれば
劉備が天下統一したといってもいいよね?

568:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 08:17:19.67 ZafxyAbe0.net
演義とかいう架空のもの持ち出して議論に入るやつなんて荒らしとそう変わらんな

569:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 09:12:53.55 0jpVUu260.net
関羽なら顔良と文醜なくとも袁紹の信頼は得られると思うがな
まあそれは置いておいて
顔良が味方と勘違いして関羽に打たれた方を信じるのか?今までの武将でそんなやついるんか?味方を敵に間違えるのはあるけど
顔良って相当アホなやつだな
そんなやつがいたら正史には残さんがな
恨み辛みでそう正史に書かされたとしか思えん

570:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 10:23:35 O6wRF92K0.net
袁家の衰退の一番のターニングポイントは孫策早死に孫権が曹操に媚びるか、西涼が曹操についた事だろう
袁家優勢の流れにするなら孫策の寿命はどうにもならんとするなら他の事はともかく西涼はなんとかしないと結局手詰まり
郭援と馬超で蹂躙するはずがまさかの馬超(厳密にはホウ徳)に郭援が討たれるという最悪の計算外
そりゃ、鍾会があれだけの事をやらかしても親父がこれだけの大仕事してたら三族皆殺しには出来ないわ

571:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 10:54:42 /OQmVao40.net
>>557
それの説得力がないからこそ話題になってる
何故劉禅が殺せなかったかや郭循の人となりが明確に記されていないのも拍車をかけた

572:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 11:25:56.18 7yFz6aaW0.net
>>563
孫策が曹操と誼を通じてた事が実は孫策死後にこそ曹操、孫家の命運を決定付けていたように思う
曹操は江南から長江を渡って襲いかかって来られない状態だからこそ華南の開発を行いつつ許都の最大の危険分子だった朝廷内の反曹操派の粛清と張繍撃破が可能になった
そしてそれに成功したからこそ対袁紹との戦いに全力を向けることが可能になった
この間に曹操に逆らわず江南の維持と有力豪族との折り合いを着けたからこそ孫権は後の赤壁以降の対曹操勢力になり得た
華北まで手に入れた曹操に対抗する勢力はあってもこれを打ち破る勢力はついに現れなかった
仮に孫策存命でも曹操とは長江を境界とする相互不可侵の関係維持して孫策は荊州方面へ進出したかなと思う

573:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 14:09:23 0jpVUu260.net
劉備は199-208年まで何をしていたんだ?ってところか 水鏡先生に
いい人材がいないから苦しむと言われた演義は置いておいて
一騎当千はいても先を見通せる人材はいなかったのは事実。そう考えると
早い段階で賈詡をやはり味方につけることだな
賈詡なら曹操への帰順や曹操の世継ぎ問題や赤壁でも助言は的確だった 処世術や謙虚さも
あるから雲長に睨まれることもない
味方にできれば8年も待たずに
早い段階で漢王朝復興へ
のシナリオを用意してくれるはずさ

574:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 15:13:06 VH0anCsg0.net
ゲームじゃあるまいし、簡単に呼び掛けたらハイそうですかで来るわけないだろ

575:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 16:21:01 odwVoxAQ0.net
劉備についた人材にはそれだけの理由があるだろう。
陳群や陳登が劉備につかなかったのも。

576:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 16:40:06 9T49MF7s0.net
>>568
その二人はわかりやすいわ
陳羣→劉備が呂布呼んだ事で見限る
陳登→心情的には劉備シンパだけどアンチ袁術を優先

577:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 17:01:07.61 uTh6htWR0.net
陳羣陳登とくに陳羣に逃げられるようでは統一なんか無理

578:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 17:04:29.46 0jpVUu260.net
俺はカクの先見性と謙虚さにかける
そんな陳登や陳羣の比ではない
劉備見たら、自分が使えるべき君主と思うんじゃないかな
はいそうですかはあり得る

579:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 17:49:53 O6wRF92K0.net
>>571
劉一族をウリにしている以上リカクシに進言してあのヒャッハー状態を引き起こした奴とは組めなくね?

580:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 19:01:35 wKEXt/sz0.net
それと劉備は割と強情で人の言う事聞かないんじゃなかったっけ?
陳羣の進言聞かないで去られたり、ホウ統と喧嘩して君臣両方悪かったですねとかホウ統が上手い事言って仲直りしたりなかなか軍師としては扱いづらそうなエピソードがある
そういう性格も含めて上手く操れたのが法正だけでそれで劉備の軍師=法正みたいになってた様な

581:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 19:14:59 X5mA5UQW0.net
>>571
先見性を考えたからこそ曹操に付いたんだろう

582:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 19:29:42 X4rkFzjD0.net
>>573
劉邦の子孫自称してるんだから少しは先祖見習えよなw

583:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 19:33:42 X5mA5UQW0.net
>>575
劉邦も割と強情で自分の意見押し通して失敗したりしてるぞ

584:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 21:45:37 0jpVUu260.net
>>572
>>574
だから曹操に会う前に劉備にあうことが条件だ
劉備の漢室の復興という壮大な目標を聞けば、「あなたこそ真の主君」となっていたはず
カクは董卓やリカクシの部下だったからダークのイメージがあるが意外と正義感は強い
その証拠にリカクシの暴走を抑えたり張済の未亡人事件で曹操に天誅を加えている 
カクさえいれば劉備の天下取り計画が8年早く行動にうつされていたと思う
それができなかったから8年も劉表のところでのうのうとするしかなかったし
わざわざ益州みたいな辺境の地まで行く必要もなかった
8年のブランクと先を見通せる人材に会えなかったのは大きい

585:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 23:21:44.44 cIY7VtuP0.net
>>577
いや、そもそもその時期の劉備が漢朝復興を目標に
してたかどうかも怪しそうだが。
勿論漢中王を称した時以降はスローガン的に言わないと
整合性が取れないから、漢朝復興は間違いなく公に言ってたろうが
荊州逃げ込む以前は其処まで考えてたろうか?
劉備は生き延びる術として独特の嗅覚を備えてたから
各地の群雄の遊撃隊の如き小軍閥として渡り歩いたけど
生き残るために動いてるとは思えるが
高邁な目標あっての行動にしては行き当たりばったり過ぎな。
別に劉備をくさす訳ではなく、乱世を渡り歩く嗅覚とそれを活かす戦闘力は当時間違いなく随一の人物だ。
が、荊州時代から赤壁・益州へ至る前の劉備は下手に硬直した目標を持たない故に生き残り得たんではないか。但し、周囲が反曹の旗手と思い込んでた節はそれ以前からあったみたいだけど。
賈栩自体も漢朝復興の為に毎度行動してた訳でないから、対立した曹操の下にも平気で行く訳で。寧ろ何だかんだで曹操は献帝を抱えて正統性は保持してるから
曹操気に入らないなら俺の所こようず漢朝復興するし、と誘われても余程反曹の意図がないとねえ。
曹操気に入らないから

586:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 23:25:48.90 EPE8RayF0.net
正義感で動いていたわけではないだろう
何より劉表の元にいた時の劉備の待遇とその勢力を考えてたら小役人になれるかどうかがやっとの仕官にしかならん
劉備の元に荊州の無官の知識人が集まり始めたのは劉表死後
劉備なら何かをするという期待そのものは消えてはいなかったことの証左
ただ劉表配下で主だった人材はみな劉綜の元にそのまま残っていて劉備の元に集まったのは劉表配下であっても非主流派で出世の道は基本的に閉ざされていて劉備に賭ける博打を打ったというのが実情

587:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 05:37:36.85 jI/nVddF0.net
>>577
>だから曹操に会う前に劉備にあうことが条件だ
都合の良い条件が多すぎだな

588:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 06:11:14 CI4gJB6P0.net
>>573
正史の劉備はキレやすいからな(督郵むち打ち、ホウ統と喧嘩、蒋琬を殺しかける、髭が少ないのをからかった学者を処刑など)
演義とほぼ人格別物

589:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 07:36:07 nSpG0anT0.net
たとえ、劉備には当時スローガンがなくてもカクなら劉備見ただけでわかるよ
曹丕世継問題、赤壁に対する的確なアドバイス、
張繍事件でもなお曹操につけという先見の明
凡人が考える劉備に賭ける博打とはわけが違う
博打でも必ずサイコロがチョウになる博打だ
劉備が切れやすくても処世術で切り抜ける
それらは大尉として77歳まで生きた実績が物語る
都合がいい条件だなといっても、当時劉備に先を見通す人材がいなかったのは事実で
孔明が出てくる8年も前にそういう人材を探し出す必要があるならカクがいるよと
そしてカク獲得はできなくはないよと言ってるだけだよ?
光栄のシミュレーションゲームで199-200年で劉備でプレイしたら
曹操が動く前にかならず獲得に動くだろ?その反論で十分だよ

590:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 08:00:41 VrPOyMgp0.net
こりゃあ自粛だな

591:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 10:16:22 playOxFC0.net
願望で語る人来てるね

592:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 10:17:21 aWxUFkDD0.net
劉備は徐州継ぐ前は軍事を相談出来る田豫、政治を任せれる陳羣と人がいなかった訳じゃないよ
一番の問題は諸葛亮が来るまで例えば荀?や周瑜みたいなその地方の名士に顔が利く様な存在がいなくてそいつだけで終わってたからね

593:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 10:24:45.35 aWxUFkDD0.net
仮定の話なら田豫なら関張と扱いは同じだから劉備も割と言う事を聞くだろうから地元に帰らない仮定なら適材かもね
他の人材だと劉備に言う事を聞かせれるとなるとどうしても法正になるから諸葛亮が信念を曲げて法を無視して特別扱いして死んだらあいつさえ生きていたならと嘆いたわけで
黄権とか進言する能力ある人は結構いたけど、言う事を聞かせるのが難しいのよ

594:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 11:02:29 vcJHMwfk0.net
>>584
真人様の別人格
我尽ロマンを否定されたら史書全肯定モードになって
他人の推論全否定して荒らし回るから無視推奨
魏スレがそれで一時壊滅した

595:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 11:17:26 VrPOyMgp0.net
関羽がサイボーグだったらどうにかなった
もしくは蜀が核武装していたら余裕で魏呉を屈服させられた

というぐらいのファンタジーを語られても

596:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 13:04:30 nSpG0anT0.net
願望ダメならスレの意味ないし
そんなに非現実的なこと言ってない
カクと陳羣じゃ曹一族がいる中
大尉まで出世して余生満喫できたカクに
太刀打ちできるわけ無かろ
先を見通せる人材が8年も早く手に入れることが
わかってるなら話早いと思うがの

597:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 13:07:04 9FhPsR0H0.net
賈クなんかと接点0なのにどうめしかえかえるんだ
あまりにもゲェジすぎる

598:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 13:24:35 Ma8/mel60.net
論理的じゃないから願望って言われてるんでしょ

599:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 13:26:55 mRHDaO3d0.net
三国志と戦国はこの手のガイジが発生するのはデフォ

600:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 13:32:11.63 k7nyTUeK0.net
ifの話はいいけど真面目に話したいならゲームがどうとか言わんほうがいい
というかやっぱり読んでても思考の展開の仕方がゲームだなとしか思えないわ

601:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 15:00:33.50 rA1kF+uU0.net
長文君きてたか

602:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/08 23:11:59 7dthkA9N0.net
>>591
んで史書持ち出して人の推論を否定するほうにシフトするときはこういう論理に鞍替えする
俺様のことを否定したからお前らなんて否定されて当然だとするため
反実仮想分析と妄想を混同して叩くわけ

126名無しさん@お腹いっぱい。2019/07/24(水) 15:19:41.44ID:Y1+DKDfyO
>>123
たった1人のリサイタルですよ。ifに可能と不可能があるとか言ってしまう時点で誰の言うことも聞かないだろう

603:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 08:00:28.58 p2qDGHuS0.net
劉備を助けるのがなぜ賈詡にとって得策なのかを説明しないとナンセンス。

604:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 08:06:48.56 eSWFpgra0.net
賈詡本人である必要はないんだろうが、賈詡並の人材がいたとして
劉表の食客状態の劉備がどう動いて天下取りの土台作るか説明しない以上妄想としか言えないな
あの段階で荊州乗っ取れるとかあまりにも非論理的だ

605:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 10:11:55 qsyZpjpW0.net
曹操に後ろの不安が無い状態だから曹操を恐れて孫呉が譲歩してくれただけなのに早く荊州取ると孫呉が敵に回るだけでしょ
孫呉に大義名分を与えない上手いやり方でもあるなら知らんが

606:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 10:15:04 qsyZpjpW0.net
まだ益州とか親交があったらしい交州からの方が現実的じゃないかな?
荊州は周りに曹操と孫権と接してるのが致命的過ぎる

607:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 11:25:51 to6jUEOb0.net
まあ劉備が曹操、孫権と並ぶかそれ以上の立ち位置に至る現実的な状況は事実通り
もしくは徐州行った時点で袁術と結んで曹操から青洲奪う魔界入り覚悟のシナリオしかないんじゃないかと思う

袁術と呂布が結んだ後では袁術と袁紹は完全に対立
袁紹がまだ華北を押さえ切れておらず中原に同盟者が必要だからこそ曹操との良好な関係があった
し、袁術の漢王朝からの独立の動きも見過ごしてもらえてた
この時期なら徐州劉備が反曹操に動いても袁紹は曹操に援軍を出したりはできない
そして董卓軍の残党の呂布や張繍は曹操領を狙っているんで曹操も全力で劉備に当れない
そして孫策はまだ袁術の庇護の元で独立勢力ではなく江南は地元の豪族と朝廷から派遣された太守が対立して大勢力はすぐには生まれない状況

陳珪、陳登親子が劉備に曹操から独立を促した背景もこの情勢ならチャンスありまっせ!ということだしね

608:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 12:17:32 eSWFpgra0.net
比較的実現しそうな仮定としてなら
劉備が逃げずにいて、官渡で袁紹勝利も跡継ぎ争いで分裂、再び群雄割拠にってのはどうだろう
この後どうなるか予想できんがワンチャンあるんだろうか

609:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 12:33:05 qsyZpjpW0.net
袁家のとこにいる時なら関趙が再加入した前提でもブレインが手薄なのが気になるな
袁家が分裂してそこからとか新しく迎えれるチャンスはあるとは思うけど
徐州の時の方がその辺が劉備にしては充実してるからチャンスあるんじゃないかな?

610:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 12:44:26 eSWFpgra0.net
徐州支配時だと曹操から守り抜く方法が全く思い浮かばないんですわ

ブレインについては、曹操の所のがどう振る舞うかだね。
妄想としては荀?とか、献帝の信頼厚い劉備のところ来てくれればとは思う

611:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 12:59:52 to6jUEOb0.net
>>603
単独だとね
徐州離れた後は他の人も書いている通り立場が食客になる
これが一番問題で劉備が自分の意思で動かせる軍勢はほぼない上に外交すらサポートするぐらいしかできない

それなりの勢力ではあるけど孤立している袁術や董卓の残党は小さな勢力ではあっても劉備と結ぶ選択肢は高確率である
はみ出し者連合が献帝を擁する曹操に歯向かうんで完全に朝敵にされる大義名分を与えてしまうけれどこの連合が曹操を凌駕し始めれば専横の曹操を倒せという大義を立てられる

実力がない勢力の大義名分ほど無意味なものはなく実力のある勢力の野心は体裁さえ整えてしまえば大義名分になる

612:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 13:22:14 8qdeyd/S0.net
徐州陶謙に譲られた後曹操にさっさと降り曹操の一部将として動き回り機を見て謀反の方が食客ルート回避できそう

613:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 17:19:32.35 jb/cyKXu0.net
>>605
陶謙に徐州譲られる様な名声を持ってる時点で粛清の危険が天元突破してるコースやけどな

614:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 18:05:22 j5fqd4RS0.net
>>606
>徐州譲られる様な名声
あったのか?
陶謙は、曹操にやられた後でガクブルだったからでは?

615:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 18:25:13 1eXc7nL90.net
どの時点が、一番天下がとれなかったことを決定付けた分岐点だったの?
ここの下から選んでくれる?
184年 黄巾の乱
189年 反董卓連合
195年 曹操の台頭
200年 官渡の戦い
208年 孔明の出廬
214年 益州平定
219年 軍神包囲網
220年 三国鼎立
227年 出師の表
234年 星落秋風五丈原

616:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 18:25:26 to6jUEOb0.net
平原の相として成果をあげて民衆からの支持は高かったのと黄巾の乱から陶謙の麾下におさまるところまでの戦歴でいうと官位や勢力の大きさ抜きにすれば曹操、袁紹、公孫瓚、袁術らエリートクラスと五分だからね

しかもほぼ勝ち続けている
当時の陶謙配下で劉備以上の戦歴ある人物は多分いないかと
曹操の武力行使がまたあり得る状況ではこの点が高く評価されていたかも

劉備本人の気持ちとしては曹操に歯向かうことをこの時点で選ぶ可能性は無いだろうけど、環境としてはこのタイミングが曹操に対抗するには一番良いタイミングと言えるのでは?

617:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 18:27:20 to6jUEOb0.net
>>608
劉備という主語なら年齢も含めて益州平定が限界だと思う
益州平定に時間かけ過ぎたかな

618:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 18:36:24 V+9x5quq0.net
先祖と崇めてる劉邦も長いものには巻かれろで各勢力転々として楚陣営に潜り込み機を見て独立
劉備はせっかく徐州でー勢力築いたのに四散させたわけやからアホ過ぎる
官僚組織整備できる陳羣とかも居たのに

619:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 18:57:35 U8iBe5an0.net
>>609
そこまで勝ち続けてるか?
ちょくちょく負けてるような気がする

620:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 19:00:13 U8iBe5an0.net
>>607
孔融を助けたというのが名声という意味でもコネという意味でも
劉備が徐州譲られるのに大きく作用したように思う

621:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 19:18:21 jb/cyKXu0.net
>>607
ガクブルだったなら曹操に降伏しとるやろ
死ぬ間際に譲ってるんぞ

622:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 19:30:24 jb/cyKXu0.net
>>612
黄巾の乱から活躍してて
英雄記の記述だと反董卓連合には曹操と共に参加し
袁紹と争う公孫瓚の元で青州の平原の相(郡太守に相当)を務めるほど勢力拡大に貢献してる
元々盧植門下の上に孔融を助けたりと名士層受けも良いし
袁紹から独立を果たそうとしてた曹操と共に注目株の一人だった可能性は高い

623:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 19:44:09 j5fqd4RS0.net
>>614
曹操の父親殺しちゃってるのに降伏しても殺されるだけだろ?

>>615
名士層受けが良いとは思えない

624:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 19:48:50 jb/cyKXu0.ne


625:t



626:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 19:57:04 5ys4D00i0.net
>>617
太史慈もそれだと同じはずなのに、孔融救出後もあいつを重用するとなんて言われるか分からないみたいな扱いだったからそれだけで名士受け一気に良くなるのは無いんじゃないかな?

627:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 20:07:35 r/H6Ce0G0.net
>>618
太史慈は公文書毀棄して遼東まで逃げたお尋ね者だしその後の不遇も致し方ないのでは?
それを言ったら劉備も督郵を暴行した前科者だけど

628:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 20:21:41 jb/cyKXu0.net
>>618
元々有名な儒家である盧植門下で
陶謙の援軍で徐州に来てから陶謙の死までの短期間に孔融だけじゃなく陳登や鄭玄といったいった名士儒家の支持を得るぐらいの人望や

629:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 20:34:30.88 jb/cyKXu0.net
191年に公孫瓚の元にみをよせてから
194年には援軍に入った徐州の地で豫州刺史に推挙されるというスピード出世
袁紹曹操の様なエリートでもないのに異常としか言いようがない

630:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 20:48:25.71 ewqPaDVg0.net
公孫瓚が劉備を正しく評価して適所に使ってくれたおかげで実績を積めたと言えるだろうね
ただ借り物の兵士や役人が多くて子飼い武官や役人を持たなかったというのは劉備が飛躍する上で一番大きな壁だっただろう

631:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 20:57:17.77 NItK2Ouy0.net
益州を得た後の劉備に賈詡、つまりは陳平みたいな人物がいれば~
とからなまだしも、官途前の劉備に賈詡の如く人材が居たところで大勢に影響はない
劉備が曹操に及ばぬ以上、張繍にしたように、曹操に降る事を勧めるだけでしょう
賈詡は優れた策謀家であり身の処し方も抜群にうまいけど
劉備みたいな弱小勢力を天下に導くタイプの謀士ではない
それだったら諸葛亮がもっと早くに生まれて劉備仕えれてば~、
荀彧が劉備に仕えれてば~とかの方がまだ可能性ある気がする

632:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 21:04:03.07 jb/cyKXu0.net
ちなみに
曹操を頼った瞬間に爵位貰って諸侯となり鎮東将軍と豫州牧を兼任し
呂布を討った後に左将軍に昇進した(袁紹が大将軍で曹操が車騎将軍やってた時代)
この頃は単独で呂布軍とやり合ったり曹操の部下を率いて袁術討ったりと別働隊として大活躍
そのまま曹操の下にいたらあっという間に天下統一されとったやろな

633:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 21:24:19.02 jb/cyKXu0.net
>>622
黄巾の乱デビューの叩き上げやからな
既に実績十分の孫堅公孫瓚やエリートコースの袁紹曹操等に比べて出遅れ過ぎたのが難しい所
中央にいなきゃ名声得られないけど争いが激し過ぎて生き残るので精一杯なのが劉備の半生

634:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 22:04:25 U8iBe5an0.net
>>625
黄巾の乱まで官職を経験している群雄が多い事を考えると
黄巾の乱でデビューの劉備は曹操、孫堅と比べるとやっぱ若くて
その差が中原での争いを分けた気がするなぁ
まあ劉備も出世スピードはかなり早いけど

635:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/09 22:16:13 jb/cyKXu0.net
>>626
年齢的には袁紹曹操孫堅より5歳ほど若く普通ならいづれかの群雄の配下となって活躍する世代だからね
遅れてきた群雄という意味では呂布と似ているんだけど名士層への受けの差が大きい

636:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 00:22:45.72 QgVvn/VX0.net
朦朧して夷陵

637:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 01:13:45.06 Evad7w0m0.net
>>613
劉備の学問の師匠の一人に鄭玄がいて孔融とマブダチなのが
大きいかと

638:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 01:15:46 Evad7w0m0.net
>>627
劉備は盧植、鄭玄、陳キ(陳羣の親父)の師事してその学閥を巧みにつかってのし上がった感じ。

639:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 01:23:12 UEPK3rJR0.net
陳紀、陳羣父子と鄭玄は孔融とも交友を持っていたな
華陽国志にある劉備が陳紀や鄭玄の元で政治学を学んだという話も孔融絡みのコネクションだったのかもしれない

640:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 05:09:43.05 /Ig1UWSD0.net
新野時代も司馬徽つながりで徐庶孔明得て
伊籍に馬兄弟に藩濬蒋琬と軒並みゲット
更には黄忠魏延ら荒くれも支持
甘寧が荊州残ってたら確実に拾われそう
公孫瓚から始まり陶謙呂布曹操袁紹劉表劉璋と警戒されながらも必ず用いられ重用される
何この全方向好かれキャラ?

641:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 07:10:59.03 SEWvDSas0.net
潼関の戦いで、馬超の反乱に呼応して
劉備と孫権がの北方進撃は可能だったの?
そもそも中国国家って4000年も北方の異民族に常に脅かされてきたじゃん?
反乱は涼州だけではなかったはずではと思うけど
そもそも袁紹や曹操は北方の異民族の脅威と南方制圧とのバランスは
どうとっていたの?万里の長城では不足すぎるでしょ

642:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 08:04:21.59 FgkUSYpn0.net
>>633
劉備は張魯と対峙してたので、ある意味北方進撃(防衛)
孫権はむしろ南(交州)向いてた
連携するには離れすぎてたね

643:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 08:20:12.33 /dNcZ//+0.net
徐州献上して曹操の部下としてはたらいて曹操が都から離れたとき献帝にないで独立のが勝算高かったろう

644:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 10:08:22 OapIYUvB0.net
>>634
劉備はそこで間接的に曹操の援護しちゃう形になったのが痛いね
張魯と馬超韓遂は利害が一致してるからその辺上手く使えたのに
孫権は位置的に連携が無理なのは仕方ない

645:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 10:20:04 nYMdxTYZ0.net
>>636
しかも張魯が漢中での治世を曹操からも高く評価されるほど上手くやっていたから余計にな
馬超と提携し曹操に対抗するのに必要な兵糧を格安で提供とかの支援の他に上庸方面から荊州北部への陽動までやれれば長江水域全体の戦力配置変えて対応しないといけなくなって曹操軍の金と兵糧を無駄に消費させることもできちゃう
そうなれば孫権の目も北に向く可能性も

可能性だけの話ならだけど
戦術的な勝利はあり得ても中原制覇した後の曹操に独力で戦略的な勝利を得ることは不可能なんで諸勢力の連合がどのタイミングなら可能だったか?
スレの趣旨からしたらそこで劉備がその連合を合併するなり乗っとりが可能だったかを考えると劉備が中華統一が可能だったかどうかが分かりそう

646:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 11:31:58 z2vtbrQ20.net
>>635
にないで

>>637
仮に曹操が赤壁撤退に失敗して本人が死ぬもしくは一年以上消息不明になったらいけそう
そのときに号令をかけるのは献帝

647:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 12:18:58 FgkUSYpn0.net
ifを含んでしまうが、龐統の上策取り入れて益州を速攻で武力制圧した直後かな
馬超、劉備、孫権の3方向とか夢膨らむな

648:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 12:40:30 8m4Sbe9X0.net
やから劉備は徐州で曹操に撃破された段階でもうノーチャンスなんやで

649:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 12:52:04 SEWvDSas0.net
そうだね、8年も無駄に劉表の食客になったことを考えると徐州での敗戦がノーチャンの
決定的要因だと思う。
仮に朱元璋が劉備になったら行ける?
曹操の徐州城攻略を撃退できるの?

650:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 12:52:29 nYMdxTYZ0.net
>>639
何かの幸運があって棚ぼたでというのではなく劉備自身の判断で状況を変えられた最後のタイミングは益州での上策するかどうかの時だろうね

ただこの上策採用だと益州を得るのは早くなるけど、劉備への信頼が薄まってしまい史実以上に劉備や主要人材が益州の統治に時間を掛けなければならないリスクが高まったかも

651:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 16:48:39 wRkd5Be/0.net
曹操配下のとき討伐の密書検定からもらったらすぐに謀反起こすような戦略のなさ
張良みたいのが当時いたらまた違ってたろうに

652:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 16:56:25 /Ig1UWSD0.net
二度目の徐州統治から袁紹の依頼による汝南活動期に袁紹が曹操に勝利したら結構目がある
袁紹は長生きせず後継者争いが起こる流れなので間隙を縫って中原を抑える事も可能

653:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 17:57:36.40 SEWvDSas0.net
車騎将軍の董承殿をうまく活用できないかな?
劉備が旅立つ前に関羽と張飛を一般兵に
化けさせてボディーガードにつけて
帝の挙兵の機会を待んだよ挙兵したら内外呼応して許昌を落として帝を救う

654:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 18:26:33.58 nYMdxTYZ0.net
>>643
当時の状況考えると黄巾の乱から反董卓同盟までで軍閥達に名前を売り官途につき実務経験を積んでいるところ
儒学系学者以外にも存在を知られるようになって前途が開けたんだから出自からしたら大成功だと思うんだけどね
戦略的な動きがそもそも可能だったか?
劉邦が張良を得た時期は項羽麾下だけど一軍を任されこれは自由に使える
そして他の同じような立場だった反乱軍の将とも付き合い方次第でその後主導権を握れる可能性がそもそもあった
その時点で考えられる世界の限界、野心の及ぶ範囲というのは変わる
その時期がきて世界の限界が広がりそこで新たな展望を持ってそれを目指すというのが立志でその可能性が高まるのを天命を得るというのかなと
劉備が自分が漢王朝の再興なり、新王朝の創立なりを志すには曹操との決別と10年以上の対立が必要で環境としては自前の勢力を持つことが必要だったかも

655:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 18:38:36 5lOvTEhN0.net
曹操配下と仮定したなら赤壁で負けた時が独立するとき
要するに符堅に対する慕容垂やら姚萇の立場になればいい

656:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 19:37:53.73 UEPK3rJR0.net
>>647
それは結果論ではないのかね
赤壁で敗れることはあらかじめ予想できることではないし曹操がそのまま天下を統一することだって考えられたわけだし
もちろん曹操も百戦百勝の不敗の名将というわけではないのだから独立のタイミングは他にもあっただろうけれど

657:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 21:42:16 FgkUSYpn0.net
曹操から独立するのは史実のタイミングしかないと思う
あとは董承に乗っかって曹操討つくらいだろうが、成功率低そう

658:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/10 22:42:56 hwzUTAQa0.net
謀反起こすにしても曹操が来たら負けると分かってて独立選ぶなんてガイジ過ぎる

659:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 03:44:10.68 dfkYryUA0.net
>>647
そもそも赤壁は劉備が逃げたから起きた事であり、劉備が逃げなかったら曹操は急いで呉に攻める必要があっただろうか?
もし曹操が攻める選択をしても、劉備がいなくて単独の場合はたして孫権は会戦に踏み切っただろうか?
やっぱ劉備が曹操の下にいるなら赤壁の戦いが起きる確率は極めて低いと思う

660:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 08:01:41.27 eJZdb2OY0.net
>>646
>儒学系学者以外にも存在を知られるようになって
そこまで有名だったのか?

661:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 09:55:22.51 2P5bS9780.net
>>651
そうなると官渡で独立になるか?

662:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 15:31:58 cnztwJg50.net
劉備が仲達の養子になって司馬劉になればよかったんじゃね?

663:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 17:06:53 Bi8KuFf60.net
その場合、司馬備になるでは?

664:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 17:21:06 Sia4tJbW0.net
劉備 161
司馬懿 179
養子になるなら司馬防 149

665:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 20:59:05 uGAq4wdq0.net
ごめんなさい、ドラマで曹叡が曹爽に「司馬懿がいて生きたここちしない
やつは長年に兵を束ね、門下は多く朝野にまで及ぶ」といってたけど、
実際に司馬一族はどの時点からどこまで曹操軍や魏に影響があったの?
もし曹操が兵を挙げた時からすでに司馬一族が絶大な影響があったとしたら
若い段階で劉備が司馬一族との親交を深めてたら、
将来魏を内部から切り崩せたかもしれない?

666:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 21:50:47.53 cULknhib0.net
結果から逆算しすぎやろ

667:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/11 23:06:08.22 gUvMXHK80.net
>>658
ダメな歴史ラノベ作家の思考よな
曹爽に転生したってクソも結果から逆算して弟は使えないだの何晏はどうしようもないだのグダグダ書いて司馬氏与党の鄧艾を何故か裏切らせるというチョンボやらかしてた
バタフライエフェクトというものを一切考えてないとボロクソの評判だったのも当然だしカクや今の流れにも一緒のことが言えてしまう

668:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 09:10:37 95qcZ1eW0.net
賈詡の次は司馬懿か…

669:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 10:51:58.98 IxRSqcAf0.net
具体的にどうやって切り崩すと言うんだね

670:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 10:55:42.09 IxRSqcAf0.net
というか司馬一族が、劉備が有利になるように動くというのが全くイメージできない

671:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 11:37:58.78 XwQjPuPN0.net
>>659
確かにここのスレって天下統一できなかった要因を語るんであってあの時にあれをすればよかったこれをすればよかったを語るところではない気がするけどね
スレ1からその話を切り出したのはどこのだれだってか

672:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 12:30:00.85 IxRSqcAf0.net
天下統一できなかった原因として語られるのが、まずは荊州失陥と夷陵のコンボ
それからそもそも曹操と比べてスタートが遅かったという話と、劉表の所で足踏みした7年
後者2点を注目する時に、当時何をしたら良かったかと考えるのは良いと思うんだけど
さすがに司馬懿はなぁ・・・
何か妙な創作物に影響されたのかと思うような話が飛び出してくる

673:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 13:20:05.59 XwQjPuPN0.net
>>664
言ってることわかるけどそんなこと言ったら司馬懿だの郭だの言う人がでてくるじゃないですか
夷陵も荊州も7年も曹操も孫権も同じぐらい失態はしていた思うのでそういう発言は求めないかとでどうすることもできない分野で原因をいうのが正解な気がするけどね
例えば曹操の人事には公正性と一貫性があって人材が多かったできる人は昇進しできない人は落ちぶれる
劉備は自分のカリスマ頼みで人事は年功序列だったとかね

674:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 13:28:59.96 QlC8DM9T0.net
バックアップしてくれる一族がいたのとそうでないの差が大きいのもあるよな

675:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 13:42:27 mrOj+6dD0.net
劉備の失敗は曹操に助け求め保護されたくせに勝てる見込みもないのになぜか曹操に対し謀反を起こしたこと
10年近く時間を無駄にした

676:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 13:42:52 JneFTIVz0.net
むしろ、いかがわしい系譜と自分の才覚で三国の一角をとっただけでも十分すごい。

677:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 14:08:53 IxRSqcAf0.net
>>665
「正解」と言われても困るが・・・665の考えた正解を共有しないといけないのか?
そしてつまり人事が原因だったということ?

678:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 14:24:36.88 62PHenF00.net
>>668
系譜はいかがわしくない真っ当なものだよ
(当時は根拠なく劉姓名乗ったら犯罪)
前漢の皇族の血筋なんて履いて捨てるほどいるから大して希少価値が無いってだけ

679:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 14:29:38 62PHenF00.net
>>665
夷陵の戦いや荊州失陥は曹操や孫権には有り得ない劉備陣営独自の性格によるものや
そんな事も理解出来ないんじゃ三国志のイフを語る前にもっと勉強した方がええやろ

680:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 14:52:54 zrJWx0nF0.net
>>670
その理屈だと黄巾の劉辟も皇族だったってことになるんだが
劉邦の血統以外の劉氏なんて当時いくらでもいた
項羽の叔父項伯らのように劉氏への改姓を許された例もあるし
劉備の系譜がどの程度信用できるかは祖父より先に遡れない程度の信憑性しかない

681:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 15:02:39 NqdswLT10.net
夷陵の戦い 蜀に荊州出身がたくさんいたからそのための遠征、関羽弔いはその出汁に使われた
荊州失陥 劉備漢中軍と全く連動してない関羽の襄陽攻め、劉備と関羽は入蜀以降全くあっていないからほぼ独立勢力と化しているといっても過言ではない
仮に関羽が襄陽取っても劉備のいうこと聞いたか甚だ疑問
関羽を更迭しない限り荊州失陥は免れない

682:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 16:32:42 62PHenF00.net
>>672
黄巾の乱には農民だけじゃなく普通に官吏豪族も加わってるから劉辟が前漢皇族の血筋である可能性は普通に高いよ(だからこそ劉備が連携したとも見れる)
劉備の祖父は歴とした県令で劉備の家自体は没落したのに一族のツテで盧植の門下に入れたりと明らかに特殊な家系
後年魏の時代になって匈奴の王族が劉姓を名乗れるようになったという事実から漢の時代は新たに劉姓を名乗る事に縛りがあった事が読み取れる

683:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 16:47:42 62PHenF00.net
>>673
会わなかったら独立勢力ひなるなら陸遜の晩年も独立勢力やな
そもそも藩濬が劉備の代理である治中従事として内政を取り仕切ってるのに仮節持ってるだけの関羽が独立勢力な訳ないやろ
奇説の殆どがまともに史書を読めない妄想なのが良く分かる

684:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 16:50:31 62PHenF00.net
そういう意味じゃ
それぞれが私兵を抱える豪族である呉の家臣の方がよっぽど独立勢力と言える

685:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 17:05:27 IxRSqcAf0.net
関羽が暴走しててコントロールできなかった説までは納得できるが、独立勢力だったは飛躍しすぎだよな
面白い発想だとは思うが

686:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 19:30:58 zrJWx0nF0.net
>>674
先に挙げた項伯の他にも劉邦に仕え長安を首都に定めた功績を讃えられ劉氏の名乗りを許された婁敬(劉敬)などもいる
また、劉邦は祁姓劉氏を祖とされているが劉氏には他に姫姓劉氏がある
西晋のちに前趙に仕えた劉殷、その曽祖父後漢の光禄大夫劉陵などが挙げられる
このように、漢代を通じて劉邦の一族以外にも劉氏は存在していた
劉氏=漢の宗族というのは明白な誤りだよ
劉備がそうでなかったかどうかははっきりと言えるものでもないが

687:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 21:04:17 WuYMS+9G0.net
三国志の知識しかない情弱なんだからほっとけよ

688:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 21:33:51.09 62PHenF00.net
>>678
それらは別に劉姓を勝手に名乗ってた訳じゃないよ
別の系統がある事と勝手に名乗れない事とは矛盾しない
誰も劉邦の子孫以外の劉姓を認めないなんて書いてないやろ?

689:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 23:37:43 zrJWx0nF0.net
>>680
どうも論点ずらされてるな
最初の論点は劉備の系譜はいかがわしいかどうかだったろ
よしんば先主伝にある通り劉備が中山靖王劉勝の子、陸城亭侯?劉貞の末裔であるとして、漢武帝期に劉貞が爵位を失ってから劉備の代まで250年あまり系譜が遡れないんだからいかがわしいと言えばいかがわしいということになる
劉備の祖父劉雄が孝廉を経て県令になってるところなどから見ても、琢郡劉氏が地元では由緒ある家柄だと見做されていたことが窺えるがそれらは傍証に過ぎない
日本の戦国時代に例えるなら三河の豪族松平氏が、「実は我々の本姓は徳川氏で清和源氏の末裔なんです」って言い出した話程度の信憑性しかない

690:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/12 23:44:56.21 zrJWx0nF0.net
>>680
あとついでに聞いておくけど、さっきから言ってる劉氏は勝手に名乗れないって話は一体何を根拠に言っているんだ?

691:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 05:38:32 1CTP917D0.net
>>681
そりゃ爵位を失って史書の記録から消えた系統なんて傍証で考察するしかないのはしょうがないけど
属尽制度の研究で取り上げられる程にはいかがわしくない
時代を考えれば松平氏とと並べるのは流石に見当違い

692:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 05:44:12 1CTP917D0.net
>>682
南匈奴の単于(劉淵)の家系
彼らが劉姓を名乗るのは明らかに魏晋朝時代からである状況を見ても劉姓を名乗る事に制限があった事は推察できるでしょ
名前や字ですら皇帝と被る事を忌む時代背景が有るのに皇帝と同じ姓を勝手に名乗れると考える方が無いわな

693:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 07:53:56.00 UJqKpwzy0.net
曹操は曹氏と直接血がつながってたかな?

694:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 09:22:35.94 bwIWzfV60.net
よく言われている荊州失陥が無くても劉備の天下統一って無理そうじゃね?
夷陵の戦い回避で劉備の寿命が10年延びたとしても魏も呉も滅ぼせなさそう
結局どこかで関羽あたりが大チョンボやらかして巴蜀に追いやられる同じような未来になりそう

695:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 09:39:31.45 BS8OJ7Wr0.net
>>686
劉備だけだと言われる通り無理で終わっちゃうから「劉備+劉禅」と拡大解釈するしかないかな
俺は、劉備の代で魏くらい占領してて天下統一のレールができてるくらいならOK程度で考えてる
どうせ仮定だらけになるんだし、話題が膨らむ方向でいいんじゃないかな

696:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 09:47:06.46 BcZSSJ5n0.net
>>686
それを言ったらこのスレの存在意義がなくなってスレ終了ですよ。

697:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 10:04:20.09 1CTP917D0.net
>>686
そもそも呉が悲願レベルで絶えず荊州狙ってるからガチで守り固めてても守り通せるか怪しいし魏が有利になる
魯粛みたいな劉備に少し譲歩しつつ北に当たらせるって戦略自体が孫権始め呉の将軍豪族から受けが悪かったんだろうね
内部からのクーデター以外の可能性だと
徐州時代に袁紹と上手く連動して官渡前に曹操が死んでくれるとか
赤壁の時に曹操が死んで呉の目が北に向いてくれるとか
曹操が早いタイミングで死んでくれる以外に目が無い様に感じる

698:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 10:10:39.88 bwIWzfV60.net
いやすまん
これを結論にして「このスレ終わり!」なんて言う気は無いんだ
蜀が魏を攻めてる間に、魏は呉を唆して荊州を取るように仕向けるだろ
結局同じような未来になりそうだなと
その時に荊州の守りも完璧にできてたら呉も諦めて北伐するかも知らんが
呉は合肥より荊州欲しがりそうだからなぁ

699:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 10:23:18.77 1CTP917D0.net
>>690
利権が欲しい豪族はもちろん
純軍事的には荊州の長江流域全部抑えないと安心出来ないから孫権や呂蒙みたいな軍人が欲しがるのも当たり前
単刀赴会で有名な魯粛主導の和睦に孫権が内心納得してなかった可能性は高い

700:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 10:38:00.40 bwIWzfV60.net
魏を倒すには呉の協力が必要
その呉は蜀との同盟より荊州を欲しがってる
蜀は魏を攻めるために荊州が必要
蜀のお国柄的に魏より先に呉を潰すのはありえない
呉と魏は組めるが、蜀は魏と組めない
厳しいが、時間の経過で打倒魏の理念が薄れてきたら呉を併呑してから魏と戦うのもあり?
羅憲あたりですでに呉に領土をくれてやるなら魏に渡すってノリだったし

701:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 10:52:13 1CTP917D0.net
>>692
羊コと陸抗の例からも正面から長年対峙してると恨みもあるにしても親近感が湧くんやろ
それに降伏後の劉禅が殺された訳でもなく羅憲自身を含め継続して用いられてる状況だから漁夫の利を狙って攻めてくる呉に反発するのは当たり前とも言える

702:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:17:34.41 bwIWzfV60.net
羅憲を責めてるわけじゃないぞ
創業当時の理念なんて薄れてしまうのは当然であって(劉備も死んでるし)
憎しみ�


703:笂{りの感情なんて実際に被害を受けた被害者でもないなら、そもそも維持が難しい 蜀は建国当初、とにかく魏を叩くのが国是だったけども、時間が経って冷静になれば魏を叩く以外の国策もとれるようになるのでは、と言いたかった 思考の変化の例として出したのが羅憲



704:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:18:46.96 bwIWzfV60.net
長年対峙していれば親しみも沸くとはいうが、羅憲って武官じゃなくて呉相手の外交官だったので親しみ度合いは呉のほうが上なのでは
まぁそれでも呉が何か失礼をやらかして羅憲は内心では呉を嫌ってたってのもありそうだし
国が滅び、同盟国が攻めてくる状況ってのも凄まじい
呉が国益を優先するのも当然だが、羅憲が感情的になるのもわかるよ
感情を抜きにしても羅憲の行動は合理的で正しい思うよ
呉に仕官するより魏に仕官するほうが未来ありそうだもんね

705:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:30:32.63 1CTP917D0.net
>>694
上手いこと呉を占領出来たとしても難しいやろね
むしろ侵略に掛かるコストの分だけ魏の有利に働く
だからこそ三国はそこそこの時間鼎立出来たんやろ

706:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:38:07.84 1CTP917D0.net
>>695
羅憲は感情の面だけじゃなく当時の戦略状況を踏まえて呉を批判してる
曰く「蜀が滅びれば呉も危険なのに呉は蜀を助けるどころか混乱に乗じてハイエナするアホだから滅びろ(意訳)」
全く持ってその通りになった

707:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:43:07.73 bwIWzfV60.net
あれって劉禅の降伏が早すぎたんじゃなかったっけ
助ける時間も無かったとか思ってたが、ここの時系列詳しくないから間違ってるかも
呉が末期だったのはその通りでしたね

708:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:47:20.81 1CTP917D0.net
>>698
そんな事関係なく呉が永安を攻撃しようとしたからこその上の発言

709:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:50:54.90 bwIWzfV60.net
>>696
まぁ呉を責めてる間に魏が何かしてくるわな
勢力図を維持したまま、どっか弱体化した国の領土をじわじわ侵食するくらいしかないかね

710:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:52:20.49 bwIWzfV60.net
>>699
関係なく言ってたんだw
羅憲はおもしろいやつだな

711:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 11:58:36.61 1CTP917D0.net
>>701
タイミングの遅い援軍を装って結果として永安を攻撃してきたんだから
劉禅の降伏とは関係なく羅憲の発言は面白くもなんともない正論だよ
最初からそのつもりが無けりゃ永安攻撃なんてしてこないやろうし

712:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:01:47.08 1CTP917D0.net
>>700
というか魏が分裂等して弱体化しない限り当時の蜀に目はないやろ
司馬懿のクーデターが中央だけの話で晋の国力が落ちなかった事で万事休す

713:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:18:35 bwIWzfV60.net
>>702
劉禅の降伏の有無は重要だと自分は思うな
そりゃいざとなれば蜀の領土の取ることも想定してるんじゃない?
蜀も相当末期の頼りない感じに見えるが
実際、この時期に劉禅も降伏してるし
呉の視点、援軍出しても助かるようには見えないなら領土欲しくない?
戦略的に間違ってる?

714:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:20:07 bwIWzfV60.net
>>703
それは同感ですね
クーデターがあったと他国が知ったのは全部終わった後だったっぽいし
八王の乱も統一しなきゃ起きない事件だろうからやっぱ晋の勝ちかな

715:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:30:46 1CTP917D0.net
>>704
呉はおそらく蜀の敗北を見越して最初から永安を奪うべ�


716:ュ行動してた(少なくとも羅憲にはそう見えた)から降伏の有無は関係ないよ 降伏直後の混乱時を狙うのは「近視眼的な」戦略としては間違ってないけど そんな小知恵でどうにかなる状況でも無いだけに蜀の地を戦場にしようとしてるのは許せんやろな



717:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:33:03 r+X1jIUw0.net
>>689
あとは孫策が暗殺されず劉表を殺害して官渡前に北上した時くらいか
流石に曹操も南方への警戒を優先して袁紹に全力を注げなくなる
一応同盟してるのに一番恐れられてたからな

718:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:40:52 bwIWzfV60.net
>>706
長期的に見て、呉は黙って見てるのが正解ってこと?
まぁ「助けろや」ってことか

>蜀の地を戦場にしようとしてるのは許せんやろな
あとこれはすごく納得。共感できるわ
やっぱ魏に渡すべきなんや

719:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:53:17.54 0qbW+ZoD0.net
>>706
とはいえ援軍要請来て1ヶ月以内に援軍向かわせてるので
言われる程遅くないかと
関羽の時は荊州が危機に陥ってから1ヶ月以上経っても
蜀の誰も援軍出す気配すらなかったぞ

720:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:54:29.39 chvf2OGs0.net
>>707
呉が天下統一する一番のチャンスもここだしこの時期は一番のターニングポイントだったやろな

721:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 12:55:53.12 bwIWzfV60.net
呉が劉禅降伏後の蜀に協力的だったとして、どうにかできたのかね
姜維と鍾会のアレを支えるのか?
当時の蜀って助ける価値あるか?

722:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:01:10.04 chvf2OGs0.net
>>708
もっと早く本腰入れて魏と戦えってとこやろな
陸抗の羊コとの仁政競争なんて羅憲の視点からしたら噴飯ものだったやろうしな

723:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:05:40.09 bwIWzfV60.net
>>712
呉も北伐してたけど魏に勝てず、成果が出せなかったんじゃないか?
長江を越えて戦争するのはキツかった

724:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:12:13.09 chvf2OGs0.net
>>711
どうにも出来んやろ
それこそ呉が残ってる内に八王の乱ぐらいの混乱がすぐに起こらない限りは

725:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:22:03.55 chvf2OGs0.net
>>713
無理してでも成果を出さなきゃジリ貧やけどな
孫皓が暴君化したのも状況に絶望したからって説もあるぐらいやし

726:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:31:32.50 bwIWzfV60.net
>>715
呉も無理しててアレなんだろ
戦争のために税金上げて国内では反乱増えてたし
人間が足りなくて僻地まで行って人狩りまでしてたんだから、どう見ても無理してる
蜀も成果出せてないんだから、魏がよく守ったと見るべきか
やはり守勢が有利と見るべきか
魏を責める時って蜀は山を越えなきゃいけないし、呉は川を越えなきゃいけない
魏ですら川を越えて呉を責めるのは失敗してるんだから

727:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:39:13 chvf2OGs0.net
>>716
関羽が襄樊包囲落城寸前まで攻めてるから能力とタイミングが合えば無理な話では無いよ
後に南方の国力が高まったとはいえ洛陽まで軍を進めるケースも有るんだし

728:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 13:52:18.75 bwIWzfV60.net
>>717
当時の呉はこれが限界だったと主張したいだけだ
ただでさえ国策で内部分裂してる状態だったんだから
能力とタイミングが合うって、かなりの僥倖で、狙って得られるものじゃないと思うよ
これを得られなかったのが呉の瑕疵というのは気の毒かと

729:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 14:10:41 1CTP917D0.net
>>718
なお永安掠め取ろうとする余力はある模様
羅憲視点だとそう写るやろな

それが呉の限界だとしたら
瑕疵というよりも孫権の体制が確立して以降の仕様とも言える結末なんだろうね

730:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 14:22:05 bwIWzfV60.net
>>719
滅亡寸前の蜀軍と大正義官軍の魏軍を比べるんじゃないよ
しかも指揮とってる羅憲て当時は文官だったんだよな?いけるやろ!
羅憲てあの時まで指揮したことあったのかな?よく持ちこたえたよな
籠城だけじゃなくて歩協撃破してるし
現場のテンションを見てみたかった

>孫権の体制が確立して以降の仕様とも言える結末
そう思うよ
豪族のラジコン皇帝になればうまくいったのかな?
でも孫家の覇王のDNAがそれを許さなかっただろうなと思う

731:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 14:28:15 j00IOSzU0.net
呉は蜀をとられたら統一王手食らうってのが分かってないみたいやね

732:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 14:38:09 1CTP917D0.net
>>720
孫策に比べて半ばラジコン皇帝だったのが
下手に独裁色強めたのが孫権の晩年だよ

即位当初は孫策繋がりの人材がコントロールしてたけど彼等が亡くなった後は豪族の利害代表状態

733:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 14:39:59 1CTP917D0.net
>>721
根本的にどこまで行っても赤壁前の魯粛の発言が国の形だったんやろな

734:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 15:18:44 bwIWzfV60.net
?芝の話も残ってるし、蜀がとられたら終わりってのはわかってただろ
あとはどう頑張っても延命にしかならない
さっさと降伏するのも、優勢な魏に領土を渡すのも国民のためには悪くない選択肢だった思う

蜀も呉も北伐で国力を疲弊し続けるだけで成果を出せなかったのがいけなかった
いけないというか、これが2国の限界だったと見てる
どっちかの国のせいって話じゃないと思うんだが

735:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 15:22:52 KzA+Brov0.net
弱者連合で大敵に当たるのに共食い始めたら大敵にはその共食いの結果に関わらず弱った方から殲滅できるからね

弱者連合自体が既にリスクの高い選択なのにその根本を自分で噛み切りに行く呉の姿は魏にとっては滑稽だっただろう

あの関羽ですら単独で守れなかった荊州を蜀と対立して独力で維持できんの?モマエ?w
襄陽方面から江陵攻めつつ建業直撃狙いもこっちはできんのよ?分かってんの?w

蜀が漢中から出てきても長安近くまでおびき寄せて補給切れ待つこともできるし無駄無駄無駄!w

回線切って逝ってヨシっ!
みたいな?

736:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 15:30:46 bwIWzfV60.net
曹丕さん成仏して

737:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 17:14:19 r+X1jIUw0.net
>>722
呂壱とか皇帝お墨付きの中央集権体制構築の担い手だったのに豪族に足元掬われたって典型的な例だからな
呉は政治体制の脱皮をさも悪事のように書き記して失敗を善行だとするからタチが悪い
豪族に媚びて宗族殺して権力をバラバラにした孫休とかいうガチガイジが孫皓を狂わせる決定打になってしまった

738:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 22:27:52 UJqKpwzy0.net
司馬宣王のための諱はここでは使う必要ない

739:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 22:40:10 aXb+4sYI0.net
>>727
君みたいに現代の価値観で歴史を語る馬鹿者には永久にわからないことだよ

740:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 22:49:03 7ktNuhaH0.net
生産性がないことしか書けないけど言い返さないと気が済まない>>729であった

呉の豪族ラジコン政権は後漢のもう一つの末路であり六朝の原型なのは常識だぞ
それを永久に分からないことと抜かすほど高尚に思ってるお前の脳みそが残念過ぎる

741:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/13 23:02:04 bwIWzfV60.net
ラジコン皇帝って悪くないよな

742:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 01:35:47.90 WmsTKwYW0.net
呉と東晋以降の南朝の共通は文化くらいやろ

743:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 01:55:01.12 Ig5QTyCV0.net
>>732
君みたいに現代の価値観で歴史を語る馬鹿者には永久にわからないことだよ

744:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 02:06:36.72 62yDeTFt0.net
>>732
土着豪族と亡命士族の連合体の地方政権という点では孫呉も東晋も同じだが
実権を亡命士族が握ってるのが東晋、土着豪族が握ってるのが孫呉と差異はあるね
そういう意味ではむしろ東晋は蜀漢に近いのでは?

745:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 02:22:55 y9mBJTfB0.net
魏の制度を踏襲して蜀漢みたいに亡命士族が権力握って土地は呉って
東晋って三国志の集大成みたいな国だな

746:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 03:26:07 J5rCT4ZK0.net
>>698
263年05月 魏の蜀征伐決定
263年05月 呉の交州で呂興が反乱(-271年まで続く)
263年08月 三路より魏軍進入
263年09月 漢中陥落
263年10月 ?艾が剣閣迂回して江油制圧
263年10月 蜀から呉へ救援要請 呉は寿春・沔中を攻撃 更に蜀へ援軍準備
263年11月 蜀降伏
263年12月?呉の盛憲が永安到着 羅憲と交戦状態に
264年01月 鍾会の乱 鍾会・姜維・?艾ら死亡
264年02月 呉の歩協・留平が永安到着 羅憲と交戦して敗北
264年02月 呉の陸抗の援軍到着して永安包囲 羅憲は陳騫に援軍要請
264年03月 劉禅を洛陽に移送 霍弋魏に降伏
264年07月 胡烈の援軍により呉軍撤退

ざっくりだがこんな時系列
呉の援軍が永安に到着した時点で蜀は存在していない
呉は蜀を助ける時間も無かったのが正解
羅憲はその時点で姜維みたいに蜀を復興する計画立てる訳でもなく
呉の援軍支援して永安明け渡して魏と交戦するのを選ばず
魏の人間として呉と対決する道を選んだ以上呉と交戦するのは必然
まあ忠誠を誓う劉禅を魏に人質にされている以上仕方ないが
それにしてもいつもは陳寿の三国志は捏造とかいう奴よく見るのに
それよりも信憑性の薄い資治通鑑(晋書)の羅憲の発言に誰も突っ込まないのはある意味滑稽

747:698
20/04/14 07:27:58.43 Lr1OwH/q0.net
>>736
ありがとう
晋書だから羅憲の発言も眉唾だと思ってる?
他の史書とも照らし合わせて吟味するんだろうけど、自分は勉強不足もあってそこまで判断できないわ
蜀が国体を維持できなかったのは蜀自身のせい、蜀を滅ぼしたのは魏だと思っているから
羅憲が純粋に呉を詰ってるとしたら、その思考に違和感あったんだが晋書が都合のいいように書いていると言われれば納得できる

748:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 07:55:26.79 oqRY0WU70.net
晋書の時点で蜀漢正統論はあったりそれにのっかったんやろ

749:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 08:19:53 J5rCT4ZK0.net
>>737
晋書の羅憲伝は習鑿歯の襄陽記の丸写しらしいので明らかに蜀よりの視点
裴松之に「名前が羅献になってるぞ」と突っ込み入っているので
いい記事も書くが酷い記事は酷い習鑿歯らしいというか
羅憲の発言だけみると>>708みたいに「助けろや」と
まるで玄倉川水難事故の犠牲者みたいな思考にしか思えんので違和感しかない
呉の記事は呉の視点だから全て胡散臭いと騒ぐ奴が
羅憲の発言については完全スルーという面白い現象だったのでつい

750:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 09:04:50 Lr1OwH/q0.net
>>739
どうもありがとう勉強になりました
羅憲の違和感が解けましたわ

永安を呉から守り魏に渡したり、魏の援軍要請したり、行動は魏の人間
同盟国の呉が助けないのが酷いと言いながら、自分は魏の味方をして同盟国に対して利敵行為を働いている矛盾
蜀が滅んだのは国力が疲弊して魏から守れなくなったからで、劉禅も降伏を選んだ
自国への内省や、蜀を滅ぼした魏を恨むでもなく、呉を批難
この思考が本当に謎だった
行動だけ見れば魏に降伏してるし別に違和感ないんだけど、発言が変なんだよな

751:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 09:05:55 AoqS6Bkn0.net
>>735
蜀と違い名族連中がほぼ反北伐やし内乱ばかり起きるし挙国一致出来たのが皮肉にも劉裕くらいの時やしかなり違う

752:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 11:39:58.40 wdYBIXLu0.net
>>741
そこらへんが呉と一緒なのよな
既得権益さえ守れたらいいから北伐するのは権益を持てない奴やそれへの当て馬ばかり
孫皓がダルマにされて強行できなくなってるような状態とも言える
>>741
羅憲の教育を受け晋にもしっかり登用されてる羅尚がヒール扱いされているところを見るに
史家が味方したかどうかの差が二人の評判を変えただけであり
無難かつ堅実で立場の範囲内の行動しかしてない本質は同じに思える

753:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 12:04:33.64 Lr1OwH/q0.net
そうだねぇ
自分は言葉より実際にどんな行動をしたかを重視するんだけど
言葉や文字というのは、口では何とでも言えるし、後から何とでも書けるんだな

754:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 12:15:09.13 rrT0LirH0.net
呉の天下統一なんかまず無理やが東晋は色々と惜しい時期はあった
劉宋以降は天下統一する気配が感じられず呉を受け継いでる訳でもないのに呉とおなじく引きこもってしまい挙げ句宇宙大将軍の乱で建康壊滅
その後は北朝勢力にいつ飲み込まれるかが焦点になってしまった

755:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 12:22:22 dLKiDtIj0.net
>>744
華北が大乱から北朝に収束回復していくにかけて南朝が手出しできなくなるって事情もあるやろな

756:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 12:31:54.67 Wvw3UaP40.net
北魏が東西分裂直後なら梁武帝もまだ呆けてなかったし陳慶之もいたしワンチャンあったと思うが肝心の蕭衍が中原の異民族の駆除をする気がなかった

757:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 12:48:19 i0D9ueemO.net
陳覇先が北斉を大破したのも結果的には呉が蜀を叩いた様な物か。

758:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 13:04:54 gKqYwtwN0.net
北魏分裂により相対的に梁が東魏西魏より上になったのに弱い西魏と組んで東魏に対抗だもんな
普通は東魏と組んで西魏討伐でしょ
弱い方から叩く

759:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 17:02:56.21 8b0BWKN40.net
すいやせん
姜維と王平はなぜ蜀にあれほど
献身的だったのですか?
魏は夏侯覇や王平は見たいな人材は
ざらにいるんですか?
なら蜀が勝てるわけないですね

760:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 17:07:06.61 wdYBIXLu0.net
>>748
あわよくば弱い勢力を戦わずして取り込もうとしたんだろう
大友と組んで島津を叩いたり反北条勢力と組んで北条を叩いた豊臣の手口と同じだが
圧倒的な差がない状態で行った挙げ句梁自体が迷走したのだから救えない
まあ目論見が成功しても六鎮の乱の原因からして内乱祭りになるのは目に見えてはいるが

761:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 17:51:21 gK+2JrQp0.net
周瑜の目論見通り呉は魏と組んで蜀を早々と潰すべきやったね

762:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 18:44:44.00 UNsYcj+00.net
>>751
黄祖倒すのですらとんでもなく時間が掛かってるのに永安(白帝城)抜く力ないやろ

763:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 19:31:31 Lr1OwH/q0.net
永安ってそんなに抜きにくいのか?

764:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 19:40:31 UNsYcj+00.net
一番の敵は有力豪族の本拠地である揚州(呉)からの距離
誰も本気になってやりたい奴おらんやろ

765:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 20:22:20 Q+R9vS7g0.net
江陵から向こうは魏との対抗だけで言うと現実的な拡張範囲超えるからな
魏を凌いでその先に天下二分、天下統一まで見据えるなら必要になるって話で

766:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 20:30:34 dLKiDtIj0.net
そもそも周瑜の目論みは劉備軍閥吸収しての天下二分やからなあ
孫権の代になって中原で戦い慣れしてる兵や将軍に不安があるんやろな

767:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 21:07:22 Lr1OwH/q0.net
劉備吸収の時点で計画倒れだな

768:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 21:28:31 dLKiDtIj0.net
>>757
だから魯粛の案になるんやけど
孫権や他の将軍豪族にとっては「そんな事より荊州だ」って感想になる

769:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 21:53:00.67 Lr1OwH/q0.net
荊州重要だしね
劉備に守らせるにしても、劉備陣営が呉より弱小勢力であることも必須条件の一つなんじゃないかな
防衛の要を握られてるだけに呉より力を持たれたら困る
無理に奪ったのは劉備陣営が怖くなってきたのもあるんじゃないかい

770:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 22:37:37.78 Lr1OwH/q0.net
言われているように蜀の土地は攻めるのも大変、維持も大変なんで呉以外のどこか弱小勢力に持たせておきたかった
それを劉備陣営に押し付けた
陸遜は夷陵で蜀が反抗できなくなるまで叩き、まぁ魏に攻められてエグい国難を迎えたけどなんとか乗り切った
蜀とも再同盟できてラッキー
なんか呉を執拗に攻めて来た曹丕も死んでラッキー
これで周瑜の考えた天下2分の計に近い、安定した形まで持って行けた
陸遜はしばらく内政に専念できるだろう・・・と思ってたら孔明が北伐に誘ってきて孫権が乗っちゃった
北伐に反対したら孫権と関係が悪くなって家臣団も北伐派と非戦派で真っ二つになって呉は滅んだ
蜀と再同盟しないで孔明に北伐の話を持ち出させないほうが良かった?

771:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 22:46:52 y9mBJTfB0.net
>>749
王平は元から益州出身で益州育ちだから
地元志向の人間なんじゃないだろうか

姜維は自身の発言とか見る限り
栄達を望んでいる人間だから
人材が足りてない蜀の方が自分の能力を活かせて上に立てると思ったんだろう

772:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 22:52:12 y9mBJTfB0.net
>>760
孫権と臣下の関係が悪くなって国が衰退したのって
北伐関係無く後継者争いによるものじゃない?

773:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 23:00:31 Lr1OwH/q0.net
>>762
あ、ごめん。そこは陸遜が北伐に反対したら陸遜と孫権の関係が悪くなったってこと
二宮の前からすでに豪族同士で対立してて、表面化して爆発したのが二宮
呉を攻めたがってた曹丕が死んで、外圧が緩んだ途端に国策で揉めて仲間割れ始めた感じ

774:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/14 23:04:31 8b0BWKN40.net
>>761 なるほど、ありがとうございます。

775:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 03:37:48.41 25iMduxo0.net
陸遜は合肥攻撃には反対しとらんやろ
(むしろ助攻ともいうべき襄陽攻撃までしてる失敗しとるけど)
合肥は建業から目と鼻の先にある拠点だから豪族連中にもそれなりに意味のある攻撃なんや

776:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 03:45:35.82 25iMduxo0.net
陸遜の姿勢は「卑しい者達の売名目的の言葉に耳を貸さないよう願った」って辺りに集約されとるな
これ甘言に注意しろって諫言に聞こえるけど豪族を代表して孫権に見え始めた側近重用に釘を刺してるんだよね

777:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 07:17:03 GAZl+ye40.net
蜀とられると長江上流から船で攻め込まれるから呉としては滅亡の危機になってるんだよなあ
なので防衛上蜀不要はありえない

778:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 08:57:49 KO7RvHto0.net
>>765
曹丕が死んだあとくらいに陸遜は兵役の軽減と税の緩和を主張してる
もう(ひとまずは)国内だけ守って領土広げる気は無かったんじゃないかね
反対が言い過ぎなら慎重論だったてことで
それで孫権はこのまま専守防衛を貫いていてもそのうち手詰まりになると反論し、北伐を始める

779:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 09:06:01 KO7RvHto0.net
>>767
そうだね。不要と言ったつもりはないが・・・そりゃ蜀も統治できりゃいいんだが
でも現実に呉には蜀を占領統治する力が無いとしたら、呉を攻めることができないレベルの勢力に守らせるのがいいんじゃないかね
山があるから魏から自衛するくらいはできるんじゃねって

780:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 09:11:51 mko0q+3q0.net
>>737
劉昫「『晋書』は諸書を参考に詳しく書かれている。ところが、編纂に当たった史官は文士・歌詠みが多く、
デマや誤報、くだらないゴシップを喜んで書いているような程度の低い連中で、広く異聞を集め、
所々で評論家ぶって美文を書こうとしているが、真実を追求していないので学者はひどくバカにしている」

晋書はイエロージャーナリズム的扱いで史書としての評価は三国志よりも遥かに下だから
晋書の発言部分なんて信憑性は小説の類と変わらんからな
それを信じて評論するID:1CTP917D0とかは三国演義を基に歴史評論する奴らと変わらん

781:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 09:25:08 RYZX+/pT0.net
鮮卑出なのをごまかすための国家事業的な隠蔽のために作られたのが晋書やし

782:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 10:03:18 25iMduxo0.net
>>768
呉にとって合肥は取りたい土地だとは思うよ(普通に場所が建業に近すぎて危険)
ただそんな合肥ですら呉の豪族連中にとっては取れたら良いなぐらいに陥るところが呉の病巣とも言える性質

783:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 11:38:46 d8f65MeR0.net
建業防衛の価値的にいうと蜀>合肥
煬帝の大運河出来るまでは合肥ルートからのみの建康攻略はすべて失敗

784:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 12:36:16.04 +Pl/t22u0.net
>>773
武漢が呉攻略の最重要拠点
ここを晋は抑えたからこそ大船団を安定して投入できた

785:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 14:16:45.01 25iMduxo0.net
>>773
現代の視点から結果論で当時を語るという歴史を見る際に一番やっちゃいけない事を軽々やってて草
濡須口塞いで必死に守ったから保たれたのであって合肥からの攻撃に脅威を感じてたのは五度に渡る大規模な攻撃で示されてるよ

786:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 15:18:50.02 uHdstCYk0.net
配置されていた武官が都督以外では国内ナンバーワンの経験値な人ばかりだったのを見れば分かるしね
首都防衛司令とも言うべきポジション

787:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 17:28:52 2BGld8Io0.net
ふわっとしたこと言ってないで典拠を示せよ
晋書のことバカにできなくなるぞ

788:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/15 18:21:41.31 lIXbqK8a0.net
寿春合肥方面からの侵攻は例え騎兵含む100万の兵が来ても8万くらいの寡兵でさえ防ぎきることが出来るが
上流からの船団はそれなりの数を揃えないと南京防衛は厳しい

789:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 14:58:52.78 849Vnqc+0.net
夷陵の戦いってどんな真実だったの?
本当にその敗戦で孔明が蜀単独の軍事行動
で魏攻略は無理と判断し呉と同盟でしか
なし得なくなると決めた決定的敗戦だったの?

790:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 16:02:12 9+dVAcv90.net
西晋や隋のように長江上域から船で荊州に攻めこめば勝てるのに劉備のみボロ負けした

791:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 16:38:13 WUto5dlg0.net
>>780
水軍は関羽が使ってて壊滅か投降したやろな
船の準備は金と時間が掛かる

792:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 18:58:07 /I/5Y1R+0.net
その辺は黄権にきいて

793:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 19:31:24 RQYdcrbw0.net
>>779
魏というか曹丕が完全に蜀ガン無視で呉さえ倒せば天下統一出来ると魏始まって以来の主力をまとめて投入するくらいにはヤバい敗戦だったよ
将軍クラスがまとめて死亡か投降していてそいつらがそこでいなくなってなければ北伐の層も厚く登山家の出番もなかったかと思われる
全員がそうとは言わないが生きていたら王平みたいに北伐で台頭してきたのもいただろうと

794:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 19:32:34 6gXCCVbn0.net
>>781
先主伝に呉班、陳式が水軍を率いて夷陵に屯して長江東西を挟んだってあるだろ
一次史料にすら目を通さず適当ぬかすなボケ

795:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 19:42:04 OsWjOlWo0.net
戦死者だけで万を数えて投降者なんかも含めると数万の損失だし
黄権や馬良を始めとする人材的な損失も相当大きかったからなあ

796:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 19:46:24 /I/5Y1R+0.net
馬謖「しめしめ」

797:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/16 20:17:36.72 X2/WvkK00.net
劉備は戦を知らないとドヤってるが蜀軍が押してるときに建業に攻め込まない曹丕って戦略眼ゼロ

798:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 00:51:22 qx5H6S5X0.net
関羽の猛攻で魏が消耗してた
蜀は荊州を失った

それらと対照的に呉だけは消耗少なく荊州を得た
そして蜀は荊州奪還のために劉備が自ら出兵

さてこのタイミングで魏が呉に攻め込め込んで何のメリットが?
魏と蜀の連携はまず蜀建国の経緯からないわな
そしてもし蜀の攻勢に乗じて建業方面狙う動きを魏が見せれば、荊州の一部を蜀に譲ってでも講話をまとめて魏への防衛に専念するわな

魏は消耗した後で蜀の動きに乗じて呉を侵攻しようとしているのに呉と蜀があっさり元鞘に収まるのを促した上で結局呉と単独で向き合うなんて事になったらそれこそ間抜けだわな

そしてその程度の予想ができない奴はまあいないわな、お前さんを除いて

799:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 01:06:16 0RqsGz8r0.net
曹丕の失敗は夷陵の後、呉を攻めた事だよ
ボロボロ状態の蜀を攻めて滅ぼすべきだった

800:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 02:07:12 KWvbQfpL0.net
禅譲を前後して涼州では酒泉の黄華、張掖の張進、西平の麹演、雍州では馮翊の鄭甘などの反乱が頻発してたからな
蘇則、張既らによって鎮圧していたものの
後方が政情不安で兵站の確保もままならないまま蜀征伐を強行していたとしても上手くいっていたと思えないな

801:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 05:38:38 iVJ9KeeB0.net
このへんの戦争の動機は窮鼠猫をかむのようなもの
圧倒的勝ち戦以外は避けるのが常套
ただし示威行動としての出陣は除く

802:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 08:20:13.77 F/WD6MXZ0.net
曹丕「魏から蜀への本格的な侵攻の準備がどんだけ大変か想像出来んアホがおるんやな」

803:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 10:16:27 7Sfuamrm0.net
曹丕の行動を予測した朱然が止めたからあれだけフルボッコではあるけど蜀はあの程度ですんだわけで
曹丕が呉に攻める意思を見せずに蜀側に軍勢を集めていたら朱然が止めたかは分からないから呉への対応や内乱に追われる状況で内通者も当然出るだろうから守りきれたかは分からんよ
たった五年かそこらであそこまで立て直した諸葛亮は蜀じゃ傑出した逸材よ、普通はそのまま滅んでおかしくなかった

804:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 10:40:26 olYPhOFN0.net
>>793
おまえさんみたいにゲーム脳の人間は北の国境すべて安全地帯だとか思ってるんやろうなあ

805:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 10:49:22 1qj8O9qk0.net
三国関連スレは演義の内容が史実と思ってる奴らがほとんどやからなww

806:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 17:40:30.77 7Sfuamrm0.net
>>794
その後呉に攻めた規模考えたらそれを回せば攻める余力はあるでしょ
長年に渡って呉攻めで浪費した後の完全に不意をつかれた北伐ですら曹真達を回せるんだから

807:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/17 19:02:31 r8367hEq0.net
>>796
防衛戦と遠征を一緒にする馬鹿

808:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 08:00:47 QnuBr62B0.net
三国志演義がうそってなんでわかるの?
中国政府が孔明の偉大さを証明するためにお金使って
本当に東南の風が吹いたことを証明したけど
でも史記が正史なら演義も正史扱いでしょ?
○○〇斬られた司馬遷がまともに真実かけるわけないし・・・

809:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 08:51:49 +G2fGak+0.net
一度病院行ったほうがエエで

810:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 10:06:31.65 aZlmI3v70.net
明シンパを増やすために作られた誰が書いたかよく分からない小説と三国時代に生きていて晋朝につかえた人物、どちらの書き手に信憑性があるのか

811:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 10:09:08.84 7YA7MgFwO.net
流石に釣りだろ

812:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 12:58:09 dQTgKpzu0.net
たまに本当にそうだと思い込んでいる人がいるから怖いんだけどな

謙信が女だった説をブログで生理の話題含めて語る女とかいるし

813:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 13:24:14 QnuBr62B0.net
>>799-802 ちゃんと意味をつかめよ
正史も演義も全部嘘だろといっているんだが
だいたい今だってまともな感染者数も死者も伝えていない中国が
正しい歴史を残したとは考えられない
信憑性は全部ない
うその正史とうその演義なら土俵は同じってことだろ

814:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 14:03:14 I2o6JNMo0.net
正史は本当の事実を歪曲し、権力者のための歴史の事実
演義は正史から続く人物評で更に高評を得た英雄、没後に霊異を顕し神となった元人間の伝説と神話

ウソでくくるのなら、どちらもだが悪質なのは正史
仮に中国共産党の正史なんてものが書かれたら大躍進政策、文化大革命の大失敗に
天安門事件なんてものは触れられることすらない
というほどにアンフェアな歴史として書かれてしまう


演義を嘘かホントなんていうのは、北欧神話のオーディンやインド神話のシヴァが実在したのか?的なことを追求したがろうとするナンセンスにも似る

中国の場合は正史=史観 の絶対性はなく、現に三国時代の史観は小説である演義が中心になっている

三国時代のみならず、正史との整合性の合わない史跡なんて中国には数多い
唯一の真実と言えそうなのは、確かな物証(それも信じるかによるけど)による考古学検証が十分になされた曹操の死因が虫歯の悪化によるもの、とかそういうものくらいよ

815:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 14:33:13 h/6VxszS0.net
反三国志の作者みたいな事を言ってて草

ファンタジー史観や俺史観の定番の台詞やんけ

816:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 14:55:06 7YA7MgFwO.net
全部嘘さそんな物さ

817:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 19:00:34 FK5p4sl40.net
>>805
妄想モードの真人様に触れてはいけない

818:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 19:20:45 7YA7MgFwO.net
清史ってかんせ

819:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 21:54:40 p6Pi5Su00.net
三国のうちじゃ、劉備が最も覇王がら遠い
むしろ曹操が天下統一してもおかしくなかったが
無類の女好きが災いしたのか

820:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/18 22:15:30 cd4jLycG0.net



821: 女好きでなく長江の天険なめくさってたアホ



822:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 08:29:31 /zN+1X6N0.net
ドラマ見たけど、ドラマの陳羣がいうには
司馬一族は代々続いている漢の豪族で重要な役職にいたのか
これじゃ御家人筆頭の足利家と同じじゃん
天下取る下地は劉備よりもはるかに上だな
ムシロ売りから北の激戦区を乗り越え、南へ行き益州まで取った劉備はよくやったほうだと思う

823:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 08:51:20.62 /t9KEa5MO.net
ここはドラマや演義準拠で語るスレなんですねw

824:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 09:21:35 /zN+1X6N0.net
これうそなんですか?司馬懿の先祖は河内で定着した豪族なんでしょ?
河内といえば黄河対岸の洛陽と許昌の中間地点ぐらいかな
漢室復興できた劉秀も河内を足掛かりにしたからてきたんじゃないですか?
河内豪族の司馬一族のかかわりもあったのでは?と思ってもなんら不思議じゃないと思いますが。
日本でいうと鎌倉幕府において足利氏と同じくらいの有力御家人のような気がします。

825:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 09:57:28.32 AHTO+TSf0.net
は?

826:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 10:10:09 7vZeDBfs0.net
義経って平泉脱出して北海道経由で中国大陸に渡ってジンギスカンになったしね

あと喫茶店に黒の革ジャン来てバイクで乗り付けカウンターでコーヒーを飲む客は実は仮面ライダーの中の人だしね

とかと同じレベルの話をされても

827:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 13:26:41 MNKoG7VV0.net
劉備が天下統一できなかった最大の原因

・史実で天下統一が出来なかった劉備の天下統一の可能性
 そして、その天下統一の可能性を妨げたであろうと思われること

これを好き嫌いの感情論抜きで話
ってこと自体が無理だったのよ
スレとのテーマ性はそれるが>>804のような既成事実にアンチ感情による
嫌悪感をむき出しにしてるようでは、今後も「劉備が天下統一できなかった最大の原因」を
中立的観点から話せる様な冷静さを期待できるのかね?

828:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 14:07:08.31 xWuSQ+nI0.net
孔明がしんだ後どうなったか知らないのが書き込みしてそう

829:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 16:04:44 3LFnfuzf0.net
陳寿があれだけ祖国を贔屓して書いた三国志を悪質とはこれいかに

830:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 16:29:22 Z5HlBzE60.net
>>818
陳寿いなかったら蜀漢なんて成漢とかと変わらん扱いだったのにな

831:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/19 17:04:28 EMy84Sc90.net
司馬懿の中華ドラマの宣伝を書き回っているやつが暴れてるの?

832:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 14:39:47.89 ylEILrhV0.net
>>816
史実ってなんだっけ
中国はまともに史実を書き残せてるかな

833:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 14:59:20.64 EtpHXHz80.net
古代でちゃんとした歴史書残してるの中国とローマと中東しかないぞ

834:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 15:10:31.69 ylEILrhV0.net
どこがちゃんとした歴史書なんだ?
当時逆らったらやつを殺して認めさせただけだろ?

835:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 15:18:02.65 ylEILrhV0.net
俺は正しい歴史書を朱元璋に見せる気は無いな
あいつなら片っ端から歴史家に誤りを認めさせるに違いない
それにそういうやつが1人や2人いたっておかしくはない
史実は嘘っぱちだから
議論は三国志演義やドラマでいいよもう
みんなわかるし議論も活性化する
俺が許す
おい、ドラマーはいいよ出てきて喋れ
俺が許す

836:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 22:15:20 WODglwOd0.net
>>819
それはちと違う
蜀漢は隋唐に至るまで色んな王朝の正当性のために使われてる
例えば匈奴漢は劉備にも廟号を贈って前後蜀漢全てを継ぐ正統王朝だと喧伝した
東晋も匈奴漢が滅んだ後に桓温の台頭を防ぐため蜀漢正統論を造り上げ漢晋春秋に至った
前秦もまたテイの服属元であった蜀漢を持て囃し漢初のガバガバ政治を理想とした

演義以前にもこれだけ政治的に利用されているのが「劉姓の漢」のブランド力
北周か後燕が全てを飲み込み鮮卑を是とする歴史を全土に布くか
宇宙漢が統一して漢のイデオロギーを高次に発展させた文明を築くか
元が漢民族を虐殺して中国全土を予定どおり草原にしてしまうかしないと
蜀漢こそが正統だという負け犬ウィルスがミミズのように地面から這い出てくる

837:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 22:37:26 sC/TujoL0.net
人生の負け犬もネットでは饒舌で勇ましいだなw

838:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/20 23:58:19.06 ar/JXKoN0.net
桓温は業績見る限り簒奪する気があったとは思えない
慕容垂に負けたのが痛かった

839:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 00:27:50 hQ+yoAlj0.net
でも現に息子の桓玄は簒奪を行っているじゃないか
桓温が曹操のなり損ないならば桓玄は曹丕のなり損ないだったってことだよな
曹操はともかく、曹丕ってわりと過小評価されがちだけどこういう同類と比較するとわりとマシな部類だよは

840:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 08:43:35 1YVdqO8m0.net
>>828
曹丕は継承が危ぶまれたのを年齢とリアリスト思考で勝ち残り実力をつけた
比較対象としては永楽帝や揚広や李世民が近い

それに対して桓玄は物心つく前に一族が権力の絶頂を手にしていて年上もみな自分のために動くもんだから勘違いしてしまった
比較対象としては司馬炎が適切

841:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 09:19:33 vXpOc8py0.net
三国演義に三国時代の史観を奪われた時点で正史の方が負け犬なんだけどな。

骨子となる武廟評価、関羽と張飛の逸群の武勇、講談師の英雄譚。
朱子学での正統逆転を得て、更には張飛と諸葛亮の超人化
そして神格化した関羽を取り込んだ史観は民衆、インテリ、権力者と全ての人間に
受け入れられた。

その史観をファンタジーに満ちたフィクションであり異端と
勉強不足の未熟者が叩いたところで史記の五帝本紀を見ろ、と博学な識者に
突っ込まれてお終い。
本来の本紀に描かれている真の王者は神話上の英雄のようなもの。
陳寿はそれを勝手に改変して人間レベルにまで「本紀」に書かれている英雄のレベルを落とした。

842:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 09:26:40 P2XmpLcZ0.net
桓玄は司馬道子倒した後すぐ簒奪せず劉裕みたく弱体化した鮮卑叩いて親父並の実績あげれば足元すくわれることもなかったのに
まあ親父がどれだけ名族に足を引っ張られたか知らなかったのだろう

843:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 10:55:57 o2SuvIro0.net
まーた後付け宗教で歴史上書きできる論のアホ沸いてるな
それ認めたらオウムすらも正義になるっつーのに…

844:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 11:26:45.52 IokBLVqM0.net
後付けありなら実は劉備が統一してたけど後の権力者により今のように書きかえられてた説もありになるのにそれすら気付かない真性ガイジ

845:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 11:47:14.89 QkF35Cue0.net
>>830
まず字統とか字通を開いて「歴史」の勉強しなさい。

846:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:00:39 vXpOc8py0.net
>>832
>まーた後付け宗教で歴史上書きできる

それが中国の三国時代の歴史観だからね
民衆の支持を得たい権力者が民衆本意の小説を持ち上げ、権力者に媚びるインテリも
それに従った
ただし、若干の抵抗はして儒教の要素も取り込ませた
だから、明の時代の三国演義の関羽は半神半人のような存在なのに、清の時代の改訂版では忠義の模範となる人間になった
権力によって作られた正史が、より大きな権力を持った存在に呑み込まれてしまった、という歴史があるんだよ

証明のしようのない歴史の真実などインテリは勉強しない
社会に通用しない無駄を学ばない賢さがあるからいい立場に就けるのよ
他人を煽って自分の意見が通用するのなら誰も「勉強」なんてしない

847:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:26:04 PaehQGJQ0.net
勉強の意味が中国ではそもそも違うこと知ってなさそう
そして自分の信じたいものだけが正史扱い
真実人様の戯れ言ここに極まれり

848:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:32:10 vXpOc8py0.net
正史扱いじゃなくて、史観が正史基準ではなくなる歴史観がある。と言ってるんだが?
正史は正史のままよ
ただ、史観の正統ではなくなる
民衆レベル、すなわち社会の常識としては、そういう無駄は学ぶ意味もなくなり
社会に出ても役に立たない存在に落ちぶれてしまう
臨機応変な社会構造に適応できてないからね

正史は正史として存在している、ただ知りたい人だけが雑学として
自分の趣味にしている程度

849:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 14:36:40 PaehQGJQ0.net
だから、明の時代の三国演義の関羽は半神半人のような存在なのに、清の時代の改訂版では忠義の模範となる人間になった
権力によって作られた正史が

と発言した矢先にこれである
3歩歩けば忘れる目出度い脳味噌なのだろうか

850:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 18:41:01 vXpOc8py0.net
何が言いたいのか、よく分からないんだけど…。
どういうツッコミなのか説明してくれない?

851:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 18:54:29 lSrNm/eV0.net
アリに人の言葉は理解できないという話だよ

852:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 19:17:32 hQ+yoAlj0.net
相手してやるからつけ上がるんだよ

853:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/21 20:52:14 op9jAxuYO.net
ほぉ
乾隆帝が関羽に帝号を追贈したのは
神→人への降格の意図だったのか。

854:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/26 01:45:06 8SyQN/290.net
三国志-研究家の知られざる狂熱-
URLリンク(ddnavi.com)

855:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/26 12:57:28.55 V7d/jSi40.net
三国志に劉備にオカンはつきもんやとおもとったわボケ

856:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 12:26:54 ruo+R+ru0.net
>>836
>勉強の意味が中国ではそもそも違う
内容的には歴史学というより民俗学に近くない?

857:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 13:22:48 vFktCVgq0.net
民俗学が史観の中心になってるのが中国における三国時代だしね。
有名史跡のほとんどが三国演義やそれ以前の民間伝承によるものだろうし。
三国時代の「常識」を三国演義によることは間違いでもなんでもない。

858:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 20:26:56 idqxkoRc0.net
なにいってだこいつ

859:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/27 22:34:46 HzQxdIET0.net
その有名史跡とやらは80年代以降の国家による
「観光地」政策の一貫で整備されたのばっかりで
民間伝承もへったくれもねえのに…
琢郡の三義堂も改装以前は既に学校施設に転用されてから
更に年数が経って廃墟手前になってたし
あの武侯祠ですら80年代以降の大改装後の姿でしかない。
中には元は小さな廟で位牌しか置いてなかった所が
いまや巨大化門扉塀付き、どう見ても最近作の写実的人物像がデカデカと鎮座する徐庶祠とか噴飯モンだぞ。
ンなもん真に受けちゃあ、さぞかし当時観光整備政策を推進した中共の役人がホルホル喜んだろうよ。
文革の徹底的な更地と以降の中共の徹底的な大改装舐めたらアカンw

860:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/28 06:22:17 yZWyj9ks0.net
杜康潤センセイも描いてたけど曹操の地元なんてディズニーランドみたいなアミューズメントパーク化されてたからな(笑)

発掘調査(竹簡など)とかはともかく民間伝承()なんぞ
あてにはならんわ

861:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/28 09:40:23 wpg6S5QZ0.net
つまり、中共に潰されるほど本来の歴史は脆いんだろ。
本来の歴史記述に信用性もおけずにリスペクトもされないから、歴史に聖域もなく
大衆支持もないためやりたい放題にされる。

中国国内のツアーでもパチモン兵馬俑の旅なんて多いからな。
有名なあの兵馬俑に?って思ってたら、近所のお手製人形が数体並んでるだけの
チープなモドキ兵馬俑に連れていかれた、とかね。


民主的に支持の高い「史跡」はよりグレードアップしていく。
これは皇帝制の時代の中国と何も変わらんだろう。

噴飯モンなのは実際にそれを見ても
「本来の歴史書の記述こそ真実」と疑わない、ウブな心と
中国の史観は既存政権が塗り替えていくという本当の事実に気が付かない
その鈍感さだよ。

正史は権力者を持ち上げるために史書官が意図的に事実を捻じ曲げたという
性質も皆知っているから、それを逆手にとって現代の史跡も都合のいいように
変えられていくんだよ。

歴史学者程度が中共逆らって生きていける国なのか?っても疑問だし
権力者の決定には逆らえないその姿があるから、本来の歴史は社会から信用されないんだよ。結局は史書を書く人間なんてのは常に権力の犬だってことを現実で証明したんだからな。

862:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/28 22:23:14 TkFphKPa0.net
おちんちんきもちいいお(´;ω;`)
まで読んだ

863:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 08:54:09 5Ecg2zM60.net
竹簡なんて原人の落書きを社会が鵜呑みにしてたら
三国演義の周倉や水滸伝の魯智深の墓なんて作られないわな。

864:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 09:22:56 VgjNXBF50.net
東アジアの古代史研究とか理解する気ないのは草 
さすがは低学歴DQNが多い三国志ヲタだけあるは

865:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 09:46:53 5Ecg2zM60.net
自分の世界を認めない社会を見下して、自分の世界を自分の中で高尚なものに引き上げる。
そりゃ、社会はそんな視野の狭い甘ったれを認めることもないわな。

866:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 09:50:12 VgjNXBF50.net
見下されてる自覚あるの草
流石経歴に3流大学とか高卒とかがデフォの三国志ヲタも社会的にはDQN扱いの自覚はあるのか(笑)

867:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 12:33:41 5Ecg2zM60.net
「東アジアの古代史研究」の社会認知が低く立場も弱い

ってことなんだが?
学歴で通用するほど社会は甘くないだろ。
現に「東アジアの古代史研究」こんなもん学んだところで
就職先もなくただ無駄になったんじゃないか?

868:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/29 16:40:14 ngONoDQd0.net
馬鹿すぎて草。
学歴いじりがそんなに堪えたか(笑)
余程のFラン&成績最悪とかじゃない限りそこそこの大学卒業してれば研究がマイナーだろうが余裕で就職できるわ(笑)


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