20/03/30 23:20:30 M+3GfrJE0.net
>>429
趙雲は太守クラスの武将ですらないわけだが
本営配置の騎兵隊指揮官
蜀建国直後で関羽以外で荊州任せられる可能性が比較的高い3人
孔明 残念ながら法正、?統、張松死亡でもう成都からは離れられない
李厳 劉備に降って間もない上に巴蜀の治安維持責任者で巴蜀から出せない
黄権 劉備に降って間もなく広陵方面まで軍の運用範囲が広がり水軍の再編で多忙、他に水軍の編成と指揮官ができる人がいないから荊州に出せない
呉との外交を上手くやりつつ主に魏への防衛という2点で当時の官職やら能力でこの3人以外はないんじゃない?
呉懿は旧主劉焉、劉璋に重用され実践経験と人望の点では定評があったものの外交面と治政の実績は見えない上に降って間もない
巴蜀の地と人に通じているので彼にとって未知の地である荊州にやるよりも蜀の地でこれまでの経験値を活かしつつ劉備陣営に新たに加わった人材のまとめ役を果たしてもらう方が成果が出せる
蜀や漢中を手に入れるために失った人材の惜しさよ
荊州を失う原因は関羽が元凶というより人材の不足だと思う