劉備が天下統一できなかった最大の原因その5at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その5 - 暇つぶし2ch250:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 13:44:40.72 plQo1NSv0.net
>>243
朝廷に反逆の意思有りな親父を説得しなきゃいけなくて朝廷から派遣されたのになんとなく基盤を継いじゃった劉璋を皇族として尊重する必要無し 
それと劉璋から劉備が受けた恩って何よ?
劉表がそれを主張するならわかるが

251:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 13:58:20.98 PKv75yHt0.net
>>246
青泥で関羽がピンチだから兵や食料を貰ってるだろ

252:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 14:03:29.40 PKv75yHt0.net
>>246
それとどんなに屁理屈言おうが劉ショウは益州牧だから
王を僣称する劉備よりもまとも

253:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 15:14:40.26 lYO+EbTV0.net
あれって曹操が簒奪の前段階で魏王に就任したことに対して漢朝をバックアップするために取った行動でしょ
普通にセーフじゃね
どこが悪いのかイマイチ分からんわ

254:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 15:25:38.61 cD6YN0qp0.net
後漢は王の僣称はアウト
バックアップなら袁紹の劉虞のように誰か立てれば良かった

255:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 16:21:07.01 Wtzvjt0b0.net
でも劉氏以外が王になったら殺せって高祖が言ってたし・・・

256:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 16:23:07.59 xq79OwII0.net
その後も呂氏の王とか出てるから不良皇帝の遺言なんて殆ど重んじられてないな

257:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:07:45.53 lYO+EbTV0.net
>>250
その理屈だと劉虞も立てれないのでは?

258:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:15:30.95 cD6YN0qp0.net
>>253
魏への禅譲後にだぞ

259:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:43:01.39 N1bJMgxV0.net
荊州牧は劉表が、益州牧は劉焉が死んだらその息子のものだって当たり前みたいに言うけど
公や王と違って州牧って勝手に世襲できるもんちゃうやろ

260:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 19:22:44.64 ZMBHmtvQ0.net
>>255
後漢の時点で太守や刺史が在職中に死んだ際に後任が来るまで息子や親族が臨時で代行するみたいな前例はあったみたいだよ
劉璋の場合、派遣されてきた後任の刺史を追っ払ったみたいだけど最終的には朝廷から地位を認めてもらったし問題ないか

261:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 19:27:16.89 DjXCwL9D0.net
この当時爵位の世襲禁止とかぶち上げてた(後漢書楊彪伝より)曹操とか言う権益破壊者

262:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 19:28:10.10 lYO+EbTV0.net
>>254
それだと曹魏に不満を抱く旧漢朝の朝臣や地方官たちにオルタナティブとしての受け皿を準備できなくね?
魏成立後に王を名乗っても機を失してないかい

263:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 20:02:53.78 twezI6Yc0.net
曹魏に不満を抱く旧漢朝の朝臣や地方官なんて
東漢から曹魏へ禅譲する頃には中原にほとんど存在しないので
受け皿有ろうが無かろうがどうでもいいな

264:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 20:10:25.47 qZzGzNFY0.net
>>255
劉キ全否定だな
そうすると劉備の荊州牧も正当性かま無くなるな

265:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 20:59:48.51 D+DZLYsn0.net
劉備が漢中王を僭称した時期の関羽の北上であれだけ曹操周辺が泡食ったり反乱起きたりしたわけだから
劉備は十分に受け皿になり得たと思うぜ

266:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 21:17:04.36 twezI6Yc0.net
>>261
反乱は吉平の乱や侯音の乱が起きた218年~219年初がピークで
劉備が漢中王を僭称した後は未遂で終わった魏諷の乱とか
首謀者がわからない程度の群盗騒ぎなどの出がらししかない
曹操周辺が泡食ったとかいってもすぐに兵士掻き集めて
劉備が1年半準備して夷陵の戦いで率いた軍以上の兵士を
わずか2~3ヶ月で掻き集めているからな
その結果中原では雨降って地が固まり曹魏に対する反乱分子ほぼ0で
職は2個師団のうちの1個師団壊滅で領土ほぼ半減
受け皿なにそれおいしいの?状態

267:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 21:29:36.98 qZzGzNFY0.net
>>261
王を僣称した朝敵として魏呉に大義名分を与えて
荊州を失っただけだよな

268:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:02:08.73 YZoullKJ0.net
もし関羽の北上が成功して呉も魏領に侵攻してたら
中原の反乱はもっと膨れ上がっただろうな

269:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:03:54.47 YZoullKJ0.net
>>263漢中王を名乗ったから魏と呉が大義名分を得たとはあまり思えないな
その事で劉備が支持を失ったとか特に無いし
劉備が漢中王を名乗らずとも関羽北上のタイミングで呉は普通に荊州を攻めてたと思うわ

270:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:04:27.43 qZzGzNFY0.net
>>264
徐晃単独に負けてるから意味の無いifだな

271:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:06:59.55 YZoullKJ0.net
>>266だから徐晃に勝って北上成功したらという意味だよ

272:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:09:23.58 cD6YN0qp0.net
>>265
荊州を呉が攻めた一番の理由は劉備や関羽が信用出来ないって呉書に書いてあるな

273:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:11:22.04 twezI6Yc0.net
>>264
ラッキーなワンパンで于禁の七軍壊滅させても
呉方面の予備兵引き剥がして前線投入して樊城それ以前に
襄陽すらも落とせないのに寡兵の徐晃に進撃止められてる程度じゃ
関羽の北上が成功する要素はほぼ無い
そうこうしているうちに曹仁には数万規模の援軍がすぐそこに
あと本格的に戦闘していないとはいえ
一応関羽の北上と同時期に孫権も合肥に進軍しているんだが
まあ関羽に援軍よこす余力も無いのに悠長に漢中王や蜀漢皇帝名乗ってる時点で
北伐自体ムリゲー
関羽も魏や呉を恨むよりも非協力な身内を恨みたくなるのもわかるわ

274:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 22:40:12.54 YZoullKJ0.net
>>269正直、于禁の七軍壊滅は劉備も関羽も想定外だったと思うんだよな
関羽の北上は劉備の漢中侵攻や上庸侵攻のサポート程度のものでそこまで本格的な北上では最初無かったと思う
思わぬ大勝利+魏領で反乱が勃発という事態に目がくらんで周りが助ける余裕が無いのにそのまま北上したってのが実情だと思う
結果的には劉備と関羽の戦略ミスだな

275:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 23:15:55.78 AOeBOsbFO.net
魏…天下統一
蜀…漢王朝再興
呉は国体保持と「あわよくば」領土拡張くらいか
毛利元就みたいに、守りに入ってちまちま拡張だと後世じゃあんま人気でないだろうな

276:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 00:28:20.83 JJcXzDPq0.net
孫呉は人口と軍馬が致命的に足りてないからな。
東晋も北伐やれるようになったの成漢潰してから吐谷渾のルートで軍馬調達できるようになってからやし

277:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 00:54:11.61 E5FHyKpI0.net
>>272蜀漢は軍馬足りてたんだろうか

278:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 01:48:09.42 AjhKufVv0.net
呉主伝を見てると馬を献上した公孫淵に爵位を与えたり遼東まで馬を交易しようとして高句麗と揉めたり絶縁中の魏と交易して馬を求めたりやたらと馬絡みのエピソードが多く孫権が軍馬を集めるのに苦心していた様子がうかがえる
あと蜀が鄧芝を派遣して蜀呉の通交を回復させた時に蜀は馬を二百匹贈っているな
まあ千匹万匹気前よく贈ってやるような余裕は蜀にはなかったんじゃないかな

279:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 06:08:20.26 JJcXzDPq0.net
>>273
孫呉よりは面積狭いぶん足りてたんじゃ。孫呉はやっぱり面積広い割に人口も狭いし温暖だから馬が長生きしないしキッツいよ。
長江バリアーあってもキツイ

280:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 06:42:06.26 15YYCupQ0.net
そもそも畜産学的に長江まで南下すると馬の労働力が急激に低下することを20世紀のドイツ人農学者が解明している

281:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 10:33:45.22 UahOa4tO0.net
>>268
そりゃ呉の立場で最初から取る気満々でしたとは書かんやろ
基本的に劉備が放浪続きな影響で荊州争奪周辺の史実ってほぼ呉史の記述だよりになるんだよね
二宮の変でも言われてる事だけど史書を書いた側の意図も考えなきゃアカン

282:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 10:53:42.81 RhvFoCTf0.net
陳寿も蜀志の方じゃ孫呉に辛口だけど呉志の方は資料提供者が呉人だからあんまりキツイツッコミ入れられんし、そもそも呉人の言い分検証する資料と時間が足らん(正史執筆期間は実は2年程度)
あと蜀はやはり関係者が死に過ぎ。
関羽の遺族も鍾会の乱に巻き込まれて全滅だし廖化もしばらくして死んでる。反論したくても関係者が死んでて「おかしいなぁ呉人に都合良すぎやろ?」と思ってても反論する材料がない。

283:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 11:26:56.34 C44WYVxA0.net
>>270
于禁の援軍が災害で壊滅してなかったらまあ樊城の包囲は続けられなかっただろうからね。
川を挟んだ南向こうの襄陽(位置確定してないみたあだけど、まあそうだとして)の更に南まで一時退却かな。

284:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 13:21:51.33 IjDzRd2/0.net
本人の伝では直接の批判はせずに
他のとこでチクチクやるのが史書の常だからな

285:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 14:04:28.92 UahOa4tO0.net
>>278
そも陳寿は執筆者というより編集者やからな
これは司馬遷なんかも同様で全国の資料を収集し取捨選択し編纂する事がメイン

286:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 14:12:56.02 UahOa4tO0.net
>>275
それでもこの頃はまだ鐙が発明されてないから南北格差はマシな方やったろうね
異民族兵の数も限られてるだろうから弓騎兵自体が少ないやろうし

287:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 15:16:47.34 6Agc0woWO.net
>>281
なければ作るが、チャイナイズムだけどな。NHKのgoshisonって番組の三国志編で関羽の子孫を名乗る人が一万人くらい居て吹いたよ。
もう正史の記事とか現代では通用しないんだな。

288:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 16:09:53.86 UahOa4tO0.net
>>283
曹丕が皇帝になった途端に匈奴の王族が劉氏を名乗ってるんだし
そりゃ関羽の子孫だって1万人くらい出てくるやろ
ぶっちゃけ二千年も経てば普通にそのくらい増えてもおかしくないし

289:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 16:47:41.94 a4r1M+FmO.net
>>283
そいつらの起源は清雍正の頃に「探し出された」関木越の後裔と称する人物からで、乾隆帝の時に聖人の裔という事で五経博士の世襲と爵位を賜ってる。
それ以前の記録は全く無い。

ここまで言やあ、分かるな?

290:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 19:51:45.69 egMs9Ac90.net
五経博士なんだw

291:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 19:55:27.17 AjhKufVv0.net
龐会が関羽の子孫を滅ぼしたって話の出典は王隠の蜀記じゃなかったっけ
ソースが胡散臭いからフェイクとは限らないし事実関羽の子孫は歴史の表舞台から姿を消してるしなんとも言えないけど

292:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 20:00:51.67 6Agc0woWO.net
正史の性質上に忠実ということだな。絶対権力の皇帝の言い分に是非は問わない。それが中華の天子の特権。
皇帝が関羽の子孫を探し出せば、正史上はそれが真実になる。
正史ってこういうものだしな。
歴史の真実に迫りたければ、歴史学でなく考古学でもやればいい。
中国の正史が権力者にとって都合のいいものなんてのは、知ってる上でそれを関帝信者の乾隆帝を介して利用して、自身らが関羽の子孫であることを正史上で証明した現代の中国人は賢いよな。
正史の利用法に長けてる。

293:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 20:05:05.21 02dWfxMk0.net
鍾会の乱って皇太子や張翼や蔣琬の息子二人も死んでて関羽の遺族もそれに巻き込まれたんやろ。
で王隠が後付で「どうせ龐会がやったやろ!」と書き残したとか

294:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 20:59:14.29 a4r1M+FmO.net
>>286
結構有名人の末裔に「五経博士」を与えるのは、清ではよくやってた恩典。
下手な実務官より、役割の曖昧な名誉職で太傅の様な高位すぎる官でも無いのが蔭位の官として最適だったのだろうけど、本当によく使われた恩典。
関羽の場合は、春秋の愛読者だった伝承もその原因の一つと思われる。
関羽の末裔に対する爵位は清朝滅亡まで保持されたが、孔氏の衍聖公や顔回・曾子・孟子らの爵位の転変と違い
どのようになったか明らかではないが、民国初期から軍閥の時期までにうやむやになり消えたようだ。

295:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 23:03:21.87 6Agc0woWO.net
儒仏道共に民国になってからは、三教合一の巨大民間信仰になって神仙仏の信仰だけが尊いものになったからな。
儒教道徳に固められたら文化が崩壊して、今の中国になっていなかったら、中国はとんでもない後進国に落ちぶれることになったろう。
劉備やライバルの曹操は、保守と革新の二大規範だったな。護るべき大切なものの保護は劉備だが、必要のないものをぶっ壊す力は曹操が有していたという皮肉。
無理な話かもしれんが、劉備が曹操を傘下に置ければ天下統一は得られたかも。
劉備が~というのはスレタイに従ってということで。

296:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 00:01:52.04 DvQCUTgx0.net
>>291
まあ曹操についても同じ事が言えるけどね
劉備が曹操の配下のままであれば一代で統一出来てたやろうね

297:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 00:32:52.39 /WiBuymf0.net
文句なら帝や董承さんに

298:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 00:34:45.28 y4EgzUOJO.net
そっちを選んだ袁紹や袁術が、いかに巨大な存在だったかてことか
安国寺が信長を高転びすると推測するのをあてにしたり、AmazonやGoogleがソフトバンクや楽天に負けるようなもんだったかもな

299:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 07:41:43.12 Mt81ng/m0.net
>>277
書かないと言っても
劉備は陸中対の頃から弱いから益州を盗ると決めてるし
張松や法正は出世がしたいから裏切ってると蜀書に書かれてるが

300:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 09:28:19.25 AJ92fRWW0.net
>>295
孫呉も弱いから荊州を優先したんやで
強いなら普通に徐州経由で中原に出たっていい

301:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 15:17:18.50 PJr3YUP50.net
陸地で正面同士で陣張り合ったら数の力と経済力、人口の差でまあ勝ち目ないしね
水軍優位な川を利用しやすい荊州で対峙なら十分に迎え打てるという点で劉備も孫権も共通している
逆に同じ思惑だけにその長江以南の主導権を劉備と孫権が対立するのは当たり前という

302:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 16:30:09.62 AJ92fRWW0.net
>>297
違いとしては
孫呉にとっては防衛の最重要拠点で
劉備にとっては統一の重要拠点だった
どちらを評価するかは好みの問題

303:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 17:56:45.48 Mt81ng/m0.net
>>298
別に呉も統一拠点として使っているが
蜀がイチャモンをつけたから兵を過剰に置けなくなっただけだから

304:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 20:24:32.43 AJ92fRWW0.net
>>299
そういうのはせめて
合肥落としてもう少し先まで進んでから言ってくれませんかね

305:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 20:52:23.81 crdhoYhH0.net
>>300
そいうのはせめて遼東から高句麗まで到達してから言ってくれませんかね
海なし県のだ埼玉さんよ

306:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 20:53:51.16 HbWom80W0.net
>>300
もう少し勉強したら?
合肥は落としてる
魏は危険と隣り合わせで合肥新城まで戦線を下げてるんだよ

307:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 20:57:16.18 HbWom80W0.net
>>300
エセ関西弁の君は早く
>>233の呉が荊州江南を何時攻めたのか教えて

308:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/18 23:07:23.48 rNMwv8jR0.net
地元さえ良ければそれでよしの豪族連合の呉に統一やる気ないのは当たり前でしょ
諸葛格みたいにたま~にやる気過剰なやつが出ても、即袋叩きで引き摺り下ろされる国だからねえ

309:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/19 07:12:01.29 OgG1iwuS0.net
地元さえ良かったのであれば呉の士人は孫権なんか押し込めて曹魏に降伏すりゃ良かったんじゃねーの?

310:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/19 07:52:09.91 1nFyivMw0.net
司馬睿「王と司馬はフレンズ。はっきりわかんだね」

311:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/19 09:43:16.23 wQxQTlFyO.net
>>305
その大チャンスの赤壁の折に、諸葛恪よりイケイケドンドンで信頼も能力もそれなりな周瑜やら天下二分の魯粛とかが健在だったからねぇ。
ああいう強硬派が居ないか無力な勢力だったら、多分アッサリ孫呉は国家として確立する事無く南朝の基盤も造れず曹魏(赤壁頃ならば漢)に吸収でしょ。
で、南方開発は遅れる可能性大なので、リアル南北朝の時代にまだ江南の各蛮達が元気ハツラツというカオスワールドに。

312:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/19 14:08:43.68 vuMwzlmP0.net
いわゆる越の辺りは孫権が皇帝即位後もまだ5000から万の単位で軍勢率いて暴れてたみたいだからな

313:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/19 22:45:59.60 L/NwmDzF0.net
>>278
それ以前に三国志は蜀人の陳寿が編纂したから
蜀志>呉志の扱いなんだが
劉備は尊称の先主で孫権は呼び捨てで権だぞ
蜀びいき以外には「おかしいなぁ蜀人に都合良すぎやろ?」が多々
例えばイメージでは荊州の劉備支配が盤石だというのが一般的だが
重箱の隅つついて読めば実際はそうでもないことがわかる
諸葛亮は長沙桂陽零陵の租税は取ってたけど
黄蓋が太守の武陵はアンタッチャブルで
普通に荊州内を黄蓋やら呂岱やらが反乱鎮圧やら遠征やらで闊歩しているからな
215年に湘水で国境線画定するまでは荊州内は劉備も孫権も影響力等しかったと思うよ

314:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/20 02:35:10.46 jVobbQ0C0.net
陳寿は中立の立場にはいないからな
陳寿は基本的に魏(と晋)を正統としつつも、隙あらば蜀age、魏sageを入れてくる
そして呉やその他の勢力のことはナチュラルに見下している
そういう陳寿史観から脱却しない限り、三国時代の実情は見えてこない

315:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/20 08:06:18.61 j29s2TEBO.net
実情なんて歴史学じゃ限界があるけどな。

316:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/20 08:10:23.04 moKmk+U20.net
そりゃ陳寿センセイは元々は西晋で既に起きてた諸葛亮ブームに釘を刺すつもりで「諸葛亮集」を出したけど蜀志の大半は蜀の地方史の「益部耆旧伝」や「益部耆雑記」「季漢輔臣賛」などがベースになってて「よっしゃこの際地元ageしたろ!嘘書いたら不味いけど都合の悪い事は書かなきゃええんや!」的な感覚はあったろうからね。

317:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/20 12:44:02.33 c4FZL+l+0.net
編集マジックね

318:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/20 20:49:35.34 b3AVK8gX0.net
三国志の実情?
あからさまな嘘を羅列する韋昭よりは陳寿の方が信用出来るだけの話

319:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 10:25:42.17 96MA3vBa0.net
韋昭=センセイはまず「孫家が袁術陛下の故吏」って言う黒歴史を漂白化するって難事業から史書を書き始めるとか言う無理ゲーやらされてるから

320:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 11:25:33.33 h/zHYCuZ0.net
しかもそれはみんなが知ってるから漂白できないっていうね

321:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 14:06:18.23 YVXKOEDh0.net
孫呉が袁術陛下の故吏ってのは、孫堅が袁術の上表で行破虜将軍、領豫州刺史に任命されたのを指してるのか?
でもそれって孫権が劉備の上表で行車騎将軍、領徐州牧に任命されたのとどう違うんだろうかって疑問

322:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 14:21:37.50 YVXKOEDh0.net
孫権にとって義父でもある袁術と父の代から付き合いがあったのと、ペテン師劉備に妹を嫁がさせてたのとどっちが黒歴史なんだろうか?

323:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 14:25:49.99 x7B0Yppo0.net
ペテン師度は曹操がぶっちぎりだろ
劉備嫌いな人はそこらへんの判断基準が少しズレてるよ

324:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 15:23:16.63 mxQ055Iq0.net
>>315
それって公孫?、陶謙、劉表が董卓の故吏と同列になるな

325:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 17:43:27.25 pMSDlMn20.net
>>319
その辺りは
ゲスの極み乙女の川谷絵音がゲスなのと
ベッキーがゲスなのとの差

326:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 17:44:53.41 xy8Qc7eF0.net
>>321
劉備は廃皇后や漢臣粛清なんてやってねえんだよなあ…

327:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 18:03:48.89 mxQ055Iq0.net
>>322
同族親殺ししたのは劉備と呂布ぐらいだろ

328:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 18:56:38.91 ZFVxkSmM0.net
親殺し劉備
同族殺し劉備
どこの世界線から来た人?

329:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 19:12:22.15 TSy1LvpE0.net
>>324
同族を攻めたのって劉備以外いた?

330:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 19:19:18.44 IwxewWEW0.net
>>320
こうしてみると劉備は親董卓派だよな

331:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 19:29:49.24 ZFVxkSmM0.net
>>325
袁紹と袁術
しかも遠縁の劉備劉璋と違って兄弟~従兄弟という血の近さでやってる
州牧の劉虞殺してる公孫瓚や劉繇を追い出してる孫策よりかは劉備の方が良心的

332:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 19:38:04.38 aZa7gWBAO.net
>>319
曹操は兵戸制や屯田兵制とかペテンかな

333:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 19:46:29.84 wZ8oxkOL0.net
自分の子供殺している孫権もヤバイだろ

334:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 19:49:09.82 sBF+7qzF0.net
大徳さんの「先主はしばしば家族を失う」には妙な酷薄さを感じる

335:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 20:01:30.32 fAd36JIj0.net
この手の話で劉備を貶めようとすればするほど曹操や孫権、袁紹のヤバさが明るみに出るのは日茶飯事
孫堅孫策ははじめからヤバいけど

336:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 20:35:40.29 wPtnldOA0.net
劉ショウから兵や兵糧をおねだりした挙げ句に弱いってだけで
益州を盗んだ劉備が一番屑だろ

337:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 20:39:16.92 yTzFEdd00.net
劉備以前に国盗りに精を出してた曹操とか袁紹、劉表、孫策ってどれだけ屑なの?

338:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 20:44:45.66 wPtnldOA0.net
>>333<


339:/a> 同族で世話人 親の様な人物を攻めたんだよ 中国だと親や親の様な人物を裏切るって屑だからな



340:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 21:49:02.84 qff66d+40.net
>>323別に劉備は同族を殺した事は無いぞ
やり方は卑劣だけど益州を手に入れた後は劉璋を保護したしな

341:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 22:04:13.81 qff66d+40.net
劉備の益州乗っ取りは卑劣なやり方なのに
蒼天航路じゃないがそれに対する非難がほとんど無いのが気になるわ
劉璋の統治がよっぽど酷かったのかと思ってしまう

342:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 23:12:34.23 mxQ055Iq0.net
>>336
陳寿=センセイの忖度だろ
董卓派の事実も必死で隠してるし

343:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 23:27:18.78 qff66d+40.net
>>337何アホな事言ってんだ?
陳寿以外の史料でも劉備の益州乗っ取りを非難するものが少ないし
董卓派だとかそんな事が書かれたものなんて全く無いぞ

344:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 23:39:37.26 +qCOMOyC0.net
董卓派って表現はじめて見た
でも仮にそんなのがあったとしても董卓存命当時の袁紹派?は反政府勢力になっちゃうだけだと思うんだけど

345:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 23:40:35.73 +qCOMOyC0.net
袁紹と曹操、劉表あたりは本来なら族滅なんじゃね?と思う

346:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 23:45:34.46 YVXKOEDh0.net
>>336
劉備は益州平定に三年かけているからな
劉璋方についた豪族たちもそれだけ抵抗したということだし、劉備もまた無理攻めはせずにじっくり時間をかけて根回しをしながら現地の豪族たちのコンセンサスを得ていったということじゃないかな
逆に言うと益州の平定だけに三年もかけてしまったのが劉備の天下取りを阻んだとも言える
劉備だって自分の寿命があと十年しかないって知ってたらそこまでのんびりしてられなかっただろう

347:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/21 23:46:23.16 APbDn3qr0.net
>>328
革新的政策と言えば聞こえはいいが争乱によって持ち主がいなくなった土地を火事場泥棒しただけなのに我が物顔で流民に貸し付けて絞っただけなんだよねw
>>336
むしろホウ統のイヤミと演義劉備のしつこい躊躇のせいでここだけ妙に現代目線丸出しな侵略的観点で見られてるとすら感じるわ

348:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 02:10:25.35 gUmPMWon0.net
曹操だって袁家滅ぼすのに8年かけてるからな
最後まで抵抗されるとそんなもんだろう

349:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 06:56:36.31 3HhYKW7eO.net
>>342
そのまま荒れ地を放置して、残った農民から搾っていたのがこれまでのやり方なら随分マシだろう

350:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 07:46:09.73 TgbO+NzC0.net
あちこちで兵を率いて土地を荒らしまくっていたのが曹操というのがたちの悪い冗談なんだよなあ
曹操の本籍地の譙郡の人口減少とかヤバい

351:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 11:07:35.54 S8QSKJy+0.net
>>342
南宋辺りまでは大徳さんの蜀とりって批判的な意見もあったから現代的価値観ってのも違うんやないかと

352:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 11:10:24.84 S8QSKJy+0.net
>>345
通鑑とか読んでるとナチュラルに屠城って表現が何度も出てきて草
そりゃ嫌がられるわな

353:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 11:21:02.40 zg949gsf0.net
まあ劉備を袁術に差し向けたらその後ほぼ独立勢力化しちゃったりそこに呂布が逃げ込んで八方敵に囲まれたりした曹操だからなあ
完全に自分の管理下に置かない可能性を感じたら後々の憂いを取り除くために殲滅、殲滅、殲滅ってなっていくわな
劉琮と張魯下す時には敵は南方向に固まってたのもあって土地は回収して官位与えて身柄確保とソフトランディングしてるから必要に応じてだろうね

354:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 11:32:29.21 f95H3+uS0.net
曹操と気分屋なところあるからな
孫権も酒が入ると判断怪しくなるし
劉備が一番まともなんだよなあ

355:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 11:37:37.39 S8QSKJy+0.net
>>349
孫権って酒でやらかした事はなかった気が
酒でやらかすってのは
泥酔して敵軍の捕虜(劉曜)
泥酔して皇帝を殴打(高澄)
泥酔して家臣の家に行って惨殺(高陽)
これを酒でやらかすと言うんやで

356:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 12:55:23.78 Kfr1Y+Q40.net
孫権は酔った勢いで虞翻の処刑を命じて、シラフに戻った後に「俺が酔ってるうちに下した命令は無効」って言った逸話があるな
酒つながりで言うと、宴席にかこつけて楊奉や楊懐、高沛を謀殺した劉備のやり口は悪質かつ陰湿

357:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 13:00:56.25 S8QSKJy+0.net
劉備は髭が薄いのをからかった奴を殺したエピソード見てても景帝(周亜夫餓死事件や廃嫡した皇太子をイビリ殺したエピソードあり)の血筋を思わせる地味に酷薄なところがあるわな。

358:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 15:04:39.89 NzuQ0v09O.net
>>352
となると、現代のヒゲナシ劉備画書いてる漫画家や同人誌作家は誅殺対象だな…

359:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/22 15:50:37.11 QEoDM/fc0.net
明治天皇や金正恩でさえ女体化されてる現代は別腹やぞ

360:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 00:12:25.09 nm3UIVRE0.net
>>352
劉備は感情を顔に表さないが恨みを忘れないタイプだからな
仮に天下を取ってたら文字の獄とか陰湿な粛清をやらかしていたんじゃないだろうか

361:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 14:47:14.19 lPytPb9b0.net
>>352
というか正しく劉邦の末裔やん

362:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 21:12:50.20 yFkAdh9TO.net
>>352
朱元璋「そこはかとなく、親近感を覚えるのう。苦難の中より身を興し、一国を建てた所とかの。」
羅貫中「それ劉玄徳の堪忍大度は、皇上の勝れし御聖徳には及ばねど親しきもの有るが故にございます(本当に似てるのはゲスな点だがな!)。」

363:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 21:34:42.39 9foLZxR40.net
劉備嫌いなやつが劉備をゲスいとdisる

曹操、孫権のゲスエピソードが紹介される
このパターンばっかりなんだよな

364:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 22:09:34.28 P0yQzoES0.net
>>358
スレタイ読みな

365:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 22:19:40.51 XPImttT00.net
孫家も揃ってゲスやし
袁家も揃ってゲスやし
その他群雄も何だかんだでゲス
一周回って曹操が一番マシまであるで

366:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 22:27:59.03 9foLZxR40.net
曹操は徐州の虐殺がね…

367:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 23:35:05.41 nm3UIVRE0.net
>>358
好きとか嫌いとか勝手に話を矮小化するなよな
スレタイに即して言えば、劉備は歴史の敗北者であり何故敗北に至ったのか検証するのがこのスレの本旨なんだし
根拠もなく劉備を美化したり他の群雄をあてこすったりするのは単なる話題逸らしでしかない、迷惑だ、他でやってくれ

368:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/23 23:44:15.07 cIsS7bn30.net
たまに劉備に先祖でも殺されたんかってくらい狂っている奴おるよなw
演義で美化されてるぶん怨念が深いw

369:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 00:21:50.86 qwCO78/uO.net
天下統一が出来なかった理由だから=歴史の敗北者ではないわな。
連綿と続く史観の中で当代の歴史書のみで良い評価を得られた。
…なんて安易な勝ち逃げが許されるほど歴史は甘くない、とは後の三国時代を巡る歴史観が証明している。
漢の残滓程度に縋っただけでも、この時代の正統を受け継げるほどに領土の差など無意味なもの。天下統一を見なかった三国時代には実質的な勝者など居なかった。
劉備は名実的な正統を宣伝したから、分裂王朝時代の正統になり得た。言わば、歴史の勝者となった。

370:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 00:46:46.76 +4yLQbBI0.net
その勝者とか正義っていう尺度が主観なのがね
球技スポーツみたいに得点を競う、陸上競技の時間や距離を競うという誰が結果を見ても分かる指標じゃないから
人によって付ける点が違う主観ジャッジでは誰が何を言っても反対する人は必ず出る

371:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 01:26:36.27 qwCO78/uO.net
個人主観ではなく歴史上の事実を述べただけだぞ?
南宋期の国内事情と朱キの孔明押しが相まって、天下統一を見なくても歴史の勝者として語られる事例を作った。劉備は歴史の敗者ではないよ、天下統一は出来なかったが。

372:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 05:55:08.99 3QGoS+/i0.net
蜀漢は東晋と違って中原の人士を吸収できなかったからなあ
東晋もそこまで多いわけではなかったけど豫州人を相当政権に取り入れていた
やはり荊州南部と益州という地勢に問題があったか

373:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 07:42:12.04 8VbBC5rjO.net
巨大な橋が出来たのがつい最近で、それまではワイヤーゴンドラで谷を越えていたというから、当時は推して知るべしといったとこか

374:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 08:00:08.30 U3p3PhZd0.net
>>367
その東晋は中原に戻れましたかね

375:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 08:05:17.65 3QGoS+/i0.net
>>369
洛陽は三回奪取(356年~365年、384年~?、416年)してるし
長安も一回落としてる(416年)
まあ416年の戦果は劉裕の北伐だけど
蜀漢はやっぱ人口少なすぎるよね

376:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 08:26:36.18 HuYgMNXT0.net
>>366
朱熹=センセイって劉備の蜀取りには批判的だった気が

377:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 09:48:35.54 LTi5qdym0.net
>>370
桓温やっぱりチートやな

378:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/24 15:17:48.02 ZBwf4KgPO.net
漢中王・巴蜀本拠地は高祖に倣える縁起の良い立場だけど割拠してないとね

379:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:45:30.50 LXlxHqqu0.net
URLリンク(i.imgur.com)

380:名無しさん@お腹いっぱい。
19/08/23 18:34:17.63 ZlKOshzd0.net
藤林丈司

381:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/17 20:19:21.49 likN/ZNu0.net
藤林丈司

382:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/21 22:39:59.34 xHxPaUqx0.net
玄徳は荊州失墜以降は南南に目を向けるべき

383:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/22 07:47:31.64 XGWlHmRE0.net
>>377
それは南漢とか越漢とかを建てろって事か

384:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/22 07:47:43.36 XGWlHmRE0.net
>>377
それは南漢とか越漢とかを建てろって事か

385:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/27 19:03:15.65 UEQJbbqz0.net
対魏という意味ではどっちが荊州領有しても大局に変わりないんじゃないかというところで呉の合肥攻めが成功してたらワンチャンあったかも?

386:名無しさん@お腹いっぱい。
19/10/29 22:47:56 0Zo7qXNH0.net
呉の合肥淮南方面の侵攻は
何故か孫権死後の方が深かったという謎

387:名無しさん@お腹いっぱい。
19/11/24 00:26:10 QCGTd9qx0.net
ついてなかったから

388:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/14 05:57:22.69 hrlYCnZa0.net
単純に張遼や満寵が無双して付け入る隙が無かったからだろう
曹操や曹丕は完全に呉の方を警戒して毎年の様に呉と戦争して主力がほぼ呉に向いてたのもある

389:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/14 06:44:20 /TGtBNUQ0.net
無双してるのに呉の領土が奪えないって
それって本当に無双なの?

390:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/14 07:23:58 hrlYCnZa0.net
呉に攻めるとなると水軍で戦わないといけないからそうなると勝てないだけ、逆を言えば呉は陸上戦では魏には不利
三国の国境線は上手い具合に出来てるよ

391:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/26 09:33:57.23 SYLRQI0E0.net
関羽なんていう独断で北伐する忠誠心なくて独立心旺盛なやつにケイシュウを治めさせる致命的ミスする無能やから統一なんてまず無理やろ

392:名無しさん@お腹いっぱい。
20/01/27 05:36:31.71 NLo5nml10.net
URLリンク(i.imgur.com)

393:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/21 21:13:34.98 UxYmIMmk0.net
>>386
人材がいないってことを忘れている
関羽より素晴らしい人材がいなかった

394:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/24 23:46:12 P31tPH590.net
陳羣が入ればなー

395:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/25 01:54:38.65 PmZ+qux70.net
徐州を維持できなかったことが全てだわな
徐州を維持できれば名士層も結構取り込めたわけだし
まあこの情勢で徐州牧になるのはリスクに見合わないからやめとけって
その陳羣に言われてたわけだけども

396:名無しさん@お腹いっぱい。
20/02/25 13:41:20 zJ09K9St0.net
リスクもあるけど、徐州牧を引き受けて初めて元徐州牧を名乗れるわけだから、そのメリットをとったのだろう。

397:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/13 05:35:05 YDjw12nh0.net
そうなりゃ完璧に名士様だもんな

398:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/18 21:07:03 RgMBdTrs0.net
>>342
それさえ他の人は思い付かなかったし
持ち主がいなくなった土地を有効利用しているだけ

399:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/19 18:46:56 9aTk88R10.net
>>388
攻めだけなら関羽は完璧だったからね。
魏の主戦力級が束になってようやく魏単独では追い返せる程度。
呉が裏切ったのは、関羽軍の方が
魏と対峙する以上の脅威でもあったからってのもあるんだろうな。

400:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/20 04:06:53.59 LuTLe9Yz0.net
呉が裏切ったのは、関羽の方が弱いから。おつむが。
魏のことも何度もだまして成功したこともあるが、致命傷までは与えられなかった。

401:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/20 13:50:26 KHKTCSFz0.net
なんで関羽アンチって知識のレベルどころか、次元そのものが低いんだろうな。
ちゃんと三国志読んだことあるんかな。

402:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/20 17:16:44 GZ4U7i6b0.net
関羽は評価する人間が信者もアンチも極端すぎるわ
もっと公平に見る事ができないんだろうか

403:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/20 17:32:31 KHKTCSFz0.net
関羽信者の言い分は間違ってないんだよ。
ただ、語る場所が違ってることが多い。
宗教、神話板にゲームだったら、コーエー三国志でもメガテンでも
物凄い神に進化したことを語ればいい。それは間違ってない。
アンチは本当に単なるアンチだからねえ、何も生み出せない…。

404:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/21 08:43:47 NDEsqJFS0.net
個人攻撃しだしたらもう議論にもならない単なる同レベルの争いだぞ

405:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/21 14:15:06 ncNoQ8Ic0.net
関羽への個人攻撃はハンパない時期あったよね。
あれはなんだったんだろう。

406:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/22 15:48:12 446KSE3n0.net
龐統が死んだことが一番影響大だと思う
伏龍鳳雛どちらかいれば天下を取ることもできると水鏡先生が言われた
だが、関羽と張飛の孔明への態度は身に余るものがあった
しかし龐統には張飛が土下座するぐらい尊敬していた それは義兄弟の関羽も同じこと 
関羽は天下無双の知勇兼備の豪傑でかつ傲慢の男である
そんな関羽張飛を心底臣従させ尚且つ軍師である龐統を失ったのは極めて大きい
蜀を取った後で龐統に荊州を任せればよかった 関羽は孔明には従わずとも龐統には従ったはず
龐統の家族は襄陽城にいるし、荊州に対する人脈は、山奥で引きこもりだった孔明よりもはるかに上だったはず
だから呂蒙や陸遜が背後をついても龐統の指示に従っていれば
北は曹操を防ぎ、南は呉と和す鉄則が守られていたに違いない
そうして蜀荊州を固めておけば、いつかは中原に派兵できるチャンスもあるはずだ

407:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/22 19:06:42 BXa6Mrph0.net
>>401
張飛がホウ統を尊敬したのは演義だけの話
関羽はしょっちゅう士大夫と衝突してたので
ホウ統と仲良くやれるとは思えない

後、史実の諸葛亮と関羽の関係は普通に上手くいってるぞ
士大夫と喧嘩する事の多い関羽だけど諸葛亮とは手紙のやりとりをしたり仲良くやれている

408:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/22 19:57:53.25 446KSE3n0.net
あなたの思えないのと演技の描写なら演技を重要視するだろ
あながち演技が嘘っぱちと完全なる証拠もないしな
仲悪かったとしたら魏延と龐統を漢中にとどめればいい
孔明と魏延は仲悪かったが龐統とは仲よかったはずだ
そしたら仲いい孔明と関羽は荊州におれるから蜀荊州を固められるはずだ

409:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 03:22:50.02 LTFn3Dzy0.net
まあ?統が戦死しなければ孔明さんを荊州に残すことができただろうし
そうすれば関羽のポカもカバーできた可能性は高くなるわな

410:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 07:33:03.33 IuZSZjzc0.net
中華統一目指すなら関羽の北伐止めるより
呉への根回しor于禁捕虜待遇or樊城攻略
いずれかをクリアできる副官が欲しかった

411:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 07:43:24.67 lqALF/KFO.net
それだな。
呉に対して露骨な敵意を見せつける様な真似をしないだけでも
状況は大分違っただろうな。

412:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 18:36:21 WFF8wUfS0.net
>>403
そもそも演義にも関羽とホウ統が仲良かったとか書かれてないじゃないか
張飛が演義ではホウ統を尊敬していたから関羽もそうだったとは普通ならない
陳寿の三国志には張飛は知識人を尊敬していたが逆に関羽は士大夫に対して傲慢だったとあり相反する性格だと書かれているんだから

413:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 18:37:49 WFF8wUfS0.net
>>403
>孔明と魏延は仲悪かったがホウ;統とは仲よかったはずだ
後、これも無根拠
演義にも史書にも魏延とホウ統が仲良かった事を示すものは何も無い

414:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 20:21:56 zyBldIFu0.net
仲悪かったらホウトウが魏延を従わせればいいだけ軍師なんだから
孔明と関羽も同じ
要は荊州と漢中にそれぞれ軍師がいることが大事だ

415:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/23 21:03:57 pX/GPxaR0.net
陳平と張良どちらもいなかったら劉邦は天下取れなかったからのう

416:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/24 00:01:06 kwja5EGK0.net
これは劉備だけじゃなくて、曹操にも孫権にも言えるけど
三国共に天下取りのプランを実現できる戦略家が居なかったんだろう。
この時代のバランス感覚はとても難しいと思う。
感情的にならない素質みたいなものがないと、天下には手が届かない気がする。

中国史にも名を轟かせる一騎当千の豪傑、天才戦術家、一流政治家のみが集まると
こういう局地的な展開になるというのは面白い。

417:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/24 06:35:13 +6BUn+PD0.net
龐統が生きていれば彼に軍事を任せ、孔明が内政を担当したと聞くが
官職で行くとどうなる?
龐統が大尉で孔明が大司徒かな?

418:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/24 07:52:51.09 8sd174O10.net
>>411
最高級品の食料を合わせたら
最高に旨い料理になるわけでないようなもんだな。

419:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/24 19:12:04 Q8YrS9lk0.net
三国時代は人口が少なすぎて天下統一には全然足りなかった。

420:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/24 19:17:26 Q8YrS9lk0.net
龐統は荀?の兄弟と呼ばれた人物。本人も帝王の秘策を考えるのが仕事だといってる。

諸葛亮は楽毅のようになりたかったわけだから、役割は違ってきていただろう。

421:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/25 14:31:43.24 6uP9KILn0.net
曹操は統一できるチャンスはあったが蜀の重要性に気付きもしない無能だった

422:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/25 20:55:52.31 kx4+Qg5B0.net
龐統は正史>>>演技だと思う
呉の人間と仲がよかったからな
荊州は安泰だった
魏延と黄忠の荊州勢で固めておけば人脈を通じていい人材もくるからな

423:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/26 04:07:10.49 eTx+W9EB0.net
龐統は周瑜の下にいたこともあるしな

424:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/26 12:11:44 rkZ1cqmc0.net
正史では軍師中郎将
演義では副軍師

425:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/26 20:29:13 zePd6+UW0.net
>>412
中軍師

426:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/27 11:59:18.54 6Rcwf6Nv0.net
龐統は死が早すぎたのが残


427:念。 36歳とかでは十分な評価ができない。



428:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/27 21:24:31 conxGVo/0.net
馬超も曹丕も四十代で死んだ
始皇帝も織田信長も私もだ

429:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/27 21:40:30 conxGVo/0.net
「ごじゅういっさいでしぬ

430:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/29 09:08:32 de44zVwp0.net
>>405
呉への根回しなんて一番非現実的
主君である孫権が荊州穏健派であった魯粛に不満を覚えて、
強硬派である呂蒙を軍事の筆頭に据えて荊州攻略を画策してる以上、
だれがどーやってもムダ、関羽の態度なんて些事
だから于禁捕虜待遇も同様に無意味

意味有るの樊城攻略だけだろうけど、
そもそも樊城が失陥寸前だから魏呉同盟が成立する訳で
魏呉の交渉が成立する前に樊城を攻略するって相当な難易度
演義孔明くらいの神ががった人間でもいないと無理じゃね

431:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/29 20:39:29.18 1ItKXnHj0.net
荊州を領有しながらってのが無理
呉と同盟を滅亡時まで結べたのは荊州が呉のものになっていたから
そうでないといつ攻められるか分からない状態が続く

432:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 00:42:10 dOyv8Bj/0.net
折角長江上流抑えてたのに関羽のチンカスが劉備と連動せず襄陽勝手に攻めたせいで荊州失陥して呉を潰す機会がなくなった
劉備勢が中原目指すならまず呉攻略して南北朝状態にするしかなかった

433:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 02:09:38.34 wNKDoQsa0.net
んで、教訓はなんなの?

434:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 18:23:35 9MWx6UhJ0.net
関羽アンチの暴走が始まると暫くスレが荒れる
同時に自演も始まる
しかし、知識の幅の狭さからくるワンパターンな
正史での荊州における失敗談ばかりで自演もバレやすい

435:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 20:39:14.55 x66Qr7d+0.net
歴史の未来を知っているなら関羽以外に荊州を任せるしかない
そうなるとやはり孔明を置くしかないだろうな
それとも趙雲か
だけど趙雲の場合は張飛とか言うこと聞かないだろうなあ

436:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 20:39:56.98 x66Qr7d+0.net
どうでもいいけど趙雲や関羽に子供がいたのはショックだった

437:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 20:46:27.00 P+T89x0D0.net
>>428
魏スレでボコボコにされたアフォのコピペやんw
神として崇められてるから当時の歴史にも干渉できるという旨の発言は笑った

438:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 22:14:02.11 9MWx6UhJ0.net
ウソもつく。これも追加だな>関羽アンチ

439:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/30 23:20:30 M+3GfrJE0.net
>>429
趙雲は太守クラスの武将ですらないわけだが
本営配置の騎兵隊指揮官

蜀建国直後で関羽以外で荊州任せられる可能性が比較的高い3人
孔明 残念ながら法正、?統、張松死亡でもう成都からは離れられない
李厳 劉備に降って間もない上に巴蜀の治安維持責任者で巴蜀から出せない
黄権 劉備に降って間もなく広陵方面まで軍の運用範囲が広がり水軍の再編で多忙、他に水軍の編成と指揮官ができる人がいないから荊州に出せない

呉との外交を上手くやりつつ主に魏への防衛という2点で当時の官職やら能力でこの3人以外はないんじゃない?
呉懿は旧主劉焉、劉璋に重用され実践経験と人望の点では定評があったものの外交面と治政の実績は見えない上に降って間もない
巴蜀の地と人に通じているので彼にとって未知の地である荊州にやるよりも蜀の地でこれまでの経験値を活かしつつ劉備陣営に新たに加わった人材のまとめ役を果たしてもらう方が成果が出せる

蜀や漢中を手に入れるために失った人材の惜しさよ
荊州を失う原因は関羽が元凶というより人材の不足だと思う

440:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 07:57:11 OrQuITNT0.net
>>432
0428 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/03/12 17:51:01
>>425
ID分身というのはPCとスマホなど使い分けて書き込むこと。
IDのナンバーが異なるので、多人数だと思わせることが出来て(本人だけはそう思う)それでマウントを取りたがる古典的手法。

関羽アンチの場合は、正史での失敗談を針小棒大に広げ、霊異や武廟での扱い、演義評価などは無視するので分かりやすい。
IDが違っても、知識の幅が狭いので特定も容易い。

0440 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/03/12 22:13:27
関羽を擁護するのが屁理屈なら
呉を擁護するのは屁理屈にはならんのか?
呉の道理が正しいのなら、歴史書から物語に移っても悪役化なんてしないんじゃないのか?
その淵源は正史上での行いに起因してると思われるが。

この基地外発言で正史を覆そうとしてる時点でなぁ

441:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 08:35:42.19 JtGZ7VCK0.net
思ったけど、荊州さえおさえておけば、貧しくて連絡も不便な益州なんていらなくね

442:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 08:58:22 tPZU9gi80.net
荊州だけだと人口の問題がね
戸籍人口増える=兵数増えるだから益州は必須でしょう

443:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 09:53:57.50 2w/3YjtN0.net
関羽擁護ガイジがまたまた暴れてるの?

444:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 10:53:56 hmJyvtBe0.net
>>436
おまけに荊州は当時から病魔の巣窟だからな
ここに拠点を置くと人的資源が湯水のように消費されていく
ジョウ陽が多くの北朝の防衛戦になるのは、病魔の北限だから

劉備の本命は政治的な意味が絶大な漢中であり、そこを取れば後背地となる蜀は売ってつけの貯蔵庫になるという算段
手を出すのはある意味必然だったが、荊州が失陥したことで漢中が多方面から狙われる地になってしまったがため、已む無く本拠地も蜀に置いたという状況

445:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 13:20:45 hBes+fOj0.net
要は自分の先祖と思いこんでる高祖の真似したわけか

446:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 13:53:28 MQISTGp90.net
荊州が病魔の巣窟なんじゃなくて
江夏周辺が年中高温多湿な地域だから現地人以外には厳しくて
特にカラッとしていて涼しい気候で生まれ育った北方人が病気になりやすいだけだぞ

447:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 15:19:42 zFbMnvJI0.net
>>439
漢帝国の踏襲の意味もあっただろうけど蜀の入り口になる漢中を魏に制圧されたままだと蜀はこの方面裸だからね
戦略的な判断の方が大きいかった
できたら長安への迂回ルートの確保も含めて天水方面にまで進みたかっただろうけど漢中落とすまでにかかった時間と消耗した人員と物資も膨大で漢中攻略で仕方なく終わったような気がする

448:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 18:36:59 ie55ZYEY0.net
>>434
関羽アンチが論破された証拠をご丁寧に拾い上げてしまったように思えるのは気のせい?

449:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 19:15:29 jFFpQmsm0.net
>>442
気のせいというか歪んでる
正史の失敗を演義や信仰で覆そうとする発想はあまりにも拙い
これが良ければヘイト創作もオウムも全て正義になる

450:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 19:54:11 qaC1/cRL0.net
荊州を維持しながら呉と友好ってのは
竹島どころかチェジュ島を実効支配しながら韓国と友好を結ぶようなもので無理だろ

451:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 21:01:09 MNnM4Ol90.net
>>426
関羽が勝手に襄陽を攻めたってのは違うと思うけどね
関羽の北上後に鉞が与えられたり、襄陽攻めに否定的な記述が無い以上、
あれは劉備の承認、或いは追認があったと考えるのが妥当

452:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 21:55:17.74 FRUFI6Uf0.net
壱の秘剣 劉備は承認してるから独断じゃない
これは勝手に権限以上の外交をしている上
劉備は関羽を一切援護しなかったことで砕け散るなまくらである

453:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 22:54:14.51 0DUree9L0.net
どうしたんだいきなり脈絡もなく

454:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 22:58:34.20 ie55ZYEY0.net
>>443
とりあえずお前に絡まないことするわ。

455:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 23:20:26.65 OrQuITNT0.net
>>448
現実を直視して壊れたかw
俺が来るまでもなかったな

456:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 23:35:59 qqkDVC9H0.net
漢中での戦い後
すぐに曹操が死んだりしたら劉備にワンチャンあったかもな
孫権も魏を攻めた方がチャンスありそうと思うかも

457:名無しさん@お腹いっぱい。
20/03/31 23:40:55 aNkwZkIa0.net
江夏は今の武漢市の一部
コロナがアメリカの研究通りなら22度湿度50%で活動停止するってことやから今もコロナが流行中やが高温多湿ならそのうち収まるはず

458:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 07:56:33 Lz1f31C50.net
横山三国志をみると、龐統が死んだあと孔明、張飛、趙雲が荊州から出陣
だから龐統が生きていれば荊州は孔明、関羽、張飛、趙雲で足固めできた
劉璋は人望がないから、黄忠、魏延だけでも、勝手に自滅していくだろう。
そこで馬超、馬岱も加わり、法正、李厳、呉懿、厳顔、孟達、雷銅、呉蘭も加われば
漢中を攻める戦力としては十分になる

459:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 08:43:17 7kaNufR50.net
横山三国志を根拠にするなよ

460:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 12:28:50.61 Y1pHFS7s0.net
劉備が無頼漢のせいで失敗したからこそ朱元璋は粛清を抜かりなくやったのが感慨深いな

461:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 15:14:42.71 3u6VmlcH0.net
無頼漢云々じゃなくて人材が足りんかった
もし粛清までやってたら関羽、張飛、簡ヨウ
らまでいなくてそれこそ荊州も任せる人おらず、蜀、漢中攻略も先鋒大将おらんし、成都の政務も新参の中下級官吏に任せることに
現実的に罪や短所には目をつむり、功績の顕彰と長所を活かさないと劉備は劉表死去した時点で終わっている

462:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 15:24:47.75 2JZKbv760.net
このスレは「劉備が天下統一できなかった最大の原因」で長続きしてるけど
天下統一可能なフラグとか書いた人居るの?

463:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 15:28:32.99 +4LLiNlX0.net
龐統が戦死しなかったら荊州を関羽と諸葛亮で抑えててなんとかなったんじゃね?(適当

464:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 16:59:05.42 uV4OGRaz0.net
>>454
朱元璋は天下を取ってから粛清した
劉備は天下取れてないんだから粛清する余裕なんて無い
劉備も劉封とか粛清したりしてるけど

465:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 17:36:00 K12Yv62j0.net
曹操の代わりに中原に生まれて親が官職を買うなど環境を整えてあれば天下を狙えた可能性もある。
劉備は自分の上司が務まる人間を見つけられなかったが、必ずしも天下取りを狙っていたとは言えない。

466:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 18:17:59.20 m3gC/8pl0.net
>>459
ソレもう劉備じゃない別の人前提じゃないか…

467:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 18:38:53.43 5cbB4XE70.net
漢中とったあと荊州とられる前に長江上流というアドバンテージ生かして建業落とすしかなかった
南朝みたいな勢力範囲になってれば次代以降にワンチャンス
しかしあの当時こういう戦略を描くのは難しい
周瑜がやろうとしてたが肝心な大義名分がない

468:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 19:10:05 7kaNufR50.net
江南は豪族の力が強いから劉備みたいな余所者には制御不可能。

469:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 20:41:06.08 3u6VmlcH0.net
陸氏との対立構造は曹操、劉備が生きている間は一時休戦になっていたけど陸遜が実績を挙げて声望を得るとまた警戒されて対立が露わになったしな
そう思うと時を得て勢力を拡大したのは曹操だけでなく劉備も孫権もだった
そして地の利と人の和も劉備が漢中を取った時で大きな節目になってパラダイム転換が起きた
魏は曹操が死去し新体制への移行
呉は親劉備派の魯粛が没し強大になった劉備への警戒と実力行使してでも念願の荊州領有を目指す呂蒙と陸遜が戦略担当になった
蜀は始めて魏領内への侵攻が可能なだけの国力と要衝の地を得た
パラダイムの転換に伴って魏と呉の戦略の障壁が関羽の守る荊州になった
関羽個人の技量ではこれに抗し得なかったのでは?
ありえないけど漢中王劉備が荊州に諸葛亮、黄権、張飛、趙雲と戻り入れ替わりで関羽を漢中に駐屯させていたら荊州を失わずに済んだか?
それを考えると荊州を失った理由が関羽にあったかどうかという問いにある程度の答えが出そうだけど
どうでしょうな

470:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 21:01:30 7kaNufR50.net
荊州が争点になったままの状態で、呉を納得させるような外交ができたかどうかというのがポイント。
関羽が当時、呉との友好関係を信じていたのだとすれば甘すぎる。
一方で、外交そのものに関しては関羽に任せずに劉備と諸葛亮が責任持ってやるべきだったのは明らか。
呉は荊州を返却させるという大義名分があったのだから、蜀は低姿勢の外交で何年か粘るべきだった。
人材の頭数でなんとかなる問題ではない。

471:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 21:29:43 j5nTBpxm0.net
>>446
劉備が関羽を擁護しなかったって、
そもそも劉備が関羽非難を聞いたという記述が無いんだから
劉備が擁護する機会がある訳ないじゃん、アホなん?

472:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 21:45:09 j5nTBpxm0.net
荊州問題もさることながら、
劉備はあまりに順調に勢力を拡大させ過ぎたんだよ
曹操は言うに及ばず、孫権にさえ生殺与奪を握られるくらい小兵だった劉備が
いつの間にか曹操>劉備>孫権くらいまで急上昇したもんだから
曹操も孫権も危機感を抱いて当然な上
加えて関羽が長雨を利用して思いもよらぬ快進撃をするもんだから
曹操・孫権同盟が成立してしまった

逆説的には関羽の北進は順調すぎた為、失敗したとも言える
少なくとも孫権>劉備の状況がもうちょっと続けば、劉備・孫権同盟は継続したかもしれない

473:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 22:11:27.65 uV4OGRaz0.net
>>464
関羽はむしろ呉を全く信じてないからこそあんな態度とったと思うな
関羽を攻撃する前、孫権は曹操に臣従する形をとっている
それまでは関羽は呉に対して喧嘩売るような事はなかった
関羽の問題は呉を信用しなかった事ではなく、舐めてた事と
荊州にいる武将達が簡単に裏切ってしまう人望の無さだと思う

474:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 22:19:28.97 7kaNufR50.net
>>467
その程度のことで呉との外交を投げ出したらいかん。
関羽は客観的な情勢では最弱だったわけだから。
外交は演じきった方の勝ち。

475:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/01 22:48:07.41 NaawjeQO0.net
>>465
ついに日本語すら読めなくなったか
南無南無

476:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 07:51:38 BaAujhz90.net
劉表の旧家臣が、劉備が劉表の正当後継者であると認めていたのなら
早々に荊州統治を盤石のものにできたわけだ
その状況であるなら兵力は即時十万は確保できる
その兵力で逆に関羽張飛趙雲で許都を攻めれば帝は救える
そのあとで帝に曹操追討令の勅命を呉や涼州に出してもらう
どうだ?これで行けるか?

477:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 09:04:08.58 GiRctywk0.net
>>470
おそらく劉表死亡直後のことだろうが
その頃は南下しようと曹操が30万近い兵力集めてるところだぞ
遠征もしてないし疫病にも苦しんでいないからまず勝てないでしょ
天下取れるタイミングは荊州益州支配した後しかないと思う

478:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 11:19:24 xxjqFEyH0.net
その時点では関羽も張飛も旅団長クラスの経験もないわけだが
曹操軍が強かったのは中原を制圧する段階で親族の有力な武将が防衛を含めて兵站管理を含めたマネジメント経験を積み重ね治政でも太守として経験があって駐屯軍を曹操とその幕僚に頼らずに担える陣容になっていた
これが多方面に軍を分けても兵站が破綻しないシステムを作る基礎になり、孫権や劉備の勢力との決定的な差になったと思う
まだ若かった司馬懿も赤壁では兵站事務を既にやり始めていてこの時点でその経験値に限れば関羽超え
単純に兵力を引き継ぐだけで戦争が可能な状況になる訳じゃない

479:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 11:39:20 mCOJNF590.net
戦争で一時的に勝っても、その領土の維持はできない。
許昌を取ってあとどうするんだ?

480:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 12:26:36 GiRctywk0.net
荊州を落とされたのが痛いのは間違いないけど夷陵の敗戦も同じくらいヤバイよね
劉備の代ではないくなるけど、適度なところで講和結ぶかそもそも開戦せず
リソースを対魏の北伐にまわせれば、長安奪取・維持できたかも

このスレで誰か書いてた荊州閥離脱の可能性次第かな?

481:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 13:03:19.95 BaAujhz90.net
30万あっても曹軍も袁紹掃討で統率じみた対応は取れないだろうし、
吸収した袁紹の敗残兵は烏合の衆の寄せ集めだから、
袁紹との戦いで体制が整う前に荊州から全軍急襲すれば行けるんじゃね?
荊州全軍なら10万ぐらいは集まるだろう 許昌の攻城戦の際に帝から反乱軍を形成して内部から撹乱もできるしな。
さらに官渡の戦いで袁紹に媚を売った将軍文官に働きかけ内部での切り崩しを図り時間稼ぎもできるはずだ。方法はいくらでもある
帝さえ奪取できれば、錦の御旗で
曹操を逆賊に選定できるし
劉璋、孫権、馬騰も
従わねければならないから兵力や
兵站や領土にも困らん
帝さえ奪取できれば漢王朝は復興できる
可能性はぐっと上がると思う。

482:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 14:04:30.05 es4JLK6P0.net
>>474
魏を攻めることを見据えるなら、それこそ荊州奪還したかったんじゃないかな
山を越えてから戦闘とかエグすぎる
当時の蜀から見れば荊州を奪った指揮官の呂蒙も消えた所だったし、勝算あると見たんでは
結果、夷陵でボロ負けしたけど、劉備の野望の成就のためには必要な賭けだったような気がする
荊州ないとジリ貧だし
呉側にとっても同じだから両国とも必死で守らなきゃいけない土地だったね

483:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 15:04:45 es4JLK6P0.net
陸遜が関羽に送った手紙を読んだけど思ってた以上にごますりまくってて笑えた
関羽は諸葛亮が自分を褒めた手紙を来客らに見せびらかしてた逸話もあるしお調子者すぎるのでは
領土争い真っ最中の相手国の40歳のおっさんからあんなにグイグイ来る手紙もらって「こいつ怖い」とは思わんかったんかね
思わず真に受けたから油断したんだろうけど
関羽の欠点として挙げられる傲慢さよりこの浮かれ具合のほうが致命的だったような気がする

484:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 15:47:06 5ioHAD1b0.net
>>477
それだけの行動しても黙認されていた上、劉備の事後承認で歯止めがかからなくなった
当時の関羽は荊州を自分自身のものであり呉が手を出すわけがないと考えていたんだろう
特に南荊州の太守が関羽に寝返ってた例もあるから、人望もあると思い込んでいてもおかしくない
軽率すぎる行動の根拠は自信過剰と偶然の幸運によるもの

485:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 17:26:58.15 sOMxSzs00.net
油断ってそもそも、自他共に認める超有能な人が陥るものだろうしね。
警戒を怠らない臆病者ってのは凡人の証よ。

486:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 19:49:26.34 BjlL29Z70.net
>>479
バカは風邪をひかないと同じ原理だな
俺は風邪を引くからバカじゃないと自己暗示をかけるも、元をただせば俺は風邪をひかないと浮かれてるバカが風邪をひいたというオチ
関羽が驕り高ぶっていたのも、自分にはそれが許されるし他の奴が俺を配慮すると過信した結果
士大夫への対応や独断の淵源も、塩賊あがりのなまじ悪知恵を機知と聡明さがあるからだと勘違いしてたから
こう紐解いていくと、関羽は成長できる機会を尽く潰してて可哀そうに思えてくる

487:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 20:50:48 enDlGjbe0.net
>>477
本当に優秀な人間は自己評価で生きる。
関羽は典型的な承認欲求のかたまり。
現代にも掃いて捨てるほどいるな。

488:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 21:10:55.81 jrGk2L5E0.net
>本当に優秀な人間は自己評価で生きる。
これはこれで幻想だけどな
世に出る優秀な人間は承認欲求が強い方が多い
自己評価だけで完結できる人間はそもそも世に出る欲が無いでしょう

489:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 21:16:03.45 Bx/irEx10.net
それは劉表が荊州を失った根本的な要因なの?

490:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 21:20:42.42 jrGk2L5E0.net
関羽は呉や足元の警戒が疎かで身を滅ぼしたのは間違いないが
あの時期の北上は千載一遇の機会であり、またあまりに上手くいきすぎた
曹仁を何時の間にやら籠城にまで追い詰められ、
援軍に来た于禁・ホウトク等の7軍を長雨を利用して壊滅させるなんて
普通では有り得ない戦果で、劉備の快進撃も含めて全てが順調すぎる。
今まで劣勢が常だった関羽はある種の万能感に陥っちゃったのかもね

491:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 22:16:43.53 8lU6EZlW0.net
いくら節があるからといっても漢中から関中攻略の出兵ないときに出兵するのはガイジ
敵に各個撃破されるだけ

492:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 22:16:51.87 enDlGjbe0.net
>>482
それは承認欲求と評価をうける必要性がごちゃ混ぜになってる。論理的でない。
関羽は武勇はたいしたものだが、頭脳は同レベルではない。

493:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 22:40:34.98 PzuTekJO0.net
于禁を降服させた事と魏の領内で反乱が勃発した事からイケる!って思ってしまったんだろうな
洪水は于禁だけでなく関羽にとっても不幸な結果を生んだと言える
関羽の北上って最初は劉備の漢中奪取や上庸奪取のためのサポートのためでありガチで攻める気は無かったように思う

494:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/02 23:03:32 sOMxSzs00.net
>>480
遥か後世には、その士大夫達が自らの身の保身のために積極的に関羽信仰を広めたってのは面白い話だよなあ。
民衆達は心から関羽を愛していたが、国家がその影響力に縋って、その国家で上級職に就くために士大夫達は関羽の偉大さを喧伝する。
確かにバカは風邪をひかなかったな。いや、バカは風邪をひかないが真実になったというべきか。

495:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/03 00:31:08 Hhj/eF610.net
劉備が漢中奪取後に襄陽攻め始めてるんやから全く連携とれてない

496:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/03 02:22:52 zLZJPShs0.net
樊城で曹仁と満寵殺せたら未来はだいぶ変わったな

497:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/03 02:54:07 zLZJPShs0.net
劉備陣営って涼州とったら荊州返すって言ったんだっけ
絶対嘘だと思うけど

仮に荊州奪還されないまま涼州とったとして、蜀はどうしたかね
荊州返さずに反抗できなくなるまで呉を叩くか
それとも本当に返して呉と一緒に魏を叩くのか
どっちが得だろう

498:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/03 07:46:31.42 mzUjHjAe0.net
>>487
荊州軍だけでどこまで攻め込む気だったのかが不明だもんなぁ。五胡十六国時代に荊州軍率いて北伐やった東晋の桓温も北伐やる時は荊州軍だけじゃなくて益州や涼州の別働隊に陽動作戦やらせてそれでも洛陽の一時的な占拠がやっと。

499:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/03 19:35:46.99 4iMuaxh50.net
桓温は貴族連中に足引っ張られまくりやからしゃーない
動員兵力50000程度じゃなにもできん

500:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/03 23:46:07.79 dj0z3/cN0.net
でも関さんの率いてた兵力も多分同じ程度じゃね。
徐晃伝で関さんの迎撃に出た兵力が5千程度とかやし

501:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 07:47:13.85 fIFTPLp40.net
最初に呉から荊州襲撃を受けた際に出せた兵力が号して3万だから、
北進当初はせいぜい2-3万、後から対呉の守備兵を引き上げて+αってところだろうか。
曹仁が数千で籠城しているところへ送った于禁+ホウトク3万の援軍は、
敵に対して対等あるいは優位になる兵数を向かわせたと想定すると、
やはり関羽軍の兵力は2-3万程度が妥当な気がする

502:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 08:05:13.53 fIFTPLp40.net
関羽の兵数を考えると北進が漢中戦の只中でなかったのは仕方ないと思える
曹仁を攻撃したとしても自身と同数以上の兵力が援軍に来る可能性が高い訳で、
ある程度勝算が無いと北進自体ままならない、
仮に大敗でもすれば漢中の戦線に悪影響を及ぼす
他方で「それならば北進自体するなよ」という意見もあるだろうが、
そもそも曹仁は関羽征討が目的で荊州に赴任してる以上、
時期を待てば自軍よりも優位な兵力をもって攻勢を掛けられるのは明らかで、
仮に呉と連携して攻撃されれば益州からの援軍を間に合わず荊州を失陥する可能性もある、
そういう状況下で長雨の兆候+曹仁の不備という絶好の好機が訪れたので、
思わずそれに飛びついてしまった(劉備も追認)、というのは理解出来なくもない

503:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 10:49:32 AQV9NiBR0.net
魏と呉が協力して荊州を落としに来るという未来を想定して動いたとしたら、尚更コントみたいな結末だな

関羽の運の上振れと下振れがすごい
さすが神にもなる人間はもってるモンが違うなと思うわ
撤退用に準備してた船も見つかって燃やされてるとか
荊州失陥は何度も語られてるけど面白エピソード多すぎ
参戦メンバーも豪華だし

504:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 11:23:39 63aSeIlF0.net
当時の三国の代表格が揃い踏みだからな
それだけ荊州をどこが領有するかで形勢が大きく左右されるほど鍵になるエリアだったということになる
魏が荊州全体を押さえることになれば長江の水域の半分を抑えた上で劉備を蜀の地に封じ込められるし、呉の水軍の半数はそっちの防衛に回さざるを得なくなって魏が苦しんだ下流域での攻防も楽になる

呉は上手く魏を引き込みつつ出し抜き広大な土地と長江上流域まで抑えて魏からの防衛ラインを強化しつつ動員兵力を増やすなどの基本的な国力が大幅に増す

荊州を失なった劉備の蜀は結局はモグラ叩きのモグラ役でしかも頭を出す穴は漢中という一箇所しか残らんから魏としてその穴から出てくるのを待ち構えてハンマーを振り下ろすお仕事になった

505:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 11:53:22 fIFTPLp40.net
長雨の兆候を察して攻勢を仕掛け、曹仁を籠城まで追い詰め、
指揮が取り難い洪水の仲、于禁を撃破し包囲網を構築したのは優秀な戦術家と言えるし、
その作戦行動を実行できる軍隊を育てた手腕も評価できる
他方で曹操と孫権の協調を察せなかったので戦略家としては失格で、
呉への警戒を持ちながら、目の前の大きすぎる成果に目が眩んでしまった

仮定になってしまうが、于禁軍が壊滅しない方が呉への警戒も解けず、
関羽もあっさり引いて、呉の付け入る隙も無かったかもしれない

506:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 12:00:36 PcAmk69G0.net
やはり于禁さん良い仕事しすぎや

なお、末路は

507:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 13:25:35.14 hXtM/+9Y0.net
戦略としては、蜀はなんとか呉をなだめて荊州を借り続けるしかなく、皇帝を名乗っていても冷静に行動したかったところ。

508:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 13:57:58 AQV9NiBR0.net
でもたとえ呉をなだめすかす対応をしていたとしても、呉から見れば本当に返ってくるかも疑わしい
返ってくる条件を蜀が満たした時には呉より強くなっててそのまま潰される恐れもある
なんかちょうど関羽が1年も襄陽を包囲してるしなぜか荊州の警備が薄い。奪うならここで奪うんじゃね

509:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 14:36:34 sZqP7v1e0.net
そういう面もあるが、その背景に呉がひたすら卑屈なふりして下に出たやり方があり、それは理知的なやり方だと思う。

510:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 15:25:15 AQV9NiBR0.net
それは同感ですね
バカだアホだとナメられても、口先だけで譲歩を引き出したり相手を操るような軍人、政治家は有能だと思います
ただ呉相手に通用したかってことですよね
自分たちで使ってる手ですからね
関羽の呉に対しての無礼とかは関係なく、呉は隙があれば奪ったのではないかなと思っています
蜀が下に出てたとしても、領土を返さないという事実を見られてしまうかと

511:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 15:37:08 S/gi9BI90.net
もちろん、大義名分なく荊州を領有し続けるのは相当大変だと思うし、その意味では同感です。

512:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 17:08:48 s9snELEG0.net
>>497
前半の関羽の破竹の快進撃を「運が良かっただけ」とかいう人も居るけど
関羽の現在の神格の玉皇上帝は、人間の運命すらも自在に操れる存在である、と
言われている。
その現在の神格の力を使って、歴史に介入し「人間の自分を創造して過去の事象」
に溶け込ませた歴史ロマンの欠片もない、オカルト的現象のように捉えても、関羽という人物にはしっくりくるのよね。

詳しい出生時期も不明で、詳しい死因を不明。
死後に霊験を顕してると既に正史の段階で人間らしいリアリティもない。
腕を削る手術にしても、不衛生環境化での切開手術に、大量出血状態の人間が酒を飲み麻酔効果が現れてしまいそうな自殺行為に、あの想像を絶する激痛に耐えられる人間なんて居るの?と思えるような手術。
人間の身体構造は誰であれ変わるものではないのだから、猛将や豪傑なら耐えられるという単純なものじゃない。生物として異種。

人~神への関羽史を俯瞰してみると、本当に関羽は人間じゃなかったのでは?と思えるようになってきたよ。

513:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 17:15:21 OldpoESn0.net
大義名分なく皇帝になったのがいるくらいやからそんなもんなくても荊州を領有し続けるのは余裕。

514:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 17:18:17 sZqP7v1e0.net
関羽の武力は本物だよ。曹操配下時代にちょっと出かけて帰りには顔良の首を持ってた男だ。これが史実なのだからすごい。将軍としてもカリスマ性があったのだろう。
でも戦に勝っても戦略上勝てないのは項籍だってそうだし。この辺の経緯が運に左右されているという感じはない。

515:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 17:55:51 AQV9NiBR0.net
実際劉備は孫権に領有権を認めながらも、実効支配していることを理由に返還を断ったんだっけ
こんなんお互い武力で維持するしかなくなるよなぁ

516:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 18:03:33 A0wLateA0.net
>>509
荊州の劉備政権って劉表政権の後継だし突っ張らざるを得ないところがあるから。

517:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 18:52:59 XbUqG5UR0.net
>>508
歩兵部隊に運よく単騎で潜り込んで、天蓋に乗ってた顔良を切っただけでは

518:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 20:16:53 sZqP7v1e0.net
>>511
運というよりは、顔良が無警戒のときを狙って突っ込み、準備ができる前に殺したらしい。

519:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 20:20:09 fIFTPLp40.net
荊州貸与については相水を境に劉備・孫権で領土を分割して以来は、
公的には解決している筈だけどね
荊州分割以来、両国で貸与が継続されているという記述は無いし、
関羽襲撃の際も大義名分として挙げられてもいない

結局のところ、呉が描いた楊州方面からの進軍が進まないから、
荊州南部を領有しないと割譲さえままならない、という事情ゆえの侵攻
こうなると劉備が如何に大義名分を立てようと無駄だろう
孫権の侵攻はなるべくしてなった必然

520:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 23:12:29 chRFna050.net
>>512
劉備の部下やから油断してた説がー番しっくり来る

521:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 23:18:28 fd7hTYgf0.net
南京防衛考えると江陵と武漢あたり最低抑えてないと上流から攻め込まれたらあっという間に攻略されちまうから孫権ー派は必死にもなる
しかし圧倒的に有利な立地やったのに何で劉表は孫権討伐をしなかったのか

522:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 23:32:42 ym+USZrn0.net
水軍がなかっただけ説

523:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/04 23:59:10 mrqhNvKZ0.net
>>515
リターン少ない


524:蛮族の地だから被害出してまで得る必要がない 黄祖に守らせておけって扱い 呉が開発を続けて異民族を皆殺しにしたおかげで晋代には貿易拠点になり得るようになった



525:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 00:21:35 CxAVS6/C0.net
>>515
甥の劉磐を豫章郡の諸県に派遣してしばしば攻撃しているよ
太史慈や潘璋に防がれてるがね

526:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 02:36:25.92 CxAVS6/C0.net
読み直したら潘璋の方は劉磐が攻撃したとは書いてないな
劉表軍の誰かなんだろうけど
劉表って荊州に引きこもってるイメージだけで語られがちだけど、劉焉の死に乗じて甘寧らの反乱を扇動して劉璋と抗争したり、自分の息のかかった頼恭、呉巨を交州刺史、蒼梧太守に任命して交州進出を図ったり、割と積極的に勢力拡大に努めてるんだよね

527:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 06:07:21 4r5K1EaK0.net
董卓の乱以降中原が軍閥の構想の激戦区でそこに軍人が集中して比較的落ち着いた荊州には文人文官が流れてきてたのも大きいかもね
そんな中では黄祖はかなり異例な軍人で劉表配下ではキャリア能力が高かった
だからこそ孫堅を罠にハメることができこれを討てた
孫策だから敵を討てたけど

そして黄祖が討たれた後は孫策に対しては劣勢が続いた

528:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 07:17:29.79 z2eLhKYP0.net
上流から攻め込んでも上陸するだけでも大変だろう。
しかも万一負けたときどうやって逃げるんだ?河を遡るの?
なんか馬謖並みの作戦だな。

529:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 07:52:43 +eDNKoBk0.net
>>515
荊州と呉は敵対していて
三国志で呉から弔問の使者が来て周囲は驚いていたレベルだから

530:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 10:04:41 BW70sSYy0.net
>>514
劉備の部下だったと言っても、
会ったことも無いであろう関羽を、
顔良が一目見て劉備の部下だと認識できるとは思えないし
曹操に投降している可能性だってあるのに油断はありえない

そもそも戦場で一軍の将に所に武器を持って突っ込んで来るやつを、
味方だと認識出来るという状況が何より考え難い
というか味方が同じ行動しても警戒されるレベルの状況だろう

531:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 10:08:49 TlSwY1i70.net
桓玄とか建康追われた連中があっさり西上して逃げおおせてるんだよなあ

532:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 10:25:56 ubwNO+vIO.net
関羽はイケメンの敵

533:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 12:34:36 ccXlxL5d0.net
>>525
マイナーオタの敵というべきでは?
人気者の宿命よ。

534:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 15:29:51 gKROcAlD0.net
>>521
馬謖は愚行ではなく蜀の目的を果たすための最善策を行った
百戦錬磨の張コウが後出しジャンケン出来るようにしてたからこそ負けた
by姜維マニア

535:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 18:08:42 z8rXECmm0.net
>>527
しょうもない釣りをやるなとは言わないが姜維の名前出す必要ある?
そこまでしてこんな過疎スレ荒らしたいん?

536:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 18:15:30 h73gTFkl0.net
>>520
黄祖が討たれたのは孫権の時代じゃね?

537:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 18:18:21 h73gTFkl0.net
>>522
そう考えると荊州にいながら呉と同盟する天下三分の計を考えだした諸葛亮は当時としては画期的な思考の持ち主だったんだなって思うわ
日本の話で言うと長州と薩摩が同盟するみたいな

538:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 18:47:23 BW70sSYy0.net
庇護者である劉表、同族の劉璋の土地を有すべきと進言し、
全く関係ない孫呉は盟すべきと言うんだからね
劉璋については内通者が出る事さえ予見してるし
当時の劉備からすれば夢物語だっただろうね

539:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 19:12:54 5xYgqL/t0.net
>>528
季漢書でぐぐれ
荊州失陥すらも美辞麗句使って正当化してる蜀大好きなサイトだぞ
ここの基地外も絶頂射精すること間違いないぞ

540:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 20:26:11 5DFhRcpJ0.net
>>529
すまん、その通りだ
黄祖軍撃破で黄祖本人は逃亡できて生き残っている

541:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 21:35:25 z8rXECmm0.net
>>532
絶頂射精している基地外ってどう見てもお前のことじゃん

542:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 21:45:03 CxAVS6/C0.net
>>532
あそこは俺も読んでるけど>>527みたいなことが書いてあった記憶ないな
何事も結論を蜀賛美に結びつけるきらいはあるけれど、そこに至るまでの論拠や出典はしっかり示してるし参考になるサイトだと思う

543:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 21:58:24 enaLIh6+0.net
>>535
今年出来立てホヤホヤの記事
馬謖は築城する時間がないから山を防衛陣地にしたが
張コウは短期決戦をせず補給線を絶つという持久戦をした結果馬謖は士気崩壊したという話

築城なんかしようものなら張コウは速攻で潰しにかかるから実力以前に詰んでましたよということ

544:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 22:09:08 KSHstOmD0.net
蜀賛美とかw
三国時代評価してるなんざガイジ確定w

545:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 22:18:41 z2eLhKYP0.net
劉表軍に韓信がいれば揚州に攻め込んだか分からんけど。

546:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 22:23:13 z2eLhKYP0.net
>>536
張郃が急いでくることが分かってたのに築城が求められていた、ていうのは少し苦しい解釈だな。
もちろん、馬謖が間抜けなわけではなかったという意見には意味があると思うが。

547:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 23:04:54 h73gTFkl0.net
あそこは結構陰謀論に飛び付く事あるから注意が必要だわ

費イが自分の出世のために他者を陥れる人物であるとしてたが
割と悪意のある解釈だと思ったな

548:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 23:06:01 h73gTFkl0.net
姜維を贔屓するあまり姜維が有利になるような解釈が多いんだよな

549:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/05 23:48:56.55 +eDNKoBk0.net
ヒイが殺された理由は陰謀でなければ不明だけど
各じゅんの恨みをかったのかな

550:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 00:07:02.68 6EauNCYm0.net
そんなもん今更わかるわけねーだろ知恵遅れ

551:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 01:09:09 CR9/I+O50.net
>>542
最初は劉禅を殺す気だったが近づけないので
無警戒の費イを殺した

当時、魏による各国首脳部を狙う暗殺事件が蜀以外でも起きてたので
費イ暗殺事件もその一環だろう

552:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 09:23:56 IAHC91jX0.net
>>544
その時には既に司馬家が専横してたから状況が違う
孫権狙った時は曹爽が政治してた(失敗したが)
さらに費イは魏の主力をあまり痛めつけずに曹爽を失脚させた恩人でもある(大打撃を被ったのは異民族)
おまけに対外政策では引きこもりを推奨し開府して軍組織して攻めろと劉禅にケツ叩かれるまで動かなかった消極性
こいつが消えたところで魏にとってのメリットはほぼない

暗殺が魏の意図だとしたら、費イの開府を見て反射的にやってしまった感じか
結果的に後任が姜維であり、トウガイのちちくり合いで済んだのが不幸中の幸いだが
費イの死後はどうあがいても蜀の勝ち筋が見えんわ

553:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 09:56:12 7ZK4/jb90.net
費禕が死んでまあ劉禅も北伐推進派やからというのもあるがすぐに魏を攻撃
これで得をしたのは誰か

554:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 11:16:39 3QW2Us1O0.net
官渡の戦いで荊州から曹操の背後をつくのは
できたのかな?呉は蔡瑁に任せて

555:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 12:44:40 g2d1b9Fb0.net
劉表のことか!

556:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 12:57:22 g2d1b9Fb0.net
曹操と袁紹が盟を結んでいる間は常に両者と協調して袁術、孫堅と対峙

曹操が袁術を滅ぼして以降は袁紹と結び曹操と対峙し曹操が苑の張繍を攻めると張繍と結び防戦

その後官渡の戦いでも袁紹支持に回るが荊州南部で反乱が起き劉表はこれを親征するため不在
そのため袁紹には援軍は送れず
なおこの時家臣団は曹操側につくことを進言しているが劉表はこれを拒んでいる

557:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 13:32:16 3QW2Us1O0.net
張繍の参謀カクがいらんこといわなかったら、官渡の戦いは長引いていたな
逆に劉備が冀州から荊州に逃れるときにカクを引き抜くこともできたかもしれない
カクが劉備に加わったらだいぶ状況は変わったと思うが
光栄ゲームならやるだろうが

558:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 15:26:52.01 g2d1b9Fb0.net
>>550
袁紹死後に袁家掃討や烏丸征伐を始めた時に劉備が劉表に曹操の手元には精鋭がいないので許許都方面への進出を進言しても退けたぐらい腰が重いからなあ
カクが劉表傘下に加わるだけではダメだろう
可能性があるとしたらやっぱり官渡前、張繍と結んでいた時に攻勢をかけるしかなかったけど防衛には成功したけど追撃に失敗して大損害出してしまったからな
しかも当時はまだ荊州南部は劉表の統治が及んでないので国力としては張繍と劉表合わせても曹操に及ばない
孫策が曹操との関係を良くしていたことと孫策死後孫権はまだ少年で豪族連合の江南の取りまとめ以外できない
袁紹はまだ曹操と袂をわかっていない
劉表による勢力の合従連衡はこの時点ではできない
全てが曹操にとっては優位になるようなタイミングだったから劉表による曹操勢力への反攻は無理だと思う
後は劉備が劉表に対してクーデター起こして無理矢理勢力を乗っとる離れ業しかないけどこの時の劉備の手勢の少なさとほぼ劉表の好意のみで匿われていた状態でクーデターしても劉表の家臣団が団結して潰されるシナリオしかない

559:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 16:14:28 nTLDACUc0.net
三国時代の合戦って参加人数少ないからショボい

560:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 20:11:33 3QW2Us1O0.net
劉表についてから早い段階で曹操を倒す
ことがダメなら
袁紹と一緒に関羽張飛趙雲で官渡の戦いで曹操を倒して、倒した後で隙をついて袁紹を倒し
天下統一というのはどうだ?
どちらのパターンも孔明が北伐で成功するよりは可能性高いと思うが。

561:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 20:36:38.78 W4oKQd+n0.net
>>553
どさくさに紛れて献帝を始末して曹操にそれをなすりつけられたら良かった
そうしたら劉表は年長皇族と称して袁紹と組んで済し崩しに皇帝になれる可能性が高い
劉虞の息子が懸念材料だが曹操倒した後の交渉次第だな

562:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 20:43:47.47 csQN0F130.net
>>553
袁紹に勝つには劉備が最低でも徐州位は持ってることが大前提(持ってても無理だろうが)
ということは徐州で曹操の攻撃を防ぎきったってことになるぞ

563:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/06 23:29:31 3QW2Us1O0.net
袁紹の軍門に下るんだよ
顔良と文醜を倒した関羽とかなら袁紹から信頼はあつくなる
袁紹の信頼を得て袁家を乗っ取るんだ
さらに食糧庫は3兄弟に任せて守り切ればぐっと信頼は厚くなる
司馬懿だって最初から大名じゃなかった臣下で最終的に曹家をのっとった

564:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 01:20:14 X5mA5UQW0.net
>>545
本来なら劉禅を暗殺する予定であり
費イは妥協故の暗殺って事を忘れてるぞ

565:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 01:45:38 zlD3mtSl0.net
>>556
司馬家の乗っ取り成功は曹氏ぽっと出の上に宦官と外戚禁止の縛りかけてたから成功しただけやぞ

和帝の頃から三公出してるガチセレブの袁家では乗っ取りは難しいわ

566:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 06:25:58.71 oZ3ESktT0.net
>>556
>顔良と文醜を倒した関羽
演義の話か?

567:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 08:12:30.32 GT1SI4oP0.net
袁紹の傀儡皇帝として祭り上げてもらって袁紹が天下統一すれば
劉備が天下統一したといってもいいよね?

568:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 08:17:19.67 ZafxyAbe0.net
演義とかいう架空のもの持ち出して議論に入るやつなんて荒らしとそう変わらんな

569:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 09:12:53.55 0jpVUu260.net
関羽なら顔良と文醜なくとも袁紹の信頼は得られると思うがな
まあそれは置いておいて
顔良が味方と勘違いして関羽に打たれた方を信じるのか?今までの武将でそんなやついるんか?味方を敵に間違えるのはあるけど
顔良って相当アホなやつだな
そんなやつがいたら正史には残さんがな
恨み辛みでそう正史に書かされたとしか思えん

570:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 10:23:35 O6wRF92K0.net
袁家の衰退の一番のターニングポイントは孫策早死に孫権が曹操に媚びるか、西涼が曹操についた事だろう
袁家優勢の流れにするなら孫策の寿命はどうにもならんとするなら他の事はともかく西涼はなんとかしないと結局手詰まり
郭援と馬超で蹂躙するはずがまさかの馬超(厳密にはホウ徳)に郭援が討たれるという最悪の計算外
そりゃ、鍾会があれだけの事をやらかしても親父がこれだけの大仕事してたら三族皆殺しには出来ないわ

571:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 10:54:42 /OQmVao40.net
>>557
それの説得力がないからこそ話題になってる
何故劉禅が殺せなかったかや郭循の人となりが明確に記されていないのも拍車をかけた

572:名無しさん@お腹いっぱい。
20/04/07 11:25:56.18 7yFz6aaW0.net
>>563
孫策が曹操と誼を通じてた事が実は孫策死後にこそ曹操、孫家の命運を決定付けていたように思う
曹操は江南から長江を渡って襲いかかって来られない状態だからこそ華南の開発を行いつつ許都の最大の危険分子だった朝廷内の反曹操派の粛清と張繍撃破が可能になった
そしてそれに成功したからこそ対袁紹との戦いに全力を向けることが可能になった
この間に曹操に逆らわず江南の維持と有力豪族との折り合いを着けたからこそ孫権は後の赤壁以降の対曹操勢力になり得た
華北まで手に入れた曹操に対抗する勢力はあってもこれを打ち破る勢力はついに現れなかった
仮に孫策存命でも曹操とは長江を境界とする相互不可侵の関係維持して孫策は荊州方面へ進出したかなと思う


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