18/09/16 22:55:55.17 j8I8Qole0.net
>>812
そもそも劉備は
曹操程の人物が御し得なかった人材です
周瑜がそこまで有能なら一番大切な孫策が死ぬ事も無かったでしょうね
815:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:57:25.69 j8I8Qole0.net
>>813
そして当時の孫呉は孫策時代に敵対した豪族の始末に苦労した時期でもあるね
816:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 23:58:02.09 giGW9sTF0.net
それが以外とそうでもない
劉備単独だと問題を先延ばしにする性格でもある
曹操の時も周りが騒いだ訳だし
劉備の性格を見抜いた周瑜の策だと思うよ
817:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 00:07:02.76 ISdSOpcM0.net
>>812
いやいや、孫権自身が「できない」っていって却下してるじゃん
818:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 01:22:24.92 gGnC/JPC0.net
>>816
なんか演技の作った劉備像の被害者やな
挙兵からずっと劉備はむしろ決断が早すぎるぐらいの人生歩んでるやろ
819:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 06:42:31.19 WNU3HNNH0.net
むしろ抜け目なさすぎて「こいつ義理ワンじゃね?」って警戒されるのが大徳さんやし
820:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 07:03:02.12 jnFTTrar0.net
即断即断即逃亡
821:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 07:14:55.04 gGnC/JPC0.net
そういう意味で言えば
曹操の元から離れない方が天下統一のチャンスがあったのかも知れんな
822:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:02:48.51 gGnC/JPC0.net
>>817
戦下手はともかく戦略的な判断力は凄いよな
コーエーの能力査定的には統率もっと下げて知力をもっと上げた方が良いレベル
周りは豪族出身ばかりで本当の意味で信頼できる腹心は居ない
(というより何だかんだ移住組の張昭や諸葛瑾の存在はデカかったんやろな)
二宮の変についても耄碌したと言うにはあまりに対処の難しい問題やからね
823:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:16:48.72 zF09uqPY0.net
孫呉の場合、後の東晋以降の王朝みてても君主権力を集中しにくい土地柄と人間関係だし
824:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:21:58.62 gGnC/JPC0.net
>>823
歴史をマクロで見ると
南朝は生産力>軍事力やから
調整型の政治体制になるしかないんやろな
825:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:35:33.93 gGnC/JPC0.net
孫権の戦下手も呉兵の質込みの話やし
豪族の力の強さもまた呉の特徴で
明が元の独裁的な体制を取り入れるまで
南朝が北朝に勝てないってのが流れやからなあ
826:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:05:34.63 RFDpobt00.net
>>824
生産力でもまだまだ華北優位な時代じゃね
隋唐を経てようやく華中地域が生産力で逆転というイメージ
827:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:14:26.01 gGnC/JPC0.net
>>826
華北との比較じゃなく国内のバランスね
なんとなく思うのは当時の南方ってのは一種のフロンティアだったんじゃないかという事
呉における蛮族討伐は討伐という名の開拓地奪取であり人狩りであるというのは昔からある指摘で
呉の中原への関心の低さも含めて開拓時代から大戦で出しゃばるまでのアメリカを彷彿とさせるんだよね
828:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:19:28.49 eWGdr3QRO.net
地味も豊かと言われていて、楚や呉、秦漢と時代を経てそこまで未開なのかなと思う
829:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:26:30.45 gGnC/JPC0.net
>>828
少なくとも最盛期が宋から明の時代なぐらいに発展の余地がある訳で
そこは必要性や技術の進歩とか複合的な話になるでしょ
中原の混乱による移民の流入や稲作技術の発展等色々考えられるしね
830:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:32:18.76 gGnC/JPC0.net
例えば日本でも
とりあえず平安期には関東東北まで政治的な影響力は及んでいた訳だけど
実際に開拓が進んでいったのは平安末期から鎌倉で戦国から江戸にかけてまで生産力が上がってるからね
831:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:38:52.06 gGnC/JPC0.net
土地が有っても人が居ないとか
新しい技術で耕地が広がるとか
開拓仕切ってる現代日本人の感覚で考えちゃいけない事が多過ぎるよね
832:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:51:29.38 gGnC/JPC0.net
ぶっちゃけ古代の呉や楚の頃は
長江流域近くに都市国家の延長程度の勢力だった訳で
その後の王朝も基本的に原住民を服属させてた程度で
本格的に植民を始めたのが呉の頃だった可能性は高いと思う
833:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 12:55:09.59 28kicV7X0.net
>>822
孫権は豪族連中を昔から牽制してるからなぁ
呂壱や二宮も反豪族的な性格だったり?
834:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 19:02:18.82 CEQlzRqe0.net
>>832っていうか春秋時代は中原の国も都市国家の延長みたいな勢力ばっかりだったからな
だから人口比がそこまで無かったんだろうな
835:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/19 21:35:09.50 BqTu2Mts0.net
二宮反豪族政策説たまに出るけどマジでそうなら孫酷と変わらんレベル
836:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 18:52:55.09 mrGxU9jg0.net
>>835
孫権耄碌説よりかは孫権の面子保てるだろ(適当)
837:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 19:10:14.12 D2YeWF290.net
未開というよりも、支配が及んでいないのが南方
838:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 19:19:27.89 920tcFoI0.net
高齢童貞のみなさん
枯れたオッサンたち
これが現実なんですよ?
URLリンク(blog.livedoor.jp)
839:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/21 22:12:53.27 xeevN8ds0.net
>>834
耕地が限られてる時点で年毎の差はおおきいよ
そして都市が密集する地域が当然あるので地域差はメチャクチャ大きい
840:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/30 22:26:11.36 /PV6W6480.net
藤林丈司