劉備が天下統一できなかった最大の原因その4at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その4 - 暇つぶし2ch750:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 12:22:22.64 U1WHT0hg0.net
>>703
>>749

751:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 12:23:47.50 Gmp2oa5m0.net
>>748
まずは三国志本文から論拠引っ張ってくるのが筋じゃね

752:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:18:13.80 LUownws20.net
孫権は劉備に一緒に蜀取ろうと持ち掛けてるし益州攻めって孫劉の合同作戦じゃないの
劉備が非協力で江陵にいる状態で益州攻めなんかしないだろ

753:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:23:21.23 U1WHT0hg0.net
>>752
>>723

754:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:32:49.68 8MNEXPx30.net
劉備の入蜀と同時期に呉は呂岱を漢中方面に派遣してるんだよね
あれはどういう目的なのか、どういう名目で送り出したのかいまいち掴みづらいな

755:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:34:18.51 LUownws20.net
>>753
つーことは蜀攻めは別に周瑜いなくてもよかったと

756:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:35:39.60 U1WHT0hg0.net
>>755
?

757:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 15:03:25.66 sNP84dO20.net
>>752
周瑜は孫瑜を総大将として益州を攻略に行くことを孫権に進言した。
孫権は許可した。
周瑜はその準備中に死去。
孫権は劉備に蜀を一緒に獲ろうと誘いをかける。
劉備は、自分で益州取るつもりだったので、殷観から
「呉の鉄砲玉として使われるだけ。失敗したらどうするんですか。断りましょう。」
と言われ、その意見に従った。
孫権は劉備に断られても強引に孫瑜ひとりに水軍を率いて益州へと向かわせた。
劉備は孫瑜を通せんぼして
「私と同性の劉璋さんを攻めるのやめたげて!どうしても行くならオイラ山にこもります」
と脅した。
それを聞いた孫権は孫瑜を召還した。
先主伝、周瑜伝読んで。

758:756
18/09/15 15:11:23.39 sNP84dO20.net
×先主伝、周瑜伝読んで。
〇先主伝、魯粛伝読んで。

759:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 15:40:07.30 Al9M2fID0.net
呉が何の名分も無く益州に攻め込んでもどうにもならんかっただろう
名将の高沛と楊懐に追い払われるのが関の山

760:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 16:02:11.20 nCO4PEo00.net
殷観の進言って時期微妙なような
進言の内容もいきなり断れじゃなくて当初は賛同しつつ、土地が安定してないからのらりくらりと躱せって感じだし孫権からの蜀攻めの申し出って京城会見後あたりじゃないの

761:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 17:57:58.73 sNP84dO20.net
>>760
そうだっけ
記憶たどって書いたから違ってたら改訂版たのむ

762:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 19:41:57.98 h/GFaAuo0.net
>>754
あわよくば漢中を得て天下二分やろ

763:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 20:04:02.99 h/GFaAuo0.net
楊懐高沛は龐統に名将と評価される
顔良文醜は孔融に名将と評価される
楊懐高沛は具体的戦功が残らない
顔良文醜は具体的戦功が残らない
楊懐=顔良=高沛=文醜
っていうのをどっかで見た

764:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 20:29:19.85 fpD+cwQiO.net
郭図と李確も軍人としては優秀だったとこのスレで読んだが、軍事能力に大して差は無いのかもね

765:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 21:03:22.66 h/GFaAuo0.net
>>764
李傕は間違いなく強いだろ

766:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 22:21:16.95 MctR8kgU0.net
郭図が少数で李確ぶっ飛ばす記述あった気がする

767:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 22:22:19.15 MctR8kgU0.net
郭図じゃないな。郭汜だわ

768:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 01:12:05.77 O/CmP8PE0.net
>>744内通者はたまたま法正が劉備の元へ訪れて劉備を主君としたいと思うようなり
そこから法正と張松が内通者になったわけだから
ホウ統が最初っから内通者を作戦に組み込んでいたなんて事は無いはずだわ

769:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 02:24:03.79 WlGCY6Io0.net
>>744
?統は内通者を織り込んだ計略も発言もしていなで
そもそも、張松法正の側から内通計画が打診されたものやぞ?(故に劉備は法正に頭が上がらない)
変じゃね?
関羽張飛を手足の如き使って戦いを進めれば、天下統一できるで!って進言なのに
置物程度と解釈する余地は無いで?
しかもこの進言、劉備は部下の関羽と張飛がすげー強いから、そのままにしておくと厄介
逆に分断して利用すべきです。という内容で上から目線かもしれないが、かなり重視してるで

770:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:09:07.03 md/YbHzY0.net
>>768
呉の元にも益州から甘寧だの李異だの襲粛だの帰順した奴らが配下に居るが
そもそも呉には益州の反劉璋勢力の東州兵の残党と繋がり有る人物が居るんだから
呉には益州進撃して反劉璋勢力の協力仰がないで進撃する想定しない訳がないんだが
>ホウ統が最初っから内通者を作戦に組み込んでいたなんて事は無いはずだわ
これには同意
劉備陣営には東州兵の残党と繋がり有る人物は居ないので
張松法正から蜀取りの話持ちかけられた時にはホウ統は東州兵をあてにせず
劉璋ひっ捕えるだの成都急行して陥落させるだの電撃作戦を上策としている
>>769
周瑜は関張を「分けて」「別々の地方で」使う事を進言しているからな
分断する事が主であり関張を主力軍で使う事は想定していないが

771:769
18/09/16 09:16:54.95 md/YbHzY0.net
趙韙

772:769
18/09/16 09:20:43.66 md/YbHzY0.net
訂正
東州兵は親劉璋勢力だな
反東州兵の趙韙の残党が呉に帰順した連中
なので呉は反劉璋勢力の趙韙の残党の協力を仰ぐ事になる

773:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:24:45.02 0a3ab/A00.net
白水軍を放置して戦うのは愚策だろ、挟撃ゆるしちまう。
ホウ統は楊懐らを「名将」と位置づけて騙し討ちも進言してる。まぁ「名将」呼ばわりはブラフだとしても後顧の憂いだったのは変わりない

774:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:27:29.44 0a3ab/A00.net
>>772
趙韙残党なんていたのかな?
反抗する豪族は狩り尽くされた印象

775:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:37:40.69 md/YbHzY0.net
>>774
趙韙残党というよりも反東州兵勢力というべきか
表現難しくてスマソ
あからさまに東州兵に対抗したのが趙韙ぐらいで
日頃の東州兵の乱暴狼藉に怨嗟する民衆が潜在的に居て
呉にはその民衆と繋がり有る人物が居るという事
まあ甘寧は民衆に乱暴狼藉していたイメージ有るがw

776:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:53:22.92 4DcIkjN50.net
どこから引用してきてるのかサッパリ判らん

777:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 10:10:07.92 0a3ab/A00.net
劉璋への脅し文句で李異甘寧の名前あがるし影響あるんだろ一応

778:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 14:24:23.76 WlGCY6Io0.net
>>770
反勢力のない勢力なんて無い
反勢力と内応者はまったく違うものだし想定が異なる
そもそも、関羽張飛を分けるのは、すげー強いから。から始まる進言
劉備と一緒にいると「あいつら反乱起こすぜ」的懸念を言っている通り
一つにまとまらせない事が進言の主要因ではあるが
まとまらせず「彼らの力を使えば天下統一できます」と
進言しているので、「強く」想定はしている

779:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 14:28:56.45 WlGCY6Io0.net
個人的に、この頃の孫権と劉備の関係はい、劉表と劉備の関係、
劉備は孫権んお客将の立ち位置に近い関係ではないかと思ってる
(少なくとも呉から見たら。劉備はそれに対抗措置を撮っている)
そうすると荊州の貸した貸さないがわかりやすい

780:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 14:50:40.05 jVslx3bR0.net
>>779
とは言え
劉備も劉琦を後見して荊州刺史にしたり(後に劉備自身が荊州牧)
孫権を車騎将軍代行や徐州牧にしたりしてて
名分的には荊州においては劉備の方が上位なんだよね(さすが左将軍と言うべきか)
まあ呉について言えば最終的に孫権の皇帝即位に至る通り名分を重視しないのかも知れん

781:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:05:35.13 0cylzP1O0.net
小国の蜀に名将はただ関羽のみ、だろ

782:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:08:18.42 WlGCY6Io0.net
>>780
足利義昭と織田信長と言った方がいいのかもしれない
劉備を皇帝に押した立てて、傀儡にして名分を得るつもりだったんじゃないかなと妄想してる
関羽張飛も劉備が皇帝になるなら文句なく働くだろうし、徐々に劉備軍解体

783:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:11:14.76 0cylzP1O0.net
今更劉備を傀儡にしようとか阿呆すぎる
名実ともに有していて野心も抱える梟雄はどうにもならん気がするんだが

784:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:49:41.48 WlGCY6Io0.net
>>783
周瑜ばかにすんな!
劉備も「当時も諸葛亮が言ってたけど単身で呉に赴くのはやばかった。」と
?統に述懐してるところからみても絵空事ではないと思うで

785:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:03:16.60 TQg9VT3G0.net
劉備が天下統一しているぞ
URLリンク(www.youtube.com)

786:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:10:20.19 TGTXQtpb0.net
なんの実績もない若造ならともかく華北各地を転戦して自前の兵も将も持ってる
自分より年上の劉備を傀儡にできるというのは見通しが甘過ぎ

787:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:17:07.73 jVslx3bR0.net
>>784
そりゃいくら劉備でも単身はヤバいやろ
それと劉備を傀儡にする事は別や

788:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:20:38.34 WlGCY6Io0.net
>>787
劉備が「単身で呉に赴いたのは、拉致監禁されて人質にされる危険があったな、危なかった。
当時諸葛亮が注意してたけどマジやばかったな」とホウ統と述懐してるので
周瑜たちも劉備を骨抜き策を進言してる。
何が別なんや?

789:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:23:52.48 WlGCY6Io0.net
劉備が、ホウ統に、「お前も劉備懐柔策を献策したんか?」と聞いた時の話ね
なのでホウ統も功曹ではあるけど、シンクタンクの一人というのは確かやと思うね

790:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:24:20.88 jVslx3bR0.net
>>788
骨抜きならまだしも
拉致監禁とか恨み買い過ぎて孫策コース真っしぐらや
しかも相手は関張

791:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:25:49.08 jVslx3bR0.net
そういや呉は周瑜のイケイケな戦略で孫策が高転びしてるんだよな

792:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:59:26.31 WlGCY6Io0.net
>>790
拉致軟禁ではあるけれど、そこで骨抜きにする作戦
呉から帰さない作戦が多数進言されているという話
まぁ読んでみて

793:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 17:32:22.89 w3ouRvpF0.net
>>792
どの道失敗してる策やし
掘り下げる必要ないやろ

794:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 19:15:11.82 WlGCY6Io0.net
>>793
そもそも実行してないぞ
荊州の貸し借り問題を理解する上で、呉視点として劉備が客将に近い形だったのではないか。
呉の思惑として劉備を擁立するつもりだったのではないかという想像したよって話だ。
「ありえない」と言われたので根拠を説明しているだけ

795:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 19:17:17.50 WlGCY6Io0.net
本題は周瑜が益州討伐において関羽張飛を戦力と見ていたかだね
見ていたと思うよ。という主張。

796:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:14:44.15 w3ouRvpF0.net
>>794
擁立という時点で全く客将とは言えず
今度は拉致監禁して軍閥解体するってのが擁立とは言えない
ありえないというより貴方自身の論理が自己矛盾してるだけの話

797:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:20:13.76 w3ouRvpF0.net
>>795
それについてはそうだと思う
曹操は軍閥そのままに活用しようとして
周瑜は軍閥を解体して活用しようとした
そんな違いが見られるかな
孫堅の死後やられて袁術の死後やり返した事を劉備の軍にやろうとした形

798:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:26:25.63 w3ouRvpF0.net
そういえば
孫呉は袁術の後継者的な勢力な訳だけど
当然ながら劉備軍が徐州にてその袁術の侵攻を防いだ事を周瑜は知ってる筈なんだよな

799:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:35:11.35 WlGCY6Io0.net
>>796
客将という立ち位置
客将の種類として擁立かもね(例:足利義昭)
分かりづらい?
擁立することで、劉備軍を取り込むを事ができるから
方法論として劉備軍と劉備を切り離し、権威のみの存在にする
分かりづらい?

800:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:38:54.26 j8I8Qole0.net
>>799
まず義昭は将じゃないので客将なんて言う人は誰も居ないよ
そして劉表と劉備の関係じゃないのは明らかやね

801:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:46:43.23 j8I8Qole0.net
まあ後漢末期から三国鼎立までの勢力間の関係性は難しくて
なかなか把握し難いんだけどね

802:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:50:54.75 im3y+M8k0.net
上賓として迎えるけど重用はせず
祭り上げるけど実権は与えずに関羽張飛らを劉備の主命のもとで意のままに動かすってのが孫権側の思惑ってことでおk?

803:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:58:20.52 j8I8Qole0.net
>>802
バランス難しすぎて机上の空論としか思えんな
劉備殺してしまった方が遥かにマシに見えるけど孫策の死因がトラウマだったのかもね

804:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:04:18.08 j8I8Qole0.net
何気に孫呉は孫策からの因縁が後々まで影響してるからなあ
二宮の変なんかの伏線もたっぷり

805:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:05:13.95 im3y+M8k0.net
>>803
だよなぁ
無理がありまくりだよな

806:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:12:58.12 im3y+M8k0.net
二宮の変すき
処刑者の傾向ってどんなんなんだろ

807:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:43:23.76 WlGCY6Io0.net
>>800
客将みたいな立場、その一つとして擁立するために呼び込んだんじゃないかという想像
>>802
そう。想像だけどね
呉の弱点である名分と権威を手に入れる事ができる
国家として独立して劉備は無理だけど、二代目あたりから禅定させる
孫権は劉備より若いからね
関羽張飛を手に入れる計画もスムーズになる
モデルケースはもちろん曹魏

808:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:46:05.30 im3y+M8k0.net
>>807
無理だろ……曹魏モデルってことは献帝か?
私兵も持たない劉協と強力な軍閥をもつ劉備じゃ話が違うだろ

809:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:35:30.76 WlGCY6Io0.net
>>808
劉備軍解体吸収、周瑜ができると言ってるんだからできるのでは?

810:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:42:54.97 j8I8Qole0.net
>>809
結局やらないと判断してて間違ってない判断だと思うよ
結局殺さざるを得なくなり孫権が第二の孫策になる可能性も高い
当時の孫呉はそんな感じで対立してた豪族連中ばかりやしな

811:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:49:04.25 j8I8Qole0.net
劉備が呂布に徐州奪われました際も
丹陽兵軍閥の裏切りを張飛が抑えきれなかったという説もあるし
曹操が徐州で虐殺したのも青州兵(という名の難民)を入植させるためだという説もある
強力な軍閥を手懐けるってのはとてつもなく難しい

812:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:50:32.38 WlGCY6Io0.net
>>810
作戦の沿線上に擁立があったんじゃないか、という想像ね
周瑜ほどの男が「できる」と判断したことを「できない」と断定するのはどうなんかなぁ
やらなかったのは「できない」からではなく他の戦略を採択しただけだしな
その後、魯粛の考えは間違っていたかもしれないとか言われる始末。
歴史の可能性は無限大だね

813:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:52:47.26 WlGCY6Io0.net
>>811
これは呉という勢力が吸収合併でできた国だから
同じ発想の進言が多数出たのかもしれないね

814:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:55:55.17 j8I8Qole0.net
>>812
そもそも劉備は
曹操程の人物が御し得なかった人材です
周瑜がそこまで有能なら一番大切な孫策が死ぬ事も無かったでしょうね

815:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:57:25.69 j8I8Qole0.net
>>813
そして当時の孫呉は孫策時代に敵対した豪族の始末に苦労した時期でもあるね

816:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 23:58:02.09 giGW9sTF0.net
それが以外とそうでもない
劉備単独だと問題を先延ばしにする性格でもある
曹操の時も周りが騒いだ訳だし
劉備の性格を見抜いた周瑜の策だと思うよ

817:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 00:07:02.76 ISdSOpcM0.net
>>812
いやいや、孫権自身が「できない」っていって却下してるじゃん

818:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 01:22:24.92 gGnC/JPC0.net
>>816
なんか演技の作った劉備像の被害者やな
挙兵からずっと劉備はむしろ決断が早すぎるぐらいの人生歩んでるやろ

819:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 06:42:31.19 WNU3HNNH0.net
むしろ抜け目なさすぎて「こいつ義理ワンじゃね?」って警戒されるのが大徳さんやし

820:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 07:03:02.12 jnFTTrar0.net
即断即断即逃亡

821:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 07:14:55.04 gGnC/JPC0.net
そういう意味で言えば
曹操の元から離れない方が天下統一のチャンスがあったのかも知れんな

822:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:02:48.51 gGnC/JPC0.net
>>817
戦下手はともかく戦略的な判断力は凄いよな
コーエーの能力査定的には統率もっと下げて知力をもっと上げた方が良いレベル
周りは豪族出身ばかりで本当の意味で信頼できる腹心は居ない
(というより何だかんだ移住組の張昭や諸葛瑾の存在はデカかったんやろな)
二宮の変についても耄碌したと言うにはあまりに対処の難しい問題やからね

823:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:16:48.72 zF09uqPY0.net
孫呉の場合、後の東晋以降の王朝みてても君主権力を集中しにくい土地柄と人間関係だし

824:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:21:58.62 gGnC/JPC0.net
>>823
歴史をマクロで見ると
南朝は生産力>軍事力やから
調整型の政治体制になるしかないんやろな

825:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:35:33.93 gGnC/JPC0.net
孫権の戦下手も呉兵の質込みの話やし
豪族の力の強さもまた呉の特徴で
明が元の独裁的な体制を取り入れるまで
南朝が北朝に勝てないってのが流れやからなあ

826:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:05:34.63 RFDpobt00.net
>>824
生産力でもまだまだ華北優位な時代じゃね
隋唐を経てようやく華中地域が生産力で逆転というイメージ

827:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:14:26.01 gGnC/JPC0.net
>>826
華北との比較じゃなく国内のバランスね
なんとなく思うのは当時の南方ってのは一種のフロンティアだったんじゃないかという事
呉における蛮族討伐は討伐という名の開拓地奪取であり人狩りであるというのは昔からある指摘で
呉の中原への関心の低さも含めて開拓時代から大戦で出しゃばるまでのアメリカを彷彿とさせるんだよね

828:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:19:28.49 eWGdr3QRO.net
地味も豊かと言われていて、楚や呉、秦漢と時代を経てそこまで未開なのかなと思う

829:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:26:30.45 gGnC/JPC0.net
>>828
少なくとも最盛期が宋から明の時代なぐらいに発展の余地がある訳で
そこは必要性や技術の進歩とか複合的な話になるでしょ
中原の混乱による移民の流入や稲作技術の発展等色々考えられるしね

830:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:32:18.76 gGnC/JPC0.net
例えば日本でも
とりあえず平安期には関東東北まで政治的な影響力は及んでいた訳だけど
実際に開拓が進んでいったのは平安末期から鎌倉で戦国から江戸にかけてまで生産力が上がってるからね

831:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:38:52.06 gGnC/JPC0.net
土地が有っても人が居ないとか
新しい技術で耕地が広がるとか
開拓仕切ってる現代日本人の感覚で考えちゃいけない事が多過ぎるよね

832:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:51:29.38 gGnC/JPC0.net
ぶっちゃけ古代の呉や楚の頃は
長江流域近くに都市国家の延長程度の勢力だった訳で
その後の王朝も基本的に原住民を服属させてた程度で
本格的に植民を始めたのが呉の頃だった可能性は高いと思う

833:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 12:55:09.59 28kicV7X0.net
>>822
孫権は豪族連中を昔から牽制してるからなぁ
呂壱や二宮も反豪族的な性格だったり?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 19:02:18.82 CEQlzRqe0.net
>>832っていうか春秋時代は中原の国も都市国家の延長みたいな勢力ばっかりだったからな
だから人口比がそこまで無かったんだろうな

835:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/19 21:35:09.50 BqTu2Mts0.net
二宮反豪族政策説たまに出るけどマジでそうなら孫酷と変わらんレベル

836:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 18:52:55.09 mrGxU9jg0.net
>>835
孫権耄碌説よりかは孫権の面子保てるだろ(適当)

837:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 19:10:14.12 D2YeWF290.net
未開というよりも、支配が及んでいないのが南方

838:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 19:19:27.89 920tcFoI0.net
高齢童貞のみなさん
枯れたオッサンたち
これが現実なんですよ?
URLリンク(blog.livedoor.jp)

839:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/21 22:12:53.27 xeevN8ds0.net
>>834
耕地が限られてる時点で年毎の差はおおきいよ
そして都市が密集する地域が当然あるので地域差はメチャクチャ大きい

840:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/30 22:26:11.36 /PV6W6480.net
藤林丈司


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