劉備が天下統一できなかった最大の原因その4at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その4 - 暇つぶし2ch700:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 07:35:18.27 fVQMvrza0.net
>>664
周瑜は関張は手下で使い走り前提だからな
特に英雄として遇している訳ではない
実際に江陵攻略戦では関張を使い走りで使っていた
大事業成せるとか言っても益州攻略計画の中に
関張は前提で織り込んでいない
ひょっとして火の言う事わからないアスペ?

701:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 07:54:29.93 7dSQDbxL0.net
関張ら熊虎の将は梟雄劉備もとのあってはじめての輝くから……

702:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 08:02:32.79 ZaeK4brW0.net
劉備は関羽張飛と比べて演義で能力が矮小化されてるよな。

703:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 08:19:40.19 iHLStHAy0.net
>>702
陳寿も嘆いてる通り
劉備軍の内情に関しては資料が少なく不明な部分が多い
それで他陣営の評価に頼るしかないんやろうけど演技なんかがそれを利用されてるんやろな

704:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 08:38:44.96 iHLStHAy0.net
まあ関羽と張飛については平原時点で兵を率いているから
劉備軍の強さにリンクさせてもおかしくは無いんだけどね
演技における劉備の一番の不幸は新野での曹操との戦いの功績を完全に徐庶と孔明に奪われた事やろね

705:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 08:50:26.85 iHLStHAy0.net
>>701
というか実際に荊南益州漢中と
攻略が容易い訳でも無い地域を比較的短期間のうちに落としまくってる事考えると普通にヤバい強さ
劉備が曹操の元から去らずに別働隊として働いていたとしたらとっくに天下が定まってたレベルや

706:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 09:33:55.82 KkXW8ybd0.net
>>705
劉備軍がかなり強いってそれ1
荊州益州は火事場泥棒騙し討ち臭いけど、それも込みの戦争だし有能だな

707:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 09:58:50.15 iHLStHAy0.net
>>706
荊州は赤壁以降ずっと火事場で
その火事場には呉も居たんやけどな
まあ赤壁で戦った魏と手を組む裏技で荊州手にした呉はある意味凄いよ

708:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 10:01:11.30 iHLStHAy0.net
>>706
益州の内応は劉備の声望有ってこそな上
結局は失敗して殆ど普通に戦ってるし

709:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 10:09:33.07 iHLStHAy0.net
そこからガチで漢中落としながら荊州で襄樊包囲して夏侯淵と于禁倒してるからなあ

710:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 13:04:26.76 358tcimX0.net
劉備は、劉琦を荊州刺史に立てたのちに荊州南部(武陵・長沙・桂陽・零陵)を征討しにいった。
もともと荊州は劉表が治めてたし、劉琦が刺史になったとか聞かされたら荊南の太守たちは
戦意喪失したんじゃなかろうか。降ったという感覚すらなかったかもしれない。
激しい攻防戦があったとは思いにくい。

711:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 13:34:48.14 OMQTYXJ+0.net
>>703
蜀志は底本ベースの魏志や呉志と違って現地の聞き取り調査と残された公文書ぐらいしか
情報ソースがなかったんだろうなぁ。
関張コンビの残念評価も好悪云々よりも資料や証言者の少なさだろうし。

712:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 15:43:55.82 LBZUvIIo0.net
>>710
劉度・韓玄・趙範は無抵抗降伏してるじゃん
死んだのは金旋だけ

713:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 16:20:02.00 fauogvSA0.net
>>712
金旋だけ死んだってどこ情報よ

714:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 16:23:54.31 iHLStHAy0.net
>>710
これ見ると普通に荊州は劉琦を擁した劉備のものやな

715:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:14:46.37 WLImck3i0.net
>>713
三輔決錄注

716:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:34:32.50 FBYUERNH0.net
>>714
いや劉備は荊南征討するのに呉から兵借りてる
周瑜も関張借りてるからスワッピングに近いが

717:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:41:11.91 iHLStHAy0.net
>>716
いやいや名分的な側面ね

718:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:47:12.70 fauogvSA0.net
名分論でいうなら劉備も孫権も漢の丞相曹操に逆らい、献帝の許可を得ず官職を僭称する逆賊だろ

719:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:52:14.90 iHLStHAy0.net
>>718
それは名分というより形式論やな

720:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:55:58.46 szqdQyKh0.net
>>712無抵抗に降服したかどうか分からないだろ
劉備伝には劉備が南の四郡に侵攻し、四太守が全部降服したとしか書かれていない
戦った末に降服したのか、戦わずに降服したのかこれじゃ分からない
三輔決録;注が本当なら金旋だけは戦って死亡したと思うが

721:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 17:58:48.51 szqdQyKh0.net
>>718劉備は曹操を誅伐すべきという密勅を授かってるから
曹操を倒す大義名分を持ってるだろ
まあその密勅が正当なものかは怪しいが

722:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 18:08:58.53 VvQ90IJx0.net
>>720
そうだね、無抵抗は妄想だったわ

723:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 18:09:17.29 358tcimX0.net
荊州刺史の王叡が孫堅にぬっ殺される

代わりに劉表が荊州刺史に

劉表病死で劉琮が継ぐ

曹操が南下してきたら劉琮は無抵抗降伏 劉備と劉琦は敗走

赤壁で曹操大敗 曹操は北帰するも曹仁を南郡に駐屯させる

周瑜・程普が曹仁を追い出す 周瑜が南郡太守に

劉備が上表して劉琦を荊州刺史に 荊南攻略

劉備が荊州の一部を借り受ける 劉琦死去 劉備が荊州牧になり公安に駐屯

周瑜死去 劉備は孫瑜が益州攻略に向かうのを阻止

こんな流れかな?
荊州は誰のものっていうか、劉琮が降伏した時からは曹操(漢)のものだろうし
曹仁を追い出したのは周瑜だから、荊州は呉のものって孫権は認識してるし
劉表の遺児が荊州刺史になったんだから呉のものじゃないでしょって劉備たちは思ってるし

724:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 18:09:20.13 JwdbyHGx0.net
>>717
それこそ曹操だろ
劉琮からの降伏からの自称ではない献帝からの任命

725:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/10 18:29:48.59 iHLStHAy0.net
>>724
まあ自称でも無かったりするけどね

726:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/11 00:12:35.08 20QpSsxh0.net
>>700
劉備幽閉計画は頓挫してるんだから
そりゃ関張は使えないだろ

727:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/11 02:39:06.29 bdN6k2qD0.net
>>726
関張は使わなくても大事業計画立てられる程度の存在という事だろ
関張はどうみても馬超よりも当てにされてない

728:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/11 07:06:59.19 V5Rt68Pv0.net
>>727
独自の軍閥と異民族へのコネを持つ群雄と劉備軍のいち幹部を比べるのは違う気がする

729:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/11 08:26:39.79 cmwX1YX70.net
蜀取りって甘寧も進言してるし元々の規定路線
関張と会う前から攻める気はあったんたからいなくてもやるでしょ

730:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/12 21:37:59.02 BG3nVAnp0.net
>>707
数年で再度魏と関係悪化して詰みそうになってたし先が読めてるんだか読めてないんだか

731:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/12 22:01:39.47 TDFfZbdJ0.net
>>729
魏延の長安直接強襲かな?

732:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 00:08:42.87 SfcMflZW0.net
関張を使うってのは、武勇ももちろんだが
本音は兵が足りんという所が大きいのかもしれないなぁ

733:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 07:29:19.70 Xvmv0ygK0.net
この頃の孫呉って兵ぜんぜんいないもんな。

734:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 13:24:41.01 K9lR8mER0.net

特に騎兵の不足は西や北に進出する上で深刻な問題やろな
これは孫呉以降の南朝がずっと抱え続ける根本的な問題でもあるけど

735:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 13:56:00.28 ND48KFWt0.net
孟達が曹丕に、蜀では食肉の味の薄さを誤魔化すのに蜜を掛けて食べるみたいなこと話していたけど、そういう所からも蜀では畜産に向かない土地柄であったことが伺えるね
諸葛亮や姜維が涼州獲りに固執していたのも馬が欲しかったからだと思う

736:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 14:49:02.32 wuhQcq+h0.net
>>735
いや、北伐が人さえ困難な道で馬や牛なんか使えないからだろ

737:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 16:18:09.95 K9lR8mER0.net
>>735
まあ馬だけおっても
それに乗る兵と指揮する将がいる
そういう意味で関張は喉から手が出る程欲しい存在やろな

738:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 16:24:55.56 K9lR8mER0.net
>>735
それより何より涼州は漢中避けて蜀に入る裏口みたいなもんやから最低でも安定させない事が重要
法正も漢中後に涼州進出考えてたみたいやから北伐の戦略は当時から考えられてた可能性は高いな

739:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 18:43:06.57 kIM81Hgm0.net
関張は呉にとってはイラネ
関羽に対しては呂蒙は生け捕り計画なんて立ててないし
降伏しないで逃げ出せば撫で斬りで首イラネで曹操の元へ転送
張飛の首なんて范彊張達が持ってきてもポイ捨てでその後行方不明

740:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 19:08:53.73 K9lR8mER0.net
>>739
そりゃ姻戚関係条件に引き抜き掛けてアッサリ断られてる呉からすればヤるしかないやん
そして死んだ張飛をどうしろと

741:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 19:17:39.59 K9lR8mER0.net
>>739
加えてその頃は劉備が蜀取って漢中取るタイミングで天下二分とか出来なくなってるからなあ
劉備の勢力拡大がヤバくて呉は何をやってでも荊州奪うマン状態やし

742:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 19:48:04.33 RpyA2ueS0.net
魯班が悪いよー魯班が

743:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/14 22:07:46.83 SfcMflZW0.net
>>739
それは荊州を奪還するための話。
益州を併呑するには関羽張飛(劉備本軍)が必要だろうに思う
せめて内通者が必要だな

744:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 08:12:30.87 1++jrNTi0.net
>>743
だから周瑜の益州を併呑する計画には
はなから関張(劉備軍)は当てにしていないんだけど
せいぜい荊州の守り(置物)程度にしか考えていない
周瑜の益州を併呑する計画は元部下のホウ統に受け継がれているので
内通者は織り込んでいた可能性あるが
しかしそのホウ統の益州を併呑する計画でも関張は荊州の置物
ホウ統死んで諸葛亮呼んだときに張飛も一緒に益州来たがな
周瑜の劉備軍に対する上から目線は赤壁の戦いで劉備と初めて関わってから
劉備の軍慰問や最前線へ兵提供とかことごとく断り
赤壁終わって江陵攻略で劉備が無理やり関張提供したものの
使ってみても楽進に敗退するわで芳しい成果上げていない
京城での劉備傀儡計画も劉備は神輿で関張は手足程度の認識
周瑜は死ぬまで劉備や関張には上から目線だよ
どこから周瑜の関張マンセーが出てくるんだか

745:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 08:25:19.13 s1fuRTiR0.net
>>744
龐統は地方官として周瑜に仕えただけでそんな強固な故吏関係が短期間で構築できるわきゃねーだろ

746:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 08:36:46.88 1++jrNTi0.net
>>745
龐統は周瑜の喪で呉の地を訪れた短期間で
呉臣の陸績・全琮・顧邵らと深い親交を結んでいるんだがw
あと功曹は郡内の役人の功績を算定する部局なので
周瑜直属の可能性高いが

747:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 08:40:17.56 s1fuRTiR0.net
>>746
龐統が周瑜の構想引き継いだなんてお前の妄想にしか過ぎねーから

748:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 08:44:15.39 1++jrNTi0.net
>>747
そんな捨て台詞いいから
読み応えある懸賞に値する反証よろしくね無能

749:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 11:07:40.23 qUZFL1/ZO.net
妄想の暴走もよろしくないけどな。
関羽に関しては、今までは顔良斬りは乱戦時にたまたま見つけて刺しただけとか、ホウ徳の矢で眉間を射られたときは兜を被っていたため兜に弾かれ無事だった。とか、正史の考証と呼ぶにはほど遠い妄想長文の暴走が酷かった。
自分の中で役を決めて物語を勝手に構築してしまうのは考察とは言わんよ。

750:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 12:22:22.64 U1WHT0hg0.net
>>703
>>749

751:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 12:23:47.50 Gmp2oa5m0.net
>>748
まずは三国志本文から論拠引っ張ってくるのが筋じゃね

752:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:18:13.80 LUownws20.net
孫権は劉備に一緒に蜀取ろうと持ち掛けてるし益州攻めって孫劉の合同作戦じゃないの
劉備が非協力で江陵にいる状態で益州攻めなんかしないだろ

753:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:23:21.23 U1WHT0hg0.net
>>752
>>723

754:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:32:49.68 8MNEXPx30.net
劉備の入蜀と同時期に呉は呂岱を漢中方面に派遣してるんだよね
あれはどういう目的なのか、どういう名目で送り出したのかいまいち掴みづらいな

755:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:34:18.51 LUownws20.net
>>753
つーことは蜀攻めは別に周瑜いなくてもよかったと

756:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 14:35:39.60 U1WHT0hg0.net
>>755
?

757:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 15:03:25.66 sNP84dO20.net
>>752
周瑜は孫瑜を総大将として益州を攻略に行くことを孫権に進言した。
孫権は許可した。
周瑜はその準備中に死去。
孫権は劉備に蜀を一緒に獲ろうと誘いをかける。
劉備は、自分で益州取るつもりだったので、殷観から
「呉の鉄砲玉として使われるだけ。失敗したらどうするんですか。断りましょう。」
と言われ、その意見に従った。
孫権は劉備に断られても強引に孫瑜ひとりに水軍を率いて益州へと向かわせた。
劉備は孫瑜を通せんぼして
「私と同性の劉璋さんを攻めるのやめたげて!どうしても行くならオイラ山にこもります」
と脅した。
それを聞いた孫権は孫瑜を召還した。
先主伝、周瑜伝読んで。

758:756
18/09/15 15:11:23.39 sNP84dO20.net
×先主伝、周瑜伝読んで。
〇先主伝、魯粛伝読んで。

759:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 15:40:07.30 Al9M2fID0.net
呉が何の名分も無く益州に攻め込んでもどうにもならんかっただろう
名将の高沛と楊懐に追い払われるのが関の山

760:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 16:02:11.20 nCO4PEo00.net
殷観の進言って時期微妙なような
進言の内容もいきなり断れじゃなくて当初は賛同しつつ、土地が安定してないからのらりくらりと躱せって感じだし孫権からの蜀攻めの申し出って京城会見後あたりじゃないの

761:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 17:57:58.73 sNP84dO20.net
>>760
そうだっけ
記憶たどって書いたから違ってたら改訂版たのむ

762:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 19:41:57.98 h/GFaAuo0.net
>>754
あわよくば漢中を得て天下二分やろ

763:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 20:04:02.99 h/GFaAuo0.net
楊懐高沛は龐統に名将と評価される
顔良文醜は孔融に名将と評価される
楊懐高沛は具体的戦功が残らない
顔良文醜は具体的戦功が残らない
楊懐=顔良=高沛=文醜
っていうのをどっかで見た

764:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 20:29:19.85 fpD+cwQiO.net
郭図と李確も軍人としては優秀だったとこのスレで読んだが、軍事能力に大して差は無いのかもね

765:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 21:03:22.66 h/GFaAuo0.net
>>764
李傕は間違いなく強いだろ

766:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 22:21:16.95 MctR8kgU0.net
郭図が少数で李確ぶっ飛ばす記述あった気がする

767:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/15 22:22:19.15 MctR8kgU0.net
郭図じゃないな。郭汜だわ

768:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 01:12:05.77 O/CmP8PE0.net
>>744内通者はたまたま法正が劉備の元へ訪れて劉備を主君としたいと思うようなり
そこから法正と張松が内通者になったわけだから
ホウ統が最初っから内通者を作戦に組み込んでいたなんて事は無いはずだわ

769:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 02:24:03.79 WlGCY6Io0.net
>>744
?統は内通者を織り込んだ計略も発言もしていなで
そもそも、張松法正の側から内通計画が打診されたものやぞ?(故に劉備は法正に頭が上がらない)
変じゃね?
関羽張飛を手足の如き使って戦いを進めれば、天下統一できるで!って進言なのに
置物程度と解釈する余地は無いで?
しかもこの進言、劉備は部下の関羽と張飛がすげー強いから、そのままにしておくと厄介
逆に分断して利用すべきです。という内容で上から目線かもしれないが、かなり重視してるで

770:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:09:07.03 md/YbHzY0.net
>>768
呉の元にも益州から甘寧だの李異だの襲粛だの帰順した奴らが配下に居るが
そもそも呉には益州の反劉璋勢力の東州兵の残党と繋がり有る人物が居るんだから
呉には益州進撃して反劉璋勢力の協力仰がないで進撃する想定しない訳がないんだが
>ホウ統が最初っから内通者を作戦に組み込んでいたなんて事は無いはずだわ
これには同意
劉備陣営には東州兵の残党と繋がり有る人物は居ないので
張松法正から蜀取りの話持ちかけられた時にはホウ統は東州兵をあてにせず
劉璋ひっ捕えるだの成都急行して陥落させるだの電撃作戦を上策としている
>>769
周瑜は関張を「分けて」「別々の地方で」使う事を進言しているからな
分断する事が主であり関張を主力軍で使う事は想定していないが

771:769
18/09/16 09:16:54.95 md/YbHzY0.net
趙韙

772:769
18/09/16 09:20:43.66 md/YbHzY0.net
訂正
東州兵は親劉璋勢力だな
反東州兵の趙韙の残党が呉に帰順した連中
なので呉は反劉璋勢力の趙韙の残党の協力を仰ぐ事になる

773:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:24:45.02 0a3ab/A00.net
白水軍を放置して戦うのは愚策だろ、挟撃ゆるしちまう。
ホウ統は楊懐らを「名将」と位置づけて騙し討ちも進言してる。まぁ「名将」呼ばわりはブラフだとしても後顧の憂いだったのは変わりない

774:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:27:29.44 0a3ab/A00.net
>>772
趙韙残党なんていたのかな?
反抗する豪族は狩り尽くされた印象

775:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:37:40.69 md/YbHzY0.net
>>774
趙韙残党というよりも反東州兵勢力というべきか
表現難しくてスマソ
あからさまに東州兵に対抗したのが趙韙ぐらいで
日頃の東州兵の乱暴狼藉に怨嗟する民衆が潜在的に居て
呉にはその民衆と繋がり有る人物が居るという事
まあ甘寧は民衆に乱暴狼藉していたイメージ有るがw

776:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 09:53:22.92 4DcIkjN50.net
どこから引用してきてるのかサッパリ判らん

777:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 10:10:07.92 0a3ab/A00.net
劉璋への脅し文句で李異甘寧の名前あがるし影響あるんだろ一応

778:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 14:24:23.76 WlGCY6Io0.net
>>770
反勢力のない勢力なんて無い
反勢力と内応者はまったく違うものだし想定が異なる
そもそも、関羽張飛を分けるのは、すげー強いから。から始まる進言
劉備と一緒にいると「あいつら反乱起こすぜ」的懸念を言っている通り
一つにまとまらせない事が進言の主要因ではあるが
まとまらせず「彼らの力を使えば天下統一できます」と
進言しているので、「強く」想定はしている

779:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 14:28:56.45 WlGCY6Io0.net
個人的に、この頃の孫権と劉備の関係はい、劉表と劉備の関係、
劉備は孫権んお客将の立ち位置に近い関係ではないかと思ってる
(少なくとも呉から見たら。劉備はそれに対抗措置を撮っている)
そうすると荊州の貸した貸さないがわかりやすい

780:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 14:50:40.05 jVslx3bR0.net
>>779
とは言え
劉備も劉琦を後見して荊州刺史にしたり(後に劉備自身が荊州牧)
孫権を車騎将軍代行や徐州牧にしたりしてて
名分的には荊州においては劉備の方が上位なんだよね(さすが左将軍と言うべきか)
まあ呉について言えば最終的に孫権の皇帝即位に至る通り名分を重視しないのかも知れん

781:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:05:35.13 0cylzP1O0.net
小国の蜀に名将はただ関羽のみ、だろ

782:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:08:18.42 WlGCY6Io0.net
>>780
足利義昭と織田信長と言った方がいいのかもしれない
劉備を皇帝に押した立てて、傀儡にして名分を得るつもりだったんじゃないかなと妄想してる
関羽張飛も劉備が皇帝になるなら文句なく働くだろうし、徐々に劉備軍解体

783:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:11:14.76 0cylzP1O0.net
今更劉備を傀儡にしようとか阿呆すぎる
名実ともに有していて野心も抱える梟雄はどうにもならん気がするんだが

784:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 15:49:41.48 WlGCY6Io0.net
>>783
周瑜ばかにすんな!
劉備も「当時も諸葛亮が言ってたけど単身で呉に赴くのはやばかった。」と
?統に述懐してるところからみても絵空事ではないと思うで

785:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:03:16.60 TQg9VT3G0.net
劉備が天下統一しているぞ
URLリンク(www.youtube.com)

786:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:10:20.19 TGTXQtpb0.net
なんの実績もない若造ならともかく華北各地を転戦して自前の兵も将も持ってる
自分より年上の劉備を傀儡にできるというのは見通しが甘過ぎ

787:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:17:07.73 jVslx3bR0.net
>>784
そりゃいくら劉備でも単身はヤバいやろ
それと劉備を傀儡にする事は別や

788:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:20:38.34 WlGCY6Io0.net
>>787
劉備が「単身で呉に赴いたのは、拉致監禁されて人質にされる危険があったな、危なかった。
当時諸葛亮が注意してたけどマジやばかったな」とホウ統と述懐してるので
周瑜たちも劉備を骨抜き策を進言してる。
何が別なんや?

789:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:23:52.48 WlGCY6Io0.net
劉備が、ホウ統に、「お前も劉備懐柔策を献策したんか?」と聞いた時の話ね
なのでホウ統も功曹ではあるけど、シンクタンクの一人というのは確かやと思うね

790:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:24:20.88 jVslx3bR0.net
>>788
骨抜きならまだしも
拉致監禁とか恨み買い過ぎて孫策コース真っしぐらや
しかも相手は関張

791:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:25:49.08 jVslx3bR0.net
そういや呉は周瑜のイケイケな戦略で孫策が高転びしてるんだよな

792:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 16:59:26.31 WlGCY6Io0.net
>>790
拉致軟禁ではあるけれど、そこで骨抜きにする作戦
呉から帰さない作戦が多数進言されているという話
まぁ読んでみて

793:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 17:32:22.89 w3ouRvpF0.net
>>792
どの道失敗してる策やし
掘り下げる必要ないやろ

794:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 19:15:11.82 WlGCY6Io0.net
>>793
そもそも実行してないぞ
荊州の貸し借り問題を理解する上で、呉視点として劉備が客将に近い形だったのではないか。
呉の思惑として劉備を擁立するつもりだったのではないかという想像したよって話だ。
「ありえない」と言われたので根拠を説明しているだけ

795:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 19:17:17.50 WlGCY6Io0.net
本題は周瑜が益州討伐において関羽張飛を戦力と見ていたかだね
見ていたと思うよ。という主張。

796:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:14:44.15 w3ouRvpF0.net
>>794
擁立という時点で全く客将とは言えず
今度は拉致監禁して軍閥解体するってのが擁立とは言えない
ありえないというより貴方自身の論理が自己矛盾してるだけの話

797:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:20:13.76 w3ouRvpF0.net
>>795
それについてはそうだと思う
曹操は軍閥そのままに活用しようとして
周瑜は軍閥を解体して活用しようとした
そんな違いが見られるかな
孫堅の死後やられて袁術の死後やり返した事を劉備の軍にやろうとした形

798:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:26:25.63 w3ouRvpF0.net
そういえば
孫呉は袁術の後継者的な勢力な訳だけど
当然ながら劉備軍が徐州にてその袁術の侵攻を防いだ事を周瑜は知ってる筈なんだよな

799:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:35:11.35 WlGCY6Io0.net
>>796
客将という立ち位置
客将の種類として擁立かもね(例:足利義昭)
分かりづらい?
擁立することで、劉備軍を取り込むを事ができるから
方法論として劉備軍と劉備を切り離し、権威のみの存在にする
分かりづらい?

800:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:38:54.26 j8I8Qole0.net
>>799
まず義昭は将じゃないので客将なんて言う人は誰も居ないよ
そして劉表と劉備の関係じゃないのは明らかやね

801:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:46:43.23 j8I8Qole0.net
まあ後漢末期から三国鼎立までの勢力間の関係性は難しくて
なかなか把握し難いんだけどね

802:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:50:54.75 im3y+M8k0.net
上賓として迎えるけど重用はせず
祭り上げるけど実権は与えずに関羽張飛らを劉備の主命のもとで意のままに動かすってのが孫権側の思惑ってことでおk?

803:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 20:58:20.52 j8I8Qole0.net
>>802
バランス難しすぎて机上の空論としか思えんな
劉備殺してしまった方が遥かにマシに見えるけど孫策の死因がトラウマだったのかもね

804:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:04:18.08 j8I8Qole0.net
何気に孫呉は孫策からの因縁が後々まで影響してるからなあ
二宮の変なんかの伏線もたっぷり

805:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:05:13.95 im3y+M8k0.net
>>803
だよなぁ
無理がありまくりだよな

806:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:12:58.12 im3y+M8k0.net
二宮の変すき
処刑者の傾向ってどんなんなんだろ

807:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:43:23.76 WlGCY6Io0.net
>>800
客将みたいな立場、その一つとして擁立するために呼び込んだんじゃないかという想像
>>802
そう。想像だけどね
呉の弱点である名分と権威を手に入れる事ができる
国家として独立して劉備は無理だけど、二代目あたりから禅定させる
孫権は劉備より若いからね
関羽張飛を手に入れる計画もスムーズになる
モデルケースはもちろん曹魏

808:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 21:46:05.30 im3y+M8k0.net
>>807
無理だろ……曹魏モデルってことは献帝か?
私兵も持たない劉協と強力な軍閥をもつ劉備じゃ話が違うだろ

809:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:35:30.76 WlGCY6Io0.net
>>808
劉備軍解体吸収、周瑜ができると言ってるんだからできるのでは?

810:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:42:54.97 j8I8Qole0.net
>>809
結局やらないと判断してて間違ってない判断だと思うよ
結局殺さざるを得なくなり孫権が第二の孫策になる可能性も高い
当時の孫呉はそんな感じで対立してた豪族連中ばかりやしな

811:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:49:04.25 j8I8Qole0.net
劉備が呂布に徐州奪われました際も
丹陽兵軍閥の裏切りを張飛が抑えきれなかったという説もあるし
曹操が徐州で虐殺したのも青州兵(という名の難民)を入植させるためだという説もある
強力な軍閥を手懐けるってのはとてつもなく難しい

812:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:50:32.38 WlGCY6Io0.net
>>810
作戦の沿線上に擁立があったんじゃないか、という想像ね
周瑜ほどの男が「できる」と判断したことを「できない」と断定するのはどうなんかなぁ
やらなかったのは「できない」からではなく他の戦略を採択しただけだしな
その後、魯粛の考えは間違っていたかもしれないとか言われる始末。
歴史の可能性は無限大だね

813:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:52:47.26 WlGCY6Io0.net
>>811
これは呉という勢力が吸収合併でできた国だから
同じ発想の進言が多数出たのかもしれないね

814:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:55:55.17 j8I8Qole0.net
>>812
そもそも劉備は
曹操程の人物が御し得なかった人材です
周瑜がそこまで有能なら一番大切な孫策が死ぬ事も無かったでしょうね

815:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 22:57:25.69 j8I8Qole0.net
>>813
そして当時の孫呉は孫策時代に敵対した豪族の始末に苦労した時期でもあるね

816:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/16 23:58:02.09 giGW9sTF0.net
それが以外とそうでもない
劉備単独だと問題を先延ばしにする性格でもある
曹操の時も周りが騒いだ訳だし
劉備の性格を見抜いた周瑜の策だと思うよ

817:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 00:07:02.76 ISdSOpcM0.net
>>812
いやいや、孫権自身が「できない」っていって却下してるじゃん

818:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 01:22:24.92 gGnC/JPC0.net
>>816
なんか演技の作った劉備像の被害者やな
挙兵からずっと劉備はむしろ決断が早すぎるぐらいの人生歩んでるやろ

819:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 06:42:31.19 WNU3HNNH0.net
むしろ抜け目なさすぎて「こいつ義理ワンじゃね?」って警戒されるのが大徳さんやし

820:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 07:03:02.12 jnFTTrar0.net
即断即断即逃亡

821:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 07:14:55.04 gGnC/JPC0.net
そういう意味で言えば
曹操の元から離れない方が天下統一のチャンスがあったのかも知れんな

822:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:02:48.51 gGnC/JPC0.net
>>817
戦下手はともかく戦略的な判断力は凄いよな
コーエーの能力査定的には統率もっと下げて知力をもっと上げた方が良いレベル
周りは豪族出身ばかりで本当の意味で信頼できる腹心は居ない
(というより何だかんだ移住組の張昭や諸葛瑾の存在はデカかったんやろな)
二宮の変についても耄碌したと言うにはあまりに対処の難しい問題やからね

823:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:16:48.72 zF09uqPY0.net
孫呉の場合、後の東晋以降の王朝みてても君主権力を集中しにくい土地柄と人間関係だし

824:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:21:58.62 gGnC/JPC0.net
>>823
歴史をマクロで見ると
南朝は生産力>軍事力やから
調整型の政治体制になるしかないんやろな

825:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 08:35:33.93 gGnC/JPC0.net
孫権の戦下手も呉兵の質込みの話やし
豪族の力の強さもまた呉の特徴で
明が元の独裁的な体制を取り入れるまで
南朝が北朝に勝てないってのが流れやからなあ

826:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:05:34.63 RFDpobt00.net
>>824
生産力でもまだまだ華北優位な時代じゃね
隋唐を経てようやく華中地域が生産力で逆転というイメージ

827:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:14:26.01 gGnC/JPC0.net
>>826
華北との比較じゃなく国内のバランスね
なんとなく思うのは当時の南方ってのは一種のフロンティアだったんじゃないかという事
呉における蛮族討伐は討伐という名の開拓地奪取であり人狩りであるというのは昔からある指摘で
呉の中原への関心の低さも含めて開拓時代から大戦で出しゃばるまでのアメリカを彷彿とさせるんだよね

828:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:19:28.49 eWGdr3QRO.net
地味も豊かと言われていて、楚や呉、秦漢と時代を経てそこまで未開なのかなと思う

829:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:26:30.45 gGnC/JPC0.net
>>828
少なくとも最盛期が宋から明の時代なぐらいに発展の余地がある訳で
そこは必要性や技術の進歩とか複合的な話になるでしょ
中原の混乱による移民の流入や稲作技術の発展等色々考えられるしね

830:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:32:18.76 gGnC/JPC0.net
例えば日本でも
とりあえず平安期には関東東北まで政治的な影響力は及んでいた訳だけど
実際に開拓が進んでいったのは平安末期から鎌倉で戦国から江戸にかけてまで生産力が上がってるからね

831:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:38:52.06 gGnC/JPC0.net
土地が有っても人が居ないとか
新しい技術で耕地が広がるとか
開拓仕切ってる現代日本人の感覚で考えちゃいけない事が多過ぎるよね

832:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 09:51:29.38 gGnC/JPC0.net
ぶっちゃけ古代の呉や楚の頃は
長江流域近くに都市国家の延長程度の勢力だった訳で
その後の王朝も基本的に原住民を服属させてた程度で
本格的に植民を始めたのが呉の頃だった可能性は高いと思う

833:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 12:55:09.59 28kicV7X0.net
>>822
孫権は豪族連中を昔から牽制してるからなぁ
呂壱や二宮も反豪族的な性格だったり?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/17 19:02:18.82 CEQlzRqe0.net
>>832っていうか春秋時代は中原の国も都市国家の延長みたいな勢力ばっかりだったからな
だから人口比がそこまで無かったんだろうな

835:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/19 21:35:09.50 BqTu2Mts0.net
二宮反豪族政策説たまに出るけどマジでそうなら孫酷と変わらんレベル

836:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 18:52:55.09 mrGxU9jg0.net
>>835
孫権耄碌説よりかは孫権の面子保てるだろ(適当)

837:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 19:10:14.12 D2YeWF290.net
未開というよりも、支配が及んでいないのが南方

838:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/20 19:19:27.89 920tcFoI0.net
高齢童貞のみなさん
枯れたオッサンたち
これが現実なんですよ?
URLリンク(blog.livedoor.jp)

839:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/21 22:12:53.27 xeevN8ds0.net
>>834
耕地が限られてる時点で年毎の差はおおきいよ
そして都市が密集する地域が当然あるので地域差はメチャクチャ大きい

840:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/30 22:26:11.36 /PV6W6480.net
藤林丈司


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