劉備が天下統一できなかった最大の原因その4at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その4 - 暇つぶし2ch327:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 19:59:05.31 zskyxd8D0.net
>>323
それもそうだな
本国に孫権との内通を疑われたくなかったからかな

328:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 20:01:50.75 vmdryfXh0.net
>>327
勝手に外交問題を独断で決めてる事になるな

329:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 20:05:05.16 zskyxd8D0.net
>>328
関羽の関羽たるゆえんだし……

330:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 20:08:00.86 zskyxd8D0.net
>>326
大した事だな
跡継ぎは大事大事

331:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 20:25:31.13 5DwBynxJO.net
浮気のタマキン「大昔のワシは英雄じゃったのう。…今はクズやが。」

332:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 21:08:03.39 NLtp6Ct30.net
>>328
外交問題とか権限与えられてないのが悲しいな
例えば魏なら閻柔や田豫が北方民族との外交問題を独断で決める権限与えられてたり
呉なら呂岱が南方諸国との外交権与えられてたり
蜀との外交を陸遜が裁断する権限与えられてたり
関羽の外交権の信頼感の無さは異常だが
関羽の魯粛との単刀会での外交能力の足りなさみると
外交権任されないのはある程度わからんでもない

333:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 22:49:16.36 IssCkB3A0.net
>>332
そもそも軍権以外の権限は関さん与えられてないからね。
それ以外の事で外交だの兵站だのに口出す権限がない。

334:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 22:53:49.83 zskyxd8D0.net
外交顧問は馬良じゃないの? あいつは異民族専なの?

335:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 22:55:31.18 IssCkB3A0.net
そんなの何処に書いてあるんや?

336:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 22:57:40.81 zskyxd8D0.net
>>335
いや別に事実を求めてるわけでは
ただ外交を取り持てる奴がいなかったな、馬良くらいかなってだけで

337:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 23:02:46.75 zskyxd8D0.net
>>333
軍権だけ与えられて兵站管轄外とかハードじゃね

338:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/08 23:48:47.88 izO6qjoC0.net
>>319
魯粛の後任になった瞬間、孫権に「関羽油断させてぬっころします」と上奏
殺意マシマシだったのを手のひら返して関羽に油断させるよう、アゲアゲ文とか送ってる
完璧な計画では?
>>314
潘濬がエリートだから鼻持ちならないと関羽が嫌ってただけかも
それでも潘濬節度を保った。帰順組の中では異例だと思う
>>315
各人が支店長の連合体。主席支店長として関羽がエリア権限を握っていた。
たたき上げの関羽は、コネ入社や学歴が高いエリートが嫌いだが
関羽は自分の支店の部下には優しくしていた。
そんな感じかな

339:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 00:04:35.89 FiFsBm+40.net
>>338
>魯粛の後任になった瞬間、孫権に「関羽油断させてぬっころします」と上奏
>殺意マシマシだったのを手のひら返して関羽に油断させるよう、アゲアゲ文とか送ってる
>完璧な計画では?
呂布が改心しましたって言ってるのと同類だよ
呂蒙はバリバリの武闘派、むしろ関羽も呉の領地を荒らして気持ちがわかるだろうに

340:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 00:18:38.62 AX0K0KMZ0.net
>>339
バリバリの武闘派だよ、呂蒙は孫権に上奏しているように関羽を油断させて倒す戦略を立てている
その戦略に沿って、関羽を油断させるために計画的に友好的な手紙や態度をとっている
まんま正史に書かれているので読んでね

341:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 00:20:40.66 seB0EsR10.net
露骨な関羽アゲの書簡ほんとくっさい
さすが呂蒙

342:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 01:25:20.02 TmVDQB0zO.net
同盟してるはずの蜀呉が争っても魏が得するだけに思うけど、蛮夷勢力が活発だとかで勝算ありと思ったのかな

343:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 01:54:43.57 6oubTD7V0.net
呉は周瑜の死後はもう単独での天下統一には興味なさそうだったし
魏に侵略されて負ける心配は当時はなさそうだし
蜀は呉とは仲良くしなきゃやっていけないの分かってたから
最も楽な領土拡張を選択しただけなんでないかな

344:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 07:46:51.25 Al7KnjHf0.net
>>338
関羽の権限は軍事は荊州トップだけど
行政は劉備荊州牧で潘シュン治中だから
襄陽太守の関羽は潘シュンの下ともとれる
だから関羽と他の荊州の人物とは
同僚とも配下ともとれる微妙な上下関係だからややこしい
劉備が関羽に荊州牧譲っていれば

345:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 08:03:59.17 hWNiD71W0.net
張飛の結婚についてだけど、東南アジアのどこかの国の古い習慣で
男性が女性をいきなり拉致して自宅に軟禁して、もてなしながらずっと「結婚してくれ」
と頼むそうです。結婚を承諾するまで解放されないので女性はあきらめて結婚する
そうです。拉致を目撃した周囲の人々は「あの二人結婚するんだ」とみなすのも
女性があきらめる原因だそうです。

346:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 08:18:03.59 IYThyZUj0.net
>>344
そもそも劉備と髭って創作で書かれてるほど信頼関係あったかと言うと疑問。
席次だって関張コンビより上の扱いされてる奴何人もいたし

347:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 09:45:06.75 vOcUVlbC0.net
>>345
一族の中心だった淵や惇とどこまで近いか不明な夏侯氏だけど
曹操に厄介になっている時だからただの政略結婚の範疇でしょう
袁紹曹操の新妻攫い話もだけど攫ってくる話は鵜呑みにしないほうがいいんじゃないの

348:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 09:51:28.11 IYThyZUj0.net
曹丕の甄氏略奪エピソードも結構怪しい。
后妃伝じゃ普通に「曹丕は甄氏と結婚した」とだけ出てて単なる名家の女性を妻にしただけ。

349:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 11:59:01.03 oGNxUWy/O.net
というか、ネットの正史オタには話の一貫性がないよな。
まあ、思い込みの応酬に過ぎない吹き溜まりの素人漫談ならそうもなるだろうけど。
ヘイトが集中する人気者の関羽や趙雲を叩く時は妄想が一致しているのは笑えるが。

350:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/09 12:23:14.00 Hi81Zbms0.net
>>340
君こそちゃんと正史を読んだほうがいいよ
関羽は呂蒙を最後まで警戒していた
あれは魏との戦争が始まって正確に確認が出来ない時に陸遜に代わったせいだよ

351:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 01:14:42.05 mhV9LEHA0.net
>>350
呂蒙伝を読んでいただけたら
もろに、呂蒙が病気療養を理由に、交代すれば、関羽は油断して兵を北上させると計略をたて
その通り、安心した関羽は守備兵を北上させて、油断しました。って書いてあります。
「正確に確認できない時」の元ネタはなんですか?
>>344
確かに潘濬と関羽の立ち位置は微妙かもしれませんね
牧については、自分は逆ですね
関羽の雑な計画の北上は、仮節鉞与えられて
うっきうきになって起こしたものに思います。
皇帝になっておうばんぶるまいしたのだと思いますが
劉備は関羽の性格を考えて、位だけ上げて仮節鉞与えるべきでは無かったのかもしれませんね
傲慢を増長させてしまったように思います

352:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 01:52:34.59 gJRJdzfR0.net
>>346
そりゃ股肱の臣より外様を上にするでしょ
劉邦だってそうしてた

353:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 02:23:32.40 ZXjZmQw9O.net
演義でも黄忠と同格かと不満洩らしてたしな

354:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 02:33:49.55 OGKfCshA0.net
あの三兄弟は社会不適合者の気があるな

355:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 07:17:54.56 qT34SHE00.net
>>351
後羽討樊,留兵將備公安?南郡.蒙上疏曰:「羽討樊而多留備兵,必恐蒙圖其後故也.蒙常有病,乞分士?還建業,以治疾為名.羽聞之,必撤備兵
順番が違う
北上した後に計略を実行してる
関羽は戦場で正確な確認ができないまま陸遜を信じただけ
呂蒙には油断なんてしていない

356:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 11:33:58.88 6RjeJ0p60.net
350は関羽の諜報能力は低レベルだから戦時中でも平時で変わらないと主張するのか
マジで関羽アンチかよ

357:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 11:59:27.60 G4vA0DV4O.net
関羽の場合は、関羽史とも言える現代まで続く史料の通読は学術世界なら必須だからなあ。
軍神の意味すらも理解出来てない癖にどうして関羽アンチはインテリぶるんだろうな。

358:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 12:46:07.75 oU3rRfa30.net
>>353
髭は正史でも同じ事言ってるし。
だから「季漢補臣賛」でも自業自得扱い

359:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 15:12:07.30 6RjeJ0p60.net
>>358
黄忠は諸葛亮の嫁さんと親戚の可能性がある
それで荊州の統治がおかしくなるから嫌がったのかも
黄忠が荊州に帰ってくれば同格の将軍かつ丞相の親戚かつ名士かつ地元の人間と
荊州が割れるかも知れんし

360:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 19:24:31.86 thQut5Fr0.net
>>359
黄忠は南陽郡の人
黄承彦・黄夫人は河南郡の人
親戚の可能性低いな
ちなみに後漢の黄エンや孫呉の黄蓋も荊州の人だが
黄エンは江夏郡の人
黄蓋は零陵郡の人
こちらも親戚の可能性低いが
黄蓋は祖父が南陽太守なので黄忠と遠い繋がり有る可能性

361:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 20:37:01.70 ipa/aCTn0.net
諸葛亮はそもそも親族の影が殆どないんだよな。弟の均と養子の喬に実子の瞻がいるだけ。正史じゃ妻の名も出てこない。
これは魏の諸葛誕や呉の諸葛瑾と比べても異様。

362:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 23:31:51.73 mhV9LEHA0.net
>>355
そりゃ北上してからの話だからね、時系列は問題ない
北伐してるのに、守備兵をたくさん置いているのは呂蒙を警戒しているため
「だから」偽の人事変更を行って油断させる計を行った
果たして関羽は油断して守備兵を北上させた
蒙上疏曰「羽討樊而多留備兵、必恐蒙圖其後故也。蒙、常有病、乞分士衆還建業以治疾爲名。
羽聞之、必撤備兵、盡赴襄陽。大軍浮江、晝夜馳上、襲其空?、則南郡可下、而羽可禽也」遂、稱病篤。
權、乃露檄召蒙還、陰與圖計。羽果信之、稍撤兵以赴樊。
ところでなんで漢文?読みづらくね?

結論として戦略的な意味の薄い北伐を行ったのは
仮節鉞のせい。劉備が悪い

363:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 23:34:07.27 mhV9LEHA0.net
仮節鉞を与えず北伐がなく、夷陵さえなければ、
諸葛亮時代にワンチャンあったと思う

364:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/10 23:57:13.33 mhV9LEHA0.net
麋芳を処罰で脅すなんざ、仮節鉞のせいだろね。
古参の麋芳が裏切ったのはよっぽどやね。
今までは保っていた謙譲と精神的な均衡を破ったんかな。
仮節鉞は関羽の器を超えた権限だったんだと思う。まじで

365:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 00:34:21.09 CK2yGwir0.net
そもそも糜芳や士仁にペナルティ与える権限があったのかも怪しい。

366:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 01:17:12.66 q+8VlzH+O.net
総責任者として賞罰の権限くらいないと、一方面担当できないでしょ

367:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 01:34:34.02 Vl2qg6xT0.net
>>362
孟達に房陵を討たせ、劉封も投入して上庸も取り
漢中から荊州への進路を確保して、関羽も北伐と別に戦略的に意味なくはないだろ
劉備軍全体で連動して動いてると思うぞ

368:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 01:40:45.76 YOaF+sLv0.net
>>361
蜀の人物は入蜀以前の記録があまりないから
魏の人とあまり係わってないような人物はしゃーない

369:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 01:44:44.02 L4tRFmoX0.net
>>367
連動して動いている割には
関羽方面へのサポ皆無だからな
漢中から荊州への進路確保しても結果論的には
全く意味が無かった

370:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 07:42:49.67 4z/DfFa20.net
>>360
そういえば黄琬と黄祖が同族かもっていう説を提唱してたサイトあったね

371:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 07:52:11.51 eCXGPo8h0.net
>>360
系譜で見ると黄琬と黄蓋は比較的近い同族でいいはずだけど
黄忠だけじゃなく黄祖もちょっとわからんね
むしろ江夏郡に地縁があったから頑張れた黄祖の方が黄琬にかなり近い人間かもしれないけど

372:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 12:28:30.83 bnX4aQDK0.net
>>371
黄祖は長年江夏太守だったけど
黄祖の本籍不明なので地縁あったかは不明
黄祖の息子の黄射は別の土地の太守やってたりするので

373:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 12:58:57.05 gq6nIBeAO.net
まあ、関羽が居なかったら劉備軍は早々に荊州より追い散らされただろうから、弱小国の劉備軍にとっては維持そのものが関羽の将器のおかげだったんだよな。
関羽が居なかったら簡単に曹操、孫権に呑み込まれてたろう。
裏切った連中は結局、「劉備に仕えてる」という立場を理解できなかったんだろう。
政治力で支えるも多いに防衛力だが、義に欠く裏切りはフォローできんよな。

374:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 15:11:56.76 bnX4aQDK0.net
>>373
荊州在住の 諸葛亮ー魯粛 のホットラインが健在なら
平和的に荊州で共存で段階的に移譲の道も有ったと思うけど
諸葛亮が益州に去って関羽に取って代わってから一気に
呉蜀間の荊州問題がきな臭くなったんじゃないの?
関羽大好きなのはわかるけど申し訳ないが
関羽が居たから劉備は荊州失ったとも捉えられる

375:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 15:20:36.81 MbIz8wZe0.net
>>369
房陵太守に鄧輔・南郷太守に郭睦が任命されてるし、両者の到着後に孟達、劉封が援軍にいくてはずだったんじゃね

376:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 16:23:51.74 gq6nIBeAO.net
>>374
孔明はそんなお人好しじゃないだろう。
劉備の天下に荊州は不要ならば、返還にも応じるだろうが。

377:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 16:52:16.98 lYxekl/B0.net
そもそも劉備陣営は孫呉を軽く見てた臭いんだよな。
オリジナルメンバーはたいてい華北か中原で江南地域に対する軽侮の感情があったと思われる。荊州組は流石にそんな事はないだろうけど。

378:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 16:58:34.68 q+8VlzH+O.net
関羽らにしても現地とのズレや故郷への想いはあるだろうしな

379:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 17:01:57.50 PH+cJj2U0.net
ぶっちゃけ現地組と政権メンバーとのズレって蜀漢建国後もずっと続く問題やし。

380:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 17:27:18.80 x7blR9yE0.net
>>377
関羽伝が引く典略の中の話だけど、関羽は孫権を狢子と罵倒しているよね
この狢子って言葉の意味を調べてみたら江東人に対する人種差別的な表現らしくて、ちょっと関羽を見る目が変わったわ

381:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 17:58:35.88 gq6nIBeAO.net
そら、自分の娘の貞操が掛かってますもの。感情的にもなるのではないか?父親ならば尚更。

382:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 18:11:13.95 q+8VlzH+O.net
関羽自身がそんな大した出自でもないのにな
成り上がりに加え、生来の偏屈や傲慢さで勘違いしたとこもあるのだろう

383:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 18:16:29.02 KDF+ryc/0.net
そもそもこの時代娘なんて政略結婚の道具意外の何者でもないから。

384:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 18:18:59.80 x7blR9yE0.net
>>381
いや、この話は関羽が樊城を囲んだ時の話
この時孫権は使者を送って援軍を出すべきか関羽に尋ねてるんだが、その使者をわざと遅らせて別に主簿を派遣して事前にその旨を伝えている
この回りくどい孫権の日和見的な態度に業を煮やして関羽は「狢子め、樊城を陥落させたら次は貴様らの番だ」と失言したわけ
関羽側にも言い分はあるだろうけど、曲がりなりにも同盟国の元首を侮辱し、裏切りを正当化させるような失言を吐いてしまう外交センスの無さは致命的だったと思う
ソースが典略だから孫権が魏に対してした説明を鵜呑みにしてる可能性が高いけれど

385:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 18:51:47.74 SUn6AfC00.net
それでも同盟中の裏切りは呉に未来永劫の汚点を残し
今ではすっかり蜀を引き立てるための噛ませ犬&脇役に…
仕方ないことだけどな。
外交センスがないのはむしろ、呉だったと思うわ。
せめて同盟破棄しないと筋が通らないし、同盟中なら味方を
討ったも同然…。
裴松之も孫権はこれで大義名分を失った、とも付け加えますわな。

386:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 19:05:46.57 qNsOucQy0.net
裴松之も言ってるけどこの逸話自体胡散臭いからな

387:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 19:14:36.93 L4tRFmoX0.net
>>376
いや諸葛亮は
夷陵戦後の呉の荊州領有を事後追認したり
孫権の皇帝戴冠を容認したり
蜀の人間にしては呉に対してお人好しが過ぎるんだが

388:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 19:16:38.22 KuZoBNwI0.net
そもそも同盟って孫権の妹が帰った時点で実質切れてたんじゃ。この時点で「猾虜めが!」とかdisられててあってないようなもので。

389:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 19:19:33.61 KuZoBNwI0.net
>>387
諸葛亮って言うか荊州組って孫呉の人間と個人的な外交ルートが結構あった臭い。
実兄の諸葛瑾や陸遜、歩騭らと私信頻繁に交わしてるし。

390:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 22:00:34.21 6RHzwr8O0.net
娘は道具というよりは…たとえれるものが思い付かん😓

391:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 22:10:09.22 faDs7Mby0.net
>>385
最初に陸遜を侮って食糧庫を襲ったのは関羽だぞ
汚点を残したのは関羽
自国の人間に身を滅ぼしたのは自業自得と評価されてんだから

392:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 22:35:22.45 ACigl5NU0.net
樊城包囲中の関羽が長沙と零陵の間の呉の食糧庫を襲うって遠すぎるだろ

393:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 23:02:07.28 faDs7Mby0.net
魯粛伝を読もう
あれは国境の関の食糧庫

394:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 23:15:00.48 gq6nIBeAO.net
>>391
そんなものは所詮当時に過ぎない話だろ。
今や天下の関聖帝君様だぞ。
天下無双の万能神で、アジアでは釈迦尊よりも信仰人口の多い神様。
もう歴代の名将全てを足しても関帝様の足元にも及ばんよ。

395:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 23:44:16.89 SGXu1uYR0.net
>>394
比較対象が三国志の時代なのであまり意味がないのでは?
時代無視なら核兵器最強!とかそんな感じになりそうなのだけど

396:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 23:53:55.13 ACigl5NU0.net
>>393
湘水の無い場所で湘関なんて呼称はしないだろ

397:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 23:56:31.30 gq6nIBeAO.net
汚点なんて今やなくなったって話よ。
まあ、関帝様なら核兵器より強いかもね。
福禄寿と商売を司る神で軍隊も信奉している。関帝様の否定=豊な現実的生活の否定にすら繋がるだろうし、核兵器は破壊の力しかない。虚しさ力だよ。

398:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/11 23:56:33.56 SGXu1uYR0.net
>>367
壮大な戦略だけど、そんなに大きな戦略なのに
誰もその計画を立てた描写が無いので
結果論な気がする
正史から見えるのは、将軍位と裁量権を渡されたので攻めた、にしか見えない
特に本国から指示があるようには思えない。漢中の戦後処理や皇帝就任の処理を行ってる時に
攻めてた。ってニュアンスに見える

399:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 00:08:48.08 7DkUehP0O.net
武人は戦功挙げるのと、戦場に出るのが名誉であるし、君命に従わざるとこありで焦って攻めたてこともあるか
魏延も結果オーライ論で、北伐時に孔明の指示に従わなかったしな

400:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 00:27:40.31 Pf9pG7xt0.net
>>396
呉では国境を割った時の川を湘水って書いてあるだろ

401:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 00:47:23.30 +138Av4K0.net
>>398
確かに関羽伝だけ見るとそういう風に見えるけどね
時系列で見ると、劉備が漢中王に就いたのは後漢書献帝紀によると建安二十四年七月庚子のこと
蜀志先主伝によるとこの時の勧進帳には関羽は盪寇将軍として記録されている
曹操が于禁を援軍として樊城に派遣したのが建安二十四年七月(魏志武帝紀)
関羽が樊城で于禁を捕虜にしたのが建安二十四年八月(同上)
関羽が樊城攻撃を開始した時期は不明だが、おそらく曹操が漢中を攻めた建安二十四年三月から曹操が長安に引き返した五月の間のことだろうと思う
関羽が前将軍仮節に昇進したのも不明だが劉備が漢中王に就任して以降のこと
綿密な作戦計画の結果そうなったのかあくまで偶然そうなったのかはわからないけれど、関羽が樊城を攻撃し始めたのは前将軍仮節に昇進する前のことなのは確か

402:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 00:49:30.16 Aw2o6NDB0.net
>>400
国境線を湘水で割っただろ

403:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 00:59:12.87 zCgxD7ib0.net
>>394
関帝様持ち出すともうカルトの世界なのでスレチ
宗教になると原理主義者からすると全て異端に見えるからな
行きつく先はオウム真理教

404:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 01:23:05.25 QGoT3DdrO.net
カルトな世界なら盲目的な三国志正史信仰の方がそれに近いけどな。神がいない、というだけで。
考古学のような真実の追求ではなく、自分本位な記録のねじ曲げと解釈の強要を他人に押しつけ反発されたら、しつこく粘着。
ネット掲示板のみに棲息し、現実逃避も得意技。
こんな実態を持つ正史信者の方がよっぽど怖いわ。

405:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 01:42:22.81 OJwNSbPc0.net
>>401
確認。漢中王が秋で七月には于禁が捕虜になってます
確かにその通りですね。北伐の理由が仮節にありってのは無さそうです。
麋芳が怯えたのは仮節鉞によって処罰が現実化したからという可能性はありそうですが
読んでると侯音などの内乱に呼応しての北伐かもしれませんね
二十三年に樊城で曹仁と一度対峙しているような描写がありましたので。
長い期間対峙していて呂蒙更迭→本格北伐の流れなのかもしれません。
もちろん資料に残っていないだけで、蜀漢全体で連動した計画の可能性もありますが

406:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 04:09:30.26 Pf9pG7xt0.net
>>402
国境線の関が湘関で問題無いじゃん

407:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 06:05:33.39 Aw2o6NDB0.net
>>406
湘水を境にした国境線が湘関
湘水が長江以北にないし、漢水北岸で包囲の指揮とってる関羽が奪いに行くのは
遠すぎる

408:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 07:12:28.73 Pf9pG7xt0.net
だから長沙と零陵限定じゃないじゃん

409:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 07:58:58.53 ThjE7OIz0.net
湘水は零陵から北に伸びて当時の長沙辺りの
洞庭湖に合流する川じゃん

410:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 08:08:36.74 RQI1uUx80.net
>>409
今はだろ

411:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 08:35:53.29 RQI1uUx80.net
呉では江夏含めた荊州を湘水で割ったと書いてある以上
長沙に限定されないよ

412:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 16:42:49.18 QGoT3DdrO.net
謎の異次元空間にある食糧庫を襲われた!と呉書は主張するんですね。
場所も適当だし、第一そんな膨大な食糧を迅速に輸送する能力がどこにあったのかと。
関羽軍はオーバーテクノロジーの大型輸送機を5台くらい所持してたんか?

413:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/12 20:20:02.98 69vAF7kt0.net
【漢字由来か?】 へブル文字として読めるカタカナ
スレリンク(gengo板)
【シュメール】 神武帝はサマリア王? 【スメラ】
スレリンク(history板)

古代日本史、崩壊。

414:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/13 01:54:38.17 JIFt5ffg0.net
?、蜀分荊州,以湘水爲界,長沙、江夏、桂陽以東屬?,南郡、零陵、武陵以西屬蜀,湘水實貫于數郡間矣。〈時又置關水上以通商旅,謂之湘關。建安二十四年關羽得于禁降軍,糧食乏?,擅取權湘關米,權聞之,遂發兵襲羽

415:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 03:04:32.92 WSrcIEaK0.net
かつて     △糜芳は南群で失火し、関羽に咎められる事を恐れ、孫権と誼を結んだ
二十二年    〇法正、劉備に漢中進軍を進言
二十三年  ? 〇劉備、漢中進軍
      ? 〇武都へ呉蘭、雷銅を派兵するも撃退される
      ? 〇夏侯淵と対峙
     九月 ●曹操、兵を観閲し、劉備を征討しに西へ出発
     十月 ●曹操、長安到着
      ? ●曹仁、樊城駐留、関羽を征討(ここで侯音に連携北上失敗?)
        ●侯音、宛で反乱
        ●曹仁、宛(侯音)を包囲
二十二年  ? △呂蒙が魯粛の後任として荊州(陸口)に駐屯
      ? △呂蒙が孫権に関羽を討伐する策を上奏
      ? △呂蒙、表面的には関羽に対して以前にも増して手厚い心遣いで友好関係を結ぶ

416:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 03:05:35.81 WSrcIEaK0.net
二十四年 正月 ●曹仁、侯音を斬る
         ? 〇劉備と夏侯淵の主戦場が定軍山に
           〇夏侯淵、劉備(黄忠)に斬られる
       三月 ●曹操、漢中で劉備と対峙
       五月 ●曹操、撤退、長安に帰還
         ? 〇劉備が劉封、孟達等を上庸へ派兵
         ? 〇関羽、出陣
           〇糜芳(南群)・士仁(公安)、関羽との不仲により、軍行動をサボタージュ
           △関羽、公安、南群に守備兵を多数留める
           △孫権、呂蒙の献策で病気を理由に呂蒙を更迭
           △後任、陸遜、関羽に樊城の戦いを称揚し、へりくだった手紙を送る
           △関羽は段階的に守備兵を北上させる
           〇関羽、樊城(曹仁)を包囲(二十四年のどこか)
       七月 ●曹操、卞氏王后に立てられる
           ●曹仁を助けに于禁を関羽討伐へ派兵
        秋  〇劉備、漢中王となる
         ? 〇関羽に前将軍、仮節鉞に任命

417:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 03:06:33.02 WSrcIEaK0.net
     八月 ●于禁捕虜へ、ホウ徳斬る
         △于禁軍を江陵へ輸送
         △関羽軍、于禁軍の多数の捕虜の為、食料不足になる
         △関羽軍、呉の湘関で兵糧を奪い取る(実力で借りた)
         〇関羽の威で曹操領内の群盗などが一斉に蜂起
         〇曹操、遷都を考えるも、計略により孫権に北上を促がす
         〇孫権が関羽の娘と孫権の息子との婚姻の打診、一蹴する
         〇関羽、糜芳・士仁の処罰を発言
     十月 ●曹操、洛陽に帰還
         ●孫権から関羽討伐の要請あり、曹操南下する
         △孫権、関羽征伐軍を出陣させる
         △呂蒙、尋陽から、商人に化けるなどをして隠密急行し、関羽軍本体は気づかす
         △呂蒙、江陵を占領、関羽軍の父母を捕虜にし丁寧に扱い慰撫する、于禁釈放
         △陸遜、宜都などを占領、その後夷陵に駐屯、蜀から軍を警戒
         △孫権、公安派兵、士仁降伏
         △呂蒙、南群進軍、糜芳降伏
       ? 〇徐晃が樊城の援軍として到着
         △曹操は関羽に孫権が江陵を攻めているのを矢文で伝える
         〇関羽、撤退、江陵を目指す
         ●曹操、徐晃が関羽を敗退させていたため、摩ヒに駐留
         △関羽、呂蒙と使者のやり取りをする、使者に関羽軍の家族を厚遇している所を見せつける
         △孫権軍、関羽軍の父母を捕虜として手厚く対応したことで、敵愾心を失わせ関羽軍四散させる
         △関羽、孫権本軍が来ることを知り東陽より西進、麦城で籠城。
         △孫権、関羽に降伏勧告
         △関羽、降伏を偽り、空城の計で逃走
         △関羽軍、兵が散り散りとなり十数騎従うのみ
         △孫権、朱然と潘璋を派兵し関羽の退路を遮断
         △潘璋の司馬、馬忠が関羽を捕縛
         〇孫権、関羽・関平を臨祖で斬る
         △孫権、はやり病の為、荊州の租税を免除
         △曹操、孫権を驃騎将軍、仮節、荊州牧に任命、呉の朱光等を釈放
         △孫権、呂蒙を南群太守に任命、ほどなく呂蒙病気を発し亡くなる

418:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 03:06:49.68 WSrcIEaK0.net
二十五年 正月 ●曹操、洛陽到着。関羽の首が届く
           ●曹操、崩御(二十三日)
       二月 ●曹丕、皇帝となる
           ●劉備、皇帝となる

419:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 03:13:00.30 WSrcIEaK0.net
反省を踏まえて、頑張って時系列をまとめてみた。
●魏書、〇蜀書、△呉書から、時系列がわかりやすい事を文を優先した。
まとめてわかるのは、呉、孫権、呂蒙、陸遜はかなり関羽を高く買っており、恐れているので綿密な計画をたてている。
もちろん呉書の書き方が地味に詳しく書かれているという所はあるのだけど。
件の湘関だが、まとめて感じたのは
自分は湘水の近くだろうと思う。んで、樊城周辺の関羽軍本体がやったわけではなく、江陵の守備隊がやったのではないかと思う
于禁軍は江陵に送られているわけだから、江陵が先に補給不足に陥った可能性が高いのではないか

420:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 06:11:14.43 v9j0GgSd0.net
于禁さんがピタゴラスイッチ的にいい仕事してて草。
なお末路

421:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 10:12:36.02 8ZFYe6f70.net
于禁は魏でも最高クラスの将軍だし
于禁軍を捕虜にしたことで関羽軍がかなり疲弊してもいるのに
なんであんな末路になってしまったのか

422:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 10:51:34.22 R+Cp9txF0.net
後漢は幼帝多くて家臣から舐められやすいんで曹丕としては「後漢の幼帝とオレは違うぞ!」ってアピールしたかったんじゃ。
あと庇う奴がいなかったのを見てると「なんでさっさと自殺しねーんだよ」的な空気感もあったのかも。
曹丕は于禁さんの元上司である鮑信の息子の鮑勛も処刑してるけどこちらは助命嘆願が多数あったしね。

423:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 11:02:23.30 BwJxNpyg0.net
蒼天航路って漫画で、于禁が関羽に降伏する際に兵糧を食い潰して内側から攻めてやるみたいなことをうそぶいていたな
最初読んだときは魏の武将を無理やり持ち上げるために屁理屈こいてるようにしか思えなかったが、こうして見るとある意味ことの一面をうまく言い表しているのかもって思ったり

424:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 11:23:24.58 8ZFYe6f70.net
虞翻さんにも散々言葉攻めされてたな
厳格すぎて融通が利かなくてあまり人望はなかったそうだが
曹操がホウ徳と于禁を比べてがっかりしてたのも影響あったのかもな

425:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 13:48:24.52 BwJxNpyg0.net
建安二十四年八月、大雨で潅水が溢れ于禁の陣地は水没した
関羽は洪水に乗じて大船で攻め、于禁は降伏した
于禁としては関羽に敗れたというよりは、天意に見放された思いであっただろう
しかし、曹操の配下である于禁が天意に見放されたということは曹操に天命が下されなかったと解釈されかねない
ゆえに天意に則って即位した曹丕には于禁には死んでもらわなくてはならなかったのである

426:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 13:52:01.53 BwJxNpyg0.net
あ、×潅水⚪︎漢水ね

427:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 14:08:48.82 R+Cp9txF0.net
まあ于禁さんに直接「死を賜う」って形じゃなくイビリ殺す形にしたのは多少は孫権との外交に配慮してたんだろうな。

428:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 18:29:07.17 WSrcIEaK0.net
>>401
三国志時代の秋を何月にするかで変わるかもしれません。
秋は何月なんですかね。暦の通り8月かなとは思いますが
旧暦6月は9月なわけですから、6月を秋とするなら
仮節を貰った後に北伐が成立する気もします。
ご意見賜りたく

429:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 18:41:14.64 8fz6qTS80.net
乙でごわす

430:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 18:43:24.86 WSrcIEaK0.net
>>401
失敗7月ですから。
7月1日に漢中王儀式、同時に関羽も7月1日に江陵にて、何かしらの儀式をし、前将軍を受ける
仮節を受けて、北上開始、樊城を包囲
同7月中旬曹操が于禁を援軍に派兵
8月、于禁降伏
漢中王になる儀式は予め関羽にも伝わり、何かしらの儀式を行うものではないか。
関羽軍北上なる、おおきな軍事行動の予兆は曹操に届き、手早い援軍派兵決定などができるのではいか。
こうすると、関羽伝や先主伝と矛盾が生じないような気がするのです。

431:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 18:50:25.98 8M9fHCt10.net
あの時代って七月から秋なんじゃないの?

432:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 19:23:55.51 WSrcIEaK0.net
建安 二十四年 六月
劉備が漢中王となり関羽に前将軍内定の報が流れる
関羽北伐計画を立てる
建安 二十四年 七月
●曹操、卞氏王后に立てられる
〇劉備、漢中王となる(初旬というより1日とか、キリの良い日ではないかな?)
〇関羽に前将軍、仮節鉞に任命
〇関羽、出陣(江陵から樊城へ、大雨に対応できたのは船での進軍だったからなのでは?)
〇関羽、樊城(曹仁)を包囲(中旬)
△関羽、公安、南群に守備兵を多数留める
〇糜芳(南群)・士仁(公安)、関羽との不仲により、軍行動をサボタージュ
(兵数が少なく、包囲の決め手にならないのでイライラ)
〇関羽、糜芳・士仁の処罰を発言
△孫権、呂蒙の献策で病気を理由に呂蒙を更迭
△後任、陸遜、関羽に樊城の戦いを称揚し、へりくだった手紙を送る
△関羽は段階的に守備兵を北上させる(二か月ほどかけて)
●曹仁を助けに于禁を関羽討伐へ派兵(下旬)
ぐらいな流れじゃないかなと。どうかな?

433:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 21:09:08.77 WSrcIEaK0.net
于禁に関しては、于禁は全軍の兵に対して責任がある。見殺しにはできないので降伏しかなかった。
ホウ徳には無い。この差が大きいと思う。
その後に自害すべし。なのかもしれないけれど、指揮官として当然の事をしたまで、との思いと、
復命するまで耐えるべきと思っていたのかもしらん。
名将として生きてきた于禁の行動を見れば、ちと気の毒に過ぎる、と、思う

434:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 23:26:00.25 ZBpCoLkAO.net
結局、正史の性質の犠牲にされたんだよな。偉いのは天下取りの勢力ではなく文官。
悪者や敗者は武官の担当。国は関係なく武官は文官の下。後世で三国演義が水滸伝のような話になっていれば、ウキンも英雄扱いだったかもしれない。好漢的資質なら十分過ぎるほどあるし。
正史からのフォローがもらえないのは諦めるしかない。文帝を悪者には出来ないからな。

435:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 23:41:16.93 +8OFaJU20.net
ぶっちゃけ于禁さんがやらかしたおかげで他の方面から兵回さないと持たなくなったのからな。だから誰も于禁さん庇わなかった

436:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/15 23:59:43.17 y95rg9wm0.net
>>423
でも蒼天は贔屓の引き倒しが濃すぎてちょっと胸焼けする

437:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/16 02:18:05.53 NaJAKYuB0.net
>>428
劉備が漢中王になった時期は、蜀書先主伝では単に秋、資治通鑑では秋七月
後漢書献帝紀では秋七月庚子(ただし干支の上では建安二十四年七月に庚子の日はないようです)
後漢紀では秋八月(仮に件の後漢書にある庚子の日という記述が正しいとすると、建安二十四年八月庚子は八月二十一日にあたります)
あくまで個人的な意見ですが、劉備の漢中王即位、関羽の樊城攻撃開始、于禁の樊城派遣を同じ建安二十四年七月とするのは、やや無理があるように思います

438:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/16 02:18:39.99 NaJAKYuB0.net
加えて個人的な憶測を述べますと仮に孟達が房陵を攻略したのが関羽の樊城攻撃に連動したものであると考えるのならば、建安二十四年夏(資治通鑑参照)頃が関羽の樊城攻撃開始時期なんじゃないかと思います
そう考えるのならば、夏侯淵の復讐と漢中奪還のために漢中に出向いていたはずの曹操が、何故たった三ヶ月足らずで漢中を放棄することを決断したのか?という事とも符号が合うのです

439:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/16 02:21:31.20 NaJAKYuB0.net
元より、僕の推論は何故三月に漢中を攻めた曹操が五月には漢中から撤退し始めたのか?という疑問と、
何故関羽は曹仁が宛城で起きた侯音の乱を鎮圧するために樊城を空にしている間に攻撃しなかったのか?という疑問を合わせて解決するための方便に過ぎません
前者は陣地戦が煮詰まるとすぐに撤退したがる曹操の性格からすると(下邳の呂布を攻めた時も官渡で袁紹と対峙した時もそうでした)ありうる事です
後者もただ単に兵糧の準備が間に合わなかったからとか、呂蒙ら呉軍の動きを警戒していたからなどと考えたら疑問に思うまでもないですね

440:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/16 02:22:23.50 NaJAKYuB0.net
しかし、もしも関羽が曹操の動向を注視していて、曹操の本隊が絶対に樊城の救援に出向く事が出来ないタイミングを待って樊城の攻撃を開始したと考えたら、上に挙げた二つの疑問の符号がガッチリ嵌って面白いと思うだけですね
なんかたらればばっかり言ってて愚にもつかない意見ですが適当に聞き流してください

441:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/16 02:46:18.84 5S+WX7oa0.net
>>440
ご意見誠にありがとう、自分も個人的な推論でしかありませんので。
自分も考え直したのは侯音の乱です。関羽直属の軍だけでは戦力的、継戦能力に欠けていた結果では無いかと考えました。
諸将を統括する権限(仮節)が無ければ北伐は難しいと考えたのではないだろうかと。
今一つに、漢中王の推挙に当たり前ですが関羽も名を連ねています。もちろん戦場から推挙したのかもしれませんが
このような儀式には、それなりの準備が必要なのではないかと考えます。
また、于禁伝に曹操が曹仁を守りを指示し、于禁派兵をしたのは長安に居た時とありましたので、
曹操が長安に戻って以降、5月以降であり、なおかつ曹仁の守備指示と于禁の派兵が同時でしたので
関羽の北上は7月頃ではないかと考えました。
三月派兵であった場合、十月近くまで包囲を続け、七月まで曹操は援軍も出していない事になり
不自然ではないかと、そこまでの継戦能力が果たして関羽にあったのかも、疑問に思えました。

442:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 07:45:32.71 xWVpaw/Z0.net
漫画とかで関羽の事を持ち上げ過ぎると思ってたけど
荊州にいる事で三国の軍事バランスを握ってたわけで
今更ながら関羽の凄さを理解しました

443:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 09:53:29.16 D9t3NpW70.net
そのまま10年20年保つなら凄いけど、失陥するまで早いからなあ

444:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 10:03:16.73 zj3NlOn40.net
髭に瞬間最大風速的にボーナスタイムがやってきた印象

445:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 12:47:30.92 7FrQr+mU0.net
関羽が于禁を降伏させた時点で曹仁の人馬は数千、樊城は水没寸前で、満寵伝によると曹仁たちは脱出を検討せざるを得ないくらい追い込まれてたみたいだしね
結局満寵に押し留められて最後まで守り抜いたけど
それより気になるのが、同じ満寵伝の中にある「関羽は別将を郟の下に派遣していて、許以南の百姓たちは不安に思っている」っていう記述
郟県って地図で見ると許昌の間近
何故そんな所まで関羽軍が差し迫っていたのか?豫州刺史は何やってたんだよっていう謎

446:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 12:59:30.55 7FrQr+mU0.net
あと気になったのが、曹仁が満寵の献策を容れて樊城に留まると決めた時、満寵は白馬を沈めて諸軍に誓いを立てたって記述があるけど、この時沈められた白馬ってもしかしたら関羽軍に白馬将軍と渾名されてた龐徳の愛馬だったりするんだろうかw

447:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 13:00:09.43 /qqdU80zO.net
強国二国が連合を組まないと、関羽を倒せなかったという事実は変わりないからな。
呉にとっては曹操の大軍より、関羽軍の方が脅威だったんだろう。そうでなければ、関羽を好きなだけ暴れさせるだろうし、どういう結果でも得をするのは呉。関羽軍は水戦もこなせるし、利を度外視するような圧力もあったのかも。

448:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 13:12:07.17 tggZThcH0.net
【オウム7人死刑の翌日7月7日】 最新鋭ミステリーサークル出現、マヰトレーヤが罪の赦しを説いてるんだ
スレリンク(liveplus板)

449:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 16:06:42.24 bqE9uYj50.net
関羽討伐に動員された(動員される予定だった)人の顔ぶれ見るとすごいんだよな
ほとんど魏と呉のオールスター

450:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 16:46:23.84 zj3NlOn40.net
徐晃伝読む限りは関羽の軍はそんなに人数がいなかったようにも思える。

451:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 17:03:06.41 OGyZ+SOiO.net
呉のふわふわした動きが嫌いなんだが、呉は蜀のように魏との関係にこだわる必要ないしな

452:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 17:12:23.76 zj3NlOn40.net
孫呉は軍馬とか兵員の数が少なすぎるからね。後の東晋みてても旧孫呉の領土だけじゃ
大規模な軍事行動できなかったし。

453:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/17 17:28:42.89 /qqdU80zO.net
関羽が強過ぎたばかりに、呉は司馬イらの要請に乗ったんだよな。
呉にしてみても幾ら動員兵力が圧倒的だろうが、長江があれば北方の軍隊なんて容易い相手だしな。尚、全盛期に限る。

454:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/18 19:36:36.50 XQXhVAHO0.net
>>450
2城同時包囲だからな
徐晃軍への迎撃に5000の歩兵しか出せてない

455:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/18 20:40:12.63 zalezhRT0.net
兵五千といえば、荊州の帰属を巡って関羽と魯粛が益陽で睨み合いをしてた時(いわゆる単刀会)に、関羽は三万を號する兵のうち五千の精兵を率いて渡河しようとして甘寧に阻まれたなんて話があったな
そこから考えると、董督荊州事として関羽に預けられていた兵力は三万で、直属の兵が五千、といったところだろうか
その後増兵があって多少増えていたとしても襄樊攻めの時の総兵力は五万に満たなかっただろうな

456:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/18 20:47:06.01 jC1f0NKX0.net
関さんの兵力が仮に五万前後ならどんなに大戦果上げても洛陽を一時的に占拠するのが限界で撤退する時に地獄みてたんじゃ。
東晋の桓温の北伐軍がそれくらいの人数。

457:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/18 23:55:05.71 5IQmhl9O0.net
反乱や内乱で支配体制が固まらぬうちに震撼させ、反曹勢力の糾合が目的かもしれんね

458:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 11:05:59.98 +V26VsjcO.net
風評の広がりは真意を問わないからな。
曹操軍の精鋭部隊が押し負けて、前線を後退させた。
と、言う事実さえ作ってしまえば、後は反曹の勢力が雲霞のように次から次へと湧き出すかもしれない。

459:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 12:35:26.66 AecasA+s0.net
>>454
違う
陣の防衛隊+関羽五千
敵陣で食糧庫の陣の防衛を疎かにしてるんならそれこそ無能だろ

460:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 15:56:11.09 +V26VsjcO.net
継戦能力の差だろう。徐晃来援というところまでだと、既に戦略レベルの話になっている。
単なる戦力の逐次投入が容易な大国の力押し。
劉備の1を消費させるのに、曹操は7くらい使ってる。

461:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 16:01:42.47 ecp4efrj0.net
関さんが荊州の士人と揉めたのも限界ギリギリまで動員かけてたの原因かも

462:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 17:49:38.51 AecasA+s0.net
>>460
流石に劉備1に対しての曹操7の説明をしてくれないか
根拠が有っての数字なんだろ

463:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 18:56:11.20 F2DVXHKC0.net
小国と大国の差だろう。
宮﨑市定氏の国力差の魏:7 呉:2 蜀:1
に従えば、魏の動員兵力は圧倒的。
魏:70 蜀:10
と例えるならば、損耗率が7と1くらいと捉えてもいいかもな。
まあ、関羽は魏と呉が連合を組まないと倒せないほどの存在だったから
蜀の損失は計り知れないとも思うが。

464:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 20:46:24.14 TzahgGys0.net
>>463
呉・蜀が組むと魏はほとんど戦争の主導権握れてないしそこまでの戦力差はないと思うな

465:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 20:53:00.21 Dhye7WwV0.net
魏が呉蜀が組んでも圧倒出来るくらい国力つくのって第4次北伐辺りからでそれまでは領土と人口の割に国力ボロボロだからね。

466:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 21:06:36.89 K3GmQHME0.net
国境が広く多くの内患を抱えてる魏は
全ての戦力を一か所に結集できるわけじゃないからねえ
蜀と対するにしても荊州や合肥に十分な備えが必要で
北や西にも備えて叛乱にも気を遣わなきゃならないわけだし
そう考えると呉や蜀に避ける戦力なんて7のうちの2ぐらいがせいぜいなんじゃないの

467:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 21:07:13.95 K3GmQHME0.net
避ける→割ける

468:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 22:07:07.78 j3bOz4/H0.net
>>463
魏は国力が7もない
後漢末は寒冷期であり北方の魏ほど被害が大きかった
だいたい、呉2蜀1ってこの時期は南郡をもってる蜀の方が呉より上だろ

469:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 22:16:12.00 +V26VsjcO.net
俺には証拠の提示を要求し、助け舟出してくれた他人に好き勝手な妄想三昧のツッコミよう。
随分身勝手だな。妄想はよろしくないんじゃなかったのか?

470:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 22:21:07.94 LV0WfRsM0.net
>>468
貨幣経済が普及しなかったのも鉱物資源もさることながら燃料の樹木が寒冷化で枯れ果てたんじゃないかと。

471:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 22:46:21.48 j3bOz4/H0.net
>>470
暖を取るにも木を燃やしてるからねえ
この時期北方の異民族が静かなのも生きるだけで精一杯なんだろうね

472:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 22:51:32.85 AecasA+s0.net
>>469
妄想で魏が兵力が7も有るなんて妄想を書くからだろ

473:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 23:03:27.32 GjuKIpAy0.net
>>469
この統計データって確か三国統一した時点のものだろ
50年も後のデータを元に語るのは、いわば現在の日本の人口統計を元に高度経済成長期の日本について語るようなもんだしあまりにも大雑把すぎる
大筋で大きな差は出ないと思うけどね

474:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/19 23:22:38.80 +V26VsjcO.net
このスレは基本的に妄想の応酬だろ?
誰一人証拠持って話なんてしてない。そんなレベルの高い話なんてできてなくね?

475:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 00:57:27.59 XIrjGiHO0.net
魏の戦力70÷9.4州で局地戦力=7.47
蜀の戦力10÷1.4州で局地戦力=7.14
呉の戦力20÷2.2州で局地戦力=9.09
魏と蜀が互角で、呉が掻っ攫った。
数式で証明できたな

476:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 01:00:34.45 XIrjGiHO0.net
関羽討伐後
魏の戦力70÷9.4州で局地戦力=7.47
蜀の戦力10÷1.0州で局地戦力=10
呉の戦力20÷2.6州で局地戦力=7.69
劉備が夷陵を決意して、押せ押せになったのも仕方ないな

477:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 08:07:33.94 BZGDqqd90.net
兵が1万人いたら毎日3万食必要、水なら2万㍑とか
地面にそのまま寝るのか?うんこも毎日1万個生産される
人口が多くてもその他の要因がそろわないと戦えない

478:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 12:30:11.86 aL93G6yk0.net
呉の場合、国境を守る+領内の山越にも戦力割かないといけない

479:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 13:00:40.74 YDNTg6qUO.net
ウ禁、徐晃らの増援は局地戦力じゃないよな?
第一段の増援の時点で関羽の局地戦力の倍以上は居たのではないか?

480:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 19:06:59.28 Dpll06r10.net
>>471
異民族弱体化と移住は北方が人の住める状況ではなくなったのもあると思う
あと単純に寒冷化というより、気候変動であれた気候になっていたと見た方がいいかも
今の気候変動のせいで余計にイメージしやすくなった部分

481:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/20 21:12:34.37 RhWWY+nv0.net
最近三国志系のスレで寒冷化寒冷化と狂ったように叫んでいるやつがいるのはなんでだ

482:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 01:47:05.93 eippWfE+0.net
そりゃようやく三国志ファンの間にも環境考古学の視点が入りだしたってだけじゃ

483:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 02:21:39.24 d8MYsl5Y0.net
この時期世界中で寒冷化現象が起きてて倭国大乱も寒冷化が原因とか言われだしてるしな。

484:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 02:28:43.11 8r2Ude+p0.net
3世紀の地球は寒冷期に入っていたらしいという話はよく聞く
具体的にどの程度冷え込んでたのかわからないけれど、曹丕が大戦艦を建造して呉を攻めようとしたら長江が凍って船を出せなかったので断念した、なんて話もあるからその通りなんだと思う
でもこの話を広げてったらこのスレの趣旨から離れていきそうだから話を戻そうや

485:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 03:02:28.33 oXiJhwlz0.net
蜀漢が南蛮に攻め込んだのも、寒冷化で涼しくなったからだぞ。
北狄が攻めてきたのも寒冷化のせいやで

486:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 07:31:48.06 bEUsouLF0.net
>>484
そんなスレ違いってわけでも無いだろう
少なからず寒冷化で漢末の人口が激変してるし
魏の国力も呉蜀に比べてもそこまで大きくなかったわけなんだし

487:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 12:10:47.75 UU9Cg9eaO.net
考古学ではなく、妄想の暴走なんだけどな。三国志正史オタの場合は。
関羽アンチなんてその最たる例。

488:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 13:57:57.63 eippWfE+0.net
気候問題はむしろ曹操が天下統一できなかった最大の原因の部類で劉備が生き延びた原因な気はする

489:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 14:05:01.88 gBtc/QaR0.net
>>487
変なのおったよな。
顔良斬りは乱戦の中、たまたま見つけて仕留めただけ、とか
ホウ徳に額を矢で射当てられたときに兜をかぶっていたから助かった、とか
根拠不明な妄想の出どころを突っ込んだら
「常識的に考えればこうなる!ムキー!!」とキレ喚き、その後はた迷惑な
自分の妄想論を押し付けてくるだけの壊れたラジオを化す。
低レベルにもほどがあるんだが、奴らはまさかそれが考古学とでも思ってたのかな?

490:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 16:06:45.24 oXiJhwlz0.net
>>488
曹操が統一できなかったのは、倫理観も一因だと思う。
曹操、司馬懿、共に、皇帝に自分ではなりたくないという考え方をもっている
この時代の後のヒャッハー感を見る限り、他の時代と比べて
インテリ層の倫理観は強いと思う
隴を得て蜀を望むなんて、甘ちゃん

491:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 16:43:12.05 e3sI+OAN0.net
この時代だって馬超さんとか公孫瓚とか孫皓さんとかSAN値ゼロの人おるやんけ。
個人的には袁紹が官渡で曹操倒してたら五胡十六国が早く来たんじゃないかと

492:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 17:42:59.97 oXiJhwlz0.net
劉虞の擁立が成功していたら、五胡十六国が来た思うわ

493:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 17:46:17.69 T9j+BVZq0.net
>>492
まだまだ北狄連中はまとまってなかったし(震え声

494:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 18:07:05.70 eippWfE+0.net
>>490
曹操司馬懿ともに若くして権力と立場を得たわけではないというのも影響強いと思う
30ぐらいで公になるような情勢じゃないと統一事業を成し遂げる気力は続かないんじゃないかな

495:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 18:17:47.46 fb19Lk8Z0.net
>>493
安帝の頃の西羌族や南匈奴の反乱みてるとちょっとしたことて一気に纏まりそうな感じ。

496:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/21 19:03:09.19 C94ZSn4o0.net
呉景をさっさと押し返せてたらな

497:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/22 17:38:10.90 qlrQGAlC0.net
>>360
確か黄承彦は河南郡から疎開して荊州に来てるんだろ
だから同族に頼っては可能性として十分有ると思うが

498:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/23 00:52:28.23 93/uLCHp0.net
関羽も白起ぐらい、覚悟があれば勝てたかもしれないね

499:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/29 15:54:59.70 ZBbocA0J0.net
まあ関さんが白起さんばりの坑殺やったらやったで反曹勢力の支持失った可能性(実際それ気にしたんだろうけど)あるからなんとも言えないけどね。

500:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/29 23:54:09.62 JjN3HSYa0.net
勝てば官軍じゃねの?
曹操だって官渡の戦いで得た捕虜を坑殺してるっちゅうし

501:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 12:59:51.24 Bc8FJ8HuO.net
白起はそれで武廟から外されたけどな。
その手の行為は強さとは関係もないし、寧ろ弱さをさらけ出してる。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 13:12:50.28 349FMSaU0.net
降伏した奴殺すとヘイトめちゃくちゃ買うからね。

503:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 14:30:58.33 0U0tkm980.net
そもそもに戦時中に捕虜を殺して敵の士気を上げてどうすんの?

504:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 15:13:34.04 ldya28Xs0.net
逆に恐れて士気が下がることもあるだろう

505:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 17:50:43.74 Bc8FJ8HuO.net
戦略的には下の下だな。その土地が自国の領土になっても民が永遠に懐かないだろう。
商業、工業、農業も発展せず税収も見込めず。かったものは怨みだけ。義なき者は誰も味方してはくれない。

506:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 18:39:46.34 RpyT0OhW0.net
ゲームの類だと兵士は数でありものであり
人間じゃないからねえ…
幾ら金を積もうが人の心は買えないからな。
勝ってから戦うは、孫子兵法の至上でもあるんだし。

507:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 18:45:41.55 ldya28Xs0.net
侵攻戦じゃなく防衛戦なら別にいいんだよ
ついでに民族宗教も違えばな

508:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/30 18:59:40.69 RpyT0OhW0.net
大軍が集まるまで捨て置かれて一気に攻め落とされたら
もうどれだけの処刑になるんだろうな…。

509:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/01 00:40:44.89 8pSXfHJL0.net
>>505
于禁の兵は地元兵じゃないから、ノーカンじゃね?

510:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/12 20:00:13.07 izforgka0.net
ちなみに
呉の縁談がまとまってたら
変わりましたか?

511:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/18 18:40:37.53 lsu4DECK0.net
>>510
利害関係で孫権はよく天秤かけるから変わってたかもな
夷陵も終わった後にまた同盟結んでるし九賜貰った魏も平気で裏切ってるし公孫淵にすらも結局援軍送ってる
関羽に荒らさせるだけ荒らさせてその隙に合肥確保するだろう

512:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/19 11:21:42.78 PzRlcDIk0.net
>>511
それは劉備に変えても違和感無いな

513:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/19 16:20:13.71 z45VMiLq0.net
>>512
つまり両軍の殺し合いではなく賊徒同盟継続で魏の官軍()はボコボコになる未来もあり得たわけだ
食料さえあれば規律に従順な于禁は降将としてふつーに使えた可能性が高い

514:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/19 20:24:24.59 wJDQMAlz0.net
于禁は降伏した時点で魏の規律を違反しているからもう心が使い物にならないだろうさ

515:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/19 23:22:23.25 5+XDAPzd0.net
于禁と共に呉に降った三万の兵ってどうなったんだろうな
奴婢かなんかに落とされて陸家とか呉の豪族たちに買われてったのかも

516:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 17:03:01.29 asfDWhd40.net
呉郡呉県の陸氏はその時期そんなに力あったかな

517:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/22 22:05:08.31 KU1MC5M/0.net
>>516
孫策が一族を殺して没落させた+孫権が陸績を冷遇して関係が冷え込んでも、結局陸議相手に孫権が土下座せざるを得ないくらいの力はあった
更に下の代に行くと孫皓は陸凱が何を言おうと罰せないような狂った領域に足を踏み込んだ

518:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/29 23:21:45.53 l6/z5qIQ0.net
臨終の言葉が凄いね
子に自分は徳が薄いから見習うな
諸葛亮に後継ぎが才能なくば君が国をうばえ
尊敬をする

519:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 00:29:59.64 tBVv+kFS0.net
若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取。
ここの部分の解釈って、もしも嗣子(劉禅)を輔けられるなら(輔けるに値する才気があるのなら)、輔佐してやってくれ。不才のようならば、君が自ら(政務を)取るべきだ。とするんじゃない?
割と勘違いされがちだけど、劉備は諸葛亮に国まで奪えまでは言っていないんじゃないかな
そもそも蜀漢は後漢の後継王朝であって、劉氏以外が君主になったら存在意義がなくなってしまうしね
要するに劉備が言いたかったのはむしろ、劉禅は傀儡にしちゃっていいしお前の独裁でいいけどそれ以上は望むなってことでは?

520:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 15:45:15.48 0Jlanbry0.net
>>519
しかし、同じ遺詔を受けた李厳は諸葛亮に九錫を受けるようにけしかけてるし、少なくとも李厳は劉備が諸葛亮への禅譲を容認していたと解釈したんじゃないかな

521:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 21:15:29.53 rghOtEFP0.net
劉備と孔明の君臣間の美しい物語よりも
自分の死後孔明が簒奪しにくいように遺言で嫌がらせしたという見方の方が
個人的には面白いw

522:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 21:18:47.33 WNPTMak10.net
諸葛亮一強とまでは言えん権力バランスだったから穿ちすぎな見方の気もするけどな

523:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 21:53:35.29 bfU5uLTZ0.net
>>519
わさわざ政務を取れを臨終で遺す言葉とは思えないですがあえて使ったのかもしれないですね。
劉禅は傀儡にしちゃっていいしお前の独裁でいいけどそれ以上は望むなってことでは?
→少し意地が悪く面白い意見ですね。国を取っても劉善の命を取るのなって事をですかね!

524:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 03:48:43.75 vGuNXFG70.net
>>520
李厳が益州に避難してわずかな期間で地位を得られたのって
そういう諸葛亮に九錫薦めるような強引さのある取り入り力や政治力なんだろうかね

525:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 06:35:44.18 r4aqpfKqO.net
>>521
タイトル忘れたけど、臨終の秀吉が家康に懇願したのとは対照的で、家臣の前で薦めることで権勢が増したり簒奪されても混乱少なく、劉家の保護も狙ったとか書いてあった本あったな

526:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 08:37:09.11 dN/oNJTH0.net
孔明牽制のための遺言ってのが一番しっくりくるな

527:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 11:23:26.43 m4gH78IH0.net
陶謙から徐州を譲り受けてるし
本心の様な気がするけど
諸葛亮の牽制と半分ずつの気持ち
ですかね

528:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 12:15:44.70 hZ1bJ2wb0.net
【世界の憧れ、第九条】 主権国の目標である戦争放棄 < #ケチって火炎瓶> それを放棄する安部晋三
スレリンク(liveplus板)

529:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 13:17:50.93 G2my2wT40.net
劉備が人を見る目が確かなら、諸葛亮は断る事を承知して言ってる
遺言により諸葛亮の権限は強化され、その統制力により蜀の命脈が伸びた
本来的にはカリスマ劉備が死んだら国は崩壊する
魏の予測もそうだった
特に諸葛亮は劉備が育てた、子飼いの部下
水と魚の例えで、若造諸葛亮を、軍閥の中心に置いた件と同じものと思う

530:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 13:29:31.17 G2my2wT40.net
劉備は、国の崩壊を抑制するため、新たなカリスマを誕生させるべく
気心の知れた才能ある諸葛亮の権限を強化するための遺言
諸葛亮に向けてってよりも、劉禅をはじめ、家臣団に、諸葛亮中心にまとまれと伝えるためのものだったと思う

531:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 18:51:30.65 RC9UEGPs0.net
なるほど周囲に向けての意味合いも
あったのですか!奥深いですね。

532:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 22:52:42.42 wKPtNxd90.net
そもそも荊州を失った時点で蜀は詰んでいる
劉備の死ぬ間際の状況みたら孔明に権限を与えるぐらいしかなかったでしょう
その孔明も馬謖のせいにして漢中を失う失態を犯すが
漢中と荊州はセットで漢中が攻撃の要なら荊州は防御の要
これで蜀はなにもできなくなった
北伐はただのガス抜きよ

533:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 23:56:35.68 ycUZcCCH0.net
>>532漢中を失う?????
お前何言ってんの?
漢中は蜀が滅びる時まで蜀の領土になってから一度も失った事は無いはずだが…

534:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 13:42:04.95 GAiG1/O00.net
呉の大敗がターニングポイントになりますね。仮に魏に進行しても失敗でしょうか?

535:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 16:26:09.82 vP0OYZF10.net
襄陽落とせず呉の裏切りで荊州失ったのが一番
まあ呉にしてみたら蜀が荊州保ったまま涼州関中手に入れるのも危険極まり無いんですけどね

536:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 19:23:54.36 wG1cwipm0.net
呉蜀の最適解は荊州保持の蜀軍が涼雍を制圧した時点で呉軍が荊州奪還?

537:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 19:40:02.05 srg8V3OB0.net
孫権は合肥に色気があって、最後の方まで関羽(荊州)と合肥で迷っていた印象。
つまり劉馥のせいで呉蜀は仲たがいしたと言っていいのかもしれない

538:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 19:55:59.40 PC9cYOiM0.net
ぶっちゃけ寿春や彭城まで進出できれば北伐の幅が広がるからな
東晋の北伐も泗水沿いがメインルートだったし
襄陽まで保持できていたら桓温みたいに商洛~藍田沿いに関中侵攻とか伊水沿いに洛陽侵攻とかできたんだろうけどさ
襄陽取れなかったからな、蜀漢も孫呉も

539:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 10:47:30.04 1yotsIxV0.net
>>538
何言ってんだ?
呉は襄陽を落とした事があるぞ
劉備が長安攻めずに夷陵の戦いなんて愚を犯すから
魏を立ち直させたんだから

540:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 11:16:35.08 Kc8SbbHm0.net
>>539
そりゃすまんな
ずっと魏晋が押さえ続けていたものと勘違いしてたわ
因みにいつからいつまで?

541:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 11:37:37.58 fahhFcrh0.net
樊城の戦いの後、曹仁は一旦、宛まで兵を退いてる
その間に呉は将軍陳邵に襄陽を占拠させたが態勢を整えた曹仁が再び南進するとすぐに奪い返されてる
話は曹仁伝にある

542:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 11:43:28.33 1yotsIxV0.net
>>540
曹操の死後に陳邵に落とさせてるだろ
結局、劉備は曹操の死後に皇帝を僭称したり呉に侵攻してりして
お山の大将だけで完結してるんだよね
漢王朝の復興も建前だし同族殺しで呂布と同類だからね

543:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 11:45:20.57 Kc8SbbHm0.net
あ、自己解決したわ
220年頃の曹仁が宛に退いた後に火事場泥棒で取ってすぐに曹仁に奪還されたやつね
こんなことやらずに劉備相手の防備固めておきゃ良かったじゃん
魏に称藩してた頃だろうに必要性が分からんなあ

544:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 14:26:11.98 dta/yBR30.net
帝位を称したのも呉に攻め込んだのも漢の復興や統一の意思の表れだろう
同族殺しもしてねえ

545:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 21:03:48.55 gOsA8seyO.net
天下統一を成す力のないものは三国揃って地方政権に過ぎないんだけどね。
劉備は漢の威光の残滓に頼ったが、そんなものにですら曹操の力は負けて、後世に劉備の正統を許すことになってしまった。

546:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/02 22:45:12.44 TOt93xIy0.net
>>543
襄陽の魏呉の取り合いは219年の合肥戦みたいに出来レースの匂いがするな
どちらも大して被害なくあっさり襄陽明け渡している感が
まぁ呉が襄陽ぶん獲ったのは代わりに呉王貰う為の取引材料にしたのではと妄想
劉備相手の防備なんて西陵押さえとけば
新督の陸遜と古参武将とのグダグダあっても
完勝できるぐらいの余裕度

547:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 02:03:48.11 wybOZrM90.net
それは陸遜を舐めすぎだろうし、事実関係は逆じゃないかな
古参から不満が出るほどの奇策なのであって
劉備とガチ勝負したら結構な被害が出ていたと思うぞ

548:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 07:06:37.68 eR4Tu6Os0.net
何をどうしたらこういう妄想が頭のなかで形成されるのか🤔
純粋に興味深いわ

549:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 18:38:15.96 nhARjC+M0.net
>>546
陸遜のは奇策でもなんでもないだろ
ただ救援要請来てた西陵も放置してガチガチに守ってただけ
第一劉備陣営が1年以上敵と対陣して敵破ったのは
途中で張任が出撃して捕虜にできた雒城ぐらいだろ
敵が陽動につられないで動かなければ何もできないで敗北するのみ

550:548
18/09/03 18:45:02.98 nhARjC+M0.net
×>>546
>>547
しかし劉備とガチ勝負しても
劉備には意味あっても陸遜には意味ないからな
ガチ勝負しなくても留めといて疲弊した処で燃やせば楽なんて
劉備よりも軍才無い曹丕でも気付くイージープラン

551:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 21:50:48.14 wRuC+2WW0.net
本人と部下たちの能力不足

552:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 22:09:34.31 P4YVfHqD0.net
関羽負けたのは仕方ないけどその後の敗戦処理が最悪だった
せめて軍の再編できる程度の敗走であれば地域を失っても奪回できる芽は残ったと思う
関羽が戦犯というよりは孫権陸遜が卒のない戦役を遂行した感じ
孫権やっぱ凄えわ

553:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 00:25:46.44 +ec9mQV6O.net
関羽を戦犯呼ばわりするのも意味不明だけどな。
学のない素人が研究者のフリして陳腐な妄想本とか出すのが10年前くらいまで流行ったから、そういう本の影響とかもあるんかな。
今や適当なウソなんてネットの普及で出来ない時代だから、関羽の抜群の英雄性に非なんて唱えられなくなったからな。

554:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 01:41:34.27 +yIPTKYE0.net
>>550
劉備は当初は備えがあるので攻めるべきではない、疲弊した後に征圧する戦略をたて、徹底した。
(味方の救援要請を無視するレベルでの徹底)
孫権や諸将に勝つための道筋を当初より示しているのだから陸遜もガチ勝負である。
イージーな戦略であれば古参から不満が出るようなものではない。
というか、そのまま、陸遜伝に書いてる。
臣下でありながら諸葛亮に次ぐ文章量。陳寿は陸遜好きだよね

555:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 06:31:35.33 kWvosQNtO.net
>>553
妄想本は知らないけれど、荊州失陥が蜀漢のその後に大きな影響を与えたのだから、そりゃ言われるだろう
ネットなんだし、戦犯なんてのは揶揄みたいなのも混ざってんじゃない

556:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 11:16:46.77 +ec9mQV6O.net
それは呉の節操の無さが招いたことだろ?
そもそも、裏切った方を擁護し、正当性すらあるような物言いになっている。
関羽に義心あり、呉に義心なしだから、三国演義を通じ後世の社会には呉は悪者と見なされる。
戦争という蛮行の中にも、関羽のような人の美徳を貫く者はいる。
本当の英雄ってそういう存在だろ。
だから今でも英雄の中の英雄でいる。

557:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 11:20:01.56 f4ZV+aq60.net
そういうの疲れない?
やってること突き詰めれば魏呉蜀どこも権力闘争なんだからさ
道義性であれこれ評価しても何で蜀が行き詰まったかなんて導き出せないでしょう

558:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 12:27:17.94 KziXMaUM0.net
節操の無さは恩人の同族を攻めた劉備には負けるよ
劉備は劉ショウの敵討ちをして貰ったんだから
呉に感謝した方がいいよw

559:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 12:28:11.01 f4ZV+aq60.net
>>558
こういう煽りもお腹いっぱい

560:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 18:30:10.61 8IYZVTt40.net
糜芳士仁が頑強に抵抗してたらワンチャン……?

561:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 18:34:40.56 8IYZVTt40.net
ところでさっきから劉備の同族殺しって何の話や?

562:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 20:24:02.41 jTYr0j9H0.net
>>541
火事場ドロボウして
簡単に取り返されてて草

563:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 20:42:39.17 CUY8ZSHW0.net
>>557
呉って孫策が揚州蹂躙して以降
ドサクサで荊州奪った他は合肥一つ落とせないんだよな
劉備が荊州南部益州漢中とあっという間に落としてるのに対してショボすぎるやろ
そりゃ周瑜が関羽張飛欲しがるのも当たり前だわな

564:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 20:44:19.70 tm60JQet0.net
【ブルマ57、まる子53】 放射能による急死と報じず  <安全安心>  早野龍五氏 坪倉正治 開沼博
スレリンク(liveplus板)


565:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 21:14:20.65 Slu8cPPG0.net
>>563
交州すら頭に入ってないのな

566:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 21:46:31.74 UoR7Tuq10.net
>>565
中原から遠ざかる方向に拡大する呉さん

567:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 23:31:44.64 uUmpFAsJ0.net
交州って狙いをつけてから随分時間かかったよなあ
けっきょく士燮が死ぬまで手も足も出なかったし

568:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 23:44:21.59 Slu8cPPG0.net
>>567
朱符、張津と二代続けて交州刺史が変死してる土地柄ですから

569:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 23:51:45.92 bQiD9LYn0.net
>>554
陸遜のやってた事は諸葛亮の北伐の時の司馬懿と全く同じで
古の春秋戦国時代でも李牧や王翦もやっていたありきたりな戦法
望外の呉パーフェクト勝利に近い結果が出たのは司馬懿に対する諸葛亮と違い
劉備が陸遜を最後まで舐めてかかってたからのように感じる
陸遜は味方の古参武将からも舐められてた節があるので
劉備とのガチ勝負を望む古参武将を抑えるので手一杯で
一歩間違えれば反攻する前に内部崩壊していた
まあ陳寿は陸遜好きなのはわかるけど
諸葛亮家と違い息子は功績に関しては親父と遜色ないんだから
タイトルは陸遜陸抗伝でもいい内容

570:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 23:56:22.17 bQiD9LYn0.net
>>567
孫権が交州方面に侵攻してすぐから
士燮は孫権に従属していたので
士燮死ぬまで併合する必要が無かった
珍品貢いでくれるわ益州南部まで従属させてくれるわで
そのまま士燮に任せた方がメリット大きかったから

571:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 01:58:42.80 ERM3MWoY0.net
>>569
そいつら全員名将やん、ありきたり呼ばわりは酷い
そもそも司馬懿の例とは違い、陸遜は「勝つ方法を提示して」勝っている
ただのにらみ合いの持久戦とは違う。
古参の爆発を抑えるための方策も使ってるんだから、
手一杯ということはないかな。
周瑜も古参には手を焼いているのでお国柄なのかもしれないが

572:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 02:16:16.02 Ped7a2GsO.net
孫策が早く死にすぎたのがな
当主になったのがたしか19歳だっけか
秦王の政も若かったが、呂不韋なんて敵になりそうな権勢家がいたしな
周瑜魯粛みたいに権勢家というより、支えている感じの家臣がいると遠慮も生まれるのかもね

573:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 20:45:16.80 gVh64P8F0.net
夷陵の大敗は必然ですか?
この戦で後世に劉備が戦下手に
されてますね。
少し残念なんですよね。

574:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 21:04:24.75 DTRrDMOd0.net
世の中に必然なんて無いと思うけれど
あれだな、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしってやつじゃね?
後世の人間は後知恵で知ったようなことを語ることしかできないけれど

575:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 23:07:56.25 PI8YRhA/0.net
育った環境の違いだろ
劉備は中原の出身で騎歩陸戦が戦だと思ってた、河川はただの輸送線で主戦場じゃなかったんだ
対して陸遜は江南の出身で主戦場は水上、この認識の違いだろ

576:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 02:18:28.10 9A6ift910.net
>>569劉備に局地戦とはいえ二度も負けてるから陸遜のパーフェクト勝ちって感じがしないんだよな
割と結構ギリギリだったように思う

577:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 02:22:50.69 9A6ift910.net
夷陵の大敗で劉備には法正がいればと言われてるけど
張飛や黄忠のような猛将がいなかったのも敗因の一つだと思うわ
そのせいで決め手を欠いて呉の防備を突破できなかったように思う

578:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 05:13:06.87 wTebV8ba0.net
張飛いたらむしろ早い段階で荊州奪回できてたんじゃね

579:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 19:22:32.15 GbYnvQqM0.net
>>577
細やかに作戦を計画する参謀と別働隊を任せる優秀な将軍不足
大軍による攻勢で一番危うい状況やね

580:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 20:21:56.25 9A6ift910.net
>>579参謀の才がある黄権を傍に置かず
対魏の備えとしたのも失策だったな

581:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 20:22:17.99 9A6ift910.net
趙雲、秦フク、黄権の言う事に全く耳を貸さないし
関羽死後の劉備はかなり冷静さを欠いてると思う
往年の劉備なら負ける事はあってもここまで大敗する事は無かったんじゃないだろうか

582:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 20:25:09.53 m8hI/FKM0.net
国乗っ取りられるわ、滅ぼされるわ
劉備は大敗の連続やで

583:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 20:30:53.32 9A6ift910.net
>>582
もう少し具体的に言って欲しい

584:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 21:33:49.60 QCNs6ePy0.net
>>581
連中は非荊州人だしなぁ
実際劉備が夷陵に連れて言ってるのは荊州出身者ばっかだし、荊州失陥による荊州名士の離反を避けたかったんだろ
まぁ未来を担う中堅どころ&兵士が全滅したのは擁護の仕様がないけど

585:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 21:48:09.01 yfl0vTL70.net
>>577
陸遜の手紙にも出てるけど水軍抜きでゴリ押ししたのが痛い。
後の王濬が西陵(夷陵)を速攻で落とした時も水軍とのコンビネーションが効いてたし。

586:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 23:10:14.82 Au/rLXTMO.net
苦手はことを避けて得意なとこで勝負するてのも、ひとつの手だしなあ

587:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 08:34:03.69 5faCHfT60.net
>>585
後の晋の侵攻と違って
劉備には時間が無かったからしゃーない

588:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 08:36:06.25 5faCHfT60.net
>>580
益州出身で法正ほど能力が有るとも思えないから難しいやろなあ

589:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 11:51:34.46 1M8lc/hA0.net
>>581
大敗は川を下るからしょうがない
攻めに勢いが付くが背水の陣の様に逃げずらくなるからね
つーか、呉は魏を警戒してて蜀相手に余力を持って戦ってるから
負ける事は無いんじゃね

590:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 15:26:20.93 5uUaAjoh0.net
>>588
黄権もまた護軍として、三巴の防衛、漢中の攻略について策謀しているんだけどね
どうも漢中の攻略について法正の功績が過大に語られがちな気がするな
法正がいなかったら漢中は攻略できなかった!みたいなのはともかくとして漢中攻略は全部法正のお陰!みたいなのは言い過ぎだと思う
孔明に、法正がいたら夷陵の敗戦はなかったと言わしめるほど作戦立案能力が評価されていたにしてもだ

591:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 17:22:59.84 5faCHfT60.net
>>590
>法正がいなかったら漢中は攻略できなかった!みたいなのはともかくとして漢中攻略は全部法正のお陰!みたいなのは言い過ぎだと思う
言い過ぎも何も貴方以外に誰も言ってないんですが…
また呉と手を組んだとみられる魏を警戒する役目も重要で適任なぐらいですし
根本的に有能な参謀が駒不足だと言う事ですよ

592:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 17:48:13.84 5uUaAjoh0.net
>>591
ここだけの話でなく巷では漢中攻略戦が法正一人に帰するように語られがちだなってこと
法正が具体的にどのような献策を提案してその献策がどのように劉備が戦略の中に組み込んでいったのか詳細もわからないのにね

593:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 19:23:04.93 +8Xw3T8d0.net
法正も黄権も漢中攻略に一役買ったってあるやんけ

594:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 19:32:13.04 BXnOwDTP0.net
法正の漢中攻略における建策
1、夏侯淵・張?なら勝てるから漢中侵攻しようぜと進言
2、夏侯淵と戦ってる際にタイミングを見計らって「攻撃すべきです」と進言し劉備は黄忠を使って夏侯淵を斬る
3、曹操と劉備が戦ってる時に形勢不利になったが劉備は退却するのを嫌がった。そこを何とか説得して退却させる
これらの事績から陳寿の評のとおり成功と失敗をはっきり見きわめる事のできる参謀だったという事が良く分かる

595:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 21:24:38.44 ZFeWYOY/0.net
>>583張飛に任せてたら、呂布に国を乗っ取られ、
反旗を翻してみたけど、曹操に徐州を取られるわ
散々
>>590
>法正がいたら夷陵の敗戦はなかった
作戦能力が評価されての言葉じゃないぞ
法正が裏切ってくれたから、蜀を乗っ取れた事を、劉備も諸葛亮も恩に着ていて
頭が上がらないから、法正の言う事だと聞いてくれたに違い無いだぞ。
その証拠に法正が暴れまわって苦言された時も、諸葛亮はそう言って法正をかばってるぞ。

596:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/07 21:26:25.33 ZFeWYOY/0.net
ちなみに諸葛亮は劉備に抜擢してもらった事を恩にきてるので
夷陵にしろ、劉備のすることを非難しないぞ。
ほとんど親子の関係かな?と、思うぞ

597:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 00:58:12.35 bIfCKABR0.net
「戦争回避できなくても危険を避けえたであろう」と言ってるから
普通に法正の能力を評価しての言葉だよ

598:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 01:57:19.91 mzc9wqku0.net
>>576
三侠の拠点は全部落ちて残るは江陵ぐらいという状況だし
普通にギリギリだろう

599:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 04:18:15.60 E2WxDHG80.net
>>598
陸遜のワンサイドゲームではないわな
戦役の期間も長いし

600:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 06:10:05.72 muqgjwPo0.net
呉主伝読むと調略で寝返りが起きたのが相当キツかったっぽい。

601:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 07:45:21.30 5/VbcYeH0.net
>>592
それで今度は逆張りして黄権に任せれば夷陵を回避出来ると…
なんか演技アレルギー蜀過小評価と類似の症状が見られますね

602:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 07:57:40.70 QWj61m980.net
>>597
それは劉備を最前線に出さない説得ができたって事だろ
能力とは関係が無くないか

603:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 10:37:53.95 o56x5hCoO.net
三國志は天候読める人が多いけど、陸遜の火計は幸運に左右されたとこあるんじゃないかなあて思える
司馬遼太郎の秀吉の水攻めみたいに

604:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 12:53:07.80 QWj61m980.net
>>603
演義の話?

605:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 12:57:18.27 QWj61m980.net
>>601
張飛に生きていれば勝てたとかのほうがよっぽど演義厨か蜀中毒だろ
それを指摘しないのは同列な人なのかな

606:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 14:27:33.76 5/VbcYeH0.net
>>605
張飛は関羽と並び正史で万人の敵と称される程の名将やぞ

607:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 14:48:04.93 NBtEW46d0.net
>>605
張飛生きてたら上手く生きそうじゃね?

608:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:06:38.97 DNp2dtfSO.net
まあ、いずれも個人の妄想なんだから仲良くしようや。

609:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:07:09.58 5/VbcYeH0.net
実は関羽張飛を猛将タイプと見ること自体が演技の影響受けすぎなんだよね
劉備軍の戦いを見れば数も少ないから力攻めなんかより機動戦や後方撹乱といった戦術を工夫した戦いの方が多いのにね

610:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:08:27.22 5/VbcYeH0.net
>>608
つまり正史における程昱や周瑜の関張に対する評価は妄想か

611:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:41:56.25 O4Sqz1dp0.net
万人敵って評価をそのまま受け取って一人で一万人の兵に匹敵すると捉えるのならただのアスペやな

612:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:49:45.49 7jAljhpd0.net
万人だから監軍事や督軍事レベルで数万を指揮する都督には及ばないっつー評価では

613:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:53:23.01 5/VbcYeH0.net
万人敵って表現は
普通に項羽が用兵を学ぶエピソードから来てるものだよ
その後も同様の表現で表される武将は名将的な人が多い

614:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 15:56:39.27 5/VbcYeH0.net
例えば
呂布も飛将軍って表現されてるんだけど
これも騎馬や弓に優れた前漢の武将李広から来てるもので呂布が優れた騎馬部隊の将だと分かる

615:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:01:25.23 5/VbcYeH0.net
他にも曹操なんかが具体的に過去の名臣になぞらえたりして評価する事があるけど
これらの表現は別に適当に言ってる訳じゃなく
評価対象の能力の性格をちゃんと表現しているものと考えた方が良いと思う

616:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:10:38.33 5/VbcYeH0.net
特に張飛なんかは
実態と演技によるキャラ付けが最も乖離してそうで面白い人物ですね
彼の子供達が文官だったり後宮入ってたりっ事を考えるとむしろ知的な優男なのかも知れません

617:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:26:17.74 DtYssF/HO.net
張飛の書が後世名筆と言われたり、本人も士大夫に対する憧れを持ってたりしたから
優男かどうかはともかく、張飛の文に対する思いはそれなりに深かったろうね。
それが身分の低さに因るコンプやその他の要因があったのかどうか今となっては分からないけど。

618:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:38:58.66 bIfCKABR0.net
>>602陳寿の評にも「法正は成功と失敗をはっきり見きわめ、並はずれた計画や術策の所有者」とあるから
陳寿は明らかに法正伝での法正を優れた参謀として能力のある人物として書いている
文脈の流れとして普通に諸葛亮が法正の参謀としての能力を評価している言葉ととらえた方が自然だろう

619:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:41:53.24 bIfCKABR0.net
>>609用兵家であるのも事実だけどそれと同時に猛将であるのというのも事実だろ
顔良斬りや長板での仁王立ちのような武勇伝が正史に書かれてあるんだから

620:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:44:24.91 bIfCKABR0.net
>>605勝てたかどうかは分からないけど
張飛が生きてたら勝つ可能性が増えたと考えるのは別におかしな話では無いだろう
事実、夷陵の劉備軍には名将・猛将と呼べるような人材がほとんどいなかったんだから

621:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:57:10.73 5/VbcYeH0.net
>>619
正史の長板は橋を落としてから魏軍に声を掛けた形だったと記憶
殿として頑張ったのは確かだけど猛将って話じゃないと思います
顔良切りも機動力を生かした奇襲という側面が強いですね

622:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 16:59:54.54 5/VbcYeH0.net
何となく思うのは
中国においては北方騎馬民族からの攻撃の印象で
騎馬部隊の運用を得意とする将軍は猛将扱いされやすいのかなあという事

623:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:08:08.68 5/VbcYeH0.net
董卓配下の系譜である呂布や張遼
西涼の馬超はその代表格で
白馬義従で有名な公孫瓚の有力な武将だった馬産地幽州出身劉備の軍も然りというところですかね

624:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:17:52.48 5/VbcYeH0.net
まあ騎馬隊を率いるには自ら騎乗しなきゃいけない訳で
その意味では関羽と張飛の個人的な武勇が優れているのは確かなんでしょうね

625:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:18:08.76 bIfCKABR0.net
>>622何回も言うようだけど猛将であるのと用兵家であるのは両立できる事だろう
猛将=脳筋で知恵を使わない軍人であるという認識自体が間違い

626:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:18:34.81 QWj61m980.net
>>620
趙雲は勝てないと見て逃げたし
黄権は劉備が自分で遠ざけたもんな

627:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:20:52.32 bIfCKABR0.net
>>621確かに知恵や軍兵を使った戦績でもあるが
だからといって武勇の要素が全く無いなんて事はあるわけではない
普通に猛将である事を示す武勇伝としてとらえても問題無いだろう

628:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:20:58.00 5/VbcYeH0.net
>>625
いや単に猛将だと脳筋の傾向が強いでしょ
そうでないなら普通に名将で良い訳だし
何より万人敵って明らかに故事から引いてる評価は用兵に関する評価でしょうからね

629:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:22:48.42 5/VbcYeH0.net
>>627
橋を切った後の挑発が武勇伝?
どちらかといえばエピソードを利用して演義が武勇伝に仕立て上げた側面が強そうですね

630:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:26:58.73 5/VbcYeH0.net
>>626
趙雲は長く護衛役だった事もあって将軍としての評価はまだまだ
そして黄権以外に魏の抑えになる人材が居たのかどうか

631:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:31:10.30 5/VbcYeH0.net
当時の役割を考えれば
魏延が漢中の防衛役であれば
趙雲は成都防衛役といった所でしょ
成都を信頼できない人に任せられるほど安定はしてないでしょうしね

632:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 17:56:42.92 4qyiKl170.net
>>631
外戚の呉壱がいるだろ
益州だと彼が中心で纏まってるんで
むしろ趙雲に出番はないぞ>>631

633:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 18:02:34.52 bIfCKABR0.net
>>629張飛伝に『誰も思いきって近づこうとせず…』と書いてあり
敵がビビって張飛に近づけなかった事を意味しているのだから普通に武勇伝として陳寿は書いてるでしょ

634:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 18:13:02.04 5/VbcYeH0.net
>>632
外戚なのに列伝も追贈もされない微妙な呉懿さんにそこまで期待しちゃいかんでしょ

635:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 18:20:43.58 bIfCKABR0.net
>>631『趙雲別伝』の言う事を信用するなら趙雲の役割は江州の守りだろう
『趙雲別伝』の信憑性は怪しいところもあるが、何の根拠も無い成都防衛役よりはまだ確証がある

636:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 18:42:40.73 5/VbcYeH0.net
>>633
大喝的なエピソードこそ猛将の専売特許じゃありませんけどね

637:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 18:46:46.88 5/VbcYeH0.net
>>635
まあどの道呉侵攻の主将は張飛を予定してて
同時に趙雲が代わりにならないというのは変わらずですよ
近い辺りで代われる存在は実績や格的に既に亡くなってた黄忠と馬超ぐらいでしょうね

638:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 19:34:14.77 E2WxDHG80.net
侵攻時期遅らせるリスク犯して魏延を漢中から引っこ抜いて張飛の代わりに部隊任せるっつーのは…
うーん、望み薄な案だな

639:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 20:11:39.39 4qyiKl170.net
いつの間に趙雲が張飛の代わりをするなんて話になるんだ?
だいたい、この頃の趙雲はまだ翊軍将軍でまだ雑号将軍で成都防衛役なんて任命されるわけがないだろ
流石に無知が酷すぎる

640:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 21:06:55.62 1cON2gWI0.net
相方の陳到の方がまだ可能性あるな

641:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 21:19:36.08 4qyiKl170.net
とりあえずID:5/VbcYeH0は
雑号将軍の趙雲の成都防衛役と
蜀書で劉備が裏切ったのは自分だとハッキリ書いてあるのに
魏の抑えが左遷じゃない理由を書いてほしいな
まさか根拠も無く書かないでしょうから

642:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 21:21:18.93 4qyiKl170.net
>>641
魏の抑えが左遷じゃない理由を書いてほしいな
まさか根拠も無く書かないでしょうから
黄権が魏の抑えが左遷じゃない理由を書いてほしいな
まさか根拠も無く書かないでしょうから

643:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 22:35:27.42 Vk0tVoc30.net
馮習とか張南とかあいつらどっから沸いて出てきたんだろうか

644:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/08 22:43:51.74 Gr3l7qkc0.net
>>621
此岸で大喝ってのは後世の猛将アピのテンプレだぞ
崔延伯と万俟洛とか

645:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 00:45:17.35 bZnz9ql30.net
黄権は軍の面子に南郡太守や荊州治中従事がいたし
持久戦になったあたりから江陵攻略に役割が変わったんじゃね

646:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 00:52:22.90 BvFvzBx+0.net
呉主伝読むと武陵は蜀に寝返ってたっぽいので江陵は孤立して補給が受けられなかった可能性も

647:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 03:03:28.57 HTYqw7e90.net
何か最近は夷陵の戦いを語るスレになってるな

648:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 03:49:19.82 DuqgnngY0.net
仮に夷陵に勝てれば、天下統一の芽もあったと言えるからええんじゃねーかな?

649:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 07:00:52.10 aYQKDkw/0.net
>>641
どう考えても先に黄権を手元に置いてたら夷陵に勝てた根拠を示す方が先でしょ
少なくとも法正にはその評価があるし
張飛も周瑜が天下を狙うのに欲しがった程の評価だしね

650:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 07:11:39.28 ZLPuAfvJ0.net
張飛暗殺は想定外やろうしなあ
劉備も前線まで出る必要性減るわけだし

651:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 08:36:08.10 lSVXq9ri0.net
>>649
関張マンセーならそう解釈するんだろうが
周瑜は劉備を篭絡させて傀儡にして関張は手先として使って
劉備軍の傀儡化を孫権に献策しただけで
周瑜が天下を狙うのに関張を欲しがった訳ではない
周瑜の益州攻略計画に孫瑜は出てきても関張は出てこないからな
周瑜は江陵攻略に関張使ってみたけど甘寧未満の役にしかたたなかったので
周瑜の関張への評価はそんなに高くない


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