19/06/14 00:35:14.70 fSfsVhTc0.net
そもそも関さんどの辺まで攻め込む予定だったのかが不明
桓温が北伐やった時も涼州と益州の別働隊と連動して洛陽の一時期占領が限界だったので動かせる軍勢が荊州軍しかない関さんが何処まで目指してたのかと
894:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 01:29:45.63 jq0lbf8V0.net
許都付近の叛乱は関羽が煽ったやつが多い
ただその叛乱が関羽や他の叛乱とタイミング合わせずに散発で終わってしまうこと多かったから
関羽の方も焦って動いてしまった可能性があるとかなんとか
895:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 02:35:54.42 ouwapXHk0.net
広さと通信の問題で連携はまともに取れないのが普通。定石通りに失敗しただけだな
896:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 10:52:13.80 jHrdAD1uO.net
呉や蜀に較べて最前線の魏将は格落ちなんて検討違いもいいとこ
897:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 15:19:58.35 uB6FDIxj0.net
>>863
さすがに于禁や曹仁や徐晃が格落ちとか有り得ん
それでは関さんが手も足も出なかった楽進よりも格下になってしまうぞ
曹洪だって絶好調だと張飛馬超を一蹴するしな
勝敗は兵家の常だよ
曹仁とか徐晃とかは関羽と戦う前に戦役有って連戦なので万全の状態ではないのは確か
898:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 15:22:31.99 uB6FDIxj0.net
>>865
さすがに長江下流から上流への通信網が機能しないは有り得ん
もし通信網が機能しないならば215年の荊南三郡争奪戦で
劉備が素早く公安まで戻ってくるのは不可能
899:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 22:19:06.47 nISFU8gHO.net
>>873
楽進には船を数隻燃やされた程度じゃなかったっけ?
それに手も足出なかったら、楽進はあっさり荊州制圧出来ているのでは。
900:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 23:47:51.78 5mZOi4D50.net
国力で下駄履かせてもらってるだけで辺境の弱小国に手こずって成果を挙げられないような奴らは無能と言われて当然
地の利なんぞ他の時代の本物の英雄ははね除けてるわ
901:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:11:55.02 x3If+m4R0.net
于禁や曹仁や徐晃も諸葛亮と比べたら将としての質は落ちるのではないかな
統率力や兵の訓練、戦場での駆け引き、用兵は諸葛亮が一枚上でしょう。
902:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:26:33.41 DdhgMbZzO.net
結局、一番の大国でありながら苦戦してるとなるとアドバンテージは巨大な国力になるんだよな。
関羽、張飛は南北朝~隋くらいまで三国時代の二大豪傑として語られその後に伝説化し神になる。
諸葛亮も武廟の十哲入り。(三国時代からは諸葛亮のみ)
この三者は明らかに格上じゃないのかな。
903:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:54:24.66 m8TwFvte0.net
>>877
KOEIのゲームの話ですか?
904:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 01:07:40.41 4/mgRrWY0.net
>>871
最後の北伐と合肥新城への呉の侵攻はうまく連携できた稀有な例なのかな
呉蜀同時侵攻でも結局魏に守りきられちゃったのは諸葛亮の死が響いた?
蜀は総力上げて臨んでたけど孔明生きてても結局また兵糧尽きて撤退してたかな。
905:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 02:41:18.34 /pwDet5h0.net
どんなに上手く行っても長安を一時的に占拠するくらいにじゃないかな。
政治的な効果はわからんけどね
906:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 02:52:07.41 x3If+m4R0.net
>>879
于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
>>881
函谷関を抑えれば大丈夫
だから1回目の北伐では思い切って魏延の策を取り入れても良かったと思う
結果論だけどね
907:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 03:36:13.24 4/mgRrWY0.net
>>881
なるほどー長安とれたらすごいな
だけど魏は王経負けた時もそうだけどおかわりがジャンジャン来るから
戦線維持は難しそうね国力的にも。
908:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 05:53:05.13 jnzCnvA90.net
>>875
楽進は少なくとも2度関羽と戦っているけど
いずれも関羽が攻めて楽進が守って関羽が退けられている
楽進はただ守っているだけだが楽進が生きている間は関羽は魏に侵攻成功する事は無かった
曹操はは赤壁のトラウマか赤壁後は長江超えて本格的に南部制覇しようという気概が感じられない
基本的に重要拠点守って蜀方面は巴蜀漢中の人攫いして終わりで呉方面は大規模援軍で孫権に威風を示すだけ
巴蜀漢中の人攫いは戦術的に成功だが結局漢中放棄したので戦略的に失敗
孫権に威風を示すのは最終的には孫権が下ったので戦略的に成功したが後に曹丕がおじゃんに
909:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 12:11:58.84 DdhgMbZzO.net
つまり、物量差が生きたということか。
910:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 14:12:09.05 8nd1uibf0.net
魏が苦戦した理由となればそうなるな。
まあ、将器の上下の話になるとファン意識も絡んできて
めんどくさくなるが現実的に見ればそうなる。
911:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 17:33:19.32 2s8uVp290.net
漢中の曹操もだけど、曹丕も夷陵の戦いの時に孫権の時間稼ぎを許さず呉になだれ込んでいれば天下統一の好機だったのに
本当にここぞというときにアカン親子だな。
912:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 18:40:07.65 y/QNMmmL0.net
>>887
夷陵は劉備が無能過ぎて曹丕もまさかの呉がほぼ無傷とは予想できんだろ
913:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 22:09:48.58 VIL2b5vf0.net
毛沢東が参考にしたように三国志はレベルの高い勢力争い。ライバルがいない統一戦をくぐり抜けた王朝は異民族に大敗して歴史に汚点を作っている。
914:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 22:47:28.50 NHH91WtC0.net
>>887曹丕は選択ミスしすぎだわ
夷陵後に呉を攻めるのではなく蜀を攻めるべきだった
あのボロボロ状態の蜀ならいくら戦下手な曹丕でも滅ぼせただろ
蜀を滅ぼして長江上流域を確保したら呉に対してかなり有利になった
915:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 23:34:57.35 eOJHZIEW0.net
劉備と陸遜が対峙している時に呉を攻めれば良かったのでは?
呉に対しては攻勢正面が広いが蜀は山だし侵入口がかなり限られる
916:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 23:46:25.86 y/QNMmmL0.net
>>891
それこそ、「たられば」だろ
劉備が一瞬で敗れるなんて予想できないから後手�
917:ノ回っただけなんだから にらみ合ってる状態で攻め込むなんて博打を打てなかった 下手すれば呉蜀に攻められる危険があるし
918:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 00:54:14.89 lD7NEWfn0.net
>>882
>于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
KOEIのゲームの話なら無理だろうね
919:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 03:06:35.77 vGfjemlo0.net
>>889
三国時代を制した西晋だって異民族にやられてるけどな
920:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 04:26:07.62 iU3Er/0W0.net
>>893
史実でも于禁はそう簡単に諸葛亮に勝てるとは思えないな
どちらも統率力と手堅い戦い方するという意味では同タイプの将軍だと思う
于禁の方が融通のきかないとこあるし諸葛亮の方が搦め手が使えるので諸葛亮有利かなって感じだと予想するが
921:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 04:28:17.71 iU3Er/0W0.net
>>892夷陵って1年近く戦ってるから全然一瞬じゃないぞ
その間、何もしなかったのは魏側のミスだと思うわ
922:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 10:06:10.85 fS5oD6mp0.net
曹丕即位直後から涼州でぼつぼつ反乱が起こってたからその鎮圧で手一杯だったんだろな
この時期は国内の地盤固めに必死で外征する余裕がなかったんだと思う
そうはいっても、万全を期して始めた呉討伐があの結果だから曹丕には軍事的才能がなかった、少なくとも孫権にも劣る器量だったと結論づけるしかないが
923:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 22:26:27.82 3ngmJGtB0.net
>>896
だからほぼにらみ合いだろ
陸遜の閏6月に陣への攻撃から曹丕は外交を挟んでの9月には攻め込んでるよ
劉備ぐらいだろ大義名分無しに戦争をする蛮族は
924:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:19:38.68 iU3Er/0W0.net
>>898いや普通に何回か衝突してるだろ
しかも荊州では蜀の謀略により蛮族が反乱起こしてるし
925:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:22:54.35 mKzBOw6r0.net
>>894
司馬氏同士で殺し合いまくったせいだろ・・・あと謀殺
926:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:23:09.28 3ngmJGtB0.net
>>899
両軍共に元気な状態で攻め込めって事?
呉だけが反撃する根拠ってなに?
教えてくれないか
927:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:26:43.71 iU3Er/0W0.net
>>901荊州の戦争に魏が加わるのでは無く
戦ってる間に楊州に攻めるという手もあったし、逆に益州に攻めるという手もあった
928:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:30:29.77 3ngmJGtB0.net
>>902
だからそれで呉蜀が戦争を継続する理由を教えてくれよ
929:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:32:47.82 fhyiAbUP0.net
>>902
第1次茨州戦だと曹操が漢中侵入で戦争止めてるよね
930:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 12:10:42.68 ZBXaUa5t0.net
本拠地が安定してないからでしょ。
長期に開けると内乱なり起き易くなる。
931:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 12:18:11.54 skxmyyqT0.net
>>903
劉備がキレてるからでしょ
932:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 21:04:18.22 MDuXCQBK0.net
>>906
曹丕の走狗として歴史に残るな
933:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/18 10:38:47.81 87yrz9VL0.net
曹丕としても呉が従属してきたからとしてと一方的に有利な状況ではなかったということか
国として不安定な時に従属国を背後から襲うなんて馬鹿な真似は出来なかったわけだ
934:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:34:51.13 zbmF0V5U0.net
孫権が臣従を申し出てきたからこそ円滑に禅譲を進めることができたのだし、曹丕が孫権に対して借りを感じるのも理解できなくはないがな
劉曄なんかにも言われてるけど曹丕は譲歩しすぎ
舐められるのも当然ですわ
曹丕と孫権、年齢差は5つしか違わないが君主として積み重ねてきた経験が違いすぎた
935:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:50:21.77 LXlxHqqu0.net
URLリンク(i.img)
936:ur.com/yRR4iMy.jpg
937:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 06:07:25.82 DTSJvstQ0.net
曹丕は官人としてのキャリアも浅いような気がするのよ
前線での指揮官とか経験できていたらその後の対呉戦もやり方とか変わっていたんじゃないのかな
938:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 23:59:30.36 zbmF0V5U0.net
曹丕が自著、典論の中で述懐してるのを見る限りだと、曹丕も幼い頃から弓馬の術を学びたびたび従軍して戦場を経験してはいるんだよな
成人してからはずっと副丞相として鄴で留守番役だったけど
経験としては十分だったけど才能が足りなかったのか
939:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/22 21:40:39.62 thKvHFA70.net
>>912
曹丕は文才はあったけど軍才はからっきし
次の曹叡が前線指揮官より観察眼あったとかいう超能力者だから余計に際立つ
だから軍は司馬懿や曹真の重きが増したし、チングン重用して政治改革を押し進めた
その結果が晋まで続くシステムが王朝を保たせることになる
逆に孫権は子供の頃から政争や豪族の統率や山越への民族浄化で鍛えられ過ぎている
本人の威厳と軍才(ただし守戦のみ)と謀略があったからこそ政治改革の必要もなかった
晩年の凋落と後継者の受難は孫堅時代からの豪族集合体システムから脱却できなかったのが大きい
940:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/26 22:33:46.92 rMNK7qeq0.net
曹真や司馬懿や陳羣は曹丕からのお下がり
曹叡はコミュ障の上に短命だから自分の味方を育てられなかった
941:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/26 23:39:45.84 zoBNWc/50.net
曹叡なんてみんなが袁氏の子供って見てるのに誰も味方にはならんやろ
一番の側近のはずの孫資と劉放とか後継人事で無茶苦茶やってるし
942:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 00:12:39.89 YC8CNZky0.net
鄴が包囲されてた時期を考えると袁氏の子ではないだろう
袁氏の子と皆に思われている状況なら皇帝は無理
味方がいないならなおさら
943:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 08:03:55.66 0rrpUs9R0.net
>>915
あまりに強権過ぎて宗族すらも一歩引いてた感はあるな
本人としては曹植の息子を登用したり後事を曹宇に託そうとしたり宗族に力を与えようと腐心したけど
そのアホ側近二人がちゃぶ台を返して最悪の結果になったと
>>916
陳寿がエンキの子供説を伝の没年の最期で暗示してる
ハイショウシは曹丕の子だから年齢2歳若いと注訳したのは桓温を叩くため
(奴が禅譲させたらなら血の繋がった子孫が国を傾けるぞと言う脅し)
944:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 08:17:07.17 aJss3rZs0.net
曹叡の子供ってことになってる曹芳が皇帝から引きずりおろされて
曹叡の直系じゃない曹丕の孫の曹髦が皇帝になったのは
.血筋が怪しいっていう理由じゃないとは思うが多少はそういう空気があったのかな
945:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 08:49:36.42 dqOACK720.net
曹叡はどもりがあったから会話自体が苦手だったんだろうな
946:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 12:40:55.29 lCNCE3DC0.net
>>918
曹芳が権力に溺れて好き放題してるのを嫌った郭大后と、それなりに年食ってきて専断できなくなるのを危惧した司馬師の利害一致
この行動のせいで司馬懿の与力ポジだった毋丘倹が怒るあたり、魏の忠臣は賛成ではなかったようだ
曹髦が年食って司馬昭を粛清しようとしたあたり、曹一族を軟禁状態にしてなお安心はできないという意志はあったのだろう
947:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 13:17:36.01 aJss3rZs0.net
>>920
正史を疑ったら話にならないのはわかってるんだが 幼いころから勉学に励み
民や官奴婢にまで心を砕く詔勅出してた曹芳が
女色にふけってまともに政治もしないダメ皇帝に成長するのが違和感ありまくりで
その↑発言した司馬師の言葉を素直に飲み込めない自分がいる
曹髦が司馬昭と皇后殺しに来たから返り討ちにしたとかその辺もそのままだとは思えない
曹爽がダメだったのはそんな気もするんだが 司馬懿の息子たちに負のバイアスかかりすぎかw
948:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 13:57:14.41 rml9UTj30.net
>>921
曹爽は叡のアホ側近2人の見る目のなさの末路
曹宇や秦朗と仲が悪いから誅伐されるのではと考えて、操作しやすいと考えた司馬懿(実際武官としての名声だけだった)と曹爽(曹真は司馬懿の前のナンバーワン武官だった)を据えることにした
でも曹爽の中身は武官ではなく文人で、結局政治の操作が及ばなくなり、司馬師の野望を勃発させるきっかけになったと
実際、司馬師はかなり闇深い野心家
司馬懿は軍権と名声(これは司馬孚も)を利用するために担ぎ上げてるようなものよ
だから成長した曹芳を排除したわけであって、建前こそあれど実際はどうだったかは伺い知れない
949:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 18:00:56.38 Qj5YvLXS0.net
年少の頃良くても成長したら堕落する人間はいくらでも居るけど曹芳の廃替は本人の性格や能力の問題ではないだろうな
950:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 20:27:42.31 f0R/eqRy0.net
>>917
陳寿が正しいなら
曹叡は曹丕が甄氏と出会ってから2カ月以内に生まれていたことになるな
951:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 20:55:17.59 0rrpUs9R0.net
>>924
だからこそ後継者から外そうとしたり交友が狭かったりするわけ
普通なら朝廷の幹部でも太子(しかも実子)を見たことある人間が少ないなんて事態にならない
あまりに早く死期が迫ったことで後継者として認めざるを得なかったのが実情
曹丕自身も後継者から外されかけていた時
袁本初のことを考えていたというカクの言葉で救われた経緯があるのも影響してるかもしれんが
952:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 21:33:43.83 0rrpUs9R0.net
>>915
宮殿造営と洛陽復興に拘ったのも、それを考えたら矛盾ないのよ
魏皇帝として呉と蜀の当時最大規模の攻撃を自らの裁定で黙らせた
浮華の徒をいちはやく政治から追い出して実力主義の国体を強固にした
これだけやれば十二分に権威は高まるのに、納得いかず宮殿造営
逆に言えばそれだけ権威を高める必要が曹叡にあったとも取れるわけ
致命的な病という陳寿の言葉は意味深過ぎる
953:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 21:50:13.57 3nSDtlNO0.net
孫呉と蜀漢から領土切り取れてないのに権威なんか高まるのか?という素朴な疑問
954:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 21:54:32.16 8IIkbXTb0.net
曹叡の享年が数えで36歳だってこと、陳寿はどうやって知ることができたのか不思議に思ってる
年齢を逆算すれば本当に曹丕の子なのか疑わしいってことくらい当時の人だって気付くはず
仮にそれが正しいとしたら、そのことは絶対宮中のトップシークレットになって知りえた者は抹殺されていたはず
曹叡の即位の正統性に疑問
955:符をつけるために、陳寿なり司馬氏に忖度する人間が改竄したと考えた方が自然だと思う
956:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 22:30:28.53 0rrpUs9R0.net
>>927
呉:一部を除いて異民族の区域
蜀:流刑地
この時代の中華において既に十分な領土を持っていた
曹叡の諸葛亮disもそれが顕著に現れてる
時代が後期になるにつれ各地域に王朝ができたり戦争になって
しだいに範囲が広がった(特に南北朝と元で広がってる)
ただし呉も蜀も滅ぼさないといけないよという思想の人間はいる
晋の時代でも裴秀やヨウコがその最もたるものだった
957:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 22:47:27.19 3nSDtlNO0.net
蜀郡って人口が後漢トップ10に入る規模の郡だろ
頭がおかしい
958:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 22:47:47.25 cNkk0mrS0.net
>>929
その流刑地の国に負けてる魏の面子どんだけ無能なん?って話にならないか
959:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 23:05:38.17 0rrpUs9R0.net
>>930
劉備の時代には100万程度しかいないぞ
>>931
曹操時代以外は蜀には消極的
攻めてきたら迎撃するという程度の扱い
自分から攻めた曹爽らは軍功欲しさに突っ込んでる(そして曹爽は素人だった)
あと動因兵力は魏全軍>>蜀の全軍だけど魏は後顧の憂いがあり全軍割けない
となると蜀ほぼ全軍>>>魏となるわけ
装備も蜀は鉱山で潤沢にあるから守勢には十分
960:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 00:47:36.27 yHELlI750.net
>>932
子午の役とか明らかに魏は蜀より大軍率いていながら撤退してるんだけどな
後顧の憂いって異民族の事?
魏の時代の北方騎馬民族って、魏に定住を求めていたのもいて、魏は蜀と呉と比較して異民族関係の戦いは少ない方だと思うが
南方異民族との戦いが多いのは呉で、その次が蜀
曹操時代に劉備に漢中を奪われ、その後曹操が漢中に主力軍を率いて攻めて蜀側が撃退して、
諸葛亮の第三次北伐では郭淮が敗れて武都・陰平を奪われ、その後曹真の子午の役では郭淮・夏侯覇が敗れた
第四次北伐では司馬懿・張郃も多くの軍で攻撃したが、諸葛亮らがそれを撃退した
姜維の北伐でも三県を制圧し、徐質を討ち取ったり、さらに王経を洮水の西で大破した
ここまで益州刺史趙顒、夏侯淵、張郃ら重要人物を失った
これで蜀を流刑地ってのは流石に無理が有るでしょ
961:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:03:59.08 cfyAKp6g0.net
南方異民族は蜀は一回だし西方異民族の鮮卑禿髪部は従順だった
呉の山越狩りも兵力と領地獲得の事業でしかない
あとは下らない勝ち戦ばかり列挙
結局地勢と情勢の推察がまるでできてない
正直もう一回史書読んで来いレベル
962:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:13:15.40 936EPSeK0.net
>>921宮城谷三国志だと曹芳は自分の身を守るためにアホのフリしてるって設定だったな
963:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:28:30.89 936EPSeK0.net
>>929
魏は呉と蜀を滅ぼす事ができなかったからこそ王朝の確固たる正当性を得る事ができず
司馬氏に乗っ取られたと思うんだよな
呉・蜀を滅ぼせなかったからこそ司馬氏はその二国との戦いによって地位を得る事ができたとも言える
曹丕・曹叡の寿命が史実と一緒でも曹操~曹叡の間に二国を滅ぼして天下統一できたなら
もっと魏王朝は寿命が延びたように思う
964:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:41:15.96 mhmOeJbw0.net
>>93
965:6 少なくとも曹叡が長生きするか劉放孫資を追い出すかしないと寿命は数年しか延びないと思う 何せ後継者がいない、曹叡政権の功臣が少ないという状況で国体が実力主義を標榜しているのだもの 例え天下を統べても曹叡の後継者が凡庸なら実力主義、暴君なら自由主義の貴族にクーデター起こされて簒奪か禅譲される
966:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 07:03:58.84 chLe5mDh0.net
農繁期に農民集めて労働強いるコミュ障の曹叡よりは
まだ曹丕が長生きした方が可能性あるんじゃね
967:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 08:46:24.14 NSowvT7h0.net
>>933
こいつ痛すぎ
統合失調症だろうな
968:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 09:00:15.73 /hw0gZME0.net
馬鹿なだけで別に病気ではないだろ。普通レベル
969:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 09:04:17.86 r8SALuLv0.net
>>938
しかんさんは軍才無さすぎるし粛清ばっかだから、長生きしたらしたできつい
親征したら間違いなく逆効果だろうから曹真満寵が頼りだけど、結局司馬懿が磐石なのは変わらないと思う
240年くらいまで守勢で生存したあと曹礼が継いで李淵並の実力を出せば…って感じ
970:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 16:28:52.18 LMM9Hbm20.net
個人攻撃はやめとけ
971:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 20:12:59.51 AeVcH0Fz0.net
>>941
曹丕の粛清って楊俊と鮑クンの他に何かあったっけか
昔の恨みは忘れないしやや身内びいきが過ぎるきらいはあるものの、先代から続いていた密告政治をやめさせたり曹叡の代で覆されたものの外戚の政治介入を禁じたり、曹家三代の中では曹丕が一番まともな政治感覚を持っていたと思う
972:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 20:30:35.87 P78uk0TR0.net
曹丕に関しては期待値で語る人が多いけど生前に残した実績で評価すると正直ショボい
期待値で話していいなら誰だって評価上乗せできるわ
973:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 20:43:52.82 cfyAKp6g0.net
>>943
表沙汰になってるのは少ないが怪しいのが何人かいる
代表的なのが蘇則(対異民族のプロ)
狩りで役人が獲物を逃してしまった際に
その役人を曹丕が殺そうとした
死を覚悟して蘇則は役人らを許すよう懇願した
その後左遷先に移動中死亡という悲惨な最期
病死とされてるが暗殺が濃厚
974:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 21:45:35.09 AeVcH0Fz0.net
>>945
の割に、蘇則には剛候って諡が追号されているがな
于禁には厲侯なんて悪諡を与えて辱めた曹丕が暗殺した相手にそんな良い諡を追号するとは思えんわ
これによらず、先入観から一周回って不当な評価がされてる例が曹丕には多いと思うんだな
975:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 22:09:50.99 p5pNVR1z0.net
>>946
于禁は表向きにも敵に降伏したから堂々と罵って踏みにじれたしは大きな失策もなかった
蘇則は表向きの悪行はない上223年に死んでる
この時期は曹丕が呉に力攻めして大敗して
多数の死者を出す大失敗をしてるから于禁みたいな事したら蹴落とされるわ
ほうくんだってあの後曹丕が死んでなかったら、一足早い廃帝議論もあり得た
976:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 22:45:34.18 g6EF9TX60.net
>>944
在位6年くらいであれだけできてれば十分だろ
977:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 00:29:47.59 Gr5kvZjn0.net
曹洪も殺そうとしてなかったっけ
978:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 01:08:44.21 1pHZz1t+0.net
>>949
あれは周囲が止めてくれるのも計算のうちだっただろうし、結果だけを見たら本家よりも蓄財に励んでいる裕福な分家筋という危険分子を穏便な形で掣肘することが出来た、と言えなくもないかな
最大限好意的に評価するとしたらね
何にせよ、この件などで過去の恨みから根も葉もない因縁をつける陰湿な小人物というイメージが付いてしまったのもまた事実ではあるが
979:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 01:21:39.04 Hw745BlI0.net
曹丕に都合よく解釈しすぎで気持ち悪っ
980:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 02:08:56.40 1pHZz1t+0.net
陳寿も露骨に筆を曲げるような真似はしていないものの、司馬氏や司馬氏に協力して魏晋革命を成した勢力に迎合しなければならない立場にあった以上、曹丕や曹叡ら魏の皇帝たちの悪評は多少誇張が混じってるんじゃないかって思うだけ
981:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 02:45:00.79 NTijYzua0.net
それはあるだろうねえ
大義が自分たちになければ禅譲の是非を問われることになるし
982:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 07:12:17.29 nNkPkDRj0.net
>>951
多分無双かなんかのイケメン化で入った奴だと思う
郭女王ににたぶらかされて正室殺したり、婚姻斡旋した親類が別の女を好いていると聞いてその女を殺してるのは正史なのに
どこの馬の骨とも知らない与太話やそれをソースにした妄想で擁護してるあたり、本当に功績がカスなの現実から目を背けたいんだろうな
鮑クンの件なんて名士や父代の功臣どころか、政権中枢にいる陳グンすら助命嘆願してる中での仕打ち
しかも前年にまた対呉で大敗してる中での暴挙という状況だから、構図としては曹爽が蜀に負けた後の暴走人事してた頃とそっくり
皇族に実力ある奴がいない、敢えて挙げるなら曹真のみという危険な状況でよくやったわと思う
983:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 07:55:18.77 Tgq1fZiC0.net
司馬炎に比べたら曹丕って文才以外全部完敗だろうしね
984:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 09:46:21.48 cL+F8bNx0.net
>>951
曹丕を悪く解釈したいやつが暴れてるように見えるが
985:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 09:56:04.11 t93WK0Dc0.net
大量虐殺した奴らと比べると曹丕の悪行なんかな…
986:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 15:17:12.41 9RIfZod+0.net
段々比較対象が下がってくソウヒに草
987:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 15:28:21.33 iNpfF9gM0.net
曹丕より下の王朝開祖となると陳覇先か蕭道成あたりか?
いや、でもこの二人にしたって王朝内で地道に功績上げながら地位を築いていったわけだからなー
988:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 16:02:17.63 NpVonMrx0.net
曹丕は悪評を誇張されてるより悪評を隠されてるのを考えるべきでは
989:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 16:38:13.91 tk9/jm2T0.net
一番悪評を隠されてそうなのは司馬懿だな
990:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 16:51:15.83 H/eKq91A0.net
司馬懿は孟達討伐とか功績があからさまに誇張されてるな
曹真の功績は矮小化されてそうだがさて
991:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 19:30:21.73 nNkPkDRj0.net
>>960-961
三国志が作られた情勢
①漢→新→後漢→魏→晋が正統な王朝という風潮
②著者は蜀の役人であり蜀には好意的
故に善行記述の序列は晋>魏>蜀>呉
裴松之の注が作られた情勢
①漢永久論、蜀漢正統論のため漢→蜀→晋という風潮
②魏の実力主義は北朝や桓温と同じなため認めない
③南朝は呉の領域にあり呉の系統�
992:フ貴族もいる 故に善行記述の序列は蜀>晋>呉>魏 演義が作られた情勢 ①存在意義は朱元璋を劉備になぞらえたプロパガンダ ②裴注をもとに誇張されている場面が目立つ ③魏は異民族王朝と同一視される ④蜀正統論に則るため晋はやはり悪く書けない 故に善行記述の序列は蜀>晋>>>>>>その他 結構晋って統一王朝になってるから好意的に書かれてる 曹丕は一番悪く書かれやすい演義で曹操に吸収されてるのが救い
993:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 22:10:03.51 jd2eNoGA0.net
>>929
魏の領土だけで十分理論は良く見るけど納得できないな
秦は六国を滅ぼして天下統一して
前漢の劉邦は全部征服したわけではないが他の諸侯を傘下に収めて反乱した国もことごとく征伐してるし
後漢も蜀や呉の地域を領土として天下統一してる
前王朝に比べるとやっぱ魏は二流としか思えないし
魏の首脳部も正当性を示すためには二国を滅ぼさないといけないと考えていた人間はいたはず
二国の中で特に蜀は前漢王朝発祥の土地だし
蜀を滅ぼす事こそ正当性を得るためには一番必要な事だったように思う
まあ魏は当初は呉を優先してたみたいだけど
994:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 22:39:00.56 mx1FX5dC0.net
華北から江南を落とすにはやはり蜀が必要
西晋も隋も前王朝の時に蜀を獲得してなかったら統一は不可能だった
995:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 22:41:53.78 hn6I/+KQ0.net
蜀取られていたのに華北の南征を撃退した東晋はやっぱ凄えわ
996:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 23:11:57.14 nNkPkDRj0.net
>>966
江南の要は蜀ではなく江陵
ここを持ってないと安全な長江渡河ができず建業が難攻不落になる
苻堅は江陵を落せずにヒ水の戦いをした結果まんまと迎撃されて大敗
地の利がない場所に攻撃ルートを一個に絞った大兵力の侵略
このパターンは近代になるまで十中八九負けてる
997:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 00:08:00.73 BGpU6T2X0.net
昭和一桁生まれで、あんなに背が高くてスタイルいい男なんていなかったからな
身長は普通の人は160センチ台がほぼ全員
長嶋茂雄とか王ですら175とか177しかないのに、余裕の180越え
特に白髪になってからカッコよかった
身長があるとジジイになったときカッコいい
998:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 05:58:33.38 6XAnHhL10.net
>>967
隋の滅陳なんかでは巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて、建康を陥落させたのは江北から南進してきた軍なんだけどね
重要なのは華北王朝が淮南まで占領してるかどうかでしょ
苻堅や北魏と西晋・隋の南征の成否の分かれ目はそこに収斂する
曹丕の南征は時代が時代だから洗練されてないよなあ
曹魏だけはこの条件満たしていても南征に失敗まくった
999:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 06:49:05.10 DKobBMMa0.net
>>969
あれは川を大改造したからこそできるようになった荒業
それまでは騎兵は支流や湿地に足を取られて攻勢が難しくなったが、治水で地盤が安定した
そして陳が弛緩しきって統制が取れない国だったのも幸いしてる
どんだけ条件違うと思ってるんだ
1000:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 06:49:31.93 4NTOjVkj0.net
じゃあ条件が間違っているんじゃね?
1001:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 08:30:16.00 TgZ5w0oU0.net
>>970
淮南の民を強制移住させたり徐州虐殺したりで
自ら江南遠征のハードルを上げまくっていたバカ王朝があると聞いたんだけど
住民がいたら運河開削できていたかもしれないね
1002:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 11:03:30.63 zeSPf7AL0.net
>>969
巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて
どれが本命か分からなくさせる、あるいはどれをも本命にできるってのが重要なことじゃないのか。十分大きな効果だろ
1003:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 15:24:10.11 wTyYBWIW0.net
>>972
そこまでやる価値がないから強制移住になったのが分からないのか
赤壁以降の曹操は中原の安定と地盤固めに力を注いでいる
結局呉は制圧するほどの価値がない辺境と見なされてるのを認めたようなものだ
隋は北魏からの念願だった鮮卑による中華征服のために島夷を討ったのであって江南に価値は見出してない
江南が本格的に栄えたのは煬帝の運河を唐が使うようになってからだしな
1004:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 18:00:28.89 RQBhJHer0.net
>>974
江南に価値がないのであれば何で曹魏も北朝も江南に軍を何度も進めてその度に撃退されているの?
価値がない地域を全力で攻めて病死した曹丕さんとか意味不明過ぎないか?
1005:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 18:04:40.50 X1B6mJ6l0.net
>>936みたいなアフォのせいだろ
そうやって統一したはいいが価値がなくて放置されていき地方役人や盗賊が跋扈する中華お決まりパティーン
1006:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 00:49:47.67 DX2BBPi00.net
>>974
前漢は江南を傘下に収めてたし後漢も江南を征服してた
江南は価値無しと思って放置するのは魏は漢と比べて後退したと見なされても仕方が無い
1007:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 02:01:57.60 QM0fQu0N0.net
魏は呉に対して、前漢初期の南越や閩越のように高度な自治を認めつつ冊封体制に組み込むっていう選択肢が有り得たと思う
たぶん曹丕も最初はそういう方向性を模索していたように思う
遼東公孫氏だって似たような状況だったしな
呉が夷陵で敗れていたか、その後の曹丕の南征が成功していたらそういうifも有り得たかもしれない
結果的にそうならなかったから半世紀近く三国が鼎立する状況が生まれたわけだが
1008:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 15:35:12.84 TIRMS8Op0.net
二虎競食は夷陵まで上手くいってたが、残念なことに蜀があっさり負けたことと対呉にしか備えてなかったことが裏目に出たな
後の軍事行動の選択肢を考えるなら両方ともに攻め入れる準備をしておくべきだった
呉の臣従解消に怒って攻めて返り討ちにあった時といい、曹丕は戦略を立てる才能にも恵まれてないな
1009:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 15:50:22.09 nzp0r8q70.net
あの時蜀に攻め込んでおけばよかったのに呉に攻め込んで蜀を救ってしまうという結果の曹丕さん
1010:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 16:46:47.07 9+jFkNTt0.net
呉が蜀を取ってたらもっと面倒だったかもしれんし攻めたこと自体は間違いとは言えない。負けたのはうんち
1011:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 19:26:26.93 ePQpNaq/0.net
かもしれんかもしれんばかりだな
1012:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 21:19:40.96 VRce+rjK0.net
劉備があんな惨敗するなんて曹丕以前に諸葛亮さえ見抜けなかっただし
曹丕は劉備を過大評価し過ぎだよな
1013:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 21:43:45.69 nzp0r8q70.net
曹丕さんが蜀の陣形見て劉備パイセン負けるやん言うてたの演技だっけ?
1014:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 21:49:20.06 5qk3bjvQ0.net
曹丕のもとに仕える群臣たちが劉備は負けると言った七日後に
劉備が負けたと知らせが来たとかそんなん正史で見た気がする
1015:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 22:23:58.26 PGL1NHIk0.net
蜀から呉へ攻めるって諸刃の刃なのよ
優勢なら急流使って迅速な補充や増援をさせることで押しきれるけど、一度劣性になったら川を遡れず撤退が難しくなる
劉備が夷陵でああなったのも、突っ込みすぎて撤退できないとこまで誘い込まれたから
曹丕は父親が何度も煮え湯を呑まされた相手というイメージが強かったのかもな
その頃は無頼漢だったが、夷陵の頃は皇帝を名乗るにあたって文弱になってて見る影もなくなってたのは分からなかったか
1016:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 23:24:48.42 QM0fQu0N0.net
朝に辞す白帝 彩雲の間 千里の江陵一日に還る、と李白が詩を作っているけれど、白帝城から江陵までが千里(約400km)で、1日で到達する距離ってことだな
季節によって水量が違うだろうし所詮は詩だから参考にならんかもしれないが三峡地域の川の流れの速さが伺えると思う
1017:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 06:45:01.01 PO79qjKd0.net
劉備が劣ってたわけではないでしょ。
破った呉が優れていただけ。
呉を攻め滅ぼせば蜀は自滅する。
1018:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 06:47:57.55 3W8IcLBs0.net
>>988
なお実際は逆だった模様
1019:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 06:55:04.72 lzL1gc440.net
晋も統一してわずかな期間であれだもんな
司馬炎じゃなく弟が皇帝だったら変わってたかもしれんが
1020:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 07:18:35.17 /xS87wG+0.net
次スレたのんます
1021:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/07 19:59:45.47 DzRPcjCh0.net
次スレ必要になったとたん止まるのは通例なんかね
1022:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/07 22:17:38.84 kHSxABQt0.net
次スレ立てた
何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか2
スレリンク(chinahero板)
1023:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:17:39.86 I8zcLN7P0.net
>>993
おつです ではこっちは埋めよう
1024:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:17:59.17 I8zcLN7P0.net
埋め宮アンナ
1025:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:19:40.76 I8zcLN7P0.net
姜維の胸囲
1026:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:24:28.33 I8zcLN7P0.net
プロ劉禅
1027:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:24:54.62 I8zcLN7P0.net
諸葛亮「ほかにすることはないのですか?」
1028:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 10:13:45.85 f0fLjV+d0.net
>>998
曹叡「諸葛亮は自分で何でもしようとして、俺はこんなに頑張ってますよと見せびらかすことが生き甲斐だ」
この批判文ってわりとクリティカルよな
因みに極度のケチであることも逸話と共に併記されてる
1029:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 10:38:25.95 NkhSh9dY0.net
魏屈指の暴君に言われたかないだろ、諸葛亮も
1030:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 14:59:25.32 XBnA9spR0.net
>>999
この批評文どこにあるのかな 読んでみたいからよかったら教えてください
1031:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 15:07:05.98 f0fLjV+d0.net
>>1001
魏略→三国志明帝記
西暦228年の第一次北伐時に布かれてる
涼州離反に怒って作られたという説が濃厚
1032:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 15:11:24.54 TIWNqKiP0.net
>>999
そ
1033:もそも魏と違って蜀には人材が少ないからな
1034:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 15:38:24.57 XBnA9spR0.net
>>1002
ありがとう さっそく読んでみる
1035:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 15:52:55.67 MOW5RTqN0.net
悔しさの滲み出る煽り文句が史書に残ってしまった曹叡であった
1036:1001
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