何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのかat CHINAHERO
何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか - 暇つぶし2ch700:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/12 07:08:50.18 D09W7RH+0.net
>>681
いや、売官は悪政だろ

701:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/12 14:03:53.14 XTBsQXzQ0.net
レコード大賞への批判は禁止ですよ

702:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/12 21:04:52.57 t7Ugsk1V0.net
それは太陽が
させたことだよ
夏の太陽が♪

703:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 01:59:15.87 w8zfRXss0.net
太陽が眩しいから・・・宦官に政治任せっきりでもかまへんか・・・

704:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 20:21:12.61 tjCwM+P90.net
結論として漢王朝は亡びて当然だな

705:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 22:29:00.14 x1H5pfBQ0.net
>>686
たぶん中原の万民(知識人層)も、そう思ってたのだろう
朝廷が腐敗し黄巾の乱から端を発した乱世で国土が荒廃し、
もはや漢王朝に天下を統治してほしくないというのが中原の万民の気持ち
だから曹丕が帝位を簒奪して漢を滅ぼしても、誰も反発をみせなかった
劉備からすれば、中原の万民は曹丕の帝位即位に激怒するはずだ
万民は漢王朝の支配こそ願っているはずだと思っていたので、完全に当てが外れた

706:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 22:56:16.86 ZaXD2mEg0.net
でも、曹操が死んで曹丕が皇帝になった時期に地味に涼州で反乱が起きてるんだよね
蘇則が張既と協力してすぐに鎮圧してるがね
まぁこれは漢魏革命とは無関係な反乱かもしれんけど
あとちなみに、曹叡の正妻郭皇后は元は涼州の豪族の生まれだったんだけど、父親がこの反乱に連座したことで婢女に落とされて宮中入りしたんだとさ

707:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 12:03:46.80 0J7svsxX0.net
初期の五胡政権の漢王朝リスペクトも西晋アンチってだけで漢王朝を懐かしむとか漢室復興とか真面目に考えてた訳ではないし

708:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 17:16:09.03 +geDRalG0.net
>>681
飢饉が起きるのは正しい政治が行われていないから
つまりは後漢皇帝が悪い
日本の戦国時代もそんな思想だったよね

709:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 18:17:29.50 h+hNDqDT0.net
そりゃ凶作=飢饉では無いからな
金が無いからって売官なんて悪政してたら駄目だろ

710:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 19:05:46.09 3JqJQwjg0.net
売官は清もしてたからセーフ

711:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 20:50:13.36 h+hNDqDT0.net
>>692
セーフじゃねーよ
売官でまともな人材を遠ざけて宦官を内に呼んでまともな政治ができるか

712:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 22:03:56.95 MGdcHIH70.net
売官制度なんてのは近世フランス、あるいはイギリスなんかでも行われていたし世界史では珍しいものではないんだよね
我が国でも江戸時代に御家人株を買うことで裕福な町人が士分になることもあったわけだし
制度そのものの問題ではないよ

713:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 22:13:54.84 h+hNDqDT0.net
太尉や司徒を売ったのと同列に扱ってるのが間違ってる

714:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 22:37:33.98 MGdcHIH70.net
三公なんて録尚書事が付いてなきゃ名誉職と同じじゃん

715:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 23:06:21.29 0J7svsxX0.net
霊帝は地方官まで売ってたからアウト

716:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/15 02:02:13.43 bs+9Xjy90.net
>>695
曹操が西園八校尉に抜擢されたのも父親の曹崇が銭一億万を投じて太尉の地位を買ったからなわけで
曹操にとっては売官制度が出世の追い風になった一面は否めないね

717:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/15 11:21:12.57 9bN2hVI20.net
つうか売官のおかげで地方で苛斂誅求が激しくなったと聞くんだが

718:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/15 11:31:13.51 2FRjhAf20.net
>>699
地方官まで売ったからな。
所謂「三公」は名誉職で災害が起きたりしたら簡単に罷免されるけど地方官はそうも行かないから搾取し放題。

719:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/16 09:43:48.21 wMGtWuI60.net
現在行われている公共施設の命名権売却も、ある意味で売位売官制度の名残とみることもできる

720:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/18 17:07:57.46 4m/LmQ9D0.net
>>701
逆だろ
命名権売却はそのお金で運営費に充ててチケットなんかの値段が下がるが
売官の場合は勝手にチケットの値段を上げてその差額を私腹に入れんだぞ
なんか一人だけ後漢時代の売官の重さを理解してないな

721:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/19 20:58:04.44 vIWMpg6kO.net
金の力で現人神に成りたがる小物は、どんな時代にも居るんだな。

722:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/24 09:29:54.30 3yAl8hxO0.net
>>658
宮殿工事は諸葛亮の存命中の太和年間でもうやってる

723:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/24 10:12:15.82 KwzgC8nJ0.net
秀吉のような知略に長けた英雄がいなかったから

724:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/01 05:39:40.10 kw5MSu6+0.net
主要な所抑えちゃったからもういいやってなっちゃった
蛮族としか思ってなかったんだろ

725:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 03:47:59.46 Midiaszi0.net
普通に魏は何回も呉と蜀に侵攻かけて失敗を重ねてるんだぞ?
主要なところ抑えてたから良いやなんて思ってなかった

726:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 06:57:14.10 76wL9pTm0.net
>>707
蜀って2回目で落として無かったか?
そんな何回もって回数では無いだろ

727:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 07:59:23.80 gF8zTCnw0.net
姜維との戦いで数万人、諸葛恪との戦いで数万人とそれぞれ損害の記録がある
戦術的には相当な打撃、当時の人口からしたら国力に響くほどだったんだろう
戦術レベルで蜀、呉は大変優秀でそれが魏の物量、人口に対抗する状態が続いたんだろうな

728:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 11:29:47.84 Z2Vh6VYd0.net
>>708
230年に曹真が、244年に曹爽が征蜀の軍を率いて退いてる
なので鍾会は3回目だね

729:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 18:50:14.40 rgfLvgAa0.net
>>710
曹真のって大雨で途中で引き返しだろ
あれって戦争まで行っていたか?

730:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 19:30:17.36 8Kxn3R810.net
共産や社民党員じゃあるまいし
万単位の軍勢動員して敵国に攻め込むのが戦争じゃないって
なかなか斬新な意見だw
日本人の平和ボケもここに極まれりって感じがする。

731:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 19:50:14.08 MhaH4XcZ0.net
>>712
歴史を知らんのか?
計画だけで頓挫なんざ普通だぞ

732:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 20:09:34.96 nM8tctDB0.net
北魏あたりも南伐が負けた時には大雨とか理由に撤退してるからな

733:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 21:47:33.96 160wyWRU0.net
調べてみると曹真による太和四年の征蜀ってかなり大がかりなものだったんだな
斜谷道に曹真、子午道に張郃、西域から陸水路を通って司馬懿、武威からも兵が出てる
長雨で計画が頓挫してなかったらどうなってたかわからんね

734:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 22:00:10.57 MhaH4XcZ0.net
後主伝で諸葛亮が城固、赤阪で待ち受けたけど曹真は大雨で撤退した書いてあるな
肝心の諸葛亮伝ではそれさえ記述が無いから衝突は無かっただろうな

735:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 01:55:54.97 QGMPTtms0.net
飛行機輸送機があれぱどうかね
国土が広すぎて、右上から左まで行くのも大変だろ

736:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 05:58:34.28 bRbIuSfK0.net
夏侯覇が蜀征伐で先鋒をつとめ、蜀軍に囲まれピンチになったが何とか切り抜けたという記述がある
後、司馬懿が蜀の城を落としたりしてる

737:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 20:05:27.35 WgI6dZdn0.net
蜀が涼州を獲得していたら

738:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 23:27:33.44 8CpH/kAa0.net
>>710
孔明と魏延が死んだ直後の234年、235年に魏は大軍で蜀へ攻め込んでおけと思うわ
絶好の機会を逸した
魏が天下を統一できずに三国鼎立が長引いたのは、魏が好機を逸していたからというのも一因だな

739:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/04 11:08:04.76 HOFscGrf0.net
優れた将帥なら自分の死後に十分な備えを残してるだろうし
内政に関してだって後継を複数指名して念入りに体制を固めた諸葛亮のことだから
魏側もそういうのを警戒してたんでそ

740:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/06 01:28:56.83 57c9RtZL0.net
曹真の蜀侵攻失敗は兵力では損害少なそうだが
食糧などの補給物資の損害はかなり大きそうだな

741:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/06 01:58:36.68 76PJ26w10.net
明帝曹叡の代に度支尚書司馬孚の献策で(涼州天水郡) 上邽に冀州の農民を五千人移住させて屯田兵としたと晋書司馬孚伝にあるが、これはおそらくその埋め合わせの措置なんだと思う
蜀の北伐が兵糧や輸送の問題で頓挫していたのと同じ理由で魏の蜀侵攻もまた困難であったのだろうな

742:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/06 09:01:14.26 e/o5E/Am0.net
>>723
埋め合わせというか
蜀の狙いの一番が涼州の安定化阻止だって事に魏もある程度気付いていたって事やろ

743:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/07 23:40:04.35 SB656nn80.net
>>719 荊州統一も欲しい せめて襄陽だけでも関羽が落としていたら



745:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 08:19:39.95 I4ZfiwRU0.net
涼州と荊州持ってる蜀ってまんま北周やんけ。
その北周にしても粱と北斉の自滅がなかったらかなり厳しかったし

746:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 14:01:58.29 P5gqd/+R0.net
>>719
1回目の北伐の時に魏延の策を採用して長安落としてあとは函谷関を固めてれば良かったんじゃね?

747:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 22:21:35.92 IBltIl+f0.net
>>727
その前に劉備が荊州ではなく長安を攻めるべきだったな
そうすれば孫権が北上する可能性が有ったのに

748:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 22:48:00.69 C3OkDjZe0.net
実際劉備がなぜ即位後涼州に侵攻しようとしなかったのか不思議に思う
あの時期、麹演らが反乱を起こしていて魏の涼州統治に綻びが生じていたはず
まだ馬超も存命だったし介入の糸口は十分あったのにね
荊州方面も重要だが外交で先延ばしにする策も取れたと思う
後知恵でしたり顔で語るのもみっともないかもしれんが

749:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 23:57:45.87 uqvwNzHr0.net
身内の荊州閥が地元の支配の安定を求めたのでは?
平家打倒の旗印で挙兵した頼朝も配下の上総氏あたりの要請で関東の安定を最優先して
佐竹氏あたりを討伐してたはず。

750:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 02:27:04.19 Yht3focM0.net
劉備が死んだあとに劉璋の息子が反乱起こしてるのを見てると劉備の支配力はそんなに強くなかったんやろ

751:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 08:04:40.98 anhJqqYN0.net
結局、劉備の漢王朝復興なんてその程度だから魏からの反乱なんて望めないだろうね

752:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 16:02:07.06 oThnC47l0.net
>>731
劉循が?
そんなことあったっけ

753:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 16:15:19.28 boyaEQoF0.net
劉闡やろ。雍闓と一緒に反乱起こしてる(正確に言えば孫権から送り込まれた反乱工作員だけど)

754:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 17:47:34.45 XlrvZyQ+0.net
既に隴を得て、復た蜀を望まんや だろ さっさと鄴に帰って酒飲みたかったんや

755:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/23 00:35:05.80 7PyewkR50.net
「劉備が即位して、ひそかに期待していた中原の漢の忠臣は失望した」ってどこにかいてる?

756:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/09 07:33:11.51 cA8iOoIMn
何百年も戦争してるから、


757:一般の兵の士気が落ちている。遠征し過ぎ。



758:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 10:46:48.49 /Dp2KxFI0.net
じゃあ蜀と呉はどうすれば魏に勝てたんだよ?長安と合肥を落とせれば勝ち目が出てくるんだろ? [112216472]
スレリンク(poverty板)
書き逃げして遊ぼう

759:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/29 09:22:50.57 z+Mu4s8R8
なぜならそこに桜井誠将軍が居なかったから。

760:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/30 14:13:35.15 Osq34nL90.net
蜀に勝ち目があったとしたら魏に従う振りをしてひたすら頭を下げて生き残りを図りながら、外に脅威が無くなった魏が腐敗して内部崩壊するのを期待するくらいしかないと思う

761:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/30 15:02:14.70 Gqk7hJis0.net
別に頭下げなくても四川に引きこもって十年ぐらい国力造成に努めてたら何とかなったような気がしないでもない
曹魏は北に鮮卑や南匈奴の脅威が残存してるから本来は蜀遠征はリスキー過ぎたと思うんだわ
司馬昭って勝負師なところあるよね

762:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/31 09:20:03.54 O0sG+XOt0.net
>>741
あん時の昭さんって曹髦殺害&鍾会の讒言で嵆康(嫁が曹家の皇族)も処刑で外征してわかりやすい結果出さないと政権が持たなかったんじゃ。 
結果としては博打に大勝ちして危険分子(鍾会、鄧艾、姜維)まで処分できたから笑い止まらんわなぁ。 
なお後世の人気は最悪な模様

763:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/31 11:54:22.30 euyn0JhU0.net
仮に鄧艾鍾会の蜀討伐が失敗に終わっていたとしたら司馬昭も曹爽と同じく声望を失ってクーデターで失脚していた未来もありえたのだろうか

764:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/01 07:59:11.48 Mx750j3G0.net
曹爽よりは縁戚で身内固めてるとは言え、竇憲や跋扈将軍みたくいきなり排除される可能性もあるから昭さんとしては気が気じゃない心境やったんじゃないかと

765:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 07:14:37.41 a8sBZID+0.net
>>741
> 別に頭下げなくても四川に引きこもって十年ぐらい国力造成に努めてたら何とかなったような気がしないでもない

それはそれでジリ貧になりそうだが

766:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 11:51:13.12 a9B1N5N/0.net
引きこもってその間に優れた人物を見つけて国力増強できたら万が一って可能性はあるね。

767:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 12:22:48.73 JT4koPZz0.net
荊州人が益州人を支配する歪な状態だから無理だろ

768:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 13:18:37.15 7Fk8xDr10.net
劉禅は幽州人なのでは?
姜維は涼州人だし

769:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 13:32:25.65 wEjaadIe0.net
孔明も徐州出身やな

770:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 15:52:12.65 MCrsmfGF0.net
荊州人士と益州人士が対立した事例ってそもそもそんなに頻繁に起きていたか?

771:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:13:40.77 S2CxaX080.net
>>742
笑いが止まらない結果が孫や曾孫のグロ死に

772:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:18:57.31 E9WFkgW90.net
そもそも劉焉劉璋政権も外部出身の人間が益州を支配する体制だったしなぁ

773:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:29:28.42 eL5lBD7O0.net
鄧艾って大将軍としての軍事能力は諸葛亮が相手をしていた曹真や司馬懿よりも上なんじゃね?
姜維も諸葛亮の後継者として充分な能力があったがいかんせん相手が悪すぎたんだと思う。
あと姜維は諸葛亮と違って政治家としての資質がイマイチで蜀の内部に姜維反


774:対派を作り出してしまったよがまずかった、これで姜維は望む通りの軍事的展開を広げることができなくなった。



775:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:43:48.32 MCrsmfGF0.net
鄧艾って大司馬とか大将軍に任命されていたっけ?
征西将軍じゃなかったっけ
追贈で太尉か

776:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:55:27.88 ww/9tyyK0.net
曹真やしばちゅうさんの頃から関西ちほーの実効支配を進めて交通や農業のインフラ整備をやってきた積み重ねが段谷の圧勝やから

777:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 20:57:29.69 O8hsE6Im0.net
しばちゅうさんは司馬衷さん

778:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/05 23:36:14.70 E4n7aDA9O.net
関羽を攻めた年の始めに呉は目眩ましか魏に攻め込んでるけど
これがフェイクじゃ無くて本腰だったら劉備・関羽・孫権の三面北上が完成して魏も危うかったかもな
遷都をすら考えたという曹操の最悪の想定がそれだろうし

779:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 00:19:35.63 m6s0+62J0.net
>>757
呉で一番の戦略家だった魯粛は荊州を狙いながらも武力的な衝突を避けてたけど
なんとなく衝突した結果二国がジリ貧になる未来を予想してたのかもしれんね

780:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 00:19:45.92 4WIjsNQa0.net
>>750
蜀の人物の出身地を洗い直すとぶっちゃけ益州人は蜀の政権中枢にほとんどいないので派閥抗争に発展しようがない
李厳だの呉懿だの法正だの益州閥のレッテル貼られるような何かしそうな高官は大体他州出身

781:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 08:13:14.23 yHq3x/JD0.net
>>759
絶えず亡国の危機に直面してる人材不足の国だから出身地での派閥争いしてる暇ないんやろ

782:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 10:24:33.09 W+YODXJd0.net
>>748
劉禅は生まれは荊州
本籍は幽州になるかもしれんが

783:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 14:10:25.85 cyB5J1kY0.net
涼州って後漢末期に雍州に併合されてなかったか?

784:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 11:11:06.33 /8MM/195n
●部聡は、●フリートで、●波、起こしてますぜ

785:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 18:16:37.13 SsO7OjTB0.net
>>760亡国の危機に直面したのって夷陵直後と曹真の蜀侵攻と蜀滅亡の時ぐらいじゃね?

786:送信を一斉に
19/06/07 20:08:09.97
名古屋アベック殺人犯の犯人の男が浦塚葬儀屋をしてる、神奈川県横須賀市大矢部で、長身の男 事件の後遺症の膝が痛いとぬかしている 孫まで居る
隣の会社から騒ぎが伝わってきた会社に

787:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 21:56:33.04 1cQ8oZwB0.net
>>764
最初から最後まで満遍なく亡国の危機発生してて草

788:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 22:44:51.51 lX8ov7c/0.net
蜀取った直後の単刀赴会のあたりも地味にやばかった
劉備自ら荊州で呉の主力と対峙している状況で曹操の漢中制圧だからな
曹操が変に余裕ぶらないでそのまま蜀になだれ込んでいたら統一できてたのになあ

789:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 07:05:20.47 exFi566c0.net
>>767
軍事的な才能は   司馬懿 >> 曹操  ということになるのかな?

790:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 08:16:58.72 yOsueuwH0.net
そりゃ進言する側と決断する側じゃ立場も違えば見立ても違うわな

791:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 18:26:16.19 qrmTUAyW0.net
>>757
関羽が呉の食料を奪わなきゃ可能性はあったかもね

792:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 18:40:23.19 Ri2NJxIl0.net
隴を得て蜀を望むとか言い始めてやけにあっさり撤退したからなあ

793:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 19:25:23.97 qFdZTE+i0.net
>>770
まーだそんな地理的に有り得ない与太話信じてる奴いたのか

794:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:18:24.52 qrmTUAyW0.net
>>772
残念
湘関は蜀呉の国境関です
今の地図で湘水を見てもしょうがない

795:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:40:19.67 KMqXHc0H0.net
>>767
あいつは歳だしそんな気力ないわ。蜀行ったら死んでただろうな

796:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:46:42.13 qYJNUt5MO.net
膨大な食糧の運搬方法や、その人数の確保に万を超える捕虜が飢え死にしない迅速供給。こういった現実的な問題をどうクリア出来たのか?ということが明らかに出来ないとな。出なければ与太話の類、あるいは裏切りの正当化のための苦しい言い訳にしかならんよ。

797:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:57:31.07 5Uxg5Fks0.net
>>771
元ネタの光武帝は隴を得てから3年で蜀を平定してるからな
劉備との対決を恐れたのか孫権の方が与み易しと見たのか、一体なにを思って蜀取りを躊躇したのか分からんが結果論で言ったら大ポカもいいとこだよな

798:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 21:28:52.54 qrmTUAyW0.net
劉備や関羽が裏切るのって何時もの事やん

799:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 21:41:25.29 qYJNUt5MO.net
関羽って誰か裏切ったか?

800:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 22:01:47.33 qrmTUAyW0.net
>>778
同盟国の国境荒らししてるやん

801:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 22:14:26.06 qYJNUt5MO.net
呉書「異次元に保管してある食糧奪われたー!」
こうですか?

802:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 00:47:36.38 X9YP7V+p0.net
ジョミナンの妄想真に受ける奴まだいるのか

803:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 01:56:58.65 Rv+hNDoZ0.net
結局、湘関ってのが湘水のどの辺りに設置されていたのか、劉孫で荊州南部を分割した時に湘関がどっち側に帰属していたのかがはっきりしてないからなんとも言えないよね

804:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 02:20:27.55 n+XkLXrt0.net
5chぐらいだよね関羽が食糧を強奪してないのって否定してるのは
陳寿や裴松之もしてないよね

805:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 12:56:47.61 O/aDma3jO.net
陳寿は呉書を書いてないからな。
陳寿の場合は客観的に書いているから呉書のような無理やりな自国擁護もない。
今の三国志関連の本で関羽の強奪うんたら書いてるのが居たら、そいつは情報を整理して冷静に考えて客観的に物事をとらえることが出来ないバカということ。
肩書きだけは立派な物書きなんて腐るほど居るからな。

806:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 14:17:14.00 TmFAkO7P0.net
関羽の食糧強奪を歴史的な事実と言い張りたいのなら
1・湘関とはどこなのか?の所在の判明
2・戦争中に食料強奪に割ける人員がどれほどのものだったのか?という人数の証明
  (蜀軍は三国の中で最も兵が少ない、そんな余裕はどこになったのか。)
3・2に伴う運搬時間、大量物資の運送手段の証明
  (当然、軍事行動中の関羽軍に間に合うことが必須)
これら全てを正史の史料の中から証明しなければならない。
現実的に考えて、それが立証不可能ならばそんなことはなかった。と
言わざるを得ない。呉書による自国贔屓のでっち上げ。

807:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 14:37:24.67 n+XkLXrt0.net
>>785
1・呉、蜀分荊州、以湘水為界 時又置関水上以通商旅、謂之湘関
通商関 国境関で今の湘水の関では無い
2・陸遜の手紙で荊州守備兵を使っているしこの時点で呉を軽視している
3・関は川のすぐ傍で船で運搬ができる
4・当時の関羽軍は于禁軍の捕虜、賊に印綬を渡して規模が大きくなり過ぎてる
5・関羽は前から国境荒らしの前科がある

808:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:01:08.62 TmFAkO7P0.net
その答えでは曖昧過ぎるな。
1の答えは湘関の所在の証明になっていないどころか
自身で湘関の所在が不明であることを認めてしまっている。
もっと現実的に達成可能であったかの証明がなされていない。
それに最も重要な具体的な「人数」の答えが得られていない。
3は「川を使って運搬した」という史料の記述はどこにあるのか?
2、5に至っては客観性がないどころか、単なる関羽アンチの感情論に過ぎず
論点がズレている。
自分本位なシミュレーションに過ぎないのでは「関羽の強奪」があったことが
事実であるかのような恣意的な誘導になっていくだけ。
それは証明とは言えない。

809:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:19:18.96 n+XkLXrt0.net
>>787
1 否定派の荊州の南部というのは根拠がないって事でいいな
「人数」の意味が分からん
関羽が引き上げた荊州守備兵ではできない根拠をくれ
3 逆に川の反対側に関を襲うのに船を使わない方法をしめさないと反論にならない
2、5は正史に反論するならそちらも正史から反論してくれ
4は反論なしだな

810:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:35:11.52 TmFAkO7P0.net
いや、だから問題なのは
「関羽の強奪が現実的に可能だったのか?」ということ。
膨大な捕虜のための食糧確保を呉の食糧保管庫からの強奪によって賄った。
ということを「事実」として認識するためには
食糧確保のための膨大な人員と捕虜を飢え死にさせないための
迅速な食糧供給を可能とした「史料」からの証拠提出が不可欠になる。
つまり、3世紀の運搬技術法の説明。
3の「川を使って運搬した」という史料そのものがないのなら
元より論にもなってないし、それに対して反論のしようもない。
個人の「思い」に対する反論などしたところで決定的な証拠のない
単なる水掛け論になっておしまい。
3世紀の運搬技術で万を超える捕虜が食えるだけの食糧確保を
迅速にどのように行えたか?が論点であり、「それを行ったこと」は呉書の
自国贔屓なでっち上げに過ぎないということ。
現実的に不可能なことは行えないのだからそこには論点はない。

811:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:40:20.83 n+XkLXrt0.net
>>789
意味がわからん
「関羽の強奪が現実的に可能だったのか?」は
可能だったとしかいいようがない
運搬技術って輜重隊を知らないの?

812:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:42:28.86 YWcNOvdS0.net
川が近くにあるのに当時の詳細な運搬方法が確定してないから水運を利用してないは無理筋

813:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:50:17.88 TmFAkO7P0.net
その堂々巡りがでは湘関とはどこなのか?ということなる。
そしてその「数」の確保もどうこなしたのか?
万を超える数を食わせるだけの輜重隊などそれだけで
どれほどの人数になるのか?
あの時に関羽軍が戦場に居ながら同時にこなせることなのか?
こういう現実的な問題がまるで勘定に入っていない。
呉書が関羽裏切りの正当性をでっちあげて
それを呉書に記載した可能性のほうが高く
蜀書の著者である陳寿はそういう感情的な記述を避け
歴史的事実だけを冷静に淡々と書き上げている。
だから、呉書からの一方的な見解しかない。

814:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:17:44.40 n+XkLXrt0.net
>>792
結局、守備兵ではできないって反論ができてないな
>呉書が関羽裏切りの正当性をでっちあげて
>それを呉書に記載した可能性のほうが高く
>蜀書の著者である陳寿はそういう感情的な記述を避け
>歴史的事実だけを冷静に淡々と書き上げている。
>だから、呉書からの一方的な見解しかない。
不可能か可能かの話なのに
否定前提�


815:フ感情論でしかないな



816:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:32:30.27 O/aDma3jO.net
ついに鸚鵡返しだけになったか…。この流れも終わったな。

817:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:36:50.83 n+XkLXrt0.net
それと大義名分の話だけど孫権が茨州戦の後に漢王朝から賊討伐で驃騎将軍・荊州牧・南昌侯に任じられてるだよ
漢王朝からの王を僭称した劉備討伐を載せない理由がないのは不自然なんだよなあ
王の僭称なんて事実を書けないから消してる可能性があるんだよなあ

818:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:53:32.86 Gwx0p72l0.net
そう言えば関羽の捕虜となった魏兵ってどのくらい無事に帰還できたんだろ
魏の捕虜になったら埋め埋めか京観にされそうだけど、蜀漢では如何?

819:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 17:27:56.32 O/aDma3jO.net
結局、湘関の場所はわからず終いか。存在しない場所から食糧とられたー!とかなんか韓国人並の難癖の付け方だなw

820:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 17:45:56.56 5SOFrR3u0.net
そもそも「呉の裏切り」とかまんま演義史観やんけ
それこそ蜀志でも関さんメタメタな評価なのに

821:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 17:52:58.35 T28kydKi0.net
スゲエ
反論出来ないからレッテル貼りなんて完全な敗北宣言じゃん

822:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:11:38.44 O/aDma3jO.net
>>786の時点で言葉のキャッチボールが成立しなくなったからな…。反論も何も答えに窮すと論点ずらしばかりで、結局湘関の場所とかすっかり答えなくなったし。
でもって、所在が分からない場所から食糧とられたー!と言い続ける。レッテル張りじゃなくて似てるじゃん。
まあ、答えられないんだったら不毛だしね。それ以上は無駄でしょ。

823:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:19:25.74 0akeQ8b80.net
>>800
こいつ2垢使って反論してたの
気持ち悪い奴

824:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:38:25.85 O/aDma3jO.net
家に居る時はPCで、今は外だから携帯で。何かいけないことしてる?
ハッキリ言うと今は携帯だからPCは使えんよ。長文の質問も出来ない。
こんな時に都合良く自分の味方なんてやってくるのが不自然だし。
てか、そんな意味のないことなら次の議題で一つ。
曹操が関羽に対して、荊王の位を追贈したのは正史だっけ?演義なら、明の時代の関羽と孫権の差で分かる話だけども、正史の時代なら孫権って関羽の墓守を命じられたらようなものでは。と思ったよ。

825:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:50:55.45 n+XkLXrt0.net
>>800
何、詳しい場所が分からなければ捏造なんて説は初めて聞いたよ
とりあえず関羽が食料を奪える可能性を証明したのを認めてくれないか

826:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 19:23:50.48 O/aDma3jO.net
場所が分からなければ奪いようがないでしょ…。
それに水運を利用したとか、そういう正史に書いていないことを勝手に妄想して、あったことにする ことの方が正史の捏造行為に当たるんじゃないのか?
ないなら、作ってしまえ、考えてしまえ、な発想こそが捏造行為の源泉に当たると思うんだが?

827:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 19:49:29.22 n+XkLXrt0.net
>>804
関羽の行動範囲には有ることは理解できないの?
それと公安、南郡と襄陽を地図で見てみろよ
水運を利用しないでどうやって運ぶんだ?
あといいかげん俺の質問に答えろよ

828:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:34:08.58 O/aDma3jO.net
その行為が捏造だろ。権力者みたいのが居て、それが採用されたらめでたく正史の捏造が完了して関羽は正式に呉から食糧を奪ったことになる。
元々の正史に書かれていないことであってもな。
何か質問とかされたっけか?関羽の私党が膨れ上がったことなら、それは曹操の領土内での話で位置的に関羽軍の直参となって合流するのは無理があるんじゃないのか?

829:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:41:38.57 n+XkLXrt0.net
>>806
君のしている事が根拠の無い捏造なんだが
詳しい場所が分からないのは湘関だけだと思っているのか?
とりあえずしたしてない別にして関羽は食料を強奪できたかできなかったかどっちだ?

830:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:49:18.96 O/aDma3jO.net
また鸚鵡返しなのか…。まあ、日曜日夜の暇つぶし程度だから別にいいけどね。そろそろ、気力も失せてきたけど。

831:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:55:11.77 n+XkLXrt0.net
>>808
鸚鵡返ししか言えないの?
一度もまともに反論がないんだけど

832:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:02:36.80 n+XkLXrt0.net
反論するなら関羽が自領だけで食料を賄えたって根拠をくれないか?
茨州を水運を使わないで食料を運ぶ方法も

833:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:04:53.12 ikgHpfKL0.net
そもそも呉書はご都合主義が強いとは言え捏造と断定出来るほどの根拠出してたっけ?

834:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:05:37.76 O/aDma3jO.net
それは単なる関羽アンチ感情論と言ったはず…。俺が関羽信者の感情論で捏造合戦を続けることがお望みか?
正史の記述から暴走した見解にはもうつき合えんわ。俺はもう去るわ、お疲れ様。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:08:54.74 n+XkLXrt0.net
>>812
結局、君は何一つ根拠を出さずに逃げ出すんだね

836:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:42:20.98 07o9CfOe0.net
そもそも関羽の食料強奪が「捏造」と断定してる研究者とかいたっけ?
最近出たユリイカの三国志特集でも例によって非難されてたけど

837:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:47:59.35 A+tsperS0.net
魏使於禁救樊,羽盡擒禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米。
どこぞの関羽信者の感情論で呉書(呉志)は陳寿が書いていないから捏造とか
臍で茶を沸かす事言ってるけど
少なくとも陳寿が検閲して採用している時点で事実なんだろうと認識できるけどな
もし少しでもわからなければ例えば孫堅が玉璽を手に入れたとかみたいに
複数の野史に載っていようが本記に載せない
呉書(呉志)を否定するという事は陳寿の信憑性の薄い史料を排除して完成させた
史官としてのプライドもその結果の「三国志」も否定する事になるな

838:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 06:54:21.24 i5t0qW260.net
>>812
今来たがちょっとあんたメンタル弱すぎだわ

839:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 08:21:30.25 YMpbEB+X0.net
陳寿が仮に呉書の内容に納得が行かなかったら蜀志で反論するはずなんだよね。
蜀志では孫権は皇帝扱いされてなくて呉王って呼ばれてたり権とか呼び捨ての時すらあるから。
結局は陳寿としては「呉人は都合の良いことばかり書きやがって……」と苦々しく思いながらも反論出来る材料ないからスルーしたんじゃ

840:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 08:46:48.71 X/2ioxDA0.net
道義性の問題としては関羽が兵糧押収したかどうかなんて些細な問題だと思うけどな
みんなが何でそこまで熱くなるのか理解できん

841:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 09:43:24.83 fHA9n8Sl0.net
>>817
陳寿はそういった理由で筆を曲げないから記録の少ない入蜀までの蜀の記述が簡素なんだよ

842:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 10:30:52.46 l9/WXxjd0.net
>>819
劉ショウとかボロクソに書いてるし普通に筆曲げてるぞ

843:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 10:37:13.65 fHA9n8Sl0.net
>>820
それ曲がってるのか?

844:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 10:50:23.61 l9/WXxjd0.net
>>821


845: 曲げてるだろ 劉備達の私欲で国取りしてるのに不幸とはいえないとは だいたい曹操に降伏しようとしたけど全部部下に裏切られただけだし



846:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 11:20:45.73 G9HxgPKS0.net
蜀の旧臣は劉璋を裏切って劉備についたからな
よしんば劉璋が史書に書かれてるほど無能ではなかったにしても、彼らの後ろめたさを払拭するためにも劉璋のことは悪く書かざるを得ないんじゃないかな
馬謖の参軍を務めた父親をもつ陳寿もその当事者だったってこと
陳寿は完全に中立の傍観者として執筆したわけではないから、ものの見方に多少のバイアスがかかっていると思う

847:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 11:49:59.29 fHA9n8Sl0.net
>>822
それ貴方の感想やん

848:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 11:52:56.06 fHA9n8Sl0.net
蜀志には蜀志の立場があり
魏志には魏志の立場がある
当然呉志にも呉志の立場があって
陳寿はかなりバランス取れてるよ
劉備を叩かなきゃ筆を曲げてる事になるとかアホもいいとこだわな

849:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 12:03:46.48 l9/WXxjd0.net
>>824
正史読めよ注釈あるから
正史を読んでもないアホに言われる筋合いはない

850:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 12:57:14.29 SGVNkEMN0.net
どうでも良いことによく無駄な時間掛けるなw

851:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 13:04:05.03 YGhXKOKJ0.net
呉志は取材はできただろうけど降伏してからあんま経ってもないし孫酷に粛清された奴も多いしで
実際どんくらい取材できたんだろうな。あんま聞くとお前の王朝滅びたけど気分どう?になるし

852:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 15:10:54.75 edlowbed0.net
周処「(あなたがかつて仕えていた)蜀は呉よりも先に滅びました。国の滅亡に口惜しい思いをしたのは、一人に限りませんでしょうよ」

853:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 15:30:18.80 V/+wKuSi0.net
>>828
呉から晋へは投降者ぞろぞろいたから情報はとれた気がしなくもない

854:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 17:30:15.04 vuBO4BDu0.net
陸凱の上奏文とかも掲載してるんで呉人から資料を貸してもらったりしてたんじゃないかな。

855:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 19:05:58.90 NFyCe+4j0.net
>>818
視野狭窄に陥ったのかもね。
呉の食糧を奪ったことになったら天下の義士とは思われなくなる!みたいな。
歴史を広域的に見れば、その程度で関羽の義人としての特性が
失われることなんてないことは明らかなんだけどね。まあ、孫権は軽視したけども。
それに関羽は没後にすべてを水に流して、中華全土、今では中華圏全域の人を
守り救う偉大な神になってる。
今や関羽自身がネットでの中傷に対するスルースキルが完璧なんだから好きなら>>812
それに習ってみようや、と言ってみる。

856:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 19:50:48.00 RoqtL9UU0.net
関羽の最後って城の兵士見殺しで
身内26騎で逃げ出してるよ
陳寿も自業自得で死んだと評してるし

857:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 20:27:23.51 G9HxgPKS0.net
まだ関羽の話題続けるつもりかよ…
多少の脱線なら付き合うけどスレタイ見直してそれでも納得いかないなら別でスレ立てようよ

858:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 21:02:53.62 dy8EKhrxO.net
結局、皆関羽が大好きでした。

859:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 21:16:08.72 L1QZqpW/0.net
大衆人気のある三国志のなかでも一番のスターだから仕方ないな
欠点を認めようとしない原理主義者からアンチをこじらせた単なる馬鹿までファン層は幅広い
みんな関羽の虜なんだ。

860:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 21:53:54.83 3Enc4vJX0.net
関羽は面倒くさい奴だ
関羽のファンはもっと面倒くさい
関羽の話題になると面倒くさい展開にしかならない

861:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 22:44:45.32 V/+wKuSi0.net
歴史ゲーム板にもいるよ関羽厨
関羽の話題になるとあーなる↑からあっちでは絶対に触らない

862:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 22:53:27.46 TUjvILDJ0.net
ほんとに関羽厨って自分の都合で蜀スレさえ荒らすからな
宗教だからキチガイが多いんだろうね

863:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 23:06:35.67 dy8EKhrxO.net
秋元康はアンチは無料の広告塔って言ってたそうな。有り難いもんだね。頼んでもいない話を広げてくれるなんて。

864:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 23:17:13.53 CLof6NjR0.net
関羽厨は勘違いをしてるなあ
基本的にアンチは関羽では無くスレを荒らす関羽厨を嫌いなんだよ
だから関羽アンチでは無く関羽厨アンチって呼ばないと

865:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 12:07:38.68 bLvFy6HA0.net
話題変えてここからは楽毅の話をしよう。

866:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 15:06:45.06 1qaseOleO.net
新楽毅結衣

867:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 16:28:48.26 lOFz9gIP0.net
楽毅って夏侯玄が楽毅論編纂したってことと
戦国の強い人?ってことくらいしか知らない
スレタイと絡めて何かあるのかな

868:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 17:03:48.51 aRnmjDsl0.net
楽毅は燕の昭王の「隗より始めよ」という人材登用に応募して仕えた。燕は少し前に大国斉に攻められて
滅亡しかけたので昭王は人材を登用して国を再興し斉に仕返しすることを望んでいた。いろいろあって
燕・韓・魏・趙・秦の5カ国が連合して楽毅の指揮で斉に攻め込んで斉王が逃げ込んだ莒(キョ)と即墨と
二城を残すのみというところまで行った。しかし即墨に籠る田単はしぶとかった。なかなか落とせないでいるうちに
昭王が死んで楽毅と仲の悪い恵王が即位すると田単は恵王に離間策を仕掛けて楽毅を解任させることに
成功した。かくして斉は亡国の危機を脱して息を吹き返した。でももう東帝と称した頃の勢いを取り戻すことは
出来ず強大化する秦に対抗できる国はなくなった。
三国志と絡めると諸葛亮が荊州で寓居してる時に自らを管仲や楽毅になぞらえていた。

869:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 17:28:35.66 FKQJgCQg0.net
この流れはスレタイとどう関係有るの?

870:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 18:41:12.10 lOFz9gIP0.net
曹操が戦上手の若い司馬懿を大抜擢してもっと早くから前線で指揮を取らせたら
統一が果たせたかもとか?関羽の時も呉を抱き込むアドバイスしてたっけ?

871:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 19:23:31.35 ecFk7qM90.net
その頃のしばちゅうさん軍司馬(高級参謀)で指揮とか自分で取ったことなかったんじゃ
しばちゅうさんが軍の指揮を任されるのは曹丕の代になってから(その頃も数千程度で本業は内政)

872:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 19:55:25.74 yuXFyib30.net
誰?

873:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:05:51.27 NhdNfhmt0.net
司馬懿は確かに戦上手ではあるけど
基本、攻められてから反撃するパターンが多くて
例外は孟達の裏切りを阻止したのと燕侵攻ぐらいで
大規模な侵攻作戦とかやった事ないから韓信のような役割ができたかどうかは分からんよな

874:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:23:16.99 wDpRb7U10.net
>>848
政治的実績が州大中正で身内が馬鹿だらけだから内政を本人が主体でやっていたのか疑問が浮かぶ

875:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:41:20.05 80xaX3dc0.net
農政とか実務系の能力は高いだろうけど政治構想とかは苦手なんかな。

876:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:42:32.64 kxHpKwHQ0.net
>>850
韓信ほどかは分からんけどそんだけやってれば十分だと思う

877:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:48:52.15 VOHWYXnk0.net
大規模侵攻は相手陣営が臨戦態勢に入る前か
屋台骨が腐りきってからが定石だから
三国時代のように互いに陣容を整えた後ではもう無理
内部崩壊を待つしかない

878:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:54:31.94 2qPEgHhC0.net
>>852
そう書かれると董卓と似てる

879:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 21:20:14.49 jxY89AMT0.net
曹操が漢中行った時劉備の軍は引きこもって曹操軍ばかり損耗してったとかそういうのどっかでみたけど
実際劉備の兵力ってどんなもんだったんだろ 関羽がピンチの時援軍出さずに漢中王になったりしてたが
あれってまだ呉の裏切りに気づいてなかったから援軍出さなかっただけ?陸遜がフタしてたから届かない
だろうけど

880:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 21:38:43.19 Dq++DEW50.net
漢中から上庸へ劉封を派遣して孟達に合流させた位かな?

881:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 23:23:35.94 JMcLpAxd0.net
>>849
しばちゅうさん=司馬衷さん

882:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 06:46:58.79 NrgTJd1N0.net
>>856
中国版wikiだと劉備軍7万(多分張飛馬超等の別動隊や異民族含む)
曹操軍10万
219年05月 曹操軍漢中から撤退
219年07月 劉備漢中王僭称
219年07月 関羽軍と于禁軍が衝突
219年08月 于禁軍大雨で壊滅
219年10月 関羽軍と徐晃軍が衝突
219年閏10月 呂蒙軍荊州に侵攻
219年12月 関羽呉軍に偽降の末逃亡して処刑
さすがに劉備が本気で関羽に援軍出していたら
援軍の先鋒が陸遜軍と衝突しててもおかしくないがそういう援軍の記述はない
魏の樊城への援軍や呉の後の三方面の戦いとかほぼ休みなしで連戦してたりする軍もあるので
関羽に援軍が無いのは劉備が関羽を見殺し
もしくは蜀が他国の動静に疎い情弱
もしくは蜀の国力が連戦に耐えられんぐらいの脆弱
もしくは蜀軍が連戦に耐えられんぐらいの貧弱
なんでしょうな

883:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 12:28:34.29 k5ITKzgp0.net
>>859みたいな蜀アンチをこじらせたアホはこのスレには不要かな。
誰にも迷惑掛けないように首吊って死んでください。

884:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 12:54:09.88 r4ncvXQbO.net
とりあえずスレタイを確認するべきだな。曹操軍マンセー!なスレじゃない。

885:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 14:24:24.71 eZ1FPnky0.net
何でアンチ活動に走るんだろう
蜀漢=雑魚としちゃうと司馬昭になるまで蜀漢を倒せなかった曹魏とか雑魚以下になる負のスパイラルに落ち込んでいくだけだと思うんだけどね
理解に苦しむ

886:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 18:54:50.38 G3/hNCFL0.net
>>859の意見はかなり偏向的な物言いだが、それでも情報としては
なかなか面白いと思う。
魏は大国故に継戦能力は高いが、前線の指揮官に蜀や呉のような
天下に名を轟かす豪傑や地の利を生かしたスペシャリストがおらず
将として格落ちしてる部分は否めないから苦戦したんだろうな。
現に対関羽戦でも魏は于禁、曹仁、徐晃と名将三人を当てて
ようやく撃退に追い込むくらいしか独力では出来なかった。
圧倒的な物量が魏を支えていたんだろう。

887:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 19:41:22.87 fjjc5J600.net
>>859中国wikiの曹操軍10万、劉備軍7万は何の史料�


888:ノよるものなんだろうか?



889:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 21:42:18.50 cn0JF8Wk0.net
長江を使った通信網も下流から上流へは機能しないってことと
呉軍が裏切るとは予想もしてなくて備えがなかったということなんやろね
制したばかりの地から兵を送り込むというのも現実的には難しい話だし

890:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 22:09:48.91 YtWa3TZ40.net
劉備は動く準備をしてないし 曹操は慌てふためいてるし
関羽の北上って完全に独断で行ったものなんか?
同時に起きた反乱は北上に呼応したものなの?
関羽的には襄陽欲しかっただけなのか
呉の裏切りなくてもワンチャンあったんかな

891:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 22:26:17.74 oIj0CHET0.net
関羽さんのフライングだったんだよ。
呉と仲良くしとかないからこうなった。

892:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 22:54:22.28 YtWa3TZ40.net
なるほどフライイングかー
そもそも曹操が漢中に来なかったら
呉と蜀がケンカ始めそうなくらい険悪だったよね

893:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 00:35:14.70 fSfsVhTc0.net
そもそも関さんどの辺まで攻め込む予定だったのかが不明
桓温が北伐やった時も涼州と益州の別働隊と連動して洛陽の一時期占領が限界だったので動かせる軍勢が荊州軍しかない関さんが何処まで目指してたのかと

894:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 01:29:45.63 jq0lbf8V0.net
許都付近の叛乱は関羽が煽ったやつが多い
ただその叛乱が関羽や他の叛乱とタイミング合わせずに散発で終わってしまうこと多かったから
関羽の方も焦って動いてしまった可能性があるとかなんとか

895:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 02:35:54.42 ouwapXHk0.net
広さと通信の問題で連携はまともに取れないのが普通。定石通りに失敗しただけだな

896:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 10:52:13.80 jHrdAD1uO.net
呉や蜀に較べて最前線の魏将は格落ちなんて検討違いもいいとこ

897:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 15:19:58.35 uB6FDIxj0.net
>>863
さすがに于禁や曹仁や徐晃が格落ちとか有り得ん
それでは関さんが手も足も出なかった楽進よりも格下になってしまうぞ
曹洪だって絶好調だと張飛馬超を一蹴するしな
勝敗は兵家の常だよ
曹仁とか徐晃とかは関羽と戦う前に戦役有って連戦なので万全の状態ではないのは確か

898:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 15:22:31.99 uB6FDIxj0.net
>>865
さすがに長江下流から上流への通信網が機能しないは有り得ん
もし通信網が機能しないならば215年の荊南三郡争奪戦で
劉備が素早く公安まで戻ってくるのは不可能

899:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 22:19:06.47 nISFU8gHO.net
>>873
楽進には船を数隻燃やされた程度じゃなかったっけ?
それに手も足出なかったら、楽進はあっさり荊州制圧出来ているのでは。

900:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 23:47:51.78 5mZOi4D50.net
国力で下駄履かせてもらってるだけで辺境の弱小国に手こずって成果を挙げられないような奴らは無能と言われて当然
地の利なんぞ他の時代の本物の英雄ははね除けてるわ

901:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:11:55.02 x3If+m4R0.net
于禁や曹仁や徐晃も諸葛亮と比べたら将としての質は落ちるのではないかな
統率力や兵の訓練、戦場での駆け引き、用兵は諸葛亮が一枚上でしょう。

902:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:26:33.41 DdhgMbZzO.net
結局、一番の大国でありながら苦戦してるとなるとアドバンテージは巨大な国力になるんだよな。
関羽、張飛は南北朝~隋くらいまで三国時代の二大豪傑として語られその後に伝説化し神になる。
諸葛亮も武廟の十哲入り。(三国時代からは諸葛亮のみ)
この三者は明らかに格上じゃないのかな。

903:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:54:24.66 m8TwFvte0.net
>>877
KOEIのゲームの話ですか?

904:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 01:07:40.41 4/mgRrWY0.net
>>871
最後の北伐と合肥新城への呉の侵攻はうまく連携できた稀有な例なのかな
呉蜀同時侵攻でも結局魏に守りきられちゃったのは諸葛亮の死が響いた?
蜀は総力上げて臨んでたけど孔明生きてても結局また兵糧尽きて撤退してたかな。

905:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 02:41:18.34 /pwDet5h0.net
どんなに上手く行っても長安を一時的に占拠するくらいにじゃないかな。
政治的な効果はわからんけどね

906:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 02:52:07.41 x3If+m4R0.net
>>879
于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
>>881
函谷関を抑えれば大丈夫
だから1回目の北伐では思い切って魏延の策を取り入れても良かったと思う
結果論だけどね

907:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 03:36:13.24 4/mgRrWY0.net
>>881
なるほどー長安とれたらすごいな
だけど魏は王経負けた時もそうだけどおかわりがジャンジャン来るから
戦線維持は難しそうね国力的にも。

908:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 05:53:05.13 jnzCnvA90.net
>>875
楽進は少なくとも2度関羽と戦っているけど
いずれも関羽が攻めて楽進が守って関羽が退けられている
楽進はただ守っているだけだが楽進が生きている間は関羽は魏に侵攻成功する事は無かった
曹操はは赤壁のトラウマか赤壁後は長江超えて本格的に南部制覇しようという気概が感じられない
基本的に重要拠点守って蜀方面は巴蜀漢中の人攫いして終わりで呉方面は大規模援軍で孫権に威風を示すだけ
巴蜀漢中の人攫いは戦術的に成功だが結局漢中放棄したので戦略的に失敗
孫権に威風を示すのは最終的には孫権が下ったので戦略的に成功したが後に曹丕がおじゃんに

909:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 12:11:58.84 DdhgMbZzO.net
つまり、物量差が生きたということか。

910:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 14:12:09.05 8nd1uibf0.net
魏が苦戦した理由となればそうなるな。
まあ、将器の上下の話になるとファン意識も絡んできて
めんどくさくなるが現実的に見ればそうなる。

911:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 17:33:19.32 2s8uVp290.net
漢中の曹操もだけど、曹丕も夷陵の戦いの時に孫権の時間稼ぎを許さず呉になだれ込んでいれば天下統一の好機だったのに
本当にここぞというときにアカン親子だな。

912:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 18:40:07.65 y/QNMmmL0.net
>>887
夷陵は劉備が無能過ぎて曹丕もまさかの呉がほぼ無傷とは予想できんだろ

913:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 22:09:48.58 VIL2b5vf0.net
毛沢東が参考にしたように三国志はレベルの高い勢力争い。ライバルがいない統一戦をくぐり抜けた王朝は異民族に大敗して歴史に汚点を作っている。

914:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 22:47:28.50 NHH91WtC0.net
>>887曹丕は選択ミスしすぎだわ
夷陵後に呉を攻めるのではなく蜀を攻めるべきだった
あのボロボロ状態の蜀ならいくら戦下手な曹丕でも滅ぼせただろ
蜀を滅ぼして長江上流域を確保したら呉に対してかなり有利になった

915:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 23:34:57.35 eOJHZIEW0.net
劉備と陸遜が対峙している時に呉を攻めれば良かったのでは?
呉に対しては攻勢正面が広いが蜀は山だし侵入口がかなり限られる

916:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 23:46:25.86 y/QNMmmL0.net
>>891
それこそ、「たられば」だろ
劉備が一瞬で敗れるなんて予想できないから後手�


917:ノ回っただけなんだから にらみ合ってる状態で攻め込むなんて博打を打てなかった 下手すれば呉蜀に攻められる危険があるし



918:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 00:54:14.89 lD7NEWfn0.net
>>882
>于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
KOEIのゲームの話なら無理だろうね

919:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 03:06:35.77 vGfjemlo0.net
>>889
三国時代を制した西晋だって異民族にやられてるけどな

920:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 04:26:07.62 iU3Er/0W0.net
>>893
史実でも于禁はそう簡単に諸葛亮に勝てるとは思えないな
どちらも統率力と手堅い戦い方するという意味では同タイプの将軍だと思う
于禁の方が融通のきかないとこあるし諸葛亮の方が搦め手が使えるので諸葛亮有利かなって感じだと予想するが

921:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 04:28:17.71 iU3Er/0W0.net
>>892夷陵って1年近く戦ってるから全然一瞬じゃないぞ
その間、何もしなかったのは魏側のミスだと思うわ

922:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 10:06:10.85 fS5oD6mp0.net
曹丕即位直後から涼州でぼつぼつ反乱が起こってたからその鎮圧で手一杯だったんだろな
この時期は国内の地盤固めに必死で外征する余裕がなかったんだと思う
そうはいっても、万全を期して始めた呉討伐があの結果だから曹丕には軍事的才能がなかった、少なくとも孫権にも劣る器量だったと結論づけるしかないが

923:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 22:26:27.82 3ngmJGtB0.net
>>896
だからほぼにらみ合いだろ
陸遜の閏6月に陣への攻撃から曹丕は外交を挟んでの9月には攻め込んでるよ
劉備ぐらいだろ大義名分無しに戦争をする蛮族は

924:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:19:38.68 iU3Er/0W0.net
>>898いや普通に何回か衝突してるだろ
しかも荊州では蜀の謀略により蛮族が反乱起こしてるし

925:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:22:54.35 mKzBOw6r0.net
>>894
司馬氏同士で殺し合いまくったせいだろ・・・あと謀殺

926:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:23:09.28 3ngmJGtB0.net
>>899
両軍共に元気な状態で攻め込めって事?
呉だけが反撃する根拠ってなに?
教えてくれないか

927:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:26:43.71 iU3Er/0W0.net
>>901荊州の戦争に魏が加わるのでは無く
戦ってる間に楊州に攻めるという手もあったし、逆に益州に攻めるという手もあった

928:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:30:29.77 3ngmJGtB0.net
>>902
だからそれで呉蜀が戦争を継続する理由を教えてくれよ

929:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:32:47.82 fhyiAbUP0.net
>>902
第1次茨州戦だと曹操が漢中侵入で戦争止めてるよね

930:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 12:10:42.68 ZBXaUa5t0.net
本拠地が安定してないからでしょ。
長期に開けると内乱なり起き易くなる。

931:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 12:18:11.54 skxmyyqT0.net
>>903
劉備がキレてるからでしょ

932:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 21:04:18.22 MDuXCQBK0.net
>>906
曹丕の走狗として歴史に残るな

933:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/18 10:38:47.81 87yrz9VL0.net
曹丕としても呉が従属してきたからとしてと一方的に有利な状況ではなかったということか
国として不安定な時に従属国を背後から襲うなんて馬鹿な真似は出来なかったわけだ

934:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:34:51.13 zbmF0V5U0.net
孫権が臣従を申し出てきたからこそ円滑に禅譲を進めることができたのだし、曹丕が孫権に対して借りを感じるのも理解できなくはないがな
劉曄なんかにも言われてるけど曹丕は譲歩しすぎ
舐められるのも当然ですわ
曹丕と孫権、年齢差は5つしか違わないが君主として積み重ねてきた経験が違いすぎた

935:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:50:21.77 LXlxHqqu0.net
URLリンク(i.img)


936:ur.com/yRR4iMy.jpg



937:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 06:07:25.82 DTSJvstQ0.net
曹丕は官人としてのキャリアも浅いような気がするのよ
前線での指揮官とか経験できていたらその後の対呉戦もやり方とか変わっていたんじゃないのかな

938:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 23:59:30.36 zbmF0V5U0.net
曹丕が自著、典論の中で述懐してるのを見る限りだと、曹丕も幼い頃から弓馬の術を学びたびたび従軍して戦場を経験してはいるんだよな
成人してからはずっと副丞相として鄴で留守番役だったけど
経験としては十分だったけど才能が足りなかったのか

939:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/22 21:40:39.62 thKvHFA70.net
>>912
曹丕は文才はあったけど軍才はからっきし
次の曹叡が前線指揮官より観察眼あったとかいう超能力者だから余計に際立つ
だから軍は司馬懿や曹真の重きが増したし、チングン重用して政治改革を押し進めた
その結果が晋まで続くシステムが王朝を保たせることになる
逆に孫権は子供の頃から政争や豪族の統率や山越への民族浄化で鍛えられ過ぎている
本人の威厳と軍才(ただし守戦のみ)と謀略があったからこそ政治改革の必要もなかった
晩年の凋落と後継者の受難は孫堅時代からの豪族集合体システムから脱却できなかったのが大きい

940:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/26 22:33:46.92 rMNK7qeq0.net
曹真や司馬懿や陳羣は曹丕からのお下がり
曹叡はコミュ障の上に短命だから自分の味方を育てられなかった

941:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/26 23:39:45.84 zoBNWc/50.net
曹叡なんてみんなが袁氏の子供って見てるのに誰も味方にはならんやろ
一番の側近のはずの孫資と劉放とか後継人事で無茶苦茶やってるし

942:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 00:12:39.89 YC8CNZky0.net
鄴が包囲されてた時期を考えると袁氏の子ではないだろう
袁氏の子と皆に思われている状況なら皇帝は無理
味方がいないならなおさら

943:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 08:03:55.66 0rrpUs9R0.net
>>915
あまりに強権過ぎて宗族すらも一歩引いてた感はあるな
本人としては曹植の息子を登用したり後事を曹宇に託そうとしたり宗族に力を与えようと腐心したけど
そのアホ側近二人がちゃぶ台を返して最悪の結果になったと
>>916
陳寿がエンキの子供説を伝の没年の最期で暗示してる
ハイショウシは曹丕の子だから年齢2歳若いと注訳したのは桓温を叩くため
(奴が禅譲させたらなら血の繋がった子孫が国を傾けるぞと言う脅し)

944:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 08:17:07.17 aJss3rZs0.net
曹叡の子供ってことになってる曹芳が皇帝から引きずりおろされて
曹叡の直系じゃない曹丕の孫の曹髦が皇帝になったのは
.血筋が怪しいっていう理由じゃないとは思うが多少はそういう空気があったのかな

945:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 08:49:36.42 dqOACK720.net
曹叡はどもりがあったから会話自体が苦手だったんだろうな

946:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 12:40:55.29 lCNCE3DC0.net
>>918
曹芳が権力に溺れて好き放題してるのを嫌った郭大后と、それなりに年食ってきて専断できなくなるのを危惧した司馬師の利害一致
この行動のせいで司馬懿の与力ポジだった毋丘倹が怒るあたり、魏の忠臣は賛成ではなかったようだ
曹髦が年食って司馬昭を粛清しようとしたあたり、曹一族を軟禁状態にしてなお安心はできないという意志はあったのだろう

947:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 13:17:36.01 aJss3rZs0.net
>>920
正史を疑ったら話にならないのはわかってるんだが 幼いころから勉学に励み
民や官奴婢にまで心を砕く詔勅出してた曹芳が
女色にふけってまともに政治もしないダメ皇帝に成長するのが違和感ありまくりで
その↑発言した司馬師の言葉を素直に飲み込めない自分がいる
曹髦が司馬昭と皇后殺しに来たから返り討ちにしたとかその辺もそのままだとは思えない
曹爽がダメだったのはそんな気もするんだが 司馬懿の息子たちに負のバイアスかかりすぎかw

948:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 13:57:14.41 rml9UTj30.net
>>921
曹爽は叡のアホ側近2人の見る目のなさの末路
曹宇や秦朗と仲が悪いから誅伐されるのではと考えて、操作しやすいと考えた司馬懿(実際武官としての名声だけだった)と曹爽(曹真は司馬懿の前のナンバーワン武官だった)を据えることにした
でも曹爽の中身は武官ではなく文人で、結局政治の操作が及ばなくなり、司馬師の野望を勃発させるきっかけになったと
実際、司馬師はかなり闇深い野心家
司馬懿は軍権と名声(これは司馬孚も)を利用するために担ぎ上げてるようなものよ
だから成長した曹芳を排除したわけであって、建前こそあれど実際はどうだったかは伺い知れない

949:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 18:00:56.38 Qj5YvLXS0.net
年少の頃良くても成長したら堕落する人間はいくらでも居るけど曹芳の廃替は本人の性格や能力の問題ではないだろうな

950:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 20:27:42.31 f0R/eqRy0.net
>>917
陳寿が正しいなら
曹叡は曹丕が甄氏と出会ってから2カ月以内に生まれていたことになるな

951:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 20:55:17.59 0rrpUs9R0.net
>>924
だからこそ後継者から外そうとしたり交友が狭かったりするわけ
普通なら朝廷の幹部でも太子(しかも実子)を見たことある人間が少ないなんて事態にならない
あまりに早く死期が迫ったことで後継者として認めざるを得なかったのが実情
曹丕自身も後継者から外されかけていた時
袁本初のことを考えていたというカクの言葉で救われた経緯があるのも影響してるかもしれんが

952:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 21:33:43.83 0rrpUs9R0.net
>>915
宮殿造営と洛陽復興に拘ったのも、それを考えたら矛盾ないのよ
魏皇帝として呉と蜀の当時最大規模の攻撃を自らの裁定で黙らせた
浮華の徒をいちはやく政治から追い出して実力主義の国体を強固にした
これだけやれば十二分に権威は高まるのに、納得いかず宮殿造営
逆に言えばそれだけ権威を高める必要が曹叡にあったとも取れるわけ
致命的な病という陳寿の言葉は意味深過ぎる

953:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 21:50:13.57 3nSDtlNO0.net
孫呉と蜀漢から領土切り取れてないのに権威なんか高まるのか?という素朴な疑問

954:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 21:54:32.16 8IIkbXTb0.net
曹叡の享年が数えで36歳だってこと、陳寿はどうやって知ることができたのか不思議に思ってる
年齢を逆算すれば本当に曹丕の子なのか疑わしいってことくらい当時の人だって気付くはず
仮にそれが正しいとしたら、そのことは絶対宮中のトップシークレットになって知りえた者は抹殺されていたはず
曹叡の即位の正統性に疑問


955:符をつけるために、陳寿なり司馬氏に忖度する人間が改竄したと考えた方が自然だと思う



956:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 22:30:28.53 0rrpUs9R0.net
>>927
呉:一部を除いて異民族の区域
蜀:流刑地
この時代の中華において既に十分な領土を持っていた
曹叡の諸葛亮disもそれが顕著に現れてる
時代が後期になるにつれ各地域に王朝ができたり戦争になって
しだいに範囲が広がった(特に南北朝と元で広がってる)
ただし呉も蜀も滅ぼさないといけないよという思想の人間はいる
晋の時代でも裴秀やヨウコがその最もたるものだった

957:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 22:47:27.19 3nSDtlNO0.net
蜀郡って人口が後漢トップ10に入る規模の郡だろ
頭がおかしい

958:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 22:47:47.25 cNkk0mrS0.net
>>929
その流刑地の国に負けてる魏の面子どんだけ無能なん?って話にならないか

959:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/27 23:05:38.17 0rrpUs9R0.net
>>930
劉備の時代には100万程度しかいないぞ
>>931
曹操時代以外は蜀には消極的
攻めてきたら迎撃するという程度の扱い
自分から攻めた曹爽らは軍功欲しさに突っ込んでる(そして曹爽は素人だった)
あと動因兵力は魏全軍>>蜀の全軍だけど魏は後顧の憂いがあり全軍割けない
となると蜀ほぼ全軍>>>魏となるわけ
装備も蜀は鉱山で潤沢にあるから守勢には十分

960:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 00:47:36.27 yHELlI750.net
>>932
子午の役とか明らかに魏は蜀より大軍率いていながら撤退してるんだけどな
後顧の憂いって異民族の事?
魏の時代の北方騎馬民族って、魏に定住を求めていたのもいて、魏は蜀と呉と比較して異民族関係の戦いは少ない方だと思うが
南方異民族との戦いが多いのは呉で、その次が蜀
曹操時代に劉備に漢中を奪われ、その後曹操が漢中に主力軍を率いて攻めて蜀側が撃退して、
諸葛亮の第三次北伐では郭淮が敗れて武都・陰平を奪われ、その後曹真の子午の役では郭淮・夏侯覇が敗れた
第四次北伐では司馬懿・張郃も多くの軍で攻撃したが、諸葛亮らがそれを撃退した
姜維の北伐でも三県を制圧し、徐質を討ち取ったり、さらに王経を洮水の西で大破した
ここまで益州刺史趙顒、夏侯淵、張郃ら重要人物を失った
これで蜀を流刑地ってのは流石に無理が有るでしょ

961:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:03:59.08 cfyAKp6g0.net
南方異民族は蜀は一回だし西方異民族の鮮卑禿髪部は従順だった
呉の山越狩りも兵力と領地獲得の事業でしかない
あとは下らない勝ち戦ばかり列挙
結局地勢と情勢の推察がまるでできてない
正直もう一回史書読んで来いレベル

962:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:13:15.40 936EPSeK0.net
>>921宮城谷三国志だと曹芳は自分の身を守るためにアホのフリしてるって設定だったな

963:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:28:30.89 936EPSeK0.net
>>929
魏は呉と蜀を滅ぼす事ができなかったからこそ王朝の確固たる正当性を得る事ができず
司馬氏に乗っ取られたと思うんだよな
呉・蜀を滅ぼせなかったからこそ司馬氏はその二国との戦いによって地位を得る事ができたとも言える
曹丕・曹叡の寿命が史実と一緒でも曹操~曹叡の間に二国を滅ぼして天下統一できたなら
もっと魏王朝は寿命が延びたように思う

964:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 01:41:15.96 mhmOeJbw0.net
>>93


965:6 少なくとも曹叡が長生きするか劉放孫資を追い出すかしないと寿命は数年しか延びないと思う 何せ後継者がいない、曹叡政権の功臣が少ないという状況で国体が実力主義を標榜しているのだもの 例え天下を統べても曹叡の後継者が凡庸なら実力主義、暴君なら自由主義の貴族にクーデター起こされて簒奪か禅譲される



966:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 07:03:58.84 chLe5mDh0.net
農繁期に農民集めて労働強いるコミュ障の曹叡よりは
まだ曹丕が長生きした方が可能性あるんじゃね

967:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 08:46:24.14 NSowvT7h0.net
>>933
こいつ痛すぎ
統合失調症だろうな

968:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 09:00:15.73 /hw0gZME0.net
馬鹿なだけで別に病気ではないだろ。普通レベル

969:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 09:04:17.86 r8SALuLv0.net
>>938
しかんさんは軍才無さすぎるし粛清ばっかだから、長生きしたらしたできつい
親征したら間違いなく逆効果だろうから曹真満寵が頼りだけど、結局司馬懿が磐石なのは変わらないと思う
240年くらいまで守勢で生存したあと曹礼が継いで李淵並の実力を出せば…って感じ

970:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 16:28:52.18 LMM9Hbm20.net
個人攻撃はやめとけ

971:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 20:12:59.51 AeVcH0Fz0.net
>>941
曹丕の粛清って楊俊と鮑クンの他に何かあったっけか
昔の恨みは忘れないしやや身内びいきが過ぎるきらいはあるものの、先代から続いていた密告政治をやめさせたり曹叡の代で覆されたものの外戚の政治介入を禁じたり、曹家三代の中では曹丕が一番まともな政治感覚を持っていたと思う

972:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 20:30:35.87 P78uk0TR0.net
曹丕に関しては期待値で語る人が多いけど生前に残した実績で評価すると正直ショボい
期待値で話していいなら誰だって評価上乗せできるわ

973:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 20:43:52.82 cfyAKp6g0.net
>>943
表沙汰になってるのは少ないが怪しいのが何人かいる
代表的なのが蘇則(対異民族のプロ)
狩りで役人が獲物を逃してしまった際に
その役人を曹丕が殺そうとした
死を覚悟して蘇則は役人らを許すよう懇願した
その後左遷先に移動中死亡という悲惨な最期
病死とされてるが暗殺が濃厚

974:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 21:45:35.09 AeVcH0Fz0.net
>>945
の割に、蘇則には剛候って諡が追号されているがな
于禁には厲侯なんて悪諡を与えて辱めた曹丕が暗殺した相手にそんな良い諡を追号するとは思えんわ
これによらず、先入観から一周回って不当な評価がされてる例が曹丕には多いと思うんだな

975:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 22:09:50.99 p5pNVR1z0.net
>>946
于禁は表向きにも敵に降伏したから堂々と罵って踏みにじれたしは大きな失策もなかった
蘇則は表向きの悪行はない上223年に死んでる
この時期は曹丕が呉に力攻めして大敗して
多数の死者を出す大失敗をしてるから于禁みたいな事したら蹴落とされるわ
ほうくんだってあの後曹丕が死んでなかったら、一足早い廃帝議論もあり得た

976:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/28 22:45:34.18 g6EF9TX60.net
>>944
在位6年くらいであれだけできてれば十分だろ

977:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 00:29:47.59 Gr5kvZjn0.net
曹洪も殺そうとしてなかったっけ

978:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 01:08:44.21 1pHZz1t+0.net
>>949
あれは周囲が止めてくれるのも計算のうちだっただろうし、結果だけを見たら本家よりも蓄財に励んでいる裕福な分家筋という危険分子を穏便な形で掣肘することが出来た、と言えなくもないかな
最大限好意的に評価するとしたらね
何にせよ、この件などで過去の恨みから根も葉もない因縁をつける陰湿な小人物というイメージが付いてしまったのもまた事実ではあるが

979:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 01:21:39.04 Hw745BlI0.net
曹丕に都合よく解釈しすぎで気持ち悪っ

980:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 02:08:56.40 1pHZz1t+0.net
陳寿も露骨に筆を曲げるような真似はしていないものの、司馬氏や司馬氏に協力して魏晋革命を成した勢力に迎合しなければならない立場にあった以上、曹丕や曹叡ら魏の皇帝たちの悪評は多少誇張が混じってるんじゃないかって思うだけ

981:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 02:45:00.79 NTijYzua0.net
それはあるだろうねえ
大義が自分たちになければ禅譲の是非を問われることになるし

982:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 07:12:17.29 nNkPkDRj0.net
>>951
多分無双かなんかのイケメン化で入った奴だと思う
郭女王ににたぶらかされて正室殺したり、婚姻斡旋した親類が別の女を好いていると聞いてその女を殺してるのは正史なのに
どこの馬の骨とも知らない与太話やそれをソースにした妄想で擁護してるあたり、本当に功績がカスなの現実から目を背けたいんだろうな
鮑クンの件なんて名士や父代の功臣どころか、政権中枢にいる陳グンすら助命嘆願してる中での仕打ち
しかも前年にまた対呉で大敗してる中での暴挙という状況だから、構図としては曹爽が蜀に負けた後の暴走人事してた頃とそっくり
皇族に実力ある奴がいない、敢えて挙げるなら曹真のみという危険な状況でよくやったわと思う

983:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 07:55:18.77 Tgq1fZiC0.net
司馬炎に比べたら曹丕って文才以外全部完敗だろうしね

984:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 09:46:21.48 cL+F8bNx0.net
>>951
曹丕を悪く解釈したいやつが暴れてるように見えるが

985:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 09:56:04.11 t93WK0Dc0.net
大量虐殺した奴らと比べると曹丕の悪行なんかな…

986:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 15:17:12.41 9RIfZod+0.net
段々比較対象が下がってくソウヒに草

987:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 15:28:21.33 iNpfF9gM0.net
曹丕より下の王朝開祖となると陳覇先か蕭道成あたりか?
いや、でもこの二人にしたって王朝内で地道に功績上げながら地位を築いていったわけだからなー

988:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 16:02:17.63 NpVonMrx0.net
曹丕は悪評を誇張されてるより悪評を隠されてるのを考えるべきでは

989:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 16:38:13.91 tk9/jm2T0.net
一番悪評を隠されてそうなのは司馬懿だな

990:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 16:51:15.83 H/eKq91A0.net
司馬懿は孟達討伐とか功績があからさまに誇張されてるな
曹真の功績は矮小化されてそうだがさて

991:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 19:30:21.73 nNkPkDRj0.net
>>960-961
三国志が作られた情勢
①漢→新→後漢→魏→晋が正統な王朝という風潮
②著者は蜀の役人であり蜀には好意的
故に善行記述の序列は晋>魏>蜀>呉
裴松之の注が作られた情勢
①漢永久論、蜀漢正統論のため漢→蜀→晋という風潮
②魏の実力主義は北朝や桓温と同じなため認めない
③南朝は呉の領域にあり呉の系統�


992:フ貴族もいる 故に善行記述の序列は蜀>晋>呉>魏 演義が作られた情勢 ①存在意義は朱元璋を劉備になぞらえたプロパガンダ ②裴注をもとに誇張されている場面が目立つ ③魏は異民族王朝と同一視される ④蜀正統論に則るため晋はやはり悪く書けない 故に善行記述の序列は蜀>晋>>>>>>その他 結構晋って統一王朝になってるから好意的に書かれてる 曹丕は一番悪く書かれやすい演義で曹操に吸収されてるのが救い



993:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 22:10:03.51 jd2eNoGA0.net
>>929
魏の領土だけで十分理論は良く見るけど納得できないな
秦は六国を滅ぼして天下統一して
前漢の劉邦は全部征服したわけではないが他の諸侯を傘下に収めて反乱した国もことごとく征伐してるし
後漢も蜀や呉の地域を領土として天下統一してる
前王朝に比べるとやっぱ魏は二流としか思えないし
魏の首脳部も正当性を示すためには二国を滅ぼさないといけないと考えていた人間はいたはず
二国の中で特に蜀は前漢王朝発祥の土地だし
蜀を滅ぼす事こそ正当性を得るためには一番必要な事だったように思う
まあ魏は当初は呉を優先してたみたいだけど

994:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 22:39:00.56 mx1FX5dC0.net
華北から江南を落とすにはやはり蜀が必要
西晋も隋も前王朝の時に蜀を獲得してなかったら統一は不可能だった

995:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 22:41:53.78 hn6I/+KQ0.net
蜀取られていたのに華北の南征を撃退した東晋はやっぱ凄えわ

996:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/29 23:11:57.14 nNkPkDRj0.net
>>966
江南の要は蜀ではなく江陵
ここを持ってないと安全な長江渡河ができず建業が難攻不落になる
苻堅は江陵を落せずにヒ水の戦いをした結果まんまと迎撃されて大敗
地の利がない場所に攻撃ルートを一個に絞った大兵力の侵略
このパターンは近代になるまで十中八九負けてる

997:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 00:08:00.73 BGpU6T2X0.net
昭和一桁生まれで、あんなに背が高くてスタイルいい男なんていなかったからな
身長は普通の人は160センチ台がほぼ全員
長嶋茂雄とか王ですら175とか177しかないのに、余裕の180越え
特に白髪になってからカッコよかった
身長があるとジジイになったときカッコいい

998:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 05:58:33.38 6XAnHhL10.net
>>967
隋の滅陳なんかでは巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて、建康を陥落させたのは江北から南進してきた軍なんだけどね
重要なのは華北王朝が淮南まで占領してるかどうかでしょ
苻堅や北魏と西晋・隋の南征の成否の分かれ目はそこに収斂する
曹丕の南征は時代が時代だから洗練されてないよなあ
曹魏だけはこの条件満たしていても南征に失敗まくった

999:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 06:49:05.10 DKobBMMa0.net
>>969
あれは川を大改造したからこそできるようになった荒業
それまでは騎兵は支流や湿地に足を取られて攻勢が難しくなったが、治水で地盤が安定した
そして陳が弛緩しきって統制が取れない国だったのも幸いしてる
どんだけ条件違うと思ってるんだ

1000:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 06:49:31.93 4NTOjVkj0.net
じゃあ条件が間違っているんじゃね?

1001:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 08:30:16.00 TgZ5w0oU0.net
>>970
淮南の民を強制移住させたり徐州虐殺したりで
自ら江南遠征のハードルを上げまくっていたバカ王朝があると聞いたんだけど
住民がいたら運河開削できていたかもしれないね

1002:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 11:03:30.63 zeSPf7AL0.net
>>969
巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて
どれが本命か分からなくさせる、あるいはどれをも本命にできるってのが重要なことじゃないのか。十分大きな効果だろ

1003:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 15:24:10.11 wTyYBWIW0.net
>>972
そこまでやる価値がないから強制移住になったのが分からないのか
赤壁以降の曹操は中原の安定と地盤固めに力を注いでいる
結局呉は制圧するほどの価値がない辺境と見なされてるのを認めたようなものだ
隋は北魏からの念願だった鮮卑による中華征服のために島夷を討ったのであって江南に価値は見出してない
江南が本格的に栄えたのは煬帝の運河を唐が使うようになってからだしな

1004:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 18:00:28.89 RQBhJHer0.net
>>974
江南に価値がないのであれば何で曹魏も北朝も江南に軍を何度も進めてその度に撃退されているの?
価値がない地域を全力で攻めて病死した曹丕さんとか意味不明過ぎないか?

1005:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/30 18:04:40.50 X1B6mJ6l0.net
>>936みたいなアフォのせいだろ
そうやって統一したはいいが価値がなくて放置されていき地方役人や盗賊が跋扈する中華お決まりパティーン

1006:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 00:49:47.67 DX2BBPi00.net
>>974
前漢は江南を傘下に収めてたし後漢も江南を征服してた
江南は価値無しと思って放置するのは魏は漢と比べて後退したと見なされても仕方が無い

1007:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 02:01:57.60 QM0fQu0N0.net
魏は呉に対して、前漢初期の南越や閩越のように高度な自治を認めつつ冊封体制に組み込むっていう選択肢が有り得たと思う
たぶん曹丕も最初はそういう方向性を模索していたように思う
遼東公孫氏だって似たような状況だったしな
呉が夷陵で敗れていたか、その後の曹丕の南征が成功していたらそういうifも有り得たかもしれない
結果的にそうならなかったから半世紀近く三国が鼎立する状況が生まれたわけだが

1008:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 15:35:12.84 TIRMS8Op0.net
二虎競食は夷陵まで上手くいってたが、残念なことに蜀があっさり負けたことと対呉にしか備えてなかったことが裏目に出たな
後の軍事行動の選択肢を考えるなら両方ともに攻め入れる準備をしておくべきだった
呉の臣従解消に怒って攻めて返り討ちにあった時といい、曹丕は戦略を立てる才能にも恵まれてないな

1009:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 15:50:22.09 nzp0r8q70.net
あの時蜀に攻め込んでおけばよかったのに呉に攻め込んで蜀を救ってしまうという結果の曹丕さん

1010:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 16:46:47.07 9+jFkNTt0.net
呉が蜀を取ってたらもっと面倒だったかもしれんし攻めたこと自体は間違いとは言えない。負けたのはうんち

1011:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 19:26:26.93 ePQpNaq/0.net
かもしれんかもしれんばかりだな

1012:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 21:19:40.96 VRce+rjK0.net
劉備があんな惨敗するなんて曹丕以前に諸葛亮さえ見抜けなかっただし
曹丕は劉備を過大評価し過ぎだよな

1013:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 21:43:45.69 nzp0r8q70.net
曹丕さんが蜀の陣形見て劉備パイセン負けるやん言うてたの演技だっけ?

1014:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 21:49:20.06 5qk3bjvQ0.net
曹丕のもとに仕える群臣たちが劉備は負けると言った七日後に
劉備が負けたと知らせが来たとかそんなん正史で見た気がする

1015:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 22:23:58.26 PGL1NHIk0.net
蜀から呉へ攻めるって諸刃の刃なのよ
優勢なら急流使って迅速な補充や増援をさせることで押しきれるけど、一度劣性になったら川を遡れず撤退が難しくなる
劉備が夷陵でああなったのも、突っ込みすぎて撤退できないとこまで誘い込まれたから
曹丕は父親が何度も煮え湯を呑まされた相手というイメージが強かったのかもな
その頃は無頼漢だったが、夷陵の頃は皇帝を名乗るにあたって文弱になってて見る影もなくなってたのは分からなかったか

1016:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/01 23:24:48.42 QM0fQu0N0.net
朝に辞す白帝 彩雲の間 千里の江陵一日に還る、と李白が詩を作っているけれど、白帝城から江陵までが千里(約400km)で、1日で到達する距離ってことだな
季節によって水量が違うだろうし所詮は詩だから参考にならんかもしれないが三峡地域の川の流れの速さが伺えると思う

1017:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 06:45:01.01 PO79qjKd0.net
劉備が劣ってたわけではないでしょ。
破った呉が優れていただけ。
呉を攻め滅ぼせば蜀は自滅する。

1018:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 06:47:57.55 3W8IcLBs0.net
>>988
なお実際は逆だった模様

1019:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 06:55:04.72 lzL1gc440.net
晋も統一してわずかな期間であれだもんな
司馬炎じゃなく弟が皇帝だったら変わってたかもしれんが

1020:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/02 07:18:35.17 /xS87wG+0.net
次スレたのんます

1021:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/07 19:59:45.47 DzRPcjCh0.net
次スレ必要になったとたん止まるのは通例なんかね

1022:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/07 22:17:38.84 kHSxABQt0.net
次スレ立てた
何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか2
スレリンク(chinahero板)

1023:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:17:39.86 I8zcLN7P0.net
>>993
おつです  ではこっちは埋めよう

1024:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:17:59.17 I8zcLN7P0.net
埋め宮アンナ

1025:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:19:40.76 I8zcLN7P0.net
姜維の胸囲

1026:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:24:28.33 I8zcLN7P0.net
プロ劉禅

1027:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 08:24:54.62 I8zcLN7P0.net
諸葛亮「ほかにすることはないのですか?」

1028:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 10:13:45.85 f0fLjV+d0.net
>>998
曹叡「諸葛亮は自分で何でもしようとして、俺はこんなに頑張ってますよと見せびらかすことが生き甲斐だ」
この批判文ってわりとクリティカルよな
因みに極度のケチであることも逸話と共に併記されてる

1029:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 10:38:25.95 NkhSh9dY0.net
魏屈指の暴君に言われたかないだろ、諸葛亮も

1030:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 14:59:25.32 XBnA9spR0.net
>>999
この批評文どこにあるのかな 読んでみたいからよかったら教えてください

1031:名無しさん@お腹いっぱい。
19/07/08 15:07:05.98 f0fLjV+d0.net
>>1001
魏略→三国志明帝記
西暦228年の第一次北伐時に布かれてる
涼州離反に怒って作られたという説が濃厚


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