18/11/18 10:27:10.56 Rpw067SX0.net
なんで曹操はあんなに漢帝国の臣にこだわったのだろうか
601:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 11:10:06.40 sHSWMbiy0.net
だって先例が王莽じゃんw
あと皇帝はお飾りにして自分は周公旦気取ってる方が楽だし。
かったるい儀礼や祭祀もやらなくて済む。
602:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 11:48:09.33 mthxHawt0.net
>>585
王莽まで戻るまでもなく袁術がおる
603:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 14:56:11.64 RrNhDOeS0.net
自分が名分として担いでる漢王朝を中華統一前に廃するのって普通にリスキーでしょ、対内的にも対外的にも
曹操が劉氏ならやってたかもしれないけど
604:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 15:07:22.34 RrNhDOeS0.net
?劉氏なら漢王朝続くじゃねえか何寝惚けたこと書いてんだ俺
605:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 16:27:04.29 U8NmDSBO0.net
しかし曹丕が漢朝を廃してリスクがあったようにも見えないけど。
時期が違うから?
606:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 17:12:00.39 m+bQWhdL0.net
>>583
そうでもない
袁紹と同様に朝廷側の刺史と戦ってる
607:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 21:02:56.81 RrNhDOeS0.net
>>589
上の方にもあったけど内的には反抗勢力が吉本、魏諷あたりと一緒に粛清されて一段落ついてたのが大きいんじゃないかな
外的には劉備が漢の後継として即位して、名分の上でも完全に独立するっていうリスクが禅譲直後に顕在化してる
まあ外的な方は曹丕が問題視しなかったか、リスクを承知の上で禅譲を迫ったんだろう
曹操が道半ばで死んじゃったせいで自身の権威付けと体制固めを急ぐ必要があったしね
608:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 23:05:49.75 WRKi+FIN0.net
儀礼や祭祀を廃止しようとはしなかったのか
ポルポトのように家族廃止とか
609:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/22 21:00:01.94 Do9CDoDJ0.net
>>581
>前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった
西漢初期の頃は劉姓以外の王てんこ盛りで
韓信が2人も王だったりするしなw
長沙王呉著が跡継ぎ残さず崩じた紀元前157年までは普通に
劉姓以外の王が存在するので劉邦の遺言は長らく守られていない
既に魏公となっていた曹操が魏王になったのは
30年近く河首平漢王を自称した宋建を亡ぼした功績からなので
それも劉備の漢中王みたいな僭称ではなく正式に漢の皇帝から王位を贈られてるので
劉姓以外の王云々の不文律は曹操の魏王就任の頃には風化しているのは確か
それを現代においてとても問題視する御仁が出てくるのは甚だ謎
610:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/22 21:31:42.47 pfQ8MlcV0.net
後漢書読んでてビックリするのが、当時は袁術陛下以外にも各地に自称皇帝だの自称王だのがゴロゴロしてる
611:事。劉表にしても軍楽隊を皇帝に準ずるものにしたり勝手に祭祀やったりとやりたい放題。
612:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/22 21:54:23.51 6kcBR8Vj0.net
袁術みたいな貴種が皇帝を名乗るのとそこらの賊がそれやるのとでは全然違うだろ
613:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 02:09:42.26 f4QwBQDp0.net
何故、曹操は天下を統一できなかったのか?的な書き込みが結構多いなこのスレ
614:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 16:05:23.43 nolEQpVP0.net
>>596
そりゃ曹操が勢いのまま天下統一するのが一番可能性高かったんやから当たり前やろ
615:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 18:23:43.12 31RWJ3vm0.net
曹操は戦闘は一流だけど戦争はなぁ
616:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 18:48:45.93 qhcpy96D0.net
>>598
いや本人は戦争上手やろ
問題は部下に戦争上手がいなかった事
617:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 23:06:23.35 p6qBW2Ao0.net
>>596
スレタイに沿って話を進めると自ずとそういう方向に行くのはわかるけども…
もう少し中身のある話をだなって言いたくなる気持ちはわかるわ
しょうもない堂々巡りばかりやっとる
618:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 09:14:28.19 4blhEmPW0.net
>>600
というか大体答えが出てるからやろ
中原が一番荒廃してて回復するまで他の地域との差が少なくなってたと
619:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 10:20:14.41 3Ya1zYCp0.net
呉に周瑜と魯粛がいなければ他の重臣はみな降伏論だったので赤壁の戦いも起こらずとりあえず荊州と揚州は征服できていた
620:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 11:30:18.69 S2pIk9bv0.net
>>600
スレタイに沿った話題以外の中身のある話とは一体
621:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 15:14:12.87 uB/uPDITO.net
単純に騎馬の優位が生かせない戦いに弱かっただけでは?
622:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 15:25:33.84 4blhEmPW0.net
>>604
同様に騎馬運用に長けた劉備軍閥が
敵対し続けて最終的に蜀に篭ったのが痛かった
623:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 21:21:57.94 Y7iKjfvm0.net
袁紹に勝ってから、なんか片手間にやってる感じだな 孟徳は
624:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 22:17:43.63 216BhAF+0.net
河南を制圧するのに手間取ってるのがマイナスなんだけど、
河北の袁家に勝てたせいか、あまりマイナス扱いされてないのが不思議
625:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 22:53:47.20 aA5Fpyoa0.net
>>599
濡須口とかねぇ
626:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/30 08:25:07.00 ujJ6d3Xj0.net
>>602
呉が降伏すればもう終わりなのかね
ただ、漢中も西涼も益州も北方民族もあるんだけどね
627:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/30 09:31:26.16 1PSW+eQK0.net
>>609
劉備が曹操の下にいたままだったら
荊州>漢中>益州の順に落ちるから呉が降伏しなくても手も足も出なくなってお終いや
628:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/30 14:59:34.86 PUKJ/LhwO.net
そこまで行ったら、渤海の公孫政権も大人しいというか立たないか。
629:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/01 22:00:47.16 iRtMHtYn0.net
赤壁時点で涼州も劉璋も曹操に服してる
630:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 07:57:21.93 8SgWuXad0.net
やっぱり勢いって大事
曹操は時間を掛けすぎた
631:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 10:57:53.80 29B+z7ib0.net
苻堅「そだねー勢いって大事だよねー」
632:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 12:13:25.61 yb1Ulh1p0.net
>>609
呉が降伏したら終わりといっていいよ。
633:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 13:23:52.49 Wq3wTcKQ0.net
>>613
赤壁のあたりは勢いに頼りすぎだろ
なにせちょうど一年前は万
634:里の長城の向こう側に居た軍隊が長江の中流に居るんだもんな 疫病が発生したのも杜撰な行軍計画が招いたようなものだろう 郭嘉の病死も文字通りのデスマーチ環境に過労死させられたようなもの
635:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 15:44:57.87 bUunjGJr0.net
荊州を固めてれば呉はまともに抗戦できなかっただろうになあ
636:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 01:16:43.73 WxfDdQHT0.net
基本的に劉備が悪い
637:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 02:52:00.99 DuGdlNv50.net
荊州を攻略した時点で無理して呉を攻めるべきじゃなかったな
長坂で劉備を無理やり追いかけたのも失策だったように思う
638:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 03:11:27.49 2qeDHJNd0.net
諸葛亮のような慎重さが曹操にあったら荊州を失うことはなかった
639:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 08:31:20.35 Wlt68/7h0.net
>>619
というか呉を後回しにしてあくまで劉備の討滅を優先する選択肢ってなかったのかね
640:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 10:08:23.04 eSpYohcS0.net
>>616
まあその部分だけ見ればそうなんだけどね
大半の中華統一した君主は旗揚げや勢力引継から15年以内とかで統一してるからさ
それ以上時間を掛けてしまうと情勢的にどうしても膠着状態になるし
そうなるとある程度世代が変わって内部崩壊とかを待たないといけなくなると言いたかった
641:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 19:14:34.55 DuGdlNv50.net
>>621劉備を優先した結果が赤壁じゃない?
だから武帝紀や山陽公載記に孫権では無く赤壁で劉備と戦ったと書かれてるんだと思う
642:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 20:27:01.01 PO7WpRGr0.net
少し時間かけて内部を切り崩していけば
張昭らの北方名士と地元豪族が組んで、強硬派の周瑜魯粛をふん縛って終わりだったろうな
なぜ待てなかったのか
643:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 20:57:47.08 L1FAeAL00.net
降伏論でまとまりつつあったのをあとでひっくり返したのが魯粛と周瑜だから、
あのおどしの手紙が届くと同時くらいに攻め込んでればよかったんじゃなない?
644:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/09 19:42:14.01 xRAVw/bp0.net
覚悟を決めた魯粛が独断専行で劉備と手を結んで孫権を説得してるからね
降伏派にはどうしようもないよ
645:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/26 17:28:37.67 jBVbOmxQ0.net
>>616
当の郭嘉が数々のデスマーチを主催してる
646:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/29 13:17:32.98 UKNpbvhK0.net
>>624
孫権は周瑜を信頼してたよ。
待った所で内部崩壊は無かったと思うよ。
人をまとめる能力が孫・周にはあったと思うから。
647:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/29 14:16:41.75 E6AUCxty0.net
戦わずして勝つ、勝ってから戦うことが孫子兵法の究極と思い知らされるな。
自称曹参、夏侯嬰の後裔、自称劉氏の正統後継が名実の正統性を言い張り続ければ
益のない戦いになるわな。
曹操が蜀呉に苦戦したのは、曹操が劉備を「育て上げた」ことが原因かもな。
648:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/30 22:48:57.17 gswAnPHL0.net
>>628
親周瑜で気に入りの魯粛に進言されて初めて孫権は周瑜を召し返してたんだが
649:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/30 22:51:29.00 gswAnPHL0.net
正直魯粛が鄭宝について行ってれば呉は堕ちてたとおもう
650:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 09:29:51.40 eZN/CB+M0.net
周瑜がまとめたと言っても長対陣になったらボロボロ崩れていったと思うけどなあ
651:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 10:22:23.71 aH21q0b50.net
>>632
程公の人望に賭けろ
652:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 16:07:07.03 gD0UidOP0.net
>>632
崩れるの折込済だから黄蓋の偽降計が成功した
まあ長期対陣すると官渡みたいに両陣営崩れて
お互い崩れたり登降したりするのは普通にある
653:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 18:24:47.91 eZN/CB+M0.net
>>634
曹操と孫権の勢力比は官渡とは比べ物にならないから曹操の方が崩れる可能性はかなり低いだろ
654:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 20:14:33.25 reLRHx720.net
>>635
低いもなにも曹操は疫病での撤退が主な原因だぞ
655:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/01 13:23:59.21 mMInB3/9O.net
人が土地の風土に合わないっのは決定的な差だからな。
あの場で対陣を繰り返せば、曹操軍は何度でも大規模な疫病に見舞われるな。
ストレスが体調を崩して、重病にまでなるんだろう。
656:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 01:09:45.03 eqpZQ4Xn0.net
人口密集、不衛生な環境、不安定な食糧供給による栄養の欠乏…
軍隊生活は伝染病の集団感染を引き起こす危険要素を幾つもはらんでいる
特に、張羨の乱、赤壁の戦い、樊城の戦いなどの建安年間における荊州の戦乱では疫病の発生が史書に記録されている
傷寒雑病論の作者張仲景こと張機も、建安年間に孝廉に推挙され太守として長沙に赴任したところ、疫病によって親族二百人のうち3分の2を喪ったことから医学の道を志したという
西暦2世紀末から3世紀初頭の荊州はそれだけ疫病が蔓延する危険地帯だったってこと
余談になるけど、周瑜、魯粛、呂蒙などの呉の優秀な将軍が荊州で病死したこともこれによって説明がつくはず
657:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 11:14:18.61 370q+Nt3O.net
そんな時代に大規模な切開手術を麻酔もなしに受け、術後には二次的な感染症にすらかかっていない。
術中は大量出血しながらも、睡眠効果を誘発する飲酒までしていた。
当時は当然、無菌室も輸血もない。
疫病地獄の世界でこんな手術受けても、なんともない関羽さんは本当に超人過ぎるな。
死因が病没な常人程度ではまず生還不能だろうな…。
658:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 14:30:59.31 th3eckBR0.net
>>639
そういう関羽真理教布教いらないから
もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている
同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない
関羽よりも治療した医者を褒めるべき
659:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 15:27:39.53 370q+Nt3O.net
二次的な感染症に関しては、本人の異常耐性以外にどうやって説明するんだ?
関羽は切開手術中に肉食べて、酒まで呑んでたんだぞ。無菌室とはほど遠い不衛生環境だぞ。
さらには大量出血しながらの意識を失いかねない飲酒。
当然、そんな状態で意識失ったら現世に帰ってこれないだろう。
上辺だけでものいっちゃあかんぞ。
660:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 22:37:52.31 gudpfvNV0.net
関羽の手術談義すんの?
まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね
大規模な手術って肘だからね
自分の触ってみてごらんすぐ骨だから
後医者がヤブ過ぎる
完治した後に大分経ってから毒って
破傷風でも腕を落とすレベルだよ
661:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 11:45:24.85 rn9FO0Y/O.net
単純に関羽がリアル超人だったという話ですよ。
病没が死因な連中にはまず耐えられるような手術ではなかったろう、という理由も込めて。(当時の環境的に)
中国の正史には功績多大な戦略家、戦術家は多いが、関羽のような超人的な人物は、いうか大規模手術を簡易な戦場医療で完治させてしまうような超抗体の持ち主なんて関羽しかいなかったんじゃないの?
戦略、戦術は素人でもこのような超人は居るだけで戦局に影響するでしょうよ。ほぼミュータントだもの。
662:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 13:46:47.31 RkQ5NcS60.net
まあ、肘が痛覚があまりない部位とは言え
麻酔なしの切開手術だからな。
それに耐えただけでも超人だが、談笑しながら
酒まで飲んでたからな。
当時の酒が痛み止めになった?
最近RDR2でもプレイした?
ウイスキーなら西洋医療が未発達の時代には
痛み止めみたいに使われてたけどな。
しかも、痛み止めというのは術後の断続的な痛みの軽減に効果があるわけであって
術中の痛みを大きく和らげる、もしくは全く感じなくなるほどの
現代医療の麻酔レベルの信頼性があるわけでもない。
大規模とらえられるのは、関羽伝に盆に血が溢れかえる程と
書かれてるからだろう。
当然、輸血がなければ疫病に侵されて病没するような常人なら
そのままお亡くなりになられるわな。
疫病蔓延な世界での不衛生環境下での戦場医療だから
当然に本人の抗体も頑強でなければ、二次的な感染症にも当然かかる。
これも、病没が死因の武将では同じような手術には耐えられない理由にもなるな。
このような正史のデータをもとにすれば、関羽という武将は非常に稀で特異な武将で
曹操のように最前線においておけば、敵大将目掛けて遮二無二突っ込んでいき
敵味方の被害を最小限に抑えて、敵軍を沈黙させる働きが期待できる。
ホウ徳戦で額に矢が刺さっても戦えたという記述もあるが
これにしたって、なんの根拠もなしに兜をかぶっていて兜に矢が弾かれた
などというデマなどより、関羽ならば頭骨の厚みで脳に矢が届かなかった、とか
考察論を立てるほうが賢いと思う。関羽は常人ではないからな。
曹操も関羽を手元に置き続けられれば、南方攻略は楽になれたかもな。
曹操は騎兵を中心とした戦術指揮官を多く抱えてはいるが
被害は敵だって、出さずに勝つのが覇者の理想だろう。
(いずれ敵国だった国も自分の国になるので)
関羽の顔良斬り(刺し?)は便利すぎる戦い方。
関羽だけは俺も単独で戦況に影響できるような超人だったと思う。
プライドが高く、強情が過ぎるのもそんな人物だからだろう。
自分も他人と変わらないと自覚できていたのなら、唯我独尊を気取るはずもない。
663:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 16:16:08.85 66Q653fU0.net
関羽信者って正史もまともに読め無いのかな?
とりあえず戦場医療って何に?
664:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 17:12:13.65 rn9FO0Y/O.net
戦場での簡易医療だと思ってもらえればいいかな。関羽は武人なんだから、戦場の陣地で手術を受けていても不思議じゃないでしょ。
それと煽ることしか出来ないのなら消えてくれない?知識がないのはただの恥だよ。
665:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 19:53:17.51 goDzOGNt0.net
史料の断片的な情報を想像力で膨らませても妄想は妄想でしかない
それを知識と言われても、あなたがそう思うのならあなたが好きなようにしてください、ここ以外の場所で、としか言いようがない
666:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 20:19:34.61 66Q653fU0.net
>>646
それが肘の手術と何の関係があるの?
いきなり妄想垂れ流しされても
667:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 22:40:13.56 rn9FO0Y/O.net
答えられなくなったら妄想呼ばわりで締めるのか?
元より断片的な情報しかないのが正史だろうに。
てか、当時の中国の酒が痛み止めになる。なんてトンデモ妄想はスルーなのか?
妄想の飛躍度合いが一番酷いだろ。
668:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 23:46:47.69 66Q653fU0.net
自分で勝手に痛み止めの定義を決め付けて妄想って言われてもw
669:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 00:55:20.94 nwqWpXoYO.net
トンデモ妄想の原因は>>640と>>642だな。
それは俺じゃないから分からんわ。
上辺だけで中身がないからスッカスカな意見だから、理由を詳しく聞きたいところだが逃げたのかな?
670:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 03:03:20.33 ibnQob8L0.net
長い文書いても中身があっち行ったりこっち行ったりでなあ
671:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 13:42:15.93 McEwXnUP0.net
要点は関羽が凄かったか。当時の医療技術が凄かったか。
だな。
・共通点:当時は疫病が全国的に蔓延していた。
⦿関羽が凄かった
・大量出血を伴う切開手術を輸血も麻酔もなく、不衛生環境下で行い
二次的感染にもかからなった。
超人と呼ぶには十分な説明かと。
⦿医療が凄かった
・全般的に具体的な説明はなし。
>>640より「もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている 」
もっと危険で不衛生 と 処方確立 の具体的説明の欠如。
更に二次的感染は不衛生環境下での細菌感染によるものなので
無菌室のなかった時代に、その被害を完全に
抑えられる医療技術、薬方の説明不足。
中央、地方の医療機関の充実、医学会の発展の説明も必須。
でなければ、関羽の執刀医が同等の薬方と知識を揃えられていた説明にもならない。
>>640より
「同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない 」
・開腹手術と腕の切開手術の出血量の違いの説明の欠如。
出血量が多ければ、腕の切開手術でも命に係わるため。
>>642
「まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね 」
・どういうことなのか?これもまた具体的な説明がない。
アルコールはどれくらいの度数、酒量なら痛み止めの効果を発揮し
それが断続的な痛みが続く切開手術に耐えられるものなのか?
技術的に生成可能だったのか、現代の麻酔並みの信頼度があるのか、の説明不足。
>>639からのまとめを書いてみたが
関羽の超人っぷりは説明が簡単だが、当時の医療技術の説明は東洋医学の専門家でもないと
無理なんじゃないの?
672:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 16:22:54.48 pd/acrFo0.net
>>653
とりあえず正史の記述を丸飲みしてるのがな
肘が完治してから曇りや雨の時に痛む程度で
しかも時間が大分経ってからの骨に毒って診断ミスだし
673:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 16:44:56.80 NOZYSpE50.net
だからスレタイが読めねーのかな
ここは関羽のすごさを語るスレでも古代中国の医療技術について語るスレでもないのだけれど
674:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 17:09:59.48 HBJW7Bcy0.net
約一匹、>>639に猛烈に噛みついてるのが居るからな…。
答えられないならスルーすればいいものを。
関羽真理教布教だの、関羽信者だの煽ってる姿には懐かしさすら
感じるがいい加減に絶滅してほしいわ。
675:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 18:32:43.98 a9R6hr/I0.net
俺は司馬懿の深謀遠慮だと思うね
司馬懿が本気なら、孔明死後の蜀なんてあっという間に司馬懿に滅ぼされてるよ
死せる孔明生ける仲達を走らすは、ただのショー
じゃあ何で司馬懿は孔明死後の蜀を滅ぼさなかったか?
蜀を滅ぼせば、その軍功は大きすぎて、洛陽の宮廷から呼び出されて処刑される可能性大
だからあえて孔明死後の蜀を滅ぼさないようにしたんだろう
曹叡も愚かだよ
俺が曹叡ならば、孔明死後直後に魏延が勅命で処刑されたとの一報が入ったら、
すぐさま司馬懿を大都督に任命して30万の大軍を与えて漢中へ攻め込ませ、
同時に合肥には兵5万を派遣して満寵の指揮下に置かせ、
呉への守備を固める
そうすれば蜀を滅ぼせるか、少なくとも漢中は切り取れた
何せ魏延は長く漢中の長官であり、漢中の要害を知り尽くしていた名将軍だが、
その魏延がいないんだからね
676:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 19:39:52.71 xSFGTv2D0.net
愚かというか、曹叡は良くも悪くも現状の領土で満足してた気がする
だからほとんど外征やらないし、
孔明が死んでやったことと言えば、もう安心じゃ宮殿建て放題!!でしょ
677:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 21:28:10.33 ydsl95M30.net
晩年に司馬懿に遼東遠征を命じてたじゃん
まぁ公孫淵があくまで背かなければそのまま放置してたかもしれんけど
678:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 23:24:26.95 xSFGTv2D0.net
なんか話ずれてるなぁ
679:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 17:32:25.27 cB0ycXCW0.net
曹操があと5年長生きしていた場合、
関羽の仇討に出陣した劉備が夷陵の戦いで陸遜に大敗したという知らせを受けた曹操が、どう対応するのか気になるね
うまくいけば蜀は滅亡し、曹操が成都に入城。
陸遜なら息子の陸抗と違って永安宮(白帝城)を落とせるだろうけど、
益州での戦果はそのぐらいだろう。
天下は三分せず二分(しかも圧倒的に魏が優位なまま)となる。
曹操の跡を継いだ曹丕と呉の戦いもまた、史実と違ったものになるだろう
680:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 18:27:04.69 gM0RhW5i0.net
曹操が健在なら、劉備が呉へ東征する前提も絶対といえるかわからん
681:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 22:36:24.03 MB8+83r00.net
流石に曹操が健在なら迂闊に出兵はできないんじゃないかと思ったが、
その少し前に荊州兵だけで魏に喧嘩売ってるやつがいたのを思い出した
682:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 23:57:49.33 MB8+83r00.net
つまり当時の蜀は曹操舐めてる感あるし、
平気で夷陵出兵くらいやるかもしれない
683:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 00:59:16.49 cFmWXXOS0.net
その舐めてた奴がぶっ殺されたばっかやんけ
684:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 01:43:53.85 aOlew9/i0.net
曹操がもしも長生きしたらってifだけは考えられねーんだな
曹操は30年もの間広大な中国大陸を所狭しと縦横無尽に駆け巡っていたから
正直よく持ったなっていう感想しかわかないしあれ以上生きられる生命力を持った怪物だったらとっくの昔に中国大陸統一してたわ
685:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 05:41:44.16 2QIlpMNo0.net
洪武帝「30年程度でへばるようでは英雄にはなれん」
天命帝「じゃあ子孫も同じくらい有能っていうifはどうよ」
始皇帝「そもそも統一に30年もかかるか?」
686:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 11:16:41.55 JlZicAhJO.net
そもそも曹操の求心力が低下して、息子に権力のない飾りの地位に追いやられそうだ。
献帝とセットで自身の君主の座の禅譲も迫られたりな。
687:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 12:24:05.09 LZ+BAbLh0.net
氷河期だから補給線の伸びる益州方面は攻めにくかっただろうな
688:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 22:53:09.70 wE/l7AR90.net
>>667
始皇帝はスタート地点が良すぎるのでNG
689:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/09 23:05:53.55 BzKNq8RP0.net
「秦始皇や漢武の風を持つが、この2人にはわずかに及ばない」と劉曄に評されたのが皇位に就く前の曹叡
即位後は始皇帝や武帝のような大宮殿を建設したのは共通してるが
690:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/10 01:26:22.75 0FoUWDFc0.net
それって劉曄の機知を示すエピソードってどこかで見たな
曹氏でなく袁氏の種なのを「わかるやつはこれで察しろ」っていう
691:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/10 02:03:53.58 AqFwft230.net
○○は実は○氏の種ではないってネガキャン呂氏の乱からのテンプレだから
献帝も霊帝の子ではないってネガキャン袁紹にやられてる
692:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/10 22:10:10.04 f9h9CIao0.net
>>673
桓帝辺りから皇帝の親が侯とか亭侯とかの馬の骨だから
ぶっちゃけ皇帝が馬の骨の子だろうが知ったこっちゃない
梁冀が劉志(桓帝)でなく劉蒜を皇帝にしていれば
また後漢の命運も変わってきたと思うが
劉蒜は曹操の養祖父の曹騰と不仲なので
曹操と劉蒜系皇帝との関係は献帝の場合よりも厳しいものとなっていただろう
693:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 17:17:03.29 LVxQDZ+W0.net
氷河期で思い出した
赤壁の曹操撤退って疫病では無くて寒波による凍死なんじゃないか
予定外の戦線の膠着で冬支度が出来なかったのが原因か
694:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 17:39:54.22 IH8qFR7r0.net
氷河期てw寒冷期じゃないの
695:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 17:53:02.56 LVxQDZ+W0.net
>>676
長江が氷る事があるほど寒い時期なのを知らないのかな?
696:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 19:36:45.55 kV7h6T7I0.net
最近、三国志の出来事をなんでもかんでも寒冷期のせいにする風潮って何なん?
そういう研究成果や史料でも出てきたん?
697:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 21:20:07.48 riRfD/wu0.net
三国志に限らず最近の古代とか中世の研究って寒冷化現象を前提にしてるんじゃね。
698:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 21:35:00.33 IH8qFR7r0.net
地球寒冷化→凶作が続く→飢饉が慢性化→食いつめ者があふれる→野盗増える→
政治の無力化→民衆は新興宗教にすがる→農民一揆増える→武力でのしあがる時代→
これすなわち乱世
699:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/11 22:10:20.02 Z+CtGddG0.net
後漢皇帝じゃなく太陽が悪かったんや!
700:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/12 07:08:50.18 D09W7RH+0.net
>>681
いや、売官は悪政だろ
701:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/12 14:03:53.14 XTBsQXzQ0.net
レコード大賞への批判は禁止ですよ
702:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/12 21:04:52.57 t7Ugsk1V0.net
それは太陽が
させたことだよ
夏の太陽が♪
703:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 01:59:15.87 w8zfRXss0.net
太陽が眩しいから・・・宦官に政治任せっきりでもかまへんか・・・
704:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 20:21:12.61 tjCwM+P90.net
結論として漢王朝は亡びて当然だな
705:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 22:29:00.14 x1H5pfBQ0.net
>>686
たぶん中原の万民(知識人層)も、そう思ってたのだろう
朝廷が腐敗し黄巾の乱から端を発した乱世で国土が荒廃し、
もはや漢王朝に天下を統治してほしくないというのが中原の万民の気持ち
だから曹丕が帝位を簒奪して漢を滅ぼしても、誰も反発をみせなかった
劉備からすれば、中原の万民は曹丕の帝位即位に激怒するはずだ
万民は漢王朝の支配こそ願っているはずだと思っていたので、完全に当てが外れた
706:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/13 22:56:16.86 ZaXD2mEg0.net
でも、曹操が死んで曹丕が皇帝になった時期に地味に涼州で反乱が起きてるんだよね
蘇則が張既と協力してすぐに鎮圧してるがね
まぁこれは漢魏革命とは無関係な反乱かもしれんけど
あとちなみに、曹叡の正妻郭皇后は元は涼州の豪族の生まれだったんだけど、父親がこの反乱に連座したことで婢女に落とされて宮中入りしたんだとさ
707:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 12:03:46.80 0J7svsxX0.net
初期の五胡政権の漢王朝リスペクトも西晋アンチってだけで漢王朝を懐かしむとか漢室復興とか真面目に考えてた訳ではないし
708:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 17:16:09.03 +geDRalG0.net
>>681
飢饉が起きるのは正しい政治が行われていないから
つまりは後漢皇帝が悪い
日本の戦国時代もそんな思想だったよね
709:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 18:17:29.50 h+hNDqDT0.net
そりゃ凶作=飢饉では無いからな
金が無いからって売官なんて悪政してたら駄目だろ
710:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 19:05:46.09 3JqJQwjg0.net
売官は清もしてたからセーフ
711:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 20:50:13.36 h+hNDqDT0.net
>>692
セーフじゃねーよ
売官でまともな人材を遠ざけて宦官を内に呼んでまともな政治ができるか
712:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 22:03:56.95 MGdcHIH70.net
売官制度なんてのは近世フランス、あるいはイギリスなんかでも行われていたし世界史では珍しいものではないんだよね
我が国でも江戸時代に御家人株を買うことで裕福な町人が士分になることもあったわけだし
制度そのものの問題ではないよ
713:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 22:13:54.84 h+hNDqDT0.net
太尉や司徒を売ったのと同列に扱ってるのが間違ってる
714:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 22:37:33.98 MGdcHIH70.net
三公なんて録尚書事が付いてなきゃ名誉職と同じじゃん
715:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/14 23:06:21.29 0J7svsxX0.net
霊帝は地方官まで売ってたからアウト
716:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/15 02:02:13.43 bs+9Xjy90.net
>>695
曹操が西園八校尉に抜擢されたのも父親の曹崇が銭一億万を投じて太尉の地位を買ったからなわけで
曹操にとっては売官制度が出世の追い風になった一面は否めないね
717:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/15 11:21:12.57 9bN2hVI20.net
つうか売官のおかげで地方で苛斂誅求が激しくなったと聞くんだが
718:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/15 11:31:13.51 2FRjhAf20.net
>>699
地方官まで売ったからな。
所謂「三公」は名誉職で災害が起きたりしたら簡単に罷免されるけど地方官はそうも行かないから搾取し放題。
719:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/16 09:43:48.21 wMGtWuI60.net
現在行われている公共施設の命名権売却も、ある意味で売位売官制度の名残とみることもできる
720:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/18 17:07:57.46 4m/LmQ9D0.net
>>701
逆だろ
命名権売却はそのお金で運営費に充ててチケットなんかの値段が下がるが
売官の場合は勝手にチケットの値段を上げてその差額を私腹に入れんだぞ
なんか一人だけ後漢時代の売官の重さを理解してないな
721:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/19 20:58:04.44 vIWMpg6kO.net
金の力で現人神に成りたがる小物は、どんな時代にも居るんだな。
722:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/24 09:29:54.30 3yAl8hxO0.net
>>658
宮殿工事は諸葛亮の存命中の太和年間でもうやってる
723:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/24 10:12:15.82 KwzgC8nJ0.net
秀吉のような知略に長けた英雄がいなかったから
724:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/01 05:39:40.10 kw5MSu6+0.net
主要な所抑えちゃったからもういいやってなっちゃった
蛮族としか思ってなかったんだろ
725:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 03:47:59.46 Midiaszi0.net
普通に魏は何回も呉と蜀に侵攻かけて失敗を重ねてるんだぞ?
主要なところ抑えてたから良いやなんて思ってなかった
726:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 06:57:14.10 76wL9pTm0.net
>>707
蜀って2回目で落として無かったか?
そんな何回もって回数では無いだろ
727:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 07:59:23.80 gF8zTCnw0.net
姜維との戦いで数万人、諸葛恪との戦いで数万人とそれぞれ損害の記録がある
戦術的には相当な打撃、当時の人口からしたら国力に響くほどだったんだろう
戦術レベルで蜀、呉は大変優秀でそれが魏の物量、人口に対抗する状態が続いたんだろうな
728:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 11:29:47.84 Z2Vh6VYd0.net
>>708
230年に曹真が、244年に曹爽が征蜀の軍を率いて退いてる
なので鍾会は3回目だね
729:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 18:50:14.40 rgfLvgAa0.net
>>710
曹真のって大雨で途中で引き返しだろ
あれって戦争まで行っていたか?
730:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 19:30:17.36 8Kxn3R810.net
共産や社民党員じゃあるまいし
万単位の軍勢動員して敵国に攻め込むのが戦争じゃないって
なかなか斬新な意見だw
日本人の平和ボケもここに極まれりって感じがする。
731:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 19:50:14.08 MhaH4XcZ0.net
>>712
歴史を知らんのか?
計画だけで頓挫なんざ普通だぞ
732:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 20:09:34.96 nM8tctDB0.net
北魏あたりも南伐が負けた時には大雨とか理由に撤退してるからな
733:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 21:47:33.96 160wyWRU0.net
調べてみると曹真による太和四年の征蜀ってかなり大がかりなものだったんだな
斜谷道に曹真、子午道に張郃、西域から陸水路を通って司馬懿、武威からも兵が出てる
長雨で計画が頓挫してなかったらどうなってたかわからんね
734:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/02 22:00:10.57 MhaH4XcZ0.net
後主伝で諸葛亮が城固、赤阪で待ち受けたけど曹真は大雨で撤退した書いてあるな
肝心の諸葛亮伝ではそれさえ記述が無いから衝突は無かっただろうな
735:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 01:55:54.97 QGMPTtms0.net
飛行機輸送機があれぱどうかね
国土が広すぎて、右上から左まで行くのも大変だろ
736:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 05:58:34.28 bRbIuSfK0.net
夏侯覇が蜀征伐で先鋒をつとめ、蜀軍に囲まれピンチになったが何とか切り抜けたという記述がある
後、司馬懿が蜀の城を落としたりしてる
737:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 20:05:27.35 WgI6dZdn0.net
蜀が涼州を獲得していたら
738:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/03 23:27:33.44 8CpH/kAa0.net
>>710
孔明と魏延が死んだ直後の234年、235年に魏は大軍で蜀へ攻め込んでおけと思うわ
絶好の機会を逸した
魏が天下を統一できずに三国鼎立が長引いたのは、魏が好機を逸していたからというのも一因だな
739:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/04 11:08:04.76 HOFscGrf0.net
優れた将帥なら自分の死後に十分な備えを残してるだろうし
内政に関してだって後継を複数指名して念入りに体制を固めた諸葛亮のことだから
魏側もそういうのを警戒してたんでそ
740:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/06 01:28:56.83 57c9RtZL0.net
曹真の蜀侵攻失敗は兵力では損害少なそうだが
食糧などの補給物資の損害はかなり大きそうだな
741:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/06 01:58:36.68 76PJ26w10.net
明帝曹叡の代に度支尚書司馬孚の献策で(涼州天水郡) 上邽に冀州の農民を五千人移住させて屯田兵としたと晋書司馬孚伝にあるが、これはおそらくその埋め合わせの措置なんだと思う
蜀の北伐が兵糧や輸送の問題で頓挫していたのと同じ理由で魏の蜀侵攻もまた困難であったのだろうな
742:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/06 09:01:14.26 e/o5E/Am0.net
>>723
埋め合わせというか
蜀の狙いの一番が涼州の安定化阻止だって事に魏もある程度気付いていたって事やろ
743:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/07 23:40:04.35 SB656nn80.net
>>719 荊州統一も欲しい せめて襄陽だけでも関羽が落としていたら
745:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 08:19:39.95 I4ZfiwRU0.net
涼州と荊州持ってる蜀ってまんま北周やんけ。
その北周にしても粱と北斉の自滅がなかったらかなり厳しかったし
746:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 14:01:58.29 P5gqd/+R0.net
>>719
1回目の北伐の時に魏延の策を採用して長安落としてあとは函谷関を固めてれば良かったんじゃね?
747:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 22:21:35.92 IBltIl+f0.net
>>727
その前に劉備が荊州ではなく長安を攻めるべきだったな
そうすれば孫権が北上する可能性が有ったのに
748:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 22:48:00.69 C3OkDjZe0.net
実際劉備がなぜ即位後涼州に侵攻しようとしなかったのか不思議に思う
あの時期、麹演らが反乱を起こしていて魏の涼州統治に綻びが生じていたはず
まだ馬超も存命だったし介入の糸口は十分あったのにね
荊州方面も重要だが外交で先延ばしにする策も取れたと思う
後知恵でしたり顔で語るのもみっともないかもしれんが
749:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/08 23:57:45.87 uqvwNzHr0.net
身内の荊州閥が地元の支配の安定を求めたのでは?
平家打倒の旗印で挙兵した頼朝も配下の上総氏あたりの要請で関東の安定を最優先して
佐竹氏あたりを討伐してたはず。
750:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 02:27:04.19 Yht3focM0.net
劉備が死んだあとに劉璋の息子が反乱起こしてるのを見てると劉備の支配力はそんなに強くなかったんやろ
751:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 08:04:40.98 anhJqqYN0.net
結局、劉備の漢王朝復興なんてその程度だから魏からの反乱なんて望めないだろうね
752:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 16:02:07.06 oThnC47l0.net
>>731
劉循が?
そんなことあったっけ
753:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 16:15:19.28 boyaEQoF0.net
劉闡やろ。雍闓と一緒に反乱起こしてる(正確に言えば孫権から送り込まれた反乱工作員だけど)
754:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/09 17:47:34.45 XlrvZyQ+0.net
既に隴を得て、復た蜀を望まんや だろ さっさと鄴に帰って酒飲みたかったんや
755:名無しさん@お腹いっぱい。
19/02/23 00:35:05.80 7PyewkR50.net
「劉備が即位して、ひそかに期待していた中原の漢の忠臣は失望した」ってどこにかいてる?
756:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/09 07:33:11.51 cA8iOoIMn
何百年も戦争してるから、
757:一般の兵の士気が落ちている。遠征し過ぎ。
758:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/17 10:46:48.49 /Dp2KxFI0.net
じゃあ蜀と呉はどうすれば魏に勝てたんだよ?長安と合肥を落とせれば勝ち目が出てくるんだろ? [112216472]
スレリンク(poverty板)
書き逃げして遊ぼう
759:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/29 09:22:50.57 z+Mu4s8R8
なぜならそこに桜井誠将軍が居なかったから。
760:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/30 14:13:35.15 Osq34nL90.net
蜀に勝ち目があったとしたら魏に従う振りをしてひたすら頭を下げて生き残りを図りながら、外に脅威が無くなった魏が腐敗して内部崩壊するのを期待するくらいしかないと思う
761:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/30 15:02:14.70 Gqk7hJis0.net
別に頭下げなくても四川に引きこもって十年ぐらい国力造成に努めてたら何とかなったような気がしないでもない
曹魏は北に鮮卑や南匈奴の脅威が残存してるから本来は蜀遠征はリスキー過ぎたと思うんだわ
司馬昭って勝負師なところあるよね
762:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/31 09:20:03.54 O0sG+XOt0.net
>>741
あん時の昭さんって曹髦殺害&鍾会の讒言で嵆康(嫁が曹家の皇族)も処刑で外征してわかりやすい結果出さないと政権が持たなかったんじゃ。
結果としては博打に大勝ちして危険分子(鍾会、鄧艾、姜維)まで処分できたから笑い止まらんわなぁ。
なお後世の人気は最悪な模様
763:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/31 11:54:22.30 euyn0JhU0.net
仮に鄧艾鍾会の蜀討伐が失敗に終わっていたとしたら司馬昭も曹爽と同じく声望を失ってクーデターで失脚していた未来もありえたのだろうか
764:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/01 07:59:11.48 Mx750j3G0.net
曹爽よりは縁戚で身内固めてるとは言え、竇憲や跋扈将軍みたくいきなり排除される可能性もあるから昭さんとしては気が気じゃない心境やったんじゃないかと
765:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 07:14:37.41 a8sBZID+0.net
>>741
> 別に頭下げなくても四川に引きこもって十年ぐらい国力造成に努めてたら何とかなったような気がしないでもない
それはそれでジリ貧になりそうだが
766:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 11:51:13.12 a9B1N5N/0.net
引きこもってその間に優れた人物を見つけて国力増強できたら万が一って可能性はあるね。
767:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 12:22:48.73 JT4koPZz0.net
荊州人が益州人を支配する歪な状態だから無理だろ
768:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 13:18:37.15 7Fk8xDr10.net
劉禅は幽州人なのでは?
姜維は涼州人だし
769:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 13:32:25.65 wEjaadIe0.net
孔明も徐州出身やな
770:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 15:52:12.65 MCrsmfGF0.net
荊州人士と益州人士が対立した事例ってそもそもそんなに頻繁に起きていたか?
771:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:13:40.77 S2CxaX080.net
>>742
笑いが止まらない結果が孫や曾孫のグロ死に
772:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:18:57.31 E9WFkgW90.net
そもそも劉焉劉璋政権も外部出身の人間が益州を支配する体制だったしなぁ
773:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:29:28.42 eL5lBD7O0.net
鄧艾って大将軍としての軍事能力は諸葛亮が相手をしていた曹真や司馬懿よりも上なんじゃね?
姜維も諸葛亮の後継者として充分な能力があったがいかんせん相手が悪すぎたんだと思う。
あと姜維は諸葛亮と違って政治家としての資質がイマイチで蜀の内部に姜維反
774:対派を作り出してしまったよがまずかった、これで姜維は望む通りの軍事的展開を広げることができなくなった。
775:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:43:48.32 MCrsmfGF0.net
鄧艾って大司馬とか大将軍に任命されていたっけ?
征西将軍じゃなかったっけ
追贈で太尉か
776:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 19:55:27.88 ww/9tyyK0.net
曹真やしばちゅうさんの頃から関西ちほーの実効支配を進めて交通や農業のインフラ整備をやってきた積み重ねが段谷の圧勝やから
777:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/04 20:57:29.69 O8hsE6Im0.net
しばちゅうさんは司馬衷さん
778:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/05 23:36:14.70 E4n7aDA9O.net
関羽を攻めた年の始めに呉は目眩ましか魏に攻め込んでるけど
これがフェイクじゃ無くて本腰だったら劉備・関羽・孫権の三面北上が完成して魏も危うかったかもな
遷都をすら考えたという曹操の最悪の想定がそれだろうし
779:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 00:19:35.63 m6s0+62J0.net
>>757
呉で一番の戦略家だった魯粛は荊州を狙いながらも武力的な衝突を避けてたけど
なんとなく衝突した結果二国がジリ貧になる未来を予想してたのかもしれんね
780:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 00:19:45.92 4WIjsNQa0.net
>>750
蜀の人物の出身地を洗い直すとぶっちゃけ益州人は蜀の政権中枢にほとんどいないので派閥抗争に発展しようがない
李厳だの呉懿だの法正だの益州閥のレッテル貼られるような何かしそうな高官は大体他州出身
781:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 08:13:14.23 yHq3x/JD0.net
>>759
絶えず亡国の危機に直面してる人材不足の国だから出身地での派閥争いしてる暇ないんやろ
782:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 10:24:33.09 W+YODXJd0.net
>>748
劉禅は生まれは荊州
本籍は幽州になるかもしれんが
783:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/06 14:10:25.85 cyB5J1kY0.net
涼州って後漢末期に雍州に併合されてなかったか?
784:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 11:11:06.33 /8MM/195n
●部聡は、●フリートで、●波、起こしてますぜ
785:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 18:16:37.13 SsO7OjTB0.net
>>760亡国の危機に直面したのって夷陵直後と曹真の蜀侵攻と蜀滅亡の時ぐらいじゃね?
786:送信を一斉に
19/06/07 20:08:09.97
名古屋アベック殺人犯の犯人の男が浦塚葬儀屋をしてる、神奈川県横須賀市大矢部で、長身の男 事件の後遺症の膝が痛いとぬかしている 孫まで居る
隣の会社から騒ぎが伝わってきた会社に
787:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 21:56:33.04 1cQ8oZwB0.net
>>764
最初から最後まで満遍なく亡国の危機発生してて草
788:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/07 22:44:51.51 lX8ov7c/0.net
蜀取った直後の単刀赴会のあたりも地味にやばかった
劉備自ら荊州で呉の主力と対峙している状況で曹操の漢中制圧だからな
曹操が変に余裕ぶらないでそのまま蜀になだれ込んでいたら統一できてたのになあ
789:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 07:05:20.47 exFi566c0.net
>>767
軍事的な才能は 司馬懿 >> 曹操 ということになるのかな?
790:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 08:16:58.72 yOsueuwH0.net
そりゃ進言する側と決断する側じゃ立場も違えば見立ても違うわな
791:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 18:26:16.19 qrmTUAyW0.net
>>757
関羽が呉の食料を奪わなきゃ可能性はあったかもね
792:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 18:40:23.19 Ri2NJxIl0.net
隴を得て蜀を望むとか言い始めてやけにあっさり撤退したからなあ
793:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 19:25:23.97 qFdZTE+i0.net
>>770
まーだそんな地理的に有り得ない与太話信じてる奴いたのか
794:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:18:24.52 qrmTUAyW0.net
>>772
残念
湘関は蜀呉の国境関です
今の地図で湘水を見てもしょうがない
795:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:40:19.67 KMqXHc0H0.net
>>767
あいつは歳だしそんな気力ないわ。蜀行ったら死んでただろうな
796:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:46:42.13 qYJNUt5MO.net
膨大な食糧の運搬方法や、その人数の確保に万を超える捕虜が飢え死にしない迅速供給。こういった現実的な問題をどうクリア出来たのか?ということが明らかに出来ないとな。出なければ与太話の類、あるいは裏切りの正当化のための苦しい言い訳にしかならんよ。
797:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 20:57:31.07 5Uxg5Fks0.net
>>771
元ネタの光武帝は隴を得てから3年で蜀を平定してるからな
劉備との対決を恐れたのか孫権の方が与み易しと見たのか、一体なにを思って蜀取りを躊躇したのか分からんが結果論で言ったら大ポカもいいとこだよな
798:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 21:28:52.54 qrmTUAyW0.net
劉備や関羽が裏切るのって何時もの事やん
799:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 21:41:25.29 qYJNUt5MO.net
関羽って誰か裏切ったか?
800:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 22:01:47.33 qrmTUAyW0.net
>>778
同盟国の国境荒らししてるやん
801:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/08 22:14:26.06 qYJNUt5MO.net
呉書「異次元に保管してある食糧奪われたー!」
こうですか?
802:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 00:47:36.38 X9YP7V+p0.net
ジョミナンの妄想真に受ける奴まだいるのか
803:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 01:56:58.65 Rv+hNDoZ0.net
結局、湘関ってのが湘水のどの辺りに設置されていたのか、劉孫で荊州南部を分割した時に湘関がどっち側に帰属していたのかがはっきりしてないからなんとも言えないよね
804:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 02:20:27.55 n+XkLXrt0.net
5chぐらいだよね関羽が食糧を強奪してないのって否定してるのは
陳寿や裴松之もしてないよね
805:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 12:56:47.61 O/aDma3jO.net
陳寿は呉書を書いてないからな。
陳寿の場合は客観的に書いているから呉書のような無理やりな自国擁護もない。
今の三国志関連の本で関羽の強奪うんたら書いてるのが居たら、そいつは情報を整理して冷静に考えて客観的に物事をとらえることが出来ないバカということ。
肩書きだけは立派な物書きなんて腐るほど居るからな。
806:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 14:17:14.00 TmFAkO7P0.net
関羽の食糧強奪を歴史的な事実と言い張りたいのなら
1・湘関とはどこなのか?の所在の判明
2・戦争中に食料強奪に割ける人員がどれほどのものだったのか?という人数の証明
(蜀軍は三国の中で最も兵が少ない、そんな余裕はどこになったのか。)
3・2に伴う運搬時間、大量物資の運送手段の証明
(当然、軍事行動中の関羽軍に間に合うことが必須)
これら全てを正史の史料の中から証明しなければならない。
現実的に考えて、それが立証不可能ならばそんなことはなかった。と
言わざるを得ない。呉書による自国贔屓のでっち上げ。
807:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 14:37:24.67 n+XkLXrt0.net
>>785
1・呉、蜀分荊州、以湘水為界 時又置関水上以通商旅、謂之湘関
通商関 国境関で今の湘水の関では無い
2・陸遜の手紙で荊州守備兵を使っているしこの時点で呉を軽視している
3・関は川のすぐ傍で船で運搬ができる
4・当時の関羽軍は于禁軍の捕虜、賊に印綬を渡して規模が大きくなり過ぎてる
5・関羽は前から国境荒らしの前科がある
808:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:01:08.62 TmFAkO7P0.net
その答えでは曖昧過ぎるな。
1の答えは湘関の所在の証明になっていないどころか
自身で湘関の所在が不明であることを認めてしまっている。
もっと現実的に達成可能であったかの証明がなされていない。
それに最も重要な具体的な「人数」の答えが得られていない。
3は「川を使って運搬した」という史料の記述はどこにあるのか?
2、5に至っては客観性がないどころか、単なる関羽アンチの感情論に過ぎず
論点がズレている。
自分本位なシミュレーションに過ぎないのでは「関羽の強奪」があったことが
事実であるかのような恣意的な誘導になっていくだけ。
それは証明とは言えない。
809:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:19:18.96 n+XkLXrt0.net
>>787
1 否定派の荊州の南部というのは根拠がないって事でいいな
「人数」の意味が分からん
関羽が引き上げた荊州守備兵ではできない根拠をくれ
3 逆に川の反対側に関を襲うのに船を使わない方法をしめさないと反論にならない
2、5は正史に反論するならそちらも正史から反論してくれ
4は反論なしだな
810:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:35:11.52 TmFAkO7P0.net
いや、だから問題なのは
「関羽の強奪が現実的に可能だったのか?」ということ。
膨大な捕虜のための食糧確保を呉の食糧保管庫からの強奪によって賄った。
ということを「事実」として認識するためには
食糧確保のための膨大な人員と捕虜を飢え死にさせないための
迅速な食糧供給を可能とした「史料」からの証拠提出が不可欠になる。
つまり、3世紀の運搬技術法の説明。
3の「川を使って運搬した」という史料そのものがないのなら
元より論にもなってないし、それに対して反論のしようもない。
個人の「思い」に対する反論などしたところで決定的な証拠のない
単なる水掛け論になっておしまい。
3世紀の運搬技術で万を超える捕虜が食えるだけの食糧確保を
迅速にどのように行えたか?が論点であり、「それを行ったこと」は呉書の
自国贔屓なでっち上げに過ぎないということ。
現実的に不可能なことは行えないのだからそこには論点はない。
811:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:40:20.83 n+XkLXrt0.net
>>789
意味がわからん
「関羽の強奪が現実的に可能だったのか?」は
可能だったとしかいいようがない
運搬技術って輜重隊を知らないの?
812:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:42:28.86 YWcNOvdS0.net
川が近くにあるのに当時の詳細な運搬方法が確定してないから水運を利用してないは無理筋
813:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 15:50:17.88 TmFAkO7P0.net
その堂々巡りがでは湘関とはどこなのか?ということなる。
そしてその「数」の確保もどうこなしたのか?
万を超える数を食わせるだけの輜重隊などそれだけで
どれほどの人数になるのか?
あの時に関羽軍が戦場に居ながら同時にこなせることなのか?
こういう現実的な問題がまるで勘定に入っていない。
呉書が関羽裏切りの正当性をでっちあげて
それを呉書に記載した可能性のほうが高く
蜀書の著者である陳寿はそういう感情的な記述を避け
歴史的事実だけを冷静に淡々と書き上げている。
だから、呉書からの一方的な見解しかない。
814:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:17:44.40 n+XkLXrt0.net
>>792
結局、守備兵ではできないって反論ができてないな
>呉書が関羽裏切りの正当性をでっちあげて
>それを呉書に記載した可能性のほうが高く
>蜀書の著者である陳寿はそういう感情的な記述を避け
>歴史的事実だけを冷静に淡々と書き上げている。
>だから、呉書からの一方的な見解しかない。
不可能か可能かの話なのに
否定前提�
815:フ感情論でしかないな
816:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:32:30.27 O/aDma3jO.net
ついに鸚鵡返しだけになったか…。この流れも終わったな。
817:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:36:50.83 n+XkLXrt0.net
それと大義名分の話だけど孫権が茨州戦の後に漢王朝から賊討伐で驃騎将軍・荊州牧・南昌侯に任じられてるだよ
漢王朝からの王を僭称した劉備討伐を載せない理由がないのは不自然なんだよなあ
王の僭称なんて事実を書けないから消してる可能性があるんだよなあ
818:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 16:53:32.86 Gwx0p72l0.net
そう言えば関羽の捕虜となった魏兵ってどのくらい無事に帰還できたんだろ
魏の捕虜になったら埋め埋めか京観にされそうだけど、蜀漢では如何?
819:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 17:27:56.32 O/aDma3jO.net
結局、湘関の場所はわからず終いか。存在しない場所から食糧とられたー!とかなんか韓国人並の難癖の付け方だなw
820:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 17:45:56.56 5SOFrR3u0.net
そもそも「呉の裏切り」とかまんま演義史観やんけ
それこそ蜀志でも関さんメタメタな評価なのに
821:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 17:52:58.35 T28kydKi0.net
スゲエ
反論出来ないからレッテル貼りなんて完全な敗北宣言じゃん
822:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:11:38.44 O/aDma3jO.net
>>786の時点で言葉のキャッチボールが成立しなくなったからな…。反論も何も答えに窮すと論点ずらしばかりで、結局湘関の場所とかすっかり答えなくなったし。
でもって、所在が分からない場所から食糧とられたー!と言い続ける。レッテル張りじゃなくて似てるじゃん。
まあ、答えられないんだったら不毛だしね。それ以上は無駄でしょ。
823:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:19:25.74 0akeQ8b80.net
>>800
こいつ2垢使って反論してたの
気持ち悪い奴
824:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:38:25.85 O/aDma3jO.net
家に居る時はPCで、今は外だから携帯で。何かいけないことしてる?
ハッキリ言うと今は携帯だからPCは使えんよ。長文の質問も出来ない。
こんな時に都合良く自分の味方なんてやってくるのが不自然だし。
てか、そんな意味のないことなら次の議題で一つ。
曹操が関羽に対して、荊王の位を追贈したのは正史だっけ?演義なら、明の時代の関羽と孫権の差で分かる話だけども、正史の時代なら孫権って関羽の墓守を命じられたらようなものでは。と思ったよ。
825:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 18:50:55.45 n+XkLXrt0.net
>>800
何、詳しい場所が分からなければ捏造なんて説は初めて聞いたよ
とりあえず関羽が食料を奪える可能性を証明したのを認めてくれないか
826:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 19:23:50.48 O/aDma3jO.net
場所が分からなければ奪いようがないでしょ…。
それに水運を利用したとか、そういう正史に書いていないことを勝手に妄想して、あったことにする ことの方が正史の捏造行為に当たるんじゃないのか?
ないなら、作ってしまえ、考えてしまえ、な発想こそが捏造行為の源泉に当たると思うんだが?
827:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 19:49:29.22 n+XkLXrt0.net
>>804
関羽の行動範囲には有ることは理解できないの?
それと公安、南郡と襄陽を地図で見てみろよ
水運を利用しないでどうやって運ぶんだ?
あといいかげん俺の質問に答えろよ
828:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:34:08.58 O/aDma3jO.net
その行為が捏造だろ。権力者みたいのが居て、それが採用されたらめでたく正史の捏造が完了して関羽は正式に呉から食糧を奪ったことになる。
元々の正史に書かれていないことであってもな。
何か質問とかされたっけか?関羽の私党が膨れ上がったことなら、それは曹操の領土内での話で位置的に関羽軍の直参となって合流するのは無理があるんじゃないのか?
829:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:41:38.57 n+XkLXrt0.net
>>806
君のしている事が根拠の無い捏造なんだが
詳しい場所が分からないのは湘関だけだと思っているのか?
とりあえずしたしてない別にして関羽は食料を強奪できたかできなかったかどっちだ?
830:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:49:18.96 O/aDma3jO.net
また鸚鵡返しなのか…。まあ、日曜日夜の暇つぶし程度だから別にいいけどね。そろそろ、気力も失せてきたけど。
831:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 20:55:11.77 n+XkLXrt0.net
>>808
鸚鵡返ししか言えないの?
一度もまともに反論がないんだけど
832:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:02:36.80 n+XkLXrt0.net
反論するなら関羽が自領だけで食料を賄えたって根拠をくれないか?
茨州を水運を使わないで食料を運ぶ方法も
833:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:04:53.12 ikgHpfKL0.net
そもそも呉書はご都合主義が強いとは言え捏造と断定出来るほどの根拠出してたっけ?
834:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:05:37.76 O/aDma3jO.net
それは単なる関羽アンチ感情論と言ったはず…。俺が関羽信者の感情論で捏造合戦を続けることがお望みか?
正史の記述から暴走した見解にはもうつき合えんわ。俺はもう去るわ、お疲れ様。
835:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:08:54.74 n+XkLXrt0.net
>>812
結局、君は何一つ根拠を出さずに逃げ出すんだね
836:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:42:20.98 07o9CfOe0.net
そもそも関羽の食料強奪が「捏造」と断定してる研究者とかいたっけ?
最近出たユリイカの三国志特集でも例によって非難されてたけど
837:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/09 21:47:59.35 A+tsperS0.net
魏使於禁救樊,羽盡擒禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米。
どこぞの関羽信者の感情論で呉書(呉志)は陳寿が書いていないから捏造とか
臍で茶を沸かす事言ってるけど
少なくとも陳寿が検閲して採用している時点で事実なんだろうと認識できるけどな
もし少しでもわからなければ例えば孫堅が玉璽を手に入れたとかみたいに
複数の野史に載っていようが本記に載せない
呉書(呉志)を否定するという事は陳寿の信憑性の薄い史料を排除して完成させた
史官としてのプライドもその結果の「三国志」も否定する事になるな
838:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 06:54:21.24 i5t0qW260.net
>>812
今来たがちょっとあんたメンタル弱すぎだわ
839:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 08:21:30.25 YMpbEB+X0.net
陳寿が仮に呉書の内容に納得が行かなかったら蜀志で反論するはずなんだよね。
蜀志では孫権は皇帝扱いされてなくて呉王って呼ばれてたり権とか呼び捨ての時すらあるから。
結局は陳寿としては「呉人は都合の良いことばかり書きやがって……」と苦々しく思いながらも反論出来る材料ないからスルーしたんじゃ
840:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 08:46:48.71 X/2ioxDA0.net
道義性の問題としては関羽が兵糧押収したかどうかなんて些細な問題だと思うけどな
みんなが何でそこまで熱くなるのか理解できん
841:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 09:43:24.83 fHA9n8Sl0.net
>>817
陳寿はそういった理由で筆を曲げないから記録の少ない入蜀までの蜀の記述が簡素なんだよ
842:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 10:30:52.46 l9/WXxjd0.net
>>819
劉ショウとかボロクソに書いてるし普通に筆曲げてるぞ
843:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 10:37:13.65 fHA9n8Sl0.net
>>820
それ曲がってるのか?
844:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 10:50:23.61 l9/WXxjd0.net
>>821
845: 曲げてるだろ 劉備達の私欲で国取りしてるのに不幸とはいえないとは だいたい曹操に降伏しようとしたけど全部部下に裏切られただけだし
846:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 11:20:45.73 G9HxgPKS0.net
蜀の旧臣は劉璋を裏切って劉備についたからな
よしんば劉璋が史書に書かれてるほど無能ではなかったにしても、彼らの後ろめたさを払拭するためにも劉璋のことは悪く書かざるを得ないんじゃないかな
馬謖の参軍を務めた父親をもつ陳寿もその当事者だったってこと
陳寿は完全に中立の傍観者として執筆したわけではないから、ものの見方に多少のバイアスがかかっていると思う
847:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 11:49:59.29 fHA9n8Sl0.net
>>822
それ貴方の感想やん
848:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 11:52:56.06 fHA9n8Sl0.net
蜀志には蜀志の立場があり
魏志には魏志の立場がある
当然呉志にも呉志の立場があって
陳寿はかなりバランス取れてるよ
劉備を叩かなきゃ筆を曲げてる事になるとかアホもいいとこだわな
849:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 12:03:46.48 l9/WXxjd0.net
>>824
正史読めよ注釈あるから
正史を読んでもないアホに言われる筋合いはない
850:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 12:57:14.29 SGVNkEMN0.net
どうでも良いことによく無駄な時間掛けるなw
851:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 13:04:05.03 YGhXKOKJ0.net
呉志は取材はできただろうけど降伏してからあんま経ってもないし孫酷に粛清された奴も多いしで
実際どんくらい取材できたんだろうな。あんま聞くとお前の王朝滅びたけど気分どう?になるし
852:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 15:10:54.75 edlowbed0.net
周処「(あなたがかつて仕えていた)蜀は呉よりも先に滅びました。国の滅亡に口惜しい思いをしたのは、一人に限りませんでしょうよ」
853:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 15:30:18.80 V/+wKuSi0.net
>>828
呉から晋へは投降者ぞろぞろいたから情報はとれた気がしなくもない
854:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 17:30:15.04 vuBO4BDu0.net
陸凱の上奏文とかも掲載してるんで呉人から資料を貸してもらったりしてたんじゃないかな。
855:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 19:05:58.90 NFyCe+4j0.net
>>818
視野狭窄に陥ったのかもね。
呉の食糧を奪ったことになったら天下の義士とは思われなくなる!みたいな。
歴史を広域的に見れば、その程度で関羽の義人としての特性が
失われることなんてないことは明らかなんだけどね。まあ、孫権は軽視したけども。
それに関羽は没後にすべてを水に流して、中華全土、今では中華圏全域の人を
守り救う偉大な神になってる。
今や関羽自身がネットでの中傷に対するスルースキルが完璧なんだから好きなら>>812は
それに習ってみようや、と言ってみる。
856:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 19:50:48.00 RoqtL9UU0.net
関羽の最後って城の兵士見殺しで
身内26騎で逃げ出してるよ
陳寿も自業自得で死んだと評してるし
857:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 20:27:23.51 G9HxgPKS0.net
まだ関羽の話題続けるつもりかよ…
多少の脱線なら付き合うけどスレタイ見直してそれでも納得いかないなら別でスレ立てようよ
858:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 21:02:53.62 dy8EKhrxO.net
結局、皆関羽が大好きでした。
859:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 21:16:08.72 L1QZqpW/0.net
大衆人気のある三国志のなかでも一番のスターだから仕方ないな
欠点を認めようとしない原理主義者からアンチをこじらせた単なる馬鹿までファン層は幅広い
みんな関羽の虜なんだ。
860:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 21:53:54.83 3Enc4vJX0.net
関羽は面倒くさい奴だ
関羽のファンはもっと面倒くさい
関羽の話題になると面倒くさい展開にしかならない
861:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 22:44:45.32 V/+wKuSi0.net
歴史ゲーム板にもいるよ関羽厨
関羽の話題になるとあーなる↑からあっちでは絶対に触らない
862:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 22:53:27.46 TUjvILDJ0.net
ほんとに関羽厨って自分の都合で蜀スレさえ荒らすからな
宗教だからキチガイが多いんだろうね
863:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 23:06:35.67 dy8EKhrxO.net
秋元康はアンチは無料の広告塔って言ってたそうな。有り難いもんだね。頼んでもいない話を広げてくれるなんて。
864:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/10 23:17:13.53 CLof6NjR0.net
関羽厨は勘違いをしてるなあ
基本的にアンチは関羽では無くスレを荒らす関羽厨を嫌いなんだよ
だから関羽アンチでは無く関羽厨アンチって呼ばないと
865:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 12:07:38.68 bLvFy6HA0.net
話題変えてここからは楽毅の話をしよう。
866:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 15:06:45.06 1qaseOleO.net
新楽毅結衣
867:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 16:28:48.26 lOFz9gIP0.net
楽毅って夏侯玄が楽毅論編纂したってことと
戦国の強い人?ってことくらいしか知らない
スレタイと絡めて何かあるのかな
868:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 17:03:48.51 aRnmjDsl0.net
楽毅は燕の昭王の「隗より始めよ」という人材登用に応募して仕えた。燕は少し前に大国斉に攻められて
滅亡しかけたので昭王は人材を登用して国を再興し斉に仕返しすることを望んでいた。いろいろあって
燕・韓・魏・趙・秦の5カ国が連合して楽毅の指揮で斉に攻め込んで斉王が逃げ込んだ莒(キョ)と即墨と
二城を残すのみというところまで行った。しかし即墨に籠る田単はしぶとかった。なかなか落とせないでいるうちに
昭王が死んで楽毅と仲の悪い恵王が即位すると田単は恵王に離間策を仕掛けて楽毅を解任させることに
成功した。かくして斉は亡国の危機を脱して息を吹き返した。でももう東帝と称した頃の勢いを取り戻すことは
出来ず強大化する秦に対抗できる国はなくなった。
三国志と絡めると諸葛亮が荊州で寓居してる時に自らを管仲や楽毅になぞらえていた。
869:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 17:28:35.66 FKQJgCQg0.net
この流れはスレタイとどう関係有るの?
870:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 18:41:12.10 lOFz9gIP0.net
曹操が戦上手の若い司馬懿を大抜擢してもっと早くから前線で指揮を取らせたら
統一が果たせたかもとか?関羽の時も呉を抱き込むアドバイスしてたっけ?
871:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 19:23:31.35 ecFk7qM90.net
その頃のしばちゅうさん軍司馬(高級参謀)で指揮とか自分で取ったことなかったんじゃ
しばちゅうさんが軍の指揮を任されるのは曹丕の代になってから(その頃も数千程度で本業は内政)
872:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/11 19:55:25.74 yuXFyib30.net
誰?
873:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:05:51.27 NhdNfhmt0.net
司馬懿は確かに戦上手ではあるけど
基本、攻められてから反撃するパターンが多くて
例外は孟達の裏切りを阻止したのと燕侵攻ぐらいで
大規模な侵攻作戦とかやった事ないから韓信のような役割ができたかどうかは分からんよな
874:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:23:16.99 wDpRb7U10.net
>>848
政治的実績が州大中正で身内が馬鹿だらけだから内政を本人が主体でやっていたのか疑問が浮かぶ
875:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:41:20.05 80xaX3dc0.net
農政とか実務系の能力は高いだろうけど政治構想とかは苦手なんかな。
876:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:42:32.64 kxHpKwHQ0.net
>>850
韓信ほどかは分からんけどそんだけやってれば十分だと思う
877:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:48:52.15 VOHWYXnk0.net
大規模侵攻は相手陣営が臨戦態勢に入る前か
屋台骨が腐りきってからが定石だから
三国時代のように互いに陣容を整えた後ではもう無理
内部崩壊を待つしかない
878:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 20:54:31.94 2qPEgHhC0.net
>>852
そう書かれると董卓と似てる
879:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 21:20:14.49 jxY89AMT0.net
曹操が漢中行った時劉備の軍は引きこもって曹操軍ばかり損耗してったとかそういうのどっかでみたけど
実際劉備の兵力ってどんなもんだったんだろ 関羽がピンチの時援軍出さずに漢中王になったりしてたが
あれってまだ呉の裏切りに気づいてなかったから援軍出さなかっただけ?陸遜がフタしてたから届かない
だろうけど
880:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 21:38:43.19 Dq++DEW50.net
漢中から上庸へ劉封を派遣して孟達に合流させた位かな?
881:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/12 23:23:35.94 JMcLpAxd0.net
>>849
しばちゅうさん=司馬衷さん
882:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 06:46:58.79 NrgTJd1N0.net
>>856
中国版wikiだと劉備軍7万(多分張飛馬超等の別動隊や異民族含む)
曹操軍10万
219年05月 曹操軍漢中から撤退
219年07月 劉備漢中王僭称
219年07月 関羽軍と于禁軍が衝突
219年08月 于禁軍大雨で壊滅
219年10月 関羽軍と徐晃軍が衝突
219年閏10月 呂蒙軍荊州に侵攻
219年12月 関羽呉軍に偽降の末逃亡して処刑
さすがに劉備が本気で関羽に援軍出していたら
援軍の先鋒が陸遜軍と衝突しててもおかしくないがそういう援軍の記述はない
魏の樊城への援軍や呉の後の三方面の戦いとかほぼ休みなしで連戦してたりする軍もあるので
関羽に援軍が無いのは劉備が関羽を見殺し
もしくは蜀が他国の動静に疎い情弱
もしくは蜀の国力が連戦に耐えられんぐらいの脆弱
もしくは蜀軍が連戦に耐えられんぐらいの貧弱
なんでしょうな
883:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 12:28:34.29 k5ITKzgp0.net
>>859みたいな蜀アンチをこじらせたアホはこのスレには不要かな。
誰にも迷惑掛けないように首吊って死んでください。
884:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 12:54:09.88 r4ncvXQbO.net
とりあえずスレタイを確認するべきだな。曹操軍マンセー!なスレじゃない。
885:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 14:24:24.71 eZ1FPnky0.net
何でアンチ活動に走るんだろう
蜀漢=雑魚としちゃうと司馬昭になるまで蜀漢を倒せなかった曹魏とか雑魚以下になる負のスパイラルに落ち込んでいくだけだと思うんだけどね
理解に苦しむ
886:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 18:54:50.38 G3/hNCFL0.net
>>859の意見はかなり偏向的な物言いだが、それでも情報としては
なかなか面白いと思う。
魏は大国故に継戦能力は高いが、前線の指揮官に蜀や呉のような
天下に名を轟かす豪傑や地の利を生かしたスペシャリストがおらず
将として格落ちしてる部分は否めないから苦戦したんだろうな。
現に対関羽戦でも魏は于禁、曹仁、徐晃と名将三人を当てて
ようやく撃退に追い込むくらいしか独力では出来なかった。
圧倒的な物量が魏を支えていたんだろう。
887:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 19:41:22.87 fjjc5J600.net
>>859中国wikiの曹操軍10万、劉備軍7万は何の史料�
888:ノよるものなんだろうか?
889:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 21:42:18.50 cn0JF8Wk0.net
長江を使った通信網も下流から上流へは機能しないってことと
呉軍が裏切るとは予想もしてなくて備えがなかったということなんやろね
制したばかりの地から兵を送り込むというのも現実的には難しい話だし
890:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 22:09:48.91 YtWa3TZ40.net
劉備は動く準備をしてないし 曹操は慌てふためいてるし
関羽の北上って完全に独断で行ったものなんか?
同時に起きた反乱は北上に呼応したものなの?
関羽的には襄陽欲しかっただけなのか
呉の裏切りなくてもワンチャンあったんかな
891:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 22:26:17.74 oIj0CHET0.net
関羽さんのフライングだったんだよ。
呉と仲良くしとかないからこうなった。
892:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/13 22:54:22.28 YtWa3TZ40.net
なるほどフライイングかー
そもそも曹操が漢中に来なかったら
呉と蜀がケンカ始めそうなくらい険悪だったよね
893:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 00:35:14.70 fSfsVhTc0.net
そもそも関さんどの辺まで攻め込む予定だったのかが不明
桓温が北伐やった時も涼州と益州の別働隊と連動して洛陽の一時期占領が限界だったので動かせる軍勢が荊州軍しかない関さんが何処まで目指してたのかと
894:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 01:29:45.63 jq0lbf8V0.net
許都付近の叛乱は関羽が煽ったやつが多い
ただその叛乱が関羽や他の叛乱とタイミング合わせずに散発で終わってしまうこと多かったから
関羽の方も焦って動いてしまった可能性があるとかなんとか
895:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 02:35:54.42 ouwapXHk0.net
広さと通信の問題で連携はまともに取れないのが普通。定石通りに失敗しただけだな
896:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 10:52:13.80 jHrdAD1uO.net
呉や蜀に較べて最前線の魏将は格落ちなんて検討違いもいいとこ
897:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 15:19:58.35 uB6FDIxj0.net
>>863
さすがに于禁や曹仁や徐晃が格落ちとか有り得ん
それでは関さんが手も足も出なかった楽進よりも格下になってしまうぞ
曹洪だって絶好調だと張飛馬超を一蹴するしな
勝敗は兵家の常だよ
曹仁とか徐晃とかは関羽と戦う前に戦役有って連戦なので万全の状態ではないのは確か
898:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 15:22:31.99 uB6FDIxj0.net
>>865
さすがに長江下流から上流への通信網が機能しないは有り得ん
もし通信網が機能しないならば215年の荊南三郡争奪戦で
劉備が素早く公安まで戻ってくるのは不可能
899:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 22:19:06.47 nISFU8gHO.net
>>873
楽進には船を数隻燃やされた程度じゃなかったっけ?
それに手も足出なかったら、楽進はあっさり荊州制圧出来ているのでは。
900:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/14 23:47:51.78 5mZOi4D50.net
国力で下駄履かせてもらってるだけで辺境の弱小国に手こずって成果を挙げられないような奴らは無能と言われて当然
地の利なんぞ他の時代の本物の英雄ははね除けてるわ
901:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:11:55.02 x3If+m4R0.net
于禁や曹仁や徐晃も諸葛亮と比べたら将としての質は落ちるのではないかな
統率力や兵の訓練、戦場での駆け引き、用兵は諸葛亮が一枚上でしょう。
902:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:26:33.41 DdhgMbZzO.net
結局、一番の大国でありながら苦戦してるとなるとアドバンテージは巨大な国力になるんだよな。
関羽、張飛は南北朝~隋くらいまで三国時代の二大豪傑として語られその後に伝説化し神になる。
諸葛亮も武廟の十哲入り。(三国時代からは諸葛亮のみ)
この三者は明らかに格上じゃないのかな。
903:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 00:54:24.66 m8TwFvte0.net
>>877
KOEIのゲームの話ですか?
904:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 01:07:40.41 4/mgRrWY0.net
>>871
最後の北伐と合肥新城への呉の侵攻はうまく連携できた稀有な例なのかな
呉蜀同時侵攻でも結局魏に守りきられちゃったのは諸葛亮の死が響いた?
蜀は総力上げて臨んでたけど孔明生きてても結局また兵糧尽きて撤退してたかな。
905:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 02:41:18.34 /pwDet5h0.net
どんなに上手く行っても長安を一時的に占拠するくらいにじゃないかな。
政治的な効果はわからんけどね
906:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 02:52:07.41 x3If+m4R0.net
>>879
于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
>>881
函谷関を抑えれば大丈夫
だから1回目の北伐では思い切って魏延の策を取り入れても良かったと思う
結果論だけどね
907:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 03:36:13.24 4/mgRrWY0.net
>>881
なるほどー長安とれたらすごいな
だけど魏は王経負けた時もそうだけどおかわりがジャンジャン来るから
戦線維持は難しそうね国力的にも。
908:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 05:53:05.13 jnzCnvA90.net
>>875
楽進は少なくとも2度関羽と戦っているけど
いずれも関羽が攻めて楽進が守って関羽が退けられている
楽進はただ守っているだけだが楽進が生きている間は関羽は魏に侵攻成功する事は無かった
曹操はは赤壁のトラウマか赤壁後は長江超えて本格的に南部制覇しようという気概が感じられない
基本的に重要拠点守って蜀方面は巴蜀漢中の人攫いして終わりで呉方面は大規模援軍で孫権に威風を示すだけ
巴蜀漢中の人攫いは戦術的に成功だが結局漢中放棄したので戦略的に失敗
孫権に威風を示すのは最終的には孫権が下ったので戦略的に成功したが後に曹丕がおじゃんに
909:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 12:11:58.84 DdhgMbZzO.net
つまり、物量差が生きたということか。
910:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 14:12:09.05 8nd1uibf0.net
魏が苦戦した理由となればそうなるな。
まあ、将器の上下の話になるとファン意識も絡んできて
めんどくさくなるが現実的に見ればそうなる。
911:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 17:33:19.32 2s8uVp290.net
漢中の曹操もだけど、曹丕も夷陵の戦いの時に孫権の時間稼ぎを許さず呉になだれ込んでいれば天下統一の好機だったのに
本当にここぞというときにアカン親子だな。
912:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 18:40:07.65 y/QNMmmL0.net
>>887
夷陵は劉備が無能過ぎて曹丕もまさかの呉がほぼ無傷とは予想できんだろ
913:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 22:09:48.58 VIL2b5vf0.net
毛沢東が参考にしたように三国志はレベルの高い勢力争い。ライバルがいない統一戦をくぐり抜けた王朝は異民族に大敗して歴史に汚点を作っている。
914:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 22:47:28.50 NHH91WtC0.net
>>887曹丕は選択ミスしすぎだわ
夷陵後に呉を攻めるのではなく蜀を攻めるべきだった
あのボロボロ状態の蜀ならいくら戦下手な曹丕でも滅ぼせただろ
蜀を滅ぼして長江上流域を確保したら呉に対してかなり有利になった
915:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 23:34:57.35 eOJHZIEW0.net
劉備と陸遜が対峙している時に呉を攻めれば良かったのでは?
呉に対しては攻勢正面が広いが蜀は山だし侵入口がかなり限られる
916:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/15 23:46:25.86 y/QNMmmL0.net
>>891
それこそ、「たられば」だろ
劉備が一瞬で敗れるなんて予想できないから後手�
917:ノ回っただけなんだから にらみ合ってる状態で攻め込むなんて博打を打てなかった 下手すれば呉蜀に攻められる危険があるし
918:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 00:54:14.89 lD7NEWfn0.net
>>882
>于禁軍が諸葛亮軍に勝てると思う?
KOEIのゲームの話なら無理だろうね
919:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 03:06:35.77 vGfjemlo0.net
>>889
三国時代を制した西晋だって異民族にやられてるけどな
920:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 04:26:07.62 iU3Er/0W0.net
>>893
史実でも于禁はそう簡単に諸葛亮に勝てるとは思えないな
どちらも統率力と手堅い戦い方するという意味では同タイプの将軍だと思う
于禁の方が融通のきかないとこあるし諸葛亮の方が搦め手が使えるので諸葛亮有利かなって感じだと予想するが
921:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 04:28:17.71 iU3Er/0W0.net
>>892夷陵って1年近く戦ってるから全然一瞬じゃないぞ
その間、何もしなかったのは魏側のミスだと思うわ
922:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 10:06:10.85 fS5oD6mp0.net
曹丕即位直後から涼州でぼつぼつ反乱が起こってたからその鎮圧で手一杯だったんだろな
この時期は国内の地盤固めに必死で外征する余裕がなかったんだと思う
そうはいっても、万全を期して始めた呉討伐があの結果だから曹丕には軍事的才能がなかった、少なくとも孫権にも劣る器量だったと結論づけるしかないが
923:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 22:26:27.82 3ngmJGtB0.net
>>896
だからほぼにらみ合いだろ
陸遜の閏6月に陣への攻撃から曹丕は外交を挟んでの9月には攻め込んでるよ
劉備ぐらいだろ大義名分無しに戦争をする蛮族は
924:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:19:38.68 iU3Er/0W0.net
>>898いや普通に何回か衝突してるだろ
しかも荊州では蜀の謀略により蛮族が反乱起こしてるし
925:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:22:54.35 mKzBOw6r0.net
>>894
司馬氏同士で殺し合いまくったせいだろ・・・あと謀殺
926:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:23:09.28 3ngmJGtB0.net
>>899
両軍共に元気な状態で攻め込めって事?
呉だけが反撃する根拠ってなに?
教えてくれないか
927:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:26:43.71 iU3Er/0W0.net
>>901荊州の戦争に魏が加わるのでは無く
戦ってる間に楊州に攻めるという手もあったし、逆に益州に攻めるという手もあった
928:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:30:29.77 3ngmJGtB0.net
>>902
だからそれで呉蜀が戦争を継続する理由を教えてくれよ
929:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/16 23:32:47.82 fhyiAbUP0.net
>>902
第1次茨州戦だと曹操が漢中侵入で戦争止めてるよね
930:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 12:10:42.68 ZBXaUa5t0.net
本拠地が安定してないからでしょ。
長期に開けると内乱なり起き易くなる。
931:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 12:18:11.54 skxmyyqT0.net
>>903
劉備がキレてるからでしょ
932:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/17 21:04:18.22 MDuXCQBK0.net
>>906
曹丕の走狗として歴史に残るな
933:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/18 10:38:47.81 87yrz9VL0.net
曹丕としても呉が従属してきたからとしてと一方的に有利な状況ではなかったということか
国として不安定な時に従属国を背後から襲うなんて馬鹿な真似は出来なかったわけだ
934:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:34:51.13 zbmF0V5U0.net
孫権が臣従を申し出てきたからこそ円滑に禅譲を進めることができたのだし、曹丕が孫権に対して借りを感じるのも理解できなくはないがな
劉曄なんかにも言われてるけど曹丕は譲歩しすぎ
舐められるのも当然ですわ
曹丕と孫権、年齢差は5つしか違わないが君主として積み重ねてきた経験が違いすぎた
935:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 01:50:21.77 LXlxHqqu0.net
URLリンク(i.img)
936:ur.com/yRR4iMy.jpg
937:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 06:07:25.82 DTSJvstQ0.net
曹丕は官人としてのキャリアも浅いような気がするのよ
前線での指揮官とか経験できていたらその後の対呉戦もやり方とか変わっていたんじゃないのかな
938:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/20 23:59:30.36 zbmF0V5U0.net
曹丕が自著、典論の中で述懐してるのを見る限りだと、曹丕も幼い頃から弓馬の術を学びたびたび従軍して戦場を経験してはいるんだよな
成人してからはずっと副丞相として鄴で留守番役だったけど
経験としては十分だったけど才能が足りなかったのか
939:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/22 21:40:39.62 thKvHFA70.net
>>912
曹丕は文才はあったけど軍才はからっきし
次の曹叡が前線指揮官より観察眼あったとかいう超能力者だから余計に際立つ
だから軍は司馬懿や曹真の重きが増したし、チングン重用して政治改革を押し進めた
その結果が晋まで続くシステムが王朝を保たせることになる
逆に孫権は子供の頃から政争や豪族の統率や山越への民族浄化で鍛えられ過ぎている
本人の威厳と軍才(ただし守戦のみ)と謀略があったからこそ政治改革の必要もなかった
晩年の凋落と後継者の受難は孫堅時代からの豪族集合体システムから脱却できなかったのが大きい