18/01/05 18:36:40.24 NnvJriVn0.net
呉も孫権死んだ後は北伐低調だよな
せいぜい諸葛恪が派手に暴れた程度
301:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:00:36.61 SqKZ+jb60.net
蜀が引きこもるから大国魏に
ほぼ単独で立ち向かってる訳だからなあ
302:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:29:01.89 xn1L6adU0.net
>>288そんな引きこもり無能な蜀を攻めて敗北する魏もかなりの無能だな
303:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:47:39.53 ID9e1GAX0.net
総合すると三国全て無能ということか
304:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:48:30.23 SqKZ+jb60.net
>>294
そりゃ北からの防衛は要害の地で有利だからね
しかし、それでも結局は亡びてるからなあ
益州が北から攻められて落ちるなんて
歴史からでも珍しい事をだからね
305:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 22:15:01.92 56Jn7XcA0.net
>>292
諸葛恪が北伐無理押ししたのも人口流出が申告だったからやしな
306:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 22:45:51.16 tAuWJRYz0.net
>>296
北周ぐらいやからな成功したの
307:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 23:23:13.20 ID9e1GAX0.net
益州(蜀)が、北から攻められて落ちた例
・古蜀by戦国秦
・蜀漢by魏
・東晋by前秦
・梁by北周
・前蜀by後唐
・後蜀by後周
結構北から落とされてね?
308:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 00:14:19.93 lKUCXbLy0.net
>>295実際無能だから三国統一できなかったわけで
統一した晋もすぐに無能になるけど
309:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 00:24:51.69 Iv8SAMUS0.net
>>299
古蜀は攻められる前から漢中は秦が占領してんじゃん
310:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 09:34:36.33 fk5S7NQq0.net
魏晋南北朝六朝攻略の歴史
曹魏→ことごとく失敗
西晋→やったぜ
後趙→小競り合いだけ
前秦→襄陽と寿春までは奪取、その後やらかす
北魏→宋斉と派手に戦争してるけど一進一退してるうちに東西分裂して滅亡
北周→江陵陥落させる
北斉→淮南を陳に獲られたンゴ…
隋→やったぜ
曹魏はどちらかというとショボい方
311:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/07 01:55:35.77 3sDYIp2r0.net
>>302蜀攻略成功したけど曹魏というよりほとんど晋みたいなもんだったしなぁ
312:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/07 07:31:14.47 +rb7giw90.net
>>303
司馬昭プロデュースやから劉裕の北伐とかと扱いは一緒や
司馬懿の公孫淵討伐はギリギリ魏の功績やと思うけど
313:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/08 20:33:16.31 gLH7L8jT
314:0.net
315:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/11 10:57:36.69 huWqS6NF0.net
>>305
それほど単純であれば、劉備に付き従ってないわ
316:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/16 09:03:21.03 JlCNUl090.net
>>306
何が単純じゃないのかな?
諸葛亮は劉禅から人事権を奪ってるけど
317:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/16 21:55:59.59 ck8wXtNg0.net
>>307
出世権力を求める奴なら、そもそも劉備に仕官してない。
318:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 05:20:30.49 i11G3Jrh0.net
諸葛亮が蜀を乗っ取る気でいたのなら
自分の死後、諸葛亮個人だけでなくもっと諸葛氏の権力を広げていただろ
319:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 08:23:28.53 nUbLNJPr0.net
>>308
司馬懿も最初は仕官を断っていたんだが
320:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 08:29:15.41 nUbLNJPr0.net
>>309
何を言っているんだ?
諸葛亮はなかなか子供が出来なくて謹から養子を貰ってるぐらいなんだぞ
321:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 17:38:40.36 INlWSCU00.net
正直、大臣が君主以上の業績・名声を獲得してしまった場合
君主や大臣の性格・人格に関係なく、政争が勃発せざるを得ないような
史実の諸葛亮は北伐の道半ばで倒れたから、劉禅一族との緊張関係は発生しなかった(orうまく回避できた)けどね
322:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/18 00:17:13.17 JWtrG70X0.net
出師の表で口うるさく阿斗ちゃんの生活態度を注意してるから阿斗ちゃんが「ウゼェ死ね」って思って粛清した可能性もあったんだよね
323:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/18 21:35:55.00 p8P/Rpos0.net
まるで脅迫文だからな
俺様の諸葛亮が気に入らなければいつでも弟や息子に変えるぞって
324:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/19 02:17:22.03 r+5RZBOK0.net
>>314
宇文邕@北周「(お前の代わりはいくらでもいるんだと言っては)いかんのか?」
325:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/19 20:36:52.27 xr6q1jMK0.net
諸葛亮の理想は世襲では無く才能を持つものが代わる代わる宰相となり
君主代行として国を統治するシステムだったんだろうな
実際、費イが死ぬまではそのシステムを維持できてた
それは当時の士大夫の理想の政治体制であるように思う
326:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/19 21:19:24.26 laZLVXLu0.net
王莽以来、漢でよくある組織形態ですな
まあ、諸葛亮以降の蜀って皇帝と幕府が並立するのがほぼ常態化してて
二重権力ってレベルじゃねーぞ(白目)って状況だけど
327:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/20 11:20:02.63 2ZPDR4el0.net
諸葛亮が元気だった時点でどれくらい阿斗ちゃんに人事権や賞罰の権限があったのかは正直、資料が少なすぎてわからんわ。
劉エン棄市事件見る限り使えない古株を処分するぐらいの権限はあった臭いけど。
328:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/20 19:01:57.43 peSeljPw0.net
>>310
劉備なら仕官対象にもなってねーよ。あと曹家死んでねーよ
329:名無しさん@お腹いっぱい。
18/02/15 22:11:49.01 ZPlyUxS60.net
>>302
北斉=なんJ民
というのは理解できた
330:名無しさん@お腹いっぱい。
18/02/25 17:39:29.04 Q5Xof2ft0.net
やっぱ内ゲバしてるとこは駄目だな
331:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/03 01:02:14.00 PSNURdbh0.net
ぶっちゃけ気候が温暖で安定していないような時期に統一王朝建国は無理
332:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/29 19:37:00.40 Qg726A8z0.net
結局、魏(晋)は蜀も呉も衰退してからじゃない�
333:ニ滅亡させる事ができなかったあたり 国力だけではいかんともしがたいものがあったんだろうな 天険の要害と長江は偉大
334:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/30 12:13:56.57 eRIJMPy00.net
北魏とかも太武帝の時代に南朝征服寸前まで行ってるな
335:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/30 13:22:31.89 9kKyEOgt0.net
>>324
領土は取れてない上に関中では膠着状態だったけどな
ただ単に瓜歩山まで突っ切っただけ
陳慶之の北伐みたいなもので、派手で相手をぐちゃぐちゃにしたけど持続性はなかった
336:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 01:19:46.86 9hVuSczS0.net
そもそも征服してうま味があるかという話もでてくる
337:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 01:32:27.47 rAuPXQm80.net
苻堅「なんでや!百姓(人民)を救済するのは君主の努めやろ!」
道安「アカン」
苻融「アカン」
権翼「アカン」
338:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 06:12:00.69 q1O1+5w30.net
山奥で面倒くせー割に攻めてもメリットも少ないみたいなのも多そう。
日本でいう戦国時代の飛騨みたいな。蜀とか呉の非海岸沿いなんかはそんなイメージ。
339:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 06:15:14.01 4csDDGRF0.net
>>328
銅とかの鉱山資源が江南は潤沢だったんじゃなかったっけ?
340:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 09:04:20.05 0+ii+rPv0.net
呉蜀は貨幣もまずまずだったしな。
なお、末期はお察し
341:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 16:59:44.14 uJeOq5GH0.net
>>329
中で暮らすには良さそうだけど外から攻めて征服するだけの価値があるのかっていう。持ってくのには山越えしなきゃならんわけで
342:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/02 19:19:31.24 X9mWdT6L0.net
資源豊富で完全支配すればかなりの増収が見込めるといっても
天嶮越えの侵攻してなおかつ支配を安定させるとなるとねぇ
343:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/02 21:00:30.21 HJaYpdBp0.net
織物とか鉱山資源とか塩とか南方との交易とか呉蜀は手放すには惜しすぎる地域やで
朔方や遼東に遠征して馬や騎兵を養うのとどっちが得かは分からんが
344:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 03:07:17.56 tUUrAJNQ0.net
兵士の装備は魏より蜀の方が良かったみたいな話を聞いた事があるな
345:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 04:07:55.40 38RsSOVE0.net
>>334
魏は鉱山がなかった上に領土と人口が多いから行き渡らなかったからね。
蜀軍の武器の質が高かったのは鄧艾伝とかにも出てるし
346:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 16:09:59.88 hwcJw8KG0.net
森林資源もね
黄河が暴れ河になったのも近場の黄土高原を使いすぎてしまったせいだし
魏の時代はもう残りカスレベル
347:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 16:15:46.15 qgrzcmWj0.net
森林資源は王濬さんが呉を攻めるときに大艦隊建造できるくらいの量やしね
348:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/07 13:40:52.52 Wn1LtlqI0.net
>>334
兵士の装備良くても兵士の質と士気が低ければ意味がない
朝鮮戦争の時も初戦の頃は
装備は良くても兵士が雑魚な韓国軍が
装備は劣るが将軍様の兵隊北朝鮮軍にいいようにやられてた
349:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/07 13:59:31.61 6YEFm8sf0.net
>>338
緒戦の北朝鮮軍は戦車装備した上にソ連で縦深作戦仕込まれた二次大戦経験の猛者揃いだぞ
350:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/08 01:18:21.62 M7906G920.net
>>338姜維が段谷で大敗するまでは蜀が勝ったりすることもあったのだから
兵士の練度や士気も高かったんだろうな
351:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/08 19:11
352::15.75 ID:6KcA4Jir0.net
353:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/08 20:19:41.83 KFBmtMAx0.net
漢王朝引き継いだ王朝が漢中や蜀の地を放棄するって説明つかなくないですかね?
チャイナプロパー復興のためだったら匈奴とか烏桓の統治なんてどうでもいいわけで
354:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/09 02:59:00.03 kOCePBzW0.net
曹操と曹丕は中華統一する事を狙っていただろうと思うが
曹叡は興味無かっただろうな
355:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/09 07:17:48.63 ZQ+oCeZd0.net
漢末の混乱で、人口激減(または戸籍が把握できない)したから
二正面作戦できなかったんじゃないの?
356:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/11 22:39:52.56 36LDP3bL0.net
漢王朝が終わコンなったから交代したわけで洛陽あれば蜀はあんま重要じゃなかったんやないの
357:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/11 23:48:47.55 MzNyFnuE0.net
>>345
洛陽も漢末にはあまり重要ではなく
許昌や鄴の方が首都の役割
358:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/12 04:16:16.25 jNOze+dp0.net
許は行政的なものであって国力にはあんまり
359:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/21 16:42:11.45 u4ClJGwf0.net
それよりも大梁(開封)がこの時代あまり重要な都市でないのが何とも
まだ運河開通してないから仕方ないが仮にも戦国魏の首都なのに
360:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/21 20:50:25.12 rctr9muQ0.net
陳留郡だからしょうがないね
縁起が悪かった
361:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/06 11:32:17.40 0d+VHUzs0.net
>>342
漢否定して生まれた政権だから
逆に漢中や蜀が無い方が説得力あるぞ
362:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/07 22:10:38.31 W1Cad+jD0.net
>>350漢を受け継いだ政権だから
全否定はしてないだろ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 12:12:35.40 ZJ81Zylm0.net
>>351
禅譲しているので一見そう思ってしまうが
火徳を否定して土徳になってる時点で
364:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 14:26:43.43 gjLoMMrS0.net
URLリンク(news.cardmics.com)
365:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 16:24:21.86 TgS4namK0.net
三国志だったら今これめっちゃおすすめ!
URLリンク(goo.gl)
366:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 17:37:51.35 Y0lyH+Y50.net
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367:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/09 15:08:27.34 pA51T6bd0.net
>>342
光武帝が望蜀なんて言葉を使っているんだから
蜀なんてオマケ程度なんだろ
368:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/27 18:36:45.44 LtH8pKCl0.net
>>343
曹叡は何度か親征してるし
中華統一全く興味ないという事はない
中華統一興味ないと思われるのは曹芳
酒と女ばかりだから愛想尽かされて廃帝になる訳で
369:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/27 22:12:06.05 ClVFcVgS0.net
酒と女ばかりというのも簒奪者が貼ったレッテルの可能性があるけどね。勝者が正義
370:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/28 00:14:59.14 zMazL4zn0.net
酒と女ばかりで韜晦してたのに周囲が勝手に司馬氏排斥しようとして廃帝にされたんじゃないのか
371:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/29 23:28:47.89 aYxH8Ctx0.net
>>357
そりゃ敵が攻めてきたからなw
372:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:04:44.55 cZ6mKy/c0.net
>>1
金属がなかった
武器はおろか貨幣すら機能しないぐらい
呉は蜀方面から水軍で攻められるようになったら簡単に落とせた
蜀の方が苦労したぐらい
373:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:06:35.56 cZ6mKy/c0.net
蜀滅亡戦
魏18万 蜀7万
呉滅亡戦
晋16万 呉5万
374:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:08:35.04 cZ6mKy/c0.net
魏では盗賊が釘目当てに棺桶を奪うぐらい
貨幣経済をやれていたのも鉱山のあった蜀ぐらい
魏ははげ山ばかりで鉄を作れない
375:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:13:49.22 cZ6mKy/c0.net
>>23
人口の1割以上が兵士
男の2割
老人や子供を除けば半数?
官吏も多いし
国力的にかなり追い込んでいるでしょ
376:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/01 00:08:59.79 kOIwxO050.net
>>363
鉱石資源豊富でも一番先に滅んでいるからあまり意味がない
鉄の剣を持った勇者でも弱ければ棍棒持っているギガンデスに勝てないのと同じ
377:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/01 07:15:03.21 ZbGTfLd10.net
>>360
敵が攻めて来ても軍事が得意な配下に任せておけばいいんでないかい
親征するという事はそれなりに軍事に興味あり
378:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/02 19:03:28.81 cXsBkajx0.net
>>364
進撃の巨人の世界だなw
若者男女問わず調査兵団と駐屯兵団と憲兵団に取られて
残りカスが農業やるという
巨人に領土奪われたら口減らしで巨人の世界に残りカス投入されるという
正直蜀は滅ぼされてみんな喜んだのではw
379:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/02 22:28:15.22 UyAe3wTt0.net
そんな今や誰も覚えていないステマ漫画で歴史を語るのは勘弁してください
380:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 00:49:26.82 56sAjAqD0.net
鄧艾に提出された蜀の情報
戸数 28万戸
人口 94万人
兵士 10万2千人
官吏 4万人
兵糧 40余万斛
明らかに官吏の人数が多すぎるんだよな・・・
381:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 00:50:37.19 56sAjAqD0.net
1斛(さか)は10斗(約180リットル)。石(こく)。
382:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 02:16:46.07 Ng54VKf90.net
蜀の官吏の割合の高さは有名だけど、
これでやっていけたというのはやはり生産力が高かったからだろう。
降雨が安定していて農業生産がほぼ計算通りにできた。
それと塩鉄の供給も人口に応じて安定していた。
魏は人口多く豊作が続くときは国力は圧倒的だが九旱一水で不安定でいつそれが裏目に出るかもしれない恐れが常にあった。
蜀の官吏の割合って破綻国家ギリシャの公務員25%ってのでピンときたわw
383:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 17:44:37.84 P7Hk1K0a0.net
>>371
ギリシャは1974年に君主制から共和制に移行して以後約40年で財政破綻
構造的に約40年で滅んだ蜀と一緒
蜀もギリシャと同じで末期は社会が限界に近付いていた
384:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 19:17:36.45 oflV1WcD0.net
>>368
まあ、姜維が民に恨まれてたのは事実だしなあ
385:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 21:28:31.84 O09cRHa+0.net
>>373
人口90万の国で数千の死者を出したからなあ
386:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 01:48:52.22 93jzmHJc0.net
蜀の戸籍人口の少なさは驚きだな
中原のように戦乱と飢餓続きでもないのに7,800万から減り過ぎ
387:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 02:54:44.
388:83 ID:UqDUg3il0.net
389:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 04:20:05.64 aZejDP+U0.net
姜維は洮水で王経に勝ち切れなかった(結局陳泰の救援でなんとか守りきった)のが
段谷に繋がってるからなぁ。
洮水の戦勝の時点では皇帝曹髦が「洮水での戦死者は手厚く葬るように。また遺族にも手厚く保護を与えるように」って内容の詔勅を二度も出してる事からして魏の受けたダメージは軽くなかったろうし。
「もう一度ぶっ叩けばいけるやん!」とか思ったんじゃないかと
390:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 12:14:55.51 wmTHzXRLO.net
晋だったか後で戸籍を定めたら、益州人口が回復してるので山など官の目の届かない辺境に逃げてた説もあったっけ。
どちらにしろ蜀の内情は少なくとも末期に於いては相当お粗末だったのは間違いないだろう。
391:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 17:32:16.72 FswJEECr0.net
そりゃあ内情がお粗末だから滅亡するんだろうよ
そこまでドヤるような大発見なのかw
392:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 17:51:39.90 CoqDpxInO.net
防備がしっかりしていれば、戦闘ヘリでもない限りは落とせないくらいの天嶮に恵まれていた土地だろうからな。
393:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/05 01:44:25.41 joBU71C70.net
蜀攻めって関西地方の実行支配さえ出来てればそんなに難しくないもんな。
394:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/05 20:10:07.38 PMG/zjMh0.net
>>379
ドヤるような大発見では無いが
蜀は農産物も鉱物資源も豊かで魏を圧倒してたとかドヤられると
そんな魏にどうして滅ぼされたんだ?という疑問が湧いて止まらない
395:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/05 23:21:41.51 vLr1oYwY0.net
>>382
貨幣を作れて武器も優れていたらしいし5分の1の人口でよくやったよ
ただ劉備の蜀取りの時もそうだったけど
一度中に入られるとすぐに落とされるみたい
396:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 04:01:46.41 72iKplCJ0.net
>>383
同族を裏切って乗っ取っただけだからなあ
結局は滅ぼされるし呂布と同類だよね
397:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 06:54:49.59 jsxR3Xry0.net
中華圏内で誕生した勢力に限られる話ではあるけど
中華を統一した人物は挙兵や本格的な統一事業開始から数年~15年ほどで統一してる
戦乱が続いて各地の群雄が力を持ちすぎていたにせよ
叛乱や異民族に手を焼いていたにせよ、曹操は時間を掛けすぎたわな
赤壁で頓挫しなければなし崩し的に統一できたし、それが勢いで統一する最後の機会だったと思う
有能な群雄に堅牢な地盤に十分な防衛力を持たせる時間を与えてしまったらあとは持久戦しかない
398:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 15:06:08.48 Cajsn7F50.net
だって魏が大国でも人口が446万だっけ?多少曖昧だけど450ぐらいだったと
呉が230万、蜀が94~98万
圧倒できるほどの差はないからねえ
兵力も蜀が10万、呉が23万、魏は不明だけど最大20万ちょっとの遠征軍しか出せない
北方とかの防衛も必要だし
鉄がないし、銅銭も作れないし、お金が流通しなく物々交換だし
399:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 19:16:23.33 cfbLPUWj0.net
魏蜀呉の総人口が700万くらい
統一晋のそれが1600万くらい
つまり魏には戸籍に載らない屯田民が900万いた
我々が考える以上に魏とその他に差はある
これで統一できない魏は情けなさすぎ。。。
400:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 19:18:33.83 /DDZixci0.net
前秦の推定人口が約二千万
東晋は約五百万~
これで勝っちゃう晋王朝
やはり天命のない王朝はアカンね
401:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 19:27:02.67 Op+enor10.net
曹魏は前秦や北魏と同じで圧倒的な国力を持ちながら攻めきれない感じ
402:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 10:17:22.04 ZDGspiZO0.net
>>387
何か言っているんだ?
統一後の益州は人口が200万近くになっているんだぞ
なんで魏だけが戸籍に載って無い人口がいると思った?
403:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 10:46:10.52 yuHpW/iO0.net
平和になって人口が増えたか
戸籍に登録されていなかった民衆を把握できたかだろうね
人口が2倍になったなら各地で同じぐらいの割合ずつ増えたのでは
魏だけそんなに多い戸籍不記載人口がいたとは思えない
どうでもいいけど魏って戦国時代、三国志、北魏等
強国になるのだが天下を取れない運命なのだろうか
字の意味も小さな幽霊だよね
404:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 10:50:28.50 yuHpW/iO0.net
戦国時代に
魏は孟子を読むと自称は晋国、孟子からは梁と呼ばれていた
魏はあまり呼ばれないのは良い字じゃないからだろうか
何と言うか悪の帝国ってイメージ
三晋最強は趙かと思えば魏が実質晋の後継国らしいし
魏は斉の孫氏に敗れて覇権を失い
斉は七十余城の内、六ヶ国連合軍、燕に攻められて
二城を残して落とされ滅亡寸前まで追い込まれ覇権を失い
残った秦が天下を統一しても
社稷を絶たれ、皇族は皆殺し
405:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 20:28:25.57 z15/3v4b0.net
>>383
5分の1の人口だろうが本当に武器が優れていて強ければ
中東戦争のイスラエルみたいに人口数倍の周辺国を圧倒してもおかしくないのだが
なので貨幣を作れて武器も優れていたというのは蜀の存亡にとって重要なファクターではなかったという事
406:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 22:16:10.27 n7jW8Y9q0.net
徴兵と徴税ということを考えたら台帳に乗ってる人口=国力でいいんじゃないのか?
戸籍に載ってない人口も徴兵と徴税をしっかりしてたら別だけど。
それなら戸籍作成の意味がないような。
407:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 22:22:58.38 yuHpW/iO0.net
>>393
武器が優れていたっていっても近代兵器ぐらいの差はないでしょう
鉄の剣と銅の剣で戦っても前者が勝つとは限らない
おまけに人口5倍だし
408:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 22:35:56.70 z15/3v4b0.net
>>395
結局銅の剣が鉄の剣に勝ってたんでしょうが!
人口5倍とか言い訳しても強い武器で負けたら意味がない
諸葛亮が筒袖鎧とか元戎とか木牛流馬とか諸葛菜とか諸葛錦とか
発明普及させても全然意味が無かったという事
饅頭以下
409:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/08 00:49:42.74 QHUhA+ou0.net
極論過ぎて草。虞翻かな
410:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/08 10:54:54.16 ssj12kzmO.net
それは虞翻に失礼
411:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 08:32:02.47 TKOO0st40.net
虞翻て一度も国外に出ていない呉の田舎貴族なのに
魏にも官席授けられていたというのが
412:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 10:54:05.67 u4rv/Dzg0.net
>>399
文帝さまが同類を見出したんやろ
413:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 10:58:37.24 UYyzqMUp0.net
>>400
ワロタw
414:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 11:00:54.77 UYyzqMUp0.net
>>395
とはいえイタリアみたいに戦車でエチオピア攻め込んだものの
原始的な槍部隊に追い返された例もあるからなw
状況がどうあれ強い武器で弱い武器に負けるのは笑い者だよ
415:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 19:05:57.91 t2leBjwW0.net
>>402
やっていることは鈍亀のカウンター狙いで
電撃戦も出来なきゃ攻城戦も下手くそだからなあ
姜維が電撃戦をやっているから出来ない訳じゃないだよなあ
416:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 19:36:38.45 A1mCayJC0.net
電撃戦の定義って何なんですかねえ
417:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 15:36:40.66 FAPLjMnY0.net
>>402
クロスボウで強いのは並みの銃以上の威力があるらしいし
作戦次第では近代兵器と古代の武器で戦えなくはない
仮に自動小銃を含めた平気があっても大勢を相手ではいずれやられる
418:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 17:56:31.91 HbjoNyU90.net
>>404
電撃戦は、少なくとも3つの観点から研究されている。
1つ目は第二次世界大戦初期にドイツ国防軍が行ったポーランド侵攻、ナチス・ドイツのフランス侵攻、独ソ戦時のバルバロッサ作戦・ブラウ作戦で、
赤軍がバグラチオン作戦で部分的に実践した歴史的な戦闘教義としての観点、2つ目は迅速な攻勢によって勝利する軍事教義として
プロイセンの時代から存在していたという電撃戦を拡大解釈する観点、3つ目は敵の撃破ではなく機動による攪乱に力点を置いた機械化戦闘の代表的理論としての観点である。
なお、3つ目の観点においては、1980年代まで各国の陸軍で主流の教義であったという見解も示されている。
419:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 18:06:22.09 FAPLjMnY0.net
魏は蜀を滅ぼした後なら20万の軍を出せる程度の国力だからなあ
実際にそこまで力に差はなかった
420:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 18:41:58.32 HbjoNyU90.net
後漢末期は寒冷期で北部ほど被害がでかいから
魏だけ戸籍に対して住民が少ないのは飢饉と売官の悪政のせいだろうねえ
421:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 19:04:44.86 uX1LbUn70.net
>>406
三国時代関係なくて草
422:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 20:11:24.38 HbjoNyU90.net
>>409
日本語が理解出来ない人だったのか
なんで三国時代と無関係なのか分らんなw
423:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 20:19:18.58 uX1LbUn70.net
>>410
三国時代は三つのうちどれに該当するの?
中国のちの字も出てなくね?
424:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 20:59:46.42 HbjoNyU90.net
>>411
iやっぱり日本語が理解できないのか
電撃戦の定義と中国がどう関係しているのか説明してくれませんかねえ
425:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:26:14.76 uX1LbUn70.net
>>412
>>403からの文脈読めば?
403じゃないのに勝手に電撃戦の解説を始めたのであればアスペ軍オタだし
403だったらガチガイジだわ
426:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:30:04.97 HbjoNyU90.net
>>413
日本語が理解できないガイジは君だよ
早く説明してよ
427:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:33:44.61 uX1LbUn70.net
>>414
たかが10レスも読めないガイジとは
428:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:35:02.35 uX1LbUn70.net
>>412
興奮してまともにレス打てないとか本当にガイジやな
429:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:39:58.22 uZP5zLjoO.net
三国時代に関係性がないのは言うまでもないけどな。
兵器のレベルに差がありすぎて比べようがない。
現代でもクラシックな近接武器、弓矢が使えるは消音効果の一点のみで、火力や殲滅力に求める力じゃないだろ。
騎馬隊(笑)なんてもんが陸戦部隊の主力なんて現代では弱小なんてのも生ぬるいマゾ部隊だな。
たとえ、チンギス・ハンの騎馬隊だろうが、現代の軍隊の前では相手にもならないなんて子供でも理解できる。
430:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:42:08.13 HbjoNyU90.net
>>416
>>404はお前だろ
関係ないなら文脈を理解できないガイジだし
早く説明してくれませんか?
431:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:53:50.80 uX1LbUn70.net
>>418
日本語打てるようになってからかかってこいよ、軍オタアスペガイジ
生きてて恥ずかしくないの?
432:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:58:55.37 HbjoNyU90.net
>>419
説明できないから逃げる事しかできないんですかw
433:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 22:06:16.62 uX1LbUn70.net
>>403
に聞いたつもりなのに変な軍オタガイジに絡まれて本当に迷惑だわ
これだから軍オタは程度が低い
434:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 22:11:47.23 HbjoNyU90.net
>>421
いいから早く説明しろよ
いちゃもんにすらなってないぞガイジ
435:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 22:18:22.65 uX1LbUn70.net
>>422
誰に何聞いてんの?ガイジ君
436:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 22:31:08.50 HbjoNyU90.net
>>423
テンプレ通りに次ぎは勝利宣言でもするのかw
いいから早く説明しろよ
437:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/12 07:25:18.20 Le4PoQ1w0.net
マシンガンの登場以来防御側が滅茶苦茶有利になった。他の火器や兵器を大量に用意できるなら突破できるけれども
三国志の頃の最強兵器といえば弩だと思うけど弩の生産量は各国どれほどのものだったんだろ
それともあんま生産してなかったのか
438:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/13 01:51:09.88 digCQ52Q0.net
>>425三国志で弩というと蜀漢が有名なんじゃね?
439:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/14 23:51:10.07 eXx/IkzL0.net
三戦板に、蜀豊っていたな…
440:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/16 01:22:29.83 l8P22n+Q0.net
>>426
有名ではあるけど国力的に作ろうと思えば魏が大量に作れる筈じゃん?実際どうなのかなって
441:魏という名前はいつも強大なのに天下を取れない
18/06/18 11:16:12.18 IE7l8pdz0.net
>>428
魏では貨幣の発行もできない
棺桶に使っている釘を欲しがって盗賊が襲撃する有様
つまり鉄が非常に少ないし銅も少ない
その理由ははげ山ばかりで木がなく燃料がないから
それは以前に伐採して使い過ぎたから
金属も木もない状態で弩の大量生産はできないでしょう
魏は領土は広く人は蜀や呉と比べて多いけど
蜀100万で呉230万を合せると330万
魏は450万程度だからそこまで圧倒的な国力じゃない
武器の質でも劣っているし
蜀が10万で攻めた時に魏も10万程度で防衛していた
つまり演義のように数倍の兵力で戦えない
蜀か呉が滅びていなければ20万の軍を出すことさえできない
鉄も木もなく他の2国より強いけど圧倒的な差ではない
要するに魏は弩を大量に作れる生産能力は存在しなかった
442:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/19 17:13:04.99 eU8vT5L10.net
だったらこの作品は史実に忠実だな
URLリンク(goo.gl)
443:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/21 02:34:56.45 0e2dPBK00.net
鉱山資源自体も蜀は豊富だしね
華北は冷害長雨の被害も長く続いて疲弊状態が長く続いていた
だから不満が溜まり黄巾の乱や賊徒が横行
444:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/21 17:42:24.06 jsvGRt3O0.net
>>429
魏が攻めきれなかったのはそのせいか。赤壁でポシャってから50年以上だからなあ
時間が経って回復したのか最終的にはマンパワーが勝ったのか
445:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/22 12:30:17.77 OW/RjJXB0.net
蜀も漢中の防衛線を弱めなければ滅ぼされなかったかもしれん
まあその兵を取るぐらい兵力が低下したのが原因だけど
歴史は中国史が一番面白いけど三国志まででその後はつまらない
446:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/22 12:54:01.91 zvHk3hu20.net
>>433
それは単に知識がないからでは…
447:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/22 18:53:50.05 vWVctEfu0.net
>>433
無理だろうな
結局、内輪揉めが絶対に起きることになる
外様が皇帝含め上位独占してるから
448:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/22 22:30:02.00 ls+0KlBK0.net
いつの時代でも戦争さえあれば楽しめるわ
449:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 02:39:08.54 6Q7KV53V0.net
最後の蜀滅亡戦のときでも鄧艾の積極精神がなかったら撤退してた可能性、
その後に姜維が寿命になる。
そしたら専守防衛の引きこもり国家として何百年も続いたかもよ。
中原争覇は魏(晋)と呉になって蜀はスルーされ、そして統一したほうも
「不征国」にして奉るなんてこともあるだろう。
450:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 04:52:30.44 1fEMnLlN0.net
歴史は色々と見てくると戦争よりも政争が面白くなってくる
451:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 08:28:00.78 /Ku/jPS/0.net
>>437
関西の実効支配が進めば補給線が短くなるからそのうちまた遠征軍出されて滅亡だろう。
そもそも蜀ってイメージほど難攻不落じゃなくって粘ったの公孫述と蜀漢だけ。
桓温や尉遅迥には瞬殺されてる。
452:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 11:40:51.25 ZI7tv0uh0.net
>>438
たしかにその側面はあるな
諸葛亮の北伐が止んで以降って面白いし
453:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 17:10:06.46 VRm/c35s0.net
蜀ってしばらくの間自立するには良い土地だよなあ
公孫述10年、劉禅40年、李雄30年、孟永30年と乱世でもそこそこの期間
安定政権作れてるし。飛躍するのは無理だけど
454:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 17:21:41.11 mC+o3KNr0.net
南宋の呉玠・呉璘兄弟とかな。
455:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 17:38:29.63 4K/6zZ8d0.net
酒飲んだり、詩を詠んだりしてたくて、それほどやる気もなかったんだろ
456:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/23 19:45:01.24 6r00NYUx0.net
ぶっちゃけ、朝鮮と同じで土地としての
魅力が無いんだろうな
457:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/27 10:24:51.44 D2ckxrV/0.net
>>437
可能性というか
諸葛瞻とかいう戦知らないアホガキが黄崇の進言入れていただけで鄧艾老人戦死で決め手を欠いて撤退していたレベル
むろん防衛線崩されているから次かその次の出兵で蜀漢滅亡だろうけど
458:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/30 11:56:05.63 AY2VIlhE0.net
>>429
なのに諸葛亮は北伐に苦戦してたな、諸葛亮は無能ちゃうか?
459:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/02 10:21:20.50 pL50SLDx0.net
>>446
装備の微妙な魏でも対処できるぐらい蜀軍の兵站がかぼそかったからね
460:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/29 16:56:27.53 AuD0MxCt0.net
三国志の魏
南北朝の北魏
それに春秋戦国時代の魏
強大国であり、悪の帝国というイメージだが天下統一はできなかった
461:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/29 20:46:47.17 r5itlVX20.net
春秋戦国時代の魏はすぐに没落したから悪の帝国なイメージは全然無いな
悪の帝国なイメージと言ったらやっぱ秦
462:名無しさん@お腹いっぱい。
18/07/29 21:05:58.30 rwlrGoOC0.net
悪の帝国→冉魏だろ
463:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/10 18:35:58.74 PjpfbQvd0.net
魏(ギ)という発音に悪をイメージするのはチョン
正確には新羅嫌いの百済人だな
464:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/10 18:41:26.13 PjpfbQvd0.net
>>429
木に関しては城砦周辺は少ないだろうけど
本腰入れて遠くに行けば有るんだけどな
でなければこの時代に桃源郷が発見されてもおかしくない
まぁ住居近隣の木材少ないので薪とか本格的に取りに行くとなると連泊しないと厳しそう
465:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/10 18:54:33.94 p
466:UpGFc6E0.net
467:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/10 19:23:31.56 m+AQYR3D0.net
中国では鬼は悪というよりも
死んで仙人になってない魂(悪魂)の意味の方が近いな
468:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 00:08:41.56 eTo/ewoz0.net
三国志演義でも魏は特に悪の帝国ってイメージ無いんだよな
曹操個人は明確に悪役っていう役割が与えられてたけど
469:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 09:56:54.91 +IFCpRD40.net
そうか?
三国志初見の人がまず演義から読めば
劉備一党が善で曹操と魏が悪だと思うのが普通だろ
470:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 09:58:52.75 czkU3kPU0.net
>>456
吉川三国志とかだと前半は曹操主役って印象受けるわ
471:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 12:10:59.82 vVWxPQWP0.net
>>456
今は三国志初見が演義関連書籍から入るのは昔に比べてかなり少ないからな
なので今は劉備善で曹操悪とかのステレオタイプのレッテルは普通ではない
472:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 17:43:59.06 gSTCY9OC0.net
今だと三国志初見勢の入り口って無双とかゲームの類だったりするんだろうな
それはそれで…どうなんだろう?
473:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 18:22:55.51 /J2fiOBV0.net
>>459
吉川英治が居て光栄がゲームにしなきゃ
日本でも三国志は正史でも演義でもマイナーなままだったよ
474:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 18:54:01.16 C+YuBtQ40.net
自分は横山→人形劇で三国志にハマった。つまり演義ベース。
その後、秘本三国志に衝撃受けて正史読むようになった。
ゲームは全くやってない。
475:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 21:55:15.34 8O2huZ5l0.net
俺は横山→吉川英治→人形劇→ゲームだな 友達の影響で
476:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 23:34:33.89 znvPG2cc0.net
>>449
戦国獅子伝を読むと悪の国だよ
477:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/11 23:42:27.14 CyHGBXvj0.net
俺も最初は横山だったけど、諸所で出てくる古代の人物が気になって
直ぐに夏・殷・周・春秋・戦国って具合に興味が移っちゃってたな
それで時代が下って後漢末期まで来たところで正史に
でも今は入口が無双ですらない人口も多いんだろうね
二次創作っぽいアニメやゲームみたいなのからとか
478:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/14 00:01:33.61 75FVL9zd0.net
ゲームで入って最初に読んだのが秘本
演義ベースは吉川が初めてだったせいか
そんなに魏に悪のイメージは持たなかったな
479:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/14 20:39:09.29 b5YRCzWc0.net
昔人形劇を夢中で見てたときは、曹操には悪役のかっこよさを感じてた。
赤壁の鬼の形相で恨み節しぼりだす様とか、強い悪役ならではの迫力だった。
あの頃は、玄徳って誰もが呼んでたけど、今は劉備呼びだよね。(登場人物じゃなくてファンが)
いつごろ変わったのだろう?
480:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/14 21:01:32.37 0aHfH+jf0.net
曹操って日本の三国志作品では本場ほどみっともない描写されてないだろ
美化しすぎなくらいだわ
481:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/15 07:56:31.23 4S1YOUuo0.net
演義で美化されてる髭に比べたら大した事は無いな
482:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/15 19:11:47.71 cSjfl/eI0.net
最近は中華ドラマでも曹操カッコよく描写されてるやろ。スリーキングダムとか
483:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/15 20:11:38.26 D+brJTJG0.net
曹操を主人公にした本場のドラマもあるしな
あれは面白いよ
最後に意外な人物が曹操抹殺を図るオリジナル展開が熱かった
484:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/16 07:31:35.22 WEgdW79F0.net
�
485:坙{の三国志の原点とも言える吉川三国志が 曹操を魅力ある悪役として描いていたからねえ
486:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/17 14:59:46.12 Q+QXh1Yq0.net
三国志で蜀は末期でも意外と人材は豊富だったと思う
487:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/17 19:28:10.44 FAEqovjR0.net
ええ・・・その基準だと人材が枯渇してる国ってどのレベルになるんだ
488:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/17 20:26:37.42 DuFLKjC90.net
蜀漢滅亡後も巴蜀の行政は基本現地人で回してるし、蜀の人材もあながち馬鹿にできたもんじゃないと思うのよね
羅憲とか霍弋とか都督として王朝を跨いで信任された武人もいれば、何攀のように中央でも出世した官僚もいるし、陳寿が文人として認められたからこそ三国志が今の形で残ってるわけだし
489:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/18 01:24:34.34 hKIBdZy30.net
>>473
政変が起こるたびに千人単位の官吏が宮廷から消える五胡十六国時代とか、悲劇としても人材的にも悲惨だったろうね
蜀に関していうと末期に至るまで政変らしい政変が最後まで起こらなかったのが強みというか一種の特徴だと思うね
二宮の変、孫峻孫綝の専横、孫皓の暴走で半ば自滅的に滅びた呉、司馬氏が曹爽、王凌、夏侯玄、李豊と次々と政敵を粛清して毌丘倹、文欽、諸葛誕らが反乱を起こしついには逆クーデターに失敗した曹髦まで殺された魏と比べると、蜀のなんたる平和なことか
490:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/18 02:39:03.65 YuULsGaq0.net
何だかんだで蜀を主人公サイドとみた方が、魏や呉の武将の個性や魅力も引き立つと思う。
だからこそ三国志という歴史活劇は日本に浸透したわけだし。
最初から曹操や孫権が主役だと日本では流行らなかったでしょ。
今曹操が日本で評価されてるのは、まず三国志が認知されたという土台あるからだし。
491:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/18 08:19:11.08 CfqeIWTU0.net
もしも263年の対蜀大規模侵攻が頓挫していたら
492:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/19 21:33:25.52 YR3vJ4cK0.net
北方三国志の諸葛亮と魏延のくだりを読むと史実もこんな感じかなと思った
493:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 15:25:59.33 cqvzD6na0.net
>>475
確かに豪傑っぽいのはいないけど
普通に軍を任せられる将軍は何人もいたし
内政も意外にちゃんとやっていた
そりゃ人口5倍の魏に対抗できるだけってなると難しいけど
文武共に基準以上の人材はいたと思う
滅亡時に呉を防いだり魏とも結構戦えたり
だいたい魏自体が蜀には18万で呉には15万を送っているんだから
蜀の方が大敵とする判断っぽい
494:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 15:29:04.32 cqvzD6na0.net
>>473
人材が酷いのは思いつかなかったけど
大日本帝国だと思う
無能で頭が固く自分が優秀だと思い込んでいる馬鹿な軍人、政治家、官僚
(ただし、学校の成績はいい)
アメリカが対日石油輸出禁止とかしようとして驚愕だとか
ドイツがソ連と結んで欧州情勢は複雑怪奇だとか
利権が絡めば誰とでも組むのは30年戦争でもそうだろうに
495:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 15:34:09.60 uGWcHtrc0.net
>>480
たぶん当時の軍人の方がお前よりは頭いいぞ
あの手のセクショナリズムや集団浅慮なんてどんな組織でも陥る問題だろ
昔の人はバカだった、という前提で物事考えているうちは同じ過ち平気で繰り返すぞ
496:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 15:53:56.13 cqvzD6na0.net
今の官僚も含めて恐ろしいぐらい頭が悪い
恐ろしいぐらい想像力が欠けている
馬鹿じゃないと合格しない試験
497:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 15:59:02.28 uGWcHtrc0.net
こんな頭おかしいやつに難癖つけられる軍人や官僚たちってかわいそうすぎるだろう
498:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 16:02:02.84 B2aa0ghn0.net
>>480
大日本帝国は人材が枯渇してるんじゃなくて統制が全く取れてないだけだろ。皆自分が司令官だと思って
数百人の佐官が好き勝手した結果うんちになっただけ。煬帝が300人集まったような感じ
499:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 19:18:36.88 1uee9jSK0.net
李徴みたいに虎になりそうな勢いのやつがいてワロタ
500:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/21 23:57:16.76 co/oIxdP0.net
ちなみにどっちのことかな
501:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/22 21:35:56.71 Unhm5i/F0.net
>>429
三国志の時代だと、製鉄には石炭使ってたんじゃ
502:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/23 05:36:20.25 c05ImVFd0.net
>>487
燃料の木がないから製鉄もできない
通貨は流通せず物々交換
503:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/23 16:24:48.08 c05ImVFd0.net
意外に上手くやれば魏を滅ぼせた気がする
504:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/23 19:34:15.61 qPiADNwM0.net
>>488
日本語読めない人?
505:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/23 19:35:06.16 rOWHrDGe0.net
南方も馬忠がいてやっと収まったのに涼雍を修めきれるとは思えない
506:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/24 04:03:22.08 Mk15BPqB0.net
>>479
小田原攻めの兵動員数より
大阪夏の陣の方が兵動員数少ないから
豊臣家よりも北条家の方が大敵と判断するバカ?
507:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/24 04:22:06.45 IQoyWyvt0.net
>>490
石炭を燃やすにも燃料の木材が必要なのでは
508:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/25 00:27:36.25 +2XGuEzJ0.net
>>492
蜀滅亡戦は呉が残っているから兵力を集中できないのに
その後の呉滅亡戦は蜀もいなくなっていて呉は蜀の倍以上の人がいるのに
動員した兵力が少ないってのはなめくさっているよね
509:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/25 12:59:48.75 nMOgEi8L0.net
>>494
北狄は無視ですか?
呉滅亡時は寒冷期も過ぎて活性化してるけど
510:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/25 20:39:55.16 zNiTTYBH0.net
呉討伐の裏で馬隆が同時期に樹機能の乱を平定してるんだよね
馬隆さん名将なのに知名度低すぎ
511:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/25 23:17:56.07 +2XGuEzJ0.net
マンチョウさんも無名だよね
512:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 00:17:53.58 UW2+sDDV0.net
つーか、山奥の蜀と川があって船が使える呉を
輜重隊込みの兵力で比べるなんて馬鹿過ぎるだろ
513:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 01:08:47.32 b/vwGToC0.net
蜀は怖いからね
司馬昭の推測で、蜀は総兵力9万、国内の防衛等を考え、遠征最大兵力は5万
そのはずなのに孔明が10万(戦闘部隊以外も含めてだろうけど)で攻めてきやがった
514:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 01:09:21.66 b/vwGToC0.net
呉を蜀側からも水軍で攻めたら簡単に落とせたとか
515:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 08:05:53.54 xVgjxaqt0.net
>>499
10万は姜維の悪政の頃だろ
諸葛亮の時代は詳しい総兵力は無いはずだが
516:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 15:49:24.37 ZVSGy2yA0.net
晋書には最後の北伐で十万とある
517:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 18:21:36.08 b/vwGToC0.net
>>501
最後の北伐で10万だったとか
518:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 19:28:35.29 UBYbKXEn0.net
吉川版だと最大動員75万・・・(対呉だけど)
519:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 20:37:51.99 xA3jgPV/0.net
史実の話しているのに演義で割り込んでくるとかないわ
マナー悪杉
520:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/26 23:16:38.33 b/vwGToC0.net
>>504
推定で4~5万ぐらいらしいけど
史書では大軍としかないらしい
521:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/27 04:35:06.58 mkcFo/mf0.net
数が少ないから豪傑が話題になる
522:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/28 01:29:29.03 VIT7OvFV0.net
漢民族はこの頃ほぼ絶滅したんだよね
今の中国人は漢民族の子孫じゃない
523:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/28 16:28:11.89 VIT7OvFV0.net
魏は中華の3分の2をと言いながら版図が狭い
524:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 03:00:58.49 ZS/r/sbq0.net
戦国時代初期の魏は強大国だった
孟子を読むと梁と呼ばれているが
自称は晋
曹魏は三国志で最大国だった
北魏も代から国名を買えたが河北を支配する強大国だった
西魏と東魏に分裂したけど
どれも強国になるけど落ちぶれるのは呪われているのか
魏の意味ってリトル・ゴーストだよね
525:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 16:08:15.25 xWnWMDJC0.net
>>510
魏の意味は「高い」じゃないのか?
字解すればリトルゴーストか
でも「委」は音符だぞ
526:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 18:39:29.01 hJs276bI0.net
>>510
冉閔「俺の魏は後趙」対だけど数年で滅んで支配地域も狭小でカオスな弱小国や」
翟遼「俺の魏は西燕と後燕と東晋に挟まれて空気・・・」
李密「隋の魏公よりも唐の邢国公が最高っすくぁwせdrftgyふじこlp」
527:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/30 19:41:33.95 WNPTMak10.net
>>512
冉魏←姚襄、慕容恪にボコられる
翟魏←朱序、慕容垂にボコられる
李密←王世充、唐にボコられる
もうダメじゃん…
528:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 05:21:43.89 ZkYNE2150.net
やっぱり慕容部最強や!前秦なんかいらんかったんや!
529:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 08:16:38.83 zeWgfN/q0.net
>>511
「高い」であってる
もともとは巍の俗字とも
530:名無しさん@お腹いっぱい。
18/08/31 20:52:44.05 y6E4jX9o0.net
当塗高とは魏のことであるって予言なんなの?
意味がよくわからない
531:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 08:10:12.60 0d/hJPuy0.net
>>514
拓跋部「ち~ん()」
532:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 09:11:18.18 GAiG1/O00.net
>>75
同感です
533:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 16:36:02.72 vP0OYZF10.net
普通に蜀が漢中奪って要塞化した事と大正義守護神長江のおかげ
534:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 16:45:37.15 vP0OYZF10.net
戦乱の影響で漢中迂回できる涼州を拠点にする事が出来ず
それまでは蜀に対してすら決め手が弱かった状況だからね
535:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/01 17:09:45
536:.77 ID:PC9cYOiM0.net
537:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 16:27:45.08 mJnJxx/l0.net
>>521
献帝が何十年も名ばかり皇帝だったのは誰の目から見ても明らかだし朝廷の百官は新王朝を望んでいる状況だっただろう
それを望まない勢力は吉本の乱、魏諷の乱の鎮圧の結果粛清されているしね
漢王朝をこれ以上続けててもそういう不満分子に反乱を起こす口実を与える結果にしかならないし
曹操ならそういう状況でも実力行使で黙らせられるけれど、曹操ほどの実力、実績を持っていない曹丕は皇帝という権威を必要としていたのでは…?
538:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 19:18:20.85 nhARjC+M0.net
>>522
不思議なのは後漢末期よりも魏初の方が政権に対する反乱少ないんだよね
偽漢の北伐に同調する勢力が魏内にほとんど無いという
そんなに魏の簒奪が望まれないものだったら後漢復興の動きがありそうなものだが
魏末の頃にまだ後漢時代の人間が生きていたのに後漢復興の動きが全くない
西晋末期の劉淵の漢も中原の人に求心力みられず
結局武力で中原を魑魅魍魎にしたまま趙に代わってる
当時の人々にとって魏の簒奪よりも漢存続の方が忌み嫌われる事になっているという・・・
539:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/03 22:59:15.03 im9SyYlb0.net
さすがに偽漢なんてキモイ蔑称使うカスは死んだほうがいいよ
540:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 11:48:44.55 grsJQqCR0.net
霊帝の時点で暗殺騒ぎとか起きるくらい漢の権威ってなかったからな。
541:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 14:25:32.30 cAc9lg190.net
それで魏晋の統治が糞だったから蜀漢正統論が盛り上がって漢すげえってなってくから面白いわ
ベテラン選手が糞味噌言われても引退したら良く言われるみたいだ
542:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 15:57:20.45 jphZy05A0.net
割と晋のせいで魏までひっくるめて糞!って言われてるとこありそう
五胡十六国時代に繋がる異民族対策も曹操が本格的に始めたし
543:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 16:01:15.39 jphZy05A0.net
>>523華陽国志には中原の漢に心寄せる士たちは劉備が中原に来て後漢を復活させてくれる事を期待していたが
劉備が皇帝になるとガッカリしたと書いてたあったな
この事が本当なら後漢王朝が復活してくれる事は望んでいても
新しい漢王朝が出来る事は望んでいない人が大半だったのかもしれない
544:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/04 18:34:21.38 G6gooZg2O.net
>>528
多分その人々からしたら「劉備よ、アンタもそこいらの群雄と同類だったのか」だったんだろうね。
献帝を奉じて魏への禅譲を無効にし昔の秩序回復に尽力して欲しかったのが、献帝が存命してるのに称帝しちゃった訳だから。
まぁ彼等が手前勝手な期待を劉備へ抱いてた事が間違い、と言ってしまえばそれまでではあるけども。
545:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 12:48:13.28 sOh15CKP0.net
>>527
後漢(順帝)の頃も南匈奴の単于が締め付けキツくて自殺する騒ぎ起こしてるので、魏晋の異民族対策がキツかったと言うよりは胡族が武力以外の実力もつけてきたにも関わらず一向に顧みられなかった不満が暴発したってのがあるのでは。
546:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 23:10:49.39 ZaNqdlIj0.net
ナポレオンが皇帝に即位したと聞いてベートーヴェンがナポレオンに捧げると書いていたのを破り捨てたとか
陳勝が王になったのを悪く言ったり
王や皇帝になると叩かれるんだよなあ
ティムールも即位できなかったし
547:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/05 23:48:12.66 lzEw1xxT0.net
「激怒し、献辞が書いてある表紙を破り取ったという、弟子フェルディナント・リースの回想に基づく有名な
エピソードが伝えられている。しかし実際は、ウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った
形跡はなく、表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンでかき消した上に「シン
フォニア・エロイカ」と改題され、「ある英雄の思い出のために」と書き加えられている。」
破り捨てたんじゃなくて献辞を消してタイトルを直した。
548:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/06 22:12:10.58 8rWL05PD0.net
そんなに君主になろうとするのが嫌なのか
549:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/09 20:08:10.52 tHY2NkUDP
戦争の弱さをオナニー小説で慰める それがチャンコロ乞食の伝統
550:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/25 00:56:34.16 Uqpn0V9B0.net
横山光輝は曹操を一千年に一度の逸材といってたけど
実際は石勒にも劣るだろう
始皇帝とか劉邦とか武帝とか光武帝とか李世民とか李淵とかの方が曹操よりも上
従って曹操はとても一千年に一度の逸材などとは言えない
551:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/25 09:20:34.69 QKmhXwL00.net
>>535
政治家として中華の半分を平定
軍人として官渡の戦いなど数多くの戦いに勝ち
腕力もあったことが正史にも記されている
文人としては陶淵明誕生以前の最高の詩人の一人
兵法家としては現在ある「孫子」の実質的編纂者とされている
で石勒にも劣るのか・・・すげえな、石勒
552:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/25 11:59:22.00 3+uq4Iaf0.net
華北の統一という到達点はほぼ同じだが、曹操と石勒じゃ出発点が違いすぎるからな
孤児を騙して天下を奪ったような奴とは格が違うと宣った石勒の自負もわりかし的外れではないと思う
553:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/26 03:11:59.13 bQCy99RH0.net
曹操の詩人としての評価は下の上ぐらいだったはずだぞ
554:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/26 12:13:22.19 6aKElgKq0.net
陳舜臣センセも言ってたけど詩文を「文学」のレベルまで引き上げたの息子二人で曹操の詩文って軍歌とかのレベル。
(実際作った詩文の大半は軍中で作製してるし)
555:名無しさん@お腹いっぱい。
18/09/26 12:44:25.47 hJ+0A72X0.net
>>532
曲の内容が英雄の死までを取り扱っているから
ナポレオンに対して失礼であると判断して改題した、と何処かで見た覚えがある
556:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/06 05:09:03.58 Uz5D7+IM0.net
>>535
自分が死んだら即行で甥に息子を殺されて簒奪、甥が死んだら大混乱で20年経たずに糞味噌になった石勒と
華北制覇から50年もった曹操じゃ曹操の方が上だわ。次代の後継くらいしっかりしろ
557:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/07 04:40:34.84 moyPyo2M0.net
普通に広げた領土でも
曹操>石勒でしょ
558:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/07 13:40:06.23 FvjBMnPiO.net
ワイ陳寿、曹操評百年も立たず風化。
559:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/07 20:31:04.18 kwx4m3zI0.net
石勒の曹操司馬懿disって「世説新語」(劉宋の頃に上梓)からの引用だから当時の南朝の人間の視点が「曹操司馬懿は石勒以下のカス」って認識だったんやろ。
後漢書も世説新語ほど露骨じゃないけど曹操に手厳しいし
560:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/06 00:13:04.75 NmTgFVIQ0.net
南朝の人間「俺たちが華北を失って苦労してるのは誰のせいだ?」
南朝の人間「そうだ!曹操が悪いんだ!」
南朝の人間「蜀漢の劉備や諸葛亮にはシンパシー感じるんだよね」
561:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/06 08:25:09.04 ma0+pa8N0.net
異民族呼び込んだの蜀漢じゃん
562:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/06 16:21:39.75 S9snV7ws0.net
三国とも異民族は兵力として使ってるみたいだし、人口不足が原因かもね
異民族は締め出さなきゃいけなかった、確か鄧艾がそんなことを言ってたぞい
563:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/07 18:28:29.63 arzPW9700.net
>>546諸葛亮は軻比能と同盟して魏を叩こうとしていたのに
その事を後世の人間は叩いたりしないのは不思議だわ
564:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/07 20:42:44.20 rMHTi1/p0.net
>>548
東晋が慕容部と連携して後趙を討とうとしたり劉宋や蕭斉が柔然と連携して北魏を討とうとしていたわけだから批判するような行為でもなかったんじゃね
565:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/07 23:32:24.75 VRi+lwj40.net
>>545
東晋系の曹操disはどっちかって言うと粛清や貴族の利権(爵位の世襲禁止など)でヘイト買ってたのが原因なんじゃ。
後漢書献帝紀読むと劉裕なみの粛清やってるし
566:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/08 02:18:44.67 hu8qVkbr0.net
>>549北宋も金と連携して遼を討とうとしてたもんな
567:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/08 10:26:23.26 Wc0SpqaG0.net
諸葛亮が異民族と手を結ぶのは綺麗な戦略
曹操が異民族使うのは汚い戦略
なにこのダブルスタンダード
568:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/08 22:08:24.94 hu8qVkbr0.net
曹操が異民族を兵士として利用したり移民させたりした事を非難する記述ってあんまり見かけないんだよな
異民族を移民として漢土に入れる事の危険性とかは色々言われてたみたいだけど
569:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/08 22:35:46.78 /UROPHPf0.net
それは後漢初期からずっと続いていた傾向じゃね?
570:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/09 01:05:59.54 Ks6kTxIL0.net
そもそも史記にも異民族を自軍に編入する記述はある
571:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/09 07:36:56.27 /F0YdzXy0.net
ハンニバルとかスキピオは異民族と同盟を組んで異民族の騎�
572:コにより大勝利をあげていた
573:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/09 10:42:29.36 XpmT3ceK0.net
つーか、呉が異民族政策が成功させて南朝の基礎を作ったからなあ
金みたいに大義名分を与えて内地を侵攻させるのは不味いだろうけど
574:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/13 18:01:05.22 ZTd+X9g10.net
劉備の配下に烏丸騎兵がいた事も知らんのかお前ら
575:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/13 18:03:04.64 ZTd+X9g10.net
三国時代は三国それぞれ利用して乗っ取られず異民族への対応はキッチリしてたって事や
576:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/13 18:33:48.34 WSIhOXpN0.net
蜀も普通に南蛮の人間を兵士に使ってたな
577:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/14 23:07:34.05 c6hdTcvM0.net
劉禅は雲南に蒙塵することも考えたそうだが、
チベットに逃げ込むという案はなかったのかい?
578:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/14 23:24:30.08 S9+Fu6ll0.net
チベットの方は蜀はほとんど領土とか持ってなかったんじゃない?
579:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/15 00:37:57.07 qAYVohq80.net
>>560
夷陵の戦いの時に南蛮人だったか異民族の長を使ってたな
その戦いで死んでしまったけど
580:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/16 01:27:32.31 xgtC8Okk0.net
>>563沙摩柯の事だな
581:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/16 13:06:37.24 B8K6aeuc0.net
沙摩柯は武陵蛮
582:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/16 15:01:10.54 4qvHvu8+0.net
>>1
諸葛亮が優秀すぎたから
583:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/16 23:35:19.94 QQVfbDyA0.net
曹操も老いてたんだろな
若かりし頃なら本拠地を襄陽に移して、敵に対してより積極的に踏み込んでいく姿勢を見せたはず
それが戦線から遠く離れたギョウで個人的安逸を貪るようになるとは…。・゚・(ノД`)・゚・。
584:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/16 23:41:04.10 IhHHsAVu0.net
武帝紀読む限りだと死ぬ間際まで兵を率いて東奔西走してるけど
まるで思いつきで行動してるかのようにいたずらに兵を動かす戦略性の無さが曹操の欠点だと思う
585:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 00:05:55.48 EP7KNzTQ0.net
>>568
荀彧を殺しちゃったのが運の尽きだった
586:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 00:48:52.83 gyqj2Jio0.net
赤壁から戦略的失敗を何回もするようになるんだよな曹操
587:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 00:58:14.88 O+o2ZMZF0.net
荀彧粛清も赤壁後の方針転換の揉め事っぽい。
588:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 06:19:32.88 UvdWbkEx0.net
戦略的に独立して動く才能のある劉備が政治的にも独立しちゃうんだから曹操が自分で動くのはしゃーない
劉備が独立しなきゃ赤壁すら起こらずに天下統一やろ
589:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 06:31:00.76 hON4iKLU0.net
曹操は漢朝再建の立役者に甘んじなかったのが最大の敗因だわな
霍光二世ぐらいには成れただろ
590:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 07:04:00.56 4JZIoCNd0.net
曹操の代で統一してたら曹操はたぶん漢朝の臣で終わってたんじゃ。
591:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 07:06:18.98 b+yEXobj0.net
>>573
劉備の政治的基盤がもっとしっかりしていれば曹操と立場が逆になって光武帝の再来に成り得たかもしれんけどね
592:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 07:28:15.44 hON4iKLU0.net
>>575
劉備は地方豪族成り上がりでの官僚出世コースだとほぼ上限に近いような気もするんだよなー
あれ以上狙うとしたら中央官界に基盤のある相当な上流階級に生まれないといけなかっただろうし
593:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 07:41:37.87 H9UKjAgu0.net
>>576
そこは相対的なものだからね
曹操より無能が速攻簒奪したならまだしも
曹操どころか董卓ですら漢王朝を輔弼する形で体制構築してる
そうなるとスタートの基盤が重要にならざるを得ないでしょ
594:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 07:47:37.38 H9UKjAgu0.net
後漢末の特徴として
経済的には大混乱を極めてるけど政治的にはそれなりに体制が維持されてる点が挙げられると思う
前者はスレで散々語られてるけど後者も統一が遅れた一要因だと思うよ
595:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 15:03:27.30 uEVrU00z0.net
>>572
自身の娘あるいは宗室の子女を娶わせて、
きちんとフ(馬付)馬にして取り込んでおかなきゃ
596:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/17 19:17:42.38 xpHS2pG30.net
後漢の権威なんてあってないようなもん
劉焉も劉表も袁術も袁紹も韓遂も並みいる群雄は後漢王朝に見切りをつけてた
最たるものが黄巾の乱だけど
597:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 01:19:25.45 lvp0bzIn0.net
俺の個人的な意見に過ぎないけど、2世紀末までは漢の権威はある程度あったように思う
漢の高祖劉邦は劉氏以外が王を名乗ったら諸侯は力を合わせてこれを倒せと遺言を残している
これは呂后専横の一時期を除いて概ね守られてきた
王莽も王号を経ずに禅譲に到っているし、前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった
新末後漢初の戦乱の時代、王や皇帝を自称する群雄はいたけれどすぐに滅ぼされた
後漢末に時代が移ってからも、位人臣を極めた董卓も王は名乗れなかった
後漢朝廷と距離を置いた袁紹も独自の王号を僭称するには踏み切れなかった
袁術は帝号を僭称した途端にその支持基盤を失った
細かく見てくと遼東王を自称した公孫度や河首平漢王を自称した宋建のように辺境で独立勢力を築いた群雄もいるけれども、劉氏以外が王を名乗ってはならないという不文律は概ね守られてきた
曹操が魏王を称するまでは
598:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 01:51:45.06 FZXYPnR50.net
>>574魏王になったり皇族に連なるものを何人か殺してるんだから
簒奪する気満々でしょ
599:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 02:48:58.74 0Z/qT2ZI0.net
>>580
むしろ曹操の方がどこか漢王朝に未練あるって言うか
600:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 10:27:10.56 Rpw067SX0.net
なんで曹操はあんなに漢帝国の臣にこだわったのだろうか
601:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 11:10:06.40 sHSWMbiy0.net
だって先例が王莽じゃんw
あと皇帝はお飾りにして自分は周公旦気取ってる方が楽だし。
かったるい儀礼や祭祀もやらなくて済む。
602:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 11:48:09.33 mthxHawt0.net
>>585
王莽まで戻るまでもなく袁術がおる
603:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 14:56:11.64 RrNhDOeS0.net
自分が名分として担いでる漢王朝を中華統一前に廃するのって普通にリスキーでしょ、対内的にも対外的にも
曹操が劉氏ならやってたかもしれないけど
604:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 15:07:22.34 RrNhDOeS0.net
?劉氏なら漢王朝続くじゃねえか何寝惚けたこと書いてんだ俺
605:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 16:27:04.29 U8NmDSBO0.net
しかし曹丕が漢朝を廃してリスクがあったようにも見えないけど。
時期が違うから?
606:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 17:12:00.39 m+bQWhdL0.net
>>583
そうでもない
袁紹と同様に朝廷側の刺史と戦ってる
607:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 21:02:56.81 RrNhDOeS0.net
>>589
上の方にもあったけど内的には反抗勢力が吉本、魏諷あたりと一緒に粛清されて一段落ついてたのが大きいんじゃないかな
外的には劉備が漢の後継として即位して、名分の上でも完全に独立するっていうリスクが禅譲直後に顕在化してる
まあ外的な方は曹丕が問題視しなかったか、リスクを承知の上で禅譲を迫ったんだろう
曹操が道半ばで死んじゃったせいで自身の権威付けと体制固めを急ぐ必要があったしね
608:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/18 23:05:49.75 WRKi+FIN0.net
儀礼や祭祀を廃止しようとはしなかったのか
ポルポトのように家族廃止とか
609:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/22 21:00:01.94 Do9CDoDJ0.net
>>581
>前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった
西漢初期の頃は劉姓以外の王てんこ盛りで
韓信が2人も王だったりするしなw
長沙王呉著が跡継ぎ残さず崩じた紀元前157年までは普通に
劉姓以外の王が存在するので劉邦の遺言は長らく守られていない
既に魏公となっていた曹操が魏王になったのは
30年近く河首平漢王を自称した宋建を亡ぼした功績からなので
それも劉備の漢中王みたいな僭称ではなく正式に漢の皇帝から王位を贈られてるので
劉姓以外の王云々の不文律は曹操の魏王就任の頃には風化しているのは確か
それを現代においてとても問題視する御仁が出てくるのは甚だ謎
610:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/22 21:31:42.47 pfQ8MlcV0.net
後漢書読んでてビックリするのが、当時は袁術陛下以外にも各地に自称皇帝だの自称王だのがゴロゴロしてる
611:事。劉表にしても軍楽隊を皇帝に準ずるものにしたり勝手に祭祀やったりとやりたい放題。
612:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/22 21:54:23.51 6kcBR8Vj0.net
袁術みたいな貴種が皇帝を名乗るのとそこらの賊がそれやるのとでは全然違うだろ
613:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 02:09:42.26 f4QwBQDp0.net
何故、曹操は天下を統一できなかったのか?的な書き込みが結構多いなこのスレ
614:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 16:05:23.43 nolEQpVP0.net
>>596
そりゃ曹操が勢いのまま天下統一するのが一番可能性高かったんやから当たり前やろ
615:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 18:23:43.12 31RWJ3vm0.net
曹操は戦闘は一流だけど戦争はなぁ
616:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 18:48:45.93 qhcpy96D0.net
>>598
いや本人は戦争上手やろ
問題は部下に戦争上手がいなかった事
617:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/26 23:06:23.35 p6qBW2Ao0.net
>>596
スレタイに沿って話を進めると自ずとそういう方向に行くのはわかるけども…
もう少し中身のある話をだなって言いたくなる気持ちはわかるわ
しょうもない堂々巡りばかりやっとる
618:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 09:14:28.19 4blhEmPW0.net
>>600
というか大体答えが出てるからやろ
中原が一番荒廃してて回復するまで他の地域との差が少なくなってたと
619:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 10:20:14.41 3Ya1zYCp0.net
呉に周瑜と魯粛がいなければ他の重臣はみな降伏論だったので赤壁の戦いも起こらずとりあえず荊州と揚州は征服できていた
620:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 11:30:18.69 S2pIk9bv0.net
>>600
スレタイに沿った話題以外の中身のある話とは一体
621:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 15:14:12.87 uB/uPDITO.net
単純に騎馬の優位が生かせない戦いに弱かっただけでは?
622:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 15:25:33.84 4blhEmPW0.net
>>604
同様に騎馬運用に長けた劉備軍閥が
敵対し続けて最終的に蜀に篭ったのが痛かった
623:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 21:21:57.94 Y7iKjfvm0.net
袁紹に勝ってから、なんか片手間にやってる感じだな 孟徳は
624:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 22:17:43.63 216BhAF+0.net
河南を制圧するのに手間取ってるのがマイナスなんだけど、
河北の袁家に勝てたせいか、あまりマイナス扱いされてないのが不思議
625:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/27 22:53:47.20 aA5Fpyoa0.net
>>599
濡須口とかねぇ
626:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/30 08:25:07.00 ujJ6d3Xj0.net
>>602
呉が降伏すればもう終わりなのかね
ただ、漢中も西涼も益州も北方民族もあるんだけどね
627:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/30 09:31:26.16 1PSW+eQK0.net
>>609
劉備が曹操の下にいたままだったら
荊州>漢中>益州の順に落ちるから呉が降伏しなくても手も足も出なくなってお終いや
628:名無しさん@お腹いっぱい。
18/11/30 14:59:34.86 PUKJ/LhwO.net
そこまで行ったら、渤海の公孫政権も大人しいというか立たないか。
629:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/01 22:00:47.16 iRtMHtYn0.net
赤壁時点で涼州も劉璋も曹操に服してる
630:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 07:57:21.93 8SgWuXad0.net
やっぱり勢いって大事
曹操は時間を掛けすぎた
631:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 10:57:53.80 29B+z7ib0.net
苻堅「そだねー勢いって大事だよねー」
632:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 12:13:25.61 yb1Ulh1p0.net
>>609
呉が降伏したら終わりといっていいよ。
633:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 13:23:52.49 Wq3wTcKQ0.net
>>613
赤壁のあたりは勢いに頼りすぎだろ
なにせちょうど一年前は万
634:里の長城の向こう側に居た軍隊が長江の中流に居るんだもんな 疫病が発生したのも杜撰な行軍計画が招いたようなものだろう 郭嘉の病死も文字通りのデスマーチ環境に過労死させられたようなもの
635:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/07 15:44:57.87 bUunjGJr0.net
荊州を固めてれば呉はまともに抗戦できなかっただろうになあ
636:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 01:16:43.73 WxfDdQHT0.net
基本的に劉備が悪い
637:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 02:52:00.99 DuGdlNv50.net
荊州を攻略した時点で無理して呉を攻めるべきじゃなかったな
長坂で劉備を無理やり追いかけたのも失策だったように思う
638:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 03:11:27.49 2qeDHJNd0.net
諸葛亮のような慎重さが曹操にあったら荊州を失うことはなかった
639:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 08:31:20.35 Wlt68/7h0.net
>>619
というか呉を後回しにしてあくまで劉備の討滅を優先する選択肢ってなかったのかね
640:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 10:08:23.04 eSpYohcS0.net
>>616
まあその部分だけ見ればそうなんだけどね
大半の中華統一した君主は旗揚げや勢力引継から15年以内とかで統一してるからさ
それ以上時間を掛けてしまうと情勢的にどうしても膠着状態になるし
そうなるとある程度世代が変わって内部崩壊とかを待たないといけなくなると言いたかった
641:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 19:14:34.55 DuGdlNv50.net
>>621劉備を優先した結果が赤壁じゃない?
だから武帝紀や山陽公載記に孫権では無く赤壁で劉備と戦ったと書かれてるんだと思う
642:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 20:27:01.01 PO7WpRGr0.net
少し時間かけて内部を切り崩していけば
張昭らの北方名士と地元豪族が組んで、強硬派の周瑜魯粛をふん縛って終わりだったろうな
なぜ待てなかったのか
643:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/08 20:57:47.08 L1FAeAL00.net
降伏論でまとまりつつあったのをあとでひっくり返したのが魯粛と周瑜だから、
あのおどしの手紙が届くと同時くらいに攻め込んでればよかったんじゃなない?
644:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/09 19:42:14.01 xRAVw/bp0.net
覚悟を決めた魯粛が独断専行で劉備と手を結んで孫権を説得してるからね
降伏派にはどうしようもないよ
645:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/26 17:28:37.67 jBVbOmxQ0.net
>>616
当の郭嘉が数々のデスマーチを主催してる
646:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/29 13:17:32.98 UKNpbvhK0.net
>>624
孫権は周瑜を信頼してたよ。
待った所で内部崩壊は無かったと思うよ。
人をまとめる能力が孫・周にはあったと思うから。
647:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/29 14:16:41.75 E6AUCxty0.net
戦わずして勝つ、勝ってから戦うことが孫子兵法の究極と思い知らされるな。
自称曹参、夏侯嬰の後裔、自称劉氏の正統後継が名実の正統性を言い張り続ければ
益のない戦いになるわな。
曹操が蜀呉に苦戦したのは、曹操が劉備を「育て上げた」ことが原因かもな。
648:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/30 22:48:57.17 gswAnPHL0.net
>>628
親周瑜で気に入りの魯粛に進言されて初めて孫権は周瑜を召し返してたんだが
649:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/30 22:51:29.00 gswAnPHL0.net
正直魯粛が鄭宝について行ってれば呉は堕ちてたとおもう
650:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 09:29:51.40 eZN/CB+M0.net
周瑜がまとめたと言っても長対陣になったらボロボロ崩れていったと思うけどなあ
651:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 10:22:23.71 aH21q0b50.net
>>632
程公の人望に賭けろ
652:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 16:07:07.03 gD0UidOP0.net
>>632
崩れるの折込済だから黄蓋の偽降計が成功した
まあ長期対陣すると官渡みたいに両陣営崩れて
お互い崩れたり登降したりするのは普通にある
653:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 18:24:47.91 eZN/CB+M0.net
>>634
曹操と孫権の勢力比は官渡とは比べ物にならないから曹操の方が崩れる可能性はかなり低いだろ
654:名無しさん@お腹いっぱい。
18/12/31 20:14:33.25 reLRHx720.net
>>635
低いもなにも曹操は疫病での撤退が主な原因だぞ
655:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/01 13:23:59.21 mMInB3/9O.net
人が土地の風土に合わないっのは決定的な差だからな。
あの場で対陣を繰り返せば、曹操軍は何度でも大規模な疫病に見舞われるな。
ストレスが体調を崩して、重病にまでなるんだろう。
656:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 01:09:45.03 eqpZQ4Xn0.net
人口密集、不衛生な環境、不安定な食糧供給による栄養の欠乏…
軍隊生活は伝染病の集団感染を引き起こす危険要素を幾つもはらんでいる
特に、張羨の乱、赤壁の戦い、樊城の戦いなどの建安年間における荊州の戦乱では疫病の発生が史書に記録されている
傷寒雑病論の作者張仲景こと張機も、建安年間に孝廉に推挙され太守として長沙に赴任したところ、疫病によって親族二百人のうち3分の2を喪ったことから医学の道を志したという
西暦2世紀末から3世紀初頭の荊州はそれだけ疫病が蔓延する危険地帯だったってこと
余談になるけど、周瑜、魯粛、呂蒙などの呉の優秀な将軍が荊州で病死したこともこれによって説明がつくはず
657:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 11:14:18.61 370q+Nt3O.net
そんな時代に大規模な切開手術を麻酔もなしに受け、術後には二次的な感染症にすらかかっていない。
術中は大量出血しながらも、睡眠効果を誘発する飲酒までしていた。
当時は当然、無菌室も輸血もない。
疫病地獄の世界でこんな手術受けても、なんともない関羽さんは本当に超人過ぎるな。
死因が病没な常人程度ではまず生還不能だろうな…。
658:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 14:30:59.31 th3eckBR0.net
>>639
そういう関羽真理教布教いらないから
もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている
同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない
関羽よりも治療した医者を褒めるべき
659:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 15:27:39.53 370q+Nt3O.net
二次的な感染症に関しては、本人の異常耐性以外にどうやって説明するんだ?
関羽は切開手術中に肉食べて、酒まで呑んでたんだぞ。無菌室とはほど遠い不衛生環境だぞ。
さらには大量出血しながらの意識を失いかねない飲酒。
当然、そんな状態で意識失ったら現世に帰ってこれないだろう。
上辺だけでものいっちゃあかんぞ。
660:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/02 22:37:52.31 gudpfvNV0.net
関羽の手術談義すんの?
まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね
大規模な手術って肘だからね
自分の触ってみてごらんすぐ骨だから
後医者がヤブ過ぎる
完治した後に大分経ってから毒って
破傷風でも腕を落とすレベルだよ
661:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 11:45:24.85 rn9FO0Y/O.net
単純に関羽がリアル超人だったという話ですよ。
病没が死因な連中にはまず耐えられるような手術ではなかったろう、という理由も込めて。(当時の環境的に)
中国の正史には功績多大な戦略家、戦術家は多いが、関羽のような超人的な人物は、いうか大規模手術を簡易な戦場医療で完治させてしまうような超抗体の持ち主なんて関羽しかいなかったんじゃないの?
戦略、戦術は素人でもこのような超人は居るだけで戦局に影響するでしょうよ。ほぼミュータントだもの。
662:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 13:46:47.31 RkQ5NcS60.net
まあ、肘が痛覚があまりない部位とは言え
麻酔なしの切開手術だからな。
それに耐えただけでも超人だが、談笑しながら
酒まで飲んでたからな。
当時の酒が痛み止めになった?
最近RDR2でもプレイした?
ウイスキーなら西洋医療が未発達の時代には
痛み止めみたいに使われてたけどな。
しかも、痛み止めというのは術後の断続的な痛みの軽減に効果があるわけであって
術中の痛みを大きく和らげる、もしくは全く感じなくなるほどの
現代医療の麻酔レベルの信頼性があるわけでもない。
大規模とらえられるのは、関羽伝に盆に血が溢れかえる程と
書かれてるからだろう。
当然、輸血がなければ疫病に侵されて病没するような常人なら
そのままお亡くなりになられるわな。
疫病蔓延な世界での不衛生環境下での戦場医療だから
当然に本人の抗体も頑強でなければ、二次的な感染症にも当然かかる。
これも、病没が死因の武将では同じような手術には耐えられない理由にもなるな。
このような正史のデータをもとにすれば、関羽という武将は非常に稀で特異な武将で
曹操のように最前線においておけば、敵大将目掛けて遮二無二突っ込んでいき
敵味方の被害を最小限に抑えて、敵軍を沈黙させる働きが期待できる。
ホウ徳戦で額に矢が刺さっても戦えたという記述もあるが
これにしたって、なんの根拠もなしに兜をかぶっていて兜に矢が弾かれた
などというデマなどより、関羽ならば頭骨の厚みで脳に矢が届かなかった、とか
考察論を立てるほうが賢いと思う。関羽は常人ではないからな。
曹操も関羽を手元に置き続けられれば、南方攻略は楽になれたかもな。
曹操は騎兵を中心とした戦術指揮官を多く抱えてはいるが
被害は敵だって、出さずに勝つのが覇者の理想だろう。
(いずれ敵国だった国も自分の国になるので)
関羽の顔良斬り(刺し?)は便利すぎる戦い方。
関羽だけは俺も単独で戦況に影響できるような超人だったと思う。
プライドが高く、強情が過ぎるのもそんな人物だからだろう。
自分も他人と変わらないと自覚できていたのなら、唯我独尊を気取るはずもない。
663:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 16:16:08.85 66Q653fU0.net
関羽信者って正史もまともに読め無いのかな?
とりあえず戦場医療って何に?
664:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 17:12:13.65 rn9FO0Y/O.net
戦場での簡易医療だと思ってもらえればいいかな。関羽は武人なんだから、戦場の陣地で手術を受けていても不思議じゃないでしょ。
それと煽ることしか出来ないのなら消えてくれない?知識がないのはただの恥だよ。
665:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 19:53:17.51 goDzOGNt0.net
史料の断片的な情報を想像力で膨らませても妄想は妄想でしかない
それを知識と言われても、あなたがそう思うのならあなたが好きなようにしてください、ここ以外の場所で、としか言いようがない
666:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 20:19:34.61 66Q653fU0.net
>>646
それが肘の手術と何の関係があるの?
いきなり妄想垂れ流しされても
667:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 22:40:13.56 rn9FO0Y/O.net
答えられなくなったら妄想呼ばわりで締めるのか?
元より断片的な情報しかないのが正史だろうに。
てか、当時の中国の酒が痛み止めになる。なんてトンデモ妄想はスルーなのか?
妄想の飛躍度合いが一番酷いだろ。
668:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/03 23:46:47.69 66Q653fU0.net
自分で勝手に痛み止めの定義を決め付けて妄想って言われてもw
669:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 00:55:20.94 nwqWpXoYO.net
トンデモ妄想の原因は>>640と>>642だな。
それは俺じゃないから分からんわ。
上辺だけで中身がないからスッカスカな意見だから、理由を詳しく聞きたいところだが逃げたのかな?
670:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 03:03:20.33 ibnQob8L0.net
長い文書いても中身があっち行ったりこっち行ったりでなあ
671:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 13:42:15.93 McEwXnUP0.net
要点は関羽が凄かったか。当時の医療技術が凄かったか。
だな。
・共通点:当時は疫病が全国的に蔓延していた。
⦿関羽が凄かった
・大量出血を伴う切開手術を輸血も麻酔もなく、不衛生環境下で行い
二次的感染にもかからなった。
超人と呼ぶには十分な説明かと。
⦿医療が凄かった
・全般的に具体的な説明はなし。
>>640より「もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている 」
もっと危険で不衛生 と 処方確立 の具体的説明の欠如。
更に二次的感染は不衛生環境下での細菌感染によるものなので
無菌室のなかった時代に、その被害を完全に
抑えられる医療技術、薬方の説明不足。
中央、地方の医療機関の充実、医学会の発展の説明も必須。
でなければ、関羽の執刀医が同等の薬方と知識を揃えられていた説明にもならない。
>>640より
「同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない 」
・開腹手術と腕の切開手術の出血量の違いの説明の欠如。
出血量が多ければ、腕の切開手術でも命に係わるため。
>>642
「まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね 」
・どういうことなのか?これもまた具体的な説明がない。
アルコールはどれくらいの度数、酒量なら痛み止めの効果を発揮し
それが断続的な痛みが続く切開手術に耐えられるものなのか?
技術的に生成可能だったのか、現代の麻酔並みの信頼度があるのか、の説明不足。
>>639からのまとめを書いてみたが
関羽の超人っぷりは説明が簡単だが、当時の医療技術の説明は東洋医学の専門家でもないと
無理なんじゃないの?
672:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 16:22:54.48 pd/acrFo0.net
>>653
とりあえず正史の記述を丸飲みしてるのがな
肘が完治してから曇りや雨の時に痛む程度で
しかも時間が大分経ってからの骨に毒って診断ミスだし
673:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 16:44:56.80 NOZYSpE50.net
だからスレタイが読めねーのかな
ここは関羽のすごさを語るスレでも古代中国の医療技術について語るスレでもないのだけれど
674:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/04 17:09:59.48 HBJW7Bcy0.net
約一匹、>>639に猛烈に噛みついてるのが居るからな…。
答えられないならスルーすればいいものを。
関羽真理教布教だの、関羽信者だの煽ってる姿には懐かしさすら
感じるがいい加減に絶滅してほしいわ。
675:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 18:32:43.98 a9R6hr/I0.net
俺は司馬懿の深謀遠慮だと思うね
司馬懿が本気なら、孔明死後の蜀なんてあっという間に司馬懿に滅ぼされてるよ
死せる孔明生ける仲達を走らすは、ただのショー
じゃあ何で司馬懿は孔明死後の蜀を滅ぼさなかったか?
蜀を滅ぼせば、その軍功は大きすぎて、洛陽の宮廷から呼び出されて処刑される可能性大
だからあえて孔明死後の蜀を滅ぼさないようにしたんだろう
曹叡も愚かだよ
俺が曹叡ならば、孔明死後直後に魏延が勅命で処刑されたとの一報が入ったら、
すぐさま司馬懿を大都督に任命して30万の大軍を与えて漢中へ攻め込ませ、
同時に合肥には兵5万を派遣して満寵の指揮下に置かせ、
呉への守備を固める
そうすれば蜀を滅ぼせるか、少なくとも漢中は切り取れた
何せ魏延は長く漢中の長官であり、漢中の要害を知り尽くしていた名将軍だが、
その魏延がいないんだからね
676:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 19:39:52.71 xSFGTv2D0.net
愚かというか、曹叡は良くも悪くも現状の領土で満足してた気がする
だからほとんど外征やらないし、
孔明が死んでやったことと言えば、もう安心じゃ宮殿建て放題!!でしょ
677:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 21:28:10.33 ydsl95M30.net
晩年に司馬懿に遼東遠征を命じてたじゃん
まぁ公孫淵があくまで背かなければそのまま放置してたかもしれんけど
678:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/06 23:24:26.95 xSFGTv2D0.net
なんか話ずれてるなぁ
679:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 17:32:25.27 cB0ycXCW0.net
曹操があと5年長生きしていた場合、
関羽の仇討に出陣した劉備が夷陵の戦いで陸遜に大敗したという知らせを受けた曹操が、どう対応するのか気になるね
うまくいけば蜀は滅亡し、曹操が成都に入城。
陸遜なら息子の陸抗と違って永安宮(白帝城)を落とせるだろうけど、
益州での戦果はそのぐらいだろう。
天下は三分せず二分(しかも圧倒的に魏が優位なまま)となる。
曹操の跡を継いだ曹丕と呉の戦いもまた、史実と違ったものになるだろう
680:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 18:27:04.69 gM0RhW5i0.net
曹操が健在なら、劉備が呉へ東征する前提も絶対といえるかわからん
681:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 22:36:24.03 MB8+83r00.net
流石に曹操が健在なら迂闊に出兵はできないんじゃないかと思ったが、
その少し前に荊州兵だけで魏に喧嘩売ってるやつがいたのを思い出した
682:名無しさん@お腹いっぱい。
19/01/08 23:57:49.33 MB8+83r00.net
つまり当時の蜀は曹操舐めてる感あるし、
平気で夷陵出兵くらいやるかもしれない