17/03/20 22:51:56.80 hugaVazr0.net
結局、魏(晋)は蜀と呉も万全の状態では侵攻に失敗し
国が乱れてからようやく滅ぼす事ができた
3:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/21 00:41:26.03 7t2UWbqx0.net
蜀滅亡時の戦も魏は割と苦戦した
4:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/21 09:21:33.35 LMtzJv0Y0.net
地形の問題も大きいんじゃないか
5:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/21 23:55:43.97 7t2UWbqx0.net
蜀は山、呉は川が味方したんだろうな
6:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 00:19:12.24 2BgcZhp30.net
>>3
苦戦という割には軍起こしてから半年で蜀滅亡
呉滅亡の時は3ヶ月だからそれよりは時間かかっているが
それほどでもない
7:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 00:31:10.83 AhoxeIXh0.net
>>6鄧艾が奇襲を敢行しなかったら割と危かったんじゃない?
8:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 01:00:15.86 2elqGiRi0.net
漢からの禅譲、曹丕あっさり亡くなる、司馬一族との権力闘争と曹操亡き後は内でもめてたからじゃない?
9:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 02:50:40.18 s56wjemP0.net
反乱祭りだったから
10:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 07:34:49.19 2BgcZhp30.net
>>7
全然危なくない
漢中はあっさり陥ちて剣閣で足止めされてただけだから
長期戦になっても漢中取り返すだけの余力は蜀にはない
四川盆地は侵入できれば遮るものないので
鄧艾がやらなくてもだれかが別動隊で四川盆地に侵入すればあっさり
11:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 14:22:07.36 t6Kk7Nsw0.net
簒奪と並行でやってたからでしょ
12:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/22 19:20:45.96 WRhdlPsC0.net
魏(晋)は関西の異民族の方が手を焼いてた印象
13:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/25 19:56:01.94 xVQacMcD0.net
ぶっちゃけ国力差が開いてきたのは曹叡時代くらいから
14:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/25 22:12:46.77 Gf0flEZd0.net
曹操存命時から晋まで何度も反乱あったからなあ。あんま戦力を集中できない
15:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/25 23:52:38.06 z9JOZ7+80.net
曹叡は統一の野望は無く平和に暮らしたかった
仕方なく諸葛亮や孫権の相手してやった感じ
16:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 04:51:30.85 /hubs3nn0.net
>>12晋はともかく魏は異民族より呉と蜀の方に苦戦してたように思うなあ
呉には何度か大敗してるし、蜀には何人か武将を殺されてるし
17:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 12:37:03.55 1MqEl5cx0.net
張コウは司馬懿のミスで亡くなった
18:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 13:28:46.15 QgrxOgVo0.net
>>14
そういう意見よく聞くが
呉や蜀でも何度も反乱あったのは何故か無視されるのは謎
19:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 13:45:51.28 VNu6u1730.net
>>18
政変にしても呉の二宮の変で亡くなった人間のなかに陸遜含まれているからな
曹爽の失脚とは比べ物にならない大損失、蜀でいったら諸葛亮失脚ぐらいのインパクト
20:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 22:02:33.17 2CiqWDr50.net
>>18
つまりどこも大規模に動けんかったっつーことやろ。何が疑問なんや
21:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/27 08:20:57.23 2LxdjZ130.net
東晋や劉宋でも宰相や大将軍クラスの人間が失脚したり、反乱起こしたり猜疑心拗らせた君主に難癖つけられて誅殺されるとかデフォルトやし。
22:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/27 10:06:12.21 OFlhsCjz0.net
>>20
いや悪の帝国魏は反乱続発で
正義の帝国蜀は反乱皆無という印象操作を常日頃感じるので
23:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/27 10:22:25.81 2LxdjZ130.net
普通に蜀志読んでりゃ諸葛亮の第四次北伐当たりからしょっちゅう反乱だの住民逃亡だの頻発してるって書いてるけどね。
まあ蜀の場合反乱とかより人間関係のトラブルの方が目立つだけなんやろうけど。
24:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/27 11:10:20.11 9zFdhP3j0.net
劉備の時代から叛乱はあるし、呉も孫権の時代は最後までそこここで叛乱ある
蜀はまだしも、呉は北伐どころじゃないだろと思えてくるくらい多い
25:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/27 12:54:13.03 aXYSEzq/0.net
蜀はケイシュウ派閥とエキシュウ派閥でよく争ってたって有名じゃないですか
26:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/27 21:38:36.09 whehrr7j0.net
あなたの願望を叶えたい時に必要になる
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(6807.teacup.com)
URLリンク(noroi.top)
27:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 00:07:20.61 HngP/kj70.net
>>25北伐派と反北伐派に分かれて争ってる感じはするけど
荊州派閥と益州派閥の争いって言われてるほど無かったんじゃないかなって思う
荊州派の諸葛亮と益州派の李厳の対立とかは言及される事あるけど、自分は李厳が益州派閥のトップであったとは思えない
李厳って荊州出身で、劉璋の元でのキャリアって短いし
李厳への弾劾文に普通に益州の人間の名前が書かれてるし
28:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 02:22:47.10 8ANdQ8G90.net
地元でアンチ劉備だった黄権さんも最後は劉備に忠義尽くしてるしあんま地域での対立はなかったんじゃないかな。
むしろ学閥とか外交軍事での対立の方が目立つ。
29:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 21:15:19.82 kIQQzThf0.net
曹叡は諸葛亮が生存してる時も宮殿の造営してるけど
何故か諸葛亮が死んでから造営が始まったとされている風潮
30:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 22:39:42.76 hS+ogBYH0.net
>>29多分、演義のせいだな
演義と史実がごっちゃになってる人はいる
31:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 23:19:40.55 6qUIFeFX0.net
曹丕も宮殿造営は考えてたからな。
結局やらんかったけど。
32:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 00:41:07.73 +OeQWWpd0.net
曹叡は軍事的には有能だったが金は浪費したな
33:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 23:03:22.26 kgpdiDun0.net
魏より蜀の兵の方が装備が充実してたみたいな話を見た事があるな
34:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 10:14:50.96 mDBbizcS0.net
鉱山と燃料である木が豊富だったからやろ
35:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/01 23:33:57.34 UxaPbDpq0.net
蜀を滅ぼした時の魏は既に曹氏に実権は無かったし、魏呉蜀は事実上引き分けと考えてる
呉蜀に比べ皇帝の夭折が目立つ魏は、後漢の弱点をそのまんま引き継いでしまった感がある
司馬懿や司馬昭に国を奪われる段階では、もはや統一どころでは無かっただろう
赤壁以降は劉備の攻勢に曹操でも押され気味だったし、諸葛亮の北伐にも防戦主体を強いられてる
演義の主役達は史実でも強かった。と言った所じゃないかな
36:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 00:39:36.72 5eV0ySbX0.net
曹丕は有能だったのか無能だったのか
37:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 03:52:31.90 YmaKQHba0.net
>>36政治家としては有能だけど軍人としては無能だと思う
どの口が劉備は兵法を知らないとか言えるんだか
38:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 06:57:06.61 3UIOfDE00.net
>>1
そういう小事(呉、蜀)に
関わっておれないほど
匈奴の脅威が大きかったから
39:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 09:58:42.84 LrrZGxTP0.net
>>37
曹丕の無能さには同意だが
劉備の夷陵の敗戦は無能でも馬鹿にしたくなる酷い内容なので
40:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 11:02:46.13 Xhwesp2Z0.net
>>39
でも呉もそれなりに損害出てるような
41:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 14:45:35.57 qFOIPC/40.net
>>35
曹叡は統一は考えてないだろ
魏を平和にしたかっただけで、仕方なく諸葛亮や孫権の相手
してやっただけだろう
42:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 17:08:56.16 LrrZGxTP0.net
>>40
損害出たという割には
直後に曹丕に三方面攻められても凌いでいるのでどうかな
蜀では主だった武将クラスの戦死や投降者は両手に余るが
呉では主だった武将クラスの損害は微小
43:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 17:11:10.92
44: ID:Xhwesp2Z0.net
45:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 18:30:55.40 LrrZGxTP0.net
孫権陸遜が有能なら
無能相手に攻勢に出ても失敗しないのだが
46:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 20:18:58.19 YmaKQHba0.net
>>38魏の時代の匈奴は衰退期
魏が異民族で一番脅威に思っていたのは鮮卑だ
その鮮卑も呉と蜀ほど魏に被害を与えてないが
47:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 21:16:54.91 /Cwgbh/s0.net
并州をほぼ放棄したのって曹操の時だっけ
いつ頃并州を再支配できるようになったんだろう
48:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 21:25:07.21 +qM+v9SU0.net
中原を制した魏にとって
取るに足らない辺境に逃げ込んだ
「泡沫」勢力を制服することなど
全く重要な課題では無かったということ
49:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 21:34:33.96 hKao5UJn0.net
どっちかって言うと曹叡あたりまでインフラとか貨幣の鋳造でヒーヒー言ってたイメージ。
50:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 22:29:28.07 qFOIPC/40.net
満寵は有能すぎるな、孫権と陸孫に攻められても
何度も打ち返ししてる
51:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 22:49:00.17 wtoHqUov0.net
>>49
魏の国力を考慮すると呉領を切り取ってこそ有能なのでわ
どうも感覚がずれてる
52:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/02 23:45:28.78 OUnEBDoL0.net
?
敵の侵攻軍を駐留軍で撃退してるのは有能じゃないの?
53:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 06:20:26.17 7UrPwog40.net
>>50が意味不明
54:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 07:18:31.16 SbcMUUad0.net
意外と国境に張り付けてる兵力は大したことないんだよなー。呉蜀に加え北辺もあるからしょうがないけど
55:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 07:54:02.80 pmYRNcRc0.net
前秦や北魏みたく国力で圧倒しながらイマイチ攻めきれない印象
56:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 16:39:51.80 wpewwYPl0.net
劉備に漢中から追い出され、関羽の北上に遷都を考えた頃の魏は間違い無く劣勢だった
この時に呉を抱き込まざるを得ない状況に追い込まれ、魏は統一を諦めた様に見える
周瑜も「自分が関・張を率いれば天下が獲れる」と断言してる辺り
この二人の軍事能力は隔絶したものだったのだろう
孫権が天秤に掛けた結果、曹操に付く選択をするくらいには当時の劉備は危険な存在だったと言える
57:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 02:57:19.09 bP+w2jS00.net
蜀呉の共同軍事作戦を警戒して、内需拡大してから各個撃破した。
魏晋は苦戦してないだろ
58:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 05:33:40.38 FCNWQ/U30.net
漢中を失ったり、于禁が降伏したりを苦戦と言わないなら苦戦してないかも
59:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 07:28:58.84 KDgFNnbI0.net
第四次北伐までは結構ギリギリで勝ってた印象。
それ以降は詰みモードだけど。
60:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 10:24:54.76 OJz3KBZI0.net
統一まで60年かかって苦戦してないっていうのも無理が
61:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 10:59:35.38 AWebIcXI0.net
前秦や北魏みたいもんやろ
62:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:06:41.50 uUFsnB8D0.net
前秦や北魏みたいもんやろ
63:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 03:10:08.29 KJYWUYtj0.net
魏って割と呉と蜀相手に大敗してる気がする
64:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:31:20.01 4WiuvDKW0.net
>>55
217年には孫権が使者を遣って曹操に降伏しているので
実質呉は呉の従属勢力だったのが219年当時
その頃曹操は寿命間近で老体に鞭打って寿命削りながら軍役してたので統一どころではない
まあ当時劣勢だったのは確かだが国内反乱や異民族対策に兵割いて疲弊してても
関羽倒すのに兵絞り出す余力もあるので
(一方蜀には魏を倒すのに絞り出す余力すらない)
蜀が魏を倒すのは219年当時でも現実的には不可能に近かっただろう
統一を諦めてなかったのは曹丕の方が曹操よりも気持ち強いと思うが
曹操よりも軍事才能も外交的手腕も無能なので呉に懲戒的戦役して失敗して終了
まだ呉を従属させたまま蜀滅亡させてから統一に向かった方が成功の目が高かった
関・張に関しては周瑜みたいな有能な指揮官の元では軍事才能発揮すると思うが
自身が司令官として軍率いるとあまり有能ではない
65:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:48:59.90 nlRZlefBO.net
曹丕は夷陵の大チャンスを孫権の外交戦略に欺かれて、みすみす見過ごしてから手玉にとられてる様に見えるね
曹休も周魴の偽降策に引っ掛かってボコボコにされたし
まぁ、孫権も何故か異常なまでに奇襲に弱いから、自身で攻めたら魏が誇る呉キラー達に追い回される結果に終わるけどね
66:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 12:32:00.59 WcgGEIhH0.net
>>63
真意は諸説あるが、呉は219に関羽と呼応する形で合肥を攻めてるよ
于禁軍4万が瞬く間に関羽に降伏し、3万が捕虜になった時
呉がまともに北上する気なら曹操に防ぐ余力は無かった
そして関羽を殺した後も孫権は荊北に対して軍事的圧力をかけ続けてる
孫権が本格的に魏に恭順姿勢を見せたのは曹丕が継いでから
夷陵の後では防衛体制が整った後に、孫登人質要求を突っぱねて再び魏と対立姿勢を鮮明にしてる
孫権は確実に魏も蜀も滅ばない匙加減を狙っていて、対関羽では魏に付かざるを得ない情勢だったと見てる
関羽や張飛の評価は魏書でも非常に高く、条件が対等なら于禁や張コウですら一方的に破られてる
67:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 12:35:02.01 TBZf2NhO0.net
そういう目で見ると、徴募されたばかりの新兵だけで関羽を打ち破った徐晃はめちゃくちゃ凄いんだな
68:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 13:02:02.06 6UZTpuPI0.net
赤壁と漢中で大敗した無能のせい。
69:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 13:18:12.56 4WiuvDKW0.net
>呉がまともに北上する気なら曹操に防ぐ余力は無かった
呉がまともに北上しても張遼臧覇などの対呉用師団は残ってるのでそううまくいかない
関羽用に兗豫州の兵徴発しているが呉には青徐州の兵をかき集めれば対応できると思われ
>夷陵の後では防衛体制が整った後に、孫登人質要求を突っぱねて再び魏と対立姿勢を鮮明にしてる
夷陵の戦いが終結したのは222年6月
曹丕の三方面の戦いが始まったのは222年9月
その間呉が魏に備えてできたのは蜀と和睦するぐらいしかできてない
夷陵の戦いに参加した呉兵の中には休む間もなく魏と戦ったのもいる
防御態勢が整っていれば江陵の南の長江の中州占領される事態にならないよ
>関羽や張飛の評価は魏書でも非常に高く、条件が対等なら于禁や張コウですら一方的に破られてる
程昱の発言でかなり評価高いように思えるけど
条件が対等でも関羽や張飛は前述の徐晃ばかりでなく楽進曹洪辺りにも一方的に破られている事もあるので
そこまで能力叩く高くないと思われ
70:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 13:51:20.48 WcgGEIhH0.net
孫権は夷陵の後に劉備追撃を止め、曹丕に備える行動をとってるよ
暴風雨で予想外の苦戦を強いられはしたが、撃退自体は成功してる
于禁降伏後に曹操が遷都を考え、司馬懿らが止めた時の策が孫権をもって当たらせる策
このころ魏領では反乱が多発し、張遼すら招聘されててキャスティングボードは完全に孫権の手中だった
71:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 14:47:37.72 4WiuvDKW0.net
訂正
×夷陵の戦いが終結したのは222年6月
○夷陵の戦いが終結したのは222年8月
陸遜が劉備を打ち破ったのが222年6月で
曹丕の三方面の戦いが始まった222年9月では軍が帰還しきっていない
劉備追撃を止めたのは陸遜の上申によるもので
現場判断が無ければ孫権はアホ面で曹丕の侵攻軍を援軍と勘違いして迎えて大打撃受けた可能性もあり
>于禁降伏後に曹操が遷都を考え、司馬懿らが止めた時の策が孫権をもって当たらせる策
これは孫権が従属勢力でないと考えられない策なので
例え孫権が219年合肥に襲来してても本気ではなかったから打ち出せた策
だから保険で呉方面の張遼すら融通聞かせて関羽への後詰めに使った
もし呉が本当に敵対するなら張遼を呉方面へ留めておけばいいだけの話
>このころ魏領では反乱が多発し
反乱のピークは吉本の乱や侯音の乱の有った218年~219年初で
219年は魏諷の乱は未遂に終わり他の関羽に呼応した反乱も首謀者名伝わらないぐらい小さいのばかり
前年からの流れで曹操が精神的に嫌になって遷都考えてもおかしくないが
実際は関羽が快進撃していた頃は国内の反乱のピークは過ぎている
72:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 17:20:53.55 KJYWUYtj0.net
>>68
張飛が曹洪に負けた事で能力が高くないというのなら
張飛に負けて数十人の部下と共に脱出する事になってしまった張コウも能力高くない事になってしまうのでは・・・
73:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 17:52:34.64 TBZf2NhO0.net
この手の議論、最終的に常勝不敗以外認めないという極論になるからつまらない
74:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 18:04:22.58 H0GDSiY+0.net
程昱が凄いって言ってたから凄いんだろう
75:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 18:49:23.35 gkBza5xl0.net
横山三国志のせいで程昱の印象が悪いな
76:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 21:04:15.20 GDlpd2Qf0.net
>>71
勝敗は兵家の常なので
関羽や張飛は魏の五虎大将に劣らない名将だと思うが
五虎大将が足元にも及ばない存在かというと違うと思う
77:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/09 00:30:48.86 7GcqThcr0.net
>>65
219年の呉の合肥攻めって何伝に書いてあった?
78:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/09 00:40:27.83 cj28gm3B0.net
温恢伝では
79:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/09 01:03:49.93 7GcqThcr0.net
>>77
ありがとう
217年に降伏して220年まで
魏と戦争してないと思っていたがしてたんだな
80:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/11 00:05:59.00 qrlK6pB/0.net
もしかして魏が帝国になってから領土を取られたのって諸葛亮の武都・陰平攻めの時だけなのか
そう考えるとなかなかの戦果に思えるが
ま�
81:魏からしたらほとんど人のいない捨て地を取られたみたいなものかもしれんな
82:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/11 00:22:43.42 k7ywDHgY0.net
呉相手に大敗するのは魏の悪い癖
呉の侵攻は確かに阻止できてるけど、肝心の攻勢作戦で転けてちゃ話にもならん
晋に代わって以降も西陵で手痛い敗北喫してるし、分裂時代はもう少し続いた可能性の方が高かったような気がするの
83:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/11 13:24:23.75 mN9EpSS+0.net
正直、孫晧じゃなきゃ呉はもっと粘れたんじゃないかと。
末期陳とどっこいどっこいの酷さだし。
前秦の苻堅だってこいつらだったら圧勝してたろうし
84:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/11 20:21:48.53 CVcrdlla0.net
あの馬鹿が死んだら統一できなくなるぞとか言われるくらいだからな
85:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/12 18:57:19.08 6sSfdJma0.net
>>71
勝敗は兵家の常なので
関羽や張飛は魏の五虎大将に劣らない名将だと思うが
五虎大将が足元にも及ばない存在かというと違うと思う
86:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/13 19:17:14.41 dJymmqhv0.net
>>81
苻堅は周囲から「今は攻める時期じゃない」と散々諫言されてての致命的敗戦だからねえ
呉の人口は200万ちょっとだったみたいだけど東晋は少なくとも500万はいたっぽいから結構厳しかったと思うのよ
87:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/24 23:24:03.43 8Euj8Kl/0.net
>>81
孫休だったらもっと粘れてない
孫休の時代は孫休本人が学者過ぎて軍事的にグダグダ
蜀への救援間に合わず蜀滅亡でその余波で交州離反
孫晧時代に交州再統合できた
まあその孫晧も最後はグダグダだったが
孫権末期と死後の諸葛恪孫峻孫綝辺りも酷かったので
少なくとも孫権死後に陸凱辺りが宰相になって政治引き締めて内紛無くしていれば
88:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 01:27:37.32 aZhWlCi10.net
長子孫登が長生きしてたらなあ 孫晧は董卓以上の残忍さ
89:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 07:38:39.81 wLk9P7uh0.net
孫皓さんは馬超さんと同様SAN値が最初からゼロやからな
90:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 09:51:17.72 qG+UOn+Z0.net
孫和を廃した孫権が悪いよー孫権が
91:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 11:12:23.51 Kuq7Bm/O0.net
実は後半生の孫権は影武者だった
本物は合肥で戦死してたんだ
92:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 12:26:42.29 bDm7Ok8p0.net
粱武帝「せやな」
唐玄宗「せやな」
93:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 13:20:25.83 ha5Xceab0.net
三国志は結局のところ天下統一できなかった2流プレーヤーの時代だからな
曹操は苻堅、柴栄などと同格
94:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/25 13:24:09.77 3K4JBA9Y0.net
曹操はその二人より下やろ
95:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/26 00:17:05.08 opvTAy8m0.net
>>86
孫晧は薛瑩みたいな名士層は迫害したので名士層からはことごとく嫌われているが
一方で吾彦みたいな下賤の者出身者からは意外と慕われていたりするので
まあ孫晧は呉滅亡時に陳寿の言った通り降伏許さずに腰斬が妥当だと思うが
96:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/26 01:00:54.16 luzCI01s0.net
>>92流石に晩年がボロボロすぎる苻堅と比べたら曹操の方が上かな
97:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/26 07:46:55.33 eMI9ofFM0.net
自分の代で崩壊した苻堅と3代は帝権を維持した曹操なら曹操だな
98:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/26 19:22:48.60 opvTAy8m0.net
柴栄も子供の代で帝権失っているが
部下が聖帝趙匡胤だったおかげで子孫は約320年貴族として存続できた
部下が狼顧司馬懿でも約210年王でいられた曹操と比べてどうか
99:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/26 19:23:43.38 opvTAy8m0.net
×部下が狼顧司馬懿でも約210年王でいられた曹操と比べてどうか
○部下が狼顧司馬懿でも子孫が約210年王でいられた曹操と比べてどうか
100:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/27 20:42:15.00 JJl7Qhut0.net
>>66
厳密に言うと包囲を解いただけだな
追撃する余力まではなかったし
101:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/27 23:43:05.40 +QtyMvRl0.net
>>98
いや厳密には
関羽は四冢の屯営が攻撃を受けているのを見ると、歩兵騎兵五千を自ら率いて徐晃に野戦を挑んだ。徐晃はこれを打ち破った。
関羽は退却したが、徐晃は深くこれを追撃し、幾重にも設置された塹壕や逆茂木を総て突破し、関羽の包囲網に大損害を与えた。
関羽は徐晃に敗れたので樊城から撤退せざるを得なくなったが、襄陽の包囲は続けた。
なので関羽は徐晃に大打撃受けて樊城から撤退している
徐晃は樊城開放する戦略的目的達成したのと
すぐに孫権軍が関羽の輜重攻撃して関羽が襄陽からも撤退して
既に孫権軍の戦闘の範疇になったので深追いしなかっただけ
関羽との戦闘を呉に任した後の夏候惇や徐晃の摩陂でのエピソードみると
かなり激戦後とは思えないほどほのぼのした話ばかりだぞw
102:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/28 08:59:32.56 e9MWk7300.net
晩年の関羽は老害の香りがする
103:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/28 18:00:11.49 OebnMmco0.net
>>99
そこで荊州を取りに行けない時点で曹魏って終わってるよな
104:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/28 18:16:26.57 joxz5zZZ0.net
>>101
まあ曹魏は赤壁の時点で荊州益州も降してるようなもんだったから
そこでほぼ味方だった孫権に離反されて負けて天下統一最大の機会逃した時点で終わってるのは確実
しかしそのショボい曹魏の于禁軍3万壊滅させてドヤ顔してたら
それ以上の増援集められて気が付けば逆に荊州方面軍壊滅させられた劉蜀も結構終わってる
105:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/28 18:24:17.13 joxz5zZZ0.net
曹魏にしては密かに孫呉に荊州襲撃頼む代わりに荊州切り取り約束してたとしたら
曹魏が関羽を襄樊から追い出しただけで深追いしないのはよくわかる
そのおかげで劉蜀と孫呉が殴り合う事になったので
「二虎競食の計」「 駆虎呑狼の計」が物語でなく実際にで成功した例とも言える
106:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/29 20:40:43.55 va11hwv70.net
「二虎競食の計」を狙ってただろうが、呂蒙の戦術が早すぎ&完璧すぎて戦いにならなかった、
これは魏としても計算ミスだったと思うよ
107:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/29 20:58:06.74 kqUY78sX0.net
そのミスも昭烈帝がわざわざ荊州に攻め込んでくれたおかげで、取り戻せてるけどね
ミスだろうけど顕在化しなかったね
108:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/30 00:56:11.64 g13o2IGa0.net
荊州取りに行って成功しても失敗してもそのまま何事もなく組むのは有り得ないから攻め込んだ時点で成功だろ
109:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 12:13:14.85 rYYFHb9/0.net
>>99
摩陂に集結した曹魏の援軍
曹操・夏候惇・張遼・徐晃・趙儼・徐商・呂建・裴潜・殷署・朱蓋・他
合計12屯営・5万
これって急造で掻き集めた援軍でも劉蜀の主力軍が来ても夷陵戦級の一大決戦できる規模なんだが
これみても魏は余力ないとほざく奴がいまだに出てくるのは謎
110:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 15:31:49.50 BZCO923d0.net
>>65
曹丕の三方面の戦いが始まったのは222年9月
呉が魏の年号を改元し黄武元年としたのが222年10月
なので先に同盟破棄したのは魏の方だな
>>68や>>70の言う通り呉が魏に完璧に備えできていない状態での突然の手切れ
その前から孫権は何度も孫登人質要求を突っぱねているので
孫登人質要求無視の件は手切れの言い訳に使われているに過ぎないな
魏領の反乱多発の件もそうだが時系列や規模を無視して考察するからおかしい所が
111:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/28 06:44:03.32 UJiEnUY90.net
諸葛亮がいたから
112:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/09 02:50:18.23 Bk2kOljG0.net
曹丕が戦下手だったから呉に敗戦した
曹丕が戦上手だったら呉をあの時点で滅ぼす事が可能だった
113:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/09 14:17:16.44 1NcIxBLh0.net
魏は北方や西方の異民族への備えも必要だし
国内でも反乱が多かったから、外�
114:ェに全力は出せなかったしな 加えて蜀を攻めれば呉が出てきて、呉を攻めると蜀が出てくるから 一気に攻め滅ぼすには膠着状態にして相手方の内部崩壊を待つのが上策だった 苦戦したというよりは確実な機会を待っていただけだろう
115:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/09 18:53:58.54 k8jatxjJ0.net
西晋同様に失敗した時の政治的ダメージを恐れてたとも言える。
116:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/09 19:51:25.98 iOgNS2zd0.net
>>111
三つ巴で五十年ぐらい均衡してたのは他の時代と比べても異様だわ
後趙・成漢・東晋も前燕・前秦・東晋も二十年弱で三国の鼎立は瓦解してる
北斉・北周・梁(陳)が四十年ぐらい拮抗してたけど南朝が崩壊しているチャンスが全く生かされなかったのは微妙
117:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/10 02:10:49.66 rPslHrEH0.net
>>111
有能な将軍を殺されてたり大敗してるのを見ると魏は普通に苦戦していたと言っていいだろう
国力を考えるともっと魏が優位に立てたはず
118:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/10 03:34:54.01 TtJoyEBy0.net
呉は長江に守られていたし蜀も天険の要害だったし
呉や蜀にも名将と呼べる人間はいたから
まともに正面からやりあっても損害が増すばかりだしな
119:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/11 21:00:31.88 pCqu63tI0.net
>>114
張郃は司馬懿に殺されたからな
120:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/11 23:30:06.31 6uw6/soO0.net
>>116張コウの戦死が司馬懿陰謀説をよく見るけど
張コウを殺す事が司馬懿にメリットがあるとは思えないんだよな
普通に司馬懿の判断ミスにより張コウを死なせてしまったで良いと思うわ
121:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/12 00:58:23.23 ZVovTgDR0.net
現役の軍部では叩き上げで最も功績があって
司馬懿を弾劾したり追い落とすことのできる数少ない将軍だったから云々
みたいな理由付けは結構見るわな
122:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/12 01:31:25.64 s+OOYHHb0.net
張コウは政治とはあまり関わってなかったからライバル排除って言われてもピンとこないよな
123:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/12 01:36:43.05 6ZfwE74C0.net
当時の司馬懿は魏を乗っ取ろうなんていう素振りを見せてないし
司馬懿が魏を牛耳るのは張コウが死んでからだいぶ後だ
そもそも司馬懿が独裁を始めたのはあくまで自分の身を守るためであって、元々魏を乗っ取ろうと考えてたとは思えんしな
124:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/12 08:34:49.74 YokYsVEG0.net
だいいち諸葛亮の北伐を防いでる時代は曹叡が皇帝として盤石といっていいしな
不惑にも達していない曹叡がここから数年で崩御して幼帝の代になるなんて
この時期に誰も予想もしてないだろうし
司馬懿だって精々が北伐を防ぎきれば位人臣を極めるところには昇れるだろうかって
程度で、若い曹叡より先に歿するだろうくらいまでの思惑じゃないんかね
125:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/12 23:39:01.28 T4DNvXiN0.net
張コウは夏侯淵死んだ時には都督になってるのに
その後は曹真や司馬懿に使われてる感があるのが悲しい
征西車騎将軍まで官位上がってるのにな
>>118
胡三省も言っているので完全な妄説という訳ではないな
まあ現場内での不仲なんて他にも張遼楽進李典でも有るしな
126:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/13 23:33:11.81 UePZ4ue60.net
国の為に心を合わせて戦わなけれならないのにこれだから二千石は
127:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/15 20:27:59.13 gbPI8xGU0.net
早死が多い
郭嘉 曹沖 曹丕 曹叡 甄氏
128:
129:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/16 04:33:25.43 eZXPCiRA0.net
魏は当時の中華の文化圏と主要都市をほとんど押さえていたし
人口、生産、技術、文化、国力、全てで圧倒的に上回っていて
時間が経てば経つほど国力に差が出る状態だったから
元々持久戦に持ち込んだら魏の勝ちは確定してたんじゃないかなあ
魏から攻め込んだのって大抵変に色気出した時ぐらいだしさ
130:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/16 12:13:11.77 4OL9Q/Wd0.net
魏にとっての引き分けは蜀にとっての敗北みたいなもんだよね
無理して攻めなくていいし、いつかは倒れるんだから
後ろには異民族もいるし、むしろそっちのが脅威だったりしてね
131:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/16 12:23:25.15 KsXuEOHH0.net
国力差が6:3:1って言われてるからなぁ
132:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/17 10:05:48.47 uMDHZDWo0.net
諸葛亮は初戦で2群(しかも奇襲)を奪っただけで
手も足も出なかったしな
満寵は呉に対し完璧に守ったし
133:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/18 13:44:44.92 HQvxCyaZ0.net
諸葛亮「呉は何度も魏へ攻め入るも撤退ばかりで不甲斐ない」
呉「オマエもな」
134:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/18 14:31:11.25 1rtvZtUg0.net
北伐なら後の東晋のほうが面白いかもな
状況が違うから呉蜀が不甲斐ないって訳じゃないが
135:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/18 19:15:41.51 aLvg8AJz0.net
>>130
魏では淮水沿いに軍屯田があってそこが防衛線になっていたけど
五胡政権の南の国境線がどうなっていたかはよく分かってないからな
前燕とか桓温に攻められたときガバガバ過ぎて滅亡寸前になったりしたし
136:名無しさん@お腹いっぱい。
17/06/24 12:49:24.23 +BSu6L/D0.net
>>128
呉戦線は孫権や満寵が健在の時代よりも後の時代の方がゆるゆる
合肥素通りでもっと奥の寿春や汝南に到達できているので
孫権は運が悪い時代に生まれたと思われ
孫権の軍才の無さは否定できないが
137:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/29 21:13:03.08 Wu+Jsuab0.net
>>131
遊牧民は線で守らんから特に第一次世界大戦以降の塹壕戦みたいなのには無力
その代わり機動力を効かした電撃戦みたいのには向いている
五胡政権みたいなのには防衛線という概念が無いかもな
138:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 04:28:33.07 61TnCNwY0.net
>>128手も足も出なかったというわりに局地的には魏の負けが多いし
二人も将軍を戦死させたのはどうなんだろうか
139:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 11:37:31.92 zVcaeyJ20.net
何故第四次北伐で諸葛亮が司馬懿をボコった事は無かった事にされがちなのか
140:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 12:29:07.04 A4aLSp2P0.net
国力や人口で圧倒しているのに魏が勝てなかったのって構造的な問題があったからとしか思えん
司馬家が専横しだしてから蜀滅亡、簒奪、呉討伐とトントン拍子だったからねえ
141:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 13:09:05.47 4wZwlUHf0.net
後趙も前秦も北魏も統一できなかったからな
華北を統一してても南を制圧することは容易でないということ
142:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 16:03:08.74 T+egaPz00.net
>>135
例えば項羽が劉邦を何度もボコっても最終的には劉邦の勝ちの判定だしな
局地的な勝利でも途中で撤退して最終的な勝利に繋がらないとあまり意味ない
あの時の諸葛亮は北伐で武都・陰平みたいな辺境ではなく
最低でも祁山や街亭や陳倉や五丈原辺りの領土切り取ってないと勝利とは言い難いな
まあ第四次の失敗は李厳のせいなので諸葛亮はそんなに責任を感じなくていい
143:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 20:42:12.81 C4
144:hX2aLz0.net
145:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 23:05:49.73 T+egaPz00.net
>>139
魏は土地よりも人口に重きを置いてたんじゃないかな
だから秦嶺山脈が邪魔で補給がしんどく蜀方面からの攻撃防ぎずらい漢中は
曹操の時代に漢中の住民根こそぎ中原に移住させて意外と簡単に放棄している
武都・陰平も取り返す手間と取り戻した後の旨みの少なさ考えると放置してもわからなくもない
諸葛亮が例え長生きしても陳寿や王志堅
146:名無しさん@お腹いっぱい。
17/07/30 23:10:40.58 T+egaPz00.net
途中で送られてもうたorz
諸葛亮が例え長生きしても陳寿や王志堅が指摘するように
あれ以上の進撃は無理だったと思うよ
撤退時に魏軍返り討ちはできるだろうけど
陳倉みたいに籠られると補給続かなくて領土得てても放棄して進むの断念するしかない
147:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/01 02:01:47.56 QwSwvqHp0.net
>>140
関西地方は後漢の頃から実効支配にそれ程興味なかったからな。
148:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/01 02:05:54.34 ueOJyXr90.net
>>136人口で圧倒してても魏は遠征に使える最大稼働兵力が二十数万ぐらいだからな
蜀も呉も無理をすれば守備に十万の兵力を持ってくる事が可能だと思う
それぐらいの兵力差なら地形の利がある分、守備側の方が有利
149:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/01 02:16:22.91 QwSwvqHp0.net
司馬昭時代の蜀討伐も十数万の兵力動員かけて剣閣で足止め食ってからな。
鄧艾の別働隊が成都急襲に成功→防衛に出動した諸葛瞻が鄧艾の挑発に引っかかって自滅し周辺住民が離散って幸運がなければ補給切れで総撤退だったろう。
150:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/02 16:26:50.19 WngMSEAl0.net
>>144
総撤退でも蜀には漢中取り戻す余力無いしな
翌年以降に多方面から再び攻められたら蜀滅亡も時間の問題
しかし蜀滅亡後に鍾会の乱や呉軍の永安攻撃も有ったのに
それでも思った程の影響なく魏の旧蜀支配が揺るがなかったのは
魏をあれだけ敵視して建国した劉備や諸葛亮らは草葉の陰で泣いてるだろう
151:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/02 19:53:00.97 b1abz0q00.net
ましてや五胡十六国になると成漢とか建国されるからな
152:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/02 21:43:33.93 gpKlFRG2O.net
>>145
幾ら諸葛亮が清廉潔白・質素倹約の賢人であったから、蜀科を課され度々の出征にも関わらず諸葛亮生前には文句言わなかった蜀人とはいえ
それからの蜀政界のグダグダに加え、理由があったにせよ姜維による再々の北伐はサッパリ蜀の庶民には何の旨味も無くキツいだけだったから
蜀末期の国民意識はそれなりに国家としての蜀から離れてたんだろな。
イデオロギー国家とはいえ、そのテンションを保ち続ける難しさは過去も現代も変わらないって事なのかも。
153:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/02 21:43:54.93 gpKlFRG2O.net
>>145
幾ら諸葛亮が清廉潔白・質素倹約の賢人であったから、蜀科を課され度々の出征にも関わらず諸葛亮生前には文句言わなかった蜀人とはいえ
それからの蜀政界のグダグダに加え、理由があったにせよ姜維による再々の北伐はサッパリ蜀の庶民には何の旨味も無くキツいだけだったから
蜀末期の国民意識はそれなりに国家としての蜀から離れてたんだろな。
イデオロギー国家とはいえ、そのテンションを保ち続ける難しさは過去も現代も変わらないって事なのかも。
154:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/02 21:46:04.57 gpKlFRG2O.net
スマン、ミスった。失礼しやした
155:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/05 02:07:47.33 tkX97C7f0.net
>>149
ドンマイ
良い事は2回言っても気にならない
156:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/05 07:09:59.98 4qv6AVy00.net
西晋になってからの蜀人の従順さを見てると蜀人的には地元さえよければ無問題やったのかも。
157:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/05 08:37:59.53 T0D0DXPs0.net
むしろ孔�
158:セの度重なる北伐で疲弊していたしなあ
159:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/07 01:54:27.15 UeA6uLJP0.net
諸葛亮の北伐で疲弊したが
ショウエンが国を休ませたおかげで国力が回復したって感じだろうな
ショウエンがいなかったら蜀はもっと早く滅んでたかも
160:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/07 03:24:26.80 xl76KH5v0.net
魏征服~八王の乱の約40年より季漢時代の約40年の方が益州エリアで反乱発生してた件について
161:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/07 15:10:47.33 4dnZJQucO.net
>>154
まぁ実際そうだよね、税の大半は軍事費に消え、消えた割には領土も増えず人も増えない。
後期になると庶民がやってらんないんで蜀から逃げたら、蜀は北伐と称して人狩りに出兵という形で兵を募るって自転車操業だもの。
これで反乱起こさず黙って従えじゃ堪らない。
162:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/07 22:43:26.12 mUrcoal10.net
西晋の時代も王濬が艦隊製造のために木材片っ端から切り倒してるけど蜀人は従順だったからな。
163:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/07 23:22:21.63 iTwH1mCV0.net
苻堅に併合された後の蜀も何度か反乱は起きたけど、東晋攻めるための造船作業には黙々と従ったから
そういう民族性なんだろうか
164:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/07 23:46:40.60 YIChUZ2N0.net
>>156
そのあたりの話になると何攀を抜きに語れない気もする
165:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/08 02:49:54.25 0YL4xUP10.net
蜀漢時代も反乱起きてたのはほとんど異民族がいるとこばっかりだったからなぁ
元々従順な住民なのかしら
166:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/11 01:52:07.80 VDoyBjRJ0.net
関羽ってよく于禁に勝つことができたね
167:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/11 20:21:08.83 uxZIgO+C0.net
>>160
いくら漢水の氾濫が原因だったとはいえ
船用意してない時点で負けるべくして負けた于禁の無能さが際立つ
しかし于禁が3マソの大軍ごと降伏したおかげで関羽が呉へ兵糧強盗に走り
それが原因で関羽が滅んだのも確かなので于禁の活躍ともいえる
168:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/12 19:32:44.06 rZRDzm7M0.net
蜀の高官なんて老人ばっかなんだから魏を潰してれば良かったのに魏と組んじゃうんだもんなー
169:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/12 22:53:25.42 aN4sXivD0.net
劉備がナポレオンだとすると関羽はネイ将軍
170:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/13 18:36:16.35 Scl8pBjS0.net
>>163
ネイとミュラ足して割ったぐらいじゃね?
171:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/17 16:01:58.88 9cZZ5lsbO.net
>>163
ナポレオンのあとに3世が付くんだろ?
172:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/17 18:40:18.32 ZY/hzM+o0.net
ナポレオンズかもしれない
173:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/17 20:10:03.84 RG10rjK90.net
野心家的で本家軽視な性格としてはナポレオン4世辺りか
174:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/19 00:36:50.99 NxKm8rqN0.net
劉備とかいう寄生先を尽く駄目にする疫病神
175:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/23 16:58:14.10 OfNY91L+0.net
定軍山の戦いで曹操が敗北して漢中を失ったことが大きい
あの戦いで敗北していなかったら、曹操(か曹丕)の天下統一は実現できたと思う
鶏肋なんてなぞなぞの布告出してないで、
長安へ撤退した後も漢中奪還に本気で動くべきだった
176:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/23 22:55:40.73 i1cbYUlB0.net
>>169関羽の侵攻にかかりきりになって
再度の漢中侵攻は無理だろ
関羽の侵攻を止めた後、曹操も死ぬし
177:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/23 22:57:07.61 i1cbYUlB0.net
曹丕は夷陵の後、呉に侵攻するのではなく
蜀に侵攻すべきだったと思うわ
あの時の蜀はボロボロで、魏軍を止める力も無かっただろ
178:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/24 06:12:15.31 rRRbDZiL0.net
>>171
その辺りが曹丕の軍事的才能の限界
しかし劉備も曹丕もお互い相手を侮っているところが面白い
179:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/24 17:54:37.64 ThrDcTyj0.net
関羽戦死の直後は呉と蜀は険悪で連盟を結べる状況じゃなかった
つまり、その時点の魏は後の三国時代と比べれば、かなり外交上優位になっていたんだよ
曹丕は帝位を禅譲させるよりも先に、
曹仁を大都督、徐晃、張遼を副都督として30万の大軍を与えて蜀へ攻め込ませればよかった
蜀は呉にも対抗しなければならないので、兵力が分散される
また呉が蜀の救援のために魏領へ攻め入る可能性は最小で、
魏は対蜀戦に集中できる
蜀は漢中を失うだろう。
漢中さえ魏の手中に入れば、蜀は長く持ちこたえられない
180:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/24 20:48:05.00 BpE+ucyE0.net
正史に描かれてるよりも関西の実効支配が上手く行ってなかったのかね。
第一次北伐でもアッサリ降伏してるし
181:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/25 01:49:23.05 po6KMTBX0.net
魏が漢中を取り戻したら蜀に通じる桟道を焼き払えば防衛も楽だったよな
182:名無しさん@お腹いっぱい。
17/08/25 11:19:40.62 po6KMTBX0.net
>>1
諸葛亮と周瑜が蜀と呉にいたから
183:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/09 19:23:39.97 vZZKIG5Y0.net
>>175
漢中-蜀の間の大巴山脈よりも
漢中-魏の間の秦嶺山脈の方が険しいので
魏側からも陸路で補給はキツイから案外防衛楽ではない
まあ襄陽から漢水遡って補給できるから蜀よりはいいけど
184:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/10 20:41:18.84 P05VRTbI0.net
自然国境だと漢中は蜀なのか
185:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/11 01:08:05.92 Y723FLnF0.net
関羽軍対張遼軍とかもしあったら関羽軍完敗してもおかしくないな
と考えると蜀の将軍で魏の大将軍対峙できる能力があるのは諸葛亮とか法正とか限られるな
五虎大将軍では無理
186:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/11 04:04:09.70 t0LnWrXK0.net
>>179普通に張飛が張コウに勝ってないか?
187:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/11 05:48:42.83 Fd6W3ExtO.net
臥龍がいるなら鳳雛も
張遼は最高の活躍したが対呉であって蜀とはやりにくいんじゃないかな
188:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/11 23:03:38.05 aRcLQoKQ0.net
美髯公は楽進にフルボッコにされてるし、新兵を率いた徐晃に競り負けてたりするしね
一方で、運が味方したとは言え、魏の前線将軍筆頭の于禁には勝ってたりするし
強さ議論するとしてもゲームみたいには単純にはいかんね
189:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/12 00:40:58.13 Y23/UcU60.net
白起とか楽毅とか項羽とか韓信のような圧倒的な軍才をもつ将軍が存在がいない
って上の4人ともに終わりはあまりよくないな
やはり曹操、諸葛亮あたりが三国志の中では逸材なのかな
190:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 18:07:46.78 TVc+LqSm0.net
諸葛亮は電撃戦が出来なかったから
正直、他と一枚落ちるだろ
191:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/13 22:13:40.55 5biy4M0x0.net
本来は政治家ですし…
192:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 11:47:39.17 j0Mg0Vft0.net
田単も政治家だったけど事を成したぞ
193:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/14 23:20:04.46 jC8U9CVk0.net
田単は市場の役人です(半ギレ)
194:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/17 14:25:45.80 jg/NWeOE0.net
>>180
見方変えれば張コウの目的は蜀の人攫いで
巴東・巴西の2郡を降してその住民を漢中に移住させ
張飛の精鋭1万人余りが到着した時には50日余り対峙して住民移住の時間稼いで
撤退する時も山越みたいに軍容解散して蜘蛛の子散らすように供周り十数騎で南鄭に引き返して
追撃しにくくして被害を最小限に抑えているからな
戦略的には実質張コウの勝利だよ
負け戦ならそれまで夏侯淵の部将扱いで偏将軍だった張コウが
帰還後すぐに盪寇将軍に出世したのは不可解
195:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/18 21:09:05.19 hx9Wc9hF0.net
URLリンク(dazaifu-magokorodo.com)
196:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/20 02:02:25.25 vUzquViV0.net
蜀を攻略後にケイ州との交通路を整備する案はなかったんだろうか
197:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/20 12:19:18.57 uwkkwBw30.net
>>190
規模を理解している?
198:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/23 12:36:10.40 yRMCZPFB0.net
>>191
規模が大きいのはわかるが通りにくいところだけでも山に穴を開けて道を作るとか
なんとか考えてほしかった
199:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/23 18:45:02.63 OAzX1b5e0.net
>>192
山に穴をって現代でも何年掛かるかってレベルなのに
万里の長城寄り最悪な土木工事を望むのか
200:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/01 21:57:08.27 Eiou158G0.net
末期の魏~晋って降伏者には異常に寛容だったのはどういう理由なんだろうな
201:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/01 22:31:02.26 zPYRmsc60.net
>>190
整備しなくても長江中下流域から四川盆地まで普通に長江航行可能だろ
途中難所の三峡あるけどあえて陸路整備する必要ないぐらいの航路
だから夷陵の戦いでも黄権が水軍率いて長江下ったり
征呉戦でも王濬が船団率いて長江下って快進撃しているな
202:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/02 16:05:11.75 zAQpDC390.net
>>195
下るのは楽だが上るのは辛いんだぞ
一方通行だけなら交通路として劣っているだろ
203:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/02 17:24:55.34 iz2vhS4u0.net
>>196
東晋(劉裕含む)は二度も荊州から蜀落としてるけどな
呉は正直ショボい
204:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/02 22:46:04.67 a0vfkSzb0.net
呉は蜀漢滅亡の時に少しでも領地ぶん取れなかったってのは痛かったんかな
205:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/03 18:49:07.34 tB8/2CZu0.net
羅憲が悪いよ羅憲が
206:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/03 20:25:34.00 7KDLVeqW0.net
>>199
羅憲が空気読まずに同盟国より宿敵に阿って妨害されたのもそうだが
それ以前から霍弋に交州掻き乱されてたから体力無くて無理ゲー感がある
孫策周瑜呂蒙以後の呉に同等以上の侵攻の軍才ある指揮官が居ない以上
呉が蜀を攻略するのはミッションインポッシブル
あの時代に桓温や劉裕が居たらどうなっていたかは気になる
207:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/04 03:31:26.85 XmFu3Njy0.net
羅憲も霍弋も対魏の戦いで活躍を見たかった気がする
諸葛瞻では無くこの二人なら鄧艾の侵攻を防ぐ事ができたかも
208:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/04 19:11:13.99 QYYCKIze0.net
まず関羽殺した呉が空気読めとか言ってもね。孫権晩年以降の混乱で国力落ちまくってるし
209:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 19:14:10.96 kGsnsegH0.net
>>202
そうやっていつまでも呉を半万年恨んでればいいよ
結局関羽は自業自得で蜀は韓国と�
210:ッじお前が言うな状態なので たまにそういう呉への恨み節が出てくると滑稽 そろそろ正しい歴史認識を学んだ方がいいよw 皇室は呉と魏とは血縁関係で蜀と魏とはも血縁関係なのに 呉と蜀とは婚姻破綻したまま血縁関係になっていないから 同盟関係でも互いに魏との繋がりよりは希薄な関係 なので赤壁で共闘してもずっと握った反対の手で視界の外で殴り合ってる関係 だから今の希望の党民進党立憲民主党日本維新の会自由党社民党共産党他並みに混乱した野党状態
211:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 19:23:28.10 mLwW6PtH0.net
羅憲に空気読まず守ったって流れからだし
そんなのお互い様だろってだけの話なんじゃ・・・・・
個人的には荊州問題は荊州守りきる力がなかった蜀が悪いし
蜀滅亡時に呉が阻まれた件は攻めとる力がなかった呉が悪いと思う
212:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 19:33:01.82 qepnJS100.net
>>204
蜀末の呉の鈍さは致命的だよなあ
213:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/06 22:32:20.13 Rf09f1Qd0.net
どっちも雑魚だから負けただけだわな
214:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 00:52:31.88 YAlssM3x0.net
無理に中韓や現代日本の政治の話をねじ込んでくる輩は度し難い
215:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 00:56:58.80 DSwBMOsm0.net
>>203
鮮人はすぐファビョるなあ
216:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 09:22:58.33 LtBmFFi+0.net
蜀視点でしかものを見れなきゃ空気読めなんて意見は出てこない様にも
217:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 12:58:17.98 kaL5+iib0.net
一番空気が読めないのは曹操が死んだ時に
長安を攻めなかった劉備なんだよな
218:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/07 13:21:38.00 ep2iDVXp0.net
空気云々って最近の話題なら羅憲がどうのって呉視点で物言ってんのが発端だろ
羅憲もあの状況でよく守るつもりになったなって感じだけど
219:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/10 06:40:57.39 gkUsPSKs0.net
まーた蜀中毒かよ(*^^*)
220:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/10 08:34:54.25 08rOQxFoO.net
蜀が滅んでショック
221:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 12:31:23.79 QO5lsrDO0.net
>>210
長安攻めても敗北するのが目に見えているので無理ゲー
曹操死直後は何故か218年辺りよりも国内固まってて反乱ほぼ無いから漢中戦よりも魏軍が浮ついてない
むしろ関羽死んで荊州失って孟達劉封粛清とか国内ガタガタな蜀軍
222:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 15:38:18.48 J5FyX9Bd0.net
そんなこと無いっ、て蜀中毒がファビョりだす予感w
223:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 16:44:58.70 8oQlk6lD0.net
結局曹丕曹叡が早死にしたのが敗因だな。曹叡はもう少し生きてたら煬帝コースだったかもしれんけど
224:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 19:12:45.18 wHgBgKb60.net
曹叡の没年が司馬懿よりも後か、もう少し近くだったら大分変わっただろうな
225:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 20:26:46.07 y+Cuff7A0.net
長安さえ落とせればあとは函谷関をがっちり抑えればまず魏に浸入はされなかったはず
長安を拠点に魏を攻略することができただろう
226:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 20:37:28.45 obS18Yt/0.net
馬超「せやな」
227:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/12 23:18:23.17 qSDQR4Ey0.net
曹丕は軍人としては大したこと事無いからあのまま長生きしてたら
軍事的失敗を重ねて国を傾けたりって事もありそう
228:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/13 00:30:27.46 s+RRlHIf0.net
魏も長江を越えれないが呉も無理だろ。国が傾くほど大敗するとは思えん。呉蜀は連携しないし
229:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/13 19:27:12.59 x
230:nfx8MhC0.net
231:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/14 08:26:48.83 vJHcMCIV0.net
ま蜀中毒の馬鹿はスルーだな
232:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 21:34:20.62 F2POKuiX0.net
>>220
曹丕が無能でも曹操時代の良将の多くが健在なので
国が傾くぐらいの軍事的失敗重ねる事は考え難い
曹丕は他国(主に呉)にちょっかいかけて痛い目に遭ってるだけで
黙ってる分には特に軍事的不可の無い初代皇帝
233:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/20 21:40:57.48 HJLNhI6S0.net
国が傾くくらいの軍事的失敗なんて前秦宣昭帝か宋文帝ぐら
234:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/24 16:50:35.90 C7FubMxD0.net
曹丕が長生きしてたら司馬一族に魏を乗っ取られなかったと思うが
235:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/24 18:15:17.83 l4M4/kew0.net
>>226
あれだけ戦争負けまくってたら魏が持たんわ
236:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/25 11:55:24.60 9ObTZ2ea0.net
魏は劉禅や孫酷が皇帝でも蜀や呉に滅ぼされたりはせん。孫酷が皇帝だったら粛清を恐れた
部下に謀反されて国の名前は変わるだろうが、蜀や呉の侵攻によって滅ぶのはない。どっちも深く侵攻はできない
237:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/25 15:45:15.92 VPUT1utC0.net
東晋も桓温が洛陽奪取した時に「本拠地移しましょうよ」って上表してもスルーしてたしな。本拠地移して攻勢限界点を広げないと領土を広げられないんだけど権力構造も変化しちゃいから。
238:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/26 22:33:48.62 6aASRmUX0.net
曹叡はやばすぎた
239:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/26 23:48:20.47 8v9k8uq80.net
>>230
早死にしたしな
240:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/27 08:01:28.79 jcbvEzLd0.net
おまけに後継者がどこの馬の骨ともつかんガキだしね。
あれで事実上曹魏って終了した気が
241:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/27 12:01:36.47 aE/IBY8h0.net
もともと終わってた定期
242:名無しさん@お腹いっぱい。
17/10/29 16:57:31.51 A4jLE5+A0.net
>>232
曹叡の早死には仕方ないにしろ
後継者が成人した曹髦なら曹爽や司馬懿の専横が抑えられてまだ望みがあったな
まあ曹髦は親父が残念なのと曹髦自身が曹叡崩御時に世に存在してなかったので仕方ないが
243:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/01 02:32:46.01 UFiohpbn0.net
短命ぶりは王朗の苦言が的を射ていたんだなぁ
244:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/03 10:25:55.73 Pl14s/SX0.net
>>1
パワーポリテクすまんま、軍事と経済がわかれば理解できる
呉→むしろ雑魚だから無視された。三国志といいつつ実は二国史
最後まで無視されて短期決戦で抵抗なく服従する雑魚
完全な無視された弱小地方政権
蜀→事実上のライバル。1500万はいる魏人口にたいして領民100万、蛮族100万しかいなかったが、見事「ベトナム食料庫輸送帯」「中国南方穀倉帯」を抑えることで、小国でありながら十分なイニシアチブをもって魏に抵抗した
三国志で割りと描かれないけど、蜀はベトナム+南方穀倉帯を掌握して、魏相手に莫大な輸出黒字を出したから軍備増強できた。
また史実の孔明はベターな防戦主義派だったけど、これの理由は「穀倉帯を抑えたから、長期戦では大丈夫、短期決戦はかえって不利でむやみな攻勢に訴えず国力を温存する」方針ありきだったからこその専守防衛に努めた
後世の歴史かはこの孔明の大局的目論見を理解しないバカが多い。そして孔明無視の攻勢主張者の作戦は全部失敗したんだよな
戦国的な政治感覚で孔明のドクトリン、作戦が正しいからこそ、孔明死後何十年も国が持った。
天下さん分の計は
「呉は小国だから無視され、蜀は穀倉帯を抑えるから成立する」ってことだったんだ
そして長期展望的には、中原を放棄してベトナムに手を伸ばせれば、人工的にも対抗できた。
また穀倉を抑える戦略はさん分の計だから成立した
天下がさん分だからこそ、流通、商業の自由が聞いて、蜀は工業力が脆弱でも、穀倉輸出黒字を出せた
魏は人口大国ではあったが、天下さん分でベトナム植民を失って、対蜀、対呉赤字を増やしたから、少数人口の呉、蜀に抵抗された
245:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/03 17:54:09.10 ssWL1ojQ0.net
>>236
妄想乙
246:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/03 19:04:13.07 d/90iICP0.net
>>223
夏候惇の前では蜀武将なんてただのカス~
247:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/03 20:29:35.30 PmCyEJG00.net
>>236
蜀中毒のキチガイ発見
248:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/04 18:08:48.43 vXnpa/y00.net
>>236
ベトナム(交州)は士一族の頃から呉の支配下
勿論吸い上げられたベトナム経由の南蛮貿易の多くは呉のもの
なのでベトナム経由の珍品珍味の多くを呉が外交の贈り物として利用した記録が残っている
蜀は霍弋の頃に呉支配の交州に裏からちょっかいかけて
一時期交州を呉支配下からカオス状態に突き落とす事に成功しているが
そんな余計な事しているうちに蜀自身が魏の侵攻を受けて滅んでしまった
そんな蜀が呉を火事場泥棒呼ばわりするのは甚だ滑稽
249:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/04 22:02:54.15 5RvhYelj0.net
蜀は夷陵で惨敗したしな
250:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/04 23:55:56.87 /SAdYb+d0.net
呉は防衛では配下ががんばって撃退する。攻勢も任せれば良かったのに
251:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/05 00:35:40.85 FC4pRJ5U0.net
>>240霍弋が交州に侵攻したのって蜀が滅んだ後じゃない?
252:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/05 09:29:22.69 zfw2g4/a0.net
交州が反乱でカオスになったのは魏の蜀侵攻の前
霍弋が正式に交州の反乱支援したのは魏の南中都督になってから
253:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/05 12:08:09.61 Aijf6v170.net
やはり、蜀中毒は呉ファンまで敵にするサイコパス
254:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/05 16:16:08.44 0XciBkNh0.net
曹操にしろ司馬懿にしろ、妙に優しくて野心が少なすぎる。
後代の一族皆殺し風景を見る限り三国志時代は牧歌的とすら思う。
二人とも、あれよあれよ、権力を得過ぎたので国を乗っ取る流れ
しかも形式的には自分の代では取りたくない的な忠臣ロマンチスト。
隴を得て蜀を望まずとか。野生が足りない
255:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/06 20:14:04.42 JTHNvzZl0.net
>>245
お前、煽ってばっかだよな
256:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/06 22:24:25.83 Q324Q5XH0.net
>>246
その二人は石勒には評価されてないのよな
URLリンク(www.geocities.jp)
257:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/07 06:30:15.20 qlQbdKZY0.net
>>247
煽ってねーよ
258:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/14 18:58:22.15 Cgf5hYCv0.net
>>248
曹操や司馬懿は劉邦や劉秀と違って皇帝になっていないので
石勒が曹操や司馬懿を劉邦や劉秀と比べるのは場違いな気が
石勒の王莽評は聞いてみたいところ
259:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/15 17:10:49.70 TxIT3nCP0.net
>>249
煽り
260:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/25 20:10:30.99 /Jsgjucu0.net
>>242
呉は配下に攻勢任せても失敗の確率高い国
特に孫権死後は散々たる結果が多い
でもたまに孫慎みたいなゲリラ作戦はミッションコンプリートしたりする
261:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/26 12:36:09.04 nHPblecT0.net
>>252
蜀は諸葛亮が死んでから引きこもるから
魏のあの国力差で攻められたら
キツイだろ
262:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/26 14:08:14.28 VAV528ap0.net
>>253
蜀は諸葛亮死後の蜀末期の方が連年外征してたりする
(とはいえ蒋エン費イ死後の姜維の時代だが)
しかし諸葛亮時代の挙国一致体制ではないのでほぼ失敗
いくら良将でも時と体制に恵まれないと勝てるチャンスはないよ
263:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/26 14:16:36.65 W5oiBjJZ0.net
単純な戦果だけで言うなら姜維の洮西の役での勝利の方が派手なんだよなぁ(魏兵に万単位の死者がでて曹髦が二度も戦死者に弔意を表すほど)
その後の段谷の敗戦(蜀軍のエリート兵を多数失う大敗)で差し引きマイナスだけど。
264:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/26 14:28:08.87 nHPblecT0.net
>>254
諸葛亮が死んで費イが死ぬまで20年近くあるんだぞ
出師の表の内容も結局は嘘と証明してるような物だし
265:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/26 14:38:54.50 QRIdN6Cf0.net
さすがの孔明も20年先まではわからないよな
266:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/26 15:06:03.53 nHPblecT0.net
>>257
20年先の話では無くて
蜀の国是である魏王朝は簒奪者ゆえ
打倒しなければならないということが
無かったことになっていることなの
267:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 02:00:50.59 O2kP56sG0.net
一旦国力を蓄えて力を高めてから満を持して北伐に向かう
268:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 04:18:54.60 rsYK0O1i0.net
諸葛亮の北伐により国は疲弊し
国土を休ませないといけなかったからな
諸葛亮の後の蒋エンの統治が無ければ蜀はもっと早く滅んでいたかもしれない
国力を蓄えた後、蒋エンは魏に侵攻しようとしたが
周りの反対と病気により中止になってしまった
269:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 04:23:06.13 rsYK0O1i0.net
>>253一度、魏に侵攻を受けたが
王平と費イの活躍により魏軍を撃退する事ができたぞ
まあ、その時の魏の大将は曹爽という迷将だったけど
270:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 10:09:55.54 0Ekiyqu50.net
>>258
蜀漢のその魏王朝は簒奪者ゆえ打倒しなければという大義名分は
劉備や諸葛亮のものであって他の蜀民や簒奪された筈の中原の旧漢民にはどうでもいい事だっただけの話
だから漢から魏に禅譲された後は漢末期よりも反乱少なく旧漢民は概ね魏の簒奪(禅譲)に賛成だったと思われるが
何故か後世の三国演義被れは当時の人々の心情無視して勝手に魏を悪の帝国と信じ込んでるからややこしくなる
271:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 10:22:24.56 8p9+9Guh0.net
蜀人は基本的に大人しくて基本的に統治さえちゃんとやってくれたら胡人の政権でも文句言わんからね。
272:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 11:10:05.83 MyBISOdK0.net
なんかで読んだけど
中華で一番激しい気性なのは楚地域だってな
三国志で言う荊州あたり
273:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 11:25:44.75 ZysinkWn0.net
四川省では大規模な反日デモが何度か起こってたはず
274:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 11:39:23.00 YffDc2GA0.net
>>264
伍子胥、屈原、項羽を輩出した土地やからね
275:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 12:01:00.11 1Ba7cIxE0.net
>>266
項羽って陳とか寿春、彭城あたりの出身なんじゃないのか?
276:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/27 19:40:40.30 OJ879XL20.net
>>267
項羽は知らんが
祖父の項燕は下相(江蘇省宿遷市)の人なので
淮河下流域の洪沢湖の傍出身でFA
277:名無しさん@お腹いっぱい。
17/11/28 17:55:29.26 2Y0Xm//90.net
益州は罪人の流刑地だったから
何かしら有るんだろうね
278:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/09 10:10:26.91 hbilBuXt0.net
>>269
オーストコリアみたいなイメージか
279:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/25 19:20:07.60 giOEYqSM0.net
>>259
その間に魏の国力は数倍の勢いで「蓄え」られているだろうね・・・
人口と生産力が違いすぎる
280:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/25 19:45:02.27 7nOVJhcR0.net
移民(人攫い)の成果
281:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/26 22:10:20.34 mWtEORN40.net
>>265
なんだお前倭猿か
反日デモなんてどこでも起こってるんだが倭猿ヒトモドキw
倭ゴキ産の雑魚英雄で我慢しとけよお前ら負け組み倭猿はw
282:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/26 22:11:29.89 mWtEORN40.net
>>270
なんだお前鯨喰い倭猿か
だから土人として嫌われるんだよ倭猿ヒトモドキw
倭ゴキ産の雑魚英雄で我慢しとけよお前ら負け組み倭猿はw
283:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/27 22:58:50.28 U1ENYrRR0.net
蛮族だった倭国日本を金印の古代国家として認めた漢魏は見る目ありすぎ
284:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/28 03:04:55.49 8/wJ7D9D0.net
>>1
蜀については諸葛亮の国づくりのお陰で小国の割には国力があったため
人口の1/10が兵士でいることができたのも元々の生産力が豊富だったのもあるが諸葛亮の産業振興策が更に国富をもたらしたから
ついでに言えば諸葛亮の将器が優れていたから攻略できなかった
諸葛亮が自分が死んだ後の蜀についても後継者を決めて国内の動揺を防ぎ依然国力を蓄えていたのが大きい
285:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 09:23:59.69 mgAiwFoj0.net
曹叡は端から戦争する気がなかった
ただただ、平穏に暮らしたかっただけだ
諸葛亮やそれに加え呉が攻めてきたから応戦しただけ
286:名無しさん@お腹いっぱい。
17/12/30 10:56:10.85 MsAJK6p30.net
公孫淵「せやな」
287:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 13:18:21.35 NYmZD6Gp0.net
魏は北方遊牧民と境を接しているから南にはそんなに軍を派遣できないでしょ
288:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 13:56:32.22 s/1WPe550.net
晋は禿髪樹機能の乱を平定するのと並行して伐呉成功させてるけどな
289:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/04 23:47:43.07 Udfp3WRX0.net
魏は、諸葛亮亡き後、蜀は自壊するよ派と、積極的に潰すべきだよ派に分かれて論争してた。
両派閥とも、蜀を取ったら、呉は滅ぶと考えていた。実際滅んだ。
290:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 00:22:20.94 WiWTS1hOO.net
呉の無能感
頑張れよ
魏を倒そうとしないんだもの三国をとりなしつつ平和を作ろうとした国
291:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 00:22:28.73 NnvJriVn0.net
>>281
呉が滅ぶ前に魏が無くなってませんかねえ…
292:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 00:23:51.89 NnvJriVn0.net
そう考えると巴蜀獲られてそこから逆転勝利した東晋ってどれだけ有能だったんだか
293:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 00:35:56.04 eqJnvhq90.net
東晋は桓温がクソ有能だったのと成漢の統治が蜀漢以上に乱れてたってのが理由かな
294:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 01:21:12.97 NnvJriVn0.net
桓温が三國志の時代にいたら普通に天下統一してそう(王猛はタイムスリップしなくていい)
295:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 08:18:43.73 uQRhfEz/0.net
>>280
当時の孫呉って末期陳と並んでイージーな相手やったからなぁ。王猛抜きの苻堅でも圧勝出来るレベル
296:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 15:04:34.49 PSW1y7o60.net
>>282
諸葛亮が死んでからの蜀の無能感も凄いけどな
費イが死ぬまでの20年間に一度攻められた位で
引きこもりだから
297:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 15:19:45.78 bi/NclpN0.net
そもそも諸葛亮時代が相当無理してた事について(実際住民逃亡や反乱起きてる)
298:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 15:44:41.78 PSW1y7o60.net
>>289
尚更、無能やん
299:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 16:42:29.70 LTiVOpBE0.net
李世民
「二代目がダメな王朝は長続きしないな」
300:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 18:36:40.24 NnvJriVn0.net
呉も孫権死んだ後は北伐低調だよな
せいぜい諸葛恪が派手に暴れた程度
301:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:00:36.61 SqKZ+jb60.net
蜀が引きこもるから大国魏に
ほぼ単独で立ち向かってる訳だからなあ
302:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:29:01.89 xn1L6adU0.net
>>288そんな引きこもり無能な蜀を攻めて敗北する魏もかなりの無能だな
303:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:47:39.53 ID9e1GAX0.net
総合すると三国全て無能ということか
304:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 21:48:30.23 SqKZ+jb60.net
>>294
そりゃ北からの防衛は要害の地で有利だからね
しかし、それでも結局は亡びてるからなあ
益州が北から攻められて落ちるなんて
歴史からでも珍しい事をだからね
305:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 22:15:01.92 56Jn7XcA0.net
>>292
諸葛恪が北伐無理押ししたのも人口流出が申告だったからやしな
306:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 22:45:51.16 tAuWJRYz0.net
>>296
北周ぐらいやからな成功したの
307:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/05 23:23:13.20 ID9e1GAX0.net
益州(蜀)が、北から攻められて落ちた例
・古蜀by戦国秦
・蜀漢by魏
・東晋by前秦
・梁by北周
・前蜀by後唐
・後蜀by後周
結構北から落とされてね?
308:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 00:14:19.93 lKUCXbLy0.net
>>295実際無能だから三国統一できなかったわけで
統一した晋もすぐに無能になるけど
309:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 00:24:51.69 Iv8SAMUS0.net
>>299
古蜀は攻められる前から漢中は秦が占領してんじゃん
310:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/06 09:34:36.33 fk5S7NQq0.net
魏晋南北朝六朝攻略の歴史
曹魏→ことごとく失敗
西晋→やったぜ
後趙→小競り合いだけ
前秦→襄陽と寿春までは奪取、その後やらかす
北魏→宋斉と派手に戦争してるけど一進一退してるうちに東西分裂して滅亡
北周→江陵陥落させる
北斉→淮南を陳に獲られたンゴ…
隋→やったぜ
曹魏はどちらかというとショボい方
311:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/07 01:55:35.77 3sDYIp2r0.net
>>302蜀攻略成功したけど曹魏というよりほとんど晋みたいなもんだったしなぁ
312:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/07 07:31:14.47 +rb7giw90.net
>>303
司馬昭プロデュースやから劉裕の北伐とかと扱いは一緒や
司馬懿の公孫淵討伐はギリギリ魏の功績やと思うけど
313:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/08 20:33:16.31 gLH7L8jT
314:0.net
315:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/11 10:57:36.69 huWqS6NF0.net
>>305
それほど単純であれば、劉備に付き従ってないわ
316:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/16 09:03:21.03 JlCNUl090.net
>>306
何が単純じゃないのかな?
諸葛亮は劉禅から人事権を奪ってるけど
317:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/16 21:55:59.59 ck8wXtNg0.net
>>307
出世権力を求める奴なら、そもそも劉備に仕官してない。
318:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 05:20:30.49 i11G3Jrh0.net
諸葛亮が蜀を乗っ取る気でいたのなら
自分の死後、諸葛亮個人だけでなくもっと諸葛氏の権力を広げていただろ
319:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 08:23:28.53 nUbLNJPr0.net
>>308
司馬懿も最初は仕官を断っていたんだが
320:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 08:29:15.41 nUbLNJPr0.net
>>309
何を言っているんだ?
諸葛亮はなかなか子供が出来なくて謹から養子を貰ってるぐらいなんだぞ
321:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/17 17:38:40.36 INlWSCU00.net
正直、大臣が君主以上の業績・名声を獲得してしまった場合
君主や大臣の性格・人格に関係なく、政争が勃発せざるを得ないような
史実の諸葛亮は北伐の道半ばで倒れたから、劉禅一族との緊張関係は発生しなかった(orうまく回避できた)けどね
322:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/18 00:17:13.17 JWtrG70X0.net
出師の表で口うるさく阿斗ちゃんの生活態度を注意してるから阿斗ちゃんが「ウゼェ死ね」って思って粛清した可能性もあったんだよね
323:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/18 21:35:55.00 p8P/Rpos0.net
まるで脅迫文だからな
俺様の諸葛亮が気に入らなければいつでも弟や息子に変えるぞって
324:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/19 02:17:22.03 r+5RZBOK0.net
>>314
宇文邕@北周「(お前の代わりはいくらでもいるんだと言っては)いかんのか?」
325:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/19 20:36:52.27 xr6q1jMK0.net
諸葛亮の理想は世襲では無く才能を持つものが代わる代わる宰相となり
君主代行として国を統治するシステムだったんだろうな
実際、費イが死ぬまではそのシステムを維持できてた
それは当時の士大夫の理想の政治体制であるように思う
326:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/19 21:19:24.26 laZLVXLu0.net
王莽以来、漢でよくある組織形態ですな
まあ、諸葛亮以降の蜀って皇帝と幕府が並立するのがほぼ常態化してて
二重権力ってレベルじゃねーぞ(白目)って状況だけど
327:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/20 11:20:02.63 2ZPDR4el0.net
諸葛亮が元気だった時点でどれくらい阿斗ちゃんに人事権や賞罰の権限があったのかは正直、資料が少なすぎてわからんわ。
劉エン棄市事件見る限り使えない古株を処分するぐらいの権限はあった臭いけど。
328:名無しさん@お腹いっぱい。
18/01/20 19:01:57.43 peSeljPw0.net
>>310
劉備なら仕官対象にもなってねーよ。あと曹家死んでねーよ
329:名無しさん@お腹いっぱい。
18/02/15 22:11:49.01 ZPlyUxS60.net
>>302
北斉=なんJ民
というのは理解できた
330:名無しさん@お腹いっぱい。
18/02/25 17:39:29.04 Q5Xof2ft0.net
やっぱ内ゲバしてるとこは駄目だな
331:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/03 01:02:14.00 PSNURdbh0.net
ぶっちゃけ気候が温暖で安定していないような時期に統一王朝建国は無理
332:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/29 19:37:00.40 Qg726A8z0.net
結局、魏(晋)は蜀も呉も衰退してからじゃない�
333:ニ滅亡させる事ができなかったあたり 国力だけではいかんともしがたいものがあったんだろうな 天険の要害と長江は偉大
334:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/30 12:13:56.57 eRIJMPy00.net
北魏とかも太武帝の時代に南朝征服寸前まで行ってるな
335:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/30 13:22:31.89 9kKyEOgt0.net
>>324
領土は取れてない上に関中では膠着状態だったけどな
ただ単に瓜歩山まで突っ切っただけ
陳慶之の北伐みたいなもので、派手で相手をぐちゃぐちゃにしたけど持続性はなかった
336:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 01:19:46.86 9hVuSczS0.net
そもそも征服してうま味があるかという話もでてくる
337:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 01:32:27.47 rAuPXQm80.net
苻堅「なんでや!百姓(人民)を救済するのは君主の努めやろ!」
道安「アカン」
苻融「アカン」
権翼「アカン」
338:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 06:12:00.69 q1O1+5w30.net
山奥で面倒くせー割に攻めてもメリットも少ないみたいなのも多そう。
日本でいう戦国時代の飛騨みたいな。蜀とか呉の非海岸沿いなんかはそんなイメージ。
339:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 06:15:14.01 4csDDGRF0.net
>>328
銅とかの鉱山資源が江南は潤沢だったんじゃなかったっけ?
340:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 09:04:20.05 0+ii+rPv0.net
呉蜀は貨幣もまずまずだったしな。
なお、末期はお察し
341:名無しさん@お腹いっぱい。
18/03/31 16:59:44.14 uJeOq5GH0.net
>>329
中で暮らすには良さそうだけど外から攻めて征服するだけの価値があるのかっていう。持ってくのには山越えしなきゃならんわけで
342:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/02 19:19:31.24 X9mWdT6L0.net
資源豊富で完全支配すればかなりの増収が見込めるといっても
天嶮越えの侵攻してなおかつ支配を安定させるとなるとねぇ
343:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/02 21:00:30.21 HJaYpdBp0.net
織物とか鉱山資源とか塩とか南方との交易とか呉蜀は手放すには惜しすぎる地域やで
朔方や遼東に遠征して馬や騎兵を養うのとどっちが得かは分からんが
344:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 03:07:17.56 tUUrAJNQ0.net
兵士の装備は魏より蜀の方が良かったみたいな話を聞いた事があるな
345:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 04:07:55.40 38RsSOVE0.net
>>334
魏は鉱山がなかった上に領土と人口が多いから行き渡らなかったからね。
蜀軍の武器の質が高かったのは鄧艾伝とかにも出てるし
346:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 16:09:59.88 hwcJw8KG0.net
森林資源もね
黄河が暴れ河になったのも近場の黄土高原を使いすぎてしまったせいだし
魏の時代はもう残りカスレベル
347:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/04 16:15:46.15 qgrzcmWj0.net
森林資源は王濬さんが呉を攻めるときに大艦隊建造できるくらいの量やしね
348:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/07 13:40:52.52 Wn1LtlqI0.net
>>334
兵士の装備良くても兵士の質と士気が低ければ意味がない
朝鮮戦争の時も初戦の頃は
装備は良くても兵士が雑魚な韓国軍が
装備は劣るが将軍様の兵隊北朝鮮軍にいいようにやられてた
349:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/07 13:59:31.61 6YEFm8sf0.net
>>338
緒戦の北朝鮮軍は戦車装備した上にソ連で縦深作戦仕込まれた二次大戦経験の猛者揃いだぞ
350:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/08 01:18:21.62 M7906G920.net
>>338姜維が段谷で大敗するまでは蜀が勝ったりすることもあったのだから
兵士の練度や士気も高かったんだろうな
351:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/08 19:11
352::15.75 ID:6KcA4Jir0.net
353:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/08 20:19:41.83 KFBmtMAx0.net
漢王朝引き継いだ王朝が漢中や蜀の地を放棄するって説明つかなくないですかね?
チャイナプロパー復興のためだったら匈奴とか烏桓の統治なんてどうでもいいわけで
354:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/09 02:59:00.03 kOCePBzW0.net
曹操と曹丕は中華統一する事を狙っていただろうと思うが
曹叡は興味無かっただろうな
355:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/09 07:17:48.63 ZQ+oCeZd0.net
漢末の混乱で、人口激減(または戸籍が把握できない)したから
二正面作戦できなかったんじゃないの?
356:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/11 22:39:52.56 36LDP3bL0.net
漢王朝が終わコンなったから交代したわけで洛陽あれば蜀はあんま重要じゃなかったんやないの
357:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/11 23:48:47.55 MzNyFnuE0.net
>>345
洛陽も漢末にはあまり重要ではなく
許昌や鄴の方が首都の役割
358:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/12 04:16:16.25 jNOze+dp0.net
許は行政的なものであって国力にはあんまり
359:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/21 16:42:11.45 u4ClJGwf0.net
それよりも大梁(開封)がこの時代あまり重要な都市でないのが何とも
まだ運河開通してないから仕方ないが仮にも戦国魏の首都なのに
360:名無しさん@お腹いっぱい。
18/04/21 20:50:25.12 rctr9muQ0.net
陳留郡だからしょうがないね
縁起が悪かった
361:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/06 11:32:17.40 0d+VHUzs0.net
>>342
漢否定して生まれた政権だから
逆に漢中や蜀が無い方が説得力あるぞ
362:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/07 22:10:38.31 W1Cad+jD0.net
>>350漢を受け継いだ政権だから
全否定はしてないだろ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 12:12:35.40 ZJ81Zylm0.net
>>351
禅譲しているので一見そう思ってしまうが
火徳を否定して土徳になってる時点で
364:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 14:26:43.43 gjLoMMrS0.net
URLリンク(news.cardmics.com)
365:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 16:24:21.86 TgS4namK0.net
三国志だったら今これめっちゃおすすめ!
URLリンク(goo.gl)
366:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/08 17:37:51.35 Y0lyH+Y50.net
【マイトLーヤの三原則】 『10倍格差』『3日勤労』 \(*⌒ ▽ ⌒*)/ 『GNH(=国民総幸福)』
スレリンク(liveplus板)
367:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/09 15:08:27.34 pA51T6bd0.net
>>342
光武帝が望蜀なんて言葉を使っているんだから
蜀なんてオマケ程度なんだろ
368:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/27 18:36:45.44 LtH8pKCl0.net
>>343
曹叡は何度か親征してるし
中華統一全く興味ないという事はない
中華統一興味ないと思われるのは曹芳
酒と女ばかりだから愛想尽かされて廃帝になる訳で
369:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/27 22:12:06.05 ClVFcVgS0.net
酒と女ばかりというのも簒奪者が貼ったレッテルの可能性があるけどね。勝者が正義
370:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/28 00:14:59.14 zMazL4zn0.net
酒と女ばかりで韜晦してたのに周囲が勝手に司馬氏排斥しようとして廃帝にされたんじゃないのか
371:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/29 23:28:47.89 aYxH8Ctx0.net
>>357
そりゃ敵が攻めてきたからなw
372:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:04:44.55 cZ6mKy/c0.net
>>1
金属がなかった
武器はおろか貨幣すら機能しないぐらい
呉は蜀方面から水軍で攻められるようになったら簡単に落とせた
蜀の方が苦労したぐらい
373:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:06:35.56 cZ6mKy/c0.net
蜀滅亡戦
魏18万 蜀7万
呉滅亡戦
晋16万 呉5万
374:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:08:35.04 cZ6mKy/c0.net
魏では盗賊が釘目当てに棺桶を奪うぐらい
貨幣経済をやれていたのも鉱山のあった蜀ぐらい
魏ははげ山ばかりで鉄を作れない
375:名無しさん@お腹いっぱい。
18/05/31 22:13:49.22 cZ6mKy/c0.net
>>23
人口の1割以上が兵士
男の2割
老人や子供を除けば半数?
官吏も多いし
国力的にかなり追い込んでいるでしょ
376:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/01 00:08:59.79 kOIwxO050.net
>>363
鉱石資源豊富でも一番先に滅んでいるからあまり意味がない
鉄の剣を持った勇者でも弱ければ棍棒持っているギガンデスに勝てないのと同じ
377:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/01 07:15:03.21 ZbGTfLd10.net
>>360
敵が攻めて来ても軍事が得意な配下に任せておけばいいんでないかい
親征するという事はそれなりに軍事に興味あり
378:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/02 19:03:28.81 cXsBkajx0.net
>>364
進撃の巨人の世界だなw
若者男女問わず調査兵団と駐屯兵団と憲兵団に取られて
残りカスが農業やるという
巨人に領土奪われたら口減らしで巨人の世界に残りカス投入されるという
正直蜀は滅ぼされてみんな喜んだのではw
379:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/02 22:28:15.22 UyAe3wTt0.net
そんな今や誰も覚えていないステマ漫画で歴史を語るのは勘弁してください
380:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 00:49:26.82 56sAjAqD0.net
鄧艾に提出された蜀の情報
戸数 28万戸
人口 94万人
兵士 10万2千人
官吏 4万人
兵糧 40余万斛
明らかに官吏の人数が多すぎるんだよな・・・
381:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 00:50:37.19 56sAjAqD0.net
1斛(さか)は10斗(約180リットル)。石(こく)。
382:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 02:16:46.07 Ng54VKf90.net
蜀の官吏の割合の高さは有名だけど、
これでやっていけたというのはやはり生産力が高かったからだろう。
降雨が安定していて農業生産がほぼ計算通りにできた。
それと塩鉄の供給も人口に応じて安定していた。
魏は人口多く豊作が続くときは国力は圧倒的だが九旱一水で不安定でいつそれが裏目に出るかもしれない恐れが常にあった。
蜀の官吏の割合って破綻国家ギリシャの公務員25%ってのでピンときたわw
383:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 17:44:37.84 P7Hk1K0a0.net
>>371
ギリシャは1974年に君主制から共和制に移行して以後約40年で財政破綻
構造的に約40年で滅んだ蜀と一緒
蜀もギリシャと同じで末期は社会が限界に近付いていた
384:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 19:17:36.45 oflV1WcD0.net
>>368
まあ、姜維が民に恨まれてたのは事実だしなあ
385:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/03 21:28:31.84 O09cRHa+0.net
>>373
人口90万の国で数千の死者を出したからなあ
386:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 01:48:52.22 93jzmHJc0.net
蜀の戸籍人口の少なさは驚きだな
中原のように戦乱と飢餓続きでもないのに7,800万から減り過ぎ
387:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 02:54:44.
388:83 ID:UqDUg3il0.net
389:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 04:20:05.64 aZejDP+U0.net
姜維は洮水で王経に勝ち切れなかった(結局陳泰の救援でなんとか守りきった)のが
段谷に繋がってるからなぁ。
洮水の戦勝の時点では皇帝曹髦が「洮水での戦死者は手厚く葬るように。また遺族にも手厚く保護を与えるように」って内容の詔勅を二度も出してる事からして魏の受けたダメージは軽くなかったろうし。
「もう一度ぶっ叩けばいけるやん!」とか思ったんじゃないかと
390:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 12:14:55.51 wmTHzXRLO.net
晋だったか後で戸籍を定めたら、益州人口が回復してるので山など官の目の届かない辺境に逃げてた説もあったっけ。
どちらにしろ蜀の内情は少なくとも末期に於いては相当お粗末だったのは間違いないだろう。
391:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 17:32:16.72 FswJEECr0.net
そりゃあ内情がお粗末だから滅亡するんだろうよ
そこまでドヤるような大発見なのかw
392:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/04 17:51:39.90 CoqDpxInO.net
防備がしっかりしていれば、戦闘ヘリでもない限りは落とせないくらいの天嶮に恵まれていた土地だろうからな。
393:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/05 01:44:25.41 joBU71C70.net
蜀攻めって関西地方の実行支配さえ出来てればそんなに難しくないもんな。
394:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/05 20:10:07.38 PMG/zjMh0.net
>>379
ドヤるような大発見では無いが
蜀は農産物も鉱物資源も豊かで魏を圧倒してたとかドヤられると
そんな魏にどうして滅ぼされたんだ?という疑問が湧いて止まらない
395:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/05 23:21:41.51 vLr1oYwY0.net
>>382
貨幣を作れて武器も優れていたらしいし5分の1の人口でよくやったよ
ただ劉備の蜀取りの時もそうだったけど
一度中に入られるとすぐに落とされるみたい
396:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 04:01:46.41 72iKplCJ0.net
>>383
同族を裏切って乗っ取っただけだからなあ
結局は滅ぼされるし呂布と同類だよね
397:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 06:54:49.59 jsxR3Xry0.net
中華圏内で誕生した勢力に限られる話ではあるけど
中華を統一した人物は挙兵や本格的な統一事業開始から数年~15年ほどで統一してる
戦乱が続いて各地の群雄が力を持ちすぎていたにせよ
叛乱や異民族に手を焼いていたにせよ、曹操は時間を掛けすぎたわな
赤壁で頓挫しなければなし崩し的に統一できたし、それが勢いで統一する最後の機会だったと思う
有能な群雄に堅牢な地盤に十分な防衛力を持たせる時間を与えてしまったらあとは持久戦しかない
398:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 15:06:08.48 Cajsn7F50.net
だって魏が大国でも人口が446万だっけ?多少曖昧だけど450ぐらいだったと
呉が230万、蜀が94~98万
圧倒できるほどの差はないからねえ
兵力も蜀が10万、呉が23万、魏は不明だけど最大20万ちょっとの遠征軍しか出せない
北方とかの防衛も必要だし
鉄がないし、銅銭も作れないし、お金が流通しなく物々交換だし
399:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 19:16:23.33 cfbLPUWj0.net
魏蜀呉の総人口が700万くらい
統一晋のそれが1600万くらい
つまり魏には戸籍に載らない屯田民が900万いた
我々が考える以上に魏とその他に差はある
これで統一できない魏は情けなさすぎ。。。
400:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 19:18:33.83 /DDZixci0.net
前秦の推定人口が約二千万
東晋は約五百万~
これで勝っちゃう晋王朝
やはり天命のない王朝はアカンね
401:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/06 19:27:02.67 Op+enor10.net
曹魏は前秦や北魏と同じで圧倒的な国力を持ちながら攻めきれない感じ
402:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 10:17:22.04 ZDGspiZO0.net
>>387
何か言っているんだ?
統一後の益州は人口が200万近くになっているんだぞ
なんで魏だけが戸籍に載って無い人口がいると思った?
403:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 10:46:10.52 yuHpW/iO0.net
平和になって人口が増えたか
戸籍に登録されていなかった民衆を把握できたかだろうね
人口が2倍になったなら各地で同じぐらいの割合ずつ増えたのでは
魏だけそんなに多い戸籍不記載人口がいたとは思えない
どうでもいいけど魏って戦国時代、三国志、北魏等
強国になるのだが天下を取れない運命なのだろうか
字の意味も小さな幽霊だよね
404:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 10:50:28.50 yuHpW/iO0.net
戦国時代に
魏は孟子を読むと自称は晋国、孟子からは梁と呼ばれていた
魏はあまり呼ばれないのは良い字じゃないからだろうか
何と言うか悪の帝国ってイメージ
三晋最強は趙かと思えば魏が実質晋の後継国らしいし
魏は斉の孫氏に敗れて覇権を失い
斉は七十余城の内、六ヶ国連合軍、燕に攻められて
二城を残して落とされ滅亡寸前まで追い込まれ覇権を失い
残った秦が天下を統一しても
社稷を絶たれ、皇族は皆殺し
405:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 20:28:25.57 z15/3v4b0.net
>>383
5分の1の人口だろうが本当に武器が優れていて強ければ
中東戦争のイスラエルみたいに人口数倍の周辺国を圧倒してもおかしくないのだが
なので貨幣を作れて武器も優れていたというのは蜀の存亡にとって重要なファクターではなかったという事
406:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 22:16:10.27 n7jW8Y9q0.net
徴兵と徴税ということを考えたら台帳に乗ってる人口=国力でいいんじゃないのか?
戸籍に載ってない人口も徴兵と徴税をしっかりしてたら別だけど。
それなら戸籍作成の意味がないような。
407:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 22:22:58.38 yuHpW/iO0.net
>>393
武器が優れていたっていっても近代兵器ぐらいの差はないでしょう
鉄の剣と銅の剣で戦っても前者が勝つとは限らない
おまけに人口5倍だし
408:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/07 22:35:56.70 z15/3v4b0.net
>>395
結局銅の剣が鉄の剣に勝ってたんでしょうが!
人口5倍とか言い訳しても強い武器で負けたら意味がない
諸葛亮が筒袖鎧とか元戎とか木牛流馬とか諸葛菜とか諸葛錦とか
発明普及させても全然意味が無かったという事
饅頭以下
409:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/08 00:49:42.74 QHUhA+ou0.net
極論過ぎて草。虞翻かな
410:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/08 10:54:54.16 ssj12kzmO.net
それは虞翻に失礼
411:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 08:32:02.47 TKOO0st40.net
虞翻て一度も国外に出ていない呉の田舎貴族なのに
魏にも官席授けられていたというのが
412:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 10:54:05.67 u4rv/Dzg0.net
>>399
文帝さまが同類を見出したんやろ
413:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 10:58:37.24 UYyzqMUp0.net
>>400
ワロタw
414:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 11:00:54.77 UYyzqMUp0.net
>>395
とはいえイタリアみたいに戦車でエチオピア攻め込んだものの
原始的な槍部隊に追い返された例もあるからなw
状況がどうあれ強い武器で弱い武器に負けるのは笑い者だよ
415:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 19:05:57.91 t2leBjwW0.net
>>402
やっていることは鈍亀のカウンター狙いで
電撃戦も出来なきゃ攻城戦も下手くそだからなあ
姜維が電撃戦をやっているから出来ない訳じゃないだよなあ
416:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/09 19:36:38.45 A1mCayJC0.net
電撃戦の定義って何なんですかねえ
417:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 15:36:40.66 FAPLjMnY0.net
>>402
クロスボウで強いのは並みの銃以上の威力があるらしいし
作戦次第では近代兵器と古代の武器で戦えなくはない
仮に自動小銃を含めた平気があっても大勢を相手ではいずれやられる
418:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 17:56:31.91 HbjoNyU90.net
>>404
電撃戦は、少なくとも3つの観点から研究されている。
1つ目は第二次世界大戦初期にドイツ国防軍が行ったポーランド侵攻、ナチス・ドイツのフランス侵攻、独ソ戦時のバルバロッサ作戦・ブラウ作戦で、
赤軍がバグラチオン作戦で部分的に実践した歴史的な戦闘教義としての観点、2つ目は迅速な攻勢によって勝利する軍事教義として
プロイセンの時代から存在していたという電撃戦を拡大解釈する観点、3つ目は敵の撃破ではなく機動による攪乱に力点を置いた機械化戦闘の代表的理論としての観点である。
なお、3つ目の観点においては、1980年代まで各国の陸軍で主流の教義であったという見解も示されている。
419:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 18:06:22.09 FAPLjMnY0.net
魏は蜀を滅ぼした後なら20万の軍を出せる程度の国力だからなあ
実際にそこまで力に差はなかった
420:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 18:41:58.32 HbjoNyU90.net
後漢末期は寒冷期で北部ほど被害がでかいから
魏だけ戸籍に対して住民が少ないのは飢饉と売官の悪政のせいだろうねえ
421:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 19:04:44.86 uX1LbUn70.net
>>406
三国時代関係なくて草
422:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 20:11:24.38 HbjoNyU90.net
>>409
日本語が理解出来ない人だったのか
なんで三国時代と無関係なのか分らんなw
423:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 20:19:18.58 uX1LbUn70.net
>>410
三国時代は三つのうちどれに該当するの?
中国のちの字も出てなくね?
424:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 20:59:46.42 HbjoNyU90.net
>>411
iやっぱり日本語が理解できないのか
電撃戦の定義と中国がどう関係しているのか説明してくれませんかねえ
425:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:26:14.76 uX1LbUn70.net
>>412
>>403からの文脈読めば?
403じゃないのに勝手に電撃戦の解説を始めたのであればアスペ軍オタだし
403だったらガチガイジだわ
426:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:30:04.97 HbjoNyU90.net
>>413
日本語が理解できないガイジは君だよ
早く説明してよ
427:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:33:44.61 uX1LbUn70.net
>>414
たかが10レスも読めないガイジとは
428:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:35:02.35 uX1LbUn70.net
>>412
興奮してまともにレス打てないとか本当にガイジやな
429:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:39:58.22 uZP5zLjoO.net
三国時代に関係性がないのは言うまでもないけどな。
兵器のレベルに差がありすぎて比べようがない。
現代でもクラシックな近接武器、弓矢が使えるは消音効果の一点のみで、火力や殲滅力に求める力じゃないだろ。
騎馬隊(笑)なんてもんが陸戦部隊の主力なんて現代では弱小なんてのも生ぬるいマゾ部隊だな。
たとえ、チンギス・ハンの騎馬隊だろうが、現代の軍隊の前では相手にもならないなんて子供でも理解できる。
430:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:42:08.13 HbjoNyU90.net
>>416
>>404はお前だろ
関係ないなら文脈を理解できないガイジだし
早く説明してくれませんか?
431:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:53:50.80 uX1LbUn70.net
>>418
日本語打てるようになってからかかってこいよ、軍オタアスペガイジ
生きてて恥ずかしくないの?
432:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 21:58:55.37 HbjoNyU90.net
>>419
説明できないから逃げる事しかできないんですかw
433:名無しさん@お腹いっぱい。
18/06/10 22:06:16.62 uX1LbUn70.net
>>403
に聞いたつもりなのに変な軍オタガイジに絡まれて本当に迷惑だわ
これだから軍オタは程度が低い