劉備が天下統一できなかった最大の原因その3at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その3 - 暇つぶし2ch750:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:46:17.88 ELxqli6L0.net
後漢書献帝紀読んでも最初から皇帝としての権威が殆ど感じられないもんね。

751:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 17:06:56.00 Y4Vu/oze0.net
URLリンク(goo.gl)
この記事本当!?
ショックだわ。。

752:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 22:09:54.19 sVyEW3EM0.net
董卓 董承にも良いように使われてたかんね
リーダーシップみたいのは育まれてこなかったろう。

けど曹丕への禅譲を、曹節は激しく拒んでいたと言うし、
禅譲後も引き離されることなく最期まで曹節と2人仲睦まじく暮らしたと言うから
晩年はそんなに不幸なものでもなかったんじゃないかな

753:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 22:26:08.80 ELxqli6L0.net
>>732
でも玉璽投げようとすんのは王莽の時と同じネタ使いまわしで萎えたわ。

754:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 01:13:25.79 ZT+VXbl+0.net
一応史上最も平和裏に行われた禅譲の1つだからねえ劉協→曹丕のは

755:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 01:20:55.57 XrVVnPHL0.net
曹操は息子曹丕にどんなアドバイスしたのかな?
どんな指針を?
あくまで漢を立てるように言われたか それとも簒奪(禅譲)するよう言われたか?
曹操のことだから「お前の好きなようにしろ」かなぁ

756:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 07:20:43.40 NvHp22kV0.net
曹操と曹丕ってそんな関係じゃないだろ
曹植に継がせようとしてたくらいだし

757:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 08:22:58.85 x916+AZu0.net
曹丕の周りには司馬懿・陳羣・呉質・朱鑠の四友と賈クが居たからね

758:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/21 18:34:36.62 QzR2IWaH0.net
>>701
孫呉政権は江南の豪族の寄り集まりみたいなもんだから、孫権による完全な独裁体制ではなかったんだろう
だから目先の利益を求める豪族達の手前、劉備から荊州を奪い取らないわけにはいかなかったんじゃないかな

759:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/21 19:55:16.04 k0agg+DOO.net
>>738
で、皇帝になり晩年近くになってやっと孫氏専制を志して酒のついでにウザい江東四姓をイジメてみたら
結局呉滅亡までのグダグダな流れの起因を作っただけで、己はアル中朦碌ジジイの汚名を残して世を去るんだからなあ…

とはいえ、江東の権益確保が国是では曹魏と争うのが不可避の蜀漢みたいな一本調子の相方は面倒なだけなんだよな。
いざとなれば権益保全の為に曹魏とだって組む余地が欲しい孫呉としては、選択肢が減るのは有り難くなんか無いから。
それに兵も兵糧すら出したく無い時まで蜀漢に付き合うのは、余程徐州辺りを確実に入手出来る宛てがなくてはやってられない。
国力は共に曹魏に劣るとはいえ、進むベクトルが違う蜀・呉は結局噛み合わない相手だったんだろう。

760:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/21 20:09:45.56 o1Aw7UBj0.net
中原における三国鼎立状態ってのは魏晋南北朝期、時々発生しているけど
呉蜀ほど連携取った二国はないからなあ
①後趙・成漢・東晋→成漢が後趙との連携を図るも東晋桓温による伐蜀の末滅亡、南北対立へ
(その後、後趙も滅亡)
②前燕・前秦・東晋→東晋が前燕をフルボッコにして首都まで迫るも前秦の援軍が来たため退却
退却中に追撃を受け東晋軍は大敗、しかし大打撃を受けた前燕は翌年前秦によって滅ぼされる
③北斉・北周・梁(陳)→北斉がほか二国に加え柔然からも侵攻をたびたび喰らうけど力技で全部撃退
三国鼎立と言うよりも北斉VSそれ以外
たぶん三つ巴であり得そうな展開って②だと思うんだよな

761:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/22 17:34:06.23 INYWKqWK0.net
>>739
関羽を殺す前後の呉はほぼ毎年のように魏に味方する/敵対する方針を変更している
コウモリ外交にも程があるぞ
常に利益を与え続ける以外にこんな連中と噛み合う手段なんてないわ

762:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/23 04:43:20.91 AQTH/AIK0.net
蜀は国是もあるし、国力差的にも呉と組まなきゃ未来がないけど
呉はある程度単独で魏に立ち向かえるし、蜀を得れば魏と拮抗できるから
手の平くるくるして隙あらば蜀も窺うって姿勢は正しいわな
あのまま蜀とどっぷりやってたんじゃ蜀ばかり得する展開になるわけだし

763:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/23 13:52:47.37 bvenmUT30.net
蜀は異民族を味方につけさえすれば長安までは進行できた

764:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/23 14:03:06.62 e5cJzQ5gO.net
荊州失陥と、夷陵で和睦せずに調子に乗ったとこかな

765:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/30 20:15:06.82 c22AZ5HW0.net
キョウイが居なかったほうが良かったのか?

766:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/30 21:11:11.60 Q/UR718t0.net
そしたら正面から攻められてもっと早くに終わってたんじゃね

767:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/30 22:45:04.74 6R4xt6SU0.net
そもそも魏が興勢の役でヘマしなかったら姜維の北伐も少なかったろうし。

768:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 01:19:02.13 IP43e8wG0.net
姜維がいなきゃ魏の侵攻が本格化した時に止められなくなるから必要だろう
姜維を抑えられる費イが殺されたのが誤算だっただけ

769:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 18:16:16.44 oolS1fqP0.net
姜維がいないメリット
・無駄な北伐で国力をすり減らさない
・漢中の防衛体制を改悪しない
・大将軍が首都に居場所が無く敵領内で屯田するという異常事態が無くなる

姜維がいないデメリット
・エンウみたいな宦官にへつらうしか能の無いカスがトウガイや鐘会を迎撃することになる

770:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 18:25:53.27 dAg1/fxe0.net
結果論だけで言えば初回の北伐で失敗した段階で専守防衛に国策で切り替えればよかった

諸葛亮は戦略には明るくないし、姜維は本人に罪はないんだろうけど大将軍の器では無いわな

771:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 19:03:20.38 9YTmmv5f0.net
東晋の頃、簡単に関中まで東晋軍が侵入しているのを見ると魏は相当ガチガチに関中を防御していたことが分かる
最大勢力の魏が徹底して防戦していたら弱小の蜀はどうしようもないのは明らかだったわけだから
確かに第一次北伐撤退以降は防勢に転移した方が賢明だったろうね

772:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 19:07:21.09 cxq64jpo0.net
基本的に蜀が北伐やるたびに魏が関中や関西の防御や開発や異民族の宣撫工作やりだすからどんどん無理ゲー化してくからね。

773:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 21:06:41.89 9YTmmv5f0.net
魏は攻勢に出ないチキン国家だから
あれはあれで頭悪い

774:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 22:51:10.85 f53365li0.net
蜀から侵攻していった成功例は電光石火の奇襲作戦しかないからな
魏と呉がゴタゴタしたタイミングで呉に侵攻するとかの方がまだ版図拡大できそう

775:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 00:17:17.93 baxqOxsO0.net
>>753
魏は防衛気味だったけど、それで成功だったと思う

776:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 01:46:18.97 AsSJc1x20.net
でもあの国力差で専守防衛してたら時が経つほど魏との国力差が開いて
十分に力を蓄えた魏が蜀のトラブルを待って満を持して攻め込んでくるだけでは
魏が防衛気味だったのは蜀の疲弊を待ってたのだろうし

777:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 06:46:36.03 Obm5VMnL0.net
蜀の戦力を削り倒していけばいずれは北伐困難になって史実より早期に疲弊させることは可能だったと思う
リスクは大きいけどリターンも大きい戦略

魏の蜀北伐待ち受け戦略は正統性という面子の点が揺るがされる案外足元の弱い戦略
リターンは小さいのに変なリスクがある

778:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 07:06:27.56 z/TyP2Kh0.net
hennayagisan1‏@hennayagisan1 4 時間4 時間前
上田泰己氏  理研の税金無駄使い、954万円高級家具カッシーナ・イクスシーの指定購入も大問題 URLリンク(1000nichi.blog73.fc2.com)

779:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 17:35:56.93 Q5Jx2nfx0.net
姜維が北伐にしゃかりきになってた時の魏って
司馬兄弟の陰湿な乗っ取りとそれに反発する陰謀や叛乱が頻発していたころだから
どっちにしろ蜀にかまっている暇はないと思う。

780:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 17:43:23.68 dwuQVrUY0.net
そもそも司馬昭が蜀討伐決意したのって曹髦弑殺&鍾会の讒言で嵆康(けいこう)を殺害の流れで、自分の支持が低下気味なのを挽回する目的やからな。

781:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 18:36:35.23 R0eDuADP0.net
>魏の蜀北伐待ち受け戦略は正統性という面子の点が揺るがされる案外足元の弱い戦略

いや十分有効な戦略だったよ
待ち受けしている間に中原の住民が漢を忘れるのに十分な年月を稼げた
蜀滅亡の頃には漢復興を企む陰謀や反乱は皆無で
山陽公ももっと後の永嘉の乱で断絶するまで特に政争に巻き込まれず存続している

782:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 18:57:44.24 Un8qp/VB0.net
姜維は1万足らずでガチガチに警戒されてる北に攻め込むとか意味不明
たとえ姜維が韓信だったとしてもその状況じゃ厳しいだろう

783:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 19:05:51.03 PdpPnVoW0.net
陳慶之だって北魏がグダグダだったから出来た訳でそれでも実効支配までは出来なかったからな。

784:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 22:55:36.91 70+AS31i0.net
>>611
蔡瑁の嫁が曹操に取られたんじゃ無かったかかな?
因みに黄巾のシンキロクの嫁も関羽が欲しがったが、曹操が先にとっていった。

785:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 23:10:10.32 p0xRysC20.net
えー 関さん幻滅~~   曹操はねぇ 元からそんな奴だし。
けど部下(蔡瑁)の嫁は獲っちゃだめだろぉ

786:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/02 06:41:07.07 difHtRrS0.net
URLリンク(www.youtube.com)

787:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/02 10:42:53.74 XYlD4ktM0.net
蔡瑁とは子供の頃からのマブダチでしょ

788:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/06 11:42:21.91 eWvBH8It0.net
徐州時代に成功してればね
まぁ大勢力に囲まれて無理か

789:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/06 22:35:02.65 r4BD+o+QO.net
曹操暗殺計画に加担させられたのはともかく、その後密告しなかったのは、袁紹のが優位と思ったからか、世間の反応を恐れたからかな

790:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/06 23:09:22.25 S7JPU19W0.net
劉備が天下統一してたら国ぜんぶがお先真っ暗だったろうなあ

791:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 03:30:09.92 7nN7ARlr0.net
具体的な根拠を

792:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 05:54:28.38 47cyNJv80.net
もう一々突っ込むのも馬鹿らしい

793:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 07:16:30.70 7Ye2ojbG0.net
孔明の仕業?

794:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 10:03:31.51 mgxKWIUn0.net
ゲルマン人もビックリ

795:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 19:23:29.14 11TlRviz0.net
劉備の代で統一できてれば諸葛亮が宰相として国を再建するわけだから漢の寿命があと400年くらい延びたんじゃね

796:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 19:24:35.78 11TlRviz0.net
>>769
あの時点で皇帝を裏切って曹操に付くっていうのは相当な博打だと思う

797:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 21:40:29.88 uC9EtmFm0.net
蜀道難

国なんか栄えるのか?
例え塩交易で国が建てられても、いや海なんてないのに塩がどう作れるんだ?

何かがおかしい中国史。

798:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 21:50:53.81 6s4oytDO0.net
シユウのおかげ、彼の血が解池の塩となった

799:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 22:19:44.90 4lV9UnAV0.net
お前ずーっと塩塩言ってるけどまずどっから塩が出てきた

800:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 01:49:39.19 qVNhx2V90.net
益州は江が複雑に入り組んでいるし
湿地帯が多いからなのか塩田や塩池が豊富なんだぞ
海でしか塩が取れないと考えるのは四方を海で囲まれてる日本人ぐらいだ

801:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 10:09:42.95 BzRo4MhN0.net
塩鉄論

802:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 11:28:49.90 yWZ+ofge0.net
日本人だって海水以外からの製塩方法の一つや二つ知ってるのが当たり前だと思うんだけどそうでもないのか?

803:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 11:58:50.88 PETri++Y0.net
武田信玄「まじで!?」

804:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 12:44:51.02 wKs3R/6c0.net
タムラ 「私の不注意です、塩がなくなりますが手に入りませんか?」
ブライト 「塩?塩か?」

805:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 12:46:03.12 wKs3R/6c0.net
ミライ 「あったわ、シルクロードにある鹹湖」
ブライト 「鹹湖?」
ミライ 「ええ、塩を含んだ湖。そこに行けば塩が取れるかもしれないわ」
タムラ 「ほ、ほんとかね?」
ブライト 「オペレーター、湖にまわっても問題はないな?」

806:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/13 22:49:00.86 5DKFeGCL0.net
>>779
ソースがどこからだったか?
蜀漢を起こしてからの財政を塩で繋いだ、と書かれていたんだよ。

正史ではあった筈。

807:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 00:26:05.99 EKX7JQVO0.net
で 蜀はどうやって塩を入手してたん?

808:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 00:30:58.40 ntR71NzO0.net
三国志を塩で検索したがヒットしなかったな
一応、後漢書公孫述伝の注釈に「蜀有鹽井,又有銅陵山,其朱提界出銀。」とあるから
蜀で塩が取れるのは確かみたいだが

809:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 01:32:41.33 p382Xqtt0.net
すまんかった

蜀漢 でwikiれ

810:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 01:38:39.64 p382Xqtt0.net
益州は鉱物資源が豊富で塩を産出したため、劉備は塩と鉄の専売による利益を計り塩府校尉(司塩校尉)を設置し、塩と鉄の専売により国庫の収入を大幅に増加させた。

811:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 01:56:48.97 Om/lxRij0.net
講談社の中国の歴史を読んでたら、史実の蜀漢は面白い発言に乏しいという指摘が出てたね
史実だと曹操の言動は圧倒的に面白いし、孔明は能力は置いといて面白味はあんまり無いと思う
統一できなかった理由は面白味がなかったから、というのは暴論かな?
面白い=何か新しい部分がある だと思うので

812:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 02:52:44.30 p382Xqtt0.net
>>791
はぁ?!
曹操は赤壁敗戦から殆どが内政と国防が殆どで面白さはさっぱり無いと思うんだが。

むしろ先主没後の蜀の崩壊っぷりが悲しくも虚しいんだよ。徳や仁を掲げた劉備がこれまた内国の不道徳で滅びてしまう。三国志って漢代からの道徳的アノミーとそれに対する侏儒的な忠と孝を中心に書き残され過ぎている。

813:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 09:04:15.52 7FYg/PgN0.net
中国の研究者レベルでも蜀漢って成漢とかと同じ扱いだもんな。

814:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 13:45:46.47 BVrgpunV0.net
>>791
文献の数が違いすぎるから仕方ない
蜀漢で生の声が残った文書って孔明の出師の表と?周の仇国論ぐらいだもん
建安の文学サロンの連中はたくさんの詩を残してるし
細かい発言を残すだけの文化レベルもあったしで面白味で比べたら比較になるはずがない

815:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 18:55:43.02 kcchpJ2B0.net
蜀漢て輝いてたのは建国前後だけな印象
漢中取った直後は蜀、漢中、荊州まで版図拡大してイケイケだったが、髭がやらかして国主も続いてポカして逝去

816:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 22:18:45.94 6cn7irR8O.net
蜀漢に関して面白い、といったら自称仙人をやたら輩出した所って辺りか。
孫呉は元々楚巫のようなシャーマン文化があって神仙道家の葛洪らが居るし、のちの南朝での仏教隆盛の元は孫呉で仏教が広まっていた為とされるから
蜀漢と孫呉は胡散臭いモノが流行り易かったようだ。

817:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 01:00:10.97 1QkAfOZZ0.net
魏は曹操があの時代には似つかわしくないほどの合理主義者だったし
文化水準も高く蜀や呉のように危機的な状況にもないから
そこまで怪しい宗教の類は暗躍してない感じだな
太平道や五斗米道を内包して仏教も伝来してきてたし宗教的要素が無いわけでは全然無いけど

818:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 21:25:24.17 Wffau5pe0.net
ここで水掛論的に、諸葛亮がよく好き好んで吟じていた「梁父吟」について

819:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 22:10:41.68 F0a02sN+0.net
諸葛亮が晏嬰を意識してんのは出師の表読んでてもわかる罠。

晏嬰さんほど性格ドス黒くないけど

820:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/17 13:55:36.06 wyuDhuFp0.net
>>797
曹操は宗教に寛容だったけど劉備は保守主義なんじゃないの

821:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/17 23:31:00.46 xAm4Zr/A0.net
漢を自称してるんだから儒を国政のきほんとしないと

822:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/26 15:23:06.77 PWjFkSTM0.net
史実が面白みがない。というか情報が少ないからこそ講談師が脚色して飯の種にできたんじゃないか?
研究家や学術家にはつまらんのかもしれんけど民間に伝承はゴロゴロしてたし娯楽としては面白く親しまれてきたんじゃないの

823:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/28 20:44:11.27 0zYIMLgG0.net
関羽が華容道で曹操を逃がしたとかいう話って創作だよね?
賢明な孔明が、曹操に貸しがある関羽に最後の捕らえる役目をさせるとは
思えないし、代わりに趙雲あたりに命じるはずだろ。

824:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/28 20:54:56.28 +XiJnwD30.net
レッドクリフでは 劉・孫軍の主要メンバーみんなして、曹操1人を囲んでたくらいだからねえww

825:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/01 07:52:37.83 OQQUmrFM0.net
講談師は当時のメディアでしょ
劉備は漢復興と漢室への忠誠があるから
晋以降の異民族やられたりするなかで漢人の心に希望やら願望やらが込められて人気を博したんだと思う

そりゃ400年続いたんだから
現代日本で置き換えたら明日からポっと出のタレント議�


826:かなんかが権力を握って天皇を排斥して皇帝名乗るようなもんでしょ 曹操は宦官の家の出だしまあそんな感じじゃ そりゃ当然保守やら右翼やらが知識人が賊臣だなんだって叩くのは理解できる だいたい曹操もなんか持ち上げられすぎ 権力とってやったことは結局一族でポスト押さえてやってることはそれ以前の権勢家と結局たいして変わらず 革新的な民主的改革も特に無い 一番優秀だったから勝ち残ってTKO勝ちしただけのこと



827:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/01 08:36:29.24 01qAOvKs0.net
つまりやっぱり張飛がサイコーッッ!!ってことだな

828:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/01 08:42:52.18 sv5Z6WMv0.net
>>805
東晋の時代には五胡政権の後趙が「曹魏みたいなもの」扱いされてるからなあ
北魏が称揚してくれなかったらブラック国家イメージが定着していたかもね

829:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 05:16:55.16 X0s27rQN0.net
劉淵や石勒の時点で既に曹魏って悪役だもんなぁ。

830:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 09:03:39.39 YKRAXitK0.net
孫呉ってほんと おまけだなあ

831:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 10:44:39.77 nqIYFSvY0.net
(元気はつらつオロナミンCのテーマで)

子供の頃から 騙りの子孫♪
中原さまよい 大人になって 
騙して奪った 蜀の国
関羽の仇 殺したい
元気策なし それが
劉備の合い言葉♪

832:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 15:04:37.53 I8jqEJfHO.net
>>809
孫呉の存在意義と本領は、南朝など後世の江東経済発展の下準備。
個人的には渤海の公孫政権が、無茶苦茶頑張って称帝して四国志すりゃ面白かったかな?って位。それでも魏以外の国力ショボいけど。

833:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 15:46:25.50 xu3IqURw0.net
>>811
後趙は遼東に慕容部、江南~蜀に東晋、涼州に前涼政権と包囲される中で滅亡していったから
やはり全周をぐるりと包囲されると国家経営的には凄えキツいようなところはあるんだよね、いくら国力で勝っていても

834:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 21:46:23.43 I8jqEJfHO.net
まぁ確かに四方に接地する敵国が居るんじゃ、軍政の費用や人員馬鹿にならんから
それだけでもかなり苦しいし、自国内の資財のみで国家運営ってのも相当な縛りゲー。
一つ一つ潰せばイイジャン!って簡単に言われかねない話だけど、実際難しいんだよね。相手物言わぬカカシじゃないから。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/04 21:06:22.61 fXI2qhkr0.net
>>811
中国史の全ては
“勝者“中心にして遺されて、その勝者の不名誉は一切描かれてない遺されない。
数は南京大虐殺を、関羽の斤量を鑑みれば分かる話。別に漢民族が180cmを超える巨漢ピンであろうが。

つまり最終的に同盟関係であった呉国であればどう?っていうアンチテーゼやな。

836:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/04 22:19:12.78 qocHuZiV0.net
>>814
まずは三国志くらいは読んでから話に参加しような?

837:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 04:45:43.87 rO3zkMMR0.net
>>815
三国志“くらい“なんじゃなくて、三国志“だけ“読んでも無意味だよ。

孫呉が無ければ三国鼎立しないから。
弱国の蜀が如何に呉を利用してバランスを保って三国志になったか?が世界史上の勢力均衡説を先立って「対中連」つまり「天下三分の計」として唱えた諸葛亮の存在は大きいんだよ。

三国鼎立後の孫呉に関しては蜀漢の北伐以降の二宮事変と内乱が全てで同意。

838:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 18:29:46.79 0X+GKoj/O.net
>>814が何を言っているのかわからない。
日本語でおk、という言い回しが久しぶりに頭に浮かんだわ。

839:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 18:49:59.48 AepGIItP0.net
というかこの一連の流れは会話があまり成立してない

840:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 19:41:56.60 IhSsEtco0.net
>>814の日本語が残念すぎて頭の出来が気になるwwwwwww

841:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 20:06:23.46 CWVYRmax0.net
>>816
まず三国志ひとつ読んだだけでも

>中国史の全ては“勝者“中心にして遺されて、その勝者の不名誉は一切描かれてない遺されない。

ていうのが全くの間違いだってのが分かるからうだうだ言わずに一回読め
話はそれからだ

842:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 21:40:35.36 omfeTDPF0.net
三国志関係スレ恒例の「高校の世界史や古文の授業とか受けたか怪しい人」だろ?

843:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/06 00:05:49.83 UewHDlY30.net
>>820
でも注なしの三国志そのものは司馬家に配慮した筆致じゃね?
個人的には中立性に関しては晋書に劣るイメージだな
編纂された経緯が違うから同列で評価するのは不公平だとは思ってるけどさ

844:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/06 01:18:51.95 ITJyDv1l0.net
そういうのだって司馬家の所には書いてなくても
相手の伝にはしっかり書かれてたりってのが多いじゃない

845:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/06 02:51:01.86 enIjHW3E0.net
鄧艾伝とかかなり踏み込んだ内容じゃん。陳寿が司馬家絡みでぼかしてるのは
曹髦関係じゃないかと

あと、司馬家絡みだったら晋書の方が悪質だろ。司馬師がヨメ毒殺したとか。

846:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 13:45:19.03 KpFCjS820.net
樊城の戦いで関羽が暴走したのが一番の要因。
このせいで孔明の中原へ進行する戦略計画が消滅してしまった。
すでに夏侯惇を失い、中原まで奪われてたら曹操軍は・・・
2ヶ月待てば曹操は死亡していたのだから尚更・・・
それに復習に燃え完全に我を失ったと劉備も暴走してしまう
孔明と趙雲の「いま争っても向こうに利があるだけで和睦が先」
という意見に、いつもなら耳をかす劉備も聞き入れず・・・
張飛は復讐に狂い部下達に連日、殴る蹴るの鬼訓練をして反発をかい
寝首をとられる羽目に・・・仮に夷陵の戦いで張飛がいたら・・・
関羽はもう一つミス。孫権の息子を換羽の娘を自分の息子嫁に迎える
という打診を「虎の娘を犬の息子なんぞに与えられるか!」と侮辱。
これで孫権との関係は悪化し劉備軍は同盟国を失っただけでなく
曹操側の計略にのった要因にも繋がった。

847:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 17:33:38.77 JehnlD2Z0.net
ここって演義の話もOKなんだっけ?

848:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 22:16:23.23 GWruSFwV0.net
あなたの願望を叶えたい時に必要になる

URLリンク(www.youtube.com)

URLリンク(6807.teacup.com)

URLリンク(noroi.top)

849:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 22:56:13.04 XmZTJ8cR0.net
明確に演義を排除してはいないけど
演義準拠で話し合うことあんの? という素朴な疑問は浮かぶ

850:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 06:13:31.20 FIvYWiJ20.net
袁紹が負けたのが悪い。袁紹が勝ってれば死んだ後内紛に乗じて劉備が中央を制する可能性も微レ存

851:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 10:22:10.20 Uysc4sdf0.net
士元の死

852:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 12:35:51.45 QIyyTb850.net
確かに袁紹が曹操に勝ってれば袁譚のバックとしてかなりの影響力を発揮できたかもな

853:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 20:26:32.25 5SxY1ir30.net
重鎮にはなったかもしれないけど
袁紹が曹操に勝ってしまったら劉備が天下統一は無理でしょ

854:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 21:10:28.79 qVYcSxqM0.net
皇帝になれる可能性はグッと下がるだろうなあ
その分新王朝の重鎮(うまくやれば司馬懿ポジに)になれそうだけど

855:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 21:58:36.56 eTkjM1Uy0.net
曹操が負けて死んですぐ袁紹も病死すれば劉備天下統一!

856:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 02:17:09.24 jwQZ3IlxO.net
>>834
いや、その時点じゃまだ袁家の客将でしかない劉備にそこまでやれないわ。自分の地盤すら無いのにどーすんのよ。
司馬懿は魏という確立した王朝内で地位と軍権を確保してたから、広い自領が無くてもああなったけど
袁紹がそのタイミングで死んだら、何も国家なりなんなり確立してない大軍閥でしかないから
袁家内の継承争いが普通に発生するだけ。劉備はその中で生き残るために遊泳するのが精々だ。
無論、劉備が付いた側が勝利を収めて王朝なり政権を定め、そこから劉備がのし上がって乗っ取り天下統一は有り得るけど。
曹操が敗死、袁紹がすぐに死ぬ状態で劉備にお鉢が回る可能性は薄い。
それがやり仰せる程なら、あのグダグダの徐州を確実に地盤に変え、呂布を完全に手足にし陳羣とかも逃がさず使いこなせてるよ。
劉備が無能などとは決して言わないが、そこまで出来る程超絶的有能とも思えない。

857:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 03:40:41.90 D71rOsd30.net
劉備みたいな人間は丁重に扱われると同時に陣営にも警戒されるしな

858:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 04:07:30.85 bIcvIhp50.net
呉志とかじゃ義理ワン扱いだしな

859:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 14:04:17.18 3V2+HJ8i0.net
あの呂布にすら裏切りものは劉備の事だと言われる始末

860:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 15:04:09.80 PIS9uw1F0.net
しかしそんな人間に関羽みたいのがくっ付いているのは本当面白い

861:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 15:23:03.13 HfEMWMY/0.net
ちょっと危ない男のほうがモテるのは現代の日本も同じ

862:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 18:44:43.74 CeVWMZg10.net
>>839
関羽も降伏しては裏切り逃げ出す義理ワンなので劉備と同類
類は友を呼ぶというやつだ
三義兄弟の中で実は張飛が最も義理高そうw

863:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 20:47:42.43 O/Jp9k9U0.net
関羽が裏切って逃げ出したって一体いつどこでの話なんだろうか

864:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 23:16:49.77 vQ/WlQSd0.net
曹操に降伏→官位贈り物与えて厚遇→曹操の元から脱走

孫権に降伏→しかし麦城から脱走→捕えられて斬首

確かにあるな

865:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 00:18:06.85 vfdRmKQM0.net
曹操の下からどうやって劉備のところへ戻ったのか記録あったっけ?
脱走とも放免とも捕虜交換とも何も書かれて無かったような気がするけど

866:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 00:22:37.36 vfdRmKQM0.net
あと孫権には降伏はしてなくない?
降伏を受け入れるそぶりを見せて包囲が緩んだところを脱出したはず

867:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 11:45:15.72 nbk7s1Og0.net
>>838
お前が言うなとしか言いようがない

868:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 23:37:20.26 aMpHrvgV0.net
>>843
これみると関羽はホウ徳ほどの潔い死に様ではないし
于禁ほどの生き恥さらしもできなかったという
義理ワンの悲惨な末路を体現しているな

869:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 23:59:18.26 Z1ZrHC3Z0.net
>>843>>847はもう少し上手く自演しろよw
バレバレやんけw

870:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/01 08:32:05.15 pM8EWxW40.net
ここまで露骨だといっそ清々しいな

871:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/01 14:35:12.65 pM8EWxW40.net
>>844
ちゃんと関羽の伝に書いてあるぞ

(初、曹公、壯羽爲人、而察其心神無久留之意、謂張遼曰「卿、試以情問之」既而遼以問羽、羽歎曰「吾極知曹公待我厚。然、吾受劉將軍厚恩、誓以共死、不可背之。吾終不留。吾要當立效以報曹公乃去」
遼以羽言報曹公、曹公義之。及羽殺顏良、曹公知其必去、重加賞賜。羽、盡封其所賜、拜書告辭、而奔先主於袁軍。左右欲追之、曹公曰「彼各爲其主、勿追也。」)

もっともこれを読んでも関羽をギリワンとか言う奴の気が知れんがな
まぁそもそも読んでないんだろうけど

872:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 20:59:16.03 FadJveKQ0.net
こう見ると関羽は捕虜扱いだったり降将として曹軍に組み込まれたりしたのではなく客将の立場だったぽいな
恐らく手勢もそのままで劉備の下へ帰参できたのだろう

873:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 22:44:51.21 t2k8a8L10.net
曹操の関羽に対する扱い見てる限り、劉備も降伏したら曹操から寛大な扱いを受けてたろうな。

874:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 02:58:39.82 Cw/dUst90.net
どうだろうな
一応献帝一派に勝手に曹操暗殺計画に巻き込まれただけとは言えるけど
袁紹に呼応して徐州で曹操の後方を撹乱したのは大きいだろうし

875:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 03:04:51.69 pzZYwEHL0.net
漫画「孔明のヨメ」でも劉備は董承から曹操暗殺を持ちかけられて、迷惑そうな顔してたけど現実でもそんな感じだろうな。

876:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 10:15:37.93 eccONeAu0.net
>>852
降伏して張繍になるか劉琮になるか馬騰になるか袁譚になるかはケースバイケース

877:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 14:06:59.89 X/bpAx7GO.net
>>854
密告しなかったのは勝算があると思ったのか、或いは皇族のくせにと叩かれるのを恐れてか

878:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 21:17:07.10 pAPvpE4C0.net
曹操が覇権を握ると確信できてればしたんだろうけどな
まだそこまでの確信が持てる状況でもなかっただろう
仮に曹操に密告した後に曹操が失脚したらもう二度と中央に居場所が無くなるわけだからリスクは高い

879:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/05 21:46:39.94 OEtQJJ8c0.net
献帝にも子供もいたはずだし、擁立せずに血筋が怪しい己が帝号名乗る時点で蜀漢に正統性は皆無と思うわ。
献帝が劉備に禅譲したならまだしも。

880:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 10:43:05.10 HjmP0SWaO.net
いれば何らかの記述があると思うけどね。
漢王室根絶やしに、曹家の子どもも殺すとも思えないから生まれてないのかも

881:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 11:59:34.87 4OPTCOEC0.net
記述はあるぞ
少なくとも玄孫までは

その玄孫の代で血脈が絶えたそうだがな

882:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 12:06:26.70 4OPTCOEC0.net
ちなみにソースは後漢書の孝献帝紀な
(太子早卒,孫康立五十一年,晉太康六年薨。子瑾立四年,太康十年薨。子秋立二十年,永嘉中為胡賊所殺,國除。)

883:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 12:12:52.37 4OPTCOEC0.net
>>858
少なくとも劉備が帝位を号した時点では劉協は曹丕に殺されたことになってるしその後も蜀漢は劉協の生存を公式に認めた記録がない
つまり劉備としては後漢の社稷を絶やさない為に劉氏である自分がやるしかない、という建前なんだわ
後世の我々は劉協が生きてたことを知っているから不義不忠に見えるけど少なくとも当時において劉備は名分をきちんと立てて行動してるし周囲もそれを受け入れている

実際のところ劉備や諸葛亮が劉協の生存を知らないはずがないという推測は十分にできるけどそれこそ本人たちのみぞ知ることだしな

884:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 12:55:21.41 u7j4rFW40.net
>>862
いや、当時は国が争っていても
名士同士は連絡を取っていたから
皇帝暗殺なんて大事件を知らないなんて無理があるよ

885:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 23:33:41.83 j7M6LP6U0.net
>少なくとも劉備が帝位を号した時点では劉協は曹丕に殺されたことになってるしその後も蜀漢は劉協の生存を公式に認めた記録がない

という事は蜀漢は劉協の存在を社会的に抹殺したうえで成立した国家という事だ
だから劉協の生存を知ってても無視し続けるしかない
そんな大義名分なら公式的に禅譲の上で帝位を号した魏の方が大義名分あるので
例え諸葛亮が北伐繰り返しても元漢の民のほとんどが呼応しなかったのも致し方ないな

886:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 03:33:14.07 bJ8jDQPu0.net
でも後世には意外と蜀漢を正当とみなしている王朝があるのが面白いよね

887:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 07:27:27.83 oJ/jeOwW0.net
>>864
愍って悪諡つけてる時点でちょっとね。

>>865
劉淵「ワイら匈奴は漢王朝の兄弟やからな。兄の漢が中途に倒れて弟である匈奴がその後を継ぐ。何も問題はないやろ?阿斗ちゃんにも考懐帝って平諡を贈ってるし。」

888:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:27:11.57 ro9h3egeO.net
東晋や石勒の記録を見ると、悪名は魏の方にあって蜀は賛美されてるね
比較的近い時代でさえ、敗国が勝国より好評価なのは珍しい現象だ
蜀を滅ぼした時の最高権力者は既に司馬昭だったから、蜀を貶め魏を持ち上げる必要が無かったとか?

889:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:40:39.81 UstuuC7e0.net
魏晋の異民族政策が相当キツかったんやろ。
元々後漢の流れで「夷狄は消毒だ~」のノリやったし

890:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:47:15.80 QjDFV3Sc0.net
だから今の価値観で全部ネタバレ知ってる状態の俺らと今とは全然価値観や情報量が違う当時の民衆とを同じ視点で考えるなんてナンセンスにも程があるっての

891:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 12:59:04.04 SEhjV5QxO.net
歴史から学ぶなんてナンセンス

892:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 06:21:57.19 sYhivNJO0.net
実際劉協は諸葛亮と同年没だが、曹操曹丕が死んでからざまぁねえやと思ったに違いない 諸葛亮没からはもう思い残す事はないなったろう

893:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 09:46:54.90 qCJfnt2Q0.net
劉禅の一生を教えて下さい。酒池肉林で楽しかったのでしょうか?

894:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:22:26.36 mUjWWg/p0.net
ぶっちゃけ分からん。まあ出師の表で「ちゃんと勉強しろ。えこひいきすんな。屁理屈で諫言をやり込めんな。先帝(劉備)持ち出して自己弁護すんな。家臣団が必死こいてんのは先帝の恩を返そうとしてるだけなの忘れんな。」とか突っ込まれる時点でアレなんやろ

895:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:44:34.05 4WiuvDKW0.net
>>865
蜀漢正統論は五胡十六国時代や南宋時代など
中原を異民族に蹂躙されている時代に脚光を浴びているので
どちらかというと卑屈な奴らの牽強付会な論理なんだが
それが浸透してしまう時点で中原を異民族に蹂躙されたのが相当堪えたのではと思う

896:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:57:55.02 rIHyENjjO.net
>>873
孔明が死んだ後はやりたいようにやって、丸投げしたんだから楽しかっただろうな

897:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/17 20:11:55.86 ex5ZfdiQ0.net
宦官で始まり、宦官で終わる漢帝国

898:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 22:03:31.31 RI/eRS+t0.net
孔明が死んでからも30年保ったし内部崩壊したわけでもないからそこそこなんやない

899:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 22:16:00.19 08tQrpvZ0.net
外戚で始まって、外戚で終わった前漢
宦官で始まって、宦官で終わった後漢
北伐で始まって、北伐で終わった蜀漢

900:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 22:20:56.40 wzabdNas0.net
まあ末期陳とか末期孫呉とかよりマシなレベル

901:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 23:09:11.69 yYsw1mdF0.net
>>879
戸籍人口では孫呉>陳だぞ
華北は三千万ぐらいいたみたいだから孫呉より絶望度では上

902:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/22 20:36:58.68 yz5Z4odN0.net
末期陳も末期孫呉も
北が軍起こしてから三ヶ月で滅亡

903:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/24 01:57:57.63 PKdzw/3J0.net
そもそもとして末期状態だから滅亡するわけで

904:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/24 14:26:28.75 QnwoRCl70.net
滅亡したからその直前が末期と表現されるんじゃないのか

905:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/28 23:03:55.42 /fEOx8pj0.net
漢の命脈が尽きていた

906:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/30 16:25:17.55 BmYjr5nF0.net
ケイシュウは諸葛亮が、守るべきだった

907:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 11:00:08.49 mc2XTzWT0.net
有能なのが諸葛孔明たった独りではなぁ、たとえ天下を統一出来ても、啊斗の時代にまた分裂してただろうな。
荊州の劉表と養子縁組みして、劉備が養子になって置けば良かったのに。で、その息子に劉琦を養子にとれば良かった。(親子の間に劉備を入れる感じ)

908:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 13:27:32.92 ndOd26ts0.net
安碌山「せやな」
朱全忠「せやな」

909:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 15:08:46.68 fcleFS6G0.net
>>886
ただの劉表の自殺行為じゃんそれ

910:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 15:46:55.51 VgwHcG8j0.net
劉表のメリット何一つなくてワロタ

911:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 18:17:20.85 lYUXRDZ00.net
>>886
現代でいう「ネームロンダリング」的詐欺ですかw

少なくとも士大夫レベルでは劉表の跡継ぎが劉琮だったおかげで
荊州が曹操に下った際に中央で出世した人材数多で成功しているので

912:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 00:14:06.54 Db4WXV2d0.net
劉表が劉備に荊州を継がせようとした話の信憑性はどうなんだろうか
裴松之は否定しているが

劉表は曹操を嫌っていたから、自分が死んだ後に荊州が曹操に降服する事を読んで
それならいっそ…という事で曹操に降服しない劉備を荊州の主にしようとしたという事はありうると思う

913:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 02:55:58.01 GhgwpLYZ0.net
そもそも劉面が庶子の劉琮を後継者にしたのは地元豪族との力関係もあるから、劉表本人が仮に劉備を後継者にしようとしても地元豪族が納得しないんじゃね。

914:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 05:02:15.88 rd2ErHkI0.net
血縁と婚姻で関係をガチガチに固めた蔡瑁一族からの反発が尋常じゃないだろう
劉表に仕えなかった名士連中がどう出るかは不明だけど蔡氏の反発があるなら劉備の荊州支配は安定しないんじゃないか

915:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 07:37:55.27 yh5E5Vuo0.net
その辺は漫画「孔明のヨメ」で丁寧に描かれてるな。

916:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/03 07:45:41.12 AmyoIEqO0.net
田豫が最後までいてくれたら

917:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/03 09:12:03.89 FjwD6uBH0.net
徐州を呂布に奪われない前提で妄想を進めてみたけど、
結局孫策に攻められた劉ヨウの救援に行って奪われそうでやめた

918:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/03 13:12:33.44 vkrugHkv0.net
孔明の嫁の実の叔母が劉表の後妻の蔡氏でしょ?
劉備が荊州を貰うのを、間に孔明とヨメが入って蔡一族と上手く付き合って(手のひらの上で転がして)やってく方法もあったんじゃないのか?その場合、劉キはないがしろにされてしまうだろうが・・

919:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 00:01:49.98 2smfrqE9O.net
その蔡氏一族が牛耳る劉表陣営が嫌いだから、諸葛亮は伝手があっても劉表には仕官しなかったんじゃないっけ

920:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 11:32:09.76 rYYFHb9/0.net
>>898
ソースよろ

921:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 14:33:00.17 sWXpIliw0.net
「まあそのうちビッグなことやるから」
「俺をたとえるなら管仲・楽毅かな・・・」
「へえ合格したの?よかったね、地方公務員なんてお前にぴったりの仕事だと思うよ」

孔明は今でいう意識高い系で周囲からは浮いていた
付き合いがあるのも変人ばかりで表面上は平穏な劉表政権には無用の長物

922:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 18:32:26.09 LAa2/3180.net
諸葛亮が劉表に出仕しなかったのは劉表の下では自分の名を上げることができないと考えていたからだと思われる
あと、劉表が師である司馬徽を侮辱したのも多分理由のひとつかと

923:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 19:22:04.13 bw4346JU0.net
スリキンでは徐庶も劉表の事を、水鏡先生に良くは言ってなかったね。
自分にも塁が及ぶ前にサッサと帰って来た…とか言ってたな。
水鏡先生一門はアンチ劉表か

924:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 00:17:46.13 BZCO923d0.net
親劉表一門もアンチ劉表水鏡一門も
曹操に仕えたら仲良く出世街道
素晴らしい

925:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 12:02:20.14 x45OY8r50.net
劉表自身に天下を争う志がないし
後妻の一族が実験握ってて泥船に見えたんじゃね

926:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 13:04:20.45 DepJj/LC0.net
諸葛亮が出世を求めていたのは孟公威とのやり取りでも分かるな
だから天下に打って出られる人材でかつ自分を高く売り込める相手に仕えたかったと

927:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 12:24:09.55 6WfpwEQFO.net
鶏口牛後かな
それでも劉備を選ぶのは、けっこう冒険な気がするけれど

928:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 12:57:14.83 0IJ+3VAi0.net
元々諸葛亮は劉備に荊州を乗っ取らせるつもりだったから本人にとってはそこまで無謀な冒険のつもりは無かったのかもしれない
ところが劉備がそれを容れなかったことで最初の一歩から盛大に躓くことになってしまったわけだけど

929:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 13:21:50.18 f/8gAiNC0.net
従来までの後漢王朝であればどんな実力者の権臣であっても皇帝サイドの底力で何とか粛清するのには成功してきたわけだが
曹操はその皇帝サイドからの反撃に打ち勝った糞逆臣だからねえ
長期的に静観して曹操の足元が揺らぐのを期待していた劉表や孫権みたいな連中は予想を裏切られた思いだったのでは

930:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 14:26:31.78 RDq/R80y0.net
>>908
曹操と劉表に限った話ならある程度は合っているが
曹操を糞逆臣と言っている時点で視野が狭い
劉表は党錮の禁で粛清された清流派の幹部で
曹操は名宦官曹騰の流れを汲むズブの濁流派だから
互いに相容れる事のない関係なので
劉表が曹操を糞逆臣とみなすのはわかる

しかし曹操は元々皇帝サイドの宦官側の出身なので
外戚や清流派と違って皇帝と根本的に対立する立場ではない
だから皇帝と近しい所で権力伸ばして王になれたともいえる

孫権は曹操の足元が揺らぐのを期待していたというよりも
自分に高い官位爵位をくれない後漢王朝の足元が揺らぐ方に期待してたんじゃないかな

931:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 16:29:47.94 xwgoDDWi0.net
基本的に宦官は皇帝が外戚や権臣に脅かされた時の最後の切り札だからね。
前漢の宣帝、後漢の和帝、順帝がわかりやすい例。
そう言う意味では最後まで献帝の庇護者であり続けた曹操は爺さんの流れを継いでると言える

932:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 17:30:09.69 6WfpwEQFO.net
度重なる暗殺計画も、董承らとか周りからなんかな

933:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 17:32:15.95 f/8gAiNC0.net
アクロバティック擁護抜きにしても曹操一家の簒奪劇は明白なのに…
曹丕にあれだけお膳立てしておいて献帝の庇護者とかって

934:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 17:37:31.96 xwgoDDWi0.net
皇帝とっかえてる霍光とかの方がよっぽどヤバいんだけどね。あと堂々と皇族殺してる竇憲とか

935:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 19:54:52.66 6WfpwEQFO.net
>>912
我慢強いな曹操さんは
董卓さんなんて、我慢できなくてヘソに火を点されてしまった
信長もナポレオンもアレキサンダーもすっころんでいるのに

936:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 20:17:17.47 jmJTAJsz0.net
建前としては簒奪で後世に悪名を残したくない
現実には簒奪直後に寿命が来たらヤバイから息子の代に伸ばしただけ

937:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:01:39.60 c5xLHPK/0.net
>>915
どうなんだろうね
少なくとも後漢滅亡の数十年前の黄巾の乱の時点で
儒家問わず易姓革命願ってた流れあるので
曹操一家よりも周りの人間の方が後漢滅亡を願ってた節が

938:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:38:27.58 PK3+LMxZ0.net
曹操の代に九錫受けてる以上、どう考えても簒奪不可避だしなあ
悪名残したくないから簒奪まで行かなかったというより
劉備を討伐してから禅譲まで行くつもりが寿命のほうが先に来た、という方が正しいのかもね

939:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:42:12.85 c5xLHPK/0.net
>>911
董承や伏完はバリバリの外戚なので
曹操排除して代わりに権力握るという動きはわかる
伏氏の時は曹操も前年に娘を献帝に嫁がせてるからある意味外戚とも言えるので
違う見方すると外戚同士の権力争いとも取れる

218年の吉本の乱や219年の魏諷の乱の時は曹操の留守を狙ったクーデター未遂なので
曹操を狙った暗殺計画ではないな
あと純粋に曹操狙った暗殺計画で思い当たるのは官渡の戦いの時の徐他ぐらいか

後漢から魏に禅譲してからは曹一族内での権力争いは思い当たるが
曹丕曹叡時代に政権内部からのクーデター未遂計画とか思いつかない
後漢の存続願ってる勢力が多ければ
むしろ魏に禅譲した後に反乱クーデター続発してもおかしくないのだが…

940:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:52:54.63 c5xLHPK/0.net
>>917
中国史上で九錫受けた人物で皇帝にならなかった人物の方が少ないので
本人がどう思ってるか関係なく九錫受けた時点で禅譲放伐を意識されるのは仕方ないな

李厳が諸葛亮に九錫受けるよう勧めたら
諸葛亮が条件付きで九錫どころか十錫でも受けると返した話は何故か無視される昨今

941:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:16:42.71 0IJ+3VAi0.net
>>919
あれは「まだ魏と戦争してる最中なのに何アホなこと言ってんだ仕事しろ」ってことだろ

942:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:20:54.90 c5xLHPK/0.net
>>920
そうだが
九錫受ける=簒奪
と安易に決めつける風潮が違和感あるので

943:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:34:32.81 bWchhI6W0.net
KYな薦めを冗談っぽく受け流しただけだろ

944:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:39:19.40 vZ+gBWHF0.net
李厳さん「オレ専用の幕府くれ」とか韓信ばりの無茶なおねだりやらかすからな

945:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 23:22:13.18 Jcl0dgjX0.net
曹操が暗殺されれば魏の政権は混乱して崩壊した可能性もある
しかし曹操は暗殺計画が何度もあるのに生き延びてるのが凄い

946:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 01:41:52.39 N3EC0WFY0.net
>>919
>>921
公孫淵が孫権から九錫受けたが呉の使者ヌッ殺して魏に売り渡したり
ソース不明だけど士燮が後漢末年に曹操から九錫と六佾之舞を受けたり
司馬懿が高平陵の変の功績で九錫受けたが辞退したり
簒奪関係なくこの時代でも九錫の話けっこうあるな

947:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 01:46:55.76 N3EC0WFY0.net
抜けてたけど孫権も曹丕から九錫受けてるな
後漢末~三国時代で九錫受けた身分でないまま皇帝になったのは劉備と袁術と許昌か

948:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 01:59:03.34 N3EC0WFY0.net
>>916
「蒼天已死 黄天当立 歳在甲子 天下大吉」
「代漢者当塗高」


確かに

949:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 04:50:47.00 NkPIVW7I0.net
九錫を下賜されて皇帝にならなかった人間は曹操となる前に死んだ司馬昭だけ
あとは全員皇帝になったか殺されてる
そのことを考えると皇帝にもならず天寿も全うした曹操は聖人みたいなもんだろ
って話を以前どこかで見たな
周の文王たれば良いと自分でも言ってたし皇帝になるつもりは本当になかったのだろう

950:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 05:50:35.91 2vwh8kCe0.net
>>928
誉め殺しはやめたまえ

951:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 05:56:48.46 2vwh8kCe0.net
九錫求めて簒奪一歩手前まで行った権臣と言えば東晋の桓温がおるけど
桓氏は桓温死後に族滅されたりすることなくその勢力が温存された
お陰で淮肥の役の際に東晋は滅亡しなくて済んでる

曹氏も無理して簒奪路線じゃなくて権臣路線で食い繋いでいけば良かったのにと思うの

952:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 10:51:18.76 u8KGCWSJ0.net
曹操はそのつもりだったのに曹丕が親父へのコンプレックスで暴走した可能性

953:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 15:51:21.05 hW6mBjQF0.net
後漢は寿命だったししゃーないわ

954:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 15:59:19.90 3Lpz9iDV0.net
後漢書読んでても和帝以降は死亡判定食らってるのにダラダラ続いてるだけやしな。
某跋扈将軍なんて曹操が上品に見える程の酷さ。

955:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 16:28:43.95 PZxn1YXg0.net
曹操が皇帝になりたかったというのはかなり微妙
なれるチャンスはいくらでもあった
漢王朝をどうしたいのかもよくわからんが

956:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 16:51:47.59 2vwh8kCe0.net
後漢が寿命っつーか
後漢型の帝国システムを勝手に終わらせたのが曹魏
二代目の明帝より後は本当にグダグダになっちゃったけど

有力士族による合議制という政治的潮流と戦争屋皇帝って食い合わせ良くないよね

957:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 18:35:41.11 3pGP0AEX0.net
>>935
蜀も孔明亡き後は人材難になっていくからなぁ
一人ひとりを見れば馬鹿じゃないんだろうけどね

958:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 21:12:18.19 hW6mBjQF0.net
曹叡が浪費家な上に早死にするのが悪い。蜀は元々劉備が集めた人材が死んでく上に
荊州まで失って益州だけになったんだから人材が枯渇するのは当然

959:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 21:28:50.85 3Lpz9iDV0.net
むしろ蜀漢の遺臣は西晋でそこそこ重用されてた気が。譙周の弟子絡みだけかも知れんけど。

960:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 22:04:32.45 QGhDIw160.net
>>938
蜀漢の遺臣は後からやってきた孫呉の遺臣より存在感薄くて泣ける
国力は仕方ないがもう少し文化力高めて三俊や五儁ぐらいの人物は出して欲しいところ
東晋になると蜀漢と孫呉の遺臣の扱いが絶望的な差になるのは首都が孫呉の地になったからかもしれんが
故地を異民族に跋扈されて建国されるのを蜀漢の遺臣が防げなかったのである意味仕方ない

961:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 22:22:29.28 3pGP0AEX0.net
>>939
呉は2世の活躍が多くて珍しい方では
比較対象が悪すぎる

962:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 23:55:44.82 wE3lpda60.net
羅憲とか霍弋とか、大物が居ないでもないけどねえ
ただ劉備・諸葛亮恩顧の人材が引退する前に滅亡が来ちゃったから、
ちょうど呉の2世に当たる人材が丸ごと史書に残らなかったんじゃね、という解釈もあり得るとは思うけど

963:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/08 02:50:28.15 ncWt9hly0.net
陸兄弟みたく皇帝(李世民)が伝記書いてくれる事案は特殊な例やしな

964:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/08 09:52:39.27 wBwtwMVtO.net
人がいないわけじゃないのだろうがな
出来る人は私利求めて、韓非子の有度篇みたいな感じかな

965:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/08 12:17:04.47 cKjAM6Zr0.net
呉は豪族の寄合所帯的な体制も関係していたかもしれないね
各勢力一族関係者の中から有能な人間を集めやすいとかさ
この辺は儒者ネットワークに近い物を感じる
蜀はそのどちらもあまりないしなあ

966:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/08 12:31:52.26 UE+9JMjB0.net
劉備のコネも恐らくは華北や中原限定で荊州や蜀ではそんなに効果なかったんやろな。

967:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/09 00:59:25.87 +1WFh+c00.net
>>941
羅憲とか霍弋とかは能臣だが大物かというと微妙だな
蜀漢の遺臣で陸機や陸雲や顧栄や陶侃ぐらいの超大物は皆無
もし羅憲や霍弋が史書に立伝されるぐらいの人物だったから大物扱いしているとすると
孫秀、孫楷、薛瑩、胡沖、陸喜、周処、吾彦、陶璜、陶濬、滕脩、虞聳、虞昺などの孫晧旧臣から
周訪、甘卓、紀瞻、閔鴻、薛兼、賀循、張闓、戴淵、戴邈、虞潭、虞喜、虞預、
孫恵、陸曄、陸玩、顧和、顧衆、張翰、陶回、干宝、諸葛恢、葛洪などの孫呉の遺臣の遺児でも
甘く見積もっても羅憲や霍弋と同格以上の大物は両手に溢れ人の手を借りても足りないぐらいいるぞ

呉滅亡前は呉から晋に亡命すれば驃騎将軍車騎将軍はホイホイ貰えるご時世だったのに
呉滅亡後の西晋時代は呉の地元の仲間を推挙するのに死罪を覚悟するぐらいの超氷河期
この時代を乗り越えて東晋時代には三公クラスを何人も輩出する呉の底力は
>>944氏の呉は豪族の寄合所帯的な体制からの効果だったからというのは同意

蜀は皇帝が降伏して公なのに呉は降伏して侯にしかなれん割には
遺臣の方は圧倒的に呉の方が有能な人物ばかり輩出しているので
イメージと違って実は蜀は皇帝が有能で臣下が無能
呉は皇帝が無能で臣下が有能だったのかもw

968:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/09 01:03:11.74 WPKx3xsS0.net
蜀の遺臣である意味一番の大物は陳寿だな

969:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/09 02:51:42.87 DERgVyjO0.net
こうしてみると悪名高い八王も最初は呉臣の再就職先のためのセーフティネットだったのかも。

なお、劉淵

970:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/09 12:59:04.97 qSw6Rdv50.net
なんだかんだで総人口と支配地域の広さや文化水準の差なんかもあるんだろうな

971:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 00:31:59.83 kqONe0aa0.net
>>946
探せばまだまだ居そうだな
周玘とか

呉の遺臣の凄いところは東晋以降の南朝でも存在感あって
南北朝時代終わってもまだ呉の遺臣の子孫がちらほら見受けられるところ

972:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 10:33:52.72 WGbm/ZY20.net
>>950
それは呉の遺臣は地元に根付いていた「郷士」(or国人領主)という側面があったから、
王朝が新しくなっても安定した支配秩序を築くために、彼らを取り込む必要があった

973:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 12:08:32.18 v1qHSxey0.net
>>951
なぜ日本史用語がここで飛び出すのか理解できない
「江南豪族」ではアカンのか

974:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 14:38:45.73 I7HSzA570.net
とりあえずここは劉備のスレなんで
希少な呉オタの方々はお引き取りください

975:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 14:59:24.63 UDt01KLL0.net
大徳さん単体だとネタ広がらんからなぁ

976:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 15:13:44.50 Sal4jrE90.net
確かに「この世界の片隅に」が流行ったとはいえ
旧海軍の鎮守府呉オタは珍しい

977:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 15:41:09.28 kjYd/2EJ0.net
劉備の子孫である劉淵が晋を滅ぼしたからある意味天下統一したな

978:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 17:50:18.80 Zmguk5c60.net
統一はしてないな

979:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 17:56:17.25 UDt01KLL0.net
西晋滅亡させただけだしな。
なお、献帝や孝懐帝(劉禅)の子孫は族滅された模様。

980:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/10 23:53:37.37 UH3q4xrEO.net
確かミスター丹波でルンバは始祖が後漢献帝となってるが、まぁ関羽の末裔と同じアレだわな。
称したのは関羽の末裔よりは早い時代だけど。

981:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/12 10:50:26.34 xwwFzbUd0.net
坂上田村麻呂「呼んだ?」

982:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/12 19:52:16.31 xaaTSsLQ0.net
なんか日本で献帝の子孫名乗ってる氏族が結構いたらしいがどういうところから始まったんだろうなぁ

983:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/12 21:10:16.94 UoxNbvKR0.net
箔付けに有名人の子孫名乗りたいけど国内の奴は追及されるとやばい・・・外国のにしたろ!

984:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/13 00:36:52.70 csbQHTMp0.net
源氏だって元々は北魏の準皇族(源賀)が由来らしいからな

985:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/13 12:49:46.42 tl+vnJra0.net
秦氏はユダヤ系列だったんだよ!

986:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/13 14:32:05.78 bpSuax1t0.net
>>946
呉の滅亡は蜀のすぐと思う人が多いが蜀滅亡から15年後だからね
しかも呉を攻めるのに反対してた重臣も多い。
つまり、それだけ呉が強いと認識してたんじゃ
スレ違いすいません

987:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/13 16:57:34.63 n097W4S/0.net
>>964
秦氏は目立たないけど、着実に勢力を広げていって現代に至る不思議な氏族
羽田元首相も元々は秦氏を名乗っていたそうだし
しかしこの人も総理大臣にまでなったのに目立って無かったなw

988:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/13 22:34:56.77 maslWFMP0.net
陸抗が死んでからはいつでも呉を滅ぼせるぜって感じだったけど賈充、荀冒、馮沈は
反対してたよな。なんでやろ

989:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/13 22:42:53.24 6ds/uD9+0.net
そりゃ軍縮やってた上に樹機能の乱があったからやろ。

990:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/14 19:27:34.66 41gdY7IT0.net
相手国へ攻め入っての大規模な制圧戦なんだから国力の疲弊も大きいし
相手も庭での戦いで死ぬ気で抵抗してくるわけだし
10回やったら10回勝てる万全の状態じゃなかったらむしろ攻め込んだ側が破滅しかねないしな

991:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/14 19:44:47.68 BTaWz


992:60E0.net



993:遣25万主力87万投入して西府10万北府8万の東晋に雪崩れ込んでボロ負け→国家崩壊だったから 西晋首脳部の対呉慎重論も杞憂ではなかったと思う



994:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/14 21:12:46.48 dmQ/nnf00.net
趙達の予言通りに庚子の年まで待った説

995:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/14 21:42:56.34 NoVKLr+V0.net
もし負けたら政治的なダメージがデカイからな

996:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/14 22:22:04.95 NDE+RppX0.net
隋の楊堅も陳への攻撃を慎重に慎重を期して行ってるからな
西晋の時よりも楽な相手だったのに

997:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/19 09:29:11.19 GbkTfgai0.net
始皇帝の秦も楚を攻めるのに大動員してるからなぁ

998:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 16:17:09.80 uCFgxIPe0.net
劉備、孫堅、曹操の三人だと実は身元が一番怪しいのは曹操ではないかという疑惑
曹嵩より上の先祖が不明ってのは孝廉に挙げられた祖父劉弘を持つ劉備より胡散臭い
兄弟不明ってのは孫堅よりもスカスカ

999:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 19:37:07.74 5Ew5Cpxh0.net
曹操パパンは夏候家からの養子なのだしその辺はなあ
曹嵩は子供が何人いたかも定かではない感じだし

つーか孫堅の父の孫鍾だって名前以外に何も分かってないんじゃないっけ

1000:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 20:03:54.80 ERZFbv7O0.net
劉備=ヤクザの親分説みたいな奇をてらった言説も最近見なくなったよなあ

1001:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 20:33:34.40 KrHOFp9X0.net
>>976
孫鍾は孫堅の祖父説もあるし
曹操の父親確定の曹嵩よりも
孫堅の父親の方が身元が怪しいのは確か

1002:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 20:47:17.00 0vgrxSY+0.net
劉備も皇室の末裔かどうか怪しい
皇室の血族って一番都合の良い売名だからな

1003:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 22:09:07.47 JAQxgPa30.net
DNA鑑定で曹氏は夏侯氏のDNA鑑定とは繋がらないっていう話じゃなかった?

1004:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 22:27:12.29 h5XIqZfW0.net
>>979
地方官に就いていた劉氏で皇室に全く縁もゆかりもない人間がたくさんいたというのであればその説も説得力あるけど
劉焉とかは先祖の来歴は不明だけど一応宗室に連なるということになっており賢良方正にも挙げられている
宗室を騙った劉氏というのが果たしてどれどけいたのだろうか

劉備だけ疑われるのは少し違和感
劉焉、劉表の方が直近の父祖が不明な分だけ劉備より経歴怪しいことになると思うんだが、そういう意見は聞いたことがない

1005:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/20 22:34:33.92 h5XIqZfW0.net
劉備は結構祖父の経歴の恩恵を受けてると思うのよ
祖父が孝廉に挙げられているような地方豪族の家柄だったこそ平原国相までトントン拍子に出世できたんだろうし

士族としてのスタートラインに立てるだけの門地があったのは確か

曹嵩の父親が不明なのは出世の仕方から見て不自然だと思うけど
宦官の養子って案外闇が深いのか

1006:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 01:15:26.88 ZgDXYXvZ0.net
>>981
劉備の場合、蜀漢の正当性に関わってくる問題だから注目度が大きいってのが一番だしなあ
あと、時期によって劉備がどの劉氏の子孫か、史書でころころ変わってるのもマイナス要素

1007:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 02:18:52.22 Wbin+knkO.net
時代は無茶降るが、明の朱元璋が皇位に即いた時に朱元璋の血族はその家族だけしか居なかったが
明滅亡の頃には帝室から末端の末裔に至るまで、八万人に増えていたとされる。
祁氏劉姓は漢の開始当時はほぼ劉邦一家周辺しか居なかったという。四百年あったら、結構な戸数には増えてたろう。
国是が産めよ増やせよ先祖を祭れの儒教だから、子供は作り放題だし
劉備の最終的に称した先祖の中山王自体が前漢屈指の子沢山だから、実際にそうであってもおかしく無い。
また劉備の誕生期にはまだ漢室末裔以外の劉姓の自称が規制されてたから、一応は本当に祁氏劉姓だったろうけど
漢復興と中原回復を国是とし回復せぬまま滅亡した蜀漢はともかく、漢中王自称の時点で何故か家廟を造らなかった(王を称したら一国の主だから家廟を興す)。
そこら辺も末裔には違いないにしても、本人すら本来の系統がよく分からないいい加減なのだったんだろうな。

1008:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 03:14:13.69 kKaiwktd0.net
呉主伝の注釈で孫権の使者が劉備に「漢中王殿下は宗室に連なる人間なのに称帝するのは如何なものでしょうか」とかツッコんでるから結構胡散臭い目で見られてたのかも。

1009:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 07:44:22.30 Wbin+knkO.net
呉…献帝生存情報アリ、曹丕の受禅承認。
蜀…献帝崩御情報(誤報か否は「敢えて」無視)を受け称帝、曹丕の受禅は否認。
だからなあ。
呉からしたら「漢のご宗室がまだ生きてんのに分家のアンタが何してんだよw劉備さん、アンタの漢再興の本音ってソレ?」 って所だもの。

1010:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 07:55:14.95 YepvUh0u0.net
>>986
漢の皇統を途絶えさせた時点で献帝って相当な不孝者だと思うんだけど
東晋の簡文帝も禅譲を強要されたとき側近から「あなた一人の天下じゃなくてご先祖様以来の天下なんですから勝手に譲っちゃダメです」と諫言されてる

それに劉備のスタイルが非難されてしまうとそもそも後漢の建国ってどうなんよ?という話にもなるし

1011:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 09:24:55.70 rJcAlcpg0.net
そもそも劉備本人は称帝に乗り気だったのかどうかすら怪しい

1012:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 13:03:50.48 fA0PvlzA0.net
劉表に感化されたんかも、あの人腹黒いから

1013:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 13:45:40.54 tscUlF/90.net
>>977
劉邦と間違えてるのかね?

1014:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 13:54:57.82 qbmZLbzo0.net
献帝は董卓に擁立されて以来ずっとただの傀儡だったし不孝も何もないでしょ

1015:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/21 15:28:42.10 rJcAlcpg0.net
後漢書だとその前の少帝弁も皇帝とマトモに認められてなかった臭いからね。

1016:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/22 19:54:39.88 oG0Daiks0.net
>>987
劉協に不孝者と言うならまず先に前漢終わらせた劉嬰に言わんと筋が通らん

ちなみに劉嬰は新滅亡後皇帝になったのに劉玄に滅ぼされてるから
実は漢の真の敵は劉氏だったりする

1017:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/22 20:00:41.50 oG0Daiks0.net
沢山ありすぎる 価値ない

1018:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/22 20:03:59.12 oG0Daiks0.net
>>984
>>984
劉氏の自称が規制されてても
黄巾族や異民族の反乱分子にも劉氏居るからな
後漢末期には劉氏で皇族はほぼ一部で
中国の張氏李氏や日本の佐藤さん鈴木さんみたいに
九牛一毛なぐらい思ったほどありがたみのない存在

1019:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/23 01:16:10.69 mRwIYquv0.net
劉淵「匈奴は漢室の弟やき!アッニが亡くなってその事業を弟の匈奴が継ぐのになんの問題もないやき!」

1020:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/25 11:28:14.67 QnBl+NJ00.net
曹ひが簒奪しないと劉備が皇帝になれない
漢が存在してるときに皇帝になったら逆賊だからなぁ
まったく違う形になるのが面白い

1021:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/25 12:21:17.55 e3g+jOBjO.net
>>997
つっても漢から魏への禅譲前に、明らかに当代の漢朝へ挑戦的な劉邦の衣鉢を継ぐ気アリアリの「漢中王」を称しちゃったからなあ大徳さん。
少なくともあの頃には周囲に煽られたか何かの事情で、皇帝やる気になってる。
ただ曹丕が受禅した事で即位のタイミングが速まった&中原奪取という実を得る前に称帝したのが吉だったのかどうなのか。

1022:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/25 15:03:21.85 O+XHFnev0.net
ほい新スレ立てといたぞ
スレリンク(chinahero板)

1023:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/25 15:14:11.25 eLhN5u2c0.net
乙でごわす

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