劉備が天下統一できなかった最大の原因その3at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その3 - 暇つぶし2ch550:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:33:36.17 a4/q/PCj0.net
劉備は袁譚の茂才の推薦人だしな

551:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 09:18:10.65 p3vVIT9R0.net
>>534
観察復興を掲げるのなら僭称皇帝袁術は不倶戴天の敵
それは曹操も劉備も一緒
敵の敵は味方という法則は袁術に関しては曹操も劉備も何故か通用してない
劉協が偽帝と考える袁紹や
漢からの官位が低くて霹靂している孫策にとっては袁術はそこまで悪の存在ではないか

552:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 10:33:29.19 hbjptiyFO.net
偽帝と考えるなら、袁紹が自分で皇帝を担いでも良かった�


553:ネ その董卓みたいな厚顔さの無いとこが、天下狙えなかったのかな



554:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 12:08:46.37 VimTL5iL0.net
劉虞さん担ごうとして断られたからな。
まあ二袁の場合献帝劉恊への嫌悪感なんだろうけど。

555:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:13:12.03 cWfvARYj0.net
>>528
基本的に劉備って糞野郎だよね

556:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:22:27.99 Pc3pDjk80.net
>>539
袁紹ほどではないと思う
後漢末期の群雄割拠って何でああなったのか未だに分からん
許昌の朝廷は袁紹から官位剥奪して庶人に落とすくらいの強硬措置取れよと言いたい

557:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:26:21.73 fFfGTipa0.net
昨日あたりから病的な劉備嫌いが現れてるような…

558:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:31:01.94 uOeqZ0iX0.net
後漢の皇帝って東晋や明の次くらいに地位が安いからな。
皇帝が率先してリーダーシップとってたの和帝ぐらいまでで後は宦官や外戚のオモチャ扱い。
霊帝は再評価の向きあるけど

559:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 14:29:56.98 pTAhkhSq0.net
>>541
え?結構前から住み着いてるだろ

560:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:13:32.27 UwmX4Ija0.net
まあ董卓系は置いといてまずは2袁の争いがありきだからな
曹操だって最初は袁紹陣営でしょ
逆に劉備は公孫賛=袁術陣営だった
・袁紹派・・・曹操、劉表
・袁術派・・・孫堅、公孫賛(劉備)
んで呂布が東に逃げてきた当りからごちゃごちゃしだしたとw

561:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:40:33.10 hbjptiyFO.net
>>540
それだけの一大勢力だったんだろうけど、袁紹は袁紹で世の中を引っ掻き回すほどの度胸がないと
移民いらねトランプに対して、移民いらねと言おうものならネオナチ扱いな欧州みたいに、悪いとわかっていても萎縮させて、ズルズル悪い方に向かわせる変な空気があったのかも

562:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:48:02.39 Ac2o2cFk0.net
>>544
曹操の徐州侵略も袁紹の指示って説あるしな。
何人か袁紹から指揮官が派遣されてるし

563:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 10:58:25.39 5didB7Cw0.net
んで袁術派の陶謙の救助に行ったのが同じ袁術派の公孫賛の部下劉備なわけで

564:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 11:37:29.47 S3RqMosiO.net
そしてしれっと袁紹派に鞍替えする劉備
劉備が徐州維持出来なかったのって必然的だったのかな

565:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 11:50:23.27 5didB7Cw0.net
呂布による混乱で一時的には曹操が漢滅のピンチになったけど
結果的には袁術派が弱体壊滅して曹操が飛躍するきっかけになったな
劉備が袁紹側になったのは曹操との敵対が決定的になってから

566:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 12:52:12.37 MaHajtP50.net
ふつうなら裏切りゲス野郎の方が責められるとこだけど
うまく「曹操が悪者だから裏切られて当然!劉備さんステキ!」みたいな風潮作ったよなぁ
やっぱ献帝の密勅って創作だわ

567:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 14:16:08.36 S3RqMosiO.net
劉備善玉化は魏晋の統治がgdってたから悪いとしか
異民族の圧迫で華北から追い出されたって状況があるとはいえ

568:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:22:54.54 1qwkLZWJ0.net
劉備はなんで最初に袁紹を選ばなかったんだろうな
両者にコネあるなら公孫瓚に付くよりはマシな選択肢だと思うんだが

569:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:40:35.79 T6Tqt6+7O.net
鶏口牛後的な選択かな

570:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:43:43.94 T6Tqt6+7O.net
袁術は今で考えているより、勢力があって有能だったのかな

571:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 19:21:26.57 VxvTa3kD0.net
そら董卓亡き後の中華は袁紹袁術の二大勢力の争いだし当初は袁術の方が明らか有利だったからな
袁紹に義理があるとか袁術に恨みがあるとかじゃなければ袁術に付くのは全くおかしい選択じゃない

572:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 19:27:41.90 Yx10+A0H0.net
なお袁紹の腹心でありながら何故か袁紹の意に反して献帝を奉戴し混乱に拍車をかけた曹操とかいうトンチキもいた模様

573:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:10:47.46 05ojkJZD0.net
そのトンチキが二袁を食い尽くした後に劉備とかいう更に上をいくトンチキに足元掬われてるんだから
歴史は意味分からんよなあ

574:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:24:27.20 1qwkLZWJ0.net
>>555
まぁ袁紹対袁術で見たらそうなんだけど、対公孫瓚で見た場合は違くないかなぁと
逸話によれば明らかに性根曲がってるし将器も二流止まりな感じだし
権力的な意味でも公孫瓚繋がりの袁術派より袁譚繋がりの袁紹の方が良いポスト貰えそう
劉備が最初から袁紹派として活躍してたら官渡も結果変わってたかもしれないは言い過ぎか

575:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:57:52.63 5didB7Cw0.net
袁術は元々袁家の地盤をそのまま引き継いだのに対して
袁紹は自ら切り取っていったからな
序盤に関しては袁術の方が有利だった

576:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 21:14:05.28 yFsR/V550.net
袁紹も流石に曹操ほど酷くないけど結構危ない橋渡ってるからな。

577:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 21:43:09.86 T6Tqt6+7O.net
大塚家具の親父と娘と、どちらにつくかな感じかな
喧嘩した時は娘が有利で、今は客足いまいちだとか。
でも、また娘が逆転するかもしれないし

578:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 02:13:35.93 bj1DDqib0.net
河北の争いも公孫さんの方が勢力が大きかった時期もあったような

579:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 02:52:43.95 LhxJPlpn0.net
公孫瓚は戦争だけはやたら強いからな
界橋で惨敗するまでは威勢良かったし

580:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 09:03:35.49 YyKfVBey0.net
>>525
生き方がドラマチックすぎるからね
ただ態度や振る舞いがラスボス向きだからカスタマイズする必要があったみたいだが

581:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 09:09:00.50 VlLXHVd10.net
>>560
一番危ない橋渡っているのは袁紹のような…

582:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 15:27:05.97 uzYmy+b5O.net
呂布に裏切られた時、劉備は袁術討伐命じられてたはずだけど、幾ら勅命とはいえ名主を良く討つな。
その頃には曹操派に鞍替えしてたのか、袁術と打ち合わせして、グダグダな戦でもやってたのかな

583:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 16:34:03.19 FpomnsH40.net
そもそも陶謙が生前に袁術に背いたから陶謙から徐州引き継いだ時点で劉備は

584:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 16:36:27.64 FpomnsH40.net
途中送信だよバカ野郎
徐州引き継いだ時点で袁術からは既に敵対行動を受けてる
だから最初劉備が徐州引き継ぐの渋ったのは多分様式美じゃなくてガチの本音

585:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:03:30.74 1p20vDas0.net
全盛期袁術がどのくらいの勢力だったのかイメージできん
あれだけボコられておいて何で勢力保ち続けていられたんだ?

586:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:07:15.03 YyKfVBey0.net
>>569
南陽郡が当時最大の人口集積地だし
敗走してから揚州北部を即座に接収して全盛期を迎える
なんだかんだ言って陛下、戦以外は上手いんだよ

587:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:28:47.30 uzYmy+b5O.net
対立してるなら、わざわざ陶謙とこに何しに行ったのだろう
公孫さんの命令で行ったものの、一国一城の欲にかられたか
みんな行き当たりばったりで、大局的じゃなさそうだし

588:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:23:13.45 YyKfVBey0.net
>>571
徐州が曹操に取られたら青州は包囲状態に


589:なるから



590:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:30:26.07 5eu032AH0.net
>>571
救援行った時点ではまだ陶謙は袁術派の態だったはず
陶謙は袁術に背いたというよりかはいうこと聞かずに好き勝手やるようになって疎まれたって感じのような
だから恐らく劉備に徐州を譲るというのも袁術に話通してなかったんじゃないかな
そんで陛下の勘気を被った、と

591:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:40:04.78 4OQMa5KV0.net
黄巾から董卓までの劉備の活躍してる場所が青洲と徐州っぽいからそっちのほうが人気があって地盤を得られると判断したんじゃね

592:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:49:33.94 VlLXHVd10.net
劉備の祖父が県令を務めていたのが、劉備が相になった平原の隣の東郡範県だから
意外と地縁や人的コネクションがあったんじゃねえかな?

593:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:56:46.58 2ypx3JQB0.net
劉備自身、公孫瓚から距離を置きたかった面もあるんじゃないかな
結果論だが一緒にいたら零落するところを一足で徐州の主になってる訳だし
劉備の処世を見るに徐州牧もただの棚ぼたでは片付けられない気がする

594:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:02:43.13 uzYmy+b5O.net
公孫さんが後年部下を見捨てて信頼を失い瓦解した話があるけど、戦に強くても下には酷薄なとこがあって不満が溜まっていたように思う

595:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:32:19.77 bj1DDqib0.net
劉虞殺すちょい前ぐらいから公孫さんは人望失ってる感じするね
鼻の良い劉備も離れて行ったし、趙雲まで服喪を理由に袂を分かったのもその頃

596:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:50:07.38 N61Lown50.net
公孫瓚は名士を軽んじ、輩で周りを固めてたらしいからな
コネ命の中国であれ以上の大成はそもそも無理だったのかもしれない

597:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:59:19.58 VlLXHVd10.net
>>579
一応孝廉なのに勿体ないよなあ
袁紹は孝廉に察挙されていないのにあの名声と昇進ルート、恐ろしい子…

598:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 22:14:11.74 jkADsiHv0.net
母親の身分って結構重要だからな。
袁紹も袁術陛下から「袁紹は袁家の家奴」とかdisられてたし。

599:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 09:54:49.12 +JopOdEC0.net
妾腹や庶子は仕方ない

600:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:25:24.18 EApOnL0/0.net
袁術派、袁紹派って言ったって馬鹿正直に忠誠誓ってるわけじゃなくて
利害が一致してたから所属してただけでしょ
状況が変われば所属も変わるのが乱世の処世術

601:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:35:47.03 z30CXV5a0.net
袁家は章帝~和帝の頃から三公やってる名家だから故主故吏のネットワークが
ハンパないからなぁ。鳥丸とのコネクションも袁安(最初の三公)のあたりから始まってるし。

602:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:55:36.49 IEjOsONs0.net
>>583
誰があの区分始めたんだろうな

603:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:56:37.93 IEjOsONs0.net
実は袁紹と曹操の関係もイマイチ把握できてない

604:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 11:40:59.89 3eGiIZxU0.net
誰が始めたって言うかあの二人を中心にして動いていた時代が確かにあったというだけの話だからなぁ
楚漢争覇の時代を項羽と劉邦の陣営に分けて語るのと同じ

605:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 14:51:58.09 p2b5k6/y0.net
袁紹はコネクションを得ていた連中の実家から離れた場所で勢力を得たのは失敗だったと思う

606:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 16:34:58.50 8kRFjHtw0.net
どーも何か袁紹ってあんまり人間らしい感情が見えない天下取りマッスィーンみたいっつーかなんつーか
他人への態度も敵味方問わず「この袁紹の前では等しく下郎」みたいな感じだし
唯一人間らしい感情が見えるのが子供のえこ�


607:ミいきという最悪の場面という その点袁術陛下は良い悪いは別としてとても人間味に溢れていると思う 良い悪いは別として



608:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 16:52:53.86 QSwQij/R0.net
袁紹て対董卓連合の盟主なんだよな
序盤は袁術よりリードしてた印象

609:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 17:00:53.63 pOPL3uKB0.net
>>589
袁術は袁紹に嫉妬ばかりしている狭量なイメージしかないんだが
「侠」についてもファッション感覚っぽい感じだし
人間臭いと言えば人間臭いが…良いところってあったっけ?

610:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 17:10:58.94 Dd0t8nmX0.net
董卓連合は名は袁紹、実は袁術ってとこじゃないか

611:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 18:25:57.05 8DIYohom0.net
袁紹のほうがアニキなんだっけ?  だから庶子だけど袁家の御曹司として扱われてたって

612:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 19:39:48.20 +JopOdEC0.net
中常侍に一族の人間がいて袁術パパンの袁逢やその弟はその結びつきで位を得たけど
袁紹パパンの袁成はそういう人物じゃないから声望があったとかって話もあったような
まあ袁紹は袁成の実子で袁成が早逝したから袁逢のとこで育ったとも
袁紹が袁逢の庶子だから袁成の養子に出されたとも言われてる部分だし、諸説あるようだけど

613:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 22:56:23.26 b+LIAQc30.net
袁遺 袁術 袁紹

614:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 01:08:46.15 p4U5ncYc0.net
なんとなくだけど 袁紹の字の本初とかって どういう意味でそう付けたんだろうなあ
曹操は子に「子○」って付けてたみたいだけど、袁紹の実母兄弟らも「本○」なんだろうか?
三国志時代の「本」って漢字は どんな意味合いのものだったんだろう?
字じゃないけど文醜とか酷いのもいるからすげえ時代だよなあ

615:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 16:15:07.43 avbJ1FhS0.net
>>596
文醜が顔良と一緒に袁紹軍にいるというのが何ともね

616:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 18:24:36.36 0zHJZevT0.net
文醜の本名は「文丑」じゃなかったっけ?
文醜を化け物みたいな風貌に描く三国志関連創作物は有っても
顔良を絶世の美形に描く三国志関連創作物は皆無なのが(ry

617:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 20:06:07.33 gVpq8vvx0.net
文丑はただの簡体字表記だろ

618:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 20:31:57.82 Qrfeg7WK0.net
袁紹は「紹」(継ぐ)と「初」を対比させているタイプの字じゃないかと
袁術は逆に「術」と「路」という同義字を使ったタイプ

619:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 23:38:56.61 4JAWJCFG0.net
顔良 
孔子の弟子で、清貧で知られた顔回の子孫。 
唐代の文人・書家として名高い顔真卿・顔之推は遠縁にあたる。

620:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 00:08:17.55 DXLZqg/J0.net
>>599
URLリンク(ja.wikipedia.org)
簡体字の「丑」は「チュウ」と呼んで干支の「うし」だな
繁体字とは全然意味も読み方も違って奥深い

621:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 00:50:27.67 rR8XulTJ0.net
>>596
一説に本初元年(西暦146年)生まれだからとかいうのもある
ただこれだと曹操より10歳位年上になるからおかしいという人もいる

622:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 01:41:42.89 maFK451S0.net
>>596
URLリンク(blog.sina.com.cn)
袁紹の字はなぜ本初なのかここで推察されてる 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a1694171c52d18691058ee628c4f7c04)


623:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 19:27:47.67 HK5Hly880.net
袁紹と劉備は演義最大の被害者だと改めて思う

624:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 21:11:34.16 MGSlwSZ3O.net
劉備が蔡帽や蜀に警戒されているのも、この処世術の上手さだと仕方ないか
公孫さんからの離脱にしても、かなり辛抱強くて、タイミングがあったら泥すすっても一気にいく感じかな

625:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 08:38:55.80 z0e1FZVT0.net
大徳さん経歴だけみたら「なんやこの大耳……義理ワンやん」だからね。

626:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 18:13:42.58 bsM53b1jO.net
劉表が劉備に国譲る下りは陶謙と被るけど、裏で運動してるのかな

627:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 18:54:16.04 LTOJc1CI0.net
それは演義のお話なのでなんとも
実際には劉表は後継を決めずに死んだので劉備は長子の劉琦を支持した
蔡氏と蔡瑁の一派は蔡氏の実子の劉琮を後継に立てるために長子の劉琦を排除しようとしたので劉備と敵対することになった
劉表の遺臣は大半が蔡瑁に付いたので命の危機を感じた劉琦を劉備は江夏へ逃した
というのが劉表死後の流れ

628:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 20:57:24.01 bsM53b1jO.net
お気に入りや才能で後継者に迷うと乱の元だな
ちびまる子でじゃんけんは釈然としないが、変な説得力があるとか書かれてあったけど、後継者は長子というのは一応の説得力があるのかな

629:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 00:21:20.42 iy2FpuG80.net
ついでに曹操は劉琮も蔡瑁も殺してないw

630:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 02:24:52.47 BkqXGRM60.net
その辺りは正史三国志より後漢書の方が丁寧に書いてるはず。

631:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 03:07:16.05 lB/oI+3F0.net
>>610
それは儒教の五倫にある長幼の序ってやつだな
最も長く親に仕えることのできる長子が最も孝を尽くすことができるため
最も尊重されて親の後を継ぐのも当然という儒教的価値観
儒教の世界では普通のことであの時代なら
長子以外が後を継ぐと家が潰れるとかそういう次元でとやかく言われる

632:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 05:59:57.52 LXNs+W430.net
三世紀でそれかー

633:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 06:33:00.78 J7WbNYI4O.net
>>613
儒教的価値観以前に、それまで人が培った経験による知恵のように思う
長子が継ぐものというのは、不公平だけれど間違いが少ないというか。
間違いがないわけではない

634:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 07:27:00.66 shxEmaiJ0.net
遊牧民とかは末子相続

635:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 07:34:44.01 AbsFe6LK0.net
遊牧民は生前分与で独立させてるから結果として末子相続になるだけやぞ。

636:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 14:41:54.74 xtZKtWsg0.net
日本国民のために命をかけて悪と戦っている警察の方に
おしっこを出せと命令されたのにかわりに茶をだしたASKA
与党議員を盗聴している、本省の課長級以上の国家公務員の私邸を盗撮している、と言って
日蓮上人の正法を護持し、日本の真の国ぷ主であり平和の王者である池田先生と創価学会をネットで誹謗中傷していた奴ら、
おまえらは、全員ASKAと同じ精神障害ということで警察官に逆らう詐欺師と言う事にこれではっきりとなった。
警察官の3割強はわたくし達創価会員で占められている。
ASKAは必ず再逮捕され


637:、拘置所内で自殺と言う事で間違いなく処理される。 おれたちは絶対負けない。 創価の敵対者達も必ず仏法の力で破滅する事になる。



638:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 14:42:20.51 xtZKtWsg0.net
警察では池田先生から仏法の教えを受けた警官が日々身命を惜しまず働いている。
ASKAの味方をする奴は全員統合失調の薬物中毒者と言う事にもうすでにもうなったんだから、
おとなしく観念しろ。
創価が与党議員を盗聴している、本省の課長級以上の国家公務員の私邸を盗撮している、
という疑惑を流している奴らも同罪ということになる。
池田先生は魂の指導者で日本の国主なのだということは、全世界が認めていることなのだから、
もし仮に公務員や一般国民の生活をご照覧になって指導されたとしてもそれは当たり前のことだ。
このスレにそんな馬鹿は居ないと思うがASKAに肩入れして警官や盗撮の悪口を言ってるやつは
IPアドレスから住居を突き止めて六道地ぴ獄を永久に廻る仏罰をくだしてやる。

639:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:22:32.13 uLYZ0LnAO.net
曹操と信長て似たような人物に挙げられているように思うけど、部下にそう裏切られていない曹操の方が比較的苛烈ではないのかな

640:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:33:21.86 NEVd6hPM0.net
そもそもぜんぜん似てないやろ。
だいたい中国史で日本の戦国時代に近いのは安史の乱以降の唐王朝やし。

641:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:39:41.78 fHkXR+d+0.net
だいたいコーエーのせい

642:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 15:06:38.18 uLYZ0LnAO.net
>>621
雑誌なんかでちょくちょく引き合いに出されていた記憶がある

643:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 15:12:32.89 /9EW0L/J0.net
家康がもっとも恐れた男  曹操

644:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 23:39:30.16 YG/I6xLu0.net
中国の他の時代はまだまだスポット当たってないししょうがないね
まあ曹操と信長の共通点は時代の風雲児ってとこかな
あと司馬懿と家康も似てるって言われるね、辛抱強くて天下を取ったってとこらへんだろうけど

645:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 00:31:56.99 vlDzWe6J0.net
>>625
ゲーム的には三国時代以外は無風に近いが
書道や漢詩のジャンルだと六朝・隋唐あたりの時代は異彩を放ってる
三国はこの手のメインカルチャー分野では草創期過ぎて正直ショボイ

646:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:07:46.77 BTw+h+aw0.net
曹操と信長はその時代には似つかわしくない
合理的な思考って部分が似てるから言われるんでないのかな

647:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:31:04.36 ODZxr7rr0.net
杜甫の出現まで詩聖と謳われていた曹植がショボイとはこれ如何に

648:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:41:33.28 vROexQ/W0.net
>>628
六朝期でも陶淵明や謝霊運とかもいるし、曹植は別に隔絶した存在ではない
技術的には押韻やら平仄やらでどんどん技巧化していったわけだし
六朝は詩人の絶対数が多いから、相対的に見て三国は不利なんよ

649:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 03:28:58.68 3nonAnLX0.net
>>627
ノブのキャラづけなんて戦前は荒れ果てた禁裏をみて泣き出す勤王の士ってキャラづけやったんやぞ。
革新派ってイメージは国盗り物語当たりからのイメージ。
最近は本能寺の変の真実が売れた事で
「意外と保守的で暴虐エピソードの大半は後付」ってなってる。

650:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 03:34:02.49 3nonAnLX0.net
>>629
そもそも三曹(曹操、曹丕、曹植)が
出てくるまで詩文はメインカルチャーじゃなかったもんね。
文帝様が「建安七子」つって文学サロン立ち上げたり文学評論や文体の改造やったりするのもこの時代が最初やし。

651:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 08:47:06.05 3hGNAPb+0.net
>>631
こいつら詩文を大々的に取り上げたってことになってるけど、賦の延長線上だと考えるとそこまでセンセーショナルな感じはしないんだよな
長きにわたる戦乱によって楽曲が失われたせいで樂府は衰退してしまったみたいだが、もしそうなってなかったら六朝でも樂府がメインストリームのままだったような気がしないでもない

652:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 08:57:21.62 3hGNAPb+0.net
樂が儒教的に必要な徳目とされていたかと思うと、本当に昔の貴族たちは多才さを求められていたんだなあと驚嘆させられる
劉備が音楽を喜んだとあるのもやはり六芸として身に付けていた教養としてだったのだろうか

653:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 19:38:54.84 DYIzH5S00.net
蜀の人口不足を解決する為に子作り推奨する政策をすればよかった
一人っ子政策の逆
1世帯8人とか強制で

654:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 21:42:27.68 FQX1/s4c0.net
食わせるだけの生産力ないじゃろ

655:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 22:41:28.06 U7gmr9M60.net
蜀はともかく呉は戦乱を免れたおかげで五胡十六国時代は栄えるんだよな
皮肉な話だ

656:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:18:33.36 l5LINU9h0.net
>>636
華北からの亡命者が推定90万人ぐらい流入してきているからな
これに三国時代は確保できなかった揚州北部や荊州北部、益州を領有できたわけだから
呉とは全然別の国家と言っていいくらい生産力も人口も違う
劉宋で戸籍人口が500万人弱だから呉の倍ぐらいいる計算になる

657:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:25:21.19 wsqBMJk50.net
呉は五胡十六国時代でなく現代が最も栄えてる感が
まぁ建康でなくて会稽とか広州とかの方が大都市になるとは
張紘でも予想できなかったのが歴史の不思議

658:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:41:53.63 Y8cOhMde0.net
劉備が侵略してこなけりゃ蜀は豊かでいられただろうに

659:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 13:27:08.48 EpEBUvBaO.net
BSNHKでヒマラヤ越える旅みたいな番組で、蜀のヒマラヤ寄りの地域は、下の川が激流で橋が架けられず、いまだに村人はロープをつたって向こう岸に渡るとかやってたな
どれだけ辺鄙な土地なんだろうか

660:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 13:41:44.52 7HG8oI2B0.net
>>639
前漢でも後漢でも蜀郡(成都)は人口稠密な地方都市圏だったからなー
産業も資源も恵まれているし、劉焉もそうだったが確かに自立したくなる地勢

661:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 14:04:13.90 Unpi5/wy0.net
唐の時代も皇帝の避難先だったから引きこもりには最適だったんだろうね。
五胡十六国の時も李雄が善政で高評価得てたし

662:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/11 12:26:52.59 ks0O/u2A0.net
>>641
成都は僻地なのに、なぜ古代から人口が多かったのか

663:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/11 13:14:23.33 6ll90MNs0.net
水があって木があって 交通の要衝だから

664:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/11 21:27:51.74 XSEkRL230.net
五丁力士のおかげ

665:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:04:09.23 2BA4d33V0.net
ほんと 劉備さえいなければ豊かでいられたのにな

666:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:26:03


667:.84 ID:igN6SUQa0.net



668:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:33:14.61 BdtTszHD0.net
別働隊を率いるチート指揮官があんまいないからな。
劉邦には韓信が光武帝には呉漢がいたけどね。

669:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:35:49.86 i594rsGp0.net
>>647
韓信も凄かったが、何だかんだ言って劉邦のスペック高かったのが最大の勝因だと思うわ

670:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:29:03.63 DNJz+Zf9O.net
親族はいなかったけど使える子分が多かったみたいだし、蕭何や曹参みたく、端から陳羣クラスがいるのも大きいな
劉備は劉邦より教養もあり、処世術には長けてそうだけどな

671:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:34:29.59 1cy4huWw0.net
嫁の実家も資産家だしな。

672:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:38:24.18 qHlaxC0J0.net
>>650
劉邦って元々今でいう地方の893の親分だから
子分が多いので使える人材がたくさんいたんだろうな
劉備も893な傾向があるけど893って地域を転々と放浪したりしないからねえ
劉邦は今でいうローカルな893、具体的に言うと広島の共○会のトップみたいなのを
イメージすると分かりやすい

673:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:51:51.19 HDZpQSP/0.net
秦代の亭長ってそこそこの地方公務員って説があったような

674:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 17:06:40.61 2J2o5y/K0.net
公務員ヤクザとか岸本才三さんやな(東映感)

675:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 20:03:43.93 0Ebsk+EN0.net
劉邦の場合は相手が隙の多い人物だったってのも大きいような気がするが
どちらも戦上手とはいえ曹操と項羽を相手にするのでは難易度がかなり違うと思う

676:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 20:23:25.40 Qc/uCsCF0.net
「ぼくは大都会の中原から来てあげたんだよ~~」
「ぼくは“あの!”曹操にも勝ったことがある 歴戦のツワモノなんだよ~」
「あ しかもぼく皇族なんだよ~」
こんな糞野郎が蹂躙したせいで蜀は・・・
せめて善政敷いてたってんならまだしも、ほとんど軍事費にぶっこみ
そのほとんどが防衛ではなく他国侵略目的の戦闘

677:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 20:37:50.07 DNJz+Zf9O.net
どの大将も変わらない

678:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 21:10:02.00 w3dw7I8g0.net
劉淵「昭烈帝は僅か一州で天下に恩徳を施したんやで。せやから後主に孝懐帝を追尊し漢王朝の後継者になるんや!」
なお、劉禅と劉協の子孫は

679:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 23:59:54.61 WfmeYsrA0.net
中国北部出身の劉備軍団って、
成都侵略・支配したけど言葉通じたのだろうか?
いちいち通訳通してたのかな?

680:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 02:33:44.18 dbwqtwwU0.net
1人でどんどん劉備のせいで蜀がみたいな脳内ストーリーが出来上がって
それが事実みたいになってきてるやつがいるの草生える

681:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 03:18:49.97 bgniOWKL0.net
>>660
劉備についての考察スレで何言ってるのやら?

682:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 06:08:35.66 R81ZJeMV0.net
>>661
考察にすらなってない妄想だから文句言われているのでは?

683:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 12:47:04.20 JD0g7ioO0.net
劉備厨の断末魔スレへようこそ

684:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 13:08:15.58 1xc3eE6h0.net
>>663
実質三国志総合スレなんだけどな
露骨で根拠のない毀誉褒貶は劉備にだろうが曹操にだろうが孫権にだろうが嫌われる

685:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 13:31:44.71 JD0g7ioO0.net
よちよち

686:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 14:41:30.11 OpvrF3AG0.net
そもそも蜀は蜀漢以後に豊かな土地ではなくなったなんてソースあったっけ?
晋の後の成漢だか後漢だかの時代でも元気だった気がするけど

687:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 17:27:39.36 lW6x4DZqO.net
北伐のイメージじゃない

688:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 08:17:47.31 eFNqXU8G0.net
北伐で疲弊はしたけど成都は無血開城だし
呉の侵略も入り口で防いでるから荒れてはいない
そもそも劉璋時代だってだいぶダメだったからな
蜀漢政権が立て直した部分だってあるだろうにな経済とか

689:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 08:28:22.07 D0oijX4k0.net
貨幣経済とか何気に蜀漢が頑張ってたりする

690:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 08:48:46.57 qIpzv5h1O.net
今の限界集落のように、若者は都会に憧れて蜀から離れて荊州や長安に流れてしまったのだろうか

691:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 10:20:04.51 91meIPW50.net
>>670
西晋代の戸籍数は南郡(11県55000戸)>蜀郡(6県50000戸)>京兆郡(9県40000戸)の順番なんだが
むしろこの中だと成都が一番の大都市の可能性すらある

692:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 10:26:50.43 qIpzv5h1O.net
韓非子が「内政を充実させろ」とか書いてたが、それでも国体を維持できない蜀てなんだろうな

693:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 10:33:19.09 hLd9RX4M0.net
>>672
魏→何かいろいろあって司馬氏により簒奪
呉→孫晧の自暴自棄により自壊
蜀→防衛体制が疲弊&適切な指揮官が配置されなかったため魏軍の侵攻を許す
蜀滅亡の原因は内政よりも軍事の失敗の方じゃなかろうか
呉は明らかに内政の失敗だけど

694:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 11:14:13.48 eFNqXU8G0.net
260年前後からはもう指揮系統が機能不全起こしてたからなあ
それまでの姜維の北伐が中央政府を厭戦ムードにしてしまった影響も大きいけど

695:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 11:22:04.71 D0oijX4k0.net
最後実戦経験なしの諸葛瞻のやらかしで
百姓が逃げ散るとかもうね。

696:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 13:30:45.68 ooCMo3Ly0.net
姜維が出征しまくったのも良くなかったけど
そうせざるを得ない環境を作った中央も良くなかったかもね
費禕が殺されてストッパーがなくなってしまったな

697:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 14:28:03.08 t9Bo/8T20.net
一番マズイのは魏が攻めてくるから援軍至急頼むという姜維の通告を半分握りつぶした末期蜀首脳部

698:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 14:40:06.58 qIpzv5h1O.net
吉川英治の八巻末に「蜀は負ける」みたいな放言を堂々とする学者がいたらしいが、言論の自由は多少はあったのかな
その分、魏呉のネガキャン工作もありそうだけど

699:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 22:08:22.36 NFM9/JO50.net
譙周さんは蜀漢きっての名士やからな
弟子も西晋で出世してるし

700:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 23:42:09.90 qIpzv5h1O.net
宮崎駿さんも名士だろうし、名士だったら放言も許されるてのは現代ならどうなんだろうね

701:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 01:32:34.11 hflW1z7D0.net
>>677
陳寿の記述を読む限り中央と前線の人間関係が詰んでたっぽい。

702:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 04:32:42.65 yeSpk5/c0.net
べつに譙周さんは降伏論者だとか売国奴的な言動をしてたわけじゃない
軍事行動はもっと適切な時期や機会を待って行うべきって言ってただけだし
魏軍に攻め入られた時に最初に降伏を説いたというだけ
それも情勢的に抵抗しても無意味で無駄に被害が増えるだけだったから
その後の劉禅や蜀臣の処遇を考えれば適切な判断だった

703:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 04:46:51.02 yeSpk5/c0.net
譙周さんが不人気で評判が良くないのは
かつての学者に演義的な観点から見てる人が多かったからなのよな
北伐は亡き先帝と丞相の悲願!みたいなイデオロギーの下では
譙周なんかは逆臣みたいな扱いになってしまう
吉川三国志で譙周がそんな扱いなのも演義ベースだから

704:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 07:22:14.25 7TCzrh0U0.net
五胡十六国とかの視点やと降伏してと手厚く扱われる事に対する信頼感がないもんね。
ただ、譙周さんが降伏口にした時って諸葛瞻が鄧艾の挑発に引っかかって野戦で惨敗し近衛兵まで溶かして周辺住民が離散してたから逃亡って選択肢がなかったからな。

705:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 09:12:52.45 618vnVAl0.net
名士論の立場から見ると、科挙ってやっぱり画期的なシステムだったんだな
知識人層が増えて、相対的に皇帝の権力が強くなった感じがする

706:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 10:53:30.23 SQk5Mbuc0.net
>>685
士族階層による相互的人物評価に基づく官吏登用制度だとどうしても一部の有力者たちによって恣意的に運用されてしまって不公平感や不平等感が蔓延してしまうからねえ

707:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 15:03:01.55 ueOvDtTDO.net
「小説家になろう」という同人小説サイトで徒党を組んで、複数のアカウントを使って評価ポイントしあって不正にランキングをあげるみたいなものかな

708:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 15:03:53.09 kdb88tcR0.net
ここではあまり触れられてないけど、呉が関羽を処刑したこと
についてはどう思う?あの一件がなかったら劉備存命中でも
蜀と呉が同盟を結んで魏を圧迫することは可能だったのでは?
呉の陸遜や孫権は、割といい年の曹操が死んだら力量が劣る曹丕が後継だから
その時に蜀と結んで魏に同時侵攻する方が得策だと
わからなかったのかな?

709:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 15:33:19.97 aJCAUjK70.net
呉志読んでる限り孫呉陣営の劉備へのヘイト感情相当高いから無理なんじゃね。
魯粛伝じゃ「猾虜」呼ばわりされてるし

710:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:11:46.15 mU2RV05m0.net
漢を再興するダス!!って建前があるから
かろうじて存在を容認されてる盗人軍団が、
義弟が戦死したからって、その建前ほっぽって逆恨みで呉に攻め入っちゃってるからな。
蜀の国力傾けるほどの全力で。
普通にクズですわ

711:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:16:55.11 Sm5a97WY0.net
呉は中原に進出する気あまりないだろ
長江付近を中心におさめていければいいという判断だと思うよ

712:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:17:13.14 fxlBDU/m0.net
ちゃんとした軍師が居てもきついだろうなぁ

713:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:25:02.01 thGNcZAn0.net
荊州の領有権問題ってややこしくて未だによく正しく理解出来てる気がしない

714:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:25:26.79 mU2RV05m0.net
>>688
降伏するように関羽を説得してたじゃん 呉は。
関羽がそれを断った。大局眼があればね・・

715:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:26:02.00 OQUo/PtN0.net
>>688
孫権は魯粛死後急激に反劉備に転換してるんだよな
周瑜と魯粛が二代で描いた絵図面を完全に破り捨てて一体どうしたかったのかさっぱり分からん
まさか自分達の力だけで魏に対抗できると思ったわけでもあるまいに

716:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 20:22:24.55 H2gig5I90.net
>>695
周瑜時代から呉は長江割拠天下二分の計で筋が通っているが
ただ魯粛が劉備に荊州貸したのに損害しかないから
呂蒙の時代に損切りして荊州取り戻して利益確保したんでしょ
劉備や関羽が普段から呉にもっと配慮していればよかったものを
天下二分の計自体は江北に対抗する勢力で割拠は半世紀続いているので
呉蜀の実力を考えると構想自体は成功の部類に入るが
やはり別勢力で長江上流と長江下流で割拠したのは間違いだった
劉備を無理やり京城に拉致監禁して酒池肉林させるのが正解で江南政権の寿命がもう少し延びた

717:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 21:04:19.51 OQUo/PtN0.net
まずその「荊州を貸した」の部分が問題なんだよなぁ…
孫権に荊南四郡の領有権を主張する根拠が何もない
成り行きだけを見ればむしろ魯粛が二郡を無理矢理かっぱいだ形なんだよな

718:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 21:17:10.28 SQk5Mbuc0.net
孫権は江南の独立を目標として行動していたとは思うんだが
後漢王朝建て直し(曹操とは妥協できない)が目標の劉備とは端から相容れない関係だったんじゃねーのかな
蜀漢の永続、あわよくば中原経略といった目標を持っていた諸葛亮は孫権と妥協できたけど

719:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 02:01:28.64 QME32ilv0.net
荊州南郡の領有権の話はどちらが正統かってのは問題じゃないんだよね
力のある孫権が力のない劉備からふんだくった形だけどこれも乱世の習いで
孫権と戦うわけにはいかない劉備は飲まざるを得なかっただけ
劉備が蜀を取ったら突然やれるもんならやってみなって態度に急変したのも同じ
表向きは貸しただの約束だの言ってるけど結局は実力で奪うか奪われるかってだけの話
呉は長江の南を全て手に入れてから魏と向き合うのが戦略だし
劉備の寝首を掻いてでも荊州を手に入れたかったんでしょ
あそこで劉備を追い落としておかないと呉が逆に圧迫され始めるだろうし

720:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 19:18:09.69 J65Jmc6n0.net
しかしそう考えると孫権にとって蜀が魏より脅威になりえたのかという疑問が出てくる訳で
対魏戦線が北上する限り荊州は手薄になり続ける=呉とは敵対出来ないし、劉備や関羽は孫権より確実に早く死ぬんだから(しかも後継ぎは幼年)、
正直後々でも蜀に対して有利に立ち回れる要素は充分にあったんじゃないかと思う
少なくとも荊州の確保は肝心の魏が混乱している好機を捨ててまでやる事じゃなかったと思う

721:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 19:41:45.46 OQ0p154O0.net
考えれば考えるか程孫権が何をしたかったのかが分からなくなるわ
攻勢に出るにしろ守勢に回るにしろ劉備を荊州から完全に駆逐してしまうのは孫権陣営にとっては最悪手としか思えんのだが
余程コウモリ外交に自信があったのだろうか

722:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 21:16:43.66 4JrMSvKv0.net
>>701
孫権が劉備と同じだと考えるから一生わからんだけ
そもそも孫家と曹家は縁戚関係で
劉備が徐州時代には曹操と孫策は劉備と孫権以上に仲良し
魏と呉は時には争う事もあるが根本的には不倶戴天の敵同士ではない
だから魏のある間には呉は魏に攻められても滅ぼされる事は無かった
司馬氏が晋を建国してからだろ呉が滅んだのは
孫権が関羽滅殺当時欲しかったのは
・貸していた荊州の奪還
・呉王
・呂蒙の寿命
なので呂蒙が望んだ以上関羽倒して荊州取り戻して実利得るのは当然
劉備が劉邦みたいにケチらず漢中王になったついでに
孫権に呉王の位と公安以南の土地をあげてればまた違った歴史になったのでは

723:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 01:36:53.96 x2QfOv5y0.net
いくらなんでも後付けこじつけにも程があるな…

724:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 01:41:30.70 x2QfOv5y0.net
「何が何でも劉備が悪い」っていう結論ありきで話を進めたいならここじゃなく新しくスレ建てて賛同者を募った方がいいんじゃないか?

725:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:06:06.12 n7rdDIgP0.net
呉は蜀と共闘して魏に対峙するよりも
天下二分の方が確実だと考えてたんだろう少なくともあの時点では
劉備と共闘するのも本来は魏を防ぎながら益州を手に入れるための策だったはずだし

726:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:36:23.33 snzASW0A0.net
劉備が天下統一できなかったのは何故? を問うスレで
「それはやっぱ劉備が○○で××で、つまり劉備が悪かったんだよねぇ」という論を展開すると
はじかれてしまう不可思議
「劉備を悪く結論付ける人間は絶対書き込んじゃいけないスレ」を新しく立てて
そこで頑張ったらどうかな?

727:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:43:26.99 n7rdDIgP0.net
以降、ねちねちとした上げ足の取り合いが三日三晩続きます

728:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:51:05.93 V/0YhgFQ0.net
>>706
>>707
ここは中国英雄BBSで劉備が主人公で語り合うスレですからね。
劉備の失策をねちねちあげつらうスレじゃないのでそういうのを論じたいのならよそでお願いしますね。

729:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 10:15:36.22 x2QfOv5y0.net
劉備の失策がどういう影響を与えたかとかそういう話ならともかく劉備が悪いって結論のために妄想や曲解のオンパレードを披露されても困るという話だ

730:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 15:49:38.06 i+93JWtf0.net
>>709
よそでやって

731:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 16:22:45.19 G2Y4AvTb0.net
>>710
てめえがだろう、知恵遅れ

732:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 17:21:26.25 vW58mfT30.net
>>708-711
>>707氏の言う通りになったな
テーマから外れている訳でもないんだから、
個々が好きに議論していけば良いんだよ
変に自治ろうとしないで

733:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 20:18:52.98 IbH2sNct0.net
劉備の失策って夷陵の敗戦のこと?
荊州失ったほう?

734:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 09:44:47.28 5obtwSoy0.net
劉表の客分になっている時期に劉表を説得して曹操との妥協を探っても良かったんじゃないかとは思う
と言うか献帝引きずり下ろそうよ、いい加減にさ

735:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 10:07:58.31 vJzyuleK0.net
劉備が勢力内にいる以上曹操との確執は避けられないから
劉表死後にあんな形で梯子外されたんだし
あの時点で曹操が劉備を許すようにも思えないけどな

736:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 10:19:15.91 eCszaEbU0.net
>>714
最大の実力者の曹操が献帝の庇護者とか言うギャグ

737:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 12:48:59.01 9Z51qiHj0.net
>>715
張繍を許している過去があるので何とも言えないと思う

738:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 13:01:02.84 vJzyuleK0.net
>>717
張繍さんはこれから袁家とやり合う時に後顧の憂いを無くせるという
最大のバリューを提示して許されたけど
劉備の時は既に曹操は最大勢力で脅威もない状況だからどうだろうなあ
ここで劉備が曹操に下れば荊州も揚州も益州もなし崩し的に下って
天下統一はなったも同然なんて判断がされれば歓迎ワンチャンあるだろうか

739:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 13:04:51.76 eCszaEbU0.net
曹操は裏切った人間何人も許してるしな

740:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 13:54:27.42 RXnt5F0u0.net
>>716
事実曹操自身は献帝を生涯奉戴して忠義を尽くしていたんだよね
本心はどうあれ
魏王だって元々存在していたけど空位になってたと言えなくもないし

曹丕については一切弁明の余地無いけど

741:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:29:09.76 9Z51qiHj0.net
権臣の存在を頑なに拒否する後漢朝廷の宿痾を考慮するなら曹丕はあそこで簒奪しなかったら梁冀の二の舞になっていた可能性もあったのでは
後戻りできないレベルまで権勢を持ってしまった曹操がアレなんだけど

742:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:38:55.71 eCszaEbU0.net
曹操は簒奪はおろか廃位すらしてないもんな。司馬師(廃位)や司馬昭(弑殺)と比べても最後まで庇護者の立場であり続けた。

743:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:39:35.50 VACGvA790.net
曹操だからこそ
漢帝国の宰相と、魏国王を兼任していられたけど
曹ヒでは漢の宰相職はムリだろう。
だったらさっさと皇帝になってもらって、
曹ヒより有能なブレイン集団でもって曹ヒを支えるって形にした方が
やり易かったんだろう。

744:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:58:13.58 HuPJnEOb0.net
>>722
側近や皇后、外戚連中を粛清していったけどな

司馬氏は郭太后という有能な協力者がいたから曹魏皇帝の存在が死ぬほど軽かった

745:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:10:43.39 RXnt5F0u0.net
暗殺計画を企てたのがそいつらだから罰しないわけにもいかないべ
タイミングはだいぶアレだったけど
ギリギリ献帝に害する存在を排除したとみれなくもない
善悪の判断は置いておいて、外姻や宦官が力を持たないようにするのも正しい行動ではある

746:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:19:21.31 eblWtVSp0.net
>>58
今更だけど、史実 漢文の三顧の礼と諸葛亮。
ちなみに史実の龐統との入蜀後での宴会での揉め事からすると、“仁者“としての民主派治世と漢王朝の末裔としての再興がスタートでしょー。国を建てたら嫌になってた感が強いですけど。

747:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:26:04.48 eblWtVSp0.net
>>722
孟徳新書もとい魏武帝註孫子の兵糧の欄に対する孟徳のくだらんツッコミに

戦時中は国内で生産物が不足するのには不足するのを見越して通常の倍の値で商う山師が絶えない

という事と

兵糧は戦地まで輸送しても輸送・人件費差し引いて、元の兵糧の3割だと見込むのが普通で、敵国の作物を元々の料金か、それより少し高めで買い入れた方が安くなる、と史実にある。

対酒歌の曹操と上記の言を踏まえると、かなり治世者としてはイケてる。が、程昱の伝に不足した兵糧に“人肉“が混入した為にミートホープに間違えられた、とされている。

748:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:33:01.13 ELxqli6L0.net
>>727
幸楽園も指入りラーメン出してるから(白目)

まあ、程昱は人肉事件でキャリアに大ダメージ負っちゃったよね

749:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:34:06.48 NPNDnFRxO.net
献帝にリーダーシップは無かったんだろうなとは思う

750:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:46:17.88 ELxqli6L0.net
後漢書献帝紀読んでも最初から皇帝としての権威が殆ど感じられないもんね。

751:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 17:06:56.00 Y4Vu/oze0.net
URLリンク(goo.gl)
この記事本当!?
ショックだわ。。

752:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 22:09:54.19 sVyEW3EM0.net
董卓 董承にも良いように使われてたかんね
リーダーシップみたいのは育まれてこなかったろう。

けど曹丕への禅譲を、曹節は激しく拒んでいたと言うし、
禅譲後も引き離されることなく最期まで曹節と2人仲睦まじく暮らしたと言うから
晩年はそんなに不幸なものでもなかったんじゃないかな

753:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 22:26:08.80 ELxqli6L0.net
>>732
でも玉璽投げようとすんのは王莽の時と同じネタ使いまわしで萎えたわ。

754:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 01:13:25.79 ZT+VXbl+0.net
一応史上最も平和裏に行われた禅譲の1つだからねえ劉協→曹丕のは

755:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 01:20:55.57 XrVVnPHL0.net
曹操は息子曹丕にどんなアドバイスしたのかな?
どんな指針を?
あくまで漢を立てるように言われたか それとも簒奪(禅譲)するよう言われたか?
曹操のことだから「お前の好きなようにしろ」かなぁ

756:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 07:20:43.40 NvHp22kV0.net
曹操と曹丕ってそんな関係じゃないだろ
曹植に継がせようとしてたくらいだし

757:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/19 08:22:58.85 x916+AZu0.net
曹丕の周りには司馬懿・陳羣・呉質・朱鑠の四友と賈クが居たからね

758:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/21 18:34:36.62 QzR2IWaH0.net
>>701
孫呉政権は江南の豪族の寄り集まりみたいなもんだから、孫権による完全な独裁体制ではなかったんだろう
だから目先の利益を求める豪族達の手前、劉備から荊州を奪い取らないわけにはいかなかったんじゃないかな

759:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/21 19:55:16.04 k0agg+DOO.net
>>738
で、皇帝になり晩年近くになってやっと孫氏専制を志して酒のついでにウザい江東四姓をイジメてみたら
結局呉滅亡までのグダグダな流れの起因を作っただけで、己はアル中朦碌ジジイの汚名を残して世を去るんだからなあ…

とはいえ、江東の権益確保が国是では曹魏と争うのが不可避の蜀漢みたいな一本調子の相方は面倒なだけなんだよな。
いざとなれば権益保全の為に曹魏とだって組む余地が欲しい孫呉としては、選択肢が減るのは有り難くなんか無いから。
それに兵も兵糧すら出したく無い時まで蜀漢に付き合うのは、余程徐州辺りを確実に入手出来る宛てがなくてはやってられない。
国力は共に曹魏に劣るとはいえ、進むベクトルが違う蜀・呉は結局噛み合わない相手だったんだろう。

760:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/21 20:09:45.56 o1Aw7UBj0.net
中原における三国鼎立状態ってのは魏晋南北朝期、時々発生しているけど
呉蜀ほど連携取った二国はないからなあ
①後趙・成漢・東晋→成漢が後趙との連携を図るも東晋桓温による伐蜀の末滅亡、南北対立へ
(その後、後趙も滅亡)
②前燕・前秦・東晋→東晋が前燕をフルボッコにして首都まで迫るも前秦の援軍が来たため退却
退却中に追撃を受け東晋軍は大敗、しかし大打撃を受けた前燕は翌年前秦によって滅ぼされる
③北斉・北周・梁(陳)→北斉がほか二国に加え柔然からも侵攻をたびたび喰らうけど力技で全部撃退
三国鼎立と言うよりも北斉VSそれ以外
たぶん三つ巴であり得そうな展開って②だと思うんだよな

761:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/22 17:34:06.23 INYWKqWK0.net
>>739
関羽を殺す前後の呉はほぼ毎年のように魏に味方する/敵対する方針を変更している
コウモリ外交にも程があるぞ
常に利益を与え続ける以外にこんな連中と噛み合う手段なんてないわ

762:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/23 04:43:20.91 AQTH/AIK0.net
蜀は国是もあるし、国力差的にも呉と組まなきゃ未来がないけど
呉はある程度単独で魏に立ち向かえるし、蜀を得れば魏と拮抗できるから
手の平くるくるして隙あらば蜀も窺うって姿勢は正しいわな
あのまま蜀とどっぷりやってたんじゃ蜀ばかり得する展開になるわけだし

763:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/23 13:52:47.37 bvenmUT30.net
蜀は異民族を味方につけさえすれば長安までは進行できた

764:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/23 14:03:06.62 e5cJzQ5gO.net
荊州失陥と、夷陵で和睦せずに調子に乗ったとこかな

765:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/30 20:15:06.82 c22AZ5HW0.net
キョウイが居なかったほうが良かったのか?

766:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/30 21:11:11.60 Q/UR718t0.net
そしたら正面から攻められてもっと早くに終わってたんじゃね

767:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/30 22:45:04.74 6R4xt6SU0.net
そもそも魏が興勢の役でヘマしなかったら姜維の北伐も少なかったろうし。

768:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 01:19:02.13 IP43e8wG0.net
姜維がいなきゃ魏の侵攻が本格化した時に止められなくなるから必要だろう
姜維を抑えられる費イが殺されたのが誤算だっただけ

769:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 18:16:16.44 oolS1fqP0.net
姜維がいないメリット
・無駄な北伐で国力をすり減らさない
・漢中の防衛体制を改悪しない
・大将軍が首都に居場所が無く敵領内で屯田するという異常事態が無くなる

姜維がいないデメリット
・エンウみたいな宦官にへつらうしか能の無いカスがトウガイや鐘会を迎撃することになる

770:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 18:25:53.27 dAg1/fxe0.net
結果論だけで言えば初回の北伐で失敗した段階で専守防衛に国策で切り替えればよかった

諸葛亮は戦略には明るくないし、姜維は本人に罪はないんだろうけど大将軍の器では無いわな

771:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 19:03:20.38 9YTmmv5f0.net
東晋の頃、簡単に関中まで東晋軍が侵入しているのを見ると魏は相当ガチガチに関中を防御していたことが分かる
最大勢力の魏が徹底して防戦していたら弱小の蜀はどうしようもないのは明らかだったわけだから
確かに第一次北伐撤退以降は防勢に転移した方が賢明だったろうね

772:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 19:07:21.09 cxq64jpo0.net
基本的に蜀が北伐やるたびに魏が関中や関西の防御や開発や異民族の宣撫工作やりだすからどんどん無理ゲー化してくからね。

773:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 21:06:41.89 9YTmmv5f0.net
魏は攻勢に出ないチキン国家だから
あれはあれで頭悪い

774:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/31 22:51:10.85 f53365li0.net
蜀から侵攻していった成功例は電光石火の奇襲作戦しかないからな
魏と呉がゴタゴタしたタイミングで呉に侵攻するとかの方がまだ版図拡大できそう

775:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 00:17:17.93 baxqOxsO0.net
>>753
魏は防衛気味だったけど、それで成功だったと思う

776:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 01:46:18.97 AsSJc1x20.net
でもあの国力差で専守防衛してたら時が経つほど魏との国力差が開いて
十分に力を蓄えた魏が蜀のトラブルを待って満を持して攻め込んでくるだけでは
魏が防衛気味だったのは蜀の疲弊を待ってたのだろうし

777:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 06:46:36.03 Obm5VMnL0.net
蜀の戦力を削り倒していけばいずれは北伐困難になって史実より早期に疲弊させることは可能だったと思う
リスクは大きいけどリターンも大きい戦略

魏の蜀北伐待ち受け戦略は正統性という面子の点が揺るがされる案外足元の弱い戦略
リターンは小さいのに変なリスクがある

778:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 07:06:27.56 z/TyP2Kh0.net
hennayagisan1‏@hennayagisan1 4 時間4 時間前
上田泰己氏  理研の税金無駄使い、954万円高級家具カッシーナ・イクスシーの指定購入も大問題 URLリンク(1000nichi.blog73.fc2.com)

779:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 17:35:56.93 Q5Jx2nfx0.net
姜維が北伐にしゃかりきになってた時の魏って
司馬兄弟の陰湿な乗っ取りとそれに反発する陰謀や叛乱が頻発していたころだから
どっちにしろ蜀にかまっている暇はないと思う。

780:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 17:43:23.68 dwuQVrUY0.net
そもそも司馬昭が蜀討伐決意したのって曹髦弑殺&鍾会の讒言で嵆康(けいこう)を殺害の流れで、自分の支持が低下気味なのを挽回する目的やからな。

781:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 18:36:35.23 R0eDuADP0.net
>魏の蜀北伐待ち受け戦略は正統性という面子の点が揺るがされる案外足元の弱い戦略

いや十分有効な戦略だったよ
待ち受けしている間に中原の住民が漢を忘れるのに十分な年月を稼げた
蜀滅亡の頃には漢復興を企む陰謀や反乱は皆無で
山陽公ももっと後の永嘉の乱で断絶するまで特に政争に巻き込まれず存続している

782:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 18:57:44.24 Un8qp/VB0.net
姜維は1万足らずでガチガチに警戒されてる北に攻め込むとか意味不明
たとえ姜維が韓信だったとしてもその状況じゃ厳しいだろう

783:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 19:05:51.03 PdpPnVoW0.net
陳慶之だって北魏がグダグダだったから出来た訳でそれでも実効支配までは出来なかったからな。

784:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 22:55:36.91 70+AS31i0.net
>>611
蔡瑁の嫁が曹操に取られたんじゃ無かったかかな?
因みに黄巾のシンキロクの嫁も関羽が欲しがったが、曹操が先にとっていった。

785:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/01 23:10:10.32 p0xRysC20.net
えー 関さん幻滅~~   曹操はねぇ 元からそんな奴だし。
けど部下(蔡瑁)の嫁は獲っちゃだめだろぉ

786:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/02 06:41:07.07 difHtRrS0.net
URLリンク(www.youtube.com)

787:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/02 10:42:53.74 XYlD4ktM0.net
蔡瑁とは子供の頃からのマブダチでしょ

788:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/06 11:42:21.91 eWvBH8It0.net
徐州時代に成功してればね
まぁ大勢力に囲まれて無理か

789:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/06 22:35:02.65 r4BD+o+QO.net
曹操暗殺計画に加担させられたのはともかく、その後密告しなかったのは、袁紹のが優位と思ったからか、世間の反応を恐れたからかな

790:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/06 23:09:22.25 S7JPU19W0.net
劉備が天下統一してたら国ぜんぶがお先真っ暗だったろうなあ

791:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 03:30:09.92 7nN7ARlr0.net
具体的な根拠を

792:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 05:54:28.38 47cyNJv80.net
もう一々突っ込むのも馬鹿らしい

793:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 07:16:30.70 7Ye2ojbG0.net
孔明の仕業?

794:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 10:03:31.51 mgxKWIUn0.net
ゲルマン人もビックリ

795:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 19:23:29.14 11TlRviz0.net
劉備の代で統一できてれば諸葛亮が宰相として国を再建するわけだから漢の寿命があと400年くらい延びたんじゃね

796:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/07 19:24:35.78 11TlRviz0.net
>>769
あの時点で皇帝を裏切って曹操に付くっていうのは相当な博打だと思う

797:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 21:40:29.88 uC9EtmFm0.net
蜀道難

国なんか栄えるのか?
例え塩交易で国が建てられても、いや海なんてないのに塩がどう作れるんだ?

何かがおかしい中国史。

798:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 21:50:53.81 6s4oytDO0.net
シユウのおかげ、彼の血が解池の塩となった

799:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/09 22:19:44.90 4lV9UnAV0.net
お前ずーっと塩塩言ってるけどまずどっから塩が出てきた

800:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 01:49:39.19 qVNhx2V90.net
益州は江が複雑に入り組んでいるし
湿地帯が多いからなのか塩田や塩池が豊富なんだぞ
海でしか塩が取れないと考えるのは四方を海で囲まれてる日本人ぐらいだ

801:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 10:09:42.95 BzRo4MhN0.net
塩鉄論

802:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 11:28:49.90 yWZ+ofge0.net
日本人だって海水以外からの製塩方法の一つや二つ知ってるのが当たり前だと思うんだけどそうでもないのか?

803:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 11:58:50.88 PETri++Y0.net
武田信玄「まじで!?」

804:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 12:44:51.02 wKs3R/6c0.net
タムラ 「私の不注意です、塩がなくなりますが手に入りませんか?」
ブライト 「塩?塩か?」

805:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/10 12:46:03.12 wKs3R/6c0.net
ミライ 「あったわ、シルクロードにある鹹湖」
ブライト 「鹹湖?」
ミライ 「ええ、塩を含んだ湖。そこに行けば塩が取れるかもしれないわ」
タムラ 「ほ、ほんとかね?」
ブライト 「オペレーター、湖にまわっても問題はないな?」

806:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/13 22:49:00.86 5DKFeGCL0.net
>>779
ソースがどこからだったか?
蜀漢を起こしてからの財政を塩で繋いだ、と書かれていたんだよ。

正史ではあった筈。

807:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 00:26:05.99 EKX7JQVO0.net
で 蜀はどうやって塩を入手してたん?

808:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 00:30:58.40 ntR71NzO0.net
三国志を塩で検索したがヒットしなかったな
一応、後漢書公孫述伝の注釈に「蜀有鹽井,又有銅陵山,其朱提界出銀。」とあるから
蜀で塩が取れるのは確かみたいだが

809:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 01:32:41.33 p382Xqtt0.net
すまんかった

蜀漢 でwikiれ

810:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 01:38:39.64 p382Xqtt0.net
益州は鉱物資源が豊富で塩を産出したため、劉備は塩と鉄の専売による利益を計り塩府校尉(司塩校尉)を設置し、塩と鉄の専売により国庫の収入を大幅に増加させた。

811:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 01:56:48.97 Om/lxRij0.net
講談社の中国の歴史を読んでたら、史実の蜀漢は面白い発言に乏しいという指摘が出てたね
史実だと曹操の言動は圧倒的に面白いし、孔明は能力は置いといて面白味はあんまり無いと思う
統一できなかった理由は面白味がなかったから、というのは暴論かな?
面白い=何か新しい部分がある だと思うので

812:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 02:52:44.30 p382Xqtt0.net
>>791
はぁ?!
曹操は赤壁敗戦から殆どが内政と国防が殆どで面白さはさっぱり無いと思うんだが。

むしろ先主没後の蜀の崩壊っぷりが悲しくも虚しいんだよ。徳や仁を掲げた劉備がこれまた内国の不道徳で滅びてしまう。三国志って漢代からの道徳的アノミーとそれに対する侏儒的な忠と孝を中心に書き残され過ぎている。

813:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 09:04:15.52 7FYg/PgN0.net
中国の研究者レベルでも蜀漢って成漢とかと同じ扱いだもんな。

814:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 13:45:46.47 BVrgpunV0.net
>>791
文献の数が違いすぎるから仕方ない
蜀漢で生の声が残った文書って孔明の出師の表と?周の仇国論ぐらいだもん
建安の文学サロンの連中はたくさんの詩を残してるし
細かい発言を残すだけの文化レベルもあったしで面白味で比べたら比較になるはずがない

815:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 18:55:43.02 kcchpJ2B0.net
蜀漢て輝いてたのは建国前後だけな印象
漢中取った直後は蜀、漢中、荊州まで版図拡大してイケイケだったが、髭がやらかして国主も続いてポカして逝去

816:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/14 22:18:45.94 6cn7irR8O.net
蜀漢に関して面白い、といったら自称仙人をやたら輩出した所って辺りか。
孫呉は元々楚巫のようなシャーマン文化があって神仙道家の葛洪らが居るし、のちの南朝での仏教隆盛の元は孫呉で仏教が広まっていた為とされるから
蜀漢と孫呉は胡散臭いモノが流行り易かったようだ。

817:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 01:00:10.97 1QkAfOZZ0.net
魏は曹操があの時代には似つかわしくないほどの合理主義者だったし
文化水準も高く蜀や呉のように危機的な状況にもないから
そこまで怪しい宗教の類は暗躍してない感じだな
太平道や五斗米道を内包して仏教も伝来してきてたし宗教的要素が無いわけでは全然無いけど

818:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 21:25:24.17 Wffau5pe0.net
ここで水掛論的に、諸葛亮がよく好き好んで吟じていた「梁父吟」について

819:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/15 22:10:41.68 F0a02sN+0.net
諸葛亮が晏嬰を意識してんのは出師の表読んでてもわかる罠。

晏嬰さんほど性格ドス黒くないけど

820:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/17 13:55:36.06 wyuDhuFp0.net
>>797
曹操は宗教に寛容だったけど劉備は保守主義なんじゃないの

821:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/17 23:31:00.46 xAm4Zr/A0.net
漢を自称してるんだから儒を国政のきほんとしないと

822:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/26 15:23:06.77 PWjFkSTM0.net
史実が面白みがない。というか情報が少ないからこそ講談師が脚色して飯の種にできたんじゃないか?
研究家や学術家にはつまらんのかもしれんけど民間に伝承はゴロゴロしてたし娯楽としては面白く親しまれてきたんじゃないの

823:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/28 20:44:11.27 0zYIMLgG0.net
関羽が華容道で曹操を逃がしたとかいう話って創作だよね?
賢明な孔明が、曹操に貸しがある関羽に最後の捕らえる役目をさせるとは
思えないし、代わりに趙雲あたりに命じるはずだろ。

824:名無しさん@お腹いっぱい。
17/02/28 20:54:56.28 +XiJnwD30.net
レッドクリフでは 劉・孫軍の主要メンバーみんなして、曹操1人を囲んでたくらいだからねえww

825:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/01 07:52:37.83 OQQUmrFM0.net
講談師は当時のメディアでしょ
劉備は漢復興と漢室への忠誠があるから
晋以降の異民族やられたりするなかで漢人の心に希望やら願望やらが込められて人気を博したんだと思う

そりゃ400年続いたんだから
現代日本で置き換えたら明日からポっと出のタレント議�


826:かなんかが権力を握って天皇を排斥して皇帝名乗るようなもんでしょ 曹操は宦官の家の出だしまあそんな感じじゃ そりゃ当然保守やら右翼やらが知識人が賊臣だなんだって叩くのは理解できる だいたい曹操もなんか持ち上げられすぎ 権力とってやったことは結局一族でポスト押さえてやってることはそれ以前の権勢家と結局たいして変わらず 革新的な民主的改革も特に無い 一番優秀だったから勝ち残ってTKO勝ちしただけのこと



827:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/01 08:36:29.24 01qAOvKs0.net
つまりやっぱり張飛がサイコーッッ!!ってことだな

828:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/01 08:42:52.18 sv5Z6WMv0.net
>>805
東晋の時代には五胡政権の後趙が「曹魏みたいなもの」扱いされてるからなあ
北魏が称揚してくれなかったらブラック国家イメージが定着していたかもね

829:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 05:16:55.16 X0s27rQN0.net
劉淵や石勒の時点で既に曹魏って悪役だもんなぁ。

830:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 09:03:39.39 YKRAXitK0.net
孫呉ってほんと おまけだなあ

831:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 10:44:39.77 nqIYFSvY0.net
(元気はつらつオロナミンCのテーマで)

子供の頃から 騙りの子孫♪
中原さまよい 大人になって 
騙して奪った 蜀の国
関羽の仇 殺したい
元気策なし それが
劉備の合い言葉♪

832:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 15:04:37.53 I8jqEJfHO.net
>>809
孫呉の存在意義と本領は、南朝など後世の江東経済発展の下準備。
個人的には渤海の公孫政権が、無茶苦茶頑張って称帝して四国志すりゃ面白かったかな?って位。それでも魏以外の国力ショボいけど。

833:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 15:46:25.50 xu3IqURw0.net
>>811
後趙は遼東に慕容部、江南~蜀に東晋、涼州に前涼政権と包囲される中で滅亡していったから
やはり全周をぐるりと包囲されると国家経営的には凄えキツいようなところはあるんだよね、いくら国力で勝っていても

834:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/02 21:46:23.43 I8jqEJfHO.net
まぁ確かに四方に接地する敵国が居るんじゃ、軍政の費用や人員馬鹿にならんから
それだけでもかなり苦しいし、自国内の資財のみで国家運営ってのも相当な縛りゲー。
一つ一つ潰せばイイジャン!って簡単に言われかねない話だけど、実際難しいんだよね。相手物言わぬカカシじゃないから。

835:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/04 21:06:22.61 fXI2qhkr0.net
>>811
中国史の全ては
“勝者“中心にして遺されて、その勝者の不名誉は一切描かれてない遺されない。
数は南京大虐殺を、関羽の斤量を鑑みれば分かる話。別に漢民族が180cmを超える巨漢ピンであろうが。

つまり最終的に同盟関係であった呉国であればどう?っていうアンチテーゼやな。

836:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/04 22:19:12.78 qocHuZiV0.net
>>814
まずは三国志くらいは読んでから話に参加しような?

837:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 04:45:43.87 rO3zkMMR0.net
>>815
三国志“くらい“なんじゃなくて、三国志“だけ“読んでも無意味だよ。

孫呉が無ければ三国鼎立しないから。
弱国の蜀が如何に呉を利用してバランスを保って三国志になったか?が世界史上の勢力均衡説を先立って「対中連」つまり「天下三分の計」として唱えた諸葛亮の存在は大きいんだよ。

三国鼎立後の孫呉に関しては蜀漢の北伐以降の二宮事変と内乱が全てで同意。

838:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 18:29:46.79 0X+GKoj/O.net
>>814が何を言っているのかわからない。
日本語でおk、という言い回しが久しぶりに頭に浮かんだわ。

839:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 18:49:59.48 AepGIItP0.net
というかこの一連の流れは会話があまり成立してない

840:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 19:41:56.60 IhSsEtco0.net
>>814の日本語が残念すぎて頭の出来が気になるwwwwwww

841:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 20:06:23.46 CWVYRmax0.net
>>816
まず三国志ひとつ読んだだけでも

>中国史の全ては“勝者“中心にして遺されて、その勝者の不名誉は一切描かれてない遺されない。

ていうのが全くの間違いだってのが分かるからうだうだ言わずに一回読め
話はそれからだ

842:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/05 21:40:35.36 omfeTDPF0.net
三国志関係スレ恒例の「高校の世界史や古文の授業とか受けたか怪しい人」だろ?

843:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/06 00:05:49.83 UewHDlY30.net
>>820
でも注なしの三国志そのものは司馬家に配慮した筆致じゃね?
個人的には中立性に関しては晋書に劣るイメージだな
編纂された経緯が違うから同列で評価するのは不公平だとは思ってるけどさ

844:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/06 01:18:51.95 ITJyDv1l0.net
そういうのだって司馬家の所には書いてなくても
相手の伝にはしっかり書かれてたりってのが多いじゃない

845:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/06 02:51:01.86 enIjHW3E0.net
鄧艾伝とかかなり踏み込んだ内容じゃん。陳寿が司馬家絡みでぼかしてるのは
曹髦関係じゃないかと

あと、司馬家絡みだったら晋書の方が悪質だろ。司馬師がヨメ毒殺したとか。

846:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 13:45:19.03 KpFCjS820.net
樊城の戦いで関羽が暴走したのが一番の要因。
このせいで孔明の中原へ進行する戦略計画が消滅してしまった。
すでに夏侯惇を失い、中原まで奪われてたら曹操軍は・・・
2ヶ月待てば曹操は死亡していたのだから尚更・・・
それに復習に燃え完全に我を失ったと劉備も暴走してしまう
孔明と趙雲の「いま争っても向こうに利があるだけで和睦が先」
という意見に、いつもなら耳をかす劉備も聞き入れず・・・
張飛は復讐に狂い部下達に連日、殴る蹴るの鬼訓練をして反発をかい
寝首をとられる羽目に・・・仮に夷陵の戦いで張飛がいたら・・・
関羽はもう一つミス。孫権の息子を換羽の娘を自分の息子嫁に迎える
という打診を「虎の娘を犬の息子なんぞに与えられるか!」と侮辱。
これで孫権との関係は悪化し劉備軍は同盟国を失っただけでなく
曹操側の計略にのった要因にも繋がった。

847:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 17:33:38.77 JehnlD2Z0.net
ここって演義の話もOKなんだっけ?

848:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 22:16:23.23 GWruSFwV0.net
あなたの願望を叶えたい時に必要になる

URLリンク(www.youtube.com)

URLリンク(6807.teacup.com)

URLリンク(noroi.top)

849:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/26 22:56:13.04 XmZTJ8cR0.net
明確に演義を排除してはいないけど
演義準拠で話し合うことあんの? という素朴な疑問は浮かぶ

850:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 06:13:31.20 FIvYWiJ20.net
袁紹が負けたのが悪い。袁紹が勝ってれば死んだ後内紛に乗じて劉備が中央を制する可能性も微レ存

851:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 10:22:10.20 Uysc4sdf0.net
士元の死

852:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 12:35:51.45 QIyyTb850.net
確かに袁紹が曹操に勝ってれば袁譚のバックとしてかなりの影響力を発揮できたかもな

853:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 20:26:32.25 5SxY1ir30.net
重鎮にはなったかもしれないけど
袁紹が曹操に勝ってしまったら劉備が天下統一は無理でしょ

854:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 21:10:28.79 qVYcSxqM0.net
皇帝になれる可能性はグッと下がるだろうなあ
その分新王朝の重鎮(うまくやれば司馬懿ポジに)になれそうだけど

855:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/28 21:58:36.56 eTkjM1Uy0.net
曹操が負けて死んですぐ袁紹も病死すれば劉備天下統一!

856:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 02:17:09.24 jwQZ3IlxO.net
>>834
いや、その時点じゃまだ袁家の客将でしかない劉備にそこまでやれないわ。自分の地盤すら無いのにどーすんのよ。
司馬懿は魏という確立した王朝内で地位と軍権を確保してたから、広い自領が無くてもああなったけど
袁紹がそのタイミングで死んだら、何も国家なりなんなり確立してない大軍閥でしかないから
袁家内の継承争いが普通に発生するだけ。劉備はその中で生き残るために遊泳するのが精々だ。
無論、劉備が付いた側が勝利を収めて王朝なり政権を定め、そこから劉備がのし上がって乗っ取り天下統一は有り得るけど。
曹操が敗死、袁紹がすぐに死ぬ状態で劉備にお鉢が回る可能性は薄い。
それがやり仰せる程なら、あのグダグダの徐州を確実に地盤に変え、呂布を完全に手足にし陳羣とかも逃がさず使いこなせてるよ。
劉備が無能などとは決して言わないが、そこまで出来る程超絶的有能とも思えない。

857:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 03:40:41.90 D71rOsd30.net
劉備みたいな人間は丁重に扱われると同時に陣営にも警戒されるしな

858:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 04:07:30.85 bIcvIhp50.net
呉志とかじゃ義理ワン扱いだしな

859:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 14:04:17.18 3V2+HJ8i0.net
あの呂布にすら裏切りものは劉備の事だと言われる始末

860:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 15:04:09.80 PIS9uw1F0.net
しかしそんな人間に関羽みたいのがくっ付いているのは本当面白い

861:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/29 15:23:03.13 HfEMWMY/0.net
ちょっと危ない男のほうがモテるのは現代の日本も同じ

862:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 18:44:43.74 CeVWMZg10.net
>>839
関羽も降伏しては裏切り逃げ出す義理ワンなので劉備と同類
類は友を呼ぶというやつだ
三義兄弟の中で実は張飛が最も義理高そうw

863:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 20:47:42.43 O/Jp9k9U0.net
関羽が裏切って逃げ出したって一体いつどこでの話なんだろうか

864:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/30 23:16:49.77 vQ/WlQSd0.net
曹操に降伏→官位贈り物与えて厚遇→曹操の元から脱走

孫権に降伏→しかし麦城から脱走→捕えられて斬首

確かにあるな

865:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 00:18:06.85 vfdRmKQM0.net
曹操の下からどうやって劉備のところへ戻ったのか記録あったっけ?
脱走とも放免とも捕虜交換とも何も書かれて無かったような気がするけど

866:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 00:22:37.36 vfdRmKQM0.net
あと孫権には降伏はしてなくない?
降伏を受け入れるそぶりを見せて包囲が緩んだところを脱出したはず

867:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 11:45:15.72 nbk7s1Og0.net
>>838
お前が言うなとしか言いようがない

868:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 23:37:20.26 aMpHrvgV0.net
>>843
これみると関羽はホウ徳ほどの潔い死に様ではないし
于禁ほどの生き恥さらしもできなかったという
義理ワンの悲惨な末路を体現しているな

869:名無しさん@お腹いっぱい。
17/03/31 23:59:18.26 Z1ZrHC3Z0.net
>>843>>847はもう少し上手く自演しろよw
バレバレやんけw

870:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/01 08:32:05.15 pM8EWxW40.net
ここまで露骨だといっそ清々しいな

871:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/01 14:35:12.65 pM8EWxW40.net
>>844
ちゃんと関羽の伝に書いてあるぞ

(初、曹公、壯羽爲人、而察其心神無久留之意、謂張遼曰「卿、試以情問之」既而遼以問羽、羽歎曰「吾極知曹公待我厚。然、吾受劉將軍厚恩、誓以共死、不可背之。吾終不留。吾要當立效以報曹公乃去」
遼以羽言報曹公、曹公義之。及羽殺顏良、曹公知其必去、重加賞賜。羽、盡封其所賜、拜書告辭、而奔先主於袁軍。左右欲追之、曹公曰「彼各爲其主、勿追也。」)

もっともこれを読んでも関羽をギリワンとか言う奴の気が知れんがな
まぁそもそも読んでないんだろうけど

872:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 20:59:16.03 FadJveKQ0.net
こう見ると関羽は捕虜扱いだったり降将として曹軍に組み込まれたりしたのではなく客将の立場だったぽいな
恐らく手勢もそのままで劉備の下へ帰参できたのだろう

873:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/03 22:44:51.21 t2k8a8L10.net
曹操の関羽に対する扱い見てる限り、劉備も降伏したら曹操から寛大な扱いを受けてたろうな。

874:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 02:58:39.82 Cw/dUst90.net
どうだろうな
一応献帝一派に勝手に曹操暗殺計画に巻き込まれただけとは言えるけど
袁紹に呼応して徐州で曹操の後方を撹乱したのは大きいだろうし

875:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 03:04:51.69 pzZYwEHL0.net
漫画「孔明のヨメ」でも劉備は董承から曹操暗殺を持ちかけられて、迷惑そうな顔してたけど現実でもそんな感じだろうな。

876:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 10:15:37.93 eccONeAu0.net
>>852
降伏して張繍になるか劉琮になるか馬騰になるか袁譚になるかはケースバイケース

877:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 14:06:59.89 X/bpAx7GO.net
>>854
密告しなかったのは勝算があると思ったのか、或いは皇族のくせにと叩かれるのを恐れてか

878:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/04 21:17:07.10 pAPvpE4C0.net
曹操が覇権を握ると確信できてればしたんだろうけどな
まだそこまでの確信が持てる状況でもなかっただろう
仮に曹操に密告した後に曹操が失脚したらもう二度と中央に居場所が無くなるわけだからリスクは高い

879:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/05 21:46:39.94 OEtQJJ8c0.net
献帝にも子供もいたはずだし、擁立せずに血筋が怪しい己が帝号名乗る時点で蜀漢に正統性は皆無と思うわ。
献帝が劉備に禅譲したならまだしも。

880:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 10:43:05.10 HjmP0SWaO.net
いれば何らかの記述があると思うけどね。
漢王室根絶やしに、曹家の子どもも殺すとも思えないから生まれてないのかも

881:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 11:59:34.87 4OPTCOEC0.net
記述はあるぞ
少なくとも玄孫までは

その玄孫の代で血脈が絶えたそうだがな

882:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 12:06:26.70 4OPTCOEC0.net
ちなみにソースは後漢書の孝献帝紀な
(太子早卒,孫康立五十一年,晉太康六年薨。子瑾立四年,太康十年薨。子秋立二十年,永嘉中為胡賊所殺,國除。)

883:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 12:12:52.37 4OPTCOEC0.net
>>858
少なくとも劉備が帝位を号した時点では劉協は曹丕に殺されたことになってるしその後も蜀漢は劉協の生存を公式に認めた記録がない
つまり劉備としては後漢の社稷を絶やさない為に劉氏である自分がやるしかない、という建前なんだわ
後世の我々は劉協が生きてたことを知っているから不義不忠に見えるけど少なくとも当時において劉備は名分をきちんと立てて行動してるし周囲もそれを受け入れている

実際のところ劉備や諸葛亮が劉協の生存を知らないはずがないという推測は十分にできるけどそれこそ本人たちのみぞ知ることだしな

884:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 12:55:21.41 u7j4rFW40.net
>>862
いや、当時は国が争っていても
名士同士は連絡を取っていたから
皇帝暗殺なんて大事件を知らないなんて無理があるよ

885:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/06 23:33:41.83 j7M6LP6U0.net
>少なくとも劉備が帝位を号した時点では劉協は曹丕に殺されたことになってるしその後も蜀漢は劉協の生存を公式に認めた記録がない

という事は蜀漢は劉協の存在を社会的に抹殺したうえで成立した国家という事だ
だから劉協の生存を知ってても無視し続けるしかない
そんな大義名分なら公式的に禅譲の上で帝位を号した魏の方が大義名分あるので
例え諸葛亮が北伐繰り返しても元漢の民のほとんどが呼応しなかったのも致し方ないな

886:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 03:33:14.07 bJ8jDQPu0.net
でも後世には意外と蜀漢を正当とみなしている王朝があるのが面白いよね

887:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 07:27:27.83 oJ/jeOwW0.net
>>864
愍って悪諡つけてる時点でちょっとね。

>>865
劉淵「ワイら匈奴は漢王朝の兄弟やからな。兄の漢が中途に倒れて弟である匈奴がその後を継ぐ。何も問題はないやろ?阿斗ちゃんにも考懐帝って平諡を贈ってるし。」

888:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:27:11.57 ro9h3egeO.net
東晋や石勒の記録を見ると、悪名は魏の方にあって蜀は賛美されてるね
比較的近い時代でさえ、敗国が勝国より好評価なのは珍しい現象だ
蜀を滅ぼした時の最高権力者は既に司馬昭だったから、蜀を貶め魏を持ち上げる必要が無かったとか?

889:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:40:39.81 UstuuC7e0.net
魏晋の異民族政策が相当キツかったんやろ。
元々後漢の流れで「夷狄は消毒だ~」のノリやったし

890:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 11:47:15.80 QjDFV3Sc0.net
だから今の価値観で全部ネタバレ知ってる状態の俺らと今とは全然価値観や情報量が違う当時の民衆とを同じ視点で考えるなんてナンセンスにも程があるっての

891:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/07 12:59:04.04 SEhjV5QxO.net
歴史から学ぶなんてナンセンス

892:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 06:21:57.19 sYhivNJO0.net
実際劉協は諸葛亮と同年没だが、曹操曹丕が死んでからざまぁねえやと思ったに違いない 諸葛亮没からはもう思い残す事はないなったろう

893:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 09:46:54.90 qCJfnt2Q0.net
劉禅の一生を教えて下さい。酒池肉林で楽しかったのでしょうか?

894:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:22:26.36 mUjWWg/p0.net
ぶっちゃけ分からん。まあ出師の表で「ちゃんと勉強しろ。えこひいきすんな。屁理屈で諫言をやり込めんな。先帝(劉備)持ち出して自己弁護すんな。家臣団が必死こいてんのは先帝の恩を返そうとしてるだけなの忘れんな。」とか突っ込まれる時点でアレなんやろ

895:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:44:34.05 4WiuvDKW0.net
>>865
蜀漢正統論は五胡十六国時代や南宋時代など
中原を異民族に蹂躙されている時代に脚光を浴びているので
どちらかというと卑屈な奴らの牽強付会な論理なんだが
それが浸透してしまう時点で中原を異民族に蹂躙されたのが相当堪えたのではと思う

896:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/08 11:57:55.02 rIHyENjjO.net
>>873
孔明が死んだ後はやりたいようにやって、丸投げしたんだから楽しかっただろうな

897:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/17 20:11:55.86 ex5ZfdiQ0.net
宦官で始まり、宦官で終わる漢帝国

898:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 22:03:31.31 RI/eRS+t0.net
孔明が死んでからも30年保ったし内部崩壊したわけでもないからそこそこなんやない

899:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 22:16:00.19 08tQrpvZ0.net
外戚で始まって、外戚で終わった前漢
宦官で始まって、宦官で終わった後漢
北伐で始まって、北伐で終わった蜀漢

900:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 22:20:56.40 wzabdNas0.net
まあ末期陳とか末期孫呉とかよりマシなレベル

901:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/21 23:09:11.69 yYsw1mdF0.net
>>879
戸籍人口では孫呉>陳だぞ
華北は三千万ぐらいいたみたいだから孫呉より絶望度では上

902:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/22 20:36:58.68 yz5Z4odN0.net
末期陳も末期孫呉も
北が軍起こしてから三ヶ月で滅亡

903:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/24 01:57:57.63 PKdzw/3J0.net
そもそもとして末期状態だから滅亡するわけで

904:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/24 14:26:28.75 QnwoRCl70.net
滅亡したからその直前が末期と表現されるんじゃないのか

905:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/28 23:03:55.42 /fEOx8pj0.net
漢の命脈が尽きていた

906:名無しさん@お腹いっぱい。
17/04/30 16:25:17.55 BmYjr5nF0.net
ケイシュウは諸葛亮が、守るべきだった

907:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 11:00:08.49 mc2XTzWT0.net
有能なのが諸葛孔明たった独りではなぁ、たとえ天下を統一出来ても、啊斗の時代にまた分裂してただろうな。
荊州の劉表と養子縁組みして、劉備が養子になって置けば良かったのに。で、その息子に劉琦を養子にとれば良かった。(親子の間に劉備を入れる感じ)

908:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 13:27:32.92 ndOd26ts0.net
安碌山「せやな」
朱全忠「せやな」

909:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 15:08:46.68 fcleFS6G0.net
>>886
ただの劉表の自殺行為じゃんそれ

910:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 15:46:55.51 VgwHcG8j0.net
劉表のメリット何一つなくてワロタ

911:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/01 18:17:20.85 lYUXRDZ00.net
>>886
現代でいう「ネームロンダリング」的詐欺ですかw

少なくとも士大夫レベルでは劉表の跡継ぎが劉琮だったおかげで
荊州が曹操に下った際に中央で出世した人材数多で成功しているので

912:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 00:14:06.54 Db4WXV2d0.net
劉表が劉備に荊州を継がせようとした話の信憑性はどうなんだろうか
裴松之は否定しているが

劉表は曹操を嫌っていたから、自分が死んだ後に荊州が曹操に降服する事を読んで
それならいっそ…という事で曹操に降服しない劉備を荊州の主にしようとしたという事はありうると思う

913:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 02:55:58.01 GhgwpLYZ0.net
そもそも劉面が庶子の劉琮を後継者にしたのは地元豪族との力関係もあるから、劉表本人が仮に劉備を後継者にしようとしても地元豪族が納得しないんじゃね。

914:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 05:02:15.88 rd2ErHkI0.net
血縁と婚姻で関係をガチガチに固めた蔡瑁一族からの反発が尋常じゃないだろう
劉表に仕えなかった名士連中がどう出るかは不明だけど蔡氏の反発があるなら劉備の荊州支配は安定しないんじゃないか

915:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/02 07:37:55.27 yh5E5Vuo0.net
その辺は漫画「孔明のヨメ」で丁寧に描かれてるな。

916:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/03 07:45:41.12 AmyoIEqO0.net
田豫が最後までいてくれたら

917:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/03 09:12:03.89 FjwD6uBH0.net
徐州を呂布に奪われない前提で妄想を進めてみたけど、
結局孫策に攻められた劉ヨウの救援に行って奪われそうでやめた

918:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/03 13:12:33.44 vkrugHkv0.net
孔明の嫁の実の叔母が劉表の後妻の蔡氏でしょ?
劉備が荊州を貰うのを、間に孔明とヨメが入って蔡一族と上手く付き合って(手のひらの上で転がして)やってく方法もあったんじゃないのか?その場合、劉キはないがしろにされてしまうだろうが・・

919:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 00:01:49.98 2smfrqE9O.net
その蔡氏一族が牛耳る劉表陣営が嫌いだから、諸葛亮は伝手があっても劉表には仕官しなかったんじゃないっけ

920:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 11:32:09.76 rYYFHb9/0.net
>>898
ソースよろ

921:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 14:33:00.17 sWXpIliw0.net
「まあそのうちビッグなことやるから」
「俺をたとえるなら管仲・楽毅かな・・・」
「へえ合格したの?よかったね、地方公務員なんてお前にぴったりの仕事だと思うよ」

孔明は今でいう意識高い系で周囲からは浮いていた
付き合いがあるのも変人ばかりで表面上は平穏な劉表政権には無用の長物

922:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 18:32:26.09 LAa2/3180.net
諸葛亮が劉表に出仕しなかったのは劉表の下では自分の名を上げることができないと考えていたからだと思われる
あと、劉表が師である司馬徽を侮辱したのも多分理由のひとつかと

923:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/04 19:22:04.13 bw4346JU0.net
スリキンでは徐庶も劉表の事を、水鏡先生に良くは言ってなかったね。
自分にも塁が及ぶ前にサッサと帰って来た…とか言ってたな。
水鏡先生一門はアンチ劉表か

924:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 00:17:46.13 BZCO923d0.net
親劉表一門もアンチ劉表水鏡一門も
曹操に仕えたら仲良く出世街道
素晴らしい

925:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 12:02:20.14 x45OY8r50.net
劉表自身に天下を争う志がないし
後妻の一族が実験握ってて泥船に見えたんじゃね

926:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/05 13:04:20.45 DepJj/LC0.net
諸葛亮が出世を求めていたのは孟公威とのやり取りでも分かるな
だから天下に打って出られる人材でかつ自分を高く売り込める相手に仕えたかったと

927:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 12:24:09.55 6WfpwEQFO.net
鶏口牛後かな
それでも劉備を選ぶのは、けっこう冒険な気がするけれど

928:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 12:57:14.83 0IJ+3VAi0.net
元々諸葛亮は劉備に荊州を乗っ取らせるつもりだったから本人にとってはそこまで無謀な冒険のつもりは無かったのかもしれない
ところが劉備がそれを容れなかったことで最初の一歩から盛大に躓くことになってしまったわけだけど

929:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 13:21:50.18 f/8gAiNC0.net
従来までの後漢王朝であればどんな実力者の権臣であっても皇帝サイドの底力で何とか粛清するのには成功してきたわけだが
曹操はその皇帝サイドからの反撃に打ち勝った糞逆臣だからねえ
長期的に静観して曹操の足元が揺らぐのを期待していた劉表や孫権みたいな連中は予想を裏切られた思いだったのでは

930:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 14:26:31.78 RDq/R80y0.net
>>908
曹操と劉表に限った話ならある程度は合っているが
曹操を糞逆臣と言っている時点で視野が狭い
劉表は党錮の禁で粛清された清流派の幹部で
曹操は名宦官曹騰の流れを汲むズブの濁流派だから
互いに相容れる事のない関係なので
劉表が曹操を糞逆臣とみなすのはわかる

しかし曹操は元々皇帝サイドの宦官側の出身なので
外戚や清流派と違って皇帝と根本的に対立する立場ではない
だから皇帝と近しい所で権力伸ばして王になれたともいえる

孫権は曹操の足元が揺らぐのを期待していたというよりも
自分に高い官位爵位をくれない後漢王朝の足元が揺らぐ方に期待してたんじゃないかな

931:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 16:29:47.94 xwgoDDWi0.net
基本的に宦官は皇帝が外戚や権臣に脅かされた時の最後の切り札だからね。
前漢の宣帝、後漢の和帝、順帝がわかりやすい例。
そう言う意味では最後まで献帝の庇護者であり続けた曹操は爺さんの流れを継いでると言える

932:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 17:30:09.69 6WfpwEQFO.net
度重なる暗殺計画も、董承らとか周りからなんかな

933:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 17:32:15.95 f/8gAiNC0.net
アクロバティック擁護抜きにしても曹操一家の簒奪劇は明白なのに…
曹丕にあれだけお膳立てしておいて献帝の庇護者とかって

934:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 17:37:31.96 xwgoDDWi0.net
皇帝とっかえてる霍光とかの方がよっぽどヤバいんだけどね。あと堂々と皇族殺してる竇憲とか

935:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 19:54:52.66 6WfpwEQFO.net
>>912
我慢強いな曹操さんは
董卓さんなんて、我慢できなくてヘソに火を点されてしまった
信長もナポレオンもアレキサンダーもすっころんでいるのに

936:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 20:17:17.47 jmJTAJsz0.net
建前としては簒奪で後世に悪名を残したくない
現実には簒奪直後に寿命が来たらヤバイから息子の代に伸ばしただけ

937:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:01:39.60 c5xLHPK/0.net
>>915
どうなんだろうね
少なくとも後漢滅亡の数十年前の黄巾の乱の時点で
儒家問わず易姓革命願ってた流れあるので
曹操一家よりも周りの人間の方が後漢滅亡を願ってた節が

938:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:38:27.58 PK3+LMxZ0.net
曹操の代に九錫受けてる以上、どう考えても簒奪不可避だしなあ
悪名残したくないから簒奪まで行かなかったというより
劉備を討伐してから禅譲まで行くつもりが寿命のほうが先に来た、という方が正しいのかもね

939:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:42:12.85 c5xLHPK/0.net
>>911
董承や伏完はバリバリの外戚なので
曹操排除して代わりに権力握るという動きはわかる
伏氏の時は曹操も前年に娘を献帝に嫁がせてるからある意味外戚とも言えるので
違う見方すると外戚同士の権力争いとも取れる

218年の吉本の乱や219年の魏諷の乱の時は曹操の留守を狙ったクーデター未遂なので
曹操を狙った暗殺計画ではないな
あと純粋に曹操狙った暗殺計画で思い当たるのは官渡の戦いの時の徐他ぐらいか

後漢から魏に禅譲してからは曹一族内での権力争いは思い当たるが
曹丕曹叡時代に政権内部からのクーデター未遂計画とか思いつかない
後漢の存続願ってる勢力が多ければ
むしろ魏に禅譲した後に反乱クーデター続発してもおかしくないのだが…

940:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 21:52:54.63 c5xLHPK/0.net
>>917
中国史上で九錫受けた人物で皇帝にならなかった人物の方が少ないので
本人がどう思ってるか関係なく九錫受けた時点で禅譲放伐を意識されるのは仕方ないな

李厳が諸葛亮に九錫受けるよう勧めたら
諸葛亮が条件付きで九錫どころか十錫でも受けると返した話は何故か無視される昨今

941:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:16:42.71 0IJ+3VAi0.net
>>919
あれは「まだ魏と戦争してる最中なのに何アホなこと言ってんだ仕事しろ」ってことだろ

942:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:20:54.90 c5xLHPK/0.net
>>920
そうだが
九錫受ける=簒奪
と安易に決めつける風潮が違和感あるので

943:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:34:32.81 bWchhI6W0.net
KYな薦めを冗談っぽく受け流しただけだろ

944:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 22:39:19.40 vZ+gBWHF0.net
李厳さん「オレ専用の幕府くれ」とか韓信ばりの無茶なおねだりやらかすからな

945:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/06 23:22:13.18 Jcl0dgjX0.net
曹操が暗殺されれば魏の政権は混乱して崩壊した可能性もある
しかし曹操は暗殺計画が何度もあるのに生き延びてるのが凄い

946:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 01:41:52.39 N3EC0WFY0.net
>>919
>>921
公孫淵が孫権から九錫受けたが呉の使者ヌッ殺して魏に売り渡したり
ソース不明だけど士燮が後漢末年に曹操から九錫と六佾之舞を受けたり
司馬懿が高平陵の変の功績で九錫受けたが辞退したり
簒奪関係なくこの時代でも九錫の話けっこうあるな

947:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 01:46:55.76 N3EC0WFY0.net
抜けてたけど孫権も曹丕から九錫受けてるな
後漢末~三国時代で九錫受けた身分でないまま皇帝になったのは劉備と袁術と許昌か

948:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 01:59:03.34 N3EC0WFY0.net
>>916
「蒼天已死 黄天当立 歳在甲子 天下大吉」
「代漢者当塗高」


確かに

949:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 04:50:47.00 NkPIVW7I0.net
九錫を下賜されて皇帝にならなかった人間は曹操となる前に死んだ司馬昭だけ
あとは全員皇帝になったか殺されてる
そのことを考えると皇帝にもならず天寿も全うした曹操は聖人みたいなもんだろ
って話を以前どこかで見たな
周の文王たれば良いと自分でも言ってたし皇帝になるつもりは本当になかったのだろう

950:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 05:50:35.91 2vwh8kCe0.net
>>928
誉め殺しはやめたまえ

951:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 05:56:48.46 2vwh8kCe0.net
九錫求めて簒奪一歩手前まで行った権臣と言えば東晋の桓温がおるけど
桓氏は桓温死後に族滅されたりすることなくその勢力が温存された
お陰で淮肥の役の際に東晋は滅亡しなくて済んでる

曹氏も無理して簒奪路線じゃなくて権臣路線で食い繋いでいけば良かったのにと思うの

952:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 10:51:18.76 u8KGCWSJ0.net
曹操はそのつもりだったのに曹丕が親父へのコンプレックスで暴走した可能性

953:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 15:51:21.05 hW6mBjQF0.net
後漢は寿命だったししゃーないわ

954:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 15:59:19.90 3Lpz9iDV0.net
後漢書読んでても和帝以降は死亡判定食らってるのにダラダラ続いてるだけやしな。
某跋扈将軍なんて曹操が上品に見える程の酷さ。

955:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 16:28:43.95 PZxn1YXg0.net
曹操が皇帝になりたかったというのはかなり微妙
なれるチャンスはいくらでもあった
漢王朝をどうしたいのかもよくわからんが

956:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 16:51:47.59 2vwh8kCe0.net
後漢が寿命っつーか
後漢型の帝国システムを勝手に終わらせたのが曹魏
二代目の明帝より後は本当にグダグダになっちゃったけど

有力士族による合議制という政治的潮流と戦争屋皇帝って食い合わせ良くないよね

957:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 18:35:41.11 3pGP0AEX0.net
>>935
蜀も孔明亡き後は人材難になっていくからなぁ
一人ひとりを見れば馬鹿じゃないんだろうけどね

958:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 21:12:18.19 hW6mBjQF0.net
曹叡が浪費家な上に早死にするのが悪い。蜀は元々劉備が集めた人材が死んでく上に
荊州まで失って益州だけになったんだから人材が枯渇するのは当然

959:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 21:28:50.85 3Lpz9iDV0.net
むしろ蜀漢の遺臣は西晋でそこそこ重用されてた気が。譙周の弟子絡みだけかも知れんけど。

960:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 22:04:32.45 QGhDIw160.net
>>938
蜀漢の遺臣は後からやってきた孫呉の遺臣より存在感薄くて泣ける
国力は仕方ないがもう少し文化力高めて三俊や五儁ぐらいの人物は出して欲しいところ
東晋になると蜀漢と孫呉の遺臣の扱いが絶望的な差になるのは首都が孫呉の地になったからかもしれんが
故地を異民族に跋扈されて建国されるのを蜀漢の遺臣が防げなかったのである意味仕方ない

961:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 22:22:29.28 3pGP0AEX0.net
>>939
呉は2世の活躍が多くて珍しい方では
比較対象が悪すぎる

962:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/07 23:55:44.82 wE3lpda60.net
羅憲とか霍弋とか、大物が居ないでもないけどねえ
ただ劉備・諸葛亮恩顧の人材が引退する前に滅亡が来ちゃったから、
ちょうど呉の2世に当たる人材が丸ごと史書に残らなかったんじゃね、という解釈もあり得るとは思うけど

963:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/08 02:50:28.15 ncWt9hly0.net
陸兄弟みたく皇帝(李世民)が伝記書いてくれる事案は特殊な例やしな

964:名無しさん@お腹いっぱい。
17/05/08 09:52:39.27 wBwtwMVtO.net
人がいないわけじゃないのだろうがな
出来る人は私利求めて、韓非子の有度篇みたいな感じかな


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