16/11/20 22:18:41.53 lqT7kYwY0.net
曹操の配下に諸葛亮
劉備の配下に司馬懿
これなら、劉備の天下は?
349:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:32:22.64 ZctL4b570.net
晋が天下統一できたのはこの人がいたから
というよりも総合的な人材層の厚さとかだからなあ
350:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:45:58.04 kWJ3w+Yu0.net
末期魏国~西晋の将軍って優秀な軍人兼地方官って例が多い印象。
351:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:47:41.96 p5oau0Js0.net
>>337
司馬懿本人には統一の構想みたいなものは無かったんじゃないの?
司馬師・司馬昭の方がまだ天下取りに取り組んでいた方だと思う
魏晋南北朝を見渡してみても諸葛亮は本当に得難い人材だったと思うけどなあ
352:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 00:08:16.59 deKL0ExQ0.net
どう見ても陳寿は諸葛亮大好きだよなあ
司馬懿は野心からというよりは
自分や家を守ろうとしてああなってしまった感あるし
統一とかのビジョンは持ってそうなイメージ無いな
353:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:14:48.16 KLC6YLBQ0.net
>>329
とはいえ劉備は曹操に徐州も豫州も荊州半分も取られた訳で
曹操>>>>>>劉備
なのは間違いではない
サッカーでいえば3点取られて試合終了間際に1点返した程度で
明らかに劉備の負け
354:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:25:39.25 UBzsTI4i0.net
>>342
地盤固めるまでの過程は曹操の方が優秀だとは思うけど
大規模な戦役になると劉備は曹操を凌ぐとも言える
355:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:49:37.10 UEYR+VU20.net
人見る目なさすぎだよね?
陳登、陳羣とか曹操も一目置くような人材活かせてないし
356:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 02:49:01.29 cWU0eX+M0.net
>>341
晋書宣帝紀でもしばちゅうさん「ワイの墓は曹丕さんの近くに作って欲しいンゴ」つってるから基本的には曹魏政権に対しては忠誠心はあったんだろうな。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 10:35:49.84
358:Q8fVH+7N0.net
359:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 18:22:28.16 mxpV/5Ha0.net
>>344
そもそも陳親子を陣営に取り込んだり、陳羣が制度や法令を定める時間が無かった
360:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 18:26:22.50 UBzsTI4i0.net
割りと徐州牧就任後の劉備って詰んでるよな
361:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 19:29:10.64 IL+XH6n10.net
陳羣は治世では有能な政治家だけど乱世ではどのくらい有用な人物なんだろう
軍事面での逸話は特に無かったよね
劉備の下に残ってれば諸葛亮の良きサポート役にはなれたのかな
362:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 20:35:37.16 deKL0ExQ0.net
まあ名士の役割は自身の能力もあるだろうけど
それ以上に士大夫層のネットワークにあるだろうし
陳羣は劉備に今徐州を根城にするのは危険だと助言したり(聞き入れずに劉備は滅亡する)と
時勢を読む力もあるから統治だとか外交で人材登用で何かしら役に立ったでしょ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 21:25:51.99 CvrOKuCO0.net
>>348
袁術の侵攻、呂布の暴走、重臣たちの反乱
まさかこれらが同時にくるとは思わないわな
>>350
そりゃ陳羣からしたら劉備には地元の豫洲にいてもらいたいからそう言うよ
なに徐州に色気だしてんの?って話
364:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 21:38:18.83 mxpV/5Ha0.net
呂布がもう数年曹操と争ってくれるか、大人しく小沛を統治してくれないと厳しいな
365:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 23:11:04.20 ISGKD/TB0.net
>>343
曹操は赤壁でも漢中でも火傷が酷くなる前に余力残して引いているので
イメージほど大規模な戦役での大負けはない
むしろ呂布や袁家や韓遂や張魯など
群雄にきっちり勝ち切って仕留める割合は劉備を遥かに凌駕する
まあ勢力の大きさが違うので当たり前といえばそうだが
劉備は徐州やら汝南やら長坂やら夷陵やらで壊滅的な無様な負け方しているので
大規模な戦役で曹操を凌ぐと言い切るには大負けが目立つで説得力を感じない
366:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 23:30:35.28 UBzsTI4i0.net
>>353
その理論だと曹操は劉備を滅ぼせていないとおかしくなっちゃうんだけど
367:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 01:26:39.80 7NUlJjfG0.net
>>353
前3つは戦力差がデカすぎで、戦の巧さで挽回できるような次元じゃない
368:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 01:32:21.67 En4jKH3O0.net
夷陵以外の劉備の敗戦って完全に詰んでる情勢ばかりだしな
仮に指揮を執るのが曹操でも結果は同じ
369:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 12:30:09.18 V4Qw7eVu0.net
>>356
曹操も徐栄や馬超など相手に絶対絶命の場面あるけど
劉備みたいに民衆や妻子や義兄弟まで撒き餌にして無様な脱走という場面は思いつかない
だから曹操なら同じ場面でももう少しマシな負け方ができそう
まあ劉備は劉邦に近い逃げ方なので
系図があやふやでも劉備は劉邦の血を引いているというのは確信できる
370:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 12:48:18.38 GUzJ8GBY0.net
曹操は未亡人とギシアンしてたら襲撃されて息子殺されるってとんでもないエピソードあるじゃん
371:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:12:52.34 8J8CRk/t0.net
>>357
張邈+呂布に惨敗して、蝗に助けてもらってるじゃないか
つか長坂は江夏に逃げられた時点で実質敗北だろ、あんなの
なに取り逃してんだよ
372:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:30:17.95 SSD2KOe20.net
>>359
それよりも赤壁以降荊州を取り戻せていないことの方がヤバイ
国力差考えるとあり得ない、相手が東晋とかなら兎も角孫権と劉備の呉越同舟相手になにやっているんだ?
373:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:45:53.97 En4jKH3O0.net
魏は北方、西方の異民族に相次ぐ叛乱にと他にやらなきゃいけない問題多かったからなあ
文明の中心は抑えてるし時が経つほど国力差は広がる一方だから
一気に併呑できないのであればそこまで急ぐ必要もなかったし
374:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 15:11:07.91 uxNpc1Em0.net
>>361
時が経ちすぎて曹氏簒奪されちゃったけど
これも曹操・曹丕の計算通りな展開だったのだろうか?
人口激減期でも隋末の李淵は一気に天下統一させた上に李世民の代には突厥、吐谷渾を
滅亡させているから「国力充実のため現状維持」というのは天下統一できなかった理由としては少し弱い
隋末唐初の戸籍の下限が二百余万戸、人口は一千万人前後ぐらいと推定
三国が統一された時と実はあんまり大差ない
375:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 18:51:35.81 WPiKMoK20.net
>>358
>>359
軍壊滅状態での敗走ではないので劉備の悲惨さと全然違う
劉備のサバイバル能力は際立つが
どちらが才能上かというと曹操の方が上という評価が妥当
長坂で劉備に江夏に逃げられた時点で実質敗北とかは
無双の世界の勝敗条件っぽくてワロタw
>>360
中国の歴史の中で北朝がきっちり南朝滅ぼせたのは
南朝の君主が暴君か暗君か弱君か幼君のいずれかの場合
なので呉越同舟なれど曹操生きてる間はそのいずれでもない
孫権と劉備がいる以上鼎立もさもありなん
なんか曹操と劉備でハードルの高さの違いを感じる
曹操だと天下統一できなかったので無能扱いで
劉備が1州に割拠しただけで曹操を超える優秀とか
どう考えてもおかしいやろ
376:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:12:18.24 hvzgDQki0.net
>>363
悔しいけど、最終段落一理ある
377:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:49:59.34 uxNpc1Em0.net
>>363
誰も曹操の才能が下とは言ってないのでは?
ただ劉備が曹操と同等以上の大部隊運用の才能を持っていた可能性を指摘しただけ
トータルでは曹操の方が上なのは変わらないと思うよ
ただ劉備の能力を低評価すればするほど
曹操が何で蜀を滅ぼせなかったか説明できなくなってしまう
そこだけが違和感を感じるのよ
378:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:56:14.83 WLaPJHnZ0.net
曹操が華北を制した時ってまだあまり安定しなくて反乱とか頻発してたからとても統一に手が回らなかったんでしょ
華北が安定したのって曹叡の頃でその頃になって蜀や呉から華北に人が戻っていったんだよな
379:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:08:06.97 TYJoRgXE0.net
>>366
何で態勢が有利なったのに曹叡は天下統一できなかったの?
そのトンでも理論、いくらなんでも天下統一までタイムラグありすぎだろ
380:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:11:34.25 uxNpc1Em0.net
>>366
赤壁の戦いとか漢中併合とか劉備と直接対決とかやってて「統一に手が回らない」はおかしくね?
曹操は統一する気マンマンだったようにしか見えないのだが
(加齢や赤壁敗戦の影響で晩年はかなり後ろ向きになっていたとは思うけど)
381:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:12:12.64 9sAFpvZ80.net
そら曹叡晩年からは内ゲバ最盛期なんだから統一なんかできるわけなかろ
382:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:14:36.18 cQ1kgmc3O.net
このスレでは言われてないけど
魏が圧倒的って言わ
383:れまくられると統一も出来なかったのに?って思ってしまう 簒奪した晋が最終的に統一したから魏も出来たかもしれんが何だかなあ
384:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:23:17.21 Y5m/86Yl0.net
曹魏の国力は結構カツカツだったと思うんだけど
だから曹操も統一頓挫しちゃったんでしょ
ただ攻めきれなかった劉備も力不足だったわけだし
江南の独立で満足しちゃった孫権も何だかなあと思わされる
385:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:30:09.28 cQ1kgmc3O.net
東晋の北伐は調べると結構北上出来てるし
それに比べると確かに呉蜀はあんまりロマンがない
まあ時代も割拠する勢力も違うから単純に比較しちゃ駄目だろうけど
386:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:44:30.55 uxNpc1Em0.net
>>372
340年代後半以降の東晋は寿春と淮陰(廣陵)、襄陽を保持していたから呉とは条件がかなり違うんだよなあ
呉は東晋みたいに泗水や沂水、潁水、汝水、過水からの北上ができなかった
つーかドン詰まりだな、孫呉は
387:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 22:01:55.15 9sAFpvZ80.net
呉がどこを落とし所にしてたのかが全く分からないから詰まってるのかどうかも分からん
天下を狙ってたなら確かにどん詰まりだし何考えてたにしても結局は滅ぼされてるわけだけど
388:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 22:08:29.21 hvzgDQki0.net
赤壁で無闇に突っ込んだのに、肝心の漢中で撤退しちゃった挙句に
涼州・揚州で徒民しまくったのがアカンかったんや!
389:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 08:26:10.97 GWiCfnh60.net
>>375
曹操が何をしたいのか意味不明なんだよな
大局観がまったく無い
孫権の場合江南の自治・独立という大目的に絞ってみれば全て合点が行く
390:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 08:38:59.24 Fvt/e7yI0.net
>>357
>>劉備みたいに民衆や妻子や義兄弟まで撒き餌にして無様な脱走という場面は思いつかない
これなんかおかしくね
なにベースで語ってるのここ
391:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:35:45.62 WmqBskX90.net
漫画かな
392:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:39:33.15 OYkziHIc0.net
>>376
華北統一後は曹操の大好きな光武帝モデルも破綻してるしな
393:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:45:51.64 TFfCA6sG0.net
>>377
・徐州では関羽と妻子を捨てて逃走 関羽と妻子は捕えられる
・長坂では民衆や妻子を捨てて逃走 娘は捕えられる(甘夫人と劉禅は趙雲が回収)
この辺りかと
394:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:56:46.37 jXmEyYM10.net
>>352
そもそもあのまま戦って袁術を追い返せていたのか?
まあもうちょっとしたら孫策との不和で徐州どころじゃなくなるが
395:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:11:06.89 TFfCA6sG0.net
>>365
>ただ劉備が曹操と同等以上の大部隊運用の才能を持っていた可能性を指摘しただけ
夷陵が無ければ同意
夷陵みたいな名の残る将官クラス両手に溢れるぐらい戦死という敗北は三国時代以外でもあまり聞かない
曹操でも夷陵みたいな負け方はわざとでも難しいだろう
曹操なら負けても傷口浅いうちに撤退しているだろうから
夷陵は曹操よりも明らかに大部隊運用の才能のない曹丕にもディスられてるのが何とも
曹丕には「お前が言うな」と言いたいw
劉備の漢中戦での勝利は法正によるところが大きいし
別動隊の張飛馬超呉蘭雷銅の方は敗北しているので
純粋に大部隊運用の才能でももっと実績残している曹操の方が上かなと思う
396:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:22:17.59 KtcN5r/F0.net
夷陵は部下から諫言を何回も受けても強行して惨敗って言う暗君テンプレを地で行ったからな
397:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:24:13.88 GWiCfnh60.net
>>382
曹丕の評価なんて意味無いだろ
劉備の将器を傷つけるようなものではない
これが荀攸あたりからダメ出しされていたら確かにその通りだと納得できる話なのだが
398:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:35:26.86 TFfCA6sG0.net
>>384
いや曹丕みたいな戦下手な奴に「劉備は戦の仕方を知らない。必ず敗北する。」
なんて正論吐かれて実際その通りになったのが酷いんだよ
あれで俺の中の劉備の評価が大きく下がった
まあ>>384には曹丕と同じで俺の評価なんて意味無いだろうがなw
399:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:20:28.45 x8echu2W0.net
>>385
結果論で劉備<陸遜は成り立つし劉備>夏侯淵も成り立つ
そして直接対決の結果で劉備≒曹操も成り立つ
口だけ番長の曹丕の出る幕なんて寸土も存在しないわけだけど頭大丈夫なの?
400:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:41:15.03 SXSee3NK0.net
議論するのは良いが、相手の人格攻撃はやめれ
401:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:58:44.63 F4lJEIKP0.net
曹丕が何をもって劉備の敗北を予見したのか定かじゃないから何とも言えんが、曹丕がたまたま慧眼を発揮した可能性もなくはないだろ
402:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 13:20:01.99 bipVp5xH0.net
>>388
たまたま山勘当たったという話だとしても因果関係無くね
曹丕は一般に「戦下手」イメージのある孫権に負けてるのが痛すぎる(個人的には孫権は戦下手なんかじゃないと思ってるけど)
父親と違って戦争自体向いていなかったとしか……
403:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 13:42:39.60 F4lJEIKP0.net
>>389
慧眼と山勘とは違う意味で使ってる
俺も曹丕は戦下手だと思うが、後継者として全く戦術理論を学んでない訳はないだろうし、馬謖みたいな実戦下手だった可能性も充分ある
>>382は叩き上げの武将である劉備の総仕上げの戦いが、理屈だけの曹丕にdisられてるのが皮肉だって言いたいんじゃないの
404:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:06:47.74 bipVp5xH0.net
>>390
総仕上げの戦いではなくて完全に泥縄式な荊州奪還作戦、それも開戦直前に張飛暗殺とか万全には程遠くないかなあ
準備はそれなりにしていたけど張飛退場はやはりキツイ
曹操と劉備との漢中戦も泥縄と言えば泥縄
405:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:09:26.68 KOntbGlz0.net
ハルヒ暗殺で別働隊率いる将軍がいなくなったからな
406:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:24:33.54 uvBmPCU70.net
ここでも何回も話題になってるけど荊州を奪われたままじゃ劉備には破滅しか残されてない
だから多少どころじゃない無理をしてでも即奪還しないといけなかった
ここで時間を置いて準備をしてもその分相手も準備を整えるだけで状況が好転する見込みなんてほぼ無い
407:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:38:49.99 l6/oDm2s0.net
益州一国じゃ現状維持が限界だからな。
その後成漢を建国した李雄も引きこもってたし
408:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:47:07.32 bipVp5xH0.net
益州政権で荊州取りに行ったのって劉備だけのような
409:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:52:39.85 jdHtbavu0.net
>>391
泥縄を言い訳にするなら攻め込む資格なし
攻め込まれる方はもっと準備していない場合多いのに何言ってるんだか
張飛死んだのもある意味深刻な問題放置していたからで
張飛は死ぬべくして死に
夷陵は負けるべくして負けたとも言える
>>392
黄権・ホウ林「」
>>393
それなら悠長に季漢皇帝に即位する時間惜しんででも荊州失陥翌年にとっとと攻めるべき
魏は曹操死んで禅譲もあってそれどころではないし
呉も呂蒙蒋欽孫コウ死んで軍弱体化そして荊州租税免除するぐらい荊州の地盤固めに追われてんわわんや
まあ実際は漢中戦や関羽死亡のダメージで劉備も軍動かす余力が無かったと思うが
410:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:58:56.99 P4ZgiEfQ0.net
張飛なんか使わず馬超を使えばいいのにな
411:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:40:52.30 uvBmPCU70.net
馬超が北に睨み効かせてないとおちおち他所に出かけられん
412:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:42:44.64 uvBmPCU70.net
>>396
>劉備も軍動かす余力が無かった
うん、だから多分ほぼ最速であのタイミングだったんじゃないかと
413:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:45:01.11 /vtSPJcd0.net
見方を変えれば五胡十六国みたいな中国大陸を異民族に蹂躙された原因って
呉蜀がしつこく魏に反抗したからだよなぁ
漢王朝の復興とか劉備の言ってるのは大義かもしれないが
庶民にとっては災難でしかない
414:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:48:02.38 UrgZJT7J0.net
安帝の頃から羌族にボコられてるからあんま関係ないぞ。
415:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:51:39.91 jdHtbavu0.net
>>399
最速であのタイミングで
呉は準備不足で陸遜の文弱ぶりな混乱指揮で武陵反乱もあるのに
あの負けっぷりは相当深刻
負け戦の責任を全て馮習に押し付けたいのもわかるが
どう考えても劉備の大部隊運用の才能は曹操と比べるのは失礼なぐらいのレベルなので>>382に同意
あれならどのタイミングで夷陵戦役しても詰んでる
416:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:07:32.36 bipVp5xH0.net
>>397
馬超は荊州行くまでの道に不案内でしょ
この経路使った経験のある張飛以外の適任者が見当たらない
417:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:10:03.01 jdHtbavu0.net
>>403
張飛以外だと同じく経路使った経験ある趙雲か諸葛亮が適任か
張飛に劣る人選なのは同意
418:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:13:23.08 GaGy/KPY0.net
>>402
曹操がこの時代唯一無比の最強の司令官ってことで良いけどさ、じゃあ何で天下統一出来ないんだよw
419:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:18:26.22 jdHtbavu0.net
>>405
シンプルな結論出すと
曹操に天下統一するだけの実力も才能も無かった
以上w
他は実力も才能も曹操未満なので曹操はまだ少しマシな程度
420:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:30:28.75 GaGy/KPY0.net
>>406
「曹操未満しかいない」
呉と蜀は仲違いしていた
何で天下統一できないんですかねえ?
421:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:38:22.01 SXSee3NK0.net
・そもそも曹操が独立勢力築くのが遅かった
(スタートが泡沫候補レベル)
・最有力候補・袁紹政権を併呑するのに8年掛かった
(江南諸政権に地盤固める時間的猶予を与えてしまった)
・見切り発車で赴いた赤壁で、孫呉に華北政権とやりあって五分に持っていける自信をつけさせてしまった
・関中に転進した時点で江南の併呑を諦めてたっぽい
(華北統一=天下統一と宣伝?)
一代で天下統一するには群雄が勢力を固める前(だいたい10年位?)に
攻め込まないと大体長丁場になる
この辺は多分天下人の能力云々関係ない
422:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:42:19.42 jdHtbavu0.net
>>407
>>406に結論書いてるのに何度も書かなきゃわからない莫迦ですか?
こういう意味ない煽りレスは無駄なんで
だから2chてろくな奴いないとか思われちゃうんだよ
423:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:47:26.27 U7TfeCYc0.net
劉備が蜀取ってから漢中攻略まで四年も無いような
蜀を乗っ取った劉備に対する早期攻撃論を無視したのは曹操自身なんだよな
たしか後世の史家から「赤壁は焦り過ぎ、漢中は焦らなさ過ぎ」みたいに評価されていたような
424:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:50:58.58 GlUChc740.net
ぶっちゃけ曹魏より勢力デカかった前秦や北魏も南朝を屈服させられなかったから、統一するにはなんか欠けてたんやろな
425:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:53:55.92 GaGy/KPY0.net
>>409
曹操が赤壁と漢中で敗退したこと説明できてないからねえ
曹操未満の相手しかいないのに何で敗退するのやら
天下統一抜きでいいよ、純粋にそれぞれの戦役で何で曹操は勝てなかったの?
426:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:54:08.88 U7TfeCYc0.net
>>409
書いてある内容が矛盾しているからなのでは?
俺だったら「曹操≧劉備・孫権」みたいに書くけど
「曹操>その他w」と煽り気味に書き込んだら反発食らうと思うよ
427:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:56:32.63 jdHtbavu0.net
>>413
確かにそうですね
申し訳ない
以後気をつけます
428:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:00:19.65 U7TfeCYc0.net
>>411
前秦はだいたい西晋に準じた侵攻要領採用したけどボロ負けした
百萬の大軍を動員した上に蜀や襄陽まで保持していて負けている
何事にも絶対はないと思う
だから赤壁の敗戦には偶然的な要素が当然あったと思うし
劉備の夷陵にしたって偶然的な要素が結構左右している、張飛の急逝とかね
勝敗を有能無能で論じるのは好きじゃない
429:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:09:33.12 U7TfeCYc0.net
ただ222年~223年に魏が呉を押し切れなかったのだけはいまだに理由が分からない
あれは勝ちパターンでもおかしくない態勢、荊州なんてボロボロだったわけだから
濡須口なんてどうでもいいから荊州取りに行こうよ、曹丕さん
430:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:21:15.73 VzmYINbK0.net
>>409
Twitterよりかは今の中英板の方が居心地良いは
何だかんだ言ってこのスレ好きだし
431:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/24 21:53:56.86 xTgtRPIT0.net
天下を支配できる器>>>>越えられない壁>>>>>>曹操>劉備、孫権
だっただけ
どう転んでも一地方政権のどまりの三流人物が、その器に相応しいだけの領土支配して人生の幕が引かれただけだから
432:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/24 22:58:00.07 yBnw7cXm0.net
孫呉における江南フロンティアの独立意識の確立というのが割と曲者な要因だと思う
天下統一したり覇権を求めたりというのとは違ったポジショニング
これさえなかったら曹操にしろ劉備にしろもう少し単純な天下争覇になっていたような気がしないでもない
433:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 10:34:46.44 8wsn5Nso0.net
天下統一を果たした連中は40歳ぐらいで天下統一してるから
その頃にまだ格上がいる曹操たちは天下を治める器ではなかったのさ
434:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 11:42:57.05 HQZYhhaW0.net
前漢高祖・劉邦「え?」
西晋武帝・司馬炎「え?」
唐高祖・李淵「え?」
元太祖・クビライ「え?」
435:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 15:17:16.20 8wsn5Nso0.net
>>421
そいつらよりも出世が遅いだろ
436:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 16:59:43.91 cL+4bdIDO.net
司馬炎とクビライは統一出来なきゃ駄目だろってレベルで恵まれたスタートじゃね
437:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 18:18:03.19 8wsn5Nso0.net
器ではなく天命と書けばよかった
438:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 18:50:52.93 BcsPCv890.net
>>423
禿髪樹機能の反乱とか抱えていて伐呉は結構難易度高かったと思うわ
孫晧じゃなかったら成功しなかったかも
439:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 19:30:15.43 55Zsu0Fw0.net
何だかんだで呉は優秀だったな
440:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:23:40.87 aHGaXuvj0.net
曹操は中華(?)の統一事業はそもそも乗り気じゃなかったんじゃないかね
441:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:30:01.04 tOoGkeJE0.net
それはないと思うわ
特に某漫画が人気でてからそういう論調強くなったように思うけど
442:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:34:13.72 s97MV58/O.net
取り合えず目の前のことと、そのわずか先に起こることを考えながら必死にやってたら華北統一じゃないの
信長秀吉家康もそんな感じじゃない
443:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:43:27.63 KRG8RdKn0.net
>>427
赤壁で負けて以降内向きになっちゃっただけだろ
秦の李信にしろ前秦の苻堅にしろ南征で負けることは不思議でも何でもないし事業としてのハードルは高い
444:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:44:27.29 HQZYhhaW0.net
馬超と関中で殴り合いする頃に、関中併合=天下統一みたいな論調だった
みたいな話があるけど、どこまで本当なんだろうか
445:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:29:29.94 Ikk1FYtw0.net
>>423
隋の楊堅が北周を簒奪する際に尉遅迥らに大規模な反乱起こされたのに比べたら恵まれてるな
446:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:41:42.06 H5RD/20C0.net
>>431
蜀郡、南郡は漢代通じて戸籍人口の多い大都市圏だからその言い訳は苦しい
447:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:44:36.85 p0/1jRCt0.net
司馬炎は涼州での禿髪樹機能の乱(足掛け10年)と軍縮やりながらって縛りかけての統一だから楽ではなかったんじゃないかな。
448:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/27 06:54:23.08 uDNRNx8M0.net
>>432
宇文憲が宣帝に粛清された時点で強力な元勲は遅尉迴と韋孝寛ぐらい
能吏だった韋孝寛が遅尉迴の討伐担当してくれた時点で楊堅の勝利と多数派確立は約束されたようなもの
(韋孝寛は討伐直後寿命でポックリ)
こいつが一番棚ぼた建国者だわ
449:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/27 08:33:34.08 bUx5zTu30.net
清の趙翼も「楊堅の棚ぼた力は異様」とか書いてたしな
450:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/29 00:07:07.77 6PIsV9yn0.net
>>432
陳の戸籍人口は推定200万人で滅亡時の呉以下の国力
江陵は建国時から失っていたし六朝最弱と言っても過言ではないかもしれない
そんな陳に淮水流域を攻め落とされる北斉後主という壮絶ボンクラ
そりゃ天下統一されますわ
451:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/29 21:49:19.63 e/7SuChZ0.net
>>434
世代的にも結構ギリギリのタイミングだったんだよな
熱血軍艦ジジイ王濬があんなにハッスルしてたのは最後の漢王朝産まれだったからだろう
産まれた時から三国だった次世代以降がこいつらほど統一に意欲的になったか疑わしい
452:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:06:46.05 ULanqr8V0.net
赤壁の戦いで劉備が大して活躍しなかったみたいな論調を時々見かけるんだが
あれの出処ってどこなんだろうな
武帝紀、先主傳はおろか呉主傳でも本文において劉備が曹操と交戦したことが記述されていると言うのに
453:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:36:18.94 AQE3c5W00.net
普通に三国志演義のカウンターじゃね
演義だと、孔明が風吹かせているし、関羽が見逃がさなければ曹操は死んでた
っていうイメージが強いし
454:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:59:22.44 ULanqr8V0.net
>>440
各君主の紀傳を読んだ限りだと周瑜よりは劉備の方がメインっぽいんだけど
演義だと何で諸葛亮と周瑜が主役になっちゃったんだろう
劉備の参戦キャリアで赤壁が腫れもの扱いされてる印象をここ最近感じる
455:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 18:20:59.66 vFgSj7+10.net
そりゃ読み物として面白くするためでしょ
あくまで演義は物語なんだから
456:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 18:30:36.03 AQE3c5W00.net
腫れ物っていうか興味持って調べる人と調べた結果を受け入れる人の両方が少なかっただけじゃね
劉備を優秀な戦争屋として捉える人もいるし、きちんと史料に残ってるのを組�
457:ン立てられるなら 赤壁の戦いにおける劉備の行動も真面目に取り上げられるようになるでしょうよ まあ、俺は赤壁における劉備の戦績まったく分からんけど
458:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 19:01:47.34 zLK0j9UA0.net
劉備って演義でいい人だけど力がないから有能な部下達が王にするべく活躍する
みたいに描かれていてカリスマ主人公を好む現代人にはあんまり好かれないようになっちゃってるけど
正史だとがらっと変わっていろいろ活躍してんのにね
演義とか漫画やゲームでしかふれていないとそんな印象しかないのかも
459:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 19:20:26.24 ULanqr8V0.net
普通に考えれば曹操の大軍を周瑜らの二~三万と協同したとはいえ
戦力上の劣勢をひっくり返して撃退、荊州南部奪回の足掛かりを築いた戦勝の立役者として
劉備はもっと持ち上げられていてもおかしくないとは思うんだが
変な意見だと「赤壁は無かった」とか言う人も出てくる始末で
演義にしろそれに対する反動意見にしろ少しピントがずれているような気がするんだよなあ
460:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 20:41:09.57 n9EDq+040.net
正史触り始めの人に顕著だけど
演義がフィクションと分かってその反動で
過小評価が行き過ぎてしまう人は結構多いからな
461:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 22:31:05.86 uHYfiMCG0.net
歴史書でも正史三国志と後漢書で人物像が違ったりするから読み慣れてないと混乱するしね。
462:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:35:41.22 HmixdjHw0.net
>>439
>>443氏の
>まあ、俺は赤壁における劉備の戦績まったく分からんけど
これが主因だな
どうみても曹操と交戦していたのは周瑜率いる呉軍
劉備は江表伝だと周瑜に邪険にされていて部外者扱い
赤壁戦後の江陵攻略戦でも主力は周瑜率いる呉軍で
劉備はその隙に荊南四郡を切り取ってたに過ぎない
463:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:42:14.78 9shZE4vY0.net
>>448
江表伝採用したらそりゃそうなるだろう
464:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:43:10.03 9shZE4vY0.net
本文だけだと「どう見ても」曹操を撃退したのは劉備になる
465:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:54:47.04 uHYfiMCG0.net
周瑜伝ですら「周瑜と程普は劉備と力を合わせて曹操の軍を破った」って書かれてるからな。
466:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:56:52.09 ULanqr8V0.net
>>448
江陵攻略は周瑜メインだろうけど赤壁で曹操と主に対峙したのは劉備でしょう
どう戦ったか分からない会戦なんてごまんとあるわけだし戦績なんてあんまり気にならん
467:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:33:35.11 KY2c7o4P0.net
>>452
いや具体的な戦績示せないから劉備の赤壁での功績が評価できないんでしょ
だから赤壁の戦いで劉備が大して活躍しなかったみたいな論調になるのは必然
本文でも周瑜伝みたいに具体的な戦績がわかるように書いているのもあるから
どう戦ったか分からない会戦とか言い訳にしか聞こえない
劉備が評価されないと嘆くよりも先にやる事有るだろ
中国渡って劉備がどう戦ったか具体的な戦績書いてある古門書探すとか
タイムマシンで赤壁行くとか霊媒師で赤壁戦戦った兵士呼び出して聞くとか
何でもいいからとっとと劉備の戦績探して来いw
468:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:39:29.64 GdpzFUxD0.net
>>453
武帝紀本文に周瑜とか出てきてないから周瑜伝の内容って粉飾塗れの自己申告だろ
魏では周瑜に負けたという認識なかったわけだし
469:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:42:54.46 gBjyuPBZ0.net
>>453
久しぶりに香ばしいのが来たな
470:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:49:55.53 OLkjej3Q0.net
劉備主戦説の人は劉備がどのように曹操を破ったと想像してるの?
471:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:53:12.53 09aZMajr0.net
周瑜主戦説の人は魏書に載ってないことどう思ってんの?
472:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 01:10:59.71 OLkjej3Q0.net
>>457
いや煽りじゃなしに真面目にどういう経緯を辿ったと考えてるのかが知りたい
473:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 02:39:25.98 aNL04/Pq0.net
ネットの又聞きになるけど
赤壁前後の劉備は一度周瑜と合流した後、襄陽から来る趙儼率いる七軍(張遼、于禁、張コウ、朱霊、李典、路招、馮楷)を拘束するために別行動取ってるみたいだな
その後赤壁で周瑜・黄蓋が曹操軍を火攻で打撃与えると、劉備は撤退する曹操の追撃を行ってる
(曹操は更なるダメージを追うけど、劉備の追撃自体からは逃れることには成功した)
この辺の経緯がどれだけ信憑性があるのか俺には判断できないが
曹操率いる主力を打ち破ってるのは周瑜・黄蓋という意味で周瑜主戦説は正しいし、
劉備が趙儼軍を拘束し続けたことも赤壁の勝利の一要因にはなってるので、劉備が赤壁で無為だったというのは誤りではあると思う
ただ赤壁の戦いが、劉備が主戦の戦いであったと主張するのはちょっと飛躍が過ぎる気がする
474:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 07:14:28.18 GdpzFUxD0.net
>>458
「十月以降、夏口で態勢立て直した劉備が孫権と同盟して、周瑜程普軍と?迸・并力して赤壁で曹操軍と戦って
最終的に疫病等で戦闘継続が困難になった曹操が江陵まで撤退した、さらに曹仁を江陵に残して北帰した
この際に劉備と周瑜は江陵までの追撃を協同して行っている」
周瑜伝の詳細な戦闘経過に劉備が出てこないから劉備は戦闘参加していない、は飛躍だろう
それだったら武帝紀も先主傳も呉主傳も全部嘘書いているという話になる
むしろ呉の立場からしたら「うち単独で曹操撃破しました」って書くべきだろう、実際はそうではない
それと劉備が別動隊みたいな意見をよく見かけるけど
并力したという記述はあっても、赤壁とは異なる戦場で作戦してた記述なんてあったっけ?
475:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 07:56:25.71 5FFwNs1d0.net
>>458
煽りなんだけど結局赤壁での周瑜との戦いが武帝紀に載ってないことの理由って何なの
交戦している相手を間違うなんて本当にミステリーだと思うわ
476:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:08:10.75 6j6qD3sv0.net
曹操あげがはじまってから過剰に劉備下げようとする人いるからね
477:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:26:37.22 5FFwNs1d0.net
通鑑で周瑜メインな記述になっていることが演義やら創作物に与えた影響は結構大きいと思っている
通鑑読んでいると「劉備何やってたんだ」とはなるもの
478:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:57:55.93 OLkjej3Q0.net
>>461
魏の撤退前後に周瑜とも交戦、被害があったが魏としては打撃を受けたと感じなかった
主に魏軍の追撃を行ったのは劉備で、そちらの方が被害が大きかった
これで一応の矛盾は解決する
自分としては疫病が赤壁敗退の主要因だと考えているので、別に劉備を下げているつもりはない
というか>>459>>460と同じで別に劉備が全く交戦してないとは考えてないわ
ただ、孫権と同盟を組んだ時点では劉備の戦力の方が少ないはずであるし、呉の存亡を賭けた戦いでもあるのに劉備が戦いを主導したと考えるのはその後の荊州のいきさつを見ても疑問が残る
479:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 11:59:20.18 5k8S6x1j0.net
>>455
多分三戦の蜀滅亡スレでも証拠出せとか変な絡み方してた人じゃないかな
あっちの新スレ立たなかったことでこっちに人流れてきたみたいだし
480:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 14:52:52.45 aNL04/Pq0.net
曹操が周瑜に敗れたとするのは多分、後漢書献帝紀の影響かもね
献帝紀だと孫権の将周瑜に敗れた、としか出てこない
481:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 21:44:19.45 pGY3yRxi0.net
魯粛伝だけ劉備がカッスカスに書かれてるのは不穏
482:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/05 16:53:58.39 zmlgjMPh0.net
そもそも呉志は怪しい記述のオンパレードだしなぁ
483:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/06 10:42:42.98 UCjN0tHq0.net
陳寿が韋昭の「呉書」からコピペしたん
じゃないかと。
そもそも蜀志だって陳寿の地元関係者(馬忠や張嶷や王平)や学友関係(譙周ら)と仕事関係(姜維ら)はみっちり取材してる感じだけど他は結構ガバガバ。
484:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 07:37:19.78 lp6Ug88U0.net
袁術の徐州侵攻の時って袁紹(袁譚)、曹操の救援は期待できなかったのかな?
485:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 08:33:01.61 Ly9AT0TI0.net
呂布いたから頼みづらかったのかね。
486:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 09:42:58.24 vBG2aWMKO.net
>>469
電車とか電話やメールがあれば、行動範囲もぐっと増えただろうから色々と調べやすかったろうにね
487:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 10:01:50.19 khg4atYa0.net
フィールドワークみっちりやってる司馬遷は神
488:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 13:34:53.02 L/MXNlst0.net
最速の移動手段がお馬さんだった時代
489:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 13:54:29.95 5PWvGlI70.net
しかもこの頃まだ竹簡メインで紙は超高級品
490:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 17:13:31.96 R88dp3Ur0.net
袁術って最後があれだから過小評価されてるけど
呂布も曹操も劉備も袁術にはビビってたんだよな
491:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 17:37:48.68 8l8fp2T70.net
一時は最大勢力だしなあ
492:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 19:29:07.74 IOXNmSji0.net
中華を二分した袁術と袁紹がいなくなってやっと曹操や劉備の時代だからな
493:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 22:19:05.36 01nLC9Tn0.net
後漢書だと二袁がメッチャ強いもんな。
494:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 22:53:01.72 UDI5H6oU0.net
関中の董卓、華北の袁紹、南陽の袁術による三国志
495:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 20:49:22.24 Gqxd3QSi0.net
協調性ゼロの関羽の突っ走り。
蜀を建てた孔明もこれにはヨイショしても抑せるようなものではなく、関羽を喪ってからの主君の自虐ももはや躊躇うものでもなかった。
主に殉じた形で北伐は行われた訳だな。
劉備のカリスマは貧農らにはそれなりだったのかな?
496:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 21:25:15.03 oQFgFk/10.net
君定期的に話を逆行させようとするね
もう新しく人が入ってくることなんてそうないんだからさ…
497:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 22:06:30.58 YjN1ZFnP0.net
>>480
南北朝テイストがぷんぷんするな
498:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:31:10.02 j4BHn9t30.net
陶謙がアップをはじめました
499:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:35:24.45 7i4lRqLU0.net
陶謙も五胡とかの10年くらいで潰れた君主のテイストが
500:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:59:48.63 N0SVj3PE0.net
後漢末の群雄割拠は永嘉の乱直後や前秦崩壊直後の華北と似たような状況やね
東晋元帝司馬睿ですら当初は一群雄みたいな存在だった
501:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 12:01:26.09 lUoq4SOP0.net
胡人のお兄ちゃんがいないだけだからね。
502:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 19:26:27.20 rgCCuWLX0.net
>>483
後漢末とその後の魏晋南北朝の最大の違いは関中政権の独立性の強弱かな
後漢末の関中はへっぽこ過ぎる
503:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/13 23:45:23.89 Erfrx1Yn0.net
やっぱ最近の通説通り、侠者の元には“阿保”しか寄ってこないし、支持する層も普通より教養も教育も無い人らが大半だった訳な。
そんなんらを相手に国を立ち上げたカリスマってのは凄い事だと思う。警視総監になるより、司忍になる方が凄いと俺は♂として思う。
504:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/14 09:00:41.24 gpNqzu0t0.net
どこからツッコめばいいのこれ(困惑
505:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/14 14:02:55.94 W/N9gsyT0.net
>>488
その頃の関中は原哲夫感が足りない感じ
506:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/15 23:11:04.05 8yO3gxtd0.net
>>412
先月の九州場所で横綱白鵬・日馬富士・鶴竜はいずれも大関稀勢の里に敗れたけど
何で白鵬・日馬富士・鶴竜は勝てなかったの?
>>461
大坂の陣で徳川家康が戦った相手(大将)は誰?
ちなみに真田信繁・後藤基次・明石全登・長宗我部盛親・毛利勝永とかは大将じゃないよん
507:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/16 21:52:47.87 WOM+Y08V0.net
>>491
馬超さんとか三国時代よりは圧倒的に五胡十六国時代向きの人材だろ
あの人おかしいよ
508:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/17 08:51:09.75 S26sF37V0.net
馬超さんSAN値が最初から低そうだしな。
冉閔とか赫連勃勃とかとどっこいどっこい
509:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/17 16:26:42.86 96xiyeuA0.net
関西の武将は儒教の理の外にいる世紀末系が多いから仕方ないね
510:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 10:56:31.12 YhhecvUM0.net
孫晧さんも最初からSAN値ゼロっぽい
511:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 19:51:52.65 4/CEtLy40.net
腹減ったら中原に出て来て殺戮の限りを尽くして飯全部持って帰って行く
李カクさんに比べれば可愛いもんだろ
512:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 19:53:19.77 4/CEtLy40.net
天下統一と直接関係ないとは思うが、徐州時代に田予と別れたのは劉備軍にとって
結構大きな穴だった気がする
513:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 21:45:52.22 FalAfMTI0.net
>>487
南匈奴や烏桓がすでに騒乱の面子として登場しているから
そこまで五胡十六国時代との隔絶は感じなかったりする
2.笮融さんとか生まれる時代を間違えてるわ
514:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/19 08:16:58.33 RjIiLbqX0.net
>>498
幽州の有力者を徐州まで連れてきちゃいかんでしょ
515:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/19 18:33:27.06 QRl5gt8N0.net
>>496
孫皓さんは孫峻・孫チンらの政争を見てきてるから身内に対して不信感が強かったし
そのうえ即位する直前に蜀が滅んで交州が離反してるからもうだめぽってなってたしなあ
なまじ聡明だっただけに先が見通せてしまってノイローゼになった感じなんだよな
516:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/19 23:03:25.34 D4zwbQiz0.net
>>500
田豫が幽州の有力者になったのは劉備と別れてから
それまでは劉備の可愛い舎弟
517:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/20 02:20:38.08 io/rt2Wz0.net
田豫さんと別れたのは劉備にとってはかなり痛いよね。
しばちゅうさんからも先輩として立てられてたし
518:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/20 10:42:55.97 wMJKCiHeO.net
田予「知らない土地はもう嫌や」
519:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/20 10:45:14.90 5SBgV1vR0.net
簡雍「情けないやつ!」
520:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 01:57:57.55 WTmWYrTR0.net
他力本願だが宛城の戦いで曹操が死んでいれば、劉備には少なくともチャンスは回ってきた
521:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 04:48:54.65 XV2yqUR70.net
仮に宛城で曹操が死んでいたとしても、その頃の劉備なんて呂布にやられてて
曹操が助けなきゃどうなっていたか分からない状態だったでしょ
そこを切り抜けたとしても、すぐに袁紹の勢力が公孫サンを下して断トツの勢力になるし
官渡の戦いも起きないから中原をあっと言う間に統一するはず
それを逃れていたとしても、曹操の官渡後の袁家掃討に費やした7年間のような自由時間もないし
劉表は親袁紹だしで、むしろノーチャンスになってる可能性も高いんじゃないかな
522:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 12:05:09.17 O8K8Ostt0.net
袁紹死後の混乱に付け込むくらいしかチャンスないな
523:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 12:46:13.72 836bn6oc0.net
曹操が急死した段階で献帝政権のレームダック化不可避となるからカオスになるとしか言いようがない
献帝が物理的に退場した時点で劉焉、劉表あたりが王号僣称しても驚かねーわ
地方軍の力が強大な東晋みたいな王朝が一足先に生まれそうな予感
524:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 12:49:38.99 836bn6oc0.net
劉備はそんな中でも取り敢えず献帝のことは支えようとするんじゃねーかな
何だかんだで豫州や徐州の士人たちは曹操の代わりに劉備を持ち上げそうな予感
525:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 15:16:11.09 DTpR6fAf0.net
献帝の最大の庇護者が曹操ってオチ
526:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 16:04:09.77 nA9dbYTF0.net
>>511
曹操暗殺計画の糞さが実感できる
527:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 16:22:03.80 QyPODmX+O.net
暗殺計画が献帝から出たものばかりなら、さすがに廃帝させられそうだが
528:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 18:05:43.16 Yu8ieVCa0.net
>>503
痛いどころでないな
219年初の侯音の乱で混乱した南陽郡を
田豫が南陽郡太守になって鎮撫したのが
ちょうど関羽が襄樊攻めてた時期
関羽も田豫や徐晃ら親交深い旧同僚に進撃邪魔されているのが泣ける
本当に同僚(士大夫)に嫌われてるのな関羽は
529:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 18:55:58.92 S/BaQ+Yx0.net
田豫さん胡人コロコロ以外にも地方官としても優秀だからな。
530:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 19:44:14.87 WTmWYrTR0.net
田豫、黄権、徐庶、陳登、糜芳、孟達などの有能な人達が他勢力に加わったら勝てるものも勝てない
531:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 20:33:21.98 uodQeVsD0.net
・中原の争いからの脱落
・荊州陥落
・夷陵の大敗
大きな原因としては、この三つが転機じゃなかろうか
中原の劉備は、何気に各勢力の尖兵的立ち回りだったが、そうなると曹操に付くのが
結局正解なんだなぁ
そうなると曹操裏切るタイミングになるが・・・・
532:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 22:32:44.15 QyPODmX+O.net
>>516
糜芳は光栄ゲームと失態で留守番イメージで、優秀なイメージがなかなかわかない
曹豹もか
533:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/22 12:33:25.74 HAQ3Uhgw0.net
>>517
曹操が霍光的なポジションで終わりを全うしてくれれば劉備的には何ら問題なかったと思うよ
漢王朝の建て直しは成功し劉備も曹操に次ぐ元勲として顕彰されて万々歳のハッピーエンド
534:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/22 13:50:54.28 nHBnGREB0.net
仮想戦記 曹劉伝
535:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/22 17:27:35.30 Gfx1znmC0.net
曹操暗殺計画がなければ劉備はそうなったんじゃないかなあ
統一も曹操の代で完了
536:した可能性ある
537:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 13:30:31.09 xTXqaxMe0.net
曹操って暗殺にしろ合戦にしろ
いつ死んでもおかしくなかったシーン多すぎるよなw
538:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 13:58:17.42 Rme/AZW50.net
献帝を担ぐまでだけでも2~3回は死にかけてるからな。
vs徐栄(乗馬を失う)vs丹陽兵(自ら白兵戦に及ぶ)vs青州黄巾軍(友人の飽信が戦死し死体が見つからないほどの激戦)vs呂布(濮陽を攻略中に呂布に襲撃され落馬して火傷を負う)
強運は創作だと劉備のイメージだけど実際は曹操だよね。
539:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 14:41:52.46 I365aN470.net
正直、曹操はどう考えても主人公補正掛かってるだろ
っていう展開多すぎて困る
540:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 14:48:09.56 GiHeExao0.net
そんな中で劉備はどうしようもないくらい二番手なんだけど
曹操食っちゃうくらい魅力的だったのが両者にとっての不幸だったんじゃないのかな
541:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 15:17:49.44 dumjexB70.net
劉備が曹操裏切ったのって、袁紹に分があると思って寝返っただけだろ
献帝の密勅があったため、なんて袁紹への手土産(劉備がでっちあげた)か 後世の創作
542:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 15:33:01.29 LNoJ31EmO.net
断れば殺される状況で、曹操に密告したら世間から大非難されるとか
543:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 20:02:16.70 5MMsciS80.net
劉備は上れるとこまで上り詰めたかったんじゃないのか
陶謙を暗殺して徐州を譲り受け、皇帝を庇護する曹操が邪魔なので袁紹に組みし、
民衆を盾に曹操から逃れ、劉章を攻めて益州を奪い取った
こう考えた方が普通だろ・・・・・
544:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 20:16:34.30 U0EQVdvE0.net
>>528
脳内設定はちょっと…
545:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 20:35:10.41 vxqD4KVV0.net
>>526
あれって劉備が寝返ったことで一気に袁紹有利になったみたいな考察なかった?
普通に考えたら献帝推戴している曹操の方が有利なような気がするんだよね
袁紹冒険しすぎだろう
546:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 21:20:08.37 zAmaT9fR0.net
>>526
劉備は曹操の下を離れたあと袁紹の下には向かってないんだよなぁ…
結果的には曹操に身ぐるみ剥がされて転がり込むことになったけど
547:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 21:20:56.39 zAmaT9fR0.net
>>528
あの状況で陶謙殺してまで徐州手にするメリットってなんですかねぇ…
548:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:12:02.09 3d+pxYK80.net
>>531
徐州で曹操に反旗を翻すとほぼ同時に袁紹に同盟申し込んでるよ
裸一貫で袁紹陣営に転がり込むより、徐州引っさげて同盟って形とったほうが
自分の値を高く売れる
549:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:25:34.16 LNoJ31EmO.net
>>530
暗殺計画辺りは袁術健在だし、徐州着いた直後に反乱ならともかく、倒した後だしな
曹操裏切るなら、袁術見逃した方が良いような
550:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:33:36.17 a4/q/PCj0.net
劉備は袁譚の茂才の推薦人だしな
551:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 09:18:10.65 p3vVIT9R0.net
>>534
観察復興を掲げるのなら僭称皇帝袁術は不倶戴天の敵
それは曹操も劉備も一緒
敵の敵は味方という法則は袁術に関しては曹操も劉備も何故か通用してない
劉協が偽帝と考える袁紹や
漢からの官位が低くて霹靂している孫策にとっては袁術はそこまで悪の存在ではないか
552:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 10:33:29.19 hbjptiyFO.net
偽帝と考えるなら、袁紹が自分で皇帝を担いでも良かった�
553:ネ その董卓みたいな厚顔さの無いとこが、天下狙えなかったのかな
554:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 12:08:46.37 VimTL5iL0.net
劉虞さん担ごうとして断られたからな。
まあ二袁の場合献帝劉恊への嫌悪感なんだろうけど。
555:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:13:12.03 cWfvARYj0.net
>>528
基本的に劉備って糞野郎だよね
556:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:22:27.99 Pc3pDjk80.net
>>539
袁紹ほどではないと思う
後漢末期の群雄割拠って何でああなったのか未だに分からん
許昌の朝廷は袁紹から官位剥奪して庶人に落とすくらいの強硬措置取れよと言いたい
557:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:26:21.73 fFfGTipa0.net
昨日あたりから病的な劉備嫌いが現れてるような…
558:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:31:01.94 uOeqZ0iX0.net
後漢の皇帝って東晋や明の次くらいに地位が安いからな。
皇帝が率先してリーダーシップとってたの和帝ぐらいまでで後は宦官や外戚のオモチャ扱い。
霊帝は再評価の向きあるけど
559:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 14:29:56.98 pTAhkhSq0.net
>>541
え?結構前から住み着いてるだろ
560:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:13:32.27 UwmX4Ija0.net
まあ董卓系は置いといてまずは2袁の争いがありきだからな
曹操だって最初は袁紹陣営でしょ
逆に劉備は公孫賛=袁術陣営だった
・袁紹派・・・曹操、劉表
・袁術派・・・孫堅、公孫賛(劉備)
んで呂布が東に逃げてきた当りからごちゃごちゃしだしたとw
561:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:40:33.10 hbjptiyFO.net
>>540
それだけの一大勢力だったんだろうけど、袁紹は袁紹で世の中を引っ掻き回すほどの度胸がないと
移民いらねトランプに対して、移民いらねと言おうものならネオナチ扱いな欧州みたいに、悪いとわかっていても萎縮させて、ズルズル悪い方に向かわせる変な空気があったのかも
562:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:48:02.39 Ac2o2cFk0.net
>>544
曹操の徐州侵略も袁紹の指示って説あるしな。
何人か袁紹から指揮官が派遣されてるし
563:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 10:58:25.39 5didB7Cw0.net
んで袁術派の陶謙の救助に行ったのが同じ袁術派の公孫賛の部下劉備なわけで
564:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 11:37:29.47 S3RqMosiO.net
そしてしれっと袁紹派に鞍替えする劉備
劉備が徐州維持出来なかったのって必然的だったのかな
565:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 11:50:23.27 5didB7Cw0.net
呂布による混乱で一時的には曹操が漢滅のピンチになったけど
結果的には袁術派が弱体壊滅して曹操が飛躍するきっかけになったな
劉備が袁紹側になったのは曹操との敵対が決定的になってから
566:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 12:52:12.37 MaHajtP50.net
ふつうなら裏切りゲス野郎の方が責められるとこだけど
うまく「曹操が悪者だから裏切られて当然!劉備さんステキ!」みたいな風潮作ったよなぁ
やっぱ献帝の密勅って創作だわ
567:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 14:16:08.36 S3RqMosiO.net
劉備善玉化は魏晋の統治がgdってたから悪いとしか
異民族の圧迫で華北から追い出されたって状況があるとはいえ
568:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:22:54.54 1qwkLZWJ0.net
劉備はなんで最初に袁紹を選ばなかったんだろうな
両者にコネあるなら公孫瓚に付くよりはマシな選択肢だと思うんだが
569:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:40:35.79 T6Tqt6+7O.net
鶏口牛後的な選択かな
570:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:43:43.94 T6Tqt6+7O.net
袁術は今で考えているより、勢力があって有能だったのかな
571:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 19:21:26.57 VxvTa3kD0.net
そら董卓亡き後の中華は袁紹袁術の二大勢力の争いだし当初は袁術の方が明らか有利だったからな
袁紹に義理があるとか袁術に恨みがあるとかじゃなければ袁術に付くのは全くおかしい選択じゃない
572:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 19:27:41.90 Yx10+A0H0.net
なお袁紹の腹心でありながら何故か袁紹の意に反して献帝を奉戴し混乱に拍車をかけた曹操とかいうトンチキもいた模様
573:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:10:47.46 05ojkJZD0.net
そのトンチキが二袁を食い尽くした後に劉備とかいう更に上をいくトンチキに足元掬われてるんだから
歴史は意味分からんよなあ
574:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:24:27.20 1qwkLZWJ0.net
>>555
まぁ袁紹対袁術で見たらそうなんだけど、対公孫瓚で見た場合は違くないかなぁと
逸話によれば明らかに性根曲がってるし将器も二流止まりな感じだし
権力的な意味でも公孫瓚繋がりの袁術派より袁譚繋がりの袁紹の方が良いポスト貰えそう
劉備が最初から袁紹派として活躍してたら官渡も結果変わってたかもしれないは言い過ぎか
575:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:57:52.63 5didB7Cw0.net
袁術は元々袁家の地盤をそのまま引き継いだのに対して
袁紹は自ら切り取っていったからな
序盤に関しては袁術の方が有利だった
576:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 21:14:05.28 yFsR/V550.net
袁紹も流石に曹操ほど酷くないけど結構危ない橋渡ってるからな。
577:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 21:43:09.86 T6Tqt6+7O.net
大塚家具の親父と娘と、どちらにつくかな感じかな
喧嘩した時は娘が有利で、今は客足いまいちだとか。
でも、また娘が逆転するかもしれないし
578:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 02:13:35.93 bj1DDqib0.net
河北の争いも公孫さんの方が勢力が大きかった時期もあったような
579:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 02:52:43.95 LhxJPlpn0.net
公孫瓚は戦争だけはやたら強いからな
界橋で惨敗するまでは威勢良かったし
580:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 09:03:35.49 YyKfVBey0.net
>>525
生き方がドラマチックすぎるからね
ただ態度や振る舞いがラスボス向きだからカスタマイズする必要があったみたいだが
581:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 09:09:00.50 VlLXHVd10.net
>>560
一番危ない橋渡っているのは袁紹のような…
582:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 15:27:05.97 uzYmy+b5O.net
呂布に裏切られた時、劉備は袁術討伐命じられてたはずだけど、幾ら勅命とはいえ名主を良く討つな。
その頃には曹操派に鞍替えしてたのか、袁術と打ち合わせして、グダグダな戦でもやってたのかな
583:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 16:34:03.19 FpomnsH40.net
そもそも陶謙が生前に袁術に背いたから陶謙から徐州引き継いだ時点で劉備は
584:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 16:36:27.64 FpomnsH40.net
途中送信だよバカ野郎
徐州引き継いだ時点で袁術からは既に敵対行動を受けてる
だから最初劉備が徐州引き継ぐの渋ったのは多分様式美じゃなくてガチの本音
585:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:03:30.74 1p20vDas0.net
全盛期袁術がどのくらいの勢力だったのかイメージできん
あれだけボコられておいて何で勢力保ち続けていられたんだ?
586:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:07:15.03 YyKfVBey0.net
>>569
南陽郡が当時最大の人口集積地だし
敗走してから揚州北部を即座に接収して全盛期を迎える
なんだかんだ言って陛下、戦以外は上手いんだよ
587:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:28:47.30 uzYmy+b5O.net
対立してるなら、わざわざ陶謙とこに何しに行ったのだろう
公孫さんの命令で行ったものの、一国一城の欲にかられたか
みんな行き当たりばったりで、大局的じゃなさそうだし
588:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:23:13.45 YyKfVBey0.net
>>571
徐州が曹操に取られたら青州は包囲状態に
589:なるから
590:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:30:26.07 5eu032AH0.net
>>571
救援行った時点ではまだ陶謙は袁術派の態だったはず
陶謙は袁術に背いたというよりかはいうこと聞かずに好き勝手やるようになって疎まれたって感じのような
だから恐らく劉備に徐州を譲るというのも袁術に話通してなかったんじゃないかな
そんで陛下の勘気を被った、と
591:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:40:04.78 4OQMa5KV0.net
黄巾から董卓までの劉備の活躍してる場所が青洲と徐州っぽいからそっちのほうが人気があって地盤を得られると判断したんじゃね
592:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:49:33.94 VlLXHVd10.net
劉備の祖父が県令を務めていたのが、劉備が相になった平原の隣の東郡範県だから
意外と地縁や人的コネクションがあったんじゃねえかな?
593:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:56:46.58 2ypx3JQB0.net
劉備自身、公孫瓚から距離を置きたかった面もあるんじゃないかな
結果論だが一緒にいたら零落するところを一足で徐州の主になってる訳だし
劉備の処世を見るに徐州牧もただの棚ぼたでは片付けられない気がする
594:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:02:43.13 uzYmy+b5O.net
公孫さんが後年部下を見捨てて信頼を失い瓦解した話があるけど、戦に強くても下には酷薄なとこがあって不満が溜まっていたように思う
595:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:32:19.77 bj1DDqib0.net
劉虞殺すちょい前ぐらいから公孫さんは人望失ってる感じするね
鼻の良い劉備も離れて行ったし、趙雲まで服喪を理由に袂を分かったのもその頃
596:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:50:07.38 N61Lown50.net
公孫瓚は名士を軽んじ、輩で周りを固めてたらしいからな
コネ命の中国であれ以上の大成はそもそも無理だったのかもしれない
597:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:59:19.58 VlLXHVd10.net
>>579
一応孝廉なのに勿体ないよなあ
袁紹は孝廉に察挙されていないのにあの名声と昇進ルート、恐ろしい子…
598:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 22:14:11.74 jkADsiHv0.net
母親の身分って結構重要だからな。
袁紹も袁術陛下から「袁紹は袁家の家奴」とかdisられてたし。
599:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 09:54:49.12 +JopOdEC0.net
妾腹や庶子は仕方ない
600:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:25:24.18 EApOnL0/0.net
袁術派、袁紹派って言ったって馬鹿正直に忠誠誓ってるわけじゃなくて
利害が一致してたから所属してただけでしょ
状況が変われば所属も変わるのが乱世の処世術
601:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:35:47.03 z30CXV5a0.net
袁家は章帝~和帝の頃から三公やってる名家だから故主故吏のネットワークが
ハンパないからなぁ。鳥丸とのコネクションも袁安(最初の三公)のあたりから始まってるし。
602:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:55:36.49 IEjOsONs0.net
>>583
誰があの区分始めたんだろうな
603:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:56:37.93 IEjOsONs0.net
実は袁紹と曹操の関係もイマイチ把握できてない
604:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 11:40:59.89 3eGiIZxU0.net
誰が始めたって言うかあの二人を中心にして動いていた時代が確かにあったというだけの話だからなぁ
楚漢争覇の時代を項羽と劉邦の陣営に分けて語るのと同じ
605:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 14:51:58.09 p2b5k6/y0.net
袁紹はコネクションを得ていた連中の実家から離れた場所で勢力を得たのは失敗だったと思う
606:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 16:34:58.50 8kRFjHtw0.net
どーも何か袁紹ってあんまり人間らしい感情が見えない天下取りマッスィーンみたいっつーかなんつーか
他人への態度も敵味方問わず「この袁紹の前では等しく下郎」みたいな感じだし
唯一人間らしい感情が見えるのが子供のえこ�
607:ミいきという最悪の場面という その点袁術陛下は良い悪いは別としてとても人間味に溢れていると思う 良い悪いは別として
608:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 16:52:53.86 QSwQij/R0.net
袁紹て対董卓連合の盟主なんだよな
序盤は袁術よりリードしてた印象
609:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 17:00:53.63 pOPL3uKB0.net
>>589
袁術は袁紹に嫉妬ばかりしている狭量なイメージしかないんだが
「侠」についてもファッション感覚っぽい感じだし
人間臭いと言えば人間臭いが…良いところってあったっけ?
610:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 17:10:58.94 Dd0t8nmX0.net
董卓連合は名は袁紹、実は袁術ってとこじゃないか
611:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 18:25:57.05 8DIYohom0.net
袁紹のほうがアニキなんだっけ? だから庶子だけど袁家の御曹司として扱われてたって
612:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 19:39:48.20 +JopOdEC0.net
中常侍に一族の人間がいて袁術パパンの袁逢やその弟はその結びつきで位を得たけど
袁紹パパンの袁成はそういう人物じゃないから声望があったとかって話もあったような
まあ袁紹は袁成の実子で袁成が早逝したから袁逢のとこで育ったとも
袁紹が袁逢の庶子だから袁成の養子に出されたとも言われてる部分だし、諸説あるようだけど
613:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 22:56:23.26 b+LIAQc30.net
袁遺 袁術 袁紹
614:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 01:08:46.15 p4U5ncYc0.net
なんとなくだけど 袁紹の字の本初とかって どういう意味でそう付けたんだろうなあ
曹操は子に「子○」って付けてたみたいだけど、袁紹の実母兄弟らも「本○」なんだろうか?
三国志時代の「本」って漢字は どんな意味合いのものだったんだろう?
字じゃないけど文醜とか酷いのもいるからすげえ時代だよなあ
615:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 16:15:07.43 avbJ1FhS0.net
>>596
文醜が顔良と一緒に袁紹軍にいるというのが何ともね
616:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 18:24:36.36 0zHJZevT0.net
文醜の本名は「文丑」じゃなかったっけ?
文醜を化け物みたいな風貌に描く三国志関連創作物は有っても
顔良を絶世の美形に描く三国志関連創作物は皆無なのが(ry
617:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 20:06:07.33 gVpq8vvx0.net
文丑はただの簡体字表記だろ
618:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 20:31:57.82 Qrfeg7WK0.net
袁紹は「紹」(継ぐ)と「初」を対比させているタイプの字じゃないかと
袁術は逆に「術」と「路」という同義字を使ったタイプ
619:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 23:38:56.61 4JAWJCFG0.net
顔良
孔子の弟子で、清貧で知られた顔回の子孫。
唐代の文人・書家として名高い顔真卿・顔之推は遠縁にあたる。
620:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 00:08:17.55 DXLZqg/J0.net
>>599
URLリンク(ja.wikipedia.org)
簡体字の「丑」は「チュウ」と呼んで干支の「うし」だな
繁体字とは全然意味も読み方も違って奥深い
621:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 00:50:27.67 rR8XulTJ0.net
>>596
一説に本初元年(西暦146年)生まれだからとかいうのもある
ただこれだと曹操より10歳位年上になるからおかしいという人もいる
622:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 01:41:42.89 maFK451S0.net
>>596
URLリンク(blog.sina.com.cn)
袁紹の字はなぜ本初なのかここで推察されてる 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a1694171c52d18691058ee628c4f7c04)
623:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 19:27:47.67 HK5Hly880.net
袁紹と劉備は演義最大の被害者だと改めて思う
624:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 21:11:34.16 MGSlwSZ3O.net
劉備が蔡帽や蜀に警戒されているのも、この処世術の上手さだと仕方ないか
公孫さんからの離脱にしても、かなり辛抱強くて、タイミングがあったら泥すすっても一気にいく感じかな
625:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 08:38:55.80 z0e1FZVT0.net
大徳さん経歴だけみたら「なんやこの大耳……義理ワンやん」だからね。
626:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 18:13:42.58 bsM53b1jO.net
劉表が劉備に国譲る下りは陶謙と被るけど、裏で運動してるのかな
627:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 18:54:16.04 LTOJc1CI0.net
それは演義のお話なのでなんとも
実際には劉表は後継を決めずに死んだので劉備は長子の劉琦を支持した
蔡氏と蔡瑁の一派は蔡氏の実子の劉琮を後継に立てるために長子の劉琦を排除しようとしたので劉備と敵対することになった
劉表の遺臣は大半が蔡瑁に付いたので命の危機を感じた劉琦を劉備は江夏へ逃した
というのが劉表死後の流れ
628:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 20:57:24.01 bsM53b1jO.net
お気に入りや才能で後継者に迷うと乱の元だな
ちびまる子でじゃんけんは釈然としないが、変な説得力があるとか書かれてあったけど、後継者は長子というのは一応の説得力があるのかな
629:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 00:21:20.42 iy2FpuG80.net
ついでに曹操は劉琮も蔡瑁も殺してないw
630:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 02:24:52.47 BkqXGRM60.net
その辺りは正史三国志より後漢書の方が丁寧に書いてるはず。
631:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 03:07:16.05 lB/oI+3F0.net
>>610
それは儒教の五倫にある長幼の序ってやつだな
最も長く親に仕えることのできる長子が最も孝を尽くすことができるため
最も尊重されて親の後を継ぐのも当然という儒教的価値観
儒教の世界では普通のことであの時代なら
長子以外が後を継ぐと家が潰れるとかそういう次元でとやかく言われる
632:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 05:59:57.52 LXNs+W430.net
三世紀でそれかー
633:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 06:33:00.78 J7WbNYI4O.net
>>613
儒教的価値観以前に、それまで人が培った経験による知恵のように思う
長子が継ぐものというのは、不公平だけれど間違いが少ないというか。
間違いがないわけではない
634:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 07:27:00.66 shxEmaiJ0.net
遊牧民とかは末子相続
635:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 07:34:44.01 AbsFe6LK0.net
遊牧民は生前分与で独立させてるから結果として末子相続になるだけやぞ。
636:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 14:41:54.74 xtZKtWsg0.net
日本国民のために命をかけて悪と戦っている警察の方に
おしっこを出せと命令されたのにかわりに茶をだしたASKA
与党議員を盗聴している、本省の課長級以上の国家公務員の私邸を盗撮している、と言って
日蓮上人の正法を護持し、日本の真の国ぷ主であり平和の王者である池田先生と創価学会をネットで誹謗中傷していた奴ら、
おまえらは、全員ASKAと同じ精神障害ということで警察官に逆らう詐欺師と言う事にこれではっきりとなった。
警察官の3割強はわたくし達創価会員で占められている。
ASKAは必ず再逮捕され
637:、拘置所内で自殺と言う事で間違いなく処理される。 おれたちは絶対負けない。 創価の敵対者達も必ず仏法の力で破滅する事になる。
638:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 14:42:20.51 xtZKtWsg0.net
警察では池田先生から仏法の教えを受けた警官が日々身命を惜しまず働いている。
ASKAの味方をする奴は全員統合失調の薬物中毒者と言う事にもうすでにもうなったんだから、
おとなしく観念しろ。
創価が与党議員を盗聴している、本省の課長級以上の国家公務員の私邸を盗撮している、
という疑惑を流している奴らも同罪ということになる。
池田先生は魂の指導者で日本の国主なのだということは、全世界が認めていることなのだから、
もし仮に公務員や一般国民の生活をご照覧になって指導されたとしてもそれは当たり前のことだ。
このスレにそんな馬鹿は居ないと思うがASKAに肩入れして警官や盗撮の悪口を言ってるやつは
IPアドレスから住居を突き止めて六道地ぴ獄を永久に廻る仏罰をくだしてやる。
639:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:22:32.13 uLYZ0LnAO.net
曹操と信長て似たような人物に挙げられているように思うけど、部下にそう裏切られていない曹操の方が比較的苛烈ではないのかな
640:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:33:21.86 NEVd6hPM0.net
そもそもぜんぜん似てないやろ。
だいたい中国史で日本の戦国時代に近いのは安史の乱以降の唐王朝やし。
641:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:39:41.78 fHkXR+d+0.net
だいたいコーエーのせい
642:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 15:06:38.18 uLYZ0LnAO.net
>>621
雑誌なんかでちょくちょく引き合いに出されていた記憶がある
643:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 15:12:32.89 /9EW0L/J0.net
家康がもっとも恐れた男 曹操
644:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 23:39:30.16 YG/I6xLu0.net
中国の他の時代はまだまだスポット当たってないししょうがないね
まあ曹操と信長の共通点は時代の風雲児ってとこかな
あと司馬懿と家康も似てるって言われるね、辛抱強くて天下を取ったってとこらへんだろうけど
645:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 00:31:56.99 vlDzWe6J0.net
>>625
ゲーム的には三国時代以外は無風に近いが
書道や漢詩のジャンルだと六朝・隋唐あたりの時代は異彩を放ってる
三国はこの手のメインカルチャー分野では草創期過ぎて正直ショボイ
646:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:07:46.77 BTw+h+aw0.net
曹操と信長はその時代には似つかわしくない
合理的な思考って部分が似てるから言われるんでないのかな
647:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:31:04.36 ODZxr7rr0.net
杜甫の出現まで詩聖と謳われていた曹植がショボイとはこれ如何に
648:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:41:33.28 vROexQ/W0.net
>>628
六朝期でも陶淵明や謝霊運とかもいるし、曹植は別に隔絶した存在ではない
技術的には押韻やら平仄やらでどんどん技巧化していったわけだし
六朝は詩人の絶対数が多いから、相対的に見て三国は不利なんよ
649:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 03:28:58.68 3nonAnLX0.net
>>627
ノブのキャラづけなんて戦前は荒れ果てた禁裏をみて泣き出す勤王の士ってキャラづけやったんやぞ。
革新派ってイメージは国盗り物語当たりからのイメージ。
最近は本能寺の変の真実が売れた事で
「意外と保守的で暴虐エピソードの大半は後付」ってなってる。
650:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 03:34:02.49 3nonAnLX0.net
>>629
そもそも三曹(曹操、曹丕、曹植)が
出てくるまで詩文はメインカルチャーじゃなかったもんね。
文帝様が「建安七子」つって文学サロン立ち上げたり文学評論や文体の改造やったりするのもこの時代が最初やし。
651:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 08:47:06.05 3hGNAPb+0.net
>>631
こいつら詩文を大々的に取り上げたってことになってるけど、賦の延長線上だと考えるとそこまでセンセーショナルな感じはしないんだよな
長きにわたる戦乱によって楽曲が失われたせいで樂府は衰退してしまったみたいだが、もしそうなってなかったら六朝でも樂府がメインストリームのままだったような気がしないでもない
652:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 08:57:21.62 3hGNAPb+0.net
樂が儒教的に必要な徳目とされていたかと思うと、本当に昔の貴族たちは多才さを求められていたんだなあと驚嘆させられる
劉備が音楽を喜んだとあるのもやはり六芸として身に付けていた教養としてだったのだろうか
653:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 19:38:54.84 DYIzH5S00.net
蜀の人口不足を解決する為に子作り推奨する政策をすればよかった
一人っ子政策の逆
1世帯8人とか強制で
654:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 21:42:27.68 FQX1/s4c0.net
食わせるだけの生産力ないじゃろ
655:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 22:41:28.06 U7gmr9M60.net
蜀はともかく呉は戦乱を免れたおかげで五胡十六国時代は栄えるんだよな
皮肉な話だ
656:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:18:33.36 l5LINU9h0.net
>>636
華北からの亡命者が推定90万人ぐらい流入してきているからな
これに三国時代は確保できなかった揚州北部や荊州北部、益州を領有できたわけだから
呉とは全然別の国家と言っていいくらい生産力も人口も違う
劉宋で戸籍人口が500万人弱だから呉の倍ぐらいいる計算になる
657:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:25:21.19 wsqBMJk50.net
呉は五胡十六国時代でなく現代が最も栄えてる感が
まぁ建康でなくて会稽とか広州とかの方が大都市になるとは
張紘でも予想できなかったのが歴史の不思議
658:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:41:53.63 Y8cOhMde0.net
劉備が侵略してこなけりゃ蜀は豊かでいられただろうに
659:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 13:27:08.48 EpEBUvBaO.net
BSNHKでヒマラヤ越える旅みたいな番組で、蜀のヒマラヤ寄りの地域は、下の川が激流で橋が架けられず、いまだに村人はロープをつたって向こう岸に渡るとかやってたな
どれだけ辺鄙な土地なんだろうか
660:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 13:41:44.52 7HG8oI2B0.net
>>639
前漢でも後漢でも蜀郡(成都)は人口稠密な地方都市圏だったからなー
産業も資源も恵まれているし、劉焉もそうだったが確かに自立したくなる地勢
661:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 14:04:13.90 Unpi5/wy0.net
唐の時代も皇帝の避難先だったから引きこもりには最適だったんだろうね。
五胡十六国の時も李雄が善政で高評価得てたし
662:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/11 12:26:52.59 ks0O/u2A0.net
>>641
成都は僻地なのに、なぜ古代から人口が多かったのか
663:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/11 13:14:23.33 6ll90MNs0.net
水があって木があって 交通の要衝だから
664:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/11 21:27:51.74 XSEkRL230.net
五丁力士のおかげ
665:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:04:09.23 2BA4d33V0.net
ほんと 劉備さえいなければ豊かでいられたのにな
666:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:26:03
667:.84 ID:igN6SUQa0.net
668:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:33:14.61 BdtTszHD0.net
別働隊を率いるチート指揮官があんまいないからな。
劉邦には韓信が光武帝には呉漢がいたけどね。
669:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 13:35:49.86 i594rsGp0.net
>>647
韓信も凄かったが、何だかんだ言って劉邦のスペック高かったのが最大の勝因だと思うわ
670:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:29:03.63 DNJz+Zf9O.net
親族はいなかったけど使える子分が多かったみたいだし、蕭何や曹参みたく、端から陳羣クラスがいるのも大きいな
劉備は劉邦より教養もあり、処世術には長けてそうだけどな
671:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:34:29.59 1cy4huWw0.net
嫁の実家も資産家だしな。
672:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:38:24.18 qHlaxC0J0.net
>>650
劉邦って元々今でいう地方の893の親分だから
子分が多いので使える人材がたくさんいたんだろうな
劉備も893な傾向があるけど893って地域を転々と放浪したりしないからねえ
劉邦は今でいうローカルな893、具体的に言うと広島の共○会のトップみたいなのを
イメージすると分かりやすい
673:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 16:51:51.19 HDZpQSP/0.net
秦代の亭長ってそこそこの地方公務員って説があったような
674:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 17:06:40.61 2J2o5y/K0.net
公務員ヤクザとか岸本才三さんやな(東映感)
675:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 20:03:43.93 0Ebsk+EN0.net
劉邦の場合は相手が隙の多い人物だったってのも大きいような気がするが
どちらも戦上手とはいえ曹操と項羽を相手にするのでは難易度がかなり違うと思う
676:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 20:23:25.40 Qc/uCsCF0.net
「ぼくは大都会の中原から来てあげたんだよ~~」
「ぼくは“あの!”曹操にも勝ったことがある 歴戦のツワモノなんだよ~」
「あ しかもぼく皇族なんだよ~」
こんな糞野郎が蹂躙したせいで蜀は・・・
せめて善政敷いてたってんならまだしも、ほとんど軍事費にぶっこみ
そのほとんどが防衛ではなく他国侵略目的の戦闘
677:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 20:37:50.07 DNJz+Zf9O.net
どの大将も変わらない
678:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 21:10:02.00 w3dw7I8g0.net
劉淵「昭烈帝は僅か一州で天下に恩徳を施したんやで。せやから後主に孝懐帝を追尊し漢王朝の後継者になるんや!」
なお、劉禅と劉協の子孫は
679:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/12 23:59:54.61 WfmeYsrA0.net
中国北部出身の劉備軍団って、
成都侵略・支配したけど言葉通じたのだろうか?
いちいち通訳通してたのかな?
680:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 02:33:44.18 dbwqtwwU0.net
1人でどんどん劉備のせいで蜀がみたいな脳内ストーリーが出来上がって
それが事実みたいになってきてるやつがいるの草生える
681:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 03:18:49.97 bgniOWKL0.net
>>660
劉備についての考察スレで何言ってるのやら?
682:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 06:08:35.66 R81ZJeMV0.net
>>661
考察にすらなってない妄想だから文句言われているのでは?
683:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 12:47:04.20 JD0g7ioO0.net
劉備厨の断末魔スレへようこそ
684:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 13:08:15.58 1xc3eE6h0.net
>>663
実質三国志総合スレなんだけどな
露骨で根拠のない毀誉褒貶は劉備にだろうが曹操にだろうが孫権にだろうが嫌われる
685:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 13:31:44.71 JD0g7ioO0.net
よちよち
686:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 14:41:30.11 OpvrF3AG0.net
そもそも蜀は蜀漢以後に豊かな土地ではなくなったなんてソースあったっけ?
晋の後の成漢だか後漢だかの時代でも元気だった気がするけど
687:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/13 17:27:39.36 lW6x4DZqO.net
北伐のイメージじゃない
688:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 08:17:47.31 eFNqXU8G0.net
北伐で疲弊はしたけど成都は無血開城だし
呉の侵略も入り口で防いでるから荒れてはいない
そもそも劉璋時代だってだいぶダメだったからな
蜀漢政権が立て直した部分だってあるだろうにな経済とか
689:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 08:28:22.07 D0oijX4k0.net
貨幣経済とか何気に蜀漢が頑張ってたりする
690:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 08:48:46.57 qIpzv5h1O.net
今の限界集落のように、若者は都会に憧れて蜀から離れて荊州や長安に流れてしまったのだろうか
691:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 10:20:04.51 91meIPW50.net
>>670
西晋代の戸籍数は南郡(11県55000戸)>蜀郡(6県50000戸)>京兆郡(9県40000戸)の順番なんだが
むしろこの中だと成都が一番の大都市の可能性すらある
692:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 10:26:50.43 qIpzv5h1O.net
韓非子が「内政を充実させろ」とか書いてたが、それでも国体を維持できない蜀てなんだろうな
693:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 10:33:19.09 hLd9RX4M0.net
>>672
魏→何かいろいろあって司馬氏により簒奪
呉→孫晧の自暴自棄により自壊
蜀→防衛体制が疲弊&適切な指揮官が配置されなかったため魏軍の侵攻を許す
蜀滅亡の原因は内政よりも軍事の失敗の方じゃなかろうか
呉は明らかに内政の失敗だけど
694:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 11:14:13.48 eFNqXU8G0.net
260年前後からはもう指揮系統が機能不全起こしてたからなあ
それまでの姜維の北伐が中央政府を厭戦ムードにしてしまった影響も大きいけど
695:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 11:22:04.71 D0oijX4k0.net
最後実戦経験なしの諸葛瞻のやらかしで
百姓が逃げ散るとかもうね。
696:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 13:30:45.68 ooCMo3Ly0.net
姜維が出征しまくったのも良くなかったけど
そうせざるを得ない環境を作った中央も良くなかったかもね
費禕が殺されてストッパーがなくなってしまったな
697:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 14:28:03.08 t9Bo/8T20.net
一番マズイのは魏が攻めてくるから援軍至急頼むという姜維の通告を半分握りつぶした末期蜀首脳部
698:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 14:40:06.58 qIpzv5h1O.net
吉川英治の八巻末に「蜀は負ける」みたいな放言を堂々とする学者がいたらしいが、言論の自由は多少はあったのかな
その分、魏呉のネガキャン工作もありそうだけど
699:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 22:08:22.36 NFM9/JO50.net
譙周さんは蜀漢きっての名士やからな
弟子も西晋で出世してるし
700:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/14 23:42:09.90 qIpzv5h1O.net
宮崎駿さんも名士だろうし、名士だったら放言も許されるてのは現代ならどうなんだろうね
701:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 01:32:34.11 hflW1z7D0.net
>>677
陳寿の記述を読む限り中央と前線の人間関係が詰んでたっぽい。
702:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 04:32:42.65 yeSpk5/c0.net
べつに譙周さんは降伏論者だとか売国奴的な言動をしてたわけじゃない
軍事行動はもっと適切な時期や機会を待って行うべきって言ってただけだし
魏軍に攻め入られた時に最初に降伏を説いたというだけ
それも情勢的に抵抗しても無意味で無駄に被害が増えるだけだったから
その後の劉禅や蜀臣の処遇を考えれば適切な判断だった
703:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 04:46:51.02 yeSpk5/c0.net
譙周さんが不人気で評判が良くないのは
かつての学者に演義的な観点から見てる人が多かったからなのよな
北伐は亡き先帝と丞相の悲願!みたいなイデオロギーの下では
譙周なんかは逆臣みたいな扱いになってしまう
吉川三国志で譙周がそんな扱いなのも演義ベースだから
704:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 07:22:14.25 7TCzrh0U0.net
五胡十六国とかの視点やと降伏してと手厚く扱われる事に対する信頼感がないもんね。
ただ、譙周さんが降伏口にした時って諸葛瞻が鄧艾の挑発に引っかかって野戦で惨敗し近衛兵まで溶かして周辺住民が離散してたから逃亡って選択肢がなかったからな。
705:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 09:12:52.45 618vnVAl0.net
名士論の立場から見ると、科挙ってやっぱり画期的なシステムだったんだな
知識人層が増えて、相対的に皇帝の権力が強くなった感じがする
706:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 10:53:30.23 SQk5Mbuc0.net
>>685
士族階層による相互的人物評価に基づく官吏登用制度だとどうしても一部の有力者たちによって恣意的に運用されてしまって不公平感や不平等感が蔓延してしまうからねえ
707:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 15:03:01.55 ueOvDtTDO.net
「小説家になろう」という同人小説サイトで徒党を組んで、複数のアカウントを使って評価ポイントしあって不正にランキングをあげるみたいなものかな
708:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 15:03:53.09 kdb88tcR0.net
ここではあまり触れられてないけど、呉が関羽を処刑したこと
についてはどう思う?あの一件がなかったら劉備存命中でも
蜀と呉が同盟を結んで魏を圧迫することは可能だったのでは?
呉の陸遜や孫権は、割といい年の曹操が死んだら力量が劣る曹丕が後継だから
その時に蜀と結んで魏に同時侵攻する方が得策だと
わからなかったのかな?
709:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 15:33:19.97 aJCAUjK70.net
呉志読んでる限り孫呉陣営の劉備へのヘイト感情相当高いから無理なんじゃね。
魯粛伝じゃ「猾虜」呼ばわりされてるし
710:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:11:46.15 mU2RV05m0.net
漢を再興するダス!!って建前があるから
かろうじて存在を容認されてる盗人軍団が、
義弟が戦死したからって、その建前ほっぽって逆恨みで呉に攻め入っちゃってるからな。
蜀の国力傾けるほどの全力で。
普通にクズですわ
711:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:16:55.11 Sm5a97WY0.net
呉は中原に進出する気あまりないだろ
長江付近を中心におさめていければいいという判断だと思うよ
712:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:17:13.14 fxlBDU/m0.net
ちゃんとした軍師が居てもきついだろうなぁ
713:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:25:02.01 thGNcZAn0.net
荊州の領有権問題ってややこしくて未だによく正しく理解出来てる気がしない
714:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:25:26.79 mU2RV05m0.net
>>688
降伏するように関羽を説得してたじゃん 呉は。
関羽がそれを断った。大局眼があればね・・
715:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 16:26:02.00 OQUo/PtN0.net
>>688
孫権は魯粛死後急激に反劉備に転換してるんだよな
周瑜と魯粛が二代で描いた絵図面を完全に破り捨てて一体どうしたかったのかさっぱり分からん
まさか自分達の力だけで魏に対抗できると思ったわけでもあるまいに
716:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 20:22:24.55 H2gig5I90.net
>>695
周瑜時代から呉は長江割拠天下二分の計で筋が通っているが
ただ魯粛が劉備に荊州貸したのに損害しかないから
呂蒙の時代に損切りして荊州取り戻して利益確保したんでしょ
劉備や関羽が普段から呉にもっと配慮していればよかったものを
天下二分の計自体は江北に対抗する勢力で割拠は半世紀続いているので
呉蜀の実力を考えると構想自体は成功の部類に入るが
やはり別勢力で長江上流と長江下流で割拠したのは間違いだった
劉備を無理やり京城に拉致監禁して酒池肉林させるのが正解で江南政権の寿命がもう少し延びた
717:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 21:04:19.51 OQUo/PtN0.net
まずその「荊州を貸した」の部分が問題なんだよなぁ…
孫権に荊南四郡の領有権を主張する根拠が何もない
成り行きだけを見ればむしろ魯粛が二郡を無理矢理かっぱいだ形なんだよな
718:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/15 21:17:10.28 SQk5Mbuc0.net
孫権は江南の独立を目標として行動していたとは思うんだが
後漢王朝建て直し(曹操とは妥協できない)が目標の劉備とは端から相容れない関係だったんじゃねーのかな
蜀漢の永続、あわよくば中原経略といった目標を持っていた諸葛亮は孫権と妥協できたけど
719:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 02:01:28.64 QME32ilv0.net
荊州南郡の領有権の話はどちらが正統かってのは問題じゃないんだよね
力のある孫権が力のない劉備からふんだくった形だけどこれも乱世の習いで
孫権と戦うわけにはいかない劉備は飲まざるを得なかっただけ
劉備が蜀を取ったら突然やれるもんならやってみなって態度に急変したのも同じ
表向きは貸しただの約束だの言ってるけど結局は実力で奪うか奪われるかってだけの話
呉は長江の南を全て手に入れてから魏と向き合うのが戦略だし
劉備の寝首を掻いてでも荊州を手に入れたかったんでしょ
あそこで劉備を追い落としておかないと呉が逆に圧迫され始めるだろうし
720:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 19:18:09.69 J65Jmc6n0.net
しかしそう考えると孫権にとって蜀が魏より脅威になりえたのかという疑問が出てくる訳で
対魏戦線が北上する限り荊州は手薄になり続ける=呉とは敵対出来ないし、劉備や関羽は孫権より確実に早く死ぬんだから(しかも後継ぎは幼年)、
正直後々でも蜀に対して有利に立ち回れる要素は充分にあったんじゃないかと思う
少なくとも荊州の確保は肝心の魏が混乱している好機を捨ててまでやる事じゃなかったと思う
721:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 19:41:45.46 OQ0p154O0.net
考えれば考えるか程孫権が何をしたかったのかが分からなくなるわ
攻勢に出るにしろ守勢に回るにしろ劉備を荊州から完全に駆逐してしまうのは孫権陣営にとっては最悪手としか思えんのだが
余程コウモリ外交に自信があったのだろうか
722:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/16 21:16:43.66 4JrMSvKv0.net
>>701
孫権が劉備と同じだと考えるから一生わからんだけ
そもそも孫家と曹家は縁戚関係で
劉備が徐州時代には曹操と孫策は劉備と孫権以上に仲良し
魏と呉は時には争う事もあるが根本的には不倶戴天の敵同士ではない
だから魏のある間には呉は魏に攻められても滅ぼされる事は無かった
司馬氏が晋を建国してからだろ呉が滅んだのは
孫権が関羽滅殺当時欲しかったのは
・貸していた荊州の奪還
・呉王
・呂蒙の寿命
なので呂蒙が望んだ以上関羽倒して荊州取り戻して実利得るのは当然
劉備が劉邦みたいにケチらず漢中王になったついでに
孫権に呉王の位と公安以南の土地をあげてればまた違った歴史になったのでは
723:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 01:36:53.96 x2QfOv5y0.net
いくらなんでも後付けこじつけにも程があるな…
724:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 01:41:30.70 x2QfOv5y0.net
「何が何でも劉備が悪い」っていう結論ありきで話を進めたいならここじゃなく新しくスレ建てて賛同者を募った方がいいんじゃないか?
725:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:06:06.12 n7rdDIgP0.net
呉は蜀と共闘して魏に対峙するよりも
天下二分の方が確実だと考えてたんだろう少なくともあの時点では
劉備と共闘するのも本来は魏を防ぎながら益州を手に入れるための策だったはずだし
726:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:36:23.33 snzASW0A0.net
劉備が天下統一できなかったのは何故? を問うスレで
「それはやっぱ劉備が○○で××で、つまり劉備が悪かったんだよねぇ」という論を展開すると
はじかれてしまう不可思議
「劉備を悪く結論付ける人間は絶対書き込んじゃいけないスレ」を新しく立てて
そこで頑張ったらどうかな?
727:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:43:26.99 n7rdDIgP0.net
以降、ねちねちとした上げ足の取り合いが三日三晩続きます
728:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 02:51:05.93 V/0YhgFQ0.net
>>706
>>707
ここは中国英雄BBSで劉備が主人公で語り合うスレですからね。
劉備の失策をねちねちあげつらうスレじゃないのでそういうのを論じたいのならよそでお願いしますね。
729:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 10:15:36.22 x2QfOv5y0.net
劉備の失策がどういう影響を与えたかとかそういう話ならともかく劉備が悪いって結論のために妄想や曲解のオンパレードを披露されても困るという話だ
730:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 15:49:38.06 i+93JWtf0.net
>>709
よそでやって
731:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 16:22:45.19 G2Y4AvTb0.net
>>710
てめえがだろう、知恵遅れ
732:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 17:21:26.25 vW58mfT30.net
>>708-711
>>707氏の言う通りになったな
テーマから外れている訳でもないんだから、
個々が好きに議論していけば良いんだよ
変に自治ろうとしないで
733:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/17 20:18:52.98 IbH2sNct0.net
劉備の失策って夷陵の敗戦のこと?
荊州失ったほう?
734:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 09:44:47.28 5obtwSoy0.net
劉表の客分になっている時期に劉表を説得して曹操との妥協を探っても良かったんじゃないかとは思う
と言うか献帝引きずり下ろそうよ、いい加減にさ
735:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 10:07:58.31 vJzyuleK0.net
劉備が勢力内にいる以上曹操との確執は避けられないから
劉表死後にあんな形で梯子外されたんだし
あの時点で曹操が劉備を許すようにも思えないけどな
736:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 10:19:15.91 eCszaEbU0.net
>>714
最大の実力者の曹操が献帝の庇護者とか言うギャグ
737:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 12:48:59.01 9Z51qiHj0.net
>>715
張繍を許している過去があるので何とも言えないと思う
738:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 13:01:02.84 vJzyuleK0.net
>>717
張繍さんはこれから袁家とやり合う時に後顧の憂いを無くせるという
最大のバリューを提示して許されたけど
劉備の時は既に曹操は最大勢力で脅威もない状況だからどうだろうなあ
ここで劉備が曹操に下れば荊州も揚州も益州もなし崩し的に下って
天下統一はなったも同然なんて判断がされれば歓迎ワンチャンあるだろうか
739:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 13:04:51.76 eCszaEbU0.net
曹操は裏切った人間何人も許してるしな
740:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 13:54:27.42 RXnt5F0u0.net
>>716
事実曹操自身は献帝を生涯奉戴して忠義を尽くしていたんだよね
本心はどうあれ
魏王だって元々存在していたけど空位になってたと言えなくもないし
曹丕については一切弁明の余地無いけど
741:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:29:09.76 9Z51qiHj0.net
権臣の存在を頑なに拒否する後漢朝廷の宿痾を考慮するなら曹丕はあそこで簒奪しなかったら梁冀の二の舞になっていた可能性もあったのでは
後戻りできないレベルまで権勢を持ってしまった曹操がアレなんだけど
742:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:38:55.71 eCszaEbU0.net
曹操は簒奪はおろか廃位すらしてないもんな。司馬師(廃位)や司馬昭(弑殺)と比べても最後まで庇護者の立場であり続けた。
743:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:39:35.50 VACGvA790.net
曹操だからこそ
漢帝国の宰相と、魏国王を兼任していられたけど
曹ヒでは漢の宰相職はムリだろう。
だったらさっさと皇帝になってもらって、
曹ヒより有能なブレイン集団でもって曹ヒを支えるって形にした方が
やり易かったんだろう。
744:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 14:58:13.58 HuPJnEOb0.net
>>722
側近や皇后、外戚連中を粛清していったけどな
司馬氏は郭太后という有能な協力者がいたから曹魏皇帝の存在が死ぬほど軽かった
745:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:10:43.39 RXnt5F0u0.net
暗殺計画を企てたのがそいつらだから罰しないわけにもいかないべ
タイミングはだいぶアレだったけど
ギリギリ献帝に害する存在を排除したとみれなくもない
善悪の判断は置いておいて、外姻や宦官が力を持たないようにするのも正しい行動ではある
746:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:19:21.31 eblWtVSp0.net
>>58
今更だけど、史実 漢文の三顧の礼と諸葛亮。
ちなみに史実の龐統との入蜀後での宴会での揉め事からすると、“仁者“としての民主派治世と漢王朝の末裔としての再興がスタートでしょー。国を建てたら嫌になってた感が強いですけど。
747:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:26:04.48 eblWtVSp0.net
>>722
孟徳新書もとい魏武帝註孫子の兵糧の欄に対する孟徳のくだらんツッコミに
戦時中は国内で生産物が不足するのには不足するのを見越して通常の倍の値で商う山師が絶えない
という事と
兵糧は戦地まで輸送しても輸送・人件費差し引いて、元の兵糧の3割だと見込むのが普通で、敵国の作物を元々の料金か、それより少し高めで買い入れた方が安くなる、と史実にある。
対酒歌の曹操と上記の言を踏まえると、かなり治世者としてはイケてる。が、程昱の伝に不足した兵糧に“人肉“が混入した為にミートホープに間違えられた、とされている。
748:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:33:01.13 ELxqli6L0.net
>>727
幸楽園も指入りラーメン出してるから(白目)
まあ、程昱は人肉事件でキャリアに大ダメージ負っちゃったよね
749:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:34:06.48 NPNDnFRxO.net
献帝にリーダーシップは無かったんだろうなとは思う
750:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/18 15:46:17.88 ELxqli6L0.net
後漢書献帝紀読んでも最初から皇帝としての権威が殆ど感じられないもんね。