劉備が天下統一できなかった最大の原因その3at CHINAHERO
劉備が天下統一できなかった最大の原因その3 - 暇つぶし2ch250:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 19:01:29.94 Oaple2QT0.net
>>230
徐州の状況が割と悲惨だから、それどころじゃないだろ

251:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 19:03:21.40 B23dvoNQ0.net
左伝好きだしねえ
庶民なだけで学はあるんだろうな

252:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 19:09:44.42 YwojMUWs0.net
塩族の用心棒なら読み書きできりゃ上等のレベルだからな

253:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 21:35:39.67 590fXdX30.net
>>241
妄想でしかないけど曹操の下にいたときに読んだかもねぇ
曹操のお気に入りだったから曹操から直接「俺がつけた注釈どうよ」みたいに言われたりしてさ

254:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 21:49:21.04 SqzfASV30.net
つっても左伝一冊じゃ正直インテリとは言えんからなあ
呂蒙が詩経・書経・礼記・左伝・国語・史記・漢書・東観漢記・孫子・六韜を暗記してるし
劉備も劉禅にこの辺の書物全部読めよって言ってるからこれぐらいの量が士大夫の一般教養なんだろう
そんな奴ら相手に左伝齧った程度でインテリ気取ってもまともに相手されんような

255:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 21:55:56.12 kA0B2z/Z0.net
呂蒙がすごすぎてワロタ
これ全部暗記したのかよ

256:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 22:02:23.99 fKxJQ/bE0.net
左伝は武官系が好んで読んでた臭い

257:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 23:19:48.63 V0ur/RCo0.net
>>246
関羽は左伝を「特に好んだ」ことが特記されてるだけで他は特に言及されていない
もし関羽程の立場で必要な教養を修めてなければそのことは杜預や王平のようにまず間違いなく特記される

258:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 23:27:16.51 V0ur/RCo0.net
それと呂蒙が修めた学は当時の平均より遥か上のレベルだよ
それこそ一国の主に求められるくらいのね

259:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 23:31:18.08 kA0B2z/Z0.net
孫呉の歴代荊州方面担当者陣の中に入るだけあるんだなあ
呂蒙のイメージ結構変わったわ

260:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:15:49.75 6IN8+lWA0.net
>>250
皮肉なことにろくに文字も読めない劉邦が天下を統一するという

261:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:31:40.23 +KD0Td2H0.net
他に学のない奴だと石勒(文盲)と劉裕(かろうじて読み書き出来るレベル)かな
ただ地頭は相当いいんだろうけど

262:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:46:16.49 OgysvO5u0.net
>>252
亭長って末端とは言え官吏だから読み書きはできるだろ
むしろ張耳の食客になろうとしてた経歴考えるとフリーランスの傭兵とか秘書官みたいなスペックの持ち主だった可能性すらある

263:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:49:28.48 OgysvO5u0.net
>>253
石勒は漢書の内容と劉邦の戦略の適否を理解できるくらい地頭は良い
遊牧民とか文字なくても大軍指揮できるから戦争に必要な能力ではないんだよな
文学に傾倒した曹丕とか見ていると本当に力入れるところ間違ってたと思う

264:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:49:53.84 YGZCg5SK0.net
劉邦は司馬遷の恨みパワーで貶められた説

265:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:53:40.61 eTnTSpvv0.net
>>255
文帝様本人は政治や軍事での名声より
文学者や文学の庇護者として歴史に名を残す事を望んでたんじゃね

266:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 10:37:34.94 OgysvO5u0.net
>>257
天下統一頑張れよw

267:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 14:12:20.91 YsJGVhfl0.net
いくら頭良くても書物の一字一句全部暗記できるものかね?
俺はその手の話は話半分以下だと思ってるけど

268:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 19:33:27.90 AmVPCCth0.net
内容の理解度とか、平均的に誰でもできたのかとか、そういうのを度外視して、
覚えさせる内容をある程度絞れば、暗記ってそんなに難しい技能でもなくね

269:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 19:49:42.63 FgNuzJXx0.net
音楽に乗せて♪

270:カレーなる名無しさん
16/11/06 21:57:36.20 6IN8+lWA0.net
>>254
亭長って日本で言えば岡っ引きの頭みたいなもんだ

271:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 22:14:02.82 H8+xo9Qq0.net
>>262
一応公的な役職だから岡っ引きとは違うんじゃね?

272:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 22:36:09.55 gUTYSSWs0.net
>>259
宮内庁官僚(ガチエリート)は歴代天皇の諱や年代や業績諸々を暗唱出来る、というかさせられると聞いた事がある
検事や弁護士も六法全書丸暗記出来なきゃ一流とは言えないらしいし、
それが必須なら荀彧や陳羣あたりの超一流なら出来るんじゃないか?

273:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 22:41:28.75 H8+xo9Qq0.net
>>264
張華ならたぶんやってくれるだろ
晋書も本紀が途中からスカスカだから本紀は頑張れば覚えれるかも

274:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 00:26:37.68 RtQQt2zv0.net
年四歳で『孝経』を授けられ、七歳で『論語』八歳で『詩経』
十歳で『尚書』十一歳で『易』十二歳で『春秋左氏伝』と『国語』
十三歳で『周礼』と『礼記』十四歳で成侯の『易記』を暗誦させられ、
十五歳で太学に入学させられ、四方のめずらしい文章や変わった訓話について勉強した
って鍾会が言ってるように当時のお坊ちゃんの嗜みだな
だから豪族や官僚の家系じゃないうえ大人になってから暗記した呂蒙は凄い

275:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 01:30:04.98 BhOguoaJ0.net
他に娯楽もすることも無かった時代だし
書物だって限られた物しかなかっただろうから
好きなやつは暗唱


276:するぐらい読みこむぐらいはできてもおかしくはなさそうだけどな



277:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 02:39:29.87 9wiZI/d00.net
>>266
石勒や劉裕と同じで地頭が良かったんだろうな。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 07:59:42.92 Tp5H0jxx0.net
>>237
孫乾、麋兄弟だってそいつらに負けないぐらいエリートだと思うぞ

279:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 08:12:44.96 Gx/Wxgr80.net
劉備は読書を楽しまなかったと伝にあるから暗記物とかは嫌いだったんだろうな
ただ音楽は嗜んでいたみたいだから案外セレモニーや宴会関係には強かった可能性もある
祭祀儀礼と戦争に強ければ上に立つ人間は大抵何とかなるイメージ

280:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 15:46:34.46 RvC8oGXy0.net
コミュ力の塊だからな劉備は
仲良かった奴並べると盧植・田豫・陳羣・陳登・袁紹・曹操・劉表と名士ばっかだし
本人の好みが馬の骨(関張)に下級役人(簡雍・孫乾)に商人(糜兄弟)と名士とは正反対だったのがアレだけど

281:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 16:02:53.44 byZTD8aL0.net
実際人に好かれる能力なかったら袁紹が死んだあたりで詰んでるからね。

282:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 16:56:56.48 BhOguoaJ0.net
最初は旗揚げ時に武力が必要だから豪傑と交遊してただけなんじゃね
その時その時で自分に必要な物を理解して交際する相手を選んでると思う劉備は

283:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 17:52:41.77 7C/HXRXDO.net
名士だけどその配下になりたいかと言うと、将来性についてはイマイチという人物か

284:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 18:17:31.72 ROw750KW0.net
盧植は学問の師だから仲が良いとかそういう話じゃないんじゃ
あと公孫瓚も入れてあげようよ

285:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 18:19:14.50 ROw750KW0.net
あと陳羣・袁紹・劉表あたりは仲良かったとは思えんのだが

286:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 19:24:17.22 Sp/7Xet+0.net
>>274
左将軍に任じられた時期まではかなりの有望株だったと思うんだけどねえ

287:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 19:50:58.81 VgBNrrU10.net
陳紀・鄭玄という超大物と密に交流してたみたいだし
とんでもないセレブなのは間違いないよ、劉備
>>276
陳羣の地元で、地盤が固まってる豫洲支配地域を問題児の呂布に任せたらそりゃ怒るわな。としか

288:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/08 08:29:48.89 6VXKw6KW0.net
>>274
その時々で名士層の取り込みは成功してるよ

289:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/08 22:24:34.65 uwPMo8KH0.net
どこ行ってもグループ作るのは早いんだよな
ただ名士って土地に着くからそこから離れると着いて来てくれないし、新しい場所でもあんま信頼されない
>>276
陳羣は怪しいが袁紹とはかなり仲いいよ。後継の袁譚を推挙したり汝南で別働隊任されたりしてるから相当信頼されてる
どうも袁紹としては劉虞の代役に考えてたっぽい
劉表は……微妙?新野で割拠許してるぐらいだから蔑ろにはしてないんだろうけど、
あくまで客将として割り切ってる感があるんだよなあ

290:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/08 22:33:00.59 uwPMo8KH0.net
>>274
多分徐州牧になった時に袁紹・曹操派に鞍替えしたのが評価決めちゃったんじゃないかな
公孫瓚が劉虞殺ったとか曹操が怖かったとか色々理由はあったんだけど、
それまでの袁術・公孫派からテノヒラクルーしたから名士層に
「ヤバくなったらまた手の平返すんじゃねえか?」って不信感与えちゃったんだと思う

291:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 00:18:25.25 JZ314WjC0.net
中国の名士の人間関係って本貫地�


292:i本籍)と故主故吏の関係で殆ど決まるからな。 劉備だってそれわかってるから袁譚の茂才の推薦人になった訳だし。



293:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 07:23:56.93 tusgSvzHO.net
一方で一城一軍任せられる親族がいないという脆さがな

294:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 08:12:26.54 Rlhd3Ux20.net
糜芳がそのポジションだと思うんだが

295:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 16:33:27.58 tusgSvzHO.net
将として軍を指揮した印象がないな
誰かの指揮下にいる感じ

296:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 00:16:37.03 O/6rOKTx0.net
劉備って劉表時代に劉表と同じ一族って騙ってた時期なかったっけ?

297:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 14:24:10.49 93Z407r20.net
やっぱり徐州、豫州一部を何が何でもキープして、袁紹と曹操の対立に付け込んで飛躍しかないな

298:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 18:13:15.75 OrKgV3d+0.net
>>249
杜預と王平を一緒にしててワロタw
杜預は関羽以上の変態左伝マニアだ
間違っても王平と一緒にしてはならない

299:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 19:58:31.86 MjA0TGN10.net
まさか三戦じゃなく中英まで来てそんな低レベルなツッコミが入るとは思わんかった

300:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 20:29:15.75 3dvC7A6Z0.net
三戦が死んでるから中英と世界史に流れてるからなぁ

301:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 20:57:18.07 uwUFlINn0.net
>>290
世界史も死んでいるような
中英も盛り上がっているの一部のスレだけだし
五胡スレはマニアック過ぎてついていけん

302:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 21:06:27.64 RlSxsCrD0.net
五胡~南北朝~隋唐は中国史って言うより世界史+仏教史+中央アジア史+日本の古代史のミクスチャーだからなぁ

303:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 02:18:12.55 tUGz7zRg0.net
>>291
匿名で好き勝手書ける卑屈者の集まり2chが時代遅れなコンテンツなので
一部の例外を除いて有識者は別のSNSに流れてそこで盛り上がっているよ
いまだに2chが世界の中心だと思ってるクチ?

304:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 03:47:27.23 6B5r+gk90.net
ドヤァ

305:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 06:33:04.55 /k+v0wAp0.net
三国志警察みたいな連中にネチネチいちゃもんつけられるTwitterとか居心地悪いだろ
人物のdisりあいばかりで辟易するは
甲という功績、乙という過失、丙という性癖がある人物をひたすら乙と丙で揶揄しまくってる

306:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 07:55:41.67 AGjfD4p30.net
有識者()

307:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 07:58:36.43 8lKkfHIc0.net
Twitterもはや2ちゃんと区別つかない気が

308:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 11:21:53.82 a4AL3TKh0.net
でも完全に個人情報隠匿している2chユーザーよりも
成りすましも有るが逃げも隠れも出来ないtwitterユーザーの方が社会的評価が上という現実

309:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 13:05:00.91 ZiTtcFTk0.net
結局、一人一人の心掛けが、
同じ場所にいる人の評価を決める。

310:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 17:38:24.01 TsjpYHkSO.net
>>298
昔のヤフー掲示板か

311:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 17:46:43.57 haL5smiW0.net
三国志の最大手は結局KOEI周辺に群がっているわけだから歴クラが何ほざこうが最終的には少数派に陥ってしまう

312:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 18:33:16.54 awV3jRMt0.net
天の時、地の利、人の和
前者2つが欠けていた
そして孔明死後の蜀は全部欠けた

313:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 18:39:56.10 /3id9pOd0.net
いやさすがに「有識者」は大草原ですわ

314:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 02:06:05.72 RlCA0Pdk0.net
いつまで引っ張るんだよw

315:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 05:21:55.69 JqcX4c6+0.net
劉備の如く乱世を正す為に2chで活動してたのに
世間的には曹豹以下にしか見られてなかったで御座る( ノД`)

316:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 05:57:36.90 YTZ1uAXX0.net
劉備が「俺が漢王朝を継ぐ」みたいに考え始めた時期っていつぐらいなんだろうか
そんなに早い時期ではないよな

317:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 07:51:40.03 FAvJQYRtO.net
>>306
根源は若い頃からの漢帝室の家系と称した事だけど、やはり入蜀~漢中王自称の頃だろう。
それまでの行動は生き残る為のが主で、漢中王以前はう見ても自らが漢朝復興という行動にしては場当たり過ぎる。
これはやはり諸葛亮ら荊州以来出仕の家臣に煽られ続けて、入蜀辺りでその気になったのだろうか。

318:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 08:44:48.72 Yx3cJO9f0.net
劉備にしてみりゃ「こんなはずじゃなかった」って展開ばっかだからね。

319:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 12:42:06.43 qwNIlj9d0.net
曹豹といえばなんで張飛に殺された(または殺されそうになった)んだろうか
劉備が張飛に下邳を任せた、とあるけど下邳の相はあくまで曹豹なんだよな
普通はそんな二重権力みたいなことするはずが無いから曹豹の管理下で留守番してた張飛が「俺は州牧の直属の腹心だ」って調子乗って曹豹に喧嘩売って身の危険を感じた曹豹がやむなく呂布を頼ったって考える方が自然に思う
陶謙配下の重臣で下邳の相を任されるってことは曹豹はあの辺の人士のまとめ役なんだろうしそんな人物と敵対なんかしてたら徐州の人心なんて掴めるわけがないわなぁ

320:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 14:54:10.88 q13wJnav0.net
袁術の出征と袁術が呂布にした密約のタイミングから
丹楊勢力圏の袁術が丹楊出身で相の曹豹に反乱を持ちかけ張飛が察知したというのは?
陶謙が親袁術だった事もあいまって丹楊人が親袁紹の劉備を良しとせず袁術に乗った図式
ゆえに曹豹だけ殺しても止まらなかったし呂布の迎い入れもスムーズに

321:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 15:22:15.55 bjV8GSdB0.net
丹陽兵は扱い難しそうだもんなぁ。
曹操も丹陽兵募兵した時反乱起こされて
死にかけてるし

322:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 15:29:31.33 ufIQobTm0.net
丹陽兵って孫堅みたいなアウトロー連中だろ
そりゃ扱いにくいわ

323:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 17:16:57.35 RlCA0Pdk0.net
張飛の独断専行だったらとんでもないことだし、後々魏延を優先されることも頷ける話
劉備からの含みがあったのだとしたら掌握を急ぎ過ぎて自爆した感
でもそこに袁術が噛んでいるのだとしたら印象も違ってくるね

324:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 18:59:16.72 mJdfHCS70.net
劉備が出陣する時にもう丹陽制圧されてたからな
本拠が敵地の将兵なんて危なくて使えんわ

325:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 20:49:41.57 qwNIlj9d0.net
徐州に流れてきた頃の劉備って公孫瓚の下で袁紹と戦ったり陶謙の救援に出向いたり間違いなく袁術側なんだよな…
それが袁紹(曹操)側に付くことになったのはやっぱり呂布と敵対する羽目になったからなのか

326:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 10:23:09.10 ACL6URDp0.net
流れ的に言うと袁術が劉備を攻める→劉備が曹操から官位貰う(袁紹派閥入り)→袁術が呂布に兵糧支援確約→呂布謀反って流れになんのかな。

327:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 11:40:52.82 LZtlxPij0.net
なんで袁術が味方のはずの劉備を


328:?と思ったら既に晩年の陶謙は袁術に反抗的だったのね なのに劉備が陶謙の後を継いでしまったからまとめて敵認定されてしまったのか



329:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 11:42:28.07 LZtlxPij0.net
しかし陶謙て調べれば調べるほどすげぇな
行動にビジョンらしきものが全く見えねぇ

330:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 11:43:43.40 m9xrbvZT0.net
アンチ袁術の陳親子の存在もあるしな

331:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/16 18:15:00.62 BaZAsGyR0.net
曹操の「劉備はワシと同等だが計略を考えつくのが少し遅い」という評は
その分劉備の方が曹操のように感情的・発作的に動かなかったということを言い表しているような気がする

332:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 00:51:48.00 OkBaMODG0.net
まあ劉備は家臣筋の陳寿にも「曹操より才能も領土も小さい」とディスられているので
曹操の劉備評はまだ褒めている方だと感じる

333:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 13:05:53.19 GgTZuFG10.net
陳寿は腹の中で劉備の事を嫌ってそう。
諸葛亮伝はキレイキレイな記述で諸葛亮のネガティブな記事は馬忠伝や張嶷伝に
記述してんのに、先主伝にはわざわざ若い頃の劉備のヤンチャエピソードや劉備が妻子を捨てたエピソード何度も記述したりしてるし。

334:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 16:34:23.97 aRVfe4ORO.net
なんか因縁あったっけ

335:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 16:43:58.07 4r1SVozW0.net
季漢なんて初めから詰んでる国作ってんじゃねーぞ、とか?

336:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 17:37:23.02 m4DIgVZx0.net
荊州市出身のアイドル何暁玉(ニックネームはシャオシャオ)が、
生誕祭で仲間とともに、ももクロの「青春賦」を中国語に訳して歌ってみた
URLリンク(www.youtube.com)
つい9月には休暇を取って来日して渋谷を旅行
URLリンク(blog.livedoor.jp)

337:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 21:46:05.96 tjCpi9UO0.net
陳寿は劉備が嫌いなんじゃなくて諸葛亮が好きなだけ

338:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 11:16:09.84 UTAEOwEF0.net
陳寿が諸葛亮を嫌っているというのは昔から都市伝説的に囁かれてきてたけど諸葛亮が好きっていうのはあまり聞いたことがない見解だな
>>322で言われてるようなネガティブな記述を本人の伝に書かないというのは諸葛亮に限らず三国志全体に共通した陳寿の記述スタイルだからそこは判断基準にはならん

339:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 11:18:18.48 UTAEOwEF0.net
それと陳寿は劉備のことをかなりリスペクトしてるぞ
本来なら正統王朝の皇帝以外は皇帝と表記するのはまずいのに細かいところで劉備のことを皇帝表記してるところもあるし何より先主伝という伝の立て方がもう目茶苦茶特別扱いだしな

340:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 11:25:52.94 M3njg3Jk0.net
>>321
曹操はこう言っておきながら漢中取られちゃったからなあ
一州をまともに手に入れた劉備は曹操に匹敵する将帥なんだよ

341:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 13:28:46.40 QN3qBw1D0.net
曹操のことは武帝、劉備のことは先主、孫権のことは呼び捨てだもんなあ
特別扱いはかなりしてるわな
陳寿は諸葛亮を恨んでる云々は陳式の一件の噂と
諸葛亮を臨機応変の策は苦手と言ったことだけが根拠じゃないっけ
そこかしこに諸葛亮ageエピソードぶち込んでるやつが嫌ってるわけないと思うが
神扱いしてないから陳寿は諸葛亮嫌いと言ってるようにしか見えないんだよな

342:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:00:03.08 2L6E7jDF0.net
陳寿の諸葛亮私怨説は清の趙翼って学者が「廿二史箚記」の記事で「ありえねー!」って批判してたはず。

343:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:05:59.89 65D2TywP0.net
諸葛亮集を三国志の前に編纂してるくらいだからな
欠点を欠点と言ったら恨んでるって言いがかりもいいところ

344:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:17:19.58 2L6E7jDF0.net
諸葛亮信奉者的には息子の諸葛瞻の扱いがアッサリしてるのも気に入らなかったのかね。

345:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:32:29.59 ZctL4b570.net
諸葛瞻さんはまともに扱ったらギルティな部分をばんばん出さないといかんから……

346:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 17:08:02.84 /MIOi8+D0.net
>>329
まあそこは間違いないと思う
あんだけのアンラッキーがあっても巴蜀を制したわけだし

347:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 18:11:43.79 aho17a0Q0.net
>>328
その通り。劉備を“先主”、劉禅を“後主”、自分のふるさとで皇帝にまで登りつめた英傑なんだから、
特別な感情を持っているのは当たり前。
今のように交通機関が発達していなくて、情報網すら人づての世の中で、辺境に近い琢県から徐州・冀州・荊州を経て、
巴蜀をおさえて漢中王⇒皇帝にまでなったんだ。高祖の劉邦を彷彿させたっておかしくない。
しかも関羽・張飛に加え、趙雲や馬超、黄忠、魏延などを従えるなんて、並みの人物じゃできないこと。
それに諸葛亮孔明のような超一流の補佐も得たんだから、魏⇒晋に遠慮しながらも、称えずにはいられないだろうよ。。。

348:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:18:41.53 lqT7kYwY0.net
曹操の配下に諸葛亮
劉備の配下に司馬懿
これなら、劉備の天下は?

349:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:32:22.64 ZctL4b570.net
晋が天下統一できたのはこの人がいたから
というよりも総合的な人材層の厚さとかだからなあ

350:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:45:58.04 kWJ3w+Yu0.net
末期魏国~西晋の将軍って優秀な軍人兼地方官って例が多い印象。

351:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:47:41.96 p5oau0Js0.net
>>337
司馬懿本人には統一の構想みたいなものは無かったんじゃないの?
司馬師・司馬昭の方がまだ天下取りに取り組んでいた方だと思う
魏晋南北朝を見渡してみても諸葛亮は本当に得難い人材だったと思うけどなあ

352:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 00:08:16.59 deKL0ExQ0.net
どう見ても陳寿は諸葛亮大好きだよなあ
司馬懿は野心からというよりは
自分や家を守ろうとしてああなってしまった感あるし
統一とかのビジョンは持ってそうなイメージ無いな

353:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:14:48.16 KLC6YLBQ0.net
>>329
とはいえ劉備は曹操に徐州も豫州も荊州半分も取られた訳で
曹操>>>>>>劉備
なのは間違いではない
サッカーでいえば3点取られて試合終了間際に1点返した程度で
明らかに劉備の負け

354:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:25:39.25 UBzsTI4i0.net
>>342
地盤固めるまでの過程は曹操の方が優秀だとは思うけど
大規模な戦役になると劉備は曹操を凌ぐとも言える

355:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:49:37.10 UEYR+VU20.net
人見る目なさすぎだよね?
陳登、陳羣とか曹操も一目置くような人材活かせてないし

356:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 02:49:01.29 cWU0eX+M0.net
>>341
晋書宣帝紀でもしばちゅうさん「ワイの墓は曹丕さんの近くに作って欲しいンゴ」つってるから基本的には曹魏政権に対しては忠誠心はあったんだろうな。

357:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 10:35:49.84


358:Q8fVH+7N0.net



359:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 18:22:28.16 mxpV/5Ha0.net
>>344
そもそも陳親子を陣営に取り込んだり、陳羣が制度や法令を定める時間が無かった

360:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 18:26:22.50 UBzsTI4i0.net
割りと徐州牧就任後の劉備って詰んでるよな

361:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 19:29:10.64 IL+XH6n10.net
陳羣は治世では有能な政治家だけど乱世ではどのくらい有用な人物なんだろう
軍事面での逸話は特に無かったよね
劉備の下に残ってれば諸葛亮の良きサポート役にはなれたのかな

362:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 20:35:37.16 deKL0ExQ0.net
まあ名士の役割は自身の能力もあるだろうけど
それ以上に士大夫層のネットワークにあるだろうし
陳羣は劉備に今徐州を根城にするのは危険だと助言したり(聞き入れずに劉備は滅亡する)と
時勢を読む力もあるから統治だとか外交で人材登用で何かしら役に立ったでしょ

363:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 21:25:51.99 CvrOKuCO0.net
>>348
袁術の侵攻、呂布の暴走、重臣たちの反乱
まさかこれらが同時にくるとは思わないわな
>>350
そりゃ陳羣からしたら劉備には地元の豫洲にいてもらいたいからそう言うよ
なに徐州に色気だしてんの?って話

364:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 21:38:18.83 mxpV/5Ha0.net
呂布がもう数年曹操と争ってくれるか、大人しく小沛を統治してくれないと厳しいな

365:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 23:11:04.20 ISGKD/TB0.net
>>343
曹操は赤壁でも漢中でも火傷が酷くなる前に余力残して引いているので
イメージほど大規模な戦役での大負けはない
むしろ呂布や袁家や韓遂や張魯など
群雄にきっちり勝ち切って仕留める割合は劉備を遥かに凌駕する
まあ勢力の大きさが違うので当たり前といえばそうだが
劉備は徐州やら汝南やら長坂やら夷陵やらで壊滅的な無様な負け方しているので
大規模な戦役で曹操を凌ぐと言い切るには大負けが目立つで説得力を感じない

366:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 23:30:35.28 UBzsTI4i0.net
>>353
その理論だと曹操は劉備を滅ぼせていないとおかしくなっちゃうんだけど

367:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 01:26:39.80 7NUlJjfG0.net
>>353
前3つは戦力差がデカすぎで、戦の巧さで挽回できるような次元じゃない

368:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 01:32:21.67 En4jKH3O0.net
夷陵以外の劉備の敗戦って完全に詰んでる情勢ばかりだしな
仮に指揮を執るのが曹操でも結果は同じ

369:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 12:30:09.18 V4Qw7eVu0.net
>>356
曹操も徐栄や馬超など相手に絶対絶命の場面あるけど
劉備みたいに民衆や妻子や義兄弟まで撒き餌にして無様な脱走という場面は思いつかない
だから曹操なら同じ場面でももう少しマシな負け方ができそう
まあ劉備は劉邦に近い逃げ方なので
系図があやふやでも劉備は劉邦の血を引いているというのは確信できる

370:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 12:48:18.38 GUzJ8GBY0.net
曹操は未亡人とギシアンしてたら襲撃されて息子殺されるってとんでもないエピソードあるじゃん

371:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:12:52.34 8J8CRk/t0.net
>>357
張邈+呂布に惨敗して、蝗に助けてもらってるじゃないか
つか長坂は江夏に逃げられた時点で実質敗北だろ、あんなの
なに取り逃してんだよ

372:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:30:17.95 SSD2KOe20.net
>>359
それよりも赤壁以降荊州を取り戻せていないことの方がヤバイ
国力差考えるとあり得ない、相手が東晋とかなら兎も角孫権と劉備の呉越同舟相手になにやっているんだ?

373:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:45:53.97 En4jKH3O0.net
魏は北方、西方の異民族に相次ぐ叛乱にと他にやらなきゃいけない問題多かったからなあ
文明の中心は抑えてるし時が経つほど国力差は広がる一方だから
一気に併呑できないのであればそこまで急ぐ必要もなかったし

374:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 15:11:07.91 uxNpc1Em0.net
>>361
時が経ちすぎて曹氏簒奪されちゃったけど
これも曹操・曹丕の計算通りな展開だったのだろうか?
人口激減期でも隋末の李淵は一気に天下統一させた上に李世民の代には突厥、吐谷渾を
滅亡させているから「国力充実のため現状維持」というのは天下統一できなかった理由としては少し弱い
隋末唐初の戸籍の下限が二百余万戸、人口は一千万人前後ぐらいと推定
三国が統一された時と実はあんまり大差ない

375:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 18:51:35.81 WPiKMoK20.net
>>358
>>359
軍壊滅状態での敗走ではないので劉備の悲惨さと全然違う
劉備のサバイバル能力は際立つが
どちらが才能上かというと曹操の方が上という評価が妥当
長坂で劉備に江夏に逃げられた時点で実質敗北とかは
無双の世界の勝敗条件っぽくてワロタw
>>360
中国の歴史の中で北朝がきっちり南朝滅ぼせたのは
南朝の君主が暴君か暗君か弱君か幼君のいずれかの場合
なので呉越同舟なれど曹操生きてる間はそのいずれでもない
孫権と劉備がいる以上鼎立もさもありなん

なんか曹操と劉備でハードルの高さの違いを感じる
曹操だと天下統一できなかったので無能扱いで
劉備が1州に割拠しただけで曹操を超える優秀とか
どう考えてもおかしいやろ

376:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:12:18.24 hvzgDQki0.net
>>363
悔しいけど、最終段落一理ある

377:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:49:59.34 uxNpc1Em0.net
>>363
誰も曹操の才能が下とは言ってないのでは?
ただ劉備が曹操と同等以上の大部隊運用の才能を持っていた可能性を指摘しただけ
トータルでは曹操の方が上なのは変わらないと思うよ
ただ劉備の能力を低評価すればするほど
曹操が何で蜀を滅ぼせなかったか説明できなくなってしまう
そこだけが違和感を感じるのよ

378:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:56:14.83 WLaPJHnZ0.net
曹操が華北を制した時ってまだあまり安定しなくて反乱とか頻発してたからとても統一に手が回らなかったんでしょ
華北が安定したのって曹叡の頃でその頃になって蜀や呉から華北に人が戻っていったんだよな

379:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:08:06.97 TYJoRgXE0.net
>>366
何で態勢が有利なったのに曹叡は天下統一できなかったの?
そのトンでも理論、いくらなんでも天下統一までタイムラグありすぎだろ

380:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:11:34.25 uxNpc1Em0.net
>>366
赤壁の戦いとか漢中併合とか劉備と直接対決とかやってて「統一に手が回らない」はおかしくね?
曹操は統一する気マンマンだったようにしか見えないのだが
(加齢や赤壁敗戦の影響で晩年はかなり後ろ向きになっていたとは思うけど)

381:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:12:12.64 9sAFpvZ80.net
そら曹叡晩年からは内ゲバ最盛期なんだから統一なんかできるわけなかろ

382:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:14:36.18 cQ1kgmc3O.net
このスレでは言われてないけど
魏が圧倒的って言わ


383:れまくられると統一も出来なかったのに?って思ってしまう 簒奪した晋が最終的に統一したから魏も出来たかもしれんが何だかなあ



384:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:23:17.21 Y5m/86Yl0.net
曹魏の国力は結構カツカツだったと思うんだけど
だから曹操も統一頓挫しちゃったんでしょ
ただ攻めきれなかった劉備も力不足だったわけだし
江南の独立で満足しちゃった孫権も何だかなあと思わされる

385:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:30:09.28 cQ1kgmc3O.net
東晋の北伐は調べると結構北上出来てるし
それに比べると確かに呉蜀はあんまりロマンがない
まあ時代も割拠する勢力も違うから単純に比較しちゃ駄目だろうけど

386:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:44:30.55 uxNpc1Em0.net
>>372
340年代後半以降の東晋は寿春と淮陰(廣陵)、襄陽を保持していたから呉とは条件がかなり違うんだよなあ
呉は東晋みたいに泗水や沂水、潁水、汝水、過水からの北上ができなかった
つーかドン詰まりだな、孫呉は

387:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 22:01:55.15 9sAFpvZ80.net
呉がどこを落とし所にしてたのかが全く分からないから詰まってるのかどうかも分からん
天下を狙ってたなら確かにどん詰まりだし何考えてたにしても結局は滅ぼされてるわけだけど

388:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 22:08:29.21 hvzgDQki0.net
赤壁で無闇に突っ込んだのに、肝心の漢中で撤退しちゃった挙句に
涼州・揚州で徒民しまくったのがアカンかったんや!

389:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 08:26:10.97 GWiCfnh60.net
>>375
曹操が何をしたいのか意味不明なんだよな
大局観がまったく無い
孫権の場合江南の自治・独立という大目的に絞ってみれば全て合点が行く

390:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 08:38:59.24 Fvt/e7yI0.net
>>357
>>劉備みたいに民衆や妻子や義兄弟まで撒き餌にして無様な脱走という場面は思いつかない
これなんかおかしくね
なにベースで語ってるのここ

391:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:35:45.62 WmqBskX90.net
漫画かな

392:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:39:33.15 OYkziHIc0.net
>>376
華北統一後は曹操の大好きな光武帝モデルも破綻してるしな

393:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:45:51.64 TFfCA6sG0.net
>>377
・徐州では関羽と妻子を捨てて逃走 関羽と妻子は捕えられる
・長坂では民衆や妻子を捨てて逃走 娘は捕えられる(甘夫人と劉禅は趙雲が回収)
この辺りかと

394:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:56:46.37 jXmEyYM10.net
>>352
そもそもあのまま戦って袁術を追い返せていたのか?
まあもうちょっとしたら孫策との不和で徐州どころじゃなくなるが

395:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:11:06.89 TFfCA6sG0.net
>>365
>ただ劉備が曹操と同等以上の大部隊運用の才能を持っていた可能性を指摘しただけ
夷陵が無ければ同意
夷陵みたいな名の残る将官クラス両手に溢れるぐらい戦死という敗北は三国時代以外でもあまり聞かない
曹操でも夷陵みたいな負け方はわざとでも難しいだろう
曹操なら負けても傷口浅いうちに撤退しているだろうから
夷陵は曹操よりも明らかに大部隊運用の才能のない曹丕にもディスられてるのが何とも
曹丕には「お前が言うな」と言いたいw
劉備の漢中戦での勝利は法正によるところが大きいし
別動隊の張飛馬超呉蘭雷銅の方は敗北しているので
純粋に大部隊運用の才能でももっと実績残している曹操の方が上かなと思う

396:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:22:17.59 KtcN5r/F0.net
夷陵は部下から諫言を何回も受けても強行して惨敗って言う暗君テンプレを地で行ったからな

397:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:24:13.88 GWiCfnh60.net
>>382
曹丕の評価なんて意味無いだろ
劉備の将器を傷つけるようなものではない
これが荀攸あたりからダメ出しされていたら確かにその通りだと納得できる話なのだが

398:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:35:26.86 TFfCA6sG0.net
>>384
いや曹丕みたいな戦下手な奴に「劉備は戦の仕方を知らない。必ず敗北する。」
なんて正論吐かれて実際その通りになったのが酷いんだよ
あれで俺の中の劉備の評価が大きく下がった
まあ>>384には曹丕と同じで俺の評価なんて意味無いだろうがなw

399:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:20:28.45 x8echu2W0.net
>>385
結果論で劉備<陸遜は成り立つし劉備>夏侯淵も成り立つ
そして直接対決の結果で劉備≒曹操も成り立つ
口だけ番長の曹丕の出る幕なんて寸土も存在しないわけだけど頭大丈夫なの?

400:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:41:15.03 SXSee3NK0.net
議論するのは良いが、相手の人格攻撃はやめれ

401:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:58:44.63 F4lJEIKP0.net
曹丕が何をもって劉備の敗北を予見したのか定かじゃないから何とも言えんが、曹丕がたまたま慧眼を発揮した可能性もなくはないだろ

402:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 13:20:01.99 bipVp5xH0.net
>>388
たまたま山勘当たったという話だとしても因果関係無くね
曹丕は一般に「戦下手」イメージのある孫権に負けてるのが痛すぎる(個人的には孫権は戦下手なんかじゃないと思ってるけど)
父親と違って戦争自体向いていなかったとしか……

403:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 13:42:39.60 F4lJEIKP0.net
>>389
慧眼と山勘とは違う意味で使ってる
俺も曹丕は戦下手だと思うが、後継者として全く戦術理論を学んでない訳はないだろうし、馬謖みたいな実戦下手だった可能性も充分ある
>>382は叩き上げの武将である劉備の総仕上げの戦いが、理屈だけの曹丕にdisられてるのが皮肉だって言いたいんじゃないの

404:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:06:47.74 bipVp5xH0.net
>>390
総仕上げの戦いではなくて完全に泥縄式な荊州奪還作戦、それも開戦直前に張飛暗殺とか万全には程遠くないかなあ
準備はそれなりにしていたけど張飛退場はやはりキツイ
曹操と劉備との漢中戦も泥縄と言えば泥縄

405:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:09:26.68 KOntbGlz0.net
ハルヒ暗殺で別働隊率いる将軍がいなくなったからな

406:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:24:33.54 uvBmPCU70.net
ここでも何回も話題になってるけど荊州を奪われたままじゃ劉備には破滅しか残されてない
だから多少どころじゃない無理をしてでも即奪還しないといけなかった
ここで時間を置いて準備をしてもその分相手も準備を整えるだけで状況が好転する見込みなんてほぼ無い

407:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:38:49.99 l6/oDm2s0.net
益州一国じゃ現状維持が限界だからな。
その後成漢を建国した李雄も引きこもってたし

408:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:47:07.32 bipVp5xH0.net
益州政権で荊州取りに行ったのって劉備だけのような

409:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:52:39.85 jdHtbavu0.net
>>391
泥縄を言い訳にするなら攻め込む資格なし
攻め込まれる方はもっと準備していない場合多いのに何言ってるんだか
張飛死んだのもある意味深刻な問題放置していたからで
張飛は死ぬべくして死に
夷陵は負けるべくして負けたとも言える
>>392
黄権・ホウ林「」
>>393
それなら悠長に季漢皇帝に即位する時間惜しんででも荊州失陥翌年にとっとと攻めるべき
魏は曹操死んで禅譲もあってそれどころではないし
呉も呂蒙蒋欽孫コウ死んで軍弱体化そして荊州租税免除するぐらい荊州の地盤固めに追われてんわわんや
まあ実際は漢中戦や関羽死亡のダメージで劉備も軍動かす余力が無かったと思うが

410:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:58:56.99 P4ZgiEfQ0.net
張飛なんか使わず馬超を使えばいいのにな

411:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:40:52.30 uvBmPCU70.net
馬超が北に睨み効かせてないとおちおち他所に出かけられん

412:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:42:44.64 uvBmPCU70.net
>>396
>劉備も軍動かす余力が無かった
うん、だから多分ほぼ最速であのタイミングだったんじゃないかと

413:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:45:01.11 /vtSPJcd0.net
見方を変えれば五胡十六国みたいな中国大陸を異民族に蹂躙された原因って
呉蜀がしつこく魏に反抗したからだよなぁ
漢王朝の復興とか劉備の言ってるのは大義かもしれないが
庶民にとっては災難でしかない

414:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:48:02.38 UrgZJT7J0.net
安帝の頃から羌族にボコられてるからあんま関係ないぞ。

415:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:51:39.91 jdHtbavu0.net
>>399
最速であのタイミングで
呉は準備不足で陸遜の文弱ぶりな混乱指揮で武陵反乱もあるのに
あの負けっぷりは相当深刻
負け戦の責任を全て馮習に押し付けたいのもわかるが
どう考えても劉備の大部隊運用の才能は曹操と比べるのは失礼なぐらいのレベルなので>>382に同意
あれならどのタイミングで夷陵戦役しても詰んでる

416:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:07:32.36 bipVp5xH0.net
>>397
馬超は荊州行くまでの道に不案内でしょ
この経路使った経験のある張飛以外の適任者が見当たらない

417:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:10:03.01 jdHtbavu0.net
>>403
張飛以外だと同じく経路使った経験ある趙雲か諸葛亮が適任か
張飛に劣る人選なのは同意

418:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:13:23.08 GaGy/KPY0.net
>>402
曹操がこの時代唯一無比の最強の司令官ってことで良いけどさ、じゃあ何で天下統一出来ないんだよw

419:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:18:26.22 jdHtbavu0.net
>>405
シンプルな結論出すと
曹操に天下統一するだけの実力も才能も無かった
以上w
他は実力も才能も曹操未満なので曹操はまだ少しマシな程度

420:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:30:28.75 GaGy/KPY0.net
>>406
「曹操未満しかいない」
呉と蜀は仲違いしていた
何で天下統一できないんですかねえ?

421:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:38:22.01 SXSee3NK0.net
・そもそも曹操が独立勢力築くのが遅かった
(スタートが泡沫候補レベル)
・最有力候補・袁紹政権を併呑するのに8年掛かった
(江南諸政権に地盤固める時間的猶予を与えてしまった)
・見切り発車で赴いた赤壁で、孫呉に華北政権とやりあって五分に持っていける自信をつけさせてしまった
・関中に転進した時点で江南の併呑を諦めてたっぽい
(華北統一=天下統一と宣伝?)
一代で天下統一するには群雄が勢力を固める前(だいたい10年位?)に
攻め込まないと大体長丁場になる
この辺は多分天下人の能力云々関係ない

422:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:42:19.42 jdHtbavu0.net
>>407
>>406に結論書いてるのに何度も書かなきゃわからない莫迦ですか?
こういう意味ない煽りレスは無駄なんで
だから2chてろくな奴いないとか思われちゃうんだよ

423:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:47:26.27 U7TfeCYc0.net
劉備が蜀取ってから漢中攻略まで四年も無いような
蜀を乗っ取った劉備に対する早期攻撃論を無視したのは曹操自身なんだよな
たしか後世の史家から「赤壁は焦り過ぎ、漢中は焦らなさ過ぎ」みたいに評価されていたような

424:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:50:58.58 GlUChc740.net
ぶっちゃけ曹魏より勢力デカかった前秦や北魏も南朝を屈服させられなかったから、統一するにはなんか欠けてたんやろな

425:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:53:55.92 GaGy/KPY0.net
>>409
曹操が赤壁と漢中で敗退したこと説明できてないからねえ
曹操未満の相手しかいないのに何で敗退するのやら
天下統一抜きでいいよ、純粋にそれぞれの戦役で何で曹操は勝てなかったの?

426:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:54:08.88 U7TfeCYc0.net
>>409
書いてある内容が矛盾しているからなのでは?
俺だったら「曹操≧劉備・孫権」みたいに書くけど
「曹操>その他w」と煽り気味に書き込んだら反発食らうと思うよ

427:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:56:32.63 jdHtbavu0.net
>>413
確かにそうですね
申し訳ない
以後気をつけます

428:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:00:19.65 U7TfeCYc0.net
>>411
前秦はだいたい西晋に準じた侵攻要領採用したけどボロ負けした
百萬の大軍を動員した上に蜀や襄陽まで保持していて負けている
何事にも絶対はないと思う
だから赤壁の敗戦には偶然的な要素が当然あったと思うし
劉備の夷陵にしたって偶然的な要素が結構左右している、張飛の急逝とかね
勝敗を有能無能で論じるのは好きじゃない

429:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:09:33.12 U7TfeCYc0.net
ただ222年~223年に魏が呉を押し切れなかったのだけはいまだに理由が分からない
あれは勝ちパターンでもおかしくない態勢、荊州なんてボロボロだったわけだから
濡須口なんてどうでもいいから荊州取りに行こうよ、曹丕さん

430:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:21:15.73 VzmYINbK0.net
>>409
Twitterよりかは今の中英板の方が居心地良いは
何だかんだ言ってこのスレ好きだし

431:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/24 21:53:56.86 xTgtRPIT0.net
天下を支配できる器>>>>越えられない壁>>>>>>曹操>劉備、孫権
だっただけ
どう転んでも一地方政権のどまりの三流人物が、その器に相応しいだけの領土支配して人生の幕が引かれただけだから

432:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/24 22:58:00.07 yBnw7cXm0.net
孫呉における江南フロンティアの独立意識の確立というのが割と曲者な要因だと思う
天下統一したり覇権を求めたりというのとは違ったポジショニング
これさえなかったら曹操にしろ劉備にしろもう少し単純な天下争覇になっていたような気がしないでもない

433:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 10:34:46.44 8wsn5Nso0.net
天下統一を果たした連中は40歳ぐらいで天下統一してるから
その頃にまだ格上がいる曹操たちは天下を治める器ではなかったのさ

434:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 11:42:57.05 HQZYhhaW0.net
前漢高祖・劉邦「え?」
西晋武帝・司馬炎「え?」
唐高祖・李淵「え?」
元太祖・クビライ「え?」

435:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 15:17:16.20 8wsn5Nso0.net
>>421
そいつらよりも出世が遅いだろ

436:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 16:59:43.91 cL+4bdIDO.net
司馬炎とクビライは統一出来なきゃ駄目だろってレベルで恵まれたスタートじゃね

437:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 18:18:03.19 8wsn5Nso0.net
器ではなく天命と書けばよかった

438:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 18:50:52.93 BcsPCv890.net
>>423
禿髪樹機能の反乱とか抱えていて伐呉は結構難易度高かったと思うわ
孫晧じゃなかったら成功しなかったかも

439:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 19:30:15.43 55Zsu0Fw0.net
何だかんだで呉は優秀だったな

440:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:23:40.87 aHGaXuvj0.net
曹操は中華(?)の統一事業はそもそも乗り気じゃなかったんじゃないかね

441:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:30:01.04 tOoGkeJE0.net
それはないと思うわ
特に某漫画が人気でてからそういう論調強くなったように思うけど

442:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:34:13.72 s97MV58/O.net
取り合えず目の前のことと、そのわずか先に起こることを考えながら必死にやってたら華北統一じゃないの
信長秀吉家康もそんな感じじゃない

443:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:43:27.63 KRG8RdKn0.net
>>427
赤壁で負けて以降内向きになっちゃっただけだろ
秦の李信にしろ前秦の苻堅にしろ南征で負けることは不思議でも何でもないし事業としてのハードルは高い

444:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:44:27.29 HQZYhhaW0.net
馬超と関中で殴り合いする頃に、関中併合=天下統一みたいな論調だった
みたいな話があるけど、どこまで本当なんだろうか

445:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:29:29.94 Ikk1FYtw0.net
>>423
隋の楊堅が北周を簒奪する際に尉遅迥らに大規模な反乱起こされたのに比べたら恵まれてるな

446:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:41:42.06 H5RD/20C0.net
>>431
蜀郡、南郡は漢代通じて戸籍人口の多い大都市圏だからその言い訳は苦しい

447:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:44:36.85 p0/1jRCt0.net
司馬炎は涼州での禿髪樹機能の乱(足掛け10年)と軍縮やりながらって縛りかけての統一だから楽ではなかったんじゃないかな。

448:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/27 06:54:23.08 uDNRNx8M0.net
>>432
宇文憲が宣帝に粛清された時点で強力な元勲は遅尉迴と韋孝寛ぐらい
能吏だった韋孝寛が遅尉迴の討伐担当してくれた時点で楊堅の勝利と多数派確立は約束されたようなもの
(韋孝寛は討伐直後寿命でポックリ)
こいつが一番棚ぼた建国者だわ

449:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/27 08:33:34.08 bUx5zTu30.net
清の趙翼も「楊堅の棚ぼた力は異様」とか書いてたしな

450:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/29 00:07:07.77 6PIsV9yn0.net
>>432
陳の戸籍人口は推定200万人で滅亡時の呉以下の国力
江陵は建国時から失っていたし六朝最弱と言っても過言ではないかもしれない
そんな陳に淮水流域を攻め落とされる北斉後主という壮絶ボンクラ
そりゃ天下統一されますわ

451:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/29 21:49:19.63 e/7SuChZ0.net
>>434
世代的にも結構ギリギリのタイミングだったんだよな
熱血軍艦ジジイ王濬があんなにハッスルしてたのは最後の漢王朝産まれだったからだろう
産まれた時から三国だった次世代以降がこいつらほど統一に意欲的になったか疑わしい

452:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:06:46.05 ULanqr8V0.net
赤壁の戦いで劉備が大して活躍しなかったみたいな論調を時々見かけるんだが
あれの出処ってどこなんだろうな
武帝紀、先主傳はおろか呉主傳でも本文において劉備が曹操と交戦したことが記述されていると言うのに

453:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:36:18.94 AQE3c5W00.net
普通に三国志演義のカウンターじゃね
演義だと、孔明が風吹かせているし、関羽が見逃がさなければ曹操は死んでた
っていうイメージが強いし

454:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:59:22.44 ULanqr8V0.net
>>440
各君主の紀傳を読んだ限りだと周瑜よりは劉備の方がメインっぽいんだけど
演義だと何で諸葛亮と周瑜が主役になっちゃったんだろう
劉備の参戦キャリアで赤壁が腫れもの扱いされてる印象をここ最近感じる

455:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 18:20:59.66 vFgSj7+10.net
そりゃ読み物として面白くするためでしょ
あくまで演義は物語なんだから

456:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 18:30:36.03 AQE3c5W00.net
腫れ物っていうか興味持って調べる人と調べた結果を受け入れる人の両方が少なかっただけじゃね
劉備を優秀な戦争屋として捉える人もいるし、きちんと史料に残ってるのを組�


457:ン立てられるなら 赤壁の戦いにおける劉備の行動も真面目に取り上げられるようになるでしょうよ まあ、俺は赤壁における劉備の戦績まったく分からんけど



458:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 19:01:47.34 zLK0j9UA0.net
劉備って演義でいい人だけど力がないから有能な部下達が王にするべく活躍する
みたいに描かれていてカリスマ主人公を好む現代人にはあんまり好かれないようになっちゃってるけど
正史だとがらっと変わっていろいろ活躍してんのにね
演義とか漫画やゲームでしかふれていないとそんな印象しかないのかも

459:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 19:20:26.24 ULanqr8V0.net
普通に考えれば曹操の大軍を周瑜らの二~三万と協同したとはいえ
戦力上の劣勢をひっくり返して撃退、荊州南部奪回の足掛かりを築いた戦勝の立役者として
劉備はもっと持ち上げられていてもおかしくないとは思うんだが
変な意見だと「赤壁は無かった」とか言う人も出てくる始末で
演義にしろそれに対する反動意見にしろ少しピントがずれているような気がするんだよなあ

460:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 20:41:09.57 n9EDq+040.net
正史触り始めの人に顕著だけど
演義がフィクションと分かってその反動で
過小評価が行き過ぎてしまう人は結構多いからな

461:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 22:31:05.86 uHYfiMCG0.net
歴史書でも正史三国志と後漢書で人物像が違ったりするから読み慣れてないと混乱するしね。

462:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:35:41.22 HmixdjHw0.net
>>439
>>443氏の
>まあ、俺は赤壁における劉備の戦績まったく分からんけど
これが主因だな
どうみても曹操と交戦していたのは周瑜率いる呉軍
劉備は江表伝だと周瑜に邪険にされていて部外者扱い
赤壁戦後の江陵攻略戦でも主力は周瑜率いる呉軍で
劉備はその隙に荊南四郡を切り取ってたに過ぎない

463:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:42:14.78 9shZE4vY0.net
>>448
江表伝採用したらそりゃそうなるだろう

464:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:43:10.03 9shZE4vY0.net
本文だけだと「どう見ても」曹操を撃退したのは劉備になる

465:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:54:47.04 uHYfiMCG0.net
周瑜伝ですら「周瑜と程普は劉備と力を合わせて曹操の軍を破った」って書かれてるからな。

466:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:56:52.09 ULanqr8V0.net
>>448
江陵攻略は周瑜メインだろうけど赤壁で曹操と主に対峙したのは劉備でしょう
どう戦ったか分からない会戦なんてごまんとあるわけだし戦績なんてあんまり気にならん

467:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:33:35.11 KY2c7o4P0.net
>>452
いや具体的な戦績示せないから劉備の赤壁での功績が評価できないんでしょ
だから赤壁の戦いで劉備が大して活躍しなかったみたいな論調になるのは必然
本文でも周瑜伝みたいに具体的な戦績がわかるように書いているのもあるから
どう戦ったか分からない会戦とか言い訳にしか聞こえない
劉備が評価されないと嘆くよりも先にやる事有るだろ
中国渡って劉備がどう戦ったか具体的な戦績書いてある古門書探すとか
タイムマシンで赤壁行くとか霊媒師で赤壁戦戦った兵士呼び出して聞くとか
何でもいいからとっとと劉備の戦績探して来いw

468:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:39:29.64 GdpzFUxD0.net
>>453
武帝紀本文に周瑜とか出てきてないから周瑜伝の内容って粉飾塗れの自己申告だろ
魏では周瑜に負けたという認識なかったわけだし

469:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:42:54.46 gBjyuPBZ0.net
>>453
久しぶりに香ばしいのが来たな

470:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:49:55.53 OLkjej3Q0.net
劉備主戦説の人は劉備がどのように曹操を破ったと想像してるの?

471:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:53:12.53 09aZMajr0.net
周瑜主戦説の人は魏書に載ってないことどう思ってんの?

472:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 01:10:59.71 OLkjej3Q0.net
>>457
いや煽りじゃなしに真面目にどういう経緯を辿ったと考えてるのかが知りたい

473:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 02:39:25.98 aNL04/Pq0.net
ネットの又聞きになるけど
赤壁前後の劉備は一度周瑜と合流した後、襄陽から来る趙儼率いる七軍(張遼、于禁、張コウ、朱霊、李典、路招、馮楷)を拘束するために別行動取ってるみたいだな
その後赤壁で周瑜・黄蓋が曹操軍を火攻で打撃与えると、劉備は撤退する曹操の追撃を行ってる
(曹操は更なるダメージを追うけど、劉備の追撃自体からは逃れることには成功した)
この辺の経緯がどれだけ信憑性があるのか俺には判断できないが
曹操率いる主力を打ち破ってるのは周瑜・黄蓋という意味で周瑜主戦説は正しいし、
劉備が趙儼軍を拘束し続けたことも赤壁の勝利の一要因にはなってるので、劉備が赤壁で無為だったというのは誤りではあると思う
ただ赤壁の戦いが、劉備が主戦の戦いであったと主張するのはちょっと飛躍が過ぎる気がする

474:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 07:14:28.18 GdpzFUxD0.net
>>458
「十月以降、夏口で態勢立て直した劉備が孫権と同盟して、周瑜程普軍と?迸・并力して赤壁で曹操軍と戦って
最終的に疫病等で戦闘継続が困難になった曹操が江陵まで撤退した、さらに曹仁を江陵に残して北帰した
この際に劉備と周瑜は江陵までの追撃を協同して行っている」
周瑜伝の詳細な戦闘経過に劉備が出てこないから劉備は戦闘参加していない、は飛躍だろう
それだったら武帝紀も先主傳も呉主傳も全部嘘書いているという話になる
むしろ呉の立場からしたら「うち単独で曹操撃破しました」って書くべきだろう、実際はそうではない
それと劉備が別動隊みたいな意見をよく見かけるけど
并力したという記述はあっても、赤壁とは異なる戦場で作戦してた記述なんてあったっけ?

475:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 07:56:25.71 5FFwNs1d0.net
>>458
煽りなんだけど結局赤壁での周瑜との戦いが武帝紀に載ってないことの理由って何なの
交戦している相手を間違うなんて本当にミステリーだと思うわ

476:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:08:10.75 6j6qD3sv0.net
曹操あげがはじまってから過剰に劉備下げようとする人いるからね

477:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:26:37.22 5FFwNs1d0.net
通鑑で周瑜メインな記述になっていることが演義やら創作物に与えた影響は結構大きいと思っている
通鑑読んでいると「劉備何やってたんだ」とはなるもの

478:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:57:55.93 OLkjej3Q0.net
>>461
魏の撤退前後に周瑜とも交戦、被害があったが魏としては打撃を受けたと感じなかった
主に魏軍の追撃を行ったのは劉備で、そちらの方が被害が大きかった
これで一応の矛盾は解決する
自分としては疫病が赤壁敗退の主要因だと考えているので、別に劉備を下げているつもりはない
というか>>459>>460と同じで別に劉備が全く交戦してないとは考えてないわ
ただ、孫権と同盟を組んだ時点では劉備の戦力の方が少ないはずであるし、呉の存亡を賭けた戦いでもあるのに劉備が戦いを主導したと考えるのはその後の荊州のいきさつを見ても疑問が残る

479:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 11:59:20.18 5k8S6x1j0.net
>>455
多分三戦の蜀滅亡スレでも証拠出せとか変な絡み方してた人じゃないかな
あっちの新スレ立たなかったことでこっちに人流れてきたみたいだし

480:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 14:52:52.45 aNL04/Pq0.net
曹操が周瑜に敗れたとするのは多分、後漢書献帝紀の影響かもね
献帝紀だと孫権の将周瑜に敗れた、としか出てこない

481:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 21:44:19.45 pGY3yRxi0.net
魯粛伝だけ劉備がカッスカスに書かれてるのは不穏

482:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/05 16:53:58.39 zmlgjMPh0.net
そもそも呉志は怪しい記述のオンパレードだしなぁ

483:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/06 10:42:42.98 UCjN0tHq0.net
陳寿が韋昭の「呉書」からコピペしたん
じゃないかと。
そもそも蜀志だって陳寿の地元関係者(馬忠や張嶷や王平)や学友関係(譙周ら)と仕事関係(姜維ら)はみっちり取材してる感じだけど他は結構ガバガバ。

484:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 07:37:19.78 lp6Ug88U0.net
袁術の徐州侵攻の時って袁紹(袁譚)、曹操の救援は期待できなかったのかな?

485:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 08:33:01.61 Ly9AT0TI0.net
呂布いたから頼みづらかったのかね。

486:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 09:42:58.24 vBG2aWMKO.net
>>469
電車とか電話やメールがあれば、行動範囲もぐっと増えただろうから色々と調べやすかったろうにね

487:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 10:01:50.19 khg4atYa0.net
フィールドワークみっちりやってる司馬遷は神

488:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 13:34:53.02 L/MXNlst0.net
最速の移動手段がお馬さんだった時代

489:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 13:54:29.95 5PWvGlI70.net
しかもこの頃まだ竹簡メインで紙は超高級品

490:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 17:13:31.96 R88dp3Ur0.net
袁術って最後があれだから過小評価されてるけど
呂布も曹操も劉備も袁術にはビビってたんだよな

491:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 17:37:48.68 8l8fp2T70.net
一時は最大勢力だしなあ

492:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 19:29:07.74 IOXNmSji0.net
中華を二分した袁術と袁紹がいなくなってやっと曹操や劉備の時代だからな

493:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 22:19:05.36 01nLC9Tn0.net
後漢書だと二袁がメッチャ強いもんな。

494:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 22:53:01.72 UDI5H6oU0.net
関中の董卓、華北の袁紹、南陽の袁術による三国志

495:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 20:49:22.24 Gqxd3QSi0.net
協調性ゼロの関羽の突っ走り。
蜀を建てた孔明もこれにはヨイショしても抑せるようなものではなく、関羽を喪ってからの主君の自虐ももはや躊躇うものでもなかった。
主に殉じた形で北伐は行われた訳だな。
劉備のカリスマは貧農らにはそれなりだったのかな?

496:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 21:25:15.03 oQFgFk/10.net
君定期的に話を逆行させようとするね
もう新しく人が入ってくることなんてそうないんだからさ…

497:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 22:06:30.58 YjN1ZFnP0.net
>>480
南北朝テイストがぷんぷんするな

498:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:31:10.02 j4BHn9t30.net
陶謙がアップをはじめました

499:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:35:24.45 7i4lRqLU0.net
陶謙も五胡とかの10年くらいで潰れた君主のテイストが

500:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:59:48.63 N0SVj3PE0.net
後漢末の群雄割拠は永嘉の乱直後や前秦崩壊直後の華北と似たような状況やね
東晋元帝司馬睿ですら当初は一群雄みたいな存在だった

501:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 12:01:26.09 lUoq4SOP0.net
胡人のお兄ちゃんがいないだけだからね。

502:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 19:26:27.20 rgCCuWLX0.net
>>483
後漢末とその後の魏晋南北朝の最大の違いは関中政権の独立性の強弱かな
後漢末の関中はへっぽこ過ぎる

503:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/13 23:45:23.89 Erfrx1Yn0.net
やっぱ最近の通説通り、侠者の元には“阿保”しか寄ってこないし、支持する層も普通より教養も教育も無い人らが大半だった訳な。
そんなんらを相手に国を立ち上げたカリスマってのは凄い事だと思う。警視総監になるより、司忍になる方が凄いと俺は♂として思う。

504:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/14 09:00:41.24 gpNqzu0t0.net
どこからツッコめばいいのこれ(困惑

505:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/14 14:02:55.94 W/N9gsyT0.net
>>488
その頃の関中は原哲夫感が足りない感じ

506:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/15 23:11:04.05 8yO3gxtd0.net
>>412
先月の九州場所で横綱白鵬・日馬富士・鶴竜はいずれも大関稀勢の里に敗れたけど
何で白鵬・日馬富士・鶴竜は勝てなかったの?
>>461
大坂の陣で徳川家康が戦った相手(大将)は誰?
ちなみに真田信繁・後藤基次・明石全登・長宗我部盛親・毛利勝永とかは大将じゃないよん

507:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/16 21:52:47.87 WOM+Y08V0.net
>>491
馬超さんとか三国時代よりは圧倒的に五胡十六国時代向きの人材だろ
あの人おかしいよ

508:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/17 08:51:09.75 S26sF37V0.net
馬超さんSAN値が最初から低そうだしな。
冉閔とか赫連勃勃とかとどっこいどっこい

509:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/17 16:26:42.86 96xiyeuA0.net
関西の武将は儒教の理の外にいる世紀末系が多いから仕方ないね

510:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 10:56:31.12 YhhecvUM0.net
孫晧さんも最初からSAN値ゼロっぽい

511:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 19:51:52.65 4/CEtLy40.net
腹減ったら中原に出て来て殺戮の限りを尽くして飯全部持って帰って行く
李カクさんに比べれば可愛いもんだろ

512:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 19:53:19.77 4/CEtLy40.net
天下統一と直接関係ないとは思うが、徐州時代に田予と別れたのは劉備軍にとって
結構大きな穴だった気がする

513:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/18 21:45:52.22 FalAfMTI0.net
>>487
南匈奴や烏桓がすでに騒乱の面子として登場しているから
そこまで五胡十六国時代との隔絶は感じなかったりする
2.笮融さんとか生まれる時代を間違えてるわ

514:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/19 08:16:58.33 RjIiLbqX0.net
>>498
幽州の有力者を徐州まで連れてきちゃいかんでしょ

515:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/19 18:33:27.06 QRl5gt8N0.net
>>496
孫皓さんは孫峻・孫チンらの政争を見てきてるから身内に対して不信感が強かったし
そのうえ即位する直前に蜀が滅んで交州が離反してるからもうだめぽってなってたしなあ
なまじ聡明だっただけに先が見通せてしまってノイローゼになった感じなんだよな

516:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/19 23:03:25.34 D4zwbQiz0.net
>>500
田豫が幽州の有力者になったのは劉備と別れてから
それまでは劉備の可愛い舎弟

517:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/20 02:20:38.08 io/rt2Wz0.net
田豫さんと別れたのは劉備にとってはかなり痛いよね。
しばちゅうさんからも先輩として立てられてたし

518:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/20 10:42:55.97 wMJKCiHeO.net
田予「知らない土地はもう嫌や」

519:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/20 10:45:14.90 5SBgV1vR0.net
簡雍「情けないやつ!」

520:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 01:57:57.55 WTmWYrTR0.net
他力本願だが宛城の戦いで曹操が死んでいれば、劉備には少なくともチャンスは回ってきた

521:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 04:48:54.65 XV2yqUR70.net
仮に宛城で曹操が死んでいたとしても、その頃の劉備なんて呂布にやられてて
曹操が助けなきゃどうなっていたか分からない状態だったでしょ
そこを切り抜けたとしても、すぐに袁紹の勢力が公孫サンを下して断トツの勢力になるし
官渡の戦いも起きないから中原をあっと言う間に統一するはず
それを逃れていたとしても、曹操の官渡後の袁家掃討に費やした7年間のような自由時間もないし
劉表は親袁紹だしで、むしろノーチャンスになってる可能性も高いんじゃないかな

522:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 12:05:09.17 O8K8Ostt0.net
袁紹死後の混乱に付け込むくらいしかチャンスないな

523:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 12:46:13.72 836bn6oc0.net
曹操が急死した段階で献帝政権のレームダック化不可避となるからカオスになるとしか言いようがない
献帝が物理的に退場した時点で劉焉、劉表あたりが王号僣称しても驚かねーわ
地方軍の力が強大な東晋みたいな王朝が一足先に生まれそうな予感

524:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 12:49:38.99 836bn6oc0.net
劉備はそんな中でも取り敢えず献帝のことは支えようとするんじゃねーかな
何だかんだで豫州や徐州の士人たちは曹操の代わりに劉備を持ち上げそうな予感

525:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 15:16:11.09 DTpR6fAf0.net
献帝の最大の庇護者が曹操ってオチ

526:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 16:04:09.77 nA9dbYTF0.net
>>511
曹操暗殺計画の糞さが実感できる

527:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 16:22:03.80 QyPODmX+O.net
暗殺計画が献帝から出たものばかりなら、さすがに廃帝させられそうだが

528:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 18:05:43.16 Yu8ieVCa0.net
>>503
痛いどころでないな
219年初の侯音の乱で混乱した南陽郡を
田豫が南陽郡太守になって鎮撫したのが
ちょうど関羽が襄樊攻めてた時期
関羽も田豫や徐晃ら親交深い旧同僚に進撃邪魔されているのが泣ける
本当に同僚(士大夫)に嫌われてるのな関羽は

529:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 18:55:58.92 S/BaQ+Yx0.net
田豫さん胡人コロコロ以外にも地方官としても優秀だからな。

530:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 19:44:14.87 WTmWYrTR0.net
田豫、黄権、徐庶、陳登、糜芳、孟達などの有能な人達が他勢力に加わったら勝てるものも勝てない

531:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 20:33:21.98 uodQeVsD0.net
・中原の争いからの脱落
・荊州陥落
・夷陵の大敗
大きな原因としては、この三つが転機じゃなかろうか
中原の劉備は、何気に各勢力の尖兵的立ち回りだったが、そうなると曹操に付くのが
結局正解なんだなぁ
そうなると曹操裏切るタイミングになるが・・・・

532:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/21 22:32:44.15 QyPODmX+O.net
>>516
糜芳は光栄ゲームと失態で留守番イメージで、優秀なイメージがなかなかわかない
曹豹もか

533:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/22 12:33:25.74 HAQ3Uhgw0.net
>>517
曹操が霍光的なポジションで終わりを全うしてくれれば劉備的には何ら問題なかったと思うよ
漢王朝の建て直しは成功し劉備も曹操に次ぐ元勲として顕彰されて万々歳のハッピーエンド

534:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/22 13:50:54.28 nHBnGREB0.net
仮想戦記 曹劉伝

535:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/22 17:27:35.30 Gfx1znmC0.net
曹操暗殺計画がなければ劉備はそうなったんじゃないかなあ
統一も曹操の代で完了


536:した可能性ある



537:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 13:30:31.09 xTXqaxMe0.net
曹操って暗殺にしろ合戦にしろ
いつ死んでもおかしくなかったシーン多すぎるよなw

538:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 13:58:17.42 Rme/AZW50.net
献帝を担ぐまでだけでも2~3回は死にかけてるからな。
vs徐栄(乗馬を失う)vs丹陽兵(自ら白兵戦に及ぶ)vs青州黄巾軍(友人の飽信が戦死し死体が見つからないほどの激戦)vs呂布(濮陽を攻略中に呂布に襲撃され落馬して火傷を負う)
強運は創作だと劉備のイメージだけど実際は曹操だよね。

539:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 14:41:52.46 I365aN470.net
正直、曹操はどう考えても主人公補正掛かってるだろ
っていう展開多すぎて困る

540:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 14:48:09.56 GiHeExao0.net
そんな中で劉備はどうしようもないくらい二番手なんだけど
曹操食っちゃうくらい魅力的だったのが両者にとっての不幸だったんじゃないのかな

541:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 15:17:49.44 dumjexB70.net
劉備が曹操裏切ったのって、袁紹に分があると思って寝返っただけだろ
献帝の密勅があったため、なんて袁紹への手土産(劉備がでっちあげた)か 後世の創作

542:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 15:33:01.29 LNoJ31EmO.net
断れば殺される状況で、曹操に密告したら世間から大非難されるとか

543:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 20:02:16.70 5MMsciS80.net
劉備は上れるとこまで上り詰めたかったんじゃないのか
陶謙を暗殺して徐州を譲り受け、皇帝を庇護する曹操が邪魔なので袁紹に組みし、
民衆を盾に曹操から逃れ、劉章を攻めて益州を奪い取った
こう考えた方が普通だろ・・・・・

544:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 20:16:34.30 U0EQVdvE0.net
>>528
脳内設定はちょっと…

545:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 20:35:10.41 vxqD4KVV0.net
>>526
あれって劉備が寝返ったことで一気に袁紹有利になったみたいな考察なかった?
普通に考えたら献帝推戴している曹操の方が有利なような気がするんだよね
袁紹冒険しすぎだろう

546:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 21:20:08.37 zAmaT9fR0.net
>>526
劉備は曹操の下を離れたあと袁紹の下には向かってないんだよなぁ…
結果的には曹操に身ぐるみ剥がされて転がり込むことになったけど

547:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 21:20:56.39 zAmaT9fR0.net
>>528
あの状況で陶謙殺してまで徐州手にするメリットってなんですかねぇ…

548:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:12:02.09 3d+pxYK80.net
>>531
徐州で曹操に反旗を翻すとほぼ同時に袁紹に同盟申し込んでるよ
裸一貫で袁紹陣営に転がり込むより、徐州引っさげて同盟って形とったほうが
自分の値を高く売れる

549:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:25:34.16 LNoJ31EmO.net
>>530
暗殺計画辺りは袁術健在だし、徐州着いた直後に反乱ならともかく、倒した後だしな
曹操裏切るなら、袁術見逃した方が良いような

550:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/23 22:33:36.17 a4/q/PCj0.net
劉備は袁譚の茂才の推薦人だしな

551:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 09:18:10.65 p3vVIT9R0.net
>>534
観察復興を掲げるのなら僭称皇帝袁術は不倶戴天の敵
それは曹操も劉備も一緒
敵の敵は味方という法則は袁術に関しては曹操も劉備も何故か通用してない
劉協が偽帝と考える袁紹や
漢からの官位が低くて霹靂している孫策にとっては袁術はそこまで悪の存在ではないか

552:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 10:33:29.19 hbjptiyFO.net
偽帝と考えるなら、袁紹が自分で皇帝を担いでも良かった�


553:ネ その董卓みたいな厚顔さの無いとこが、天下狙えなかったのかな



554:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 12:08:46.37 VimTL5iL0.net
劉虞さん担ごうとして断られたからな。
まあ二袁の場合献帝劉恊への嫌悪感なんだろうけど。

555:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:13:12.03 cWfvARYj0.net
>>528
基本的に劉備って糞野郎だよね

556:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:22:27.99 Pc3pDjk80.net
>>539
袁紹ほどではないと思う
後漢末期の群雄割拠って何でああなったのか未だに分からん
許昌の朝廷は袁紹から官位剥奪して庶人に落とすくらいの強硬措置取れよと言いたい

557:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:26:21.73 fFfGTipa0.net
昨日あたりから病的な劉備嫌いが現れてるような…

558:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 13:31:01.94 uOeqZ0iX0.net
後漢の皇帝って東晋や明の次くらいに地位が安いからな。
皇帝が率先してリーダーシップとってたの和帝ぐらいまでで後は宦官や外戚のオモチャ扱い。
霊帝は再評価の向きあるけど

559:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 14:29:56.98 pTAhkhSq0.net
>>541
え?結構前から住み着いてるだろ

560:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:13:32.27 UwmX4Ija0.net
まあ董卓系は置いといてまずは2袁の争いがありきだからな
曹操だって最初は袁紹陣営でしょ
逆に劉備は公孫賛=袁術陣営だった
・袁紹派・・・曹操、劉表
・袁術派・・・孫堅、公孫賛(劉備)
んで呂布が東に逃げてきた当りからごちゃごちゃしだしたとw

561:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:40:33.10 hbjptiyFO.net
>>540
それだけの一大勢力だったんだろうけど、袁紹は袁紹で世の中を引っ掻き回すほどの度胸がないと
移民いらねトランプに対して、移民いらねと言おうものならネオナチ扱いな欧州みたいに、悪いとわかっていても萎縮させて、ズルズル悪い方に向かわせる変な空気があったのかも

562:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/24 21:48:02.39 Ac2o2cFk0.net
>>544
曹操の徐州侵略も袁紹の指示って説あるしな。
何人か袁紹から指揮官が派遣されてるし

563:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 10:58:25.39 5didB7Cw0.net
んで袁術派の陶謙の救助に行ったのが同じ袁術派の公孫賛の部下劉備なわけで

564:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 11:37:29.47 S3RqMosiO.net
そしてしれっと袁紹派に鞍替えする劉備
劉備が徐州維持出来なかったのって必然的だったのかな

565:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 11:50:23.27 5didB7Cw0.net
呂布による混乱で一時的には曹操が漢滅のピンチになったけど
結果的には袁術派が弱体壊滅して曹操が飛躍するきっかけになったな
劉備が袁紹側になったのは曹操との敵対が決定的になってから

566:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 12:52:12.37 MaHajtP50.net
ふつうなら裏切りゲス野郎の方が責められるとこだけど
うまく「曹操が悪者だから裏切られて当然!劉備さんステキ!」みたいな風潮作ったよなぁ
やっぱ献帝の密勅って創作だわ

567:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 14:16:08.36 S3RqMosiO.net
劉備善玉化は魏晋の統治がgdってたから悪いとしか
異民族の圧迫で華北から追い出されたって状況があるとはいえ

568:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:22:54.54 1qwkLZWJ0.net
劉備はなんで最初に袁紹を選ばなかったんだろうな
両者にコネあるなら公孫瓚に付くよりはマシな選択肢だと思うんだが

569:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:40:35.79 T6Tqt6+7O.net
鶏口牛後的な選択かな

570:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 15:43:43.94 T6Tqt6+7O.net
袁術は今で考えているより、勢力があって有能だったのかな

571:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 19:21:26.57 VxvTa3kD0.net
そら董卓亡き後の中華は袁紹袁術の二大勢力の争いだし当初は袁術の方が明らか有利だったからな
袁紹に義理があるとか袁術に恨みがあるとかじゃなければ袁術に付くのは全くおかしい選択じゃない

572:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 19:27:41.90 Yx10+A0H0.net
なお袁紹の腹心でありながら何故か袁紹の意に反して献帝を奉戴し混乱に拍車をかけた曹操とかいうトンチキもいた模様

573:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:10:47.46 05ojkJZD0.net
そのトンチキが二袁を食い尽くした後に劉備とかいう更に上をいくトンチキに足元掬われてるんだから
歴史は意味分からんよなあ

574:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:24:27.20 1qwkLZWJ0.net
>>555
まぁ袁紹対袁術で見たらそうなんだけど、対公孫瓚で見た場合は違くないかなぁと
逸話によれば明らかに性根曲がってるし将器も二流止まりな感じだし
権力的な意味でも公孫瓚繋がりの袁術派より袁譚繋がりの袁紹の方が良いポスト貰えそう
劉備が最初から袁紹派として活躍してたら官渡も結果変わってたかもしれないは言い過ぎか

575:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 20:57:52.63 5didB7Cw0.net
袁術は元々袁家の地盤をそのまま引き継いだのに対して
袁紹は自ら切り取っていったからな
序盤に関しては袁術の方が有利だった

576:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 21:14:05.28 yFsR/V550.net
袁紹も流石に曹操ほど酷くないけど結構危ない橋渡ってるからな。

577:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/25 21:43:09.86 T6Tqt6+7O.net
大塚家具の親父と娘と、どちらにつくかな感じかな
喧嘩した時は娘が有利で、今は客足いまいちだとか。
でも、また娘が逆転するかもしれないし

578:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 02:13:35.93 bj1DDqib0.net
河北の争いも公孫さんの方が勢力が大きかった時期もあったような

579:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 02:52:43.95 LhxJPlpn0.net
公孫瓚は戦争だけはやたら強いからな
界橋で惨敗するまでは威勢良かったし

580:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 09:03:35.49 YyKfVBey0.net
>>525
生き方がドラマチックすぎるからね
ただ態度や振る舞いがラスボス向きだからカスタマイズする必要があったみたいだが

581:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 09:09:00.50 VlLXHVd10.net
>>560
一番危ない橋渡っているのは袁紹のような…

582:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 15:27:05.97 uzYmy+b5O.net
呂布に裏切られた時、劉備は袁術討伐命じられてたはずだけど、幾ら勅命とはいえ名主を良く討つな。
その頃には曹操派に鞍替えしてたのか、袁術と打ち合わせして、グダグダな戦でもやってたのかな

583:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 16:34:03.19 FpomnsH40.net
そもそも陶謙が生前に袁術に背いたから陶謙から徐州引き継いだ時点で劉備は

584:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 16:36:27.64 FpomnsH40.net
途中送信だよバカ野郎
徐州引き継いだ時点で袁術からは既に敵対行動を受けてる
だから最初劉備が徐州引き継ぐの渋ったのは多分様式美じゃなくてガチの本音

585:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:03:30.74 1p20vDas0.net
全盛期袁術がどのくらいの勢力だったのかイメージできん
あれだけボコられておいて何で勢力保ち続けていられたんだ?

586:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:07:15.03 YyKfVBey0.net
>>569
南陽郡が当時最大の人口集積地だし
敗走してから揚州北部を即座に接収して全盛期を迎える
なんだかんだ言って陛下、戦以外は上手いんだよ

587:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 17:28:47.30 uzYmy+b5O.net
対立してるなら、わざわざ陶謙とこに何しに行ったのだろう
公孫さんの命令で行ったものの、一国一城の欲にかられたか
みんな行き当たりばったりで、大局的じゃなさそうだし

588:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:23:13.45 YyKfVBey0.net
>>571
徐州が曹操に取られたら青州は包囲状態に


589:なるから



590:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:30:26.07 5eu032AH0.net
>>571
救援行った時点ではまだ陶謙は袁術派の態だったはず
陶謙は袁術に背いたというよりかはいうこと聞かずに好き勝手やるようになって疎まれたって感じのような
だから恐らく劉備に徐州を譲るというのも袁術に話通してなかったんじゃないかな
そんで陛下の勘気を被った、と

591:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:40:04.78 4OQMa5KV0.net
黄巾から董卓までの劉備の活躍してる場所が青洲と徐州っぽいからそっちのほうが人気があって地盤を得られると判断したんじゃね

592:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:49:33.94 VlLXHVd10.net
劉備の祖父が県令を務めていたのが、劉備が相になった平原の隣の東郡範県だから
意外と地縁や人的コネクションがあったんじゃねえかな?

593:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 18:56:46.58 2ypx3JQB0.net
劉備自身、公孫瓚から距離を置きたかった面もあるんじゃないかな
結果論だが一緒にいたら零落するところを一足で徐州の主になってる訳だし
劉備の処世を見るに徐州牧もただの棚ぼたでは片付けられない気がする

594:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:02:43.13 uzYmy+b5O.net
公孫さんが後年部下を見捨てて信頼を失い瓦解した話があるけど、戦に強くても下には酷薄なとこがあって不満が溜まっていたように思う

595:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:32:19.77 bj1DDqib0.net
劉虞殺すちょい前ぐらいから公孫さんは人望失ってる感じするね
鼻の良い劉備も離れて行ったし、趙雲まで服喪を理由に袂を分かったのもその頃

596:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:50:07.38 N61Lown50.net
公孫瓚は名士を軽んじ、輩で周りを固めてたらしいからな
コネ命の中国であれ以上の大成はそもそも無理だったのかもしれない

597:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 20:59:19.58 VlLXHVd10.net
>>579
一応孝廉なのに勿体ないよなあ
袁紹は孝廉に察挙されていないのにあの名声と昇進ルート、恐ろしい子…

598:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/26 22:14:11.74 jkADsiHv0.net
母親の身分って結構重要だからな。
袁紹も袁術陛下から「袁紹は袁家の家奴」とかdisられてたし。

599:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 09:54:49.12 +JopOdEC0.net
妾腹や庶子は仕方ない

600:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:25:24.18 EApOnL0/0.net
袁術派、袁紹派って言ったって馬鹿正直に忠誠誓ってるわけじゃなくて
利害が一致してたから所属してただけでしょ
状況が変われば所属も変わるのが乱世の処世術

601:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:35:47.03 z30CXV5a0.net
袁家は章帝~和帝の頃から三公やってる名家だから故主故吏のネットワークが
ハンパないからなぁ。鳥丸とのコネクションも袁安(最初の三公)のあたりから始まってるし。

602:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:55:36.49 IEjOsONs0.net
>>583
誰があの区分始めたんだろうな

603:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 10:56:37.93 IEjOsONs0.net
実は袁紹と曹操の関係もイマイチ把握できてない

604:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 11:40:59.89 3eGiIZxU0.net
誰が始めたって言うかあの二人を中心にして動いていた時代が確かにあったというだけの話だからなぁ
楚漢争覇の時代を項羽と劉邦の陣営に分けて語るのと同じ

605:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 14:51:58.09 p2b5k6/y0.net
袁紹はコネクションを得ていた連中の実家から離れた場所で勢力を得たのは失敗だったと思う

606:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 16:34:58.50 8kRFjHtw0.net
どーも何か袁紹ってあんまり人間らしい感情が見えない天下取りマッスィーンみたいっつーかなんつーか
他人への態度も敵味方問わず「この袁紹の前では等しく下郎」みたいな感じだし
唯一人間らしい感情が見えるのが子供のえこ�


607:ミいきという最悪の場面という その点袁術陛下は良い悪いは別としてとても人間味に溢れていると思う 良い悪いは別として



608:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 16:52:53.86 QSwQij/R0.net
袁紹て対董卓連合の盟主なんだよな
序盤は袁術よりリードしてた印象

609:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 17:00:53.63 pOPL3uKB0.net
>>589
袁術は袁紹に嫉妬ばかりしている狭量なイメージしかないんだが
「侠」についてもファッション感覚っぽい感じだし
人間臭いと言えば人間臭いが…良いところってあったっけ?

610:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 17:10:58.94 Dd0t8nmX0.net
董卓連合は名は袁紹、実は袁術ってとこじゃないか

611:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 18:25:57.05 8DIYohom0.net
袁紹のほうがアニキなんだっけ?  だから庶子だけど袁家の御曹司として扱われてたって

612:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 19:39:48.20 +JopOdEC0.net
中常侍に一族の人間がいて袁術パパンの袁逢やその弟はその結びつきで位を得たけど
袁紹パパンの袁成はそういう人物じゃないから声望があったとかって話もあったような
まあ袁紹は袁成の実子で袁成が早逝したから袁逢のとこで育ったとも
袁紹が袁逢の庶子だから袁成の養子に出されたとも言われてる部分だし、諸説あるようだけど

613:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/27 22:56:23.26 b+LIAQc30.net
袁遺 袁術 袁紹

614:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 01:08:46.15 p4U5ncYc0.net
なんとなくだけど 袁紹の字の本初とかって どういう意味でそう付けたんだろうなあ
曹操は子に「子○」って付けてたみたいだけど、袁紹の実母兄弟らも「本○」なんだろうか?
三国志時代の「本」って漢字は どんな意味合いのものだったんだろう?
字じゃないけど文醜とか酷いのもいるからすげえ時代だよなあ

615:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 16:15:07.43 avbJ1FhS0.net
>>596
文醜が顔良と一緒に袁紹軍にいるというのが何ともね

616:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 18:24:36.36 0zHJZevT0.net
文醜の本名は「文丑」じゃなかったっけ?
文醜を化け物みたいな風貌に描く三国志関連創作物は有っても
顔良を絶世の美形に描く三国志関連創作物は皆無なのが(ry

617:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 20:06:07.33 gVpq8vvx0.net
文丑はただの簡体字表記だろ

618:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 20:31:57.82 Qrfeg7WK0.net
袁紹は「紹」(継ぐ)と「初」を対比させているタイプの字じゃないかと
袁術は逆に「術」と「路」という同義字を使ったタイプ

619:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/28 23:38:56.61 4JAWJCFG0.net
顔良 
孔子の弟子で、清貧で知られた顔回の子孫。 
唐代の文人・書家として名高い顔真卿・顔之推は遠縁にあたる。

620:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 00:08:17.55 DXLZqg/J0.net
>>599
URLリンク(ja.wikipedia.org)
簡体字の「丑」は「チュウ」と呼んで干支の「うし」だな
繁体字とは全然意味も読み方も違って奥深い

621:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 00:50:27.67 rR8XulTJ0.net
>>596
一説に本初元年(西暦146年)生まれだからとかいうのもある
ただこれだと曹操より10歳位年上になるからおかしいという人もいる

622:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 01:41:42.89 maFK451S0.net
>>596
URLリンク(blog.sina.com.cn)
袁紹の字はなぜ本初なのかここで推察されてる 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:a1694171c52d18691058ee628c4f7c04)


623:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 19:27:47.67 HK5Hly880.net
袁紹と劉備は演義最大の被害者だと改めて思う

624:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/29 21:11:34.16 MGSlwSZ3O.net
劉備が蔡帽や蜀に警戒されているのも、この処世術の上手さだと仕方ないか
公孫さんからの離脱にしても、かなり辛抱強くて、タイミングがあったら泥すすっても一気にいく感じかな

625:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 08:38:55.80 z0e1FZVT0.net
大徳さん経歴だけみたら「なんやこの大耳……義理ワンやん」だからね。

626:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 18:13:42.58 bsM53b1jO.net
劉表が劉備に国譲る下りは陶謙と被るけど、裏で運動してるのかな

627:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 18:54:16.04 LTOJc1CI0.net
それは演義のお話なのでなんとも
実際には劉表は後継を決めずに死んだので劉備は長子の劉琦を支持した
蔡氏と蔡瑁の一派は蔡氏の実子の劉琮を後継に立てるために長子の劉琦を排除しようとしたので劉備と敵対することになった
劉表の遺臣は大半が蔡瑁に付いたので命の危機を感じた劉琦を劉備は江夏へ逃した
というのが劉表死後の流れ

628:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/30 20:57:24.01 bsM53b1jO.net
お気に入りや才能で後継者に迷うと乱の元だな
ちびまる子でじゃんけんは釈然としないが、変な説得力があるとか書かれてあったけど、後継者は長子というのは一応の説得力があるのかな

629:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 00:21:20.42 iy2FpuG80.net
ついでに曹操は劉琮も蔡瑁も殺してないw

630:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 02:24:52.47 BkqXGRM60.net
その辺りは正史三国志より後漢書の方が丁寧に書いてるはず。

631:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 03:07:16.05 lB/oI+3F0.net
>>610
それは儒教の五倫にある長幼の序ってやつだな
最も長く親に仕えることのできる長子が最も孝を尽くすことができるため
最も尊重されて親の後を継ぐのも当然という儒教的価値観
儒教の世界では普通のことであの時代なら
長子以外が後を継ぐと家が潰れるとかそういう次元でとやかく言われる

632:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 05:59:57.52 LXNs+W430.net
三世紀でそれかー

633:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 06:33:00.78 J7WbNYI4O.net
>>613
儒教的価値観以前に、それまで人が培った経験による知恵のように思う
長子が継ぐものというのは、不公平だけれど間違いが少ないというか。
間違いがないわけではない

634:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 07:27:00.66 shxEmaiJ0.net
遊牧民とかは末子相続

635:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 07:34:44.01 AbsFe6LK0.net
遊牧民は生前分与で独立させてるから結果として末子相続になるだけやぞ。

636:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 14:41:54.74 xtZKtWsg0.net
日本国民のために命をかけて悪と戦っている警察の方に
おしっこを出せと命令されたのにかわりに茶をだしたASKA
与党議員を盗聴している、本省の課長級以上の国家公務員の私邸を盗撮している、と言って
日蓮上人の正法を護持し、日本の真の国ぷ主であり平和の王者である池田先生と創価学会をネットで誹謗中傷していた奴ら、
おまえらは、全員ASKAと同じ精神障害ということで警察官に逆らう詐欺師と言う事にこれではっきりとなった。
警察官の3割強はわたくし達創価会員で占められている。
ASKAは必ず再逮捕され


637:、拘置所内で自殺と言う事で間違いなく処理される。 おれたちは絶対負けない。 創価の敵対者達も必ず仏法の力で破滅する事になる。



638:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/31 14:42:20.51 xtZKtWsg0.net
警察では池田先生から仏法の教えを受けた警官が日々身命を惜しまず働いている。
ASKAの味方をする奴は全員統合失調の薬物中毒者と言う事にもうすでにもうなったんだから、
おとなしく観念しろ。
創価が与党議員を盗聴している、本省の課長級以上の国家公務員の私邸を盗撮している、
という疑惑を流している奴らも同罪ということになる。
池田先生は魂の指導者で日本の国主なのだということは、全世界が認めていることなのだから、
もし仮に公務員や一般国民の生活をご照覧になって指導されたとしてもそれは当たり前のことだ。
このスレにそんな馬鹿は居ないと思うがASKAに肩入れして警官や盗撮の悪口を言ってるやつは
IPアドレスから住居を突き止めて六道地ぴ獄を永久に廻る仏罰をくだしてやる。

639:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:22:32.13 uLYZ0LnAO.net
曹操と信長て似たような人物に挙げられているように思うけど、部下にそう裏切られていない曹操の方が比較的苛烈ではないのかな

640:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:33:21.86 NEVd6hPM0.net
そもそもぜんぜん似てないやろ。
だいたい中国史で日本の戦国時代に近いのは安史の乱以降の唐王朝やし。

641:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 14:39:41.78 fHkXR+d+0.net
だいたいコーエーのせい

642:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 15:06:38.18 uLYZ0LnAO.net
>>621
雑誌なんかでちょくちょく引き合いに出されていた記憶がある

643:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 15:12:32.89 /9EW0L/J0.net
家康がもっとも恐れた男  曹操

644:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/04 23:39:30.16 YG/I6xLu0.net
中国の他の時代はまだまだスポット当たってないししょうがないね
まあ曹操と信長の共通点は時代の風雲児ってとこかな
あと司馬懿と家康も似てるって言われるね、辛抱強くて天下を取ったってとこらへんだろうけど

645:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 00:31:56.99 vlDzWe6J0.net
>>625
ゲーム的には三国時代以外は無風に近いが
書道や漢詩のジャンルだと六朝・隋唐あたりの時代は異彩を放ってる
三国はこの手のメインカルチャー分野では草創期過ぎて正直ショボイ

646:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:07:46.77 BTw+h+aw0.net
曹操と信長はその時代には似つかわしくない
合理的な思考って部分が似てるから言われるんでないのかな

647:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:31:04.36 ODZxr7rr0.net
杜甫の出現まで詩聖と謳われていた曹植がショボイとはこれ如何に

648:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 01:41:33.28 vROexQ/W0.net
>>628
六朝期でも陶淵明や謝霊運とかもいるし、曹植は別に隔絶した存在ではない
技術的には押韻やら平仄やらでどんどん技巧化していったわけだし
六朝は詩人の絶対数が多いから、相対的に見て三国は不利なんよ

649:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 03:28:58.68 3nonAnLX0.net
>>627
ノブのキャラづけなんて戦前は荒れ果てた禁裏をみて泣き出す勤王の士ってキャラづけやったんやぞ。
革新派ってイメージは国盗り物語当たりからのイメージ。
最近は本能寺の変の真実が売れた事で
「意外と保守的で暴虐エピソードの大半は後付」ってなってる。

650:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 03:34:02.49 3nonAnLX0.net
>>629
そもそも三曹(曹操、曹丕、曹植)が
出てくるまで詩文はメインカルチャーじゃなかったもんね。
文帝様が「建安七子」つって文学サロン立ち上げたり文学評論や文体の改造やったりするのもこの時代が最初やし。

651:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 08:47:06.05 3hGNAPb+0.net
>>631
こいつら詩文を大々的に取り上げたってことになってるけど、賦の延長線上だと考えるとそこまでセンセーショナルな感じはしないんだよな
長きにわたる戦乱によって楽曲が失われたせいで樂府は衰退してしまったみたいだが、もしそうなってなかったら六朝でも樂府がメインストリームのままだったような気がしないでもない

652:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 08:57:21.62 3hGNAPb+0.net
樂が儒教的に必要な徳目とされていたかと思うと、本当に昔の貴族たちは多才さを求められていたんだなあと驚嘆させられる
劉備が音楽を喜んだとあるのもやはり六芸として身に付けていた教養としてだったのだろうか

653:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 19:38:54.84 DYIzH5S00.net
蜀の人口不足を解決する為に子作り推奨する政策をすればよかった
一人っ子政策の逆
1世帯8人とか強制で

654:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 21:42:27.68 FQX1/s4c0.net
食わせるだけの生産力ないじゃろ

655:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 22:41:28.06 U7gmr9M60.net
蜀はともかく呉は戦乱を免れたおかげで五胡十六国時代は栄えるんだよな
皮肉な話だ

656:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:18:33.36 l5LINU9h0.net
>>636
華北からの亡命者が推定90万人ぐらい流入してきているからな
これに三国時代は確保できなかった揚州北部や荊州北部、益州を領有できたわけだから
呉とは全然別の国家と言っていいくらい生産力も人口も違う
劉宋で戸籍人口が500万人弱だから呉の倍ぐらいいる計算になる

657:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:25:21.19 wsqBMJk50.net
呉は五胡十六国時代でなく現代が最も栄えてる感が
まぁ建康でなくて会稽とか広州とかの方が大都市になるとは
張紘でも予想できなかったのが歴史の不思議

658:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/05 23:41:53.63 Y8cOhMde0.net
劉備が侵略してこなけりゃ蜀は豊かでいられただろうに

659:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 13:27:08.48 EpEBUvBaO.net
BSNHKでヒマラヤ越える旅みたいな番組で、蜀のヒマラヤ寄りの地域は、下の川が激流で橋が架けられず、いまだに村人はロープをつたって向こう岸に渡るとかやってたな
どれだけ辺鄙な土地なんだろうか

660:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 13:41:44.52 7HG8oI2B0.net
>>639
前漢でも後漢でも蜀郡(成都)は人口稠密な地方都市圏だったからなー
産業も資源も恵まれているし、劉焉もそうだったが確かに自立したくなる地勢

661:名無しさん@お腹いっぱい。
17/01/06 14:04:13.90 Unpi5/wy0.net
唐の時代も皇帝の避難先だったから引きこもりには最適だったんだろうね。
五胡十六国の時も李雄が善政で高評価得てたし


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