16/10/19 23:32:21.01 efnn3mVZ0.net
>>103
合肥は北側の政権が南を防ぐのには有用だが
東晋の時代は南側の政権が北を防ぐので合肥は無価値
もっと戦線北の淮河で防ぐのが楽だから
121:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/20 12:23:00.67 XcI+Rqx00.net
劉備VS孫策はちょっと見たかった
122:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/20 20:56:45.96 ki4x8tEv0.net
>>117
東晋は歴陽→寿春(寿陽)→汝陰という穎水沿いの経路は北伐にはあまり使用していなくて
廣陵(京口)→淮陰→泗水経由で下򐬃→彭城という北伐経路�
123:ェ多い 逆に孫権が東晋の北伐経路を使わなかった理由が気になる
124:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 08:17:10.69 QSCZ6+rpO.net
孫権はあり得ないほど奇襲に弱かったり、バレバレなのに同じ様な戦略・戦術を繰り返したりと
これでもかと戦争音痴っぷりを見せつけてるから、まともな理由があるかどうか?
同じく戦争音痴の曹丕との攻防はコントの領域
125:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 08:40:38.07 dediwKRA0.net
>>120
曹操はそんな無能な孫権から荊州を取り返せなかったわけで
孫権戦争無能説は破綻してるからやめた方がいいと思うよ
126:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 09:33:26.66 4MPbhZ370.net
あと文帝様が生きてる間は何もできなかった丞相様とかな
127:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 09:57:06.93 m0BdACOo0.net
>>122
呉との関係修復とか益州南部平定とか
対魏のための布石打ってたのをそういう風に見る人もいるんだな
曹丕が単に早死にしたから対決が実現しなかっただけじゃないのか
三、四年で北伐の態勢を構築したのを早いと見るか遅いと見るか
128:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 10:44:49.58 QSCZ6+rpO.net
孫権の軍事能力に肯定的な意見で説得力のあるのを見たこと無いがなぁ
基本的に丸投げ以外で良い結果無いでしょこの人
曹操は周瑜に阻まれた。劉備は陸遜に阻まれた。これを孫権の軍事能力とするのはちょっと……
129:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 11:36:42.14 5NZH+iUHO.net
孫子に前線の将に任せて、余計な口出しするなてあるだろ
130:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 11:45:14.52 6/0XPymC0.net
>>125
「それは政治家としての力だ」とかケチつけられそうな雰囲気
個人的には軍事能力だと思うけどね
軍を直率して会戦する能力だけが戦争の全てではないからな
131:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 11:57:26.70 N44+5M8i0.net
名将を要所に配して大事な戦にきちんと勝つのも軍事的センスが必要なことだと思うけどな
132:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 12:01:14.16 6/0XPymC0.net
楚漢戦争を少しでも学べば優秀な将軍が会戦でいくら勝ち続けたとしても必ずしも戦争には勝てないとは分かりそうなものだが
似たような論争が西洋でもある(ハンス・デルブリュックの破壊戦略と消耗戦略)
133:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 12:29:37.46 QSCZ6+rpO.net
だが守るだけなら内紛でも起こってないと簡単には滅ぼされないのも道理
袁紹が死んでボンクラ二人でも互いに争わなければ曹操も迂闊に攻めてはいない
普段は遠ざけてた周瑜と泥縄で盟約を結ぶとか、甘寧を殺されるまで迎撃体制を整えられないとか、成功体験すら危なっかしいギリギリの勝利で
親征に至っては時間稼ぎの奇襲に敗北する事二回とか、文帝崩御時に周囲の反対を押しきって大失敗とか
明らかに軍事能力の欠如を示してると思うぞ?
134:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 12:38:43.94 5NZH+iUHO.net
一回の失敗で蜀を行き詰まりにさせた劉備は、更にその下となるが
135:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 13:14:08.83 66mj+9Ir0.net
関羽の弔い合戦ってことで呉に攻め込んだけど
その後の展望とか何もないもんな
ただ呉に嫌がらせしたくて蜀の総力を挙げて攻め込んだ
正にクズ 腐った独裁者
136:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 15:29:30.33 dtAoAQYx0.net
いや、荊州の保持は劉備の戦略の根幹なんだから早期に奪還しなきゃいけないのは当たり前だろ
弔い合戦とかそんな情緒的な理由じゃねぇよ、演義じゃあるまいし
137:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 17:11:55.68 zDQfGoxJ0.net
その割には諸葛亮も趙雲も大反対してたんじゃないっけ?
138:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 18:12:57.83 dtAoAQYx0.net
>>133
趙雲は例の趙雲別伝で反対したとは書かれているけどアレはアレだから
諸葛亮に関しては先主伝と諸葛亮伝には反対したとは全く書かれてないな
というか夷陵についての諸葛亮の記述が両方からすっぽ抜けてるから多分特筆するようなこともない平常運転(主に戦のバックアップ)だったと思われる
139:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 23:14:36.31 5NZH+iUHO.net
勝敗は兵家の常。
戦後日本じゃないのだから、劉備は失意にうちひしがれずリベンジを考えるべきだった。
140:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/21 23:29:14.84 4W0TdrqZ0.net
>>132
荊州の保持と呉との共闘、両方あってこそだろ
141:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/22 14:24:07.31 ML3F4ROY0.net
>>129
甘寧を殺されるなんてどこの世界の(ry
明らかに考察能力の欠如を示してると思うぞ?
142:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/22 17:06:44.41 8S4tNgti0.net
>>136
その荊州を奪われた状態で共闘もへったくれもないんだよなぁ…
143:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/23 17:06:23.07 L43mG/O60.net
荊州(江陵)まで取っていた呉がその後河南や関中、蜀まで侵攻できなかったのは勿体ないよなあ
陸遜に桓温並みの活躍を期待するのは酷だと思うが
144:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/23 18:58:17.51 EeAtOBgo0.net
絶賛群雄割拠中の東晋期と比べたら酷かと
145:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/23 19:11:55.62 L43mG/O60.net
後趙健在時に伐蜀成功させた時点で桓温>陸遜だなあ、個人的には
態勢的には魏・呉・蜀と後趙・東晋・成漢でほぼ一緒でしょ(違いは前涼がいたぐらいか)
146:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/23 21:07:01.16 c7EaNKIm0.net
陸遜ってあの時点で蜀併合までを見据えた作戦任されてたっけ?
任されて攻め込んで失敗したならともかく、安易に桓温>陸遜というのはどうかと思うぞ
147:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 00:04:55.84 4/kwRqiC0.net
桓温も成漢平定という任務は任されていなくて
朝廷の制止命令無視して勝手に蜀を取りに行ってる
独断専行とかそういうのは抜きにして
呉でこういう蜀攻略とか荊州方面からの魏侵攻が上手く行かなかった原因が知りたいな
148:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 01:13:23.93 fBi46Vy20.net
>>143
陸遜自身が言ってるではないか
呉が蜀の領内を攻めて手こずって釘付けにされている間に、
中原を制する魏の大軍が呉本国へ攻め寄せたら、大変なことになる
じゃあ何で呉による荊州方面からの魏侵攻がうまくいかなかったか?
魏の守備が堅かったから あの関羽でも樊城を落とせなかった
さらにいえば国力の差がでかすぎて、いかんともしがたかった。
149:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 01:27:20.77 fBi46Vy20.net
そもそも天下三分の計といっても、
最後は中原を制する勢力が、局地戦では一時破れたり手こずったりして
時間はかかっても、最終的には天下を統一するものだ
魏呉蜀を日本に置き換えるなら、
魏の領土は北海道(河北)、本州の大半(中原)と淡路島(襄陽)、
呉の領土が四国(荊州)と九州(江南)、沖縄(交州)
蜀の領土は紀伊・熊野山地(巴蜀)と吉野山地(漢中)
魏が最後は勝つに決まってる まあ魏が中から乗っ取られたから晋になったが、
それでもできたばかりの晋でも統一できた
150:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 02:09:58.73 8aqedK/k0.net
三国鼎立期はもう群雄割拠ではなく膠着状態だからねえ
互いに内部崩壊や外的
151:要因による混乱などを待ってその機に乗じるしかないんだよな んで結局国力と地力に勝る魏(晋)が順当に成し遂げたと 蜀と呉は司馬氏のクーデターとその後の叛乱頻発時に何もできなかったのが全てだわな
152:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 02:14:26.25 OwlAb95L0.net
なんだかんだ言っても華北の生産力は桁外れだからな。五胡~南北朝時代でも北朝政権が華北固めたら南朝は手が出せないし
153:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 06:08:02.94 ByciJP6U0.net
>>145
禿髪樹機能の反乱を抱えながら(呉討伐時には平定していたけど)
敢えて呉の国力が低下した時期を見逃さずに一気に討呉の兵を起こした司馬炎の好プレーだろう
決して晋に有利な形勢ではなかった
あそこで攻めなかったら反対意見の多さを鑑みるにダラダラ南北対立が続いていた可能性高いわ
154:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 17:56:37.04 fBi46Vy20.net
蜀が天下を取りたかったのなら
あらゆる謀略を駆使して魏を分裂させるしかない
曹植を何とか裏切らせて、大規模な反乱を起こさせて、
魏を東魏と西魏に分裂させることができれば、蜀の天下統一もみえてくる
限りなく可能性が低いが
(そもそも蜀は漢室再興が大義なので、魏の曹氏とは本質的に相容れない)
155:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 18:16:48.95 fBi46Vy20.net
劉備と公明の誤算は
漢王室は天下万民の支持を得ていると思い込みすぎたところだな
劉備「曹丕が漢朝を滅ぼして帝位についたって!?
はい曹丕終わったわwwwwきっと洛陽や長安で暴動が発生、
中原のいたる所で反乱勃発とみた!!
曹操はともかく、曹丕には求心力がないから、
誰もそんな偽帝を奉じないだろう」
孔明「ええ。魏は中から自滅して、
勝手に滅亡と決まりました。これも欲が招いた天命かと。」
劉備「死んだ曹操の建国の苦労も水の泡かwww辛苦了としかいえんなwww」
劉備・孔明「哈哈哈!!!」
孔明「大王が漢の天子になられませ。
これで偽帝曹丕滅亡の最後のとどめとなりましょう」
趙雲「あの・・・特に魏の国内に特に混乱の兆しは全くみえませんが・・」
劉備&孔明「ナンダッテー」
劉備はほどなく死去
孔明「まずい・・・魏が漢室を滅ぼしたことが当然のように受け止められ、
認められてしまっている。
このままではわが蜀は、ただの益州1州のみの小領主も同じではないか。
いずれ魏に飲み込まれてしまう!!!
こんなはずではなかった!!!」
156:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 19:26:49.92 zJok2Xil0.net
>>149
呉が関羽の背中を刺さなきゃ、反乱祭りはある程度成功してたと思う
157:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 21:07:01.06 6UTc3CRA0.net
>>150
こういう妄想長文って書いてる途中で恥ずかしくなったりしないのかしらね
158:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 21:14:41.81 Wvw4pJ/w0.net
書き込みボタン押してから後悔で死にたくなるタイプのレスだから、スルーしてさしあげろ
159:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 21:52:38.04 GPcTP4vO0.net
対象が子供だし
160:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 22:01:00.29 fBi46Vy20.net
孔明は妄想してたんでしょ
蜀軍が北伐すれば、
漢朝を慕い魏の偽帝に反発する中原の万民や魏の将兵らが、
歓呼の声を上げて蜀軍に降伏し開城して、あっという間に長安も洛陽も
161:落とせると淡い夢を抱いていた孔明 だから益州一州の戦力だけでも、北伐すれば、 天下をとれるなんて妄想してたから、 天下三分の計なんて立ててた まさか魏が大軍で、ほぼ一糸乱れずに蜀軍を迎え撃つなんて想定外 益州1州の兵力だけで、魏を滅ぼせるわけがない 孔明は五丈原の病床で絶望したと思う 自分でもできなかった北伐を、蒋エンができるわけがない 先が見えすぎた孔明は、蜀の滅亡が見えていたと思う でも北伐中止は言えなかった 漢室再興の大義に反するし、北伐中止をしたところで、 魏の中原支配が強固になるだけで、蜀の立場がますます悪化するだけだから。 >>151 あれもよくわからんのは、 劉備がすぐに関羽救出の援軍を用意できなかったところをみると、 関羽が独断でやったのだろう 劉備に知らせず、独断で敵領内を攻めて、曹操の大軍と戦うって、 関羽じゃなかったら、謀反or軍令違反で処罰されてもおかしくない もし張遼が主君・曹操に知らせずに、独断で合肥の兵を率いて江南へ攻め入ったら 曹操は張遼を罰するんじゃないか? >>153 あと半年いれば2chは妄想の宝庫だから気楽にいこうと悟りを開けますw 加油!!
162:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/24 22:13:57.93 OZ873Hmy0.net
最後の頼みの策である
呉蜀同時の北伐も失敗
北伐成功のためのこれ以上の手はもうない
万策尽きた
孔明も病床で絶望したと思うわ
163:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 00:50:56.60 LunwTltH0.net
呉がそんなに本気じゃなかったしなあ
あちらさんはあくまで防衛の為の北伐って感じで
戦線に緊張感を持たせる程度にしか攻めないし
少しでも割に合わなくなれば即撤退だし
164:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 04:07:35.69 xvMDffOt0.net
劉邦が楚漢最終戦に
斉で様子見の韓信軍を来させるために
韓信に天下の半分弱を与えるぐらいの
莫大な恩賞を約束して
やっと来させた
孫権の北伐やる気スイッチを
押すためには孔明も
「天下は呉が持ち給え。
漢の領土は函谷関より西としよう」
ぐらいいわないと
165:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 04:34:11.90 XVdRp1LwO.net
>>158
最終決戦だからな
三国は特にない
166:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 11:11:14.26 MrQlvZQu0.net
>>158
それやっちゃうと漢朝再興の建前がな
天下三分の計と言いながらも呉蜀合わせて三分の一
167:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 14:37:09.96 dUJUth6H0.net
>>155
北伐の第一義は雍州涼州を奪取して、対魏防衛線を押し上げて蜀漢の長期安定化だろ
本当に孔明が電撃的な攻略戦出来ると思ってたんなら、あんなよくいえば腰を据えた、悪く言えば鈍重な戦略取らない
あと関羽についてだが、漢中戦で疲弊しつつも無理して上党攻略してんだから
大規模な関羽への援軍なんて土台無理だろ
168:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 17:33:21.37 8qVWPzZQ0.net
>>157
東晋も北伐()を繰り返すの桓温が蜀とってからだしね
169:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 19:04:29.09 XVdRp1LwO.net
>>157
毛利や北条的勢力ではいまいち頼りにならないのか
上杉や長曽我部もどうだったか
170:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 19:57:49.74 Aj8Q61Xn0.net
>>162
六朝で唯一黄河越えたのも東晋()だけなんだけどね
笑えよ
171:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/25 22:34:12.24 ysgvssj30.net
>>162
祖逖「……。」
172:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/26 06:33:53.80 fLDly5kG0.net
>>115
と言うよりも献帝を担いで程なく同志として引き入れた外様の大物劉備に
献帝側の工作があったとは言え、暗殺計画だの出奔だので痛い目に遭わされているのが
曹操が非血縁者に大軍を預けることができなくなったトラウマになっちゃったのだと思う
正確に言えば曹操自身は後漢朝廷の朝臣であったがゆえに、自分以外に大軍を指揮できる
有能な軍事指揮官を運用しようと思ったら、とりあえずその人物を後漢の官僚体系の中に
組み込まざるを得ず、それは献帝側にしてみれば曹操の対抗馬として利用可能な存在を
曹操自身が推挙しているのに等しい状況
曹操は劉備の件で懲りているから、それ以降自分の軍才に匹敵するような人材を高位の将軍に
抜擢するリスクを冒すことができなくなってしまった
献帝を推戴することで後漢朝廷の権威をフル活用して覇業を目指そうとしたら
なぜか献帝とその近臣たちから全力で足を引っ張られることになった凄い構図
荀彧と曹操は戦略的な見通しが甘過ぎたと思う
曹操・曹丕が簒奪路線に走ったのもこのジレンマを克服するためだったのではなかろうか
173:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/26 16:26:19.18 7+E3ZN8k0.net
劉備っていうか蜀が滅んだのは劉備の掲げた理念そのものにあると思うけどね。
劉邦みたいに蜀で機を伺って蓄えるならまだしも、魏を倒さなきゃ(使命感)
ってなってるから空っ穴になっても北伐進めなきゃ体裁保てなかったし。
劉備本人が統一できなかった理由だったら端的に言って曹躁が居たからかなぁ。
多分劉備は「天はなぜこの劉備を生んでおきながら、曹躁も生んだのだ」って嘆いたと思うよ
174:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/27 08:02:09.17 20wB5V8L0.net
>>167
北伐時にまずまず野戦で勝ちを拾え、魏の領土を蚕食出来てるし
データで見るほど絶望的な戦力差はなかったと思うぞ
すくなくとも魏に呉&蜀を同時に対処出来るほどの能力は無い
結局蜀が滅びたのは内部分裂が主原因だし
175:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/27 22:29:31.36 IN+abWaP0.net
蜀から天下目指そうとしたら羌や氐を大規模に活用しないと勝ち目無いわ
人口差が絶望的過ぎる(
婚姻政策とかで何とか氐羌を取り込めなかったのかな?
176:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/27 22:44:07.28 4HwjaG900.net
羌とか大分連携をとってた形跡あるけど、トウ艾が赴任してきてから
坂道を転げ落ちるようにジリ貧に追い込まれたのがなあ
177:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 00:11:57.59 n7vq8LwG0.net
>>158
逆だろ。
呉にとったら劉備こそ、韓信的立場。
178:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 09:07:57.35 FWtfOCYq0.net
URLリンク(www.t3.rim.or.jp)
ここで北伐の理由が先行研究紹介とともに、論じられている
俺の考えとしては、孔明の北伐は
食糧不足に悩まされていた
つまり長期戦を想定していない(できない)北伐だった
だから一気に電撃的に、そして確実に長安を落とすことを目指していたと考える
179:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 09:11:29.54 FWtfOCYq0.net
>>168
対処できたから
孔明最後の切り札だった呉蜀同時北伐失敗
後に蜀が滅びそうになって呉が出兵したけど
何もならなかった
蜀も救えず、益州の一部だけでも分捕ることもできなかった
180:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 09:16:38.72 NJKqIOZW0.net
魏と呉蜀の国力差が決定的になったのって第四次北伐あたりからかな。
あの辺から反乱とか住民の逃亡とか目立ち始めるから
181:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 09:42:20.85 gQlKY6DL0.net
三国の計ってこれだからさ
URLリンク(rekitabi.com)
秦が蜀
楚が呉
中原の諸国が魏
182:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 09:49:31.65 FWtfOCYq0.net
しかも、ものすごく大雑把にいうと
>>175の地図で、秦の漢中より右側は「魏」、楚の長江の上も「魏」
183:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 10:41:36.41 XSYRIbsy0.net
>>175
蜀は漢中、巴蜀くらいだろ
184:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 10:46:37.30 gQlKY6DL0.net
>>177
そこで北伐ですよ
185:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 17:54:46.34 C00VXDCM0.net
>>158
・楚漢
項羽:領地やるやる詐欺 劉邦:領地全部くれてやるぜ!
・三国
劉備:荊州返す返す詐欺 曹操:荊州全部やるぜ!呉王にもしてやるぜ!
劉備は項羽と同じ事してる自覚はあったのだろうか
荊州確保は絶対条件だからどっちみち綱渡りの詐欺やり続けるしかなかったんだけど
186:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/28 18:43:32.61 /tJgjlWE0.net
返す詐欺っていうかそもそもどうして孫権が荊州の領有権を主張してるんだっけ?
187:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 02:14:48.92 n6tkjg9m0.net
兎にも角にも荊州がターニングポイントだと思う
劉表が逝去した時に素直に受け取っとけば……
でもそれやったら劉備の株がなぁ
こう言っちゃ何だが、生まれながらにして天下取りに失敗するさだめにあったように思えるわ
188:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 02:26:22.51 KCoDN5R00.net
「劉表から受け取らなかった」というのは演義のお話で実際は「劉表死後の混乱に乗じて奪ってしまえと進言されたのを受け入れなかった」だな
劉表はどちらかというと劉備を警戒していた節がある
まぁそこで奪おうにも劉表の家臣の大半は劉琮支持なのに劉備は劉琦担いじゃったから勝ち目は無かったとは思うけど
189:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 08:20:59.78 Yjslmep10.net
>>180
赤壁後に呉が曹仁相手に必死こいて江夏、南郡の2郡を確保
↓
劉備がその間隙をついて南部4郡を確保
↓
そりゃおかしいだろ!って呉がキレたから、劉備が「益州取ったらこれは呉に渡す」て約定を交わす
↓
じゃあ益州の侵攻の都合もあるだろうし、魏への防波堤の役目も果たしてくれるんなら南郡も貸しましょう
だいたいこんな感じ
190:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 08:50:23.18 UdMIoTw70.net
北宋になっても劉備の借りる借りる詐欺がネタにされてんのは草不可避
191:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 08:55:52.76 Yjslmep10.net
とはいっても魯粛が関羽の北上前年に3:3で分割統治しましょう。
って決めてるからなぁ
192:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 11:37:10.74 1HdKh41A0.net
呉の立場から見た場合、荊州を奪い取ったのは果たして正解だったんだろうか
関羽がどこまで行けたか分からんが、そのまま樊城を抜いて貰った方がその後の対魏戦的にはチャンスが広がった気がするが
193:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 13:16:26.26 qJ3siOJU0.net
魯粛死後に呉が宥和政策から強硬路線に急転換したのが全ての間違いの元
194:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 14:30:06.11 Lugj2sq40.net
呉が荊州の統治権主張して劉備に返せって迫るのも
半分ぐらいは恫喝みたいなもんだからなあ
195:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 15:07:21.26 N3xTNOUW0.net
結局力ある方が領有しただけ
大義名分は呉にも蜀にもない
あるとしたら劉琮のいる魏
196:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 16:15:07.59 8rJH1lXE0.net
州牧は世襲制じゃないから劉琮にもないけどな
大義名分で言うなら後漢朝廷を頂いてる曹操政権に分があるとは思うが
197:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 17:56:39.69 Lugj2sq40.net
劉備だって劉キ担ぎ上げて正当性主張してたけどね
上表して劉キを荊州刺史にして貰ってたしこれは大きなアドバンテージだったと思う
まあすぐ死んで劉備が荊州牧自称したから話が拗れたわけだけど
198:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 19:18:08.73 kVK6fNY0O.net
上奏て魏の領土に入り込むはずだけど、よく途中で追い返されないな
忍び込んでいくのかな
199:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 19:25:17.84 Lugj2sq40.net
三国鼎立期だって勢力間で貿易や手紙のやり取りを普通にしてたぐらいなんだし
使者は基本的に通されるものでしょ
使者すら行き来できない状態って相当特殊な状況だよ、ないわけじゃないけど
200:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 20:04:02.03 8rJH1lXE0.net
上表したのはいいけどよく受理されたなあって思う
それとも上表したと言い張ってるだけで後漢に受理されたかどうかは関係なかったんかね?
201:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 20:20:02.38 YNrAOMKD0.net
まぁ漢中王自称した後に朝廷から正式に大司馬に任命されてるくらいだし上奏くらい通るべ
あの時期に劉協の自由意思が通るとは思えんから曹操も容認していたんだろうな
202:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/29 21:11:15.80 wHAvpONj0.net
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
いやいや大司馬も自称だよ
朝廷には上奏しただけで
戦国時代になると官職の私称が流行するのは
日本も似てますね
203:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/31 08:18:19.30 PsPVlssR0.net
>>186
結果論にはなるけど失敗かなぁって思う
魏が疲弊してる貴重な期間に二弱同士が死力尽くして戦っちゃてるのは痛いわ
関羽の北上自体は襄陽攻略で打ち止めだと思うけど
204:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/31 20:13:45.58 No3pcvbv0.net
>>183
前提が大きく間違っている
呉が江夏南郡の2郡を確保したのも
劉備がその間隙をついて南部4郡を確保したのも
孫権劉備の共同作戦の一環
だから呉が曹仁攻めている時に関張が参加したり
劉備が南部4郡を確保した時に呉の兵も参加している
スワッピングしている以上荊州奪還作戦は孫権劉備の統一意思
荊州貸与の話は魯粛が南郡を引き払う頃には既成事実だったので
赤壁のもっと前に劉備が長坂で敗走している時とかに
呉が劉備助ける代わりに最終的に荊州の支配権を呉がもらうとか
魯粛介して約束したんじゃないの?
205:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/31 23:47:58.31 vn9eS81k0.net
蜀側が呉の荊州寄越せ要求に、お前にそれ言う正当性ねえだろボケって言い返したエピソードって史書にない感じ?
206:名無しさん@お腹いっぱい。
16/10/31 23:58:22.02 7LhVZqjf0.net
先主伝の「涼州得たら荊州返すわ()」でお察し
207:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 01:40:36.97 zHiJw8qp0.net
>>186
むしろそれは蜀目線だな
荊州をしっかり返して戦力を涼州司隷方面に集中すべきだった
208:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 02:55:18.36 /Dz/2puY0.net
ただ涼州の実効支配って後漢でも和帝&班超親子が健在だった頃まででそれ以後は
半分くらい独立した勢力の支配下にあったんじゃ
209:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 12:28:10.42 XSvBUqpt0.net
>>202
後漢は羌族統治・安定化政策の負担増大で実質破綻しているからな
西南夷や南夷問題も深刻だったけど、羌族の反乱は本当にキツかった
派遣された軍隊がサボタージュして財源で私腹を肥やすとか絶望的だわ
210:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 16:07:50.56 ONFFiLaD0.net
>>199
そこまで強硬に出たら曹操に寝返りかねないからな。合肥後は臣従してたからなおさら
一度どこかでガチって白黒つけなきゃアカンというのは劉備も孔明も分かってただろうけど
やった時のリスクが怖くて外交で先延ばししてた印象
211:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 17:37:25.35 h+aXCJGJ0.net
劉備で天下取るって言うなら、年齢的にも徐州時代にとんでもない幸運がないと無理だろうな
212:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 17:45:31.74 dZGNDCLr0.net
現実的に後漢末英雄の誰1人取れてないからな
統一は孫世代
213:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 17:47:20.08 dZGNDCLr0.net
孫じゃなくてひ孫世代か
214:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 18:03:40.13 XSvBUqpt0.net
司馬昭って国家指導者としては正直曹操・劉備・孫権よりはるかに上だと思うわ
群雄として自立する能力だと袁紹・劉備には明確に劣るんだろうけど
曹操は群雄として自立するのは諦めて後漢朝廷担ぎ始めたけど国家指導者ポジションでは統一未達成に終わったからとても中途半端なイメージ
215:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 18:07:52.07 XSvBUqpt0.net
>>205
結局は群雄として割拠した連中は誰一人天下統一できなかったわけだからどの時点においても劉備の天下獲りは不可能というのが結論だと思う
朝廷に潜り込んで指導的地位につくのには不運もあったが最終的には失敗したわけだし
厳しい言い方だけど地方割拠レベルが限界だったのでは
216:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 18:33:38.17 dZGNDCLr0.net
曹操は事実上1から国を作り上げたからな
司馬氏の乗っ取りとは違い過ぎる
217:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 22:35:02.68 6DPP3Kzy0.net
>>210
名目的には魏国を建国したことになってるけど、
実質的には後漢王朝の換骨奪胎でしかない。
司馬家の禅譲劇と大差はない。
むしろ天下統一成し遂げた司馬家の方がはるかに上。
218:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 22:38:02.95 ONFFiLaD0.net
現場指揮官としては政治も軍事もブッチギリだったからな
ただ自分で何でもかんでもやりたがるせいで勢力拡大するとボロが出始めるんだが
管理職としては曹丕や司馬昭に大分劣るだろう
219:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/01 23:49:35.65 XSvBUqpt0.net
>>212
ブッちぎっていなかったから孫権や劉備にしてやられたのでは?
僅差だったと思うぞ、特に劉備とは
220:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/02 00:07:17.14 aeOrhj+t0.net
曹操が現場指揮官レベルでしてやられたのって、呂布や周瑜・黄蓋や馬超くらいじゃない?
劉備陣営に実質的に手玉に取られた漢中争奪戦だと曹操と劉備って正面対決してないし
221:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/02 01:41:06.15 jjCyLB7n0.net
>>211
実質的に後漢王朝は崩壊して群雄割拠の時代から半分以上統一したから司馬懿とは全く違うよ
信長が足利義昭を追放して乗っ取ったと言ってるようなもん
222:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/02 18:31:08.99 wFiLcN8N0.net
後者のほうがわかりづらいw
223:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/02 18:58:50.49 uLJnJq+00.net
官僚制が発達してた古代中華帝国と封建的な中世武士政権である室町幕府とを同一視してるって相当頭ヤバイと思うけど
224:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/02 20:49:17.38 6hSOJgbt0.net
全く文章読み取れてなくてわろた
225:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/02 21:05:04.85 XErE+oiyO.net
まあ、歴史なんてのは過去の失敗を笑うもので学ぶものじゃない
226:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:23:10.12 2DqPsPYh0.net
>>215
後漢王朝は崩壊していないけど
官位とか
227:皇帝健在だったのに何言ってんだ? それこそ献帝を擁立しようとしていた勢力は引く手数多 袁紹以外はほとんど垂涎してただろ 袁紹のポジションがスタンダードと思われていることが後漢末期理解の面倒臭さだと思う
228:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:46:16.97 IRnBmAif0.net
まんま足利将軍家に置き換えられる文章でワロタ
229:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:49:24.22 2DqPsPYh0.net
>>221
日本のことよく分からんのだけど
どこが同じだったの、興味深い
230:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:51:03.99 2DqPsPYh0.net
袁術が何をトチ狂って皇帝僭称したのか未だに謎だわ
それに追随した群雄がいないのもかなり謎
231:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:53:01.13 2DqPsPYh0.net
劉備が担がれなかったのを見ると皇統からはやっぱり遠すぎるんだよなあ
良くて劉焉的なポジション
劉備=劉焉とか言ったら怒られそうだけど
232:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:55:45.35 2DqPsPYh0.net
>>221
三戦板に帰ってほしいわ、こういうゲーム馬鹿
233:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 01:56:37.95 ddqZqgtj0.net
>>223
「家奴の子」と馬鹿にしてた袁紹に負けそうになったからじゃね
234:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 02:17:03.21 gNULUCcs0.net
曹操って内乱で一瞬輝いたけど結局大規模な戦に弱いのは解決できなかったんでしょ
州牧としては有能だけど大将軍には不適って使いづらい人材だわ
235:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 10:51:51.40 /5INS9w90.net
>>212
自分以外の大物(劉備)を片腕として起用しようとした矢先に暗殺計画起こされたりしてるわけで
曹操は本人の資質として軍権を一人で専有していたわけではないような気がするのだが
魏王朝開いたことで曹丕の代にようやく後漢朝廷からの陰湿な横槍を排除できるようになったことの成果のひとつが
ああいう複数の指揮官に他正面から侵攻させる作戦が採用可能になったことだと思ってる
曹丕の場合結果が伴わなかったけど
236:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 10:57:03.45 3joiXZzz0.net
曹操は使われる人材じゃないから問題ないな
237:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 20:16:59.60 He99xIFq0.net
揚州という地盤を手にし曹操もしばらく徐州で手こずる踏んで
一気に勢力飛躍を狙って、大勝負に出たんんじゃね?
劉備も袁術に勝ってれば揚州に逆侵攻したのかな?
238:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/03 22:31:33.55 cpHMRFZh0.net
>>223
「代漢者當塗高」の解釈で「ひょっとして俺じゃね?」と勘違いしたのが全て
まあ袁紹も袁術を援述する代わりに皇帝位もらうつもりだったから根っこは同類
>>230
袁術というか袁家は豫洲揚州辺りの影響力は
徐州の劉備は太刀打ちできないぐらいの深さなので
劉備が単独で袁術に勝つイメージが湧かない
皇帝僭称・悪政・飢饉・陳湣王劉寵殺害・呂布見殺し・孫呉離反のコンボで
一気に自滅した袁術だけど
普通にしてたら袁紹死後も勢力保ってたと思われ
まあ袁術の皇帝僭称自体は後漢末期には同類一杯居たので別に珍しくないな
天公将軍称した張角も似たようなものだし
直ぐ潰された程度の小規模反乱でもい自称皇帝名乗ってたのも居るしな
239:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/04 10:06:23.12 /iJSzeA10.net
>>231
確かに豫洲は袁氏の生
240:家だけど、いまだに影響力を保持できてるかは謎じゃないか? 孫堅を豫洲刺史にねじ込んだものの袁紹との騒乱持ち込んだあげく、南陽にトンズラしたわけだし まあ曹操・劉備コンビの豫洲支配が完璧とも思わないが
241:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/04 20:59:36.33 tkEkCybs0.net
>>220
足利将軍と同じだ
あるだけで天下を治める力なし
秦のしえいのように
皇帝を自主降格して漢王となっていいレベル
242:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/04 21:03:10.89 tkEkCybs0.net
>>222
足利将軍を追放して
室町時代を終わらせ
日本の半分以上を支配した織田信長≒曹操
信長死後に織田の天下を乗っ取り
天下を統一したの秀吉≒司馬氏
もちろん足利将軍が本当に終わったのは秀吉の時代など違いはある
243:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/04 22:34:27.25 3hMMftxC0.net
そもそも室町幕府は安史の乱以降の唐王朝だろ
244:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/04 22:45:52.81 12QTe7Rj0.net
>>235
それな
日本で人気だから三国志と戦国時代を比べたくなるけど
もっと似てる時代が他にあるというな
245:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 07:12:12.26 0FpuVr/S0.net
>>230
勝ってりゃ袁奐、陳羣のインテリ軍団が劉備を早期から支えてたと思うと、胸が熱い
246:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 08:01:16.97 jNvcn6In0.net
インテリ軍団に仕切られて苦虫を噛み潰している関張コンビとか草不可避
247:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 10:21:22.07 0FpuVr/S0.net
>>238
張飛は割と上手くいくんじゃないか?
むしろ武断派との折り合いで失敗してるけど
248:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 10:48:27.95 V0ur/RCo0.net
関羽は出自は不明だけど本人は割とインテリなんだよなぁ…
249:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 10:58:05.68 0TTO9QaM0.net
関さん「孫子」とか読んでんのかね
250:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 19:01:29.94 Oaple2QT0.net
>>230
徐州の状況が割と悲惨だから、それどころじゃないだろ
251:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 19:03:21.40 B23dvoNQ0.net
左伝好きだしねえ
庶民なだけで学はあるんだろうな
252:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 19:09:44.42 YwojMUWs0.net
塩族の用心棒なら読み書きできりゃ上等のレベルだからな
253:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 21:35:39.67 590fXdX30.net
>>241
妄想でしかないけど曹操の下にいたときに読んだかもねぇ
曹操のお気に入りだったから曹操から直接「俺がつけた注釈どうよ」みたいに言われたりしてさ
254:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 21:49:21.04 SqzfASV30.net
つっても左伝一冊じゃ正直インテリとは言えんからなあ
呂蒙が詩経・書経・礼記・左伝・国語・史記・漢書・東観漢記・孫子・六韜を暗記してるし
劉備も劉禅にこの辺の書物全部読めよって言ってるからこれぐらいの量が士大夫の一般教養なんだろう
そんな奴ら相手に左伝齧った程度でインテリ気取ってもまともに相手されんような
255:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 21:55:56.12 kA0B2z/Z0.net
呂蒙がすごすぎてワロタ
これ全部暗記したのかよ
256:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 22:02:23.99 fKxJQ/bE0.net
左伝は武官系が好んで読んでた臭い
257:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 23:19:48.63 V0ur/RCo0.net
>>246
関羽は左伝を「特に好んだ」ことが特記されてるだけで他は特に言及されていない
もし関羽程の立場で必要な教養を修めてなければそのことは杜預や王平のようにまず間違いなく特記される
258:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 23:27:16.51 V0ur/RCo0.net
それと呂蒙が修めた学は当時の平均より遥か上のレベルだよ
それこそ一国の主に求められるくらいのね
259:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/05 23:31:18.08 kA0B2z/Z0.net
孫呉の歴代荊州方面担当者陣の中に入るだけあるんだなあ
呂蒙のイメージ結構変わったわ
260:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:15:49.75 6IN8+lWA0.net
>>250
皮肉なことにろくに文字も読めない劉邦が天下を統一するという
261:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:31:40.23 +KD0Td2H0.net
他に学のない奴だと石勒(文盲)と劉裕(かろうじて読み書き出来るレベル)かな
ただ地頭は相当いいんだろうけど
262:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:46:16.49 OgysvO5u0.net
>>252
亭長って末端とは言え官吏だから読み書きはできるだろ
むしろ張耳の食客になろうとしてた経歴考えるとフリーランスの傭兵とか秘書官みたいなスペックの持ち主だった可能性すらある
263:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:49:28.48 OgysvO5u0.net
>>253
石勒は漢書の内容と劉邦の戦略の適否を理解できるくらい地頭は良い
遊牧民とか文字なくても大軍指揮できるから戦争に必要な能力ではないんだよな
文学に傾倒した曹丕とか見ていると本当に力入れるところ間違ってたと思う
264:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:49:53.84 YGZCg5SK0.net
劉邦は司馬遷の恨みパワーで貶められた説
265:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 09:53:40.61 eTnTSpvv0.net
>>255
文帝様本人は政治や軍事での名声より
文学者や文学の庇護者として歴史に名を残す事を望んでたんじゃね
266:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 10:37:34.94 OgysvO5u0.net
>>257
天下統一頑張れよw
267:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 14:12:20.91 YsJGVhfl0.net
いくら頭良くても書物の一字一句全部暗記できるものかね?
俺はその手の話は話半分以下だと思ってるけど
268:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 19:33:27.90 AmVPCCth0.net
内容の理解度とか、平均的に誰でもできたのかとか、そういうのを度外視して、
覚えさせる内容をある程度絞れば、暗記ってそんなに難しい技能でもなくね
269:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 19:49:42.63 FgNuzJXx0.net
音楽に乗せて♪
270:カレーなる名無しさん
16/11/06 21:57:36.20 6IN8+lWA0.net
>>254
亭長って日本で言えば岡っ引きの頭みたいなもんだ
271:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 22:14:02.82 H8+xo9Qq0.net
>>262
一応公的な役職だから岡っ引きとは違うんじゃね?
272:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 22:36:09.55 gUTYSSWs0.net
>>259
宮内庁官僚(ガチエリート)は歴代天皇の諱や年代や業績諸々を暗唱出来る、というかさせられると聞いた事がある
検事や弁護士も六法全書丸暗記出来なきゃ一流とは言えないらしいし、
それが必須なら荀彧や陳羣あたりの超一流なら出来るんじゃないか?
273:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/06 22:41:28.75 H8+xo9Qq0.net
>>264
張華ならたぶんやってくれるだろ
晋書も本紀が途中からスカスカだから本紀は頑張れば覚えれるかも
274:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 00:26:37.68 RtQQt2zv0.net
年四歳で『孝経』を授けられ、七歳で『論語』八歳で『詩経』
十歳で『尚書』十一歳で『易』十二歳で『春秋左氏伝』と『国語』
十三歳で『周礼』と『礼記』十四歳で成侯の『易記』を暗誦させられ、
十五歳で太学に入学させられ、四方のめずらしい文章や変わった訓話について勉強した
って鍾会が言ってるように当時のお坊ちゃんの嗜みだな
だから豪族や官僚の家系じゃないうえ大人になってから暗記した呂蒙は凄い
275:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 01:30:04.98 BhOguoaJ0.net
他に娯楽もすることも無かった時代だし
書物だって限られた物しかなかっただろうから
好きなやつは暗唱
276:するぐらい読みこむぐらいはできてもおかしくはなさそうだけどな
277:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 02:39:29.87 9wiZI/d00.net
>>266
石勒や劉裕と同じで地頭が良かったんだろうな。
278:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 07:59:42.92 Tp5H0jxx0.net
>>237
孫乾、麋兄弟だってそいつらに負けないぐらいエリートだと思うぞ
279:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 08:12:44.96 Gx/Wxgr80.net
劉備は読書を楽しまなかったと伝にあるから暗記物とかは嫌いだったんだろうな
ただ音楽は嗜んでいたみたいだから案外セレモニーや宴会関係には強かった可能性もある
祭祀儀礼と戦争に強ければ上に立つ人間は大抵何とかなるイメージ
280:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 15:46:34.46 RvC8oGXy0.net
コミュ力の塊だからな劉備は
仲良かった奴並べると盧植・田豫・陳羣・陳登・袁紹・曹操・劉表と名士ばっかだし
本人の好みが馬の骨(関張)に下級役人(簡雍・孫乾)に商人(糜兄弟)と名士とは正反対だったのがアレだけど
281:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 16:02:53.44 byZTD8aL0.net
実際人に好かれる能力なかったら袁紹が死んだあたりで詰んでるからね。
282:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 16:56:56.48 BhOguoaJ0.net
最初は旗揚げ時に武力が必要だから豪傑と交遊してただけなんじゃね
その時その時で自分に必要な物を理解して交際する相手を選んでると思う劉備は
283:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 17:52:41.77 7C/HXRXDO.net
名士だけどその配下になりたいかと言うと、将来性についてはイマイチという人物か
284:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 18:17:31.72 ROw750KW0.net
盧植は学問の師だから仲が良いとかそういう話じゃないんじゃ
あと公孫瓚も入れてあげようよ
285:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 18:19:14.50 ROw750KW0.net
あと陳羣・袁紹・劉表あたりは仲良かったとは思えんのだが
286:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 19:24:17.22 Sp/7Xet+0.net
>>274
左将軍に任じられた時期まではかなりの有望株だったと思うんだけどねえ
287:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/07 19:50:58.81 VgBNrrU10.net
陳紀・鄭玄という超大物と密に交流してたみたいだし
とんでもないセレブなのは間違いないよ、劉備
>>276
陳羣の地元で、地盤が固まってる豫洲支配地域を問題児の呂布に任せたらそりゃ怒るわな。としか
288:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/08 08:29:48.89 6VXKw6KW0.net
>>274
その時々で名士層の取り込みは成功してるよ
289:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/08 22:24:34.65 uwPMo8KH0.net
どこ行ってもグループ作るのは早いんだよな
ただ名士って土地に着くからそこから離れると着いて来てくれないし、新しい場所でもあんま信頼されない
>>276
陳羣は怪しいが袁紹とはかなり仲いいよ。後継の袁譚を推挙したり汝南で別働隊任されたりしてるから相当信頼されてる
どうも袁紹としては劉虞の代役に考えてたっぽい
劉表は……微妙?新野で割拠許してるぐらいだから蔑ろにはしてないんだろうけど、
あくまで客将として割り切ってる感があるんだよなあ
290:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/08 22:33:00.59 uwPMo8KH0.net
>>274
多分徐州牧になった時に袁紹・曹操派に鞍替えしたのが評価決めちゃったんじゃないかな
公孫瓚が劉虞殺ったとか曹操が怖かったとか色々理由はあったんだけど、
それまでの袁術・公孫派からテノヒラクルーしたから名士層に
「ヤバくなったらまた手の平返すんじゃねえか?」って不信感与えちゃったんだと思う
291:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 00:18:25.25 JZ314WjC0.net
中国の名士の人間関係って本貫地�
292:i本籍)と故主故吏の関係で殆ど決まるからな。 劉備だってそれわかってるから袁譚の茂才の推薦人になった訳だし。
293:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 07:23:56.93 tusgSvzHO.net
一方で一城一軍任せられる親族がいないという脆さがな
294:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 08:12:26.54 Rlhd3Ux20.net
糜芳がそのポジションだと思うんだが
295:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/09 16:33:27.58 tusgSvzHO.net
将として軍を指揮した印象がないな
誰かの指揮下にいる感じ
296:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 00:16:37.03 O/6rOKTx0.net
劉備って劉表時代に劉表と同じ一族って騙ってた時期なかったっけ?
297:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 14:24:10.49 93Z407r20.net
やっぱり徐州、豫州一部を何が何でもキープして、袁紹と曹操の対立に付け込んで飛躍しかないな
298:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 18:13:15.75 OrKgV3d+0.net
>>249
杜預と王平を一緒にしててワロタw
杜預は関羽以上の変態左伝マニアだ
間違っても王平と一緒にしてはならない
299:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 19:58:31.86 MjA0TGN10.net
まさか三戦じゃなく中英まで来てそんな低レベルなツッコミが入るとは思わんかった
300:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 20:29:15.75 3dvC7A6Z0.net
三戦が死んでるから中英と世界史に流れてるからなぁ
301:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 20:57:18.07 uwUFlINn0.net
>>290
世界史も死んでいるような
中英も盛り上がっているの一部のスレだけだし
五胡スレはマニアック過ぎてついていけん
302:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/10 21:06:27.64 RlSxsCrD0.net
五胡~南北朝~隋唐は中国史って言うより世界史+仏教史+中央アジア史+日本の古代史のミクスチャーだからなぁ
303:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 02:18:12.55 tUGz7zRg0.net
>>291
匿名で好き勝手書ける卑屈者の集まり2chが時代遅れなコンテンツなので
一部の例外を除いて有識者は別のSNSに流れてそこで盛り上がっているよ
いまだに2chが世界の中心だと思ってるクチ?
304:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 03:47:27.23 6B5r+gk90.net
ドヤァ
305:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 06:33:04.55 /k+v0wAp0.net
三国志警察みたいな連中にネチネチいちゃもんつけられるTwitterとか居心地悪いだろ
人物のdisりあいばかりで辟易するは
甲という功績、乙という過失、丙という性癖がある人物をひたすら乙と丙で揶揄しまくってる
306:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 07:55:41.67 AGjfD4p30.net
有識者()
307:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 07:58:36.43 8lKkfHIc0.net
Twitterもはや2ちゃんと区別つかない気が
308:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 11:21:53.82 a4AL3TKh0.net
でも完全に個人情報隠匿している2chユーザーよりも
成りすましも有るが逃げも隠れも出来ないtwitterユーザーの方が社会的評価が上という現実
309:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 13:05:00.91 ZiTtcFTk0.net
結局、一人一人の心掛けが、
同じ場所にいる人の評価を決める。
310:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 17:38:24.01 TsjpYHkSO.net
>>298
昔のヤフー掲示板か
311:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 17:46:43.57 haL5smiW0.net
三国志の最大手は結局KOEI周辺に群がっているわけだから歴クラが何ほざこうが最終的には少数派に陥ってしまう
312:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 18:33:16.54 awV3jRMt0.net
天の時、地の利、人の和
前者2つが欠けていた
そして孔明死後の蜀は全部欠けた
313:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/12 18:39:56.10 /3id9pOd0.net
いやさすがに「有識者」は大草原ですわ
314:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 02:06:05.72 RlCA0Pdk0.net
いつまで引っ張るんだよw
315:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 05:21:55.69 JqcX4c6+0.net
劉備の如く乱世を正す為に2chで活動してたのに
世間的には曹豹以下にしか見られてなかったで御座る( ノД`)
316:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 05:57:36.90 YTZ1uAXX0.net
劉備が「俺が漢王朝を継ぐ」みたいに考え始めた時期っていつぐらいなんだろうか
そんなに早い時期ではないよな
317:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 07:51:40.03 FAvJQYRtO.net
>>306
根源は若い頃からの漢帝室の家系と称した事だけど、やはり入蜀~漢中王自称の頃だろう。
それまでの行動は生き残る為のが主で、漢中王以前はう見ても自らが漢朝復興という行動にしては場当たり過ぎる。
これはやはり諸葛亮ら荊州以来出仕の家臣に煽られ続けて、入蜀辺りでその気になったのだろうか。
318:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 08:44:48.72 Yx3cJO9f0.net
劉備にしてみりゃ「こんなはずじゃなかった」って展開ばっかだからね。
319:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 12:42:06.43 qwNIlj9d0.net
曹豹といえばなんで張飛に殺された(または殺されそうになった)んだろうか
劉備が張飛に下邳を任せた、とあるけど下邳の相はあくまで曹豹なんだよな
普通はそんな二重権力みたいなことするはずが無いから曹豹の管理下で留守番してた張飛が「俺は州牧の直属の腹心だ」って調子乗って曹豹に喧嘩売って身の危険を感じた曹豹がやむなく呂布を頼ったって考える方が自然に思う
陶謙配下の重臣で下邳の相を任されるってことは曹豹はあの辺の人士のまとめ役なんだろうしそんな人物と敵対なんかしてたら徐州の人心なんて掴めるわけがないわなぁ
320:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 14:54:10.88 q13wJnav0.net
袁術の出征と袁術が呂布にした密約のタイミングから
丹楊勢力圏の袁術が丹楊出身で相の曹豹に反乱を持ちかけ張飛が察知したというのは?
陶謙が親袁術だった事もあいまって丹楊人が親袁紹の劉備を良しとせず袁術に乗った図式
ゆえに曹豹だけ殺しても止まらなかったし呂布の迎い入れもスムーズに
321:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 15:22:15.55 bjV8GSdB0.net
丹陽兵は扱い難しそうだもんなぁ。
曹操も丹陽兵募兵した時反乱起こされて
死にかけてるし
322:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 15:29:31.33 ufIQobTm0.net
丹陽兵って孫堅みたいなアウトロー連中だろ
そりゃ扱いにくいわ
323:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 17:16:57.35 RlCA0Pdk0.net
張飛の独断専行だったらとんでもないことだし、後々魏延を優先されることも頷ける話
劉備からの含みがあったのだとしたら掌握を急ぎ過ぎて自爆した感
でもそこに袁術が噛んでいるのだとしたら印象も違ってくるね
324:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 18:59:16.72 mJdfHCS70.net
劉備が出陣する時にもう丹陽制圧されてたからな
本拠が敵地の将兵なんて危なくて使えんわ
325:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/13 20:49:41.57 qwNIlj9d0.net
徐州に流れてきた頃の劉備って公孫瓚の下で袁紹と戦ったり陶謙の救援に出向いたり間違いなく袁術側なんだよな…
それが袁紹(曹操)側に付くことになったのはやっぱり呂布と敵対する羽目になったからなのか
326:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 10:23:09.10 ACL6URDp0.net
流れ的に言うと袁術が劉備を攻める→劉備が曹操から官位貰う(袁紹派閥入り)→袁術が呂布に兵糧支援確約→呂布謀反って流れになんのかな。
327:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 11:40:52.82 LZtlxPij0.net
なんで袁術が味方のはずの劉備を
328:?と思ったら既に晩年の陶謙は袁術に反抗的だったのね なのに劉備が陶謙の後を継いでしまったからまとめて敵認定されてしまったのか
329:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 11:42:28.07 LZtlxPij0.net
しかし陶謙て調べれば調べるほどすげぇな
行動にビジョンらしきものが全く見えねぇ
330:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/14 11:43:43.40 m9xrbvZT0.net
アンチ袁術の陳親子の存在もあるしな
331:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/16 18:15:00.62 BaZAsGyR0.net
曹操の「劉備はワシと同等だが計略を考えつくのが少し遅い」という評は
その分劉備の方が曹操のように感情的・発作的に動かなかったということを言い表しているような気がする
332:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 00:51:48.00 OkBaMODG0.net
まあ劉備は家臣筋の陳寿にも「曹操より才能も領土も小さい」とディスられているので
曹操の劉備評はまだ褒めている方だと感じる
333:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 13:05:53.19 GgTZuFG10.net
陳寿は腹の中で劉備の事を嫌ってそう。
諸葛亮伝はキレイキレイな記述で諸葛亮のネガティブな記事は馬忠伝や張嶷伝に
記述してんのに、先主伝にはわざわざ若い頃の劉備のヤンチャエピソードや劉備が妻子を捨てたエピソード何度も記述したりしてるし。
334:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 16:34:23.97 aRVfe4ORO.net
なんか因縁あったっけ
335:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 16:43:58.07 4r1SVozW0.net
季漢なんて初めから詰んでる国作ってんじゃねーぞ、とか?
336:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 17:37:23.02 m4DIgVZx0.net
荊州市出身のアイドル何暁玉(ニックネームはシャオシャオ)が、
生誕祭で仲間とともに、ももクロの「青春賦」を中国語に訳して歌ってみた
URLリンク(www.youtube.com)
つい9月には休暇を取って来日して渋谷を旅行
URLリンク(blog.livedoor.jp)
337:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/19 21:46:05.96 tjCpi9UO0.net
陳寿は劉備が嫌いなんじゃなくて諸葛亮が好きなだけ
338:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 11:16:09.84 UTAEOwEF0.net
陳寿が諸葛亮を嫌っているというのは昔から都市伝説的に囁かれてきてたけど諸葛亮が好きっていうのはあまり聞いたことがない見解だな
>>322で言われてるようなネガティブな記述を本人の伝に書かないというのは諸葛亮に限らず三国志全体に共通した陳寿の記述スタイルだからそこは判断基準にはならん
339:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 11:18:18.48 UTAEOwEF0.net
それと陳寿は劉備のことをかなりリスペクトしてるぞ
本来なら正統王朝の皇帝以外は皇帝と表記するのはまずいのに細かいところで劉備のことを皇帝表記してるところもあるし何より先主伝という伝の立て方がもう目茶苦茶特別扱いだしな
340:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 11:25:52.94 M3njg3Jk0.net
>>321
曹操はこう言っておきながら漢中取られちゃったからなあ
一州をまともに手に入れた劉備は曹操に匹敵する将帥なんだよ
341:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 13:28:46.40 QN3qBw1D0.net
曹操のことは武帝、劉備のことは先主、孫権のことは呼び捨てだもんなあ
特別扱いはかなりしてるわな
陳寿は諸葛亮を恨んでる云々は陳式の一件の噂と
諸葛亮を臨機応変の策は苦手と言ったことだけが根拠じゃないっけ
そこかしこに諸葛亮ageエピソードぶち込んでるやつが嫌ってるわけないと思うが
神扱いしてないから陳寿は諸葛亮嫌いと言ってるようにしか見えないんだよな
342:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:00:03.08 2L6E7jDF0.net
陳寿の諸葛亮私怨説は清の趙翼って学者が「廿二史箚記」の記事で「ありえねー!」って批判してたはず。
343:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:05:59.89 65D2TywP0.net
諸葛亮集を三国志の前に編纂してるくらいだからな
欠点を欠点と言ったら恨んでるって言いがかりもいいところ
344:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:17:19.58 2L6E7jDF0.net
諸葛亮信奉者的には息子の諸葛瞻の扱いがアッサリしてるのも気に入らなかったのかね。
345:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 14:32:29.59 ZctL4b570.net
諸葛瞻さんはまともに扱ったらギルティな部分をばんばん出さないといかんから……
346:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 17:08:02.84 /MIOi8+D0.net
>>329
まあそこは間違いないと思う
あんだけのアンラッキーがあっても巴蜀を制したわけだし
347:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 18:11:43.79 aho17a0Q0.net
>>328
その通り。劉備を“先主”、劉禅を“後主”、自分のふるさとで皇帝にまで登りつめた英傑なんだから、
特別な感情を持っているのは当たり前。
今のように交通機関が発達していなくて、情報網すら人づての世の中で、辺境に近い琢県から徐州・冀州・荊州を経て、
巴蜀をおさえて漢中王⇒皇帝にまでなったんだ。高祖の劉邦を彷彿させたっておかしくない。
しかも関羽・張飛に加え、趙雲や馬超、黄忠、魏延などを従えるなんて、並みの人物じゃできないこと。
それに諸葛亮孔明のような超一流の補佐も得たんだから、魏⇒晋に遠慮しながらも、称えずにはいられないだろうよ。。。
348:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:18:41.53 lqT7kYwY0.net
曹操の配下に諸葛亮
劉備の配下に司馬懿
これなら、劉備の天下は?
349:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:32:22.64 ZctL4b570.net
晋が天下統一できたのはこの人がいたから
というよりも総合的な人材層の厚さとかだからなあ
350:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:45:58.04 kWJ3w+Yu0.net
末期魏国~西晋の将軍って優秀な軍人兼地方官って例が多い印象。
351:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/20 22:47:41.96 p5oau0Js0.net
>>337
司馬懿本人には統一の構想みたいなものは無かったんじゃないの?
司馬師・司馬昭の方がまだ天下取りに取り組んでいた方だと思う
魏晋南北朝を見渡してみても諸葛亮は本当に得難い人材だったと思うけどなあ
352:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 00:08:16.59 deKL0ExQ0.net
どう見ても陳寿は諸葛亮大好きだよなあ
司馬懿は野心からというよりは
自分や家を守ろうとしてああなってしまった感あるし
統一とかのビジョンは持ってそうなイメージ無いな
353:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:14:48.16 KLC6YLBQ0.net
>>329
とはいえ劉備は曹操に徐州も豫州も荊州半分も取られた訳で
曹操>>>>>>劉備
なのは間違いではない
サッカーでいえば3点取られて試合終了間際に1点返した程度で
明らかに劉備の負け
354:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:25:39.25 UBzsTI4i0.net
>>342
地盤固めるまでの過程は曹操の方が優秀だとは思うけど
大規模な戦役になると劉備は曹操を凌ぐとも言える
355:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 01:49:37.10 UEYR+VU20.net
人見る目なさすぎだよね?
陳登、陳羣とか曹操も一目置くような人材活かせてないし
356:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 02:49:01.29 cWU0eX+M0.net
>>341
晋書宣帝紀でもしばちゅうさん「ワイの墓は曹丕さんの近くに作って欲しいンゴ」つってるから基本的には曹魏政権に対しては忠誠心はあったんだろうな。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 10:35:49.84
358:Q8fVH+7N0.net
359:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 18:22:28.16 mxpV/5Ha0.net
>>344
そもそも陳親子を陣営に取り込んだり、陳羣が制度や法令を定める時間が無かった
360:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 18:26:22.50 UBzsTI4i0.net
割りと徐州牧就任後の劉備って詰んでるよな
361:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 19:29:10.64 IL+XH6n10.net
陳羣は治世では有能な政治家だけど乱世ではどのくらい有用な人物なんだろう
軍事面での逸話は特に無かったよね
劉備の下に残ってれば諸葛亮の良きサポート役にはなれたのかな
362:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 20:35:37.16 deKL0ExQ0.net
まあ名士の役割は自身の能力もあるだろうけど
それ以上に士大夫層のネットワークにあるだろうし
陳羣は劉備に今徐州を根城にするのは危険だと助言したり(聞き入れずに劉備は滅亡する)と
時勢を読む力もあるから統治だとか外交で人材登用で何かしら役に立ったでしょ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 21:25:51.99 CvrOKuCO0.net
>>348
袁術の侵攻、呂布の暴走、重臣たちの反乱
まさかこれらが同時にくるとは思わないわな
>>350
そりゃ陳羣からしたら劉備には地元の豫洲にいてもらいたいからそう言うよ
なに徐州に色気だしてんの?って話
364:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 21:38:18.83 mxpV/5Ha0.net
呂布がもう数年曹操と争ってくれるか、大人しく小沛を統治してくれないと厳しいな
365:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 23:11:04.20 ISGKD/TB0.net
>>343
曹操は赤壁でも漢中でも火傷が酷くなる前に余力残して引いているので
イメージほど大規模な戦役での大負けはない
むしろ呂布や袁家や韓遂や張魯など
群雄にきっちり勝ち切って仕留める割合は劉備を遥かに凌駕する
まあ勢力の大きさが違うので当たり前といえばそうだが
劉備は徐州やら汝南やら長坂やら夷陵やらで壊滅的な無様な負け方しているので
大規模な戦役で曹操を凌ぐと言い切るには大負けが目立つで説得力を感じない
366:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/21 23:30:35.28 UBzsTI4i0.net
>>353
その理論だと曹操は劉備を滅ぼせていないとおかしくなっちゃうんだけど
367:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 01:26:39.80 7NUlJjfG0.net
>>353
前3つは戦力差がデカすぎで、戦の巧さで挽回できるような次元じゃない
368:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 01:32:21.67 En4jKH3O0.net
夷陵以外の劉備の敗戦って完全に詰んでる情勢ばかりだしな
仮に指揮を執るのが曹操でも結果は同じ
369:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 12:30:09.18 V4Qw7eVu0.net
>>356
曹操も徐栄や馬超など相手に絶対絶命の場面あるけど
劉備みたいに民衆や妻子や義兄弟まで撒き餌にして無様な脱走という場面は思いつかない
だから曹操なら同じ場面でももう少しマシな負け方ができそう
まあ劉備は劉邦に近い逃げ方なので
系図があやふやでも劉備は劉邦の血を引いているというのは確信できる
370:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 12:48:18.38 GUzJ8GBY0.net
曹操は未亡人とギシアンしてたら襲撃されて息子殺されるってとんでもないエピソードあるじゃん
371:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:12:52.34 8J8CRk/t0.net
>>357
張邈+呂布に惨敗して、蝗に助けてもらってるじゃないか
つか長坂は江夏に逃げられた時点で実質敗北だろ、あんなの
なに取り逃してんだよ
372:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:30:17.95 SSD2KOe20.net
>>359
それよりも赤壁以降荊州を取り戻せていないことの方がヤバイ
国力差考えるとあり得ない、相手が東晋とかなら兎も角孫権と劉備の呉越同舟相手になにやっているんだ?
373:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 14:45:53.97 En4jKH3O0.net
魏は北方、西方の異民族に相次ぐ叛乱にと他にやらなきゃいけない問題多かったからなあ
文明の中心は抑えてるし時が経つほど国力差は広がる一方だから
一気に併呑できないのであればそこまで急ぐ必要もなかったし
374:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 15:11:07.91 uxNpc1Em0.net
>>361
時が経ちすぎて曹氏簒奪されちゃったけど
これも曹操・曹丕の計算通りな展開だったのだろうか?
人口激減期でも隋末の李淵は一気に天下統一させた上に李世民の代には突厥、吐谷渾を
滅亡させているから「国力充実のため現状維持」というのは天下統一できなかった理由としては少し弱い
隋末唐初の戸籍の下限が二百余万戸、人口は一千万人前後ぐらいと推定
三国が統一された時と実はあんまり大差ない
375:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 18:51:35.81 WPiKMoK20.net
>>358
>>359
軍壊滅状態での敗走ではないので劉備の悲惨さと全然違う
劉備のサバイバル能力は際立つが
どちらが才能上かというと曹操の方が上という評価が妥当
長坂で劉備に江夏に逃げられた時点で実質敗北とかは
無双の世界の勝敗条件っぽくてワロタw
>>360
中国の歴史の中で北朝がきっちり南朝滅ぼせたのは
南朝の君主が暴君か暗君か弱君か幼君のいずれかの場合
なので呉越同舟なれど曹操生きてる間はそのいずれでもない
孫権と劉備がいる以上鼎立もさもありなん
なんか曹操と劉備でハードルの高さの違いを感じる
曹操だと天下統一できなかったので無能扱いで
劉備が1州に割拠しただけで曹操を超える優秀とか
どう考えてもおかしいやろ
376:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:12:18.24 hvzgDQki0.net
>>363
悔しいけど、最終段落一理ある
377:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:49:59.34 uxNpc1Em0.net
>>363
誰も曹操の才能が下とは言ってないのでは?
ただ劉備が曹操と同等以上の大部隊運用の才能を持っていた可能性を指摘しただけ
トータルでは曹操の方が上なのは変わらないと思うよ
ただ劉備の能力を低評価すればするほど
曹操が何で蜀を滅ぼせなかったか説明できなくなってしまう
そこだけが違和感を感じるのよ
378:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 20:56:14.83 WLaPJHnZ0.net
曹操が華北を制した時ってまだあまり安定しなくて反乱とか頻発してたからとても統一に手が回らなかったんでしょ
華北が安定したのって曹叡の頃でその頃になって蜀や呉から華北に人が戻っていったんだよな
379:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:08:06.97 TYJoRgXE0.net
>>366
何で態勢が有利なったのに曹叡は天下統一できなかったの?
そのトンでも理論、いくらなんでも天下統一までタイムラグありすぎだろ
380:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:11:34.25 uxNpc1Em0.net
>>366
赤壁の戦いとか漢中併合とか劉備と直接対決とかやってて「統一に手が回らない」はおかしくね?
曹操は統一する気マンマンだったようにしか見えないのだが
(加齢や赤壁敗戦の影響で晩年はかなり後ろ向きになっていたとは思うけど)
381:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:12:12.64 9sAFpvZ80.net
そら曹叡晩年からは内ゲバ最盛期なんだから統一なんかできるわけなかろ
382:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:14:36.18 cQ1kgmc3O.net
このスレでは言われてないけど
魏が圧倒的って言わ
383:れまくられると統一も出来なかったのに?って思ってしまう 簒奪した晋が最終的に統一したから魏も出来たかもしれんが何だかなあ
384:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:23:17.21 Y5m/86Yl0.net
曹魏の国力は結構カツカツだったと思うんだけど
だから曹操も統一頓挫しちゃったんでしょ
ただ攻めきれなかった劉備も力不足だったわけだし
江南の独立で満足しちゃった孫権も何だかなあと思わされる
385:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:30:09.28 cQ1kgmc3O.net
東晋の北伐は調べると結構北上出来てるし
それに比べると確かに呉蜀はあんまりロマンがない
まあ時代も割拠する勢力も違うから単純に比較しちゃ駄目だろうけど
386:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 21:44:30.55 uxNpc1Em0.net
>>372
340年代後半以降の東晋は寿春と淮陰(廣陵)、襄陽を保持していたから呉とは条件がかなり違うんだよなあ
呉は東晋みたいに泗水や沂水、潁水、汝水、過水からの北上ができなかった
つーかドン詰まりだな、孫呉は
387:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 22:01:55.15 9sAFpvZ80.net
呉がどこを落とし所にしてたのかが全く分からないから詰まってるのかどうかも分からん
天下を狙ってたなら確かにどん詰まりだし何考えてたにしても結局は滅ぼされてるわけだけど
388:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/22 22:08:29.21 hvzgDQki0.net
赤壁で無闇に突っ込んだのに、肝心の漢中で撤退しちゃった挙句に
涼州・揚州で徒民しまくったのがアカンかったんや!
389:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 08:26:10.97 GWiCfnh60.net
>>375
曹操が何をしたいのか意味不明なんだよな
大局観がまったく無い
孫権の場合江南の自治・独立という大目的に絞ってみれば全て合点が行く
390:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 08:38:59.24 Fvt/e7yI0.net
>>357
>>劉備みたいに民衆や妻子や義兄弟まで撒き餌にして無様な脱走という場面は思いつかない
これなんかおかしくね
なにベースで語ってるのここ
391:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:35:45.62 WmqBskX90.net
漫画かな
392:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:39:33.15 OYkziHIc0.net
>>376
華北統一後は曹操の大好きな光武帝モデルも破綻してるしな
393:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:45:51.64 TFfCA6sG0.net
>>377
・徐州では関羽と妻子を捨てて逃走 関羽と妻子は捕えられる
・長坂では民衆や妻子を捨てて逃走 娘は捕えられる(甘夫人と劉禅は趙雲が回収)
この辺りかと
394:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 09:56:46.37 jXmEyYM10.net
>>352
そもそもあのまま戦って袁術を追い返せていたのか?
まあもうちょっとしたら孫策との不和で徐州どころじゃなくなるが
395:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:11:06.89 TFfCA6sG0.net
>>365
>ただ劉備が曹操と同等以上の大部隊運用の才能を持っていた可能性を指摘しただけ
夷陵が無ければ同意
夷陵みたいな名の残る将官クラス両手に溢れるぐらい戦死という敗北は三国時代以外でもあまり聞かない
曹操でも夷陵みたいな負け方はわざとでも難しいだろう
曹操なら負けても傷口浅いうちに撤退しているだろうから
夷陵は曹操よりも明らかに大部隊運用の才能のない曹丕にもディスられてるのが何とも
曹丕には「お前が言うな」と言いたいw
劉備の漢中戦での勝利は法正によるところが大きいし
別動隊の張飛馬超呉蘭雷銅の方は敗北しているので
純粋に大部隊運用の才能でももっと実績残している曹操の方が上かなと思う
396:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:22:17.59 KtcN5r/F0.net
夷陵は部下から諫言を何回も受けても強行して惨敗って言う暗君テンプレを地で行ったからな
397:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:24:13.88 GWiCfnh60.net
>>382
曹丕の評価なんて意味無いだろ
劉備の将器を傷つけるようなものではない
これが荀攸あたりからダメ出しされていたら確かにその通りだと納得できる話なのだが
398:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 10:35:26.86 TFfCA6sG0.net
>>384
いや曹丕みたいな戦下手な奴に「劉備は戦の仕方を知らない。必ず敗北する。」
なんて正論吐かれて実際その通りになったのが酷いんだよ
あれで俺の中の劉備の評価が大きく下がった
まあ>>384には曹丕と同じで俺の評価なんて意味無いだろうがなw
399:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:20:28.45 x8echu2W0.net
>>385
結果論で劉備<陸遜は成り立つし劉備>夏侯淵も成り立つ
そして直接対決の結果で劉備≒曹操も成り立つ
口だけ番長の曹丕の出る幕なんて寸土も存在しないわけだけど頭大丈夫なの?
400:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:41:15.03 SXSee3NK0.net
議論するのは良いが、相手の人格攻撃はやめれ
401:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 12:58:44.63 F4lJEIKP0.net
曹丕が何をもって劉備の敗北を予見したのか定かじゃないから何とも言えんが、曹丕がたまたま慧眼を発揮した可能性もなくはないだろ
402:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 13:20:01.99 bipVp5xH0.net
>>388
たまたま山勘当たったという話だとしても因果関係無くね
曹丕は一般に「戦下手」イメージのある孫権に負けてるのが痛すぎる(個人的には孫権は戦下手なんかじゃないと思ってるけど)
父親と違って戦争自体向いていなかったとしか……
403:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 13:42:39.60 F4lJEIKP0.net
>>389
慧眼と山勘とは違う意味で使ってる
俺も曹丕は戦下手だと思うが、後継者として全く戦術理論を学んでない訳はないだろうし、馬謖みたいな実戦下手だった可能性も充分ある
>>382は叩き上げの武将である劉備の総仕上げの戦いが、理屈だけの曹丕にdisられてるのが皮肉だって言いたいんじゃないの
404:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:06:47.74 bipVp5xH0.net
>>390
総仕上げの戦いではなくて完全に泥縄式な荊州奪還作戦、それも開戦直前に張飛暗殺とか万全には程遠くないかなあ
準備はそれなりにしていたけど張飛退場はやはりキツイ
曹操と劉備との漢中戦も泥縄と言えば泥縄
405:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:09:26.68 KOntbGlz0.net
ハルヒ暗殺で別働隊率いる将軍がいなくなったからな
406:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:24:33.54 uvBmPCU70.net
ここでも何回も話題になってるけど荊州を奪われたままじゃ劉備には破滅しか残されてない
だから多少どころじゃない無理をしてでも即奪還しないといけなかった
ここで時間を置いて準備をしてもその分相手も準備を整えるだけで状況が好転する見込みなんてほぼ無い
407:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:38:49.99 l6/oDm2s0.net
益州一国じゃ現状維持が限界だからな。
その後成漢を建国した李雄も引きこもってたし
408:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:47:07.32 bipVp5xH0.net
益州政権で荊州取りに行ったのって劉備だけのような
409:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:52:39.85 jdHtbavu0.net
>>391
泥縄を言い訳にするなら攻め込む資格なし
攻め込まれる方はもっと準備していない場合多いのに何言ってるんだか
張飛死んだのもある意味深刻な問題放置していたからで
張飛は死ぬべくして死に
夷陵は負けるべくして負けたとも言える
>>392
黄権・ホウ林「」
>>393
それなら悠長に季漢皇帝に即位する時間惜しんででも荊州失陥翌年にとっとと攻めるべき
魏は曹操死んで禅譲もあってそれどころではないし
呉も呂蒙蒋欽孫コウ死んで軍弱体化そして荊州租税免除するぐらい荊州の地盤固めに追われてんわわんや
まあ実際は漢中戦や関羽死亡のダメージで劉備も軍動かす余力が無かったと思うが
410:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 14:58:56.99 P4ZgiEfQ0.net
張飛なんか使わず馬超を使えばいいのにな
411:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:40:52.30 uvBmPCU70.net
馬超が北に睨み効かせてないとおちおち他所に出かけられん
412:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:42:44.64 uvBmPCU70.net
>>396
>劉備も軍動かす余力が無かった
うん、だから多分ほぼ最速であのタイミングだったんじゃないかと
413:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:45:01.11 /vtSPJcd0.net
見方を変えれば五胡十六国みたいな中国大陸を異民族に蹂躙された原因って
呉蜀がしつこく魏に反抗したからだよなぁ
漢王朝の復興とか劉備の言ってるのは大義かもしれないが
庶民にとっては災難でしかない
414:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:48:02.38 UrgZJT7J0.net
安帝の頃から羌族にボコられてるからあんま関係ないぞ。
415:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 15:51:39.91 jdHtbavu0.net
>>399
最速であのタイミングで
呉は準備不足で陸遜の文弱ぶりな混乱指揮で武陵反乱もあるのに
あの負けっぷりは相当深刻
負け戦の責任を全て馮習に押し付けたいのもわかるが
どう考えても劉備の大部隊運用の才能は曹操と比べるのは失礼なぐらいのレベルなので>>382に同意
あれならどのタイミングで夷陵戦役しても詰んでる
416:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:07:32.36 bipVp5xH0.net
>>397
馬超は荊州行くまでの道に不案内でしょ
この経路使った経験のある張飛以外の適任者が見当たらない
417:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:10:03.01 jdHtbavu0.net
>>403
張飛以外だと同じく経路使った経験ある趙雲か諸葛亮が適任か
張飛に劣る人選なのは同意
418:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:13:23.08 GaGy/KPY0.net
>>402
曹操がこの時代唯一無比の最強の司令官ってことで良いけどさ、じゃあ何で天下統一出来ないんだよw
419:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:18:26.22 jdHtbavu0.net
>>405
シンプルな結論出すと
曹操に天下統一するだけの実力も才能も無かった
以上w
他は実力も才能も曹操未満なので曹操はまだ少しマシな程度
420:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:30:28.75 GaGy/KPY0.net
>>406
「曹操未満しかいない」
呉と蜀は仲違いしていた
何で天下統一できないんですかねえ?
421:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:38:22.01 SXSee3NK0.net
・そもそも曹操が独立勢力築くのが遅かった
(スタートが泡沫候補レベル)
・最有力候補・袁紹政権を併呑するのに8年掛かった
(江南諸政権に地盤固める時間的猶予を与えてしまった)
・見切り発車で赴いた赤壁で、孫呉に華北政権とやりあって五分に持っていける自信をつけさせてしまった
・関中に転進した時点で江南の併呑を諦めてたっぽい
(華北統一=天下統一と宣伝?)
一代で天下統一するには群雄が勢力を固める前(だいたい10年位?)に
攻め込まないと大体長丁場になる
この辺は多分天下人の能力云々関係ない
422:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:42:19.42 jdHtbavu0.net
>>407
>>406に結論書いてるのに何度も書かなきゃわからない莫迦ですか?
こういう意味ない煽りレスは無駄なんで
だから2chてろくな奴いないとか思われちゃうんだよ
423:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:47:26.27 U7TfeCYc0.net
劉備が蜀取ってから漢中攻略まで四年も無いような
蜀を乗っ取った劉備に対する早期攻撃論を無視したのは曹操自身なんだよな
たしか後世の史家から「赤壁は焦り過ぎ、漢中は焦らなさ過ぎ」みたいに評価されていたような
424:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:50:58.58 GlUChc740.net
ぶっちゃけ曹魏より勢力デカかった前秦や北魏も南朝を屈服させられなかったから、統一するにはなんか欠けてたんやろな
425:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:53:55.92 GaGy/KPY0.net
>>409
曹操が赤壁と漢中で敗退したこと説明できてないからねえ
曹操未満の相手しかいないのに何で敗退するのやら
天下統一抜きでいいよ、純粋にそれぞれの戦役で何で曹操は勝てなかったの?
426:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:54:08.88 U7TfeCYc0.net
>>409
書いてある内容が矛盾しているからなのでは?
俺だったら「曹操≧劉備・孫権」みたいに書くけど
「曹操>その他w」と煽り気味に書き込んだら反発食らうと思うよ
427:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 16:56:32.63 jdHtbavu0.net
>>413
確かにそうですね
申し訳ない
以後気をつけます
428:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:00:19.65 U7TfeCYc0.net
>>411
前秦はだいたい西晋に準じた侵攻要領採用したけどボロ負けした
百萬の大軍を動員した上に蜀や襄陽まで保持していて負けている
何事にも絶対はないと思う
だから赤壁の敗戦には偶然的な要素が当然あったと思うし
劉備の夷陵にしたって偶然的な要素が結構左右している、張飛の急逝とかね
勝敗を有能無能で論じるのは好きじゃない
429:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:09:33.12 U7TfeCYc0.net
ただ222年~223年に魏が呉を押し切れなかったのだけはいまだに理由が分からない
あれは勝ちパターンでもおかしくない態勢、荊州なんてボロボロだったわけだから
濡須口なんてどうでもいいから荊州取りに行こうよ、曹丕さん
430:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/23 17:21:15.73 VzmYINbK0.net
>>409
Twitterよりかは今の中英板の方が居心地良いは
何だかんだ言ってこのスレ好きだし
431:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/24 21:53:56.86 xTgtRPIT0.net
天下を支配できる器>>>>越えられない壁>>>>>>曹操>劉備、孫権
だっただけ
どう転んでも一地方政権のどまりの三流人物が、その器に相応しいだけの領土支配して人生の幕が引かれただけだから
432:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/24 22:58:00.07 yBnw7cXm0.net
孫呉における江南フロンティアの独立意識の確立というのが割と曲者な要因だと思う
天下統一したり覇権を求めたりというのとは違ったポジショニング
これさえなかったら曹操にしろ劉備にしろもう少し単純な天下争覇になっていたような気がしないでもない
433:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 10:34:46.44 8wsn5Nso0.net
天下統一を果たした連中は40歳ぐらいで天下統一してるから
その頃にまだ格上がいる曹操たちは天下を治める器ではなかったのさ
434:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 11:42:57.05 HQZYhhaW0.net
前漢高祖・劉邦「え?」
西晋武帝・司馬炎「え?」
唐高祖・李淵「え?」
元太祖・クビライ「え?」
435:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 15:17:16.20 8wsn5Nso0.net
>>421
そいつらよりも出世が遅いだろ
436:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 16:59:43.91 cL+4bdIDO.net
司馬炎とクビライは統一出来なきゃ駄目だろってレベルで恵まれたスタートじゃね
437:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 18:18:03.19 8wsn5Nso0.net
器ではなく天命と書けばよかった
438:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 18:50:52.93 BcsPCv890.net
>>423
禿髪樹機能の反乱とか抱えていて伐呉は結構難易度高かったと思うわ
孫晧じゃなかったら成功しなかったかも
439:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 19:30:15.43 55Zsu0Fw0.net
何だかんだで呉は優秀だったな
440:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:23:40.87 aHGaXuvj0.net
曹操は中華(?)の統一事業はそもそも乗り気じゃなかったんじゃないかね
441:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:30:01.04 tOoGkeJE0.net
それはないと思うわ
特に某漫画が人気でてからそういう論調強くなったように思うけど
442:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:34:13.72 s97MV58/O.net
取り合えず目の前のことと、そのわずか先に起こることを考えながら必死にやってたら華北統一じゃないの
信長秀吉家康もそんな感じじゃない
443:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:43:27.63 KRG8RdKn0.net
>>427
赤壁で負けて以降内向きになっちゃっただけだろ
秦の李信にしろ前秦の苻堅にしろ南征で負けることは不思議でも何でもないし事業としてのハードルは高い
444:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 21:44:27.29 HQZYhhaW0.net
馬超と関中で殴り合いする頃に、関中併合=天下統一みたいな論調だった
みたいな話があるけど、どこまで本当なんだろうか
445:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:29:29.94 Ikk1FYtw0.net
>>423
隋の楊堅が北周を簒奪する際に尉遅迥らに大規模な反乱起こされたのに比べたら恵まれてるな
446:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:41:42.06 H5RD/20C0.net
>>431
蜀郡、南郡は漢代通じて戸籍人口の多い大都市圏だからその言い訳は苦しい
447:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/26 22:44:36.85 p0/1jRCt0.net
司馬炎は涼州での禿髪樹機能の乱(足掛け10年)と軍縮やりながらって縛りかけての統一だから楽ではなかったんじゃないかな。
448:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/27 06:54:23.08 uDNRNx8M0.net
>>432
宇文憲が宣帝に粛清された時点で強力な元勲は遅尉迴と韋孝寛ぐらい
能吏だった韋孝寛が遅尉迴の討伐担当してくれた時点で楊堅の勝利と多数派確立は約束されたようなもの
(韋孝寛は討伐直後寿命でポックリ)
こいつが一番棚ぼた建国者だわ
449:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/27 08:33:34.08 bUx5zTu30.net
清の趙翼も「楊堅の棚ぼた力は異様」とか書いてたしな
450:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/29 00:07:07.77 6PIsV9yn0.net
>>432
陳の戸籍人口は推定200万人で滅亡時の呉以下の国力
江陵は建国時から失っていたし六朝最弱と言っても過言ではないかもしれない
そんな陳に淮水流域を攻め落とされる北斉後主という壮絶ボンクラ
そりゃ天下統一されますわ
451:名無しさん@お腹いっぱい。
16/11/29 21:49:19.63 e/7SuChZ0.net
>>434
世代的にも結構ギリギリのタイミングだったんだよな
熱血軍艦ジジイ王濬があんなにハッスルしてたのは最後の漢王朝産まれだったからだろう
産まれた時から三国だった次世代以降がこいつらほど統一に意欲的になったか疑わしい
452:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:06:46.05 ULanqr8V0.net
赤壁の戦いで劉備が大して活躍しなかったみたいな論調を時々見かけるんだが
あれの出処ってどこなんだろうな
武帝紀、先主傳はおろか呉主傳でも本文において劉備が曹操と交戦したことが記述されていると言うのに
453:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:36:18.94 AQE3c5W00.net
普通に三国志演義のカウンターじゃね
演義だと、孔明が風吹かせているし、関羽が見逃がさなければ曹操は死んでた
っていうイメージが強いし
454:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 16:59:22.44 ULanqr8V0.net
>>440
各君主の紀傳を読んだ限りだと周瑜よりは劉備の方がメインっぽいんだけど
演義だと何で諸葛亮と周瑜が主役になっちゃったんだろう
劉備の参戦キャリアで赤壁が腫れもの扱いされてる印象をここ最近感じる
455:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 18:20:59.66 vFgSj7+10.net
そりゃ読み物として面白くするためでしょ
あくまで演義は物語なんだから
456:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 18:30:36.03 AQE3c5W00.net
腫れ物っていうか興味持って調べる人と調べた結果を受け入れる人の両方が少なかっただけじゃね
劉備を優秀な戦争屋として捉える人もいるし、きちんと史料に残ってるのを組�
457:ン立てられるなら 赤壁の戦いにおける劉備の行動も真面目に取り上げられるようになるでしょうよ まあ、俺は赤壁における劉備の戦績まったく分からんけど
458:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 19:01:47.34 zLK0j9UA0.net
劉備って演義でいい人だけど力がないから有能な部下達が王にするべく活躍する
みたいに描かれていてカリスマ主人公を好む現代人にはあんまり好かれないようになっちゃってるけど
正史だとがらっと変わっていろいろ活躍してんのにね
演義とか漫画やゲームでしかふれていないとそんな印象しかないのかも
459:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 19:20:26.24 ULanqr8V0.net
普通に考えれば曹操の大軍を周瑜らの二~三万と協同したとはいえ
戦力上の劣勢をひっくり返して撃退、荊州南部奪回の足掛かりを築いた戦勝の立役者として
劉備はもっと持ち上げられていてもおかしくないとは思うんだが
変な意見だと「赤壁は無かった」とか言う人も出てくる始末で
演義にしろそれに対する反動意見にしろ少しピントがずれているような気がするんだよなあ
460:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 20:41:09.57 n9EDq+040.net
正史触り始めの人に顕著だけど
演義がフィクションと分かってその反動で
過小評価が行き過ぎてしまう人は結構多いからな
461:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 22:31:05.86 uHYfiMCG0.net
歴史書でも正史三国志と後漢書で人物像が違ったりするから読み慣れてないと混乱するしね。
462:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:35:41.22 HmixdjHw0.net
>>439
>>443氏の
>まあ、俺は赤壁における劉備の戦績まったく分からんけど
これが主因だな
どうみても曹操と交戦していたのは周瑜率いる呉軍
劉備は江表伝だと周瑜に邪険にされていて部外者扱い
赤壁戦後の江陵攻略戦でも主力は周瑜率いる呉軍で
劉備はその隙に荊南四郡を切り取ってたに過ぎない
463:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:42:14.78 9shZE4vY0.net
>>448
江表伝採用したらそりゃそうなるだろう
464:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:43:10.03 9shZE4vY0.net
本文だけだと「どう見ても」曹操を撃退したのは劉備になる
465:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:54:47.04 uHYfiMCG0.net
周瑜伝ですら「周瑜と程普は劉備と力を合わせて曹操の軍を破った」って書かれてるからな。
466:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/03 23:56:52.09 ULanqr8V0.net
>>448
江陵攻略は周瑜メインだろうけど赤壁で曹操と主に対峙したのは劉備でしょう
どう戦ったか分からない会戦なんてごまんとあるわけだし戦績なんてあんまり気にならん
467:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:33:35.11 KY2c7o4P0.net
>>452
いや具体的な戦績示せないから劉備の赤壁での功績が評価できないんでしょ
だから赤壁の戦いで劉備が大して活躍しなかったみたいな論調になるのは必然
本文でも周瑜伝みたいに具体的な戦績がわかるように書いているのもあるから
どう戦ったか分からない会戦とか言い訳にしか聞こえない
劉備が評価されないと嘆くよりも先にやる事有るだろ
中国渡って劉備がどう戦ったか具体的な戦績書いてある古門書探すとか
タイムマシンで赤壁行くとか霊媒師で赤壁戦戦った兵士呼び出して聞くとか
何でもいいからとっとと劉備の戦績探して来いw
468:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:39:29.64 GdpzFUxD0.net
>>453
武帝紀本文に周瑜とか出てきてないから周瑜伝の内容って粉飾塗れの自己申告だろ
魏では周瑜に負けたという認識なかったわけだし
469:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:42:54.46 gBjyuPBZ0.net
>>453
久しぶりに香ばしいのが来たな
470:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:49:55.53 OLkjej3Q0.net
劉備主戦説の人は劉備がどのように曹操を破ったと想像してるの?
471:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 00:53:12.53 09aZMajr0.net
周瑜主戦説の人は魏書に載ってないことどう思ってんの?
472:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 01:10:59.71 OLkjej3Q0.net
>>457
いや煽りじゃなしに真面目にどういう経緯を辿ったと考えてるのかが知りたい
473:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 02:39:25.98 aNL04/Pq0.net
ネットの又聞きになるけど
赤壁前後の劉備は一度周瑜と合流した後、襄陽から来る趙儼率いる七軍(張遼、于禁、張コウ、朱霊、李典、路招、馮楷)を拘束するために別行動取ってるみたいだな
その後赤壁で周瑜・黄蓋が曹操軍を火攻で打撃与えると、劉備は撤退する曹操の追撃を行ってる
(曹操は更なるダメージを追うけど、劉備の追撃自体からは逃れることには成功した)
この辺の経緯がどれだけ信憑性があるのか俺には判断できないが
曹操率いる主力を打ち破ってるのは周瑜・黄蓋という意味で周瑜主戦説は正しいし、
劉備が趙儼軍を拘束し続けたことも赤壁の勝利の一要因にはなってるので、劉備が赤壁で無為だったというのは誤りではあると思う
ただ赤壁の戦いが、劉備が主戦の戦いであったと主張するのはちょっと飛躍が過ぎる気がする
474:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 07:14:28.18 GdpzFUxD0.net
>>458
「十月以降、夏口で態勢立て直した劉備が孫権と同盟して、周瑜程普軍と?迸・并力して赤壁で曹操軍と戦って
最終的に疫病等で戦闘継続が困難になった曹操が江陵まで撤退した、さらに曹仁を江陵に残して北帰した
この際に劉備と周瑜は江陵までの追撃を協同して行っている」
周瑜伝の詳細な戦闘経過に劉備が出てこないから劉備は戦闘参加していない、は飛躍だろう
それだったら武帝紀も先主傳も呉主傳も全部嘘書いているという話になる
むしろ呉の立場からしたら「うち単独で曹操撃破しました」って書くべきだろう、実際はそうではない
それと劉備が別動隊みたいな意見をよく見かけるけど
并力したという記述はあっても、赤壁とは異なる戦場で作戦してた記述なんてあったっけ?
475:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 07:56:25.71 5FFwNs1d0.net
>>458
煽りなんだけど結局赤壁での周瑜との戦いが武帝紀に載ってないことの理由って何なの
交戦している相手を間違うなんて本当にミステリーだと思うわ
476:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:08:10.75 6j6qD3sv0.net
曹操あげがはじまってから過剰に劉備下げようとする人いるからね
477:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:26:37.22 5FFwNs1d0.net
通鑑で周瑜メインな記述になっていることが演義やら創作物に与えた影響は結構大きいと思っている
通鑑読んでいると「劉備何やってたんだ」とはなるもの
478:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 10:57:55.93 OLkjej3Q0.net
>>461
魏の撤退前後に周瑜とも交戦、被害があったが魏としては打撃を受けたと感じなかった
主に魏軍の追撃を行ったのは劉備で、そちらの方が被害が大きかった
これで一応の矛盾は解決する
自分としては疫病が赤壁敗退の主要因だと考えているので、別に劉備を下げているつもりはない
というか>>459>>460と同じで別に劉備が全く交戦してないとは考えてないわ
ただ、孫権と同盟を組んだ時点では劉備の戦力の方が少ないはずであるし、呉の存亡を賭けた戦いでもあるのに劉備が戦いを主導したと考えるのはその後の荊州のいきさつを見ても疑問が残る
479:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 11:59:20.18 5k8S6x1j0.net
>>455
多分三戦の蜀滅亡スレでも証拠出せとか変な絡み方してた人じゃないかな
あっちの新スレ立たなかったことでこっちに人流れてきたみたいだし
480:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 14:52:52.45 aNL04/Pq0.net
曹操が周瑜に敗れたとするのは多分、後漢書献帝紀の影響かもね
献帝紀だと孫権の将周瑜に敗れた、としか出てこない
481:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/04 21:44:19.45 pGY3yRxi0.net
魯粛伝だけ劉備がカッスカスに書かれてるのは不穏
482:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/05 16:53:58.39 zmlgjMPh0.net
そもそも呉志は怪しい記述のオンパレードだしなぁ
483:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/06 10:42:42.98 UCjN0tHq0.net
陳寿が韋昭の「呉書」からコピペしたん
じゃないかと。
そもそも蜀志だって陳寿の地元関係者(馬忠や張嶷や王平)や学友関係(譙周ら)と仕事関係(姜維ら)はみっちり取材してる感じだけど他は結構ガバガバ。
484:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 07:37:19.78 lp6Ug88U0.net
袁術の徐州侵攻の時って袁紹(袁譚)、曹操の救援は期待できなかったのかな?
485:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 08:33:01.61 Ly9AT0TI0.net
呂布いたから頼みづらかったのかね。
486:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 09:42:58.24 vBG2aWMKO.net
>>469
電車とか電話やメールがあれば、行動範囲もぐっと増えただろうから色々と調べやすかったろうにね
487:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 10:01:50.19 khg4atYa0.net
フィールドワークみっちりやってる司馬遷は神
488:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 13:34:53.02 L/MXNlst0.net
最速の移動手段がお馬さんだった時代
489:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 13:54:29.95 5PWvGlI70.net
しかもこの頃まだ竹簡メインで紙は超高級品
490:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 17:13:31.96 R88dp3Ur0.net
袁術って最後があれだから過小評価されてるけど
呂布も曹操も劉備も袁術にはビビってたんだよな
491:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 17:37:48.68 8l8fp2T70.net
一時は最大勢力だしなあ
492:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 19:29:07.74 IOXNmSji0.net
中華を二分した袁術と袁紹がいなくなってやっと曹操や劉備の時代だからな
493:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 22:19:05.36 01nLC9Tn0.net
後漢書だと二袁がメッチャ強いもんな。
494:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/09 22:53:01.72 UDI5H6oU0.net
関中の董卓、華北の袁紹、南陽の袁術による三国志
495:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 20:49:22.24 Gqxd3QSi0.net
協調性ゼロの関羽の突っ走り。
蜀を建てた孔明もこれにはヨイショしても抑せるようなものではなく、関羽を喪ってからの主君の自虐ももはや躊躇うものでもなかった。
主に殉じた形で北伐は行われた訳だな。
劉備のカリスマは貧農らにはそれなりだったのかな?
496:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 21:25:15.03 oQFgFk/10.net
君定期的に話を逆行させようとするね
もう新しく人が入ってくることなんてそうないんだからさ…
497:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/10 22:06:30.58 YjN1ZFnP0.net
>>480
南北朝テイストがぷんぷんするな
498:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:31:10.02 j4BHn9t30.net
陶謙がアップをはじめました
499:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:35:24.45 7i4lRqLU0.net
陶謙も五胡とかの10年くらいで潰れた君主のテイストが
500:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 11:59:48.63 N0SVj3PE0.net
後漢末の群雄割拠は永嘉の乱直後や前秦崩壊直後の華北と似たような状況やね
東晋元帝司馬睿ですら当初は一群雄みたいな存在だった
501:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 12:01:26.09 lUoq4SOP0.net
胡人のお兄ちゃんがいないだけだからね。
502:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/11 19:26:27.20 rgCCuWLX0.net
>>483
後漢末とその後の魏晋南北朝の最大の違いは関中政権の独立性の強弱かな
後漢末の関中はへっぽこ過ぎる
503:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/13 23:45:23.89 Erfrx1Yn0.net
やっぱ最近の通説通り、侠者の元には“阿保”しか寄ってこないし、支持する層も普通より教養も教育も無い人らが大半だった訳な。
そんなんらを相手に国を立ち上げたカリスマってのは凄い事だと思う。警視総監になるより、司忍になる方が凄いと俺は♂として思う。
504:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/14 09:00:41.24 gpNqzu0t0.net
どこからツッコめばいいのこれ(困惑
505:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/14 14:02:55.94 W/N9gsyT0.net
>>488
その頃の関中は原哲夫感が足りない感じ
506:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/15 23:11:04.05 8yO3gxtd0.net
>>412
先月の九州場所で横綱白鵬・日馬富士・鶴竜はいずれも大関稀勢の里に敗れたけど
何で白鵬・日馬富士・鶴竜は勝てなかったの?
>>461
大坂の陣で徳川家康が戦った相手(大将)は誰?
ちなみに真田信繁・後藤基次・明石全登・長宗我部盛親・毛利勝永とかは大将じゃないよん
507:名無しさん@お腹いっぱい。
16/12/16 21:52:47.87 WOM+Y08V0.net
>>491
馬超さんとか三国時代よりは圧倒的に五胡十六国時代向きの人材だろ
あの人おかしいよ