15/06/06 16:40:32.06 qJP30XoHO.net
>>12
ただ東太后に西太后程の政治的センスや能力があったとは思えないので、精々光緒が改革したい!と奏上したら
「いいんじゃない?」程度の承認をするだけで、光緒が失敗した時の尻拭いが出来なかった可能性が高い。
光緒はやる気は確かに高く、危機意識も高かったけどやる気に逸り過ぎて自己の能力が追い付いて無かったし
如何せん改革を進めたい周囲も同じ理想に逸って実務能力がそこまで無い人物ばかり集まってたから、遅かれ早かれ破綻していたか
外国に浸け入られるか、よくて袁世凱などの癖者に乗っ取られてしまったろう。
袁世凱がそんな理想を追うばかりで実を伴わない彼等の巻き添えを食うより、生き残り実を取るために
西太后側へ寝返った事を思えば、相当歩が悪いものだったのは想像が付こうかと。
東太后では温和な人徳で宮中の人心を纏められたかもしれないが、政治破綻をひっくり返したり修正する力業が出来たとは思えないな。
清の衰退は王朝体制自体の経年劣化もあるから、光緒でなくて誰であっても中興するのは困難だったと思う。単に慢心だけの問題ではない。