14/04/14 21:04:23.81 tmQXecAA0.net
張コウの出身地、河間郡バクだっけか、あそこの張氏は自称だが張耳の子孫
を謳ってたから、張コウもその席に名を連ねる人物だったとすれば実は結構
な名族、と言うことになる。
こういうのを知ると司馬懿はもしかしたら名族としての張コウを疎ましいと
感じて排除したのかもなあ、とちょっと思ってしまう。
887:mage
14/04/14 21:13:57.54 tmQXecAA0.net
武都と陰平については漢中攻防で曹操が退却する際、そこの地域が
孤立することを恐れて住民を大量に移住させているんだよね。
異民族とか数万戸が曹操に従って移住したとあるから人数で言うと
20万人以上とかになるのかな。根こそぎ移住させているから、あの
二郡は空白地帯に近い状況。そこまで徹底する曹操がある意味では
すげえと思う。
888:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/14 22:11:03.97 1GHxIllV0.net
>>886司馬氏も名族だから、例え張コウも名族出身だとしてもそんな理由で排除するとは思えないなあ
それよりも、単純に張コウが成りあがりものだったから疎ましく思っていたって方がありそう
889:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/14 22:37:17.92 ZaEBj7MX0.net
>>887
張既が曹操に数万戸の三輔長安に移住を進言してて、張既自身は武都の五万余人を扶風天水に移住
杜襲は八万余人を洛陽とギョウに移住させたってあるね
酷い大移住っぷり…なんでここまでやったw
劉備が関羽に呼応して北上しなかったのもこの移住が原因にあったんだろうか
890:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/14 23:22:32.07 1jmEVlFFO.net
>>886
>>888
司馬懿の張コウ謀殺説の根拠付けとしては興味深い切り口だけど、あれはやはり素直に司馬懿の軍事的采配ミスだと思うんだよね。
司馬氏は何かと腹黒さと陰謀説が付きまとうから、色んな憶測が飛び交っても致し方ないのだけど、少なくとも司馬懿と司馬師までは魏の繁栄を考えそのために力も注ぎ取り組んだ忠臣だ。
無論、司馬家の栄達と権力基盤強化も含めてだけど。
それが本格的に簒奪まで視野に入れ出したのは司馬昭のしかも後半生からだ。
この人の行ったことやイメージが後世から見ると非常に悪いため、遡って司馬懿や司馬師の事績にもそれぞれ何か裏があるのでは、と黒い理由付けがされて行くのだろうね。
891:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/14 23:40:56.73 eLkqeOfCI.net
名族とか成り上がりとかじゃなくて、軍事上のライバルじゃないの、司馬懿と張郃って
張郃は車騎将軍だから、司馬懿の次点なわけで
しかも張郃と司馬懿は全く意見が合わなかった
そりゃ排除されますわ
司馬懿の得意技「保身」の延長上でしょ
張郃の心境としては、官渡の時のトラウマが蘇ってただろうね
あぁ、あの時も自分が反対した作戦をなぜか自分がやらされて敗北したなぁって
袁紹に似てるのは諸葛亮というより司馬懿だな
892:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/14 23:49:22.58 wQ8fM0Uv0.net
何とも言い難いなー
可能性はそりゃあ普通にあるし、仮にそうなら面白いけども
893:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 00:02:39.54 dpX+LtG10.net
>>889
張既も地味に名将だよね
個人的には郭淮より好み
894:mage
14/04/15 01:20:38.19 9XKHNq8k0.net
張コウは成り上がりだったとも思えないんだよね。例えば名前とかの付け方
を見ると、名と字はそれぞれ古典の中からの言葉を引用しちぇいるし、コウ
は(文と武)の才能を併せ持つ、と言う感じの意味だし、雋と乂は両方とも
非常に優れた(抜きんでた)と言うような意味。
抜きんでた文武の才能を併せ持つ、と言う意味の名前をさらりとつけれると
言うのは相当インテリでないと無理じゃあないかな。少なくとも学者の資質
を持った人間じゃないと難しいと思うし、成り上がり武将ではこういう洒落
た名前はなかなか付けられない。
895:mage
14/04/15 01:26:04.31 9XKHNq8k0.net
そういう素地があるからこそ同郷の人間を学者として推薦とかできたのだろうし、
張コウはそんな気はなかったかもしれんが、冀州閥が伸びるのはケイ川閥の連中
にしてみたらあまり面白くはないのかな、とも少し思った。
まあ陰謀説を推したくなる人がいるのもわからんでもない、と言うだけで自分も
そういうのは無くて司馬懿の采配ミスと思ってるけどね。
896:mage
14/04/15 01:37:30.12 9XKHNq8k0.net
ちなみに司馬懿の戦績を見ると勝利の多くは速戦により相手を急襲して、と
言うものなのよね。逆に言うと諸葛亮のようにきっちりと陣を整え待ち構えて
いる相手はあまり得意ではない。本来はそうなる前に打ち破ることが司馬懿の
本分だから。
逆に諸葛亮は陣地の構築は得意だがそこから軍を柔軟に動かすのが苦手。まあ
そんな二人だからこそ、攻めれば相手に蹴散らされ、互いににらみ合うだけの
世紀の凡戦になる訳だけどね。
897:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 01:49:39.63 OGUxUvUk0.net
成り上がりの劉備が備とかいう意味分からん名前なのは親が適当に付けたからなのか?
でも玄徳ってなんかの文章の言葉だし父親は官僚かなんかだよね
898:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 01:50:28.99 OGUxUvUk0.net
と思ったら字って自分で付けるのか
つまり漢字の分からない母親が適当に「備」って名前付けて
慮植に習った劉備が自分で玄徳って字つけたのか
899:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 01:58:33.87 N3YVEHfi0.net
言われてみると、他に名が「備」という奴は思い浮かばないな
誰か居るだろうか
900:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 07:11:24.14 O/ALbATcO.net
多分…いない?
他にも司馬師の「師」や司馬炎の「炎」、孫権の「権」、曹丕の「丕」などもいないかな?
このへんは皇帝ゆえ避諱の影響もあったりするのかな?
そういや劉備も皇帝か。
901:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 07:15:11.87 O/ALbATcO.net
>>896
俺もそう思う。
司馬懿と諸葛亮の特徴をよく言い当ててると思う。
902:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 07:55:34.75 8JgSaA430.net
黄権
903:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 08:14:19.11 O/ALbATcO.net
いたーw
そうか黄権かぁ、なるほど。
904:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 09:23:55.38 dpX+LtG10.net
断言する
あと三人は決まらない
もう語るスレになってるもんw
905:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 09:56:50.70 OGUxUvUk0.net
息子に炎って付けるって相当だよな。
今で言うDQNネームみたいなもんだろう。
にしても晋って確か金徳の王朝だよね。
金徳の王朝なのに火×2の名前の皇帝って...
司馬炎が生まれた時にはまだ魏だったにしろ、魏は土徳だし。
906:名無しさん@お腹いっぱい。
14/04/15 11:27:18.71 O/ALbATcO.net
司馬昭の行った魏からの簒奪計画が、漢より不当に皇統を奪い取った横暴なる魏を懲らしめ、再度皇統を正しく導く、という義憤を胸に秘めた大義からであったなら…、
端的に言うと魏にイジメ抜かれて皇位まで奪い取られた漢の仇討ち、のつもりであったなら、漢=火徳の後(上)に再度火(徳)を灯す、それが我が息子に託す願いだ、という意味で「炎」としたのかもw
司馬炎が生まれたのが236年、諸葛亮が五丈原に散った2年後か…、まだまだ曹氏の天下であり司馬氏がそこまで上り詰めるなんてその時点では考えないよなぁ、司馬昭が超能力者でもない限り。
大体司馬家の正統を継ぐのは司馬師だし、この後男子が生まれたら当然家督はそちらに行く。
次男である司馬昭が、その時点で我が子にそんな大それた夢を抱く筈もないか。
我ながら苦し過ぎるこじつけだったw