14/02/27 17:44:09.07 eVprOQG+0.net
>>338
1人留守番って単純に他に任せられる将がいなかったんじゃ
劉備の股肱の臣といえるのは関張
事実最初に下?の留守を任されたのは関羽じゃなくて張飛だった
しかし張飛は城を乗っ取られてしまうという失態を犯した
その後曹操を裏切ったときは今度は下?は関羽に任せた
関羽がこの後捕らえられたのは劉備が逃げて置いてかれたためで関羽に責任はない
しかも関羽は曹操に厚遇されたにも関わらず忠義かは分からんが劉備の元へと帰ってきた
時は流れて赤壁の後劉備は荊州を奪ったがこの後劉備は益州を攻めなくてはいかず誰かに重要拠点の荊州の守護を任せないといけなかった
新参の連中だと裏切るかどうか分からないし張飛は過去に城を奪われたことがある
そうなると単純に消去法で任せられるのは関羽ぐらいしかいない気がするんだ
345:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:10:45.32 F6lzX0+b0.net
>>342
うん、まあ、そこは反論しようがないんですけどね
関羽は名将だと言い張れる材料も結構あるから、どういうポイントを重視するかで評価が変わるんじゃないかってことを言いたかった
>>343
姜維は領土切り取りに成功したことはなかったような・・・? 記憶違いかもしれんけど
住民拉致はよくやってて、小国の悲哀を感じる
>>344
完全に同意だけども、それって要するに張飛よりも(留守番)能力を信頼されてたってことになるんじゃないか?
346:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:16:31.19 eVprOQG+0.net
>>345
まああの時点では張飛よりは留守番役として信頼されていただろうね
ただそれが能力を評価してなのか他にいなかったから選んだのかが分からんからなあ
そして結局その信頼を裏切った結果となったから評価し難い
正直張飛もこの後恨まれていた部下に殺されてるから部下の統率取れていたと言い難い
だから関羽の変わりに荊州任せられていたとしても失敗していた気はする
347:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:27:15.06 eVprOQG+0.net
個人的に名将になるには運も必要だと思うんだ
どんなに力量があっても無能な上司の元についたり活躍の場が与えられなかったら歴史の闇に埋まっていくだろうし
関羽と張飛の大きな違いはそこだと思うんだよねえ
蜀入りという敵を撃破懐柔していくという将の仕事を与えられた張飛
荊州の統治や防衛という味方を統率し民を慰撫し外敵に備えるという統治者としての仕事を任せられた関羽
関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない
ただ張飛のほうが名将として活躍できるチャンスを与えられた結果張飛は関羽よりも将としての実績を残すことは事実
だから張飛が名将入りされるのは当然とは思うけど関羽が名将入りされるのは違和感がある
348:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:33:05.46 NEkAeL390.net
張飛に荊州任せてもいずれ暗殺された可能性は高いが
部下の統率という点ではむしろ引き締まってたと思うよ
張飛突然死んでも軍営は混乱しなかったのだし
ムチ振るった相手を側においた浅慮が一番の問題だったわけで
349:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:43:08.18 eVprOQG+0.net
>>348
単純に側にいた人たちが張飛の苛烈な罰を一番受けるポジションだったってことじゃないかなあ
劉備に戒められるほどの厳しさが引き締まりを生んだんだろうけどその結果殺されてるってのは減点されるべきとは思う
結局は加減や部下をしっかり見ることができなかったってことだし
350:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:58:59.55 F6lzX0+b0.net
>>347
「関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない」ってとこまでは完全に同意見でいて、結論は俺と真逆なのだなぁ
その論理展開自体には納得せざるを得ないけども
ただ関羽は、曹操に捉えられた時に「劉将軍の下に帰りたい、だが殺さず厚遇してくれた曹公の恩にも報いたい、だから大功を立ててから去る」と誓って、それを即座にやり遂げた事実がある
即座にってところがポイントで、機会が来るのを悠長に待ってたわけじゃなく自分から掴みに行って、そして世に轟く武功を挙げて速やかに遂行した
あの手腕を見る限り、適した職場(戦場)さえ与えられていればどれだけ活躍しただろうかと思ってしまう
まあ、このスレのように客観的な事実を重視してブレにくい堅実な選出をしていく方式では、関羽は不利だねやっぱり・・・
>>348
張飛の一番の問題点は、部下を日常的にシバき殺すサディスティックな性格とか、その部下を側近に置く無頓着さじゃなくて、「劉備がそれを常々注意していたのにやめなかった」ってことだと思うんだよなぁ
上司の言うことを聞かない部下はダメでしょ・・・
351:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 19:02:53.83 eVprOQG+0.net
>>350
関羽は名将になれる器は十分あったとは思うよ
ただ名将にはなれなかった
それが関羽だと思う
352:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 07:53:48.17 mlgNZDKH0.net
>>259の議論枠から個人的に除外したい人物。
諸葛恪:ほぼ一発屋。丁奉のおかげで勝利と言えなくもない。再戦での負け方が酷すぎ。
鍾会:将としては一発屋。完全に鄧艾のおかげで勝利。戦中も戦後もグダグダ。
羅憲:ほぼ一発屋。しかも攻戦じゃなく守戦。偶然スポットが当たっただけで立場的には小物。
陸抗:ほぼ一発屋。しかもそれが部下の反乱鎮圧。羅憲に勝てなかった人。
杜預:ほぼ一発屋。王濬のおかげで勝利。というかあの状況で負けたらただの愚将。
353:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:24:04.82 4P+Admj80.net
羅権は確かに外しても良いと思うけど、杜預、鍾会を外すのは無理があるだろ。
特に杜預は確定枠でも良いと思う。
王シュンのお陰というのはあり得ない。王シュンがいなくても絶対に成功してたはず。
というか三国時代の一角である呉蜀を滅ぼした総司令官は確定枠に入れて良くない?
おそらく当時代で最大級の兵力を率いた将軍でもあるわけだし。
例えば楽進なんかは、終盤に少し将軍らしさを見せたからあんま言われないけど、
若い頃の活躍なんて匹夫の勇に頼った兵隊長レベルの活躍なんだよな。
楽進を入れるのに異論は無いけど、序盤に活躍した人間って華々しいけど、終盤の人間に比べて小粒過ぎる気がする。
もっと大軍を指揮してなおかつ国を滅ぼした将軍は評価されても良いはず。
354:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:34:52.45 TgcZ9WG+0.net
そりゃ序盤のほうが敵の数や奪い取れる領土の数が多いから華々しくなるのは仕方ない
後一発屋は外すべきって意見には反対したいな
杜預やショウカイみたいに部隊長や参謀として活躍していたからこそ将軍を任せられているんだろうし
そしてその信頼を見事に全うしたならば評価されてしかるべき
355:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:21:06.70 LEaX8eUQ0.net
>>353
漢の全盛期の6000万人の人口はその頃は600万人にまで減少してて兵もそれに比例してる
356:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:43:52.10 mlgNZDKH0.net
>>353
意味わからん・・・貴方の理屈だと、三国時代に生まれただけで有利になりますな。
後漢末期は少数しか率れなくても戦果を残さなきゃいけない時代。
三国時代は大軍を統率するのがメインワークの時代。
あと失礼だけど、正史読んだことないでしょう。
楽進が「終盤に少し将軍らしさを見せた」だけなんて思ってる人がこのスレにいることに驚愕しました。
別軍司令官として曹操軍で最も活躍したと言えるのが楽進なんですけどね。河北四州平定戦を何だと思っているんでしょうか。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:52:10.20 mlgNZDKH0.net
>>354
確かにそうなんですが、鍾会は鄧艾がいなければ失敗していた可能性も高いですよね。
この辺の捉え方は人によって違うのでしょうけど、鄧艾と鍾会がどちらも確定枠に入る必要はないと思ったのですよ私は。
まあ>>353さんも仰る通り、一国を滅ぼした将軍を外せという私の意見はちょっと無理がありましたね。
358:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:22:46.51 CIqe3f470.net
羅憲の男前エピソードは好きだけど、記録が残る分にはほぼっつーか完全に一発屋だよなぁ
359:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:54:08.06 t5GKmlSmP.net
羅憲の状況で部下が最後まで士気を維持して付いて来るというのは相当なものではある。
ちょっとでも人格・能力に隙があれば首を差し出されてるもんなw
とはいえ流石に実績が少なすぎで、100選でも微妙なレベルか。
羅憲が呉・孫休にあっさり降伏する人物だったなら、勢力を増した呉がもっと粘れてた可能性はあるかね。
360:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:57:10.46 O4NQw9iD0.net
>>341姜維はどちらかというと、劣化馬超だな
異民族とのコネといい、騎兵を使った戦い方といい
361:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 14:58:22.37 mlgNZDKH0.net
姜維の能力は馬超より高かったと思うけどな。詰んでる状況でよくあそこまで頑張ったよ。
同時代の将が対等な条件下で戦ったら、鄧艾以外は姜維に勝てないんじゃないかな?
ただ郭淮や陳泰を押しのけて姜維を24選に入れるのも違和感あるので、姜維も脱落候補の一人かな…。
362:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 15:05:00.99 vnZ4LxG50.net
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
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岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:04:51.32 qz57oOqeO.net
姜維は、諸葛瞻・董厥らとも北伐についての考え方は違うし、黄皓は宮中を乱すしで、援軍を申し立てても成都の対応は鈍く、やきもきしながら孤軍奮闘してるって感じだ。
恐らく蜀漢による中華統一以前に、蜀政権内における自らの発言力を取り戻せない限り、この戦争は大きく制限を受けるものになることも分かっていたのだろう。
だから必死に戦果を追い求め、度重なる出兵をした。
少し後になるが蜀の滅亡時、姜維は魏の鍾会に降った。
そして鍾会と手を結び、魏(司馬昭)との対立を画策する。
姜維は鍾会の反乱を利用し、後に彼を殺して蜀の再興を狙っていたと言われるが、俺はそうじゃないと思う。
姜維と鍾会の親交は日に日に深まって行ったというし、当初はどうであったかはともかく、彼の鍾会に対する信頼は本物になって行ったと思う。
蜀将だった時の、何を言っても響いてるのかもはっきりせず、対応も愚鈍な成都に比べ、
鍾会は頭の回転も早く決断力にも優れ、自分が献策したこともすぐに取り入れ実行に移してくれる。
ここに至って姜維は、将としての喜びを実感したのではないだろうか。
この男は共に天下を論じるに足る男だ、と。
年齢は親と子ほど離れているとはいえ、名将は名将を知る、といったところか…。
364:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:19:16.22 O4NQw9iD0.net
>>363劉禅に密書を送ってるから、やっぱ蜀復興を考えてたんじゃない?
365:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:33:02.07 zj7qIzxc0.net
龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦死しているからな
よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバカがいるが
司馬懿も大軍以てしても
孔明に追撃もできず局地的に負ける有様
淵や張任劉循と司馬懿では格が違うよ
366:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:43:19.52 qz57oOqeO.net
>>364
やっぱそうなっちゃうかなw?
でも姜維は単純に鍾会を利用しただけとは思えないんだよね。
親密とかそういうレベルで仲が良かったようだし。
劉禅達に比べ、打てば響くような利発さを備えている鍾会は、今老境に至り姜維が長年忘れかけていた将としての何かを沸々と甦らせてくれるような存在だったかと思えてね。
367:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:56:50.73 O4NQw9iD0.net
>>365法正が蜀の軍師で別格とされているのは劉備が曹操を破った時の参謀だからというのが大きいと思う
まあ曹操と戦ってた時の法正の具体的な功績といえば、不利になった時退却するよう進言した事ぐらいだけど
368:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:02:33.94 TgcZ9WG+0.net
近年では軍師として評価されてるのは法正だけじゃないかな
鳳凰のほうは最近は呉との外交分野での期待ぐらいしか話されてない気がする
どっちにしてもここは武将スレだから軍師はそもそも場違いだが
369:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:08:28.60 6yKL6rMD0.net
なんで突然法正や龐統や司馬懿の話が出てくるんだろ?
脈絡ないように思えるけど、誰かの話と繋がってるの?
370:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:16:25.10 mlgNZDKH0.net
三戦板住民が誤爆でもしたんじゃね? なんか頭悪そうだし
371:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 00:12:34.06 sISvNv0SI.net
陸抗は軍政家としてならトップクラスに優秀だし、将軍としても有能な部類であることは間違いないんだけどな一応
372:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:02:55.93 Y5j4HYIoO.net
あぁ、陸抗は優秀だね。
西陵の戦いでの見事さを目の当たりにした、かの晋の羊コをして「陸殿は当代の名将、その知略において私の及ぶところではない。
かくなる上は武を用いて攻めるのではなく、徳と慈悲によって対処すべきであろう」と、晋の強大なバックグラウンドをしても決戦を避け、徳治政策に切り替えたくらいだからね。
373:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:33:24.56 lgHhScLP0.net
陸抗は呉にとっての孟珙みたいなもんなのだろうとは思うけど、
二十四選に入れるにはちょっと実績が足りないかなって気がする。
呉の晩年を支えた軍政家だったとは思うし、減点材料もあまりないけど、
羅憲が抜けなかったというのが大きいかねやっぱり。
374:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:57:31.40 EBc8d+g20.net
>>368三国志軍師二十四選をやっても面白そうだな
375:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 02:25:37.81 Y5j4HYIoO.net
羅憲かぁ…、こいつも傑物で本来なら巴東の守将などやっているような人材ではなく、魏の蜀侵攻に対して姜維と共に防衛戦を張るべき人材だったのだろうが、黄皓に嫌われてこの地に飛ばされちゃったんだよね。
名将同士のガチンコとなると「攻者3倍の原則」で守備側がやはり有利か?
…と思いきや、羅憲2千に対し陸抗の増援3万以上かぁ、3倍どころの差じゃないね。
これで半年包囲して陥とせないとなると…、諸葛亮 vs カク昭の陳倉攻防戦時より大殊勲だな、羅憲は。
376:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 03:06:34.26 ivvKl/9B0.net
超寡兵な上に母国が既に滅んでいるという状況で、民の人心を安んじ兵の士気を高いまま保ち続ける…
マジカルな次元の話で、人格、政治力も備えた傑物なのは堅いところだわな
「大殊勲」を誇ることも認められる事も目指さず、意地でやってのけたんだろうというのも凄いw
永安を陥落させられないまま孫休がよくわからん死に方をするし、結果的に呉の滅亡を年単位で早めたかも知れない
377:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 03:21:49.01 Y5j4HYIoO.net
そうだね、それとこの白帝は、かの劉備が臨終を迎えた地。
先帝臨終の地で、迎え撃つは先帝を死の縁に追いやった陸遜の子・陸抗。
因縁めいたものを感じるねぇー。
因縁の地で因縁の相手との決戦。
元蜀将の意地とプライドにかけても、こいつにだけは絶対にこの地は渡さん!という、羅憲のほとばしるような覇気がこの偉業を支えてそうw
378:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 04:31:34.74 n/N7EMPP0.net
でもぶっちゃけ羅権の奮闘ってあんま意義の無い戦いだったよね。
魏の侵攻から耐えたんなら、蜀の臣として功績を残してるけど。
魏に併呑された後、蜀をハイエナしようとやってきた元同盟国の軍を魏んために戦うって良く分からん。
379:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 05:07:01.23 K4EnCu7t0.net
>>374
軍師系はどこもそうだけど
まず軍師の定義で大荒れしてろくに決まらない
380:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 07:29:11.24 sISvNv0SI.net
>>375
カク昭の陳倉守備は、曹真によって準備万端で完全にお膳立てされてたからなぁ
準備不足な上に本当に援軍が来てくれるかもわからん孤立無援の永安を守り切った羅憲は、カク昭とは次元が違う凄さ
381:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 08:22:34.68 L9gWo/KA0.net
>>379
参謀、軍師、名知将とかで良いんじゃね?
382:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 08:52:25.49 sISvNv0SI.net
>>381
別スレでやれ
383:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 09:06:07.70 xNTbZfyr0.net
軍師とか将みたいに明確な功績が残されてるの少ないから間違いなくぐだる
384:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 10:09:33.52 i2MbXz0/0.net
冷静に考えれば、経験のない小役人や農民でも
名将軍になれるんだよな…口八丁の参謀も然り
385:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 14:45:51.04 Y5j4HYIoO.net
>>378
確かに意義って意味では無意味に近いかもね。
思うにあれは魏のために戦ったってのは非常に薄いんじゃないかな。
言うなれば元蜀将、いち個人としての意地のため戦った。
母国は滅びたけど、せめて最後に因縁の相手に一矢報いて、先帝の仇を討ってやりたかった、みたいな。
もっとも、その後の自らの身の振り方を考えて、もはや残った呉では蜀をも併呑した魏(晋)を倒すことは不可能。
ならばここで一丁華を咲かせて、魏(晋)に恩を売っておく方が得策か、…なんて考えからなら、結構先見の明があり計算高い人物だけど。
386:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:03:15.91 ghlxgkdAP.net
羅憲の状況でその手の計算が透けてしまうと、人が付いて来なくなってすぐ詰みそう。
てか、冷静に計算した上で勝機十分と判断して選んだ道がアレだとすると、それはあまりに凄すぎるw
387:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:12:05.14 i2MbXz0/0.net
鐘会と変な友情が芽生えた可能性も否定できんな。
あんなボンクラのために、また蜀の民を兵隊に徴兵して巻き込むこと
を美化するのは難しい。
388:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:15:33.72 sISvNv0SI.net
諸葛恪と姜維は似てるところも多いけど、二十四選に入る可能性があるほどの名将は姜維の方だけだと思う
姜維の敗戦は姜維以外に責任転嫁できる部分も多いけど、諸葛恪の敗戦は完全に諸葛恪自身の失態だし
389:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 17:47:08.56 Y5j4HYIoO.net
あの合肥新城攻防戦に際し、呉の諸葛恪は20万と號する大動員を掛けその攻略に向かった。
対外的には蜀の姜維に使者を派遣し、同時に出兵の約束を取り付けている。
合肥新城の守将は魏の張特、駐屯する兵力はわずか数千。
この報を受けた魏の大将軍・司馬師は、弟・司馬昭を雍州に向け郭淮を助けて蜀の姜維の侵入を防がせる一方、胡遵・カン丘倹に呉の諸葛恪の方を当たらせることにした。
…このへん魏の層の厚さと他二国との国力差を感じさせるな。
しかしこの魏の張特、先に名前が挙がってたカク昭・羅憲らと同じく、大兵力を相手に見事城を守り通したのだが、
先の二名とは違い、ここではあまり名前が挙がってない印象があるな…。
390:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 18:13:25.46 sISvNv0SI.net
>>389
カク昭も最近ちょっと話題になっただけで、名将候補として挙がったことは無い気が
張特の手柄も、都督揚州諸軍事の毌丘倹へ帰趨すると考えている人が多いんじゃないか?
諸葛誕では諸葛恪に勝てなかったら毌丘倹に交代して防がせたって書き方なわけだし
まあ曹真のように将を選出して派遣したり城の強化を指示したりと積極的に関わったわけでもないから、毌丘倹ではなく張特の手柄として良い気もするけど…
391:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 18:49:59.90 Y5j4HYIoO.net
確かに最終的に呉の軍勢を撃破したのはカン丘倹だもんな。
しかしあの張特の計略は見事だよね。
弁の立つ者を諸葛恪の陣に遣わして「我が魏国の法律では、敵に城を囲まれて守ること百日にして援軍が来なければ、城から出て降伏しても家族の者が罪に連座することはありません。
今、将軍に囲まれて九十余日になります。 どうか数日のご猶予を頂き、百日してから軍民を率いて投降させて頂きたい」と、数日時間を稼いで、その間城中の家屋をひっぺ返して、それを材料として城の補修を済まし、
「呉の狗どもに降ってたまるか。 さあ、もう一度かかって来い!」ってんだから、中々痛快で切れる男だよ、張特はw
392:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 19:55:17.69 i2MbXz0/0.net
それだけで昔の世界は天才切れ者扱いだもの。
東大理学部行きたかったわ…。昔の世界は良いよなぁ
簡単に賢人になれちゃうからさ
393:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 20:24:02.04 Y5j4HYIoO.net
いや、こういった計略を成功させるには単に頭が良いってだけじゃなく、人間心理を上手く利用したり、命懸けで実行するわけだから胆力も備わってなきゃならないし、考えるよりも遥かに大変なことかと…。
394:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 21:01:14.91 sISvNv0SI.net
合肥新城は満寵が手掛けた堅城ということで、他よりはイージーモードだったとも思う
城を守るのに肝心なのは、兵力よりも物資だろうし
赤壁時に孫権が合肥を攻めた時なんて守将の名前すらわかってなかったはずだけど、劉馥の余徳だけでずっと耐えてたり
395:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 22:33:46.34 i2MbXz0/0.net
>>393
でも個々の人間でもそれくらいの能力有していないか?
昔の英雄とか参謀とかそもそも学を納める機会も広く門戸を開かれてた
訳でもなかったからね。
396:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 23:34:53.20 Y5j4HYIoO.net
有しているかもしれない。
そして、それを実戦で開花させた者だけが史書に載るような業績を打ち立て、歴史に名を刻むのだろう。
学を納め勉強が出来れば良いというわけではなく、名将・名参謀たるには、敵を知り、地理を知り、状況を見極め、何よりも人というものをよく理解していなければいけない。
所詮相対するのは人。
目の前に立ちはだかるそいつの心理を読み、出し抜かない限り、劣勢側に勝利などあり得ないからね。
そういったことを勉強は出来て秀才の馬謖と、勉強は出来なくとも人生から多くのことを学び戦いでも生かして来たトウ艾の二人が、我々に多くのことを教えてくれる。
397:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 02:18:11.56 FTZ/ucL90.net
というか記載された事柄以外のことも当然起こってるんだし
簡潔に後世に伝えるために記述されてるだけで
398:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 04:42:23.80 kAMiOTIE0.net
机上オンリー、ボードゲームの巧さ的な意味での能力だけならともかく、実際に自分の命をかけ、人に命を懸けさせて…となるとな
399:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 07:33:15.76 igRfuKvm0.net
あと、社会情勢もある。
魏晋貴族社会の始まりに位置する三国時代ってのは
どんどん寒門の出世が望めなくなってくる。
士流は士流で、またヒエラルキーが存在して家門のしがらみ
があり、思うままに動けなかったり。
張徳が思い切った(相手をおちょくったような)策が打てたのは
麾下の統制がうまくいっていた証拠なんだろうなぁ。
そこに日頃の努力がうかがえる。
非協力的な味方では、攻囲されている極限状態でよく為せる
ことではないだろう。
400:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 07:33:59.72 sJS2WdJI0.net
三国志最長の籠城戦は公孫瓚の易京かな? 結局陥落してるけど
というか麴義は確定枠に推したい
三国のどれとも関わってない部将なのにあんだけ事績が伝わってるって物凄いと思うんだけど
401:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 08:10:50.90 V0z1i3BF0.net
鞠義は最後、公孫サンに大敗したのが印象に悪いな
402:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 09:15:06.32 FTZ/ucL90.net
キクギは袁紹躍進の立役者と言えるからなあ
残念ながら魏蜀呉にあまり関わってないせいか記録がそこまで残ってないけど残された戦績だけ見るとかなり優秀だ
最後の大敗は易京という袁紹本隊が数年取り囲んでやっとこさどうにかなる場所であったし
403:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 14:32:46.81 sJS2WdJI0.net
麴義だけじゃなく黄祖もなぁ…
孫堅だけじゃなく徐琨や凌操らをも戦死させてるわけで、本来は孫堅や孫策を上回る名将だと思うんだけど
基本的に呉側の記録しか残っておらず敗戦扱いしか伝わってないせいか「負けまくってるのに全く領地を失わず敵の大物を殺し続けた謎のゾンビ野郎」になってしまっているからなぁ
孫呉二大名将の周瑜と呂蒙が前軍となってようやく討ち取られるまで、孫堅戦死以来15年以上
江夏の守護神って意味では文聘に劣るかもしれんけど、その密度自体は文聘以上だよ間違いなく
呂布は…呂布入れるくらいなら臧覇入れようぜって思うから別にいいや
404:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 02:00:06.56 +aMD4GPD0.net
他に三国以外の後漢の群雄で確定する可能性がありそうなのは陳登かな
405:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 08:02:31.75 qD8TWU+U0.net
皇甫嵩は董卓に服従して役立たずの置物に
徐栄は孫堅を撃破したが孫堅は呂布や董卓を撃破
李傕と郭汜は徐栄を戦死させ呂布を撃破
郭汜は李傕を寡兵で撃破
董卓周辺人物では郭汜が一番の名将かもしれんな(笑)
どいつもこいつもイマイチなのは間違いないけど
>>404
陳登の実力は底知れないけど、活躍期間短くね? 実績が足りない
長生きしてれば臧覇や文聘を超えてただろうけど
406:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 11:46:02.52 UXSSyoNG0.net
少数精鋭を率いて軍の先頭に立って無双する呂布のような猛将を、
名将と呼ぶか否かで選出が大分変わると思う。
というかそこを統一してないから議論がこんがらがってる。
呂布を入れるなら、公孫瓚や関羽や甘寧、文鴦、丁奉みたいのも入れてく必要あるし。
逆にそういう匹夫の勇を除外するなら、匹夫の勇に関する功績を度外視して考えてく必要がある。
俺は大軍を独立した指揮系統で元帥として率いて連戦連勝するような人間が名将だと思うから呂布や丁奉みたいのは入らない思う。
逆に大軍を率いて一国を滅ぼした杜預は入れるべきだと思うよ。
そうすると後半の人間に比重が置かれると指摘する人がいるけど、それで良いと思うんだよね。
というか今の選出じゃ前半の武将が有利すぎて偏ってる状態だと思うよ。
陳登を例に挙げれば、孫策を破ったのも
徐州の一部の軍を率いて、揚州の一部の軍を率いた武将(軍の規模は不明)を破っただけでしょ。
407:406
14/03/03 11:53:27.33 UXSSyoNG0.net
杜預を入れるべきだという意見を補足するけど
例えば、楽進は○○城を占領したとか于禁は○○郡を占領したとか言うけど
杜預は一国を占領してるからね。
当然一国の下には無数の郡や城があり、
杜預の下には複数の城や将を斬った武将がいるだろうし、于禁や楽進の役割を担う武将を更に統括したのが杜預。
兵の衆寡を考慮しても名将に選出されるだけの武功がある。
逆に杜預が前線に出て自ら城に一番乗りとかしてたらそれこそ匹夫の勇の極み。
大将がそういう小さな武功を建てても誉められる事では無い。
408:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 13:30:19.31 qD8TWU+U0.net
>>406
そんな理由で議論が混乱したことなど一度も無いだろw
肝心なのは実績だ実績
べつに陣頭で突撃してようが後方で指揮してようが、同じ結果を出してれば同じ程度の名将だよ
いったい何を言ってるんだ?
公孫瓚と関羽と甘寧と文鴦と丁奉を匹夫の勇で同一視するのも無理がありすぎ
時勢や官職など基本的な情報を把握せず、漠然としたイメージだけで語っているだろう
Wikipediaとかのネットで中途半端に正史齧った程度の知識を持ってる人間にしか見えんぞ、残念ながら
厳しい言い方だけど、前からキミの意見はいつも的外れだから、少し勉強し直してから来たらどうだい
>>407
そりゃそうだろ
そんなわかりきったことを「お前らわかってないんだろ」のノリで説明するのはやめた方がいいって
ここのスレ民でそんな馬鹿なやつはいないよ間違いなく
そんなことはわかった上で今の確定枠と議論枠に落ち着いてんだろ
杜預がまだ議論枠なのは、杜預じゃなくてもやれたと思われてるからじゃないの? 知らんけど
余人では出来ないことをやり遂げるのが名将
まあ時勢に恵まれたことも含めて、私は杜預は名将だと思うけどね
409:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 13:38:26.76 qD8TWU+U0.net
あぁそれと、やたら楽進と于禁を小物だと思ってるみたいだけど、魏の五人からもし誰かを下げるならどう考えても徐晃だよ
役割も地位も功績も、五人の中では圧倒的に小物だから
同類を纏めた巻の列伝順は嘘をつかない
そうと思えないのは、多分キミが演義系のイメージに囚われているからだと思うよ
410:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 14:12:59.94 tLJzFj2O0.net
>>405
郭汜は呂布と一騎打ちもしてたはずだし、意外と猛将だったのかもしれないな。
董卓系列の武将は戦犯的な扱いで実像より小さくされがちだろうし。
まあそれでも名将とはほど遠いだろうけども。
411:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 14:58:57.90 R0pnbW/j0.net
徐晃は魏の5,6番手を失点なくずーーっと務めてた感じ
曹操や張遼、曹仁、夏侯淵等に吸われない徐晃個人の働き、大手柄と言える派手な実績というと…樊城くらい?
徐晃を外すべきなんて微塵も思わないけど、魏の中だと「大物」とは言い難い地味で堅実な名将だわな
412:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 16:17:44.75 eK6dC5OJ0.net
魏で五番手なら十分二十四には入るよ
413:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 00:21:27.80 2gy40Y7F0.net
こんなこと言うとアレだけど…。
領地拡大に貢献せず留守番も失敗した関羽がエントリーしてるのに、三国志最強の留守番役こと夏侯惇がエントリーすらしてないのは???
曹操が徐州に遠征すれば夏侯惇が兗州の本城を守り抜き、曹操が河北を転戦すれば夏侯惇が河南を後詰し、曹操が西に目を向ければ夏侯惇が東を担当。
絶大な権限と広大な範囲を常々任されながら、関羽や張飛のような失敗を一度もしたことが無い。
軍位や爵位の昇進スピードも桁違いだし、二十六軍=約10万人という後漢末期とは思えない大軍の都督を大過無くこなしている能力は半端じゃない気が。
まあ領土拡大には貢献してないし、戦功自体も少ないけど。
軍事上の功績は大きいけど戦争上の功績は少ない?と言うべきか。
いや、夏侯惇が24選に入る名将だとか思ってるわけじゃないですけど。
でも鄧禹を名将と呼ぶ界隈もありますからね。そういう意味では夏侯惇も名将になるかもと。
このスレではどういう扱いになるんでしょうか?こういうタイプって。
414:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 01:34:33.45 HSXbF7S10.net
集めた兵士に反乱起こされたり、呂布に捕われて部下に救出されたり、
顔面に矢を受けて失明したり、劉備のついでに高順に蹴散らされたり、
李典に止められたのに劉備を追撃してぼろくそに負けたり、
悪意を持って書けば酷いことになるけどなw
夏候惇は軍政家であって、君主の絶対の信頼を得て人を束ねる人物としてはこの上ないけど、
それと名将であるかどうかは全くベクトルが違うと思うよ。
武将としての夏候惇は、取り返しのつかない失敗をしなかったに過ぎない凡庸な武将。
関羽は取り返しのつかない大失敗をしたけれど、少なくとも一人の武人としては当代一流だし、
軍を率いても一応大物を下していて、議論ぐらいはできる武将だからね。
415:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 01:52:58.22 YgF9c+Fi0.net
曹操陣営屈指の重要人物なのは間違いないけど、兵を率いる武将としてはなぁ
まぁそれでも、名将か否かという事なら「名将」にカテゴライズされても別に文句はない
416:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 08:15:15.66 2gy40Y7F0.net
あぁ…確かに夏侯惇の優秀さって軍政家とかそういう方面であって、将としては微妙ですね…
そういう意味ではやっぱり、将としても戦果を残している関羽や陸抗の方が上なんですな
417:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 10:33:12.49 6mlYMI99O.net
陸抗は、陸遜と孫策の血を併せ受け継いだ「100パー名将にしかなりませんやん!」という最強の血筋を持つ男。
418:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 11:25:56.96 +jjqr4TTO.net
血統の良さなら陳泰もスゴいだろう
実績も申し分無い
419:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 11:31:24.66 2gy40Y7F0.net
>>417
陸遜並みの防戦の上手さと、孫策並みの城攻めの下手さを兼ね備えた、奇跡のハイブリッド!
間違いなく孫策の血を引いてるw
>>418
陳泰は凄いですよね
何が凄いって、戦術眼で郭淮どころか鄧艾をも上回ってるのが凄い
420:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 20:04:42.86 tK+xN1EY0.net
>>405
董卓周辺なら董卓でも良いんじゃね?
個人的能力も結構高かったよな
武勇なんか呂布の次くらい
421:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 00:01:36.10 /KgBhD4lO.net
魏の夏侯尚は中々名将かと。
西城・上庸・房陵など三郡を攻略して魏の版図の拡大に貢献。
官位も征南将軍・荊州刺史・仮節都督南方諸軍事と重きをなす。(まっ皇族ってのもあって出世に拍車を掛けてんだろけど)
荊州の任地では異民族鎮圧や開発を進め、任地の繁栄に貢献。
曹丕が呉を攻めた際には征南大将軍として諸軍を統率し、曹真と共に江陵を包囲して諸葛瑾の水軍を撃破。
大敗らしい大敗もしてないし中々のもの。
…ってかこいつの父親って誰よ?
当時の超有名一族で名前が分からないなんて…。
422:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 00:28:13.45 XiFvNAmiI.net
夏侯尚は前に>>102で一刀両断されてるな
名将だけど、魏にはこの程度の名将は割といるよな~みたいな
曹丕のせいっていうか半分は自業自得だけど、あそこで変な死に方せずもっと長生きしてれば更に実績を立てれただろうに惜しいことだ
まあ曹休みたいに勝ちすぎて調子に乗って最後に陸遜によって大敗してたかもしれんけど
後漢末の頃、沛の夏侯氏は曹氏と違って完全に没落してたっぽいから、父親の名前が不明なのはべつにおかしくないんでは?
没落してた割に巨大な一族だったようだし、大勢いる夏侯一族の子供達の中から特に優秀だった尚クンが曹操の目に止まって任用されたんだろう
423:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:16:11.98 P6Zu4hjS0.net
若死
政治的立場の悪さ
記録漏れor抹消
確定枠になるには強運が必要
424:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:38:54.85 lOI2g+Xh0.net
まぁ不運な奴なんて議論枠にすら居ないわな
一定以上の強運は大前提
425:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:48:45.50 QqHpuAq50.net
その中でさらに運がいい+実力が合わさって確定枠の高みに登れる
夏侯尚が生きていたら実績を積み重ねそうだけど
曹真曹休司馬懿とポジが被るし実際どうなるかわからんなぁ
426:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:58:14.31 XiFvNAmiI.net
李典李通は長生きしてれば、臧覇文聘を超える武功を成していたかもしれない
朱霊は記録が残っていたなら、曹操軍の異姓武将では徐晃に次ぐ第六位の実力者だったのだから議論枠には入っていたはず
でもこいつら、このスレでは全く触れられんからな
司馬氏と対立して三族皆殺しにされた曹真と夏侯尚と王淩と毌丘倹と諸葛誕
間違いなく史家の筆法により功績を省略されているが、そこを考慮していくとキリが無い
それでも曹真は確定枠に入ってるし毌丘倹は議論枠に入ってるけど……こいつらパねぇわ
あくまで実績という分かり易くブレにくい基準を重視するこのスレでは、もしもっと長生きしてたらとか、もしもっと記録が残っていたらとか、妄想込みでの評価が必要になってくる連中は不利
一般的な三国志ファンによる孫堅孫策関羽への評価はこのスレでの評価よりかなり高いだろうが、あれはそういった期待値を含んで評価しているからだろうし
427:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:05:32.03 lOI2g+Xh0.net
孫堅孫策は三国の1つの祖として活躍と「悲劇」を熱心に描かれるし、関羽は人によっては三国志と言う物語の主役にもなり得るキャラだからなぁ
428:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:14:52.74 P6Zu4hjS0.net
孫堅孫策の高評価がなかったら
コーエー三国志で呉プレイする人がいなくなってしまう
429:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:21:36.81 XiFvNAmiI.net
陸抗への評価も、巷では実績を超えて高いけど、あれも悲劇のヒーロー補正が入ってるんだろうな
陸抗伝読んでると、もうお前は充分頑張ったから親友のいる晋に亡命しちゃいなよ、って言ってあげたくなるし
病弱キャラで謙虚で有能、陸遜の子で孫策の血を引いてて、絶望的な状況で孤軍奮闘して最期まで国を憂いて死んだ
そりゃ妄想炸裂しますわ
430:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:14:30.14 /KgBhD4lO.net
>>426
例えばそこに挙がってるような名士武将連中を、間違いを起こさず次々と葬り去った司馬師・司馬昭なんてかなり有能な人物だと思うんだけどな。
ひとつの判断ミスが功績を台無しにしたり生命を左右する中、間違いを起こさず当初の目的を完遂するって結構重要なことだと思うんだよね。
司馬師は、魏帝や李豊が中心となった暗殺計画、淮南でのカン丘倹の乱、どちらも政権を揺るがす大事に見事察知、対処している。
司馬昭は、これまた魏帝を中心とした誅殺計画、淮南での諸葛誕の乱、蜀漢征伐の経営判断と、全て成功に導いている。
思うに、例えば于禁や楽進なら直接兵を率いる将として、関羽なら一州を預かる総司令の立場としてそれぞれ評価するならば、
司馬師・司馬昭のように国家のトップに立つ将も、その立場に応じた評価があってもいいと思うんだよね。
いやむしろ、こういった立場の人物こそ、直接国家や政権に影響を与えかねない案件ばかりなのだから、一介の将とは判断の重味が違ってくる。
それに加え国家運営力と経営判断など。
ってことで俺は司馬師・司馬昭の二人を有能な名将として提案したいんだけど…、政治家色が強いと一蹴されちゃうかな?
431:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:41:16.02 iHqKRqSG0.net
>>426孫堅孫策の評価が高い故に、この二人を破った黄祖・陳登の評価が高くなる
432:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:54:48.26 XiFvNAmiI.net
>>430
なんじゃそりゃ…
その理屈だったら、孫権や司馬炎だってその二人を上回る名将だわな、功績的に
ついでに姜維と戦ったのは司馬望とか言い出す気かいな
このスレをどういう方向に持っていきたいのだ…
433:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:14:16.62 7xKIintd0.net
まあ呉志を読んでると、江東四郡を本当に平定したのって孫策じゃなくて孫権(というか程普や賀斉)じゃね?って思えてくる時はある
孫策がイマイチ確定枠になりきれない原因の一つはこれな気がする
434:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:52:34.98 dT5c5n1bO.net
>>432
やっぱそうなるか…。
いやそれぞれの戦役の功績を、どこまで上の英断による功績として還元するか、って視点で考えてみたんだけど…、そう言われたら全て国家元首に帰趨しそうだから議論にならなくなるな。
スマン、司馬師・司馬昭のことは無かったことにしてくれ。
435:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:55:52.00 0cFTSmmN0.net
>>430
それはもう名将とかそういうのではなく、政治力とかの世界だと思う。
436:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 08:05:13.21 7xKIintd0.net
というかそういう視点だったら、司馬兄弟よりもまず曹叡の名前が上るんじゃないか
437:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 09:49:23.79 dT5c5n1bO.net
確かにね。
ただ、上の人も孫権や司馬炎を例として挙げてくれて、あなたも今曹叡を挙げてくれてるんだけど、
俺の当初の思いの中では君主までアップするつもりは無く、あくまでも「臣下の立場=将」という概念のもとに司馬兄弟を挙げさせてもらったんだよね。
でもそれは俺が勝手に想定した概念なので、上の人やあなたが言うように「それなら君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」と言われれば、まさにその通りなんだけどね。
俺が国家の上将軍としての司馬師・司馬昭を挙げたのは、色んな英雄・名将と呼ばれる人物があとちょっとのところで、たったひとつの判断ミスのせいで、功績を汚したり生命を落としたりして散って行った。
当時の司馬兄弟とてそれは同じで、中央・地方問わずあらゆる所に政敵がいた。
もし彼らが成し遂げた事績の中で、ひとつでも判断を誤ったものがあれば恐らく失脚=死が、たちまち彼らの頭上に舞い降りたことだろう。
しかし彼らは何ひとつ判断を誤らず、世に功績を打ち立て生涯を全うした。(もっともその功績とは必ずしも国家のためではなく、自らの御家の利益=国家の利益、と利害が一致していたからではあるが)
そこを買っての提案だったんだよね。
そして功績の在り処。
例えば、将の意図しなかった兵独自の見事な活躍と機動によって得た勝利も、功績としては将の名前で記される。
ならば、将の活躍で得た勝利も、その戦略的判断を下した「将の将たる者」にも還元されて然るべきではないかと思ったわけなんだ。
438:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 10:45:48.26 JP6rRTeq0.net
一理はあるけど区切りが難しすぎるしキリがないし、そもそもの正確・詳細な情報自体も少ないからなー
大雑把にざっくりだと全て君主へ…で面白くも何ともなくなる
まぁそっち基準でやり始め仮にある程度の結論が出たとしても、「それはそれとして」でこのスレでは脇に置いて終わりだわ
439:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 11:32:45.39 dT5c5n1bO.net
おっしゃる通り。
俺の提案した内容は「君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」という、上の方々の指摘によって既に破綻を迎えている。
幾ら自分なりの君臣の線引きによって選んだとしても、あなたの言う通り「俺独自の」では意味がないし、何より皆をそれに付き合わせるわけにも行かない。
よって、どうか俺の司馬兄弟の提案は忘れて欲しい。
440:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 14:33:08.17 4KNBQU1m0.net
そんな簡単に忘れられるわけないじゃない!
441:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 15:25:43.73 ashaI6xJO.net
まぁ司馬兄弟の話はもういいだろう
優秀な兄弟である事には変わらないから
議論枠の中から、夏侯淵はそろそろ確定させよう
442:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 20:33:03.87 7xKIintd0.net
夏侯淵は確定してると思ってた
今の議論って>>259を基準に進んでるんじゃないの?
文句言ってた人も一部いたようだけど反論されて沈黙してますし
低評価しかないとかそもそもウソだからな…
宋建瞬殺した時とか曹操から絶賛されてるし、有名な「三日で五百里~」もある
そんであんだけ実績あるんだから確定でしょう
443:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 09:25:43.44 J0AuvIsaI.net
夏侯淵は確定枠で良いでしょ 魏将はハードル上がりすぎ
というか>>259からここまでで選出が全く進んでないって…
こういう議論って終盤になると団栗の背比べになって難しいんだな、うん
今のところ誰が有力候補なんだ? 俺は姜維を推したいんだけど…
444:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 09:49:51.04 YYQs7Uy90.net
キクギ、カン丘倹、朱然は入れたい
後の2人は悩むなあ
杜預は入れてもいいかもしれない
姜維は正直入れる理由が分からない
一時的に魏の領土を荒らしまわったけど本腰入れられたら壊滅したってのは馬超と同じで馬超を入れないんだったら姜維を入れる理由も特にない
445:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 10:29:36.02 J0AuvIsaI.net
>>444
あぁ、毌丘倹を忘れてたわ…
遼東平定では司馬懿の副将に推挙され、高句麗遠征では無双し、揚州で諸葛恪を撃退
大功ばっかりやなこいつ
最期に反乱して潰されたという欠点がなかったらとっくに確定枠やろ
朱然は…魏では議論枠にも入ってない胡質と何度か互角に張り合ってるレベルだからなぁ
これを凄いと見るか見ないかは人によるんかな
んで、なんで馬超???
姜維と馬超は条件違いすぎるやろ
馬超は自分のホームグランドで暴れながら追い立てられていっただけ
姜維は敵地に攻め込んで戦ってる
何より後漢末期~三国時代後半までの時間経過により、魏とそれ以外の国力差の開きが倍増してて、姜維の方が圧倒的に難易度高いんやで
郭淮と陳泰の防衛能力の高さは否定しないが、姜維に対して決定的なダメージを与えるまではいかなかった
段谷の戦いで鄧艾に粉砕されなければ、姜維も蜀漢ももう少し長持ちしただろうに
まあ少なくとも、鍾会よりは姜維の方が間違いなく名将
鍾会の大軍運用手腕は三国時代でも屈指だけど、それ以外にあまり褒めどころが無い
鄧艾がいなかったら姜維に防がれて失敗してる
杜預の場合、そもそも敵将に姜維のような強敵がいなかった上、当時の呉は中央も地方もボロボロで離反と謀反が続出する完全末期状態
崖に片手でぶら下がってる自殺志願者の指を、寄ってたかって踏み潰して突き落とした感じ
鄧艾のように、名将でないと不可能なチート技で攻略したなんてことも無いし
446:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 13:38:56.67 jFWwnjT50.net
ちなみに毌丘倹が攻撃した時の高句麗ってどのくらいの国力だと推量されてるの?
公孫淵を攻めあぐねた毌丘倹が直後に快勝してるよね。
司馬懿から戦い方学んでたっていうのも考えられなくは無いけど、
国力が弱かったり兵法が発達してなかったりしたんじゃないの?
447:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 14:04:25.51 J0AuvIsaI.net
高句麗は周辺諸国とずっと戦乱を繰り返してたから、兵法が発達してないなんてことはない
遼東公孫氏とも一進一退の攻防を繰り広げてたが、公孫康の時代には高句麗が負けてる
国王直下の兵が二万程度ってことを考えても、郡以上州以下の勢力で、要するに遼東と大して変わらんかそれ以下
毌丘倹が凄いのは、中原からすれば完全に未開の地だった高句麗まで大遠征して大勝してることだな
情報の無い土地はマトモに行軍するだけでも大変なのに
448:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 14:43:26.82 CiRF2A/K0.net
杜預は名将か名将じゃないかで言ったら間違いなく名将だろうけどな。
異民族戦でも活躍してるし、張政も撃退してるし、
他に誰も呉を攻めたがらない中、機を見逃さなかった点も大きいと思う。
長期戦になる可能性もあった中で軍議を押し切った判断力と、
呉の士気を挫き破竹の勢いで呉を下したのは杜預の手腕であって、
誰でも良かったなんてことはならないんじゃないかなあ。
呉が態勢を整えたら城を落とせなくなるし、
呉は懐が深いから遷都されたらもう呉を滅ぼせなくなると言われていたわけだし。
どういう情勢であれ一国を滅ぼした功績というのは低く見てはいけないと思う。
戦術よりは統治とか戦略面で優れた武将だとは思うけれど。
449:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 15:10:31.51 J0AuvIsaI.net
>>448
そうだねぇ…郭馬の反乱を鎮圧する為に呉軍が交州へ寄っていた隙を突いた決断力と判断力は褒められていいと俺も思う
邪魔な賈充を黙らせ、失敗を恐れて撤退したがる諸将を無理矢理引っ張って呉討滅を断行するのは、当時の面子では杜預にしか出来なかったかも
しかしまあ杜預本人も言ってるように、羊祜のおかげな部分も大きく、作戦決行が認められたか認められなかったかだけの違いと言えなくもない
何よりあまりにも戦いの規模が大きすぎて各軍が各地で各自に行動しているせいで、杜預が果たした役割が限りなく薄まっているのが微妙さに拍車を掛けている
総司令官として全体をコントロールしていたと言えるのは司馬炎であって、極論すれば杜預は六軍の内の一軍でしかない
首都を落としたのも杜預じゃないしな
蜀討滅で鍾会が果たした役割の方がまだ全然大きいくらいだよ
450:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 15:33:44.30 J0AuvIsaI.net
つーか、呉の滅亡が杜預の功績って風潮は何が原因なんだろう?
あれほど手柄が分散する戦いは無いと思うんだが
首脳部は司馬炎と賈充と楊済
作戦立案は羊祜と張華
益州軍が王濬と唐彬
荊州軍が杜預と胡奮
揚州軍が王渾と周浚
徐州軍が司馬伷
豫州軍が王戎
杜預が名将だとかそういうレベルの戦いか?これ
451:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 18:41:36.26 5MiW8+KH0.net
「杜預が一国を滅ぼした」と繰り返すのは違和感凄いわな
好判断で多少滅亡を早めた、というならわかるけど
452:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:08:23.14 J0AuvIsaI.net
しかも最も大軍(七万)を率いていたのは王濬で、呉討滅の主力軍はこいつなんよ
杜預が大軍を統括してたって勘違いしてる人がたまにいるけど、違うからね
杜預と王濬と王渾の活躍は、誰かが突出しているというほどの差は無い
453:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:15:51.09 CiRF2A/K0.net
杜預一人で呉を滅ぼしたなんて思ってないし、言ってもいないでしょ。
ただ杜預が率先してなければ機を逃して泥仕合になってた可能性も高いわけで、
国の方針を確定させたオピニオンリーダーなわけでしょ。
その上で総司令官として呉討伐を完遂させたのだから、相応の評価はあっていいのではってだけ。
戦果は各将軍のものだけど、総司令官は自分で潰した敵の数だけが功績となるわけではないのだしさ。
まあ情勢的に呉は黙って待ってれば勝手に自滅してた可能性もあるけど、
杜預sageをしたくて仕方がないならともかく、ある程度の評価はされるべきだと思うだけだよ。
べつに確定枠入りさせろって騒いでるわけじゃないんだけどなあ…。
454:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:23:51.10 J0AuvIsaI.net
なんか勘違いさせてしまったみたいだけど、べつに杜預sageがしたいわけじゃない
というより割と好きな人物だしね、左伝ヲタ的に考えて
燻銀な祖父の杜畿の方が好きだけど
ただあんまりこのスレでは呉討滅戦に踏み込んだ議論をしてなかったみたいだから、言いたかったことをゴチャゴチャ書いてみただけ
杜預も名将の一人だとは思ってるよ
まあ今の確定枠19人に比べると見劣りするなとは個人的に思うけど
455:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:28:06.18 J0AuvIsaI.net
>>453
……って、アレ?
だから、杜預は総司令官なんかじゃないよって話だったんだけど
総司令官ってソースは何なのさ
456:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:29:38.69 5MiW8+KH0.net
俺も別にsageる意図なんてないわな
議論枠内だと普通に上位だと思うし
457:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 20:57:23.35 CiRF2A/K0.net
正確には都督荊州諸軍事、荊州方面軍の総司令官だったね。
戦そのものの総大将が賈充なのは分かってたけど、
討呉は羊祜が中心になって押し進めていた事業だし、
杜預はその羊祜の後を継いでるから、総司令官だという印象が先行していた。
こういうイメージを持ってる自分のようなにわかが多いのかもな、
征呉と破竹はセットで扱われてるのもあって。
458:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 21:22:58.84 J0AuvIsaI.net
まあ晋書でも羊祜と杜預が同巻に立伝されてるし、それに比べると王濬たちの列伝は下の方だからね
「破竹の勢い」のインパクトも加わって勘違いしがちなのかも
というか俺も昔はそんな風に思ってた気がするし
459:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 23:19:56.42 J0AuvIsaI.net
話を戻して、残り五枠を私的見解で選ぶなら
後漢末期前半
魏:陳登
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麹義 呂布 黄祖
この中から一人だけ選ぶなら100%麹義
後漢末期後半
魏:臧覇 文聘
蜀:関羽
関羽を推したい人の言い分には共感するけど、ここは素直に臧覇で
三国時代前半
魏:曹休 郭淮 毌丘倹
蜀:魏延 王平
呉:朱然 朱桓 諸葛恪
粒揃いだけども、毌丘倹のインパクトが頭一つ抜けてるかと
三国時代後半
魏:陳泰 王基 鍾会
蜀:姜維 羅憲
呉:丁奉 陸抗
普通に考えれば陳泰か王基だろうけど、背景を勝手に考慮して姜維を一押し
あと一人は呉から誰か入れたいけど、イマイチ微妙なのしかいない気がするのよなぁ
賀斉も一瞬思い浮かんだけど、その分野だったら上位互換として梁習や張既のような怪物が控えているし
もういっそのこと樹機能が確定枠で良いんじゃないかな…
杜預もビビって更迭されてるし、異民族マスター牽招の子の牽弘もこいつの乱で死んでるよな、たしか
460:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 02:08:21.89 qD7ziNL50.net
禿髪樹機能は蜀が存在してる内に立ってれば…と思わずにはいられん
細かくはわからんけど、どう考えても知謀もカリスマ性も相当なもんだよなぁ
まぁ晋が根本から揺らぐと大暗黒時代が継続してしまうわけで、誰が喜ぶかと言えば微妙だけども
461:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 08:39:19.85 sEmKz1yx0.net
姜維は背景を考慮してって考えで過大評価されすぎな気がする
462:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 09:40:45.55 PwT3cpFX0.net
・6選・
後漢
魏:曹操
蜀:劉備
呉:周瑜
三国
魏:鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・12選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:満寵 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・18選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・24選・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃 臧覇
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
三国内だけで実績重視の選出するならこんな感じかなぁ、というイメージ。
実績重視にすると途中から魏将しか入らなくなるよね、当たり前だけど。
公平なような不公平なような、微妙な感覚だわこれ。
463:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 09:46:19.36 v68xafov0.net
周瑜がなんで6選に入ってるの?
逆に周瑜のどんなとこを評価したの?
464:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 10:12:01.14 PwT3cpFX0.net
>>463
ん? また正史三国志をちゃんと読んだことが無い人か。このレベルのツッコミがこのスレで来ると萎えるわ。
>>50 >>353 >>406 >>446 と同じ人?
解説するのも面倒臭いから、中国名将百選スレでも読んできたらどうかなと。
三国志の確定枠は曹操と鄧艾だけ、議論枠は周瑜だけ。6選どころか3選でも入るよ周瑜は。
465:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 10:21:41.58 PwT3cpFX0.net
不要な暴言は荒れる元だったな。申し訳ない。猛省してもう黙っときます。
まあ端的に言っても周瑜は、黄祖を討ち取り曹操を撃退し曹仁を追い払い益州遠征司令にも任命されてたんだから、少なくとも呉から誰か選ぶなら周瑜しか有り得ないかなと。
466:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 11:31:00.76 jZL/srZoO.net
中国人であるジョン・ウー監督『レッドクリフ』でも、定番の劉備陣営ではなく周瑜を主人公に据えスポットを当ててるとこをみると、本国の人達にとっても特別な英雄なのかねぇ。
まぁ題材が赤壁だからってのも大いにあるけど。
467:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 12:45:47.94 qD7ziNL50.net
三国志の京劇で髭なしの色男タイプのキャラで主役を張るのは周瑜と趙雲くらいな気がする
趙雲は実績という意味では本当に微妙…というかそれ以下なのに、あっちでも超人気なんだよな
468:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 13:47:56.56 AlAO0EGTI.net
>>461
姜維のことは贔屓目入ってるからあんま気にしないでくれ
客観的に選出したら俺も>>462の人とほぼ同じになるかなぁ
6選は劉備より曹仁を入れたいし、12選は張飛より于禁を入れたいけど
まあ本当に公平さに拘るなら、三国外からも選ぶべきだとは思うが
特に群雄では最大勢力だった袁紹軍から誰も入らないのは拙いので、やはり麹義を推したくなるねぇ
異民族も…檀石槐はともかくとして、樹機能はギリギリ三国志の範疇に入るんじゃないかなと
軻比能はやられ役になってることが多いが、樹機能が魏晋に与えた被害は諸葛亮や陸遜を大きく上回る
馬隆マジックでよくわからんやられ方してるのが何とも言えない気持ちにさせるけども…
諸葛亮の八陣図はいいとして、いったいどんな磁石使ったら鉄兵の動きを止められるんだよと
469:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 18:58:10.98 GhZQtMKm0.net
>>467
呂布も髭なしだった希ガス
まぁこのスレには全く関係ないけどな
470:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 08:29:15.47 +ejotfwh0.net
姜維と陸抗には「滅亡寸前の弱小国家を背負って頑張ったで賞」をあげたい
471:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 08:56:55.05 G+hs4+000.net
呉はラジー賞の大本命ですね。
472:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 09:25:52.79 wGdgk6+IO.net
結局、一度優勢に立った魏の優位性は、最後まで覆らなかったね。
赤壁や漢中攻防戦、馬超や孫権との戦いを経ても。
また、それを覆させなかった曹操の人材収集、国家体制作りに、一将としての能力を超えた総合賞をあげたい。
473:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 10:05:47.33 +ejotfwh0.net
>>471
呉将の「名将だと思ってたけど実績はそうでもなかった」感の多さはヤバい
コーエー三国志で贔屓にされてるのは蜀将じゃなくて呉将なんじゃないかな
>>472
劉備と孫権が地方で割拠できたのは、人民が黄巾以来延々と続いた中原の騒乱を避けて地方へ疎開していたからってのが大きい
曹操と曹丕によって中原が安定すると地方に疎開していた人民が帰郷し始め、国力差は時間が経つほどに開いていって最後は蜀も呉も滅亡
特に呉は、領土が広いのに人口が少ないから国力低下が大問題となり、山中や海外へ人狩り活動をし始める始末
魏の都督は州単位、蜀の都督ですら郡単位なのに、呉の都督は県単位ってのが、いかに呉がスカスカな国だったかを現してるかと
まあ魏は蜀に呉に東夷に鮮卑にと全方向を敵に囲まれてるのに、蜀や呉は魏だけを相手に戦っても勝てなかったんだから、その差はお察しデスね
474:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 11:21:15.45 wGdgk6+IO.net
しかしそんな強国・魏も内患には勝てなかった…
「魏武がつき、三司馬こねし天下餅、座りしままに食うは安世」だったね。
475:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 12:08:19.30 +ejotfwh0.net
>>474
だから三国志後半はつまらんのよな、三国共通で君主も武将も大抵が小粒な上に内乱の時代になるから
司馬氏もよく見ていくと、司馬懿司馬師は優秀だが、司馬昭司馬炎は結構微妙だし
陸機の弁亡論でも「かつての曹操軍や劉備軍は名将揃いだったが、当時の呉軍はそれを撃退した。呉を滅ぼした晋軍には名将なんて一人もいなかったのに、呉は内部から崩壊していたから負けた」みたいなことを言っている
このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし、統一戦なのにここまで盛り上がりに欠けるって悲しすぎるわ
476:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 12:49:57.65 wGdgk6+IO.net
司馬懿、司馬師は優秀ってのは同意だけど、司馬昭もかなり優秀だよ?
司馬炎は普通の人って感じだが。
司馬昭の凄いところは抜け目ない性格と、先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ。
当時は司馬家が権力を握ってはいたが、どこまでその力を振るえるのか、どれほどの影響力なのか、兄・司馬師が体現してみせてくれた。
皇族に連なる寵臣を三族皆殺し、皇帝を廃立。
ここまでやっていいのかと、兄・司馬師の手法や振舞いを見て司馬昭は学んだと思う。
そして、晋公・晋王への昇進と簒奪への足場固めの手法は、ご存知曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移している。
兄や先人からたくさんのことを学び活かし切る、抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物だ。
477:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 13:43:04.00 PE+FS3WK0.net
>このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし
いやいやいや、
確定枠に入らないだけで普通に名将だぞ。
478:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 13:49:02.66 +ejotfwh0.net
>>先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ
王儀「は?」
曹髦「あ?」
陳泰「え?」
王経「ん?」
>>曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移し
曹操「献帝に殺されかけたことはあっても、献帝を殺したことはねーです」
曹操が献帝を殺してたら、絶対もっと魏は早期滅亡しただろうよ
皇帝殺害という汚点の大きさを舐めちゃあかんぜよ
>>抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物
賈充や鍾会のような輩を重用しすぎたせいで色々と問題起こしたり、司馬昭は抜け目無さとは程遠い人物だわ
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルだろ
479:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:34:41.59 wGdgk6+IO.net
皇帝殺害は致し方のないところだよ。
あの時曹髦は凄まじい覇気をもって先陣を切り、司馬昭の首を取らんとしていた。
「皇帝に刃を向ける気か!」と怒声を放つや、迎撃に出た兵は畏れおののき動きを止める。
放っておいたら、その権威を盾にした行軍に手出しできず、司馬昭の府に乗り込んで首を取られてしまうだろう。
止めるには、無茶でも殺す以外無いんだよ。
背に腹はかえられない、というやつだ。
曹操の時も司馬師の時も、皇帝自らが突っ込んで来たわけじゃない。
だから殺さずに済んだんだ。
それと、賈充や鍾会は有能な臣だ。
問題のある人物達だが、それ以上に司馬昭の役に立った。
だから有用した。
その内鍾会は反乱を起こし、もはや害にしかならないと判断したらきっちり始末をつけている。
対して賈充は反意を見せず、これまでの功も、そしてこの先も役に立つと判断したから、皇帝弑逆を陳泰に詰め寄られて世間に対する体裁が悪くなろうとも殺すことはしなかった。
白黒つけるところはしっかりつけている、人使いに長けた男だよ。
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルなのではなく、父と兄が優秀だったおかげで多くのことを学び、その二人よりむしろ落としにくい手強い人物になった気がする。
480:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:45:07.32 +ejotfwh0.net
殺す以外無い、とかどんな考え方してんだよ…
貴方とは議論できそうにないから諦めるわ
鍾会がいつか乱を為すことは幾人からも忠告されていたのに、結局反乱を起こさせあわや一大事となり、何より不世出の名将鄧艾をこんなくだらないことで失い
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたか
まあ司馬昭ファン?がどういう考え方してんのかの参考にはなったよ
歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
481:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:52:46.39 gpcIa53K0.net
横からだが賈充はそもそも呉を飲み込むこと自体に消極的
実際晋としては呉を飲み込まないほうが長生きできていたかもしれない
というかなんでさっきから武将じゃないやつについて語ってるんだ
三国志名君二十四選でも立てればいいのに
482:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:55:30.21 CfUMKrG40.net
司馬炎は圧倒的優位な状況下にありながら死に体の呉と禿髪樹機能に散々苦戦させられ、
どうにか統一しただけの人…という感じだなぁ
その後の平時の働きも酷いし
483:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:58:47.71 Wb+PWb3v0.net
鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのにあわや一大事ってどういうことさね
議論(というか意見の交換)を途中で放棄するのは自由だけど捨て台詞を吐くのはよろしくないな
しかも
>歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
っていうのはそのままブーメランになるぞ
484:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:02:51.49 CfUMKrG40.net
確かにそれは煽りにもならんわなぁ
485:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:03:12.12 +ejotfwh0.net
>>481
いつの間にかこういう流れになってた
スマソ
>>483
勿論ブーメラン込みで言ったのよ
というか議論放棄した時点で私の敗北宣言
486:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:06:24.06 +ejotfwh0.net
>>鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのに
あの乱が成功してたら蜀にまた国が誕生してた
あわや一大事、って何か間違ってるか?
487:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:20:59.29 wGdgk6+IO.net
>>480
どういう考え方してるって、だったら逆に訊くけどどうやって止めるんだい?
揺るぎない決意をもって殺しに来てるんだよ?
しかも賈充の配下以外は畏れおののいて皇帝に手出ししようとしない。
止めるにはもうああするより仕方ないじゃない。
鍾会がいつか乱を為すことは司馬昭も薄々気付いていた。
しかし蜀征伐の具体案を示し、群臣達が無理だと反対する中できると言ったのは彼だけだ。
だから危険を承知で彼に任せた。
トウ艾が死んだのはその巻き添えを食った形だが、司馬昭にとってはそれはそれで悪い状況でもなかった。
蜀討伐の二大功臣がいれば、その後の自らの計画の障壁となる可能性もある。
反司馬の盟主にでも担ぎ上げられれば厄介でもあるしね。
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたかってのは司馬炎の時代のことでしょ?
そんな先の時代にどんな議題でどんな主張をするかなんて、その時点の司馬昭に分かる筈ないじゃない。
少なくともその時点の司馬昭にとっては有能な臣だと判断したから、節を曲げてまで生かしておいたってことだよ。
488:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:28:04.92 +ejotfwh0.net
>>487
なんでこの流れで司馬昭の話を続けようとするんだよ
5日にも不自然な流れで司馬兄弟マンセーしてたよな
このスレで話題にする連中じゃないと言われてんだろ
私の解釈を貴方に認めてもらうのは諦めたから、貴方の解釈を私に認めさせるのは諦めてくれ
まあもう発言しないから、何とでも言ってくれていいけど
489:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:49:43.41 wGdgk6+IO.net
いや、何をぶっきらぼうに半ギレしてるのか知らないけど、見解を述べ合ってるんでしょ?
あなたが、有能ではないと主張したのに対し、俺は有能であると主張した。
ただそれだけのこと。
無駄なけなしを入れるばかりで議論もできないならもう結構。
ただ、自分と考えが違うからといって無闇に攻撃的になるのはどうかと思うよ。
490:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 16:19:59.05 +ejotfwh0.net
とっくにこっちは議論放棄してんのに、ここまで余計に粘着されるとは…
日本語が読めねーのかこいつ
最初に杜預や鍾会じゃなく司馬昭で突っかかってきた時点でスルーすべきだったかしら
かつての関羽信者なみに鬱陶しいわ
関羽はこのスレで議論してもいいが司馬昭にはその資格すら無ぇって何回周りから言われれば気が済むの
491:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 18:07:56.59 PE+FS3WK0.net
無駄な暴言は自分の品位を貶めるだけだよ。
492:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 18:41:10.47 U0vduAfC0.net
>>490そんな喧嘩腰だから、余計な反論を受けるんだよ
493:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 19:12:06.59 VCzcWlcF0.net
>>490
周りからっていうか、お前からだけだと思う。
494:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 19:48:53.11 D0H2YpYr0.net
しかし皆さん色々お詳しいですなぁ
陳泰って誰? ってレベルのあっしにゃ皆さん三国志博士っすわ
何かそういう細部?まで記述されてるような読み物とかあるんですかな?
495:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 20:49:56.30 yM4nicTK0.net
うるさいぞ曼才
496:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 22:11:56.65 K6rh0k0a0.net
関羽、夏侯淵あたりが確定じゃないのに
かなり早く死んだ周瑜が確定してるってのは結構凄いな
やっぱ無敗なのと、でかく重要な勝利を上げてるのが大きいのか
497:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 22:47:56.57 DUTHRhe40.net
夏侯淵は確定入したんじゃなかった?
498:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 23:53:51.17 +ejotfwh0.net
>>493
私だけじゃないよ
ちゃんとスレ読みましょう
>>494
URLリンク(www.amazon.co.jp)
正史も知らないレベルだったら中英板は難しいだと思うから、三戦板の方に行った方がいいんじゃないかな・・・
一応ネットでも正史三国志の和訳は読めるけど、陳泰を知らないくらいだから読んでも理解できんでしょうし
URLリンク(home.t02.itscom.net)
URLリンク(www.project-imagine.org)
URLリンク(www.3guozhi.com)
>>496
夏侯淵は確定してるはず
499:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 00:07:07.34 BHgD9PWiI.net
議論が煮詰まってきたようだけれど、
議論枠外で名将の取りこぼしが無いかなと三国志を読み返していたら、"曹洪"に目が止まり、
先入観を取っ払って事績をなぞっていくと、想像以上。
全然話題にならないけれど、張飛と張り合えるくらいの名将かも?
失点もほぼ無いし、議論枠どころか確定枠も狙えるんじゃないかなと。
あえて張飛と対比させてみると
主君の危機を救う
張飛:長坂で橋を切り落とし、曹純の追撃を防ぎ、大敗した劉備を生還させる
曹洪:ケイ陽で馬を譲渡し、ベン水で船を調達し、大敗した曹操を生還させる
呂布戦での活躍
張飛:呂布に急襲されて下邳を失陥
曹洪:帰還軍の先鋒となって范を占拠し食糧を調達
県城平定
張飛:巴郡を侵攻し通過した諸県全てを攻め落とす
曹洪:済陰郡と山陽郡と河南尹の諸県10以上を攻め落とす
張郃との決戦
張飛:巴郡の住民を移住させていた張郃を大破する
曹洪:官渡を攻めていた張郃を降伏まで追い込む
張飛vs曹洪
張飛:馬超と組んで作戦失敗
曹洪:曹休と組んで作戦成功
まあ曹仁や張楽于張徐と比べたらやや劣るかもしれないけれど、
全体で見れば間違いなく名将の部類かなと。
500:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 01:05:40.52 FRVbSsB00.net
曹洪は序盤の活躍が半端ない
少なくとも官渡あたりまでは夏侯淵や曹仁よりも重要な役割を果たしている
ただ残念なことに、品行があまり良くなかったり人の上に立つタイプではなかったせいか人材の層が厚くなってくると次第にフェードアウトしてしまった
501:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 10:01:25.25 CzBduDlx0.net
魏は名将が多すぎて過小評価されてるのは結構いる
国力の差がって意見もあるけど
502:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 10:40:42.28 BHgD9PWiI.net
三国時代に入ってからなら、国力差って理由で魏将のハードルが上がって、夏侯尚や王昶クラスの名将でも脱落してしまうのは分かりますけど、
曹洪が活躍してた頃に、国力差なんて要素は無いと思うんですよね。
というか、その圧倒的な国力を誇る魏という最強国を創り上げたのが、後漢末期の曹操軍なんですから、名将だらけになるのはむしろ当然な気がします。
503:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 21:15:09.63 wTiBzkbi0.net
>>499張飛と曹洪を比較するのは無理があると思う
張飛の長板での活躍は武勇を示すものであるのに対して、曹洪は曹操に対する忠義を示すもの
張コウとの戦いも張飛の場合は張コウを撃破して大勝、曹洪の場合は防いだだけで(これでも十分凄いが)張コウが降伏したのは讒言によるもので曹洪の功績とするには微妙
まあ、それでも失点が少ないし名将だと思うけどね曹洪
504:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 22:43:41.48 zOUk2f3n0.net
長坂の殿軍は相当評価していいはずだよね
殿の任務を成功させて尚且つ自分も生きているなんて、軍が瓦解寸前の撤退戦では珍しいこと。
505:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/10 22:50:39.32 BHgD9PWiI.net
>>503
たまたま比較しやすかったから張飛を持ち出してみただけで、深い意図は無いのですw
裴松之も疑問を呈していますが、張郃が降伏した原因は讒言ではないとされています。張郃が勝手に降伏したせいで袁紹が大敗したなんて張郃伝に書けるわけないので、あんなふうに書いてあるのだそうです。(三国志集解)
張郃が降伏を決断するまで曹洪が防ぎ切れなければ、袁紹が中原の覇者になっていたと考えれば、曹洪の功績は非常に大きいかと。
袁氏の本拠地である鄴を攻めた時もそうでしたが、曹操は自身が本陣を離れる時は必ず曹洪に任せていますしね。
なぜか曹洪の功績って曹洪伝に載ってないことが多いので分かりにくいのですが…。
506:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/11 00:36:44.07 lufhKLlY0.net
張郃の降伏は必然だと思うがなぁ
曹操の本陣を攻めることに反対していた張郃をその本陣攻めの主将に据えたっていうことは、もし成功すれば献策が間違っていたことになるし失敗すればその責を負わないといけない
完全に詰みでしょ
507:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/11 00:46:01.61 Eu4NeyqA0.net
議論漏れチェックね
とりあえず三国時代は都督の変遷を調べてみたが、まあ未だ議論されてない連中で確定枠狙えるほどの名将は流石にいないかな?
西方面軍司令官(都督雍涼二州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220~231年:曹真(222~231年:都督中外諸軍事)
231~238年:司馬懿
238~243年:趙儼
243~249年:夏侯玄
249~255年:郭淮
255年:陳泰
255~262年:司馬望・鄧艾
262~264年:鍾会・鄧艾
南方面軍司令官(都督荊州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220~225年:夏侯尚
225~227年:(裴潜・文聘)
227~231年:司馬懿(都督荊豫二州諸軍事)
231~24?年:(胡質)
24?~259年:王昶
259~261年:王基・州泰
261~263年:鍾毓・陳騫
東方面軍司令官(都督揚州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220~228年:曹休
228~238年:満寵
238~240年:(王淩)
240~251年:王淩
251~253年:諸葛誕
253~255年:毌丘倹
255~257年:諸葛誕
257~259年:王基
259~268年:石苞
508:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 08:38:06.45 XppTvYFX0.net
諸葛誕の「狗」って貶し言葉だっけ?褒め言葉だっけ?
509:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 08:57:12.61 DG3qFnyn0.net
>ここでの「狗」は「功狗」、「功ある者」の意味で、つまり彼への賞賛であり、魏・呉での名声は高かったという。 by Wikipedia
だそうだ
510:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 09:08:46.70 XppTvYFX0.net
へぇ、Wikipediaでそういう有益な情報が載ってる記事もあるんだね
正史を雑に簡略化しただけの粗末な記事が多かったから今まで無視してたけど
511:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 09:17:51.43 DG3qFnyn0.net
めどいんでWikiからコピってきたけど一応出典は世説新語ですん
>此所謂 乃功狗之狗 謂如韓盧宋鵲之類 雖非龍虎之比 亦甚有功於人
まぁつまり後世の創作エピソードの可能性大ですわw
512:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 09:38:40.12 XppTvYFX0.net
あ、そうなのね・・・でも名声が高かったのは事実みたいよね
死罪を犯した者でも助けるというアレな行動のおかげか部下から慕われ、最期は田横の故事に例えられたと
まあ曹叡からは、名声だけの愚物扱いされてるし、実力が伴っていたかは甚だ疑問だが
513:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 10:20:45.96 wFBRAOV3O.net
諸葛誕は評価的に中々複雑な人物だよね。
良い所もあれば悪い所もあるという、言わば人間らしい人物。
514:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 10:56:32.63 XppTvYFX0.net
王淩→行政官として有能
毌丘倹→将軍として有能
諸葛誕→?
515:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/12 13:24:02.40 wFBRAOV3O.net
名声はあるが、将としては「桂馬の高上がり」…かな。
516:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/13 09:25:56.02 YICAaYYOI.net
州泰と石苞は中々の名将だな
同時期の鄧艾と王基がズバ抜けてるせいで相対的に地味に見えるけど
517:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/13 16:56:33.30 MdmonXK/0.net
王基とか杜預世代の三国末期の人間が、于禁とか張飛とか、後漢末期の名将をどう考えてるのか気になってたけど
年代的には今の若者が第二次世界大戦で活躍した将軍を想うのと、同じような境遇なんだな。
518:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/13 17:14:29.82 YICAaYYOI.net
于禁や張飛は軍部のほぼ頂点にいた歴戦の将軍なわけで、まさに「建国の大功臣」だからな
まあ于禁は魏建国の功臣を祭るイベントでハブられてた気がするがw
519:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/13 17:43:29.72 b1FNhU1HO.net
>>517
そう言われるともう読み物の中の人間達って感じだなw
後漢末の動乱から三國時代までひとつの時代として見ていたが、言われてみるとそんなに世代が違ったんだと改めて実感する。
520:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/13 19:13:39.38 3GIyhGsi0.net
司馬炎が即位したのが曹操生誕110周年記念の年だからなぁ
今から110年前っていうと鄧小平が生まれた年だからもう歴史上の出来事と言って差し支えないよなぁ
521:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 09:30:52.22 tXrSv6hE0.net
19人目の確定枠が夏侯淵
20人目は誰?
522:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 10:14:05.24 RjObedBt0.net
毌丘倹でもういいんじゃないか?
523:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 10:38:15.92 tXrSv6hE0.net
やっぱりカン丘倹か
俺もそれに一票
524:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 20:00:47.45 P2qOvnWF0.net
今確定枠ってどうなってんの?
>>2に夏侯淵と誰を足して19人?
525:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 20:28:18.02 tXrSv6hE0.net
なんでそんな質問が今更出てくるのだ
スレ読み返せばわかるだろ
半年ROMれ
526:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 20:48:54.07 tXrSv6hE0.net
って、どうやら半年ROMってなきゃいけないのは俺の方だな
今スレ読み返してたら確定枠なのにsageられてるヤツが多すぎて、どこまでが確定枠なのか理解できなくなってきた
527:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 21:42:30.24 k7WLnmjo0.net
最後までひとりよがりの我儘ぶっこいた奴の妄想が確定枠だよ。
528:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/14 22:23:37.75 LE/K8M4K0.net
後漢と強姦って似てるよな
529:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/15 00:03:54.36 sGRBBXbZ0.net
現代の私立文系でも名将や名軍師になれる能力などたかが知れている
530:2
14/03/15 00:23:24.54 SEpiymYt0.net
暫定意見に対して、異論が出るかどうか。異論に対して反論が出るかどうか、その反論に対して切り返せるかどうか。
議論スレですから、そうやって決めていくしかないと思いますよ。よって、「ひとりよがりの我儘」などが通ったことは無いかと。
>> 259の時点で確定枠を
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 (毌丘倹) 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
と一旦整理させて貰ったのですが、
ここまではこのスレの結論として良いのですよね?(違うのでしょうか?)
夏侯淵や張飛を落選させる動きも一時的にあったようですが、結局は確定枠に落ち着いたと捉えていました。
この時点で19枠(残り5枠)、紆余曲折を経てあまり議論自体は進んでいないようですが…。
今は20人目として毌丘倹を昇格させる流れになっている(?)みたいですね。
531:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/15 00:46:03.35 E7rpX6xi0.net
>>530
確定枠に異論はありません
昇格に関しては、議論枠中だと臧覇、毌丘倹かなあ、功績から考えると
532:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/15 12:44:23.47 +TZIelqs0.net
>>1000近くになると意図的にスレの延命処置的に
暴れだす奴が出てくるよ。
何故か、その時はそういうヤツへの賛同も増えてしまい
「結論は出なかった、次スレへ」という茶番劇のループ。
533:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/15 13:44:49.73 wJlhWuRA0.net
結論を出すことが目的ではなく、議論を楽しむスレなんで。
534:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/15 14:05:40.40 AMjuj1T00.net
24人が決定して目出度くスレ終了、さようなら、というのが嬉しいかといえば微妙ではある
535:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 12:03:05.47 z/B8wfNs0.net
ランキングには影響しないけどあいつも結構名将だったなーとか駄弁るのが良い
536:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 12:32:01.21 tIcquune0.net
もう名将談義スレでいいんじゃね?
ランクを決めて締めにしないんじゃ選出する意味がない・・・。
537:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 13:21:44.43 /GAlMs2C0.net
どうせ誰にも異論がない形での確定なんてできやしないでしょ。
ある程度の枠を決めて議論したり雑談するのが面白いんじゃん。
538:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 13:44:16.22 AUFjG4Se0.net
正直カン丘倹まで確定にしてはいいと思うけど後4人を選ぶのって難しすぎる
539:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 17:53:16.62 OXDXvOHi0.net
>>538 同意だな
たまに混ざってくるニワカは論外としても、
正史三国志(や後漢書や晋書)という同一史料を元に議論してるのにここまで18人目以後が停滞するってことは、
要するに三国志の名将がそのくらいしかいないってことだろ。
>>462がわかりやすいけど、
なんかもう名将を選ぶというより残り物(というか同程度の良将が揃ってる魏)から個人的にマシだと思うのを選ぶみたいなノリになっていきそう。
540:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/16 20:41:55.07 jDfL+XGK0.net
勝敗、実績重視だと終盤は魏(晋)以外からは選べないしなぁ
でも、陸抗や姜維等と較べて同条件でも上か、能力的に上かといえば何とも言えず、どうにも低調に
541:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 01:10:44.75 VK5n57GlI.net
蜀は劉備と張飛と諸葛亮、呉は周瑜と呂蒙と陸遜
魏の一線級と比較しても遜色無い名将が、三人ずつもいると言うべきか、三人ずつしかいないと言うべきか
蜀も呉も他の面子がイマイチすぎて、四人目と言い切れる存在がいない気がする
人によっては関羽や孫策、姜維や陸抗なんかがそれに当たるんだろうけど
三人目までと比べて、なんか急激にランク下がった感が否めない
542:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 14:13:01.62 MI/M7EVJ0.net
劉備の軍事能力って過小評価されてるがめちゃくちゃ場数踏んで只者ではない老獪さも持ち合わせてる
同じような条件下なら何人が勝てるかどうかクラス
543:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 15:30:23.87 HjwgH5gK0.net
そりゃ曹操が唯一認めてる英雄だしねえ。
544:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 15:52:27.17 U22nLcnz0.net
劉備自身、曹操が直接率いている軍以外には基本的に必勝だと思ってた節があるし、それが過信ともいえない実績だわな
まぁ、劉備も曹操も負けるときは負けるけどもw
演義や光栄ゲームどっぷりという人だと意外に思うのかも知れないけど、このスレだと別に過小評価はされてないね
545:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 15:55:59.13 VK5n57GlI.net
>>542
いつ劉備の軍事能力が過小評価されたのさ…
このスレにそんな演義脳のやつおらんでしょ
546:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 16:02:05.61 VK5n57GlI.net
>>544
劉備を寡兵で粉砕できるほどの名将は、後漢末では曹操と曹仁の二人だけだろうと思う
高順の時は兵力不明でよくわからん
長阪も含めれば曹純もカウントされるのかもしれんが、あの時の劉備軍って実態は5000未満だろうしノーカン?
547:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 17:23:58.73 EQNiSX5R0.net
夷陵の敗戦は無かったことにされてるの?
名将と言っても、寡兵を率いた兵隊長くらいが見合ってる人だと思う。
戦術的な用兵も苦手なように思えるし、現場指揮官的な印象。
ネットでは劉備を名将と言わなきゃ即にわか認定みたいな、右に習え的な風潮があるけどさ。
548:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 17:31:55.21 HjwgH5gK0.net
夷陵の失点を遥かに上回る加点があると判断されてるからこその名将評価でしょ。
破った敵将の名前を並べてごらんよ。
相手より国力で劣る情勢なことも多いのだし、これで名将じゃなかったら
どれだけの数の三国志の名将が名将と言えなくなるのかって感じだと思うけどなあ。
549:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 18:24:15.04 M5iWDRYz0.net
劉備の軍事能力って関羽の能力込みじゃないのか?
550:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 19:37:49.91 U22nLcnz0.net
そりゃあ麾下の各将や近い位置に居る同格の将・部隊の存在等は常に影響が在るだろうけど、そんなもん全員が全員そう
1つの要素、状況ではあるけど、明確に排除して考える事なんて無理だから別にいいわ
数千、数万の軍を長期間動かす以上、下級官僚的な連中の能力も大きく影響するけど、それも計れるものでもないしなぁ
551:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 19:43:07.97 enSjc4Hr0.net
劉備は勝つときは勝つけど負けまくってるイメージ
552:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 20:05:34.25 VK5n57GlI.net
劉備は最期の陸遜戦を除き、自分から仕掛けた戦いには必ず勝ってる
自ら切り取った領土も曹操の次に多いし
特徴としては、やたら長期戦が得意ということと、敵地の奥深くに食い込んでも自分の優位を保てる謎の戦場構築能力
逆に、仕掛けられた戦い、というか騎兵による急襲には弱い
だから中原で曹操軍(曹仁)や呂布軍(高順)と戦うと負けてる
曹操軍との戦いでも漢中での山岳戦では完勝してるのに
553:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 20:07:36.31 ll/lylEI0.net
>>551
逆じゃね?
554:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 20:20:38.87 VK5n57GlI.net
>>547
そもそも劉備を寡兵で撃退したからこそ、陸遜は名将と言われてるのに
劉備が名将じゃないとか言い出したら、陸遜の武功が8割くらい消滅してしまう
そうなったら陸遜は、呉で三人目の名将としての地位すら危うい気が
>>549
入蜀の時も夏侯淵討伐の時も曹操撃退の時も関羽はいないんだが?
555:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 20:45:49.75 HDt9ogcv0.net
名将としての地位もなにも勝手にこのスレで決めてることだろ。
元よりこのスレ自体が歴史的事実を無視することを容認してる上で成立してるわけだから
拗れた話は纏まらんよ。
556:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 21:23:26.64 VK5n57GlI.net
>>元よりこのスレ自体が歴史的事実を無視することを容認してる上で成立してるわけだから
関羽厨ってなんでこんなにキチガイなの?
ヤバくね?
557:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 21:31:01.01 HDt9ogcv0.net
どうした?このスレのルールを述べただけだろ、俺は。
558:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 21:33:01.97 U22nLcnz0.net
なんだこの人w
559:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 23:51:04.60 wcWUtIPZ0.net
>>549関羽が居ない時の方が劉備の勝率高いのに?
560:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/17 23:55:03.15 wcWUtIPZ0.net
>>554夷陵の戦いってだいたい兵力が互角か、あるいは劉備側の方が少ない可能性もあるんじゃなかったっけ?
561:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 00:05:12.15 v8iVDcck0.net
>>557 お前の言う歴史的事実って何なの
562:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 02:25:11.00 g7yQgT4H0.net
劉備は名士参謀陣がいた頃は、快調だったのに参謀が消えた瞬間夷陵だからなぁ。
参謀作る前は、寡兵で流浪して匹夫の勇で戦ってただけだし。
大軍を率いた事が無い&率いた瞬間負けたのは事実だし、寡兵を率いれば強いけど大軍は苦手な名将と言ったところか。
563:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 02:35:55.41 bdhgi+Ii0.net
甘寧と間違ってるかのよう
564:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 07:38:20.13 v8iVDcck0.net
夷陵の戦いって当初は劉備が連戦連勝してたのに、大軍率いた瞬間負けたってどういうことだ
565:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 09:12:41.69 g7yQgT4H0.net
>>564
勢いで攻め上がっただけでしょ。
でも大軍の運用方法知らなかったから、陸遜に隙を突かれて撃破された。
566:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 13:29:35.45 Sf7Rypus0.net
夷陵の戦いも、序盤は優勢だったからな
演技と同じく
もしケイ州を分捕れたらまた違う三国になってたかも
567:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 15:33:16.67 gek3L9hDO.net
諸葛亮の戦略構想が成就した上での北伐が可能というわけか。
568:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 23:44:47.26 fZE5L2Mi0.net
大軍ってどのくらいの兵数を言うのよ?
入蜀や漢中で夏侯淵、張郃や曹操と戦った時は大軍とは言わないの?
569:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 01:11:01.38 YyQ0TzQq0.net
結論が完全に決まっていて、勝ったら勢い、負けたら実力という人に何を言っても…
570:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 02:24:20.25 Z4WFp4To0.net
夷陵の戦いの兵力は蜀が4万、呉が5万
実は呉軍の方が数が多い
漢中の戦いは兵数がわからないが
諸葛亮が劉備に援軍を送った事から
夷陵より数が多そうな気がする
571:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 04:52:43.84 gtKV8XrNO.net
夷陵の戦いでは、呉は拠点の殆どを蜀軍に陥とされ、絶体絶命のピンチに乾坤一擲の火計で大逆転。
この陸遜にしても赤壁での周瑜にしても、ここ一番での火の使い方が実に上手いね。
そしてピンチから一転しての大逆転の鮮やかさが、日本の「桶狭間」を見ているようだ。
572:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 09:44:07.01 yJt8qk1+0.net
話変わるけど、記録の残りにくい敗者(三国外)と、記録の残ってる勝者(魏蜀呉)を、同一基準で比較するのは無理があるんじゃないの
つーか、三国外勢力に不利すぎ
徐栄や麴義や黄祖なんて、列伝どころか付伝すら無いわけだし
極論すれば、敗者だから名将じゃないと言えなくもないのかもしれないけど
別枠で三国外名将○選とかやった方が逆に公平になると思う
573:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 14:32:31.92 AxRGH6CH0.net
それ言ったら蜀成立以前の劉備軍だって記録があまり残ってないわけだし
574:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 18:37:36.65 GJutpD/u0.net
むしろここで妙に評価の高い張飛なんて指揮官としての具体的な功績は張郃撃退くらいしかないんじゃね?
575:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 18:39:33.42 GJutpD/u0.net
おっとミスった、こっちか
>張郃
576:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 18:48:03.05 LWFMMNuE0.net
入蜀と曹操の荊州侵攻の際の殿とかもだな
577:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 19:03:24.42 GJutpD/u0.net
長坂では実際には戦ってないしなぁ
入蜀も「平定した」ってあるだけで何したか全く分からんし
578:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 19:38:12.58 yJt8qk1+0.net
ID:GJutpD/u0が正史を読んだことないってことだけは分かった
張飛伝の四分の一は入蜀戦の記述なんだが…
579:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 19:45:00.79 3zaTekXi0.net
厳顔を撃破した張裔を破った通過する場所全てで勝利収めた
法正に「張飛の数万の軍勢が既に巴東を平定し~」と脅しの材料に名を使われる。
十分だろ?
580:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 21:12:05.51 GJutpD/u0.net
「具体的な功績」というのは勝った負けたではなくどう勝ったか、どう負けたかという意味で書いたつもりだったので言葉が足りなかったのは申し訳ない
勝った負けたでいいなら徐栄だって麹義だって十分に記述があるしな
581:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 22:40:34.68 V2DEdr9gO.net
張飛と関羽は保留で
582:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/19 23:07:33.70 8Xj90HxR0.net
張飛道連れにすんなや義兄
583:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 01:04:51.11 GTZuDHKw0.net
張飛は確定でいいでしょ。
584:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 05:32:04.88 nX7K5/ijO.net
張飛贔屓にすんなや義兄
585:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 11:48:12.24 7WTwfetPI.net
李傕と郭汜って意外と武功多いんだな
586:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 13:19:39.99 S4TL4G+10.net
張飛は別に評価高く無いだろ。
というかこのスレの初っ端から批判されてるじゃん。
どっちにしろ、24人の中には入る将軍だと思う。
587:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 16:19:14.92 dSuKpTiu0.net
残りの二十四選の候補に、呉の朱然を推したい
曹真・夏侯尚・張コウの魏の名将達に攻撃を受けながらも江陵を守った手腕は凄いと思う
588:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 16:22:34.55 GTZuDHKw0.net
>>585
郭汜なんかは結構な猛将だったみたいだしな。
まあ董卓一派は諸悪の根源扱いだから歪められてる部分も多そうだけど。
589:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 20:24:56.19 7WTwfetPI.net
朱然の江陵防衛戦はたしかに凄い
が、それ以外に大功が無い気がする
朱然伝だけ見てるとわからんけど、意外と敗戦も多いし
590:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 20:56:08.09 sApA2nmH0.net
それこそ戦の結果だけなら赫々たるもんですよね李カク
呂布・徐栄・朱儁を破るとか
591:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 22:14:39.81 7WTwfetPI.net
>>590
劉焉馬騰の軍も、李傕郭汜に壊滅させられてなかったっけ
592:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/20 23:25:17.82 nX7K5/ijO.net
涼州の将兵の、戦場での強さの由縁とは何だろう
593:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 00:00:04.49 D6BmNuG7O.net
>>590
賈クのおかげって事は無い?
594:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 00:12:52.10 MpwJFRjR0.net
>>592
安直な話だけど、やっぱり騎兵の質じゃないかな。
塞外や西域の遊牧民族と絶えず抗争してるんだから、精鋭も揃ってるだろうし。
騎射なんて西か北の人間じゃないと滅多にやらないしな。
あと関西や塞外の人間は儒教の理の外にいるから、意識の違いってのもあるかもしれない。
中原なんかの人間とは倫理観が違う狂犬のような人物も多いしさ。
595:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 02:27:15.22 5muK4n3dI.net
でも最強の烏丸と言われた遼西の蹋頓は、曹純の馬術に負けて斬られてるしな…
曹彰や田豫牽招や梁習も、烏丸や鮮卑や匈奴をボッコボコにしてるし
中原の騎兵が、北や西のそれに劣るとも一概には言えないんじゃないか
596:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 03:02:42.99 MpwJFRjR0.net
>>595
べつに反論ってわけではないんだけど、その辺は戦略や戦術もあるんじゃないかな。
以夷制夷って言うんだっけ、互いに争わせて連合させないって戦略も効果を発揮していたし、
田豫なんかは調略もかなりやってたじゃない。
もちろん騎馬でも塞外民族に負けない優れた将軍がいたことも確かだけどさ。
597:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/21 23:11:51.93 5muK4n3dI.net
そういえば張既は軍政だけじゃなく軍事にも大活躍してるが、議論枠にも入ってないのな
曹洪や夏侯尚の時も思ったけど、魏将ってハードル上がりすぎじゃないの…?
598:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/22 00:32:19.33 ajY/brnQ0.net
魏志武将列伝
後漢末期
武帝紀:曹操
二公孫陶四張伝:張繍
諸夏侯曹伝:夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪
鍾繇華歆王朗伝:鍾繇
程郭董劉蒋劉伝:程昱
劉司馬梁張温賈伝:劉馥・梁習・張既
張楽于張徐伝:張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
二李臧文呂許典二龐閻伝:李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐徳
任城陳蕭王伝:曹彰
三国時代
文帝紀:曹丕
明帝紀:曹叡
諸夏侯曹伝:曹休・曹真・夏侯尚
劉司馬梁張温賈伝:賈逵
満田牽郭伝:満寵・田豫・牽招・郭淮
徐胡二王伝:徐邈・胡質・王昶・王基
王毌丘諸葛鄧鍾伝:王淩・毌丘倹・諸葛誕・鄧艾・鍾会
蜀志武将列伝
後漢末期
先主伝:劉備
関張馬黄趙伝:関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲
劉彭廖李劉魏楊伝:劉封
三国時代
諸葛亮伝:諸葛亮
劉彭廖李劉魏楊伝:魏延
黄李呂馬王張伝:李恢・呂凱・馬忠・王平・張嶷
蒋琬費禕姜維伝:姜維
呉志武将列伝
後漢末期
孫破虜討逆伝:孫堅・孫策
劉繇太史慈士燮伝:太史慈
宗室伝:孫賁・孫輔
周瑜魯粛呂蒙伝:周瑜・魯粛・呂蒙
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝:程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統
朱治朱然呂範朱桓伝:朱治・呂範
賀全呂周鍾離伝:賀斉
三国時代
呉主伝:孫権
宗室伝:孫韶・孫桓
張顧諸葛歩伝:諸葛瑾・歩騭
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝:徐盛・潘璋・丁奉
朱治朱然呂範朱桓伝:朱然・朱桓
陸遜伝:陸遜
賀全呂周鍾離伝:全琮・呂岱・周魴・鍾離牧
潘濬陸凱伝:潘濬・陸凱
諸葛滕二孫濮陽伝:諸葛恪
未だ議論漏れは結構ありそう
599:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/23 18:45:25.65 KBLomYu+0.net
臧覇の評価が低いのが気になる
後漢末に限って言えば、曹軍の異姓武将では張郃徐晃よりも臧覇の方が、重要な働きと武功を重ねてると思われるのだが
昇進スピードや仮節タイミングを見ても、張遼楽進于禁>臧覇>張郃徐晃
張郃は三国時代になっても大活躍しているから確定枠なのはわかるが、徐晃が確定枠なのに臧覇が議論枠なのは何故なのだろう
600:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/23 20:28:27.78 pGOsvu4x0.net
臧覇は確定枠でもいいんだろうけど、魏将のハードルの高さが影響してんのかね。
剛胆な猛将だし、徐盛に負けたのと晩年の疑われる行動以外に欠点もないのにな。
演義であまり出番がないせいでゲームなんかでも微妙な扱いだし、地味なイメージなのかねえ。
601:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/23 20:58:48.67 KBLomYu+0.net
>>600
臧覇が徐盛に負けたことなんてありましたっけ…?
臧覇伝にも徐盛伝にもそんなことは書いてないような
呉主伝には「臧覇が徐陵を襲撃して数千人を斬首捕獲したので、全琮と徐盛に追撃させて数百人を斬首捕獲した」とある
これを以て「臧覇が徐盛に負けた」とするのは無理があるのでは
更に細かいことを言うと「全琮と徐盛」と書いてある以上は、全琮の方が主体かと
602:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/24 00:11:25.68 8KipXWwwI.net
徐盛はなぜかコーエーとかでの評価は高いんだよな
張遼戦で味方(賀斉・潘璋)の足を引っ張りまくったことは無かったことにされてるのかしらん
603:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/25 14:45:19.94 4gDTIvi30.net
三国外勢力での最強は、
北:麴義
中:呂布
南:黄祖
ってのがスレでの評価だけど、戦績で言えば呂布よりも郭汜が上だよね
604:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/25 15:53:47.11 oY9PHVE30.net
呂布は勝ったり負けたりムラが大きい
605:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/25 19:20:47.19 4gDTIvi30.net
誰か一番の名将なのかすらハッキリしない旧董卓軍(徐栄 呂布 李傕 郭汜)や、
勝ってるのか負けてるのかよく分からん戦いばかりやってる黄祖はともかく、
明らかに河北最強の麴義がなんでまだ確定枠に昇格できてないのかが疑問だったり
URLリンク(www.project-imagine.org)
最後の負け(?)と死に様はちょっとマイナスだけど、プラスの方が圧倒的だから勘弁
606:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 07:18:10.70 FmVc+Mqg0.net
単純に「三国」には当てはまってないからじゃね
607:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 13:26:33.78 LMmkNtsW0.net
コウソンサン、タイシジあたりは議論枠にも入らんの?
608:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 13:39:49.97 WY44DLCQ0.net
>>607
むしろどうやったらその二人が議論枠に入れると思ったのか
太史慈なんて三国志名将50選でも入れるか怪しいだろw
武人24選とかなら入ってくるんだろうけど
609:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 16:59:35.48 1Cc+K3Oy0.net
董卓は議論枠に入っても良いよな?
610:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 17:45:44.73 6a93kpMX0.net
董卓は敗者側の人間だから悪く書かれてるし、判断が難しいんだよな。
ほとんど一代であそこまで成り上がったこと、人事や立ち回りを見る限り並みの人間ではないと思う。
黄巾戦や、その後の羌族戦での敗戦をどう見るかだな。
まあ黄巾戦では、戦果を挙げて中央に招集されて軍を没収されたくないから、
敢えて負けて地元に割拠し続けたと見る人もいるようだし、
羌族戦でも唯一董卓の軍だけが大きな損害を受けずに勢力を保ち続けたし、
弱くて負けたというよりも政治的な駆け引きっぽいのがな。
議論枠には入ってて良いと個人的には思う。
611:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 18:46:56.13 EMZ1Akri0.net
>>602
コーエーのは演義基準だからな。
細かいことなんて気にしないのよ。
商売は売れてナンボだからね。
612:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 18:52:18.66 WY44DLCQ0.net
董卓は群雄割拠以前における軍事の天才だけど、議論枠は無理じゃね?
董卓が嫉妬した名将皇甫嵩ですら、雑魚専ってことと空気化のおかげで議論枠
董卓が畏怖した名将孫堅にしても、武功の少なさと黄祖戦の敗死により議論枠
董卓がこの二人を超えることは有り得ない以上、わざわざ議論枠に追加する意味は無いんじゃないかと
613:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 19:24:43.48 0zb0hbry0.net
>>611
>コーエー能力値(笑)
そそ。演義基準。
あと人気どころの武将の能力値は基本過大気味に盛ってるよね。
614:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/26 19:42:10.50 XFu31Cpv0.net
まぁ日本に限らずごくごく一部のヲタ以外にとっては三国志=演義だからそれが正解なんだよな
元々人気があったりマンガ等のヒットで旬なキャラなんかは、能力を盛って盛り上げるのも業界とってプラスだろうし
615:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/27 00:09:58.87 cJ3yx+1/0.net
呂布を寡兵で撃退した臧覇ですら未だ議論枠なのに、呂布の出る幕なんて無い
呉の四人目を選ぶなら孫策か朱然かな
孫堅よりは孫策だろうし、三国時代では朱然が第一候補でしょ
616:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/27 09:53:14.82 c+YhG2zQ0.net
俺は孫策より孫堅と思うな。黄祖は不運だし
617:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/27 11:07:33.28 cJ3yx+1/0.net
不運じゃなくて自業自得の必然でしょ
大した意味もなく不用意に単騎で突出してたんだから
これを不運で片付けるのは贔屓が過ぎる
まあ孫策も似たようなことやってるけど
許貢残党襲撃時はダメだったけど、太史慈エンカウント時は切り抜けてるし
太史慈の時に孫策が死んでれば孫策の評価は更に下がってただろうし、200年の暗殺も切り抜けれてば評価は上がってただろうし
大将が不用意に突出する以上は、それへの対処も実力の内でしょ
関羽がもし顔良斬りに行って戦死してたらただのバカじゃん
孫堅の単騎徘徊はそれと同じ
618:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/27 17:40:27.74 AzZ3eK4v0.net
水準以上の運なんて名将の前提条件で、本当の意味で不運なら名を残す前にあっさり死んでる
そもそも不運、悲運とされる死に様も、大体は致命的な見落とし、不注意のせい
矢傷等と無関係な病気により夭逝はまぁ「不運」に入ると思うけど、そっちは運云々では語られないんだよな