14/02/18 16:30:16.08 QBxGN6QY0.net
読み返してみると、関羽と孫策はまだ議論の余地がありそうですね。
纏める方向で再整理。
・確定枠(残り5枠)・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
蜀:関羽
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麴義 呂布 黄祖
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉 陸抗
晋:杜預
260:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:24:29.61 Jv8aH0G70.net
いつの間にか夏侯淵が確定枠に入ってる!?
261:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:50:05.08 CTJj3cUmO.net
5つも枠が有るなら、いつもの2人を入れてあげてもいいんじゃない?
さすがに議論枠の中では上の部類でしょ。
262:2
14/02/18 21:39:06.01 QBxGN6QY0.net
夏侯淵はスレの流れ的に確定かと判断したことと、最終的に24選から漏れることは無さそうなので入れましたが、異論が多く出るようなら外して下さい。
263:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 21:50:44.70 eZtZzRc40.net
夏侯淵は入れるという話題にすら上らない
議論するまでもなく現状では枠外なんだぜ
264:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:13:03.68 PqlIwZYi0.net
関羽はともかく、夏侯淵は明確に敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く、その実績の大部分がその「寄騎」によるものなので永久に除外していい。
漢中で失敗した夏侯淵が入るなら、揚州を全うした夏侯惇が確定しないと矛盾していておかしい。
265:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:47:52.11 +72BEB5IO.net
郭淮、杜預あたりは確定枠に入れてあげてもいいんじゃ?
鍾会も戦略家としては一流だけど…剣閣抜けなかったり、トウ艾に出し抜かれたりが響いてるのかな。
266:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:51:28.79 Jv8aH0G70.net
>>264評価よりもやっぱ実績を重視すべきだろ
当時の評価が間違っている可能性もある
関羽は評価はかなり高くても実績はたいしたことが無い
同じく夏侯惇も敵を撃破した実績が少ない
267:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:13:47.72 cb16Q+Xw0.net
夏侯淵程の功績を残した人物は議論枠にはいないだろ
他人の評価なんて名将か否かに何も関係しないだろ
他人の評価で功を立てる訳じゃないんだから
268:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:18:46.73 BchvawFa0.net
夏侯淵の話題は前スレからずっとちょくちょく出てるし、確定枠だった時期もあるんだけど
>>264
その程度で「永久に除外していい」とまで言うのは極端すぎて荒らしとしか思えないんだが
夏侯淵を永久除外してまで誰を入れるのかという気も
実績の大部分が「寄騎」ってのも見方がおかしいでしょ
徐州で張遼于禁の援軍→青州で楽進の援軍→揚州で諸将の領軍→并州で徐晃の護軍→雍涼で張郃徐晃の護軍→益州で張郃徐晃の都督
領軍護軍は寄騎なんかじゃなくて司令官ポジションなわけで、夏侯淵が最も活躍していた時期は張郃徐晃らを率いる立場
だいたい曹操軍で前線の主役はあくまで五将軍、特にその中で上位三人への寄騎なわけで、夏侯淵が主体になりにくいのは仕方ないだろ
五将軍以上に前線で暴れてた曹仁がいるせいで夏侯淵が劣って見えるのかもしれんが、それが夏侯淵が名将でない理由になるのか?
夏侯惇は孫権が臣従したタイミングでの赴任だから攻め込まれてもいないので、方面軍司令官としての比較対象にはならない
>>265
郭淮は諸葛亮や魏延にハッキリ負けているし、鍾会や杜預は完全に一発屋・・・
それに杜預の侵攻作戦も鍾会に劣らず全体的にはけっこうグダグダ
あれだけ大規模な作戦だから仕方ない側面もあるだろうけど
269:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 01:29:12.42 slN1UdWu0.net
議論なんかどうでもよくて自分の考えが正しいと言いたい人がちらほら
他人の評価云々なんて直前の関羽で散々出た話題なのに
>敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く
なんて言ってる人は間違いなくスレを読まずに書き込んでる
270:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 10:59:01.96 LEP+piqU0.net
中国英雄板の三国志について語るスレが実質的にここだけなんだから、
そこまで選出に拘ったり、定義や意見でいがみ合ったりする必要無いじゃん。
271:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:00:29.97 hxiCxR6+0.net
>>270
「選ぶスレ」なんだから、ある程度選出には拘らなあかんやろ
選出が終わったら、語るスレにでも移行すれば良いんだし
言葉が汚くなったり挑発的な物言いになってしまうのは、まあ各自が自重するしかない
俺もよくそうなるけど
定義といえば誰も触れないが、皇甫嵩は議論枠からも除外して良いんじゃないのか?
皇甫嵩が活躍してた時代って三国の影も形もないし
中央の統制が崩壊して群雄割拠が始まるのは、あくまで反董卓連合からなわけで
麴義や呂布や黄祖は、群雄として三国建国者や他の群雄と鎬を削ったから「三国志の名将」に選ばれる資格はあると思うけど
皇甫嵩が戦った群雄候補なんて韓遂くらいしかおらんし、韓遂を滅ぼしたのは皇甫嵩じゃなくて夏侯淵だしで、なんかもう…
と個人的には思うが、皇甫嵩を24選に推したいって人ってけっこう居たりするんかな
272:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:35:37.81 YV+BRl+B0.net
このスレは選ぼう、絞ろうという方向に行こうとすると、荒れるか人が去るんだよなw
名将雑談スレくらいの緩さの時が最も伸びる
273:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 13:04:00.40 c7yMOxiQO.net
そうだね、誰かが提案して、それに対し誰かが反対意見を出し、更に誰かが賛成意見を出す時に示される各々の理由、そういうのを論じ合うのが楽しいのかも。
でも結論を出して行くなら、誰か裁定人が必要かも。
でないと議長の居ない会議、田原総一郎の居ない『朝まで生テレビ!』状態が続くかと。
274:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 14:40:22.01 42z939nA0.net
三国志を184年から数えるか、189年からにするかの見解の違いはあるかもだけど、
一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし、皇甫嵩も年代的には問題はないと思う。
まあ相手が烏合の衆だから、群雄割拠が成り立ってからの将の方が実績的には上かもだけど、
誰が最初の名将かを挙げるとしたら皇甫嵩になるんじゃないか、ってとこなのだろう。
275:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 15:37:11.51 hxiCxR6+0.net
>>一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし
これがわからない・・・
黄巾の乱って何のキッカケになったん?
黄巾がキッカケで群雄割拠したわけでもなければ、黄巾がキッカケで後漢王朝が倒れたわけでもなく、黄巾がキッカケで董卓あるいは袁紹や曹操が台頭したわけでもない
陳勝呉広や赤眉とは全く違うのよ、黄巾は
何のキッカケにもなってない気が
この時の働きが曹操孫堅劉備に与えた影響なんて殆ど無く
覇権争いで最初の主役となる二袁なぞ、ほぼ空気だったり
「184年」に囚われすぎなんでは?
276:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 17:42:13.25 42z939nA0.net
そりゃ赤眉の乱や黄巣の乱と違い、黄巾の乱が王朝を滅ぼした直接的な要因ではないからね。
でも、黄巾の乱以降、残党や流民が跋扈して治安が急速に悪化してて、
統制が取れなくなったことから、地方で実力者達が武装し軍閥化。
叛乱や軍閥の自立も頻発するようになった。これは董卓以前から始まってたことだよ。
そして治安悪化の影響で多くの民や知識人が荊州、揚州、益州などへ避難。
その影響で辺境の人口が増え文化水準が上昇。三国時代、呉や蜀が自立できた下地になってる。
乱自体は簡単に鎮圧されたし、乱そのもので誰かが政権を握ったりなどもなかったけど、
農民反乱ゆえに文化や民の生活などへの影響は強く、これにより後漢が完全に死に体になっている。
後漢の衰退を招き、乱世~三国時代の幕開けへの切っ掛けとなった事象だし、
王朝瓦解の決定的な契機は董卓だけど、三国志を語る上では無視できないものだと思うよ。
まあ三国志的に黄巾の乱で一番大事なのは、曹操や孫堅や董卓が表舞台に出てきたことなんだろうけど。
277:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:00:09.40 hxiCxR6+0.net
なるほど「軍閥化」のキッカケ・・・
そういう意味では大きな境界線なんですな、やっぱり
まあ後漢の衰退を招いたってのはちょっと違う気もするんやけど・・・
幼帝と外戚と宦官のスパイラルに嵌ってとっくの昔から勝手に衰退していってたのが後漢王朝って印象
鮮卑の大英雄こと檀石槐も黄巾より前にずっと暴れまくって尋常じゃない勢力圏を築いていたし
段熲が羌族を殲滅しまくってたり、張奐の下で董卓の名前が出たり、皇甫嵩の伯父が活躍したりしていた時期も、なかなか酷い
境界線となる時期は色々あって、完全に決定的なのが反董卓連合である以上はそれ以後の名将から選ぶべきだと個人的には思うのよな、あくまで個人的にはだけども
278:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:26:04.33 LEP+piqU0.net
なんで色んな時代でも、黄巾だけ成功せず、それどころか一瞬で鎮圧され後漢王朝の重臣が権力握っていったのか
1、蜂起を急ぎすぎた。民の不満が十分に溜まる前に誘発してしまった。
2、後漢王朝の将軍(コウホスウとか)が優秀すぎた。
3、張角が無能すぎた。
4、そもそも後漢王朝の腐敗は、中央政府に汚職や利権が蔓延ってただけで、地方や庶民の暮らしは大して悲惨じゃなかった。
どれだろ?田中氏も言ってたけど一年で鎮圧される民衆反乱ってショボすぎるよね。
279:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 22:03:10.44 hxiCxR6+0.net
んなもん、腐っても「王朝がまだ機能してたから」やろ
噛み砕いていえば「中央と地方の連絡がまだ取れていたから」か?
べつに皇甫嵩がおらんでも、盧植と董卓と朱儁と曹操でいつかは鎮圧したやろうし
中央と地方の繋がりが断ち切られて群雄割拠がスタートするのは、董卓が洛陽を焼き払って長安に引きこもってからやぞ
あれのせいで地方が好き勝手やり始めた
280:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:39:23.50 EicQxCrK0.net
仮に董卓前後からにしたとしてもあまり意味がないのでは?
皇甫嵩がエントリー枠に入るかどうかの違いだけで、このスレ的にはあまり変わらないのだから。
そもそも三国志演義ですら黄巾の乱からなんだし、そこは頑張っててもどうしようもないとこだと思います。
189年から始まるのなんて昔の三国志のゲームぐらいじゃないだろうか。
281:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:46:05.01 F61X+TqPI.net
皇甫嵩が入るなら時代区分だけじゃなくて三国外でもいいってことに広がるわけで、河北最強の麹義も当然確定枠に入るよね?
282:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 07:05:29.97 GchUNz0iO.net
うむ、時代的には候補に入っていいと思う。
時代は刻一刻と変わり行くものの連続性だから、この瞬間からって線引きは人それぞれだろうけど、
>>280の人の言うように、黄巾の乱あたりからと捉えても全然おかしくないと思う。
宦官と外戚の権力闘争、度重なる飢饉や天災、中央が乱れているからそれらに対応する策すら打てず、民心を失い後漢王朝が末期症状を呈しているのはそれ以前からだけど、
そこにきて乱の鎮圧に掛かる多大なる戦費と兵力。
これは財政的にも支配力的にも後漢王朝に与えたダメージは大きいと思う。
よって、後の三國の時代の幕開けに繋がる後漢王朝の衰退に、董卓の乱とともに黄巾の乱は大きく関与していると思うよ。
283:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 22:28:26.05 F61X+TqPI.net
まず実力の時点で皇甫嵩って他の連中と比べてどうなのさ
雑魚専と名高い孫策だって、一応は群雄と呼べないこともない相手を撃破しているんだから、皇甫嵩よか上だよね?
284:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 02:17:41.12 EAs6vXlcO.net
うむ、そうだね。
あの広大な江東を一代で制覇したという実績は、充分評価に値すると思うよ。
285:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 08:10:22.41 he0p3YjJ0.net
江東って別に広大でも無いだろ
加えて当時の揚州には有力な勢力が無かったし(強いて言えば袁術)。
286:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 09:54:37.14 WJUelP5y0.net
平定戦の功ってことで、なんで孫策が有力候補に上がるのかなぁ、ってのは前々から疑問
孫策が平定したのって揚州の江南(江東)部分だけだから、一州を平定したわけでもないし
曹操:兗州 豫州 徐州 司州 冀州 青州 并州 幽州 荊北 揚北(夏侯淵:涼州)
袁紹:冀州 幽州(袁譚:青州)(高幹:并州)
劉備:荊南 益州
劉表:荊州
呂布:徐州
こいつらは全員、開始時点では郡レベル以下だった勢力から成り上がって、自力で一州以上を平定してるじゃん
特に曹操と劉備と袁紹と呂布は、既に州レベルの支配を確立していた相手を撃破して平定している
孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
287:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 22:58:47.61 qvZiyksw0.net
>>286
>孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
>孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
その通りなんだわ。
そして袁紹ですら議論の末、
確定枠はおろか議論枠からも外され…という点でお察し
288:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:04:16.05 qvZiyksw0.net
孫策ってパッと見成績が華々しいから
一見凄いように見えるけど、
実際は大したことなんて碌にやってないんだよね。
孫策の江東を押さえている地域自体が
江東の「面」ではなく、
江東の都市とかの「点」を押さえているだけに過ぎないし。
289:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:21:35.56 WJUelP5yI.net
>>287
袁紹が議論枠から外れてるのは、麹義が代理で入ってるからな気がする…
袁紹勢力代表を袁紹にするか麹義するかは、それはそれで議論の余地があるんじゃないかと
>>288
だから点と点の間に不服住民が大量に巣食って、賀斉たちが延々と平定作業に励む羽目になったわけだしね
諸葛恪の時代になっても山越討伐してるんだから…まあフロンティアってそういうもんなのかもしれんけど
290:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 09:27:39.55 7BGmtsvE0.net
孫策の名前が出るのは
・ハンデありまくりのスタートラインから
・極めて短期間で
・政治的・権威的ににはともかく、武力的に完全制圧した
からだろう。
この時代で孫策のバックグラウンドと比較対象になる存在といえば鍾ヨウか?
事実上単身赴任で複数の武装勢力を服従させて地域に安寧をもたらしたのは
孫策 鍾ヨウ
地域 江南 関西
バック 袁術 曹操
軍閥 劉ヨウなど 馬騰など
目的 制圧 せめて袁紹と繋がった敵にしない
手法 武力 慰撫
結果 制圧 纏めあげて服従させる
291:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 10:56:28.40 fJDHqfD60.net
孫策は、孫堅軍として転戦してきた程普黄蓋韓当ら歴戦の将兵を授かってるんだよなぁ。孫河呂範も最初から側近としている。
その戦争体制も、孫賁呉景、朱治、そして周瑜ら周氏も含めた、袁術軍との共同作業。バックなんてもんじゃない。
これが単身赴任と言えるのか…。
司隷に単身赴任して関中軍閥を懐柔した司隷校尉の鍾繇。揚州に単身赴任して袁術残党を懐柔した揚州刺史の劉馥。
曹操のバックアップ込みとはいえ、これが本当の単身赴任かと。
最たる例としては、荊州に単身赴任して豪族を懐柔し、反乱勢力を皆殺しにし、孫堅を戦死させて袁術を追い出し、張済を戦死させて張繍を懐柔した、江南最強群雄の劉表。
バックなんて無い、完全な実力。どう考えても孫策より上でしょう。
292:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 13:20:35.18 A1F3vlA40.net
孫策が呂布、袁術、劉表らより評価されやすいのは
誰に勝ったとかどこを切り取ったとかよりも
三国の一つの基礎となったからじゃないかと思う
呂布らは強くても結局生き残らなかったじゃん?
その点、孫策は早死にしたけど孫権に引き継いで勢力としては生き残ったから凄い、
っていう感覚なんじゃないかな
後のことまで評価に含めると
勢力を維持した孫権の功績を吸い取ることになっちゃうけど
293:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 19:29:55.60 RUgnFVbK0.net
曹操、劉備が余裕の確定枠なのに、孫堅孫権は無理で、ギリギリ可能性のあるのが孫策だけ…というのは大きいな
294:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 19:58:49.20 xPXqKp+50.net
劉表が最強とか知的障害でも抱えてんのかよ。
劉表は群雄としてじゃなく刺史として、しかもある程度後漢の権力と権威があった時代に赴任しただろ。
豪族を懐柔したってのも懐柔したというよりは迎合して媚びただけだし。
事実後継者に長子を選べないほど、専横されてた。
295:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 20:47:37.61 fJDHqfD6I.net
無駄に暴言を吐くのは何の意味があるんですかね
知的障害というのはブーメラン発言にしか見えないと思いますけど
というか反董卓連合の時に後漢の権力権威がそんなにあったとは驚きですね
劉焉や陶謙と混同してるんじゃないですか?
296:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 20:58:08.71 fJDHqfD6I.net
孫堅を戦死させ袁術を追い払い孫策より大勢力を築いた劉表が、江南最強群雄でないというなら誰が最強になるのか
頭の良い >>294 に是非教えていただきたい
297:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 21:15:02.04 nClH3jCo0.net
なんでそんな無駄にケンカ腰なの
298:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 21:37:57.63 1N5VExWVP.net
荒らしたいのか寂しがり屋なのか
299:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 00:14:48.93 zSfVVXHa0.net
>>294
荒らしなの? 構ってちゃんなの? ただの馬鹿なの?
まあ三国だけから選ぶなら 関羽や孫策も確定枠に入るんでは
後漢とか群雄とか西晋とかからも選ぶなら微妙なラインかもしれんけど
300:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 00:49:47.38 MM/emE1P0.net
しかし、相変わらず末尾Iが目立つスレだ
PやO、iと比べると相当にレアなはずなのに
301:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 02:16:46.64 TWG6wpKj0.net
そりゃこんな過疎板の住人なんてある程度固定されてるだろ
>>294みたいのがそういうレア末尾だと良かったんだけどなぁ(嘆息
302:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 02:41:14.81 zSfVVXHa0.net
>>300
前スレの時から大半が固定だぞここのスレ民
固定住民は鬱陶しいから去れってことか? 多分、一気に過疎るぞ
303:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 07:27:32.90 MrTBHgjn0.net
史料に拠って語れる人が煙たいので、暴言をもって排除を試みるも、いなくなったらなにもできずにスレを消滅させてしまうか
コーエー三国志程度の内容しかない短行のレスが時折つく過疎スレにしてしまう>>294みたいな暴言野郎の未来がみえる・・・
304:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 09:02:48.87 2l+B5kJo0.net
>>294に異常に固執してる人は何なんだ?
自演を疑うわけじゃないけど、しつこすぎない?
305:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 09:57:06.11 zSfVVXHa0.net
とりあえず董卓の乱(189)→官渡大戦(200)までの勢力拡大比較整理
ゼロから始まって数州を支配
1位:曹操:領地無し→河南四州を支配
一郡から始まって数州を支配
2位:袁紹:渤海太守→河北四州を支配
ゼロから始まって一州を支配
3位:劉表:領地無し→荊州を支配
4位:呂布:領地無し→徐州を支配→曹操により滅亡
ゼロから始まって数郡を支配
5位:孫策:領地無し→揚州江南を支配→横死して孫権へ
6位:袁術:領地無し→揚州江北を支配→曹操により滅亡
一郡から始まって数郡を支配
7位:公孫瓚:遼東属国長史→幽州西部を支配→袁紹により滅亡
最初から刺史や牧
8位:陶謙:徐州刺史→徐州を支配→病死して劉備へ
9位:劉焉:益州牧→益州を支配→病死して劉璋へ
議論枠の麴義(袁紹) 黄祖(劉表) 呂布 孫策の四人から選ぶなら、まずは麴義?
孫策の強みは、孫策軍の主力はあくまで孫策ってところか
名将周瑜がどれくらいのウェイトを占めていたか不明だし何とも言えないが
呂布における高順もそうだけど
306:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 14:51:31.91 z8U9YP3wI.net
末尾Iだと書き込んじゃいかんのか(困惑)
孫堅
age
当時無敵と思われていた董卓軍を撃破した唯一の将軍
袁術軍として豫州で多少の武功を挙げた
sage
曹操より有利な条件で戦ったが、やはり徐栄には大敗
劉表戦というか黄祖戦で戦死
孫策
age
五年で揚州江南の四郡を平定
黄祖を撃破している
sage
自力で勝てた戦いが意外と少ない
勢力規模の小さい相手としか戦ってない
北上=陳登攻め に失敗
北上=陳登攻めリトライ? の準備中に横死
二人とも死亡時期が早いからage材料が少ないのに、sage材料がけっこうあるんだよなぁ
もし関羽と孫堅が戦ったら、孫堅軍により関羽軍は撃破されるも、単騎で突出していた孫堅が関羽に斬り殺されて戦死、ってことになるイメージ
孫堅を孫策に変えても同じ結果になりそう
307:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 03:52:32.80 PTKnXOVc0.net
>>306
一人が自演で騒いでるだけだから気にしないでいいよ
308:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:20:59.08 TDhzSYsk0.net
>>306
正史準拠のスレで「孫堅が関羽に斬り殺されて」ってどういうこと?
本気で言ってるのかオーバーに言ってるのか分からないけど話が飛躍し過ぎでしょ
309:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:24:21.03 MgrwaRnA0.net
イメージで言ってるだけなのにそんなに噛み付かんでも。
310:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:50:15.35 pKgsz5C80.net
単騎で突出して死んじゃうような将は名将と呼べるか疑問だってことが言いたいんじゃないの>>306は
なんか最近>>308みたいなの増えたねこのスレ
311:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 19:17:06.30 wZoxT8PQO.net
後漢後期 永和5年(西暦140年) 13州の人口ランキング
1位 益州 724万人(152万5千戸)
2位 荊州 626万人(139万9千戸)
3位 豫州 618万人(114万2千戸)
4位 冀州 593万人(90万8千戸)
5位 揚州 434万人(102万1千戸)
6位 エン州 405万人(72万7千戸)
7位 青州 371万人(63万5千戸)
8位 司隸 310万人(61万6千戸)
9位 徐州 279万人(47万6千戸)
10位 幽州 204万人(39万6千戸)
11位 交州 111万人(27万戸)
12位 并州 69万人(11万5千戸)
13位 涼州 42万人(10万2千戸)
数字はおそらくいい加減なので、参考程度に
そして司隸は董卓の遷都に、豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に、徐州は曹操の虐殺に、壊滅的被害を出したと考えられる
312:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 19:23:29.07 wZoxT8PQO.net
>>311続き
したがって何州切り取ったと言う数字は、あまり考察に相応しくないと思う
州ごとの格差がかなり大きいからね
313:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:03:58.45 pKgsz5C80.net
>>豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に
これは初耳
どこソース?
>>312
人口格差も考慮に入れて考えればいいだけの話じゃね?
てか格差があっても州郡という行政単位で平等に分けられているのにはそれなり以上の意味があるんであって、数字が考察に相応しくないというのはおかしすぎっすよ
例えば涼州は人口少ない割に城の数は異常に多かったりして、それはつまり後漢の支配が行き届いていない危険地帯ということだったり、戸籍に載ってないだけで人口が多かったりする証拠なわけで、
平定する価値や難易度ってのは、他にも色々な要素が絡む
一番分かりやすい基準が、何州を何郡を平定したかっていう数字であることは間違いないことだよ
314:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:31:30.75 TDhzSYsk0.net
曹操の豫州の略奪って人口を大きく減らすほど激しい物だったの?
人口下降率が高い順にも並べて欲しいな
個人的にはその後の動乱よりも、黄巾で荒れた青州や冀州が荒廃してたと思ってたんだけど
315:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:41:02.25 pKgsz5C80.net
>>314
俺はそもそも曹操が豫州で略奪したということ自体を知らんかったんだけど、正史のどこに載ってることなのか教えてくれ
影響力が及んでいただけで直轄支配していたわけでもない袁術の悪政ってのもわからん
豫州が荒れた原因ってそれこそ黄巾や李傕じゃないの
316:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 07:33:43.55 FHzZsCXPI.net
ID:wZoxT8PQOは言ってることが意味不明だからスルー推奨
ID:TDhzSYsk0みたいなホイホイ騙される"教えて厨"はこのスレ来ない方がいいよ
つーか人口下降率が高い順なんて明確な情報があるわけないでしょ
陳寿がサボったせいで後漢書と晋書にしか資料載ってねーのに
317:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 17:43:15.58 8dV+O4Vu0.net
蜀はもうちょい資料ほしかったなあ
318:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 20:02:58.52 Fiwq5Ep90.net
蜀は何で史官置かなかったんだろうな
何か記録として残したくない何かがあったのではないかと勘繰ってしまう
319:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 20:12:48.56 bKo0BsgZ0.net
>>318
そもそも史官を置ける余裕が無かったとか…
320:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 21:49:46.47 8dV+O4Vu0.net
流石に史官置けるだけの余力がないほどとは思えないがなあ
321:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 00:10:34.29 dvtMdkUT0.net
議論が停滞すると話が脇道に逸れた挙句に荒れかける・・・。
2スレを費やしてようやく16人まで決めた確定枠が、いかに大変なものだったか。最近の流れ見てて実感しました。
3スレ目に入って新しく決まった(?)のは、司馬懿と田豫だけ?
夏侯淵は微妙に出た反論は叩かれたが、結局有耶無耶に…。
今の議題は要するに、夏侯淵を確定枠にするのかしないのか。
しないとしたら、夏侯淵以上と言える名将は議論枠の中で誰がいるのか。
皇甫嵩や徐栄は? 麴義や呂布は? 孫堅や孫策は? 関羽や魏延は?
っていう流れでカオスになっているわけですよね。
322:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 01:43:38.05 j07bFOtE0.net
その中だったらやっぱり実績的にも夏候淵だと思うけどなあ。
なんでこんなにネガティブに見られてるんだろ。
323:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 04:42:44.61 fP7CvO680.net
夏侯淵以上の名将なら黄忠で良いよ
324:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 07:33:06.41 dvtMdkUT0.net
>>323のような荒らしも最近急に増えましたよね・・・。なんでこんなスレになってしまったのか。
同じ理屈で孫堅以上の名将が黄祖(呂公)とか、関羽以上の名将が潘璋(馬忠)とか言い出すんですね、わかります。
325:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 11:13:01.48 LjClQLUe0.net
あれは黄忠というより劉備と思うけどな
326:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 18:57:14.55 WarqLOHm0.net
鍾会はどうなんだろ
野心が大きすぎて最後失敗したが
327:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 22:11:57.62 DsIsWdsPO.net
あの時代を代表する優秀な人物のひとりだったと思うよ。
司馬昭のもとで蜀討伐の大将として出征する以前から、司馬師のもとで淮南の反乱鎮圧のために、優れた策謀を買われて参謀として従軍したり、
政治についても大事な懸案となれば必ず彼も参与した。
蜀に降った夏侯覇も姜維に対して、「鍾会が魏の朝政を執るようになれば、蜀にとって由々しき事態となる」と注意喚起してるしね。
相当な切れ者だったんだと思う。
328:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 22:55:42.48 VcAbStLm0.net
>>318
仮に後ろ暗い事多々なら、それはそれで逆に優先して置くんじゃねw
余所に好き勝手書かれるよりは先手を取って捏造する方がいいもんな
329:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 02:13:24.45 F6lzX0+b0.net
三国時代の選出は奇跡的なくらいバランス良い
魏西最強:曹真
魏南最強:司馬懿
魏東最強:満寵
魏北最強:田豫
蜀軍最強:諸葛亮
呉軍最強:陸遜
三国最強:鄧艾
対して後漢末期は明らかにバランス悪いよ
後漢末最強:曹操 次いで劉備←わかる
曹操軍最強:曹仁 次いで五将←わかる
孫権軍最強:周瑜 次いで呂蒙←わかる
劉備軍最強:張飛←ファッ!?
関羽がいないのは違和感ヤバい
劉備軍最強:関羽 次いで張飛←こうなるべきじゃないの
個人的には夏侯淵より先に関羽を昇格させたいなぁ
黄忠を挙げてる人がいるけど、選択肢にも入らないと思うよ
赤壁で曹操を撃退した名将は、黄蓋ではなく周瑜
漢中で夏侯淵を撃殺した名将は、黄忠ではなく劉備
劉備軍における黄忠なんて、曹操軍で言えば曹純、孫権軍なら甘寧
この程度のポジションを名将なんて言わないし、言っていたらキリが無い
330:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 03:37:33.12 vwkB548v0.net
お髭さんは未知数な部分が多過ぎて、ハッキリしてる戦績だけではさすがに確定枠は厳しい。
放浪時代の記録とかがもっと残ってればと思うけど、期待値込みで評価するわけにもいかないしな。
最強武将とかだったら関羽でもいいかもしれないけど。
331:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 03:46:34.71 GL5r2eJF0.net
残っている事績から劉備の配下の中で最も優れた将が張飛である、というのは間違ってないと思う
ただ、確定枠かというと大きく疑問符を付けざるを得ない
332:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 05:36:39.93 irm28qgI0.net
劉備軍という事だと完全に張飛がトップで違和感は全くないな
333:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 06:40:58.13 fsTCbEx9O.net
夏侯淵は確定でいいよ
敗北(戦死)は名将を完全否定する材料にはならない
漢中戦は劉備軍をただただ誉めるべき(あの時の劉備軍は間違いなく全盛期)
彼の功績は張コウとかがいたからという説もあるが、彼等を指揮して大局的な勝利としてきたのだから
涼州の韓遂や宋建、羌はザコではないだろう
蜀において夏侯淵を討ち取った事が大手柄になってるんだから、名将に値する
劉備の張コウ>夏侯淵発言は、軍を引き締める為の劉備の統率術だよ、きっと(ゴメン、これは根拠無いです。でも劉備ならこうするんじゃないかなぁ)
334:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 09:30:21.71 eVprOQG+0.net
関羽は残っている記録の多くが負けだから評価するのは難しい
劉備軍が大きく領土を刈り取った蜀入りでも関羽は留守番してるし
335:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 09:45:53.22 F6lzX0+b0.net
そうなるかぁ
でも夏侯淵を確定枠に入れても、まだ5枠も残るんだけど(>>259)
だったら関羽もワンチャンあるんじゃね?
夏侯淵以外に有力候補っていうと、麴義か孫策らへんでしょ?
政治能力というか協調性の無さで半ば自滅したって意味では、関羽と大して変わらんだろこいつら
336:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 10:29:14.74 eVprOQG+0.net
関羽入れるなら呂布入れたほうがまだいいような気がする
というか孫策とか呂布みたいな猛将タイプは負けも大きいけど勝ちも大きい
それに比べると関羽は勝ちの記録が殆どなく劉備軍が躍進したときも留守番をしてる
そもそも>>259の議論枠は他にも優秀な将が多いのに関羽を24人にいれる要因が少なすぎる
337:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 12:42:49.70 HrPRMfSN0.net
>>329
>ファッ!?
あっ・・・(察し)
超理論で関羽を無理矢理入れようとする奴が居着いてると思ったら、
なんJから流入してきたガキかよ
338:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 13:29:05.87 F6lzX0+b0.net
>>337
その程度の言葉尻で見当違いなレッテル貼りをできる神経が理解できんが
んで、お前のその何の中身も進展性も無い煽りはいったいどんな意味があるんだね
マトモに議論する気も無い荒らしが突っかかってくんなや
既に何度もこのスレでそういう輩は叩かれてんのに懲りないもんだ
>>336
一人お留守番を任されたことは能力を最も信頼されていた証だと思うんだけどね
まあ結果的に失敗してるからこれはアレだけど
官職も役割も評価も関羽は張飛の一歩上なわけで、陳寿は総合的に判断して関羽が張飛より上だと思ったから関張馬黄趙伝という順番にしたわけだ
それが年齢差などにも起因しているとしても、もし関羽が張飛にハッキリ劣るのだとしたら、劉備も魏の参謀達も含めて皆、人を見る目が無さすぎるということに
339:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 13:32:58.92 vwkB548v0.net
関羽を確定枠にするならまずその前に姜維でも入るんじゃなかろうか。
340:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:02:01.27 GL5r2eJF0.net
>>338
その辺の推測が成り立つこということは過去にも何度か意見が交わされてるんだけど、このスレでは確定している実績を重視していこうっていう意見のほうが今のところ優勢
俺個人としては貴方の考えに近いんだけどね
341:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:16:04.55 F6lzX0+b0.net
>>339
姜維は関羽の劣化版にしか俺には思えないんだけど・・・
魏将には基本的に勝てなかったって意味では同じだが、数少ない勝ち星を比較した時に王経では于禁龐徳の相手にならんでしょ
文官から見捨てられて大失敗したって意味では、荊州失陥した関羽より蜀を滅亡させた姜維の方が明らかに酷い
>>340
まあ関羽は「名将である」と言える材料も多いけど「名将じゃない」と言える材料も多いから、そうなっても仕方ないとは思ってるんだけどね
この時点でどういう反応が返ってくるか興味があったからふっかけてみただけで
342:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:27:07.50 rAlzD8oEO.net
関羽はやはり荊州失陥のマイナスが大き過ぎる。
如何なる経緯を経てどんな理由があったにせよ、荊州方面総司令としてこの地を守り切れなかったことは事実。
劉備軍の大局的な勢力図を、大きく失う方向で塗り変えてしまった。
このことは後の蜀漢の北伐戦略にも大きく影響し、諸葛亮の思い描いていた荊・益両方面からの北進を事実上頓挫させ、諸葛亮・姜維による魏討伐をより困難な状況に追い込んでしまった。
単に失地をしたということではなく、一国の戦略方針にも多大なダメージを与えてしまった将を、名将と呼ぶにはかなり疑問に感じるな…。
343:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 17:08:20.48 vwkB548v0.net
>>341
確かに関羽は大物を下してはいるけど、
姜維がやってる魏に大勝したり領土を切り取ったりはしてないわけで、
相手云々よりもそういった実績の方が重要だと個人的には思うんだよな。
まあどちらかと言えば自分もそんなに関羽sageはしない方だから、
関羽をフラットな視点から再評価するというのには賛成なんだけどね。
344:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 17:44:09.07 eVprOQG+0.net
>>338
1人留守番って単純に他に任せられる将がいなかったんじゃ
劉備の股肱の臣といえるのは関張
事実最初に下?の留守を任されたのは関羽じゃなくて張飛だった
しかし張飛は城を乗っ取られてしまうという失態を犯した
その後曹操を裏切ったときは今度は下?は関羽に任せた
関羽がこの後捕らえられたのは劉備が逃げて置いてかれたためで関羽に責任はない
しかも関羽は曹操に厚遇されたにも関わらず忠義かは分からんが劉備の元へと帰ってきた
時は流れて赤壁の後劉備は荊州を奪ったがこの後劉備は益州を攻めなくてはいかず誰かに重要拠点の荊州の守護を任せないといけなかった
新参の連中だと裏切るかどうか分からないし張飛は過去に城を奪われたことがある
そうなると単純に消去法で任せられるのは関羽ぐらいしかいない気がするんだ
345:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:10:45.32 F6lzX0+b0.net
>>342
うん、まあ、そこは反論しようがないんですけどね
関羽は名将だと言い張れる材料も結構あるから、どういうポイントを重視するかで評価が変わるんじゃないかってことを言いたかった
>>343
姜維は領土切り取りに成功したことはなかったような・・・? 記憶違いかもしれんけど
住民拉致はよくやってて、小国の悲哀を感じる
>>344
完全に同意だけども、それって要するに張飛よりも(留守番)能力を信頼されてたってことになるんじゃないか?
346:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:16:31.19 eVprOQG+0.net
>>345
まああの時点では張飛よりは留守番役として信頼されていただろうね
ただそれが能力を評価してなのか他にいなかったから選んだのかが分からんからなあ
そして結局その信頼を裏切った結果となったから評価し難い
正直張飛もこの後恨まれていた部下に殺されてるから部下の統率取れていたと言い難い
だから関羽の変わりに荊州任せられていたとしても失敗していた気はする
347:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:27:15.06 eVprOQG+0.net
個人的に名将になるには運も必要だと思うんだ
どんなに力量があっても無能な上司の元についたり活躍の場が与えられなかったら歴史の闇に埋まっていくだろうし
関羽と張飛の大きな違いはそこだと思うんだよねえ
蜀入りという敵を撃破懐柔していくという将の仕事を与えられた張飛
荊州の統治や防衛という味方を統率し民を慰撫し外敵に備えるという統治者としての仕事を任せられた関羽
関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない
ただ張飛のほうが名将として活躍できるチャンスを与えられた結果張飛は関羽よりも将としての実績を残すことは事実
だから張飛が名将入りされるのは当然とは思うけど関羽が名将入りされるのは違和感がある
348:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:33:05.46 NEkAeL390.net
張飛に荊州任せてもいずれ暗殺された可能性は高いが
部下の統率という点ではむしろ引き締まってたと思うよ
張飛突然死んでも軍営は混乱しなかったのだし
ムチ振るった相手を側においた浅慮が一番の問題だったわけで
349:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:43:08.18 eVprOQG+0.net
>>348
単純に側にいた人たちが張飛の苛烈な罰を一番受けるポジションだったってことじゃないかなあ
劉備に戒められるほどの厳しさが引き締まりを生んだんだろうけどその結果殺されてるってのは減点されるべきとは思う
結局は加減や部下をしっかり見ることができなかったってことだし
350:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:58:59.55 F6lzX0+b0.net
>>347
「関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない」ってとこまでは完全に同意見でいて、結論は俺と真逆なのだなぁ
その論理展開自体には納得せざるを得ないけども
ただ関羽は、曹操に捉えられた時に「劉将軍の下に帰りたい、だが殺さず厚遇してくれた曹公の恩にも報いたい、だから大功を立ててから去る」と誓って、それを即座にやり遂げた事実がある
即座にってところがポイントで、機会が来るのを悠長に待ってたわけじゃなく自分から掴みに行って、そして世に轟く武功を挙げて速やかに遂行した
あの手腕を見る限り、適した職場(戦場)さえ与えられていればどれだけ活躍しただろうかと思ってしまう
まあ、このスレのように客観的な事実を重視してブレにくい堅実な選出をしていく方式では、関羽は不利だねやっぱり・・・
>>348
張飛の一番の問題点は、部下を日常的にシバき殺すサディスティックな性格とか、その部下を側近に置く無頓着さじゃなくて、「劉備がそれを常々注意していたのにやめなかった」ってことだと思うんだよなぁ
上司の言うことを聞かない部下はダメでしょ・・・
351:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 19:02:53.83 eVprOQG+0.net
>>350
関羽は名将になれる器は十分あったとは思うよ
ただ名将にはなれなかった
それが関羽だと思う
352:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 07:53:48.17 mlgNZDKH0.net
>>259の議論枠から個人的に除外したい人物。
諸葛恪:ほぼ一発屋。丁奉のおかげで勝利と言えなくもない。再戦での負け方が酷すぎ。
鍾会:将としては一発屋。完全に鄧艾のおかげで勝利。戦中も戦後もグダグダ。
羅憲:ほぼ一発屋。しかも攻戦じゃなく守戦。偶然スポットが当たっただけで立場的には小物。
陸抗:ほぼ一発屋。しかもそれが部下の反乱鎮圧。羅憲に勝てなかった人。
杜預:ほぼ一発屋。王濬のおかげで勝利。というかあの状況で負けたらただの愚将。
353:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:24:04.82 4P+Admj80.net
羅権は確かに外しても良いと思うけど、杜預、鍾会を外すのは無理があるだろ。
特に杜預は確定枠でも良いと思う。
王シュンのお陰というのはあり得ない。王シュンがいなくても絶対に成功してたはず。
というか三国時代の一角である呉蜀を滅ぼした総司令官は確定枠に入れて良くない?
おそらく当時代で最大級の兵力を率いた将軍でもあるわけだし。
例えば楽進なんかは、終盤に少し将軍らしさを見せたからあんま言われないけど、
若い頃の活躍なんて匹夫の勇に頼った兵隊長レベルの活躍なんだよな。
楽進を入れるのに異論は無いけど、序盤に活躍した人間って華々しいけど、終盤の人間に比べて小粒過ぎる気がする。
もっと大軍を指揮してなおかつ国を滅ぼした将軍は評価されても良いはず。
354:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:34:52.45 TgcZ9WG+0.net
そりゃ序盤のほうが敵の数や奪い取れる領土の数が多いから華々しくなるのは仕方ない
後一発屋は外すべきって意見には反対したいな
杜預やショウカイみたいに部隊長や参謀として活躍していたからこそ将軍を任せられているんだろうし
そしてその信頼を見事に全うしたならば評価されてしかるべき
355:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:21:06.70 LEaX8eUQ0.net
>>353
漢の全盛期の6000万人の人口はその頃は600万人にまで減少してて兵もそれに比例してる
356:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:43:52.10 mlgNZDKH0.net
>>353
意味わからん・・・貴方の理屈だと、三国時代に生まれただけで有利になりますな。
後漢末期は少数しか率れなくても戦果を残さなきゃいけない時代。
三国時代は大軍を統率するのがメインワークの時代。
あと失礼だけど、正史読んだことないでしょう。
楽進が「終盤に少し将軍らしさを見せた」だけなんて思ってる人がこのスレにいることに驚愕しました。
別軍司令官として曹操軍で最も活躍したと言えるのが楽進なんですけどね。河北四州平定戦を何だと思っているんでしょうか。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:52:10.20 mlgNZDKH0.net
>>354
確かにそうなんですが、鍾会は鄧艾がいなければ失敗していた可能性も高いですよね。
この辺の捉え方は人によって違うのでしょうけど、鄧艾と鍾会がどちらも確定枠に入る必要はないと思ったのですよ私は。
まあ>>353さんも仰る通り、一国を滅ぼした将軍を外せという私の意見はちょっと無理がありましたね。
358:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:22:46.51 CIqe3f470.net
羅憲の男前エピソードは好きだけど、記録が残る分にはほぼっつーか完全に一発屋だよなぁ
359:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:54:08.06 t5GKmlSmP.net
羅憲の状況で部下が最後まで士気を維持して付いて来るというのは相当なものではある。
ちょっとでも人格・能力に隙があれば首を差し出されてるもんなw
とはいえ流石に実績が少なすぎで、100選でも微妙なレベルか。
羅憲が呉・孫休にあっさり降伏する人物だったなら、勢力を増した呉がもっと粘れてた可能性はあるかね。
360:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:57:10.46 O4NQw9iD0.net
>>341姜維はどちらかというと、劣化馬超だな
異民族とのコネといい、騎兵を使った戦い方といい
361:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 14:58:22.37 mlgNZDKH0.net
姜維の能力は馬超より高かったと思うけどな。詰んでる状況でよくあそこまで頑張ったよ。
同時代の将が対等な条件下で戦ったら、鄧艾以外は姜維に勝てないんじゃないかな?
ただ郭淮や陳泰を押しのけて姜維を24選に入れるのも違和感あるので、姜維も脱落候補の一人かな…。
362:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 15:05:00.99 vnZ4LxG50.net
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:04:51.32 qz57oOqeO.net
姜維は、諸葛瞻・董厥らとも北伐についての考え方は違うし、黄皓は宮中を乱すしで、援軍を申し立てても成都の対応は鈍く、やきもきしながら孤軍奮闘してるって感じだ。
恐らく蜀漢による中華統一以前に、蜀政権内における自らの発言力を取り戻せない限り、この戦争は大きく制限を受けるものになることも分かっていたのだろう。
だから必死に戦果を追い求め、度重なる出兵をした。
少し後になるが蜀の滅亡時、姜維は魏の鍾会に降った。
そして鍾会と手を結び、魏(司馬昭)との対立を画策する。
姜維は鍾会の反乱を利用し、後に彼を殺して蜀の再興を狙っていたと言われるが、俺はそうじゃないと思う。
姜維と鍾会の親交は日に日に深まって行ったというし、当初はどうであったかはともかく、彼の鍾会に対する信頼は本物になって行ったと思う。
蜀将だった時の、何を言っても響いてるのかもはっきりせず、対応も愚鈍な成都に比べ、
鍾会は頭の回転も早く決断力にも優れ、自分が献策したこともすぐに取り入れ実行に移してくれる。
ここに至って姜維は、将としての喜びを実感したのではないだろうか。
この男は共に天下を論じるに足る男だ、と。
年齢は親と子ほど離れているとはいえ、名将は名将を知る、といったところか…。
364:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:19:16.22 O4NQw9iD0.net
>>363劉禅に密書を送ってるから、やっぱ蜀復興を考えてたんじゃない?
365:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:33:02.07 zj7qIzxc0.net
龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦死しているからな
よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバカがいるが
司馬懿も大軍以てしても
孔明に追撃もできず局地的に負ける有様
淵や張任劉循と司馬懿では格が違うよ
366:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:43:19.52 qz57oOqeO.net
>>364
やっぱそうなっちゃうかなw?
でも姜維は単純に鍾会を利用しただけとは思えないんだよね。
親密とかそういうレベルで仲が良かったようだし。
劉禅達に比べ、打てば響くような利発さを備えている鍾会は、今老境に至り姜維が長年忘れかけていた将としての何かを沸々と甦らせてくれるような存在だったかと思えてね。
367:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:56:50.73 O4NQw9iD0.net
>>365法正が蜀の軍師で別格とされているのは劉備が曹操を破った時の参謀だからというのが大きいと思う
まあ曹操と戦ってた時の法正の具体的な功績といえば、不利になった時退却するよう進言した事ぐらいだけど
368:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:02:33.94 TgcZ9WG+0.net
近年では軍師として評価されてるのは法正だけじゃないかな
鳳凰のほうは最近は呉との外交分野での期待ぐらいしか話されてない気がする
どっちにしてもここは武将スレだから軍師はそもそも場違いだが
369:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:08:28.60 6yKL6rMD0.net
なんで突然法正や龐統や司馬懿の話が出てくるんだろ?
脈絡ないように思えるけど、誰かの話と繋がってるの?
370:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:16:25.10 mlgNZDKH0.net
三戦板住民が誤爆でもしたんじゃね? なんか頭悪そうだし
371:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 00:12:34.06 sISvNv0SI.net
陸抗は軍政家としてならトップクラスに優秀だし、将軍としても有能な部類であることは間違いないんだけどな一応
372:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:02:55.93 Y5j4HYIoO.net
あぁ、陸抗は優秀だね。
西陵の戦いでの見事さを目の当たりにした、かの晋の羊コをして「陸殿は当代の名将、その知略において私の及ぶところではない。
かくなる上は武を用いて攻めるのではなく、徳と慈悲によって対処すべきであろう」と、晋の強大なバックグラウンドをしても決戦を避け、徳治政策に切り替えたくらいだからね。
373:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:33:24.56 lgHhScLP0.net
陸抗は呉にとっての孟珙みたいなもんなのだろうとは思うけど、
二十四選に入れるにはちょっと実績が足りないかなって気がする。
呉の晩年を支えた軍政家だったとは思うし、減点材料もあまりないけど、
羅憲が抜けなかったというのが大きいかねやっぱり。
374:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:57:31.40 EBc8d+g20.net
>>368三国志軍師二十四選をやっても面白そうだな
375:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 02:25:37.81 Y5j4HYIoO.net
羅憲かぁ…、こいつも傑物で本来なら巴東の守将などやっているような人材ではなく、魏の蜀侵攻に対して姜維と共に防衛戦を張るべき人材だったのだろうが、黄皓に嫌われてこの地に飛ばされちゃったんだよね。
名将同士のガチンコとなると「攻者3倍の原則」で守備側がやはり有利か?
…と思いきや、羅憲2千に対し陸抗の増援3万以上かぁ、3倍どころの差じゃないね。
これで半年包囲して陥とせないとなると…、諸葛亮 vs カク昭の陳倉攻防戦時より大殊勲だな、羅憲は。
376:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 03:06:34.26 ivvKl/9B0.net
超寡兵な上に母国が既に滅んでいるという状況で、民の人心を安んじ兵の士気を高いまま保ち続ける…
マジカルな次元の話で、人格、政治力も備えた傑物なのは堅いところだわな
「大殊勲」を誇ることも認められる事も目指さず、意地でやってのけたんだろうというのも凄いw
永安を陥落させられないまま孫休がよくわからん死に方をするし、結果的に呉の滅亡を年単位で早めたかも知れない
377:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 03:21:49.01 Y5j4HYIoO.net
そうだね、それとこの白帝は、かの劉備が臨終を迎えた地。
先帝臨終の地で、迎え撃つは先帝を死の縁に追いやった陸遜の子・陸抗。
因縁めいたものを感じるねぇー。
因縁の地で因縁の相手との決戦。
元蜀将の意地とプライドにかけても、こいつにだけは絶対にこの地は渡さん!という、羅憲のほとばしるような覇気がこの偉業を支えてそうw
378:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 04:31:34.74 n/N7EMPP0.net
でもぶっちゃけ羅権の奮闘ってあんま意義の無い戦いだったよね。
魏の侵攻から耐えたんなら、蜀の臣として功績を残してるけど。
魏に併呑された後、蜀をハイエナしようとやってきた元同盟国の軍を魏んために戦うって良く分からん。
379:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 05:07:01.23 K4EnCu7t0.net
>>374
軍師系はどこもそうだけど
まず軍師の定義で大荒れしてろくに決まらない
380:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 07:29:11.24 sISvNv0SI.net
>>375
カク昭の陳倉守備は、曹真によって準備万端で完全にお膳立てされてたからなぁ
準備不足な上に本当に援軍が来てくれるかもわからん孤立無援の永安を守り切った羅憲は、カク昭とは次元が違う凄さ
381:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 08:22:34.68 L9gWo/KA0.net
>>379
参謀、軍師、名知将とかで良いんじゃね?
382:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 08:52:25.49 sISvNv0SI.net
>>381
別スレでやれ
383:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 09:06:07.70 xNTbZfyr0.net
軍師とか将みたいに明確な功績が残されてるの少ないから間違いなくぐだる
384:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 10:09:33.52 i2MbXz0/0.net
冷静に考えれば、経験のない小役人や農民でも
名将軍になれるんだよな…口八丁の参謀も然り
385:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 14:45:51.04 Y5j4HYIoO.net
>>378
確かに意義って意味では無意味に近いかもね。
思うにあれは魏のために戦ったってのは非常に薄いんじゃないかな。
言うなれば元蜀将、いち個人としての意地のため戦った。
母国は滅びたけど、せめて最後に因縁の相手に一矢報いて、先帝の仇を討ってやりたかった、みたいな。
もっとも、その後の自らの身の振り方を考えて、もはや残った呉では蜀をも併呑した魏(晋)を倒すことは不可能。
ならばここで一丁華を咲かせて、魏(晋)に恩を売っておく方が得策か、…なんて考えからなら、結構先見の明があり計算高い人物だけど。
386:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:03:15.91 ghlxgkdAP.net
羅憲の状況でその手の計算が透けてしまうと、人が付いて来なくなってすぐ詰みそう。
てか、冷静に計算した上で勝機十分と判断して選んだ道がアレだとすると、それはあまりに凄すぎるw
387:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:12:05.14 i2MbXz0/0.net
鐘会と変な友情が芽生えた可能性も否定できんな。
あんなボンクラのために、また蜀の民を兵隊に徴兵して巻き込むこと
を美化するのは難しい。
388:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:15:33.72 sISvNv0SI.net
諸葛恪と姜維は似てるところも多いけど、二十四選に入る可能性があるほどの名将は姜維の方だけだと思う
姜維の敗戦は姜維以外に責任転嫁できる部分も多いけど、諸葛恪の敗戦は完全に諸葛恪自身の失態だし
389:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 17:47:08.56 Y5j4HYIoO.net
あの合肥新城攻防戦に際し、呉の諸葛恪は20万と號する大動員を掛けその攻略に向かった。
対外的には蜀の姜維に使者を派遣し、同時に出兵の約束を取り付けている。
合肥新城の守将は魏の張特、駐屯する兵力はわずか数千。
この報を受けた魏の大将軍・司馬師は、弟・司馬昭を雍州に向け郭淮を助けて蜀の姜維の侵入を防がせる一方、胡遵・カン丘倹に呉の諸葛恪の方を当たらせることにした。
…このへん魏の層の厚さと他二国との国力差を感じさせるな。
しかしこの魏の張特、先に名前が挙がってたカク昭・羅憲らと同じく、大兵力を相手に見事城を守り通したのだが、
先の二名とは違い、ここではあまり名前が挙がってない印象があるな…。
390:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 18:13:25.46 sISvNv0SI.net
>>389
カク昭も最近ちょっと話題になっただけで、名将候補として挙がったことは無い気が
張特の手柄も、都督揚州諸軍事の毌丘倹へ帰趨すると考えている人が多いんじゃないか?
諸葛誕では諸葛恪に勝てなかったら毌丘倹に交代して防がせたって書き方なわけだし
まあ曹真のように将を選出して派遣したり城の強化を指示したりと積極的に関わったわけでもないから、毌丘倹ではなく張特の手柄として良い気もするけど…
391:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 18:49:59.90 Y5j4HYIoO.net
確かに最終的に呉の軍勢を撃破したのはカン丘倹だもんな。
しかしあの張特の計略は見事だよね。
弁の立つ者を諸葛恪の陣に遣わして「我が魏国の法律では、敵に城を囲まれて守ること百日にして援軍が来なければ、城から出て降伏しても家族の者が罪に連座することはありません。
今、将軍に囲まれて九十余日になります。 どうか数日のご猶予を頂き、百日してから軍民を率いて投降させて頂きたい」と、数日時間を稼いで、その間城中の家屋をひっぺ返して、それを材料として城の補修を済まし、
「呉の狗どもに降ってたまるか。 さあ、もう一度かかって来い!」ってんだから、中々痛快で切れる男だよ、張特はw
392:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 19:55:17.69 i2MbXz0/0.net
それだけで昔の世界は天才切れ者扱いだもの。
東大理学部行きたかったわ…。昔の世界は良いよなぁ
簡単に賢人になれちゃうからさ
393:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 20:24:02.04 Y5j4HYIoO.net
いや、こういった計略を成功させるには単に頭が良いってだけじゃなく、人間心理を上手く利用したり、命懸けで実行するわけだから胆力も備わってなきゃならないし、考えるよりも遥かに大変なことかと…。
394:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 21:01:14.91 sISvNv0SI.net
合肥新城は満寵が手掛けた堅城ということで、他よりはイージーモードだったとも思う
城を守るのに肝心なのは、兵力よりも物資だろうし
赤壁時に孫権が合肥を攻めた時なんて守将の名前すらわかってなかったはずだけど、劉馥の余徳だけでずっと耐えてたり
395:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 22:33:46.34 i2MbXz0/0.net
>>393
でも個々の人間でもそれくらいの能力有していないか?
昔の英雄とか参謀とかそもそも学を納める機会も広く門戸を開かれてた
訳でもなかったからね。
396:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 23:34:53.20 Y5j4HYIoO.net
有しているかもしれない。
そして、それを実戦で開花させた者だけが史書に載るような業績を打ち立て、歴史に名を刻むのだろう。
学を納め勉強が出来れば良いというわけではなく、名将・名参謀たるには、敵を知り、地理を知り、状況を見極め、何よりも人というものをよく理解していなければいけない。
所詮相対するのは人。
目の前に立ちはだかるそいつの心理を読み、出し抜かない限り、劣勢側に勝利などあり得ないからね。
そういったことを勉強は出来て秀才の馬謖と、勉強は出来なくとも人生から多くのことを学び戦いでも生かして来たトウ艾の二人が、我々に多くのことを教えてくれる。
397:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 02:18:11.56 FTZ/ucL90.net
というか記載された事柄以外のことも当然起こってるんだし
簡潔に後世に伝えるために記述されてるだけで
398:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 04:42:23.80 kAMiOTIE0.net
机上オンリー、ボードゲームの巧さ的な意味での能力だけならともかく、実際に自分の命をかけ、人に命を懸けさせて…となるとな
399:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 07:33:15.76 igRfuKvm0.net
あと、社会情勢もある。
魏晋貴族社会の始まりに位置する三国時代ってのは
どんどん寒門の出世が望めなくなってくる。
士流は士流で、またヒエラルキーが存在して家門のしがらみ
があり、思うままに動けなかったり。
張徳が思い切った(相手をおちょくったような)策が打てたのは
麾下の統制がうまくいっていた証拠なんだろうなぁ。
そこに日頃の努力がうかがえる。
非協力的な味方では、攻囲されている極限状態でよく為せる
ことではないだろう。
400:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 07:33:59.72 sJS2WdJI0.net
三国志最長の籠城戦は公孫瓚の易京かな? 結局陥落してるけど
というか麴義は確定枠に推したい
三国のどれとも関わってない部将なのにあんだけ事績が伝わってるって物凄いと思うんだけど
401:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 08:10:50.90 V0z1i3BF0.net
鞠義は最後、公孫サンに大敗したのが印象に悪いな
402:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 09:15:06.32 FTZ/ucL90.net
キクギは袁紹躍進の立役者と言えるからなあ
残念ながら魏蜀呉にあまり関わってないせいか記録がそこまで残ってないけど残された戦績だけ見るとかなり優秀だ
最後の大敗は易京という袁紹本隊が数年取り囲んでやっとこさどうにかなる場所であったし
403:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 14:32:46.81 sJS2WdJI0.net
麴義だけじゃなく黄祖もなぁ…
孫堅だけじゃなく徐琨や凌操らをも戦死させてるわけで、本来は孫堅や孫策を上回る名将だと思うんだけど
基本的に呉側の記録しか残っておらず敗戦扱いしか伝わってないせいか「負けまくってるのに全く領地を失わず敵の大物を殺し続けた謎のゾンビ野郎」になってしまっているからなぁ
孫呉二大名将の周瑜と呂蒙が前軍となってようやく討ち取られるまで、孫堅戦死以来15年以上
江夏の守護神って意味では文聘に劣るかもしれんけど、その密度自体は文聘以上だよ間違いなく
呂布は…呂布入れるくらいなら臧覇入れようぜって思うから別にいいや
404:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 02:00:06.56 +aMD4GPD0.net
他に三国以外の後漢の群雄で確定する可能性がありそうなのは陳登かな
405:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 08:02:31.75 qD8TWU+U0.net
皇甫嵩は董卓に服従して役立たずの置物に
徐栄は孫堅を撃破したが孫堅は呂布や董卓を撃破
李傕と郭汜は徐栄を戦死させ呂布を撃破
郭汜は李傕を寡兵で撃破
董卓周辺人物では郭汜が一番の名将かもしれんな(笑)
どいつもこいつもイマイチなのは間違いないけど
>>404
陳登の実力は底知れないけど、活躍期間短くね? 実績が足りない
長生きしてれば臧覇や文聘を超えてただろうけど
406:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 11:46:02.52 UXSSyoNG0.net
少数精鋭を率いて軍の先頭に立って無双する呂布のような猛将を、
名将と呼ぶか否かで選出が大分変わると思う。
というかそこを統一してないから議論がこんがらがってる。
呂布を入れるなら、公孫瓚や関羽や甘寧、文鴦、丁奉みたいのも入れてく必要あるし。
逆にそういう匹夫の勇を除外するなら、匹夫の勇に関する功績を度外視して考えてく必要がある。
俺は大軍を独立した指揮系統で元帥として率いて連戦連勝するような人間が名将だと思うから呂布や丁奉みたいのは入らない思う。
逆に大軍を率いて一国を滅ぼした杜預は入れるべきだと思うよ。
そうすると後半の人間に比重が置かれると指摘する人がいるけど、それで良いと思うんだよね。
というか今の選出じゃ前半の武将が有利すぎて偏ってる状態だと思うよ。
陳登を例に挙げれば、孫策を破ったのも
徐州の一部の軍を率いて、揚州の一部の軍を率いた武将(軍の規模は不明)を破っただけでしょ。
407:406
14/03/03 11:53:27.33 UXSSyoNG0.net
杜預を入れるべきだという意見を補足するけど
例えば、楽進は○○城を占領したとか于禁は○○郡を占領したとか言うけど
杜預は一国を占領してるからね。
当然一国の下には無数の郡や城があり、
杜預の下には複数の城や将を斬った武将がいるだろうし、于禁や楽進の役割を担う武将を更に統括したのが杜預。
兵の衆寡を考慮しても名将に選出されるだけの武功がある。
逆に杜預が前線に出て自ら城に一番乗りとかしてたらそれこそ匹夫の勇の極み。
大将がそういう小さな武功を建てても誉められる事では無い。
408:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 13:30:19.31 qD8TWU+U0.net
>>406
そんな理由で議論が混乱したことなど一度も無いだろw
肝心なのは実績だ実績
べつに陣頭で突撃してようが後方で指揮してようが、同じ結果を出してれば同じ程度の名将だよ
いったい何を言ってるんだ?
公孫瓚と関羽と甘寧と文鴦と丁奉を匹夫の勇で同一視するのも無理がありすぎ
時勢や官職など基本的な情報を把握せず、漠然としたイメージだけで語っているだろう
Wikipediaとかのネットで中途半端に正史齧った程度の知識を持ってる人間にしか見えんぞ、残念ながら
厳しい言い方だけど、前からキミの意見はいつも的外れだから、少し勉強し直してから来たらどうだい
>>407
そりゃそうだろ
そんなわかりきったことを「お前らわかってないんだろ」のノリで説明するのはやめた方がいいって
ここのスレ民でそんな馬鹿なやつはいないよ間違いなく
そんなことはわかった上で今の確定枠と議論枠に落ち着いてんだろ
杜預がまだ議論枠なのは、杜預じゃなくてもやれたと思われてるからじゃないの? 知らんけど
余人では出来ないことをやり遂げるのが名将
まあ時勢に恵まれたことも含めて、私は杜預は名将だと思うけどね
409:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 13:38:26.76 qD8TWU+U0.net
あぁそれと、やたら楽進と于禁を小物だと思ってるみたいだけど、魏の五人からもし誰かを下げるならどう考えても徐晃だよ
役割も地位も功績も、五人の中では圧倒的に小物だから
同類を纏めた巻の列伝順は嘘をつかない
そうと思えないのは、多分キミが演義系のイメージに囚われているからだと思うよ
410:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 14:12:59.94 tLJzFj2O0.net
>>405
郭汜は呂布と一騎打ちもしてたはずだし、意外と猛将だったのかもしれないな。
董卓系列の武将は戦犯的な扱いで実像より小さくされがちだろうし。
まあそれでも名将とはほど遠いだろうけども。
411:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 14:58:57.90 R0pnbW/j0.net
徐晃は魏の5,6番手を失点なくずーーっと務めてた感じ
曹操や張遼、曹仁、夏侯淵等に吸われない徐晃個人の働き、大手柄と言える派手な実績というと…樊城くらい?
徐晃を外すべきなんて微塵も思わないけど、魏の中だと「大物」とは言い難い地味で堅実な名将だわな
412:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 16:17:44.75 eK6dC5OJ0.net
魏で五番手なら十分二十四には入るよ
413:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 00:21:27.80 2gy40Y7F0.net
こんなこと言うとアレだけど…。
領地拡大に貢献せず留守番も失敗した関羽がエントリーしてるのに、三国志最強の留守番役こと夏侯惇がエントリーすらしてないのは???
曹操が徐州に遠征すれば夏侯惇が兗州の本城を守り抜き、曹操が河北を転戦すれば夏侯惇が河南を後詰し、曹操が西に目を向ければ夏侯惇が東を担当。
絶大な権限と広大な範囲を常々任されながら、関羽や張飛のような失敗を一度もしたことが無い。
軍位や爵位の昇進スピードも桁違いだし、二十六軍=約10万人という後漢末期とは思えない大軍の都督を大過無くこなしている能力は半端じゃない気が。
まあ領土拡大には貢献してないし、戦功自体も少ないけど。
軍事上の功績は大きいけど戦争上の功績は少ない?と言うべきか。
いや、夏侯惇が24選に入る名将だとか思ってるわけじゃないですけど。
でも鄧禹を名将と呼ぶ界隈もありますからね。そういう意味では夏侯惇も名将になるかもと。
このスレではどういう扱いになるんでしょうか?こういうタイプって。
414:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 01:34:33.45 HSXbF7S10.net
集めた兵士に反乱起こされたり、呂布に捕われて部下に救出されたり、
顔面に矢を受けて失明したり、劉備のついでに高順に蹴散らされたり、
李典に止められたのに劉備を追撃してぼろくそに負けたり、
悪意を持って書けば酷いことになるけどなw
夏候惇は軍政家であって、君主の絶対の信頼を得て人を束ねる人物としてはこの上ないけど、
それと名将であるかどうかは全くベクトルが違うと思うよ。
武将としての夏候惇は、取り返しのつかない失敗をしなかったに過ぎない凡庸な武将。
関羽は取り返しのつかない大失敗をしたけれど、少なくとも一人の武人としては当代一流だし、
軍を率いても一応大物を下していて、議論ぐらいはできる武将だからね。
415:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 01:52:58.22 YgF9c+Fi0.net
曹操陣営屈指の重要人物なのは間違いないけど、兵を率いる武将としてはなぁ
まぁそれでも、名将か否かという事なら「名将」にカテゴライズされても別に文句はない
416:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 08:15:15.66 2gy40Y7F0.net
あぁ…確かに夏侯惇の優秀さって軍政家とかそういう方面であって、将としては微妙ですね…
そういう意味ではやっぱり、将としても戦果を残している関羽や陸抗の方が上なんですな
417:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 10:33:12.49 6mlYMI99O.net
陸抗は、陸遜と孫策の血を併せ受け継いだ「100パー名将にしかなりませんやん!」という最強の血筋を持つ男。
418:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 11:25:56.96 +jjqr4TTO.net
血統の良さなら陳泰もスゴいだろう
実績も申し分無い
419:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 11:31:24.66 2gy40Y7F0.net
>>417
陸遜並みの防戦の上手さと、孫策並みの城攻めの下手さを兼ね備えた、奇跡のハイブリッド!
間違いなく孫策の血を引いてるw
>>418
陳泰は凄いですよね
何が凄いって、戦術眼で郭淮どころか鄧艾をも上回ってるのが凄い
420:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 20:04:42.86 tK+xN1EY0.net
>>405
董卓周辺なら董卓でも良いんじゃね?
個人的能力も結構高かったよな
武勇なんか呂布の次くらい
421:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 00:01:36.10 /KgBhD4lO.net
魏の夏侯尚は中々名将かと。
西城・上庸・房陵など三郡を攻略して魏の版図の拡大に貢献。
官位も征南将軍・荊州刺史・仮節都督南方諸軍事と重きをなす。(まっ皇族ってのもあって出世に拍車を掛けてんだろけど)
荊州の任地では異民族鎮圧や開発を進め、任地の繁栄に貢献。
曹丕が呉を攻めた際には征南大将軍として諸軍を統率し、曹真と共に江陵を包囲して諸葛瑾の水軍を撃破。
大敗らしい大敗もしてないし中々のもの。
…ってかこいつの父親って誰よ?
当時の超有名一族で名前が分からないなんて…。
422:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 00:28:13.45 XiFvNAmiI.net
夏侯尚は前に>>102で一刀両断されてるな
名将だけど、魏にはこの程度の名将は割といるよな~みたいな
曹丕のせいっていうか半分は自業自得だけど、あそこで変な死に方せずもっと長生きしてれば更に実績を立てれただろうに惜しいことだ
まあ曹休みたいに勝ちすぎて調子に乗って最後に陸遜によって大敗してたかもしれんけど
後漢末の頃、沛の夏侯氏は曹氏と違って完全に没落してたっぽいから、父親の名前が不明なのはべつにおかしくないんでは?
没落してた割に巨大な一族だったようだし、大勢いる夏侯一族の子供達の中から特に優秀だった尚クンが曹操の目に止まって任用されたんだろう
423:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:16:11.98 P6Zu4hjS0.net
若死
政治的立場の悪さ
記録漏れor抹消
確定枠になるには強運が必要
424:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:38:54.85 lOI2g+Xh0.net
まぁ不運な奴なんて議論枠にすら居ないわな
一定以上の強運は大前提
425:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:48:45.50 QqHpuAq50.net
その中でさらに運がいい+実力が合わさって確定枠の高みに登れる
夏侯尚が生きていたら実績を積み重ねそうだけど
曹真曹休司馬懿とポジが被るし実際どうなるかわからんなぁ
426:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:58:14.31 XiFvNAmiI.net
李典李通は長生きしてれば、臧覇文聘を超える武功を成していたかもしれない
朱霊は記録が残っていたなら、曹操軍の異姓武将では徐晃に次ぐ第六位の実力者だったのだから議論枠には入っていたはず
でもこいつら、このスレでは全く触れられんからな
司馬氏と対立して三族皆殺しにされた曹真と夏侯尚と王淩と毌丘倹と諸葛誕
間違いなく史家の筆法により功績を省略されているが、そこを考慮していくとキリが無い
それでも曹真は確定枠に入ってるし毌丘倹は議論枠に入ってるけど……こいつらパねぇわ
あくまで実績という分かり易くブレにくい基準を重視するこのスレでは、もしもっと長生きしてたらとか、もしもっと記録が残っていたらとか、妄想込みでの評価が必要になってくる連中は不利
一般的な三国志ファンによる孫堅孫策関羽への評価はこのスレでの評価よりかなり高いだろうが、あれはそういった期待値を含んで評価しているからだろうし
427:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:05:32.03 lOI2g+Xh0.net
孫堅孫策は三国の1つの祖として活躍と「悲劇」を熱心に描かれるし、関羽は人によっては三国志と言う物語の主役にもなり得るキャラだからなぁ
428:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:14:52.74 P6Zu4hjS0.net
孫堅孫策の高評価がなかったら
コーエー三国志で呉プレイする人がいなくなってしまう
429:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:21:36.81 XiFvNAmiI.net
陸抗への評価も、巷では実績を超えて高いけど、あれも悲劇のヒーロー補正が入ってるんだろうな
陸抗伝読んでると、もうお前は充分頑張ったから親友のいる晋に亡命しちゃいなよ、って言ってあげたくなるし
病弱キャラで謙虚で有能、陸遜の子で孫策の血を引いてて、絶望的な状況で孤軍奮闘して最期まで国を憂いて死んだ
そりゃ妄想炸裂しますわ
430:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:14:30.14 /KgBhD4lO.net
>>426
例えばそこに挙がってるような名士武将連中を、間違いを起こさず次々と葬り去った司馬師・司馬昭なんてかなり有能な人物だと思うんだけどな。
ひとつの判断ミスが功績を台無しにしたり生命を左右する中、間違いを起こさず当初の目的を完遂するって結構重要なことだと思うんだよね。
司馬師は、魏帝や李豊が中心となった暗殺計画、淮南でのカン丘倹の乱、どちらも政権を揺るがす大事に見事察知、対処している。
司馬昭は、これまた魏帝を中心とした誅殺計画、淮南での諸葛誕の乱、蜀漢征伐の経営判断と、全て成功に導いている。
思うに、例えば于禁や楽進なら直接兵を率いる将として、関羽なら一州を預かる総司令の立場としてそれぞれ評価するならば、
司馬師・司馬昭のように国家のトップに立つ将も、その立場に応じた評価があってもいいと思うんだよね。
いやむしろ、こういった立場の人物こそ、直接国家や政権に影響を与えかねない案件ばかりなのだから、一介の将とは判断の重味が違ってくる。
それに加え国家運営力と経営判断など。
ってことで俺は司馬師・司馬昭の二人を有能な名将として提案したいんだけど…、政治家色が強いと一蹴されちゃうかな?
431:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:41:16.02 iHqKRqSG0.net
>>426孫堅孫策の評価が高い故に、この二人を破った黄祖・陳登の評価が高くなる
432:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:54:48.26 XiFvNAmiI.net
>>430
なんじゃそりゃ…
その理屈だったら、孫権や司馬炎だってその二人を上回る名将だわな、功績的に
ついでに姜維と戦ったのは司馬望とか言い出す気かいな
このスレをどういう方向に持っていきたいのだ…
433:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:14:16.62 7xKIintd0.net
まあ呉志を読んでると、江東四郡を本当に平定したのって孫策じゃなくて孫権(というか程普や賀斉)じゃね?って思えてくる時はある
孫策がイマイチ確定枠になりきれない原因の一つはこれな気がする
434:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:52:34.98 dT5c5n1bO.net
>>432
やっぱそうなるか…。
いやそれぞれの戦役の功績を、どこまで上の英断による功績として還元するか、って視点で考えてみたんだけど…、そう言われたら全て国家元首に帰趨しそうだから議論にならなくなるな。
スマン、司馬師・司馬昭のことは無かったことにしてくれ。
435:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:55:52.00 0cFTSmmN0.net
>>430
それはもう名将とかそういうのではなく、政治力とかの世界だと思う。
436:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 08:05:13.21 7xKIintd0.net
というかそういう視点だったら、司馬兄弟よりもまず曹叡の名前が上るんじゃないか
437:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 09:49:23.79 dT5c5n1bO.net
確かにね。
ただ、上の人も孫権や司馬炎を例として挙げてくれて、あなたも今曹叡を挙げてくれてるんだけど、
俺の当初の思いの中では君主までアップするつもりは無く、あくまでも「臣下の立場=将」という概念のもとに司馬兄弟を挙げさせてもらったんだよね。
でもそれは俺が勝手に想定した概念なので、上の人やあなたが言うように「それなら君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」と言われれば、まさにその通りなんだけどね。
俺が国家の上将軍としての司馬師・司馬昭を挙げたのは、色んな英雄・名将と呼ばれる人物があとちょっとのところで、たったひとつの判断ミスのせいで、功績を汚したり生命を落としたりして散って行った。
当時の司馬兄弟とてそれは同じで、中央・地方問わずあらゆる所に政敵がいた。
もし彼らが成し遂げた事績の中で、ひとつでも判断を誤ったものがあれば恐らく失脚=死が、たちまち彼らの頭上に舞い降りたことだろう。
しかし彼らは何ひとつ判断を誤らず、世に功績を打ち立て生涯を全うした。(もっともその功績とは必ずしも国家のためではなく、自らの御家の利益=国家の利益、と利害が一致していたからではあるが)
そこを買っての提案だったんだよね。
そして功績の在り処。
例えば、将の意図しなかった兵独自の見事な活躍と機動によって得た勝利も、功績としては将の名前で記される。
ならば、将の活躍で得た勝利も、その戦略的判断を下した「将の将たる者」にも還元されて然るべきではないかと思ったわけなんだ。
438:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 10:45:48.26 JP6rRTeq0.net
一理はあるけど区切りが難しすぎるしキリがないし、そもそもの正確・詳細な情報自体も少ないからなー
大雑把にざっくりだと全て君主へ…で面白くも何ともなくなる
まぁそっち基準でやり始め仮にある程度の結論が出たとしても、「それはそれとして」でこのスレでは脇に置いて終わりだわ
439:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 11:32:45.39 dT5c5n1bO.net
おっしゃる通り。
俺の提案した内容は「君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」という、上の方々の指摘によって既に破綻を迎えている。
幾ら自分なりの君臣の線引きによって選んだとしても、あなたの言う通り「俺独自の」では意味がないし、何より皆をそれに付き合わせるわけにも行かない。
よって、どうか俺の司馬兄弟の提案は忘れて欲しい。
440:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 14:33:08.17 4KNBQU1m0.net
そんな簡単に忘れられるわけないじゃない!
441:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 15:25:43.73 ashaI6xJO.net
まぁ司馬兄弟の話はもういいだろう
優秀な兄弟である事には変わらないから
議論枠の中から、夏侯淵はそろそろ確定させよう
442:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 20:33:03.87 7xKIintd0.net
夏侯淵は確定してると思ってた
今の議論って>>259を基準に進んでるんじゃないの?
文句言ってた人も一部いたようだけど反論されて沈黙してますし
低評価しかないとかそもそもウソだからな…
宋建瞬殺した時とか曹操から絶賛されてるし、有名な「三日で五百里~」もある
そんであんだけ実績あるんだから確定でしょう
443:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 09:25:43.44 J0AuvIsaI.net
夏侯淵は確定枠で良いでしょ 魏将はハードル上がりすぎ
というか>>259からここまでで選出が全く進んでないって…
こういう議論って終盤になると団栗の背比べになって難しいんだな、うん
今のところ誰が有力候補なんだ? 俺は姜維を推したいんだけど…
444:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 09:49:51.04 YYQs7Uy90.net
キクギ、カン丘倹、朱然は入れたい
後の2人は悩むなあ
杜預は入れてもいいかもしれない
姜維は正直入れる理由が分からない
一時的に魏の領土を荒らしまわったけど本腰入れられたら壊滅したってのは馬超と同じで馬超を入れないんだったら姜維を入れる理由も特にない
445:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 10:29:36.02 J0AuvIsaI.net
>>444
あぁ、毌丘倹を忘れてたわ…
遼東平定では司馬懿の副将に推挙され、高句麗遠征では無双し、揚州で諸葛恪を撃退
大功ばっかりやなこいつ
最期に反乱して潰されたという欠点がなかったらとっくに確定枠やろ
朱然は…魏では議論枠にも入ってない胡質と何度か互角に張り合ってるレベルだからなぁ
これを凄いと見るか見ないかは人によるんかな
んで、なんで馬超???
姜維と馬超は条件違いすぎるやろ
馬超は自分のホームグランドで暴れながら追い立てられていっただけ
姜維は敵地に攻め込んで戦ってる
何より後漢末期~三国時代後半までの時間経過により、魏とそれ以外の国力差の開きが倍増してて、姜維の方が圧倒的に難易度高いんやで
郭淮と陳泰の防衛能力の高さは否定しないが、姜維に対して決定的なダメージを与えるまではいかなかった
段谷の戦いで鄧艾に粉砕されなければ、姜維も蜀漢ももう少し長持ちしただろうに
まあ少なくとも、鍾会よりは姜維の方が間違いなく名将
鍾会の大軍運用手腕は三国時代でも屈指だけど、それ以外にあまり褒めどころが無い
鄧艾がいなかったら姜維に防がれて失敗してる
杜預の場合、そもそも敵将に姜維のような強敵がいなかった上、当時の呉は中央も地方もボロボロで離反と謀反が続出する完全末期状態
崖に片手でぶら下がってる自殺志願者の指を、寄ってたかって踏み潰して突き落とした感じ
鄧艾のように、名将でないと不可能なチート技で攻略したなんてことも無いし
446:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 13:38:56.67 jFWwnjT50.net
ちなみに毌丘倹が攻撃した時の高句麗ってどのくらいの国力だと推量されてるの?
公孫淵を攻めあぐねた毌丘倹が直後に快勝してるよね。
司馬懿から戦い方学んでたっていうのも考えられなくは無いけど、
国力が弱かったり兵法が発達してなかったりしたんじゃないの?
447:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 14:04:25.51 J0AuvIsaI.net
高句麗は周辺諸国とずっと戦乱を繰り返してたから、兵法が発達してないなんてことはない
遼東公孫氏とも一進一退の攻防を繰り広げてたが、公孫康の時代には高句麗が負けてる
国王直下の兵が二万程度ってことを考えても、郡以上州以下の勢力で、要するに遼東と大して変わらんかそれ以下
毌丘倹が凄いのは、中原からすれば完全に未開の地だった高句麗まで大遠征して大勝してることだな
情報の無い土地はマトモに行軍するだけでも大変なのに
448:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 14:43:26.82 CiRF2A/K0.net
杜預は名将か名将じゃないかで言ったら間違いなく名将だろうけどな。
異民族戦でも活躍してるし、張政も撃退してるし、
他に誰も呉を攻めたがらない中、機を見逃さなかった点も大きいと思う。
長期戦になる可能性もあった中で軍議を押し切った判断力と、
呉の士気を挫き破竹の勢いで呉を下したのは杜預の手腕であって、
誰でも良かったなんてことはならないんじゃないかなあ。
呉が態勢を整えたら城を落とせなくなるし、
呉は懐が深いから遷都されたらもう呉を滅ぼせなくなると言われていたわけだし。
どういう情勢であれ一国を滅ぼした功績というのは低く見てはいけないと思う。
戦術よりは統治とか戦略面で優れた武将だとは思うけれど。
449:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 15:10:31.51 J0AuvIsaI.net
>>448
そうだねぇ…郭馬の反乱を鎮圧する為に呉軍が交州へ寄っていた隙を突いた決断力と判断力は褒められていいと俺も思う
邪魔な賈充を黙らせ、失敗を恐れて撤退したがる諸将を無理矢理引っ張って呉討滅を断行するのは、当時の面子では杜預にしか出来なかったかも
しかしまあ杜預本人も言ってるように、羊祜のおかげな部分も大きく、作戦決行が認められたか認められなかったかだけの違いと言えなくもない
何よりあまりにも戦いの規模が大きすぎて各軍が各地で各自に行動しているせいで、杜預が果たした役割が限りなく薄まっているのが微妙さに拍車を掛けている
総司令官として全体をコントロールしていたと言えるのは司馬炎であって、極論すれば杜預は六軍の内の一軍でしかない
首都を落としたのも杜預じゃないしな
蜀討滅で鍾会が果たした役割の方がまだ全然大きいくらいだよ
450:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 15:33:44.30 J0AuvIsaI.net
つーか、呉の滅亡が杜預の功績って風潮は何が原因なんだろう?
あれほど手柄が分散する戦いは無いと思うんだが
首脳部は司馬炎と賈充と楊済
作戦立案は羊祜と張華
益州軍が王濬と唐彬
荊州軍が杜預と胡奮
揚州軍が王渾と周浚
徐州軍が司馬伷
豫州軍が王戎
杜預が名将だとかそういうレベルの戦いか?これ
451:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 18:41:36.26 5MiW8+KH0.net
「杜預が一国を滅ぼした」と繰り返すのは違和感凄いわな
好判断で多少滅亡を早めた、というならわかるけど
452:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:08:23.14 J0AuvIsaI.net
しかも最も大軍(七万)を率いていたのは王濬で、呉討滅の主力軍はこいつなんよ
杜預が大軍を統括してたって勘違いしてる人がたまにいるけど、違うからね
杜預と王濬と王渾の活躍は、誰かが突出しているというほどの差は無い
453:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:15:51.09 CiRF2A/K0.net
杜預一人で呉を滅ぼしたなんて思ってないし、言ってもいないでしょ。
ただ杜預が率先してなければ機を逃して泥仕合になってた可能性も高いわけで、
国の方針を確定させたオピニオンリーダーなわけでしょ。
その上で総司令官として呉討伐を完遂させたのだから、相応の評価はあっていいのではってだけ。
戦果は各将軍のものだけど、総司令官は自分で潰した敵の数だけが功績となるわけではないのだしさ。
まあ情勢的に呉は黙って待ってれば勝手に自滅してた可能性もあるけど、
杜預sageをしたくて仕方がないならともかく、ある程度の評価はされるべきだと思うだけだよ。
べつに確定枠入りさせろって騒いでるわけじゃないんだけどなあ…。
454:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:23:51.10 J0AuvIsaI.net
なんか勘違いさせてしまったみたいだけど、べつに杜預sageがしたいわけじゃない
というより割と好きな人物だしね、左伝ヲタ的に考えて
燻銀な祖父の杜畿の方が好きだけど
ただあんまりこのスレでは呉討滅戦に踏み込んだ議論をしてなかったみたいだから、言いたかったことをゴチャゴチャ書いてみただけ
杜預も名将の一人だとは思ってるよ
まあ今の確定枠19人に比べると見劣りするなとは個人的に思うけど
455:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:28:06.18 J0AuvIsaI.net
>>453
……って、アレ?
だから、杜預は総司令官なんかじゃないよって話だったんだけど
総司令官ってソースは何なのさ
456:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 19:29:38.69 5MiW8+KH0.net
俺も別にsageる意図なんてないわな
議論枠内だと普通に上位だと思うし
457:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 20:57:23.35 CiRF2A/K0.net
正確には都督荊州諸軍事、荊州方面軍の総司令官だったね。
戦そのものの総大将が賈充なのは分かってたけど、
討呉は羊祜が中心になって押し進めていた事業だし、
杜預はその羊祜の後を継いでるから、総司令官だという印象が先行していた。
こういうイメージを持ってる自分のようなにわかが多いのかもな、
征呉と破竹はセットで扱われてるのもあって。
458:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 21:22:58.84 J0AuvIsaI.net
まあ晋書でも羊祜と杜預が同巻に立伝されてるし、それに比べると王濬たちの列伝は下の方だからね
「破竹の勢い」のインパクトも加わって勘違いしがちなのかも
というか俺も昔はそんな風に思ってた気がするし
459:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/07 23:19:56.42 J0AuvIsaI.net
話を戻して、残り五枠を私的見解で選ぶなら
後漢末期前半
魏:陳登
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麹義 呂布 黄祖
この中から一人だけ選ぶなら100%麹義
後漢末期後半
魏:臧覇 文聘
蜀:関羽
関羽を推したい人の言い分には共感するけど、ここは素直に臧覇で
三国時代前半
魏:曹休 郭淮 毌丘倹
蜀:魏延 王平
呉:朱然 朱桓 諸葛恪
粒揃いだけども、毌丘倹のインパクトが頭一つ抜けてるかと
三国時代後半
魏:陳泰 王基 鍾会
蜀:姜維 羅憲
呉:丁奉 陸抗
普通に考えれば陳泰か王基だろうけど、背景を勝手に考慮して姜維を一押し
あと一人は呉から誰か入れたいけど、イマイチ微妙なのしかいない気がするのよなぁ
賀斉も一瞬思い浮かんだけど、その分野だったら上位互換として梁習や張既のような怪物が控えているし
もういっそのこと樹機能が確定枠で良いんじゃないかな…
杜預もビビって更迭されてるし、異民族マスター牽招の子の牽弘もこいつの乱で死んでるよな、たしか
460:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 02:08:21.89 qD7ziNL50.net
禿髪樹機能は蜀が存在してる内に立ってれば…と思わずにはいられん
細かくはわからんけど、どう考えても知謀もカリスマ性も相当なもんだよなぁ
まぁ晋が根本から揺らぐと大暗黒時代が継続してしまうわけで、誰が喜ぶかと言えば微妙だけども
461:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 08:39:19.85 sEmKz1yx0.net
姜維は背景を考慮してって考えで過大評価されすぎな気がする
462:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 09:40:45.55 PwT3cpFX0.net
・6選・
後漢
魏:曹操
蜀:劉備
呉:周瑜
三国
魏:鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・12選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:満寵 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・18選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・24選・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃 臧覇
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
三国内だけで実績重視の選出するならこんな感じかなぁ、というイメージ。
実績重視にすると途中から魏将しか入らなくなるよね、当たり前だけど。
公平なような不公平なような、微妙な感覚だわこれ。
463:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 09:46:19.36 v68xafov0.net
周瑜がなんで6選に入ってるの?
逆に周瑜のどんなとこを評価したの?
464:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 10:12:01.14 PwT3cpFX0.net
>>463
ん? また正史三国志をちゃんと読んだことが無い人か。このレベルのツッコミがこのスレで来ると萎えるわ。
>>50 >>353 >>406 >>446 と同じ人?
解説するのも面倒臭いから、中国名将百選スレでも読んできたらどうかなと。
三国志の確定枠は曹操と鄧艾だけ、議論枠は周瑜だけ。6選どころか3選でも入るよ周瑜は。
465:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 10:21:41.58 PwT3cpFX0.net
不要な暴言は荒れる元だったな。申し訳ない。猛省してもう黙っときます。
まあ端的に言っても周瑜は、黄祖を討ち取り曹操を撃退し曹仁を追い払い益州遠征司令にも任命されてたんだから、少なくとも呉から誰か選ぶなら周瑜しか有り得ないかなと。
466:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 11:31:00.76 jZL/srZoO.net
中国人であるジョン・ウー監督『レッドクリフ』でも、定番の劉備陣営ではなく周瑜を主人公に据えスポットを当ててるとこをみると、本国の人達にとっても特別な英雄なのかねぇ。
まぁ題材が赤壁だからってのも大いにあるけど。
467:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 12:45:47.94 qD7ziNL50.net
三国志の京劇で髭なしの色男タイプのキャラで主役を張るのは周瑜と趙雲くらいな気がする
趙雲は実績という意味では本当に微妙…というかそれ以下なのに、あっちでも超人気なんだよな
468:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 13:47:56.56 AlAO0EGTI.net
>>461
姜維のことは贔屓目入ってるからあんま気にしないでくれ
客観的に選出したら俺も>>462の人とほぼ同じになるかなぁ
6選は劉備より曹仁を入れたいし、12選は張飛より于禁を入れたいけど
まあ本当に公平さに拘るなら、三国外からも選ぶべきだとは思うが
特に群雄では最大勢力だった袁紹軍から誰も入らないのは拙いので、やはり麹義を推したくなるねぇ
異民族も…檀石槐はともかくとして、樹機能はギリギリ三国志の範疇に入るんじゃないかなと
軻比能はやられ役になってることが多いが、樹機能が魏晋に与えた被害は諸葛亮や陸遜を大きく上回る
馬隆マジックでよくわからんやられ方してるのが何とも言えない気持ちにさせるけども…
諸葛亮の八陣図はいいとして、いったいどんな磁石使ったら鉄兵の動きを止められるんだよと
469:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/08 18:58:10.98 GhZQtMKm0.net
>>467
呂布も髭なしだった希ガス
まぁこのスレには全く関係ないけどな
470:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 08:29:15.47 +ejotfwh0.net
姜維と陸抗には「滅亡寸前の弱小国家を背負って頑張ったで賞」をあげたい
471:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 08:56:55.05 G+hs4+000.net
呉はラジー賞の大本命ですね。
472:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 09:25:52.79 wGdgk6+IO.net
結局、一度優勢に立った魏の優位性は、最後まで覆らなかったね。
赤壁や漢中攻防戦、馬超や孫権との戦いを経ても。
また、それを覆させなかった曹操の人材収集、国家体制作りに、一将としての能力を超えた総合賞をあげたい。
473:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 10:05:47.33 +ejotfwh0.net
>>471
呉将の「名将だと思ってたけど実績はそうでもなかった」感の多さはヤバい
コーエー三国志で贔屓にされてるのは蜀将じゃなくて呉将なんじゃないかな
>>472
劉備と孫権が地方で割拠できたのは、人民が黄巾以来延々と続いた中原の騒乱を避けて地方へ疎開していたからってのが大きい
曹操と曹丕によって中原が安定すると地方に疎開していた人民が帰郷し始め、国力差は時間が経つほどに開いていって最後は蜀も呉も滅亡
特に呉は、領土が広いのに人口が少ないから国力低下が大問題となり、山中や海外へ人狩り活動をし始める始末
魏の都督は州単位、蜀の都督ですら郡単位なのに、呉の都督は県単位ってのが、いかに呉がスカスカな国だったかを現してるかと
まあ魏は蜀に呉に東夷に鮮卑にと全方向を敵に囲まれてるのに、蜀や呉は魏だけを相手に戦っても勝てなかったんだから、その差はお察しデスね
474:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 11:21:15.45 wGdgk6+IO.net
しかしそんな強国・魏も内患には勝てなかった…
「魏武がつき、三司馬こねし天下餅、座りしままに食うは安世」だったね。
475:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 12:08:19.30 +ejotfwh0.net
>>474
だから三国志後半はつまらんのよな、三国共通で君主も武将も大抵が小粒な上に内乱の時代になるから
司馬氏もよく見ていくと、司馬懿司馬師は優秀だが、司馬昭司馬炎は結構微妙だし
陸機の弁亡論でも「かつての曹操軍や劉備軍は名将揃いだったが、当時の呉軍はそれを撃退した。呉を滅ぼした晋軍には名将なんて一人もいなかったのに、呉は内部から崩壊していたから負けた」みたいなことを言っている
このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし、統一戦なのにここまで盛り上がりに欠けるって悲しすぎるわ
476:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 12:49:57.65 wGdgk6+IO.net
司馬懿、司馬師は優秀ってのは同意だけど、司馬昭もかなり優秀だよ?
司馬炎は普通の人って感じだが。
司馬昭の凄いところは抜け目ない性格と、先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ。
当時は司馬家が権力を握ってはいたが、どこまでその力を振るえるのか、どれほどの影響力なのか、兄・司馬師が体現してみせてくれた。
皇族に連なる寵臣を三族皆殺し、皇帝を廃立。
ここまでやっていいのかと、兄・司馬師の手法や振舞いを見て司馬昭は学んだと思う。
そして、晋公・晋王への昇進と簒奪への足場固めの手法は、ご存知曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移している。
兄や先人からたくさんのことを学び活かし切る、抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物だ。
477:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 13:43:04.00 PE+FS3WK0.net
>このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし
いやいやいや、
確定枠に入らないだけで普通に名将だぞ。
478:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 13:49:02.66 +ejotfwh0.net
>>先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ
王儀「は?」
曹髦「あ?」
陳泰「え?」
王経「ん?」
>>曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移し
曹操「献帝に殺されかけたことはあっても、献帝を殺したことはねーです」
曹操が献帝を殺してたら、絶対もっと魏は早期滅亡しただろうよ
皇帝殺害という汚点の大きさを舐めちゃあかんぜよ
>>抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物
賈充や鍾会のような輩を重用しすぎたせいで色々と問題起こしたり、司馬昭は抜け目無さとは程遠い人物だわ
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルだろ
479:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:34:41.59 wGdgk6+IO.net
皇帝殺害は致し方のないところだよ。
あの時曹髦は凄まじい覇気をもって先陣を切り、司馬昭の首を取らんとしていた。
「皇帝に刃を向ける気か!」と怒声を放つや、迎撃に出た兵は畏れおののき動きを止める。
放っておいたら、その権威を盾にした行軍に手出しできず、司馬昭の府に乗り込んで首を取られてしまうだろう。
止めるには、無茶でも殺す以外無いんだよ。
背に腹はかえられない、というやつだ。
曹操の時も司馬師の時も、皇帝自らが突っ込んで来たわけじゃない。
だから殺さずに済んだんだ。
それと、賈充や鍾会は有能な臣だ。
問題のある人物達だが、それ以上に司馬昭の役に立った。
だから有用した。
その内鍾会は反乱を起こし、もはや害にしかならないと判断したらきっちり始末をつけている。
対して賈充は反意を見せず、これまでの功も、そしてこの先も役に立つと判断したから、皇帝弑逆を陳泰に詰め寄られて世間に対する体裁が悪くなろうとも殺すことはしなかった。
白黒つけるところはしっかりつけている、人使いに長けた男だよ。
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルなのではなく、父と兄が優秀だったおかげで多くのことを学び、その二人よりむしろ落としにくい手強い人物になった気がする。
480:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:45:07.32 +ejotfwh0.net
殺す以外無い、とかどんな考え方してんだよ…
貴方とは議論できそうにないから諦めるわ
鍾会がいつか乱を為すことは幾人からも忠告されていたのに、結局反乱を起こさせあわや一大事となり、何より不世出の名将鄧艾をこんなくだらないことで失い
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたか
まあ司馬昭ファン?がどういう考え方してんのかの参考にはなったよ
歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
481:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:52:46.39 gpcIa53K0.net
横からだが賈充はそもそも呉を飲み込むこと自体に消極的
実際晋としては呉を飲み込まないほうが長生きできていたかもしれない
というかなんでさっきから武将じゃないやつについて語ってるんだ
三国志名君二十四選でも立てればいいのに
482:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:55:30.21 CfUMKrG40.net
司馬炎は圧倒的優位な状況下にありながら死に体の呉と禿髪樹機能に散々苦戦させられ、
どうにか統一しただけの人…という感じだなぁ
その後の平時の働きも酷いし
483:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 14:58:47.71 Wb+PWb3v0.net
鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのにあわや一大事ってどういうことさね
議論(というか意見の交換)を途中で放棄するのは自由だけど捨て台詞を吐くのはよろしくないな
しかも
>歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
っていうのはそのままブーメランになるぞ
484:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:02:51.49 CfUMKrG40.net
確かにそれは煽りにもならんわなぁ
485:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:03:12.12 +ejotfwh0.net
>>481
いつの間にかこういう流れになってた
スマソ
>>483
勿論ブーメラン込みで言ったのよ
というか議論放棄した時点で私の敗北宣言
486:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:06:24.06 +ejotfwh0.net
>>鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのに
あの乱が成功してたら蜀にまた国が誕生してた
あわや一大事、って何か間違ってるか?
487:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:20:59.29 wGdgk6+IO.net
>>480
どういう考え方してるって、だったら逆に訊くけどどうやって止めるんだい?
揺るぎない決意をもって殺しに来てるんだよ?
しかも賈充の配下以外は畏れおののいて皇帝に手出ししようとしない。
止めるにはもうああするより仕方ないじゃない。
鍾会がいつか乱を為すことは司馬昭も薄々気付いていた。
しかし蜀征伐の具体案を示し、群臣達が無理だと反対する中できると言ったのは彼だけだ。
だから危険を承知で彼に任せた。
トウ艾が死んだのはその巻き添えを食った形だが、司馬昭にとってはそれはそれで悪い状況でもなかった。
蜀討伐の二大功臣がいれば、その後の自らの計画の障壁となる可能性もある。
反司馬の盟主にでも担ぎ上げられれば厄介でもあるしね。
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたかってのは司馬炎の時代のことでしょ?
そんな先の時代にどんな議題でどんな主張をするかなんて、その時点の司馬昭に分かる筈ないじゃない。
少なくともその時点の司馬昭にとっては有能な臣だと判断したから、節を曲げてまで生かしておいたってことだよ。
488:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:28:04.92 +ejotfwh0.net
>>487
なんでこの流れで司馬昭の話を続けようとするんだよ
5日にも不自然な流れで司馬兄弟マンセーしてたよな
このスレで話題にする連中じゃないと言われてんだろ
私の解釈を貴方に認めてもらうのは諦めたから、貴方の解釈を私に認めさせるのは諦めてくれ
まあもう発言しないから、何とでも言ってくれていいけど
489:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 15:49:43.41 wGdgk6+IO.net
いや、何をぶっきらぼうに半ギレしてるのか知らないけど、見解を述べ合ってるんでしょ?
あなたが、有能ではないと主張したのに対し、俺は有能であると主張した。
ただそれだけのこと。
無駄なけなしを入れるばかりで議論もできないならもう結構。
ただ、自分と考えが違うからといって無闇に攻撃的になるのはどうかと思うよ。
490:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 16:19:59.05 +ejotfwh0.net
とっくにこっちは議論放棄してんのに、ここまで余計に粘着されるとは…
日本語が読めねーのかこいつ
最初に杜預や鍾会じゃなく司馬昭で突っかかってきた時点でスルーすべきだったかしら
かつての関羽信者なみに鬱陶しいわ
関羽はこのスレで議論してもいいが司馬昭にはその資格すら無ぇって何回周りから言われれば気が済むの
491:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 18:07:56.59 PE+FS3WK0.net
無駄な暴言は自分の品位を貶めるだけだよ。
492:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 18:41:10.47 U0vduAfC0.net
>>490そんな喧嘩腰だから、余計な反論を受けるんだよ
493:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 19:12:06.59 VCzcWlcF0.net
>>490
周りからっていうか、お前からだけだと思う。
494:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 19:48:53.11 D0H2YpYr0.net
しかし皆さん色々お詳しいですなぁ
陳泰って誰? ってレベルのあっしにゃ皆さん三国志博士っすわ
何かそういう細部?まで記述されてるような読み物とかあるんですかな?
495:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 20:49:56.30 yM4nicTK0.net
うるさいぞ曼才
496:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 22:11:56.65 K6rh0k0a0.net
関羽、夏侯淵あたりが確定じゃないのに
かなり早く死んだ周瑜が確定してるってのは結構凄いな
やっぱ無敗なのと、でかく重要な勝利を上げてるのが大きいのか
497:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 22:47:56.57 DUTHRhe40.net
夏侯淵は確定入したんじゃなかった?
498:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/09 23:53:51.17 +ejotfwh0.net
>>493
私だけじゃないよ
ちゃんとスレ読みましょう
>>494
URLリンク(www.amazon.co.jp)
正史も知らないレベルだったら中英板は難しいだと思うから、三戦板の方に行った方がいいんじゃないかな・・・
一応ネットでも正史三国志の和訳は読めるけど、陳泰を知らないくらいだから読んでも理解できんでしょうし
URLリンク(home.t02.itscom.net)
URLリンク(www.project-imagine.org)
URLリンク(www.3guozhi.com)
>>496
夏侯淵は確定してるはず