三国志名将二十四選 3スレ目at CHINAHERO
三国志名将二十四選 3スレ目 - 暇つぶし2ch200:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 04:54:42.87 t4n8vnJk0.net
呂蒙も呂蒙で油断させるための策をあれやこれやと講じ続けてきたけどね。
まあ結局掛かった方が悪いわけだけど、あそこまで周到にやられたらどうしようもないとも思う。
関羽は優れた将ではあったけど問題もあり、徹底的に潰された。
評価はできないけど、魏と呉にここまでやらせた事実を自分は重く受け止めるよ。

201:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:02:18.63 3f3NtVGq0.net
>>199関羽が劉備の下では活躍できなかったのは劉備のせいってのは流石にどうだろうか
張飛、趙雲、黄忠達は劉備の下でちゃんと活躍があるのに

202:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:20:46.71 JrDKEtjkO.net
>>199
>そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、


…あぁ、ごめん、カテゴライズの仕方がおかしかったかな。


>関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。

性格含めての将才でしょ。

…これは少し誤解されてるようだが、どこにも擁護ととれるものは無いと思うし、事実そんなつもりも無い。
>>174でも、そういった性格から来るものも将としての資質を量る上で大切と述べているしね。


以下、あなたの主張には俺も概ね同意見だなぁ。
関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく、軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな。

ただ、だから関羽は名将とは呼べない、とまでは俺は全否定できない。
それは、最終経歴である総司令官としての資質マッチングの話であり、また、俺やあなたの評価方法自体が数ある評価の仕方の内の一つでしか過ぎないから。

203:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:34:58.38 JrDKEtjkO.net
>>200
それは確かに言えてるね。
呂蒙は本当によくやったと思うし、敵を誉めるべきって言葉の通り、呂蒙を誉めるべきってのもあるよね。
確かに関羽でなくても凌ぎ切れたかどうか…。


>>201
そのへんの上との相性を量るってのは難しいよね。
ただ今回の場合、劉備と関羽の相性が悪いとは思わないし、関羽の軍略に悪影響を及ぼしてるとも思えないな。

上が劉備だったからってのは関係ない気がするね。

204:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 07:31:45.85 b+Yktzww0.net
外交音痴で敵の策略にひっかりやすい関羽が何故か敵地への反乱工作が得意なのが不思議だ

205:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 07:45:47.14 swVyvRmD0.net
>>204
人によって境界線が違うのでしょうが、
「敵地への反乱工作」は軍事に含まれると思うので、関羽が得意としていてもおかしくはなく、
「外交」は政治に含まれると思うので、関羽が苦手としてもおかしくはない、と私は感じますよ。
これは関羽自身の認識も絡んでくるでしょう。どこまでが自分の仕事分野か、という。

206:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 08:15:19.23 vmoO/XCKO.net
俺も軍事や政治と現代の感覚で話してみたものの、よく考えたらあの時代の当人達が果たして明確に区分けしてたかも謎だよね。

全部ひっくるめて俺の仕事、と認識してたかもしれないし、或いは、ある分野は全く視野に入れず切り捨ててたかもしれないし。
無論、後者である場合は将としての資質に問題ありだけど。

これは全てを自分でやれってことではなく、それぞれの専門家に適切な指示を出せてたか、充分相談・検討等がなされていたかってことだけどね。

207:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 08:38:24.23 Z4Ujj9DN0.net
ここで論じられ、評価を受ける「名将」は、政治的判断も加味されることが多いが
中国の制度として、都督など軍府は基本的に中央政府の管制下にあって、唐代の
節度使の淵源ではあっても、節度使のように独立した気風をもつにはいたらなかったのでは?
節度使も制度上当然ながら中央政府の管理下なのだが、徴税と行政を委ねられたので独立国的であった。
都督や太守でも政治的案件は中央の許諾が必要なのは間違いなく、関羽の独断の外交は物議を醸す逸話だね。

208:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:07:55.23 vmoO/XCKO.net
なるほど、興味深い話だね。
でも、急速に膨れ上がった劉備勢力に、当時最もそういった制度が整備されていたであろう魏のような、整然とした命令系統は確立されていたのだろうか?

無論、主命に従うは将たる者の務め。
おいそれと無視したりはしないが劉備も諸葛亮も益州の諸事に忙殺され、荊州の仔細までは分からない。
ここは劉備とも特別な信頼関係で結ばれている関羽のこと、それなりの裁量を与えて現場判断に任せてみようではないか、みたいなことで落着してる可能性とかは無い?

209:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:34:34.13 swVyvRmD0.net
蜀の都督制度は魏のそれと違ってよく分かっていません。呼称すら統一されていないので。
関羽がどこまでを担っていたのか、潘濬らがどこまでを担っていたのか。
少なくとも孫権陣営からは、荊州の代表は軍事政治共に関羽と扱われていたようですが。
関羽が軍事だけの統括ならば良いのですが、もし文武を統べる立場でありながら従事や太守と険悪だったとしたら大問題です。

関羽伝:以羽、爲襄陽太守、盪寇將軍、駐江北。先主西定益州、拜羽「董督荊州事」

潘濬伝:劉備領荊州、以濬爲治中從事。備入蜀、留典州事。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:45:50.31 swVyvRmD0.net
ああ、そういえば219年の「拜羽爲前將軍、假節鉞」を忘れていました。
仮節鉞があれば関羽は麋芳や士仁を独断で殺せますから、彼等が関羽を裏切ってあっさり呂蒙を受け入れた理由はこれでしょう。
「還當治之」は完全に関羽の失言。軍事上のミスですね。

211:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 10:50:28.48 vmoO/XCKO.net
うむ、孫権陣営からの見方は的を射てると思うな。
実際経営を任されたってことは、政治・軍事を統括していたんだと思う。

恐らく節で言うなら使持節・持節レベルで、荊州における君主権の代理くらいの大権を与えられてたと考えてるんだけど、どうだろう?

212:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 12:13:36.03 cud1/4mo0.net
>>202
>関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく
軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな

伝説の顔良斬りをこなして、その武勇超絶を歴史から永遠に讃えられることになった時
関羽が居た勢力が曹操側だったというのは皮肉な話だな。
この部分だけなら関羽が欠点のない天下無双の豪傑のみ、として歴史に名を残す事になった。

213:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 15:29:54.86 vmoO/XCKO.net
ホント皮肉な話だよね。
でも顔良も精強を誇る袁紹軍の先鋒で、勢い盛んな河北随一の勇将。

「関羽は顔良の旗印と車蓋を望見すると、馬に鞭打って駆けつけ、大軍のまっただ中で顔良を刺しその首を斬りとって帰って来た。」

うーむ…、この時の顔良の心境が知りたい。

演義等では事前に劉備から関羽の人相等を聞いていた顔良は、これこそ関羽と思い声を掛けようとしたらいきなり斬られた、みたいなもっともらしい事情が付いているが…。

リアルなとこどうなんだろ?
接近して来る関羽を、少なくとも敵とは認識してなかったのは確かそうだよね。
でないと、そう簡単に接近を許す筈がない。
味方の斥候が何かを伝えに来た、とでも思ったのかな?

214:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 15:46:30.73 swVyvRmD0.net
13日に長々と関羽名将談義していた私が言うのもなんですけど、ID:JrDKEtjkO=vmoO/XCKOの御方はそんなに関羽談義をしたかったら別スレを立ててはどうでしょうか?ここは「関羽のことを教えてもらうスレ」ではありませんよ。
なんだか一部の信者と荒らしのせいで関羽の話を忌避する流れになっていたのが残念だったので、あの日はなるべくフラットな視点で色々と述べてみたのですが、こういう流れになるとは思いませんでした…。

215:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 17:38:22.74 b+Yktzww0.net
それじゃあ、次は夏侯淵の話をしようぜ
実績はトップクラス
なのに確定入りできないのは最後が悪いのと、名将クラスの敵を倒してないからだろうか
馬超と韓遂は強敵だったと思うけど、曹操が一度撃破した後とどめを刺しただけって感じで過小評価されているのだろうか

216:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 17:47:14.12 2Ccz7Qtf0.net
劉備と曹操からの評価が低い、ってのを
やけに重要視されて評価下げられてるって指摘があったな。

217:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:35:11.10 swVyvRmD0.net
夏侯淵は、馬超に一度撃退されていますからねぇ。はっきり言って馬超は名将と呼ぶにも豪傑と呼ぶにも足りない人物なので、そんな相手に負けてしまったことが重要視されているのではないでしょうか?
極めつけに馬超は張郃が5000を率いてやってきただけで逃走していますから、その後の劉備や曹操陣営からの「張郃は凄い、夏侯淵はダメ」発言も相まって、張郃>>>夏侯淵という図式が刷り込まれてしまいます。
その張郃も、より上位にいる張楽于の三将と比べると、同時代の働きはかなり地味です。張遼より上と称された曹仁は実際にそれだけの活躍をしていますから、親族故の評価偏向というのは無いでしょう。

となると、やはり夏侯淵は今の確定枠にいる魏将と比べると見劣りする実力ということに。まあそれが確定枠に入らない理由になるのはおかしいですが…。
恐らく魏は既に確定枠が多いので、これ以上安易に増えないように名将のハードルが上がっているのでは?だから夏侯淵ほどの実績があっても議論枠に留まっているのでしょう。

馬超が>>2で議論枠になぜかエントリーしているのも、夏侯淵という名将を撃破しているというただ一点が原因としか思えません。それ以外の馬超は負けて負けて負けっぱなしなので。
つまり蜀は逆にハードルが下がっているのでしょう。最弱勢力としては当たり前と言えなくもないですが…。
しかしまあ、関羽と馬超が並んでいるのは違和感を感じますね。馬超が議論枠になれるハードルなら関羽は確定枠なんて余裕なはずなんですが…。まあこの話はもういいですけど。

218:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:37:10.67 TIkXQ8Jh0.net
多分曹操の親族で同じような立場だったと思われる曹仁の存在が余りにも大き過ぎたってのもあるんじゃない?

219:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:54:54.33 b+Yktzww0.net
>>217馬超は決して負けっぱなしじゃないぞ
郭援に勝利したり(ホウ徳の活躍が大きいが)、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてる
曹操も馬超と戦って、何回か死ぬかもしれないピンチに陥った事もあるし、馬超率いる連合軍に勝った曹操軍も戦死者は五桁にのぼるほどの被害を出してる
名将とは言えないかもしれないがかなりの豪傑だと思う

220:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 19:07:51.34 swVyvRmD0.net
>>219
馬超は曹操陣営で鍾ヨウの部下として働いていた時が全盛期ですね。仰る通り、龐徳の方が目立ってますけど。
それ以外に馬超が「戦争」で「勝利」したことが無いことは分かっておられると思いますよ。「局地的」な「ピンチ」なんて大局的には意味無いですから。
むしろ局地的にピンチにしておきながら結局大敗している辺りが、名将とは真逆な匹夫の素質を感じるところです。局地的にでもせめて名のある将を撃破してれば違うのですが。

豪傑とも言えないと思いますね。一騎打ちで韓遂の部下に半殺しにされたことはまあいいとしても、曹操を殺せる千載一遇のチャンスを許チョに睨まれて萎縮したことで失敗したり…。
豪傑と呼ばれるには、実力だけでなく振る舞いも求められるでしょう。関羽や張飛が本物の豪傑です。
馬超の情けない行蔵を見ると、演義でなんで馬超が関張と同列のように扱われたのか全く納得できませんし、正史で関羽が馬超らを下に見ていたことは大いに納得できます。

まあ、私の馬超に関する意見は私情がかなり入っているのでフラットな視点になってないと思いますけどね。

221:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 19:42:12.05 bROTHfvl0.net
>>218
親族と言っても曹操と夏侯淵は血の繋がりはあるけど
曹仁とは血の繋がりはないんだよなぁ

222:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:22:48.57 b+Yktzww0.net
>>220だから郭援に勝利した以外にも、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてるって言ってるじゃないか
それに夏侯淵にも勝利した事もある
それらの事は全て局地的な勝利であり、最終的に負けたのだから、郭援に勝利した事以外戦争で勝利は無しとなるなら
関羽なんて顔良を斬った事以外戦争での勝利無しになるし、諸葛亮も武都・陰平を取った事以外魏に対して戦争での勝利無しになるぞ

223:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:50:23.86 swVyvRmD0.net
>>222
劉雄鳴って、それ関中軍閥内の仲間割れですよ。しかも仕留められずに逃亡を許しています。
夏侯淵撃退=冀城攻防戦は既に私も言及しているじゃないですか。韋康殺害はその冀城攻防戦の一貫です。
馬超は孤立した冀城を落とすのに八ヶ月かかり、その後すぐに楊阜らに奪回されています。
何がそんなに引っかかっているのですか?

224:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:58:11.00 swVyvRmD0.net
>>222
関羽は于禁を捕獲し龐徳を斬り、諸葛亮は張郃を戦死させていますから、馬超とは全く違います。
「せめて名のある将を撃破してれば」というのも既に述べているはずです。
馬超は張郃どころか夏侯淵も仕留められていません。一時的に撃退しただけで、勝ち越したわけではありません。対して関羽と諸葛亮は、魏が誇る五将の息の根を止めたも同然です。
もう少し落ち着いてくださいな。

225:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 21:23:16.13 b+Yktzww0.net
一時的に撃退したのなら、一度勝利したという事と一緒じゃないのかと自分は思うわけですよ
一時的な撃退が勝利に値しないなら
関羽は樊城を攻め、救援に来た于禁を捕獲しホウ;徳を斬ったが、援軍に来た徐晃に破れ、樊城攻めを失敗したという意味で戦争に勝利してないという事になるし
諸葛亮も魏領に攻め込み司馬懿に局地的に勝利して、退却する際に張コウを戦死させたが、魏の領土を奪う事ができなかったので戦争に敗北したという事になる(事実敗北だけど)

撃退しただけの馬超より、敵将を捕獲し戦死させた関羽や諸葛亮の方が上だというのには同意しますけど

226:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:08:44.42 swVyvRmD0.net
>>225
仰っていることには私も同意です。大局的に見て関羽や諸葛亮が戦争で魏軍に勝利したなんて私も思っていません。まあ諸葛亮は敗北とも言い切れないと思いますが。

私の国語力不足のせいで伝わらず申し訳ないのですが、例えば、関羽は于禁に戦争で勝利した将軍ですよね。これは局地的にも大局的にも同じですし、否定材料は存在しません。
しかし、馬超は夏侯淵に戦争で勝利した将軍でしょうか?
局地的な勝利は得ていますが、結局は夏侯淵により軍勢は壊滅し羌族テイ族も駆逐され、関中からも涼州からも追われて劉備へ落ち延びました。これは大局的には明確な敗北です。
私の捉え方では、夏侯淵が馬超に戦争で勝利した将軍となります。

227:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:13:42.81 b+Yktzww0.net
>>226最終的に負けたけど、局地戦であろうと一度の勝利を認めないというのはどうなのかなって言いたいんだけどなあ

228:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:17:56.95 swVyvRmD0.net
>>227
え、局地戦で勝利していることは認めていますよ?
最初の>>217で思いっきり言っているじゃないですか。

229:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:23:03.57 b+Yktzww0.net
>>228勝手に認めて無いと勘違いしてました。すいませんでした。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:26:29.85 swVyvRmD0.net
気づいたらかなり連レスしていたようです。
他の方々が夏侯淵や馬超についてどう評価するのか興味ありますし、私のような長文バカが居座っていては議論が停滞しそうなので退室しようと思います。
お目汚し失礼致しました。

231:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 23:46:13.91 M+3sdDQC0.net
>>225
>~という事になる

反論してるつもりなんだろうが、その通りなんだよなぁ。
馬超も関羽も諸葛亮も局地的に勝ったけど大局的には敗北してるよ。

232:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 00:04:15.43 p3xFGHfRI.net
>>231の言いたいことがわからん
そこ誰も否定してなくね?

233:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 01:22:58.60 ig3gk6qi0.net
関羽が馬超より上であろうと下であろうとどちらにせよ確定入りする事は無いと思うわ
関羽は負けが多すぎるし、実績も少なすぎる
それだったら夏侯淵や孫策の方が可能性がある

234:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 11:36:53.14 NSbuwuoF0.net
関羽は史書の記述だけを拾っていくと負け戦が多過ぎる
しかしそれでは同世代の人物の高評価の説明がつかない
ここから記述がないだけで、放浪時代等に様々な功績を積み上げていたことは想像できる
だが、他人と相対的に評価しなければならないこのスレで補完した想像込みで関羽を語ってはならないだろう
収拾がつかなくなってしまう

235:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 12:27:22.05 pMCuc6mE0.net
実績が多いから名将というわけでもないからな。
実績の少ない関羽は万人敵と魏呉から恐れられ
実績の多い夏侯淵はそれこそ曹操から白地将軍の不名誉をもらってしまっている。

実績の多い、少ないはあまり名将認定には関係のないことだろう。

236:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 13:28:57.79 p3xFGHfRI.net
孫策とかそれこそ実績自体は文句無しのはずなんだけど
5年で揚州の江南部分を平定したという結果だけ見れば
でも戦歴を見ていくとなんか微妙感が漂うという不思議な存在?

劉繇を倒したのは孫策軍というより袁術軍の総力
王朗も自力じゃ倒せず故郷を守ってた孫静をわざわざ召喚
孫策軍だけで倒せたのは有象無象の賊共くらい
最後は寡兵の陳登に大敗した挙句に暗殺される

でも孫策の若さを考えるとやっぱり偉業か

237:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 18:30:17.95 ydtuhbu10.net
別に蜀に肩入れするわけじゃないけどさ、やっぱ史料少ないと苦しいっすね

238:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 01:44:25.10 o61lx5pG0.net
三国志の時代の当時は関羽は名将として認識されてたんだろ
曹操等から高評価され、色々と恐れられてて
だからこそ敵国は、よってたかって倒しにかかったんだよな

239:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 02:32:51.40 LVZYDtX90.net
名将と認識されたんじゃなく、豪傑と認識されてただけ
ここ重要

というか曹操は、チョウシュウ配下のコシャジとかいう奴の武勇を表彰したりしてるし、
関羽も同じように豪傑だったから名が知れてただけだと思う

呂布も当時は豪傑というだけで、出世したけど名将というわけでは無い

240:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 04:06:10.67 I34pOkIz0.net
>>236陳登が孫策と戦った記述は間違いで、本当は他の武将の可能性があるんじゃなかったっけ?

241:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 04:50:33.10 roFLzJh50.net
孫策配下の将である可能性も否定できないとかなんとかかんとか

242:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 06:30:31.77 P6pDr/wAI.net
なんか「魏と呉が関羽を恐れてたからよってたかって倒しにかかった」って言ってるバカがいるけど、今までこのスレの何を読んで来たのかな?
そういう流れじゃないことは何回も説明されてるじゃん
読解力無いの?

243:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 06:56:37.78 roFLzJh50.net
不要な暴言は荒れるもと。
そう思っても言わないのが良識のある大人。

244:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 07:08:40.81 Zv3rUP//0.net
読解力というより、おとしどころの目的が違うんだよ。
関羽をよってたかって倒しにかかっているのは事実だけど、「名将として」おそれていたなどない。
しかし万人敵と形容された関羽は、兵を率いても最強としたいんだろう。
最強スレではここから先はフィクションの話へと移行していったがな。

245:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 08:20:40.51 fCWEdBuy0.net
大分前から他スレでも関羽については
フィクションを信じるのが正義と思っている人がいるみたいだからねえ

246:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 18:45:30.76 +1JQuRND0.net
>>236
業績の評価批准に年齢は関係ないような。

>>241
確かに陳登と直接対戦したのは「孫策軍」だけど、
この「孫策軍」が孫策本人の率いる軍とは限らない所が。

247:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 18:54:19.89 P6pDr/wAI.net
いや、あんなこと言っといて何だけど、関羽は名将なんじゃね? 劉備軍が弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかっただけで
将軍としての関羽の実力は後世の目では分かりにくいけど、誰よりも関羽と張飛の実力を知っていたであろう劉備が常に関羽を最も重用していたってことは、実力の証明になっている気がする
後世の目から見ても名将である張飛より上、ってことは関羽も名将・・・というのは無理矢理すぎるかな

248:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 19:34:34.44 I34pOkIz0.net
>>247名将であったかもしれないけど
二十四選に確定するほどの名将とは思えないな
他の候補者、夏侯淵や孫策の方が上だと思う

249:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 20:58:13.44 P6pDr/wAI.net
>>248
まあ夏侯淵と孫策はむしろなんでまだ確定枠になれてないのか疑問なレベルだから
田豫と司馬懿もだけど

250:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:03:40.56 +1JQuRND0.net
>>249
孫策はねえ…
関羽さんと同じで多い長所を重大な短所でダメダメにしているから。

251:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:16:21.88 I34pOkIz0.net
>>250孫策の短所って政治家や君主としての問題であって、関羽と違ってそれらの短所が軍事的失敗に繋がる事にはなってないし、将軍としての短所は少ないようなあ
孫策の問題は雑魚専疑惑がある事だと思う

252:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:19:35.29 E2dKlZ5t0.net
張飛のほうがどうみても関羽より上。
長坂での殿軍も見方によっては関羽の顔良斬りよりヤバイし、
益州攻略での功績、巴に深く侵入してきた張コウ撃破と、明確に大手柄が記録されている。

大体たかが漢中太守に抜擢された地方軍(方面軍ではない)魏延と
中央軍のトップ級将軍である張飛を比較して魏延のほうが上というのは無理がある。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 22:28:36.86 P6pDr/wAI.net
>>252
魏延は漢中太守だけじゃなくて督漢中で鎮遠将軍だろ
方面軍ではないってどういう意味なん?
魏には太守なんて腐るほどいるけど、蜀の太守は数えるほどしかいないわけで、その中で最前線を任されたのを、たかがとは言わんだろ
しかも漢中は張魯→曹操→劉備と移り変わって支配の難しいところだろうし
何より一番大事なのは、張飛が任命されると思っていたところを魏延が任命された、ってことなわけで

254:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 00:20:37.28 DUWWLk030.net
>>247
> 弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかった

この部分がちょっと腑に落ちない
弱小国の将軍は大軍を統率する機会にはあまり恵まれないかもしれないが
不利な条件で勝利すればその分高く評価されるという意味では
条件はあまり変わらないんじゃないかと思う

255:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 00:37:27.68 Jv8aH0G70.net
関羽を擁護するなら、呉と魏と境界を接する荊州を統治とか、誰がやっても難しい、しかも不得意そうな事をやらされて可哀そうだとは思う
まあ、ビホウやら荊州にいた部下に裏切られたのは、擁護不可能だけどね

256:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 01:35:29.57 /OsMfpPo0.net
夏侯淵はともかく、孫策は頓死していなければ…の妄想ナシだと確定枠には遠いわな

257:2
14/02/18 08:17:13.79 QBxGN6QY0.net
議論が進んだようなので 絞り込む方向で少し修正。
おかしい箇所があったら訂正して下さい。


・確定枠(残り8枠)・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙

三国
魏:曹真 満寵 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜


・確定枠昇格候補・
後漢
魏:夏侯淵
蜀:関羽
呉:孫策

三国
魏:田豫 司馬懿


・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘

三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉


・定義外?・
群雄割拠以前
他:皇甫嵩 徐栄
呉:孫堅

三国以外所属
他:麴義 呂布 黄祖

晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:杜預

258:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 14:26:49.06 X78ip4df0.net
今までの議論の流れでは関羽は確定候補ではないんじゃないかな

259:2
14/02/18 16:30:16.08 QBxGN6QY0.net
読み返してみると、関羽と孫策はまだ議論の余地がありそうですね。
纏める方向で再整理。


・確定枠(残り5枠)・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙

三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜


・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
蜀:関羽
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麴義 呂布 黄祖

三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉 陸抗
晋:杜預

260:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:24:29.61 Jv8aH0G70.net
いつの間にか夏侯淵が確定枠に入ってる!?

261:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:50:05.08 CTJj3cUmO.net
5つも枠が有るなら、いつもの2人を入れてあげてもいいんじゃない?
さすがに議論枠の中では上の部類でしょ。

262:2
14/02/18 21:39:06.01 QBxGN6QY0.net
夏侯淵はスレの流れ的に確定かと判断したことと、最終的に24選から漏れることは無さそうなので入れましたが、異論が多く出るようなら外して下さい。

263:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 21:50:44.70 eZtZzRc40.net
夏侯淵は入れるという話題にすら上らない
議論するまでもなく現状では枠外なんだぜ

264:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:13:03.68 PqlIwZYi0.net
関羽はともかく、夏侯淵は明確に敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く、その実績の大部分がその「寄騎」によるものなので永久に除外していい。
漢中で失敗した夏侯淵が入るなら、揚州を全うした夏侯惇が確定しないと矛盾していておかしい。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:47:52.11 +72BEB5IO.net
郭淮、杜預あたりは確定枠に入れてあげてもいいんじゃ?

鍾会も戦略家としては一流だけど…剣閣抜けなかったり、トウ艾に出し抜かれたりが響いてるのかな。

266:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:51:28.79 Jv8aH0G70.net
>>264評価よりもやっぱ実績を重視すべきだろ
当時の評価が間違っている可能性もある
関羽は評価はかなり高くても実績はたいしたことが無い
同じく夏侯惇も敵を撃破した実績が少ない

267:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:13:47.72 cb16Q+Xw0.net
夏侯淵程の功績を残した人物は議論枠にはいないだろ
他人の評価なんて名将か否かに何も関係しないだろ
他人の評価で功を立てる訳じゃないんだから

268:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:18:46.73 BchvawFa0.net
夏侯淵の話題は前スレからずっとちょくちょく出てるし、確定枠だった時期もあるんだけど

>>264
その程度で「永久に除外していい」とまで言うのは極端すぎて荒らしとしか思えないんだが
夏侯淵を永久除外してまで誰を入れるのかという気も

実績の大部分が「寄騎」ってのも見方がおかしいでしょ
徐州で張遼于禁の援軍→青州で楽進の援軍→揚州で諸将の領軍→并州で徐晃の護軍→雍涼で張郃徐晃の護軍→益州で張郃徐晃の都督
領軍護軍は寄騎なんかじゃなくて司令官ポジションなわけで、夏侯淵が最も活躍していた時期は張郃徐晃らを率いる立場

だいたい曹操軍で前線の主役はあくまで五将軍、特にその中で上位三人への寄騎なわけで、夏侯淵が主体になりにくいのは仕方ないだろ
五将軍以上に前線で暴れてた曹仁がいるせいで夏侯淵が劣って見えるのかもしれんが、それが夏侯淵が名将でない理由になるのか?

夏侯惇は孫権が臣従したタイミングでの赴任だから攻め込まれてもいないので、方面軍司令官としての比較対象にはならない


>>265
郭淮は諸葛亮や魏延にハッキリ負けているし、鍾会や杜預は完全に一発屋・・・
それに杜預の侵攻作戦も鍾会に劣らず全体的にはけっこうグダグダ
あれだけ大規模な作戦だから仕方ない側面もあるだろうけど

269:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 01:29:12.42 slN1UdWu0.net
議論なんかどうでもよくて自分の考えが正しいと言いたい人がちらほら

他人の評価云々なんて直前の関羽で散々出た話題なのに
>敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く
なんて言ってる人は間違いなくスレを読まずに書き込んでる

270:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 10:59:01.96 LEP+piqU0.net
中国英雄板の三国志について語るスレが実質的にここだけなんだから、
そこまで選出に拘ったり、定義や意見でいがみ合ったりする必要無いじゃん。

271:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:00:29.97 hxiCxR6+0.net
>>270
「選ぶスレ」なんだから、ある程度選出には拘らなあかんやろ
選出が終わったら、語るスレにでも移行すれば良いんだし
言葉が汚くなったり挑発的な物言いになってしまうのは、まあ各自が自重するしかない
俺もよくそうなるけど

定義といえば誰も触れないが、皇甫嵩は議論枠からも除外して良いんじゃないのか?
皇甫嵩が活躍してた時代って三国の影も形もないし
中央の統制が崩壊して群雄割拠が始まるのは、あくまで反董卓連合からなわけで

麴義や呂布や黄祖は、群雄として三国建国者や他の群雄と鎬を削ったから「三国志の名将」に選ばれる資格はあると思うけど
皇甫嵩が戦った群雄候補なんて韓遂くらいしかおらんし、韓遂を滅ぼしたのは皇甫嵩じゃなくて夏侯淵だしで、なんかもう…

と個人的には思うが、皇甫嵩を24選に推したいって人ってけっこう居たりするんかな

272:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:35:37.81 YV+BRl+B0.net
このスレは選ぼう、絞ろうという方向に行こうとすると、荒れるか人が去るんだよなw
名将雑談スレくらいの緩さの時が最も伸びる

273:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 13:04:00.40 c7yMOxiQO.net
そうだね、誰かが提案して、それに対し誰かが反対意見を出し、更に誰かが賛成意見を出す時に示される各々の理由、そういうのを論じ合うのが楽しいのかも。

でも結論を出して行くなら、誰か裁定人が必要かも。

でないと議長の居ない会議、田原総一郎の居ない『朝まで生テレビ!』状態が続くかと。

274:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 14:40:22.01 42z939nA0.net
三国志を184年から数えるか、189年からにするかの見解の違いはあるかもだけど、
一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし、皇甫嵩も年代的には問題はないと思う。
まあ相手が烏合の衆だから、群雄割拠が成り立ってからの将の方が実績的には上かもだけど、
誰が最初の名将かを挙げるとしたら皇甫嵩になるんじゃないか、ってとこなのだろう。

275:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 15:37:11.51 hxiCxR6+0.net
>>一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし

これがわからない・・・
黄巾の乱って何のキッカケになったん?
黄巾がキッカケで群雄割拠したわけでもなければ、黄巾がキッカケで後漢王朝が倒れたわけでもなく、黄巾がキッカケで董卓あるいは袁紹や曹操が台頭したわけでもない
陳勝呉広や赤眉とは全く違うのよ、黄巾は
何のキッカケにもなってない気が

この時の働きが曹操孫堅劉備に与えた影響なんて殆ど無く
覇権争いで最初の主役となる二袁なぞ、ほぼ空気だったり

「184年」に囚われすぎなんでは?

276:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 17:42:13.25 42z939nA0.net
そりゃ赤眉の乱や黄巣の乱と違い、黄巾の乱が王朝を滅ぼした直接的な要因ではないからね。

でも、黄巾の乱以降、残党や流民が跋扈して治安が急速に悪化してて、
統制が取れなくなったことから、地方で実力者達が武装し軍閥化。
叛乱や軍閥の自立も頻発するようになった。これは董卓以前から始まってたことだよ。
そして治安悪化の影響で多くの民や知識人が荊州、揚州、益州などへ避難。
その影響で辺境の人口が増え文化水準が上昇。三国時代、呉や蜀が自立できた下地になってる。

乱自体は簡単に鎮圧されたし、乱そのもので誰かが政権を握ったりなどもなかったけど、
農民反乱ゆえに文化や民の生活などへの影響は強く、これにより後漢が完全に死に体になっている。
後漢の衰退を招き、乱世~三国時代の幕開けへの切っ掛けとなった事象だし、
王朝瓦解の決定的な契機は董卓だけど、三国志を語る上では無視できないものだと思うよ。
まあ三国志的に黄巾の乱で一番大事なのは、曹操や孫堅や董卓が表舞台に出てきたことなんだろうけど。

277:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:00:09.40 hxiCxR6+0.net
なるほど「軍閥化」のキッカケ・・・
そういう意味では大きな境界線なんですな、やっぱり

まあ後漢の衰退を招いたってのはちょっと違う気もするんやけど・・・
幼帝と外戚と宦官のスパイラルに嵌ってとっくの昔から勝手に衰退していってたのが後漢王朝って印象

鮮卑の大英雄こと檀石槐も黄巾より前にずっと暴れまくって尋常じゃない勢力圏を築いていたし
段熲が羌族を殲滅しまくってたり、張奐の下で董卓の名前が出たり、皇甫嵩の伯父が活躍したりしていた時期も、なかなか酷い
境界線となる時期は色々あって、完全に決定的なのが反董卓連合である以上はそれ以後の名将から選ぶべきだと個人的には思うのよな、あくまで個人的にはだけども

278:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:26:04.33 LEP+piqU0.net
なんで色んな時代でも、黄巾だけ成功せず、それどころか一瞬で鎮圧され後漢王朝の重臣が権力握っていったのか

1、蜂起を急ぎすぎた。民の不満が十分に溜まる前に誘発してしまった。
2、後漢王朝の将軍(コウホスウとか)が優秀すぎた。
3、張角が無能すぎた。
4、そもそも後漢王朝の腐敗は、中央政府に汚職や利権が蔓延ってただけで、地方や庶民の暮らしは大して悲惨じゃなかった。

どれだろ?田中氏も言ってたけど一年で鎮圧される民衆反乱ってショボすぎるよね。

279:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 22:03:10.44 hxiCxR6+0.net
んなもん、腐っても「王朝がまだ機能してたから」やろ
噛み砕いていえば「中央と地方の連絡がまだ取れていたから」か?
べつに皇甫嵩がおらんでも、盧植と董卓と朱儁と曹操でいつかは鎮圧したやろうし
中央と地方の繋がりが断ち切られて群雄割拠がスタートするのは、董卓が洛陽を焼き払って長安に引きこもってからやぞ
あれのせいで地方が好き勝手やり始めた

280:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:39:23.50 EicQxCrK0.net
仮に董卓前後からにしたとしてもあまり意味がないのでは?
皇甫嵩がエントリー枠に入るかどうかの違いだけで、このスレ的にはあまり変わらないのだから。
そもそも三国志演義ですら黄巾の乱からなんだし、そこは頑張っててもどうしようもないとこだと思います。
189年から始まるのなんて昔の三国志のゲームぐらいじゃないだろうか。

281:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:46:05.01 F61X+TqPI.net
皇甫嵩が入るなら時代区分だけじゃなくて三国外でもいいってことに広がるわけで、河北最強の麹義も当然確定枠に入るよね?

282:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 07:05:29.97 GchUNz0iO.net
うむ、時代的には候補に入っていいと思う。

時代は刻一刻と変わり行くものの連続性だから、この瞬間からって線引きは人それぞれだろうけど、
>>280の人の言うように、黄巾の乱あたりからと捉えても全然おかしくないと思う。

宦官と外戚の権力闘争、度重なる飢饉や天災、中央が乱れているからそれらに対応する策すら打てず、民心を失い後漢王朝が末期症状を呈しているのはそれ以前からだけど、
そこにきて乱の鎮圧に掛かる多大なる戦費と兵力。

これは財政的にも支配力的にも後漢王朝に与えたダメージは大きいと思う。

よって、後の三國の時代の幕開けに繋がる後漢王朝の衰退に、董卓の乱とともに黄巾の乱は大きく関与していると思うよ。

283:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 22:28:26.05 F61X+TqPI.net
まず実力の時点で皇甫嵩って他の連中と比べてどうなのさ

雑魚専と名高い孫策だって、一応は群雄と呼べないこともない相手を撃破しているんだから、皇甫嵩よか上だよね?

284:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 02:17:41.12 EAs6vXlcO.net
うむ、そうだね。
あの広大な江東を一代で制覇したという実績は、充分評価に値すると思うよ。

285:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 08:10:22.41 he0p3YjJ0.net
江東って別に広大でも無いだろ
加えて当時の揚州には有力な勢力が無かったし(強いて言えば袁術)。

286:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 09:54:37.14 WJUelP5y0.net
平定戦の功ってことで、なんで孫策が有力候補に上がるのかなぁ、ってのは前々から疑問
孫策が平定したのって揚州の江南(江東)部分だけだから、一州を平定したわけでもないし

曹操:兗州 豫州 徐州 司州 冀州 青州 并州 幽州 荊北 揚北(夏侯淵:涼州)
袁紹:冀州 幽州(袁譚:青州)(高幹:并州)
劉備:荊南 益州
劉表:荊州
呂布:徐州

こいつらは全員、開始時点では郡レベル以下だった勢力から成り上がって、自力で一州以上を平定してるじゃん
特に曹操と劉備と袁紹と呂布は、既に州レベルの支配を確立していた相手を撃破して平定している

孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?

287:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 22:58:47.61 qvZiyksw0.net
>>286
>孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
>孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?

その通りなんだわ。

そして袁紹ですら議論の末、
確定枠はおろか議論枠からも外され…という点でお察し

288:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:04:16.05 qvZiyksw0.net
孫策ってパッと見成績が華々しいから
一見凄いように見えるけど、
実際は大したことなんて碌にやってないんだよね。

孫策の江東を押さえている地域自体が
江東の「面」ではなく、
江東の都市とかの「点」を押さえているだけに過ぎないし。

289:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:21:35.56 WJUelP5yI.net
>>287
袁紹が議論枠から外れてるのは、麹義が代理で入ってるからな気がする…
袁紹勢力代表を袁紹にするか麹義するかは、それはそれで議論の余地があるんじゃないかと

>>288
だから点と点の間に不服住民が大量に巣食って、賀斉たちが延々と平定作業に励む羽目になったわけだしね
諸葛恪の時代になっても山越討伐してるんだから…まあフロンティアってそういうもんなのかもしれんけど

290:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 09:27:39.55 7BGmtsvE0.net
孫策の名前が出るのは

・ハンデありまくりのスタートラインから
・極めて短期間で
・政治的・権威的ににはともかく、武力的に完全制圧した

からだろう。
この時代で孫策のバックグラウンドと比較対象になる存在といえば鍾ヨウか?
事実上単身赴任で複数の武装勢力を服従させて地域に安寧をもたらしたのは




        孫策         鍾ヨウ
地域     江南        関西
バック    袁術        曹操
軍閥    劉ヨウなど     馬騰など
目的     制圧     せめて袁紹と繋がった敵にしない
手法     武力        慰撫
結果     制圧      纏めあげて服従させる

291:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 10:56:28.40 fJDHqfD60.net
孫策は、孫堅軍として転戦してきた程普黄蓋韓当ら歴戦の将兵を授かってるんだよなぁ。孫河呂範も最初から側近としている。
その戦争体制も、孫賁呉景、朱治、そして周瑜ら周氏も含めた、袁術軍との共同作業。バックなんてもんじゃない。
これが単身赴任と言えるのか…。

司隷に単身赴任して関中軍閥を懐柔した司隷校尉の鍾繇。揚州に単身赴任して袁術残党を懐柔した揚州刺史の劉馥。
曹操のバックアップ込みとはいえ、これが本当の単身赴任かと。

最たる例としては、荊州に単身赴任して豪族を懐柔し、反乱勢力を皆殺しにし、孫堅を戦死させて袁術を追い出し、張済を戦死させて張繍を懐柔した、江南最強群雄の劉表。
バックなんて無い、完全な実力。どう考えても孫策より上でしょう。

292:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 13:20:35.18 A1F3vlA40.net
孫策が呂布、袁術、劉表らより評価されやすいのは
誰に勝ったとかどこを切り取ったとかよりも
三国の一つの基礎となったからじゃないかと思う

呂布らは強くても結局生き残らなかったじゃん?
その点、孫策は早死にしたけど孫権に引き継いで勢力としては生き残ったから凄い、
っていう感覚なんじゃないかな

後のことまで評価に含めると
勢力を維持した孫権の功績を吸い取ることになっちゃうけど

293:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 19:29:55.60 RUgnFVbK0.net
曹操、劉備が余裕の確定枠なのに、孫堅孫権は無理で、ギリギリ可能性のあるのが孫策だけ…というのは大きいな

294:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 19:58:49.20 xPXqKp+50.net
劉表が最強とか知的障害でも抱えてんのかよ。
劉表は群雄としてじゃなく刺史として、しかもある程度後漢の権力と権威があった時代に赴任しただろ。
豪族を懐柔したってのも懐柔したというよりは迎合して媚びただけだし。
事実後継者に長子を選べないほど、専横されてた。

295:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 20:47:37.61 fJDHqfD6I.net
無駄に暴言を吐くのは何の意味があるんですかね
知的障害というのはブーメラン発言にしか見えないと思いますけど

というか反董卓連合の時に後漢の権力権威がそんなにあったとは驚きですね
劉焉や陶謙と混同してるんじゃないですか?

296:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 20:58:08.71 fJDHqfD6I.net
孫堅を戦死させ袁術を追い払い孫策より大勢力を築いた劉表が、江南最強群雄でないというなら誰が最強になるのか
頭の良い >>294 に是非教えていただきたい

297:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 21:15:02.04 nClH3jCo0.net
なんでそんな無駄にケンカ腰なの

298:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 21:37:57.63 1N5VExWVP.net
荒らしたいのか寂しがり屋なのか

299:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 00:14:48.93 zSfVVXHa0.net
>>294
荒らしなの? 構ってちゃんなの? ただの馬鹿なの?

まあ三国だけから選ぶなら 関羽や孫策も確定枠に入るんでは
後漢とか群雄とか西晋とかからも選ぶなら微妙なラインかもしれんけど

300:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 00:49:47.38 MM/emE1P0.net
しかし、相変わらず末尾Iが目立つスレだ
PやO、iと比べると相当にレアなはずなのに

301:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 02:16:46.64 TWG6wpKj0.net
そりゃこんな過疎板の住人なんてある程度固定されてるだろ
>>294みたいのがそういうレア末尾だと良かったんだけどなぁ(嘆息

302:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 02:41:14.81 zSfVVXHa0.net
>>300
前スレの時から大半が固定だぞここのスレ民
固定住民は鬱陶しいから去れってことか? 多分、一気に過疎るぞ

303:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 07:27:32.90 MrTBHgjn0.net
史料に拠って語れる人が煙たいので、暴言をもって排除を試みるも、いなくなったらなにもできずにスレを消滅させてしまうか
コーエー三国志程度の内容しかない短行のレスが時折つく過疎スレにしてしまう>>294みたいな暴言野郎の未来がみえる・・・

304:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 09:02:48.87 2l+B5kJo0.net
>>294に異常に固執してる人は何なんだ?
自演を疑うわけじゃないけど、しつこすぎない?

305:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 09:57:06.11 zSfVVXHa0.net
とりあえず董卓の乱(189)→官渡大戦(200)までの勢力拡大比較整理


ゼロから始まって数州を支配
1位:曹操:領地無し→河南四州を支配

一郡から始まって数州を支配
2位:袁紹:渤海太守→河北四州を支配

ゼロから始まって一州を支配
3位:劉表:領地無し→荊州を支配
4位:呂布:領地無し→徐州を支配→曹操により滅亡

ゼロから始まって数郡を支配
5位:孫策:領地無し→揚州江南を支配→横死して孫権へ
6位:袁術:領地無し→揚州江北を支配→曹操により滅亡

一郡から始まって数郡を支配
7位:公孫瓚:遼東属国長史→幽州西部を支配→袁紹により滅亡

最初から刺史や牧
8位:陶謙:徐州刺史→徐州を支配→病死して劉備へ
9位:劉焉:益州牧→益州を支配→病死して劉璋へ


議論枠の麴義(袁紹) 黄祖(劉表) 呂布 孫策の四人から選ぶなら、まずは麴義?
孫策の強みは、孫策軍の主力はあくまで孫策ってところか
名将周瑜がどれくらいのウェイトを占めていたか不明だし何とも言えないが
呂布における高順もそうだけど

306:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 14:51:31.91 z8U9YP3wI.net
末尾Iだと書き込んじゃいかんのか(困惑)


孫堅
age
当時無敵と思われていた董卓軍を撃破した唯一の将軍
袁術軍として豫州で多少の武功を挙げた
sage
曹操より有利な条件で戦ったが、やはり徐栄には大敗
劉表戦というか黄祖戦で戦死

孫策
age
五年で揚州江南の四郡を平定
黄祖を撃破している
sage
自力で勝てた戦いが意外と少ない
勢力規模の小さい相手としか戦ってない
北上=陳登攻め に失敗
北上=陳登攻めリトライ? の準備中に横死

二人とも死亡時期が早いからage材料が少ないのに、sage材料がけっこうあるんだよなぁ


もし関羽と孫堅が戦ったら、孫堅軍により関羽軍は撃破されるも、単騎で突出していた孫堅が関羽に斬り殺されて戦死、ってことになるイメージ
孫堅を孫策に変えても同じ結果になりそう

307:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 03:52:32.80 PTKnXOVc0.net
>>306
一人が自演で騒いでるだけだから気にしないでいいよ

308:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:20:59.08 TDhzSYsk0.net
>>306
正史準拠のスレで「孫堅が関羽に斬り殺されて」ってどういうこと?
本気で言ってるのかオーバーに言ってるのか分からないけど話が飛躍し過ぎでしょ

309:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:24:21.03 MgrwaRnA0.net
イメージで言ってるだけなのにそんなに噛み付かんでも。

310:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:50:15.35 pKgsz5C80.net
単騎で突出して死んじゃうような将は名将と呼べるか疑問だってことが言いたいんじゃないの>>306
なんか最近>>308みたいなの増えたねこのスレ

311:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 19:17:06.30 wZoxT8PQO.net
後漢後期 永和5年(西暦140年) 13州の人口ランキング

1位 益州 724万人(152万5千戸)

2位 荊州 626万人(139万9千戸)

3位 豫州 618万人(114万2千戸)

4位 冀州 593万人(90万8千戸)

5位 揚州 434万人(102万1千戸)

6位 エン州 405万人(72万7千戸)

7位 青州 371万人(63万5千戸)

8位 司隸 310万人(61万6千戸)

9位 徐州 279万人(47万6千戸)

10位 幽州 204万人(39万6千戸)

11位 交州 111万人(27万戸)

12位 并州 69万人(11万5千戸)

13位 涼州 42万人(10万2千戸)

数字はおそらくいい加減なので、参考程度に
そして司隸は董卓の遷都に、豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に、徐州は曹操の虐殺に、壊滅的被害を出したと考えられる

312:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 19:23:29.07 wZoxT8PQO.net
>>311続き
したがって何州切り取ったと言う数字は、あまり考察に相応しくないと思う
州ごとの格差がかなり大きいからね

313:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:03:58.45 pKgsz5C80.net
>>豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に

これは初耳
どこソース?


>>312

人口格差も考慮に入れて考えればいいだけの話じゃね?
てか格差があっても州郡という行政単位で平等に分けられているのにはそれなり以上の意味があるんであって、数字が考察に相応しくないというのはおかしすぎっすよ

例えば涼州は人口少ない割に城の数は異常に多かったりして、それはつまり後漢の支配が行き届いていない危険地帯ということだったり、戸籍に載ってないだけで人口が多かったりする証拠なわけで、
平定する価値や難易度ってのは、他にも色々な要素が絡む

一番分かりやすい基準が、何州を何郡を平定したかっていう数字であることは間違いないことだよ

314:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:31:30.75 TDhzSYsk0.net
曹操の豫州の略奪って人口を大きく減らすほど激しい物だったの?
人口下降率が高い順にも並べて欲しいな

個人的にはその後の動乱よりも、黄巾で荒れた青州や冀州が荒廃してたと思ってたんだけど

315:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:41:02.25 pKgsz5C80.net
>>314
俺はそもそも曹操が豫州で略奪したということ自体を知らんかったんだけど、正史のどこに載ってることなのか教えてくれ

影響力が及んでいただけで直轄支配していたわけでもない袁術の悪政ってのもわからん

豫州が荒れた原因ってそれこそ黄巾や李傕じゃないの

316:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 07:33:43.55 FHzZsCXPI.net
ID:wZoxT8PQOは言ってることが意味不明だからスルー推奨
ID:TDhzSYsk0みたいなホイホイ騙される"教えて厨"はこのスレ来ない方がいいよ
つーか人口下降率が高い順なんて明確な情報があるわけないでしょ
陳寿がサボったせいで後漢書と晋書にしか資料載ってねーのに

317:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 17:43:15.58 8dV+O4Vu0.net
蜀はもうちょい資料ほしかったなあ

318:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 20:02:58.52 Fiwq5Ep90.net
蜀は何で史官置かなかったんだろうな
何か記録として残したくない何かがあったのではないかと勘繰ってしまう

319:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 20:12:48.56 bKo0BsgZ0.net
>>318
そもそも史官を置ける余裕が無かったとか…

320:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 21:49:46.47 8dV+O4Vu0.net
流石に史官置けるだけの余力がないほどとは思えないがなあ

321:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 00:10:34.29 dvtMdkUT0.net
議論が停滞すると話が脇道に逸れた挙句に荒れかける・・・。
2スレを費やしてようやく16人まで決めた確定枠が、いかに大変なものだったか。最近の流れ見てて実感しました。

3スレ目に入って新しく決まった(?)のは、司馬懿と田豫だけ?
夏侯淵は微妙に出た反論は叩かれたが、結局有耶無耶に…。

今の議題は要するに、夏侯淵を確定枠にするのかしないのか。
しないとしたら、夏侯淵以上と言える名将は議論枠の中で誰がいるのか。
皇甫嵩や徐栄は? 麴義や呂布は? 孫堅や孫策は? 関羽や魏延は?
っていう流れでカオスになっているわけですよね。

322:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 01:43:38.05 j07bFOtE0.net
その中だったらやっぱり実績的にも夏候淵だと思うけどなあ。
なんでこんなにネガティブに見られてるんだろ。

323:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 04:42:44.61 fP7CvO680.net
夏侯淵以上の名将なら黄忠で良いよ

324:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 07:33:06.41 dvtMdkUT0.net
>>323のような荒らしも最近急に増えましたよね・・・。なんでこんなスレになってしまったのか。
同じ理屈で孫堅以上の名将が黄祖(呂公)とか、関羽以上の名将が潘璋(馬忠)とか言い出すんですね、わかります。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 11:13:01.48 LjClQLUe0.net
あれは黄忠というより劉備と思うけどな

326:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 18:57:14.55 WarqLOHm0.net
鍾会はどうなんだろ
野心が大きすぎて最後失敗したが

327:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 22:11:57.62 DsIsWdsPO.net
あの時代を代表する優秀な人物のひとりだったと思うよ。

司馬昭のもとで蜀討伐の大将として出征する以前から、司馬師のもとで淮南の反乱鎮圧のために、優れた策謀を買われて参謀として従軍したり、
政治についても大事な懸案となれば必ず彼も参与した。

蜀に降った夏侯覇も姜維に対して、「鍾会が魏の朝政を執るようになれば、蜀にとって由々しき事態となる」と注意喚起してるしね。

相当な切れ者だったんだと思う。

328:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 22:55:42.48 VcAbStLm0.net
>>318
仮に後ろ暗い事多々なら、それはそれで逆に優先して置くんじゃねw
余所に好き勝手書かれるよりは先手を取って捏造する方がいいもんな

329:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 02:13:24.45 F6lzX0+b0.net
三国時代の選出は奇跡的なくらいバランス良い
魏西最強:曹真
魏南最強:司馬懿
魏東最強:満寵
魏北最強:田豫
蜀軍最強:諸葛亮
呉軍最強:陸遜
三国最強:鄧艾

対して後漢末期は明らかにバランス悪いよ
後漢末最強:曹操 次いで劉備←わかる
曹操軍最強:曹仁 次いで五将←わかる
孫権軍最強:周瑜 次いで呂蒙←わかる
劉備軍最強:張飛←ファッ!?

関羽がいないのは違和感ヤバい
劉備軍最強:関羽 次いで張飛←こうなるべきじゃないの

個人的には夏侯淵より先に関羽を昇格させたいなぁ

黄忠を挙げてる人がいるけど、選択肢にも入らないと思うよ
赤壁で曹操を撃退した名将は、黄蓋ではなく周瑜
漢中で夏侯淵を撃殺した名将は、黄忠ではなく劉備

劉備軍における黄忠なんて、曹操軍で言えば曹純、孫権軍なら甘寧
この程度のポジションを名将なんて言わないし、言っていたらキリが無い

330:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 03:37:33.12 vwkB548v0.net
お髭さんは未知数な部分が多過ぎて、ハッキリしてる戦績だけではさすがに確定枠は厳しい。
放浪時代の記録とかがもっと残ってればと思うけど、期待値込みで評価するわけにもいかないしな。
最強武将とかだったら関羽でもいいかもしれないけど。

331:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 03:46:34.71 GL5r2eJF0.net
残っている事績から劉備の配下の中で最も優れた将が張飛である、というのは間違ってないと思う
ただ、確定枠かというと大きく疑問符を付けざるを得ない

332:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 05:36:39.93 irm28qgI0.net
劉備軍という事だと完全に張飛がトップで違和感は全くないな

333:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 06:40:58.13 fsTCbEx9O.net
夏侯淵は確定でいいよ
敗北(戦死)は名将を完全否定する材料にはならない
漢中戦は劉備軍をただただ誉めるべき(あの時の劉備軍は間違いなく全盛期)
彼の功績は張コウとかがいたからという説もあるが、彼等を指揮して大局的な勝利としてきたのだから
涼州の韓遂や宋建、羌はザコではないだろう
蜀において夏侯淵を討ち取った事が大手柄になってるんだから、名将に値する

劉備の張コウ>夏侯淵発言は、軍を引き締める為の劉備の統率術だよ、きっと(ゴメン、これは根拠無いです。でも劉備ならこうするんじゃないかなぁ)

334:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 09:30:21.71 eVprOQG+0.net
関羽は残っている記録の多くが負けだから評価するのは難しい
劉備軍が大きく領土を刈り取った蜀入りでも関羽は留守番してるし

335:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 09:45:53.22 F6lzX0+b0.net
そうなるかぁ
でも夏侯淵を確定枠に入れても、まだ5枠も残るんだけど(>>259
だったら関羽もワンチャンあるんじゃね?

夏侯淵以外に有力候補っていうと、麴義か孫策らへんでしょ?
政治能力というか協調性の無さで半ば自滅したって意味では、関羽と大して変わらんだろこいつら

336:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 10:29:14.74 eVprOQG+0.net
関羽入れるなら呂布入れたほうがまだいいような気がする
というか孫策とか呂布みたいな猛将タイプは負けも大きいけど勝ちも大きい
それに比べると関羽は勝ちの記録が殆どなく劉備軍が躍進したときも留守番をしてる
そもそも>>259の議論枠は他にも優秀な将が多いのに関羽を24人にいれる要因が少なすぎる

337:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 12:42:49.70 HrPRMfSN0.net
>>329
>ファッ!?

あっ・・・(察し)
超理論で関羽を無理矢理入れようとする奴が居着いてると思ったら、
なんJから流入してきたガキかよ

338:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 13:29:05.87 F6lzX0+b0.net
>>337
その程度の言葉尻で見当違いなレッテル貼りをできる神経が理解できんが
んで、お前のその何の中身も進展性も無い煽りはいったいどんな意味があるんだね
マトモに議論する気も無い荒らしが突っかかってくんなや
既に何度もこのスレでそういう輩は叩かれてんのに懲りないもんだ


>>336
一人お留守番を任されたことは能力を最も信頼されていた証だと思うんだけどね
まあ結果的に失敗してるからこれはアレだけど

官職も役割も評価も関羽は張飛の一歩上なわけで、陳寿は総合的に判断して関羽が張飛より上だと思ったから関張馬黄趙伝という順番にしたわけだ
それが年齢差などにも起因しているとしても、もし関羽が張飛にハッキリ劣るのだとしたら、劉備も魏の参謀達も含めて皆、人を見る目が無さすぎるということに

339:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 13:32:58.92 vwkB548v0.net
関羽を確定枠にするならまずその前に姜維でも入るんじゃなかろうか。

340:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:02:01.27 GL5r2eJF0.net
>>338
その辺の推測が成り立つこということは過去にも何度か意見が交わされてるんだけど、このスレでは確定している実績を重視していこうっていう意見のほうが今のところ優勢
俺個人としては貴方の考えに近いんだけどね

341:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:16:04.55 F6lzX0+b0.net
>>339
姜維は関羽の劣化版にしか俺には思えないんだけど・・・
魏将には基本的に勝てなかったって意味では同じだが、数少ない勝ち星を比較した時に王経では于禁龐徳の相手にならんでしょ
文官から見捨てられて大失敗したって意味では、荊州失陥した関羽より蜀を滅亡させた姜維の方が明らかに酷い

>>340
まあ関羽は「名将である」と言える材料も多いけど「名将じゃない」と言える材料も多いから、そうなっても仕方ないとは思ってるんだけどね
この時点でどういう反応が返ってくるか興味があったからふっかけてみただけで

342:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:27:07.50 rAlzD8oEO.net
関羽はやはり荊州失陥のマイナスが大き過ぎる。
如何なる経緯を経てどんな理由があったにせよ、荊州方面総司令としてこの地を守り切れなかったことは事実。
劉備軍の大局的な勢力図を、大きく失う方向で塗り変えてしまった。
このことは後の蜀漢の北伐戦略にも大きく影響し、諸葛亮の思い描いていた荊・益両方面からの北進を事実上頓挫させ、諸葛亮・姜維による魏討伐をより困難な状況に追い込んでしまった。

単に失地をしたということではなく、一国の戦略方針にも多大なダメージを与えてしまった将を、名将と呼ぶにはかなり疑問に感じるな…。

343:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 17:08:20.48 vwkB548v0.net
>>341
確かに関羽は大物を下してはいるけど、
姜維がやってる魏に大勝したり領土を切り取ったりはしてないわけで、
相手云々よりもそういった実績の方が重要だと個人的には思うんだよな。

まあどちらかと言えば自分もそんなに関羽sageはしない方だから、
関羽をフラットな視点から再評価するというのには賛成なんだけどね。

344:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 17:44:09.07 eVprOQG+0.net
>>338
1人留守番って単純に他に任せられる将がいなかったんじゃ
劉備の股肱の臣といえるのは関張
事実最初に下?の留守を任されたのは関羽じゃなくて張飛だった
しかし張飛は城を乗っ取られてしまうという失態を犯した
その後曹操を裏切ったときは今度は下?は関羽に任せた
関羽がこの後捕らえられたのは劉備が逃げて置いてかれたためで関羽に責任はない
しかも関羽は曹操に厚遇されたにも関わらず忠義かは分からんが劉備の元へと帰ってきた

時は流れて赤壁の後劉備は荊州を奪ったがこの後劉備は益州を攻めなくてはいかず誰かに重要拠点の荊州の守護を任せないといけなかった
新参の連中だと裏切るかどうか分からないし張飛は過去に城を奪われたことがある
そうなると単純に消去法で任せられるのは関羽ぐらいしかいない気がするんだ

345:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:10:45.32 F6lzX0+b0.net
>>342
うん、まあ、そこは反論しようがないんですけどね
関羽は名将だと言い張れる材料も結構あるから、どういうポイントを重視するかで評価が変わるんじゃないかってことを言いたかった

>>343
姜維は領土切り取りに成功したことはなかったような・・・? 記憶違いかもしれんけど
住民拉致はよくやってて、小国の悲哀を感じる

>>344
完全に同意だけども、それって要するに張飛よりも(留守番)能力を信頼されてたってことになるんじゃないか?

346:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:16:31.19 eVprOQG+0.net
>>345
まああの時点では張飛よりは留守番役として信頼されていただろうね
ただそれが能力を評価してなのか他にいなかったから選んだのかが分からんからなあ
そして結局その信頼を裏切った結果となったから評価し難い

正直張飛もこの後恨まれていた部下に殺されてるから部下の統率取れていたと言い難い
だから関羽の変わりに荊州任せられていたとしても失敗していた気はする

347:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:27:15.06 eVprOQG+0.net
個人的に名将になるには運も必要だと思うんだ
どんなに力量があっても無能な上司の元についたり活躍の場が与えられなかったら歴史の闇に埋まっていくだろうし
関羽と張飛の大きな違いはそこだと思うんだよねえ
蜀入りという敵を撃破懐柔していくという将の仕事を与えられた張飛
荊州の統治や防衛という味方を統率し民を慰撫し外敵に備えるという統治者としての仕事を任せられた関羽

関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない
ただ張飛のほうが名将として活躍できるチャンスを与えられた結果張飛は関羽よりも将としての実績を残すことは事実
だから張飛が名将入りされるのは当然とは思うけど関羽が名将入りされるのは違和感がある

348:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:33:05.46 NEkAeL390.net
張飛に荊州任せてもいずれ暗殺された可能性は高いが
部下の統率という点ではむしろ引き締まってたと思うよ
張飛突然死んでも軍営は混乱しなかったのだし
ムチ振るった相手を側においた浅慮が一番の問題だったわけで

349:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:43:08.18 eVprOQG+0.net
>>348
単純に側にいた人たちが張飛の苛烈な罰を一番受けるポジションだったってことじゃないかなあ
劉備に戒められるほどの厳しさが引き締まりを生んだんだろうけどその結果殺されてるってのは減点されるべきとは思う
結局は加減や部下をしっかり見ることができなかったってことだし

350:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:58:59.55 F6lzX0+b0.net
>>347
「関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない」ってとこまでは完全に同意見でいて、結論は俺と真逆なのだなぁ
その論理展開自体には納得せざるを得ないけども

ただ関羽は、曹操に捉えられた時に「劉将軍の下に帰りたい、だが殺さず厚遇してくれた曹公の恩にも報いたい、だから大功を立ててから去る」と誓って、それを即座にやり遂げた事実がある
即座にってところがポイントで、機会が来るのを悠長に待ってたわけじゃなく自分から掴みに行って、そして世に轟く武功を挙げて速やかに遂行した
あの手腕を見る限り、適した職場(戦場)さえ与えられていればどれだけ活躍しただろうかと思ってしまう
まあ、このスレのように客観的な事実を重視してブレにくい堅実な選出をしていく方式では、関羽は不利だねやっぱり・・・

>>348
張飛の一番の問題点は、部下を日常的にシバき殺すサディスティックな性格とか、その部下を側近に置く無頓着さじゃなくて、「劉備がそれを常々注意していたのにやめなかった」ってことだと思うんだよなぁ
上司の言うことを聞かない部下はダメでしょ・・・

351:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 19:02:53.83 eVprOQG+0.net
>>350
関羽は名将になれる器は十分あったとは思うよ
ただ名将にはなれなかった
それが関羽だと思う

352:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 07:53:48.17 mlgNZDKH0.net
>>259の議論枠から個人的に除外したい人物。

諸葛恪:ほぼ一発屋。丁奉のおかげで勝利と言えなくもない。再戦での負け方が酷すぎ。

鍾会:将としては一発屋。完全に鄧艾のおかげで勝利。戦中も戦後もグダグダ。

羅憲:ほぼ一発屋。しかも攻戦じゃなく守戦。偶然スポットが当たっただけで立場的には小物。

陸抗:ほぼ一発屋。しかもそれが部下の反乱鎮圧。羅憲に勝てなかった人。

杜預:ほぼ一発屋。王濬のおかげで勝利。というかあの状況で負けたらただの愚将。

353:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:24:04.82 4P+Admj80.net
羅権は確かに外しても良いと思うけど、杜預、鍾会を外すのは無理があるだろ。
特に杜預は確定枠でも良いと思う。
王シュンのお陰というのはあり得ない。王シュンがいなくても絶対に成功してたはず。

というか三国時代の一角である呉蜀を滅ぼした総司令官は確定枠に入れて良くない?
おそらく当時代で最大級の兵力を率いた将軍でもあるわけだし。
例えば楽進なんかは、終盤に少し将軍らしさを見せたからあんま言われないけど、
若い頃の活躍なんて匹夫の勇に頼った兵隊長レベルの活躍なんだよな。

楽進を入れるのに異論は無いけど、序盤に活躍した人間って華々しいけど、終盤の人間に比べて小粒過ぎる気がする。
もっと大軍を指揮してなおかつ国を滅ぼした将軍は評価されても良いはず。

354:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:34:52.45 TgcZ9WG+0.net
そりゃ序盤のほうが敵の数や奪い取れる領土の数が多いから華々しくなるのは仕方ない
後一発屋は外すべきって意見には反対したいな
杜預やショウカイみたいに部隊長や参謀として活躍していたからこそ将軍を任せられているんだろうし
そしてその信頼を見事に全うしたならば評価されてしかるべき

355:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:21:06.70 LEaX8eUQ0.net
>>353
漢の全盛期の6000万人の人口はその頃は600万人にまで減少してて兵もそれに比例してる

356:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:43:52.10 mlgNZDKH0.net
>>353
意味わからん・・・貴方の理屈だと、三国時代に生まれただけで有利になりますな。
後漢末期は少数しか率れなくても戦果を残さなきゃいけない時代。
三国時代は大軍を統率するのがメインワークの時代。

あと失礼だけど、正史読んだことないでしょう。
楽進が「終盤に少し将軍らしさを見せた」だけなんて思ってる人がこのスレにいることに驚愕しました。
別軍司令官として曹操軍で最も活躍したと言えるのが楽進なんですけどね。河北四州平定戦を何だと思っているんでしょうか。

357:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:52:10.20 mlgNZDKH0.net
>>354
確かにそうなんですが、鍾会は鄧艾がいなければ失敗していた可能性も高いですよね。
この辺の捉え方は人によって違うのでしょうけど、鄧艾と鍾会がどちらも確定枠に入る必要はないと思ったのですよ私は。

まあ>>353さんも仰る通り、一国を滅ぼした将軍を外せという私の意見はちょっと無理がありましたね。

358:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:22:46.51 CIqe3f470.net
羅憲の男前エピソードは好きだけど、記録が残る分にはほぼっつーか完全に一発屋だよなぁ

359:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:54:08.06 t5GKmlSmP.net
羅憲の状況で部下が最後まで士気を維持して付いて来るというのは相当なものではある。
ちょっとでも人格・能力に隙があれば首を差し出されてるもんなw
とはいえ流石に実績が少なすぎで、100選でも微妙なレベルか。

羅憲が呉・孫休にあっさり降伏する人物だったなら、勢力を増した呉がもっと粘れてた可能性はあるかね。

360:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:57:10.46 O4NQw9iD0.net
>>341姜維はどちらかというと、劣化馬超だな
異民族とのコネといい、騎兵を使った戦い方といい

361:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 14:58:22.37 mlgNZDKH0.net
姜維の能力は馬超より高かったと思うけどな。詰んでる状況でよくあそこまで頑張ったよ。
同時代の将が対等な条件下で戦ったら、鄧艾以外は姜維に勝てないんじゃないかな?
ただ郭淮や陳泰を押しのけて姜維を24選に入れるのも違和感あるので、姜維も脱落候補の一人かな…。

362:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 15:05:00.99 vnZ4LxG50.net
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ

363:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:04:51.32 qz57oOqeO.net
姜維は、諸葛瞻・董厥らとも北伐についての考え方は違うし、黄皓は宮中を乱すしで、援軍を申し立てても成都の対応は鈍く、やきもきしながら孤軍奮闘してるって感じだ。

恐らく蜀漢による中華統一以前に、蜀政権内における自らの発言力を取り戻せない限り、この戦争は大きく制限を受けるものになることも分かっていたのだろう。
だから必死に戦果を追い求め、度重なる出兵をした。

少し後になるが蜀の滅亡時、姜維は魏の鍾会に降った。
そして鍾会と手を結び、魏(司馬昭)との対立を画策する。

姜維は鍾会の反乱を利用し、後に彼を殺して蜀の再興を狙っていたと言われるが、俺はそうじゃないと思う。
姜維と鍾会の親交は日に日に深まって行ったというし、当初はどうであったかはともかく、彼の鍾会に対する信頼は本物になって行ったと思う。

蜀将だった時の、何を言っても響いてるのかもはっきりせず、対応も愚鈍な成都に比べ、
鍾会は頭の回転も早く決断力にも優れ、自分が献策したこともすぐに取り入れ実行に移してくれる。
ここに至って姜維は、将としての喜びを実感したのではないだろうか。
この男は共に天下を論じるに足る男だ、と。
年齢は親と子ほど離れているとはいえ、名将は名将を知る、といったところか…。

364:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:19:16.22 O4NQw9iD0.net
>>363劉禅に密書を送ってるから、やっぱ蜀復興を考えてたんじゃない?

365:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:33:02.07 zj7qIzxc0.net
龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦死しているからな

よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバカがいるが

司馬懿も大軍以てしても
孔明に追撃もできず局地的に負ける有様
 
淵や張任劉循と司馬懿では格が違うよ

366:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:43:19.52 qz57oOqeO.net
>>364
やっぱそうなっちゃうかなw?

でも姜維は単純に鍾会を利用しただけとは思えないんだよね。
親密とかそういうレベルで仲が良かったようだし。

劉禅達に比べ、打てば響くような利発さを備えている鍾会は、今老境に至り姜維が長年忘れかけていた将としての何かを沸々と甦らせてくれるような存在だったかと思えてね。

367:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:56:50.73 O4NQw9iD0.net
>>365法正が蜀の軍師で別格とされているのは劉備が曹操を破った時の参謀だからというのが大きいと思う
まあ曹操と戦ってた時の法正の具体的な功績といえば、不利になった時退却するよう進言した事ぐらいだけど

368:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:02:33.94 TgcZ9WG+0.net
近年では軍師として評価されてるのは法正だけじゃないかな
鳳凰のほうは最近は呉との外交分野での期待ぐらいしか話されてない気がする
どっちにしてもここは武将スレだから軍師はそもそも場違いだが

369:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:08:28.60 6yKL6rMD0.net
なんで突然法正や龐統や司馬懿の話が出てくるんだろ?
脈絡ないように思えるけど、誰かの話と繋がってるの?

370:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:16:25.10 mlgNZDKH0.net
三戦板住民が誤爆でもしたんじゃね? なんか頭悪そうだし

371:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 00:12:34.06 sISvNv0SI.net
陸抗は軍政家としてならトップクラスに優秀だし、将軍としても有能な部類であることは間違いないんだけどな一応

372:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:02:55.93 Y5j4HYIoO.net
あぁ、陸抗は優秀だね。
西陵の戦いでの見事さを目の当たりにした、かの晋の羊コをして「陸殿は当代の名将、その知略において私の及ぶところではない。
かくなる上は武を用いて攻めるのではなく、徳と慈悲によって対処すべきであろう」と、晋の強大なバックグラウンドをしても決戦を避け、徳治政策に切り替えたくらいだからね。

373:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:33:24.56 lgHhScLP0.net
陸抗は呉にとっての孟珙みたいなもんなのだろうとは思うけど、
二十四選に入れるにはちょっと実績が足りないかなって気がする。
呉の晩年を支えた軍政家だったとは思うし、減点材料もあまりないけど、
羅憲が抜けなかったというのが大きいかねやっぱり。

374:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:57:31.40 EBc8d+g20.net
>>368三国志軍師二十四選をやっても面白そうだな

375:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 02:25:37.81 Y5j4HYIoO.net
羅憲かぁ…、こいつも傑物で本来なら巴東の守将などやっているような人材ではなく、魏の蜀侵攻に対して姜維と共に防衛戦を張るべき人材だったのだろうが、黄皓に嫌われてこの地に飛ばされちゃったんだよね。

名将同士のガチンコとなると「攻者3倍の原則」で守備側がやはり有利か?
…と思いきや、羅憲2千に対し陸抗の増援3万以上かぁ、3倍どころの差じゃないね。
これで半年包囲して陥とせないとなると…、諸葛亮 vs カク昭の陳倉攻防戦時より大殊勲だな、羅憲は。

376:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 03:06:34.26 ivvKl/9B0.net
超寡兵な上に母国が既に滅んでいるという状況で、民の人心を安んじ兵の士気を高いまま保ち続ける…
マジカルな次元の話で、人格、政治力も備えた傑物なのは堅いところだわな
「大殊勲」を誇ることも認められる事も目指さず、意地でやってのけたんだろうというのも凄いw

永安を陥落させられないまま孫休がよくわからん死に方をするし、結果的に呉の滅亡を年単位で早めたかも知れない

377:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 03:21:49.01 Y5j4HYIoO.net
そうだね、それとこの白帝は、かの劉備が臨終を迎えた地。
先帝臨終の地で、迎え撃つは先帝を死の縁に追いやった陸遜の子・陸抗。

因縁めいたものを感じるねぇー。
因縁の地で因縁の相手との決戦。
元蜀将の意地とプライドにかけても、こいつにだけは絶対にこの地は渡さん!という、羅憲のほとばしるような覇気がこの偉業を支えてそうw

378:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 04:31:34.74 n/N7EMPP0.net
でもぶっちゃけ羅権の奮闘ってあんま意義の無い戦いだったよね。
魏の侵攻から耐えたんなら、蜀の臣として功績を残してるけど。
魏に併呑された後、蜀をハイエナしようとやってきた元同盟国の軍を魏んために戦うって良く分からん。

379:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 05:07:01.23 K4EnCu7t0.net
>>374
軍師系はどこもそうだけど
まず軍師の定義で大荒れしてろくに決まらない

380:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 07:29:11.24 sISvNv0SI.net
>>375
カク昭の陳倉守備は、曹真によって準備万端で完全にお膳立てされてたからなぁ
準備不足な上に本当に援軍が来てくれるかもわからん孤立無援の永安を守り切った羅憲は、カク昭とは次元が違う凄さ

381:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 08:22:34.68 L9gWo/KA0.net
>>379
参謀、軍師、名知将とかで良いんじゃね?

382:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 08:52:25.49 sISvNv0SI.net
>>381
別スレでやれ

383:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 09:06:07.70 xNTbZfyr0.net
軍師とか将みたいに明確な功績が残されてるの少ないから間違いなくぐだる

384:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 10:09:33.52 i2MbXz0/0.net
冷静に考えれば、経験のない小役人や農民でも
名将軍になれるんだよな…口八丁の参謀も然り

385:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 14:45:51.04 Y5j4HYIoO.net
>>378
確かに意義って意味では無意味に近いかもね。
思うにあれは魏のために戦ったってのは非常に薄いんじゃないかな。
言うなれば元蜀将、いち個人としての意地のため戦った。
母国は滅びたけど、せめて最後に因縁の相手に一矢報いて、先帝の仇を討ってやりたかった、みたいな。

もっとも、その後の自らの身の振り方を考えて、もはや残った呉では蜀をも併呑した魏(晋)を倒すことは不可能。
ならばここで一丁華を咲かせて、魏(晋)に恩を売っておく方が得策か、…なんて考えからなら、結構先見の明があり計算高い人物だけど。

386:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:03:15.91 ghlxgkdAP.net
羅憲の状況でその手の計算が透けてしまうと、人が付いて来なくなってすぐ詰みそう。
てか、冷静に計算した上で勝機十分と判断して選んだ道がアレだとすると、それはあまりに凄すぎるw

387:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:12:05.14 i2MbXz0/0.net
鐘会と変な友情が芽生えた可能性も否定できんな。
あんなボンクラのために、また蜀の民を兵隊に徴兵して巻き込むこと
を美化するのは難しい。

388:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 16:15:33.72 sISvNv0SI.net
諸葛恪と姜維は似てるところも多いけど、二十四選に入る可能性があるほどの名将は姜維の方だけだと思う
姜維の敗戦は姜維以外に責任転嫁できる部分も多いけど、諸葛恪の敗戦は完全に諸葛恪自身の失態だし

389:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 17:47:08.56 Y5j4HYIoO.net
あの合肥新城攻防戦に際し、呉の諸葛恪は20万と號する大動員を掛けその攻略に向かった。
対外的には蜀の姜維に使者を派遣し、同時に出兵の約束を取り付けている。
合肥新城の守将は魏の張特、駐屯する兵力はわずか数千。
この報を受けた魏の大将軍・司馬師は、弟・司馬昭を雍州に向け郭淮を助けて蜀の姜維の侵入を防がせる一方、胡遵・カン丘倹に呉の諸葛恪の方を当たらせることにした。
…このへん魏の層の厚さと他二国との国力差を感じさせるな。

しかしこの魏の張特、先に名前が挙がってたカク昭・羅憲らと同じく、大兵力を相手に見事城を守り通したのだが、
先の二名とは違い、ここではあまり名前が挙がってない印象があるな…。

390:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 18:13:25.46 sISvNv0SI.net
>>389
カク昭も最近ちょっと話題になっただけで、名将候補として挙がったことは無い気が
張特の手柄も、都督揚州諸軍事の毌丘倹へ帰趨すると考えている人が多いんじゃないか?
諸葛誕では諸葛恪に勝てなかったら毌丘倹に交代して防がせたって書き方なわけだし
まあ曹真のように将を選出して派遣したり城の強化を指示したりと積極的に関わったわけでもないから、毌丘倹ではなく張特の手柄として良い気もするけど…

391:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 18:49:59.90 Y5j4HYIoO.net
確かに最終的に呉の軍勢を撃破したのはカン丘倹だもんな。

しかしあの張特の計略は見事だよね。
弁の立つ者を諸葛恪の陣に遣わして「我が魏国の法律では、敵に城を囲まれて守ること百日にして援軍が来なければ、城から出て降伏しても家族の者が罪に連座することはありません。
今、将軍に囲まれて九十余日になります。 どうか数日のご猶予を頂き、百日してから軍民を率いて投降させて頂きたい」と、数日時間を稼いで、その間城中の家屋をひっぺ返して、それを材料として城の補修を済まし、
「呉の狗どもに降ってたまるか。 さあ、もう一度かかって来い!」ってんだから、中々痛快で切れる男だよ、張特はw

392:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 19:55:17.69 i2MbXz0/0.net
それだけで昔の世界は天才切れ者扱いだもの。
東大理学部行きたかったわ…。昔の世界は良いよなぁ
簡単に賢人になれちゃうからさ

393:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 20:24:02.04 Y5j4HYIoO.net
いや、こういった計略を成功させるには単に頭が良いってだけじゃなく、人間心理を上手く利用したり、命懸けで実行するわけだから胆力も備わってなきゃならないし、考えるよりも遥かに大変なことかと…。

394:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 21:01:14.91 sISvNv0SI.net
合肥新城は満寵が手掛けた堅城ということで、他よりはイージーモードだったとも思う
城を守るのに肝心なのは、兵力よりも物資だろうし

赤壁時に孫権が合肥を攻めた時なんて守将の名前すらわかってなかったはずだけど、劉馥の余徳だけでずっと耐えてたり

395:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 22:33:46.34 i2MbXz0/0.net
>>393
でも個々の人間でもそれくらいの能力有していないか?
昔の英雄とか参謀とかそもそも学を納める機会も広く門戸を開かれてた
訳でもなかったからね。

396:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 23:34:53.20 Y5j4HYIoO.net
有しているかもしれない。
そして、それを実戦で開花させた者だけが史書に載るような業績を打ち立て、歴史に名を刻むのだろう。

学を納め勉強が出来れば良いというわけではなく、名将・名参謀たるには、敵を知り、地理を知り、状況を見極め、何よりも人というものをよく理解していなければいけない。
所詮相対するのは人。
目の前に立ちはだかるそいつの心理を読み、出し抜かない限り、劣勢側に勝利などあり得ないからね。

そういったことを勉強は出来て秀才の馬謖と、勉強は出来なくとも人生から多くのことを学び戦いでも生かして来たトウ艾の二人が、我々に多くのことを教えてくれる。

397:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 02:18:11.56 FTZ/ucL90.net
というか記載された事柄以外のことも当然起こってるんだし
簡潔に後世に伝えるために記述されてるだけで

398:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 04:42:23.80 kAMiOTIE0.net
机上オンリー、ボードゲームの巧さ的な意味での能力だけならともかく、実際に自分の命をかけ、人に命を懸けさせて…となるとな

399:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 07:33:15.76 igRfuKvm0.net
あと、社会情勢もある。
魏晋貴族社会の始まりに位置する三国時代ってのは
どんどん寒門の出世が望めなくなってくる。
士流は士流で、またヒエラルキーが存在して家門のしがらみ
があり、思うままに動けなかったり。

張徳が思い切った(相手をおちょくったような)策が打てたのは
麾下の統制がうまくいっていた証拠なんだろうなぁ。
そこに日頃の努力がうかがえる。
非協力的な味方では、攻囲されている極限状態でよく為せる
ことではないだろう。

400:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 07:33:59.72 sJS2WdJI0.net
三国志最長の籠城戦は公孫瓚の易京かな? 結局陥落してるけど

というか麴義は確定枠に推したい
三国のどれとも関わってない部将なのにあんだけ事績が伝わってるって物凄いと思うんだけど

401:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 08:10:50.90 V0z1i3BF0.net
鞠義は最後、公孫サンに大敗したのが印象に悪いな

402:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 09:15:06.32 FTZ/ucL90.net
キクギは袁紹躍進の立役者と言えるからなあ
残念ながら魏蜀呉にあまり関わってないせいか記録がそこまで残ってないけど残された戦績だけ見るとかなり優秀だ
最後の大敗は易京という袁紹本隊が数年取り囲んでやっとこさどうにかなる場所であったし

403:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/02 14:32:46.81 sJS2WdJI0.net
麴義だけじゃなく黄祖もなぁ…
孫堅だけじゃなく徐琨や凌操らをも戦死させてるわけで、本来は孫堅や孫策を上回る名将だと思うんだけど
基本的に呉側の記録しか残っておらず敗戦扱いしか伝わってないせいか「負けまくってるのに全く領地を失わず敵の大物を殺し続けた謎のゾンビ野郎」になってしまっているからなぁ
孫呉二大名将の周瑜と呂蒙が前軍となってようやく討ち取られるまで、孫堅戦死以来15年以上
江夏の守護神って意味では文聘に劣るかもしれんけど、その密度自体は文聘以上だよ間違いなく

呂布は…呂布入れるくらいなら臧覇入れようぜって思うから別にいいや

404:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 02:00:06.56 +aMD4GPD0.net
他に三国以外の後漢の群雄で確定する可能性がありそうなのは陳登かな

405:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 08:02:31.75 qD8TWU+U0.net
皇甫嵩は董卓に服従して役立たずの置物に

徐栄は孫堅を撃破したが孫堅は呂布や董卓を撃破

李傕と郭汜は徐栄を戦死させ呂布を撃破

郭汜は李傕を寡兵で撃破

董卓周辺人物では郭汜が一番の名将かもしれんな(笑)

どいつもこいつもイマイチなのは間違いないけど


>>404
陳登の実力は底知れないけど、活躍期間短くね? 実績が足りない
長生きしてれば臧覇や文聘を超えてただろうけど

406:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 11:46:02.52 UXSSyoNG0.net
少数精鋭を率いて軍の先頭に立って無双する呂布のような猛将を、
名将と呼ぶか否かで選出が大分変わると思う。
というかそこを統一してないから議論がこんがらがってる。

呂布を入れるなら、公孫瓚や関羽や甘寧、文鴦、丁奉みたいのも入れてく必要あるし。
逆にそういう匹夫の勇を除外するなら、匹夫の勇に関する功績を度外視して考えてく必要がある。
俺は大軍を独立した指揮系統で元帥として率いて連戦連勝するような人間が名将だと思うから呂布や丁奉みたいのは入らない思う。
逆に大軍を率いて一国を滅ぼした杜預は入れるべきだと思うよ。

そうすると後半の人間に比重が置かれると指摘する人がいるけど、それで良いと思うんだよね。
というか今の選出じゃ前半の武将が有利すぎて偏ってる状態だと思うよ。
陳登を例に挙げれば、孫策を破ったのも
徐州の一部の軍を率いて、揚州の一部の軍を率いた武将(軍の規模は不明)を破っただけでしょ。

407:406
14/03/03 11:53:27.33 UXSSyoNG0.net
杜預を入れるべきだという意見を補足するけど
例えば、楽進は○○城を占領したとか于禁は○○郡を占領したとか言うけど
杜預は一国を占領してるからね。
当然一国の下には無数の郡や城があり、
杜預の下には複数の城や将を斬った武将がいるだろうし、于禁や楽進の役割を担う武将を更に統括したのが杜預。
兵の衆寡を考慮しても名将に選出されるだけの武功がある。

逆に杜預が前線に出て自ら城に一番乗りとかしてたらそれこそ匹夫の勇の極み。
大将がそういう小さな武功を建てても誉められる事では無い。

408:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 13:30:19.31 qD8TWU+U0.net
>>406
そんな理由で議論が混乱したことなど一度も無いだろw
肝心なのは実績だ実績
べつに陣頭で突撃してようが後方で指揮してようが、同じ結果を出してれば同じ程度の名将だよ
いったい何を言ってるんだ?

公孫瓚と関羽と甘寧と文鴦と丁奉を匹夫の勇で同一視するのも無理がありすぎ
時勢や官職など基本的な情報を把握せず、漠然としたイメージだけで語っているだろう
Wikipediaとかのネットで中途半端に正史齧った程度の知識を持ってる人間にしか見えんぞ、残念ながら
厳しい言い方だけど、前からキミの意見はいつも的外れだから、少し勉強し直してから来たらどうだい


>>407
そりゃそうだろ
そんなわかりきったことを「お前らわかってないんだろ」のノリで説明するのはやめた方がいいって
ここのスレ民でそんな馬鹿なやつはいないよ間違いなく
そんなことはわかった上で今の確定枠と議論枠に落ち着いてんだろ

杜預がまだ議論枠なのは、杜預じゃなくてもやれたと思われてるからじゃないの? 知らんけど
余人では出来ないことをやり遂げるのが名将
まあ時勢に恵まれたことも含めて、私は杜預は名将だと思うけどね

409:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 13:38:26.76 qD8TWU+U0.net
あぁそれと、やたら楽進と于禁を小物だと思ってるみたいだけど、魏の五人からもし誰かを下げるならどう考えても徐晃だよ
役割も地位も功績も、五人の中では圧倒的に小物だから
同類を纏めた巻の列伝順は嘘をつかない
そうと思えないのは、多分キミが演義系のイメージに囚われているからだと思うよ

410:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 14:12:59.94 tLJzFj2O0.net
>>405
郭汜は呂布と一騎打ちもしてたはずだし、意外と猛将だったのかもしれないな。
董卓系列の武将は戦犯的な扱いで実像より小さくされがちだろうし。
まあそれでも名将とはほど遠いだろうけども。

411:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 14:58:57.90 R0pnbW/j0.net
徐晃は魏の5,6番手を失点なくずーーっと務めてた感じ
曹操や張遼、曹仁、夏侯淵等に吸われない徐晃個人の働き、大手柄と言える派手な実績というと…樊城くらい?

徐晃を外すべきなんて微塵も思わないけど、魏の中だと「大物」とは言い難い地味で堅実な名将だわな

412:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/03 16:17:44.75 eK6dC5OJ0.net
魏で五番手なら十分二十四には入るよ

413:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 00:21:27.80 2gy40Y7F0.net
こんなこと言うとアレだけど…。
領地拡大に貢献せず留守番も失敗した関羽がエントリーしてるのに、三国志最強の留守番役こと夏侯惇がエントリーすらしてないのは???

曹操が徐州に遠征すれば夏侯惇が兗州の本城を守り抜き、曹操が河北を転戦すれば夏侯惇が河南を後詰し、曹操が西に目を向ければ夏侯惇が東を担当。
絶大な権限と広大な範囲を常々任されながら、関羽や張飛のような失敗を一度もしたことが無い。
軍位や爵位の昇進スピードも桁違いだし、二十六軍=約10万人という後漢末期とは思えない大軍の都督を大過無くこなしている能力は半端じゃない気が。

まあ領土拡大には貢献してないし、戦功自体も少ないけど。
軍事上の功績は大きいけど戦争上の功績は少ない?と言うべきか。

いや、夏侯惇が24選に入る名将だとか思ってるわけじゃないですけど。
でも鄧禹を名将と呼ぶ界隈もありますからね。そういう意味では夏侯惇も名将になるかもと。
このスレではどういう扱いになるんでしょうか?こういうタイプって。

414:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 01:34:33.45 HSXbF7S10.net
集めた兵士に反乱起こされたり、呂布に捕われて部下に救出されたり、
顔面に矢を受けて失明したり、劉備のついでに高順に蹴散らされたり、
李典に止められたのに劉備を追撃してぼろくそに負けたり、
悪意を持って書けば酷いことになるけどなw

夏候惇は軍政家であって、君主の絶対の信頼を得て人を束ねる人物としてはこの上ないけど、
それと名将であるかどうかは全くベクトルが違うと思うよ。
武将としての夏候惇は、取り返しのつかない失敗をしなかったに過ぎない凡庸な武将。
関羽は取り返しのつかない大失敗をしたけれど、少なくとも一人の武人としては当代一流だし、
軍を率いても一応大物を下していて、議論ぐらいはできる武将だからね。

415:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 01:52:58.22 YgF9c+Fi0.net
曹操陣営屈指の重要人物なのは間違いないけど、兵を率いる武将としてはなぁ
まぁそれでも、名将か否かという事なら「名将」にカテゴライズされても別に文句はない

416:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 08:15:15.66 2gy40Y7F0.net
あぁ…確かに夏侯惇の優秀さって軍政家とかそういう方面であって、将としては微妙ですね…
そういう意味ではやっぱり、将としても戦果を残している関羽や陸抗の方が上なんですな

417:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 10:33:12.49 6mlYMI99O.net
陸抗は、陸遜と孫策の血を併せ受け継いだ「100パー名将にしかなりませんやん!」という最強の血筋を持つ男。

418:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 11:25:56.96 +jjqr4TTO.net
血統の良さなら陳泰もスゴいだろう
実績も申し分無い

419:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 11:31:24.66 2gy40Y7F0.net
>>417
陸遜並みの防戦の上手さと、孫策並みの城攻めの下手さを兼ね備えた、奇跡のハイブリッド!
間違いなく孫策の血を引いてるw

>>418
陳泰は凄いですよね
何が凄いって、戦術眼で郭淮どころか鄧艾をも上回ってるのが凄い

420:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/04 20:04:42.86 tK+xN1EY0.net
>>405
董卓周辺なら董卓でも良いんじゃね?
個人的能力も結構高かったよな
武勇なんか呂布の次くらい

421:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 00:01:36.10 /KgBhD4lO.net
魏の夏侯尚は中々名将かと。
西城・上庸・房陵など三郡を攻略して魏の版図の拡大に貢献。
官位も征南将軍・荊州刺史・仮節都督南方諸軍事と重きをなす。(まっ皇族ってのもあって出世に拍車を掛けてんだろけど)
荊州の任地では異民族鎮圧や開発を進め、任地の繁栄に貢献。
曹丕が呉を攻めた際には征南大将軍として諸軍を統率し、曹真と共に江陵を包囲して諸葛瑾の水軍を撃破。
大敗らしい大敗もしてないし中々のもの。

…ってかこいつの父親って誰よ?
当時の超有名一族で名前が分からないなんて…。

422:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 00:28:13.45 XiFvNAmiI.net
夏侯尚は前に>>102で一刀両断されてるな
名将だけど、魏にはこの程度の名将は割といるよな~みたいな
曹丕のせいっていうか半分は自業自得だけど、あそこで変な死に方せずもっと長生きしてれば更に実績を立てれただろうに惜しいことだ
まあ曹休みたいに勝ちすぎて調子に乗って最後に陸遜によって大敗してたかもしれんけど

後漢末の頃、沛の夏侯氏は曹氏と違って完全に没落してたっぽいから、父親の名前が不明なのはべつにおかしくないんでは?
没落してた割に巨大な一族だったようだし、大勢いる夏侯一族の子供達の中から特に優秀だった尚クンが曹操の目に止まって任用されたんだろう

423:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:16:11.98 P6Zu4hjS0.net
若死
政治的立場の悪さ
記録漏れor抹消

確定枠になるには強運が必要

424:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:38:54.85 lOI2g+Xh0.net
まぁ不運な奴なんて議論枠にすら居ないわな
一定以上の強運は大前提

425:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:48:45.50 QqHpuAq50.net
その中でさらに運がいい+実力が合わさって確定枠の高みに登れる

夏侯尚が生きていたら実績を積み重ねそうだけど
曹真曹休司馬懿とポジが被るし実際どうなるかわからんなぁ

426:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 17:58:14.31 XiFvNAmiI.net
李典李通は長生きしてれば、臧覇文聘を超える武功を成していたかもしれない
朱霊は記録が残っていたなら、曹操軍の異姓武将では徐晃に次ぐ第六位の実力者だったのだから議論枠には入っていたはず
でもこいつら、このスレでは全く触れられんからな

司馬氏と対立して三族皆殺しにされた曹真と夏侯尚と王淩と毌丘倹と諸葛誕
間違いなく史家の筆法により功績を省略されているが、そこを考慮していくとキリが無い
それでも曹真は確定枠に入ってるし毌丘倹は議論枠に入ってるけど……こいつらパねぇわ

あくまで実績という分かり易くブレにくい基準を重視するこのスレでは、もしもっと長生きしてたらとか、もしもっと記録が残っていたらとか、妄想込みでの評価が必要になってくる連中は不利
一般的な三国志ファンによる孫堅孫策関羽への評価はこのスレでの評価よりかなり高いだろうが、あれはそういった期待値を含んで評価しているからだろうし

427:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:05:32.03 lOI2g+Xh0.net
孫堅孫策は三国の1つの祖として活躍と「悲劇」を熱心に描かれるし、関羽は人によっては三国志と言う物語の主役にもなり得るキャラだからなぁ

428:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:14:52.74 P6Zu4hjS0.net
孫堅孫策の高評価がなかったら
コーエー三国志で呉プレイする人がいなくなってしまう

429:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 18:21:36.81 XiFvNAmiI.net
陸抗への評価も、巷では実績を超えて高いけど、あれも悲劇のヒーロー補正が入ってるんだろうな
陸抗伝読んでると、もうお前は充分頑張ったから親友のいる晋に亡命しちゃいなよ、って言ってあげたくなるし
病弱キャラで謙虚で有能、陸遜の子で孫策の血を引いてて、絶望的な状況で孤軍奮闘して最期まで国を憂いて死んだ
そりゃ妄想炸裂しますわ

430:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:14:30.14 /KgBhD4lO.net
>>426
例えばそこに挙がってるような名士武将連中を、間違いを起こさず次々と葬り去った司馬師・司馬昭なんてかなり有能な人物だと思うんだけどな。

ひとつの判断ミスが功績を台無しにしたり生命を左右する中、間違いを起こさず当初の目的を完遂するって結構重要なことだと思うんだよね。

司馬師は、魏帝や李豊が中心となった暗殺計画、淮南でのカン丘倹の乱、どちらも政権を揺るがす大事に見事察知、対処している。

司馬昭は、これまた魏帝を中心とした誅殺計画、淮南での諸葛誕の乱、蜀漢征伐の経営判断と、全て成功に導いている。

思うに、例えば于禁や楽進なら直接兵を率いる将として、関羽なら一州を預かる総司令の立場としてそれぞれ評価するならば、
司馬師・司馬昭のように国家のトップに立つ将も、その立場に応じた評価があってもいいと思うんだよね。
いやむしろ、こういった立場の人物こそ、直接国家や政権に影響を与えかねない案件ばかりなのだから、一介の将とは判断の重味が違ってくる。
それに加え国家運営力と経営判断など。

ってことで俺は司馬師・司馬昭の二人を有能な名将として提案したいんだけど…、政治家色が強いと一蹴されちゃうかな?

431:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:41:16.02 iHqKRqSG0.net
>>426孫堅孫策の評価が高い故に、この二人を破った黄祖・陳登の評価が高くなる

432:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/05 23:54:48.26 XiFvNAmiI.net
>>430
なんじゃそりゃ…
その理屈だったら、孫権や司馬炎だってその二人を上回る名将だわな、功績的に
ついでに姜維と戦ったのは司馬望とか言い出す気かいな
このスレをどういう方向に持っていきたいのだ…

433:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:14:16.62 7xKIintd0.net
まあ呉志を読んでると、江東四郡を本当に平定したのって孫策じゃなくて孫権(というか程普や賀斉)じゃね?って思えてくる時はある
孫策がイマイチ確定枠になりきれない原因の一つはこれな気がする

434:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:52:34.98 dT5c5n1bO.net
>>432
やっぱそうなるか…。
いやそれぞれの戦役の功績を、どこまで上の英断による功績として還元するか、って視点で考えてみたんだけど…、そう言われたら全て国家元首に帰趨しそうだから議論にならなくなるな。

スマン、司馬師・司馬昭のことは無かったことにしてくれ。

435:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 00:55:52.00 0cFTSmmN0.net
>>430
それはもう名将とかそういうのではなく、政治力とかの世界だと思う。

436:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 08:05:13.21 7xKIintd0.net
というかそういう視点だったら、司馬兄弟よりもまず曹叡の名前が上るんじゃないか

437:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 09:49:23.79 dT5c5n1bO.net
確かにね。
ただ、上の人も孫権や司馬炎を例として挙げてくれて、あなたも今曹叡を挙げてくれてるんだけど、
俺の当初の思いの中では君主までアップするつもりは無く、あくまでも「臣下の立場=将」という概念のもとに司馬兄弟を挙げさせてもらったんだよね。

でもそれは俺が勝手に想定した概念なので、上の人やあなたが言うように「それなら君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」と言われれば、まさにその通りなんだけどね。

俺が国家の上将軍としての司馬師・司馬昭を挙げたのは、色んな英雄・名将と呼ばれる人物があとちょっとのところで、たったひとつの判断ミスのせいで、功績を汚したり生命を落としたりして散って行った。

当時の司馬兄弟とてそれは同じで、中央・地方問わずあらゆる所に政敵がいた。
もし彼らが成し遂げた事績の中で、ひとつでも判断を誤ったものがあれば恐らく失脚=死が、たちまち彼らの頭上に舞い降りたことだろう。
しかし彼らは何ひとつ判断を誤らず、世に功績を打ち立て生涯を全うした。(もっともその功績とは必ずしも国家のためではなく、自らの御家の利益=国家の利益、と利害が一致していたからではあるが)
そこを買っての提案だったんだよね。

そして功績の在り処。
例えば、将の意図しなかった兵独自の見事な活躍と機動によって得た勝利も、功績としては将の名前で記される。
ならば、将の活躍で得た勝利も、その戦略的判断を下した「将の将たる者」にも還元されて然るべきではないかと思ったわけなんだ。

438:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 10:45:48.26 JP6rRTeq0.net
一理はあるけど区切りが難しすぎるしキリがないし、そもそもの正確・詳細な情報自体も少ないからなー
大雑把にざっくりだと全て君主へ…で面白くも何ともなくなる

まぁそっち基準でやり始め仮にある程度の結論が出たとしても、「それはそれとして」でこのスレでは脇に置いて終わりだわ

439:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 11:32:45.39 dT5c5n1bO.net
おっしゃる通り。
俺の提案した内容は「君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」という、上の方々の指摘によって既に破綻を迎えている。

幾ら自分なりの君臣の線引きによって選んだとしても、あなたの言う通り「俺独自の」では意味がないし、何より皆をそれに付き合わせるわけにも行かない。

よって、どうか俺の司馬兄弟の提案は忘れて欲しい。

440:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 14:33:08.17 4KNBQU1m0.net
そんな簡単に忘れられるわけないじゃない!

441:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 15:25:43.73 ashaI6xJO.net
まぁ司馬兄弟の話はもういいだろう
優秀な兄弟である事には変わらないから

議論枠の中から、夏侯淵はそろそろ確定させよう

442:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/06 20:33:03.87 7xKIintd0.net
夏侯淵は確定してると思ってた
今の議論って>>259を基準に進んでるんじゃないの?
文句言ってた人も一部いたようだけど反論されて沈黙してますし

低評価しかないとかそもそもウソだからな…
宋建瞬殺した時とか曹操から絶賛されてるし、有名な「三日で五百里~」もある
そんであんだけ実績あるんだから確定でしょう


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