14/02/12 20:24:56.03 Cqmbrxu30.net
>>147
いや、単純に知りたかっただけなんだが
仮に張飛なら防ぎ得たというなら張飛>関羽であることに全く異論はないし、逆に関羽以外に選択肢が無かったというなら荊州の失陥は関羽と張飛の優劣には何ら寄与しない、もしくは司令官として任命された関羽の方が上ということになる
と、俺は考えただけのことさね
151:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 21:11:04.00 l2Mcl25P0.net
>>144
関羽がなまじ強すぎて勝ち過ぎたのが原因だな。
曹操が遷都を考えて恐れるほどの強さに
孫権までもが危機感がおぼえた。
同盟者としての頼もしい力という範疇を超えて
孫権にも脅威になったんだろう。
三つ巴の均衡状態ならば、最も強い力の脅威に
他の二国が力をあわせて撃破しようと思うのは自然の成り行きかな。
蜀が弱小のままなら、呉だって同盟者のままで居ただろう。
天下統一の意思なく、地方君主として安穏としていたいのなら
関羽以外の人物が適任だろうけども天下に足を掛けたいのなら
関羽のような戦争に強い逸材が荊州に居ない事には劉備は生涯、蜀の天嶮に
篭り続けることになってしまう。
152:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 21:50:54.88 Pd2pnWxn0.net
孔明が劉備と合流した後に趙雲を帰らせてたら荊州は落ちてなかった気がする
蜀の降将を吸収して十分過ぎる戦力があったから蜀攻めは問題なかっただろうに
153:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 23:46:00.34 WYAHh0zCI.net
>>150
そういうことか、スマン
それこそ諸葛亮ならと思ってしまうけど、諸葛亮は益州経営にどうしても必要だからねぇ
張飛なら防げたかはなんとも言えんと思う
糜芳・士仁や潘濬や劉封・孟達とはトラブル起こさなかったかもしれんが、部下の兵卒に殺されたのが早まるだけかもしれんし
154:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 23:53:36.33 WYAHh0zCI.net
>>151
曹操に臣従した217年から孫権と呂蒙の荊州奪還作戦は始まってるから、219年に関羽が于禁と龐徳に勝ったことはあんま関係ないんよ・・・
荊州奪うのは孫呉の悲願みたいなもんだし
劉備が益州を確保して大きくなりすぎたことが原因といえば原因かな
155:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 00:27:07.16 0X3TIrAO0.net
魏志ではスルーされている降伏ですが、通婚までしたという事は藩国の礼と見て良さそうです。袁譚の時もそうでした。
魯粛の死と前後するのが象徴的です。以後、猇亭の戦後までこの両者の関係は続きます。
関羽の攻滅は「共闘の原因」ではなく「成果の一つ」に過ぎません。
関羽の外交音痴が露呈し、ひいては劉備・諸葛亮の人事にまで批判が及ぶ一件で、それについては否定のしようがありません。
ですが、当時の孫権と劉備は表立って同盟関係にあった訳ではなく、孫権は表向きは曹操に臣属し、裏で劉備とも結ぶ二股をかけており、関羽の矜持が孫権のそうした態度を許容できなかったものと考えられます。
だからといって関羽の失点が軽減されるものではありませんが。
156:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 01:04:21.21 OYC01UhN0.net
というか関羽自体が呉の兵糧や武器を略奪してたクズだからなぁ
もし関羽じゃなけりゃ、太守どもに裏切られる事は無かっただろうし、呉の荊州侵攻を躊躇させれたはず
157:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 01:32:46.09 0X3TIrAO0.net
強大な魏軍を攻めている状況で、呉にもその軍事援助を求めること自体は間違っていません。戦争は緊急事態の連続ですから、恐らく事後通告するつもりだったのでしょう。
今まで邪険にしていたことや孫権の狡猾さを考えられなかったのは、政治センスの問題です。
関羽が呉から兵糧などを奪った原因は、于禁の七軍という大量の捕虜。
自軍が兵糧難の状況では、降伏した敵兵は皆殺しが中華の常套手段ですが、関羽は于禁の命すら保証しました。龐徳を助命しようともしていました。
こうした対応には、劉備軍を代表する国士としての風格を感じるところでしょう。
曹操・張遼・于禁・徐晃・龐徳らへの態度を見るに、関羽は敵だろうと優秀な武将には一定の敬意を払える人物。
そんな関羽が、蜀将や呉将へは完全に見下した態度を取っていたのは、相手側にもそれなりに原因があったと見るべきかと。
まあそれが身内に裏切られた責任逃れにはなりませんし、任せられた州を失っていい理由にもなりませんが。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:03:45.62 9WaDY7W50.net
メ欄空で口汚く関羽批判してる書き込みはいつも同じ関羽disりたいだけの人だから無視でいいんじゃないかな
159:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:08:38.83 FzRjRLxd0.net
関羽sageの流れの中で、こういうフラットな視点からの意見があると、
関羽厨とかとんちんかんな難癖付けて暴れるのが出てくるのがいつもの流れなんだよなぁ。
こういう冷静な考察とか面白いと思うんだがなあ。
160:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:34:05.53 FwkJnm7b0.net
>>155関羽の孫呉に対する態度が孫呉が曹操に臣属した事によるものだというのは目から鱗だわ
孫呉が曹操に臣属する前は関羽は孫呉に対して特に非礼となるような行為をしていなかった事を考えると割と妥当な考察だと思う
161:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:56:59.07 tYhSdcPh0.net
名将とかは一旦抜きにして、過大評価と過小評価を凄い勢いで揺れ動く関羽という人物について、議論や考察をしてみるのも面白いね
162:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 03:24:02.36 k1QhqNzOO.net
いずれにしても荊州失陥という、自らの勢力の基盤となる部分を崩壊させたことは、
一地方を任された将としては将帥としての才覚に問題ありじゃない?
敵の応変な策略にも対応し、任された領土を確実に守る、
或いは困難な状況も打開し敵の領土を奪う、こういった並みの才能では不可能なことを成し遂げてこそ名将と称えられるのであり、
そのどちらもを達成し得ず、自勢力に大打撃を与えた関羽は名将とは呼び難い気がするけどなぁ…。
トウガイなんかはこういったことを成し得た名将だと思う。
163:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 10:29:14.97 0X3TIrAO0.net
陸戦は全て失敗(李通・楽進・文聘・曹仁・徐晃
水戦は全て成功(于禁・龐徳
う~ん、まあ見方を変えてみましょう。
安直ですが、関羽は水戦に長じた名将…と。
蜀軍で最も水戦に強かったことは間違いないことで、荊州都督の選択肢は関羽しかありません。
関羽の水軍歴は赤壁以前からです。
大船団を率いて徐晃・満寵の攻撃から逃れ、劉備軍の戦力を保った功績は非常に大きい。
劉備本軍が曹純・文聘の急襲により壊滅させられた状況では本来、劉備は孫権との提携など望むべくもなく、完全な配下に収まるはずでしたが。
無事に残っていた関羽水軍そして劉琦軍の存在が、魯粛・諸葛亮が孫権を説得し得る材料となりました。
ちなみに関羽の船団は、樊城戦のドサクサで文聘に焼かれて壊滅しました。
これの重要性を論じているサイトはいくつかあったと思います。
陸戦がいかにも下手に見えてしまう理由の一つとしては、伝説の顔良斬りに象徴される「匹夫の勇」で敢えて戦っていたか…。推測に過ぎませんが。
突撃癖が祟って楽進らに大敗し兵を喪ったことは、蜀志と魏志の双方で示唆されていますから、それに近い形だったとは思われます。
弱を率いて強を撃たなければならない関羽が、リメンバー顔良斬りに賭けるのは間違ってはいません。厳しい軍規で統率された魏軍相手には、相性が悪かったでしょうけど。
劉備と関羽の目標が益州と荊州を守るだけなら、関羽も他のやり方をとったはずです。魏に勝たなければならないからこそ、リスクを背負った戦い方になる。
結果から見えるほど、関羽は陸戦下手ではないはずです。
しかしまあ……荊州失陥……これがなんとも……。
164:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 10:48:34.35 tYhSdcPh0.net
荊州失陥以前にも、戦績に問題あると思うけどね。
当代を代表する名将ばかりと戦ってきたのはわかる。でもいくらなんでも名将と呼ぶには負け戦が多過ぎる。
まあ多分、蜀が史官を置かなかったことで細かい戦歴が残らなかったからなんだろうけど
165:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 12:10:44.34 FzRjRLxd0.net
>>164
自分も同じ意見をしたことがある。放浪時代の戦績も相当散逸してるだろうしな。
ただまあ大きな戦果があるなら相手側の記録やら、情報としてどこかに載っていそうだとも思う。
でも人物眼の確かな劉備に絶大な信頼をされて、重きをなしてる理由ぐらいは分かるだろうし、
蜀側の記録が少なくなかったらもう少し評価は変わったかも可能性はあるかもな。
しかし関羽が負けた相手ってのは名将ばかりだな。
最期の関羽討伐に繰り出されたメンツもオールスターみたいな顔ぶれだし。
166:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 14:43:17.68 9WaDY7W50.net
ここはどうにも「同時代人の評価」は負の方向のものは採用するけど正の方向のものは排除する傾向にあるからなぁ
関羽と夏侯淵はモロにその煽りを食ってる
167:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 18:58:25.46 fku58F4f0.net
名将という定義そのものを勝手に決めつけすぎ。
同時代で桁違いの武勇を賞賛されただけでも関羽は名将と呼ばれ続けた現実がある。
一個でも金メダルを取れれば、器用貧乏にさまざまなことをこなせる必要もないんだろ
名将と呼ばれるには。
168:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 19:41:23.97 k1QhqNzOO.net
確かに同時代人の評価も大切だけど、その人物がやり遂げた結果から判断する方がよりウエイト占める気もするんだよね。
関羽は経営判断を誤った。
将たる者、領土の大小はあれ、皆守るべき地を与えられた一国一城の主、経営者だ。
他社のシェアを取りに行ったが、あろうことか自らの足下をすくわれ、自社を倒産させ社員を路頭に迷わせた。
これでは悲劇の英雄ではあっても、経営者としては失格だよね。
人間、一人で出来ることなどたかが知れている。
ならば将帥の優劣とは何かというと、こういった大括的な判断の一つ一つこそが、将たる資質を問われる部分だと思うんだけどね、領国経営においても政治的にも戦場においても。
169:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 19:57:41.91 0X3TIrAO0.net
荊州失陥は大失点ですが関羽が名将であることを否定する必要はないし、荊州失陥以外の要素でケチをつける必要は更に無いと思うのですけどね。
関羽は正史に残っている将軍としての記録だけで、充分に名将と呼ばれて良いでしょう?あの于禁に完勝したんですから。
大雨洪水自体は幸運の部類ではありますが、その幸運を掴んで活かせるかどうかは、力量の部類です。関羽は見事に活かしたと言えるでしょう。
記録から漏れる程度の「細かい戦歴」や、名将の定義としては異論が出そうな「桁違いの武勇」
そういうのに頼らないと関羽は名将と呼べない、なんてことはないと思うのですが。
魏軍を過小評価しているからそう感じるのでしょうか?
当時の魏軍は中華最大最強の軍隊であり、その中でも突出した実力で知られていたのが張楽于張徐です。正史三国志で「名将」「良将」と何度も評されたのはこの五将しかいません。
これと戦って勝てないのは普通、勝つことは偉業です。関羽が魏軍に何度か負けていることは、失点ではあってもそれほど大きなものではないでしょう。
そして歴戦の張楽于張徐が大敗を喫した相手は、関羽と張飛のただ二人だけ。その事実だけでも関張は名将とされるべきです。
特に最も名将だとされていた于禁が関羽に降伏した時、曹操は安易な遷都すら考えるほどに動揺しましたから。
徐晃が援軍として派遣されただけでなく、張遼も急行しており、更には兗州刺史裴潜と豫州刺史呂貢、そして揚州都督夏侯惇まで招集され、曹操自身も近くまで出向いています。
これほどの戦力を動員したのは、官渡の戦い以来初めて。いざとなったら揚州刺史温恢や徐州刺史臧覇も動ける体制です。
まあこの膨大なラインナップを見ると、結局関羽に勝ち目は無かったかと思いますが、曹操に「万が一」を意識させたことはもっと評価されて良いでしょう。
170:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 20:51:00.78 k1QhqNzOO.net
強いと噂される○○に勝ったから凄いとか名将、というのは、将帥の務めを戦場に限定し過ぎだし視点がミクロなのでは?
任された領土をしっかり守り切れたのか、攻めるなら領土を切り取り安定統治にまで至れたのか等、もっとマクロな部分での戦績こそが重要視されるべきかと。
局地戦での勝敗は部隊長レベルでの優劣であり、関羽は一州を預かる身。
その身分に応じた名将としての評価基準で考えないとと思うんだけどね。
171:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 20:55:27.42 Oy201Enc0.net
将帥としては関羽には欠点もあるということだろう。
武勇ならば同時代では並ぶ者が居ないナンバーワンだからな。
より尖った部分を押したんだろう。
何故か、中国史における武人オールナンバーワンの武聖が
たかが三国志二十四将入り(素人判断だけども)から外れるというのは
ある意味面白いけどね。
172:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 21:19:40.41 0X3TIrAO0.net
>>170
その場合、荊州都督という難しく大きな役割を振られたという事実も加点材料として考慮したいところです。そうでなければ、偉い立場になるほどデメリットが大きくなってしまいます。
そして荊州都督としての失敗は関羽の軍事的力量というよりも政治センスや性格、そして劉備・孔明ら首脳陣の責任問題も絡んでくるかと。
ここまで来ると、名将の定義という話になってしまいますが。
>>171
素人判断で三国志議論しているのは皆が承知なのですから、「たかが」や「素人」などの言葉を使って煽るのはやめましょう。前に同じようなレスがあって荒れかけましたよ。
関羽が24選から外れることは有り得ないと私は思いますが、そう思わない人がいるからこそ面白いです。
173:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 21:52:19.99 9WaDY7W50.net
このスレではプラスはマイナスと相殺されるのにマイナスはプラスで相殺されずに累積していくっていう不思議な基準が出来上がってるからなぁ
174:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:01:02.84 k1QhqNzOO.net
>>172
あなたがそのコメントで言っていることはとても重要で、政治センスや経営判断、性格などが評価基準としてはとても重要なことだと思うんだよね。
一国を守り切る、或いは切り取るということはとても至難の業で、べらぼうに戦争に強ければ勝ちというものではなく、敵の謀略を防ぎ、また自らは駆使し、巧みな外交によって勢力を至強たらしめるための経営手腕。
そういった様々な分野での総合的能力を求められるのが将帥であり、そこで確固たる実績を残した人こそ名将だと思うんだよね。
難しく大きな役割を振られたということは、それだけの期待をされたからであり、偉い立場になるほどデメリットが大きくなるが、その分目的を達成した時のメリットも大きくなる。
結果、期待されただけの成果を出し得なかった、目的を達成出来なかったという事実だけなんじゃないかな。
この立場の人を評価する時は。
175:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:09:00.47 OYC01UhN0.net
>>167
んー?
君は名将を"有名な武将"とか"名前の通った武将"みたいに定義してるの?
俺は"最優秀武将"みたいに認識してて、それがこのスレの共通認識だと勝手に考えてたんだけど、違うのかな
やたら同世代の評価を持ち出すのもそれが原因?
176:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:39:04.43 1gYRdTNo0.net
上司や国力も結構勝敗の原因なんだし個人の資質にもっと重点を置いて良いと思うな
関羽は間違いなく確定枠
177:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:50:55.05 OYC01UhN0.net
関羽についての議論をまとめるとこうなる。
関羽は弱い論者の言い分:
于禁戦は豪雨によって、偶然撃破できただけ。
実際、豪雨の影響外での戦いでは直後に徐晃に敗れている。
それ以前の活躍も特筆すべき物は無いし、唯一の戦功とも言える顔良撃殺は曹操という名将の下で匹夫の勇を活かしただけ。
領土を拡大した事が無いどころか、荊州を守ることすら出来なかった関羽が名将のわけが無い。
関羽は名将論者の言い分:
豪雨による勝利と言えど、勝利は勝利。
稀代の名将于禁を破った功績は大きい。
放浪期も、記録されていないだけで転戦して活躍していてたはずだ。
同世代の人物からの評価が高い。
荊州を失った原因は、将軍としての資質では無く政治的感覚の欠如に依る。
178:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 23:31:56.64 k1QhqNzOO.net
>豪雨による勝利と言えど、勝利は勝利
…俺もそれは賛成だなぁ。
刻々と変わる戦場の状況に柔軟に対応して、自軍を勝利に導く。
戦場における将帥として非常に重要な資質だ。
>荊州を失った原因は、将軍としての資質では無く政治的感覚の欠如に依る。
…これについては意見が分かれるだろうけど、俺はこの立場の人に政治的感覚の欠如はNGだと思う。(将としての資質の一つに求めてしまう)
軍事行動は政治の最終的手段であり、呂蒙が周到な荊州奪還作戦を練っているなら、対応策を講じることが最良以前にまず察知できなきゃ。
そういった間諜能力や情報収集能力なども含め、軍事行動を起こす前にこの地を任される将として、知っておかなきゃならないことを察知できてなかったのは痛いと思うな。
179:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 00:36:39.44 pTHqKY9t0.net
>>173
ある意味日本的な考えなんだよねそれ。
日本人はミスに対してすごく厳しい民族性があるし、
現在がどうあっても、過去の失点を許さないからね。
180:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 16:25:10.12 gVrY4whs0.net
関羽は呂蒙に荊州の統治を誉められているから、統治者としての才能もあり劉備に荊州を任されていたのだろう
張飛に統治者としての才能があるような事績は無いし、趙雲も一州を任されるほどの格が足りないし、劉備も諸葛亮も益州に行かないといけないという状況だったから
関羽以外に任せる事のできる人間がいなかったんだろうな
劉備の誤算は関羽があそこまで士大夫と仲悪いとは思って無かった事だと思う
ビ芳は劉備の親族だから、軽んじないだろうと思って関羽の下に配備したんだろうけど、全然そんな事なかった
181:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 17:31:31.60 qCByr2bz0.net
蜀漢の重鎮である関羽を、当代の名将たちがよってたかって倒すという構図か。
182:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:00:05.44 Qfa4Ov9vO.net
荊州という魏にも呉にも通じるド真ん中の要地、武で威名を轟かせている関羽。
戦略的にも手柄的にも他国の将からは的にされ易いよね。
特に呉は、劉備勢力とこの地を巡っての約定で腹に据えかねているところがあるし、狙う動機は充分。
183:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:04:12.97 lSf/xhssI.net
>>関羽は呂蒙に荊州の統治を誉められているから、統治者としての才能もあり
荊州治中潘濬「は?(威圧)」
南郡太守糜芳「あ?(殺気)」
184:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:50:56.35 F+4iIdLF0.net
関羽の武威には常に戦々恐々とし
孫権の権力の前では劉備から受けた厚恩が忘れ去り
毛一本も逆らおうとしない犬っぷりを
存分に発揮した性根ポンコツの糜芳と潘濬の威圧なんて
いきってる幼児より迫力を感じないな・・・。
>>181
超一流ハンター達が赤ラー(関羽)に挑むような心境に似たようなもんだな。
185:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:51:09.75 Qfa4Ov9vO.net
ここでふと思うのは、あそこで関羽を斬るという選択は、後の呉の国益にとってどうだったのか?ということ。
斬らねば関羽にとって降るという選択肢は無いので、元の勢力に戻ることになる。
すると、一州を任される身でありながら任地を奪われたという失態と、武人としての恥辱から、己のプライドと執念に掛けてかの地を取り戻しに来襲し、『夷陵の戦い』以上の大打撃を被ることになったのか。
はたまた、義に厚い関羽のこと、助命された恩義を胸のどこかに持ち、来襲はして来るものの劉備が率いた時ほど深入りはして来ず、
『夷陵』ほどの惨劇は生まず程良い落としどころで決着が付けられ、呉蜀の国交も史実より早く回復され、再び共に魏にあたるタイミングも早まったのではないか。
みんなはどう思う?
今後の三国の勢力図が変わるかもしれない、重要な選択だった気もするんだよね。
186:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:00:37.85 lSf/xhssI.net
>>184
味方を自分の武威で戦々恐々とさせてる関羽ってキチガイじゃね?
特に潘濬みたいな有能な人材をさ
187:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:04:56.21 lSf/xhssI.net
潘濬を性根ポンコツとか言い出す時点で、関羽信者が正史読んでないってよく分かるんだが
昨日もマトモな議論に混じって度々意味の無い関羽ageと煽りをしてたけど、何がしたいの?
188:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:28:22.45 F+4iIdLF0.net
>>185
孫権の目が曇り始めてたんじゃないかな。
関羽を暴れさせるだけ暴れさせた方が呉にとっても有益だったはず。
関羽がどうなろうと、呉には一切損害はないからね。
関羽が無理しすぎて救援を求めても、理由をつけて遠まわしに
援軍を送らなくても(意図的に戦場への到着を遅らせて自軍の被害を出さない)
名目上はちゃんと救援に応じて、同盟関係を維持してることを世間にはアピールできる。
>>187
潘濬に限っては俺の言いすぎだったよ、すまん。
一代の好漢でもあったのね。
季漢輔臣賛の記述しか参考にしていなかった点は完全に俺の落ち度だ。
でも、出来れば「キチガイ」とかそういう言葉使いはなんとかならんかな。
189:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:44:15.23 Qfa4Ov9vO.net
なるほど、裏で魏と手を結ぶことなどせず、表面は劉備との同盟関係を維持しながら半ば傍観者の立場をとるってことか。
ズルイけど、国益を第一に考えなきゃならない国主としては真っ当な判断だね。
では何故その選択をすることが出来なかったのか?
そこでは孫権の目が曇り始めてた、とコメントしてくれてるけど、思っている以上に孫権の荊州領有を巡るいざこざは根深く影を落としていたのか、はたまた、関羽の不遜な態度から来る一時的感情の爆発?
190:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:53:54.11 lSf/xhssI.net
>>188
ゴメンナサイ(´;ω;`)
どう考えても俺の方が言い過ぎですよね、はい
191:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 22:07:00.98 F+4iIdLF0.net
>>189
個人的には関羽の「虎の子を犬の子に~」発言じゃないかな、と。
孫権の皇太子問題は関羽戦後、約20年後ほどになるけども
孫権はこの時代あたりでも領土問題以上に自身の子供に対する愛情が
深かったとか。
192:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 22:35:29.40 Qfa4Ov9vO.net
この重要な局面においては、孫権は公の人としての立場を全うせねばならず、決して私の感情を優先させるべきではないのだが、
熟練した政治家である孫権をしても我慢ならなかったってことか…。
その点、我が子と寵臣を同時に殺した憎き仇敵・張繍を、国益のために諸手を挙げて迎え入れた曹操の政治家魂は、尊敬すべきなのかは分からないけど凄い人だよね。
私情より、公の人としての立場を優先させたって感じだ。
話はテーマに戻るけど、ある地位以上に就いている名将ってのは、時にはこういう決断を下せる「政治家」じゃなきゃならないと思うんだよね。
193:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 22:46:09.31 CsM5BKbY0.net
勘違いしてるけど正史に置いて言えば、劉備と孫権の同盟という物自体が演義のような目に見える頑強な物じゃなかったんだよなぁ
ちょっかい出したのは、孫権が最初では無く赤壁後のドサクサに紛れて劉備は孫権軍を妨害したりしてるし
なんか孫権が一方的に同盟を破棄したみたいに言われてるけど。
あと、魯粛が死んだ時に、「呉は三国で一番国力が低い」と言ってるとこもポイント。
修辞の可能性もあるけど、魏>>>呉>蜀という力関係が明白になったのは呉が荊州を併呑してからだよ。
関羽を暴れさせた方が有益ってのは後の結末を知っての事であって、当時の人から見れば呉の国力を倍増させた荊州攻撃は快挙であること間違い無いんだよね。
そもそも呉と蜀が同盟して、魏を倒すという戦略自体、蜀のみの国策どころか諸葛亮のみの持論だと言っても過言じゃ無い。
194:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 23:13:19.27 Qfa4Ov9vO.net
なるほど、言われてみれば。
俺も荊州領有を巡る孫・劉のトラブルは、こういう時代だからどちらが良い悪いは無いんだけど、敢えて言うなら劉備側に非があることも否めないと思う。
その難しい局面でのこの重要な土地に、政治音痴は言い過ぎかもしれないけど優れているとは言い難い関羽に任せなきゃならないってのは、結果論から言うと劉備勢力にとって痛いことだよね。
武のみに頼らず周りの動向に柔軟に対応できる、諸葛亮のような人材がもう一人いれば或いは…。
魏>>>呉>蜀という力関係が明白になったのは、『夷陵』での劉備勢力の大敗戦も大きいよね。
あの戦役で劉備勢力は、主力と言える多くの将兵達を喪失してしまった。
呉の国力増加とともに、劉備勢力の減衰を決定付けた戦役でもあったよね。
195:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 00:22:53.02 SS1MtOeB0.net
孫権の大戦略は最初から「長江王国建設」を経ての中原侵攻による天下統一。
周瑜も魯粛も呂蒙も、これからブレたことはありません。魯粛は異質に見えますが、それは劉備を孫権陣営の一部として扱っているからであり、本質的には周瑜や呂蒙と同じです。
孫権の傭兵隊長に近い立場だった劉備が、完全な独立勢力へと進化したことがハッキリした214年。
孫権は、建設したはずだった長江王国が破綻しているどころか、上流を劉備に抑えられて自国が危機的状況に陥っていることを理解したはずでしょう。
曹操との国境は長江という天険で守られており比較的安心ですが、劉備がその長江上流を抑えていては孫権は夜も眠れませんからね。
劉備や関羽が信用できないことは、身に染みて分かっているのですし。
だから215年、呂蒙に荊州諸郡を奪還させ、それは半分成功しています。この時に関羽は、既に三郡を失陥しているのです。
そして219年、再び孫権が残った三郡の奪還を目論んだのは「当たり前」であり、特に疑問を挟む部分ではありません。
むしろ私は217年、魏への臣従や呂蒙の派遣など、明らかな第二回荊州奪還準備が着々と行われても、何も対処しなかった劉備陣営が疑問なのですよね。
特に孫権劉備同盟を魯粛と共に担っていた諸葛亮。魯粛の死に臨んで泣いてる暇があったら何か手を打つべきでした。
人材不足が祟って益州経営に忙殺されていたのでしょうが、もう少しなんとかならなかったか。
まあ名将議論と関係無い話なのでこの辺で。
196:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 01:44:07.81 JrDKEtjkO.net
>むしろ私は217年、魏への臣従や呂蒙の派遣など、明らかな第二回荊州奪還準備が着々と行われても、何も対処しなかった劉備陣営が疑問なのですよね。
…結論から言うと先述したように、関羽の間諜能力や情報収集能力、他国との調整力等を含めた政治能力の欠如に起因してると思うんだよね。
何故それを想起させたかというと、関羽はやれば決して出来ない人ではないんだけど、プライドが高過ぎた、「私はこういう人間だ」という我の方が前面に立ち、虚を前面に出す政治家にはなり切れなかった。
中でも武に対する絶対的自信
「呂蒙、陸遜何するものぞ!
いざとなれば私が戦場に立てば全て片が付くのだろう?」というような揺るぎない自信こそが、政治を軽んじる結果を導いてしまった気がするんだけど…、みんなはどう思う?
197:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 01:59:50.44 2AuQ7Et20.net
でも、関羽って荊州争乱以前にも呂蒙や甘寧なんかに負けてなかったっけ?
そんな状態で相手を軽んじて絶対的自身なんて持つのか?
俺の記憶違いや勘違いなら申し訳ないが
198:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 02:56:10.63 JrDKEtjkO.net
いや、合ってると思うよ。
関羽瀬でのことだよね。
あの時甘寧は、関羽の浅瀬での渡渉を未然に防いだ事が挙げられてるけど、どうなんだろ?
関羽に本気で甘寧と衝突する気は無かったように思うんだけどな。
まぁそれはともかくとして、関羽に武に対する過信など無いと考えるわけだね。
なるほど、色んな人の関羽という人物の捉え方があって興味深い。
199:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 04:32:50.11 MwIhrDr/0.net
>>196
幾ら何でもそれは偏向すぎる。好意的に解釈し過ぎ。
そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、
関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。
性格含めての将才でしょ。
もっとも、関羽は呂蒙に捕縛される前にも、荊州侵略を許し、三郡を奪われるという大失態を侵してるのだから、その後に油断してたなんて言い訳通用しないよ。
逆にもし本当にその後見くびってたとしたら、自分の失敗から逃げるための強がりだと思わざるを得ない。
要するに関羽という男は、誰かの指揮下の下で少数の兵を引っ張る人物として戦場に立ってこそ、の器なんだよ。
そう考えると総司令官としては優秀だとは言えない劉備(これには異論あるだろうけどそれは置いといて)の下では大した武功が無く、
当世随一の名将曹操の下に居着いた瞬間、華々しい活躍を見せたのにも納得がいく。
それでそういう人間だと仮定した場合、それは名将とは呼べないと思う。
もしそういう前線指揮官を名将と呼ぶのならば、呂布や文鴦なども視野に入れなきゃならない。
200:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 04:54:42.87 t4n8vnJk0.net
呂蒙も呂蒙で油断させるための策をあれやこれやと講じ続けてきたけどね。
まあ結局掛かった方が悪いわけだけど、あそこまで周到にやられたらどうしようもないとも思う。
関羽は優れた将ではあったけど問題もあり、徹底的に潰された。
評価はできないけど、魏と呉にここまでやらせた事実を自分は重く受け止めるよ。
201:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:02:18.63 3f3NtVGq0.net
>>199関羽が劉備の下では活躍できなかったのは劉備のせいってのは流石にどうだろうか
張飛、趙雲、黄忠達は劉備の下でちゃんと活躍があるのに
202:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:20:46.71 JrDKEtjkO.net
>>199
>そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、
…あぁ、ごめん、カテゴライズの仕方がおかしかったかな。
>関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。
性格含めての将才でしょ。
…これは少し誤解されてるようだが、どこにも擁護ととれるものは無いと思うし、事実そんなつもりも無い。
>>174でも、そういった性格から来るものも将としての資質を量る上で大切と述べているしね。
以下、あなたの主張には俺も概ね同意見だなぁ。
関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく、軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな。
ただ、だから関羽は名将とは呼べない、とまでは俺は全否定できない。
それは、最終経歴である総司令官としての資質マッチングの話であり、また、俺やあなたの評価方法自体が数ある評価の仕方の内の一つでしか過ぎないから。
203:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:34:58.38 JrDKEtjkO.net
>>200
それは確かに言えてるね。
呂蒙は本当によくやったと思うし、敵を誉めるべきって言葉の通り、呂蒙を誉めるべきってのもあるよね。
確かに関羽でなくても凌ぎ切れたかどうか…。
>>201
そのへんの上との相性を量るってのは難しいよね。
ただ今回の場合、劉備と関羽の相性が悪いとは思わないし、関羽の軍略に悪影響を及ぼしてるとも思えないな。
上が劉備だったからってのは関係ない気がするね。
204:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 07:31:45.85 b+Yktzww0.net
外交音痴で敵の策略にひっかりやすい関羽が何故か敵地への反乱工作が得意なのが不思議だ
205:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 07:45:47.14 swVyvRmD0.net
>>204
人によって境界線が違うのでしょうが、
「敵地への反乱工作」は軍事に含まれると思うので、関羽が得意としていてもおかしくはなく、
「外交」は政治に含まれると思うので、関羽が苦手としてもおかしくはない、と私は感じますよ。
これは関羽自身の認識も絡んでくるでしょう。どこまでが自分の仕事分野か、という。
206:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 08:15:19.23 vmoO/XCKO.net
俺も軍事や政治と現代の感覚で話してみたものの、よく考えたらあの時代の当人達が果たして明確に区分けしてたかも謎だよね。
全部ひっくるめて俺の仕事、と認識してたかもしれないし、或いは、ある分野は全く視野に入れず切り捨ててたかもしれないし。
無論、後者である場合は将としての資質に問題ありだけど。
これは全てを自分でやれってことではなく、それぞれの専門家に適切な指示を出せてたか、充分相談・検討等がなされていたかってことだけどね。
207:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 08:38:24.23 Z4Ujj9DN0.net
ここで論じられ、評価を受ける「名将」は、政治的判断も加味されることが多いが
中国の制度として、都督など軍府は基本的に中央政府の管制下にあって、唐代の
節度使の淵源ではあっても、節度使のように独立した気風をもつにはいたらなかったのでは?
節度使も制度上当然ながら中央政府の管理下なのだが、徴税と行政を委ねられたので独立国的であった。
都督や太守でも政治的案件は中央の許諾が必要なのは間違いなく、関羽の独断の外交は物議を醸す逸話だね。
208:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:07:55.23 vmoO/XCKO.net
なるほど、興味深い話だね。
でも、急速に膨れ上がった劉備勢力に、当時最もそういった制度が整備されていたであろう魏のような、整然とした命令系統は確立されていたのだろうか?
無論、主命に従うは将たる者の務め。
おいそれと無視したりはしないが劉備も諸葛亮も益州の諸事に忙殺され、荊州の仔細までは分からない。
ここは劉備とも特別な信頼関係で結ばれている関羽のこと、それなりの裁量を与えて現場判断に任せてみようではないか、みたいなことで落着してる可能性とかは無い?
209:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:34:34.13 swVyvRmD0.net
蜀の都督制度は魏のそれと違ってよく分かっていません。呼称すら統一されていないので。
関羽がどこまでを担っていたのか、潘濬らがどこまでを担っていたのか。
少なくとも孫権陣営からは、荊州の代表は軍事政治共に関羽と扱われていたようですが。
関羽が軍事だけの統括ならば良いのですが、もし文武を統べる立場でありながら従事や太守と険悪だったとしたら大問題です。
関羽伝:以羽、爲襄陽太守、盪寇將軍、駐江北。先主西定益州、拜羽「董督荊州事」
潘濬伝:劉備領荊州、以濬爲治中從事。備入蜀、留典州事。
210:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:45:50.31 swVyvRmD0.net
ああ、そういえば219年の「拜羽爲前將軍、假節鉞」を忘れていました。
仮節鉞があれば関羽は麋芳や士仁を独断で殺せますから、彼等が関羽を裏切ってあっさり呂蒙を受け入れた理由はこれでしょう。
「還當治之」は完全に関羽の失言。軍事上のミスですね。
211:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 10:50:28.48 vmoO/XCKO.net
うむ、孫権陣営からの見方は的を射てると思うな。
実際経営を任されたってことは、政治・軍事を統括していたんだと思う。
恐らく節で言うなら使持節・持節レベルで、荊州における君主権の代理くらいの大権を与えられてたと考えてるんだけど、どうだろう?
212:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 12:13:36.03 cud1/4mo0.net
>>202
>関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく
軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな
伝説の顔良斬りをこなして、その武勇超絶を歴史から永遠に讃えられることになった時
関羽が居た勢力が曹操側だったというのは皮肉な話だな。
この部分だけなら関羽が欠点のない天下無双の豪傑のみ、として歴史に名を残す事になった。
213:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 15:29:54.86 vmoO/XCKO.net
ホント皮肉な話だよね。
でも顔良も精強を誇る袁紹軍の先鋒で、勢い盛んな河北随一の勇将。
「関羽は顔良の旗印と車蓋を望見すると、馬に鞭打って駆けつけ、大軍のまっただ中で顔良を刺しその首を斬りとって帰って来た。」
うーむ…、この時の顔良の心境が知りたい。
演義等では事前に劉備から関羽の人相等を聞いていた顔良は、これこそ関羽と思い声を掛けようとしたらいきなり斬られた、みたいなもっともらしい事情が付いているが…。
リアルなとこどうなんだろ?
接近して来る関羽を、少なくとも敵とは認識してなかったのは確かそうだよね。
でないと、そう簡単に接近を許す筈がない。
味方の斥候が何かを伝えに来た、とでも思ったのかな?
214:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 15:46:30.73 swVyvRmD0.net
13日に長々と関羽名将談義していた私が言うのもなんですけど、ID:JrDKEtjkO=vmoO/XCKOの御方はそんなに関羽談義をしたかったら別スレを立ててはどうでしょうか?ここは「関羽のことを教えてもらうスレ」ではありませんよ。
なんだか一部の信者と荒らしのせいで関羽の話を忌避する流れになっていたのが残念だったので、あの日はなるべくフラットな視点で色々と述べてみたのですが、こういう流れになるとは思いませんでした…。
215:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 17:38:22.74 b+Yktzww0.net
それじゃあ、次は夏侯淵の話をしようぜ
実績はトップクラス
なのに確定入りできないのは最後が悪いのと、名将クラスの敵を倒してないからだろうか
馬超と韓遂は強敵だったと思うけど、曹操が一度撃破した後とどめを刺しただけって感じで過小評価されているのだろうか
216:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 17:47:14.12 2Ccz7Qtf0.net
劉備と曹操からの評価が低い、ってのを
やけに重要視されて評価下げられてるって指摘があったな。
217:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:35:11.10 swVyvRmD0.net
夏侯淵は、馬超に一度撃退されていますからねぇ。はっきり言って馬超は名将と呼ぶにも豪傑と呼ぶにも足りない人物なので、そんな相手に負けてしまったことが重要視されているのではないでしょうか?
極めつけに馬超は張郃が5000を率いてやってきただけで逃走していますから、その後の劉備や曹操陣営からの「張郃は凄い、夏侯淵はダメ」発言も相まって、張郃>>>夏侯淵という図式が刷り込まれてしまいます。
その張郃も、より上位にいる張楽于の三将と比べると、同時代の働きはかなり地味です。張遼より上と称された曹仁は実際にそれだけの活躍をしていますから、親族故の評価偏向というのは無いでしょう。
となると、やはり夏侯淵は今の確定枠にいる魏将と比べると見劣りする実力ということに。まあそれが確定枠に入らない理由になるのはおかしいですが…。
恐らく魏は既に確定枠が多いので、これ以上安易に増えないように名将のハードルが上がっているのでは?だから夏侯淵ほどの実績があっても議論枠に留まっているのでしょう。
馬超が>>2で議論枠になぜかエントリーしているのも、夏侯淵という名将を撃破しているというただ一点が原因としか思えません。それ以外の馬超は負けて負けて負けっぱなしなので。
つまり蜀は逆にハードルが下がっているのでしょう。最弱勢力としては当たり前と言えなくもないですが…。
しかしまあ、関羽と馬超が並んでいるのは違和感を感じますね。馬超が議論枠になれるハードルなら関羽は確定枠なんて余裕なはずなんですが…。まあこの話はもういいですけど。
218:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:37:10.67 TIkXQ8Jh0.net
多分曹操の親族で同じような立場だったと思われる曹仁の存在が余りにも大き過ぎたってのもあるんじゃない?
219:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:54:54.33 b+Yktzww0.net
>>217馬超は決して負けっぱなしじゃないぞ
郭援に勝利したり(ホウ徳の活躍が大きいが)、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてる
曹操も馬超と戦って、何回か死ぬかもしれないピンチに陥った事もあるし、馬超率いる連合軍に勝った曹操軍も戦死者は五桁にのぼるほどの被害を出してる
名将とは言えないかもしれないがかなりの豪傑だと思う
220:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 19:07:51.34 swVyvRmD0.net
>>219
馬超は曹操陣営で鍾ヨウの部下として働いていた時が全盛期ですね。仰る通り、龐徳の方が目立ってますけど。
それ以外に馬超が「戦争」で「勝利」したことが無いことは分かっておられると思いますよ。「局地的」な「ピンチ」なんて大局的には意味無いですから。
むしろ局地的にピンチにしておきながら結局大敗している辺りが、名将とは真逆な匹夫の素質を感じるところです。局地的にでもせめて名のある将を撃破してれば違うのですが。
豪傑とも言えないと思いますね。一騎打ちで韓遂の部下に半殺しにされたことはまあいいとしても、曹操を殺せる千載一遇のチャンスを許チョに睨まれて萎縮したことで失敗したり…。
豪傑と呼ばれるには、実力だけでなく振る舞いも求められるでしょう。関羽や張飛が本物の豪傑です。
馬超の情けない行蔵を見ると、演義でなんで馬超が関張と同列のように扱われたのか全く納得できませんし、正史で関羽が馬超らを下に見ていたことは大いに納得できます。
まあ、私の馬超に関する意見は私情がかなり入っているのでフラットな視点になってないと思いますけどね。
221:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 19:42:12.05 bROTHfvl0.net
>>218
親族と言っても曹操と夏侯淵は血の繋がりはあるけど
曹仁とは血の繋がりはないんだよなぁ
222:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:22:48.57 b+Yktzww0.net
>>220だから郭援に勝利した以外にも、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてるって言ってるじゃないか
それに夏侯淵にも勝利した事もある
それらの事は全て局地的な勝利であり、最終的に負けたのだから、郭援に勝利した事以外戦争で勝利は無しとなるなら
関羽なんて顔良を斬った事以外戦争での勝利無しになるし、諸葛亮も武都・陰平を取った事以外魏に対して戦争での勝利無しになるぞ
223:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:50:23.86 swVyvRmD0.net
>>222
劉雄鳴って、それ関中軍閥内の仲間割れですよ。しかも仕留められずに逃亡を許しています。
夏侯淵撃退=冀城攻防戦は既に私も言及しているじゃないですか。韋康殺害はその冀城攻防戦の一貫です。
馬超は孤立した冀城を落とすのに八ヶ月かかり、その後すぐに楊阜らに奪回されています。
何がそんなに引っかかっているのですか?
224:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:58:11.00 swVyvRmD0.net
>>222
関羽は于禁を捕獲し龐徳を斬り、諸葛亮は張郃を戦死させていますから、馬超とは全く違います。
「せめて名のある将を撃破してれば」というのも既に述べているはずです。
馬超は張郃どころか夏侯淵も仕留められていません。一時的に撃退しただけで、勝ち越したわけではありません。対して関羽と諸葛亮は、魏が誇る五将の息の根を止めたも同然です。
もう少し落ち着いてくださいな。
225:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 21:23:16.13 b+Yktzww0.net
一時的に撃退したのなら、一度勝利したという事と一緒じゃないのかと自分は思うわけですよ
一時的な撃退が勝利に値しないなら
関羽は樊城を攻め、救援に来た于禁を捕獲しホウ;徳を斬ったが、援軍に来た徐晃に破れ、樊城攻めを失敗したという意味で戦争に勝利してないという事になるし
諸葛亮も魏領に攻め込み司馬懿に局地的に勝利して、退却する際に張コウを戦死させたが、魏の領土を奪う事ができなかったので戦争に敗北したという事になる(事実敗北だけど)
撃退しただけの馬超より、敵将を捕獲し戦死させた関羽や諸葛亮の方が上だというのには同意しますけど
226:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:08:44.42 swVyvRmD0.net
>>225
仰っていることには私も同意です。大局的に見て関羽や諸葛亮が戦争で魏軍に勝利したなんて私も思っていません。まあ諸葛亮は敗北とも言い切れないと思いますが。
私の国語力不足のせいで伝わらず申し訳ないのですが、例えば、関羽は于禁に戦争で勝利した将軍ですよね。これは局地的にも大局的にも同じですし、否定材料は存在しません。
しかし、馬超は夏侯淵に戦争で勝利した将軍でしょうか?
局地的な勝利は得ていますが、結局は夏侯淵により軍勢は壊滅し羌族テイ族も駆逐され、関中からも涼州からも追われて劉備へ落ち延びました。これは大局的には明確な敗北です。
私の捉え方では、夏侯淵が馬超に戦争で勝利した将軍となります。
227:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:13:42.81 b+Yktzww0.net
>>226最終的に負けたけど、局地戦であろうと一度の勝利を認めないというのはどうなのかなって言いたいんだけどなあ
228:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:17:56.95 swVyvRmD0.net
>>227
え、局地戦で勝利していることは認めていますよ?
最初の>>217で思いっきり言っているじゃないですか。
229:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:23:03.57 b+Yktzww0.net
>>228勝手に認めて無いと勘違いしてました。すいませんでした。
230:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:26:29.85 swVyvRmD0.net
気づいたらかなり連レスしていたようです。
他の方々が夏侯淵や馬超についてどう評価するのか興味ありますし、私のような長文バカが居座っていては議論が停滞しそうなので退室しようと思います。
お目汚し失礼致しました。
231:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 23:46:13.91 M+3sdDQC0.net
>>225
>~という事になる
反論してるつもりなんだろうが、その通りなんだよなぁ。
馬超も関羽も諸葛亮も局地的に勝ったけど大局的には敗北してるよ。
232:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 00:04:15.43 p3xFGHfRI.net
>>231の言いたいことがわからん
そこ誰も否定してなくね?
233:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 01:22:58.60 ig3gk6qi0.net
関羽が馬超より上であろうと下であろうとどちらにせよ確定入りする事は無いと思うわ
関羽は負けが多すぎるし、実績も少なすぎる
それだったら夏侯淵や孫策の方が可能性がある
234:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 11:36:53.14 NSbuwuoF0.net
関羽は史書の記述だけを拾っていくと負け戦が多過ぎる
しかしそれでは同世代の人物の高評価の説明がつかない
ここから記述がないだけで、放浪時代等に様々な功績を積み上げていたことは想像できる
だが、他人と相対的に評価しなければならないこのスレで補完した想像込みで関羽を語ってはならないだろう
収拾がつかなくなってしまう
235:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 12:27:22.05 pMCuc6mE0.net
実績が多いから名将というわけでもないからな。
実績の少ない関羽は万人敵と魏呉から恐れられ
実績の多い夏侯淵はそれこそ曹操から白地将軍の不名誉をもらってしまっている。
実績の多い、少ないはあまり名将認定には関係のないことだろう。
236:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 13:28:57.79 p3xFGHfRI.net
孫策とかそれこそ実績自体は文句無しのはずなんだけど
5年で揚州の江南部分を平定したという結果だけ見れば
でも戦歴を見ていくとなんか微妙感が漂うという不思議な存在?
劉繇を倒したのは孫策軍というより袁術軍の総力
王朗も自力じゃ倒せず故郷を守ってた孫静をわざわざ召喚
孫策軍だけで倒せたのは有象無象の賊共くらい
最後は寡兵の陳登に大敗した挙句に暗殺される
でも孫策の若さを考えるとやっぱり偉業か
237:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 18:30:17.95 ydtuhbu10.net
別に蜀に肩入れするわけじゃないけどさ、やっぱ史料少ないと苦しいっすね
238:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 01:44:25.10 o61lx5pG0.net
三国志の時代の当時は関羽は名将として認識されてたんだろ
曹操等から高評価され、色々と恐れられてて
だからこそ敵国は、よってたかって倒しにかかったんだよな
239:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 02:32:51.40 LVZYDtX90.net
名将と認識されたんじゃなく、豪傑と認識されてただけ
ここ重要
というか曹操は、チョウシュウ配下のコシャジとかいう奴の武勇を表彰したりしてるし、
関羽も同じように豪傑だったから名が知れてただけだと思う
呂布も当時は豪傑というだけで、出世したけど名将というわけでは無い
240:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 04:06:10.67 I34pOkIz0.net
>>236陳登が孫策と戦った記述は間違いで、本当は他の武将の可能性があるんじゃなかったっけ?
241:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 04:50:33.10 roFLzJh50.net
孫策配下の将である可能性も否定できないとかなんとかかんとか
242:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 06:30:31.77 P6pDr/wAI.net
なんか「魏と呉が関羽を恐れてたからよってたかって倒しにかかった」って言ってるバカがいるけど、今までこのスレの何を読んで来たのかな?
そういう流れじゃないことは何回も説明されてるじゃん
読解力無いの?
243:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 06:56:37.78 roFLzJh50.net
不要な暴言は荒れるもと。
そう思っても言わないのが良識のある大人。
244:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 07:08:40.81 Zv3rUP//0.net
読解力というより、おとしどころの目的が違うんだよ。
関羽をよってたかって倒しにかかっているのは事実だけど、「名将として」おそれていたなどない。
しかし万人敵と形容された関羽は、兵を率いても最強としたいんだろう。
最強スレではここから先はフィクションの話へと移行していったがな。
245:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 08:20:40.51 fCWEdBuy0.net
大分前から他スレでも関羽については
フィクションを信じるのが正義と思っている人がいるみたいだからねえ
246:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 18:45:30.76 +1JQuRND0.net
>>236
業績の評価批准に年齢は関係ないような。
>>241
確かに陳登と直接対戦したのは「孫策軍」だけど、
この「孫策軍」が孫策本人の率いる軍とは限らない所が。
247:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 18:54:19.89 P6pDr/wAI.net
いや、あんなこと言っといて何だけど、関羽は名将なんじゃね? 劉備軍が弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかっただけで
将軍としての関羽の実力は後世の目では分かりにくいけど、誰よりも関羽と張飛の実力を知っていたであろう劉備が常に関羽を最も重用していたってことは、実力の証明になっている気がする
後世の目から見ても名将である張飛より上、ってことは関羽も名将・・・というのは無理矢理すぎるかな
248:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 19:34:34.44 I34pOkIz0.net
>>247名将であったかもしれないけど
二十四選に確定するほどの名将とは思えないな
他の候補者、夏侯淵や孫策の方が上だと思う
249:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 20:58:13.44 P6pDr/wAI.net
>>248
まあ夏侯淵と孫策はむしろなんでまだ確定枠になれてないのか疑問なレベルだから
田豫と司馬懿もだけど
250:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:03:40.56 +1JQuRND0.net
>>249
孫策はねえ…
関羽さんと同じで多い長所を重大な短所でダメダメにしているから。
251:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:16:21.88 I34pOkIz0.net
>>250孫策の短所って政治家や君主としての問題であって、関羽と違ってそれらの短所が軍事的失敗に繋がる事にはなってないし、将軍としての短所は少ないようなあ
孫策の問題は雑魚専疑惑がある事だと思う
252:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:19:35.29 E2dKlZ5t0.net
張飛のほうがどうみても関羽より上。
長坂での殿軍も見方によっては関羽の顔良斬りよりヤバイし、
益州攻略での功績、巴に深く侵入してきた張コウ撃破と、明確に大手柄が記録されている。
大体たかが漢中太守に抜擢された地方軍(方面軍ではない)魏延と
中央軍のトップ級将軍である張飛を比較して魏延のほうが上というのは無理がある。
253:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 22:28:36.86 P6pDr/wAI.net
>>252
魏延は漢中太守だけじゃなくて督漢中で鎮遠将軍だろ
方面軍ではないってどういう意味なん?
魏には太守なんて腐るほどいるけど、蜀の太守は数えるほどしかいないわけで、その中で最前線を任されたのを、たかがとは言わんだろ
しかも漢中は張魯→曹操→劉備と移り変わって支配の難しいところだろうし
何より一番大事なのは、張飛が任命されると思っていたところを魏延が任命された、ってことなわけで
254:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 00:20:37.28 DUWWLk030.net
>>247
> 弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかった
この部分がちょっと腑に落ちない
弱小国の将軍は大軍を統率する機会にはあまり恵まれないかもしれないが
不利な条件で勝利すればその分高く評価されるという意味では
条件はあまり変わらないんじゃないかと思う
255:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 00:37:27.68 Jv8aH0G70.net
関羽を擁護するなら、呉と魏と境界を接する荊州を統治とか、誰がやっても難しい、しかも不得意そうな事をやらされて可哀そうだとは思う
まあ、ビホウやら荊州にいた部下に裏切られたのは、擁護不可能だけどね
256:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 01:35:29.57 /OsMfpPo0.net
夏侯淵はともかく、孫策は頓死していなければ…の妄想ナシだと確定枠には遠いわな
257:2
14/02/18 08:17:13.79 QBxGN6QY0.net
議論が進んだようなので 絞り込む方向で少し修正。
おかしい箇所があったら訂正して下さい。
・確定枠(残り8枠)・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 満寵 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・確定枠昇格候補・
後漢
魏:夏侯淵
蜀:関羽
呉:孫策
三国
魏:田豫 司馬懿
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉
・定義外?・
群雄割拠以前
他:皇甫嵩 徐栄
呉:孫堅
三国以外所属
他:麴義 呂布 黄祖
晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:杜預
258:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 14:26:49.06 X78ip4df0.net
今までの議論の流れでは関羽は確定候補ではないんじゃないかな
259:2
14/02/18 16:30:16.08 QBxGN6QY0.net
読み返してみると、関羽と孫策はまだ議論の余地がありそうですね。
纏める方向で再整理。
・確定枠(残り5枠)・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
蜀:関羽
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麴義 呂布 黄祖
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉 陸抗
晋:杜預
260:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:24:29.61 Jv8aH0G70.net
いつの間にか夏侯淵が確定枠に入ってる!?
261:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:50:05.08 CTJj3cUmO.net
5つも枠が有るなら、いつもの2人を入れてあげてもいいんじゃない?
さすがに議論枠の中では上の部類でしょ。
262:2
14/02/18 21:39:06.01 QBxGN6QY0.net
夏侯淵はスレの流れ的に確定かと判断したことと、最終的に24選から漏れることは無さそうなので入れましたが、異論が多く出るようなら外して下さい。
263:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 21:50:44.70 eZtZzRc40.net
夏侯淵は入れるという話題にすら上らない
議論するまでもなく現状では枠外なんだぜ
264:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:13:03.68 PqlIwZYi0.net
関羽はともかく、夏侯淵は明確に敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く、その実績の大部分がその「寄騎」によるものなので永久に除外していい。
漢中で失敗した夏侯淵が入るなら、揚州を全うした夏侯惇が確定しないと矛盾していておかしい。
265:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:47:52.11 +72BEB5IO.net
郭淮、杜預あたりは確定枠に入れてあげてもいいんじゃ?
鍾会も戦略家としては一流だけど…剣閣抜けなかったり、トウ艾に出し抜かれたりが響いてるのかな。
266:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:51:28.79 Jv8aH0G70.net
>>264評価よりもやっぱ実績を重視すべきだろ
当時の評価が間違っている可能性もある
関羽は評価はかなり高くても実績はたいしたことが無い
同じく夏侯惇も敵を撃破した実績が少ない
267:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:13:47.72 cb16Q+Xw0.net
夏侯淵程の功績を残した人物は議論枠にはいないだろ
他人の評価なんて名将か否かに何も関係しないだろ
他人の評価で功を立てる訳じゃないんだから
268:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:18:46.73 BchvawFa0.net
夏侯淵の話題は前スレからずっとちょくちょく出てるし、確定枠だった時期もあるんだけど
>>264
その程度で「永久に除外していい」とまで言うのは極端すぎて荒らしとしか思えないんだが
夏侯淵を永久除外してまで誰を入れるのかという気も
実績の大部分が「寄騎」ってのも見方がおかしいでしょ
徐州で張遼于禁の援軍→青州で楽進の援軍→揚州で諸将の領軍→并州で徐晃の護軍→雍涼で張郃徐晃の護軍→益州で張郃徐晃の都督
領軍護軍は寄騎なんかじゃなくて司令官ポジションなわけで、夏侯淵が最も活躍していた時期は張郃徐晃らを率いる立場
だいたい曹操軍で前線の主役はあくまで五将軍、特にその中で上位三人への寄騎なわけで、夏侯淵が主体になりにくいのは仕方ないだろ
五将軍以上に前線で暴れてた曹仁がいるせいで夏侯淵が劣って見えるのかもしれんが、それが夏侯淵が名将でない理由になるのか?
夏侯惇は孫権が臣従したタイミングでの赴任だから攻め込まれてもいないので、方面軍司令官としての比較対象にはならない
>>265
郭淮は諸葛亮や魏延にハッキリ負けているし、鍾会や杜預は完全に一発屋・・・
それに杜預の侵攻作戦も鍾会に劣らず全体的にはけっこうグダグダ
あれだけ大規模な作戦だから仕方ない側面もあるだろうけど
269:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 01:29:12.42 slN1UdWu0.net
議論なんかどうでもよくて自分の考えが正しいと言いたい人がちらほら
他人の評価云々なんて直前の関羽で散々出た話題なのに
>敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く
なんて言ってる人は間違いなくスレを読まずに書き込んでる
270:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 10:59:01.96 LEP+piqU0.net
中国英雄板の三国志について語るスレが実質的にここだけなんだから、
そこまで選出に拘ったり、定義や意見でいがみ合ったりする必要無いじゃん。
271:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:00:29.97 hxiCxR6+0.net
>>270
「選ぶスレ」なんだから、ある程度選出には拘らなあかんやろ
選出が終わったら、語るスレにでも移行すれば良いんだし
言葉が汚くなったり挑発的な物言いになってしまうのは、まあ各自が自重するしかない
俺もよくそうなるけど
定義といえば誰も触れないが、皇甫嵩は議論枠からも除外して良いんじゃないのか?
皇甫嵩が活躍してた時代って三国の影も形もないし
中央の統制が崩壊して群雄割拠が始まるのは、あくまで反董卓連合からなわけで
麴義や呂布や黄祖は、群雄として三国建国者や他の群雄と鎬を削ったから「三国志の名将」に選ばれる資格はあると思うけど
皇甫嵩が戦った群雄候補なんて韓遂くらいしかおらんし、韓遂を滅ぼしたのは皇甫嵩じゃなくて夏侯淵だしで、なんかもう…
と個人的には思うが、皇甫嵩を24選に推したいって人ってけっこう居たりするんかな
272:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:35:37.81 YV+BRl+B0.net
このスレは選ぼう、絞ろうという方向に行こうとすると、荒れるか人が去るんだよなw
名将雑談スレくらいの緩さの時が最も伸びる
273:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 13:04:00.40 c7yMOxiQO.net
そうだね、誰かが提案して、それに対し誰かが反対意見を出し、更に誰かが賛成意見を出す時に示される各々の理由、そういうのを論じ合うのが楽しいのかも。
でも結論を出して行くなら、誰か裁定人が必要かも。
でないと議長の居ない会議、田原総一郎の居ない『朝まで生テレビ!』状態が続くかと。
274:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 14:40:22.01 42z939nA0.net
三国志を184年から数えるか、189年からにするかの見解の違いはあるかもだけど、
一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし、皇甫嵩も年代的には問題はないと思う。
まあ相手が烏合の衆だから、群雄割拠が成り立ってからの将の方が実績的には上かもだけど、
誰が最初の名将かを挙げるとしたら皇甫嵩になるんじゃないか、ってとこなのだろう。
275:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 15:37:11.51 hxiCxR6+0.net
>>一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし
これがわからない・・・
黄巾の乱って何のキッカケになったん?
黄巾がキッカケで群雄割拠したわけでもなければ、黄巾がキッカケで後漢王朝が倒れたわけでもなく、黄巾がキッカケで董卓あるいは袁紹や曹操が台頭したわけでもない
陳勝呉広や赤眉とは全く違うのよ、黄巾は
何のキッカケにもなってない気が
この時の働きが曹操孫堅劉備に与えた影響なんて殆ど無く
覇権争いで最初の主役となる二袁なぞ、ほぼ空気だったり
「184年」に囚われすぎなんでは?
276:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 17:42:13.25 42z939nA0.net
そりゃ赤眉の乱や黄巣の乱と違い、黄巾の乱が王朝を滅ぼした直接的な要因ではないからね。
でも、黄巾の乱以降、残党や流民が跋扈して治安が急速に悪化してて、
統制が取れなくなったことから、地方で実力者達が武装し軍閥化。
叛乱や軍閥の自立も頻発するようになった。これは董卓以前から始まってたことだよ。
そして治安悪化の影響で多くの民や知識人が荊州、揚州、益州などへ避難。
その影響で辺境の人口が増え文化水準が上昇。三国時代、呉や蜀が自立できた下地になってる。
乱自体は簡単に鎮圧されたし、乱そのもので誰かが政権を握ったりなどもなかったけど、
農民反乱ゆえに文化や民の生活などへの影響は強く、これにより後漢が完全に死に体になっている。
後漢の衰退を招き、乱世~三国時代の幕開けへの切っ掛けとなった事象だし、
王朝瓦解の決定的な契機は董卓だけど、三国志を語る上では無視できないものだと思うよ。
まあ三国志的に黄巾の乱で一番大事なのは、曹操や孫堅や董卓が表舞台に出てきたことなんだろうけど。
277:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:00:09.40 hxiCxR6+0.net
なるほど「軍閥化」のキッカケ・・・
そういう意味では大きな境界線なんですな、やっぱり
まあ後漢の衰退を招いたってのはちょっと違う気もするんやけど・・・
幼帝と外戚と宦官のスパイラルに嵌ってとっくの昔から勝手に衰退していってたのが後漢王朝って印象
鮮卑の大英雄こと檀石槐も黄巾より前にずっと暴れまくって尋常じゃない勢力圏を築いていたし
段熲が羌族を殲滅しまくってたり、張奐の下で董卓の名前が出たり、皇甫嵩の伯父が活躍したりしていた時期も、なかなか酷い
境界線となる時期は色々あって、完全に決定的なのが反董卓連合である以上はそれ以後の名将から選ぶべきだと個人的には思うのよな、あくまで個人的にはだけども
278:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:26:04.33 LEP+piqU0.net
なんで色んな時代でも、黄巾だけ成功せず、それどころか一瞬で鎮圧され後漢王朝の重臣が権力握っていったのか
1、蜂起を急ぎすぎた。民の不満が十分に溜まる前に誘発してしまった。
2、後漢王朝の将軍(コウホスウとか)が優秀すぎた。
3、張角が無能すぎた。
4、そもそも後漢王朝の腐敗は、中央政府に汚職や利権が蔓延ってただけで、地方や庶民の暮らしは大して悲惨じゃなかった。
どれだろ?田中氏も言ってたけど一年で鎮圧される民衆反乱ってショボすぎるよね。
279:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 22:03:10.44 hxiCxR6+0.net
んなもん、腐っても「王朝がまだ機能してたから」やろ
噛み砕いていえば「中央と地方の連絡がまだ取れていたから」か?
べつに皇甫嵩がおらんでも、盧植と董卓と朱儁と曹操でいつかは鎮圧したやろうし
中央と地方の繋がりが断ち切られて群雄割拠がスタートするのは、董卓が洛陽を焼き払って長安に引きこもってからやぞ
あれのせいで地方が好き勝手やり始めた
280:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:39:23.50 EicQxCrK0.net
仮に董卓前後からにしたとしてもあまり意味がないのでは?
皇甫嵩がエントリー枠に入るかどうかの違いだけで、このスレ的にはあまり変わらないのだから。
そもそも三国志演義ですら黄巾の乱からなんだし、そこは頑張っててもどうしようもないとこだと思います。
189年から始まるのなんて昔の三国志のゲームぐらいじゃないだろうか。
281:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:46:05.01 F61X+TqPI.net
皇甫嵩が入るなら時代区分だけじゃなくて三国外でもいいってことに広がるわけで、河北最強の麹義も当然確定枠に入るよね?
282:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 07:05:29.97 GchUNz0iO.net
うむ、時代的には候補に入っていいと思う。
時代は刻一刻と変わり行くものの連続性だから、この瞬間からって線引きは人それぞれだろうけど、
>>280の人の言うように、黄巾の乱あたりからと捉えても全然おかしくないと思う。
宦官と外戚の権力闘争、度重なる飢饉や天災、中央が乱れているからそれらに対応する策すら打てず、民心を失い後漢王朝が末期症状を呈しているのはそれ以前からだけど、
そこにきて乱の鎮圧に掛かる多大なる戦費と兵力。
これは財政的にも支配力的にも後漢王朝に与えたダメージは大きいと思う。
よって、後の三國の時代の幕開けに繋がる後漢王朝の衰退に、董卓の乱とともに黄巾の乱は大きく関与していると思うよ。
283:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 22:28:26.05 F61X+TqPI.net
まず実力の時点で皇甫嵩って他の連中と比べてどうなのさ
雑魚専と名高い孫策だって、一応は群雄と呼べないこともない相手を撃破しているんだから、皇甫嵩よか上だよね?
284:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 02:17:41.12 EAs6vXlcO.net
うむ、そうだね。
あの広大な江東を一代で制覇したという実績は、充分評価に値すると思うよ。
285:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 08:10:22.41 he0p3YjJ0.net
江東って別に広大でも無いだろ
加えて当時の揚州には有力な勢力が無かったし(強いて言えば袁術)。
286:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 09:54:37.14 WJUelP5y0.net
平定戦の功ってことで、なんで孫策が有力候補に上がるのかなぁ、ってのは前々から疑問
孫策が平定したのって揚州の江南(江東)部分だけだから、一州を平定したわけでもないし
曹操:兗州 豫州 徐州 司州 冀州 青州 并州 幽州 荊北 揚北(夏侯淵:涼州)
袁紹:冀州 幽州(袁譚:青州)(高幹:并州)
劉備:荊南 益州
劉表:荊州
呂布:徐州
こいつらは全員、開始時点では郡レベル以下だった勢力から成り上がって、自力で一州以上を平定してるじゃん
特に曹操と劉備と袁紹と呂布は、既に州レベルの支配を確立していた相手を撃破して平定している
孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
287:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 22:58:47.61 qvZiyksw0.net
>>286
>孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
>孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
その通りなんだわ。
そして袁紹ですら議論の末、
確定枠はおろか議論枠からも外され…という点でお察し
288:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:04:16.05 qvZiyksw0.net
孫策ってパッと見成績が華々しいから
一見凄いように見えるけど、
実際は大したことなんて碌にやってないんだよね。
孫策の江東を押さえている地域自体が
江東の「面」ではなく、
江東の都市とかの「点」を押さえているだけに過ぎないし。
289:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:21:35.56 WJUelP5yI.net
>>287
袁紹が議論枠から外れてるのは、麹義が代理で入ってるからな気がする…
袁紹勢力代表を袁紹にするか麹義するかは、それはそれで議論の余地があるんじゃないかと
>>288
だから点と点の間に不服住民が大量に巣食って、賀斉たちが延々と平定作業に励む羽目になったわけだしね
諸葛恪の時代になっても山越討伐してるんだから…まあフロンティアってそういうもんなのかもしれんけど
290:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 09:27:39.55 7BGmtsvE0.net
孫策の名前が出るのは
・ハンデありまくりのスタートラインから
・極めて短期間で
・政治的・権威的ににはともかく、武力的に完全制圧した
からだろう。
この時代で孫策のバックグラウンドと比較対象になる存在といえば鍾ヨウか?
事実上単身赴任で複数の武装勢力を服従させて地域に安寧をもたらしたのは
孫策 鍾ヨウ
地域 江南 関西
バック 袁術 曹操
軍閥 劉ヨウなど 馬騰など
目的 制圧 せめて袁紹と繋がった敵にしない
手法 武力 慰撫
結果 制圧 纏めあげて服従させる
291:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 10:56:28.40 fJDHqfD60.net
孫策は、孫堅軍として転戦してきた程普黄蓋韓当ら歴戦の将兵を授かってるんだよなぁ。孫河呂範も最初から側近としている。
その戦争体制も、孫賁呉景、朱治、そして周瑜ら周氏も含めた、袁術軍との共同作業。バックなんてもんじゃない。
これが単身赴任と言えるのか…。
司隷に単身赴任して関中軍閥を懐柔した司隷校尉の鍾繇。揚州に単身赴任して袁術残党を懐柔した揚州刺史の劉馥。
曹操のバックアップ込みとはいえ、これが本当の単身赴任かと。
最たる例としては、荊州に単身赴任して豪族を懐柔し、反乱勢力を皆殺しにし、孫堅を戦死させて袁術を追い出し、張済を戦死させて張繍を懐柔した、江南最強群雄の劉表。
バックなんて無い、完全な実力。どう考えても孫策より上でしょう。
292:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 13:20:35.18 A1F3vlA40.net
孫策が呂布、袁術、劉表らより評価されやすいのは
誰に勝ったとかどこを切り取ったとかよりも
三国の一つの基礎となったからじゃないかと思う
呂布らは強くても結局生き残らなかったじゃん?
その点、孫策は早死にしたけど孫権に引き継いで勢力としては生き残ったから凄い、
っていう感覚なんじゃないかな
後のことまで評価に含めると
勢力を維持した孫権の功績を吸い取ることになっちゃうけど
293:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 19:29:55.60 RUgnFVbK0.net
曹操、劉備が余裕の確定枠なのに、孫堅孫権は無理で、ギリギリ可能性のあるのが孫策だけ…というのは大きいな
294:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 19:58:49.20 xPXqKp+50.net
劉表が最強とか知的障害でも抱えてんのかよ。
劉表は群雄としてじゃなく刺史として、しかもある程度後漢の権力と権威があった時代に赴任しただろ。
豪族を懐柔したってのも懐柔したというよりは迎合して媚びただけだし。
事実後継者に長子を選べないほど、専横されてた。
295:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 20:47:37.61 fJDHqfD6I.net
無駄に暴言を吐くのは何の意味があるんですかね
知的障害というのはブーメラン発言にしか見えないと思いますけど
というか反董卓連合の時に後漢の権力権威がそんなにあったとは驚きですね
劉焉や陶謙と混同してるんじゃないですか?
296:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 20:58:08.71 fJDHqfD6I.net
孫堅を戦死させ袁術を追い払い孫策より大勢力を築いた劉表が、江南最強群雄でないというなら誰が最強になるのか
頭の良い >>294 に是非教えていただきたい
297:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 21:15:02.04 nClH3jCo0.net
なんでそんな無駄にケンカ腰なの
298:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 21:37:57.63 1N5VExWVP.net
荒らしたいのか寂しがり屋なのか
299:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 00:14:48.93 zSfVVXHa0.net
>>294
荒らしなの? 構ってちゃんなの? ただの馬鹿なの?
まあ三国だけから選ぶなら 関羽や孫策も確定枠に入るんでは
後漢とか群雄とか西晋とかからも選ぶなら微妙なラインかもしれんけど
300:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 00:49:47.38 MM/emE1P0.net
しかし、相変わらず末尾Iが目立つスレだ
PやO、iと比べると相当にレアなはずなのに
301:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 02:16:46.64 TWG6wpKj0.net
そりゃこんな過疎板の住人なんてある程度固定されてるだろ
>>294みたいのがそういうレア末尾だと良かったんだけどなぁ(嘆息
302:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 02:41:14.81 zSfVVXHa0.net
>>300
前スレの時から大半が固定だぞここのスレ民
固定住民は鬱陶しいから去れってことか? 多分、一気に過疎るぞ
303:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 07:27:32.90 MrTBHgjn0.net
史料に拠って語れる人が煙たいので、暴言をもって排除を試みるも、いなくなったらなにもできずにスレを消滅させてしまうか
コーエー三国志程度の内容しかない短行のレスが時折つく過疎スレにしてしまう>>294みたいな暴言野郎の未来がみえる・・・
304:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 09:02:48.87 2l+B5kJo0.net
>>294に異常に固執してる人は何なんだ?
自演を疑うわけじゃないけど、しつこすぎない?
305:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 09:57:06.11 zSfVVXHa0.net
とりあえず董卓の乱(189)→官渡大戦(200)までの勢力拡大比較整理
ゼロから始まって数州を支配
1位:曹操:領地無し→河南四州を支配
一郡から始まって数州を支配
2位:袁紹:渤海太守→河北四州を支配
ゼロから始まって一州を支配
3位:劉表:領地無し→荊州を支配
4位:呂布:領地無し→徐州を支配→曹操により滅亡
ゼロから始まって数郡を支配
5位:孫策:領地無し→揚州江南を支配→横死して孫権へ
6位:袁術:領地無し→揚州江北を支配→曹操により滅亡
一郡から始まって数郡を支配
7位:公孫瓚:遼東属国長史→幽州西部を支配→袁紹により滅亡
最初から刺史や牧
8位:陶謙:徐州刺史→徐州を支配→病死して劉備へ
9位:劉焉:益州牧→益州を支配→病死して劉璋へ
議論枠の麴義(袁紹) 黄祖(劉表) 呂布 孫策の四人から選ぶなら、まずは麴義?
孫策の強みは、孫策軍の主力はあくまで孫策ってところか
名将周瑜がどれくらいのウェイトを占めていたか不明だし何とも言えないが
呂布における高順もそうだけど
306:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/23 14:51:31.91 z8U9YP3wI.net
末尾Iだと書き込んじゃいかんのか(困惑)
孫堅
age
当時無敵と思われていた董卓軍を撃破した唯一の将軍
袁術軍として豫州で多少の武功を挙げた
sage
曹操より有利な条件で戦ったが、やはり徐栄には大敗
劉表戦というか黄祖戦で戦死
孫策
age
五年で揚州江南の四郡を平定
黄祖を撃破している
sage
自力で勝てた戦いが意外と少ない
勢力規模の小さい相手としか戦ってない
北上=陳登攻め に失敗
北上=陳登攻めリトライ? の準備中に横死
二人とも死亡時期が早いからage材料が少ないのに、sage材料がけっこうあるんだよなぁ
もし関羽と孫堅が戦ったら、孫堅軍により関羽軍は撃破されるも、単騎で突出していた孫堅が関羽に斬り殺されて戦死、ってことになるイメージ
孫堅を孫策に変えても同じ結果になりそう
307:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 03:52:32.80 PTKnXOVc0.net
>>306
一人が自演で騒いでるだけだから気にしないでいいよ
308:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:20:59.08 TDhzSYsk0.net
>>306
正史準拠のスレで「孫堅が関羽に斬り殺されて」ってどういうこと?
本気で言ってるのかオーバーに言ってるのか分からないけど話が飛躍し過ぎでしょ
309:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:24:21.03 MgrwaRnA0.net
イメージで言ってるだけなのにそんなに噛み付かんでも。
310:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 09:50:15.35 pKgsz5C80.net
単騎で突出して死んじゃうような将は名将と呼べるか疑問だってことが言いたいんじゃないの>>306は
なんか最近>>308みたいなの増えたねこのスレ
311:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 19:17:06.30 wZoxT8PQO.net
後漢後期 永和5年(西暦140年) 13州の人口ランキング
1位 益州 724万人(152万5千戸)
2位 荊州 626万人(139万9千戸)
3位 豫州 618万人(114万2千戸)
4位 冀州 593万人(90万8千戸)
5位 揚州 434万人(102万1千戸)
6位 エン州 405万人(72万7千戸)
7位 青州 371万人(63万5千戸)
8位 司隸 310万人(61万6千戸)
9位 徐州 279万人(47万6千戸)
10位 幽州 204万人(39万6千戸)
11位 交州 111万人(27万戸)
12位 并州 69万人(11万5千戸)
13位 涼州 42万人(10万2千戸)
数字はおそらくいい加減なので、参考程度に
そして司隸は董卓の遷都に、豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に、徐州は曹操の虐殺に、壊滅的被害を出したと考えられる
312:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 19:23:29.07 wZoxT8PQO.net
>>311続き
したがって何州切り取ったと言う数字は、あまり考察に相応しくないと思う
州ごとの格差がかなり大きいからね
313:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:03:58.45 pKgsz5C80.net
>>豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に
これは初耳
どこソース?
>>312
人口格差も考慮に入れて考えればいいだけの話じゃね?
てか格差があっても州郡という行政単位で平等に分けられているのにはそれなり以上の意味があるんであって、数字が考察に相応しくないというのはおかしすぎっすよ
例えば涼州は人口少ない割に城の数は異常に多かったりして、それはつまり後漢の支配が行き届いていない危険地帯ということだったり、戸籍に載ってないだけで人口が多かったりする証拠なわけで、
平定する価値や難易度ってのは、他にも色々な要素が絡む
一番分かりやすい基準が、何州を何郡を平定したかっていう数字であることは間違いないことだよ
314:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:31:30.75 TDhzSYsk0.net
曹操の豫州の略奪って人口を大きく減らすほど激しい物だったの?
人口下降率が高い順にも並べて欲しいな
個人的にはその後の動乱よりも、黄巾で荒れた青州や冀州が荒廃してたと思ってたんだけど
315:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/24 22:41:02.25 pKgsz5C80.net
>>314
俺はそもそも曹操が豫州で略奪したということ自体を知らんかったんだけど、正史のどこに載ってることなのか教えてくれ
影響力が及んでいただけで直轄支配していたわけでもない袁術の悪政ってのもわからん
豫州が荒れた原因ってそれこそ黄巾や李傕じゃないの
316:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 07:33:43.55 FHzZsCXPI.net
ID:wZoxT8PQOは言ってることが意味不明だからスルー推奨
ID:TDhzSYsk0みたいなホイホイ騙される"教えて厨"はこのスレ来ない方がいいよ
つーか人口下降率が高い順なんて明確な情報があるわけないでしょ
陳寿がサボったせいで後漢書と晋書にしか資料載ってねーのに
317:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 17:43:15.58 8dV+O4Vu0.net
蜀はもうちょい資料ほしかったなあ
318:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 20:02:58.52 Fiwq5Ep90.net
蜀は何で史官置かなかったんだろうな
何か記録として残したくない何かがあったのではないかと勘繰ってしまう
319:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 20:12:48.56 bKo0BsgZ0.net
>>318
そもそも史官を置ける余裕が無かったとか…
320:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/25 21:49:46.47 8dV+O4Vu0.net
流石に史官置けるだけの余力がないほどとは思えないがなあ
321:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 00:10:34.29 dvtMdkUT0.net
議論が停滞すると話が脇道に逸れた挙句に荒れかける・・・。
2スレを費やしてようやく16人まで決めた確定枠が、いかに大変なものだったか。最近の流れ見てて実感しました。
3スレ目に入って新しく決まった(?)のは、司馬懿と田豫だけ?
夏侯淵は微妙に出た反論は叩かれたが、結局有耶無耶に…。
今の議題は要するに、夏侯淵を確定枠にするのかしないのか。
しないとしたら、夏侯淵以上と言える名将は議論枠の中で誰がいるのか。
皇甫嵩や徐栄は? 麴義や呂布は? 孫堅や孫策は? 関羽や魏延は?
っていう流れでカオスになっているわけですよね。
322:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 01:43:38.05 j07bFOtE0.net
その中だったらやっぱり実績的にも夏候淵だと思うけどなあ。
なんでこんなにネガティブに見られてるんだろ。
323:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 04:42:44.61 fP7CvO680.net
夏侯淵以上の名将なら黄忠で良いよ
324:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 07:33:06.41 dvtMdkUT0.net
>>323のような荒らしも最近急に増えましたよね・・・。なんでこんなスレになってしまったのか。
同じ理屈で孫堅以上の名将が黄祖(呂公)とか、関羽以上の名将が潘璋(馬忠)とか言い出すんですね、わかります。
325:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 11:13:01.48 LjClQLUe0.net
あれは黄忠というより劉備と思うけどな
326:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 18:57:14.55 WarqLOHm0.net
鍾会はどうなんだろ
野心が大きすぎて最後失敗したが
327:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 22:11:57.62 DsIsWdsPO.net
あの時代を代表する優秀な人物のひとりだったと思うよ。
司馬昭のもとで蜀討伐の大将として出征する以前から、司馬師のもとで淮南の反乱鎮圧のために、優れた策謀を買われて参謀として従軍したり、
政治についても大事な懸案となれば必ず彼も参与した。
蜀に降った夏侯覇も姜維に対して、「鍾会が魏の朝政を執るようになれば、蜀にとって由々しき事態となる」と注意喚起してるしね。
相当な切れ者だったんだと思う。
328:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/26 22:55:42.48 VcAbStLm0.net
>>318
仮に後ろ暗い事多々なら、それはそれで逆に優先して置くんじゃねw
余所に好き勝手書かれるよりは先手を取って捏造する方がいいもんな
329:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 02:13:24.45 F6lzX0+b0.net
三国時代の選出は奇跡的なくらいバランス良い
魏西最強:曹真
魏南最強:司馬懿
魏東最強:満寵
魏北最強:田豫
蜀軍最強:諸葛亮
呉軍最強:陸遜
三国最強:鄧艾
対して後漢末期は明らかにバランス悪いよ
後漢末最強:曹操 次いで劉備←わかる
曹操軍最強:曹仁 次いで五将←わかる
孫権軍最強:周瑜 次いで呂蒙←わかる
劉備軍最強:張飛←ファッ!?
関羽がいないのは違和感ヤバい
劉備軍最強:関羽 次いで張飛←こうなるべきじゃないの
個人的には夏侯淵より先に関羽を昇格させたいなぁ
黄忠を挙げてる人がいるけど、選択肢にも入らないと思うよ
赤壁で曹操を撃退した名将は、黄蓋ではなく周瑜
漢中で夏侯淵を撃殺した名将は、黄忠ではなく劉備
劉備軍における黄忠なんて、曹操軍で言えば曹純、孫権軍なら甘寧
この程度のポジションを名将なんて言わないし、言っていたらキリが無い
330:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 03:37:33.12 vwkB548v0.net
お髭さんは未知数な部分が多過ぎて、ハッキリしてる戦績だけではさすがに確定枠は厳しい。
放浪時代の記録とかがもっと残ってればと思うけど、期待値込みで評価するわけにもいかないしな。
最強武将とかだったら関羽でもいいかもしれないけど。
331:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 03:46:34.71 GL5r2eJF0.net
残っている事績から劉備の配下の中で最も優れた将が張飛である、というのは間違ってないと思う
ただ、確定枠かというと大きく疑問符を付けざるを得ない
332:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 05:36:39.93 irm28qgI0.net
劉備軍という事だと完全に張飛がトップで違和感は全くないな
333:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 06:40:58.13 fsTCbEx9O.net
夏侯淵は確定でいいよ
敗北(戦死)は名将を完全否定する材料にはならない
漢中戦は劉備軍をただただ誉めるべき(あの時の劉備軍は間違いなく全盛期)
彼の功績は張コウとかがいたからという説もあるが、彼等を指揮して大局的な勝利としてきたのだから
涼州の韓遂や宋建、羌はザコではないだろう
蜀において夏侯淵を討ち取った事が大手柄になってるんだから、名将に値する
劉備の張コウ>夏侯淵発言は、軍を引き締める為の劉備の統率術だよ、きっと(ゴメン、これは根拠無いです。でも劉備ならこうするんじゃないかなぁ)
334:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 09:30:21.71 eVprOQG+0.net
関羽は残っている記録の多くが負けだから評価するのは難しい
劉備軍が大きく領土を刈り取った蜀入りでも関羽は留守番してるし
335:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 09:45:53.22 F6lzX0+b0.net
そうなるかぁ
でも夏侯淵を確定枠に入れても、まだ5枠も残るんだけど(>>259)
だったら関羽もワンチャンあるんじゃね?
夏侯淵以外に有力候補っていうと、麴義か孫策らへんでしょ?
政治能力というか協調性の無さで半ば自滅したって意味では、関羽と大して変わらんだろこいつら
336:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 10:29:14.74 eVprOQG+0.net
関羽入れるなら呂布入れたほうがまだいいような気がする
というか孫策とか呂布みたいな猛将タイプは負けも大きいけど勝ちも大きい
それに比べると関羽は勝ちの記録が殆どなく劉備軍が躍進したときも留守番をしてる
そもそも>>259の議論枠は他にも優秀な将が多いのに関羽を24人にいれる要因が少なすぎる
337:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 12:42:49.70 HrPRMfSN0.net
>>329
>ファッ!?
あっ・・・(察し)
超理論で関羽を無理矢理入れようとする奴が居着いてると思ったら、
なんJから流入してきたガキかよ
338:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 13:29:05.87 F6lzX0+b0.net
>>337
その程度の言葉尻で見当違いなレッテル貼りをできる神経が理解できんが
んで、お前のその何の中身も進展性も無い煽りはいったいどんな意味があるんだね
マトモに議論する気も無い荒らしが突っかかってくんなや
既に何度もこのスレでそういう輩は叩かれてんのに懲りないもんだ
>>336
一人お留守番を任されたことは能力を最も信頼されていた証だと思うんだけどね
まあ結果的に失敗してるからこれはアレだけど
官職も役割も評価も関羽は張飛の一歩上なわけで、陳寿は総合的に判断して関羽が張飛より上だと思ったから関張馬黄趙伝という順番にしたわけだ
それが年齢差などにも起因しているとしても、もし関羽が張飛にハッキリ劣るのだとしたら、劉備も魏の参謀達も含めて皆、人を見る目が無さすぎるということに
339:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 13:32:58.92 vwkB548v0.net
関羽を確定枠にするならまずその前に姜維でも入るんじゃなかろうか。
340:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:02:01.27 GL5r2eJF0.net
>>338
その辺の推測が成り立つこということは過去にも何度か意見が交わされてるんだけど、このスレでは確定している実績を重視していこうっていう意見のほうが今のところ優勢
俺個人としては貴方の考えに近いんだけどね
341:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:16:04.55 F6lzX0+b0.net
>>339
姜維は関羽の劣化版にしか俺には思えないんだけど・・・
魏将には基本的に勝てなかったって意味では同じだが、数少ない勝ち星を比較した時に王経では于禁龐徳の相手にならんでしょ
文官から見捨てられて大失敗したって意味では、荊州失陥した関羽より蜀を滅亡させた姜維の方が明らかに酷い
>>340
まあ関羽は「名将である」と言える材料も多いけど「名将じゃない」と言える材料も多いから、そうなっても仕方ないとは思ってるんだけどね
この時点でどういう反応が返ってくるか興味があったからふっかけてみただけで
342:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 14:27:07.50 rAlzD8oEO.net
関羽はやはり荊州失陥のマイナスが大き過ぎる。
如何なる経緯を経てどんな理由があったにせよ、荊州方面総司令としてこの地を守り切れなかったことは事実。
劉備軍の大局的な勢力図を、大きく失う方向で塗り変えてしまった。
このことは後の蜀漢の北伐戦略にも大きく影響し、諸葛亮の思い描いていた荊・益両方面からの北進を事実上頓挫させ、諸葛亮・姜維による魏討伐をより困難な状況に追い込んでしまった。
単に失地をしたということではなく、一国の戦略方針にも多大なダメージを与えてしまった将を、名将と呼ぶにはかなり疑問に感じるな…。
343:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 17:08:20.48 vwkB548v0.net
>>341
確かに関羽は大物を下してはいるけど、
姜維がやってる魏に大勝したり領土を切り取ったりはしてないわけで、
相手云々よりもそういった実績の方が重要だと個人的には思うんだよな。
まあどちらかと言えば自分もそんなに関羽sageはしない方だから、
関羽をフラットな視点から再評価するというのには賛成なんだけどね。
344:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 17:44:09.07 eVprOQG+0.net
>>338
1人留守番って単純に他に任せられる将がいなかったんじゃ
劉備の股肱の臣といえるのは関張
事実最初に下?の留守を任されたのは関羽じゃなくて張飛だった
しかし張飛は城を乗っ取られてしまうという失態を犯した
その後曹操を裏切ったときは今度は下?は関羽に任せた
関羽がこの後捕らえられたのは劉備が逃げて置いてかれたためで関羽に責任はない
しかも関羽は曹操に厚遇されたにも関わらず忠義かは分からんが劉備の元へと帰ってきた
時は流れて赤壁の後劉備は荊州を奪ったがこの後劉備は益州を攻めなくてはいかず誰かに重要拠点の荊州の守護を任せないといけなかった
新参の連中だと裏切るかどうか分からないし張飛は過去に城を奪われたことがある
そうなると単純に消去法で任せられるのは関羽ぐらいしかいない気がするんだ
345:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:10:45.32 F6lzX0+b0.net
>>342
うん、まあ、そこは反論しようがないんですけどね
関羽は名将だと言い張れる材料も結構あるから、どういうポイントを重視するかで評価が変わるんじゃないかってことを言いたかった
>>343
姜維は領土切り取りに成功したことはなかったような・・・? 記憶違いかもしれんけど
住民拉致はよくやってて、小国の悲哀を感じる
>>344
完全に同意だけども、それって要するに張飛よりも(留守番)能力を信頼されてたってことになるんじゃないか?
346:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:16:31.19 eVprOQG+0.net
>>345
まああの時点では張飛よりは留守番役として信頼されていただろうね
ただそれが能力を評価してなのか他にいなかったから選んだのかが分からんからなあ
そして結局その信頼を裏切った結果となったから評価し難い
正直張飛もこの後恨まれていた部下に殺されてるから部下の統率取れていたと言い難い
だから関羽の変わりに荊州任せられていたとしても失敗していた気はする
347:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:27:15.06 eVprOQG+0.net
個人的に名将になるには運も必要だと思うんだ
どんなに力量があっても無能な上司の元についたり活躍の場が与えられなかったら歴史の闇に埋まっていくだろうし
関羽と張飛の大きな違いはそこだと思うんだよねえ
蜀入りという敵を撃破懐柔していくという将の仕事を与えられた張飛
荊州の統治や防衛という味方を統率し民を慰撫し外敵に備えるという統治者としての仕事を任せられた関羽
関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない
ただ張飛のほうが名将として活躍できるチャンスを与えられた結果張飛は関羽よりも将としての実績を残すことは事実
だから張飛が名将入りされるのは当然とは思うけど関羽が名将入りされるのは違和感がある
348:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:33:05.46 NEkAeL390.net
張飛に荊州任せてもいずれ暗殺された可能性は高いが
部下の統率という点ではむしろ引き締まってたと思うよ
張飛突然死んでも軍営は混乱しなかったのだし
ムチ振るった相手を側においた浅慮が一番の問題だったわけで
349:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:43:08.18 eVprOQG+0.net
>>348
単純に側にいた人たちが張飛の苛烈な罰を一番受けるポジションだったってことじゃないかなあ
劉備に戒められるほどの厳しさが引き締まりを生んだんだろうけどその結果殺されてるってのは減点されるべきとは思う
結局は加減や部下をしっかり見ることができなかったってことだし
350:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 18:58:59.55 F6lzX0+b0.net
>>347
「関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない」ってとこまでは完全に同意見でいて、結論は俺と真逆なのだなぁ
その論理展開自体には納得せざるを得ないけども
ただ関羽は、曹操に捉えられた時に「劉将軍の下に帰りたい、だが殺さず厚遇してくれた曹公の恩にも報いたい、だから大功を立ててから去る」と誓って、それを即座にやり遂げた事実がある
即座にってところがポイントで、機会が来るのを悠長に待ってたわけじゃなく自分から掴みに行って、そして世に轟く武功を挙げて速やかに遂行した
あの手腕を見る限り、適した職場(戦場)さえ与えられていればどれだけ活躍しただろうかと思ってしまう
まあ、このスレのように客観的な事実を重視してブレにくい堅実な選出をしていく方式では、関羽は不利だねやっぱり・・・
>>348
張飛の一番の問題点は、部下を日常的にシバき殺すサディスティックな性格とか、その部下を側近に置く無頓着さじゃなくて、「劉備がそれを常々注意していたのにやめなかった」ってことだと思うんだよなぁ
上司の言うことを聞かない部下はダメでしょ・・・
351:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/27 19:02:53.83 eVprOQG+0.net
>>350
関羽は名将になれる器は十分あったとは思うよ
ただ名将にはなれなかった
それが関羽だと思う
352:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 07:53:48.17 mlgNZDKH0.net
>>259の議論枠から個人的に除外したい人物。
諸葛恪:ほぼ一発屋。丁奉のおかげで勝利と言えなくもない。再戦での負け方が酷すぎ。
鍾会:将としては一発屋。完全に鄧艾のおかげで勝利。戦中も戦後もグダグダ。
羅憲:ほぼ一発屋。しかも攻戦じゃなく守戦。偶然スポットが当たっただけで立場的には小物。
陸抗:ほぼ一発屋。しかもそれが部下の反乱鎮圧。羅憲に勝てなかった人。
杜預:ほぼ一発屋。王濬のおかげで勝利。というかあの状況で負けたらただの愚将。
353:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:24:04.82 4P+Admj80.net
羅権は確かに外しても良いと思うけど、杜預、鍾会を外すのは無理があるだろ。
特に杜預は確定枠でも良いと思う。
王シュンのお陰というのはあり得ない。王シュンがいなくても絶対に成功してたはず。
というか三国時代の一角である呉蜀を滅ぼした総司令官は確定枠に入れて良くない?
おそらく当時代で最大級の兵力を率いた将軍でもあるわけだし。
例えば楽進なんかは、終盤に少し将軍らしさを見せたからあんま言われないけど、
若い頃の活躍なんて匹夫の勇に頼った兵隊長レベルの活躍なんだよな。
楽進を入れるのに異論は無いけど、序盤に活躍した人間って華々しいけど、終盤の人間に比べて小粒過ぎる気がする。
もっと大軍を指揮してなおかつ国を滅ぼした将軍は評価されても良いはず。
354:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 09:34:52.45 TgcZ9WG+0.net
そりゃ序盤のほうが敵の数や奪い取れる領土の数が多いから華々しくなるのは仕方ない
後一発屋は外すべきって意見には反対したいな
杜預やショウカイみたいに部隊長や参謀として活躍していたからこそ将軍を任せられているんだろうし
そしてその信頼を見事に全うしたならば評価されてしかるべき
355:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:21:06.70 LEaX8eUQ0.net
>>353
漢の全盛期の6000万人の人口はその頃は600万人にまで減少してて兵もそれに比例してる
356:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:43:52.10 mlgNZDKH0.net
>>353
意味わからん・・・貴方の理屈だと、三国時代に生まれただけで有利になりますな。
後漢末期は少数しか率れなくても戦果を残さなきゃいけない時代。
三国時代は大軍を統率するのがメインワークの時代。
あと失礼だけど、正史読んだことないでしょう。
楽進が「終盤に少し将軍らしさを見せた」だけなんて思ってる人がこのスレにいることに驚愕しました。
別軍司令官として曹操軍で最も活躍したと言えるのが楽進なんですけどね。河北四州平定戦を何だと思っているんでしょうか。
357:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 10:52:10.20 mlgNZDKH0.net
>>354
確かにそうなんですが、鍾会は鄧艾がいなければ失敗していた可能性も高いですよね。
この辺の捉え方は人によって違うのでしょうけど、鄧艾と鍾会がどちらも確定枠に入る必要はないと思ったのですよ私は。
まあ>>353さんも仰る通り、一国を滅ぼした将軍を外せという私の意見はちょっと無理がありましたね。
358:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:22:46.51 CIqe3f470.net
羅憲の男前エピソードは好きだけど、記録が残る分にはほぼっつーか完全に一発屋だよなぁ
359:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:54:08.06 t5GKmlSmP.net
羅憲の状況で部下が最後まで士気を維持して付いて来るというのは相当なものではある。
ちょっとでも人格・能力に隙があれば首を差し出されてるもんなw
とはいえ流石に実績が少なすぎで、100選でも微妙なレベルか。
羅憲が呉・孫休にあっさり降伏する人物だったなら、勢力を増した呉がもっと粘れてた可能性はあるかね。
360:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 13:57:10.46 O4NQw9iD0.net
>>341姜維はどちらかというと、劣化馬超だな
異民族とのコネといい、騎兵を使った戦い方といい
361:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 14:58:22.37 mlgNZDKH0.net
姜維の能力は馬超より高かったと思うけどな。詰んでる状況でよくあそこまで頑張ったよ。
同時代の将が対等な条件下で戦ったら、鄧艾以外は姜維に勝てないんじゃないかな?
ただ郭淮や陳泰を押しのけて姜維を24選に入れるのも違和感あるので、姜維も脱落候補の一人かな…。
362:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 15:05:00.99 vnZ4LxG50.net
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
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岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ
363:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:04:51.32 qz57oOqeO.net
姜維は、諸葛瞻・董厥らとも北伐についての考え方は違うし、黄皓は宮中を乱すしで、援軍を申し立てても成都の対応は鈍く、やきもきしながら孤軍奮闘してるって感じだ。
恐らく蜀漢による中華統一以前に、蜀政権内における自らの発言力を取り戻せない限り、この戦争は大きく制限を受けるものになることも分かっていたのだろう。
だから必死に戦果を追い求め、度重なる出兵をした。
少し後になるが蜀の滅亡時、姜維は魏の鍾会に降った。
そして鍾会と手を結び、魏(司馬昭)との対立を画策する。
姜維は鍾会の反乱を利用し、後に彼を殺して蜀の再興を狙っていたと言われるが、俺はそうじゃないと思う。
姜維と鍾会の親交は日に日に深まって行ったというし、当初はどうであったかはともかく、彼の鍾会に対する信頼は本物になって行ったと思う。
蜀将だった時の、何を言っても響いてるのかもはっきりせず、対応も愚鈍な成都に比べ、
鍾会は頭の回転も早く決断力にも優れ、自分が献策したこともすぐに取り入れ実行に移してくれる。
ここに至って姜維は、将としての喜びを実感したのではないだろうか。
この男は共に天下を論じるに足る男だ、と。
年齢は親と子ほど離れているとはいえ、名将は名将を知る、といったところか…。
364:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:19:16.22 O4NQw9iD0.net
>>363劉禅に密書を送ってるから、やっぱ蜀復興を考えてたんじゃない?
365:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:33:02.07 zj7qIzxc0.net
龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦死しているからな
よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバカがいるが
司馬懿も大軍以てしても
孔明に追撃もできず局地的に負ける有様
淵や張任劉循と司馬懿では格が違うよ
366:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:43:19.52 qz57oOqeO.net
>>364
やっぱそうなっちゃうかなw?
でも姜維は単純に鍾会を利用しただけとは思えないんだよね。
親密とかそういうレベルで仲が良かったようだし。
劉禅達に比べ、打てば響くような利発さを備えている鍾会は、今老境に至り姜維が長年忘れかけていた将としての何かを沸々と甦らせてくれるような存在だったかと思えてね。
367:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 20:56:50.73 O4NQw9iD0.net
>>365法正が蜀の軍師で別格とされているのは劉備が曹操を破った時の参謀だからというのが大きいと思う
まあ曹操と戦ってた時の法正の具体的な功績といえば、不利になった時退却するよう進言した事ぐらいだけど
368:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:02:33.94 TgcZ9WG+0.net
近年では軍師として評価されてるのは法正だけじゃないかな
鳳凰のほうは最近は呉との外交分野での期待ぐらいしか話されてない気がする
どっちにしてもここは武将スレだから軍師はそもそも場違いだが
369:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:08:28.60 6yKL6rMD0.net
なんで突然法正や龐統や司馬懿の話が出てくるんだろ?
脈絡ないように思えるけど、誰かの話と繋がってるの?
370:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/28 21:16:25.10 mlgNZDKH0.net
三戦板住民が誤爆でもしたんじゃね? なんか頭悪そうだし
371:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 00:12:34.06 sISvNv0SI.net
陸抗は軍政家としてならトップクラスに優秀だし、将軍としても有能な部類であることは間違いないんだけどな一応
372:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:02:55.93 Y5j4HYIoO.net
あぁ、陸抗は優秀だね。
西陵の戦いでの見事さを目の当たりにした、かの晋の羊コをして「陸殿は当代の名将、その知略において私の及ぶところではない。
かくなる上は武を用いて攻めるのではなく、徳と慈悲によって対処すべきであろう」と、晋の強大なバックグラウンドをしても決戦を避け、徳治政策に切り替えたくらいだからね。
373:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/01 01:33:24.56 lgHhScLP0.net
陸抗は呉にとっての孟珙みたいなもんなのだろうとは思うけど、
二十四選に入れるにはちょっと実績が足りないかなって気がする。
呉の晩年を支えた軍政家だったとは思うし、減点材料もあまりないけど、
羅憲が抜けなかったというのが大きいかねやっぱり。