14/01/30 14:46:48.05 y1dkHc3K0.net
劉備が確定入りって無理矢理過ぎない?
正直言って名将だとも思えないけど名将だとしてもどう考えても24選入りは無いだろ・・・
後半の王基や司馬懿が外されて劉備が入る理由が分からない
劉備って小規模な合戦ではそこそこ強いけど、大規模や戦役や強敵相手じゃザコい、
匹夫の勇の典型的な例だと思うんだけど
あと毌丘倹が入れられてるのは高句麗討伐の功績が評価されてるからなの?
そもそも当時の高句麗がどのくらいの国力があったのか分からないし、内乱や専横で支配体制が揺らいでる状況に漬け込ん�%
51:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 16:35:18.31 tQFD9eMVI.net
>>50
キミの名将基準はいつも意味不明だなぁ・・・
なんかテキトーなフィーリングで言ってるんじゃないの?
正史を読まずにネットの情報とかで判断するとそういう価値観になるのかな?
52:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 16:47:52.67 y1dkHc3K0.net
王昶、王基、王凌
杜預、王濬、王渾
鍾会、鄧艾、
三国時代後半~晋で活躍したこいつらを序列したらどうなるの?
53:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 17:14:38.19 tQFD9eMVI.net
>>52
三国時代後半~晋って、もう魏晋の国力が圧倒的だから、国境を完璧に守ってたってだけじゃ微妙じゃないかな
王淩王昶王基はいずれも良将だと思うけど、対呉の守将カテゴリでは文聘満寵の下位互換にしかなれないでしょ
鍾会と杜預は侵攻作戦を練って実質的な総司令官として一国を攻め滅ぼしたんだから、王三人組よりは間違いなく上かと
この二人を比較するなら、魏蜀の差と晋呉の差の違いや地理的状況を考えても、鍾会の方が困難な作戦を成功させている
王濬王渾は杜預の付属品として扱わざるを得ないような気が
強いて言うならば王濬の方が上な気がするけど、微妙な感じ
鄧艾の手柄が鍾会に吸収されないのは、鄧艾でしか不可能な攻め方で劉禅を降伏させたから
それに加えて、蜀の滅亡カウントダウンを大幅に早めた段谷の戦いでの大勝があるからかな
54:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 17:25:05.71 tQFD9eMVI.net
>>50
連レスで申し訳ないけど、司馬懿や王基に益州平定や夏侯淵撃破や曹操撃退なんて絶対できねーから、劉備は名将に入って良いと思うよ俺はね
本当に名将か?って思う場面が多々あるのも確かだから、外したくなる気持ちも分かるけど、蜀将ってほぼそういうのしかいないから
毌丘倹に至ってはそもそも確定枠でもないのに、ケチをつける意味があるのか分からんけど・・・
あんな地の果てまでの大遠征を成功させて一国を滅亡寸前まで追い込んだだけでも、充分に名将の資格有りじゃないのか
対呉の守将としても、都督揚州諸軍事として着任早々に諸葛恪を防ぎ、それが諸葛恪を死へと追いやったわけで
55:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 17:43:35.97 M9J6HAH80.net
>>50負けも多いけど荊州の南半分と益州を手に入れ、于禁・夏侯淵・曹操といった当時の名将に勝利したという実績のある軍人なんて
三国志でもそういないからね
このスレだと軍師や参謀の意見を取り入れるのも将軍の実力のうちという感じだし
56:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 21:24:03.76 fE3K9hzYI.net
>>53
鍾会の蜀攻略の功績は鄧艾と折半で考えるべきじゃないか?
鄧艾の成都攻略がなきゃ補給線の問題で撤退に追い込まれた可能性も高いんだから
しかも折角劉備・諸葛亮が構築した防衛線を変更した姜維の失点もあるし
57:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 21:48:29.85 tQFD9eMVI.net
>>56
うん、そう思います
漢中防衛システムを姜維が崩したのも、段谷の敗戦が原因だからね
あれで兵が足りなくなって、その補充の為に漢中から引き抜いたんだから
58:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 21:48:34.84 Mw8DLKjL0.net
,イ │
// |:!
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/,/ ./ | _」 ト、
/) /.\`/ |二...-┘ ヽ
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/,.=゙''"/ ! ∠.._;'____\ | こまかいことはいいのだよ!!
/ i f ,.r='"-‐'つ ,!イ く二>,.、 <二>`\.、ヽ.
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/ ノ il゙フ `‐、jヽ ヾニニゝ ゙イ" }_,,. ‐''´
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59:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/30 22:32:12.45 4bhLNYlKP.net
いやいやw
60:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/31 00:25:41.31 xfeT/UwY0.net
そもそも司馬懿や杜預は「三国志」じゃなくて「晋書」だってのは禁句なんでしょうか。わざわざ史書の壁を超えて確定枠に入れるほどの名将でもないしな。
対蜀戦線では凡将にしか見えない司馬懿。消化試合を消化しただけと言えなくもない杜預。ましてや他の晋将なんて論外。
議論枠の中では田豫が頭一つ抜けてる。満寵以下郭淮以上。
当時最強の異民族である鮮卑を抑えきり、加えて呉軍への対応も完璧。攻守に隙がない知勇兼備の名将。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
61:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/31 00:46:24.27 dd7BcHBbI.net
司馬懿は三国志にも記述あるけどな
ただ、三国志内での記述でいくと確定枠なんてほど遠いけど
司馬懿の名将記述の大半は宣帝紀のだしね
62:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/31 00:51:36.24 rK2TQpTX0.net
田豫は活躍期間長いし、穴、失点がほぼないんだよな
知勇に加えて人格も完璧で、人間性がどうのと喚くいつものヘンな人にも文句つけられない
63:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/31 02:02:52.94 Eeh0a2/t0.net
黄巾の乱から晋の統一までが一般的な三国志として認知されてる時代でしょ。
特に司馬懿なんかは三国時代に活躍してる将なのに、
載ってるのが晋書だからダメとかいうのは屁理屈にしか見えないけどなあ。
それだと三国外で後漢書にしか伝がないような群雄武将もダメだし、随分窮屈になりそうだ。
64:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/31 02:41:41.96 33Wnge3w0.net
普通に、後漢末期から呉滅亡までが範囲じゃダメなの?
正直、司馬懿やドヨが三国時代の武将じゃないという斬新すぎる意見には驚愕せざるを得ないんだけど。
65:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/31 22:20:49.30 sZrV4ufhP.net
各種事情アリアリな司馬懿や、国力差が圧倒的すぎる時期の評価の難しさ、適正枠数はともかくとして、
「三国志外」とするのは流石にないな
66:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 00:59:35.73 +IbAvQ+e0.net
諸葛亮が入るなら司馬懿も入ると思うんだけどどうなの?
諸葛亮なんて南部の反乱を鎮圧した後、北伐して勝ったか負けたか分からん戦争を繰り返しただけ。
対して司馬懿は諸葛亮との戦いでは、微妙な部分もあったかも知れないけど、それ以外では、荊州から遼東から揚州までを転々としてその全てで勝利してんじゃん。
67:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 01:09:06.97 dgP8ytb70.net
司馬懿で時期を問題にしてるのなんて1人だけじゃねーの
68:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 01:22:20.33 z3FNlasPI.net
>>66
諸葛亮>司馬懿なのに、諸葛亮が入るなら司馬懿が入るっておかしいような?
呉や遼東との戦いぶりは完璧なのは同意だけど
仲達さんの対蜀戦線奮闘記
・張郃の進言を無視して魏延にボロ負けする
・張郃の進言を無視して張郃を無駄死させる
・自力の限界を悟り郭淮と辛毗に判断を委任
・諸葛亮が過労で陣没したから何とか防げた
69:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 01:23:08.47 He3qKp5w0.net
司馬懿は保身だとか政治的な動きが多過ぎて
戦績をそのまま実力と受け止めるのには少し疑問が残るのよな。
諸葛亮は当時の戦力差と情勢を考えると、
本人が直接軍を率いての局地戦でほぼ負けなしってのは評価できると思う。
味方に足引っ張られたり人選間違えたりで戦略的には負けてるから、割引されがちだけどさ。
70:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 01:25:11.22 +IbAvQ+e0.net
>>68
それは、司馬懿が諸葛亮との戦いで経験積んで最終的に名将になったって事で良いのでは?
諸葛亮は序盤では曹真に圧倒されてるしさ
71:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 01:31:21.32 z3FNlasPI.net
>>70
その発想は無かった
まあ確かに人間なんだから成長はするんだろうね・・・
そういうことを考え出すとまたややこしいことになりそうだけども
まあ司馬懿は議論枠でも上位、確定枠を充分狙えるライン?
それとももう確定枠入りする流れなのか?
最近は田豫推しだったようだけど
72:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 02:52:20.48 eTF69P420.net
>>70諸葛亮が曹真に圧倒されてるとは言い難いんじゃない?
最初は趙雲を使って、曹真を上手く誘導してるし、
陳倉攻めも武都攻めのための囮の可能性があるし
73:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 03:20:38.72 vHjxLrpCI.net
自分も曹真が諸葛亮を圧倒はないと思う
第一次なんて戦略的には完全に手玉に取られてて
たまたま街亭で勝ったから助かったようなもん
陳倉だって曹真単独では撃退出来てないし
補給が続かないから決定的な敗北にならないだけで諸葛亮に領内を好き勝手横行されてる
どっちかといえば諸葛亮>曹真だと思うぞ
74:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 07:51:58.69 z3FNlasPI.net
>>72 >>73
諸葛亮>曹真なのは同意だが、褒斜道から侵攻した趙雲に曹真が全力で対応したことは別に間違ってないし、陳倉攻めも読まれてない方が良かったに決まってるんだよなぁ・・・
この辺、どうも俯瞰的な見方をされてない気がするのだけど、なぜだろう?
「手玉に取った」は明らかに過大評価で、一進一退の攻防で諸葛亮が上回っているだけなのだが
75:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 08:14:02.57 vHjxLrpCI.net
陽動に全力対応したのがそもそも諸葛亮の思惑通りなんだがなぁ
どちらにしろ曹真が圧倒したというのは間違いじゃない?
76:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 09:08:28.43 z3FNlasPI.net
>>75
「陽動」ってのに拘っているみたいですけど、陽動かどうかなんて関係無いんですよ・・・
魏軍は曹真軍だけではないのだから曹真が全てに対応する必要は無く、そもそも最優先で守るべき関中方面への侵攻に対応せずしてどうしろというのか?
あのルートから逆撃して攻め込んだ時点で諸葛亮は反対に対応を迫られたのだから、何も間違ってないかと
馬謖が街亭で敗北しただけなら諸葛亮は張郃に対応出来たかもしれないが、曹真との二面作戦を強いられる形に持ち込まれたから撤退したわけで
その撤退が出来たのは趙雲の後拒が巧みだったから
もしかして私の方が何か根本的な勘違いをしているのだろうか
77:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 19:43:31.24 z3FNlasPI.net
反論が来ない議論は虚しい・・・
今更だけど
>>陳倉だって曹真単独では撃退出来てないし
これもどういう意味なのか全く理解できないんだけど
78:70
14/02/01 19:56:38.90 +IbAvQ+e0.net
なんか俺の表現でこんがらがったみたいだけど訂正する
×諸葛亮は序盤では曹真に圧倒されてるしさ
○諸葛亮だって序盤に曹真に苦戦してるしさ
79:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 22:00:10.51 EArq5J4i0.net
北伐論は熱いな。
いい感じです。
80:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 22:33:45.81 z3FNlasPI.net
議論スレなんだから他の皆さんも意見を下さいな(´・ω・`)
というかここに来てまさかの曹真sageってことは、今の確定枠って確定枠じゃないのかな
81:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 22:39:25.03 dgP8ytb70.net
性急に意見を求めすぎだw
このスレはこの板だと現時点でも下と差のある勢いトップだよ
基本過疎板なんだし、数日、1週くらい待つ気で居た方が
82:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/01 23:25:55.15 9TIiq4SmP.net
間違いなく同格以上という将を確定枠外から3,4人挙げられるなら確定枠外しも有り得るだろうけど、
現実的に考えてまずないなー
83:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/02 00:13:44.49 eSPLKnv2I.net
とりあえず、せっかく2スレ消費して固まってきた確定枠から誰かが削られる流れになるのは勘弁してほしい
議論枠から誰を削り誰を繰り上げるか、という流れになってほしい・・・
84:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/02 02:23:27.21 AXmjZC+V0.net
そういや賀斉っていたよね
あいつは名将の資格無いの?
85:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/02 03:38:03.78 7qmuO0G+0.net
曹操の子の曹彰は入れたらだめか?武将としての能力は秀逸で早死にしなければかなりの実績も上げたと思われる
86:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/02 03:39:58.05 VQE5YGOn0.net
呉だと上位だろうけど24傑となるとな
100.選なら文句なしじゃね
87:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/02 08:22:23.48 eSPLKnv2I.net
っていうか、呉の賀斉とか、蜀の馬忠張嶷って、外敵と戦ってないからね?
異民族戦線ってことで勘違いしがちだけど、内を治めてただけだから
山越とか南蛮って、中華内部に住んでる不服住民だし
賀斉とかが入るんだったら、魏だと劉馥梁習張既徐邈とかまで候補に入ってきて、わけがわからんことになってしまう
魏の田豫牽招が戦ってたのは、鮮卑帝国とかであって
中華外部の外敵だから、対外戦線
同じ異民族でも、意味は全然違う
地図を見れば分かると思うけど
曹彰は・・・やはり一発屋だからかな・・・?
その一発で烏丸と鮮卑を平定したんだから、最小の策戦行動で最大の戦果を残したという意味では名将中の名将かもしれんけど
魏は層が厚いから24人に入るには厳しいんじゃないかな
あと、田豫のおかげで勝てたウェイトが大きい気もするし
88:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/03 13:05:42.97 zkdxDTjC0.net
黄鬚さんは向かうとこ敵無しで大戦果を上げているし、武将としてはポカも無いのだけど、
活躍期間が短過ぎて未知数だからねえ。
魏には他にもっと歴戦の武将がたくさんいるから難しいと思うわ。
89:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/03 22:46:05.82 iuLi5O3z0.net
田豫は確定枠で良いのでは?
議論枠の中で最も名将なのが田豫とは言わないけれど、誰からも異論が来なさそうな安定感は随一
あと8枠もあるんだから絶対入るでしょ
90:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 00:08:18.91 8DdRAyZC0.net
司馬懿と田豫は確定で良いと思う
91:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 01:10:24.19 Do/8+xUX0.net
確定枠の中に並べると田豫の地味さは圧巻だけど、とにかく減点要素がないからなぁ
実績も普通にボーダー内上位だし、ここから漏れる事が考え難いのは確か
92:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 04:19:06.45 30qOeA//0.net
一旦ここらで各々が考える順番で上から並べて書いてみてはどうか
93:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 08:08:04.18 DLcuyBJ5I.net
>>92
まず自分が書かないとねぇ
94:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 18:25:07.64 Zhgzz9YvP.net
A+とかSとかやり出すのか
荒れそうw
95:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 18:32:58.89 9KMcr0Ul0.net
ただでさえ荒れる火種抱えているというのに
更に増やすとか正気の沙汰じゃないw
96:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 23:37:59.34 DLcuyBJ5I.net
そもそもここのスレ民って、まともに議論する気があるのは数人でしょw
意見を求められると逃走、中身の無い一行レス、見当違いな難癖、評価くれ厨、荒らし.etc
半分以上こんなんだからな・・・オワコンスレフラグビンビン丸でござる
荒れる火種を放り込みまくった方が盛り上がって面白いと思う
ラスボスの関羽さんが出待ちしてますしおすし
97:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/04 23:42:52.35 6tl83H+o0.net
無責任なことを
98:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/05 00:13:44.19 ubZdrUQA0.net
議論スレになってないしな実際
いつも同じ人が喋ってるだけ
それに同調するか反論するかみたいな流れだし
その数人が消えて超マッタリ進行でやるのが一番なんだろう
99:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/05 18:39:42.33 IX1mBBK90.net
しかし、マンガキャラ等の最強スレと違って、将と将の直接比較は妄想ですら困難だからなぁ
率いる兵や下に居る武官や文官の質・数、余所で敵を脅かしてくれる同格の将の数等が全く揃っていないのに、
それが本人の能力と同等以上に各種実績、戦績に響くわけで…
どうしてもやるなら国ごとに枠を決め、ある程度条件が揃っていて比較しやすい国内で格付けする形かね
これはこれで歪みは出るだろうし、そもそも最初の枠数決めで荒れそうだけど
100:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/06 00:22:32.70 YHw5+rnhI.net
国の差よりも時代の差の方が大きい気がするのですが
領土拡張がメインワークの後漢末と、国境防衛がメインワークの三国時代
少数を率いてでも結果を出すことが求められる後漢末と、大軍の統率力が重視される三国時代
国力差によって時代が経つにつれて有利になる魏と、時代が経つにつれて不利になる呉蜀
同じ国かつ同じ時代なら簡単に比べられるけど、それだと議論するまでもなく序列がわかりきってるから意味無し
101:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/06 00:28:55.92 jL1vS9Md0.net
国ごとに枠を決めるのはやめたんじゃなかったっけ。
結論が出ないのと、呉蜀後漢晋から無理に枠を作ろうとすると
もっと優秀なはずの魏の武将が多く削られたりで、選出がぐだぐだになるから。
102:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/07 00:23:15.33 iYE5rS8J0.net
>>2
魏の議論枠多すぎじゃない?
三国時代の対呉都督としてのイメージは満寵>司馬懿>曹休=王基>夏侯尚=王淩=毌丘倹=王昶>>>>>狗
魏将の層の厚さを鑑みると、北でも功績のある毌丘倹は別としても、王淩や王昶は確定枠にはなれそうにないよ
だったら議論枠からも外していって良いんじゃない?という提案
103:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 03:06:36.20 bpH48fAZ0.net
司馬懿シンパで配下にいた結果
功績がしっかり記録されている
胡遵さまを代わりに議論枠にいれよう(提案)
104:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 11:00:09.17 55TpD2hQ0.net
胡遵が24選に入るわけない
これ以上議論枠を増やしてどうすんのかと
俺は王淩王昶だけじゃなくて姜維とかも切っていいと思うが
郭淮どころか郭淮に勝った魏延すら確定枠じゃないのに、郭淮陳泰に勝てず鄧艾に蜀滅ぼされた姜維なんて絶対24選には入らん気が
105:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 11:03:58.84 22EW8h3c0.net
姜維は失点だけ数えればそうなるけど、
ちゃんと情勢を鑑みて加点も評価すればそうはならないと思うけどなあ。
106:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 14:08:56.60 55TpD2hQ0.net
言いたいことはわかるが、姜維はマイナス面が大きすぎてプラス面なんかじゃ全然カバーしきれてない
せめて王経が武功を重ねた強敵だったとか、郭淮を一度くらい撃破しているとか、そういうのならともかく
まあ反論が出るってことは議論枠に残すべきなんだろうけど
でもマイナスをプラスでカバーできるなら、まず夏侯淵が確定枠に入るべきでは
107:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 14:36:18.69 n1uJPST/0.net
姜維は劣勢の中で良くやったって事を評価されてるんだと思うが
姜維が外れるとなるとあまりにも蜀の面子が寂しくなるね
108:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 19:06:53.82 9MSkMz/J0.net
姜維を候補に入れるなら王平を候補に入れた方が良いかもな
陣地や領土を守っただけとはいえ張コウ、郭淮といった名将に勝った経験があるし
109:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 19:14:23.84 v592S0WL0.net
王平の頃はまだ費イとかショウエンとか董允とかが居て、状況がかなりマシなんだよな
110:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 19:47:40.12 55TpD2hQ0.net
>>108
王平が張コウや郭淮に勝ったことなんてあったっけ・・・?
張コウの攻撃を防いだことはあるけど、あれで勝ったと言うんだろうか
郭淮にいたっては王平と戦ったことすらない気が
まあ郭淮に勝った魏延に勝った王平は郭淮にも勝ってると言えなくもないかw
王平さんマジ隙のない名将・・・ちょっと小物なのと守備専なのが数少ない欠点なのかな
111:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 21:47:42.92 9MSkMz/J0.net
>>110郭淮は曹爽の蜀侵攻に参加してる
郭淮は形勢不利を悟って早くに味方を退却させたから大敗せずにすんだらしいが
112:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/08 22:32:22.31 55TpD2hQ0.net
>>111
それは郭淮に勝ったって言わない気が・・・
例えば215年の合肥には呂蒙も参加しているけど、それで呂蒙は張遼に負けてるなんてことにはならないでしょう
まあ、その辺の判断も人によるんだろうけど
蜀は魏延王平姜維でそこまで差が出ないのかな
羅権は陸抗をどう評価するかによる?
113:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 00:00:37.71 sigjDz930.net
王平は小物臭すんだよなぁ
卒の無い良将なのは確かだろうけど、24選としては地味過ぎる
成り上がりなんだから、鄧艾みたいに派手に活躍してくれも良いのにね
あと名前が致命的にダサいのも欠点
114:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 00:05:30.71 K94tlipo0.net
>>113名前がダサいとかそんなの名将と何も関係無いじゃないかw
115:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 00:24:18.93 wsxYE0sRI.net
前に司馬懿と田豫を確定枠に上げるって話が出てたけど。結局どうなるのかな。
司馬懿みたいな功績もツッコミどころも多いタイプなら、夏侯淵や孫策もいるわけで。司馬懿がこの二人より明確に上とはならないように思うけど。
そりゃ姜維や諸葛恪よりは間違いなく上だろうけど。
田豫みたいな卒がないタイプも、個人的には臧覇の方が色々と格上な感じが…。これも時代が違うせいなんだろうか。
王平は既に言われてるけどちょっと小物すぎる印象…呉懿が死んでやっと司令官級だし。なんというか防御タイプになった丁奉みたいな印象。
116:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 03:52:01.13 dsf1UrmK0.net
スレリンク(chinahero板:351番)
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
117:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 10:32:25.24 AwiUrdO60.net
王平より名前のダサい奴いっぱいいるだろ
田豫とか
118:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 17:05:38.43 Saz4NQFw0.net
その理屈で言ったら武安国か厳白虎が名将筆頭ですかね
119:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 18:56:04.25 Oq3I8DjD0.net
厳白虎いいよな
120:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 19:14:45.60 4WolL3XZ0.net
顔良(イケメン)「名称で名将になれるんだったら・・・」
121:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/09 19:59:27.77 Rr/+GqGj0.net
紀霊「」
122:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 09:18:47.90 TcEyW8Xz0.net
前にも意見が出てたようだけど、確定枠の中で、張飛だけ浮いてると思う
武功の数とか以前に、徐州失陥という大失態が許されてるのが納得できんし、関羽を差し置いて張飛ってのが違和感
張飛の留守番失敗以後、張飛は別軍司令官として劉備からの信用を失い、常に劉備の管理下におかれることに
以後、別軍司令官を担ったのは一貫して関羽であって、これは最後の最期まではずっと成功していた
張飛が入るなら関羽が入るべきでしょう
劉備からの評価だけではなく、魏側からの評価や陳寿からの評価も、関羽>張飛なのだし
123:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 09:30:12.88 bwz7BwjM0.net
まあ関羽論争を起こしたいだけなんだろうとは思うけど、
張飛は張コウを撃退したり、益州等攻め込んでの功績が多いから、
そこは大きく評価されて然るべきだと思う。
関羽は同時代人の評価こそ高いけど、記録に残されている実績ではね。
張飛より大きな戦果があるなら議論はされるだろうけどさ。
一人の武人としてなら関羽最強でも異論はないけども。
124:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 12:40:56.78 TcEyW8Xz0.net
いや関羽じゃなくて張飛論争したかったんだけど
わかりやすい比較例として関羽を出しただけで
関羽の主な功績は于禁と龐徳の撃破、主な失態は荊州失陥
張飛の主な功績は張コウと厳顔の撃破、主な失態は徐州失陥
関羽の功績が失態で帳消しにされるのに、張飛だけ評価が甘いんじゃないかという話
五将でトップの于禁>五将で4番目の張コウだろうし、馬騰軍で最強の龐徳>劉璋軍で巴郡太守の厳顔だろうし
関羽より露骨な例で言ったら、夏侯淵なんてどんだけ撃破数稼いでるかわからんくらい勝ちまくって、馬超と韓遂の勢力すら消滅させてんのに、漢中という一郡を失陥しただけで確定枠になれてない
しかも相手は全盛期の劉備軍だったのに
張飛なんて曹操に負けて近くに駐屯してた群雄モドキ時代の呂布にやられてるんだが・・・
125:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 18:01:10.58 lluCJOAy0.net
劉備にしても張飛にしてもここでの評価は捨て猫番長理論としか思えんよな
あと何度か話題に出てる「蜀からも誰か出さないといけない」という謎の使命感
126:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 19:14:02.85 JPmm9Ozr0.net
ここはそもそも武廟入りしてる面々であっても易々と外そうとする素人雑談の場。
纏まるはずもないと思うけどな。
既成事実から目を背けてる時点で、俺の価値観の押し付けあいに過ぎない低レベルっぷりを
晒してることに気がつきもしない。
127:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 19:27:56.62 tBAkIfI40.net
張飛は純軍事的な失態で徐州を失ったわけではなく、
袁術の息が掛かった内通者+劉備が招き入れた呂布によって失ったわけで、
張飛の責任はかなり小さい。
むしろ張飛の推定年齢(それに加え、特にハクが付いた官職持ちではなかったであろう事実)を加味すると、
よくぞ思い切った処置(超格上である下?の相である曹ヒョウを斬った)を取れたものだと、むしろ感心するね。
128:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 20:47:06.81 /yE8yv3uI.net
>>126
気持ち悪い歴史観を押し付けてくる関羽信者こそお呼びじゃないよ
相変わらず人を無駄に見下した言い方が好きみたいだが、それも関羽リスペクトか?
そんなに武成王廟を名将の基準として絶対化したかったら、張良や鄧禹が岑彭や班超より名将だということを分かりやすく説明してほしいもんだ
129:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 20:52:35.74 bwz7BwjM0.net
議論はいいけどケンカ腰は荒れる元だから控えようぜ。
130:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/10 21:21:22.82 iqCoVQ/M0.net
>>127
丹楊兵が城内西門に待機させて呂布を招き入れる準備してたんだっけ?
計画されたクーデター察知して首謀者斬ったなら頑張ったほうか
曹豹斬っても結果的に部下二名は止まらなかったが
これは以前からの陶謙、劉備、袁術らの複雑な政争の側面のが強いな
131:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 00:17:32.54 LOGOmAxW0.net
>>124関羽の于禁とホウ徳の撃破は洪水によるただのラッキー
対して張飛の張コウと厳顔の撃破は完全に実力
張飛が入って無くて、夏侯淵が入って無いのは自分も不思議だ
132:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 00:18:13.99 fnkkceHL0.net
>>126
うわあああああああああああkankou_jp_weaponの輩がこのスレにも出たあああああああああぁぁぁぁ
中国最強武将スレが演義信者迷言スレと化した悪夢が戻ってくるぞおおおおおおおおお(^q^)(^q^)(^q^)うううううううううぉぉぉぉぉ
133:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 00:40:44.43 emgcqE3K0.net
これって戦いの詳細が明確なほど不利だよな
張飛は厳顔相手にどうやって勝ったのかまるで分からないのに実力と言われ、悪天候を味方にして曹軍No.1の于禁を降した関羽がただのラッキーと言われるっていうね
134:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 00:41:13.15 mlGiLjzJ0.net
前にも何度か言ったことあるけど、このスレ夏候淵の評価低いよね。
あんだけ侵略して領土拡げてる将もそういないと思うんだけどな。
反対意見も劉備や曹操からの評とか、実績とは関係ないものが多かったりするし。
135:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 01:09:41.42 LOGOmAxW0.net
>>133だって関羽が故意に川を氾濫させたのではなく、運悪く洪水のせいで于禁の陣営が沈んでしまっただけで
関が勝ったのはラッキーあるいは于禁が洪水に対して何の対処もせず舟を用意しない馬鹿だったからというだけだからな
136:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 12:21:02.54 /HGiUSGu0.net
氾濫した川でたくみに水軍を動かして于禁を下し、曹仁を追いつめた関羽。
この事実は揺るがないけどな。
山間に流れる川が氾濫したときの恐ろしさに遭遇したのは関羽だって変わらんだろ。
そんなもん現代の船ですらひとたまりもないレベルだぞ。
どこらへんがラッキーなんだ?少数で何十万の大軍に囲まれるよりよほどの大変なことだ。
于禁にしたって、山に船を運ぶ馬鹿がどこに居るのか。
それこそ尋常じゃない労力を戦の前に行う事になる。
水辺を行くにしたって、上流から下流に流れるのが川なんだから
氾濫した川では下流域にいるような軍の船なんぞ激流に流されて
いざという時に使い物にならんぞ。
137:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 14:13:32.58 b5AwcU2l0.net
堰を作って一気に氾濫させたのは関羽の計略じゃないのか?
138:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 14:23:39.28 OcWUukII0.net
>>135が様々なことに対して無知であることが悲しいほどに伝わってしまった
139:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 15:36:57.73 QQBM6aPH0.net
単純に失陥で考えた場合
張飛:徐州名士に祭り上げられた実権の無い劉備の下で、徐州において権勢を持つ勢力に追いやられた。
張飛が何か大きな失敗をしたわけじゃない。
関羽:完全に自領として併合され、防備も領土線も確定していた荊州を戦争によって失陥した。
州を治めていた人間が関羽以外の人間なら失陥しなかった可能性が高い。
これだけの違いがある。
逆に功績を考えても、張飛の方が機知と応変に富んだ活躍をしている。
関羽の顔良戦は所詮匹夫の勇に過ぎず、于禁戦も天佑を得ただけ。
それを自分の実力と勘違いしてしまい、調子に乗って攻め上がった結果、荊州失陥という大失態を犯す。
事実天候の影響を受けない、正攻法でのぶつかり合いでは直後に徐晃に敗れている。
140:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 16:16:31.92 LOGOmAxW0.net
>>136最初舟を用意してなくても、川が氾濫しそうだという事がわかったら舟でも用意するなりできると思うけどなあ
>>137それは演義だけの話
141:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/11 17:40:18.32 fnkkceHL0.net
>>21 >>22 >>126 >>137 >>138
同一人物なの?wwwww
142:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 00:10:18.20 WYAHh0zCI.net
関羽が荊州の都督だったのに対して、張飛はあくまで城の留守番に過ぎない
州の失陥という結果は同じでも、責任の大きさは全く違うのよな
でも似たような状況で、荀彧と程昱が内通者を皆殺しにして呂布の攻撃も跳ね除けて、曹操の妻子と城を保ったことを考えると・・・
張飛が内通者を捌けず呂布の攻撃で陥落して、劉備の妻子と城を喪ったのはやはり失態の部類だとは思う
143:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 08:39:15.12 Um5na3Cn0.net
関羽も張飛も、正面から敵対している相手=曹操勢ではなくて、他所の勢力にやられているのが
なんともどんくさい話なんだよね。
144:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 14:30:54.39 Mx9uh7AN0.net
べつに関羽ageじゃないけど、
関羽は呂蒙に研究し尽くされて何から何までハメられてるんだから、
関羽じゃければ大丈夫だったなんて安易に言えないと思うけどな。
あれだけの段取りと周到かつ執拗な準備をされ、
魏と呉の両面作戦に出られたら、どんな将だったら防ぎ切れたか聞きたいぐらいだ。
145:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 16:06:15.72 WYAHh0zCI.net
>>144
味方に裏切られないような将
関羽にとって致命傷だったのは、徐晃に大破されたことじゃなくて、江陵に帰れなかったことだから
南郡の諸将が呂蒙に全力で抵抗して関羽に危急を伝えてれば、そもそも徐晃に負ける前に撤退できたかもしれんし
少なくともあっさり荊州失陥なんてことにはならない
146:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 16:47:44.53 Cqmbrxu30.net
方面司令官として劉備の代わりができてなおかつ誰からも裏切られない将って具体的に誰よ
少なくとも張飛にはそれが無理だと判断したから荊州は関羽に任せて漢中も魏延に任せたんだろ
147:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 17:06:44.52 WYAHh0zCI.net
>>146
どういう方向に話を持っていきたいんだよそれは・・・
関羽以外に選択肢は無かったとして、だからどうなんだ?
関羽が荊州を保てなかったことの言い訳になるわけないぞ
148:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 17:47:33.13 mARCSpvn0.net
もしもの話を言い出したらキリないしな
張飛なら糜芳・士仁と不仲な記述がないから耐え切れたかもとか言えるし
呂布伝の注を採用するなら関羽は曹豹と喧嘩しないかもとかも言える
149:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 18:55:40.85 WYAHh0zCI.net
文武両道なはずの潘濬が空気なのも関羽に嫌われてたことが原因だろうしな
150:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 20:24:56.03 Cqmbrxu30.net
>>147
いや、単純に知りたかっただけなんだが
仮に張飛なら防ぎ得たというなら張飛>関羽であることに全く異論はないし、逆に関羽以外に選択肢が無かったというなら荊州の失陥は関羽と張飛の優劣には何ら寄与しない、もしくは司令官として任命された関羽の方が上ということになる
と、俺は考えただけのことさね
151:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 21:11:04.00 l2Mcl25P0.net
>>144
関羽がなまじ強すぎて勝ち過ぎたのが原因だな。
曹操が遷都を考えて恐れるほどの強さに
孫権までもが危機感がおぼえた。
同盟者としての頼もしい力という範疇を超えて
孫権にも脅威になったんだろう。
三つ巴の均衡状態ならば、最も強い力の脅威に
他の二国が力をあわせて撃破しようと思うのは自然の成り行きかな。
蜀が弱小のままなら、呉だって同盟者のままで居ただろう。
天下統一の意思なく、地方君主として安穏としていたいのなら
関羽以外の人物が適任だろうけども天下に足を掛けたいのなら
関羽のような戦争に強い逸材が荊州に居ない事には劉備は生涯、蜀の天嶮に
篭り続けることになってしまう。
152:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 21:50:54.88 Pd2pnWxn0.net
孔明が劉備と合流した後に趙雲を帰らせてたら荊州は落ちてなかった気がする
蜀の降将を吸収して十分過ぎる戦力があったから蜀攻めは問題なかっただろうに
153:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 23:46:00.34 WYAHh0zCI.net
>>150
そういうことか、スマン
それこそ諸葛亮ならと思ってしまうけど、諸葛亮は益州経営にどうしても必要だからねぇ
張飛なら防げたかはなんとも言えんと思う
糜芳・士仁や潘濬や劉封・孟達とはトラブル起こさなかったかもしれんが、部下の兵卒に殺されたのが早まるだけかもしれんし
154:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/12 23:53:36.33 WYAHh0zCI.net
>>151
曹操に臣従した217年から孫権と呂蒙の荊州奪還作戦は始まってるから、219年に関羽が于禁と龐徳に勝ったことはあんま関係ないんよ・・・
荊州奪うのは孫呉の悲願みたいなもんだし
劉備が益州を確保して大きくなりすぎたことが原因といえば原因かな
155:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 00:27:07.16 0X3TIrAO0.net
魏志ではスルーされている降伏ですが、通婚までしたという事は藩国の礼と見て良さそうです。袁譚の時もそうでした。
魯粛の死と前後するのが象徴的です。以後、猇亭の戦後までこの両者の関係は続きます。
関羽の攻滅は「共闘の原因」ではなく「成果の一つ」に過ぎません。
関羽の外交音痴が露呈し、ひいては劉備・諸葛亮の人事にまで批判が及ぶ一件で、それについては否定のしようがありません。
ですが、当時の孫権と劉備は表立って同盟関係にあった訳ではなく、孫権は表向きは曹操に臣属し、裏で劉備とも結ぶ二股をかけており、関羽の矜持が孫権のそうした態度を許容できなかったものと考えられます。
だからといって関羽の失点が軽減されるものではありませんが。
156:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 01:04:21.21 OYC01UhN0.net
というか関羽自体が呉の兵糧や武器を略奪してたクズだからなぁ
もし関羽じゃなけりゃ、太守どもに裏切られる事は無かっただろうし、呉の荊州侵攻を躊躇させれたはず
157:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 01:32:46.09 0X3TIrAO0.net
強大な魏軍を攻めている状況で、呉にもその軍事援助を求めること自体は間違っていません。戦争は緊急事態の連続ですから、恐らく事後通告するつもりだったのでしょう。
今まで邪険にしていたことや孫権の狡猾さを考えられなかったのは、政治センスの問題です。
関羽が呉から兵糧などを奪った原因は、于禁の七軍という大量の捕虜。
自軍が兵糧難の状況では、降伏した敵兵は皆殺しが中華の常套手段ですが、関羽は于禁の命すら保証しました。龐徳を助命しようともしていました。
こうした対応には、劉備軍を代表する国士としての風格を感じるところでしょう。
曹操・張遼・于禁・徐晃・龐徳らへの態度を見るに、関羽は敵だろうと優秀な武将には一定の敬意を払える人物。
そんな関羽が、蜀将や呉将へは完全に見下した態度を取っていたのは、相手側にもそれなりに原因があったと見るべきかと。
まあそれが身内に裏切られた責任逃れにはなりませんし、任せられた州を失っていい理由にもなりませんが。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:03:45.62 9WaDY7W50.net
メ欄空で口汚く関羽批判してる書き込みはいつも同じ関羽disりたいだけの人だから無視でいいんじゃないかな
159:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:08:38.83 FzRjRLxd0.net
関羽sageの流れの中で、こういうフラットな視点からの意見があると、
関羽厨とかとんちんかんな難癖付けて暴れるのが出てくるのがいつもの流れなんだよなぁ。
こういう冷静な考察とか面白いと思うんだがなあ。
160:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:34:05.53 FwkJnm7b0.net
>>155関羽の孫呉に対する態度が孫呉が曹操に臣属した事によるものだというのは目から鱗だわ
孫呉が曹操に臣属する前は関羽は孫呉に対して特に非礼となるような行為をしていなかった事を考えると割と妥当な考察だと思う
161:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 02:56:59.07 tYhSdcPh0.net
名将とかは一旦抜きにして、過大評価と過小評価を凄い勢いで揺れ動く関羽という人物について、議論や考察をしてみるのも面白いね
162:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 03:24:02.36 k1QhqNzOO.net
いずれにしても荊州失陥という、自らの勢力の基盤となる部分を崩壊させたことは、
一地方を任された将としては将帥としての才覚に問題ありじゃない?
敵の応変な策略にも対応し、任された領土を確実に守る、
或いは困難な状況も打開し敵の領土を奪う、こういった並みの才能では不可能なことを成し遂げてこそ名将と称えられるのであり、
そのどちらもを達成し得ず、自勢力に大打撃を与えた関羽は名将とは呼び難い気がするけどなぁ…。
トウガイなんかはこういったことを成し得た名将だと思う。
163:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 10:29:14.97 0X3TIrAO0.net
陸戦は全て失敗(李通・楽進・文聘・曹仁・徐晃
水戦は全て成功(于禁・龐徳
う~ん、まあ見方を変えてみましょう。
安直ですが、関羽は水戦に長じた名将…と。
蜀軍で最も水戦に強かったことは間違いないことで、荊州都督の選択肢は関羽しかありません。
関羽の水軍歴は赤壁以前からです。
大船団を率いて徐晃・満寵の攻撃から逃れ、劉備軍の戦力を保った功績は非常に大きい。
劉備本軍が曹純・文聘の急襲により壊滅させられた状況では本来、劉備は孫権との提携など望むべくもなく、完全な配下に収まるはずでしたが。
無事に残っていた関羽水軍そして劉琦軍の存在が、魯粛・諸葛亮が孫権を説得し得る材料となりました。
ちなみに関羽の船団は、樊城戦のドサクサで文聘に焼かれて壊滅しました。
これの重要性を論じているサイトはいくつかあったと思います。
陸戦がいかにも下手に見えてしまう理由の一つとしては、伝説の顔良斬りに象徴される「匹夫の勇」で敢えて戦っていたか…。推測に過ぎませんが。
突撃癖が祟って楽進らに大敗し兵を喪ったことは、蜀志と魏志の双方で示唆されていますから、それに近い形だったとは思われます。
弱を率いて強を撃たなければならない関羽が、リメンバー顔良斬りに賭けるのは間違ってはいません。厳しい軍規で統率された魏軍相手には、相性が悪かったでしょうけど。
劉備と関羽の目標が益州と荊州を守るだけなら、関羽も他のやり方をとったはずです。魏に勝たなければならないからこそ、リスクを背負った戦い方になる。
結果から見えるほど、関羽は陸戦下手ではないはずです。
しかしまあ……荊州失陥……これがなんとも……。
164:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 10:48:34.35 tYhSdcPh0.net
荊州失陥以前にも、戦績に問題あると思うけどね。
当代を代表する名将ばかりと戦ってきたのはわかる。でもいくらなんでも名将と呼ぶには負け戦が多過ぎる。
まあ多分、蜀が史官を置かなかったことで細かい戦歴が残らなかったからなんだろうけど
165:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 12:10:44.34 FzRjRLxd0.net
>>164
自分も同じ意見をしたことがある。放浪時代の戦績も相当散逸してるだろうしな。
ただまあ大きな戦果があるなら相手側の記録やら、情報としてどこかに載っていそうだとも思う。
でも人物眼の確かな劉備に絶大な信頼をされて、重きをなしてる理由ぐらいは分かるだろうし、
蜀側の記録が少なくなかったらもう少し評価は変わったかも可能性はあるかもな。
しかし関羽が負けた相手ってのは名将ばかりだな。
最期の関羽討伐に繰り出されたメンツもオールスターみたいな顔ぶれだし。
166:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 14:43:17.68 9WaDY7W50.net
ここはどうにも「同時代人の評価」は負の方向のものは採用するけど正の方向のものは排除する傾向にあるからなぁ
関羽と夏侯淵はモロにその煽りを食ってる
167:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 18:58:25.46 fku58F4f0.net
名将という定義そのものを勝手に決めつけすぎ。
同時代で桁違いの武勇を賞賛されただけでも関羽は名将と呼ばれ続けた現実がある。
一個でも金メダルを取れれば、器用貧乏にさまざまなことをこなせる必要もないんだろ
名将と呼ばれるには。
168:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 19:41:23.97 k1QhqNzOO.net
確かに同時代人の評価も大切だけど、その人物がやり遂げた結果から判断する方がよりウエイト占める気もするんだよね。
関羽は経営判断を誤った。
将たる者、領土の大小はあれ、皆守るべき地を与えられた一国一城の主、経営者だ。
他社のシェアを取りに行ったが、あろうことか自らの足下をすくわれ、自社を倒産させ社員を路頭に迷わせた。
これでは悲劇の英雄ではあっても、経営者としては失格だよね。
人間、一人で出来ることなどたかが知れている。
ならば将帥の優劣とは何かというと、こういった大括的な判断の一つ一つこそが、将たる資質を問われる部分だと思うんだけどね、領国経営においても政治的にも戦場においても。
169:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 19:57:41.91 0X3TIrAO0.net
荊州失陥は大失点ですが関羽が名将であることを否定する必要はないし、荊州失陥以外の要素でケチをつける必要は更に無いと思うのですけどね。
関羽は正史に残っている将軍としての記録だけで、充分に名将と呼ばれて良いでしょう?あの于禁に完勝したんですから。
大雨洪水自体は幸運の部類ではありますが、その幸運を掴んで活かせるかどうかは、力量の部類です。関羽は見事に活かしたと言えるでしょう。
記録から漏れる程度の「細かい戦歴」や、名将の定義としては異論が出そうな「桁違いの武勇」
そういうのに頼らないと関羽は名将と呼べない、なんてことはないと思うのですが。
魏軍を過小評価しているからそう感じるのでしょうか?
当時の魏軍は中華最大最強の軍隊であり、その中でも突出した実力で知られていたのが張楽于張徐です。正史三国志で「名将」「良将」と何度も評されたのはこの五将しかいません。
これと戦って勝てないのは普通、勝つことは偉業です。関羽が魏軍に何度か負けていることは、失点ではあってもそれほど大きなものではないでしょう。
そして歴戦の張楽于張徐が大敗を喫した相手は、関羽と張飛のただ二人だけ。その事実だけでも関張は名将とされるべきです。
特に最も名将だとされていた于禁が関羽に降伏した時、曹操は安易な遷都すら考えるほどに動揺しましたから。
徐晃が援軍として派遣されただけでなく、張遼も急行しており、更には兗州刺史裴潜と豫州刺史呂貢、そして揚州都督夏侯惇まで招集され、曹操自身も近くまで出向いています。
これほどの戦力を動員したのは、官渡の戦い以来初めて。いざとなったら揚州刺史温恢や徐州刺史臧覇も動ける体制です。
まあこの膨大なラインナップを見ると、結局関羽に勝ち目は無かったかと思いますが、曹操に「万が一」を意識させたことはもっと評価されて良いでしょう。
170:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 20:51:00.78 k1QhqNzOO.net
強いと噂される○○に勝ったから凄いとか名将、というのは、将帥の務めを戦場に限定し過ぎだし視点がミクロなのでは?
任された領土をしっかり守り切れたのか、攻めるなら領土を切り取り安定統治にまで至れたのか等、もっとマクロな部分での戦績こそが重要視されるべきかと。
局地戦での勝敗は部隊長レベルでの優劣であり、関羽は一州を預かる身。
その身分に応じた名将としての評価基準で考えないとと思うんだけどね。
171:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 20:55:27.42 Oy201Enc0.net
将帥としては関羽には欠点もあるということだろう。
武勇ならば同時代では並ぶ者が居ないナンバーワンだからな。
より尖った部分を押したんだろう。
何故か、中国史における武人オールナンバーワンの武聖が
たかが三国志二十四将入り(素人判断だけども)から外れるというのは
ある意味面白いけどね。
172:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 21:19:40.41 0X3TIrAO0.net
>>170
その場合、荊州都督という難しく大きな役割を振られたという事実も加点材料として考慮したいところです。そうでなければ、偉い立場になるほどデメリットが大きくなってしまいます。
そして荊州都督としての失敗は関羽の軍事的力量というよりも政治センスや性格、そして劉備・孔明ら首脳陣の責任問題も絡んでくるかと。
ここまで来ると、名将の定義という話になってしまいますが。
>>171
素人判断で三国志議論しているのは皆が承知なのですから、「たかが」や「素人」などの言葉を使って煽るのはやめましょう。前に同じようなレスがあって荒れかけましたよ。
関羽が24選から外れることは有り得ないと私は思いますが、そう思わない人がいるからこそ面白いです。
173:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 21:52:19.99 9WaDY7W50.net
このスレではプラスはマイナスと相殺されるのにマイナスはプラスで相殺されずに累積していくっていう不思議な基準が出来上がってるからなぁ
174:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:01:02.84 k1QhqNzOO.net
>>172
あなたがそのコメントで言っていることはとても重要で、政治センスや経営判断、性格などが評価基準としてはとても重要なことだと思うんだよね。
一国を守り切る、或いは切り取るということはとても至難の業で、べらぼうに戦争に強ければ勝ちというものではなく、敵の謀略を防ぎ、また自らは駆使し、巧みな外交によって勢力を至強たらしめるための経営手腕。
そういった様々な分野での総合的能力を求められるのが将帥であり、そこで確固たる実績を残した人こそ名将だと思うんだよね。
難しく大きな役割を振られたということは、それだけの期待をされたからであり、偉い立場になるほどデメリットが大きくなるが、その分目的を達成した時のメリットも大きくなる。
結果、期待されただけの成果を出し得なかった、目的を達成出来なかったという事実だけなんじゃないかな。
この立場の人を評価する時は。
175:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:09:00.47 OYC01UhN0.net
>>167
んー?
君は名将を"有名な武将"とか"名前の通った武将"みたいに定義してるの?
俺は"最優秀武将"みたいに認識してて、それがこのスレの共通認識だと勝手に考えてたんだけど、違うのかな
やたら同世代の評価を持ち出すのもそれが原因?
176:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:39:04.43 1gYRdTNo0.net
上司や国力も結構勝敗の原因なんだし個人の資質にもっと重点を置いて良いと思うな
関羽は間違いなく確定枠
177:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 22:50:55.05 OYC01UhN0.net
関羽についての議論をまとめるとこうなる。
関羽は弱い論者の言い分:
于禁戦は豪雨によって、偶然撃破できただけ。
実際、豪雨の影響外での戦いでは直後に徐晃に敗れている。
それ以前の活躍も特筆すべき物は無いし、唯一の戦功とも言える顔良撃殺は曹操という名将の下で匹夫の勇を活かしただけ。
領土を拡大した事が無いどころか、荊州を守ることすら出来なかった関羽が名将のわけが無い。
関羽は名将論者の言い分:
豪雨による勝利と言えど、勝利は勝利。
稀代の名将于禁を破った功績は大きい。
放浪期も、記録されていないだけで転戦して活躍していてたはずだ。
同世代の人物からの評価が高い。
荊州を失った原因は、将軍としての資質では無く政治的感覚の欠如に依る。
178:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/13 23:31:56.64 k1QhqNzOO.net
>豪雨による勝利と言えど、勝利は勝利
…俺もそれは賛成だなぁ。
刻々と変わる戦場の状況に柔軟に対応して、自軍を勝利に導く。
戦場における将帥として非常に重要な資質だ。
>荊州を失った原因は、将軍としての資質では無く政治的感覚の欠如に依る。
…これについては意見が分かれるだろうけど、俺はこの立場の人に政治的感覚の欠如はNGだと思う。(将としての資質の一つに求めてしまう)
軍事行動は政治の最終的手段であり、呂蒙が周到な荊州奪還作戦を練っているなら、対応策を講じることが最良以前にまず察知できなきゃ。
そういった間諜能力や情報収集能力なども含め、軍事行動を起こす前にこの地を任される将として、知っておかなきゃならないことを察知できてなかったのは痛いと思うな。
179:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 00:36:39.44 pTHqKY9t0.net
>>173
ある意味日本的な考えなんだよねそれ。
日本人はミスに対してすごく厳しい民族性があるし、
現在がどうあっても、過去の失点を許さないからね。
180:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 16:25:10.12 gVrY4whs0.net
関羽は呂蒙に荊州の統治を誉められているから、統治者としての才能もあり劉備に荊州を任されていたのだろう
張飛に統治者としての才能があるような事績は無いし、趙雲も一州を任されるほどの格が足りないし、劉備も諸葛亮も益州に行かないといけないという状況だったから
関羽以外に任せる事のできる人間がいなかったんだろうな
劉備の誤算は関羽があそこまで士大夫と仲悪いとは思って無かった事だと思う
ビ芳は劉備の親族だから、軽んじないだろうと思って関羽の下に配備したんだろうけど、全然そんな事なかった
181:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 17:31:31.60 qCByr2bz0.net
蜀漢の重鎮である関羽を、当代の名将たちがよってたかって倒すという構図か。
182:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:00:05.44 Qfa4Ov9vO.net
荊州という魏にも呉にも通じるド真ん中の要地、武で威名を轟かせている関羽。
戦略的にも手柄的にも他国の将からは的にされ易いよね。
特に呉は、劉備勢力とこの地を巡っての約定で腹に据えかねているところがあるし、狙う動機は充分。
183:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:04:12.97 lSf/xhssI.net
>>関羽は呂蒙に荊州の統治を誉められているから、統治者としての才能もあり
荊州治中潘濬「は?(威圧)」
南郡太守糜芳「あ?(殺気)」
184:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:50:56.35 F+4iIdLF0.net
関羽の武威には常に戦々恐々とし
孫権の権力の前では劉備から受けた厚恩が忘れ去り
毛一本も逆らおうとしない犬っぷりを
存分に発揮した性根ポンコツの糜芳と潘濬の威圧なんて
いきってる幼児より迫力を感じないな・・・。
>>181
超一流ハンター達が赤ラー(関羽)に挑むような心境に似たようなもんだな。
185:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 20:51:09.75 Qfa4Ov9vO.net
ここでふと思うのは、あそこで関羽を斬るという選択は、後の呉の国益にとってどうだったのか?ということ。
斬らねば関羽にとって降るという選択肢は無いので、元の勢力に戻ることになる。
すると、一州を任される身でありながら任地を奪われたという失態と、武人としての恥辱から、己のプライドと執念に掛けてかの地を取り戻しに来襲し、『夷陵の戦い』以上の大打撃を被ることになったのか。
はたまた、義に厚い関羽のこと、助命された恩義を胸のどこかに持ち、来襲はして来るものの劉備が率いた時ほど深入りはして来ず、
『夷陵』ほどの惨劇は生まず程良い落としどころで決着が付けられ、呉蜀の国交も史実より早く回復され、再び共に魏にあたるタイミングも早まったのではないか。
みんなはどう思う?
今後の三国の勢力図が変わるかもしれない、重要な選択だった気もするんだよね。
186:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:00:37.85 lSf/xhssI.net
>>184
味方を自分の武威で戦々恐々とさせてる関羽ってキチガイじゃね?
特に潘濬みたいな有能な人材をさ
187:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:04:56.21 lSf/xhssI.net
潘濬を性根ポンコツとか言い出す時点で、関羽信者が正史読んでないってよく分かるんだが
昨日もマトモな議論に混じって度々意味の無い関羽ageと煽りをしてたけど、何がしたいの?
188:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:28:22.45 F+4iIdLF0.net
>>185
孫権の目が曇り始めてたんじゃないかな。
関羽を暴れさせるだけ暴れさせた方が呉にとっても有益だったはず。
関羽がどうなろうと、呉には一切損害はないからね。
関羽が無理しすぎて救援を求めても、理由をつけて遠まわしに
援軍を送らなくても(意図的に戦場への到着を遅らせて自軍の被害を出さない)
名目上はちゃんと救援に応じて、同盟関係を維持してることを世間にはアピールできる。
>>187
潘濬に限っては俺の言いすぎだったよ、すまん。
一代の好漢でもあったのね。
季漢輔臣賛の記述しか参考にしていなかった点は完全に俺の落ち度だ。
でも、出来れば「キチガイ」とかそういう言葉使いはなんとかならんかな。
189:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:44:15.23 Qfa4Ov9vO.net
なるほど、裏で魏と手を結ぶことなどせず、表面は劉備との同盟関係を維持しながら半ば傍観者の立場をとるってことか。
ズルイけど、国益を第一に考えなきゃならない国主としては真っ当な判断だね。
では何故その選択をすることが出来なかったのか?
そこでは孫権の目が曇り始めてた、とコメントしてくれてるけど、思っている以上に孫権の荊州領有を巡るいざこざは根深く影を落としていたのか、はたまた、関羽の不遜な態度から来る一時的感情の爆発?
190:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 21:53:54.11 lSf/xhssI.net
>>188
ゴメンナサイ(´;ω;`)
どう考えても俺の方が言い過ぎですよね、はい
191:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 22:07:00.98 F+4iIdLF0.net
>>189
個人的には関羽の「虎の子を犬の子に~」発言じゃないかな、と。
孫権の皇太子問題は関羽戦後、約20年後ほどになるけども
孫権はこの時代あたりでも領土問題以上に自身の子供に対する愛情が
深かったとか。
192:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 22:35:29.40 Qfa4Ov9vO.net
この重要な局面においては、孫権は公の人としての立場を全うせねばならず、決して私の感情を優先させるべきではないのだが、
熟練した政治家である孫権をしても我慢ならなかったってことか…。
その点、我が子と寵臣を同時に殺した憎き仇敵・張繍を、国益のために諸手を挙げて迎え入れた曹操の政治家魂は、尊敬すべきなのかは分からないけど凄い人だよね。
私情より、公の人としての立場を優先させたって感じだ。
話はテーマに戻るけど、ある地位以上に就いている名将ってのは、時にはこういう決断を下せる「政治家」じゃなきゃならないと思うんだよね。
193:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 22:46:09.31 CsM5BKbY0.net
勘違いしてるけど正史に置いて言えば、劉備と孫権の同盟という物自体が演義のような目に見える頑強な物じゃなかったんだよなぁ
ちょっかい出したのは、孫権が最初では無く赤壁後のドサクサに紛れて劉備は孫権軍を妨害したりしてるし
なんか孫権が一方的に同盟を破棄したみたいに言われてるけど。
あと、魯粛が死んだ時に、「呉は三国で一番国力が低い」と言ってるとこもポイント。
修辞の可能性もあるけど、魏>>>呉>蜀という力関係が明白になったのは呉が荊州を併呑してからだよ。
関羽を暴れさせた方が有益ってのは後の結末を知っての事であって、当時の人から見れば呉の国力を倍増させた荊州攻撃は快挙であること間違い無いんだよね。
そもそも呉と蜀が同盟して、魏を倒すという戦略自体、蜀のみの国策どころか諸葛亮のみの持論だと言っても過言じゃ無い。
194:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/14 23:13:19.27 Qfa4Ov9vO.net
なるほど、言われてみれば。
俺も荊州領有を巡る孫・劉のトラブルは、こういう時代だからどちらが良い悪いは無いんだけど、敢えて言うなら劉備側に非があることも否めないと思う。
その難しい局面でのこの重要な土地に、政治音痴は言い過ぎかもしれないけど優れているとは言い難い関羽に任せなきゃならないってのは、結果論から言うと劉備勢力にとって痛いことだよね。
武のみに頼らず周りの動向に柔軟に対応できる、諸葛亮のような人材がもう一人いれば或いは…。
魏>>>呉>蜀という力関係が明白になったのは、『夷陵』での劉備勢力の大敗戦も大きいよね。
あの戦役で劉備勢力は、主力と言える多くの将兵達を喪失してしまった。
呉の国力増加とともに、劉備勢力の減衰を決定付けた戦役でもあったよね。
195:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 00:22:53.02 SS1MtOeB0.net
孫権の大戦略は最初から「長江王国建設」を経ての中原侵攻による天下統一。
周瑜も魯粛も呂蒙も、これからブレたことはありません。魯粛は異質に見えますが、それは劉備を孫権陣営の一部として扱っているからであり、本質的には周瑜や呂蒙と同じです。
孫権の傭兵隊長に近い立場だった劉備が、完全な独立勢力へと進化したことがハッキリした214年。
孫権は、建設したはずだった長江王国が破綻しているどころか、上流を劉備に抑えられて自国が危機的状況に陥っていることを理解したはずでしょう。
曹操との国境は長江という天険で守られており比較的安心ですが、劉備がその長江上流を抑えていては孫権は夜も眠れませんからね。
劉備や関羽が信用できないことは、身に染みて分かっているのですし。
だから215年、呂蒙に荊州諸郡を奪還させ、それは半分成功しています。この時に関羽は、既に三郡を失陥しているのです。
そして219年、再び孫権が残った三郡の奪還を目論んだのは「当たり前」であり、特に疑問を挟む部分ではありません。
むしろ私は217年、魏への臣従や呂蒙の派遣など、明らかな第二回荊州奪還準備が着々と行われても、何も対処しなかった劉備陣営が疑問なのですよね。
特に孫権劉備同盟を魯粛と共に担っていた諸葛亮。魯粛の死に臨んで泣いてる暇があったら何か手を打つべきでした。
人材不足が祟って益州経営に忙殺されていたのでしょうが、もう少しなんとかならなかったか。
まあ名将議論と関係無い話なのでこの辺で。
196:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 01:44:07.81 JrDKEtjkO.net
>むしろ私は217年、魏への臣従や呂蒙の派遣など、明らかな第二回荊州奪還準備が着々と行われても、何も対処しなかった劉備陣営が疑問なのですよね。
…結論から言うと先述したように、関羽の間諜能力や情報収集能力、他国との調整力等を含めた政治能力の欠如に起因してると思うんだよね。
何故それを想起させたかというと、関羽はやれば決して出来ない人ではないんだけど、プライドが高過ぎた、「私はこういう人間だ」という我の方が前面に立ち、虚を前面に出す政治家にはなり切れなかった。
中でも武に対する絶対的自信
「呂蒙、陸遜何するものぞ!
いざとなれば私が戦場に立てば全て片が付くのだろう?」というような揺るぎない自信こそが、政治を軽んじる結果を導いてしまった気がするんだけど…、みんなはどう思う?
197:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 01:59:50.44 2AuQ7Et20.net
でも、関羽って荊州争乱以前にも呂蒙や甘寧なんかに負けてなかったっけ?
そんな状態で相手を軽んじて絶対的自身なんて持つのか?
俺の記憶違いや勘違いなら申し訳ないが
198:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 02:56:10.63 JrDKEtjkO.net
いや、合ってると思うよ。
関羽瀬でのことだよね。
あの時甘寧は、関羽の浅瀬での渡渉を未然に防いだ事が挙げられてるけど、どうなんだろ?
関羽に本気で甘寧と衝突する気は無かったように思うんだけどな。
まぁそれはともかくとして、関羽に武に対する過信など無いと考えるわけだね。
なるほど、色んな人の関羽という人物の捉え方があって興味深い。
199:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 04:32:50.11 MwIhrDr/0.net
>>196
幾ら何でもそれは偏向すぎる。好意的に解釈し過ぎ。
そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、
関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。
性格含めての将才でしょ。
もっとも、関羽は呂蒙に捕縛される前にも、荊州侵略を許し、三郡を奪われるという大失態を侵してるのだから、その後に油断してたなんて言い訳通用しないよ。
逆にもし本当にその後見くびってたとしたら、自分の失敗から逃げるための強がりだと思わざるを得ない。
要するに関羽という男は、誰かの指揮下の下で少数の兵を引っ張る人物として戦場に立ってこそ、の器なんだよ。
そう考えると総司令官としては優秀だとは言えない劉備(これには異論あるだろうけどそれは置いといて)の下では大した武功が無く、
当世随一の名将曹操の下に居着いた瞬間、華々しい活躍を見せたのにも納得がいく。
それでそういう人間だと仮定した場合、それは名将とは呼べないと思う。
もしそういう前線指揮官を名将と呼ぶのならば、呂布や文鴦なども視野に入れなきゃならない。
200:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 04:54:42.87 t4n8vnJk0.net
呂蒙も呂蒙で油断させるための策をあれやこれやと講じ続けてきたけどね。
まあ結局掛かった方が悪いわけだけど、あそこまで周到にやられたらどうしようもないとも思う。
関羽は優れた将ではあったけど問題もあり、徹底的に潰された。
評価はできないけど、魏と呉にここまでやらせた事実を自分は重く受け止めるよ。
201:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:02:18.63 3f3NtVGq0.net
>>199関羽が劉備の下では活躍できなかったのは劉備のせいってのは流石にどうだろうか
張飛、趙雲、黄忠達は劉備の下でちゃんと活躍があるのに
202:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:20:46.71 JrDKEtjkO.net
>>199
>そもそも、軍事における間諜能力や情報分析能力を"政治"に含める所から、違和感感じてたけど、
…あぁ、ごめん、カテゴライズの仕方がおかしかったかな。
>関羽の失敗を性格まで持ち出して擁護するのは無理がある。
性格含めての将才でしょ。
…これは少し誤解されてるようだが、どこにも擁護ととれるものは無いと思うし、事実そんなつもりも無い。
>>174でも、そういった性格から来るものも将としての資質を量る上で大切と述べているしね。
以下、あなたの主張には俺も概ね同意見だなぁ。
関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく、軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな。
ただ、だから関羽は名将とは呼べない、とまでは俺は全否定できない。
それは、最終経歴である総司令官としての資質マッチングの話であり、また、俺やあなたの評価方法自体が数ある評価の仕方の内の一つでしか過ぎないから。
203:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 05:34:58.38 JrDKEtjkO.net
>>200
それは確かに言えてるね。
呂蒙は本当によくやったと思うし、敵を誉めるべきって言葉の通り、呂蒙を誉めるべきってのもあるよね。
確かに関羽でなくても凌ぎ切れたかどうか…。
>>201
そのへんの上との相性を量るってのは難しいよね。
ただ今回の場合、劉備と関羽の相性が悪いとは思わないし、関羽の軍略に悪影響を及ぼしてるとも思えないな。
上が劉備だったからってのは関係ない気がするね。
204:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 07:31:45.85 b+Yktzww0.net
外交音痴で敵の策略にひっかりやすい関羽が何故か敵地への反乱工作が得意なのが不思議だ
205:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 07:45:47.14 swVyvRmD0.net
>>204
人によって境界線が違うのでしょうが、
「敵地への反乱工作」は軍事に含まれると思うので、関羽が得意としていてもおかしくはなく、
「外交」は政治に含まれると思うので、関羽が苦手としてもおかしくはない、と私は感じますよ。
これは関羽自身の認識も絡んでくるでしょう。どこまでが自分の仕事分野か、という。
206:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 08:15:19.23 vmoO/XCKO.net
俺も軍事や政治と現代の感覚で話してみたものの、よく考えたらあの時代の当人達が果たして明確に区分けしてたかも謎だよね。
全部ひっくるめて俺の仕事、と認識してたかもしれないし、或いは、ある分野は全く視野に入れず切り捨ててたかもしれないし。
無論、後者である場合は将としての資質に問題ありだけど。
これは全てを自分でやれってことではなく、それぞれの専門家に適切な指示を出せてたか、充分相談・検討等がなされていたかってことだけどね。
207:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 08:38:24.23 Z4Ujj9DN0.net
ここで論じられ、評価を受ける「名将」は、政治的判断も加味されることが多いが
中国の制度として、都督など軍府は基本的に中央政府の管制下にあって、唐代の
節度使の淵源ではあっても、節度使のように独立した気風をもつにはいたらなかったのでは?
節度使も制度上当然ながら中央政府の管理下なのだが、徴税と行政を委ねられたので独立国的であった。
都督や太守でも政治的案件は中央の許諾が必要なのは間違いなく、関羽の独断の外交は物議を醸す逸話だね。
208:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:07:55.23 vmoO/XCKO.net
なるほど、興味深い話だね。
でも、急速に膨れ上がった劉備勢力に、当時最もそういった制度が整備されていたであろう魏のような、整然とした命令系統は確立されていたのだろうか?
無論、主命に従うは将たる者の務め。
おいそれと無視したりはしないが劉備も諸葛亮も益州の諸事に忙殺され、荊州の仔細までは分からない。
ここは劉備とも特別な信頼関係で結ばれている関羽のこと、それなりの裁量を与えて現場判断に任せてみようではないか、みたいなことで落着してる可能性とかは無い?
209:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:34:34.13 swVyvRmD0.net
蜀の都督制度は魏のそれと違ってよく分かっていません。呼称すら統一されていないので。
関羽がどこまでを担っていたのか、潘濬らがどこまでを担っていたのか。
少なくとも孫権陣営からは、荊州の代表は軍事政治共に関羽と扱われていたようですが。
関羽が軍事だけの統括ならば良いのですが、もし文武を統べる立場でありながら従事や太守と険悪だったとしたら大問題です。
関羽伝:以羽、爲襄陽太守、盪寇將軍、駐江北。先主西定益州、拜羽「董督荊州事」
潘濬伝:劉備領荊州、以濬爲治中從事。備入蜀、留典州事。
210:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 09:45:50.31 swVyvRmD0.net
ああ、そういえば219年の「拜羽爲前將軍、假節鉞」を忘れていました。
仮節鉞があれば関羽は麋芳や士仁を独断で殺せますから、彼等が関羽を裏切ってあっさり呂蒙を受け入れた理由はこれでしょう。
「還當治之」は完全に関羽の失言。軍事上のミスですね。
211:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 10:50:28.48 vmoO/XCKO.net
うむ、孫権陣営からの見方は的を射てると思うな。
実際経営を任されたってことは、政治・軍事を統括していたんだと思う。
恐らく節で言うなら使持節・持節レベルで、荊州における君主権の代理くらいの大権を与えられてたと考えてるんだけど、どうだろう?
212:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 12:13:36.03 cud1/4mo0.net
>>202
>関羽はやはり一州を預かる総司令官としては欠けている資質も多く、もう少し規模も小さく
軍事に特化した前線指揮官としての方がタイプとしては合ってる気がするな
伝説の顔良斬りをこなして、その武勇超絶を歴史から永遠に讃えられることになった時
関羽が居た勢力が曹操側だったというのは皮肉な話だな。
この部分だけなら関羽が欠点のない天下無双の豪傑のみ、として歴史に名を残す事になった。
213:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 15:29:54.86 vmoO/XCKO.net
ホント皮肉な話だよね。
でも顔良も精強を誇る袁紹軍の先鋒で、勢い盛んな河北随一の勇将。
「関羽は顔良の旗印と車蓋を望見すると、馬に鞭打って駆けつけ、大軍のまっただ中で顔良を刺しその首を斬りとって帰って来た。」
うーむ…、この時の顔良の心境が知りたい。
演義等では事前に劉備から関羽の人相等を聞いていた顔良は、これこそ関羽と思い声を掛けようとしたらいきなり斬られた、みたいなもっともらしい事情が付いているが…。
リアルなとこどうなんだろ?
接近して来る関羽を、少なくとも敵とは認識してなかったのは確かそうだよね。
でないと、そう簡単に接近を許す筈がない。
味方の斥候が何かを伝えに来た、とでも思ったのかな?
214:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 15:46:30.73 swVyvRmD0.net
13日に長々と関羽名将談義していた私が言うのもなんですけど、ID:JrDKEtjkO=vmoO/XCKOの御方はそんなに関羽談義をしたかったら別スレを立ててはどうでしょうか?ここは「関羽のことを教えてもらうスレ」ではありませんよ。
なんだか一部の信者と荒らしのせいで関羽の話を忌避する流れになっていたのが残念だったので、あの日はなるべくフラットな視点で色々と述べてみたのですが、こういう流れになるとは思いませんでした…。
215:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 17:38:22.74 b+Yktzww0.net
それじゃあ、次は夏侯淵の話をしようぜ
実績はトップクラス
なのに確定入りできないのは最後が悪いのと、名将クラスの敵を倒してないからだろうか
馬超と韓遂は強敵だったと思うけど、曹操が一度撃破した後とどめを刺しただけって感じで過小評価されているのだろうか
216:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 17:47:14.12 2Ccz7Qtf0.net
劉備と曹操からの評価が低い、ってのを
やけに重要視されて評価下げられてるって指摘があったな。
217:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:35:11.10 swVyvRmD0.net
夏侯淵は、馬超に一度撃退されていますからねぇ。はっきり言って馬超は名将と呼ぶにも豪傑と呼ぶにも足りない人物なので、そんな相手に負けてしまったことが重要視されているのではないでしょうか?
極めつけに馬超は張郃が5000を率いてやってきただけで逃走していますから、その後の劉備や曹操陣営からの「張郃は凄い、夏侯淵はダメ」発言も相まって、張郃>>>夏侯淵という図式が刷り込まれてしまいます。
その張郃も、より上位にいる張楽于の三将と比べると、同時代の働きはかなり地味です。張遼より上と称された曹仁は実際にそれだけの活躍をしていますから、親族故の評価偏向というのは無いでしょう。
となると、やはり夏侯淵は今の確定枠にいる魏将と比べると見劣りする実力ということに。まあそれが確定枠に入らない理由になるのはおかしいですが…。
恐らく魏は既に確定枠が多いので、これ以上安易に増えないように名将のハードルが上がっているのでは?だから夏侯淵ほどの実績があっても議論枠に留まっているのでしょう。
馬超が>>2で議論枠になぜかエントリーしているのも、夏侯淵という名将を撃破しているというただ一点が原因としか思えません。それ以外の馬超は負けて負けて負けっぱなしなので。
つまり蜀は逆にハードルが下がっているのでしょう。最弱勢力としては当たり前と言えなくもないですが…。
しかしまあ、関羽と馬超が並んでいるのは違和感を感じますね。馬超が議論枠になれるハードルなら関羽は確定枠なんて余裕なはずなんですが…。まあこの話はもういいですけど。
218:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:37:10.67 TIkXQ8Jh0.net
多分曹操の親族で同じような立場だったと思われる曹仁の存在が余りにも大き過ぎたってのもあるんじゃない?
219:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 18:54:54.33 b+Yktzww0.net
>>217馬超は決して負けっぱなしじゃないぞ
郭援に勝利したり(ホウ徳の活躍が大きいが)、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてる
曹操も馬超と戦って、何回か死ぬかもしれないピンチに陥った事もあるし、馬超率いる連合軍に勝った曹操軍も戦死者は五桁にのぼるほどの被害を出してる
名将とは言えないかもしれないがかなりの豪傑だと思う
220:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 19:07:51.34 swVyvRmD0.net
>>219
馬超は曹操陣営で鍾ヨウの部下として働いていた時が全盛期ですね。仰る通り、龐徳の方が目立ってますけど。
それ以外に馬超が「戦争」で「勝利」したことが無いことは分かっておられると思いますよ。「局地的」な「ピンチ」なんて大局的には意味無いですから。
むしろ局地的にピンチにしておきながら結局大敗している辺りが、名将とは真逆な匹夫の素質を感じるところです。局地的にでもせめて名のある将を撃破してれば違うのですが。
豪傑とも言えないと思いますね。一騎打ちで韓遂の部下に半殺しにされたことはまあいいとしても、曹操を殺せる千載一遇のチャンスを許チョに睨まれて萎縮したことで失敗したり…。
豪傑と呼ばれるには、実力だけでなく振る舞いも求められるでしょう。関羽や張飛が本物の豪傑です。
馬超の情けない行蔵を見ると、演義でなんで馬超が関張と同列のように扱われたのか全く納得できませんし、正史で関羽が馬超らを下に見ていたことは大いに納得できます。
まあ、私の馬超に関する意見は私情がかなり入っているのでフラットな視点になってないと思いますけどね。
221:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 19:42:12.05 bROTHfvl0.net
>>218
親族と言っても曹操と夏侯淵は血の繋がりはあるけど
曹仁とは血の繋がりはないんだよなぁ
222:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:22:48.57 b+Yktzww0.net
>>220だから郭援に勝利した以外にも、曹操に反旗を翻した時従わなかった劉雄鳴を撃破したり、涼州刺史の韋康を殺したりしてるって言ってるじゃないか
それに夏侯淵にも勝利した事もある
それらの事は全て局地的な勝利であり、最終的に負けたのだから、郭援に勝利した事以外戦争で勝利は無しとなるなら
関羽なんて顔良を斬った事以外戦争での勝利無しになるし、諸葛亮も武都・陰平を取った事以外魏に対して戦争での勝利無しになるぞ
223:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:50:23.86 swVyvRmD0.net
>>222
劉雄鳴って、それ関中軍閥内の仲間割れですよ。しかも仕留められずに逃亡を許しています。
夏侯淵撃退=冀城攻防戦は既に私も言及しているじゃないですか。韋康殺害はその冀城攻防戦の一貫です。
馬超は孤立した冀城を落とすのに八ヶ月かかり、その後すぐに楊阜らに奪回されています。
何がそんなに引っかかっているのですか?
224:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 20:58:11.00 swVyvRmD0.net
>>222
関羽は于禁を捕獲し龐徳を斬り、諸葛亮は張郃を戦死させていますから、馬超とは全く違います。
「せめて名のある将を撃破してれば」というのも既に述べているはずです。
馬超は張郃どころか夏侯淵も仕留められていません。一時的に撃退しただけで、勝ち越したわけではありません。対して関羽と諸葛亮は、魏が誇る五将の息の根を止めたも同然です。
もう少し落ち着いてくださいな。
225:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 21:23:16.13 b+Yktzww0.net
一時的に撃退したのなら、一度勝利したという事と一緒じゃないのかと自分は思うわけですよ
一時的な撃退が勝利に値しないなら
関羽は樊城を攻め、救援に来た于禁を捕獲しホウ;徳を斬ったが、援軍に来た徐晃に破れ、樊城攻めを失敗したという意味で戦争に勝利してないという事になるし
諸葛亮も魏領に攻め込み司馬懿に局地的に勝利して、退却する際に張コウを戦死させたが、魏の領土を奪う事ができなかったので戦争に敗北したという事になる(事実敗北だけど)
撃退しただけの馬超より、敵将を捕獲し戦死させた関羽や諸葛亮の方が上だというのには同意しますけど
226:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:08:44.42 swVyvRmD0.net
>>225
仰っていることには私も同意です。大局的に見て関羽や諸葛亮が戦争で魏軍に勝利したなんて私も思っていません。まあ諸葛亮は敗北とも言い切れないと思いますが。
私の国語力不足のせいで伝わらず申し訳ないのですが、例えば、関羽は于禁に戦争で勝利した将軍ですよね。これは局地的にも大局的にも同じですし、否定材料は存在しません。
しかし、馬超は夏侯淵に戦争で勝利した将軍でしょうか?
局地的な勝利は得ていますが、結局は夏侯淵により軍勢は壊滅し羌族テイ族も駆逐され、関中からも涼州からも追われて劉備へ落ち延びました。これは大局的には明確な敗北です。
私の捉え方では、夏侯淵が馬超に戦争で勝利した将軍となります。
227:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:13:42.81 b+Yktzww0.net
>>226最終的に負けたけど、局地戦であろうと一度の勝利を認めないというのはどうなのかなって言いたいんだけどなあ
228:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:17:56.95 swVyvRmD0.net
>>227
え、局地戦で勝利していることは認めていますよ?
最初の>>217で思いっきり言っているじゃないですか。
229:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:23:03.57 b+Yktzww0.net
>>228勝手に認めて無いと勘違いしてました。すいませんでした。
230:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 22:26:29.85 swVyvRmD0.net
気づいたらかなり連レスしていたようです。
他の方々が夏侯淵や馬超についてどう評価するのか興味ありますし、私のような長文バカが居座っていては議論が停滞しそうなので退室しようと思います。
お目汚し失礼致しました。
231:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/15 23:46:13.91 M+3sdDQC0.net
>>225
>~という事になる
反論してるつもりなんだろうが、その通りなんだよなぁ。
馬超も関羽も諸葛亮も局地的に勝ったけど大局的には敗北してるよ。
232:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 00:04:15.43 p3xFGHfRI.net
>>231の言いたいことがわからん
そこ誰も否定してなくね?
233:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 01:22:58.60 ig3gk6qi0.net
関羽が馬超より上であろうと下であろうとどちらにせよ確定入りする事は無いと思うわ
関羽は負けが多すぎるし、実績も少なすぎる
それだったら夏侯淵や孫策の方が可能性がある
234:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 11:36:53.14 NSbuwuoF0.net
関羽は史書の記述だけを拾っていくと負け戦が多過ぎる
しかしそれでは同世代の人物の高評価の説明がつかない
ここから記述がないだけで、放浪時代等に様々な功績を積み上げていたことは想像できる
だが、他人と相対的に評価しなければならないこのスレで補完した想像込みで関羽を語ってはならないだろう
収拾がつかなくなってしまう
235:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 12:27:22.05 pMCuc6mE0.net
実績が多いから名将というわけでもないからな。
実績の少ない関羽は万人敵と魏呉から恐れられ
実績の多い夏侯淵はそれこそ曹操から白地将軍の不名誉をもらってしまっている。
実績の多い、少ないはあまり名将認定には関係のないことだろう。
236:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 13:28:57.79 p3xFGHfRI.net
孫策とかそれこそ実績自体は文句無しのはずなんだけど
5年で揚州の江南部分を平定したという結果だけ見れば
でも戦歴を見ていくとなんか微妙感が漂うという不思議な存在?
劉繇を倒したのは孫策軍というより袁術軍の総力
王朗も自力じゃ倒せず故郷を守ってた孫静をわざわざ召喚
孫策軍だけで倒せたのは有象無象の賊共くらい
最後は寡兵の陳登に大敗した挙句に暗殺される
でも孫策の若さを考えるとやっぱり偉業か
237:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/16 18:30:17.95 ydtuhbu10.net
別に蜀に肩入れするわけじゃないけどさ、やっぱ史料少ないと苦しいっすね
238:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 01:44:25.10 o61lx5pG0.net
三国志の時代の当時は関羽は名将として認識されてたんだろ
曹操等から高評価され、色々と恐れられてて
だからこそ敵国は、よってたかって倒しにかかったんだよな
239:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 02:32:51.40 LVZYDtX90.net
名将と認識されたんじゃなく、豪傑と認識されてただけ
ここ重要
というか曹操は、チョウシュウ配下のコシャジとかいう奴の武勇を表彰したりしてるし、
関羽も同じように豪傑だったから名が知れてただけだと思う
呂布も当時は豪傑というだけで、出世したけど名将というわけでは無い
240:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 04:06:10.67 I34pOkIz0.net
>>236陳登が孫策と戦った記述は間違いで、本当は他の武将の可能性があるんじゃなかったっけ?
241:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 04:50:33.10 roFLzJh50.net
孫策配下の将である可能性も否定できないとかなんとかかんとか
242:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 06:30:31.77 P6pDr/wAI.net
なんか「魏と呉が関羽を恐れてたからよってたかって倒しにかかった」って言ってるバカがいるけど、今までこのスレの何を読んで来たのかな?
そういう流れじゃないことは何回も説明されてるじゃん
読解力無いの?
243:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 06:56:37.78 roFLzJh50.net
不要な暴言は荒れるもと。
そう思っても言わないのが良識のある大人。
244:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 07:08:40.81 Zv3rUP//0.net
読解力というより、おとしどころの目的が違うんだよ。
関羽をよってたかって倒しにかかっているのは事実だけど、「名将として」おそれていたなどない。
しかし万人敵と形容された関羽は、兵を率いても最強としたいんだろう。
最強スレではここから先はフィクションの話へと移行していったがな。
245:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 08:20:40.51 fCWEdBuy0.net
大分前から他スレでも関羽については
フィクションを信じるのが正義と思っている人がいるみたいだからねえ
246:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 18:45:30.76 +1JQuRND0.net
>>236
業績の評価批准に年齢は関係ないような。
>>241
確かに陳登と直接対戦したのは「孫策軍」だけど、
この「孫策軍」が孫策本人の率いる軍とは限らない所が。
247:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 18:54:19.89 P6pDr/wAI.net
いや、あんなこと言っといて何だけど、関羽は名将なんじゃね? 劉備軍が弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかっただけで
将軍としての関羽の実力は後世の目では分かりにくいけど、誰よりも関羽と張飛の実力を知っていたであろう劉備が常に関羽を最も重用していたってことは、実力の証明になっている気がする
後世の目から見ても名将である張飛より上、ってことは関羽も名将・・・というのは無理矢理すぎるかな
248:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 19:34:34.44 I34pOkIz0.net
>>247名将であったかもしれないけど
二十四選に確定するほどの名将とは思えないな
他の候補者、夏侯淵や孫策の方が上だと思う
249:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 20:58:13.44 P6pDr/wAI.net
>>248
まあ夏侯淵と孫策はむしろなんでまだ確定枠になれてないのか疑問なレベルだから
田豫と司馬懿もだけど
250:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:03:40.56 +1JQuRND0.net
>>249
孫策はねえ…
関羽さんと同じで多い長所を重大な短所でダメダメにしているから。
251:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:16:21.88 I34pOkIz0.net
>>250孫策の短所って政治家や君主としての問題であって、関羽と違ってそれらの短所が軍事的失敗に繋がる事にはなってないし、将軍としての短所は少ないようなあ
孫策の問題は雑魚専疑惑がある事だと思う
252:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 21:19:35.29 E2dKlZ5t0.net
張飛のほうがどうみても関羽より上。
長坂での殿軍も見方によっては関羽の顔良斬りよりヤバイし、
益州攻略での功績、巴に深く侵入してきた張コウ撃破と、明確に大手柄が記録されている。
大体たかが漢中太守に抜擢された地方軍(方面軍ではない)魏延と
中央軍のトップ級将軍である張飛を比較して魏延のほうが上というのは無理がある。
253:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/17 22:28:36.86 P6pDr/wAI.net
>>252
魏延は漢中太守だけじゃなくて督漢中で鎮遠将軍だろ
方面軍ではないってどういう意味なん?
魏には太守なんて腐るほどいるけど、蜀の太守は数えるほどしかいないわけで、その中で最前線を任されたのを、たかがとは言わんだろ
しかも漢中は張魯→曹操→劉備と移り変わって支配の難しいところだろうし
何より一番大事なのは、張飛が任命されると思っていたところを魏延が任命された、ってことなわけで
254:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 00:20:37.28 DUWWLk030.net
>>247
> 弱小な上に人材不足だったから、自分の力を発揮しやすい環境に恵まれなかった
この部分がちょっと腑に落ちない
弱小国の将軍は大軍を統率する機会にはあまり恵まれないかもしれないが
不利な条件で勝利すればその分高く評価されるという意味では
条件はあまり変わらないんじゃないかと思う
255:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 00:37:27.68 Jv8aH0G70.net
関羽を擁護するなら、呉と魏と境界を接する荊州を統治とか、誰がやっても難しい、しかも不得意そうな事をやらされて可哀そうだとは思う
まあ、ビホウやら荊州にいた部下に裏切られたのは、擁護不可能だけどね
256:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 01:35:29.57 /OsMfpPo0.net
夏侯淵はともかく、孫策は頓死していなければ…の妄想ナシだと確定枠には遠いわな
257:2
14/02/18 08:17:13.79 QBxGN6QY0.net
議論が進んだようなので 絞り込む方向で少し修正。
おかしい箇所があったら訂正して下さい。
・確定枠(残り8枠)・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 満寵 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・確定枠昇格候補・
後漢
魏:夏侯淵
蜀:関羽
呉:孫策
三国
魏:田豫 司馬懿
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉
・定義外?・
群雄割拠以前
他:皇甫嵩 徐栄
呉:孫堅
三国以外所属
他:麴義 呂布 黄祖
晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:杜預
258:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 14:26:49.06 X78ip4df0.net
今までの議論の流れでは関羽は確定候補ではないんじゃないかな
259:2
14/02/18 16:30:16.08 QBxGN6QY0.net
読み返してみると、関羽と孫策はまだ議論の余地がありそうですね。
纏める方向で再整理。
・確定枠(残り5枠)・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 鄧艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
・議論枠・
後漢
魏:陳登 臧覇 文聘
蜀:関羽
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麴義 呂布 黄祖
三国
魏:曹休 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉 陸抗
晋:杜預
260:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:24:29.61 Jv8aH0G70.net
いつの間にか夏侯淵が確定枠に入ってる!?
261:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 20:50:05.08 CTJj3cUmO.net
5つも枠が有るなら、いつもの2人を入れてあげてもいいんじゃない?
さすがに議論枠の中では上の部類でしょ。
262:2
14/02/18 21:39:06.01 QBxGN6QY0.net
夏侯淵はスレの流れ的に確定かと判断したことと、最終的に24選から漏れることは無さそうなので入れましたが、異論が多く出るようなら外して下さい。
263:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 21:50:44.70 eZtZzRc40.net
夏侯淵は入れるという話題にすら上らない
議論するまでもなく現状では枠外なんだぜ
264:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:13:03.68 PqlIwZYi0.net
関羽はともかく、夏侯淵は明確に敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く、その実績の大部分がその「寄騎」によるものなので永久に除外していい。
漢中で失敗した夏侯淵が入るなら、揚州を全うした夏侯惇が確定しないと矛盾していておかしい。
265:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:47:52.11 +72BEB5IO.net
郭淮、杜預あたりは確定枠に入れてあげてもいいんじゃ?
鍾会も戦略家としては一流だけど…剣閣抜けなかったり、トウ艾に出し抜かれたりが響いてるのかな。
266:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/18 22:51:28.79 Jv8aH0G70.net
>>264評価よりもやっぱ実績を重視すべきだろ
当時の評価が間違っている可能性もある
関羽は評価はかなり高くても実績はたいしたことが無い
同じく夏侯惇も敵を撃破した実績が少ない
267:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:13:47.72 cb16Q+Xw0.net
夏侯淵程の功績を残した人物は議論枠にはいないだろ
他人の評価なんて名将か否かに何も関係しないだろ
他人の評価で功を立てる訳じゃないんだから
268:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 00:18:46.73 BchvawFa0.net
夏侯淵の話題は前スレからずっとちょくちょく出てるし、確定枠だった時期もあるんだけど
>>264
その程度で「永久に除外していい」とまで言うのは極端すぎて荒らしとしか思えないんだが
夏侯淵を永久除外してまで誰を入れるのかという気も
実績の大部分が「寄騎」ってのも見方がおかしいでしょ
徐州で張遼于禁の援軍→青州で楽進の援軍→揚州で諸将の領軍→并州で徐晃の護軍→雍涼で張郃徐晃の護軍→益州で張郃徐晃の都督
領軍護軍は寄騎なんかじゃなくて司令官ポジションなわけで、夏侯淵が最も活躍していた時期は張郃徐晃らを率いる立場
だいたい曹操軍で前線の主役はあくまで五将軍、特にその中で上位三人への寄騎なわけで、夏侯淵が主体になりにくいのは仕方ないだろ
五将軍以上に前線で暴れてた曹仁がいるせいで夏侯淵が劣って見えるのかもしれんが、それが夏侯淵が名将でない理由になるのか?
夏侯惇は孫権が臣従したタイミングでの赴任だから攻め込まれてもいないので、方面軍司令官としての比較対象にはならない
>>265
郭淮は諸葛亮や魏延にハッキリ負けているし、鍾会や杜預は完全に一発屋・・・
それに杜預の侵攻作戦も鍾会に劣らず全体的にはけっこうグダグダ
あれだけ大規模な作戦だから仕方ない側面もあるだろうけど
269:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 01:29:12.42 slN1UdWu0.net
議論なんかどうでもよくて自分の考えが正しいと言いたい人がちらほら
他人の評価云々なんて直前の関羽で散々出た話題なのに
>敵味方問わずに首脳陣からの評価が低く
なんて言ってる人は間違いなくスレを読まずに書き込んでる
270:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 10:59:01.96 LEP+piqU0.net
中国英雄板の三国志について語るスレが実質的にここだけなんだから、
そこまで選出に拘ったり、定義や意見でいがみ合ったりする必要無いじゃん。
271:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:00:29.97 hxiCxR6+0.net
>>270
「選ぶスレ」なんだから、ある程度選出には拘らなあかんやろ
選出が終わったら、語るスレにでも移行すれば良いんだし
言葉が汚くなったり挑発的な物言いになってしまうのは、まあ各自が自重するしかない
俺もよくそうなるけど
定義といえば誰も触れないが、皇甫嵩は議論枠からも除外して良いんじゃないのか?
皇甫嵩が活躍してた時代って三国の影も形もないし
中央の統制が崩壊して群雄割拠が始まるのは、あくまで反董卓連合からなわけで
麴義や呂布や黄祖は、群雄として三国建国者や他の群雄と鎬を削ったから「三国志の名将」に選ばれる資格はあると思うけど
皇甫嵩が戦った群雄候補なんて韓遂くらいしかおらんし、韓遂を滅ぼしたのは皇甫嵩じゃなくて夏侯淵だしで、なんかもう…
と個人的には思うが、皇甫嵩を24選に推したいって人ってけっこう居たりするんかな
272:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 12:35:37.81 YV+BRl+B0.net
このスレは選ぼう、絞ろうという方向に行こうとすると、荒れるか人が去るんだよなw
名将雑談スレくらいの緩さの時が最も伸びる
273:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 13:04:00.40 c7yMOxiQO.net
そうだね、誰かが提案して、それに対し誰かが反対意見を出し、更に誰かが賛成意見を出す時に示される各々の理由、そういうのを論じ合うのが楽しいのかも。
でも結論を出して行くなら、誰か裁定人が必要かも。
でないと議長の居ない会議、田原総一郎の居ない『朝まで生テレビ!』状態が続くかと。
274:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 14:40:22.01 42z939nA0.net
三国志を184年から数えるか、189年からにするかの見解の違いはあるかもだけど、
一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし、皇甫嵩も年代的には問題はないと思う。
まあ相手が烏合の衆だから、群雄割拠が成り立ってからの将の方が実績的には上かもだけど、
誰が最初の名将かを挙げるとしたら皇甫嵩になるんじゃないか、ってとこなのだろう。
275:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 15:37:11.51 hxiCxR6+0.net
>>一般的には黄巾の乱が切っ掛けとなる話なのだし
これがわからない・・・
黄巾の乱って何のキッカケになったん?
黄巾がキッカケで群雄割拠したわけでもなければ、黄巾がキッカケで後漢王朝が倒れたわけでもなく、黄巾がキッカケで董卓あるいは袁紹や曹操が台頭したわけでもない
陳勝呉広や赤眉とは全く違うのよ、黄巾は
何のキッカケにもなってない気が
この時の働きが曹操孫堅劉備に与えた影響なんて殆ど無く
覇権争いで最初の主役となる二袁なぞ、ほぼ空気だったり
「184年」に囚われすぎなんでは?
276:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 17:42:13.25 42z939nA0.net
そりゃ赤眉の乱や黄巣の乱と違い、黄巾の乱が王朝を滅ぼした直接的な要因ではないからね。
でも、黄巾の乱以降、残党や流民が跋扈して治安が急速に悪化してて、
統制が取れなくなったことから、地方で実力者達が武装し軍閥化。
叛乱や軍閥の自立も頻発するようになった。これは董卓以前から始まってたことだよ。
そして治安悪化の影響で多くの民や知識人が荊州、揚州、益州などへ避難。
その影響で辺境の人口が増え文化水準が上昇。三国時代、呉や蜀が自立できた下地になってる。
乱自体は簡単に鎮圧されたし、乱そのもので誰かが政権を握ったりなどもなかったけど、
農民反乱ゆえに文化や民の生活などへの影響は強く、これにより後漢が完全に死に体になっている。
後漢の衰退を招き、乱世~三国時代の幕開けへの切っ掛けとなった事象だし、
王朝瓦解の決定的な契機は董卓だけど、三国志を語る上では無視できないものだと思うよ。
まあ三国志的に黄巾の乱で一番大事なのは、曹操や孫堅や董卓が表舞台に出てきたことなんだろうけど。
277:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:00:09.40 hxiCxR6+0.net
なるほど「軍閥化」のキッカケ・・・
そういう意味では大きな境界線なんですな、やっぱり
まあ後漢の衰退を招いたってのはちょっと違う気もするんやけど・・・
幼帝と外戚と宦官のスパイラルに嵌ってとっくの昔から勝手に衰退していってたのが後漢王朝って印象
鮮卑の大英雄こと檀石槐も黄巾より前にずっと暴れまくって尋常じゃない勢力圏を築いていたし
段熲が羌族を殲滅しまくってたり、張奐の下で董卓の名前が出たり、皇甫嵩の伯父が活躍したりしていた時期も、なかなか酷い
境界線となる時期は色々あって、完全に決定的なのが反董卓連合である以上はそれ以後の名将から選ぶべきだと個人的には思うのよな、あくまで個人的にはだけども
278:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 21:26:04.33 LEP+piqU0.net
なんで色んな時代でも、黄巾だけ成功せず、それどころか一瞬で鎮圧され後漢王朝の重臣が権力握っていったのか
1、蜂起を急ぎすぎた。民の不満が十分に溜まる前に誘発してしまった。
2、後漢王朝の将軍(コウホスウとか)が優秀すぎた。
3、張角が無能すぎた。
4、そもそも後漢王朝の腐敗は、中央政府に汚職や利権が蔓延ってただけで、地方や庶民の暮らしは大して悲惨じゃなかった。
どれだろ?田中氏も言ってたけど一年で鎮圧される民衆反乱ってショボすぎるよね。
279:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/19 22:03:10.44 hxiCxR6+0.net
んなもん、腐っても「王朝がまだ機能してたから」やろ
噛み砕いていえば「中央と地方の連絡がまだ取れていたから」か?
べつに皇甫嵩がおらんでも、盧植と董卓と朱儁と曹操でいつかは鎮圧したやろうし
中央と地方の繋がりが断ち切られて群雄割拠がスタートするのは、董卓が洛陽を焼き払って長安に引きこもってからやぞ
あれのせいで地方が好き勝手やり始めた
280:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:39:23.50 EicQxCrK0.net
仮に董卓前後からにしたとしてもあまり意味がないのでは?
皇甫嵩がエントリー枠に入るかどうかの違いだけで、このスレ的にはあまり変わらないのだから。
そもそも三国志演義ですら黄巾の乱からなんだし、そこは頑張っててもどうしようもないとこだと思います。
189年から始まるのなんて昔の三国志のゲームぐらいじゃないだろうか。
281:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 05:46:05.01 F61X+TqPI.net
皇甫嵩が入るなら時代区分だけじゃなくて三国外でもいいってことに広がるわけで、河北最強の麹義も当然確定枠に入るよね?
282:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 07:05:29.97 GchUNz0iO.net
うむ、時代的には候補に入っていいと思う。
時代は刻一刻と変わり行くものの連続性だから、この瞬間からって線引きは人それぞれだろうけど、
>>280の人の言うように、黄巾の乱あたりからと捉えても全然おかしくないと思う。
宦官と外戚の権力闘争、度重なる飢饉や天災、中央が乱れているからそれらに対応する策すら打てず、民心を失い後漢王朝が末期症状を呈しているのはそれ以前からだけど、
そこにきて乱の鎮圧に掛かる多大なる戦費と兵力。
これは財政的にも支配力的にも後漢王朝に与えたダメージは大きいと思う。
よって、後の三國の時代の幕開けに繋がる後漢王朝の衰退に、董卓の乱とともに黄巾の乱は大きく関与していると思うよ。
283:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/20 22:28:26.05 F61X+TqPI.net
まず実力の時点で皇甫嵩って他の連中と比べてどうなのさ
雑魚専と名高い孫策だって、一応は群雄と呼べないこともない相手を撃破しているんだから、皇甫嵩よか上だよね?
284:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 02:17:41.12 EAs6vXlcO.net
うむ、そうだね。
あの広大な江東を一代で制覇したという実績は、充分評価に値すると思うよ。
285:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 08:10:22.41 he0p3YjJ0.net
江東って別に広大でも無いだろ
加えて当時の揚州には有力な勢力が無かったし(強いて言えば袁術)。
286:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 09:54:37.14 WJUelP5y0.net
平定戦の功ってことで、なんで孫策が有力候補に上がるのかなぁ、ってのは前々から疑問
孫策が平定したのって揚州の江南(江東)部分だけだから、一州を平定したわけでもないし
曹操:兗州 豫州 徐州 司州 冀州 青州 并州 幽州 荊北 揚北(夏侯淵:涼州)
袁紹:冀州 幽州(袁譚:青州)(高幹:并州)
劉備:荊南 益州
劉表:荊州
呂布:徐州
こいつらは全員、開始時点では郡レベル以下だった勢力から成り上がって、自力で一州以上を平定してるじゃん
特に曹操と劉備と袁紹と呂布は、既に州レベルの支配を確立していた相手を撃破して平定している
孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
287:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 22:58:47.61 qvZiyksw0.net
>>286
>孫策が戦ったのは、劉繇も含めて郡レベル以下の相手しかいない
>孫策が入るんだったら、まず袁紹や呂布が入るんでないの?
その通りなんだわ。
そして袁紹ですら議論の末、
確定枠はおろか議論枠からも外され…という点でお察し
288:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:04:16.05 qvZiyksw0.net
孫策ってパッと見成績が華々しいから
一見凄いように見えるけど、
実際は大したことなんて碌にやってないんだよね。
孫策の江東を押さえている地域自体が
江東の「面」ではなく、
江東の都市とかの「点」を押さえているだけに過ぎないし。
289:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/21 23:21:35.56 WJUelP5yI.net
>>287
袁紹が議論枠から外れてるのは、麹義が代理で入ってるからな気がする…
袁紹勢力代表を袁紹にするか麹義するかは、それはそれで議論の余地があるんじゃないかと
>>288
だから点と点の間に不服住民が大量に巣食って、賀斉たちが延々と平定作業に励む羽目になったわけだしね
諸葛恪の時代になっても山越討伐してるんだから…まあフロンティアってそういうもんなのかもしれんけど
290:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 09:27:39.55 7BGmtsvE0.net
孫策の名前が出るのは
・ハンデありまくりのスタートラインから
・極めて短期間で
・政治的・権威的ににはともかく、武力的に完全制圧した
からだろう。
この時代で孫策のバックグラウンドと比較対象になる存在といえば鍾ヨウか?
事実上単身赴任で複数の武装勢力を服従させて地域に安寧をもたらしたのは
孫策 鍾ヨウ
地域 江南 関西
バック 袁術 曹操
軍閥 劉ヨウなど 馬騰など
目的 制圧 せめて袁紹と繋がった敵にしない
手法 武力 慰撫
結果 制圧 纏めあげて服従させる
291:名無しさん@お腹いっぱい。
14/02/22 10:56:28.40 fJDHqfD60.net
孫策は、孫堅軍として転戦してきた程普黄蓋韓当ら歴戦の将兵を授かってるんだよなぁ。孫河呂範も最初から側近としている。
その戦争体制も、孫賁呉景、朱治、そして周瑜ら周氏も含めた、袁術軍との共同作業。バックなんてもんじゃない。
これが単身赴任と言えるのか…。
司隷に単身赴任して関中軍閥を懐柔した司隷校尉の鍾繇。揚州に単身赴任して袁術残党を懐柔した揚州刺史の劉馥。
曹操のバックアップ込みとはいえ、これが本当の単身赴任かと。
最たる例としては、荊州に単身赴任して豪族を懐柔し、反乱勢力を皆殺しにし、孫堅を戦死させて袁術を追い出し、張済を戦死させて張繍を懐柔した、江南最強群雄の劉表。
バックなんて無い、完全な実力。どう考えても孫策より上でしょう。