13/12/07 02:11:12.69 BuO58jAf0.net
孫策が焦土作戦に出たのは短期間で江東を制覇する必要があったからである程度の地盤が築ければそれなりの宥和策は採ったんじゃないかなぁ
その後の孫権時代に活躍する有能な人材を迎える眼と度量は間違いなくあったわけだしそういった人士の意見を聞かずに死ぬまで「敵は全て皆殺しじゃー」ってやる程愚かではないと思う
孫策の時代には既に周瑜・魯粛・張昭・張紘といった優秀なブレーンはいたわけだし
逆にそれだけの人材がいても(魯粛が合流したのは江東の平定後だけど)なお江東を力でねじ伏せたっていうことはそれが最も有効な手段だったと考えることもできるし