13/12/26 12:44:22.30 QHj9gJP/O.net
三清と造化三神は成立の時系列が丁度微妙なんで多分違う。
三清を構成する三神自体は記紀成立までには存在してたけど、三清と一まとめになるのは宋代を待たなくてはならないから。
それに三清も造化三神も構成する神々はそれぞれ成立時期と由来はバラバラ。
三清は太上老君がもっとも古く五斗米道の天師道で仰がれ、次いで太平経の一テキストで教主とされた天尊なる神を祖とする流れから元始天尊
ほぼ少し下る時代に成立した霊宝経の教主とされた霊宝君こと太上大道君(霊宝天尊)の順で提唱され
全く別の派閥の神仙道家で祖として仰がれてきた神々を陶弘景が始めて真霊位業図で一つの神体系にまとめあげた。
この後に記紀が成立したけどまだ真霊位業図でも三清が確立しておらず、あくまで元始天尊を頂点とする上下関係になっているのでやはり造化三神と直結して考えるのは無理がある。
造化三神も一番成立が遅いと見られる天御中主神を除けば、本来の皇室の祖神ともいう高御産巣日神と出雲などの文化圏で祖神だったらしい神御産巣日神もまた仰ぐ氏族を別にしていた。
これが天皇を頂点とした朝廷による日本の豪族統合の結果、日本の神々全体の祖先としての造化三神へまとめられたもの。